民族音楽の魅力
  このページは、若林忠宏が今迄に出会った世界の民族音楽の素敵な魅力を、今迄とちょっと変わった視点で、ご紹介するものです。思いついた時に少しずつ更新します。お暇な時にのんびりと読んで頂けると幸いです。

  初めて出会った民族音楽
  夏休み子供映画大会
 若林が初めて出会った民族音楽は、小学校低学年の頃だったと思いますが、町内会主催の「夏休み子供映画大会」での「シンドバッドの冒険」の様なアニメ映画の音楽でした。もちろんどんな曲だった?なんて覚えていませんが、訳も分らずに「ゾクゾク」した記憶だけが鮮明に残っているのです。今になってその「ゾクゾク感」の大元がなんであるかを推測するに、ひとつは不思議な旋律で、もうひとつが同じパターンで繰り返される不思議な雰囲気の太鼓のリズムだったと思います。これはアジア・アフリカの民族音楽の基本中の基本ですね。
  当時の作曲家さんがどれ程アラブ音楽を研究されたかは良く分かりませんが、19世紀位から西洋クラッシック音楽の作曲家に「オリエンタル・マイナー」として知られている音階が有り、西洋音楽で好まれるもの悲しい「短調」にちょっときつい音を加えた感じなので、欧米人や日本の子供達に「聞き慣れない怪しげなメロディー」と感じさせるにはうってつけのメロディーだったのです。
 この音階は、アラブ・トルコ・北アフリカ古典音楽に数百あると言われる音階(厳密には旋法ですが)のひとつに過ぎないのですが、「シンドバッドの冒険」「アラジンと魔法のランプ」「アリババと30人の盗賊」などのアラビヤ不思議物語では、欧米映画でも日本のアニメでもたいがいこの音階が使われていました。王の宮廷で悩ましく舞姫が踊るシーンから、魔法のランプから何かの妖精が現れるシーン、怪しげな雰囲気にピッタリのこの音階に、さらに蛇使い蛇がのたくる感じの大きく揺れる装飾音、「ドンタカタッタ」の様な感じが繰り返される太鼓の音が加わると観客は一気にアラビヤン・ナイトの世界に誘われるのです。
 ところが本格的にアラブ・トルコ・北アフリカ古典音楽を勉強してみると、意外にズバリこの感じの音楽は少ない事を知ります。私たちが家庭で使っている包丁や鋸が、プロの料理人さんや大工さんの道具の中に意外に無くて、似てて微妙に異なる様々な道具に圧倒されるのに似た感じでしょうか。その為、アラブ・トルコ・北アフリカ古典音楽を勉強すればする程、自分の原点の「夏休み子供映画大会」の感覚が分らなくなってしまうのですが、最近になってやっと、様々な音階を弾いてもそれぞれにあの不思議感が出せる様になって来ました。それはアラブ・トルコ・北アフリカ古典音楽の「命」と若林が思う「うねり感」に気づいてからです。
 
2005年5月11日
  西アフリカ太鼓合奏の楽しみ
 

西アフリカ太鼓音楽は「ポリ・リズム」
 ポリ・リズムと言う言葉があります。アフリカの音楽について調べるとたいがいの辞典・文献にこの言葉が出て来るんですが、こういう言葉って知ってる人にしか理解出来ないですよね。そこで真面目に別な辞典で「ポリ・リズム」を調べ始めてしまった日にゃアフリカが偉く遠くなるもんです。
  ポリ・リズムの「ポリ」って「ポリネシア」の「ポリ」と同じで古代ギリシアの都市国家「ポリス」に端を発し、アフリカ音楽とは真逆のイメージ「ポリ袋」の「ポリ」とも結局は同じことで「複合」というとムヅカしいですが、ようするに「一杯混ざっている」感じです。じゃあ「ポリ」じゃないリズムって何ヨ?という疑問に対しての答えは意外にもアフリカ音楽文献にも音楽用語辞典にもあまり無かったりします。日本独特の教育法かもしれませんが「ひとつの正解」を伝える事ばかりで、その他の「正解」「凖正解」ましてや「間違った答え」や「対極の答え」などは教えてくれません。でも物事を理解するってことは、色々な答えの中で「この場合はこれが一番カッコいい」的に正解に辿りついた方が理解が深まると思うんですが、「ポリ・リズム」を調べても答えはちっとも「ポリ」じゃないんです。
 実際のところ「ポリ・リズム」じゃない単一リズムをわざわざ「モノ・リズム」「ホモ・リズム」とは言いませんし。同じ土俵に雑然と散らばるイメージの「ポリ・リズム」に対して、異なるリズムが整理されて平行に並ぶような「ハモ・リズム」という言葉もあまり言われません。だから語る必要もないのかもしれませんが、太鼓のビートがほぼ一種類で、ずっと続く様な音楽、ロックやポップスやジャズ、太鼓が無くても同様なハワイアン、カントリー、などは「ポリ」じゃないリズムの音楽です。日本の伝統音楽や西洋クラッシック音楽はどうかと言いますと。ビート感が薄い上に、時間の経過でリズムがめまぐるしく変わるので「ポリ」かどうか?の次元じゃなくなっています。
「ポリ・リズム」大好きアフリカ人
 アフリカ人が「ポリ・リズム好き」だと言う事の典型的な例があります。若林は既に幾つかの本に書いていますが、ロック・コンサートでさえもアフリカ人の聴衆は隣同士と異なる手拍子を取り、異なるノリで踊ります。ところが日本人は皆一緒です。日本人は「隣と違うと恥ずかしくなって、直ぐ直す」の感覚に対してアフリカ人は
「隣と同じだと恥ずかしい」と言いたいくらいです。これこそ彼らの持って生まれた感性で、「ポリ・リズム音楽」と言われていないロックやジャズにさえも、場合によっては聞こえていないリズムにさえも反応して実に様々なノリが出来るんです。
 若林がアフリカ音楽のライブをする時、聴衆に日本的に画一した手拍子を取られると西アフリカの椰子の樹やバオバブの樹が見えなくなってくるので、時にはわざと「三拍子に二拍手拍子をして下さい」「でも三拍子の人も居て下さい」と言うと、会場はバラバラになってしまうんですが、この方が「ポリ・リズム」をやり易いという不思議な状況になります。
 少し構造的に難しく言いますと、「タン、タン、タン」の4分の3拍子を八分音符で取ると「タカ、タカ、タカ」という2X3=6の手拍子が出来ますが、それを三個に一回アクセントを付けると「タカカ、タカカ」という3X2=6の8分の6拍子になります。さらにそのアクセントだけを叩くと「ターン、ターン」という大きなノリの2拍子になりますが、この2拍子を聴きながら半分に割った「タカ、タカ、タカ、タカ」の4拍子までが一緒に演奏されたものが「ポリ・リズム」の良い例ですが、実際のアフリカ音楽では、これが定規で測ったようなリズムでもないので実に多彩です。曲によっても違ったり。
アフリカ太鼓家族 【元気が取り柄のお母さん】
 中部アフリカには実際に「母系社会」の伝統もある位ですが、イスラームが及んだ西アフリカでもお母さんはとても強い感じです。その為、中西部から西アフリカに掛けての太鼓合奏では、大太鼓を「お母さん太鼓」と言う習慣があります。一家の大黒柱がお父さんという感覚からはかなりズレているようですが、実際はこれが極意なのかも。
  スィディバなんて言うパターンのお母さん太鼓は、どかっとした4分の3拍子なんですが「ドン、ティパ、パッ!」の「ティパ」の「パ」のところに8分の6拍子にも関係するところがありながら、個性は「行け行けGo!Go!]のたくましいお母さん! 「ドン」の低音が早め早めに来る感じの強くたくましい頑張り母さんです。日本人だとこれが重く湿った三拍子になります。「重いけどカラっと乾いた!」がアフリカのお母さんの格好良さです。最後の「パ」の力強さにお母さんの出身の「4分の3拍子家」の誇りも見られます。
【優しい気遣いのお父さん】
 これに対してお父さん太鼓は「パン、パン、トト、ツパ、ツパ、トト」と異なる2小節の組み合わせ、言わば二重人格です。前半は4分の3拍子なのに、後半は裏ノリですから8分の6拍子とマッチします。しかしこれは人格に二面性があるのではなく、さすがに4分の3拍子のお母さんに惚れていっしょになっただけあって元々その要素も有る感じと、一方で出身は「8分の6拍子家」であり、お仕事もそっち系の会社なので、嫌でも二面性が求められ、気を遣って生きているのです。これこそポリリズムの境地ですが、厳密にはお父さん太鼓の前半の4分の3拍子とお母さん太鼓の4分の3拍子が完全に一致するのもつまらないのです。
  長く幸せに連れ添いながらも、時にはノリのズレや突っ込み方のスピードの違いを楽しむ感じです。お互いが自由に「らしく」ノッて居れば自然にズレが生じて来て、気を遣って合わせていてはズレは生じません。これこそアフリカ太鼓演奏家と踊る聴衆が最も楽しんでいる部分だと思います。日本人はピッタリ合わせて安心感を得ようとしてしまいますが。逆なんです。ありのままで居られることが「安心感」なんです。
 具体的にはお母さん太鼓が「あんた早く仕事に行きなさい!稼いで来んのヨ!」とプレッシャーを掛ける(ちょっと突っ込んで叩いてみせる)と、それをいなす様に答えたりする掛け合いが楽しいところです。
【お馬鹿が最高!のやんちゃ坊主】
 そしてこんな二人の間に生まれた子供太鼓は「パラン、パラン」 と明るく楽しく延々と軽やかに演奏します。まるで子供の責務は「天真爛漫」だ、とでも言うかのごとく、無心で叩きながらも、ひとつ目の「パラン」の「パ」はお母さん、二つ目の「パ」はお父さんとつながっています。でも、健全な子供は親の顔色伺いなどしません。「我が家の家計は大丈夫?」とか「夫婦仲は大丈夫か?」など考えません。日本人のアンサンブルはついつい心配性の子供か、逆に人の子じゃないの?というほど身勝手だったりしてしまいます。「つながっている」感じを音楽で味わう事の下手な民族かもしれません。「ノリ」は各自でバラバラであるべきなんですが、「ノリ」を揃えようとしてしまう勘違いでしょうか? 「ノリ」も「ソリ」も揃わなくても「つながってる」安心感を得られたら、むちゃむちゃカッコいい「うねり」がある生きたアンサンブルになるんですが。子供太鼓は、お母さんが「早くご飯食べなさい!」「勉強しなさい!」とどやし付けても、至ってマイペース。同じことを延々と「アホなんじゃないか?」位に。
【頼りない?駐在さん】
 これに駐在所のおまわりさんのカウベル:ケンケンや親戚もしくは仲人さん、実家の親みたいな低音の大太鼓:ケングェニが加わります。これらの加わり方もまた愉快です。
 日本人ははっきりとしたカウベルの金属音が鳴ると、皆でそれにファシズム的に合わせようとします。おまわりさんが憲兵になった感じです。が、「こち亀」おまわりさんほどいいかげんではないにしても、元気母さんの太鼓ファミリーのパワーには敵わない「気の良い」町の駐在さんです。「うねり」が「家族崩壊一歩手前」くらいになれば、駐在さんのキープするリズムの仲裁でお母さんもお父さんも「ハッ」と我に返りますが、基本的に皆、駐在さんの音なんかに合わせてません。ラーメンに載せたネギ?キシメンに載せたオカカ?みたいな感じで、町を暖かい気持ちでふらふら巡回している感じ。気〜楽に叩くととってもお洒落です。おまわりさんですから「役に立ってない」位な方が平和な家族、音楽なんです。
【援助力の低音太鼓は実家のおばあちゃん?】
 低音でサポートする親戚?実家の両親?みたいな大太鼓は、一家を下から支える感じ。お母さんかお父さんがこっそりノリ合わせに来る事も。そんな時は力一杯の援助。「これで皆で上手いもんでも喰え」ってな頼もしさです。時々孫の小太鼓をニコニコ顔であやしたり、親の代わりに躾けたりも。やはり女性が強いからおかあさんの実家のおばあちゃんでしょうか。
 若林の夢ですが、正しくこんな感じの太鼓ファミリーを本物のおじいさん(さすがに日本人のおばあちゃんが出来るには後30年は掛かる?)、お母さん、お父さんと子供、現職の駐在さんに叩いて貰って西アフリカ人に聴いて貰ったら、凄く喜ばれると思うのですが。

 
2005年5月
  インド音楽の音の世界。
  若林のインド音楽の音の観念(当HPの2005年5月の日記からの続き)
 インド古典音楽の音の根本的な科学については、実はインド音楽理論家もさほど明確に解明していません。これは前述の様に、インド音楽の科学と宗教的な「愛」の哲学が融合しながらもかなり次元の違うところで分離している為と思われます。簡単に言うと前者は末梢的な分析学で、後者はイメージ優先という感じです。が、若林はインド音楽苦節(屈折?)30年の最近になって(ここ数年)その意味合いが分って来ました。以下は、若林が勝手に言っているインド音楽の音の原理です。
「元気な音とか弱い音」
 1オクターヴの12音は(かつてインド音楽では22に分かれていましたが) ラーガの観念が確立した頃には不変音との関連で、西洋音楽ではド♯をレ♭とも言う様な重複は避けました。その結果「ド、レ♭、レ、ミ♭、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ラ♭、ラ、シ♭、シ」の12音となるのですが、ご覧の様に「レ」「ミ」「ファ」「ラ」「シ」はそれぞれ高い音と低い音の二種類があります。♭を「コーマル」♯を「ティーヴラ」と言い、それぞれ「デリケートな」「尖った」のような意味合いがあります。すなわち、「レ」「ミ」「ファ」「ラ」「シ」は「元気な時と」「ブルーな時」ある感じなんです。
「男性音と女性音」
  ここまではどんなインド音楽理論書にもありますが、若林はさらに音に「男性音」「女性音」があると感じています。男性音は「ミソシ」で女性音は「レファラ」です。そしてそれぞれが「ソは長男的」「ミは次男」「シは三男」「ラは長女」「ファは次女」「レは三女」と言った感じで、末っ子のシは上のド、レは下のドに寄り添う傾向があります。ファ♯は男勝りで長男に挑む元気があり、幾つかのラーガではソを排斥してしまい女性ながらに長男役だったりします。次男次女は「兄弟の真ん中の」のんびりとした性格が顕著です。ドはお母さんでありお父さんを兼ねて居る感じで、不偏的でありながら、人間を離れた神的な存在でもある♭♯が着かない不変音です。
  さらにこれらの男女六人兄弟・姉妹はデリケート(フラット)になったり元気(シャープ)になったりしますが、ラーガごとに定められた主音、副主音によって物語が定まります。
 つまりは同じ音を用いるラーガでも長女に着目したホーム・ストーリーが在ったり次男に着目したホーム・ストーリーが在ったりという感じで、それぞれに大きなテーマ「ラサ(感情)」があるのです。
難解と言われるラーガの理論もこれで良く分かる
 例えば、ヒンドゥー教の女神「ドゥルガー」は「母性の象徴」のような優しい笑顔を持ちながらも、頼りない男性神たちから「貸しなさい!」と取り上げた武器をその千手観音のような多数の手に持って悪魔を退治します 。この女神にちなんだ「ラーガ:ドゥルガー」は「ド、レ、ファ、ソ、ラ、ド」の五音音階です。五音音階は神々を表す時に良く用いられ、ソの男性音を持ちながらもレファラの女性音の柔らかさに満ちた、癒される旋法ラーガです。が、この同じラーガも長女的な「ラ」から上の「ド」に対してアプローチする時は、かなり快活で勢いがあり、次女的な「ファ」から三女の「レ」の間で駄々を捏ねる様に弾き、母親の「ド」に帰って行くと、かなりに甘ったれた感じになります。「ファ」から「ソ」をかすって「ラ」にたどり着く時は、柔らかさが快活さに変わって行くグラデイションも表現出来ます。
 卓越者の為のラーガと呼ばれる「ラーガ:ダルバーリ」などでは、旋律が低い方に降りて行く時「ファミ♭レド」とはなってはならず、「ファミ♭ファレド」とならなくてはならない厳しい掟があります。 このジグザグ音「ヴァクラ・スワル」を理論的に説明するとかなり難解ですが、「ミ♭」はかなりか弱い(通常の♭よりも低め)でもかなり駄々子な弟で、一人じゃ降りて行けないので、いちいちファのお姉さんを振り返っては甘えて、ファ姉さんに抱っこされてレの妹に受け渡される感じ、と考えれば全く嬉しく、自然にそう弾きたくなってくるもんです。
 などなど、旋法ラーガは、その音の組み合わせやフレイズによって無限の表現が生まれるのです。正直これをやっていると面白過ぎてお客さんの存在を忘れてしまう位です。
 
2005年5月18日