2005年4月ダイアリー【特別連載編】
 

4月1日  ロシアに乾杯! ザズダローヴィア!
4月2日 七つの話し(その1)「七草粥の話し」
4月3日 七つの話し(その2)「三三七拍子考」
4月4日 七つの話し(その3)「七つの子」
4月5日 七つの話し(その4)「七福神」
4月6日 七つの話し(その5)「七音音階」
4月7日 七つの話し(その6)「シチとナナ」
4月8日 七つの話し(最終話)「七夕」と「虹」

  2005年4月ダイアリー後半へ

4月1日 ロシアに乾杯!ザズダローヴィア!
   民主音楽協会さんの光栄なお仕事「アジア平和芸能フェスティヴァル(http://www.min-on.or.jp/ご参照)」で長年の思い込みが解けたどころか若林は、すっかりロシア・ファンになってしまいました。元々アフガニスタンやトルコの音楽を学び、現地人演奏家や一般音楽ファンからいろんな話しを聞く中で刷り込まれた彼らが抱くロシアに対する100年、200年の確執や、その印象を持って赴いた中央アジア〜ロシア旅行の想い出が、ロシア人不理解につながったのですが、人と国、国民性と個人は違うのですから、イメージというものは難しいものです。
 特に今回出会った極東ロシアの人々は、 ロシア西部の人よりも温和で長閑で気さくで暖かいと、リエゾンの人も言っていました。今回、イメージが良くなっただけでなく、大変ファンになり、色々バラライカやドムラについて学ぶ事が出来、非常に嬉しい出会いでした。最終日が広島なので一緒に「ザズダローヴィア!」が出来ないのが残念でなりません。せめてその日には吉祥寺の自宅でウォッカとピロシキを買って手酌で乾杯いたしましょう。
 っと思ったら若林はお肉を食べないので、ピロシキは駄目でした。残念!
ちなみに今回聞いてびっくりしたんですが、ピロシキって日本の風呂敷が語源なんですって! 「包む」つながりらしいんですが。極東ロシアの親日振りが伺えて嬉しい話しです。


4月2日(土) 七つの話し(その1) 「七草粥の話し」

 

 昨日の「ピロシキ=風呂敷起源」のエイプリール・フール話し、大変失礼致しました。昨日は教室もライブも無かったので、駄洒落AF嘘ヴィアが十分に発散出来ずにちょっと不満です。仲良しにメールで送った「キリマンジャロって1949年1月5日に日本人登山家の桐山万次郎って人が初登頂成功したのに因んで名付けられたんだよ」って駄洒落AF嘘ヴィアもあまり驚かれもせず喜ばれず、年月日までわざわざ言うわざとらしさに1949年1月5日=19ヨク年イ月ウ日ってヒントを加えといたんですが不発でした。来年何方か使ってみてウケたら教えて下さい。その時やっと報われます。
 さてエイプリル・フールは過ぎたので、これからは本当の話しですが、日頃から「変な人」「怪しい」「胡散臭い」と言われている上にライブのトークなどでは駄洒落が多いので「オオカミ少年」的にあまり信用されていないかもしれませんが、本当の話しシリーズです。そう言えば「胡散臭い」の「胡の字」は二胡、胡椒、胡瓜にも有る様に中国の人にとっての「西域」ペルシアやトルコ文化圏の人、物、文化を意味しますから若林的には誉められている様なものです。「散」の意味を調べなくてはなりませんが。
 その「西域〜中国〜日本」の文化と「インド〜中国 〜日本の文化」は似ていて微妙に異なり、やっと書き上げたんですが、中々出版が具体化しない「三味線Book」でもたっぷり 論じましたがこの二つの流れが 不思議なバランスと絡みで出来上がったのが今の日本の文化や感性の様に思われます。今回「アジア平和芸能フェス」では中国、韓国、モンゴル、ロシアの人々と出会え、その辺りのグラデーションの微妙な違いも肌で感じ取る事が出来ました。
七つの話し
 この「ふたつの流れ 」の特徴、違いを考えるにあたって、若林が最も興味を持ったのが「数字」です。インド音楽とペルシア・アフガン音楽の勉強の中でもそれは常に最も気になるテーマでした。かいつまんで言うと仏教をその代表とする「インド〜中国 〜日本の文化」には数字の「三」「五」が目立ちます。「三種の神器」「仏の顔も三度まで」「三昧」「陰陽五行説」「五体倒置(後で字確認します)」香炉の一種の「鼎」の足の三本や、贈り物は「五個」が縁起が良いとか。などなど。
 これと同時に日本には「七」「九」の数字も意味深く用いられています。「三三九度」から「三三七拍子」「七五三」「七転び八起き」などなど。
  この「七」「九」が「三」「五」に比べて「インド〜中国 〜日本の文化」で目立たないからと言って、即「西域〜中国〜日本」系であるとは到底言えません。が、葬祭で「初七日」「七回忌」が重要な数であったり「九死に一生を得る(これは違うかも)」のように、「インド〜中国 〜日本の文化」では「七」「九(これは違うかも)」が若干忌諱的な言葉で「縁起」の良い「三」「五」との対比があるのかもしれません。両極端のペアリングが好きな「インド〜中国 〜日本の文化」ですから、ありうることです。それに対して「西域〜中国〜日本」では明らかに「七」(希に「九」)が、「縁起の良い数」として登場します。

 そこで今日から「七日間」そんな「七」の話しをしてみようと思います。
そういえば今回来日のロシア楽団のレパートリーに懐かしい「一週間」という歌がありました。「日曜日に市場へ出かけ」というあれです。子供心になんだか、貧しい歌、悲しい歌だな、と思ったものですが、若林もマイナス数十度の極東ロシアに降り立ちましたが正しくあの歌が思い出されるもの寂しい街でした。にもかかわらず人は暖かいのですからたいしたものです。

 

その1:七草粥と同じ習慣?
 私たち日本人は、お正月開けに「七草粥」を食べますが(ついさっき迄鏡開きのお餅と一緒に食べると思い込んでいました。早速見て下さった方にご指摘をいただいてお恥ずかしい限りです。ご指摘ありがとうございました。我が家が鏡開きまでお餅を取って置けなかったのかな?)、なんと遥かイランでは「七の食べ物」を食べると言うのです。全部で「七つ」であることに加えてそれらの名前全てに「S」が頭につく(ペルシア語の時に)ことも大事なポイントです。それらの食べ物を七種一緒に料理して(もしくは食卓に並べて)「一年の安全と幸福」のゲンを担ぐと言うのです。それらは「リンゴ」「ニンニク」「酢」「センジュの木の実」「野菜」「小麦の芽」「香辛料ソマク」で、そこそこ美味しそうな健康食品の感じですね。
七草粥のリズム感?
 イランと古くは近しい文化圏にあった、正確には初めにペルシア文化が隆盛した東部ホラサーン地方に近い(半分掛かる)アフガニスタンでは「七拍子」が非常にポピュラーです。「七拍子」と言っても四分の七拍子、八分の七拍子のようなものではなく、「3+4」の分割になっているものです。ですから正確には四分(もしくは八分の)の三拍子と四分の四拍子が交互に現れる感じです。
 面白いのは、アフガン音楽とインド音楽では「3」と「4」を少数を先に並べますが、トルコ以西では「4」と「3」の順に並べます。前者 はアラブ・トルコ音楽にもあるのですが、なんとそのリズムの名前は「ドゥール・ヒンディ」 すなわち「ドゥール拍子インド版」と呼んでいるのです。逆の「4+3」拍子はギリシア以西の東欧に有ります。アラブ・トルコにとって「インド」はアフガン以東のことと思われます。
 弦楽器の弦の数というものは、民族楽器の場合、その地域の音楽センスに応じて決まるものの筈で、二弦と三弦の音楽的な二大グループのことを考えると「数字へのこだわり」とは全く別な次元かもしれません。が、ペルシア文化圏、および中世にそれらの影響を強く受けたイスラム王朝が栄えた北インドの弦楽器は「三弦」か「七弦」がとても多いのです。古代インドの弦楽器の多くが「四弦」であることと対比させると何かのこだわりも感じられます。ちなみにおよび中央アジアの遊牧民の弦楽器は「二弦」が多いです。若林が一番長く演っているインド音楽弦楽器シタールは正確な名前「スィタール」でペルシア語の「三弦」を意味する「セ・タール」に因むと言われますが、古代インド四弦弦楽器と融合して「七弦」に成っています。これらは部分、重複しながら「旋律」「伴奏」「リズム」の三つの要素をもつ「七弦」です。
 イランの「七草粥」ならぬ「七S粥」を食べる時、七拍子の音楽が聞こえていた可能性もあります(三拍子も多いですが)が、日本人は「三三七拍子」がお得意な割に、この七拍子が苦手です。若林の教室でも「出来た!」「習得した!」と言っている生徒さんでも「1x7拍子」の場合が多く、「長閑でゆったり、ある意味不安定で神秘的」な「三拍子」と「安定感があり快活」な「四拍子」のめまぐるしい変わり身が理解出来ない様で「七」をひとまとめにしてしまう様です。これをライブのお客さんにやって頂くと、それこそ「さんざんな七拍子」になってしまうのですが、「3+4」を「3+2+2」として「長〜い」「短い」「短い」とご指導するとけっこう出来たりします。ちなみに(言う迄もなく)「三三七拍子」はそれぞれに休符がある四拍子ですが、これを「三三七手拍子」と言わない辺り、「拍子」と「手拍子」を同一視する辺りに、日本人のリズム感の欠点と面白さ(本当は長所)が見られるような気がします。
伝統とか記念日とか祝日とか
  七草粥の日と鏡開きの日がごっちゃになってた位ですから、偉そうなことは言えませんが、我が家の母親もきっとちゃんとやっていたのに違いないのですが、若林の世代ともなるとかなりいい加減になって、とりわけ長年日本の文化よりも海外の文化に興味を持っていたり、元来若林の世代は「お上の決めた祝日なんて」という世代の後輩ですから、ついつい一年の記念日、祝日っておざなりにしがちでした。
  一昨年にふと思い立って、季節の和菓子を自作しようと作り方の本を買い込んだんですが、その後に執筆の仕事が忙しくなって、近所の西友さんのお世話になってしまっています。でも今日は、お弟子さんが自作の「よもぎあんパン」を持って来て下さり、あんパン大好きのチャメと美味しく頂きました。そのお弟子さんは昨年はご実家で採れた筍の「筍ご飯」を差し入れてくれました。今年もそろそろかな?
 やはり、これを機会に「七草粥」とか「鏡開き」とかちゃんとしないといけないな。次世代にしっかり伝えられる様にしないといけないな。勉強しよう!と思いました。
 伝統に根ざした記念日や、季節の節目の祝日、和菓子や「菖蒲湯」などの習慣って心のカレンダーになったら嬉しいと思うのです。忙しくあっと言う間に時が経ってしまう様でもあり、待つ年月はなかなか長く感じられたり色々ですが、先々の予定にプレッシャーを感じたり、焦ったりの毎日ですが、振り返ってなんとなくでも落ち着いた、しっかりとした年を重ねて行きたい、という気分になってきました。

  一週間
 今回来日のロシア民謡楽団「ベリョースカ(白樺)」が懐かしく歌ってくれた「一週間」は、探してみると意外に珍しい曲で、「カリンカ」や「カチューシャ」「トロイカ」「仕事の歌」「行商人」が当たり前に収録されているレコードの中にも滅多に見当たりません。現地より日本でより好まれている曲なのかもしれません。
 若林が子供の頃に聞いた日本語の歌詞は「歌声喫茶」系(?)の日本の楽団が訳詞を付けられたもので、「月曜日にお風呂を炊いて、火曜日に入る」など、サモアやフィジーならいざ知らず、マイナス数十度のロシアで凄い冗談ですが、あの物悲しい(しかし何故か暖かで美しい)メロディーの曲がその歌詞の御陰でで私たち日本人になんとなく愉快なロシア人の生活感を伝えてくれたような気もします。特に最後の「恋人よこれが私の『一週間の仕事』です」というのが暖かさと切なさを感じさせたのかもしれません。
4月2日(土)
 ロシア民謡の「一週間」では「土曜日は糸巻きもせずに、おしゃべりばかり」と歌われていますが、若林の土曜日は、「何時も通り」のお昼前後の昆虫の世話と午後からの教室でした。お正月以降、風邪やインフルエンザのお休みが多かったのがやっと皆治ったか?と思ったら今日は、お仕事のお休みが多くてのんびりとしてしまった為か、岩手から埼玉の連ちゃんの気が抜けたのか、教室の後からちょっと具合が悪くなってきました。また季節の変わり目なので11匹もいるのにもかかわらずの「猫毛アレルギー」の再発が心配です。そうとは知らず猫達は久々に若林が長く家に居るのでやたらと集まって来て今も両手に一匹ずつ股がられて大リーグ養成ギブス状態でキイボードを打っている有様です。
 明日はお昼にアジアン特急2005の会合(メフフィルとペルシャ語で呼んでいる)と新入生が加わるインド音楽教室で、夜は孵化したクワガタの寝床作りで大わらわの予定です。

 

4月3日(日) 七つの話し(その2)  「三三七拍子考」
 

日本人のリズム感
 日本人のリズム感、というものは「オヤジ世代の手樅」で代表される、あんまり優秀とは言えない、「ビート感」なるものからはほど遠い、と言われています。が、若林個人はこれは『遠からずとも当たらず」で、残念ながら日本人のリズム感が正当に評価される基準が、日本人自身が見失っている、と思っているのですが、そのお話はいずれまた詳しく、で若干そのテーマに触れながら昨日からの続きですが「三三七拍子」について。
  「三三七拍子」は、昨日も述べましたが単なる四拍子の中に『三つ』『七つ』手拍子を打っているに過ぎないのですが、「何故そんなことをするのか?」については二つの観点から論じることが出来ます。
  その二つに共通して「連続して打っていたら疲れるし、大体何拍子だか分らなくなる」「だから隙間を開けるのだ」ということがあると思われますが、この「隙間」を四分の四拍子という大前提の上で「四分休符」とするのか、単なる「隙間」とするのかでは大きな違いが生じるのです。前者は「連続して打っていたら何拍子か分らなくなる」という理由が説明出来ますが、強弱のアクセントでリズムを表現する「西洋音楽的発想」に基づけば、強弱のアクセントを付けにくい手拍子の場合「四分休符の隙間」によって「四拍子」がかなり明確になってくるのです。おそらく都会の会合、打ち上げ、歓送迎会などではその感覚でやっているに違いありません。皆で入る前の「いよ〜」の間合いも四拍子のカウントに見立てて感じている人も少なくない筈です。
 ところがカウントである筈の「いよ〜」が有りながらアタマ(第一拍目)がずれる人、その後もほとんどずれる人がご年配の方に少なくなく、その結果「日本人はリズム感が悪い」とか「あのオヤジ手樅するからモタるんだヨ」などと言われてしまうのですが、若林はあれは「四拍子のつもりがないから」なのだと思っています。
 このもうひとつの観念は「隙間を空けることで明確にして三を二回、七を一回叩く」程度の感覚で、四分の四拍子の意識はさほどないのではないか、と思うのです。
 得てしてリズム感が無いと言われる方は、休符が短めになりがちですが、本来日本人は同じアジア人でも「刻むリズム」に長けた韓国・朝鮮半島の人々やシルクロードの遊牧民族にさえ感心される「伸ばす間合い」が得意で好きな筈ですから、間合いのつもりの「三三七拍子」の隙間が縮むのはおかしな話しです。したがってこれは「間」ではなく単なる「句読点」と考えることが出来、その結果、全体が四分の四拍子になってなくても全く構わない、全く別な発想のものと考えることが出来るのです。そしてそれは昨日からの『七つの話し』に通じる「縁起の良い『三』と『七』を叩きたい」という発想から来ている事なんじゃないでしょうか。
 実際気になって「三三七拍子」をチェックしてみますと、地方のご年配の方にこの「句読点感覚」の4 ビートとしては短めの間合いが多く見られるのですが、これを「リズム感が無い」と一蹴せずに聞きますと、大変ズバらしい流れが感じられるのです。あれを4ビートの手拍子音楽と考えると「リズムが悪い」と成ってしまいますが、「みんな、共に、幸せになれ」とビートから離れて「読点」として感じてみると、田舎のオジさんのそれは非常に暖かく、流暢に聞こえてくるのです。
何故「三を二回」「七を一回」のセットなのか? その順番は?
 では何故「三を二回」「七を一回」のセットなのか?これは正直良く分かりません。が、俳句・川柳の「五、七、五」もそうですが、「三」や「五」や「七」の「縁起の良い数」を三つでワン・セットという「くくり」にも「三」を持って来る志向が有る事は十分考えられます。その意味では「三三七拍子」は俳句・川柳の様な順番の「三七三拍子」でも良かった訳で、俳句・川柳は「五、五、七」や「五、七、七」でも良かった訳です。既に馴れてしまっているからかも知れませんが、「三三七拍子」を「みんな、共に、幸せになれ」的に考える時、「どれも、これも、立派なものだ」「俺も、君も、頑張らねば」の様に二つのグループ(送る側と送られる側、讃える側と讃えられる側、自分と人
のような)をひとつの価値観で輪につなぐには「三三七」じゃなくてはならない様な気もします。これが「三、七、三」で「君が、誤るなら、俺も」じゃなんだかノリが悪くないですか?
 一方、俳句・川柳では季語やキャッチーな短い言葉で提起して、主題を述べて、「〜なのだ」と〆る三段論法的な流れとしては、「五、七、五」以外の何ものであってはならなかったかもしれません。「古池や」で「何? どうした?」と気を引き「蛙飛び込む」で「ほう!」と情景を思わせ「水の音」で「なるほど」という流れです。まあ実際のところ俳句の場合簡単には「なるほど」とは成らず、しばらく考えてじわじわと理解出来るところが良さ、渋さでしょうが。これが「五、五、七」で「古池に。水の音、蛙なのかな?」だったり「七、七、五」で「川の流れに、蛙飛び込む、何処行った?」じゃ駄目なんでしょう。
 今回の「数の話し」では語り切れませんが、言葉の順番を変えてニュアンスを変える文化は世界の何処と何処にあるのでしょうか? 「私は貴方を想ってばかり」と「貴方を想ってばかりの私」では意味が変わって来ますが、若林などはインド・ヨーロッパ語属とのお付き合いが多かったせいか、まんまの前者が多かったナと想います。最近ちょくちょくメールを頂く方にごく自然に(じゃなくて意図的なのか、もしくは想いを丁寧に込められてそうなるのか)後者で凄く深みのある文章を書かれる方の御陰で、自分が「分り易く伝えたい」と思うばかりに、随分と味気なく成っていた事に気づかされました。後者の感覚は、日本語とも関連の浅くない、シルクロードのトルコ語系やウラル・アルタイ語系の歌に少なくありません。なんだか雄大なおおらかな感じがして憧れます。あっ!トルコ民謡の素敵な曲「貴方への想いを綴る筆の虜」という曲の中に一杯見られることを今思い出しました。このタイトルも「貴方の虜」じゃないところが凄いですよね。辛い恋心なんですが「貴方」を恨まず「筆」を恨み、「貴方」を責めずに「筆」を責める感じと言いましょうか。
七韻のリズム感
 「五」や「七」などの奇数の韻が詩的には大変自然である事は、日本人以外にも感じている事らしく、特に「西域〜シルクロード」にはその様な韻律の詩が多くあります。 二年前、東京のアフガン人のお金持ちに頼まれて彼の詩にアフガン音楽で作曲をしかけたことがありますが、若林のアフガン音楽に合わせて歌ってくれる彼はかなりの『音痴』でした。しかし、彼が「歌われる事」を前提としないでアフガンの伝統的な詩法で書いた詩を朗読すると、それは見事な七拍子でした。アフガニスタンでは「七」の他、「十一」や「十三」の韻律の詩も大変重用です。もっとも「スモモも、モモも、モモのうち」みたいに偶数を含んでもノリの良い(?)場合もありますが、得てして奇数が好まれ、「三」では短く「五」は提示や結論に相応しく「七」が説明に相応しい、そんな自然なノリがあるように思います。
 しかし昨日お話ししました様に「七」は一方で「初七日」「七回忌」のような忌諱的な数字でもある訳で、これを「インド〜中国〜日本」系とすると「七」をむしろ縁起の良い数字とする「西域〜中国〜日本」の流れも見え、日本は最終的に両方の流れの美味しい所を遠慮なく頂いちゃった感じがします。
 昨日の日記を見て若林の間違いを指摘して下さった方が「末広がり」の「八」などの偶数も「縁起が良い数字」とおっしゃって下さいました。確かに「八卦」「 七転び八起き」などで「八」が現れますが、一方で「四」や「八」は「四面楚歌」「八方塞がり」などの困った話しにも現れます。まあ、これは自然の東西南北であり、「 七転び八起き」などは「ひとつ足す」「その上で」という意味ですから。「末広がり」の「八」は、「数字の好み」というより「字の形」なんでしょう。「竹輪」が「見通しの良い」に似た感覚? これはこれで面白い洒落感覚ですね。
 偶数は「二進法」に代表される様なデジタルな割り切れる感覚のものですが、細胞分裂を考えると偶数や二乗も自然界に有る訳で、イカやタコの足も当然偶数に成る訳ですが、それにもかかわらず、言わば「不安定」で「不思議な」奇数を詩やリズムや縁起かつぎに用いる辺りには、「完全無比」ではない、場合によってはいい加減で、頼りない、理屈で割り切れない「人間らしさ」を慈しんでいる様な感じもします。

 

一週間
 ロシア民謡の「一週間(日本語歌詞)」では「日曜日には市場に出かけ,糸と麻を買って来る」のですが、極東ロシアからソ連時代の中央アジアを民族音楽研修をした際に、街に一切看板が無い程の統制経済であるにもかかわらず「日曜市」や「朝市」だけは驚く程賑やかで、人々の表情も活気に満ちて明るかったのが印象的でした。そう言えば、旧ソ連アジア大陸の四分の一程の距離間の「市場」を見ましたが、意外な食べ物が何処にも有りました。さてそれは何でしょうか? ヒントは、先日の民音さんの「アジア平和芸能フェスティヴァル」の楽屋通路にも何時もありました。

4月3日(日)
  若林の日曜日は、予定通りの新入生を交えてのタブラ教室。その後で、タブラ講師の新井君とアジアン特急2005のリハーサル。曲は春にしか弾く事の出来ないイリヤス師匠秘伝のRaga:Sindhura。さらにその後でRaga:Hindolを自主練。いずれもインドの春に相応しいマニアックな演目(ふつう春の演目と言えばRaga:Vasant(サンスクリット語の春)、Raga:Bahar(ペルシア語の春)ですが、そこをマニアックに)ですが
Raga:Hindolはヒンドゥー教徒にとってはクリシュナ物語に因む更にマニアックな渋い演目。
  字義は「ブランコ」ですが、何故ブランコがクリシュナ物語で春なのか?と言うと。ヴィシュヌ神の化身クリシュナと人妻ラーダとの恋物語の中でクリシュナが乳搾りの娘達とブランコ遊びに興じるのをラーダが焼きもちをやく(人妻のくせに)のですが、その季節が新芽が芽吹く季節なのです。インドの音楽学者B.C.デーヴァ博士の著作によればこのクリシュナのブランコとこの旋法ラーガは「性的興奮」の象徴とされますが、演奏側の若林には良く分かりません。それを言ったらインド音楽はほとんどその感じですし....。なんて言うと語弊がありますが、そのテーマはまたの機会に。
  ラーガ:ヒンドールに関してアーユルヴェーダ的に言うならば「冷めた心は燃え盛り」「熱し過ぎた想いは落ち着きを取り戻す」という不思議な効果があるのです。ブランコ自体もそんな感じなのかもしれません。
  決して切れる事が無いと信じる鎖に守られて、時に優しく、楽しく。時に凄く大きく漕いでみたりすると、ちょっと勇気が出て来たりで、不思議に見失い掛けた気分を本来あるべき所に落ち着かせるというか。
 ブランコは北インド、ヴリンダーヴァンの森の中でロマンティックに大きく揺れ、カリブの椰子の樹からは海に向かって大きく揺れ、東南アジアではタイヤのブランコから海にめがけて子供達がジャンプします。たいした工夫も無い玩具? アトラクション?「遊具」? なんですが不思議な魅力を持っていますネ。若林にとっては塾に行かないので一人残された公園のちょっと寂しい想い出でしょうか。
 つい先ほど、三月にお世話になった福岡でまた中規模の余震があったとTVの速報に出たと思ったその瞬間、珍しくインターフォンが! 大家さんが遂に「出て行け!」か?とドキドキしたら、なんとその福岡から激励の品が届きました(ありがとうございました。)。もともとスマトラ沖地震のチャリティーを企画されたP.T.A.の方々が呼んで下さった演奏会でしたが、ご自分達が震災に遭われるとは無体なことです。その方々に激励されてしまって恐縮すれば、その後のニュースでは博多沖で雷の被害で重傷者が。若林の子供の頃「地震、雷、火事、オヤジ」というフレイズがありましたが、もうここで打ち止め、火事とオヤジは撃退して下さいね。あっ!オヤジってもしかして僕か?
 


4月4日(月) 七つの話し(その3)  「七つの子」

 

 若林は一念発起して、2003年に三ヶ月掛けて日本の叙情歌、童謡を100曲選んでアジア各地の民族音楽で録音しました。が、お話を下さったCD会社が企画を変更されてお蔵入りなんです。もともとは、若林が子供の頃に聞いた叙情歌や童謡が今の子供達に教えられていないという衝撃の事実と、ではCDで聞かせようと探してみればなんだかお上品なオペラ歌手さんのようなものばかりでは、あの木造音楽室の足踏みオルガンの暖かみや切なさが全然伝わってこないゾ!と思ったからでした。
 しかしながら若林の子供の頃に既に「時代遅れ」であった曲も少なくなく、「ペチカ」なんか絵で書かれたって分らない、とか「かもめの水兵さん」が軍国的であるとかの問題は確かに理解出来ます。「これこれ杉の子起きなさい」などは恐らく今日の花粉症問題の原点である広葉樹伐採、杉植林事業のキャンペーン・ソングな訳ですから。
  若林などは他の子供よりお馬鹿だったので、更にリアリティーを感じてなかったと思います。「赤い靴」の「異人さん」を「良いじいさん」と聞き間違えていたので「なら良かったじゃん」見たいなボケでした。「雨雨振れ振れ」の「蛇の目でお迎え」も「怖い目して怒ってんのか?」なんて。
 七つのお話に欠く事の出来ないのが、「赤い靴」と同じ作者、野口雨情の「七つの子」でしょう。「カラスは山に七つの子がある」という歌ですが。ごめんなさい、これも当時は「七歳になる子」だと思っていました。歌の語呂の為に「七羽の」を「七つの」に変える辺りで微妙な誤解(若林だけか?)を呼ぶのですが、これは明治後期〜昭和初期の非常に優秀な文学的な音楽家の芸のレベルが高過ぎた皮肉な結果かもしれません。後々分らないと思われる位なら「七羽」にしておけばって感じです。また、里山に帰るカラスと都会で問題となっているカラスの種も違う訳で、そんな風に時代と名曲がギャップを持ってしまうのは大変残念な事ですが、やむを得ないものでもあります。
「沢山」という意味の「七」
 さてこの「七つ」というのは果たしてカラスの産卵数の平均値なのかと言うと、そういうことではなく、「沢山の」という意味で「七」を使っているのだと言います。これもまた若林だけが最近迄分ってなかった周知のことかもしれませんが、少なくとも小学校の音楽の先生がそんなうんちくを語ってくれた記憶はありません。って言っても学校ではほとんど気を失ってボーっとしていましたが。
『沢山』という意味の『七』は、「無くて七癖」「七転び八起き」「七転八倒」「三歩下がって師の陰踏まず」と同じ意味の大げさなものに「七尺下がって......」もあるようで、拡大解釈では「八起き」「八倒」も「八百屋」「八百万」の「八」も「七より更に多いゾ」という超ド級の意味で用いられているのではないでしょうか? 違ったらまた教えて下さい。
  ちなみに同じ縁起奇数の「三」は「舌先三寸」の様に「ごく僅か」の意味で、「五」は「一寸の虫にも五分の魂」の様に「そこそこ」の意味で用いられ、「三」はしばしば「三人集まれば文珠の知恵」「三拍子揃って」の様に「最も少ないが十分な数」の感じにも用いられています。これらは「縁起の良い奇数」であっても二次的な意味合いで用いられている様に思います。
 ちょっとついでの横道ですが「超ド級」というフレイズを日常的に使う方で「ド」の意味をご存じない方が意外に多いので驚きます。1907年に完成した世界の常識を打ち破った砲撃能力のイギリスの戦艦「ドレッドノート」に由来しているのですが、後に各国が作ったこれに勝る排水量と火力を持つ戦艦を「超ド級」「超弩級」と呼んだのです。常識は知らないくせに変なことばかり知っている変な人ですね。確かに。
 「七」が「西域〜中国〜日本」系の縁起の良い数、という意味合い他に、「沢山」の意味として用いられる様になったいきさつは良くわかりません。「五」じゃ片手で数えられるからでしょうか?「九」は「苦」と聴き間違えられるからでしょうか? そんなこともあって「七」が先日読者からもご指摘があった「末広がり」の『八』の「超ド級」を推奨する「偶数愛好者」に押し切られるまでは「沢山」「豊」「おめでたい」の象徴的な数字であったのではないかと思われます。
 若林の親の世代、すなわち大正から昭和初期生まれの日本人には七人兄弟などは当たり前だったんですが、それが今や少子化で一人っ子が主流というのですからたったの三代で凄まじい変化です。そんな時代にあって、この4月の24日に多摩川のイベントで初共演をさせて頂く横浜でご夫婦で子供音楽教室を主宰されているニシャーンさん千尋さんのお宅の五人兄弟には敬服させられます。お宅にはその他に猫二匹、犬一匹が居ますからさぞ賑やかで大変な毎日なんでしょう。その猫達のご紹介はこのHPの「お友達の猫コーナー」にもあります。素敵なご夫婦でお子さんもとっても可愛く、イベントが楽しみです。
 またまた 横道ですが、素敵な方のお子さんって、自分のD.N.Aに何の関係がなくっても可愛く愛しい想いってありませんか? 若林は高校時代の初恋の彼女がメキシコ人の旦那さんと一緒に若林がやっていた民族音楽ライブスポットに二人の子供を連れて来てくれた時に胸が熱くなる程その子達が可愛いと思えました。その後、しばらく旦那さんにスペイン語を習ったり楽しくお付き合いをさせて頂きましたが、三歳位の弟の方が店の観葉植物の肥料の粒を食べちゃった時は心臓が凍るほど心配しました。あちこち電話して「一粒位なら大丈夫」と言われホッとしましたが、その子も今じゃ薄ら髭が生えるダミ声のお兄さんかも知れず、さすがに当時と同じ気持ちにはなれないかもしれませんが、その人が好きということは
そのD.N.A.が好きってことなのかもしれません。 
  連れ子と実子を同じ様に思えない方も少なくない様ですが、日本の社会がそんな荒んだ心を育ててしまうのか、少子化、核家族がそんな社会を育ててしまうのか。
 野口雨情の「七つの子」は言葉の意味も、カラスのイメージも大きく変わってしまいましたが、「七つの子が居る山」は雨情が作った当時はまんまの意味だったかもしれませんが、むしろ今になってこの歌の「山」はカラスならぬ日本人の帰るべき所を歌っているように思えるから不思議です。

 

一週間
 
ロシア民謡の「一週間(日本語バージョン)」の月曜日は「お風呂を焚く」んですが、それを翌日に入るんじゃ冷めちゃいますよね。でも、その昔、極東のロシアでは白樺の林位しか無い中でお風呂を炊くには、薪を集めるのも大変なことだったかもしれません。東京都の最深部奥多摩の廃校を借りてインド音楽合宿を行った時、薪を割ってお風呂を焚くことの大変さを思い知りました。薪割りの労力の割に火力は決して強くなく、焚き上がる迄の時間が掛かるのにも驚きました。そのくせあっという間に冷めちゃうんですから無情なものです。
 思えば若林の人生は薪割りばっかりで、熱いお風呂に浸かる時間はちっとも無かった様な気がします。民族音楽の中でも世界的に認知度の高いインド音楽でさえ、若林が始めた1970年代の日本では、ほとんど説明してくれる人が居ませんでした。楽器もほとんど売って無くて、自分で作ったり、十年掛かりでやっと一式揃え、メンバーを募っても中々集まらず、集まっても演奏出来る頃になると飽きちゃったり、それ以上の修行する気が無かったりで.....。それが今じゃ、スイッチひとつでお風呂が焚き上がるかのように楽器も手に入れば、簡単に学べて、そして簡単に飽きちゃったり満足しちゃったり。昆虫飼育も同じで、成虫のカブトムシやキリギリスを買って来て秋が来れば(飽きが来ればの洒落じゃありませんヨ)ポイ。それを累代飼育で幼虫に腐葉土を食べさせれば一年掛かりで一頭のカブトムシに掛ける労力と費用は驚く程です。それも最近(といっても既に10年以上経ってますが
)はファンもマニアも増えて来て、専用の餌から産卵用の腐葉土マットから朽ち木、もちろんペアの成虫迄通販で買えます。が、困った事にこれにも流行があって、若林が頑張って子供を産ませた頃に、ぱったり入荷しなくなるので、累代を重ねればどんどん血が濃くなってしまったり。しかも流行の基準は、格好良さに加えて産卵させたり幼虫を育てるのが楽なものというのですから困ったものです。
 ファンの方は「それだから若林さんの音はひと味違うんですヨ」とか「止まったら若林さんじゃない」 などと人を「変わり者」扱いしてお気楽なことをおっしゃいますが、そろそろ自分がゆっくりお風呂に浸からせて頂いても良いんじゃないかと思うんですが。まだ駄目ですか? 
  なんて言っても,結局は元来の貧乏性は治らないかもしれませんし、なまじお風呂湧かして頂いて暖かな思いをさせられても、実は「五右衛門風呂」で煮殺されるんじゃないか?とか美人に化けた狐に騙されただけで、気づけば誰も居ない森で水風呂に浸かってるだけなんじゃないか?などと生涯心休まる時など来ないのかもしれませんが。
4月4日(月)
 吉祥寺だけじゃないかもしれませんが、また急に寒くなって,炬燵の片付けるタイミングを迷います。教室に近い井の頭公園には、桜も未だなのに人が溢れている様です。 住むには決して楽じゃない(家賃も食費も高いので)吉祥寺で頑張って来たのが、毎年この時期だけ吉祥寺に来るっていう人々を掻き分けて歩かなくてはならないのも皮肉な話しです。どこか人の少ない所で気心知れた人とだけで暖かな花見がしたいものです。これも狐がお相手かもしれませんが。

   

4月5日(火) 七つの話し(その4)『七福神』

 

 七つの話しで真っ先に思い浮かぶのが「七福神」かもしれません。各地の「七福神巡り」などでマニアも少なくない中で、若林が知った風に語る迄もありませんが、今回の「七つの話し」の根底にある「インド〜中国〜日本」と「西域〜中国〜日本」という二つの文化の流れと、それが絡んで「良いとこ取り」的に日本に根付いているという観点で語ってくれている資料は非常に少ない事に驚かされます。
  日本人の多くが、直前の中国の文化のそのあまりの複雑さ、層の厚さに、考証をかまけて文化の大問屋さん「中国」が何時頃何処から仕入れたか?は問わない風潮が感じられるのです。
恵比寿様
 恵比寿様は釣り竿を持ったり、大きな鯛を担ぐ姿で描かれる、日本オリジナルの神様と言われています。が、「夷」の字の他にも「胡」と書く場合もあると言う点は、何やら「西域〜中国〜日本」的な興味もそそられます。良く言われるのが「釣りして網せず」すなわち、必要な分だけの漁、暴利をむさぼらない清廉の心が「商人の鑑」としてあがめられたと言います。これは今日何れ程理解された上であがめられているかは不安ですが、若林にとっては非常に大きなテーマです。
 巷では「職業に貴賤は無い」と言われます。これは決して卑しい職業でないにも拘らず不当な立場にあった職業への理解、差別撤廃の時代には大変良い言葉であったでしょうが、近代では果たしてどうでしょうか? この話しを突然昆虫の話しに転じますと、自然界の有様こそは神様が定めたものであるとしても、昆虫にもかなり貴賎があるように感じます。例えば、イナゴは稲やススキの葉の根元にかぶりつき、モシャモシャやってるうちに葉が倒れれば、別な葉の根元にかぶりつきますので、食べ残しがむちゃくちゃ多い上に稲やススキはあっと言う間に丸坊主に成ります。ところがトノサマバッタは前足を人間の腕の様に起用に用いて曲芸の「剣飲み」の様にモシャモシャやりながらたぐり寄せてほとんど食べ残さずに大切に食べます。もちろんこのトノサマバッタも大量発生すると羽根が延び黒色に代わり大変な害虫になりますが、基本的な習性としては「さすが殿様」という感じです。若林は仮面ライダーのモデルになったと言われるこのトノサマバッタの食事を見るのが一番癒される瞬間です。「清廉の心」と迄は言いませんが、必要な分だけ、という自然界の最大にして最低限であり最も基本的で重要な「掟」を何れ程守っているか?は「貴賎」の唯一の基準ではないでしょうか?
 若林が千葉の外房の田舎町で演奏の合間に昆虫採集をした時、道ばたで知り合った、定年後に東京から引っ越して農業に転じた素敵なご夫婦のお宅でお昼ご飯を頂いた時、お庭の堆肥に自然に集まるカブトムシの幼虫を「鳴く虫の会」の人がバケツ数杯ごっそり持って行った話しを聞いて大変悲しく思いました。民族音楽でも昆虫でも同じ興味の人にそういうことをされると本当に悲しくなります。
 恵比寿様の「恵比寿」は東京山手線の駅にあって、有名な六本木への地下鉄に乗り換える駅前に銅像まであります。エビス・ビールもあって最も身近な七福神ですね。
大国天
 辞典や七福神紹介本には、インド・ヒンドゥー教三大神のひとりシヴァ神の別名「マハカラ」と有ります。これは「マハー・カーラ」がより正しい言い方で、本来「暗黒の死の神」で、インドではシヴァとは別な神様でシヴァに倒されたことになっています。(カーラを倒した後にシヴァがその役柄を受け継ぎ「時」の神になったという解釈もあります)シヴァ神の異名だとしてもシヴァは「創造と、新たな創造の為の破壊」の神ですから、いずれにしても日本の大国天のような「豊作」「豊かさ」のお気楽なイメージではなかった筈です。
毘沙門天
 
毘沙門天もインドの軍神「クベーラ」、ヒマラヤの守護神などが転じて、仏教では法の番人〜四天王と変化して、七福神では悪から守ってくれる守護神と成っている様です。すなわち、オリジナルではかなり怖い、厳しい神様であったのが、優しく守ってくれる神様に変わった感じです。全く関係無い話しですが、「毘沙門天」は20年程前に東京でならした暴走族の名前でもあり、若林はほんの一時その下部組織に混ぜてもらってた事があるので、ついついそっちを思い浮かべてしまいます。
弁財天
 これもインド・ヒンドゥー教の女神で、シヴァとパールヴァティの娘のひとりである芸術の女神サラスワティーが起源と言われます。サラスワティーはガンジス河の支流と言われますが。地下を流れると言われる伝説の支流です。実際の支流で有名なのが、昨日のクリシュナ物語の聖地ヴリンダーヴァンの森の傍を流れる「ヤムナ河」と「ガンジス河本流」で、源流はヒマラヤのシヴァ神の頭から流れています。これも元々は女神カンジスの降臨をシヴァが頭で受け止めたものです。
  サラスワティー女神は河の畔で孔雀を携え、白鳥に乗って四本の手の二本で弦楽器ヴィーナを奏で、残る手には教典と数珠を持って描かれます。その為日本でも琵琶を持ち河や池の傍に祭られる、比較的『正しく伝わった』神様ですが、本来(日本でも古くは)は「弁才天」で有った筈ですが、日本人は「才」より「財」を好んでしまった様です。四本の手の全てで弦楽器を弾いたらもっと凄い超絶技巧が弾けるんでしょうが、それをしないところにインド人の優しさが感じられます。
 ちなみに民族音楽センター民族音楽教室にほど近い井の頭公園は、上野の忍ばずの池に次いで有名な弁天様スポットですが、若林は高校生の時に「井の頭公園でデートすると弁天様に焼きもちを焼かれ(女神にお参りもせずにイチャイチャしてるから)必ず別れる」として有名でした。若林の経験では100%その通りでした。
福禄寿と寿老人
 福禄寿は「福」と「禄(財)」と「寿(寿命)」の三つを授けてくれるという大変ありがたい神様で、超長いおでこの姿で良く知られています。もともと中国の星を人格化(神格化)した神様で、「寿星」として親しまれ日本にも寿老人として伝わりましたが、元祖中国で福禄寿の姿に変化したのが、日本では二人の神様となってしまった様です。
布袋様
 福耳で笑顔のありがたい姿で描かれる布袋様は中国の実在の禅僧が元になっていると言われます。モデルのお坊さんは四人居るとも、四人でセットとも言われます。
その他
 江戸時代には、福禄寿と寿老人の重複を嫌って(実際は六福神になってしまうので)、吉祥天もしくは猩々 を加える風潮が有ったと言われます。
吉祥天はインド・ヒンドゥー教の女神でサラスワティー同様シヴァとパールヴァティの娘という神話や、三大神のひとりヴィシュヌの妃とも言われるラクシュミ女神が起源です。これこそがインドの「弁財天」で飲食店のレジに絵が飾られています。猩々(しょうじょう)は、大酒飲みの人間の顔をした猿という不思議なキャラクターで、若林は「一中節」の師匠、都一中先生の講習会でこの「猩々」を学びました。
日本人の神様感
 さてこの様に、元々のインドでは必ずしも「恵み を与えてくれる」や「福を呼ぶ」神様でなかったものが日本に来てしまってから全く都合の良い様に解釈されてしまっている辺りに日本人のちゃっかりした性格、良いとこ取りの性格、言い換えれば極めてポジティヴな面が伺えます。しかし中国では寿老人、布袋様などは単なるご利益だけではなく「徳の高さ」も讃えられていた筈で、本家本元のインドでは、物事は両極端のどちらも等分に受け止めなくてはなりませんから、インドに七福神が居たら半数は怖い神様、厳しい神様だった筈です。
 日本人のポジティヴなちゃっかりの感性も誇るべき点でありますが、インドと中国に有った、もしくはかつての日本人にあった「摂理を受け止める心」や「謙虚さ」は時代とともに薄れてしまった様な気もします。
 ところで、七福神の寿老人と福禄寿が「同一」にも拘らず,別な様にして『七つ』を揃えた。及びそれを嫌って他の神様を加えたのも『七つ』のこだわりですよね。
 ちょっとどうでも良い話しかもしれませんが、日本全国に福の着く地名や、若林の自宅近くの善福寺(全国にありますね)、や満福寺などのお寺とその寺町名は無数にありますが、実は福の字で始る地名って意外に少ないんです。東京都下の福生市、岡山の福山市、その他ネットで検索出来る大きさの町は、福住(札幌)、福田(仙台)、福居(栃木県足利)、福光(岐阜)、福部(鳥取)、福江(下関)位です。その意味では都道府県の中に福島県、福井県、福岡県と三つもあるのは凄いかもしれません。
幻のバンド「七福神」
 若林は中学の頃に民族音楽、初めはインド音楽の勉強を始めましたが、民族音楽では仲間が得られなかったのも有って、ロックもやってました。が、1978年に民族音楽ライブ・スポットを始めた時の運転資金にエレキ・ギターやベース、ロックやジャズのレコードを売り払ってしまったのです。その時、自分への慰めの意味で「よっしゃ!30歳になる迄ロックはお預けだ!」と言い聞かせたら、本当に30歳になったその瞬間に一応メジャー・デビューしたロック・バンドのレギュラーになってしまいました。
 本来は、そのバンドのデビュー・アルバムに民族楽器で参加した一スタジオ・ミュージシャンだったのですがレコーディング完了の打ち上げで盛り上がっている内にレギュラーになってしまったのです。
 ミュージック・マガジン創始者で当時の編集長中村とうようさんが企画したコンサートでは「じゃがたら」「上々颱風」と共に「今年デビューの期待のエスノ・バンド」と紹介されてステージに上がり、ヴァップ・レコードよりCDが出ました。が、その後スポンサー問題なのか、プロデューサーとメンバーの問題なのか、一年そこそこで空中分解してしまい。「じゃがたら」「上々颱風」はご存知の様にめちゃめちゃ売れました。まさか若林のジンクスにメンバー全員が付き合わされた筈もありませんが、同様に売れていたら今頃は!と思うと残念です。
  そのバンドの名がなんと「七福神」。録音していた当初は「サニアス(ヒンドゥー教の師徒)」だったんですが。レコード会社が「それじゃ分らん」となって「『七福神』ってメンバーが七人だったからって、凄い感覚で名付けられ、ご利益もたいして無いまま「幻のバンド」になってしまいました。(つづきはまた夜に)

 

4月5日(火)
 このひと月に人生を大きく変えるかもしれない一大プロジェクトが進行していたのですが、先週末にあっけなくポシャッたかと思えば、また新たに本格的に動き始めたりで、なんだか良く分からない状況ですが、人に振り回される生き方も新鮮です。
 若林の人生は、いつも自分で答えを出さねばならず、何時も自分に責任がありました。その上で人と物事をやれば、人は自己中だとか、直ぐ人のせいにするだとか言ってましたが、子供の頃から親も、友達も、学校の先生さえも 頼れない人生で、人のせいになんか出来た試しが無い、とんでもない誤解なんですが、その辺りの感覚が違うと全く理解されないみたいでした。それが今頃になって人に振り回されると、面白い事に考えなくてはならないのがむしろ自分の事だったりで、あの頃の回りの人の様にやっと人のせいに出来る状況なのに、むしろ逆の自分に呆れてしまいます。
 そんな状況で、今日は、今若林が憧れている素敵なご夫婦ベスト3 のひとつのやまよし家にお呼ばれして来ました。 ご主人が丁度お休みで、奥様はご主人同様にアラビヤ語の講習に行かれて少し遅れて戻られたので、それ迄は一歳半の天才自然児やまよしJr.にお兄さんパパとおじさんが遊んで貰ってあっと言う間に時が経ちました。
 若林は娘を育てた経験しかないのですが、それでも2歳頃からほぼ父子家庭でしたからそれなりに子供は分っていたつもりです。加えて保育園や幼稚園での民族音楽の講演もありますから。でもやまよしJr.の卓越した才能は、今迄見て来た子供達の比ではなく、単に可愛い、とかやんちゃのレベルを越えて、生命力っていうんでしょうか回りを巻き込むのその力の凄さは、並じゃありません。先日の話しに通じる素敵な方のD.N.A.を過大評価している部分も無くはないですが、女の子を育てた身としては、男の子はウルサい!ばっちい!が本能的な反応でした。それが、初めの頃は「オイオイ、オジさんにそれくれるって、今おめえが鼻汁拭った手で持ってかじったやつだろうに!」とか言ってたのが、小一時間もするとニコニコと「ありやとね」って受け取ってる自分に唖然。息子も居ても良かったかな? なんて教育されてしまっていました。
 語弊も不適切も多々有る言い方ですが、若林は1970年代に団塊の世代の精神文明推奨者さん達の集いに最年少で混ぜて貰っていたのですが、十家族に近い、つまりお会いしたほとんど全てのご家族が放任主義的、早い話しが甘やかし放題でお子さんを育てられていました。
  今の若林が猫達にしている姿を、人は呆れて言います「えっ!食卓に飛び乗っても怒らないの?」と。それと同じ感覚を感じさせたのが当時知り合った方々の子育ての姿でした。でもそれをちっとも素敵に思えなかったのは、ごめんなさい、そのお子さんの目が美しくなかったんです。子供本来の天真爛漫な瞳ではなく、親とその取り巻きの序列を全て見抜いたかのような無茶のし分けをするその狡猾なまなざしは、当時高校生の若林の心にぐさっと来ました。それがやまよしJr.には無いのです。そこが凄いな、可愛いなの所以です。
 前にも書きましたが、親元を離れ世知辛い東京で懸命に生きる共働きの若い夫婦にとっては、若林が持ち上げたところで何の励みにもなりませんが、あの子を育てただけでも凄いゼって感じです。まあ、種を明かせば、はぐれ雲のようでありながら反面気骨のある旦那と、意外に気丈で〆るとこはビシっとやる奥さんの絶妙なコンビのなせる技であり、最も重大なポイントはお二人とも何処かで一、二本螺子を落として来ている点です。若林が高校時代に出会ったご家族は、むしろ頭が良過ぎて、螺子は意図的に緩められていた感じですが、やまよし家は完全に落っことしていますから本物です。
 フランスで出会った(違ったっけ?) お二人の、お洒落なメニューは、旦那の男の肴「カルパッチョ」、
奥さんのアボガドとお刺身のブレンド、ガルバンゾーのカレー風味のコロッケ(多分洋風にいうとカツレッツ)。それに名古屋風味のゴボウの混ぜご飯が信じられない程見事にマッチ。ガルバンゾーとゴボウの野趣に富んだ香りと甘みの出会いは最高でした。 かなりに元気付けられ、また新たな目標が見えて来たようなありがたいひと時でした。やまよし君、奥様、ありがとうございました。
やまよし君より写真が届きました。ありがとうございました


4月6日(水) 七つの話し(その5) 「七音音階」
 

ドレミの階名について
 七つの話しで若林の様に音楽を仕事としている者にとって「ドレミファソラシ」の七音は最も身近な「七つのもの」です。意外に忘れられているのが、「ドレミ」って何語? って話しですが、いわゆるラテン語ですから、後のイタリア語、スペイン語、フランス語とも「七音階」の「階名」はドレミな訳です。ゲルマン語すなわちドイツ語などや、英語、日本語ではどうなっているか?というと 「CDEFGAB」のアルファベットで示され、それぞれ「ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー」「シー、ディー、イー、エフ、ジー、エー、ビー、」日本語では「ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イ、ロ、」と言わば序数詞のような文字で示しています。
  この他の世界ではどんな言い方があるのかと見てみると、英語圏スペイン語圏仏語圏に負けない面積と人口を持っていた旧ソ連地域や東欧ではやはり「ドレミ」インド音楽では「サ、レ、ガ、マ、パ、ダ、ニ」と呼びまして、これでほぼ全種類なんです。あとの音楽文化圏、人口的もしくは面積的に忘れてはならないアラブ音楽圏、東南アジア、中国、そしてアフリカ音楽圏には「階名」という観念が無いようなのです。アラブ音楽、東南アジア音楽の音には固有の名前がありますが、それを音楽のレッスンや記憶の際に「ドレミの歌」を歌う様に「口ずさむ」という習慣がないのです。中国の楽譜は、序数詞感覚に最も素直にドレミを「1、2、3、4、5、6、7」の数字で書いてしまっています。東南アジアを除いてこれらの「階名の無い」地域で、口で唱える必要が有る場合は、後に導入された「ドレミ」を用います。
 これで分る事は、若林などが小学校の音楽の授業で苦労し、先生から怒られ、その為にピアノ教師をしていた母がほんの数回雇って諦めた芸大生の家庭教師がキレながら厳しく教えようとした「ドレミ」は世界的な規模で考えると「ラララ」でも良かったんじゃないか?と思える程適当なのです。何故なら「ハニホ」や「CDEF」まして中国の「123」は音楽的とは到底言えないのですから。
様々な無理・矛盾
 若林の母と母方の親戚は、音楽一族の沽券に拘る、と若林に情操教育を試み、そしてほどなく呆れて諦めましたが、若林はやる気も才能も無いだけではなく、何かにひっかかるとその先に進めない,頭が止まってしまうという不器用な脳みそがあることを誰も理解してくれなかったのが最大の原因だったのです。しかしそれを本人が気づいたのがほんの最近であるのですから、人が理解してくれないのは無理も有りません。が、世の中には小学生の頃の若林と同じ様に、ひっかかって進めない結果「駄目生徒」と言われている子供は少なくないんじゃないかと思うのです。
  それら「ひっかかる問題点」は西洋音楽及びその教育方法には非常に多いのですが、ドレミに関して言うと「何故ドレミってドから始ってるのに、それを英語やドイツ語で言う時A.B.C.じゃなくてC.D.Eなの?」という疑問でした。それを悶々と考えているうちに授業は先に進み、若林もその疑問を解決したいと思う程興味がなかったので「駄目だこの子は」という評価に逆らいも弁解もしなかったのです。
  実はこの疑問の答えはほとんど「分らない」に近いもので、恐らく音楽大学でも教えてくれないと思われます。若林が調べられる限りでたどり着いたほぼ結論では「昔は短調のラシド.....が基準だったのでA.B.C.に矛盾しなかった、それがいつの間にか長調のドレミを基準とするようになった」です。ですから未だにオーケストラの調子合わせやギターの調弦マシンでは「A」が基本音になっていて「ド/C」ではないのです。でもどんな音楽文献でも「いつの間にか」以上正確には記述していないのです。そんないい加減なことで怒られていたと思うと憤りを感じますが、学校の音楽の先生にこの矛盾を突きつけていたら、誉められるどころかもっと怒られ排斥されていたでしょう。いつの時代でも「世の中の矛盾」を指摘する者は排除されてしまうものです。
オクターヴは「八音」
 そもそも「ドレミ」などは何故七音なのか? という問題も正しく詳しく説明出来る人はおそらく世界にほとんど居ないのです。 「ドレミ」の七音を考える前に「オクターヴ」を考えなくてはなりません。
 この「オクターヴ」はビール瓶の口を「ボー」っと吹いた時、少し強く吹くと出る高い音「倍音」として物理的に得られるものです。弦楽器ならば弦の丁度半分の長さの所でその音「オクターブ高い音」が得られます。同様に弦長の2:1の部分では五番目「ドレミ」的に言うと「ド」に対して「ソ」の音が自然に物理的に得られるのです。ところがこれに対しての明確な名前がないのです。何故なら「オクターヴ」という言葉は「オクト=8」に由来し、「ドレミファソラシ」の次の「ド」すなわち「八番目」という意味ですからオクターヴの発見の前にドレミの七音が存在したことになってしまうからです。これは明らかに無理・矛盾で、その証拠に東南アジアでは「オクターブ」を五つに分けたり、九つに分けたり古代インドでは22に分けたりしていますし、西洋音楽でも12に分けていますし、アラブ音楽などでは24,トルコ音楽では54に分けています。東南アジア以外ではほぼ『七音音階』ですから「オクターブ」は「八番目」になりますが、東南アジアの多くの場合五音音階ですから「オクターヴ」は『六番目」になってしまいますから「セスターヴ(というかどうか知りませんが)」などと言うべきなのです。ちなみにインド音楽では「ドレミ」の「シ」までを考え「オクターヴ」を「サプタク(7)」と言います。
 しかし西洋音楽でも「オクターヴ」は「12の半音」 に分けられているのですが、ならばなぜ「オクターヴ」を「12」とか「13」と呼ばないのでしょうか? それ以前に12 に分けておきながら何故「六音音階」じゃなくて割り切れない「七音音階」にしたのでしょうか? これも義務教育では誰も正確には説明してくれません。音楽大学でさえ、よほど興味を持った人ではないと正解にたどり着きません。
  でも誰が考えても変な話しですよね。自然に物理的に得られる倍音を12に割ったのならその「十二分の一」が単位であるべきですが、それは「半音」すなわち「半分なのだ」と言われてもなんだかわかりません。じゃあ「全音」の六で良いじゃないか!と思うと「六音音階」になっちゃうので都合がわるくなるのです。したがって「ミとファの間とシとドの間は半音で他は全音」という結果になるのですが、はっきり言って「ぐちゃぐちゃ」です。こんな「ぐちゃぐちゃ」なものに高いお金を払って家庭教師を雇ったり、入試や高い学費があるのも実に不思議な世界です。
何故七音音階なのか?
 実際は、世界的な規模で、より根源的な音階を考えると「五音音階」の方が自然だったりします。 が、その時代は紀元前の更に千年、二千年前のことで、すでにピタゴラスの時代には「七音音階」が定着していました。それは何故か?というと、哲学者であり科学者であったピタゴラス達は、自然科学の立場で音と倍音を調べ、先ほどの弦長の2:1の五度の倍音から12の半音を見い出したのです。「ドからソ」「ソからレ」「レからラ」の感じで。すでに「ソ」から導いた「レ」は高い「ド」を越えていますからそれを「オクターヴ」下げて並べるとド、レ♭、レ、ミ........が導かれたのですが、
 ところが! なっ!なんと!そうやって作った12音の13番目はオクターヴと高さが違っちゃったんです。歪みと言いましょうか誤差といいましょうか。すなわち12に割ること自体は有る程度科学的なんですが、どうしても誤差が生じるのでアラブ音楽の24、トルコ音楽の54、インド音楽の22などの苦肉の策も生まれたのです。ということは、ピタゴラスの時代に既に「正しい音程などは誰も設定出来ない」と結論付けられているのです。すなわち「音痴」というものはあり得ないのです。基準が無いんですから。
 おそらくピタゴラスも実験の結果を見て愕然としたことでしょう。その結果「ピタゴラスの誤差」というものを発表して「ごまかし方」を提言しましたが、彼の弟子の時代に既に別な誤差のごまかし方が生まれている程で、バロック時代には有名な「平均的に散らせば?」という『平均率』が生まれているのです。
  更に、このようにして 「インチキ」に確立した(ようなことにした) 12音律から「ドレミ」の七音を生み出したのが何時の時代か?も、その理由も音楽教育ではほとんど「考えない様にして』ごまかされています。一般的にはグレゴリオ聖歌の頃であるとか、その頃の教会の牧師兼音楽教育者(グイードなどの)が設定した。否、七音音階はピタゴラス以前だ、などと言われますが「七」である必要性は、音楽的な理由でもなく、自然科学の摂理でもなく、「七が聖数」であったからの可能性が高いのです。
「ラッキー7」という言葉にも残っている様に、古代ギリシアから古代ローマ、そして西洋キリスト教文化に受け継がれた「七」を特別なものとする発想に基づいているのです。
 アラブ音楽やインド音楽にも『七』の特別な意味は、受け継がれ、もしくはシンクロニシティ的に同様に考えられた場合も想像出来ますが、アレキサンダー大王の時代に古代ギリシアと古代ペルシアが深い関係にあって、それはガンダーラ地方で古代インド仏教文化とも接点を持ったことも考慮すべき点です。さらに若林は、これらの「聖数」は文化や民族の境を越えて活躍したシャーマン〜呪術師達のものの可能性を感じますので、ユーラシアに広く「七」が「特別な数」として伝わっていたとしてもちっともおかしくないのです。より古いインド音楽の影響を受けた東南アジアでは「七」にこだわらず「五音音階」を堅持しています。
呪術師から天文学へ
 古代ペルシアでは「万物の四元素」というものが信じられていて、それは古代ギリシアとも関連があるのですが、その「地、水。火、気」で太鼓の素材や叩き方、弦楽器の弦の数と意味合いまで考えられていたのですが、タンバリンの小さなシンバルの数は唐突にも「万物の四元素」に関係無く、「五箇所」か「七箇所」だと言うのです。ものの本によれはこれは占星術に由来して定められていたと言うのですが、これこそ呪術師の文化が、宗教家や学者に受け継がれ天文学に至って行く経緯を示していると思うのです。「一日の24時間」「週の7日間」「月の30日」「年の365日」などはほとんど科学的な数字であると誰も疑わないでしょうが「うるう年」のような怪しいごまかしも有る訳で、ならば若林の猫と暮らすうちに身に付けた「一日26時間周期」もまんざら出鱈目でもないか? なんて思う訳です。

 

一週間
 本日は、民音「アジア平和芸能フェスティヴァル」の面々が長野や名古屋公演を経て昨日(ゆうぽーと)東京にやって来て、本日の中野サンプラザにご招待頂いてご挨拶に行って来ました。民音の速水さんのご丁寧なご招待の御陰で、V.I.P.扱いのレッドパスを張って。モンゴルの師匠バト・オチルさん、ロシア楽団「ベリョースカ」にまた追加で色々教わりました。ロビーでは各楽団のCDも販売していて収録メンバーもほぼ来日メンバーと同じなので、皆さんも是非お楽しみ下さい。
 さてそこで入手したロシア楽団のCDにサインを頂きながら「一週間」の歌詞を確認。CDにかなり詳しい邦訳があるので、それを元にニュアンスを伺って来ました。
 それによると、昭和30年代の邦訳もまんざら間違いではないんですが、「月曜」に湧かしたお風呂を「火曜」に入るというのは、やはり薪を集めたり、井戸から水をくんだりで月曜はやっとだ、それほど大変なんだ、というニュアンスなのでした。すなわちより正確には「月曜日にやお風呂の準備」「火曜日やっとお風呂に入る」なんです。あと「テュラ、テュラテュラ、テュラテュラ、テュララー」ののスキャットは、従来説明されていた囃し言葉ではなく日曜日に市場で買った「糸紡ぎ機」の鳴る音の描写なんですと。

 ロシア楽団「ベリョースカ」のCD,SCD-0904、コンサート会場で販売が無い場合は、神田の新世界レコード:03(3261)4234にお問い合わせ下さい。
  新世界レコードから発売とは感激! 同レコード坪井社長には20年以上前から可愛がって頂き、その上同レコードの創始者で伝説的な旧社会党代議士帆足計氏は民族音楽センター教室の大家さんのお父さんです。

 

4月6日(水) 
 ロシア民謡「一週間」の水曜日は「貴方と会って」木曜日に「見送る」迄の貴重なスウィート・タイムの様です。若林は中野で楽しい再会を果たした後、ちょっと具合が悪いので、チャメと宵寝をしていたら行こうと思っていた電気屋さんの閉店過ぎ迄寝過ごしてしまいました。愛しのチャメ君とのズルリン・タイムで気づけば窓の外が真っ暗!でもこれって懐かしい「焦り」です。
  高校の時、徹夜詰め込み勉強が続いた期末試験が終わって昼頃に帰宅してバタンキュー。気づいたら夜で、遊ぶ間もなく一日が終わってる!!あの感覚。なんだか懐かしくて、まだ汚れ無き青春の時のことですから。これが同じ「うたた寝」の結果、駅のベンチや麻雀屋のソファー、バイト先の居酒屋で頭ガンガンの中強烈な朝日を拝むような汚れた時代を経て、朝迄掛けても時間の無駄だった別れ話しの挫折の時代を経てしまうと、なまじ普通の人と同じに、朝に起きたのに嬉しくなくスッキリしなくなったりで........。
 なんだか遂に花粉症なんでしょうか? ここひと月「目元がシバシバするなア」とは思っていましたが、楽器修理の膨大な粉塵(削り直しや折れた糸巻作成のグラインダーの)のせいだろうと思っていたのですが、今日から鼻水がジュルジュルいい始めたので、やっぱり粉塵だけじゃなさそうです。心無しか胸も痛く息苦しい様な、でもそれは先日のカブトムシの腐葉土大量取り替えで痛めた背筋のせいかもしれないし。
 昨日のやまよしJr,の頃の記憶って、普通あまりないですよね。ところが若林の場合、合計八年もあった筈の幼稚園&小学校の記憶がほとんど無いくせに、二歳手前の記憶が昨日の様に残ってるんです。もちろんある一日のことなんですが。
  「寝過ごし話し」つながりですが、T.V.の「三匹の子豚ブー・フー・ウー」を朝寝過ごして見逃して「何で起こしてくれなかったんだ!と母親に文句を言った内にまた寝てしまったらしく(と後に母から聞いた)夕方起きて顔を上げた瞬間T.V.で再放送が始ったんで「だだを捏ねたのが功を成して母親がなんとかしてくれたんだと」偉く感動し母親を尊敬した記憶なんです。しかし自分の不満、文句、注文はその時点では日本語として母親に伝わっていた筈もないのです。ただワーワー泣きじゃくってるだけで。それを日本語として現在迄記憶しているってのも不思議なものです。それにしても丸一日だだ捏ねて泣いてフテ寝してってやまよしJr.
より更に上手かも。我が母親は大変だったろうな、と今さらながらリアルに感じました。
  もう一つの記憶はさらに古いもので、乳母車に乗せられて「出かけるのか?」と思ったらしばらく放置され、不安になって乳母車から外を見上げるととても美しい青空が広がっていたという記憶なんですが、この時のことは出がけに電話かなんかだったらしく母親も良く覚えて居て、なんと生後二、三ヶ月位だと言うのです。だから何なの?って話しですが、そんな時に良い音楽を聞ければきっと大きな意味を持つのだろうな、とやまよしJr,を見ながらしみじみ思い、そして今日モンゴル馬頭琴の師匠バト・オチル師から素敵な話しを聞いて(これはまた明日)一層思いを深めた訳です。


 4月7日(木) 七の話し(その6)「シチとナナ」
 

 一昨日お招き頂いたやまよし君に「お会いする迄に最近の日記を読んでおこうと思ったら、前より増えてるし、こりゃ無理!って諦めました」と呆れられてしまっているこのシリーズ乱れ書きもいよいよ大詰め! ってたどり着く悟りの境地がある訳じゃありませんが、
日本語と外来文化
 今回の「七」を中心とする「意味深い数字」の話しは。一応「インド〜中国〜日本」と「西域〜中国〜日本」という二つの流れがある、というのがテーマです。が、昨日の「七福神の話し」でも少し触れた様に、インドにだって西域の文化が伝わった部分も当然ある訳で、この話しは更に複雑さを見せて来るのですが、いずれにしても今迄の様に「中国から伝わった、で終わりにしては行けないんだ。と言う事が少しでも共感して頂けたら嬉しいなと思う訳です。
 文化の伝播というものは幾度かに分けて行われることがあるので、その時代や重なり合った層をより正確に断面から考察しなくてはならないのですが、日本の文化というものは主に文字(漢字)が中国から伝わった以降の古文書によるところが多い訳で、それ以前の事はほとんど分ってないようです。ただ近年「ことだま」という名称で知られる「平仮名で感じる日本語」すなわち「文字を用いる前からの日本語を感じる」ことで私たちのD.N.A.の記憶を呼び起こそうというものを介せば、意外に太古の話しも想像できるかもしれないのです。
 平仮名にすると「音読み」「訓読み」の違いによって日本古来の読み方と、外来語(中国語)の読み方の区別が可能になりますが、「行き」「生き」「息」などは大陸語的な「音読み」では全く異なるイメージを持つ異なる言葉である事が認識されますが、訓読みにするといずれも同じになってしまいます。すなわち「生きる」ということは「息をする」ということで「人生」は「道行」にも等しい「歩んで行く」ものなのでしょう。「夜」と「寄る」も同じかも知れません。不安な「夜」は誰かと「寄り添う」様な感じで。このような言葉は日本語に非常に多く、これこそ日本人の独特な生活観、人生観、自然観を表しているし、この韻律にこだわるオヤジの駄洒落も日本人ならば当然のことなのだ!と言えるのです。
 ところが肝心の「数」については「三」に「見」「巳」 などが有る程度で、他の数には関連を思わせるものがあまり見当たりません。これは人間関係の基本である利害関係の場面で、数が異なる意味を持ってしまったら大変なトラブルにつながるという事もあったかもしれません。また、「三三七拍子」のように「数」と認識した後「シチ」でも良い所を語呂で「なな」と読んでいるものもありますが、 もしかしたら「無くて七癖」「七つの子」などのように「数が七つ」であることにこだわらず「一杯」の意味で用いていた言葉があったとするならば、「七草」や「七福神」も実際の数も「七つで」し読みも「シチ」に変わろうとも「沢山の」という目的を継承しているかもしれず、もっと極端な場合、日本人の場合、数をさほど気にしなくて少数を「みつ」中数を「いつつ」多数を「ななつ」と言っていたかもしれない訳です。
「シチ」と言えば
 しかし、後に漢字と大陸語が入って行きたり、語呂に会わせて読みを替えてしまった為、それ以前のニュアンスは分らなくなってしまった感じです。その結果「訓読み」が日本古来の感性を示唆し「音読み」が大陸渡来を示唆するとも言えなくなっていると思われます。「七草」などは大陸渡来の発想ならば「シチグサ」であるべきだったKもしれませんが「質草」と同じになってしまいますから。でももしかしたら「質屋」も「七屋」だった?なんてないですかね。なんでも沢山引き受けてくれる的な。
 気になるのが日本の伝統的な調理火器である「七輪」です。「目方七厘の炭(値段という説も)」でも見事に調理出来るとか、中のそこに七つの空気穴があったからとか言われ「輪」は「たが」の事であるとも言われますが、なんだか怪しくないですか? 
  今日迄お話しして来た感覚から言えば目方か値段の「七厘」というものが「沢山」を意味するならば、普及した時代の物価から見て結構高かった事を意味していたかも知れず、でも当時のネーミングの感覚で値段を呼称にするかな?って気もしますし、中をのぞいて「七つの穴が有った」というまんまのネーミングもひねりが無いし「七穴」としなかった訳も分らず。若林的には「穴(ケツ)」と言う音が「尻」みたいだから「穴を輪とした」というのが一番近い感じがするんですが、それでも「中を覗いたものを名前にするか?」という疑問も残ります。仮にそうだとしても、それはニックネームだったに違いなく本名は別にあった筈で。さらに歴史の話しでは、一般に江戸時代に長屋などの囲炉裡や竃(かまど)
を持たない小さな住宅が増えた際に普及したと言われますが、数年前に見たT.V.の取材でなんとギリシアにあると言うのです。T.V.に出て来た七輪はさすがに欧風の植木鉢のような形でした。それがシルクロードを通って吟遊詩人などの携帯用調理火器として日本にまで来たってありえないですかね。
江戸弁を考えると
 ところで江戸っ子というものは「ヒ」と「シ」が言い分けられなかったり逆になったりで有名ですが、確かに若林も「七福神」を「ヒチフクジン」的に言っていたかもしれません。ってことは「七輪」が江戸時代に普及したと言うなら本当は全く違った文字で違った意味の「ひちりん」だったなんてことはないでしょうか?それを「シチリン」と言ってしまって「何故」とか聞かれている内に諸説生まれてしまった感じで。
 そう言えば昨日伺ったやまよし君ちのベランダに可愛い小さな「ひちりん」が有りました。浅草で一緒に遊んだ後に買ったと言うJr.の名入りの提灯も。なんだか若者が和風を好んでくれるのってホッとします。

  一週間
 ロシア民謡「一週間」では水曜日に訪ねて来てくれた恋人を見送ります。この歌の最大のテーマは、お風呂は週一、恋人に会うのも週一、市場も週一という昔の田舎の暮らしの描写で、その代わり仕事も週一ダヨみたいな洒落もあったんですが、それにもかかわらず、そのまま社会主義時代にも歌われ、民主化以後も歌われている不思議な歌です。
 

4月7日(木)
 恐らく今日は、今週中で最も基本的な普通の日。急に温かくなったので直翅目の孵化が心配なのと、甲虫類の新生虫の寝床作りの続きを。そして楽器修理の続編の為教室へ。「アジアン特急2005」の気合いの入る第一回目のイベント4月17日(日)の前売りチケットの販売がイマイチです。皆さん宜しくお願いします。民族音楽センターのお仲間はメールでチケット取り置きを致しますので宜しくお願いします。あと、スケジュール・ページで曜日を間違えましてすみませんでした。
昨日の話しの続き
 昨日のやまよしJr.とモンゴル馬頭琴の師匠バト・オチル師の素敵な話しの続きですが、馬頭琴には日本の小学校二年生の国語の教科書にも載っている(それで先日杉並の富士見ヶ丘小学校で馬頭琴を紹介して来ましたが)「スーホーの白い馬」という馬頭琴誕生の伝説があるのですが、それは中国領内蒙古の伝説で、モンゴル共和国の主要部族ハルハ族には「フホーナムジルの白い馬」という別な物語があります。今回その歌の一節と馬頭琴演奏も習ったのですが、その話しよりもバト・オチル師のアマチュア音楽ファンのお父さんの手製の馬頭琴が二人の息子の兄をプロの楽器製作者にし、弟をその楽器で海外でも演奏するプロの音楽家に育てた話しの方が「凄い!」と思いました。
バオトチル師、長唄のシリメントゥーヤさんも入っているアンサンブルのCD:Taliin Ayalguu-006どうも楽団の自主制作モンゴル盤の様ですがtatlaga@yahoo.comに問い合わせてみて下さい。
 やまよしJr.にもそんな音楽体験をさせてあげたいと、若林の持ち曲にやまよし君のジェンベ、奥さんのパーカッションでやまよしJr.の保育園や小学校や中学に行って演奏する「仮称:やまよしJr.バンド」の結成が決まりそうです。若林にとっても、同じお子さんの成長を追って、年齢とともに音楽への反応がどう変わるか?など興味深いテーマです。
 二歳位の若林が母親に文句を言って泣きじゃくった「なんで起こしてくれなかったの!」は言語になってなかった筈が、自分が言語を習得した時には言語で記憶されている。同様に音楽体験も、その後に型にハマった音楽教育を受けるとそれに則したものに成って行く。でも初めの感動が大きければ、またその後の音楽教育にゆとりが有れば、より豊かな音楽をまた別な人に伝えられるように思います。
 大人になっても「言葉にならない」という時があります。また「頭で分っても気持ちが.....」という時もあります。後者をより正確に言うならば「思い浮かぶ言葉では心を全て表現出来ない」「心がその言葉には納得しない」現象なのかもしれません。そんなものが大人になってもあるのならそれは見逃せないな、と思います。そんなストレスを貯めて無関係の人に気概を与える程爆発するなら、大人も赤ん坊のように意味の無い言葉で泣きじゃくった方が無難なのかもしれません。それはそれで「プチ爆発」なのかもしれませんし、受け止めてくれる人が居なくてはなりませんが。それを受け止めてくれるのが恋人や、家族、友達であったら人は幸せなんでしょう。「プチ爆発」は何も文句、甘えばかりではありませんから、大笑いもあるでしょう。
業務連絡&
 本日エッジを使える様に契約して来ました。 きっかけはアジアン特急2005のミーティングでノートPCを持って行っても「なんで?ネット今見れないの?」と、じゃあしょうがないじゃん的におっしゃられる事と、この夏の地方公演に向けてお仕事のメールを受けられる様に、ということですが。 ヤフーさんにそのサービスが無い御陰でかなり面倒臭いことが判明。電話回線経由のヤフーのモデムを外して、PHS系のエッジのカード(っておっしゃいますがカードには見えません)を差すのは簡単に移行できるんですが、エッジを外してヤフーを差しても簡単に元に戻らず。PCのシステム環境設定からいちいち操作しなくてはならない。(って若林の間違いですかね? 一応サポートに聞いてその結論に達したんですが)そんなんで、しばらくメールの反応がむしろトロくなったらすみません。その内逆に日中もメールにお答え出来る様に安定すると思うのですが。


4月8日(金) 七つの話し(最終話) 「七夕と虹」

 

七夕物語
 「七のつく言葉」でもしかしたら真っ先に思い浮かべる人が少なくないのが今回最終回で登場の「七夕祭り」や「七夕物語」そして「七色の虹」だったかもしれません。
 「七夕物語」「七夕伝説」は、中国で生まれたもので、粗筋は『天空の皇帝の娘(織姫)が帝が選んだ婿(彦星)と一緒になったとたん機織りをさぼるので(彦星が天帝の怒りに触れたという話しも有る)帝の命により年に一回しか会えなくなった」というもの。同様の伝説は東アジアに分布し雨や曇りの日は人間が見えないところで鳥(カササギやカラスなど)が天の川で橋渡しをしているとのことです。
  これらは明らかに天空を眺める中で思いついた話しでしょうが、世界には地上の物語で似た様な話しが少なくない様です。
  「七夕」を「たなばた」と読む様になったのにも諸説有りますが「棚機」が有力のようで、それを旧暦の七月七日にちなんで「七夕」の字を当てた様です。
 旧暦の
七月七日頃が稲がたわわに実る時期で、収穫の忙しさを控えて颱風の被害などが少ない事を祈ったりするタイミングのようなのですが、言い換えれば一年の中で最ものんびりとした時期? 特に何も無いので「七」にこだわって大陸の伝説を楽しんだという感じなのでは? その割には様々な伝統行事の中で最も普遍的に現代でも好まれ楽しまれているというのも不思議です。
七年待つ恋
 アフガニスタンの有名な歌で若林のお得意レパートリー である「アイーシャ」と「マザールへ行きましょう」は実在の土地の名士の娘と、巡礼の貧しい僧侶の恋物語で、年一回の巡礼の際に互いに群衆と巡礼の列から一瞬顔を見るだけで七年我慢して結ばれたという実話に基づく歌です。すなわち一年のほとんど顔さえも見れなかったんですから、七夕並の我慢です。
  そう言えばこの「七年」という数字は南西アジアでは結構こだわりの年数の様で、アフガニスタンで生まれインドに伝わった有名な弦楽器シタール(若林が高校生の頃から弾いている)の修行は「七年」と言われています。日本の楽器では尺八が「首振り三年」琵琶が「さわり取り十年」とかありますが、日本の音楽では「七年」はあまり言わない感じです。「首振り三年」と「さわり取り十年」は日本人の言うことにしては珍しく具体的な『実数』のような感じです。もちろんシタール修行の『七年』も具体的な数字でしょうが日本の「石の上にも三年」のような意味合いがあって、「最低でも七年」というイメージのように思われます。

七色の虹
 「七つの話し」最後に成ってしまいましたが「七夕」に劣らず人々が「七」の代表に挙げるものが「七色の虹」かもしれません。にも拘らず虹が七色であると確認した人は少ない、と「自然の気象科学館」http://www2s.biglobe.ne.jp/ ̄kanai/kagakukan/rainbow/rainbow.htmのサイトに興味深い話しが載っています。確かに「赤と橙」「橙と黄」「青と藍」「藍と紫」は区別しにくく「赤、黄、緑、青」位にしか見えない時もあるかもしれません。「自然の気象科学館」によれば「虹を七色」と思っている国は日本とフランスなんですと。知りませんでしたね。世界ではどのように考えられているか、についてはhttp://enkan.fc2web.com/zatu/18.htmlに更に多くの情報があります。
 それでも多くの国で「虹」は比較的縁起が良いもの、「未来への架け橋」的な意味合いが有るようです。 勿論、「彼岸」への架け橋の場合もあるようですが。
  若林が「弾き語り」時代にさんざん伴奏させられ、時に歌わされた「ラヴユー東京」というちょっと背筋が逆寒(チキン・スキンの逆)のムード歌謡に始まり、英語の歌にも「虹」を歌ったものが非常に多いですね。でも正直、若林的に好きな曲が無いのが不満です。その御陰で「虹」そのものを希に見ればもちろん奇麗、凄いとか思うのですが,陳腐な音楽が思い出させれ直ぐにシラケてしまいます。もう10年以上前になってしまいますが、実の妹がヴァップ・レコードさんからメジャー・デヴューした際のアルバム・タイトルが「エンド・オブ・ザ・レインボウ」だった時はちょっと困ってしまいました。ひねた子供時代を経て来たからか、「虹」を愛でる感性は似つかわしくないんでしょうか。それよりも似た様な自然現象で、雨上がりに雨雲から光が幾筋か地上に突き刺す様、何と言うのでしょうか? あれはゾクゾクする程感動しますが。

虹という字
 しかし「七色」と『虹』という文字にはなんら関連が無い様に思えます。「暈」という難しい字もあるようですが、いずれにしても「一文字」。「にじなのに一字とはこれ如何に?」と早速調べてみれば、これは意外に深い考証が無い様で、ネットも突然すっとぼけの様です。漢字辞典レベルでは、その昔中国ではレインボウを「龍の一種の『虹』という想像の生き物」に見立て、「虹」は「蛇」同様に「長い虫」の一種なので「虫へん」が着くということらしいのです。しかしそれを「にじ」という日本語にあてた理由は分りません。幾つかある『語源辞典』にも見当たりません。もっと調べてみたいと思いますが、何か「つて」をご存知の方は宜しくお願いします。
 話しはそれますが「虫」が必ずしも「昆虫」のみを意味せずに小動物に広く用いるのは世界的に通じている様で、一般の方で「昆虫」と言う人はかなりの理解者で、「虫」というと「苦手」という感覚も加わって来る様です。「むし」となりますと逆に苦手感覚が和らぐ分、「昆虫」の域を超えて果ては「かんのむし」に迄たどりついてしまいます。面白い事に英語も同様で「Beetle」と言ってくれる人はかなりの理解者で、普通は「Insect」最悪は「Bug」でした。しかし「Beetle」だとバッタ類は入らず「Insect」だとクモやゲジゲジ迄入ってしまうので不便です。その意味では「かげろう」だけにも「蜉蝣」「蜻蛉」などがある
漢字、すなわち中国の人はかなり昆虫に理解があったとあらためて感心させられます。
  「虹色の昆虫」と言えばなんと言ってもオーストラリア北部特産の「ニジイロクウワガタ」ですが、我が家に来てからの三代目が羽化しました。輸出禁止になってから数年経つので、これが本当は何代目なのかも分らず、この先異なる家系とのペアリングが出来るかどうか心配なんですが、日本の『玉虫』のように虹色に輝く美しい昆虫です。見た目はカナブンに顎が着いたような感じで、クワガタ類としてはかなり原始型なクワガタで、自然界での生存はけっこう危ぶまれる種のように思われます。
 その他に「虹」がつく生き物をネットで探していたら、 宮原晃一郎という作家さんの「虹猫と木霊」というのがありました。パッと見良く分からない世界でしたが、何方か解説お願い出来ますか? 

  一週間
 
ロシア民謡の「一週間」の今回入手しましたCDの邦訳によれば、週末は親戚付き合いの様です。ご親戚とか古いお友達とかを大切にする文化はとても素敵で暖かなものがあると思いますが、若林の人生の中では中々ムヅカしいテーマです。父方の親戚が来れば、無いお金でお酒や肴を買って接待し、客席では上機嫌な母が台所で悔し涙を浮かべているのを見てしまったり、その当時の救いだった母方の親戚が数十年後には相続争いで昔の面影が無くなってしまったり。
  めまぐるしく変貌した人生では古いお友達も少なくて、高校時代のつっぱり仲間など懐かしく思いますが、かと言って今会っても話題は? キャバレー時代もしかり、民族音楽ライブ・スポット時代には音楽仲間は居ても、お友達感覚の人はほとんど居なくて、逆に最近音楽以外の昆虫や、音楽で知り会っても音楽を越えた話題で会話出来る人達がやっとお友達って感じで。ある意味で一般の人が言ってる「友達」って一定の距離が有る様で、それって若林にとっての「知り合い」「知人」レベルなんで、そのレベルの人と世間話しをする時間を「無駄」としてがむしゃらにやって来てしまったツケでしょうか、今頃になって花見をする友達も居ないや、なんて。正体はかなりのネクラのオタクなんでしょうね。
  また、今日も数少ない親友の言葉の表面に気分が反応してしまいました。これも若い頃に「無駄」として『学んで来なかった』本当は凄く大切なレッスンが欠如していることが原因のとっても良くない所と大いに反省。ああ、そうか友達が居ない理由はこれか? 
  4月8日(金)
 今日は昼に武蔵野FMに呼ばれてまして、アジアン特急2005の宣伝を兼ねて民族音楽の話しをして来ます。その後はアラブ音楽教室。
  武蔵野FM 
4月8日はお昼に自宅近くにある武蔵野FMに生出演。20分の番組でしたが早口で4/17のアジアン特急2005の宣伝をして来ました。自宅に近いので自宅に置いてあった猫毛だらけのシタールを剥き出しで持って歩いて。狭いスタジオの中でシタールもちょこっと鳴らしました。
  桜前線や紅葉前線
 今週の東京は何処も桜が満開で、暖かな日が続いたので、井の頭公園側の教室にたどり着くのも大変です。我が教室は、若林と同じ年のインド音楽教室で二つも受講しているK.フィッシャーさんがインド音楽花見を提唱したのに賛同者が少ないのか?K.Fさんが入会した頃はよく飲み会も有ったんですが、また徐々に楽しい生徒さんも増えつつ有りますからこれでメゲずに宜しくお願いします。
 桜前線って南から北上し、紅葉前線って北から南下するのは当たり前なんですが、前者はこの季節盛んに報道されますが、後者はあまり言いませんよね。若林は大人になってからもかなりのお馬鹿で、十年程前に教室のお弟子さんで旅好きな人が休暇とって何処か行きたい、と言っていたので修学旅行で行った「奥の細道」の紅葉が素晴らしかった、と薦めてしまい大変なことになりました。東京の南の箱根の紅葉が美しくニュースで取り上げていたので思い出したのです。その人は言われるがままに東北へ。そしてお怒りのお電話「先生!こっちは吹雪です!」それ以後毎年、紅葉のニュースどころか桜前線のニュースの度に、そしてこの二年立て続けに冬に呼ばれた岩手・北上の雪を見る度にその大失敗と大変なご迷惑を思い出します。
 それに加えて花見の季節はキャバレー・バンドの音楽修業時代に上野・しのばずの池傍のパブでの辛い想い出(「世界の師匠は十人十色」ヤマハ・ミュージック・メディアにあります。)も思い浮かべてしまうのですが、来年こそは教室の仲間で楽しく花見をしたいですね。
 それでも最近聞いた「ソメイヨシノは比較的新しい品種改良の花桜」の話しを聞いて、東京のどんよりとした空やコンクリの壁に,不自然にピンクが浮かぶ姿を、実はあんまり好きじゃなかったことがなんだか援護された気分になりました。昔の歌に詠まれた頃の桜は葉と共に咲いたんですと。ご存知でしたか? 昔は空も奇麗で、コンクリも無ければ緑の葉と共に可憐な花びらが控えめに咲いていれば歌も読みたくなるでしょうとも。せめてブルーシートは辞めませんかね。本当はコンビニ・ビニールやタッパーさえも持ち込み禁止にして貰いたい程なんですが。
プロの意識って
 花見客で溢れる吉祥寺ですが、一割程の人々が手術マスクの様なマスクを付けていて不気味なお姿。お仕事ならいざ知らず、マスク付けて迄花見に行きますかね?
  なんて言って来年やっと出来た教室花見で若林が「それ」の可能性も高いですが、重度の猫毛アレルギーを意思の力で押さえてますから! なんてその分ドカっと来るかもしれませんが。
  今日の 武蔵野FMのエンジニアの若者もマスク姿でした。商工会議所の3Fにごくごく小さいスタジオがあり、ディレクターとアナウンサーとエンジニアの三人でやっている地域限定のFM局ですが、マスクの若者エンジニアは結構優秀でした。若林も必死に工夫して(楽器の距離や声の張り方で)ご協力しましたが、一本のマイクで喋りも演奏も放送するのはそれほど容易いことじゃありませんよね。
 最近は少なくなった様に思いますが、音響さんとかカメラマンさんで、プロ意識が強い人に限って動き過ぎ、ああだこうだ言い過ぎって人が居ましたが、こちとら民族楽器をマイクで取る事への聴衆の不満(せっかく民族音楽なんだから生でやれ!の様な) に晒されながら鍛えて来た若林ですから、意図的にマイクとの距離を測って演奏してるのにも拘らず、こちらが小さくすれば音響さんが大きくし、こちらが大きくすれば小さくするという最悪のパターンが少なくなかったです。
 本当のプロって、特にメインの歌い手さんとか役者さんが居て、それと視聴者の間に位置するプロって、まるで黒子の様に、忍者の様に、さりげなく、それで良い仕事をするもんですよね。むしろ動きや能書きが少ない方がプロって感じで。ところが「俺は仕事真剣にやってるゾ」とか「俺は仕事に誇りを持ってるゾ」的な ものをそんな現場で表現したがるタイプの人に限ってたいしたことなかったりしました。もっとも同じ現場でかなりにマンネリして、手の抜き方が先に名人の域になったプロもいらっしゃるので、前者との雰囲気の違いは中々見抜けませんが。
 しかしこれは 歌い手とか役者は前面に出て、音響、カメラマンは裏方に徹しろ、って意味じゃありません。役者の息子として言わせてもらえば、歌手や役者は虚像であってこそプロですから、裏方の方がより人間的な仕事師ですから、むちゃむちゃカッコいい立場であり、同時に最高の演出家になれるんです。それにも拘らず、自己主張したがるのは勿体無い! カッコ悪い!
  もっとも最近役者が素で出て世間に意見したりの掟破りがありますし、つけ上がった消費者、視聴者も居て乱れ切ってますから、最早誰も批判出来ませんが、良い仕事している人が馬鹿を見るような状況は変えないと若い人が勘違いしますよね。
 

  2005年4月初旬は【特別?連載】で満杯になってしまいましたので、通常ダイアリーは新規ページになります。
  2005年4月ダイアリー後半へ(現在調整中です。すみません)
  ダイアリーTopページへ