| 2005年8月ダイアリー | ||
| 8月3日(水) マレーシア音楽演奏 | 8月19日 (金)アフラックCM。 | |
| 8月4日(木)西陣織とのコラボレイション | 8月22日 (月)「子供には手を抜けん」 | |
| 8月8日(月) 福島子供館で演奏と 8/12写真を追加 |
8月23日(火) LIfe&Music in Fukuoka |
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| 8月9/10日(火) 福岡で太鼓教室。 8/12写真を追加 |
8月24日(水)「瓢鰻亭」でアフガン音楽 9/25写真を追加 | |
| 8月11日(木) お世話になりました。 | 8月26日(金) 原美術館でアフガン音楽 | |
| 8月12日(金) 言葉と語りと音楽と | 8月27日(土) 名古屋でアフガン音楽 | |
| 8月18日(木) お元気ですか | 8月28日(日)ギリシア音楽をパーティーで | |
| 8月31日(水) 小倉で弦楽器特集 |
| 2005年8月ダイアリー | |
暑中お見舞い申し上げます。 |
| で、今年はリハ一切無し。 曲も二曲は今迄通りですが、一曲はその場の即興。 若林が客席の子供達、お父さんお母さんに対して「じゃあこのカウベルみたいな打楽器にはこんなリズムを」「この大きなお兄さんにはお父さん役の太鼓を」の様に客席に言ったのと同時に初めて知らされてその場で演奏する。「即興組み立て音楽」。 でもさすがに何年ものお付き合い。 先生方は見事に「民族音楽大好き青年」に成り切って、もしかしたら培った西洋クラッシック音楽の常識を越えながら楽しそうに嬉しそうに演奏してくれました。 その御陰で、ちょっと厳しいいんじゃない?と思われていた90分もの長丁場を休憩無しで、しかも舞台と客席が離れているホール(わいわいホールという楽しい名前)で行ったにも関わらず、子供達はしっかり集中して、楽しんでくれました。 学校の先生とは言え、転勤も有れば、進路指導主任を任されたり、お子さんが生まれたり、親御さんの介護をされたりで、何時迄も同じ様な生活が続く訳ではないに違いないところ。長いお付き合いをして下さることは本当に嬉しい限りです。 新たなプログラムと、未来につながる夢 今回は、お昼を挟んだ二部で演奏会形式、一部では「工作室」で「リサイクル民族楽器作り」を行いました。 先日のタモリ倶楽部でご紹介しました若林考案の「百円ショップから民族楽器」の発展形で、空き缶やペットボトルなどの廃棄物から民族楽器を作るという工作体験教室です。 「工作室」の担当の先生は、児童文化センターからそのまま担当を続けられてい、元小学校教員の佐久間先生。 明るくて優しい素敵な先生ですが、なんと昨年も今年も参加してくれた高校音楽教員のお一方の小学校時代の恩師。その当時は中々厳しい先生だったとのこと。 そんな昔堅気の「愛情たっぷり、だから厳しい」先生が、今も変わらず子供達に道具の使い方、後片付けをしっかり厳しくご指導されている姿に、新築のビルに大きく様変わりしても、福島の子供達に夢を与え続けた「子供館(児童文化センター)」の伝統が見れて嬉しかったです。 市役所から派遣の担当スタッフも、暖かく子供に接する素敵なお兄さんでした。「来年もまた是非」 の言葉を戴いて、暖かな気持ち、子供達に夢や未来、考えたり、作ったり、大切にしたりする気持ちを一緒に考えさせてもらえる場にこれからも関わらせて戴ける光栄を噛み締めて帰路につきました。 皆さん嬉しいひと時をありがとうございました。また宜しくお願いします。 ★8/12お送り戴いた写真と、下記の嬉しいメッセージを追加しました。 「お疲れ様でした。お世話になりました。大変楽しかったです。 やはり今日のように演奏をする機会は大切ですね☆気持ち良かったです。 それもこれも若林先生の側で一緒に演奏させていただいたからこそです!! また、若林先生の前半アゴゴで会場の子供達を虜にしていた様子、 私もそのひとりになりつつ、大変勉強になりました。 日々ジェンベを叩きながら、いろいろな国の音楽に想いをを馳せたいと思っています。 また、お会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。」 ★追記 そう言えば、面白い話を書き忘れていました。 各地から集まって下さった先生方に、感謝の言葉を述べながら「でも、今回はリハ無し!その場の雰囲気に合わせてやりたいから」と無情な若林。すると「え〜!どうしよう!」と不安がる人も。ところが「まあなんとかなるでしょう」の意味か?だれかが「サスケネー」と言いました。若林がすかさず「何?それ?」というと福島弁で「No Problem」と言う意味だそうです。 若林は、事有る毎に「日本以外の多くの国で『最も多く発せられる言葉はNo Problem』なのに、日本じゃ『どうも』とか『すいません』が多過ぎ。そんなことじゃ楽しい音楽は出来ないよ!」 と言ってましたが、なんと福島は例外にすべきだったんですね。独特な方言「サスケネー」が頻繁に用いられるなんて、凄い! 「で、その語源は?」と尋ねると、なんと誰も答えられない。すかさず「サスケネー」を使ってみよう!と言いかけた瞬間「差し支えない、だと思うよ」という素晴らしい名回答。その先生は、音楽教員らしからぬ歴史や言葉のうんちくに詳しい面白い先生でした。 |
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| 方言に憧れる東京っ子。ちいさな国にもたくさんの方言。豊かさの証ですね。 |
| 8月12日(金) 言葉と語りと音楽と | |
8月12日は、福岡での新たな生活空間への家具や家電製品の配達を次の福岡の日程に合わせてアレンジして、何時もの便で東京へ。 |
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言葉と語りと音楽と《その1》 |
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| 言葉と語りと音楽と《その2》 何かが動いている? 【暗示的な出来事】 この春から、若林の音楽人生が大きく変わりつつあることはこの日記にも随分書かせていただいておりますが、それは、果たして自分と、関わってくれる人々の願望が成すものなのか、それとも運命なのか、それとも運気を感じて動いた結果なのか? これが分るのはもう少し先の様な気がします。 しかし7月30日以降の数日は、特に運気を感じる不思議な出来事が多く、願望とか頑張りとは別な何かが動いている気配を一層強く感じます。 12日の夜のオリエンタル音楽教室では、長年の課題が驚く程ストレートに説明出来た不思議な出来事が有りましたが、今思えばそれは幾つかの不思議な出来事によって暗示されていた様な気がします。 最も近いもので言えば12日のお昼過ぎ、羽田から吉祥寺迄の電車の乗り換え駅で、15年近くも遭っていなかったアラブ弦楽器の元お弟子さんを見かけた事。 彼こそは若林が音楽で最も伝えたい「不器用でも本心」という思いを抱いた時期に共に音楽の喜怒哀楽を感じた仲間と思っていたのに、全く逆の世界に進んでしまいプロ演奏家になった人でした。 気づかず通り過ぎたその表情に 若林が何を感じたのかはともかくとして、その日の夜にそのテーマでレクチャーをしたのが、昼に彼を見かけたからと言うなら分るんですが、レクチャーした時には午後の遭遇は忘れていましたから今にしてみれば暗示の様に思えてなりません。と言うのもレクチャーの直前に昔お世話になった方の凶報が入って、やっとレッスンした様な状態でしたから。 【偶然か?警告か?】 お彼岸が近いからかもしれませんし、8月は広島、長崎の原爆と終戦の月だからかもしれませんが、最近殆どTVを着けなくなった若林が出掛ける準備中のほんの数分TVを着ければ、何らかしらのメッセージが感じられる報道や番組が多く感じられます。 7月末の福岡からの帰路、羽田空港大パニックに遭遇しましたが、その前々日とこの12日は福岡市内で大小5つもの交通事故の現場に数分差で遭遇。12日はきっと福岡市警にとっても極端な日だったかもしれませんし、他の場所でも事故が多発したのかもしれませんが、勝手な都合と思惑で走り回っているにも関わらず、まるで事故に沿って走った様な不思議な一日。 事故はいずれも追突で、当事者がその場で立って事情聴取を受けている幸いに軽いものばかり。羽田パニックも大きな事故には繋がりませんでした。そして若林が帰京した日の夜、福岡空港に緊急UターンしたJAL機も犠牲を出さずに。 若林が守られていて事故の当事者に成らずに済んでいるのか、それとも若林への警告なのか? 否、日本全体、もしかしたら世界全体に対する警告なのかもしれませんが、占い師でも予言者でも有りませんから分りません。 三つもの追突事故に遭遇した高速道路に入る直前、運転手さんが何時に無い珍しく速いスピードで一般道を走られたのですが、あれがもっと速かったら当事者だったかもしれないタイミング。「国宝級タイミング外しの名人」の悲しい称号を戴いた若林も役に立つ時があるのでしょうか? んな訳ないでしょうけど。 でも、もしかしたら2005年の8月は、若林のみならず多くの人にとって大きな転換期となるのかもしれません。 信心深い人間でありたいと思っていますが、宗教家や霊能者、占い師さんからは程遠いので、危機感を煽る様な事はしたく有りませんが、ここで何も変わらずに先に進んでしまった場合、もっと大きな物を失う様な直感があるのです。 この「直感」 は「第六感」というのでしょうか? 子供の頃から「お馬鹿だけど『勘』は良い」と言われて来ましたが、これもその「勘」なのでしょうか。 そう言えば、その「勘」「直感」は3月1日に福岡空港に着いた時から徐々に強くなっているように思います。 空港の駐車場に向かった時、前方の「丘」が妙に気になりました。もしかしたら前世と関係があるのか、その「丘」が何かを伝えようとしているのか? 何か所縁があるような気がしてなりません。 |
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言葉と語りと音楽と《その3》 |
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| 言葉と語りと音楽と《その4》 「受け止めたい」という想いが「勘」を突き動かす? 「五感」が頭脳と直結しているのなら、自分は、頭脳が「お馬鹿」な分「勘」「第六感」を駆使して「五感」を補っているのかもしれません。 そしておそらく「勘」「第六感」は「ハート」「感情」「想い」と直結している。 だから、限られた時間、現地の師匠や、来日中の師匠により多くを学びたい!という強い「想い」が「第六感」を突き動かし、頭がボーッとする程の酷暑のインドやマレーシアでも五感を働かせてレッスンを学ぶ事が出来る。 これは人と接する時でもきっと同じ。師匠の教えを「受け止めたい」のと同様に,相手の心を「受け止めたい」と強く願うと「勘」「第六感」が働き、替わりにギスギスした五感は衰える。もちろん衰えたままじゃ困るんですが。何分「伝えたい」ばかりで生きて来て「受け止めたい」と思う様になったのがごく最近なので。訓練中なんです。 言葉さえも違って聞こえる? そんな不思議な変化を自覚すると、人の言葉さえも違って理解されて来ます。 自意識過剰な思春期に身に着けた「人の言葉の先を読む」とか「人の言葉の裏を読む」とは全く異なる、でも人の言葉をそのまま受け取るのではなく、たまたま選ばれたものとして楽に受け取れる様な。その分、言葉よりも語調が気になって、その心が分らなくなったりもしますから、研ぎすまされ方が中途半端な状態で危ない感じもしますが、「言葉に時間や歴史」そして「言葉を中心に動く心」を感じる様になったのは大きな変化かもしれません。 人は常に思いをストレートに言葉に表現出来ている訳ではありません。 その時々で変わる気分に合わせて気楽に言葉を交わせる間柄ならば、幾らでも言い替えたり、言い直せるのですが、そうでもない時の言葉や、自分に言い聞かせる様な言葉は、逆に心を不自由にしてしまったりする。 その言葉に揺れる心が掴まっている時もあれば、捕らえられている時もある。そんな人の心の姿が見える様になってくると、出て来た言葉で誤解したりは無くなって行き、いずれは語調や顔の表情にさえも惑わされなく成って行く様に思います。 人が発した「言葉と心との関係」は頭の理解を越えたところで感じている気がします。もしかしたら「第六感」で感じているのかもしれません。 |
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言葉と語りと音楽と《その5》 |
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| 心のひだに届く迄、音の行方を追ってみたことがあるだろうか? |
| 8月19日(金) アフラックCM | |
| 8月19日は、急に入った録音のお仕事で、アヒルのCGで有名なアフラックのCMの音楽にトルコ民族楽器の音を提供してきました。 オーボエの元祖ダブル・リード管楽器「ズルナ」にティンパニ、トルコ大太鼓ダウール、小太鼓、シンバルなどなど。9月下旬からOAの様です。 |
| ところが演奏してみて驚きました。 もの凄く音が良いんです。 音響設備の工夫と言うよりは、たまたま余計な造作をしていなかった結果と、その場の持つエネルギーのなせるものの様に思えました。 このところ、福岡県豊津と、品川の美術館で、立て続けに想いがこもってしまったアフガン音楽を演奏した事もあって、この日の一曲目の古典器楽曲は、我ながら珠玉の出来映えだったと思います。 客席には、先日の名古屋の演奏で知り合って、CDを頂き、10月の東京での演奏では太鼓・打楽器を担当して共演させて頂く事になりました尺八とお箏演奏家のお二人、名古屋大学の先生、アフガン文化研究所関係の方も居て、嬉しい笑顔を送り続けてくれました。 プログラムは若林の演奏の前に、アフガニスタン支援の為に現地調査を積極的に行っているJR総連の方が現地報告を話されました。その方は、なんとお住まいが若林と同じ吉祥寺。とても寡黙ながら秘めた情熱を感じさせる素敵な方で、お話も分り易く。若林の演奏にも大変興味をしめして下さり、JR総連主催の報告会でも「ぜひ演奏を」と言って下さいました。 主催者横山さんの車で一緒に駅迄行きましたので「ご一緒に吉祥寺迄お話しながら」とお誘い下さったのですが、寄るところがあったので失礼しました。結局終電が無く寄らずに帰ったんですが、吉祥寺駅に着いてみると改札でバッタリ。新幹線も在来線も結局同じだったみたいで、不思議でした。 |
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| 心が場所を育て、場所が人を育てる。音という触覚でそれを拾って帰る。 |