2005年8月ダイアリー  
  8月3日(水) マレーシア音楽演奏 8月19日 (金)アフラックCM。
  8月4日(木)西陣織とのコラボレイション 8月22日 (月)「子供には手を抜けん」
  8月8日(月) 福島子供館で演奏と
           8/12写真を追加

8月23日(火) LIfe&Music in Fukuoka

  8月9/10日(火) 福岡で太鼓教室。
         8/12写真を追加
8月24日(水)「瓢鰻亭」でアフガン音楽           9/25写真を追加
  8月11日(木) お世話になりました。 8月26日(金) 原美術館でアフガン音楽
  8月12日(金) 言葉と語りと音楽と 8月27日(土) 名古屋でアフガン音楽
  8月18日(木) お元気ですか 8月28日(日)ギリシア音楽をパーティーで
    8月31日(水) 小倉で弦楽器特集

               2005年8月ダイアリー
 

 暑中お見舞い申し上げます。

 今年の梅雨の雨は多からず、少なからずだったのでしょうか? そして夏も昨年の酷暑よりは少しはましなのでしょうか?
 一通りのおかしな気候を体験し、少しは落ち着いた「昔ながらの夏」を感じたいものですが、皆さんは如何おすごしでしょうか?

  民族音楽センターと若林忠宏の今年の夏は、ちょっと嬉しく、ちょっと忙しく、ちょっと寂しい夏です。

 忙しいのは、24TVのお仕事が名古屋中京TVさんであるのと、民族音楽センター九州の本格的な始動、秋の福岡の二大フェスティヴァルへの参加準備に加え、一転して東北の楽器博物館のお仕事が立て続けに有ること。
 そして東京堂出版さんからの日本初の「民族音楽辞典」 、岩波書店さんからの若林の今後の演奏活動の方針を世に問う「スローに楽しむ民族音楽」の最終校正が8月中と重なった事。さらに、1999年の民族音楽ライブ・スポット「羅宇屋」閉店以後、方針が定まらなかった3000点弱の民族楽器コレクション、そして世界中の音楽プログラムの今後の活用方針の大幅な改革、それに伴う楽器の大量移動。
などなどを本年中に行う必要が重なりました。

 それに加えてプライベートでも、若林の生家を想い出させる吉祥寺の一等地の借家の期限が迫り、猫達と何処に引っ越そうか?と思い悩む日々も重なり、ちょっと落ち着かない感じの忙しさです。

  ちょっと寂しい、というのは、そんなこんなの忙しさで昆虫採集に行けない。採集しても十分に飼育出来ないから。昨年の直翅目の数百個の卵もまだ冷蔵庫です。
 まるで、若林が九州、名古屋、京都と飛び回る夏をご存知だったかの様に、葉山や千葉の海の家の演奏のお話も今年は来ませんでした。それもちょっと寂しいかな?
盛り上がってやってるのでしょうか?

 振り返ってみると今年は春から例年と違ってました。
例年ですと、ワン・シーズン前にどどっとお仕事の依頼が来る感じで、春は夏の準備、夏は秋の準備、と百貨店さんの祭事担当者みたいでしたが、今年の春は、秋以降のお話がやたら多くて「こいつぁ春から縁起が良いのか?どっちじゃ?」という感じでした。
 ところが秋以降のお話が多い割りには、夏のお話が来ない。
 その頃には九州と関西、そして東北でこんなにお話が盛り上がるとは思ってもみなかったので、不思議でなりません。まるで数年前からの綿密な計画の様にすっぽりとプロジェクトが埋まり、人生最大の転機?を暗示するかの様な不思議な流れを感じます。

 もともと風船の様に地に足がつかず、遊びに行ったら帰って来ない様な子供が,生まれ育った武蔵野で暮らし続ける為には,世界を持って来るしかなかった様なところがありました。それも一通り集まってしまって、でも自分の回りにその気持ちが伝わらない。なんだか違う感じで世間でも民族音楽が流行ってる。
 ふと、自分に立ち戻ったら一気に子供返りをして、淡水魚や昆虫や、犬や猫やプラモデルがこれも半端じゃない数集めて来て。今は無くなった子供の頃の小川の生き物、雑木林の生き物に囲まれて。飼育記録や新たな発見はもう一冊の本になりそうです。

 それが一つの運命的なきっかけから外に出てみると、 全国各地で若林の20年の民族音楽ライブ・スポットの活動を今も高く評価して下さる方と出会う。店を辞めてから世に問うたCDや著書を評価して下さる方々と出会う。「勿体無いから、もっともっと色んなところで活躍して下さい」と励まされる。そのタイミングが、気づけば「私設民族楽器大博物館」と「吉祥寺動物王国」が地理的にも経済的にも限界を見る直前。
 
 人生の中であまりに大きな変化で、自分のがむしゃらで頑固な意思とはあまりにかけ離れた感じで進んで行く状況に、じっくりと喜びを噛み締める事が出来ていないのですが、人生二度目位の「これはきっと上手く行く!」という直感を強く感じます。
 こんな事を言うと、今迄助けて来て下さった方々に大変失礼ですが、人の話がこんなに自然に頭、心に入って来たことが無い程人の話を聞きながら、細かな事に悩む暇もなく、人の好意に支えられ,素直に甘えて頼りながら、勇気を持って流れに身を任せる様な毎日。
 ちょっと嬉しいこと。それは、今迄の自分からは想像
つかない生き方がイメージ出来始めたこと。
  きっと来年の夏は新しい生き方、音楽活動が形になる。その時は心の底から嬉しさと感謝が止めども無く溢れ出て、今、そして今迄助けて来てくれた方にも「良かったね」の笑顔が浮かぶ。そんな予感が嬉しくてなりません。

8月3日(水) 藤沢工科高校でマレーシア音楽演奏
 

 「最近の修学旅行って、外国なんですって!」と驚いてから久しいものがあり、予算がたっぷりの私立高校のみならず、地方の公立中学校も韓国ぐらいは当たり前、っていうご時世です。

 中高校生の団体旅行でどれほど国際感覚が養われるのか? それ以前に家族旅行でとっくに何度も海外に行ってる子供が少なくなかったり、上からの指導で「しかたなく」行ってる? 無難に終われば良いと思ってる?先生達じゃ意味ないんじゃない?
 それよりも問題なのは、かつて修学旅行の定番の日本各地の観光名所が閑古鳥で大変。長年修学旅行をあてにして努力を怠ったのだから仕方ない? 
  などなど、色々なご意見がありますが。若林としてはやはり「考える」「学ぶ」修学旅行をして欲しいな。出来れば定番観光地じゃない観光客が遠のいた、でも見るべき、学ぶべきものが多い日本国内に行って欲しいな。と思います。

 そんな中で、この度若林に「マレーシア音楽の演奏」をご依頼下さった神奈川県藤沢工科高校は、二年生の修学旅行地マレーシアの文化を学ぶ講座を数回に渡って学ぶ特別授業を行う程先生方がかなり熱心に取り組んでおられます。
 担当の先生の一人が、ネットで「マレーシア音楽」を検索して若林にたどり着いたとの事ですが、先生方は若林の音楽の他にも在日のマレーシア人の若者を呼んで、文化についての講演も依頼し、イスラム文化に於けるマナーを説くなど有り難い姿勢を見せてくれました。

 さすがに高校生は、小中学生の「食い入る様に聴く」と比べるとかなり冷ややか。
それでも数人が懸命に反応してくれたり、全体的に私語も携帯メールも我慢してかなり頑張って聴いてくれた感じでした。
 今回特に先生達が大変丁寧だったのに驚かされました。
もちろん何処の学校でも、感じの良い先生が増えて来ている感じですが、藤沢工科高校の二年生の先生達は、イベントの運営がなんだかプロっぽかったのに関心させられました。
 「また来年、この様な企画となりましたら、宜しくお願いします。」という暖かい言葉に送られて、久しぶりに訪れた会場「湘南台文化センター」を後にしました。
ありがとうございました。

8月8日(月)福島「こむこむ館」  演奏と楽器作り教室
 










 8月8日(月)は、一年振りに福島子供館で民族音楽を子供達に紹介するプログラムに呼ばれて行って来ました。
 子供館は、昨年迄は福島駅から少し離れたところで、庭には蒸気機関車があり「児童文化センター」の名で、それこそ若林の世代の地元の人々には数十年親しまれて来た福島随一の子供教育施設でした。
 昨年は、その児童文化センターで、民族楽器の展示とアフリカ・カリブ太鼓演奏会を行い、前日入りして昆虫採集もしましたが、今年は、自宅の来春引っ越しの為に昆虫採集をひかえ、当日入り。
 福島の多くの子供達に長年に渡って科学と自然と夢と冒険を与え続けて来た「児童文化センター」は、昨年惜しまれて閉館し、この8月に福島駅前に新たに建設された「こむこむ館」として再スタートしました。今回の演奏会と楽器作りは、「こむこむ館」開館まもない目玉イベントだったそうです。


頼もしいお弟子さんとの再再開
 実は、若林は福島には、沢山の生徒さんお弟子さんが居ます。なんて言うのもおこがましいのは皆さん全県の高校の音楽の先生だからで、この四、五年福島県教育センター、福島全県教員音楽部会、県南音楽部会で計十回レクチャーと実技指導、楽器作り指導を行っているからです。
 昨年の「児童文化センター」の際「駄目元」でお声を掛けましたら、5,6人の先生方が各地から駆けつけてくれて、半年振りの「西アフリカ太鼓楽団」再結成を発表出来ました。
 そして今年も駄目元でお誘いしましたら、昨年のメンバーがほぼ全員が再び馳せ参じてくれたのは嬉しかったです。
 駄目元で頼む、というのも失礼な感じですが、夏休みは先生方もご自分のお子さんの世話もあるし、学校は休みで良い様に思えて、吹奏楽部の練習や大会が有ってむしろ一年で最も忙しい時期になる訳で「くれぐれもご無理のない様に」お誘いしているのです。それが集合時間になると、次々に福島の各地から車を飛ばしてきてくれた先生方が西アフリカ太鼓ジェンベや打楽器を持って現れてくれる。感動の瞬間でした。

 ところが丁重にお誘いしながら「どんな曲をどんな曲順で?」と心配で仕方ない感じの先生方に若林はかなりいい加減に「まあ、この前の曲をそこそこ楽しくやれれば」的なことしか言いません。本番は、曲の進行とか曲繋ぎなどを気にしていると「ああ、大人になるとあんな風に緊張して音楽をやらなくちゃならないのか」と子供達に伝わってしまう訳で、それ以前に「譜面から音楽が生まれる感じは民族音楽らしくない」ということなんです。
 でもそれを西洋クラッシック音楽一辺倒だった先生方に急に要求しても酷というもので、昨年は本番前に集まって頂いてリハーサルをしました。
   で、今年はリハ一切無し。
  曲も二曲は今迄通りですが、一曲はその場の即興。
  若林が客席の子供達、お父さんお母さんに対して「じゃあこのカウベルみたいな打楽器にはこんなリズムを」「この大きなお兄さんにはお父さん役の太鼓を」の様に客席に言ったのと同時に初めて知らされてその場で演奏する。「即興組み立て音楽」。
 でもさすがに何年ものお付き合い。
  先生方は見事に「民族音楽大好き青年」に成り切って、もしかしたら培った西洋クラッシック音楽の常識を越えながら楽しそうに嬉しそうに演奏してくれました。 
 
 その御陰で、ちょっと厳しいいんじゃない?と思われていた90分もの長丁場を休憩無しで、しかも舞台と客席が離れているホール(わいわいホールという楽しい名前)で行ったにも関わらず、子供達はしっかり集中して、楽しんでくれました。

 学校の先生とは言え、転勤も有れば、進路指導主任を任されたり、お子さんが生まれたり、親御さんの介護をされたりで、何時迄も同じ様な生活が続く訳ではないに違いないところ。長いお付き合いをして下さることは本当に嬉しい限りです。

新たなプログラムと、未来につながる夢
 今回は、お昼を挟んだ二部で演奏会形式、一部では「工作室」で「リサイクル民族楽器作り」を行いました。
 先日のタモリ倶楽部でご紹介しました若林考案の「百円ショップから民族楽器」の発展形で、空き缶やペットボトルなどの廃棄物から民族楽器を作るという工作体験教室です。
 「工作室」の担当の先生は、児童文化センターからそのまま担当を続けられてい、元小学校教員の佐久間先生。 明るくて優しい素敵な先生ですが、なんと昨年も今年も参加してくれた高校音楽教員のお一方の小学校時代の恩師。その当時は中々厳しい先生だったとのこと。
 そんな昔堅気の「愛情たっぷり、だから厳しい」先生が、今も変わらず子供達に道具の使い方、後片付けをしっかり厳しくご指導されている姿に、新築のビルに大きく様変わりしても、福島の子供達に夢を与え続けた「子供館(児童文化センター)」の伝統が見れて嬉しかったです。
 市役所から派遣の担当スタッフも、暖かく子供に接する素敵なお兄さんでした。「来年もまた是非」 の言葉を戴いて、暖かな気持ち、子供達に夢や未来、考えたり、作ったり、大切にしたりする気持ちを一緒に考えさせてもらえる場にこれからも関わらせて戴ける光栄を噛み締めて帰路につきました。
 皆さん嬉しいひと時をありがとうございました。また宜しくお願いします。

★8/12お送り戴いた写真と、下記の嬉しいメッセージを追加しました。
 「お疲れ様でした。お世話になりました。大変楽しかったです。
 やはり今日のように演奏をする機会は大切ですね☆気持ち良かったです。
それもこれも若林先生の側で一緒に演奏させていただいたからこそです!!
また、若林先生の前半アゴゴで会場の子供達を虜にしていた様子、
私もそのひとりになりつつ、大変勉強になりました。
日々ジェンベを叩きながら、いろいろな国の音楽に想いをを馳せたいと思っています。
また、お会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。」

★追記
 そう言えば、面白い話を書き忘れていました。
 各地から集まって下さった先生方に、感謝の言葉を述べながら「でも、今回はリハ無し!その場の雰囲気に合わせてやりたいから」と無情な若林。すると「え〜!どうしよう!」と不安がる人も。ところが「まあなんとかなるでしょう」の意味か?だれかが「サスケネー」と言いました。若林がすかさず「何?それ?」というと福島弁で「No Problem」と言う意味だそうです。
 若林は、事有る毎に「日本以外の多くの国で『最も多く発せられる言葉はNo Problem』なのに、日本じゃ『どうも』とか『すいません』が多過ぎ。そんなことじゃ楽しい音楽は出来ないよ!」 と言ってましたが、なんと福島は例外にすべきだったんですね。独特な方言「サスケネー」が頻繁に用いられるなんて、凄い!
「で、その語源は?」と尋ねると、なんと誰も答えられない。すかさず「サスケネー」を使ってみよう!と言いかけた瞬間「差し支えない、だと思うよ」という素晴らしい名回答。その先生は、音楽教員らしからぬ歴史や言葉のうんちくに詳しい面白い先生でした。
   方言に憧れる東京っ子。ちいさな国にもたくさんの方言。豊かさの証ですね。

8月9日/10日 福岡で太鼓教室

   8月9日〜10日の福岡は、大橋の音楽スタジオ「Cube」さんでインド音楽太鼓タブラとアラブ音楽太鼓ダラブカのレッスンを行いました。
 9日は受講生が少なかったんですが,Cubeのスタッフで、インド・パンジャブ地方の美青年といった感じの実際インド旅行から帰国したばかりの篠原君とその先輩の優君。少しキャンセルが出ましたが、スタジオに近い芸工大(現九大)の院生から数人が集ってくれました。その晩感動の感想文メールを戴きましたので、内容は濃く伝わった様です。 
  10日は結構集まってくれて、若林の記念すべき「福岡の初弟子」であるダラブカ受講生に加えて、二胡と三線の「元気ねえさん」大関さんがお友達を誘ってくれて。加えて6月末のワンナインStudioでのワーク・ショップ以来受講希望がやっと叶った成さん、前日のレッスンに感じ入るところが有ってくれたのか優君も翌日はダラブカを体験してくれました。
 嬉しいのは、ワンナインStudioでのワーク・ショップの流れの受講生さんに、新たな出会いから広がった受講生さんが加わった事。
 しかし、その反面、若林の来福レッスンを心待ちにしてくれていて「次回も宜しくお願いします。」と手を取って見送ってくれる程の熱心な受講生さん曰く「勿体無い、宣伝が良く無いのでは」「若者ばかり狙わずに、熟年層で民族音楽のファンは少なく無い筈」と言ってくれた部分は、確かに真摯に受け止めるべき点と思いました。

 9月には小倉でジェンベ教室も始りますが、こちらは宣伝、運営を助けて下さる方が居ます。福岡でも徐々にそんな流れになって行ってくれれば嬉しい限りですが、宣伝、運営を誰にも代行せずに、ここ迄こぎ着けられたのは、ある意味たいしたものですし、九大の藤枝先生、市役所観光課アジアマンス担当スタッフさん達のお仕事を越えた暖かいバックアップの御陰と本当に感謝しております。

★8/12大関さんから送って戴いた写真を追加しました
   間違えた時思わず自分で笑っちゃう人は必ず上達する。失敗を笑える人は強い。
8月11日(木) お世話になりました。
 

福岡での新たな第一歩 
  この9日からの福岡は、今年の三月から早くも十回目。
  気づけば福岡のマンションの家賃が東京の感覚からは信じられない程安く。これならホテル宿泊費と同じか、むしろ安い?ということで、11日地元のコーディネーターさんの助けを得て地元不動産屋さんで中々良い部屋を見付ける事が出来ました。
  場所は、賑わいの天神から西鉄大牟田線で三つ、あのタモリ氏の生家に近いちょっと長閑で庶民的な住宅地。高所恐怖症の若林にとって25年の訓練がある教室の七階よりひとつ高い部屋からは直ぐ近くに油山から筑紫野の里山、その向こうに背振山地、筑紫山地の山が見える怖いけど嬉しい眺め。

 はじめっからの一人暮らしは生涯初の事で、ホテル住まいよりは精神的に落ち着いてしっかり音楽活動が始められる一方で、異郷の地のなまじ自宅の一人っきりは、かつてから想像も出来ない孤独感もあるかも、とこの歳になって味わう期待と不安。こりゃ太宰府にお参りに行って気合いを入れねば?
 なんて甘ったれた事を言ってる場合じゃありません。
 失意の左遷の道真公より十歳若いんですし、新たな希望の第一歩として、今迄の音楽家人生を見つめ直す為の拠点作りの為の福岡ですから、明るく楽しい充実した時間になる筈です。

お世話になりました。
 3月の小学校の演奏の際にお世話頂いたイベント・コーディネーターさんは、その後も渡福の度にろくなお礼もしていないのにホテルの予約から、文化的に見るべき所、本物志向の仕事ぶりが素敵なお店、昔ながらの暖かなお店などをご案内して下さりました。
  それらを通じて薄らと感じた地方都市の文化事情と人々の生き方、頑張り方の様子は、若林の中にてつもなく大きなテーマを呼び起こさせてくれました。

 また、ランチタイムの楽しい会話からは若林がここ数年考えて来た事、少し思い悩んで居た事に、たくさんのヒントを戴きました。
  時代の変化、取り巻く環境の変化に戦う時も有れば、流される時も有り, 努力と才能、頑張りと運気の皮肉な歯車。夢と希望と、諦めと勘違い。人と人の繋がりの嬉しくも悲しくもある移り変わり。
 たった数ヶ月の間でしたが、それらから類推する事の出来る混沌とした首都東京の問題点。ひいては日本全体、いや世界に通じる文化論、人生論さえも新たな発見の連続。ほんとうに凄い勉強をさせて戴きました。
 否、そればかりかさらりとおっしゃって下さった一言一言に、自分がこの先どのように文化人として生きて行くべきかの一番肝心な指針も気づかせて貰った、と感謝の想いが尽きません。

  9日から11日 の宿泊はお世話になる最後。これからは「東京からのお客さん」ではなくなるので、甘える事は出来ません。福岡の音楽文化シーンも何時迄もゲスト扱いしてはくれないので、気を引き締めて臨まなくてはならないのです。
 新たに学んだ事、気づいた事、分った事、足りない事の大きな勉強が無駄にならない様、それがより多くの人々の励みになる様、一層精進して参りたいと思います。

 根性とけじめと仕事のこなし方は完璧なプロなのに、暖かさと情を欠かす事のない素晴らしい仕事ぶり、否、生き方のコーディネーターさんは、現場からの距離、周囲の雰囲気、窓からの景色、低予算でギリギリのゆったり感が得られるホテルを見事に、思い遣りの有るきめ細かさで選んで下さいました。
 その中でも 一番多く利用させて戴き、今回最後に利用させてもらった西鉄イン天神は、場所も便利な上にリーズナブルで、なによりスタッフがとても感じ良く、チェックイン時刻前に楽器を気持ち良く預かって貰ったり、色々と便宜を計ってくれました。西鉄イン天神のスタッフの皆様、お世話になりました。

 コーディネーターさんはしばしのお別れの時に「はいお土産」っとコンビニの袋を。 気心が知れて互いに軽口も叩く様になって、しばしば人の口が異常に小さい、オチョボだ、とけなして下さったんですが、翌朝袋を見てみると一口サイズの色々なオムズビのセット。そんな思い遣りを沢山下さった方でした。

  宿泊では勝手の分らない時期に、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。これからも、見るべき所会うべき人のご案内宜しくお願いします。

   相手の呼吸を感じれる人は望む事も、タイミングも見事に感じる。

8月12日(金) 言葉と語りと音楽と
 

 8月12日は、福岡での新たな生活空間への家具や家電製品の配達を次の福岡の日程に合わせてアレンジして、何時もの便で東京へ。
 前回の東京便は、TVのニュースでも大騒ぎだった羽田空港前代未聞の大パニックで、機内や大島上空旋回などで三時間も多く掛かっての帰京でした。

 猫屋敷のチェックに一旦自宅に戻れば、11匹が代わる代わる「お帰り」の声とともにハイタッチ(ジャンプしておでこを掌にあててくれる)の御挨拶。
  その後、ほどなくして金曜オリエンタル音楽のレッスンの為に教室へ。教室のマスコットボーイのチャメ君はハイタッチは滅多にしません。自宅の子達は他の子がやってるのを見て真似て全員が出来る様になったのでしょう。一人っ子のチャメ君は、ひたすら自己流の部屋の真ん中でバタンのお腹見せ式「さすって!」の挨拶です。

お邦柄から学ぶもの 
 東京で生まれ育って芸術家の親の下、親の転勤に伴う転校も無ければ、枕が変わると寝られない程のオタクですから「民族音楽ライブスポットをやっていたから」は言い訳で、海外民族音楽研修も長くて数週間で帰って来る。
  「本当は師匠に日本に来て貰った方が有り難い」が本音ほど出不精のの自分が、今迄も福島、静岡、名古屋と頻繁に呼ばれた土地はありながら、桁違いに訪れ遂には部屋迄借りた福岡は異例中の異例。

 意外にその土地の人は「何処もこんなもんじゃないの?」とその土地のユニークさや問題点に気づかずに過ごしているのかもしれません。
 ところがよそ者にはそれぞれの地方の比較的単一な個性が良く見えます。
それに触れて比較して東京の混沌振りが歴然と見えてくる訳ですが、その比較対象としては福岡は大阪と並んで個性的。否、九州の中ではステイタスな大都会である点では、プチ東京的にある意味種々雑多。
  昔ながらの文化の良さを持ちながら幾分閉塞的な地方と比べて、新しいもの好きだったり、お洒落だったり、若干軽めだったりする点は面白くもあり、頼もしくも有ります。にも関わらず確かに存在する個性は、遠い昔、大陸文化が真っ先に入って来たに違いない土地故の文化意識の高さの伝統もあるのではないかとさえ思えます。

 その意味では、若林のライフワークの一つである「シルクロード音楽文化の日本への流れ」を知る上でも、「音楽家は古代には皆シャーマンであった」「音楽家は基本的に放浪芸人であった」という持論の充実の為にも理想的な土地であると言っても過言ではない様な気さえします。

 自分の「第二の故郷」に成るかどうか以前に、全てのミュージシャンの故郷であるかもしれないのです。

 「第二の故郷になったら良いな」の段階ですが、福岡ではこの四、五ヶ月で「数年分?」と言ってもおかしくない程たくさんの事を学びました。それは、種々雑多、混沌とした首都では気づかなかった様々な「本質」でした。


 以下、かなりの愛読者さんも苦労して読むというこの日記の中でも記録的な長文ですが、東京以外にも拠点を設け新たな第一歩を踏み出すに当たって考えた事、気づいた事、「こうなんじゃないかな」と思った事を書いてみました。

 

言葉と語りと音楽と《その1》
伝わる音楽、伝わらない音楽
【心が無い、意味不明の音楽は、曲の本質が分ってないから】

 8月12日の夜のオリエンタル音楽教室は、自分の中の長年の問題「音楽って何?」「何故『感じない音楽』と『伝わる音楽』があるの?」が突然一気に分ってしまった不思議な時間でした。

 この日は、この一、二ヶ月忙しくて揃わなかったお弟子さん達が久々に揃った貴重な日。でもこの日の彼らの演奏は、相変わらず楽譜をなぞる様なものでした。

 「何故貴方達は楽譜をなぞる様な演奏をするのか?」「何故それで満足するのか?」過去二十五年それこそ「手を替え品を替え」的に伝える努力をしましたが、伝え切れないまま多くの演奏者を世に送り出してしまいました。が、この日は我ながらひじょうに簡潔な説明が出来て、自分でもびっくり。

 彼らが何を感じて、何故そう弾きたくて弾いているかが分らない不安。もっと言ってしまえば不愉快感。そこで思わず出た「なんで、そう弾くの?」という若林の質問は、なかなか理解されない質問です。何故ならば彼らは「楽譜に書かれている事」を弾いているのだから。

 思い余って弾いてみせたのは、弾く度にことごとく変化させる装飾音。勿論楽譜にそんな旋律は書かれていない。挙げ句にはメロディー迄即興でどんどん変化させることが出来るじゃないか!という実演。

  作曲家が居て、その人が作曲したメロディーさえも、数多有るものから「とりあえず」選ばれた一つに過ぎないのだ、という解釈。だから作曲された旋律を間違えずに弾くなんてことは、当たり前過ぎて意味がない、位の考えです。

  最も肝心なのは、その曲、たとえばその日の課題曲「ライラ」の中身が分っているのか?という事。
  伝えたい「ライラ」が分っていれば、装飾の付け方や、旋律のマイナー・チェンジは、言わばどうでもよい筈。どうでも良いからこそ、そこでどう弾いたかに深い意味が生じる。でも日本人と欧米人のアラブ音楽の演奏者、学生は「どうでも良い」に辿り着いていないから、その先の「深い意味」「洒落」には到底到達出来ない。それ以前に「仮に選ばれた旋律」であるかもしれない「作曲された旋律」さえも意味不明にしか演奏しない。
  下降旋律かと思えば、ちょっと上昇してみたり、アクセントが特殊だったりの作曲の小技にみられる矛盾に満ちた旋律でも「ライラ」を分った上で弾いていれば「矛盾」はライラの多面性を伝えるものになる筈。「矛盾」は「魅力」の表現の為に有る。
 それが分ってないと「矛盾に満ちたモチーフ」は「?」的にしか表現されない。
 彼らの演奏を聴いていると、かなりにアラブ音楽の雰囲気を出している人のものでも「多分ライラは女性? おそらく踊り手? 美形らしい? 多分アラブ人? もしかしたらペルシャ娘? 夜という意味も有る?」的にしか聞こえて来ない。
  演奏者本人が「分ってない」と、出て来た音も「?」だらけな感じになってしまうのです。

 「
弾いて欲しいものは、そんな不気味な意味不明な「ぼやき」ではなく「語り」なんだよ!」と、言いながら「インストゥルメンタルの曲でさえやっぱり【語り】だったんだ!」と改めて認識し自ら感動!

 演奏家の私たちは、「ライラ」の、実は単純な「幼稚な性格が妖艶な姿をまとった」本質を「人を魅了する魔性」に演出して伝えなくては面白く無い。意味さえ無くなる。
 楽譜通りに上手に弾くだけだったら「上辺の美辞麗句」を並べたような嫌らしささえ感じられてしまいます。
「ライラは美しい。それは時に冷たい程。でもその中に少女のような可憐さと、幼稚さを秘めている。が、彼女は愛情の強さ故、残酷な程に人の心を踏みにじる」の様なものが器楽であっても「弾き方」と「心」で表現出来る筈なんです。
 
 「幸いに」と言っては失礼ですが、この日のレッスンに居合わせたお弟子さんは、はっきり言って演奏が「雑」悲しいかなそれ故に「ハートを伝えることが出来る」可能性がある。
  これがなまじ演奏が丁寧だと、文句の着け様がない。器用だったり、練習熱心だったりする「丁寧に弾ける」人には「そうじゃないんじゃない?」と言っても通じない。
「正しく弾いているのになんでけなされる?」としか受け取らない。ともすると若林がその場で即興で替えた旋律に少しでもつまづいたりすれば「自分こそ弾けてないじゃない!」とさえ言われかねない。

【音楽も『語り』と同じ】
 「幸いに雑に弾く」彼らは、有り難い事に「分ろう」として聞いてくれました。その御陰でより分り易い説明も引き出されました。

  「アナウンサー、司会者養成学校の優等生の様に、原稿を見事に間違えずに正確な発音で語り切っても何故か伝わらない場合が有る。それに対して『伝えたいメッセージ』が有れば、多少『咬む』ことが有っても、その人の言葉として暖かく、ストレートに伝わるのでは?」
  「言葉や旋律の洒落た言い回しや装飾音は、洒落だから伝わるのであって、技だったら伝わらない。仮に伝わったとしても『技』として伝わったのであれば、意味が無い。むしろ虚しい。でも、表面的にしか受け取らない間抜けなリスナーは『技』の品質に満足してしまう傾向があるので、巷には『心が無い』語りや音楽が反乱する。」

 そんなレクチャーをうなずいて聞いてくれた彼らは、もしかしたら「伝えられる」演奏家に成ってくれるかもしれない。
  でもそれは、民族音楽の現地でさえ失われつつあるかなりに大変な事の様です。
 一昔前迄ならば、アラブ音楽はアラブ人が演奏しているのか外人が演奏しているのかが直ぐに分ったものですが、最近ではアラブ人さえもが外人の様な演奏をする様になってしまったので、若林のこの主張を理解する人はどんどん減っているのかもしれません。
 世界的に「心を失った丁寧なもの」が氾濫しつつある。
  マニュアル通り、レシピ通りに工場で作った料理が美味しく感じられる様な錯覚が多くの人の感性を鈍らせている。そんな危険が音楽にも迫って来ている。そんな危機感は増す一方です。
  「器用」がプロ「不器用」がアマチュアという価値観の中では、「不器用な本心」が「器用な嘘」に淘汰されるのは目に見えています。

  言葉と語りと音楽と《その2》
何かが動いている?
【暗示的な出来事】

 この春から、若林の音楽人生が大きく変わりつつあることはこの日記にも随分書かせていただいておりますが、それは、果たして自分と、関わってくれる人々の願望が成すものなのか、それとも運命なのか、それとも運気を感じて動いた結果なのか? これが分るのはもう少し先の様な気がします。

  しかし7月30日以降の数日は、特に運気を感じる不思議な出来事が多く、願望とか頑張りとは別な何かが動いている気配を一層強く感じます。

 12日の夜のオリエンタル音楽教室では、長年の課題が驚く程ストレートに説明出来た不思議な出来事が有りましたが、今思えばそれは幾つかの不思議な出来事によって暗示されていた様な気がします。

  最も近いもので言えば12日のお昼過ぎ、羽田から吉祥寺迄の電車の乗り換え駅で、15年近くも遭っていなかったアラブ弦楽器の元お弟子さんを見かけた事。
  彼こそは若林が音楽で最も伝えたい「不器用でも本心」という思いを抱いた時期に共に音楽の喜怒哀楽を感じた仲間と思っていたのに、全く逆の世界に進んでしまいプロ演奏家になった人でした。
 気づかず通り過ぎたその表情に 若林が何を感じたのかはともかくとして、その日の夜にそのテーマでレクチャーをしたのが、昼に彼を見かけたからと言うなら分るんですが、レクチャーした時には午後の遭遇は忘れていましたから今にしてみれば暗示の様に思えてなりません。と言うのもレクチャーの直前に昔お世話になった方の凶報が入って、やっとレッスンした様な状態でしたから。

【偶然か?警告か?】
 お彼岸が近いからかもしれませんし、8月は広島、長崎の原爆と終戦の月だからかもしれませんが、最近殆どTVを着けなくなった若林が出掛ける準備中のほんの数分TVを着ければ、何らかしらのメッセージが感じられる報道や番組が多く感じられます。

  7月末の福岡からの帰路、羽田空港大パニックに遭遇しましたが、その前々日とこの12日は福岡市内で大小5つもの交通事故の現場に数分差で遭遇。12日はきっと福岡市警にとっても極端な日だったかもしれませんし、他の場所でも事故が多発したのかもしれませんが、勝手な都合と思惑で走り回っているにも関わらず、まるで事故に沿って走った様な不思議な一日。

  事故はいずれも追突で、当事者がその場で立って事情聴取を受けている幸いに軽いものばかり。羽田パニックも大きな事故には繋がりませんでした。そして若林が帰京した日の夜、福岡空港に緊急UターンしたJAL機も犠牲を出さずに。

 若林が守られていて事故の当事者に成らずに済んでいるのか、それとも若林への警告なのか? 否、日本全体、もしかしたら世界全体に対する警告なのかもしれませんが、占い師でも予言者でも有りませんから分りません。
  三つもの追突事故に遭遇した高速道路に入る直前、運転手さんが何時に無い珍しく速いスピードで一般道を走られたのですが、あれがもっと速かったら当事者だったかもしれないタイミング。「国宝級タイミング外しの名人」の悲しい称号を戴いた若林も役に立つ時があるのでしょうか? んな訳ないでしょうけど。

  でも、もしかしたら2005年の8月は、若林のみならず多くの人にとって大きな転換期となるのかもしれません。
  信心深い人間でありたいと思っていますが、宗教家や霊能者、占い師さんからは程遠いので、危機感を煽る様な事はしたく有りませんが、ここで何も変わらずに先に進んでしまった場合、もっと大きな物を失う様な直感があるのです。

 この「直感」 は「第六感」というのでしょうか? 子供の頃から「お馬鹿だけど『勘』は良い」と言われて来ましたが、これもその「勘」なのでしょうか。

 そう言えば、その「勘」「直感」は3月1日に福岡空港に着いた時から徐々に強くなっているように思います。
 空港の駐車場に向かった時、前方の「丘」が妙に気になりました。もしかしたら前世と関係があるのか、その「丘」が何かを伝えようとしているのか? 何か所縁があるような気がしてなりません。
 

言葉と語りと音楽と《その3》
直感? 第六感?
【五感が鈍けりゃ音楽は出来ない】当たり前の様で分っている人は少ない。
 
そう言えば、東京からの客人として最後にご案内を受けた中洲のユニークなスナックで面白いママさんが言った言葉も、今にしてみれば暗示的。
  タメになることをおっしゃるので「書き留めなきゃ」と言うと「駄目!」「書いたら身に付かない」とまるで若林の民族音楽のレッスンと同じ事をおっしゃいます。しかもその先の台詞迄そっくり。

 「体で覚えるって言っても第六感でヨ!」「その為には日頃五感を研ぎすませておかなきゃ駄目!」

 民族音楽を現地や現地演奏家から直に学んで「体で覚えた」と思い込んでいる勘違いが何れ程多いか? その勿体無い「勘違い」を防ぐ為に、せめて理論や文化的背景を学んで欲しい、と口を酸っぱくして言い続け、遂にはこの秋に出版予定の岩波書店さんからの著書の中でも大きなウェイトを占める程に迄なったテーマ。

 短時間のレッスンのチャンスに「所詮人間は錯覚の生き物」と言い聞かせて、師匠の手を自分の手と錯覚させる習得法。師匠の手の動きが嘘の様に自分の手の動きにトレースされます。
 サインが下手な代わりに楽器のイラストでごまかしますが、その絵は楽器の修得度に比例して上手になる。しかも演奏家目線では描けない。観たものを描いているのではないから。「観たものばかりが見えたものではない」
  その割には視力も、動体視力もかなり疎い。その代わりに情景の全体的な把握が記憶に刷り込まれていたりする。「木を見て森を見ず」の逆。
「見て学ぶ」というならこのレベルで見て欲しい。

  楽器の大きさと重さを体と腕が覚えている。それ故他人の身長、体重と重心の位置迄分る時が有る。指先の感覚はかなりに正確。弦の張力の強さで音を合わせる事も出来る。何十年弾いて来た楽器でもその日最初に触れた時には、その楽器の良い音が出し切れない。民族楽器は日々コンディションが違うから。それを手で感じて、耳で確認して、セカンド・タッチには「良い音」が出せる。「触感」は楽器演奏にはかなり重要な要素です。

  楽器を作る時は本物の楽器の音をずっとテープで流し続ける。それが多ければ多いほど、出来上がった楽器の音が本物に近づく。
  人の話から情景が思い浮かび、それがデジャヴの様に見事に当たったりする。それは最近特に強く成りました。語り手のセンスにもよるでしょうが、人の話もそこまでしっかり聴くとかなり面白い。音も同じ筈。「聴感」も磨けば幾らでも良く成って行く。

 さすがに「嗅覚」と「味覚」は音楽に直接関係していないかもしれませんが,インド太鼓タブラは、手の汗を嫌うのでベビー・パウダーを用います。日本では普段はジョンソン&ジョンソン社の物を用いますが、古典タブラの晴れ舞台ではインドでポピュラーなポンズ社の物を用います。臭いが現地の師匠の音を想い出させてくれるから。

 こう言うと、まるで自分が研ぎすまされていて優秀と自負している様に感じる人が多いかもしれませんが、全く逆で、お馬鹿でトロイ故に、でも好きな音楽をもっともっとやりたいが為に身に着けた苦肉の策に近いところが有って、器用とか優秀とか、ましてや天才などの全く逆なんです。五感を必死に駆使してやっと、なんです。

【頭が良過ぎると「五感」が鈍る?】
 民族音楽を教えていると「学ぶ力の弱さ」は、「頭の良さと器用さ」に見事に「比例」するのです。これは伸べ数百人にお教えしてきた体験から間違いない事実。
  それに対して日本人の西洋クラッシック音楽やジャズの多くが「頭が良くて器用な人」が認められている。だから海外の評価が意外に低い(低かった?)。海外でも「上手」が評価される時代に徐々に変わって来ています。日本人のレベルが上がったんじゃなくて海外の評価基準、価値観が変わって来た。

  でもそれを言いだしたらたいがいの日本人は「音楽」を学ぶに向いて居ない。だから五感以外の勉強によって補ったり、頭の良さを逆利用して五感と関連させようと必死で教える。でもたいがい「理屈っぽい」「音楽はハートだろうが!」と思われてしまう。

 そんな長年の悩みを中洲のスナックのママさんにさらりと言われて「そうなんですよね〜」と痛感。若林も実は気づいていたんです「君達のその鈍りきった五感じゃ民族音楽は無理」って。

 そこ迄分っていながら、不思議な事に福岡での自分は「借りて来た猫」の様に「五感」が閉じて、ご案内してくれる人に任せっきり。
  その御陰でのんびりリラックスし、イライラする悪い癖も無くなり、少年時代の長閑さ、優しさが蘇ってきたんですが、その代わりかなりのボケボケ。穴が有ったら二度と出て来たくない失敗は幾度も。
 「それじゃ駄目じゃない」とママさんに言われそうですが、これが不思議に「第六感」だけは機能していて。第六感に近いイメージ力、最近鈍かった方向感覚、情景を雰囲気で把握する感覚、それらは今迄にない程機能している。
 勿論「なんだ!」という程機能しない時もありますが、その場合「思い込み」と「そうあって欲しい」という願望が第六感に蓋をしていたことが分る。これが事前に分る様になればかなり良い感じで動けるんですが。

 単純なボケではなくて無意識に近い心理的作用で五感にオブラートを掛けている。でも第六感にはそれが出来ない。だから第六感なんですが、ある意味むしろ研ぎすまされている様な、いない様な。

  言葉と語りと音楽と《その4》
「受け止めたい」という想いが「勘」を突き動かす?
 「五感」が頭脳と直結しているのなら、自分は、頭脳が「お馬鹿」な
分「勘」「第六感」を駆使して「五感」を補っているのかもしれません。
 そしておそらく「勘」「第六感」は「ハート」「感情」「想い」と直結している。
だから、限られた時間、現地の師匠や、来日中の師匠により多くを学びたい!という強い「想い」が「第六感」を突き動かし、頭がボーッとする程の酷暑のインドやマレーシアでも五感を働かせてレッスンを学ぶ事が出来る。

 これは人と接する時でもきっと同じ。師匠の教えを「受け止めたい」のと同様に,相手の心を「受け止めたい」と強く願うと「勘」「第六感」が働き、替わりにギスギスした五感は衰える。もちろん衰えたままじゃ困るんですが。何分「伝えたい」ばかりで生きて来て「受け止めたい」と思う様になったのがごく最近なので。訓練中なんです。

言葉さえも違って聞こえる?
 そんな不思議な変化を自覚すると、人の言葉さえも違って理解されて来ます。

  自意識過剰な思春期に身に着けた「人の言葉の先を読む」とか「人の言葉の裏を読む」とは全く異なる、でも人の言葉をそのまま受け取るのではなく、たまたま選ばれたものとして楽に受け取れる様な。その分、言葉よりも語調が気になって、その心が分らなくなったりもしますから、研ぎすまされ方が中途半端な状態で危ない感じもしますが、「言葉に時間や歴史」そして「言葉を中心に動く心」を感じる様になったのは大きな変化かもしれません。

 人は常に思いをストレートに言葉に表現出来ている訳ではありません。
  その時々で変わる気分に合わせて気楽に言葉を交わせる間柄ならば、幾らでも言い替えたり、言い直せるのですが、そうでもない時の言葉や、自分に言い聞かせる様な言葉は、逆に心を不自由にしてしまったりする。
  その言葉に揺れる心が掴まっている時もあれば、捕らえられている時もある。そんな人の心の姿が見える様になってくると、出て来た言葉で誤解したりは無くなって行き、いずれは語調や顔の表情にさえも惑わされなく成って行く様に思います。

 人が発した「言葉と心との関係」は頭の理解を越えたところで感じている気がします。もしかしたら「第六感」で感じているのかもしれません。
 

言葉と語りと音楽と《その5》
言葉を越えた思い遣り  
 12日の仕事が終わって自宅に戻り何気にTVを着けますと群馬県御巣鷹山飛行機事故の20年目の慰霊登山の様子が。
  最近また増えつつある、ずさんさが原因の航空機事故をして「犠牲者の死から学んでくれていない」と言う遺族の憤りの声が取り上げられていました。
 それを見ながらしみじみと思ったのは、人間は「楽」「安心」「幸せ」を求める動物だから「危機感」を煽ってもその教訓は長続きしないのではないか?という虚しい結論。
 ところが御巣鷹山の犠牲者が最後の数十秒で書き残したメモが改めて紹介されて、揺らぎました。残された妻へのメモには「子供を頼む」と「今日迄幸せだった」という短い言葉。

【絶筆に見た深い思い遣り】
 靖国神社と言えば、周辺諸国からは軍国の象徴の様に思われていますが、靖国神社社務所が発行している数冊に渡る「英霊の言乃葉」を読んで頂くと分りますが、そこには軍国の姿は全く無く、書き残す時間が有れば有る程無念さが綴られ、軍国の時代なら「非国民」とさえ言われかねない程、生々しい言葉がたくさん有ります。
それを靖国神社が出版していることは日本人の多くもご存知ないのでは。

  幾つかの手紙を締めくくる最後の言葉には、御巣鷹山のメモと同じ、残された人への
「思い遣り」の言葉がありました。

  その人の生き方や人柄によっても大きく変わる素直な言葉に対して感想を述べるのは良くない事ですが、いずれも感涙を禁じ得なかったものばかりの中でも,満鉄社員として法務死を遂げた方の「何時の日か運さえ良ければ再開の日をと願って居たが」で始る毅然とした堅い達筆の最後の一言「では元気でね」
  本文に似合わぬ柔らかな語調の思い遣りの深さには、しばらく動く事さえ出来ませんでした。

 12日の夜、20年前の報道でも紹介され感動したそのメモの一文の記憶が呼び覚まされ、毎年15日に読ませて頂いている「英霊の言乃葉」を三日早く読ませて頂いてしみじみと感じた事。それによってこの数ヶ月何故五感にベールが掛けられ、替わりに第六感が活躍したのかが、何となく分った様な気がしました。

 20年前の報道でも紹介された「今日迄幸せだった」という言葉。
その当時の自分は、毎日幸せを噛み締めて来た人なんだろうか? それとも今、振り返って初めてそう思ったのだろうか?などとピント外れな思いで受け止めていたかもしれません。
 ピント外れの原因は「幸せ感」が人とは違う、「普通の幸せ」なんか分らない。「自分の幸せを追求するエゴが世の中に不幸せを蔓延させている」などと思って生きて来たからだと思います。

 そんな自分が、今迄の人生で一番位第六感が働いている今、同じテーマが全く違って感じられます。
 絶筆となった「今日迄幸せだった」という言葉の意味よりも遥かに肝心なこと。それは残された人への深い思い遣りの心。

 人によって物欲が強い人、名誉欲が強い人、使命感が強かったり、達成感を求めたり色々ですから「幸せ感」も様々でしょう。でも互いに相手の気持ちを思んばかる愛情を交わし「思い遣り」を交わす事が出来る「幸せ」はささやかでも、とっても嬉しいものなのでは。きっと誰にとっても。

 とんでもない「思い違い」かもしれませんが、 五感を研ぎすますとむしろイライラしたり喧嘩になったりしますが、五感を鈍らせると逆に特出してくる第六感は、むしろ人を労り、思い遣る気持ちと連動してやわかなオーラの様に発する気がするのです。
  これは人との間に「思い遣り」を交わすことが出来る幸せに気づいたからかもしれません。
 思い遣りの気持ちを失わなければ,五感も自然と優しい目的の為に発揮されて来る様な気がします。

受け身の思い遣り? 
 しかしながら殺伐とした世の中では、思い遣りに欠けた言動に傷つけられたり、自分だけが幸せに成りたいと思っている人に突き飛ばされたり、悲しい事も少なくありません。優しかった人が、思い遣りに欠けた五感をイライラと研ぎすましてしまう姿、傷ついて感性を鈍らせてしまっている姿を見なくてはならない事が増えて来た様な気もします。
  世の中は一層殺伐として、危機感を煽っても悪循環に成るばかりのように思います。

 民族音楽は「思い遣り」から生まれた様な音楽がとても多い。 全てが「思い遣りの音楽」とは言わない迄も自然、生き物、社会、歴史、伝統、家族、友人を「慈しむ心」から生まれた音楽が多いと思います。
  そんな民族音楽と長く、沢山付き合って来た自分は、人を思い遣ることは下手くそでも、世界各地の人々が互いの思い遣りや、慈しみの心を歌や音楽に託した素敵な例をご紹介することは出来るのではないかと思います。

 「思い遣り」や「慈しみ」は人間だけの感覚と思っている人は多いかもしれませんが、「本能の赴くまま」と思われがちな動物。とりわけ犬より「本能的」と言われがちな猫にとても豊かな「思い遣り」の心があるのです。
  猫さん達は、定刻の食事と、夏は涼しく、冬は暖かな寝床が有って、一日数回のんびりお昼寝が出来れば何も文句を言いません。
 ある意味究極の無欲の生き物の様ですが、甘えたくて若林の膝に乗りたいな、と思って忙しそうにしていると、遠慮してちょっと離れた所でうずくまっていたり、困った表情をしていれば、心配そうに近づいて来たり。「思い遣り」が生き甲斐みたいな生き物なんです。
 もちろん猫も一匹一匹で性格が違います。でも多くの場合、こちらが「思い遣り」をしっかり受け止めると、どんどん「思い遣り」の気持ちを出してくれるようになります。

 「思い遣り」は「優しい」にも似ていますが、「思い遣り」の原点には「心配」も有れば「慈しみ」も有り、それをどう伝えるかをちょっと考える心に自然と生じて来る様な。でも受け取る側にそれを感じる気持ちが無ければ「優しい」と理解されない事もある。
 また「与えたい愛情」が強過ぎて相手が負担に感じてしまえば、それは「思い遣り」とは逆なものになってしまう。これは音楽を聞き手に発する上でもとても難しい課題です。
 「心配」や「慈しみ」はこちらから相手に湧き出るものですが、民族音楽のレッスンの話と同様に「受け止めたい」「分りたい」という受け身の想いも「思い遣り」の原動力になるのではないでしょうか。
  「優しい」や「暖かい」をソフトに例えるなら「思い遣り」はハード・ウェア?
「心配」や「慈しみ」、「受け止めたい」や「分りたい」はハードを起動させる電源でしょうか?


 このちょっと不思議な予感の夏が過ぎた後、世の中や自分を取り巻く環境がどう変わって行っても、今迄沢山の人の温かい応援を得て身に着けて来た民族音楽を通して、世界の人々の「思い遣りの心」をより多く伝えられる様でありたいと願います。

 「こうでなくては駄目!」「これじゃいけない」と頑に頑張っている人、諦め掛けてしまっている人、結果を追い求めてしまっている人、時間に追われている人。
  自分もまだまだ多分にそんな人ですが、急ぐ時も焦る時も、頑張る時も「思い遣り」は持っていられる筈。相手に思い遣りが欠けている時でさえ。

 そんな想いを充実させる事も含めて、今日から三日ほど、このHPも「お盆休み」を戴きます。また来週中程に元気な日記が書けます事、皆様も心穏やかに過ごされます事を祈って。
  ではまた。お元気で。             
                           2005年8月12日若林忠宏

   心のひだに届く迄、音の行方を追ってみたことがあるだろうか?
8月18日(木) お元気ですか?
 

 皆さんは、お盆休みは如何お凄しでしたでしょうか? 
「今年はさほど猛暑じゃない?」なんてボケた事をこの8月日記の冒頭のご挨拶で言いましたが、どうも自分が都合良く暑い最中を避ける様に東京〜福岡を行き来していただけの様で、それぞれの場所で猛暑に耐える日々を過ごしていた方には大変失礼しました。
 一体何事か?と思うほど、雨も猛暑も避けてくれる。
 8月8日「京都にも似た盆地の猛暑」で知られる福島市では「今日は珍しく涼しい」と土地の人が言い、演奏会場に着いた途端に土砂降りの雨。昼休みと帰る頃、演奏会場の外に出ようとすると何故か雨が止む。「晴れ男」は梅雨前からずっと続いています。福島の翌日からの福岡市も比較的涼しかった?
  12日に帰京しますと豪雨級の夕立が連日続き、その御陰で猛暑は一段落。その雨も教室と自宅を行き来する間だけ止んでいる。これはラッキーなのかしら? それとも逆に大ハズレなんでしょうか?
 そんな御陰で、夏バテでお休みの生徒さん、猛暑の中でクタクタになって帰省&Uターンした生徒さんも多い中、 一人元気な若林です。
  幾つかの重大な通知待ちが重なって発表を待つ受験生の気分ではありますが、
  体調は良好。

 さすがに16日(火)の宮城地震の揺れには驚きました。7月23日の地震と同じ位は揺れましたが、その揺れ方がなんだか不気味で。猫達を招集しようと歩こうにも歩けない、激しいというよりゆっくり大きく揺れる感じでした。カセットやCDの棚崩れも前回はほとんど無かったのに、今回は棚板自体が外れたので片付けに時間を取られました。やはり特殊な揺れ方だったのでは。

大切にされていた楽器を託される
 16日は夕方にお茶の水で昔のお弟子さんと十年ぶりの再会。
先月からのお約束で、手狭になったので楽器を寄贈したい。という嬉しいお話。
  三回に分けて職場に運んでくれたシタール二本に当時若林が楽器店をご紹介したサロードが一本をお茶の水駅迄タクシーで運んで来てくれて。それを一緒に吉祥寺まで運んでくれて。すべて現地から運んできた想い出の楽器の筈ですが「弾いてあげないのは可哀想」と託してくれました。
 吉祥寺の楽器保管が再考を迫られている中に三本も増えてしまいましたが、九州民族音楽センターの立ち上げが決まり、九州でも「一番良い音を聴いて貰いたい」と思えば、東京は東京で民族音楽のライブも多いので,耳が越えた聴衆が少なく無い? 池袋の東京音大付属研究所の市民講座でもついにシタール講座が始る。そんな時に高級楽器を寄贈されるのは願ってもない嬉しいお話でした。ありがとうございました。

それにしても東京は
 当たり前の事ですが、それにしても東京は人が多い!
お茶の水からの楽器運びが夕方に掛かったこともありましたが、1m50cmのハードケースを三本も運ぶのは大ひんしゅくでした。
 加えて東京はやはり人の表情がキツい。単純に「尖っている」というのではなく、苛つきながらふてくされ、自らそんな気分にくたびれている感じ? そんな中でやっぱり吉祥寺は特別に変。
 
昔は長閑で、ちょっと品があって、素敵な街だったのに...................。

 自動改札を楽器が通らないので、駅員さんの前から出ようと思っても、なんだか訳の分らない人達でごった返していました。オジさんが定期券の事か何かで駅員さんともめている最中に、オバさんが何喰わぬ顔で切符も見せずに通過しようとして呼び止められ(キセルだったみたい)、待たされた若者がキレて、オジさんが逆ギレして..........。
 それにしても若林は別人の様に苛つかなくなり、自分で「へ〜っ」と感心。まるで福島、福岡で気持ちをロンダリングして貰ったかの様な。改札の珍事をのんびり眺めている自分の姿にビックリしました。

笑顔のノルマ★
 とは言え、苛つかなく成った替わりにボケているんじゃしょうがありませんから、常に周囲に神経を払いつつもイライラしない為に思いついたのが「ニコニコ・探し★」
 殺伐とした東京で、もしかしたらかなりヤバイ吉祥寺で「優しい気持ち」で生きて行く為の苦肉の策。
 「一日二個『微笑ましい様』を目撃する」と「一日二個『楽しく笑える様や話』を見聞きする」、頑張って「探す!」それをノルマと決めて、足りなかったら翌日に持ち越し!という厳しいもの。見聞きしなくてはなりませんから、街を歩いている時でも周囲に気を配って探さなくてはならない。今迄の様にガッカリしたり、ムカっとくる様なものに気を取られていてはノルマが果たせませんから、大変は大変。いまだブームの漫才をTVで見るのではなくて、自分の目や耳、お友達の話などで「笑う」のですから、それも大変。
 お盆の前から始めていますが、正直とっても大変。街で見かけるのは特に。

  児童公園でも行って親子の姿でも見れば、「微笑ましい」方は短い時間で二個は楽々かもしれませんが、自分も仕事に追われて通勤時間帯の電車や街で見付けるのは東京では不可能に近い感じです。昨日も、今日も残念ながら見付けられませんでした。
 しかたなく、ちょっとズルして我が家の猫さん、ワンちゃんで、むしろ楽々ノルマを達成しています。

 例えば17日の朝ご飯のM.ダックスの千恵ちゃん。
 猫さんにご飯をあげている間に「待て!」をしないで、食べちゃったらしい。
「良し!」って言った頃にはもうお皿は空っぽなんですが、なんと賢い千恵ちゃんは、空のお皿を食べる振り。「苦笑」のレベルですが、これを「微笑み」の一個に数え。
 最近特に甘えん坊のマロンは、上に食器棚があるキッチンのカウンターで「みゃあみやあ」の猫撫で声。おでこに手を近づけると、場所を忘れて食器棚の天井に頭をゴツン。可愛い姿に「ニコっ」となり17日のノルマは楽に達成。
 「笑える話」の方は、幸いにとっても仲良しさんに、見かけによらずもの凄くおかしな事をおっしゃる人が居る御陰で、想い出しても笑える在庫もいっぱいあるので街で見つからなければ、その「不思議の世界」に駆け込めば大丈夫。
 でも街で見付けてその場で笑って微笑んで、それを仲良しさんにも報告して笑って貰って、仲良しさんがまたお友達に話して.............。そうやって微笑みの輪を広げていかなくちゃならないんですよね。
  その仲良しさん曰く「TVが人の不愉快な表情を映し出す度に全国で沢山の人が免疫能力を下げている」と笑わせてくれる一方でもの凄い核心を突く。そう言えばこの半年風邪を引いていないゾ! 笑わせてくれる御陰ですね。

 でも猫達にはとってはプラスかな。 猫さんもワンちゃんも笑わないので、無理矢理取っ捕まえて顔をいじって笑わせたりしますが、あちらが笑わないからと言って、こちらの笑顔が分らないとは言えない。殺伐とした街から帰って来て、ついつい笑わずに接しているよりは、笑顔を見せた方が良いのでは、と思います。

 世の中、確かにぐちゃぐちゃです。憤ったらキリのない程。
そんな中で、好きな事やってきただけの自分の音楽が一体何れ程の役に立てるのだろうか? と思い悩んでいた時期もありました。
  でも応援者さんによって、力強く励まされ、自分の弱い部分を支えられ、鍛えられ、元気になって頑張ってみますと、音楽を通じた出会いを喜び、柔らかで力強い音と声を通してまた笑顔を返して貰う。その繰り返しの中から徐々に明るい未来が見えてきてくれるに違いない!と思える様になりました。
 音楽の現場だけでなく、日々、何処ででもニコニコしていられるそんな強さをもっともっと身につけられたら、もっと安心を与えられるのだろう、と思います。

「笑顔なんて自然に出て来るもんじゃない?それをノルマなんて」というご意見もあろうかと、笑顔がノルマなんじゃなくて、探すことがノルマなんですが...........。「ノルマ」と言う言葉に対するアレルギーも有る様で..................。
 出来ればより多くの方に一緒にやって頂きたいので「ニコニコ・ノルマ」は「ニコニコ探し」に改めます。

   託される幸せと託す幸せ。音楽を託されて、演奏することも託されて。
 8月19日(金) アフラックCM
   8月19日は、急に入った録音のお仕事で、アヒルのCGで有名なアフラックのCMの音楽にトルコ民族楽器の音を提供してきました。 オーボエの元祖ダブル・リード管楽器「ズルナ」にティンパニ、トルコ大太鼓ダウール、小太鼓、シンバルなどなど。9月下旬からOAの様です。
8月22日(月) 「子供には手を抜けん」
    若林が小学校中学校で民族音楽を紹介する様になって、そろそろ20年になります。
教科書の副読本的な「音楽ワーク」に原稿や民族楽器の写真を提供する様になったこの数年はその数が増える一方で、来年度は、九州と茨城でツアー状態で学校巡りが出来そうなほどです。

 ビジネスで成功した方が「子供の頃からお金が好きで」とはあまり聞きませんが、芸術家や科学者に「子供の頃に〜と出会った印象がとても強かった」という人が少なくないのは、「幼児、小児教育」が如何に重要か「原風景」と言われるものが如何に根源的であるかを物語っていると思われます。
 否、若林が言う迄もなく、誰しもその事は分っている筈です。
ところが「子供の感受性」「理解力」について、果たして大人が何れ程分っているのか? という事に関して、民族音楽を学校で紹介する中でしばしば疑問に思う事が少なくありません。
 不思議ですね。全ての「大人」が、その昔は「子供」だった筈なのに、子供の頃の自分の感受性、理解力を恐らく殆ど忘れている。

子供の頃の感性を忘れる訳は?
 若林が幼少の頃、三、四件隣に遠い親戚が居て、ちょくちょく遊びに行ってはその家のおばあちゃんにお菓子を貰って居ました。
 おばあちゃんの優しい物腰は今でも暖かい気持ちで想い出されますが、母が迎えに来てお礼を言うと、そのおばあちゃんは必ず「いえいえほんの『子供騙し』ですから」と言って居ました。子供の若林はその台詞がおばあちゃんの言葉としては実に意外で「騙す」という言葉がとても怖かったのを暖かい想い出と同時に強く記憶しています。

 今日でも、教養溢れるご年配の方が、びっくりする様な「放送禁止用語」を話される事がありますが、昔の人は今の人と比べて、自由な言語表現よりも「常套句」の方が多かったからかもしれません。
 その中には、今日失われつつある、もしくはニュアンスが変わってしまった素敵な言葉もありますが、今日ではちょっと過激な言葉も少なくない様です。

「子供騙し」はそんな言葉のひとつですが、「ほんのつまらぬ子供向けの」と言い換えたとしても「子供向け」という観念は残ります。
 もしかすると人は、子供の頃から大人になる迄にそんな言葉を重ねて聞くうちに「子供向け」という観念を身に着けてしまい、子供の頃の感性を忘れていってしまうのでしょうか。

 「そんなもの子供にゃ勿体無い!」「子供にゃあめ玉でもなめさせておけ!」とか「子供向け番組」とか「子供料金」とかの表現に触れるうちに、子供達はだんだんと「子供用」というのは単に「小さいもの」なのではなくて「幼稚で粗末なもの」と思うのかもしれません。
 それはまた「大人に成りたい」という意識をも芽生えさせ、それは「向学心」「向上心」にも繋がるのかもしれません。

 「かもしれません」と言ったのは、未だに中身が幼稚で、親身になってくれる人にご迷惑掛けっぱなしの若林の場合、子供の頃から珍しいもの新しく出会った物に対して「興味」「関心」は非常に強いのに「向学心」「向上心」の様に「上に行く」と言う観念が殆ど無かったからです。
 学校の勉強も興味が有れば回りが呆れるほどやるのに、興味がなければ親が悲しむ程しない。
興味がある事に関しては「天才?」「秀才?」と誉められる程「上達」するんですが、本人は「上に行った」「行きたい」という意識が無い。知識や理解や分析力は確かに増しているんですが。
 「大人」が魅力的に見えた記憶もなければ「大人に成りたい」と思ったのは「親にガミガミ言われなくなるなら嬉しい」時くらいで、「大人な人」「出来た人」を素敵と思ったり「大人にならなあかん」と思う様になったのは、恥ずかしい事にほんの最近です。

 これは「魅力的な大人って?」「どうしたら喜んで大人に成れる?」という別なテーマになりますので、それについてはまたいずれ、ということで、話を「子供向けって?」に戻します。

子供用が無い?民族音楽
 民族音楽の世界では「子供用」という観念を探す方がむしろ大変です。
1980年代に自分がやっていた民族音楽ライブ・スポットで「子供会」を企画しました。その為に世界各国、否、欧米先進国を除いた、当時「第三世界」と呼ばれて居たアジア・アフリカ・中南米諸国で「童話」と「童謡」を探しました。
 ところが、驚いた事に殆ど見つかりませんでした。
 若干の「童謡」が手に入りましたが、いずれも過去10年に作られたものばかりで、その音楽形態は西洋音楽に倣ったものでした。

 逆に、西洋先進国では、北欧などでは特に、幼児教育のマニュアルとか、子供に危険が無く叡智を育てる工夫がなされた玩具の開発の歴史は深いものがあります。
 また西洋音楽には「練習曲」が豊富にありますが、民族音楽には理論大系が豊富なインド音楽、アラブ音楽に若干あるだけで、他は皆無です。アラブ音楽の練習曲は「本番の舞台」でも演奏しますから「初心者向け」ではありません。これは日本の邦楽でも同様です。

 幼児教育のマニュアル、玩具の発展、練習曲や子供用楽器の開発は、世界的に観ても近代のもので、それらは主に西洋先進国で進んでいるという事が出来る訳です。
 ちなみにヴァイオリンの子供用各種サイズを開発したのは西洋音楽の先進国ではなく日本だ、と言われています。その意味では日本も優秀な先進国なのでしょう。が、不思議な事に三味線や鼓の伝統後継者は幼少から習わされますが「子供用サイズ」は未だに開発されていません。

 若林が民族音楽演奏で出会った途上国支援のボランティア・スタッフの方々の中には、「発展途上国」は子供の人権も、健康管理も行き届かない貧困状態であるから、幼児・小児教育が大きく立ち後れている。と言う方も居ます。これは現状を見れば確かにそうなんですが、西洋先進国の植民地政策以降の経済発展と反比例して、搾取された国々が貧しくなって行った構造を指摘する人は少ないです。
 それぞれの国が「昔ながら」の暮らしをしている分には決して貧しいとは言えなかった場合もあり、むしろ近代設備によって豊かな自然が奪われ、川が塞き止められ、干ばつ、洪水も増え、病気も増え、街に食料を買いに行く事で貧困を痛感し、近代設備のツケである税金でさらに貧困が増す。そういった状況は殆ど知られていない様です。
 
 これらの問題は、非常に難しいテーマ、複雑に絡み合ったテーマを内在しています。
子供向けのマニュアルや商品の開発には、暖かな愛情も有れば、ロマンもあります。でも、当の子供がいつかはそれを手放してしまう。
 民族音楽の世界に子供向けのものが無かったからと言って、中世の暮らしを続けている国、地域は世界中に殆ど無いのですから、民族音楽の伝統継承の事を考えたら何か工夫すべきなのかもしれません。世界の子供達は、良くも悪くも皆「現代の子供達」なのですから。

自分の出来る事は?
 子供が子供らしく有る為の「子供用」なのか、それとも「大人」との領分をわきまえた上での「子供用」なのか。子供用に開発されたもので育てられる感性は、子供らしさを持ち続ける為なのか? 大人になってからより豊かな人間になる事の為にプラスになるものなのか? 果たしてプラスに成っているのか? その感性が生かされる社会があるのか? 考えたらキリがありません。

 若林の応援者さんが、素敵なリクエストをしてくれました。
決して物書きのプロでは無いとは分っていても、若林の文章には何か力が有る。それで「子供から大人迄、ずっと愛読出来る【絵本】を書いて欲しい」と。それぞれの年齢でそれぞれの想い、理解で読む事が出来て、ずっと心の栄養になり続ける様な。
 イメージしただけでも大変な仕事ですが、出来たら素敵だな、と思います。

 民族音楽を学校で紹介する時に、子供用の演奏は出来ません。それは民族音楽に子供用の曲が無いからでもありますが、子供の感性、理解力は、大人の想像以上に鋭く、半端な演奏、つまらない音楽には反応が薄いのです。
  むしろ大人が「変な音楽」「どう聞いて良いか分らない」という表情をする曲の方が目を輝かせて喰い入る様に聞いてくれたりします。

 しかしながらその僅かな兆候を一緒に見取って下さらず「子供に分り易い様に」とリクエストされる場合も少なくありませんし、教育用に書いた原稿や楽譜が大幅に書き換えられる事は頻繁にあります。
 子供が子供らしい時期は、皮肉にも親御さんが一番忙しい時期にあっと言う間に終わってしまうのですから、ちょっと焦ってしまう気持ちもあります。

 先日、ある料理屋さんのご主人が嬉しい言葉を言ってくれました。
「子供には手を抜けん」と。
 とても励まされる思いが致しました。

   野菜を育てるにはまず土を育てる。肥料にお金を掛けるのではなくて。

8月23日(火) LIfe & Music in Fukuoka Vol.1
   8月23日記念すべき「Life & Music in Fukuoka」の第一回ライブは、地下鉄西新駅に近い早良区祖原のアイリッシュ・カフェ・バー「Cafe楽屋」さんで、福岡で知り合ったお友達、新しいお客さんに囲まれて、むちゃむちゃ楽しく行われました。

 「Life & Music」は、気心知れたお友達に囲まれて、音楽の話し、歴史、文化、生活、社会、人生について熱く語る、その中で自然に音楽が始る。言ってしまえば「飲み会ライブ」
 若林の東京の居住区吉祥寺にあるモロッカン・カフェ・バーで今年初めに始った企画です。

 「来る仕事は拒まず」でやって来ました若林の民族音楽の演奏スタイルは実に千差満別で、マンション自治会、小学校PTAなどの小規模から、お茶屋さん、レストラン、更に百貨店、ホテル、企業のレセプション、国際交流協会、大使館、旅行会社イベント迄いろいろです。

 そんな中で、民族音楽の解説や、民族音楽修行体験談を聞いて頂ける場合も有れば、曲の解説をちょこっとの時も有り、極端な場合は、一言も話さず楽士に徹する時もあります。
 「解説が分り易くてためになった」「話が面白い」と好評の場合もあれば「もっと音楽を聞きたかった」という場合もあり、若林だから、若林ならではの話と演奏を聞きたい、という嬉しい場合もあれば「別に誰でも良いから〜音楽をやってくれれば」というちょっと寂しい場合もあります。

飲み会ライブの可能性
 理屈抜きに音楽をたっぷり聞いて貰う時間も大切ですが、民族音楽の場合特に、その文化的背景とか、現状、将来についても知ったり考えたりして欲しい。
 「まずは好きになって貰う」という入門編としてならば「理屈抜きに聞く」が有っても良いと思いますが、楽しむだけ楽しんで「理屈っぽい話は嫌!とか、伝統が無くなっちゃっても構わない、のは悲しいと思っていました。
 その意味で「飲み会ライブ」は音楽や雰囲気を楽しみながらも、理解を深め、意見を交換し、何かヒントを模索する新たな試みのひとつです。

 その場の雰囲気や話題に応じて音楽が始ったり、演奏する曲から話題が生まれたりするのは、民族音楽のスタイルとして「有っても良いんじゃないか?」「いや本来それが普通だったんじゃないか?」と始めたのです。

 例えば「アフガン音楽には自然や季節を歌った歌が少ないです。何故でしょう?」とか「桃源郷の様に言われているラダックと熱帯のケニヤに長生きを望む歌がある。面白いですね」などの話題でしばし楽しみ。「アメリカ嫌いなアラブ諸国にロックが流行ってどう言う事でしょうか?」などでお客さんといろいろ議論したりする。時には「ソ連時代の中央アジア諸国に於ける西洋音楽の悪影響」なんて議論も。これは「飲み会ライブ・硬派編」民族音楽のあり方をより多くの方に一緒に考えて行く上でとても期待が持てます。

 その一方でより若林好みなのが「飲み会ライブ・軟派編」
「失恋」や「仕事の不調」などで心が晴れない人が居れば、それについて「あ〜でもない、こ〜でもない」とガヤガヤ話した頃合いを見計らって「そんな方にお勧めなのがケニヤのこんな曲」とか、「幸せ過ぎて怖い」とか「仕事が楽しくて家族との会話がうっとうしい」なんて方には「チベットにはこんな歌があります」と突然音楽が始る。これはある意味、私たちの生活感の中に他の国の民族音楽が入り込んで来る、イイ感じ。

飲み会ライブ・福岡版はどっち編? 
 若林の九州での活動は、音楽スタジオを拠点としたレクチャーコンサート〜ワーク・ショップ〜民族音楽教室の流れと、小学校での民族音楽ふれあいコンサートなど教育関係のお仕事、単発のイベント、コンサート、そして幾つかの新たな拠点に於ける定期ライブの形が見えて来ました。
 祖原の「Cafe楽屋」さんは、定期ライブの嬉しい拠点のひとつで、福岡市のやや西、シーホークやマリノアと言ったレジャー&ショッピング・エリアにも近い庶民的な学生街西新の近くです。

 Cafe楽屋さんでライブ出来る様になったのは、7月30日の大分中津オーグテさんの企画による若林忠宏シタール・リサイタルで、オーグテの黒川さんのお友達のアルゼンチン・タンゴ楽団の主催者秋元さんと、アコルディオン奏者のいわつさんとお友達になった御陰です。
 8月のワーク・ショップの予定が急に変更になってしまったことでご相談しましたら、二つ返事で秋元さんの小倉の音楽スポットといわつさんのお友達のCafe楽屋さんでのライブを決めて下さったのでした。お二人は若林の著書のファンと言って下さって、今後の共演のお話も弾み、嬉しい出会いと成りました。
 
 Cafe楽屋さんは、福岡に行き出してまもなく偶然お店の前を通りかかっていました。また若林の東京でのライブ復活のきっかけが中目黒の楽屋さん。そんな不思議な縁も感じました。
 その日は、福岡にワンルーム・マンションを借りた二日目。自転車でブズーキとギターを担いで、今迄通った道と、勘で祖原まで。

 期待に胸を膨らませてお店に着くと、アーティストのいわつさんがウエイトレス姿で迎えて下さって。中はまさしくアイルランドのパブの雰囲気満点。木の床、木の壁に、至る所にアイリッシュ・グリーンが。店長の江島さんはネルドリップでコーヒーを落とし。ちょっと寡黙な、でも暖かい方。
 「たまたま古いだけ」とマスターがおっしゃる一面ガラスの扉から見えるお向かいさんは、京都の町家風。通りを行き交う人をのんびり眺めて過ごせる感じのCafe楽屋は、若林が大好きな「昔ながら」のとっても落ち着いたお店です。すっかり「ここでライブを続けて行きたい」という気持ちが充満してしまいました。

 この日の音楽は、ギリシア演歌レベティカを弦楽器ブズーキ弾き語りで。後半は、ギター弾き語りでアフリカの20世紀前半の古いポップス。むちゃむちゃな取り合わせですが、いずれも若林がこだわって来た音楽です。

 レベティカは、通説ではトルコ民族音楽をトルコで生まれたギリシア人が、ギリシア独立の前後、強制移住させられた際に持ち込まれたとされる、アジア民族音楽色が強いもの、とされています。
 が、若林の持論は、移住者のトルコ民族音楽はまた別にあって、レベティカは、トルコの一部だった頃からギリシアで演奏されていた折衷音楽です。
 そんなレベティカの魅力のひとつに、アジア音楽とも西洋音楽とも言えない不思議なコード進行や変拍子があります。またレベティカの巨人と言われるM.ヴァンヴァカリスが楽器を手にして半年でレコーディングしていると言う無謀さも面白いところです。

 一方のアフリカン古ポップスの方は、レベティカと同次元で語るなら、西洋音楽とアフリカ音楽の折衷です。
 ギターは言う迄も無く、植民地政策と平行して行われたキリスト教布教活動で訪れた宣教師が持って来た楽器。足踏みオルガンやピアノを運び込む前に、ギター伴奏で賛美歌を教えたのでしょう。
  これは世界各地に同じことが有りますが、その後布教を諦めて帰った宣教師さんの置き土産、もしくはオルガンが導入されて放置されたギターを、土地の人々が「見よう見まね」で弾いたり、ちょこっと習ったりして独自なギター奏法が生まれたのです。
 その独自さの多くは、音程に合わせて長さを変えた多数の細い金属ヘラを親指で弾く「親指ピアノ」の奏法が導入されている一人三役位のポリリズムの「ちょっと変わったギター奏法」。

 これもギリシアの話とリンクさせると、この種の初期アフリカン.・ギター奏法の創始者と言われるJ.B.ムウェンダもギターを手にして一年足らずでレコーディングしていると言われます。

 かといって、どちらもかつて日本の音楽界を席巻しそうな勢いさえあった「ヘタウマ」の面白さではなく「ツボを捕らえた」余計な物が無い感じのテクニックなんです。
 それが出来るのは余程の感性とも言えますが、自分をストレートに表現出来る素直さが最も大きな要因とも思えます。

お友達に囲まれて
 当日は、お店のライブの定型である8:00始まりを、平日の夜で、反対側の東や南の方も多かったのもあって若林の東京の感覚で7:00始りにしてしまった結果。二通りのお客さんが来てしまい、ある意味くつろいで、ある意味ダラダラとなってしまいました。

 さすがに第一回目ですし、ステージとマイクと照明が完備され「さあどうゾ」「良し聴くゾ」の感じもあって、ワイワイガヤガヤから突然弾き始める。ではなかったですが、楽しかった。
 福岡市の文化事業関係のお友達、そのまたお友達がこぞって来て下さって,Cafe楽屋さんの常連さん、いわつさんが自分のライブで宣伝してくれて来てくれたお客さんでそこそこ満席になって大変ありがたかったです。

 「飲み会ライブ」の主旨と言うか「ノリ」を心得たお友達がヤンヤヤンヤの野次を入れてくれたり、小刻みな休憩では,席にお邪魔して楽しく語り合い。なかなか好調なスタートとなりました。

 今回初お目見えの山男さんは、中国書店社長さんとその娘さん、そしてなんと娘婿のベンガル人青年を誘ってくれました。
  なんとそのベンガル青年はヒンドゥー教イスラム教が合体したようなベンガルの「音楽教バウルー」の導師の息子さん。勿論演奏を始めた段階ではそこ迄は伺いませんでした。でもすかさずギリシアでもアフリカでもないのにベンガル民謡を数曲歌うと、数十人の聴衆の中で、彼と彼女だけが盛り上がっている。その不思議な光景を見て他のお客さんも楽しむ。
 お友達も今頃になって、若林の民族音楽が現地の人に「通じるんだ」と再認識してくれたようで、数曲終われば「やんややんや!」「凄いね!」と。

 そこで出たアトラクション案。
毎回誰かが在福の外国人を若林に内緒で連れて来る。その度に若林はその国の民族音楽を急遽披露し、果たしてその外国人がノッてくれるか? それを皆でまた楽しむ。

 ベンガル青年ご夫婦と中国書店のお父さん、名物課長さんとは、外国文化の日本への伝え方で意義深い議論もありました。その中で若林がポロっと言った言葉に、ベンガル青年は「それこそバウルーの精神だ。日本に来て初めてそんな言葉を聞いた」とうっすら涙を浮かべて抱きついて来てくれました。

 あっと言う間の時間だったので、全ての方々と語り尽くす事は出来ませんでしたが、記念すべき第一回 Life & Music in Fukuokaは、とっても良い感じで終わりました。

 帰りの自転車は、ちょっと涼しささえ感じる福岡の夜をほとんど当てずっぽうで疾走したのに見事到着。ライブの興奮も残っていて、ちょっとだけ土地に馴染んだ錯覚が嬉しい夜道でした。

 皆さん忙しいところ駆けつけて下さってありがとうございました。
来月もお時間都合尽きましたら是非宜しくお願いします。

 Cafe楽屋の江島さんとスタッフの方、なんとこの日初めてウェイトレスさんに成ってくれたといういわつさんありがとうございました。宜しくお願いします。

   「空気」も「雰囲気」も「気分」も同源という言語は世界に多い
8月24日(水) 豊津「瓢満亭」アフガン音楽ライブ&ライブCD録音
 

 8月24日は7月9日に行われた耶馬渓厳浄寺さんでの若林忠宏民族音楽コンサートの主催者白岩さんの企画で、福岡県京都郡豊津にある自然食レストランと子供の為の本屋さんとギャラリーの素敵なお店「瓢鰻亭」で「若林忠宏アフガニスタン音楽ライブ」を耶馬渓と中津の懐かしい面々、瓢鰻亭の店主前田しづさんとご常連の暖かい心を頂きながら、とっても良い感じで行いました。

 博多から大分までのもうお馴染みになりましたソニック号。小倉で方向が反転するので座席の向きを変えるのも慣れた手つき。特急で小倉から一駅目の行橋から豊津へ。豊津の駅から車で15分程の住宅街(林や畑の中?)に「瓢鰻亭」はありました。

 着いてみてびっくりしたのが、同じ白岩さんの企画で呼んで貰った耶馬渓厳浄寺さんと、通りからの入り方、車が入る裏門からの建物の位置と正門の位置、お勝手と客間、本殿の位置関係が凄くそっくり。
 
良く分かりませんが場の持つ、風水的な感じが凄く似ている感じがしました。自然に良い感じの演奏会になる予感でした。

 そして案内された演奏会場となるギャラリーがまた懐かしいインドの感じ。
床はちょっとデコボコしたレンガを敷き詰めコンクリで固めたもの。 壁も天井も一面白の漆喰で固められ、椅子やテーブルは皆木製。
  インドの師匠の家や現地音楽学院の教室の感じ。当然音の響き方も北インド楽器やアフガン楽器に最適に違い有りません。

ライブ録音
 今回の演奏は、企画者白岩さんと、そのお友達山崎コーゾー君がライブ盤CDを作ってくれることになって、久しぶりにコーゾー君とも会え、前回お会い出来なかった奥さんにも会えました。
  嬉しい笑顔は誰かと思えば厳浄寺住職の息子さん由香思(ユカシ)さん! 白岩さん、コーゾー君と同い年の兎さんトリオ。う〜ん。やっぱり今回も三人が同い年とは思えませんでした。
 そしてそして、今回、何故に豊津でのライブだったかと言えば、「瓢鰻亭」の前田しづさんにお会いする為も大きかったのです。
 しづさんは、豊津のキイパーソン。今回の演奏は、半ばオーディションの様なところもあったのです。

 最近気づいたのですが、若林は不思議なイメージ力があるみたいで、心の繋がりを大切にする方の話から未だ逢わぬ方をイメージすると人柄と人相が、身体の労りを大切にする方の話からは元気さがイメージされる様なのです。
  不思議に白岩さんのお話からのイメージは皆さん「ハズレ」で、実際にお会いしてみるととってもお若い! それは白岩さんがいつも皆さんのお体を心配している方だからなんだと思われますが、コーゾーさんも由香思さんも、そしてしづさんもイメージと違ってみんな凄く若い。
 しづさんのお会いする迄のイメージは、文豪の奥様と言った感じの線の細い物静かな...........。ところがお会いしてみると、なんとなんと、小柄ながら元気に走り回る校長先生といった感じで、もの静かどころか身体の倍も声が大きい。とってもたくましいおば様でした。

ノリノリ?のしづさん
 演奏会は、陽が短くなった事を感じさせる、暗くなった7:00に定刻に始りました。

「ライブ録音」と言うことでお子さんを何時でも外に連れ出せる様に、と気を遣われたお客様が居たので、若林は「僕が信じる民族音楽の世界は、子供が走り回り、動物や昆虫が鳴き、それが自然で素敵なんです」と言いました。
 すると。お子さん達はちょっと安心し過ぎたのか、出来上がるCDにはサンダルの音がけっこう入ってるかもしれません。木の椅子の高さが女の子の足が床に着くか着かないかだったのでカタカタが楽しくなっちゃったみたいです。

 そんな御挨拶の最中、しづさんは客席の後方から若林を撮ったり、若林の横からお客さんを撮ったり、デジカメ持ってちょこまかちょこまか。「あっ!しずさん!ごめんなさい」と若林が言うと「ドキっ!」としゃっちょこばって。「しづさん、今気づいたんですが、僕デジカメ忘れてしまったので、日記用に宜しく」するとしづさんは「あ〜あ、びっくりした、撮影駄目!って言われるのかと思った」で会場爆笑で一気に和みました。

 そういえば、点が辛い事で有名なしづさんは、若林が音を出す前からなんだか嬉しそうでした。
 若林も「点が辛い」と言うのも、お父様の話しも「瓢鰻亭」の今迄のゲストの話もみな演奏後に聞いたからか、否、なんだか初めてお会いした感じがしなかったからか、全然緊張しませんでした。背格好と元気さと声の大きさ、そしてサーモンピンクのTシャツ姿が自分の母親とそっくりだったこともあるかもしれません。

クツワムシとの共演 
 思った通り、インドの師匠の家そっくりの会場は、バッチリの音響でした。
 アフガン弦楽器にとってはあり得ない湿度でしたが、日本に来てから若林が皮を張り替え、この数年日本各地を共に歩いた楽器ですから、日本に馴染んで来た感じ。演奏の度に音の合い方が良く成って来ています。

 若干CD用に解説を丁寧に短めに話し、駄洒落は慎み。話よりも曲の方が多くなるように努めて、良い感じで一部が終了。
 CD的に問題有ったのは、女の子の靴音よりも、突然鳴り出して鳴り続け鳴り響いた窓の外のクツワムシ。この数年吉祥寺の夏は、お隣近所が文句言いそうな程我が家から響き渡っていたクツワムシ。今年はまだ卵が冷蔵庫ですが、その晩、たっぷりと聴けました。と言いますかほとんどセッションでした。

「瓢鰻亭」について
「瓢鰻亭」の玄関には大きな木彫りの瓢箪の看板が有ります。ヒューマニティをもじった屋号とのこと。
 前々から白岩さんが引き合わせたい、と言ってくれていた福岡県筑上郡筑城町の「ひとくわ農場」のモグさんこと村上さんも奥様、お子さんと来て下さって、冬には「瓢鰻亭」で「瓢箪民族楽器作り教室」「瓢箪楽器演奏会」をやりましょう!とうれしく意気投合。
「瓢箪から駒」の様な新たな繋がりでした。
瓢箪だけに弦(ツル)からもどんどんつるつると広がって行ってくれたら嬉しい限りです。
 
「瓢鰻亭」は、しづさんのお父様で、「どぶろく作りの本」「百姓は米をつくらず田をつくる」などの著書があるお写真を拝見すると笑顔が素敵な思想家、故前田俊彦氏が始められたもの。
 谷川俊太郎さん永六輔さんも「瓢鰻亭」で講演され、常連さんの文化意識も高いそうです。今回の若林の演奏会についてしづさんも常連さんに声を掛けて下さったとのありがたい話でしたが、常連さんの多くが「何!岡林さんが来る!」「いいえ若林さんで」とちょっとご苦労された様です。

子供には本物を
 しづさんは、現在平成13年に施行されながらまだまだ有効に機能していない「文化芸術振興基本法」を元に自治体に掛け合って「子供達に本物の文化、芸術を見せなさい!」と頑張っておられます。
 これらの話のほとんどを演奏会の後に伺ったのですが、なんと「子供には本物の絵の具と本物の紙で絵を描かせる」という考えの人。チラシの裏紙じゃないんです。
 前々日の福岡の日本料理店の大将から伺った「子供には手は抜けん」と全く同じ話。
 そんな方とは知らず「お子さんも別に静かにしようとしないで良いから聴いてみて」と始めた若林は「志向が近い」と思っていただけたのかもしれません。

 白岩さんは演奏会の翌日ご丁寧にお礼状メールを下さり「本物を鋭い目で観て来たしづさんが『良かったねー』と何度も言ってくれてうれしかった」と伝えてくれました。
 若林としてもオーディションが合格だったなら期待に反せず出来たなら本当に良かったと思います。

 白岩さん、コーゾー君、奥様。そしてかなりの多忙を何時も都合着けて下さるオーグテの黒川さん、ご友人。厳浄寺の由香思さん、ひとくわ農場のモグさん。お名前を伺わなかった皆さん。そしてしずさん、おいしいおにぎりとクツワムシの声のプレゼントも含めて、

ありがとうございました。また是非、宜しくお願いします。

9月25日白岩さん経由で、しずさん撮影の写真を頂きまして、追加致しました。
しずさん、白岩さんありがとうございました。

   子供ものびのび,虫迄のびのび。心地よい布団で伸びをしたような音楽。
8月26日(金) 品川原美術館でアフガン音楽
   8月26日は、品川駅から徒歩15分程の閑静な高級住宅街の中にある原美術館のカフェでアフガン弦楽器ルバーブを演奏して来ました。
  野外のアジアン・バーベキューに合わせて「アジア民族音楽」のご依頼でしたので、マイクも舞台も無いと言うことで,ルバーブの弾き語りをしました。
 始めはアジア弦楽器の中では有名なインド音楽のシタールという話も出ていましたが、シタールはマイク無しの野外では厳しいので、皮張り弦楽器のルバーブで決まりました。
 途中からお客さんのテーブルを練歩き、弾きながらご質問に答えたり。
芝生の上の野外であったにも関わらず「綺麗な声ですね」と言っていただいたのは嬉しかったです。
   得意科目だけじゃ駄目だね。少しずつ一杯を全部足して満点が素敵だね。
8月26日(金) アラブ・クラスの頼もしい様子
 

 2週間前、思いがけず突っ込んだレッスンとなりました、金曜日のアラブ音楽クラスの続編でした。
  前半は若林が美術館の演奏から駆けつける迄自習となりましたが、若林が到着した頃にはドアの外迄「アラブ音楽」に聞こえる、といっちゃ可哀想ですが、良い感じの練習が聞こえて来ていました。

 既成の音楽概念を越えたところにあるインド古典音楽の場合「聞いてどうだ」というより「旋法ラーガとしてどうだ」という特殊な世界です。
  が、アラブ音楽の場合、西洋音楽と同様に「聞いてどうだ」的にも考察せねばならない一方で、即興的な部分も多く、根源的な音楽理解も求められる、ある意味でインド色に染まっていれば良いインド音楽よりは難しいところもあります。


弦楽器と太鼓の関係は
 若林の持論である「鼓動と関連する太鼓」と「煩悩、感情に関連する弦楽器」の関係は、基本的には「太鼓のビート」は「安定感」「安堵感」が無くてはならず、その分「弦楽器のリズム」は「外しても平気」なくらい自由でなくてはならない。
  ところが、弦楽器演奏者にもリズム感はあり、撥でハジク弦楽器の場合、パーカッシヴな側面もありますから、太鼓奏者のリズムと上手く合う時も有れば喧嘩する時もある。
  また、民族音楽の太鼓は多分に即興的であり、元来メトロノーム的な正確さが求められていない民族音楽では、太鼓のリズムもしばしば自由に揺れます。これが日本人には最も難しいところの様です。
 
 これは人間の感情と鼓動の関係を考えれば当然の話で、最近特にドキドキしたり心臓が凍る様な想いが増え(単に歳取っただけですが) ると痛感しますが「胸に手を置いて」確かめてみますと感情の起伏によって鼓動も変わる。しかしあまりに激しく変わってしまえば倒れてしまいます。逆に鼓動の躍動感、もしくは安定感が感情をコントロールしてクールな余裕をもたらしてくれる時もあり、逆に不安感を募らせ、言動が極端になる場合もあります。
 音楽に於ける太鼓と弦楽器の関係は正にこれが投影されたもので、「揺らぎない安心感を与えてくれる太鼓のビート」には、弦楽器は自由に甘えたり、余裕を持って情感溢れる歌を歌い上げる事が出来ます。しかし度が過ぎますと聴き手も固有のリズム感を持って居ますので、その甘え振りが見苦しく感じられる場合もあります。

歌い手の我が儘
 プロのリハーサルの現場で、本番では優しい笑顔で歌う歌手の方が、リズム隊を凄い剣幕でどやし着ける場面がままありますが、弦楽器よりも「我が儘な」歌い手さんは、「安心感」を求めながらも「躍動感」を求め「もっとノセてちょうだいよ!」的な無理難題を言ってしまう様です。
  歌い手のこの「我が儘」は最も聴衆の感覚に近いものですから、この場合は、歌い手さんが「我が儘でキレ易い」のではなく、リズム隊が期待に答える技量が無い、ということなんでしょう。
 
 確かに、日本人の太鼓・打楽器奏者は、メトロノーム的に正確であることを「良し」として、それ以上の冒険をしない人、興味さえない人が多い。
  しかし感情の起伏に応じない鼓動では不自然で人間らしくない。
ロボットやアンドロイドって感じで、結局は「良い音で上手な太鼓」であるにも関わらず「ノッて来ない」「ノセてくれない」結果になってしまいます。日本人の民族音楽ではそんな感じが凄く多い。

 「うねり」が命のアラブ音楽の場合、弦楽器と太鼓が交互に「安定感」「情緒感」の役割を担うところもありますから、更に高度な音楽とも言えます。
 その意味では、西洋音楽に最も近い分、最も難しい音楽なのかもしれません。

   ある時は太鼓奏者、また有る時は弦楽器奏者、そしてある時は歌い手,果たして実態は?
8月27日(土)  名古屋アリアナの会でアフガン音楽
 

 8月27日は、名古屋のアリアナ国際交流基金のお招きで、今年二度目のアフガン音楽の演に伺いました。
 アリアナの会の皆様には、この二回の間にも、万博会場市民ステージでの演奏も助けて頂きました。それからそんなに日も経っていない中、急遽決まった為に、宣伝が間に合わずご心配だった様ですが、開けてみればお客さんはほぼ満席で、中にはこの数年のアリアナの会での若林のアフガン音楽をずっと聞き逃していたので「やっと聞けました」と言って下さった方も居て、主催者、スタッフの方々は皆さん喜んでくれました。

 会場は名古屋の繁華街の中心「栄町」のそのまたど真ん中。
干菓子「らくがん」の老舗「大黒屋」さんが自社ビルの三階にお持ちの「巌本真理メモリアルホール」。ヴァイオリニストの故巌本さんの後援者であった大黒屋さんがクラッシック音楽の演奏会等に貸し出している、一見しますとビジネス・ビルの会議室の様なスペース。

   ところが演奏してみて驚きました。
もの凄く音が良いんです。 音響設備の工夫と言うよりは、たまたま余計な造作をしていなかった結果と、その場の持つエネルギーのなせるものの様に思えました。

 このところ、福岡県豊津と、品川の美術館で、立て続けに想いがこもってしまったアフガン音楽を演奏した事もあって、この日の一曲目の古典器楽曲は、我ながら珠玉の出来映えだったと思います。

 客席には、先日の名古屋の演奏で知り合って、CDを頂き、10月の東京での演奏では太鼓・打楽器を担当して共演させて頂く事になりました尺八とお箏演奏家のお二人、名古屋大学の先生、アフガン文化研究所関係の方も居て、嬉しい笑顔を送り続けてくれました。

 プログラムは若林の演奏の前に、アフガニスタン支援の為に現地調査を積極的に行っているJR総連の方が現地報告を話されました。その方は、なんとお住まいが若林と同じ吉祥寺。とても寡黙ながら秘めた情熱を感じさせる素敵な方で、お話も分り易く。若林の演奏にも大変興味をしめして下さり、JR総連主催の報告会でも「ぜひ演奏を」と言って下さいました。

 主催者横山さんの車で一緒に駅迄行きましたので「ご一緒に吉祥寺迄お話しながら」とお誘い下さったのですが、寄るところがあったので失礼しました。結局終電が無く寄らずに帰ったんですが、吉祥寺駅に着いてみると改札でバッタリ。新幹線も在来線も結局同じだったみたいで、不思議でした。

   心が場所を育て、場所が人を育てる。音という触覚でそれを拾って帰る。

8月28日(日) ギリシア音楽をパーティーで
   28日は、数ヶ月前から直前までの予定では、かなり目立つTVに出演している事になっていたんですが、ローカル局とキイ局の調整が着かずにいわゆるドタキャン。
  ありがたい事にキャンセル待ちのお客様が信望強く待っていて下さって、新宿京王プラザでのパーティーにギリシア音楽で呼んで下さいました。

 プライベートな会でしたが、オペラあり、クラッシックのピアノありで、中々濃い内容。年に二回の催しですが、ここ数年殆ど呼んで貰っています。

 この日は珍しく早めに着いてしまったので、サウンド・チェックも出来、会食にも加わらせて頂いて、しかも何時に無く、若林が食べれるシー・フードが多くて、お客さんとしてももてなされてしまいました。。

 小さな部屋だったので、黒服のスタッフさんは殆ど一人で、マイクの準備から飲み物、料理の配膳まで。
 自分もライブ・ハウスでゲストのPAをやっていたので若林のサウンド・チェックは速いのが取り柄、ツルっと終わるとスタッフさんも「ほお!」と言う顔。「良い音ですヨ」というと「ニコっ」
 会食が始まってからも、黒服さんは色々気を遣って下さって、美味しいパンを一口で食べたのを見るや、他の席から飛んで来て「もうひとつ如何ですか?」と。

 その後、珍しく口にあったボルドー・ワインだったので銘柄を聞いたりしたら、ちょっと焦っていて。「じゃあ自分で調べますから」と帰り際に空ボトルをお願いすれば、裏で袋にわざわざ入れてエレベーターの所でお見送りしてくれて「ワインはもっと勉強しておきます」と言ってくれました。

 先日の美術館でもそうでしたが、「楽士」のお仕事の時は、現場のスタッフさんとの気持ちの交流が嬉しいですね。しかも最近、若いスタッフで中々出来た人が増えて来た感じ。これについては友人が面白い定義を教えてくれましたが、それについては又の機会に。

    出来る奴ほど笑顔を認め、出来ない奴程笑顔をなめる。
8月31日(水) 小倉でシルクロード弦楽器特集
    8月31日(水)は、小倉のケイトミュージックさんで初ライブ。
 ケイトミュージックさんは、7月30日の大分中津のオーグテさん主催の若林忠宏シタール・リサイタルにお客さんで来て下さったアルゼンチン・タンゴのピアニスト秋元さんが主催する、音楽教室、自然食カフェとライブのお店。
 若林は小倉駅で降りて電話をして、秋元さんの旦那さんに車で迎えに来て頂きましたが、なんと小倉ではなく、東京の駅間隔より近いひとつ隣の西小倉。
 駅前からほんの五分。提灯の老舗の角を曲がって、もう一件の提灯店のお向かいに有りました。

昔懐かしいライブ・カフェ
 店内は、昔懐かしい喫茶店&ライブスポットの典型といった感じ。同じ日にお友達になりましたアコルディオンのいわつさんご紹介の福岡市西新のライブハウス「Cafe楽屋」と同様にドアが一面硝子の一階の陽の入るお店。
 若林が吉祥寺で20年やってましたライブ・スポットが地下だったので、一階で硝子越しに外の景色が見えるという開放感だけで「良い演奏が出来るゾ」という気分になってしまいます。

 博多駅から小倉迄は、特急や、大分に行く時のソニック号が安くて早かろう。と、これは若林の思い込みで、なんと新幹線と特急は¥300しか違わなかった。特急の方がきっと半額に近い位安かろう、と思って特急を待てば、特急は事故で到着も発車も一時間近く遅れるとの放送。慌てて新幹線に乗り換える為には、一度改札を出てみどりの窓口へ。なんだか融通の効かないシステム。でも以外に差額が無いから良いか。って上手くハメられてる?

 でも実際のお客さんの多くは、門司の方から、大分中津から、さらに山奥から皆さん車で駆けつけてくれて。結局は車社会なんですね。「小倉迄はどの列車が便利?」とか聞いてもお答えが無い筈でした。でも駅のホームで聞いても皆さん自分が日頃利用している列車のことしかしらないみたいで。なんだか不思議な風土に感じました。のんびりしているのか? マイペースなのか?

九州に帰ったサズ。嫁いだ?シタール
 今回の初ライブは、今後定期的にライブをさせて頂く上でのカタログ的なもので、盛りだくさん。インド音楽弦楽器シタール、太鼓タブラ、アフガン弦楽器ルバーブ、トルコ弦楽器サズにアラブ太鼓ダラブカ。若林のAAクラス得意楽器の半数をご披露しました。
 ルバーブは背中に担いで羽田から。シタールと書籍は、またも福岡の拠点ワンナインStudioの柳氏にお願いして宅配で 。タブラとダラブカとサズは東京から宅配便で。
 ところがケイトミュージックさんに着いてみれば、メンテナンスをすればそこそこライブに応え得る感じのサズとシタールが吊るしてありました。
 そうとは知らず、シタールはこの10年東京で一番活躍したベスト楽器。サズも最高級品。サイズが短いタンブーラ・サズだったので最近は択一されることはなかったのですが、日頃使う大きめのバーラマ・サズよりも音は良いベスト楽器。

 そのサズは実は九州から若林の元に届いた曰く付きの楽器です。
 若林がトルコ大使館で良く演奏していた頃、最近は時間の余裕が無くてお邪魔出来ませんが、出演料はトルコ・ワイン。それはそれで嬉しかった。

 そんな事を四、五回続けてる内に「プロ演奏家に何時もボランティアみたいで悪いと思ったから」と文化次官がプレゼントしてくれたサズ。
 なんと文化次官は来日していたトルコ舞踊団のサズ奏者が惜しむのを半ば無理矢理「大使館」の権力で奪い取って来たそうで、「それじゃ可哀想だから」と一度お断りしたら、怒り出し。「それはトルコの流儀に反する」「せっかく九州まで行って帰国直前に貰い受けて来たんだから」と。
  その舞踊団は東京には来なかった様で、おそらく九州各地を廻る公演だったのでしょう。「東京で使ってる楽器と並ぶ良い楽器は?」と思い出したサズが奇しくも九州に帰って来た感じ。きっとこの先同じサズの音を聞いたことがあるお客さんとも九州で出会えそうな予感です。

 聴衆の皆さんには、この9月にケイトミュージックさんで始る若林の西アフリカ太鼓ジェンベ教室の生徒さんになる予定の面々も駆けつけてくれて、シタールやタブラに感動してくれる人「ダラブカがジェンベのルーツ」の話しに深くうなづく人の中で「サズにやられた!」という人も居ました。
 確かにその晩のサズは我ながら凄かった。
  楽器によっては、久しぶりに弾こうと思っても「もう!まったく!久しぶりなんだから!知らない!」って拗ねっぱなしの楽器が多い中。あのサズは「やっと思い出してくれたのネ!嬉しい!」状態で歌うは歌う。凄く良い音でした。

 休憩の時には、ケイトミュージックさんのご常連のちょっと頑固そうな作務衣姿のオジさんが 手を握りしめて下さり。デンマーク人の青年、中津のシタール・リサイタルも来て下さった方、皆さん暖かい声を掛けてくれました。

 九州のみならず、全国的にタンゴ・ファンの評価が高い日本人では数少ない音楽で遊べるピアニストのケイトさんが開会の挨拶で「願いが叶ってこの店で若林さんのライブが」と迄言って下さり、演奏後も大変喜んで下さったのに凄く感激。
  旦那さんも元々のニコニコ顔が始終ニコニコで嬉しかったです。

 聴衆の皆さんの半数の方がアンケートに感想を書いてくれました。「九州ページ」でご紹介します。

 ケイトミュージックの皆さん。駆けつけてくれた皆さん。とても良い夕べでした。ありがとうございました。なんだか楽しくなりそうですネ。宜しくお願いします。
次回11月2日も宜しくお願いします。