Diary-2004/August

2004年8月  
8月1日 町田スガナミ楽器ワークショップと
8月3日  スタジオで
8月5&6日 福島市児童文化センター「夏休み子供民族音楽演奏会」と
8月7日  チェンマイからのお客さん
8月9日   青葉区国際交流ラウンジから神奈川の山へ
8月10日 福島からの嬉しい贈り物と、素敵なお話
8月11日 嬉しいシンクロニシティ

8月13日  八王子の山で師匠にばったり
8月14日 竹内太郎君のCD届く
8月16日 カヤキリについて再認識
8月20日  柏タージ「シタール・リサイタル」
8月22日  北九州市「アフガン音楽・アフリカ音楽」と素敵な友人 8月24日 二人の太郎君
8月24日 ナタラジ青山アラブ音楽
8月25日と21日可愛い教室見学者
8月26日と27日ベンガル民謡とアフガン音楽

最新書き込み日

2004年8月1日 町田スガナミ楽器ワークショップと
 

 名古屋の興奮覚めやらぬ、睡眠も何時取ったのだろうと思いながら、翌8月1日(日)は、去年に続き、東京のネパールこと町田、その駅前のスガナミ楽器さんとヤマハ・ミュージック・メディアのご招待で「親子で楽しむ夏休み民族音楽パーカッション・ワークショップ」の講師に。

  去年も来てくれた親子連れも来てくれた中、今回は若林の演奏よりも参加者により多く楽器を触って貰おうと、自宅から持ち込んだドリンク缶とネコ餌缶詰でブラジル・パーカッションのガンサとタンボリンを作って結構喜ばれました。

  終了後店長さんとご一緒にお昼を頂き、お話を伺えば、新店長さんの林さんは、お父さんが元東京都の公園管理のお仕事をされていたり、ご自身は学生時代バンドをやっていて吉祥寺はおなじみだったりとか、嬉しいお話を伺いました。


  嬉しかったのは、昨年に続き呼んで頂くこととなったのは、受講者の方々のリクエストに加えて、スガナミ楽器さんのスタッフの声が有ったからとのこと。偉い人に取り入るのが下手な代わりに、現場の人とは仲良くなりたいと思って来た若林としては苦労が報われる思いです。スタッフの皆さんありがとうございました。

 そして例によって間の時間は最寄りの昆虫スポットへ。昨年も前店長に車で連れて行って貰った林へ。もともとは一昨年に発表会にゲストで演奏させて頂いた柿生でピアノ教室をやってらっしゃる方に情報を頂いたのですが、昨年は冷夏で成果は僅かだったのですが、今年はラッキーでした。
  なんと東京都下町田のカブトムシとコクワガタが見付かり、カナブンは一本のクヌギで数頭採集し、他のクヌギを見てまた戻るとまた来ていたりで、しかも今年もクロカナブンが居ました。 町田のクロカナブンは埼玉などより半月ほど早いんです。埼玉の方が先に涼しくなるようなのに、不思議です。ただまだ良くは見てませんが、さすがに先に生まれた雄ばかりじゃないかな。
  だとしたら結局もう一回何かのついでを作って、お嫁さん探しにまた町田に行かねば。

 カナブンは、クワガタ・ファンにも雑魚と思う人が少なくないですが、クワガタは朽ち木さえ有ればけっこう生き延びてくれる昆虫で、幼虫期も含めれば数年生きる昆虫ですが、カナブンは非常にデリケートなんです。
  しかもカブトムシは林が無くてもクヌギやコナラ以外の稲や麦の堆肥でも幼虫が育ったりで、意外にたくましく、言わば河川の鯉みたいなもので、鯉が戻った!と自然が蘇った勘違いをする人が多いように、カブトムシで安心せず、カナブンを見なくちゃいけないな、と思います。
  都下小金井、府中などカブトが居てもカナブンが居ないとこは少なくありません。
  逆に僕の地元の井の頭公園はカナブンは居てもカブトは居ませんが、これはカブトが動きがスローで、直ぐに飛び発てず、飛ぶのも下手な所に、夜行性でも朝迄無心に樹液をすっていたりで、カラスの格好の餌食になるからだと思われます(もしかしたら落ち葉も奇麗に集めたりで車や人間から離れたところに大量の堆肥が無いのも原因かもしれません)。
  カナブンの可愛いところでもありますが、忙しくせっかちで、直ぐに飛び発てて飛行も上手いのが長所ですが、それが唯一の強みで、生き物としては非常に弱い昆虫です。

 アフリカや東南アジアのカナブンのあのたくましさと比べたら、国産カナブンは何しろ幼虫が弱く、餌替えで数百匹全滅には何度泣いたか。
  蛹も弱く、移動の振動で全滅したりします。今年はついにその難関を乗り越えたのに、成虫になってからの飼育虫が非常に弱いのにもまた泣かされました。6月の異常な熱さでムレてしまったのも失敗でしたが。
 このように、カナブンは淡水魚に例えれば、日本産クロメダカやヤリタナゴのようなもので、その内何処でもカブトムシは居てもカナブンが居ないなんてことになったり、飼育から逃げ出した外産カナブンに駆逐されてしまうかもしれない貴重な昆虫です。
  現にアオカナブンは国も見落とす、絶滅危惧種に間違いなく、クロカナブンもこれに近い筈です。これらは「温暖化」が大きな要因とも思えます。なにしろ名古屋の渡辺さんのお話では、岐阜が最北だったクマゼミが今や静岡まで北上しているとのこと。つまり蝉のライフサイクルの7,8年以上前から、温暖化は深刻な状況なのです。


2004年8月3日 スタジオで
   8月3日はフェイス・ミュージックのお仕事で、作曲家の朝本浩文さんの曲にブラジル民族弦楽器のビリンバウを録音させていただきました。
  ビリンバウと言えば、ほんの10年前、当時お茶の水の楽器店店員だったマニアの方が独自に輸入を始め現地のカポエラに用いる本物を譲って頂いたり、お店の裏手の路上で自然に集まって始まったカポエラにも伴奏者で参加させて頂いたのが、今ではスタジオで教室をやる団体が幾つか出来てるんですね。
  それぞれあの路上セッションのお仲間かしら? ビリンバウ一筋という人もいるんでしょうが、録音のお仕事の書き譜の場合調律や、数音に渡るフレイズだったりの問題でやはりスタジオ・ミュージシャンに仕事が来るみたいです。
  僕と入れ替わりで録音にいらしたギター・マガジンなどでも有名な、民族弦楽器のコレクターでもあるスタジオ・ギタリストの田代耕一郎さんと初めてお会いし楽しくお話しました。田代さんはバンドやライブはやってないとのことで、近い将来ユニット作りたいですね、とお話して別れました。
 
2004年8月5&6日 福島市児童文化センター「夏休み子供民族音楽演奏会」と
 

 8月6日は7月21日に展示のお手伝いをした福島市児童文化センターの展示期間中唯一の生演奏ミニコンサートの本番でした。
  僕は、前日民族音楽センターで行われたTOVの録音の後、リーダー松橋さんとゲスト演奏家今井氏を残して「最終の新幹線」で福島へ。
  連夜の徹夜で心配な為コーディネイターの三河屋島井氏に同じ新幹線に調整して同乗して貰って。
  その割には座席やロビーでやたら大声のおネイチャンの携帯に眠れぬまま、JR在来線に乗り換え南福島。
  以前名古屋からの帰り、サラリーマンとその筋の微妙な中間のお兄さんの携帯の大声を注意して逆ギレされた経験を持つ気弱なオヤジは、携帯ネエチャンに文句も言えずに超寝不足状態で深夜の山へ。なんじゃご苦労様かと思えばやっぱり「採集の新幹線」じゃないか! 
  ところが、南福島駅は、無人駅で、駅前からタクシーに乗ろうと思ったのにタクシーなぞ一台も居なければ、売店もコンビニもなく、駅前で別れの挨拶をしながら散って行く地元のツッパリ少年少女しか居なかった。
  こりゃどうしよう、と悩みつつも気弱なオヤジは、新幹線で携帯に臆した妙な反省と悔いからか地元ツッパリの中でも最も凄みを発している若者に衝動的ににじり寄り、「すみませんタクシーって来ないですかね?」。
  東京なら「知るかよ!うざいな。甘ったれんじゃねえよ、ぼけ」位言いそうな若者は、なんと意外にも凄く丁寧に、今や自転車置き場と化したタクシー乗り場迄案内してくれて、看板の電話番号を指差してくれたのであった。
  僕が「じーん」と感動するよりも先に、連れの駅前で二番目に凄みを発してた相棒に「なんだ、お前良い奴じゃん(じゃんは神奈川弁か?)」と福島独特の上行音階で言われていた。
 お陰で気持ちも、心も軽やかに、7月に地元の虫先生に聞いて行って収穫があった山に。
 ところが、7月にやっと見つけた樹液の出ていた木はすっかり乾いていて、コクワガタの夫婦が切なく居たのと、街頭も無い地域でライトを付けたため、日頃は捕まえようとしてもなかなか捕まらないコロギス(コオロギそっくりだが、肉食の獰猛な昆虫。コオロギとキリギリスの中間というネーミング)の♀が2匹も僕の腕に止まったのと、これも探すと見付からないコカブトムシが僅かな収穫でした。
  7月に連れ帰ったミヤマクワガタの♂の連れ合いには出会えませんでした。死にかけだったのが、吉祥寺で元気になったのに申し訳ない。
 ホテル(なんと島井氏は禁煙ルームを予約。マジに朝迄禁煙)で仮眠して早朝に噂の弁天山へ。

インドの元祖サラスワティ女神が河の神の為、日本でも池や河の傍にある筈の弁天様が山に?と不思議がりながら(近くに弁天池があるかららしい)登ってみると、一面のコナラとクヌギの山。
 
これは!!と驚喜すれど、2年前に整備され全く美しく乾燥した山で、甲虫類が居る独特な臭いも無く、虫先案内人のヒカゲチョウが僅かながら居たので、何処かには居る筈なのだが、全くの不漁。
  サクラの木にキボシカミキリ(キマダラかも)の羽化したてが数匹居ただけでした。ホントお上のやる自然保護ってやつは!!
 結局、小さいながらも弁天山の端から端へ。途中バス停に近い下山路を柴犬の散歩のおばさんに尋ねたのですが、おばさんは別れてしばらくしてから「本数の少ない方を教えた」と僕を追いかけて登ってきてくれました。
  登山路も地元のおじさんに尋ねたのですが、とにかく福島の人は道を良く教えてくれる。すごく親切に。
  そう言えば朝ホテルを出て緑が見事な信夫山(シノブヤマと読む)を目指しつつ自転車のおじさんに聴けば、おじさんは「あっちはカブトはどうかな?弁天山の方が木の種類としては」とこれも見事で親切なご案内。バスで行こうと来たバスを止め後ろのドアから大声で尋ねれば(都心のバスなら前乗りなので、運転手さんと対面で聞けるんですが)、運転手さんはサイドブレーキを引いて路上のバス停迄降りて来て(お客が乗ってるのに)バス停に書かれた行き先を確認して教えてくれました。
  弁天山から児童文化センターまでのバスの乗り継ぎで、東京のバス停なら道の両側にずれて上り下りにあるのが反対方向にひとつしかなくて悩んだ時の通りすがりのおばあちゃん。乗り換えのポイントを車中で聞いたご夫婦。降りた路上で聞いた少女。児童文化センター行きますか?の声を運転手さんまで伝言ゲームしてくれた乗客数名。近場のバス停で降りたら方向を指差してくれた運転手さん。
  なんだか凄いですね。福島の人々は道案内日本一って感じです。インド人も道案内の親切に関しては凄まじく親切ですが、彼らの場合知らないのにその場で想像して教えてくれるので、逆方向で迷子になったりしますから、正しさを加えれば福島人が世界一か?

 会場に着けばもう福島南部の矢吹から車で駆けつけてくれた昨年の民族音楽講習会の受講生、と言っても光南高校の音楽の先生山ノ内先生が来ていて、相次いで白川旭高の小林先生と美春方面の船引高の鈴木先生、白河実業の船島先生、美春の田村高の鈴木先生、と続々懐かしいお顔が集結。
  1年振りのアフリカ太鼓ジェンベ合奏のリハーサルが始まりました。

  僕らでも久しぶりの曲はリハはリハでもリハビリだったりするのに、さすが先生達は若林製の文字譜とは言え、楽譜を見れば直ぐに復活。東京でもジェンベは流行ってますが、先生達は丸2年頑張っただけあって合唱が見事。各パートの太鼓、打楽器を演りながらの歌はなかなかの水準じゃないでしょうか。

 しばらくして奥さんの実家函館に家族で夏休みに行ってる筈の棚倉高の酒井先生迄都合付けて駆けつけてくれました。講習会の時の総勢は福島全県からですから数十人のところ、この日は福島文化センター(そちらは千人規模の大ホール)での吹奏楽の大会と重なったのでほとんどそちらに。でも若林を入れて7名のアンサンブル、と願っても無い充実で10:00と2:00の二回のライブを楽しく、かつビシッと演りました。
 福島の子供達は、成長してツッパリに成ったとしても心優しいくらいですから、女の子はちょっとおすまししてましたが、みんな明るく、ノリが良かったです。驚いたのは、インドのシタール(「竹」「椰子」「瓢箪」素材の民族楽器展とアフリカ太鼓合奏が演奏会のテーマだったので「意外な瓢箪楽器」として登場)の不思議さと魅力は、むしろ大人にウケて、子供はキョトンとしているものなのですが、福島の子達は、弦を引っ張って音を変えるグイグイとした装飾音に迄深く反応し、まるでインド人の聴衆のようで、思わず長めになってしまった程。県南の先生達と、ノリノリの子供達で僕もノリノリで楽しくやれました。
  「竹楽器」の代表格インドネシアの「アンクロン」の体験演奏では、子供達は「あんこロン」とか言いながら「カエルの唄」を実に見事に演奏。「シ」の子が大きな声で「あたしの出番無かった!!」。東京じゃ泣きそうになっちゃったりするんですが。なんと元気なこと! 調子に乗った僕が「ごめんごめん『シ』はまだオタマジャクシだったんだ」と言ったらさすがにムッとしてましたが。

 児童文化センターのスタッフ松本さんも、佐久間先生も、お偉方のチーフも笑顔で参加してくれて、本当に素敵な時間でした。なんとジェンベ・メンバーの小林先生とセンターの佐久間先生が小学生と恩師の数十年振りの再会だったり、皆さんにもきっと想い出深い、この夏一番の猛暑の福島市の午後でした。
  先生でありながら僕の嬉しいお弟子さんの先生方、センターの皆さん、三河屋さん、道を教えてくれた沢山の方々。ありがとうございました。児童文化センターが新しい場所に移ってもまた呼んで下さい。


 2004年8月7日 チェンマイからのお客さん
 

 立て続けの地方出張演奏で連れ帰ったった昆虫達の仮住まいをやっと作ったところで、慌ただしく教室に出かけ、気分もすっかり民族音楽に切り替えていた所、雲南瓢箪笛の伊藤悟君が突然タイ人の音楽家5人を連れて教室に遊びに来てくれました。
  突然と言うのは、実は先週にお約束をしていたのですが、元々のんびりしたタイ人気質の彼らが日本の招聘側に振り回されるスケジュールの中で、友人との約束を守れる状況になかったのだと言います。
  昆虫の世話や、この猛暑で水槽の魚も危険な夏場は僕も同様で、今日突然来てくれても、十分な時間やおもてなしが出来ずに申し訳なかったのですが、それでも小一時間、何か楽器を弾いてくれれば、教室の楽器を指差し、僕にリクエストしてくれるという楽しい時間を過ごしました。
  チェンマイ在住のインド人からタブラを習っているというメンバーの一人と僕のシタールのセッション、タイ古典音楽のリズム・パターン実演、インド弓奏楽器とタイ弓奏楽器の弾き比べ、などなど。
  非常に貴重だったのが、弦楽器の元祖と言われるピンナムタオのタイ北部奏法を見せて貰ったこと。あいにく僕はカンボジアのサデヴしか持ってなく、彼らは来日最終日のお土産買いの日で楽器を持ってなかったので、サデヴで学ぶ事になりましたが、サデヴを仕入れて来てくれた知人が学んでくれた奏法と基本的に同じながら、近年多弦に発達して現代に生きる楽器となっている奏法を若いタイ人が弾く姿は新鮮でした。

 実はピンナムタオは一度滅んだ楽器です。タイ古典音楽では最も古いジャンルに用いられていた弦楽器であり「狩猟の弓から弦楽器が生まれた」という「楽弓伝説」の楽器のひとつで、奇しくも先週録音のお仕事で用いたブラジルのビリンバウと同様の楽器(日頃滅多に話題にならないこれら楽弓が一時に!!僕の人生にはこんな不思議なつながりが多い)。
  古典音楽およびタイ中部のバンコクなどでは滅んだ楽器なのに、タイ北部のチェンマイなんどの若者の間では妙な流行があるらしく、ドローン伴奏弦を持つニ弦は比較的古くからあったらしいが、今や三弦、四弦からついには七弦迄あると言います。彼らがピンピアと呼ぶ多弦のピンアムタオの生き残りは、今回来日に際して僕の為に一本作って持って来てくれるという話しでしたが、結局間に合わなかったようです。

 近い将来、日本人の旅行者の誰かが、彼らにそれを僕に渡す様に頼まれるかもしれないので、その際は宜しくお願いします。悟君、コオさん達、思いがけない素敵な時間をありがとうございました。
          8月17日悟君より写真届きました。悟君ありがとうございました。


2004年8月9日 青葉区国際交流ラウンジから神奈川の山へ

 

 8月9日は、10月に行われる横浜市青葉区のボランティア団体による国際理解コンサートの打ち合わせに呼ばれ、青葉区旧区庁舎の中にある国際交流ラウンジで10数名のスタッフの方々に迎えられて小一時間忌憚の無い意見交換を行いました。

 昨年の練馬区生協の皆さん、埼玉県志木市のリサイクルショップの皆さんもそうですが、主婦を中心としたボランティア・スタッフの方々が国際交流及び国際理解という観点で民族音楽を生演奏で聴き、学ぶという機会を自主的に作って下さる動きには本当に励まされます。

  皆さん異口同音にコンサート企画の素人だから、とおっしゃりますが、今の世の中プロの仕事も予算に応じて手抜きだったりしますし、元来若林忠宏の場合はどん底の扱いから演奏活動を始めていますからどんな状況でも全然問題ないのですが、今迄は事前に現場の下見をすることはありませんでした。
  聴衆の居ない会場を見たところでお客さんの入りによって音も雰囲気も大きく変わりますし、音響設備があっても操作する人のセンスで大きく変わりますから、鍛えられ身に付けた臨機応変の技こそを自分の財産と考えると、本番迄状況が分からない方がモチベイションが高まることも事実です。

  しかし、今回担当の方がたいへん丁重にご依頼下さったり、青山のカレー屋さんで行われた若林のアラブ音楽ライブに来てくださったり、毎晩の様にメールで状況をご報告下さったため、下見・打ち合わせに伺わざるを得ない感じとなり、7月16日の八景島ギリシア音楽ライブの際に幼虫で連れ帰った憧れのカヤキリの雌が無事羽化したので、お婿さん探しも兼ねて山登りの姿でお伺いした次第でした。

 もしかしたら担当の方が「若林先生」と持ち上げた事前のイメージに反した僕の出で立ちに「なんだこいつは?」と思われた方も居たかもしれません。
  ひとりふたりそんな感じの厳しい目線の方が居ました。
  でも、アラブ世界の面白さと矛盾に満ちた複雑な多様性などについて語り合い、どのような形の打ち出し方が良いのか?と議論する内に、皆さんの真剣度も若林のそれなりの経験度も互いに理解出来、10月が待ち遠しいという嬉しい雰囲気で打ち合わせが終わりました。

 帰り際に「何のお姿ですか?」の質問から、カヤキリのお婿探しの話しをして。目的地の山への賢い行き方などを伺って、皆さんにご挨拶して立ち去ろうという時、最後迄鋭い目線のままだった女性の姿が見えません。
  若干気まずかったかな?なんて思いながら旧庁舎を出ようとすると、その方がパソコンの前にいらして「今〜山迄の最短距離情報を検索してプリントしてるところヨ」とおっしゃるのに驚きました。
  僕が立ち上がるや否やパソコンの部屋迄行って調べ出してくれていたのでした。しかも皆さんお子さんが社会人、もしかしたら小さなお孫さんも?という世代の方なのに、若林がひいこらやっているパソコンを実にスマートに使いこなしているんですから、二度三度びっくりです。

 そんな思いがけない励ましに押し出して頂き、炎天下の神奈川を電車を乗り継ぎお婿さんの山へ。検索のお陰で、どの車中で仮眠出来るかが分かり、乗り換えの際には路線図など見ずに迷わず小銭を投入。一刻も早く現場へ、という思いに誠に大きな助けとなりました。
  打ち合わせの皆さんを3分待たせておきながら、着くや否や子供みたいにお腹が痛くなってトイレに行っておきながら、昆虫の方に多大な助けを頂き、カヤキリの時間には間に合わせて頂きました。その頃にはお腹もすっきり治っているから困ったものです。

【カヤキリの声響き渡る日暮れ】
  カヤキリの時間が人間同様シビアなのは、カヤキリが昆虫の中で最も時間と定例行事に厳しい昆虫だからです。カヤキリが居る居ないはカヤに残された食み跡で分かりますが、確実なのは夜行性なのにほんの一時夕方の4:00前後に試し鳴きし出すタイミングに遭遇する事です。恐らく夜の見合いに際してのナワバリの確認と、寝起きの儀式的な定例行事なのでしょう。
  演奏会の「イチベル」見たいな感じです。直ぐに鳴き止んで、次は日没迄潜んでいます。その20分位の間に捜索場所の的を絞り、出来れば雌を確保しないと、暗くなってからではけたたましく鳴く雄は探せても、それに惹き付けられて寄って来る雌をライトで探すのは非常に大変なのです。
  この日も実際、陽のある内に二匹目の雌は見つけられず、日没後の本番でも寄ってくる雌を待つ時間の余裕は無く、2匹のお婿さん候補を持ち帰るのみとなりました。
  ここで大きな疑問があるのですが、鳴く直翅目は雌のフェロモンを察知して鳴くのか、何処に居るか分からずアテも無く鳴き、運良く雌が寄って来るのを待つのか? 恐らく後者なのでしょうが、それじゃあまりに不合理で、それじゃ数も減るだろうって感じです。
 ライトの捜索中、中でも力一杯鳴く大型の立派な雄の直ぐ下に鳴かずに居るカヤキリが居ました。「やった!!」と思って捕まえてみるとなんとそれも雄。「雄が雄に惹き付けられてどうすんだ!」
 実はこれは甲虫類ではよくあることで、小柄でまともに立派な雄と雌を取り合っても叶わないと思う雄は、立派な雄に気づかれない様に潜み、彼らのお見合いが済んだ直後にささっと雌ににじり寄りDNAに刻まれた過酷な義務を果たすのです。
  なんだか、哀れな感じもすれば、健気な感じもしますが、人間界でこれをやったらモロにストーカー野郎です。しかし直翅目でもこれがあるとは驚きでした。
  やっぱりカヤキリはスケールがでかい。直翅目のオオクワガタって感じです。
  結局なんだか感情移入してしまってそのセコい雄を連れて帰りました。
 
しかしながら夕べと今晩の様子では、両者とも未だ恐れ合ってる感じでした。でも恐らくカヤキリの場合は、下に潜んでいたセコい方が、寄って来た雌を先にかすめ取っちゃうんだと思います。交尾後の雌は激しく雄を拒絶しますから。早いもん勝ちですネ。

 そんなこんなで、お陰さまでカヤキリTIMEに間に合って、青葉区の皆さん、乗り換え案内を下さったスタッフの方、本当にありがとうございました。これは10月の演奏会でお返ししなければなりません。


8月10日 福島からの嬉しい贈り物と、素敵なお話

 

【奥会津の名酒 花泉】
 8月6日に伺った福島児童文化センターの素敵な想い出は、週明けても色々な先生から頂くお礼状メールで嬉しい余韻が残っている毎日ですが、郡山の養護学校のM先生から奥会津の銘酒「花泉」が送られてきました。
  これは演奏会の前に、M先生のご同僚が民族音楽センターに長年協力して下さっている方のご兄弟ということで、その方から僕の本を贈りたいというお話で本をお送りしたお礼との事ですから、僕が頂いちゃって良いのかな? という感じもします。

  実は、ホンの7月31日まで日本酒は駄目だったんですが、誠に奇遇です。
若気の至りで、バイト先のカウンターで非番の夕べに一升を30分で飲んで記憶が無い(バスを止めたとか、電信柱で蝉をやったとか.....友人は言いましたが)大失態。
  それ以来、戒めも含め日本酒は一切頂いていなかったのですが、つい先日名古屋上飯田の懐石料理屋「志ら玉」さんでアフガン音楽を演奏した際、懐石料理の食前酒に冷たく冷やした日本酒が出たのです。
  昆虫採集を終えて駆けつけたタイミングもあって冷たい日本酒が実に自然に体にしみ込んだものですから、日本酒も良いかも。なんて思っていたタイミングでした。

 奥会津の名酒・花泉も、きっと美味しく頂けると思います。

【素敵なお話も一緒に】
 実はM先生には他にも素敵なお話を伺い、こちらがお礼しなくてはならない程なので、お心遣い誠に恐縮です。
  県南の先生達に無理言って駆けつけて頂き楽しいセッションをした午前と午後のステージの合間、本当はメンバーでも良かったところ、連れて来られた小学生の息子さんがいらしたので、客席で聴いていただいたM先生親子も連れ立って皆さんで楽しく食事とコーヒーの休憩時間を過ごしました。
  話題はやっぱり民族音楽から昆虫を行ったり来たりでしたが、その時M先生が話してくれたその息子さんの素敵な話しにはとても励まされました。

 恐らく福島の方は、女性の方が強いんでしょう。民族音楽センターのスタッフの福島人も男子の方が気優しく引っ込み思案です。昆虫採集に向かうタクシーの中でも幕末の戦没孤児を救済した素晴らしい女性の話しをとくとくと聞かされましたが、昼休みの民族音楽・虫話しの中でも、うら若き女性先生が「私たちの田舎じゃザリガニはちぎったザリガニを餌で釣ったワヨ」と言ってむしろ市内出身の男の先生達がギョッとしてました 。

 M先生の息子さんタカシ君の話しは、幼稚園の時おじいちゃんと捕まえて来たザリガニが共食いをしたのを見た時の事。 気優しい福島男児のタカシ君が「この悪いザリガニ追い出して!!」と大層悲しんだという話しです。
  数年後、小学校の生き物観察にまたおじいいちゃんと数匹捕まえたらやはり学校へ持って行く前の晩に共食いが始まり、お母さんはタカシ君がまた落ち込むんじゃないかと心配すればなんと「お前は食べられた奴の分も長生きしなくちゃいけないんだゾ」と意外な言葉を。息子の成長を知ったM先生は大層感動したと言うのです。

  若林も当時野良猫だったチャメが我が家のウズラを食べてしまった事や、ウマオイの雌が交尾後雄を食べたりする姿に、いくら直面しても馴れはしないのでタカシ君と同じ様に思おうとしていた矢先だったので、四十歳を過ぎてから思いがけず小学生に励まされた次第です。
 タカシ君は僕が見るには感が良く、聡明で素直な良い子ですが、お母さんから見るとかなりユニークな子の様です。
  思い起こせばあの頃僕もそんな風に言われていたなア。タカシ君は全うな道に進んで下さいネ。

【キレ易い都会の若者と比べてしまう】
 地方に行く度に痛感するんですが、日本はまだまだ地方がまともで少し安心します。
  特に福島はツッパリでも心優しいんですから(8月5 日ご参照)、まだまだ望みはあります。 が、東京に帰ると尚の事そのギャップに打ちのめされます。

  東京じゃ小じゃれた女の子が直ぐにキレるのが凄く目立って来てます。電車の乗り降りでこっちが降りない内に乗って来ておきながら、ぶつかれば舌打ちされたり「ったく、この」位言われるのは日常です。

  東京じゃ「優しい事が強い事」じゃなくなってきてますから、男子がナメられ、女子がツケ上がる。女性に格闘技観戦が流行していると聞きますが、連れ立って行く彼氏は情けない方のカヤキリ(8月10日ご参照)か? 心が荒み、勢いだけが勇ましいと思われるこの状況は、行き詰まった集団ヒステリック状況のある種の現れではないでしょうか? 恐らくこんな状況を打開する時に人間のDNAは戦争を起こすんでしょうね。


写真:7月21日に栗の木でぐったりしていたミヤマ君、東京で元気になって、撮影の8月18日の時点でこんなに胸を張って威嚇のポーズまで。


8月11日 嬉しいシンクロニシティ

 

【ジンクス人間】
 若林はジンクス人間!ということは色んな本でも書いてます。
 そのジンクスは事の善し悪しの次元を越えています。この数年特に目立って来たのが、同じ場所に立て続けに行くはめになる事。現場で宿を取っていたら良かった!と思う事がしばしばです。
 興味が無かった音楽が執拗に僕の目の前をウインクしながら行き来し、あまりのひつこさで思わず手を出して、結局好きになってしまうというジンクスはとても多く。その結果が「世界900種の民族楽器を弾き」の原点かもしれません。

 先日も世界に四つしか残ってないだろうと言われる弦楽器のルーツのひとつ「楽弓」のブラジル版を録音させて頂いたと思えば、翌週にそのタイ版を演奏するタイ人の訪問があったりです。そして今日、イギリスと名古屋(この名古屋つながりも集中してます)の奇しくも同じ音楽の方から嬉しいメールを相次いで頂きました。

 ひとつは名古屋在住のパイプオルガンと西洋古楽をやられているという高山さんというお方で、ご自身が主宰するHPから僕のこのHPへのリンクのお申し出でした。
  未だ僕の方は拝見していないんですが、西洋古楽器の演奏家さんか、そういえば最近その方面の方とはご無沙汰だなア、なんて思っていたらその直後、イギリス在住の日本を代表するリュート奏者のひとり竹内太郎氏からメールです。

  たまたま横浜の講習会に来日してるとのことですが、昔アラブ弦楽器ウードをお教えしたり、一緒に古楽楽団を作ったりした懐かしい仲間です。
  僕にとっては「これから!」と言う時にイギリスに行かれちゃったのでしたが、風の噂で活躍していると聞いて「収まるべき所に収まったのかな。なら良かったネ」的に考えて、最早接点は無いのかも、と思っていました。
  そんな彼が意外にも僕の「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)を読んでくれて、次の様に書いてくれました。

「つい先日、御著書「世界の師匠は・・・」を拝読しました。物凄く面白く興味深く読ませていただきました。おっしゃることすべて共感、納得と言えます・・・私もこのところ講習会などで教える機会も多いのですが、果たしてそれが本当に音楽のためになっているのかどうか、自問することも多いです・・・古い音楽を演奏する人も、全体的に「楽しければ良い!」という風潮になってきているように思えます ......」

  なんだか、このところ結構へこむ話しも少なくなかったので、凄く励まされました。
  加えて昔のお仲間が時を経てこんな風に言ってくれるのには凄く癒されます。

  思うところあって日本を飛び出した彼、思うとこあって逆に日本に留まった僕、双方が同じ感想を持つのは奇遇じゃなくて、やっぱりこのままじゃ日本の音楽文化も悲しいし、もったいないよネ!という思いが繋がった感じです。

  太郎君にはイギリスでなんか目立つ事やって華々しく凱旋してもらいたいな。
  今の日本それやりゃ一発ですから.................。
  あの頃居続けてくれたら民族音楽センターのアラブ部門も辛酸を舐めずにすんだのにと思えば、尚の事、本当に分かってる人が売れて欲しいです。

 なんて言いながら気づいたのは、アテも無いのに高らかに鳴き続け、その隙にセコいカヤキリ(8月10日をご参照)に雌を奪われるアホなカヤキリが僕なんじゃなかろうか? その証拠にもう一匹持ち帰った雄はそのアホな方だったのです。無意識に感情移入してたんだろうな。

  僕の演奏中に僕の彼女を口説いていた元弟子、レッスン中僕の手を見ずに隣で太鼓叩く女の子の胸元を見ていた元弟子が今や日本を代表する〜奏者ってんですから、全くのカヤキリ話し。僕は僕で自分の名講義や名演奏に惚れ惚れしてモテるのはこっちだろ!って思えばたいがい逆なんだなこれが。僕から見たら月夜に揺れるカヤの葉の先端で風に吹かれて大揺れしてもグッと踏ん張り「ビーーーーッ」と鳴き続けるカヤキリの勇士は惚れ惚れするんですが。後に女の子に聞いてみれば、彼らの方が身近な存在なんですって。カヤの葉の先っぽで歌ってりゃ良い事が有る訳じゃないんだヨ。

 そのアホカヤキリの僕は、この奇遇な出来事に発奮して「そうだこれは古楽をやれ!ってことに違いない」と思ってしまうのでした。
  今迄は。(かつて発掘楽譜の解釈に民族音楽的経験からの自論のアレンジを打ち出し古楽に積極的に打ち込んでいたことがあったので、今直ぐにでも楽団始められるって感じです。)でもそうやって思い込みでやる事を増やして来て評価を下げたんだから、ここはもう一人シンクロするまでグッと我慢しようっと。(なんて言っちゃうと明後日あたりもう一通来ちゃうんだ、これが)

  太郎君、高山さん嬉しいメールありがとうございました。近い将来セッションしましょう。って言うかもう少し早かったら名古屋のアフガン音楽にご招待出来たし、横浜のワークショップもパーカッション伴奏やウードとの比較演奏などでお手伝い出来たのに。昆虫採集で横浜の山にいたんだし。
 明日は民族音楽センター新進気鋭メンバーの才女松橋さんと、アラブ楽団頼みの綱の及川さんも出演するダンスカンパニー公演の最終日。昆虫達、猫達無事に行かせてネ。おやすみ。


8月13日 八王子の山で師匠にばったり

 

 中世古楽の嬉しいシンクロの翌日、結局TOVのライブには行けなかった........。
  猫も虫も良い子にしててくれたのに、岐阜のB出版、シンコーM、東京のO出版の原稿、国際交流イベントのチラシの締め切りがどっと10日だったのだ!。前の晩からやっていたが午後迄掛かってしまった......。 

  松橋さんごめんなさい。その上、翌日のダラブカ教室は松橋さん除いてみんななんだかんだでお休み。ひとりやる気の松橋さんをフッて八王子の山へ。

  生まれたヤブキリの唯一の雄がペアリング前に逝ってしまったので、お婿さん探しに焦って出かけました。
 我が家の八王子ファミリーのヤブキリは途中断然も有りながら、一番最初は僕の採集想い出の中でも忘れがたいものがあります。
  生まれて初めて雄を捕まえたのは、3mの石垣にしがみついて。
 石垣の上の灌木の上で高らかに無く雄を目撃し、後先考えずに垂直の石垣を登ってしまいました。
  捕虫網を降ると上手い事入るじゃないか!やった!我ながら凄い!。
  ところが、僕は愚かにもそのまま固まってしまったのです。片手は我が身を支えるので精一杯。片手は網を持っている。単なる壁なら、壁と網の隙間を空けない様にズリズリと片手で降りれば良い。が、石垣なので隙間だらけになってしまう。これじゃ意味ないじゃん! 何やってんの? 近くのビヤホールからは良い気分のお客がまばらに帰って行く。気づかないのか無視なのか、こちらもみっともなくて声を掛けられない。

 どうしよう......。と思っていた所に、先ほどすれ違って挨拶をした、採集・標本家が通りかかったので網の柄を持ってて貰い、崖を降りてから逃がさぬ様に網さばきで捕獲出来たのでした。 実は、僕は人に言えない恥ずかしい失敗や、大怪我一歩手前の失敗をしながらの採集は毎度の事なのです。
  それは苦労話しでも、手柄話しでもなく、ヴィジターの原則のようなものです。
  先日の名古屋の様に地元の人に案内して貰えれば、安全な近道を行けるが、勘を便りに「あの木だ!」と崖を登った後で、逆方向に登山路が有ったりする..........。

 13日の八王子の山を歩きながら、一昨年そこで知り合った小平の昆虫写真家さん甲斐さんの事を思い出しました。
  甲斐さんは典型的なウォッチャーですが、僕の採集、飼育を批判しないでくれて、色々生態を教えてくれたり、「何処に居たよ」と教えてくれる嬉しい昆虫の師匠の一人です 。
  昨年は師のご自宅の近くの津田塾大学で演奏があったので、小平の穴場を案内して貰いながら、そのまま演奏会にご招待しました。

  山ですれ違う人の全てとお友達になれる訳ではないですが、甲斐さんはとても気さくな上、暖かい人柄で、その後も、山梨や多摩の穴場を教えて貰いました。
  ウォッチャーの彼としても、僕は数少ない採集家の友人なのだろうと勝手に思ってます。なんだか主旨が認められた様で嬉しいと。
「そう言えば今年はお誘いもしてないし、昆虫出現情報も頂いてないなア」と思いながら歩いていたその時、暗闇の人影が「あっ!若林さん」の声。甲斐さんでした。

 甲斐さんはしきりに奇遇を口にされましたが、僕は思い出していた最中だったからだけではなく、このところシンクロ・モードに入っていることを認識してたので「やっぱり」としか思わなかったのです。
  甲斐さんには伝わらなかったでしょうが。 

  昆虫相手にそれぞれの動きがあるので、再会を喜びつつも道を互いに行ったり来たりで二三回すれ違う不思議な感じの二人でしたが、時々下から声がかかり「桑カミキリ居ましたよ」とかの声で飛んで行くのです。帰り際にもまたすれ違って、僕が捕まえたヒゲナガカミキリを見て貰ったら、そこそこ珍しいとのことで、雌だったので持ち帰ることにしました。

  珍しいなら、あの木に居たのでもう一回這わせて写撮りませんか?と聞いたら(僕には同じ事の様に思えましたが)答えはノー・サンキュー。
  純粋なウォッチャーとしては最早それは自然の生態ではなくヤラセなのでした。

  流石だな。と感動して別れましたが、やっぱり普通の感覚で考えたら、短い夏とは言え、お互いいろんなとこに、僅かな時間の隙間に行くのにばったり会うってやっぱり不思議なんだろうな、と別れた後になってやっと思えて来ました。
  なんか偶然の再会を喜ばなかったみたいで甲斐さん、すみません。


8月14日 竹内太郎君のCD届く

   つい先日10年以上振りでメールのやり取りをしたイギリス在住の古楽弦楽器演奏家の竹内太郎君より早速CDが送られて来ました。メールの翌日には投函してくれたタイミングです。

  日頃聴き込んでしまい他の作業と平行出来ないのでついつい聴き無精の若林ですが、太郎君の気持ちに答えて直ぐに聴かせていただきました。

  リュート奏者として知られる彼のそのCDはバロック・ギターのCDで、タイトルにもなっている一曲目のフォリアは古楽のポリフォニー音楽のイメージに反してかき鳴らしも軽快な凄く楽しい音楽でした。
  フォリアスは僕もイベリア半島民謡楽団をやっていた頃に数曲勉強しましたが、太郎君の演奏は、民謡と同じ軽快さの合間にリュートとも通じるポリフォニーのつま弾きが入る贅沢な音楽。中程では彼の流暢なスペイン語?で曲目が語られる様々な舞曲のサンプル演奏、その他ガンバも加わった有名曲の即興演奏が盛りだくさんのクオリティーも楽しみも最高レベルのCDでした。

 今迄聴いた古楽は、「昔の人だからって、そんなに重々しく演奏してたってはずないんじゃない?」という辛気臭いものと、全くの逆の「エリートが漫才やろうとしているような」ウケを狙った音楽のどっちかしかなかったですが、太郎君の音楽は 僕の想い描いている古楽に今迄で一番、群を抜いて近かった。

  太郎君程の現地で十分評価されている演奏家に、僕が言うのも失礼だが、かつて「エリートが真摯に取り組んでいる」という感じだったのが「エリートが自分で素直に楽しんでる」って感じに変貌しているところが凄い進歩だと思いました。

  でも、若林にとっての古楽は、当時の音楽家の立場やリュート属弦楽器の階級的な歴史から考えても、「不良やアウトローが音楽に拾われて多少品格を身に付けた」という感じなので、ディアパソン(指板上)以外の修行をしてくれたらもっと凄いのにと思います。

でも、彼の演奏は一流だしCDも凄いクオリティー。
 そのCDの入手方法も含めて、太郎君のHPとリンクすることになったので、このHPのFamily&Friendsをご覧下さい。

8月16日 カヤキリについて再認識
 

 8月16日、都心での用事にかこつけて、またもや横浜の山へ行っちゃいました。先日カヤキリ採集の際に、クダマキモドキを逃がした悔やみと、カヤキリ雄二匹の一方と7月の雌の愛称が良さそうなので、もう一方のお嫁さんを、などという大義名分。現場の産卵状況も確認したかったし、産卵用のカヤももう少し欲しかった。

 先日(8月9日)の日記では、4:00頃のカヤキリの嘶きのリハーサルは「ナワバリ確認と寝起き(夜行性だから夕方起きる)の儀式か?」と書きましたが、今回観察(珍しくウォッチャーだった)の結果、色々な事が分かりました。

  まず僕の想像はひとつは見事に当りで、ナワバリ確認に関しては、あからさまな雄同士の喧嘩、負けた方が場所を移動する現場を目撃して確認出来ました。が、もう一方の儀式か?に関しては、もしかしたらそんな悠長なものではなく、リハーサルに見えたこの時に既にペアリングが意図されているかもしれないと言う意外な事実によって覆される気配です。
右の写真:どっかひょうきんなカヤキリ君。あっちはあっちでこっちを見て何か考えてる。「あんた毎日僕らに餌くれてるけど、日頃何やってる人?」

 先日は日中も夜間も雌を発見出来なかったのに、今日はリハ 時間にリハ鳴きの全ての雄の近辺で雌を発見しました。
  何故先日発見出来ないのに今日出来たかは謎です。
  もしかしたらたったの1週間でペアリングの時期が熟し、雌も本気になって来たのかもしれないし、昨日15日に急に温度が15度近くも下がったので、我々人間同様「やばい!夏は終わりか?」とカヤキリも焦ったのかもしれませんが。
  実際のところ夏の昆虫や秋に多い直翅目と比べて、カヤキリは7月に出現して8月に産卵を終えるので温度の低下が産卵の鍵ではないだろうが、昆虫の世界(特に産卵が存在理由の成虫の場合)では、1週間の時間差は驚く程大きな変化をもたらすものではあります。しかし、リハの時間帯で相手が決まるなら、夜行性と言われる意味は?日没後の雄叫びの意味は? とさらに困惑してしまいます。

【鳴く虫の成熟度と鳴き声の上達度】
  鳴く直翅目の多くは、雌が先に羽化しておきながら成熟に3〜4週間程費やし、1週間程遅れて羽化する雄は1週間位で鳴き出すが、上手く鳴ける様になるのにさらに1週間程かかります。
  その頃に雌も成熟しているというタイミングなので、1週間ほどは練習のつもりで鳴いているのかもしれないです。雄のそうした成長は我が家で羽化から見守っていると凄く良く分かります。
 基本的には5拍子で鳴くミツカドコオロギは、羽化後の鳴き始めは3拍子で、次第に5拍子が板についてくる感じ 。
  最盛期を越えて残された命の限りを振り絞る様な頃は7拍子にもなるし、今年の我が家の様に回りでオカメコオロギなどが連続鳴きをすると張り合って9拍子にもなったりします。キリギリス場合は、ライバルが声が良いと早く上手になります。

  これに関連して今凄くショックな事があります。短くボソボソっとつぶやくように鳴くのが特徴だった浜松のタイワンクツワムシの我が家で生まれた2世が、関東の鳴きっぱなしのヤマトクツワムシと一緒に育ったら鳴きっぱなしになってしまった事。
  混血は断じてありえない。にもかかわらず、あの「グゲゲゲゲ........」の短い鳴きはなくなってしまったのです。
  それに対して同じ浜松で採集したハタケノウマオイの2世は、正しく亜種の特徴を鳴き方で示してくれます。関東のハヤシノウマオイの「スーイーッチョン、スーイーッチョン」も武蔵野と千葉では微妙にテンポが違ったりしますが、ハタケノウマオイの早さは別格で「スィッチョスィッチョスィッチョスィッチョ」と「オイオイ大丈夫か?」と言う程速くて連続で、アシグロツユムシ(ちょっとゆっくり目に「ィッチョ....ィッチョ....ィッ、チョッチョッ」と鳴く)と間違えそうな程です。
  東京に連れて来られたタイワンクツワが東京者に負けじと鳴き続けるようになってしまったとしたら、ハタケノウマオイの場合元来鳴き続けだから、張り合って変わるとしたら東京者の方なのかもしれない。そう思うと武蔵野の鳴き方、少し間が短くなったようですが........?。

  いずれにしても鳴き方が成熟で変わる他に、回りのライバルや異種によって多いに刺激されて上達したり鳴き方の根本が変わったりというのはDNA的ではなく、凄く人間的というか個人的というか当人の思いが感じられて驚きです。
  その意味では、我が家の飼育環境は、山の者原の者、乾燥地湿地、夏の者秋の者、昼の者夜の者夜明けの者が同時に凄まじく鳴いていて、僕にとって至福の境地ですが、彼らにとっては非常に苦痛の「なんじゃここは!!」という感じなのかもしれません。
  今年の産卵数や来年の孵化率が落ちるようなら、そこを改善しなくてはならないでしょう。
 都合良く解釈すれば、彼らは一人一人の判断で鳴き方を変えられます。
  すなわちかなりに聞く耳を持っていて、変える意思と技をもっているのかもしれないのです。それは非常に音楽的とも言えます。
  ならば何時の日か、僕の音楽に反応して歌ってくれるようにもなるかもしれないのだ!。今の所は僕の掃除機の音に反応して鳴き出すので、音楽的な趣味はまだ一致してませんが。
 さて、カヤキリ観察の方は、雄の喧嘩(興奮すると、まるで飛んでいる様に羽根を羽ばたくこともあって、カヤキリは本当に面白い)と日中の雌のにじり寄りが観察出来たが、幾つか無作為に確認してみたが、産卵は未だのようでした(静岡の虫の師匠杉本先生にそりゃ珍しい、と言われたが、現場で産卵された卵を見つけるのはちょっと得意なのです)。クダマキモドキも大きく立派な雌を持ち帰ることが出来ました。


左上の写真:カヤキリの卵。カヤキリはカヤの原っぱに5ペア位しか居ない感じ。減ってるのか?とも思いましたが、大型の直翅目がカヤの茎をかじるので、原っぱの面積を考えてお互いに絶えない様に数を自分らで調節してるのかもしれない。だとしたら、直翅目で一番偉い!と思っていたトノサマバッタ以上か? 右の写真:クダマキモドキの産卵。産卵管が妙な方向に向いてるな、と思ったら写真の様に腹を「の」の字に曲げて、苦しそうな体勢で灌木の枝に産卵します。苦しそうなこの体勢の方が力めるのかしら?


8月20日 柏タージ「シタール・リサイタル」
 

 8月20日は、千葉県柏の駅ビル高島屋レストラン街にあるインド料理店タージでの1年振りのシタールのミニ・リサイタルでした。
  昨年は、インド料理を味わいながらだったのが、今回は前半演奏に集中し、食事の後また軽く演奏という形でした。
  なんでも前回の演奏会の後、マニアックなお客さんが「食事しながらじゃ、音楽が聴けない」とか「まともに一曲古典音楽のラーガをやってみろ」と言ったのを社長がえらく気にしたらしく、演奏をたっぷり聴いてからの食事となったらしいです。

  若林としては、そのお客さんの声はきっとごく一部だろうと思いながらも全然どっちでも良いし、それならそれで、と16世紀のドルパド式のアーラープ、ジョール、ジャーラー、18世紀中盤のマディヤ・ガット、18世紀後半のドゥルット・ガット、19世紀のジャーラー、1950年代のジャワーブ・サワール(タブラとの掛け合い)とシタール演奏のほとんどを一曲にまとめてたっぷり聴いて頂きました。
  しかもミシュラ(ミックス)じゃないピルー(ラーガの一種)のラクナウ式演奏(掛け合いは違うけど)というかなりマニアックな演奏。でも、いきさつをお話してから始めた事もあってか、お客さんは皆さん水を打った様に清聴して下さり、そこに持って来てタブラの青山さんがすこぶる調子が良く(おそらく彼女の今迄のベスト演奏)ソロの全てがタイミングの良いアレンジで見事に決まり、フル構成の展開も勿論打ち合わせも演奏中の合図も無いにもかかわらず見事に決まり、掛け合いからエンディングに掛けてのドライブ感も見事にマッチしていて、演奏中にもかかわらずお客さんから自然に拍手が上がった程でした。

 若林としては、その時々の演奏はその時々のものなので、良かった悪かったという感覚はないんで、かつて自分の店で演っていたオールナイト・インド音楽コンサートの時のような一曲1時間以上、という自分の世界に完全に入ってしまう様なスタイルではない限り演奏は、その場のタブラや聴衆との共作ですから自分的に満足うんぬんは思い浮かばないのです。
  でも、今回嬉しかったのは、始まる前やたらソワソワしていた太鼓タブラの青山さんが、凄く良い演奏をして、本人も達成感を感じた表情で終われたこと、お客さんの半数が前回のリピーターさんであった嬉しさに加え、その多くが前回よりも良かったと言って帰っていったと、社長と店長が満足げであったことです。それはなによりです。

 この演奏と音楽に関しての僕の感覚とお弟子も含めて世間の感覚のギャップはしばしば問題に発展します。前述の様にオールナイトにて事前に聴衆も了解の上で行われるプライベートな(公衆の面前でプライベートと言うのも奇妙ですが、ある種のインド音楽にはあるんです)ラーガ演奏の場合、僕の頭と心は全てラーガの具現と追求に注がれ、エンディングの数分でやっとタブラ奏者やお客さんと共有して終わる感じですから、その場合、お客さんに対してのプロ演奏家としての責任よりも、お客さんには悪いんですが、ラーガに対しての責任の方が重いんです。

  したがってお客さんの満足や評価も本当言うと興味が無く、自分の出来不出来を自己評価するのも僭越であり、ましてやそれを人に語る事もあり得ません。
  そこ迄打ち込んでいれば、タブラの相棒の出来不出来も実はあまり関係なく、一応礼儀で演奏後、良かった所を言いますが、本来どうでも良いんです。
  これが僕がタブラをやっている場合、シタール奏者がそのレベルに入り込んでいれば自分も同等のレベルで同じ事になるか、もしくは名伴奏者の立場でプロの仕事をするかの両極端があり得ますが。

 あの店(1978年に開店した、 若林がやっていた民族音楽ライブスポット。1998年末が最後のライブ) の最後のオールナイト・インド音楽コンサートで、長いアーラープ独奏の後器楽曲に入った際タブラ奏者が弾き始められなかったという事件が起こりました。
  若林はタブラが入らないままリズム・サイクルを自分でキープして弾いていましたが、結局彼は入れないまま曲が終わって、言ってみれば何の為にステージに居たの?という形になってしまいました。
  しかしその様な場合、インド音楽の常識でシタールが一旦止めて打ち合わせをしながら弾き始める事はあり得ませんし大体何拍子かも事前に伝える義務は無いので合図も無ければ、タブラが入り易い様にして上げる必要も無いんです。
  演奏後、そのタブラのお弟子は屈辱的だったと憤慨し、二度と習いに来なくなりました。彼曰く分かりにくい主題だったとか、日頃の不満?が爆発したとか言った様ですが、慣例で記録されているビデオにはしっかり寝ている様子が見られましたし主題も問題はありませんでした。
  若林の方は、短めでしたが、タブラ無しで器楽曲を弾き続けていた訳で、そこまでのソロのテンションから考えればそれがラーガ演奏の唯一の義務であり、タブラ奏者のメンツや、その事件を見せられるはめになった聴衆の気持ちなどは全く考える必要が無いんです。そんな事を考えられる演奏ということは、命懸けで弾くべきラーガに対してその程度の演奏だったと言う事で、憤慨されるべきはそっちの方の筈なのです。
 が、ラーガにはその出生の違いからその様な打ち込み方でなくても演奏可能なものがあり、今回のピルーなどは深めれば切りなく重く出来ますが、クルッシッドな性格が強いので、昔話しや旅の土産話しを語る様にタブラの相棒の存在や聴衆を意識して演奏することも可能です。

 この理解がお弟子や聴衆と共有出来なければギャップは埋まらず、不本意なトラブルも生じる訳ですが、 実は、これは知識や理解や経験の問題じゃなく「良く聴いていれば、命懸けで打ち込んでいるのか、演奏者自らが自分に酔って弾いているのか、聴衆に与えんとしているのか、皆で楽しもうとしているのか?」は誰でも分かる筈です。

  が、意外とそれが分からない人が多い。特にインド音楽をなまじ素人以上かじると分からない妙な段階にハマる様です。これについては更に深い話しなので機会を改めますが、インド音楽に限らず、日本人の演奏スタンスはどうも違う様な気がしてなりません。

 どんなジャンルであっても曲の違いや曲の部分のそれぞれに、自己中心的になってしかるべき部分と、聴衆に語り掛ける部分と、その場で作る部分がある筈なんですが、しばしば常に酔っていて、その姿が良いと言われてそのままというタイプや、逆に常に与え手側と思い込んでいるタイプが少なくない様です。インド音楽から見れば、前者は恐れを知らない子供が凶器で遊んでいるようなもので、後者は思い上がりに過ぎません。

 長い話しになりましたが、要するに音楽って、たかが音楽ですがそんなに単純なものではなく、 良く良く感じていればTPOはコロコロ変わる訳で、そんな音楽の真の姿を真摯に受け止めていれば出来不出来や満足や評価なんてそんなに簡単に感じれるものじゃないんじゃないでしょうか。
  その意味では自分が音楽やってるという事に対して変な気負いや、逆の居直りが強い人が多く、若林はそういう人の演奏からは何も伝わってこないので直ぐに分かっちゃいます。
  そんな意味では今回のお客さんはかなり面白く、ある意味インドっぽかったです。途中で若林がそんな解説をしたからもあったでしょうが、自分達が演奏家をノセてその日の演奏会を作り上げるお客さんの参加意識みたいなものを凄く感じれて、その点は楽しかったです。
  また、青山さんもせっかく素晴らしいセンスと暖かみを持ってる方なですから、少しそんな意識を持とうとしてくれればもっと伝わるし、ソワソワしなくて済むと思うのですが。
  なんて、今の日本じゃこんな風に言う若林の方が思い上がってるように思われるんでしょうね。
  なにしろたまたまマニアさんが聴いた時の演奏が聴衆と共作の場合だったりすれば、若林本人は責任感も反省も半分しか感じてないんですから。
  もし「たいしたことないじゃん」って思ったマニアさんは、自腹切って僕にオールナイト級の演奏させてみて下さいな。きっとぶっ飛びますよ。なんてやっぱかなりの思い上がり、勘違い野郎でしょうかね。

 日本のインド音楽マニアの中では、僕が今回のタージさんや定期演奏をさせて頂いているナタラジさんの様なカレー食べながらの場で演奏すること自体古典音楽演奏家にあるまじき、と言う人も居る様ですが、ラーガの理解と具現法を学べば、(分かり易い例えを言えば、花柳界で生まれたラーガは、飲み食いの場で演奏されてむしろ本来な訳です。

  演奏スタイルも関係するので単純な話しではありませんが)その場その場の演奏が出来る筈です。逆にカレー屋さんで笑顔で聴いてくれるお客さんの方が、ラーガにとっても伝統にとっても、ありがたいお客さんということもある訳です。
  日本人の演奏者のほとんどが、何時何処で聴いても同じだったり、ラーガが変わっても同じだったりします。
 
 今回二部の後半ではベンガル民謡を一緒にやってくれている現地仕込みのコモック奏者今井隆君が駆けつけてくれて楽しいセッションをしました。



8月22日 北九州市・小倉城庭園での演奏と、素敵なお友達との出会い。
 

 8月22日は、先月末の充実に負けぬ、長い一日でした。
  朝4:30の始発電車に乗って羽田から福岡空港へ。博多駅から九州新幹線で小倉へ、そこで若林と親密なお付き合いをして下さっているコーディネーター三河屋さんの車で、小倉城庭園へ。
  庭園内の豪華な和室「書院棟」で行われた11:00と2:00の二回の演奏会の為でした。

  小倉がある北九州市は、大都会のイメージの強い福岡市の隣町ということで、もっと長閑で田舎町と思っていたらとんでもなく大都会で、小倉城の北には原宿、表参道並みの若者向けの新しいファッション&フードセンターの様なビルが立ち、南には新庁舎の高層ビルが立ち、キリギリスでも居るかな?なんて期待した南側の大きな公園も何やら建設ラッシュで、そんな中で小倉城の天守閣は埋もれる感じで、なんだか色々イメージが狂いました。
  ところが、一見狭いスペースなんですが、城壁の中に入ると嘘のような静かで長閑な空間が広がり、書院棟は新しい庭園も見事で、素晴らしく嬉しい演奏会場でした。

  小倉城庭園博物館の学芸員スタッフの山崎さん、田中さんも凄く丁寧で暖かく迎えてくれ、なにより午前の会からすでに十分なお客さんが集まってくれて。
  そのお客さん達がまた凄く品が良い素敵な方々でびっくりしました。
  僕は、民族楽器の展示会会場での演奏だから、いつもの様に子供さんが多いと思い込んで「アフリカ音楽とアフガン音楽」という訳の分からぬプログラムを組んだのです(シルクロードの三味線関連でアフガン弦楽器ラバーブを是非聞いて貰いたいが、弦楽器と歌だけだと子供さんが飽きるのでアフリカの太鼓音楽で会を引き締めるという苦肉の策です)が、実際は子供さんはほんの数人で、ご年配の民族音楽ファンや何やら僕よりアーティスティックな熟年の方から、音楽やってそうな若者まで層が広いのも驚きでした。

  各回の演奏が終わる度に、何人かが声を掛けてくれたのも嬉しかったです。福島に続いてとても温かな雰囲気に包まれました。
  東京だと演奏会の後、楽器の事や現地の事ばかり聞かれて、それが当たり前に思っていたところに、僕の演奏や解説の面白さを一言言って帰って行くお客さんの暖かみは、凄い励みです。

  【情報過多の東京より純粋に音楽として受け止めてくれる人々】
  一般的な理解では、地方の方が情報に枯渇している分、楽器や現地旅行情報などを欲しがるかと思えばむしろ逆で、福島でも小倉でも、僕と言う人間が何故に民族音楽をやっているのかとか、僕の人間性を含めて音楽・演奏を受け止めて評価してくれるような感じが凄く伝わって来ます。
  その意味では東京の方が情報ボケしてるのかもしれません。
  対して地方は情報よりまずそこに人間、生き様ありき、って感じです。

  小倉城庭園の場合は加えてロケーションの良さと、新しく生まれ変わった記念公園への文化的な期待度、捕まえているお客さんの層の厚さを感じさせるものがありました。

 さて、例によってどっちが本題なの?という昆虫採集ですが、時期的にはこの夏最後のチャンス。なにしろ九州は先に夏が来る分、先に昆虫が終わっちゃいますし、先日の柏は色々あって演奏だけで伺ったので、初めての九州での昆虫採集という事もあって、今回の小倉・北九州には凄く期待が大きかったのです。
  既に6月の段階でインターネットが開通するやいなや朝迄掛かっていろんな虫サイトを訪問し、たどり着いたその名も北九州クワガタ仲間のHPの管理人さん「かずさん」にお問い合わせをしていたのです。
  ところが僕が玄界灘方面の若松区に居るらしい、などと言ったもので、かずさん達のテリトリー外だったので、さてどうしたものか、情報収集に少しお時間を、ということになっていました。
  そうこうしている内に、僕の民族音楽教室に通っているギリシア語通訳の副業を持ち、ギリシアで考古学の発掘をしている若い研究者の山口君がなんと北九州市南部の出身で、ちょうど20日にはオリンピックがらみの仕事から一時帰省しているから子供の頃に昆虫採集に行った所を案内してくれる、などの話しも浮上し、先月の名古屋のクワマニアさん渡辺さんの完璧なアレンジと同様に身勝手な人任せのくせに勝手に収穫も期待し、他の仕事や東京の昆虫の補充などで慌ただしく小倉前日を迎えたのでした。

 前日になって、さあ小倉の準備をしようかな。と、かずさんの掲示板を見てみたら、その後僕への(若松区の)情報が誰からも寄せられていない。ありゃりゃー、と思いながら、山口君の携帯に電話すれど「電源オフ」、かなり焦って来てメールを送れば、サーバーから「エラー通知」。なにやら一度ギリシアに飛んで拒否されたっぽいので、何かの都合で未だギリシアって感じでした。ありゃりゃりゃー。と焦って、かずさんにもう一度メール。「明日の今日になってごめんなさい、何か情報ありますか?」

 コーディネイターさん側の予期せぬ変更もあってかなり暗い雰囲気になりかかっていた所。なんとかずさんから直ぐにメールが届きました。しかし、時期的に最後の望みであるクロカナブン(関東では8月後半に現れる) は九州では非常に貴重な昆虫だから無理だろう。との話し。「ありゃりゃりゃ」は「あちゃー」に変わってしまい、ここはせめて気分良く演奏する為に少しでも寝るべ、と床に着きつつも、そんな時に限って忘れていた心配事が思い出されたり、少し涼しくなったので猫達が数匹僕の寝床に集まって来たりで、「うげー」という状態になってしまいました。

 しかたなく翌週の予定だったカブトの産床チェックやらササキリのススキ替えなどを深夜前に始めたのです。途中で仕事メールのチェックでもと思ってPCを開けば、そこには面識の無い、新たなクワガタマニアさんからのメールがありました。
  現在お仕事で東京に長期出張しているかずさんの北九州のクワガタ仲間というか、信頼の於けるクワガタ舎弟(年齢は若いが昆虫キャリアは逆だったかな?)の一人、佐藤政康さんという方でした。佐藤さんは前日なのにもかかわらず、かずさんの頼みということも有って、若林の演奏後、近場の穴場をご自身で案内してくれようと言うお話でした。
  またも昆虫ネット・ワークに救われました。お会いした事も無ければ、僕の方がして貰うばかりで何のメリットも無いのに。かずさんは、僕の方が2ヶ月もただ待つばかりだったのを前日になって急にお尋ねしたにもかかわらず、えらく責任を感じて下さり、地元のクワガタ兄弟にS.O.S.を送ってくれたのでした。

 自家用車の後部座席は全て採集道具。衣紋掛けで洋服が吊るされているからやっぱサラリーマンさんだな、と思ったらヤブ蚊除けの長袖シャツだったという筋金入りの採集・飼育家(しかも地元国産種専門の超硬派)の佐藤さんは、小倉城庭園の入り口で演奏が終わるのを待っててくれるのかと思えば、2:00の演奏に間に合う様に来てくれて演奏も聞いてくれました。
  聞けばレド・ツェッペリン後期からテクノに掛けて音楽にハマってベースを弾いていたこともある人で、僕が一時期参加していたヒカシューを懐かしがる程。演奏も楽しんでくれました。
  写真左:オナガササキリの雌。名前の由来の産卵管が体長の半分を占める。写真右:オナガの雄。たいがい褐色。「ザッザッザッ」と短く鳴く。
 

   実は「小倉城周辺は蝉くらいしか居ませんよ」と言われていたにもかかわらす、三河屋さんに車を運転させる公私混同で11:00の会が終わるや否や、大都会を流れるコンクリ堤防の「紫川」の僅かな緑を求めて少し上流に行き、見事にトノサマバッタ、オナガササキリ、キリギリスをそこそこ十分に採集していたのです。
  ステージ衣装も兼ねたズボンが汚れない為のレインコートは庭園博物館の学芸員さんに買って来て貰うと言う図々しさ。
  そこ迄して頂いた小倉城庭園のスタッフさん達へのご挨拶もなんだか体半身、最後のステージが終わるや否や、気持ちは北九州の山に半分で大変失礼しましたが、佐藤さんの戦闘車両の様な車で山へ。
 なにやら、小学生の夏休み日記の様に、出来事を全てだらだら書いてる風になってしまっているので、肝心の採集報告は大幅に割愛して、結論から言えば、やはり多くのクヌギの穴場で樹液は終わっていました。が、佐藤さんはなんと朝から方々の穴場を回って一匹でもクロカナを、と頑張ってくれていたのでした。それでも駄目だったのでと、15日に採集されたクロカナ雄とカナブンや白点ハナムグリやコクワガタのお土産をプレゼントしてくれました。

 採集スポット巡りを兼ねながら北九州市南部の山を越えて北九州空港方面へ。
  途中僕の望みを聞いてくれて甲虫マニアには興味対象外のカヤキリの為に山一面がカヤに覆われた石灰岩の山へ。それは生まれて初めて見る凄い景色。300m程度とは言え、そこそこ立派な山にほとんど樹木がなく、所々石灰岩の巨大な岩肌が見えながら他は2m近いカヤの他にびっしりと覆い茂った雑草。どう見ても山の裾野の光景が山の頂上にある不思議な景色でした。ここにカヤキリが居たら大変な量だから「あり得ない」と思いながら車を降りれば、もうカヤキリの雄叫びが聞こえるのです。
  結局はカヤキリはそのあまりのカヤの密林で捕まえる以前に逃げ落ちてしまいましたが、この夏の重要課題の一つでもあったマツムシは数ペア、オナガササキリも数ペア採集することが出来ました。カヤの密林では天然スズムシも鳴き、僅かなクヌギの林からは一瞬クツワムシも鳴いたような。すなわち唱歌「虫の声」が嘘ではない、膨大な直翅目王国が展開していたのです。
 小倉城庭園ではスタッフとお客さんから暖かい歓迎を受け、まだお会いしたこともない、かずさん、そして山崎さん、田中さん、暖かいお客さん、三河屋の島井さん、ほんとうにありがとうございました。

 ところで、かずさん、佐藤さん、昆虫好きのこのページの読者(って居るのか?)の皆さん! 飛行機の客室に「鳴く虫」持ち込み禁止って知ってました? 
  JALの奇麗なおネイサン係員に笑顔で「どんな虫ですか?」って聞かれ、お愛想と勘違いした僕がちょっと得意げに「キリギリスとマツムシと」なんて答えた途端、「駄目です」ですって。鳴かないカブトやクワガタはオッケーなのですが、犬や猫と同様に鳴いてお客さんに迷惑を掛けるから駄目なんですって!!最後に大びっくりですワ。
  しかも万が一死んでしまっても文句言わないの一筆書かされて。
  それを言うなら4:00出で少しでも寝て行こうを台無しにした、前座席の子供の「泣き虫」や後ろ座席のおばちゃんグループの「回り全然むし」はどうなるの?

 30代と40代のオヤジにもかかわらず、東京から来た兄ちゃんを地元の兄ちゃんが案内する楽しい「僕夏」は、「続きはまた来年」の嬉しい約束をしてキリギリスが鳴いているのが気になる空港ですがすがしく終わりました。
 
 

 


8月24日 二人の太郎君
 

 

 

 

【ジンクス人間のシンクロ好きの言い訳】

 同じ場所に続けて来るはめになったり、同じような事が続いたりを、やたらに大きく捉える若林のシンクロ好きのひとつのルーツは北インドとアフガン、シルクロードにあります。
  アフガン民謡やトルコ民謡は同じ旋律と歌詞を二度ずつ歌います。特にアフガンは必ずってほど。この影響を受けたギリシア演歌でさえ。
  この場合は、一回目で「おっ」とか「えっ?」とか思った聴衆が二回目で聞き逃さずに聞き取れる、という便宜もあるのかもしれませんが、日本の詩にも希にありますが、二回語られる同じ言葉の相互には無数の意味が込められているように思います。
  僕の好きなアフガンの歌の一つ『花輪』では「オイオイ、花の首飾り。オイオイ、花の首飾り。」の二回目の歌詞の「オイオイ」と「花の首飾り」の間に「貴方のその」が感じられたりします。『黄色い花』では「甘い娘よ黄色い花よ、掛けておくれよ貴方の腕を、ショールのように僕の肩に」を丸々二回歌います。この場合の意味は、聞く人それぞれって感じです。唱歌の『チューリップ』でも始めの「咲いた」や「並んだ」が二回ずつですが、これは聞き手の気を惹いたり風景を想像させる為でしょう。

 若林のシンクロ好きのもう一方のルーツは「オヤジギャグ」の蔑称で知られる「だじゃれ感覚」に通じています。「オヤジ頭」は常日頃から似た様な響きに敏感で、それとの出会いに無性に喜びを感じているのです。
  似た響きが二つ揃うとポーカーや麻雀の手が出来たかのごとく喜び、回りの人にその喜びを分け与えたくなるのですが、これもアジア・シルクロード民族音楽では基本中の基本で、韻を踏む時のみならず、随所に出て来ます。また逆をついたり、両極端を対比させたり、組み合わせを逆にしたりする一見正反対な響きの同居も元は「だじゃれ感覚」の応用から来ていると僕は信じてます。
  そんな訳で、若林のシンクロ好きは、非常にアジア民族音楽的感覚なオヤジギャグなのです。普通の人にとって「まあ、そういう事もあるんじゃないの」程度の事を無限の方向に発展させあれこれ考えるのが、ある種の趣味であり癖なんでしょう。

【イギリスで活躍する日本人弦楽器奏者】
 先日(日記の8月11日と15日ご参照)イギリスで活躍中の古弦楽器奏者の竹内太郎君から三冊の自作の教則本が届きました。
「古楽器を弾こう」と「19世紀ギターの楽しみ」は現代ギター誌の連載をまとめたもので、「バロック・ギター演奏法」は太郎君の教室のテキストで、残念ながらいずれも非売品ですが、素晴らしい内容でびっくりしました。
 
  特に古弦楽器の右手の親指の位置の内外の話しやタブ譜の色々、爪の長さを時代と音楽ジャンル別に考察し分かり易く解説している辺りは感動的です。五線譜がタブ譜を読めないアホ(竹内君はアホと迄言ってない)の為に開発された(バロック時代のリュート譜の場合は)、という今迄の日本の常識の逆の説明には感動を通り越す驚きでした。

 竹内太郎君は、若林の「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)を読んで凄く共感してくれたとメール下さり、この日記のインド料理タージでの演奏会報告(8月20日ご参照)に書いたことも共感とのメールを下さったりで、凄く励まされています。
  その上でテキスト本のご送付は「 内容的にかなり乱暴であったり、辛らつなことも書いてあります。............。でも、若林さんには、その方がかえって興味深く思っていただけるかなと思いまして、あえて、古いヴァージョンを差し上げます。」

  と嬉しい様な「なんやわし、そない迄に頑固もんかいな?」とくすぐったい様なコメント付きでした。
  どれどれ、何処がそそらせてくれるのかいな、と探してみましたが、なんのなんの何処も立派なもので、確かに日本の安易なブームや楽器製作者の出鱈目については厳しい口調でしたが、とかく人の批判で自己を顕示したがる超マニアさん達の偉そうな記述とは全く異質の、立派な情熱が感じられる文章で、全然問題ないじゃん。と思いました。

 そんな中でひとつ考えさせられたのが「どんな人間にも欠点があり.........楽器作りや作曲や演奏はその欠点を補おうという意思が注ぎ込まれた結果」の部分でした。

  太郎君は、故に音楽作品は完全無欠に近く、高貴であるかのごとく言い、故に練習せい、と結んでいるのですが、若林は欠点丸出しインド人のあるがままのインド音楽から音楽に入っていますので、ここはさすがに西洋風美意識、西洋風善悪感覚、二元論的に思え異論を持ちました。
  が、洋の東西を問わず、何か補う気持ち、求める気持ちが音楽作品を生んだという視点は、全く同感で、その前提に人間の未完成部分がある、というのも温かな心だと共感しました。
  ただ太郎君の場合は、この考え方から真摯な姿勢で芸や美の追求を続けて行ける人ですが、これが結構くせ者で、音楽で理論武装、技術武装、デコレイションして世間を騙し、実は中身がつまらん輩が凄く多いので、太郎君のこの話しは彼らに普通に共感されちゃうだろうな。とも思いました。
  その意味では若林はあえて太郎君に反論し「音楽も楽器も未完成で良いじゃない」と言いましょう。
  民族楽器の多くは未完成で、製作者は「あとは使うお前が好みに合わせて直せ」って位手抜きもありますし、楽器製作者と演奏者が同一の場合、若林みたいなせっかちは、音が出たらもう十分って感じです。勿論名匠作の銘器もありますが。

 しかしながら太郎君のCDの完成度と若林のCDの荒削りに対する世間の評価は当然正しく。太郎君の真摯な美意識は尊敬に値します。テキストの完成度も僕の数倍上です。が、凄い楽器と凄い練習から正しい立派な音楽が生まれる、という太郎君のごもっともの正論に対し、それ以前に、「話しして面白い奴の音楽はやはり面白い」が音楽の基本と考える若林の持論も何かで立証しなければと思います。

 自分の何かの本にも書いたかもしれませんが、アマゾン森林の人々のとても小さな音の音楽を聞いた時、大きな音の音楽は人間の臆病さが作ったのだな、と痛感しました。
  アマゾンの人々は夜猛獣が襲ってくる心配を感じてないのかもしれません。昆虫や鳥や獣と暮らし、彼らの習性を良く理解した人間は、いたずらに大きな音や松明を掲げる必要がないのです。彼らが音楽を始めたきっかけはスズムシや鳥の声が羨ましかったから。だから楽器の音量はそのレベルで十分。って感じがしたのです。

  そんな音楽を必要最小限の音楽と捉え、それ以上は欲張り、贅沢、であり洒落、気取り、と捉えれば「武装」にならないような気がします。昔の芸人さんが晴れの舞台で着る衣装を頼み込んで質屋から出して来たり、ご祝儀で酒を飲んじゃってまた質に入れたりの馬鹿ややせ我慢なんてのがなんだか好きです。

 太郎君はまた「バロック音楽は極めて修辞的な音楽なので.....」単純にノリが良い、楽しいで取り組むな、とも書いています。
  まさにそこんとこを正しく理解すれば何処迄が演奏家の本性で何処からが無理してでもやろうとしている美学か、が演奏家と聴衆の双方で分かった上での芸術のような気がします。
  太郎君のこの話しは、8月20日のインド料理店の日記に書いたインド音楽のラーガの色々にも通じます。その意味では「バロック音楽」はある意味で不自然で無理してやる音楽、根性の「曲がった」音楽なので、確かに「楽しかろう」で演奏してはならない音楽なのだろうと思います。
  そこをしっかり捉えてる太郎君は8月14日ダイアリーでのCDの感想「エリートが....」は若干訂正が必要かもしれません。
  少なくとも太郎君は、それぞれの音楽の実の姿。芸人のやせ我慢的根性の様な裏の世界も音から聴き取ってくれてるみたいです。
  ならば、エリート論は別として、少なからず良い苦労をして来たんだな。と思えました。勿論そうじゃなかったら、若林を感動させるあんな凄いCD作れませんが。



 
 
もうひとりの太郎君
 竹内太郎君の郵便物は教室に届いたので、さらっと拝見した時に目の前にはもうひとりの太郎君が居ました。
  岩田太郎君は佐渡鬼太鼓座の創始者のひとり田耕氏の直弟子のひとりの和太鼓奏者で(リンク・ページ参照)僕からアラブとインドのタブラを学んでいます。
  非常に物静かな好青年ながら、かなりの頑固者で、時に人を突け離す様な利己的な美意識がありながら、人徳と言うんでしょうか意外にそれがカッコいいと思われるタイプの竹内太郎君ととても良く似たちょっと醤油風味のジャニーズ系の美男子です。(なんじゃそりゃ?ダブル太郎君。言い過ぎてますネ。ゴメン)

 そんな彼は人生と音楽の岐路に立っているのか、否、きっと常に先へと進む向上心故に、何時でも転機なのでしょうが、色々思う所があってレッスン中や前後に立ち話的な僅かな時間でも色々な話しを投げかけてくれます。
  (ここも竹太郎君に同じ?)何しろ岩太郎君は藤沢(あれ平塚だっけ?いや大磯か?)からの当教室二番目の遠距離通学ですから、ゆっくり話す時間が無いのが残念。結局何時も問われた答えを僕なりに必死で答えてタイムアウト。
  彼の感想はほとんど聞いてないので実際通じたかは不明ですが、音楽があっての仲間か、仲間あっての音楽か?とか、表現したい何かがあっての音楽か、無くても始められるのか?などなど、竹太郎君と似た様な事を言って来ますし、世間の「楽しかろう良かろう」という風潮に疑問を感じているのも似ています。
  二人とも僕がそのタイプだから僕に合わせてるのかもしれませんが。(写真は岩太郎君HPより拝借)

 そんなこんなで、ダブル太郎君に引き出されたテーマ(多くのテーマが20歳代に考えて、その後20年あれやこれややって来て結局最近では諦めかかって、どっかにしまってた話し)を今の自分でもう一回考えてみたりで、結構僕にとっても良い機会だなと感謝しています。

 そんなんで最近気づいたことなんですが、今の世の中文化・芸術のみならずあらゆることが「買い手市場」な事が全ての元凶なのではと思います。そんな中で、かつての僕もそうだった様に、コマーシャルで見た商品を買いに来た様なお客に「お客さん、こっちの方が絶対良い商品ですよ」と言いたげなジレンマがダブル太郎君に共通している様な感じです。
 別な視点で言うと、竹太郎君も岩太郎君も、かなり優秀な演奏家で、各ジャンルでは日本が海外に誇れる第一線の演奏家であるに違いないんですが、そのあまりのまじめさ故、何時迄も音楽の学生ってところがあるので、実は「売り手」に成り切れてないような気がします。
  しかも伝統や正統の美に触れてしまっているので、いにしえの「作り手」に対して何時迄も聴衆との間の「小売業者」なんでしょう。竹太郎君の場合並み並ぶ名作曲家の名作があるから尚の事。岩太郎君は逆に創作曲も多く、その点では自由ですが、なまじ本物の師匠達(ここでは僕は除いて言ってます)に就いた為に演奏スタイルはいたって地味。今直ぐブレイクするには何かが足りない。だいたい「小売業者」の分際としては偉そうなことを言い過ぎ、考え過ぎです。だからブレイクしないのかもしれないです。
  もしそうだとして、単純に世の中を憂いたり、反動で練習に励んじゃったらせっかくの才能が勿体無いと思います。

 若林の家の近くの薬屋さんに毎度お客に説教する嫌な感じの店長さんが居るんですワ。
  昆虫の為にやむなくペットボトルの天然水を買いに行くんですが「天然水」って「タバスコ」なんですってネ。って訳分かんない事言ってますが「登録商標」なんですと。
「天然水無いですか」って言ったら「無いです。今あるのは『森の水』です」とかをきつい調子で言うんです。
  今日も、どっちだか忘れちゃったんで「すみません何か安い自然水みたいなのありますか」っていったら「どっちも安いです。どっちですか?」だって。
  ようするに彼は僕が何時も二種類を混同していることを良く覚えていやがるんですワ。ならば笑顔で「何時ものですね」って言えっつうの。
  安売りで成り立ってんのか、僕にだけ虐めたくなるのか分かりませんが。結局どっちだか分からなくなったので「サントリーの」って言ったらまた怒られた。「うちはサントリーのは扱ってません」僕がコカコーラを間違えて言ったのでした。

 思えばかつて民族楽器店をやってたときの若林がこれでした。
 「すみません何かインドチックなCD無いですか?」「すみません古道具屋で買ったんですが弦張ってくれませんか?」とか言われると無性にムカっと来てましたから、きっとこれ(薬屋の件)はその時の仕返しを今くらってるに違いない。ってことはしばらく続くんだきっと。
 つまり、お客から見れば僕らは単なる「小売業者」な訳で、偉そうな事を言われたら腹が立つのは当たり前。そんな店は売れる訳が無い。今巷で民族音楽、和太鼓、古楽ともにそこそこ賑やかに活動してる連中は皆、何かひとつのセールスポイントを上手くつかんでいて、客のイメージを崩さずに上手い事やってます。
  最近じゃ生産者直売みたいなのが流行っていて沖縄民謡の様な素朴さも人気ですから、民族音楽の場合営業的センスは無い方が朴訥としていて民族音楽チックなので、逆に若林みたいな笑顔で解説が饒舌なんでのは逆にインチキ臭いんでしょう。
  つまり苦節20年屈折40年の苦労で身に付けた技はむしろ時勢に反してるんです。まあ何時だって反してましたが。

  でもネ。でも、これら全て「買い手市場」の大原則の上になりたってるんですよ。
  勿論18世紀の北インド音楽だってパトロンに気に入られ、貴族達に人気だったから、売れてたからパトロンも援助して意味があった訳で、その時点のコマーシャル音楽だった訳ですが、それでも買い手が売り手や生産者を刺激し、教育し、商品開発の飽くなき努力をさせることばかりじゃなく、売り手も買い手を教育し、何が本物かを分からせる、ってのが半々だったんじゃなかろうか?と思う訳です。
  じゃなかったらその後数百年も好まれますか?古楽の場合一度滅んだ音楽で、ヴィンテージ・レア物的なマニア人気が発端で最近妙に一般化したって感じかもしれませんが(太郎君のテキストによればそれでもバロック・ギターは200年流行っていた)、インド音楽の場合は少なくとも1945年迄はずっと同じ調子で廃れたものもありながら延長線の音楽が好まれてきたんですから、それ相当の気骨ある音楽文化だったんじゃないでしょうか。
 その意味で、今後50年100年好まれる音楽って今ありましょうか? 10年20年人気を保つ演奏家って居ましょうか?それは演奏家のレベルが下がったというだけじゃないんじゃないですかね。
  「買い手市場」で買い手の価値観を育てなかったツケの様な気がします。
  もっとも世の中多様化していて、頑固な限定発売が長蛇の列を作ったりしてますが、どうせなら僕らそっちで生き残れたら嬉しいですね。

 まあ、その辺りの話しはまたいずれ、ってことで、奇遇にも似通ったダブル太郎君の今の問題意識は、凄く良く分かるんですが、何か独自の商法を見いだすことで打開出来ないでしょうかね。
  はっきり言っちゃうと、家土地かみさん手放して迄「それ」をやって来て挫折した若林から見たら「まだまだ甘い、青いゼ」ってとこで、失礼ながらそこまでの根性はないんでしょうし、する必要もないですから(手放した、挫折したとは言え弱冠20代30代で流行ってない時代に民族音楽と素人民族料理で毎月\170万の家賃、人件費稼いでたんですから、20年も。ある意味凄くない?)聴衆や今の音楽文化を憂う前にやることはあるんじゃないですかね。
  って何時もと逆な事を言ってる様ですが、ここで練習に打ち込んじゃったらおしまいだワ。きっと二人にお似合いのキャラクターになってしまって「消費者」の思うつぼ。
  そこを洒落っ気と賢さと遊び感覚で意表をついた(奇を衒ったじゃなく)手法が見い出せませんか?しかも他の連中が真似出来ないもので。

  若林なんか「バナナの叩き売り」なんか好きですね。
  あれは安かろうじゃないし、立派な玄人芸で売ってるわけですから、本物の芸が無かったら売れない(本当は芸にバナナのおまけが付いていた筈です。
  それが分からなくなった最近の買い手はかなりのお馬鹿です)。そんな芸に精進したいものですね。

  勿論ダブル太郎君がそんな芸を身につけるとバナナをめちゃ安く売る奴が現れたり、水着のアシスタントを付けて人を集めたり、バナナ買うとシャンプーがおまけに付いてきたり、挙げ句には土地のヤッチャンとつるんで追い出しにかかったりと連中は本物の芸で挑まずあれやこれやで対抗してきますが、それこそ連中が焦ってるってことはそこそこの芸を見せたってことで、その時世の中を憂いましょうヨ。


8月24日 青山ナタラジ・アラブ音楽
  
写真を見る限りでは楽しそうに演ってるから大丈夫か? 和太鼓奏者が叩くアラブ太鼓の妙技。演奏中はいたって寡黙な雰囲気だが、実はかなり明るいバンカラな及川さん。T君!写真なんかみんな暗かった。
 


 8月24日は青山ナタラジで、前日の日記に登場した岩田太郎君のダラブカと共に、かつて竹内太郎君にお教えしたアラブ弦楽器ウードを、ヴァイオリンの及川さん、レックの今井勤子さんに加わって貰ってのミニ・ライブの日でした。

  前回6月と同じ様な動員でしたが、このところ地方で盛り上がっていたので、ちょっと少なかった感じもしました。が、バルカン打楽器クラスの神田さん、横浜青葉区の10月の演奏会の幹事の佐藤さんが、それぞれお友達を連れて来て下さったのや、アメリカ西海岸在住で、かつてインド音楽とジャズ・フュージョンのセッション・コンサート(なんとあのシャクティ)をプロデュースされたという見るからに凄い貫禄の御仁がいらしたり、明るいお姉さんグループやおじさんが楽しそうに手拍子をしてくれたりでそこそこ盛り上がったライブだった、筈でした。

 実は、ライブの前に、僕としては慎重に丁寧に伝えたつもりの教室事務連絡がお弟子さんに上手く伝わらなかったという出来事があって、心底明るい気分で演奏を始められなかったり、僕の演奏席の隣に座られたその貫禄の御仁、僕の10拍子の曲でなんとインド音楽式に拍数を数えているのでなんだかナーバスになっていたのかもしれません。
  日頃偉そうな事を言ってる僕が情けない話しですが、むしろ「自分が自分が」という演奏家の方が、状況がどんなであろうと演奏できるんでしょうが、僕の場合は暖かく迎えられるか、正反対の針のムシロだと一曲目から良い演奏するんですが、その中間でお客さんの心が見えないというのは厳しいですね。

  このところ地方の演奏会で、始まる前から笑顔のお客さんに囲まれていたので、甘ったれた感じになっていたのかもしれません。

 ところが一部が終わってみれば、トイレで八合わせたその御仁が実は凄く感じが良く、インド音楽式の拍数数えも、かつてアメリカで少し学ばれたからだとかで、演奏も良かったと言って下さりお名刺迄頂いて嬉しくお見送りしたのでした。
  何時もはライブの直前に自分でチラシなどを配ってお客さんのお顔を伺いささやかなコミュニケイションをしてから始めるのが出来なかったのも失敗でした。
  きっともっともっと良い時間になってたのに違いありません。それでもバルカンのお弟子さんとお友達は一部で帰るところを、二部も聴いて行って下さったり、皆さん良かったと言って下さったので、演奏中はそこそこ演れていたのかもしれません。

 岩田太郎君も一皮剥けた演奏をしてくれましたし、終わってメンバーと歓談しながらナタラジ・カレーを頂けば、話しの中で幾つかの心配事が解決したり。そして帰宅してみればイギリスの竹内太郎君が早速昨日の日記に長大なご感想を送ってくれたり、北九州の昆虫ナビゲーター佐藤氏からも嬉しいご感想が送られて来て大分元気になってきました。

 そこで、竹内太郎君のお返事については、少し触れなくてはなりません。
 まず、竹太郎氏の記述を読んで、楽器や作品ありきの西洋風美意識を感じたという部分に対しては、内心「太郎君も結局はお上品音楽の側かい?」という様な喧嘩覚悟のチャチャの気持ちがあったのです。ところが太郎君のメールは冒頭から、僕の投げ掛けを、好意で受け止めてくれて凄く喜び「プロの音楽家とこんな話しが出来るのは全く初めてで、高揚した喜びで筆を走らせます」と迄の嬉しい言葉で語り始められました。つまりは、僕の真意が伝わり、その上で幾つかの点で更なる相互理解を図りたい、という嬉しいメールなのでした。大変ありがたいことです。

 実は、夏の初めに5年以上習っていたお弟子さんがメールの真意を受け取ってくれず、激憤したという事があって、今日の教室連絡につながったので、正直、昨日と今日が逆だったら、ダブル太郎君にあんな問いかけはしなかったに違いありません。
  5年居たお弟子さんの場合、凄い才能(僕の言う才能って普通の方のとは違うかもしれませんが)があるにもかかわらず、一向に発信側に成ろうとせずに付き合う人を変えては便利人みたいなことをやってるのが歯がゆかったのですが、今回また、何やら詳しくは知りませんが東京を離れてうんぬん、とか言うので、投げ掛けも最後のチャンスか、と思って歯に衣着せぬどころか、ヤスリで磨いたって感じの文章を書いたんですが(それもすべて彼が言った言葉に対しての感想なんですが)見事に逆ギレされてしまいました。
 これは、僕の最大の欠点で、「この人にはこういう言い方は逆効果、こういう言い方が喜ばれる」をちっとも実践しないのです。分かってないと思われがちですが、実は凄く分かっていて、それ故にそれを実践することがその人へのとてつもない侮辱に思えてならないのです。
  と、言いながら僕自身人一倍人の言葉に一喜一憂するくせに、ですが。言ってくれる人が僕の生き様を応援してくれた上で才能や存在を惜しんで厳しい提言をしてくれる場合、気を遣われたら僕は凄く悔しいです。もっともそんな事は実は一度も無く、あったらどんな言い方でも涙して感謝するでしょうが。今迄は、むちゃむちゃ敵意で言われて気づいたり、直したりして来ましたので、きつい言い方の裏に愛情があればベストだろう、と思えば自然にお弟子にはそうしてきてしまったのです。(もっとも「この人はここが分岐点のラストチャンスだろう」と思った時に限りますが)

 例えば、昨日の日記の「どうせそんな根性もないだろうから」の部分や「バナナの叩き売り」の部分ですが、日頃僕の著作なども含めて同感であると嬉しい感想を自ら述べてくれる音楽仲間の今井隆君でさえ、竹内太郎君でさえ微妙に伝わってませんでした。だとしたらきっと僕に問題があるのです。

 竹内君は、その部分を悪気でとらず、彼なりに辛酸を舐めながら、裸一貫で渡英して頑張って来た話しもしてくれました。
 竹内君のお返事(感想)の部分で、彼の音楽家としての名誉にも関わる部分を訂正させていただくとしたら、僕も重々分かっていましたが、彼は日本でそこそこ認められた上で渡英し、現地で大変な苦労をされて、今ではソロ演奏会にファンが集まり、先日ご紹介したCDは古楽としては異例のセールスであり、現在は世界的なヴァイオリニストのナイジェル・ケネディ氏のバックも務めているので、十分な評価と実力で、ブレイクもされているんです。

 また、彼は僕同様に自らで楽器を作ったこともあり、即興演奏家でもあるので、前述の「西洋音楽的な美意識、二元論」ではとんでもなく、凄く僕に近い、と言うか同じポリシーの音楽家なのです。今井君さえ読み取って下さらなかった位ですから(岩田君のソロ演奏聴いても居ないくせに、と言われた)、岩田君にも通じなかったかもしれませんが、岩田君もかなり同様のタイプと思います。
 が、僕の言いたかったことは、ダブル太郎君の意思とやって来た事と、そのやり方に足りないところがある、とか疑問が感じられるのでは無く、むしろ逆で、僕も見習うべき素晴らしく立派なやり方であり実績なんですが、最大の問題点が、お二人も懸念している今の音楽文化、特に我々の母国日本に於いては、それがそれ故に絶好の都合良い解釈で受け止められてしまう。ということなんです。また例えで話しが遠くなりますが、ガラス玉とダイヤの見分けがつかない人には、一度偽物をつかませて痛い思いを経験させてから、真贋見抜く力を養う努力をさせて本物を授けたい、という所に、お二人の音楽への姿勢は正し過ぎるのです。

 そこにバナナの話しが関係してまして、お二人の音楽は今現在バナナじゃないんです。強いて言えばプリンスメロンなんです。当然たたき売り出来ませんから叩き売りの芸もありません。同じ駅前でバナナ¥100で売ってる横で、メロン¥5000(位でしたっけ?) 売っても売れません。

 じゃあ、という事で河岸を変えて和太鼓駅前や古楽駅前に移って少し安く¥3000位で売ったとします。説明書も立派なものを付けて。すると同業が偽メロンをおまけ付きで¥2500で売って来るんですワ。実際は原価¥500位なものを。お二人のは原価割れぎりぎりなんです。するとアホみたいじゃないですか?そのご同業はお二人のお陰で成り立ってんですよ。でもそこに「芸」があれば最初の駅前でバナナ買おうとしたお客にメロンを¥5000で売れる筈なんです。

 ここで言う芸とは、お二人が日々精進している音楽とは別物です。お二人が真摯に取り組んでいるのはメロンの品質であったり、入れ物であったり。
 「そんな根性ないでしょうし、必要ない」と失礼な言い方をしたのは、漫画などで、大会社の社長がホームレスの格好で町に出て見る。みたいな事を実践する根性や必要性を言ったのです。
  僕は、アホな事に実践してしまいました。これでも一時期天才シタール奏者風の評価を得かかったんですが、その時にアメリカのアパラチア民謡(だけならまだ渋いですが)や、西部劇の野暮ったい(大好きですが)ウエスタンなんかもやって、下手糞なバンジョーで英語で歌ってシタールのファンをほとんど失いました。
  「おじいさんの古時計」なんて1980年代毎週歌ってましたし、アコーディオンの起用もその頃です。ラテンをやれば懐メロで、サルサ・ファンが集まれば古ソンをやってつまんないと言われ.....。それがソン歌謡は数年後の日本でブエナビスタで大ブレイクです。
 故にダブル太郎君 には「必要無い」と述べたのですが、例えば竹太郎君が古楽器をしまって、ウクレレでハワイアン(しかも夏場にスーパーでBGMに流れているような聞き飽きた曲)やったり岩太郎君が和太鼓をしまって、ハンドマイクで演歌歌手になる、ってことです。その時にそこそこウケたら「芸」が身に付いたと言う事でしょうし、それでも付いて来てくれる古楽ファンや和太鼓ファンが居たら最高ですが、そんな事をする以外の方法がある筈です、と言うのが僕の主旨です。
 また「ブレイク」に関しても、もっと下世話な意味で言ったのでして、初めにメロンを売った駅前でダブル太郎君がスマップかキンキキッズ(お二人結構今のままで行けるかも)だったとしたらサイン付きで¥10000で売れますよね。それと偽メロン屋を儲けさせることって大違いですよネ。でも僕は今はまだ、聴衆を信じてますので(お二人もきっとそうだと思いますが、ホームレスに成って味わったわけじゃないですよね)芸でメロン売る方が好きですが。

 もし、我が故郷の音楽文化の将来を本気で憂うなら、どっちかの方法で偽メロン屋が現れない、追従出来ない様にしませんか? 実はお二人が嘆いている偽物、安直な人達は、僕らが作ってるのかもしれません。昔、ジャーナリストの方が、僕の活動を勿体ながってプライスリーダーシップの話しをしてくれました。あるメーカーがある機能の商品をある価格で売り出せば、追従者は必ずそれより安く出せて、そっちが儲かるというシステムです。逆に誰も真似出来ない商品や、追従やコピーを許さないレベルの物を創作すれば、元を取れる迄儲かり続ける訳です。その意味では、偽物と同じ市場(フィールド)で悩んでる僕らはまだまだな訳です。

 バナナ話しと同様にまた別な話しと思われるかもしれませんが、僕はホームレスさんのファンに囲まれたことがあるんです。
 新宿の新しい高層ビルのオープン記念に数週間の演奏を開発事業団に頼まれたんですが、数日後、駅前からの地下道を何時もの様に楽器を担いで通ってたら何処かから「お兄ちゃん!今日もやんの?頑張れよ」って声がするんです。えっ!何処?と思ったら地下道の段ボールハウスの中からなんです。彼らは取材にも滅多に声を発しない人達で、社会とのコミュニケイションを断ってるところがありますからびっくりしました。彼らは数日間遠巻きに聴いていてくれたんです。しかも民族音楽を。

 その内、毎朝挨拶をかわす様になって親しくなって、ある日彼らは広場の最前列で聴いてくれました。が、地域の聴衆が嫌がったんでしょうね、数日後公団は彼らを排除して、僕の演奏予定も大幅に削られました。初めの数日僕の民族音楽をニコニコ聴いていたお偉いさんが、突然愛想が変わりました。「やっぱり発展途上国の音楽なんかやめときゃ良かった」風の感じでした。

  その数週間後、その地域は大々的なホームレス排除がなされ僕のファンの何人かが連行される姿がTVに写りました。僕の代わりに急遽演奏することになったボサノヴァの演奏家はその後、大変ブレイクしました。その演奏家は前半にも一回僕と同じ日に演奏しましたが、そう言えばその時にはホームレスさん達は聴いてなかったナ。
 そう言えば、僕には埼玉の河原の段ボールハウスの住人で昆虫と淡水魚の師匠もいるんですが.......。その話しは今回関係ないか。

 ってな訳で、真意は伝わったかしら?。本当は5年続いた彼や、事務連絡で気を悪くしたお弟子さんにも上手く伝えられたらよかったんですが.....。(著作には随分共感してくれてたんですが自分に向かって言われると思わなかったのでしょうかネ。僕は基本的に『どっちにも言える事』として言ってるんですが、僕の反省としてや、他人の話しとしては共感するが、自分に鉢が回って来ると突然防御に回っちゃうってのが悲しいです。これに関した『感情と音楽論」もあるんですが、それはまた何時か)一方の岩田太郎君の方はどうかしら。乞うご期待です。


8月25日と21日。可愛い教室見学者
 

 8月25日、吉祥寺の教室に小学生の見学者が訪れました。その前の土曜日21日も。これもまたシンクロ状態というか、ブームと言うか、5年に一度も無い事が5日以内に集中するなんて、やっぱりかなりそのモードに入ってますヨ。きっと。

 8月21日は、ブズーキ教室に横浜から通ってくれている主婦のO
さんの二人の娘さんとご主人の授業参観。ご家族は、ご主人がエーゲ海学会会員なので毎年年末の忘年会に民族音楽センター・ギリシア音楽楽団が演奏させて貰う際この3年ほど毎回お会いしているので、お馴染みのご家族。レッスン当日にお電話で「娘達がどうしてもチャメに会いたいって聞かないんで」「どうぞどうぞ」と言う事でいらっしゃった。
  チャメは何時も以上に構って貰って嬉しいんだか、戸惑ってるのか、比較的我が家の猫や犬の場合、子供は苦手みたいです。何かされるからでも無く、微妙にサイズの小さい自分たち風の動きと体温の動物に戸惑いを感じるのかも知れません。言い換えれば、人間の大人のある意味堂々とした感じが彼らにとってはマイペースで関われる感じで良いんでしょう。

 Oさんは、趣味で篠笛をやってらして、単旋律の管楽器に何か和声的でいて民族音楽的な楽器は無いかと思っていたところに、ブズーキを思い出したということですが、世界広しと言えどギリシア弦楽器ブズーキは全く最適でした。
  Oさんと一緒に年末の演奏会でお話した8月22日の日記にも登場したY君と二人で「弦楽器初めてクラス」を発足したのですが、オリンピックがらみのお仕事でY君がギリシアに行っちゃったので、Oさんはひとつ上のクラスに編入したばかりで、ちょっとヒイコラ言ってましたが、そこは持ち前の頑張りで少し余裕が出て来たところ。
でもその日は子供達に気が散っていたかも。ご家族に暖かく迎えられて音楽が出来る雰囲気は、まさに世界の民族音楽の一番大切で嬉しい雰囲気ですからなんだかとても長閑な一日になりました。

 その数日前に突然10年前の生徒さんの千葉在住の佐藤さんからウェブ経由でメールが。小学校の息子さんの夏休みの宿題レポートに「世界の太鼓」を取り上げさせたいので教室見学してよいかとのご依頼。どうぞどうぞという事で25日バルカン打楽器クラスの前の時間に一年生と五年生の男の子兄弟とお母さんでお見えになりました。

 
 佐藤さんは、ラテン音楽楽団の研修生メンバーから途中ジェンベ・クラスにも参加し、長男の出産後にもまた少し通っていた音楽はかなり本気だった生徒さんです。小柄な彼女はぎりぎりまで大きなお腹でライブにも参加してくれて、出産の2ヶ月後には早々と復帰していたのですから、長男マコト君は凄い胎教を受けていた筈です。
  そう言えば昨年か一昨年の小さな訪問者も元生徒さんが子連れで来てくれたんでした。
   若林の教室はミセスが気楽に長居出来、その後ご主人やお子さんと遊びに来れる不思議な雰囲気があるんでしょうか。一昨年は、また別な生徒さんのお子さんの保育園に呼ばれて演奏しましたし、他にも2,3人「産休」の生徒さんが居ます。
 
  さすがに次男の一年生の航(わたる)君は、手当たり次第楽器を鳴らしてみたり、チャメを構ってみたり落ち着きがなかったんですが、そこは僕が小学校巡りで身に付けた技「元気者のボス・タイプは助手にすべし」で色々手伝わせたら、やっぱり良い仕事振りでした。重たい太鼓をチャメに当たらない様に、なんて中々一年生では余裕の無い事もしっかりやってくれた頼もしい子でした。
  お兄ちゃんの方は、最近迄出不精の人見知りだったと言うんですが「最近は僕も外に行く様にしてるんだ」などと自分から言うくらいで、世界中の民族楽器の詰まった教室では初対面の僕にもリラックス出来たのでしょうか。教室の名接待係チャメの存在も大きいと思いますが。「お母さんの楽器の先生」って存在もなんか楽しげで安心できるのかもしれません。だとしたら教室やって来たことが報われるありがたい話しです。
 

8月26日ベンガル民謡LIVEと8月27日アフガン音楽ミニ・LIVE
   8月26日は地元吉祥寺のモロッコ風の店内のカフェ・バーBlooMoonでのベンガル民謡LIVEで、翌8月27日は、王子駅前の北区の文化センターのような巨大なビル「北とぴあ」の中にあるプラネタリウムを活用して北区の「子ども家庭部」がN.G.O.などと共同で国際交流と国際ボランティアの集いを運営する「スペースゆう」で行われた「アフガニスタン・その文化と現在」に出演しました。
 
 

 イベントは 6月10日に出版記念会でも演奏させていただいたジャーナリストの楠山忠之さんが指導するアマチュア写真の会「美写」の展示期間に行われ、アフガニスタンの現在を捉えたビデオ上映と楠山さんのお話しに、若林のアフガン弦楽器ラバーブ弾き語りという内容。
  楠山さんとの出会いや、お人柄については6月10日のダイアリーに書かせて頂きましたが、あの日の僕の出番は終盤で「髭面の猛者達」のお酒も回ってシルクロードのバザールのまっただ中での演奏という感じだったので、その時も今回もご自身が僕を指名してくださったのにもかからわず、「落ち着いてアフガン音楽に聞き入ったのは今日が初めて」と今日の会の〆に楠山さんが思わず言っちゃった程。
  確かに今日は、長めのソロからゆったり弾けました。

 総括して言えば、結局はその日の気分なのですが、僕の演奏内容はその都度その場で変わります。今回の場合、プラネタリウムという会場の特殊な音響状況、ビデオと講演に集中した後、僕の演奏が最後の出し物、という条件の中で舞台に立てば、やはり会場は盛り上げてノセるという雰囲気ではないことは直ぐに察知出来ました。
  プラネタリウムは天井がドーム状の言わば巨大な反響版の為に客席と床を超デッドにしてバランスを取っているので音楽にとってはかなり不自然なこもった音響です。が、僕は数回の湘南台文化センターと日立シビックホールのプラネタリウム演奏の経験でPAをいじらせて貰って、ラバーブの6本の主弦をひとつひとつゆっくり響かせる様な即興曲(アフガン式ですが)で音響を確認しながら会場と楽器の接点を広げたのです。
  お客さんの中で昼のお仕事の後の上映会と講演会に心地よく疲れた人が居れば、どうぞゆっくりアルファ波でウトウトしながら体で感じて下さい、ということです。

 楠山さんとスタッフは、僕がアフガン音楽の詩の個性を紹介するため、その場の思いつきでガザルの主題を日本語で歌った部分、詩の個性の比較の為にラバーブでインド歌謡を歌った部分を「さすが」と言ってくれました。
  この僕も、中学生の時に民族音楽資料閲覧と交換条件で合唱部に入ってましたから、リハーサルを積んで完成させた音楽を聴衆の前で演じる興奮と感動は知っていますが、アジア・アフリカの民族音楽の場合は多分に即興的なので「その時その現場でつくる」という感覚が当たり前です。
  作曲を合奏で演奏する音楽の場合、各自が勝手に即興なんて無理と思えば、アジアの東西の端のインドシナとアラブの古典音楽合奏は元曲の流れを追いながら各自で自由な旋律を弾く即興が醍醐味となっています。この辺りは日本に於いてかなり誤解されているところです。これについて僕の持論「民族音楽は落語と一緒」もそのうち何かで語らせて下さい。

 27日のステージの臨機応変の即興の部分を、世界を飛び回り世界中の人々の表情と心をとらえて来た大御所に誉めて頂いたのは大変な励みです。そんな思いで心も軽く帰宅すれば、前日26日のベンガル民謡を一緒にやってくれたコモック奏者の今井隆君からメールが。出かける前にも幾つか頂いていたのですが、26日はモンディラの勤子さんはお休みでしたが、隆君の音楽仲間のS氏やアママニアのアキ、ヒデコ両氏が遊びに来てくれたり、お客さんで「タモリ倶楽部」を見てくれていた人がいたりで、そこそこ盛り上がりました。

 二部のラストにアママニアの二人にもコルタラとエクタラのベンガル打楽器を渡して即興部分の多いバウルー式の演奏で盛り上がった後、自主的アンコールでエクタラとコモックというリズム弦楽器のセッションをしようと思えば、アママニアのヒデちゃんが弦をだるだるに外しちゃったのでその場で復旧出来ず、やむなくコルタラ(小さな木枠にタンバリンのシンバルみたいなものがはめてある打楽器)の弾き語りをして終わりました。

 メールによるとこの曲が隆君の音楽仲間S氏にはえらく評判が良かったようで「ただ者じゃない」と言ってくれたそうです。勿論ベンガルに「コルタラ弾き語り」のようなジャンルは無いですし、僕も生まれて初めてしました。S氏は東京で恐らく一番品格で有名な私立校の社会科の先生でありながらヴェルベットアンダーグラウンドなどを聴き、自作の音楽でライブもやるという気合いの入った御仁で、かなり耳がうるさい方とのことですから嬉しい評価です。というか「バナナ叩き売り芸」が認められた様ですごくタイムリー(ヒデちゃんがエクタラ壊したからであって、ここ数日の話しから狙って演った訳じゃないんですが)に嬉しかったです。

 数年前に亡くなった地歌・箏曲の最長老のお一人の平井澄子先生のお亡くなりになる前の年に演奏会を拝聴し、楽屋でお話もさせて頂いた時、びっくりする様なハプニングがありました。
 三味線の糸は糸巻きの穴に一回通すだけですが、一番細い「三の糸」だけは万が一切れた時に糸巻きが落ちて舞台をコロコロはみっともない、ということで糸巻きに結ぶんです。その万が一が、その日目の前で起こりました。糸巻きはグラグラに辛うじてぶら下がってる感じは客席最後列の僕でも分かりました。
 すると平井先生は二の糸のハイポジションで曲を引き続け見事に完奏されたのです。勿論演奏の出来としては、三の糸の繊細な響きと、代用の二の糸では異なりますが、僕はその「音楽家魂」に触れて、結局残念ながら最後の演奏となってしまいましたが、最後に凄い物を教えて下さったと感謝しました。
  勿論万が一の為に二の糸で弾く練習をする人は居ませんし、二の糸は日頃も三の糸のこしゃくな(絶妙な)代理人ですから、そんなに多くのポジションは弾かない筈です(長唄近代曲や新内上調子を除き)にも関わらず何故弾けるか。それは楽器を知り尽くしていることと、音楽が体の中にあるからの両方の賜物でしょう。

 平井先生の話しの後に僕の話しをするのも大変僭越ですが、僕は著書を演奏会等で買って下さった方に記念のサインをする際、名前がそのまんま書いただけの代わりと照れ隠しにその日弾いた楽器のイラストを描かせて頂いています。その絵は不思議と聞き手目線か楽器として魅力的な方向からで、決して弾き手目線じゃないんです。
  これも、イラストの練習をした訳でも、楽器を良い角度に置いて描いてみた事がある訳じゃないのです。不思議と楽器との付き合いが濃くなり上達すると絵も上達するんです。すなわち、絵が良い感じで描ける楽器なら、一弦が切れても完奏できるのかもしれません。その意味ではヒデちゃんが壊した(しつこいっすネ)ダラダラ・エクタラでも音楽は出来た理屈ですが、弾く度に下がって音にも成らなかったのでさすがにあれは。でもベンガル音楽じゃなくて良かったら何か出来たと思います。

 10年程前、キューバのソン楽団をやってた時、サルサ楽団から助っ人として派遣して貰った歌い手兼ボンゴ奏者のK君が、僕の楽団を抜けてキューバに行っちゃってから、便せん十枚近いラブレターをくれました。どっちもひげ面でラブレターもないですが、当時、ラテン音楽ファンの中でも四面楚歌に成っていた僕に取っては正に愛のこもった励まされる手紙でした。
 何故に四面楚歌だったかと言うと、サルサ楽団にメンバー持ってかれたり、僕がやり始めたアイディアやアンサンブルをパクられたりの日々だったからですが、そんな中K君も気分的には彼らに同調してたのでしょう。

  当時の東京のサルサ系音楽演奏家には「インド音楽出身の若林さんのキューバ音楽なんて」とか「若林さんのトレースのアドリブってシタールっぽい」とか言われていたようです。K君も実はそんな思いでいたらしいのですが、キューバに行ってびっくり、なんとキューバには「若林さんみたいな弾き方の演奏家がたくさん居た!というのです。
  日本ではサルサと比較して「インド音楽っぽいのか」と思っていたら全然オッケーですよ、と書いてくれたんです。キューバで習った日本人より、行ったことのない若林がキューバっぽい謎をK君は「若林さんは日本で数少ないムスィーコだったんです」と迄評してくれました。
  Musicoは英語のMusicianですが、キューバでは特別の意味を持つそうです。日本の文化では「邦楽家」より「三味線弾き」の方が本物っぽい雰囲気がありますからこの点については、またいずれ掘り下げるとして、そんなんでその手紙は凄い励みになったので 。

  あっ!!そう言えばその手紙とキューバのシェケレをK君から託されて運んでくれたのは、先日二人の息子を連れてきたあの佐藤さんじゃないか!!

 先日からの「伝統音楽と最近の楽しかろう良かろう音楽との狭間 」的なテーマは、引き合いに出された岩田太郎君から、とりあえず「大筋では師匠が僕と同じ路線であることを再確認して安心しましたが、も少ししっかり読ませて!」とのお返事なのと、イギリスの太郎君も忙しそうなので、ちょっと中断ですが、僕が一方的に話しを逸らせつつある「バナナ話し」と「ムスィーコ論」及びそれが育ちにくい日本の文化風土については今後もじわじわと確信に迫って行きたいと思います。
  結構身内で付いて来れない人も多いんで、読者の感想も是非下さいな。

 さて、今日の北区のアフガン音楽の現場が「隅田川と荒川が平行し隣接する辺り」と聞けば当然、ギター・バッグにラバーブと捕虫網を詰め込んで早めに出掛けたのですが、夕方のラッシュアワーにそんな大河二本渡る場所に行けば、河原に居る時間よりバスに乗ってる方が長いという大失敗。
  それでも今年少なめだったツユムシの幼虫が5頭程採集出来て無駄足にはなりませんでした。

 
時期と時間帯のせいかこんなに広大な草原に昆虫は少なかった。
 
8月27日 若林忠宏

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