7月9日はに5月からお話を進めて来ました、大分耶馬溪町のお寺「厳浄寺」で行われた「若林忠宏民族音楽コンサート」で大変素敵な時間を暖かい皆さんと共有して来ました。
中津? 近いじゃん。と思いきや
大分県の中津から車で山に入り。って伺って地図を見れば、中津は大分でも国東半島の北。昨年呼んで貰った小倉から「近いじゃん」と思って、博多駅から「特急ソニック」に乗って。
小倉の手前で既に景色はご機嫌の山と川と田んぼ。ソニック号はなんだかジェットコースターみたいな斬新なデザインで。これもまたご機嫌。ウキウキしながら楽しい列車の旅。昨年新幹線で小倉迄行った感覚で、小倉迄は直ぐ。と思いきやなんとこれが道中の半分を超え。ちょっとでも寝とけば良かった、と思えば、中津から車で「一時間」の山道に「厳浄寺」が有ると!
呼んで下さったのは、耶馬溪在住生まれ育ちだけれども、20年前には吉祥寺に住んで若林の店とライブの自称「隠れファン」で、インドからアフリカを旅し、今や日本人のアフリカ音楽と文化を探求する人達のもの凄い応援者の白岩さん。そして「厳浄寺」のご住職ご一家。
石の山を30余年かかって一人のお坊さんが掘った。という小道(現在は脇に車道が通ります)
やキリギリスが早々と鳴き、ヤブキリが畦で鳴く贅沢な田園を通り、「ご機嫌!」が続く道中。「12人しか居なくなって廃校になると聞いて帰郷するなり実家から離れてその学区へ越した、と言う白岩さんの二人の息子、太郎君と次郎君と歓談しながら楽しいドライブ。
でも市内から一時間の山の中。大雨の翌日にお客さんは来てくれるのだろうか? 白岩さんが個人で呼んでくれたので、負担を掛けたくない不安が募りました。
村上水軍の末裔が代々住職、古刹「厳浄寺」
「厳浄寺」は本堂のラカンも階段も、江戸時代は優に下るだろうという大変な古刹。
今回の演奏会の為にはご住職に随分ご協力頂いたと聞いていたので、御挨拶をきちんとせねば、と緊張。車を降りて本堂に望むや、階段に髭とおでこの、如何にも有り難い「ご住職」の姿が。「この度はお世話になりまして」と御挨拶をするとなんと役場の方でした。そう言えば真っ赤なポロシャツがちょっと派手過ぎ?とは思ったんですが...................。
次々に車で駆けつけるお客さんに御挨拶をしている内に演奏時間間近になって、ご住職を捜す間も無く楽器の準備に掛かれば、今度はご住職の息子さんの方から先に御挨拶頂いてしまいました。ニコニコ顔で、忍者か中津の田んぼの白鷺の様にひよ〜っと身軽に足音も立てず空中浮遊の様に歩く姿は、流石村上水軍の末裔という感じでした。
photo by Mr.Nakajima
楽器を準備するや、息子さんに「まずは腹ごしらえ」と母屋でカレーを誘われたんですが、申し訳ない事に若林がお肉を食べないので、生卵とサラダを頂いていると、ご住職と奥様がご丁寧に御挨拶して下さりました。
なんと「本物の」ご住職は、赤シャツさんよりも更に意外な、短パン姿。「探険帽」を冠ったら19世紀にケニヤを訪れたイギリス人探検隊みたいな..........。でもその深〜い瞳にはただならぬ気配と、有り難い笑顔には優しさが溢れ。こりゃ若林なんぞ存在感で負け。お客さんに「誰が東京から来たゲスト?」って言われそうな感じ。
ところがところが、その次の場面。ビートルズの「マジカルミステリーツアーのバスか?!!」
ってほどド派手なペイントの軽が来た!と思ったら中からバスよりも派手な出で立ちの「お兄さん?」が。
人の見かけが変わってるからって「何屋さん?」と聞くのもつまらんと思って聞かなかったので、今こう書いてる時になってなんて表現したら良いものやら。
TVで人気の振り付け師のカバちゃん風で、でもかなりインテリジェンスで暖かい不思議なキャラのお兄さん(お姉さん?)。頭は七色に輝きながら爆発していて。最高に面白い方。でも客席に居るの? 困ったね。彼が目立ったら、若林との掛け合いになっちゃうじゃん。photo by Mr.Nakajima
ところがおきゃくさんは皆さん暖かで。ノリノリな素敵な夕べ。ド派手な彼も、会をスクイーズする事もなく、良い感じで解け合ってくれて。
アフガニスタンから、インド。そしてアフリカ
そう言えば「厳浄寺」さんて「何宗?建立は?」と思って検索すれど、耶馬溪の「厳浄寺」さんは、白岩さん企画のイベント関連でしか出て来ませんでした。
中に「若林さんは、演目が多過ぎてちょっと皆目検討がつきませんが」というのが有って、どういう意味? って見て見たら、なんと白岩さんとの共通の友人。ケニヤで太鼓修行している若林の弟分の俵貴実君のコメント。
相変わらず言葉を選ばない人ですが、これは良い意味で「レパートリーが豊富過ぎて、何を聞かせてくれるか見当もつかない」という誉め言葉だったらしい。
確かに、「若林忠宏・厳浄寺ライブ」は音楽に詳しい方でも「見当がつかない」感じだったかも。音響をやってくれたコーゾー君は日田(翌日集中豪雨のニュースを見て心配)から山を越えて来てくれたシンガーソングライター。ヴァイオリンをやっている方は若林に「見て貰おう」とインド太鼓タブラを持参。後から聞けば、お客さん達は音楽マニアでは無いけれど白岩さんの「厳浄寺」でのアフリカ太鼓祭りで、超本物の現地演奏家の生を間近で聞いていますから「耳は越えてる」方達だったんですと。photo by Mr.Sugawara
アフガニスタン、インド、アフリカという脈略の無いプログラムは、白岩さんが20年前若林の民族音楽ライブハウスでインド音楽を聞いてファンに成って下さったこと。その後インドを旅行されたことから、インド音楽をお聞かせしたかったんですが、7月30日に同じ中津の料理教室とイベントを企画されている「オーグテ」さんでインド音楽ライブをさせて頂くので、微妙に近いアフガン音楽、弦楽器ルバーブ弾き語りを。
若林的にも最近特に力が抜けて、歌も舞う様な感じで気持ち良く演れてる「お勧め」プログラム。
インド太鼓タブラの弾き語りって、インド人も歌までは演りませんが、これは先日福岡市内のワンナインStudioでワークショップでご披露したもの。
そして白岩さんがインドの後にたどり着き、文化紹介、取り組んでいる日本人の支援がライフワークとなっているアフリカで後半は盛り上げようと、で白岩さん一家とも出会った俵君が企画した演奏会でご披露したケニヤ、コンゴの古い歌謡曲をギターを用意して貰って。そこではお客さんにも太鼓やパーカッションを渡して。みんなニコニコ顔で大セッション。photo by Mr.Nakajima
アフリカの前にナイジェリア起源のキューバの古い歌を瓢箪打楽器で歌いながら客席 を練歩くと、純朴な子供達がニコニコ顔だったり、大笑いだったり。一番小さな幼児には小声で歌い掛けたのに、やっぱり泣き出してしまいました。
photo by Mr.Sugawara
「我が祖国アフガニスタン」を歌うべき貴重な場
民族音楽の歌の意味、それを日本語で説明する事に興味が無く、ものによっては日本語的な理解がむしろ妨げになると思っている若林にとって、アフガニスタンの歌は、日本語に変えてもイメージが変わらない気がする貴重な例外。
その中でも戦渦の20年絶えずに放送されて来たと言うまるで国歌の様な名曲「我が祖国アフガニスタン」の歌詞は必ず細かくご紹介します。
「ダザモング、ライラ、ワタン」「この国は花子の国」「ダワタン、イマーム、ザムング」「この国はお坊さんの国」と訳しながら「ライラはイスラム圏内で良く有る女性の名前。お坊さんの国とは東南アジアのタイみたいにお坊さんが一杯歩いてるということではなく『信じれる国』という比喩。」「でも今日日花子さんってお名前は少ないですよね」「お客さんの中にもお坊さん、居ませんよね」というのが何時ものパターン。
ところがその日のその場。客席に『花子さん』が居ました。
白岩さんの長女。二人の息子、太郎君と次郎君のお姉さんで、中学三年生の可愛らしい明るいお嬢さん。そして「お坊さん」の方も当たり前ですが、ご住職からその息子さんまで二人も。「あ〜なんてこと!」この歌が最も相応しい「我が故郷、ダ・耶馬溪」と替え歌で歌った方が良かった様な、初めての不思議なシチュエイション。
アンコールは大爆笑セッション?
プログラム終演後、少し時間の余裕を取ってあったので、楽器を間近で見るお客さんに色々質問を頂いて。その内、例のド派手なお兄さん(お姉さん?)が「コーゾー君一曲やって」って言い出して。コーゾー君は遠慮してましたが、若林がじゃあ太鼓で伴奏しますと、引っ張り出せば、ド派手姉さんが「リクエスト『隣のくそジジイ』!」なんじゃそりゃ?
コーゾー君はむしろ困惑気味。彼のレパートリーの中でも異色なその曲は、彼のお友達の実話を歌ったもので、コーゾー君は「この曲をして僕の音楽的キャラを認識されるのは困る」という程強烈な曲。山の中とは言え散弾銃をぶっ放す恐怖の「くそジジイ」70年代フォークよろしく「隣のくそジジイ〜♪、隣のくそジジイ〜♪」と連呼。
若林が「厳浄寺アフリカ太鼓ワークショップ」で作ったと言う耶馬溪産ケニヤ太鼓で「隣のくそジジイ〜♪(あらよっと!)、隣のくそジジイ〜♪(だからどうしたい!)」と盛り上げ。(カッコ内が若林の合の手。もちろん日本語じゃなくて太鼓で。) photo by Mr.Sugawara
若林も白岩さん、ご住職一家、お客さんも 大爆笑と大歓声の中終わってみれば、若林の頭の中身はアフガニスタンもアフリカもすっ飛んで「隣のくそジジイ〜♪」のフレイズが廻っていました。
嬉しい出会い
でもそんなコーゾー君との出会いも今回の大きな収穫のひとつ。
確かに「隣の........」が彼の全てではないことは、その日の音響がもの凄く自然で、若林自身「あれっ!僕の声ってこんなに奇麗だったっけ?」と思う程。自由に遊んで色んな歌い方が出来たことでも十分に分ります。
コーゾー君ありがとうございました。お仕事で来れなかった奥さんと30日に中津市内でまたお会い出来たら嬉しいです。
なんと彼は、今回の演奏会をきっかけに小さい車に積める様にスピーカーを切って分解出来る様に改造までしてくれたとのこと。
コーゾー君の様に
耶馬溪から日田の山には都会の喧噪を逃れて、厳しい中にも人間的な生き方を選んで移り住んで来た若者が少なくないそう。なんと、客席には若林も良く知る、と言いますか妹が大変お世話になった吉祥寺の古道具屋の元店長さんも居たんですと。お声を掛けて下されば.....。良く覚えて居ます。タイの太鼓なんかも買いました。
耶馬溪の場合、そんな若者を助けてくれているのが、若林が着くなりご住職と思い込んだ赤シャツと髭とおでこの優しい笑顔の素敵なおじさん。デジカメを忘れちゃった若林はちゃっかりカメラマンまで頼んでしまいました。中島さんごめんなさい。
近々写真をお送り頂きましたら、この日記でご紹介します。読者の皆さんも豊かなキャラをとくとご覧有れ。
嬉しい感想が
ソニック号の終電が10:00前なので、演奏後の盛り上がりも冷めやらぬ中、名残惜しくもまた一時間の道を中津までお送り頂きました。
ところが白岩さんは、あまり感想を述べて下さらない。駄洒落も言わない20年前の尖った若林のライブのファンだったなら、今日のノリノリは意外だった筈。楽しんで下さって「呼んだ甲斐が有った」のか、それとも「イメージと違ってガッカリだったのか」駄洒落は言わなかった筈ですが..............。
ところがその晩からじわじわ嬉しくなって下さった様で。連夜感動のメール。不思議な人です。丁度「厳浄寺」の演奏会でもアフガン難民医療団キャンプでの慰問演奏の話をしましたが、若林の演奏中はキョトンとしていた聴衆が、演奏後の録音を再生するラジカセに群がってノッてる不思議な姿。もしくは若林が小学校で虐められていた事に中学で気づいた様な可笑しさにも似た。
それは「厳浄寺」の住職の息子さんも同じ。なんだか耶馬溪の風土なのか。否「良かったです」という通り一遍の言葉を癖の様に言うことが出来ない人って居ますよね。それとも恐竜の様に「叩かれて三日後に痛い!」って思うタイプの方々なのかな?
なんてとっても失礼ですが、帰り道は「あれっ!また調子に乗り過ぎて全力投球したか?」 と思ってしまいました。このところ7割投球を心がけて居るんですが、お客さんのノリが良いと、つい。でもそれは3割減らしてる分お客さんが埋めてくれてると思っていました。
でも「感動をその場で上手く伝えられない」のは若林も同じ。
感動を素直に表現するちょっとラテン系のノリも入っているお友達の影響で、やっと最近になって素直に表現出来る様になりましたが、誉めるのも誉められるのも下手でした。英語の「Good Job!」みたいな日本語があると便利なんですが。やはりこれも良くも悪くも日本人らしさなのかな、とも。
白岩さん経由なんですが、忍者の様に床をスラリと歩くご住職の息子(由香思ゆかしさん)さんは、「話は面白かった。いろんな国の人々が、何を信じて生きているのかとか、どんな人々なのかとか。若林さんのサービス精神はエンターティナーだと思った。もちろん、技術的にすごいのだろうけれど、さらりともったいぶらないで見せてくれて、それもすごいところ」「自分は音楽は分らないけれど、分らない人でも楽しめる話が、良かった。音楽がわからないと思っている人は多いだろうけれど、分り易い話に、どんな人でも、うんうん、とうなずける引っ掛かりを、たくさん出してくれるから、すべての人が楽しめると思う」とおっしゃって下さり、ご住職は「すごいすごい(由香思さん曰く、父は才能ある人に評価が高いから、すごい人だと、感心していた)」と言って下さったとの嬉しいメール。
なんとイギリス探検隊長の様なご住職は、演奏終了後本堂の物置をゴソゴソやって「ここにとても古い鈴が有った筈なんだが」と若林に一目見せたいと探して下さっていたと。やっぱり探検家なのでした。若林が帰る迄に発掘には至らなかった様ですが。
お客さんのMさんからは、
「主人が以前、若林さんの「タブラ入門」を拝見していたようでとても楽しみにしておりました。
いろいろな楽器の音色もとても心地よく、若林さんのお話も面白く、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。お誘いをしていただいたことに大変感謝しております。」と頂きました。
お客さんのSさんからは
「とても面白く、楽しい時間をいただきました。ありがとうございます。
若林さんもおっしゃられていましたが、この梅雨の季節の九州でアフガンの弦楽器、アフガンの歌に違和感を感じなかったのは、お寺の不思議な力、お堂のすばらしさでしょうか。空間の妙を感じました。」と頂きました。ありがとうございました。
毎日の様に色々な方々から続々届く感想を頂いており、山間の町でちょっと話題になっている楽しい、嬉しい雰囲気が伝わって来ます。ありがとうございます。
★後からもお便り頂きしだい更新しますので、見て下さい。
面白い後日談
面白かったのは白岩さんの中学三年生の娘さんで、受付を担当してくれた花子さんとお母さんの会話「花子が「若林さん、受けてたねー」と言うから「当たり前じゃん、実力あるもの」と私。そしたら花子曰く「でも、実力があっても受けるとは限らないじゃない?!」中学三年の女の子の台詞か?ってびっくり。今九州北部では「うさぎ年の娘は母より大人」が定説となりつつ有る様です。
うさぎ年と言えば、「隣の.........」を熱唱したコーゾーさんも、住職の息子由香思さんもですって!
仏門の貫禄からか、忍者の修行の隙の無さからか、それと熱唱メッセージソングのお二人は「えっ!ひと回り違うんでしょ?」と思いましたが。同年代ですって。
若林の真後ろが白岩家長男太郎君。その左次郎君
その左が花子ちゃん。画面右上にお兄さんと従姉妹、右下に由香思さんとその左にコーゾー君。
そう言えばもう一つ面白い話。
忍者の様な由香思さんとの不思議な体験。
「厳浄寺」のご紹介がネット検索で得られないから、これを機会に。
浄土真宗大谷派:清澤山(しょうたくざん)厳浄寺。戦国時代末期に建立されましたが、明治に焼けて、明治28年再建されたのが今日の建物ということです。
ところがこれを伺うのに不思議な出来事が。
朝の早いお仕事なのに11:00頃にお電話した若林がいけないんですが、日頃E-Mailをあまりご覧にならないという由香思さんに「厳浄寺についての質問メール送ります」とお電話すると丁度ご本人が出て下さり「丁度今若林さんのHPを見ようと思ってPCを開いた所なので直ぐ返事します」とおっしゃって下さりました。
ところがそれから一時間して、奥様からメールで「先ほどお電話下さいましたか?主人は寝ぼけてた様で............。メールにご質問の内容が無いんですが..........」と。
ありゃりゃ?と思ってもう一度お詫びを添えてメール差し上げましたら「またご質問の部分が厳浄寺は........で切れてます」
ってどうゆう事???
これが三度も続きました。文章を、短く質問だけにしても同じ。
目を覚まされた由香思さんが「若林さん魔法です!」って魔法信じるの? みたいな不思議な現象。
携帯が繋がらない山奥と言ってもネットが通じて文章の半分が消えるって事あるんでしょうか。でもこれをきっかけに由香思さんとは不思議とほんのりとしたお付き合いに。翌朝上記の情報を教えて下さり、これでネット検索でもより深い情報が。
ありがとうございました。
東京に戻ってからも、そんな楽しいやりとりが続く、厳浄寺ライブ。ほんとうに素敵な出会い、想い出、励みを頂きました。
東京とは鳴き方が違うヤブキリにも未練が有りましたが、さすがにお寺の昆虫を採集する訳にもいかず。皆さんの暖かな言葉に後ろ髪を引かれる思いで帰路につきましたが、また30日にお会い出来る方も多いと言い聞かせて。
朝の大雨が午後にはぴたりと止んだらしく、中津の駅で会うなり「さすが晴れ男!」とか言われましたが、翌日のメールで「若林さんが帰った後からまた降り出して、今は大雨」「厳浄寺」の参道も小川が溢れて通行止め!だそうです。
大阪でも「晴れ男」と言われ、先月の横浜でも今月初めの多摩川でも言われましたが、皆さんの暖かい応援が晴れ晴れとした気持ちにさせて下さる御陰だと思います。
相変わらず日本の狭い民族音楽の世界ではつまらない話も、悲しい話題も有りますが、それでも民族音楽やって来て良かったな。と思うこの頃です。
耶馬渓の皆さん、どうもありがとうございました。来年はもう少しゆっくりお邪魔したいです。宜しくお願いします。
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