2005年7月ダイアリー  
  7月2日(土)マンション自治会で演奏
7月15日お送り頂いた写真を追加
7月9日(土) 大分耶馬渓でのコンサート
 
写真と感想文を随時追加
  7月10日(日) 大阪でマレーシア音楽 7月10日(日) ありがとう。ちょっと分った!
  7月14日(木) 優しさと勇気 7月15日(金) 茨城石岡の小学校へ
  7月18日(月) 三味線との共演 7月19日(水) 青山でトルコ音楽
  7月21日(木) 名古屋でアフガン音楽 7月22日(金) 京都でアラブ音楽
  7月23日(土) 旧交を暖め、更に出会いも 7月25日(月) シタール・リサイタル
 

7月28日(木) 第三回 Life&Music

7月30日(土) 大分中津でコンサート
8月18日お送り頂いた写真を追加
  7月31日(日) 福岡イベント・リサーチ  


7月2日(土) 多摩川のマンション自治会【七夕祭り】で演奏
 

 7月2日は朝に出発で、多摩川のとあるマンションの自治会の「七夕祭り・民族音楽コンサート」に呼ばれて演奏して来ました。コーディネートは、昨年末の品川教育委員会「子供民族音楽教室」大森高校定時制「アラブ音楽レクチャーコンサート」を仕掛けてくれた小関さん。
 ところが、50人位集まる筈! 主に子供達なので、みんなに楽器を教えたり、ってお話だったんですが、雨が降りそうだったからか、20人程の大人ばかりに、ほんの数人の子供達。それでも一部の「じっくりインド音楽弦楽器シタール演奏」を笑いを堪えて聞く子供達と楽しく過ごしました。
 この様な会にしては、たっぷりの持ち時間、一時間弱を頂いたため、一部はシタールによるインド音楽をゆったりと聞いて頂き、二部で、子供民族音楽コンサートの定番の、インドネシア竹楽器アンクロン、西アフリカもしくはブラジル・パーカッションのワークショップ、そして西アフリカかキューバの太鼓歌で盛り上げて終わる。
 ところが、一部で頑張って聞いていた子供達。そこそこ楽しんでくれていた様にも見えたなけなしの数人の子供達は、休憩の間に姿を消し。ゲームか友達との遊びに散ってしまい。子供会プログラムの定番はなんと大人達でやることに。
 自治会長のお父さん。企画担当のお母さん、道具好きのおじさん達で「カエルの歌」から「七夕」をひとり一音の竹楽器アンクロンで合奏。
 その後は、子供達に配って教える筈の打楽器を好き放題に叩いてアフリカ太鼓音楽を大合奏。太鼓の賑やかな音が聞こえたのか、数人の子供達は戻って来ました。

 車椅子の方も何人か居らして、中には酸素吸入器で集会場の二階のステージ迄いらした方も。初めは怪訝そうに、少しおつらそうに何気に見てらしたのが、気づけば食い入る様に。目を輝かせては、若林の解説にうなづいてくれながら。
 大人達が童心に返った不思議な「七夕祭り」でした。


 終演後の懇談会も楽しく。ヴァイオリンをされている、東南アジア勤務が長かったご夫婦は「娘が仕事を抜け出してこっちに向かってる」これは残念ながら間に合わず。
  かと思うと「娘は今日は来れないんですが、昔若林先生の吉祥寺の教室に通っていて、今日も楽しみにしていたんですが、私だけで」と元生徒さんのお母さんに初めてお会いしたり。皆さんにお声を掛けて頂いてほのぼのとした気分の「子供会?」でした。


 ありがとうございました。 また呼んで下さいね。     photo by Ms.Koseki

   

7月9日(土) 大分耶馬渓で若林忠宏民族音楽コンサート
 

 7月9日はに5月からお話を進めて来ました、大分耶馬溪町のお寺「厳浄寺」で行われた「若林忠宏民族音楽コンサート」で大変素敵な時間を暖かい皆さんと共有して来ました。
中津? 近いじゃん。と思いきや
 大分県の中津から車で山に入り。って伺って地図を見れば、中津は大分でも国東半島の北。昨年呼んで貰った小倉から「近いじゃん」と思って、博多駅から「特急ソニック」に乗って。
  小倉の手前で既に景色はご機嫌の山と川と田んぼ。ソニック号はなんだかジェットコースターみたいな斬新なデザインで。これもまたご機嫌。ウキウキしながら楽しい列車の旅。昨年新幹線で小倉迄行った感覚で、小倉迄は直ぐ。と思いきやなんとこれが道中の半分を超え。ちょっとでも寝とけば良かった、と思えば、中津から車で「一時間」の山道に「厳浄寺」が有ると!
 呼んで下さったのは、耶馬溪在住生まれ育ちだけれども、20年前には吉祥寺に住んで若林の店とライブの自称「隠れファン」で、インドからアフリカを旅し、今や日本人のアフリカ音楽と文化を探求する人達のもの凄い応援者の白岩さん。そして「厳浄寺」のご住職ご一家。
 石の山を30余年かかって一人のお坊さんが掘った。という小道(現在は脇に車道が通ります) やキリギリスが早々と鳴き、ヤブキリが畦で鳴く贅沢な田園を通り、「ご機嫌!」が続く道中。「12人しか居なくなって廃校になると聞いて帰郷するなり実家から離れてその学区へ越した、と言う白岩さんの二人の息子、太郎君と次郎君と歓談しながら楽しいドライブ。

 でも市内から一時間の山の中。大雨の翌日にお客さんは来てくれるのだろうか? 白岩さんが個人で呼んでくれたので、負担を掛けたくない不安が募りました。

村上水軍の末裔が代々住職、古刹「厳浄寺」
 「厳浄寺」は本堂のラカンも階段も、江戸時代は優に下るだろうという大変な古刹。
今回の演奏会の為にはご住職に随分ご協力頂いたと聞いていたので、御挨拶をきちんとせねば、と緊張。車を降りて本堂に望むや、階段に髭とおでこの、如何にも有り難い「ご住職」の姿が。「この度はお世話になりまして」と御挨拶をするとなんと役場の方でした。そう言えば真っ赤なポロシャツがちょっと派手過ぎ?とは思ったんですが...................。
 次々に車で駆けつけるお客さんに御挨拶をしている内に演奏時間間近になって、ご住職を捜す間も無く楽器の準備に掛かれば、今度はご住職の息子さんの方から先に御挨拶頂いてしまいました。ニコニコ顔で、忍者か中津の田んぼの白鷺の様にひよ〜っと身軽に足音も立てず空中浮遊の様に歩く姿は、流石村上水軍の末裔という感じでした。
photo by Mr.Nakajima
 楽器を準備するや、息子さんに「まずは腹ごしらえ」と母屋でカレーを誘われたんですが、申し訳ない事に若林がお肉を食べないので、生卵とサラダを頂いていると、ご住職と奥様がご丁寧に御挨拶して下さりました。
  なんと「本物の」ご住職は、赤シャツさんよりも更に意外な、短パン姿。「探険帽」を冠ったら19世紀にケニヤを訪れたイギリス人探検隊みたいな..........。でもその深〜い瞳にはただならぬ気配と、有り難い笑顔には優しさが溢れ。こりゃ若林なんぞ存在感で負け。お客さんに「誰が東京から来たゲスト?」って言われそうな感じ。

 ところがところが、その次の場面。ビートルズの「マジカルミステリーツアーのバスか?!!」 ってほどド派手なペイントの軽が来た!と思ったら中からバスよりも派手な出で立ちの「お兄さん?」が。
  人の見かけが変わってるからって「何屋さん?」と聞くのもつまらんと思って聞かなかったので、今こう書いてる時になってなんて表現したら良いものやら。
  TVで人気の振り付け師のカバちゃん風で、でもかなりインテリジェンスで暖かい不思議なキャラのお兄さん(お姉さん?)。頭は七色に輝きながら爆発していて。最高に面白い方。でも客席に居るの? 困ったね。彼が目立ったら、若林との掛け合いになっちゃうじゃん。photo by Mr.Nakajima
 ところがおきゃくさんは皆さん暖かで。ノリノリな素敵な夕べ。ド派手な彼も、会をスクイーズする事もなく、良い感じで解け合ってくれて。

 
アフガニスタンから、インド。そしてアフリカ
  そう言えば「厳浄寺」さんて「何宗?建立は?」と思って検索すれど、耶馬溪の「厳浄寺」さんは、白岩さん企画のイベント関連でしか出て来ませんでした。
 中に「若林さんは、演目が多過ぎてちょっと皆目検討がつきませんが」というのが有って、どういう意味? って見て見たら、なんと白岩さんとの共通の友人。ケニヤで太鼓修行している若林の弟分の俵貴実君のコメント。
  相変わらず言葉を選ばない人ですが、これは良い意味で「レパートリーが豊富過ぎて、何を聞かせてくれるか見当もつかない」という誉め言葉だったらしい。
 確かに、「若林忠宏・厳浄寺ライブ」は音楽に詳しい方でも「見当がつかない」感じだったかも。音響をやってくれたコーゾー君は日田(翌日集中豪雨のニュースを見て心配)から山を越えて来てくれたシンガーソングライター。ヴァイオリンをやっている方は若林に「見て貰おう」とインド太鼓タブラを持参。後から聞けば、お客さん達は音楽マニアでは無いけれど白岩さんの「厳浄寺」でのアフリカ太鼓祭りで、超本物の現地演奏家の生を間近で聞いていますから「耳は越えてる」方達だったんですと。photo by Mr.Sugawara

 アフガニスタン、インド、アフリカという脈略の無いプログラムは、白岩さんが20年前若林の民族音楽ライブハウスでインド音楽を聞いてファンに成って下さったこと。その後インドを旅行されたことから、インド音楽をお聞かせしたかったんですが、7月30日に同じ中津の料理教室とイベントを企画されている「オーグテ」さんでインド音楽ライブをさせて頂くので、微妙に近いアフガン音楽、弦楽器ルバーブ弾き語りを。
  若林的にも最近特に力が抜けて、歌も舞う様な感じで気持ち良く演れてる「お勧め」プログラム。
 インド太鼓タブラの弾き語りって、インド人も歌までは演りませんが、これは先日福岡市内のワンナインStudioでワークショップでご披露したもの。
 そして白岩さんがインドの後にたどり着き、文化紹介、取り組んでいる日本人の支援がライフワークとなっているアフリカで後半は盛り上げようと、で白岩さん一家とも出会った俵君が企画した演奏会でご披露したケニヤ、コンゴの古い歌謡曲をギターを用意して貰って。そこではお客さんにも太鼓やパーカッションを渡して。みんなニコニコ顔で大セッション。photo by Mr.Nakajima
 
  アフリカの前にナイジェリア起源のキューバの古い歌を瓢箪打楽器で歌いながら客席を練歩くと、純朴な子供達がニコニコ顔だったり、大笑いだったり。一番小さな幼児には小声で歌い掛けたのに、やっぱり泣き出してしまいました。
photo by Mr.Sugawara







「我が祖国アフガニスタン」を歌うべき貴重な場

 民族音楽の歌の意味、それを日本語で説明する事に興味が無く、ものによっては日本語的な理解がむしろ妨げになると思っている若林にとって、アフガニスタンの歌は、日本語に変えてもイメージが変わらない気がする貴重な例外。
 その中でも戦渦の20年絶えずに放送されて来たと言うまるで国歌の様な名曲「我が祖国アフガニスタン」の歌詞は必ず細かくご紹介します。
「ダザモング、ライラ、ワタン」「この国は花子の国」「ダワタン、イマーム、ザムング」「この国はお坊さんの国」と訳しながら「ライラはイスラム圏内で良く有る女性の名前。お坊さんの国とは東南アジアのタイみたいにお坊さんが一杯歩いてるということではなく『信じれる国』という比喩。」「でも今日日花子さんってお名前は少ないですよね」「お客さんの中にもお坊さん、居ませんよね」というのが何時ものパターン。
 ところがその日のその場。客席に『花子さん』が居ました。
白岩さんの長女。二人の息子、太郎君と次郎君のお姉さんで、中学三年生の可愛らしい明るいお嬢さん。そして「お坊さん」の方も当たり前ですが、ご住職からその息子さんまで二人も。「あ〜なんてこと!」この歌が最も相応しい「我が故郷、ダ・耶馬溪」と替え歌で歌った方が良かった様な、初めての不思議なシチュエイション。

アンコールは大爆笑セッション?
 プログラム終演後、少し時間の余裕を取ってあったので、楽器を間近で見るお客さんに色々質問を頂いて。その内、例のド派手なお兄さん(お姉さん?)が「コーゾー君一曲やって」って言い出して。コーゾー君は遠慮してましたが、若林がじゃあ太鼓で伴奏しますと、引っ張り出せば、ド派手姉さんが「リクエスト『隣のくそジジイ』!」なんじゃそりゃ?
 コーゾー君はむしろ困惑気味。彼のレパートリーの中でも異色なその曲は、彼のお友達の実話を歌ったもので、コーゾー君は「この曲をして僕の音楽的キャラを認識されるのは困る」という程強烈な曲。山の中とは言え散弾銃をぶっ放す恐怖の「くそジジイ」70年代フォークよろしく「隣のくそジジイ〜♪、隣のくそジジイ〜♪」と連呼。
  若林が「厳浄寺アフリカ太鼓ワークショップ」で作ったと言う耶馬溪産ケニヤ太鼓で「隣のくそジジイ〜♪(あらよっと!)、隣のくそジジイ〜♪(だからどうしたい!)」と盛り上げ。(カッコ内が若林の合の手。もちろん日本語じゃなくて太鼓で。) photo by Mr.Sugawara
 若林も白岩さん、ご住職一家、お客さんも 大爆笑と大歓声の中終わってみれば、若林の頭の中身はアフガニスタンもアフリカもすっ飛んで「隣のくそジジイ〜♪」のフレイズが廻っていました。

嬉しい出会い
 でもそんなコーゾー君との出会いも今回の大きな収穫のひとつ。
確かに「隣の........」が彼の全てではないことは、その日の音響がもの凄く自然で、若林自身「あれっ!僕の声ってこんなに奇麗だったっけ?」と思う程。自由に遊んで色んな歌い方が出来たことでも十分に分ります。
  コーゾー君ありがとうございました。お仕事で来れなかった奥さんと30日に中津市内でまたお会い出来たら嬉しいです。
 なんと彼は、今回の演奏会をきっかけに小さい車に積める様にスピーカーを切って分解出来る様に改造までしてくれたとのこと。
 コーゾー君の様に 耶馬溪から日田の山には都会の喧噪を逃れて、厳しい中にも人間的な生き方を選んで移り住んで来た若者が少なくないそう。なんと、客席には若林も良く知る、と言いますか妹が大変お世話になった吉祥寺の古道具屋の元店長さんも居たんですと。お声を掛けて下されば.....。良く覚えて居ます。タイの太鼓なんかも買いました。
 耶馬溪の場合、そんな若者を助けてくれているのが、若林が着くなりご住職と思い込んだ赤シャツと髭とおでこの優しい笑顔の素敵なおじさん。デジカメを忘れちゃった若林はちゃっかりカメラマンまで頼んでしまいました。中島さんごめんなさい。
 近々写真をお送り頂きましたら、この日記でご紹介します。読者の皆さんも豊かなキャラをとくとご覧有れ。

嬉しい感想が
 ソニック号の終電が10:00前なので、演奏後の盛り上がりも冷めやらぬ中、名残惜しくもまた一時間の道を中津までお送り頂きました。
 ところが白岩さんは、あまり感想を述べて下さらない。駄洒落も言わない20年前の尖った若林のライブのファンだったなら、今日のノリノリは意外だった筈。楽しんで下さって「呼んだ甲斐が有った」のか、それとも「イメージと違ってガッカリだったのか」駄洒落は言わなかった筈ですが..............。
 ところがその晩からじわじわ嬉しくなって下さった様で。連夜感動のメール。不思議な人です。丁度「厳浄寺」の演奏会でもアフガン難民医療団キャンプでの慰問演奏の話をしましたが、若林の演奏中はキョトンとしていた聴衆が、演奏後の録音を再生するラジカセに群がってノッてる不思議な姿。もしくは若林が小学校で虐められていた事に中学で気づいた様な可笑しさにも似た。
  それは「厳浄寺」の住職の息子さんも同じ。なんだか耶馬溪の風土なのか。否「良かったです」という通り一遍の言葉を癖の様に言うことが出来ない人って居ますよね。それとも恐竜の様に「叩かれて三日後に痛い!」って思うタイプの方々なのかな? 
  なんてとっても失礼ですが、帰り道は「あれっ!また調子に乗り過ぎて全力投球したか?」 と思ってしまいました。このところ7割投球を心がけて居るんですが、お客さんのノリが良いと、つい。でもそれは3割減らしてる分お客さんが埋めてくれてると思っていました。 
 でも「感動をその場で上手く伝えられない」のは若林も同じ。
  感動を素直に表現するちょっとラテン系のノリも入っているお友達の影響で、やっと最近になって素直に表現出来る様になりましたが、誉めるのも誉められるのも下手でした。英語の「Good Job!」みたいな日本語があると便利なんですが。やはりこれも良くも悪くも日本人らしさなのかな、とも。

 白岩さん経由なんですが、忍者の様に床をスラリと歩くご住職の息子(由香思ゆかしさん)さんは、「話は面白かった。いろんな国の人々が、何を信じて生きているのかとか、どんな人々なのかとか。若林さんのサービス精神はエンターティナーだと思った。もちろん、技術的にすごいのだろうけれど、さらりともったいぶらないで見せてくれて、それもすごいところ」「自分は音楽は分らないけれど、分らない人でも楽しめる話が、良かった。音楽がわからないと思っている人は多いだろうけれど、分り易い話に、どんな人でも、うんうん、とうなずける引っ掛かりを、たくさん出してくれるから、すべての人が楽しめると思う」とおっしゃって下さり、ご住職は「すごいすごい(由香思さん曰く、父は才能ある人に評価が高いから、すごい人だと、感心していた)」と言って下さったとの嬉しいメール。
  なんとイギリス探検隊長の様なご住職は、演奏終了後本堂の物置をゴソゴソやって「ここにとても古い鈴が有った筈なんだが」と若林に一目見せたいと探して下さっていたと。やっぱり探検家なのでした。若林が帰る迄に発掘には至らなかった様ですが。

 お客さんのMさんからは、
 「主人が以前、若林さんの「タブラ入門」を拝見していたようでとても楽しみにしておりました。
  いろいろな楽器の音色もとても心地よく、若林さんのお話も面白く、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。お誘いをしていただいたことに大変感謝しております。」と頂きました。
 お客さんのSさんからは
 「とても面白く、楽しい時間をいただきました。ありがとうございます。
  若林さんもおっしゃられていましたが、この梅雨の季節の九州でアフガンの弦楽器、アフガンの歌に違和感を感じなかったのは、お寺の不思議な力、お堂のすばらしさでしょうか。空間の妙を感じました。」と頂きました。ありがとうございました。

 毎日の様に色々な方々から続々届く感想を頂いており、山間の町でちょっと話題になっている楽しい、嬉しい雰囲気が伝わって来ます。ありがとうございます。
★後からもお便り頂きしだい更新しますので、見て下さい。


面白い後日談
 面白かったのは白岩さんの中学三年生の娘さんで、受付を担当してくれた花子さんとお母さんの会話「花子が「若林さん、受けてたねー」と言うから「当たり前じゃん、実力あるもの」と私。そしたら花子曰く「でも、実力があっても受けるとは限らないじゃない?!」中学三年の女の子の台詞か?ってびっくり。今九州北部では「うさぎ年の娘は母より大人」が定説となりつつ有る様です。

 うさぎ年と言えば、「隣の.........」を熱唱したコーゾーさんも、住職の息子由香思さんもですって!
  仏門の貫禄からか、忍者の修行の隙の無さからか、それと熱唱メッセージソングのお二人は「えっ!ひと回り違うんでしょ?」と思いましたが。同年代ですって。
若林の真後ろが白岩家長男太郎君。その左次郎君
その左が花子ちゃん。画面右上にお兄さんと従姉妹、右下に由香思さんとその左にコーゾー君。

 そう言えばもう一つ面白い話。
 忍者の様な由香思さんとの不思議な体験。
 「厳浄寺」のご紹介がネット検索で得られないから、これを機会に。
 浄土真宗大谷派:清澤山(しょうたくざん)厳浄寺。戦国時代末期に建立されましたが、明治に焼けて、明治28年再建されたのが今日の建物ということです。

 ところがこれを伺うのに不思議な出来事が。
 朝の早いお仕事なのに11:00頃にお電話した若林がいけないんですが、日頃E-Mailをあまりご覧にならないという由香思さんに「厳浄寺についての質問メール送ります」とお電話すると丁度ご本人が出て下さり「丁度今若林さんのHPを見ようと思ってPCを開いた所なので直ぐ返事します」とおっしゃって下さりました。
 ところがそれから一時間して、奥様からメールで「先ほどお電話下さいましたか?主人は寝ぼけてた様で............。メールにご質問の内容が無いんですが..........」と。
 ありゃりゃ?と思ってもう一度お詫びを添えてメール差し上げましたら「またご質問の部分が厳浄寺は........で切れてます」 ってどうゆう事???
  これが三度も続きました。文章を、短く質問だけにしても同じ。
  目を覚まされた由香思さんが「若林さん魔法です!」って魔法信じるの? みたいな不思議な現象。
 携帯が繋がらない山奥と言ってもネットが通じて文章の半分が消えるって事あるんでしょうか。でもこれをきっかけに由香思さんとは不思議とほんのりとしたお付き合いに。翌朝上記の情報を教えて下さり、これでネット検索でもより深い情報が。

ありがとうございました。
 東京に戻ってからも、そんな楽しいやりとりが続く、厳浄寺ライブ。ほんとうに素敵な出会い、想い出、励みを頂きました。
 東京とは鳴き方が違うヤブキリにも未練が有りましたが、さすがにお寺の昆虫を採集する訳にもいかず。皆さんの暖かな言葉に後ろ髪を引かれる思いで帰路につきましたが、また30日にお会い出来る方も多いと言い聞かせて。

 朝の大雨が午後にはぴたりと止んだらしく、中津の駅で会うなり「さすが晴れ男!」とか言われましたが、翌日のメールで「若林さんが帰った後からまた降り出して、今は大雨」「厳浄寺」の参道も小川が溢れて通行止め!だそうです。
  大阪でも「晴れ男」と言われ、先月の横浜でも今月初めの多摩川でも言われましたが、皆さんの暖かい応援が晴れ晴れとした気持ちにさせて下さる御陰だと思います。

  相変わらず日本の狭い民族音楽の世界ではつまらない話も、悲しい話題も有りますが、それでも民族音楽やって来て良かったな。と思うこの頃です。

 耶馬渓の皆さん、どうもありがとうございました。来年はもう少しゆっくりお邪魔したいです。宜しくお願いします。

 

 耶馬渓でのライブを企画して下さった白岩さんからの感想文を頂きました。

【今日のライブは、本当に素晴らしかったです。それは、来てくれた人の、始まる前と、終わってからの表情が、変わったことで、よくわかります。皆ぱっと明るくなって帰っていきました。
 本当に良かった。
 ひとりひとりに物語があって、それぞれが、それぞれに、重たい荷物も持ってやってきて、終わってみたら、荷物が軽くなっていた。。。というような、もの凄い変化。

 20年前の自分の感性の正しさを、今日、見せてもらいました。
 私の知っている若林さんは、全く変わっていないです。若林さんの本質は。
  私の大好きだった歌とお話にさらに磨きがかかっていましたが。音楽を愛する心は、なにも変わらず、そして、情熱的で、サービス精神旺盛で。。。。
 20年前と同じ。私はひとりラオヤに連れて行ってもらってました。その当時の友だ
ちに会い。話をしてきた気分。
 ラオヤに最初連れて行ってくれた友だちは、南アフリカで脳性マラリアで亡くなったんです。23歳で。だから、今日は、その子に会って話をした気分です。
 彼は、ラオヤでチャイを飲みながら、インドタバコのビリーを、幸せそうな顔で吸っていました。「ここに来ると落ちつくんだよね」と言いながら。】

 白岩さん。素敵なお言葉をありがとうございました。皆さんがそんなに喜んで下さったなんて、とっても嬉しいです。
  20年続けましたあの民族音楽ライブ・スポットはシンドイことばかり記憶に残っていて、正直想い出としては辛かったんですが、昨年、小倉城記念公園で演奏した際、小さな子を連れられた方に「ラオヤのファン」でした。と言って頂き、しかも二組も。今年になって応援者さんに「自分の経歴を誇れない様じゃ駄目」と諭され、そして今回の素敵なお話。
 実は吉祥寺の老舗民芸品店はるばる屋さんと共催しております「アジアン特急2005」の第一回の出演者さんオリッシ舞踊の福島さんが「Guest-Artist」のコメントのページに書いて下さっている事とも重なり、自分の浅はかさを痛感しました。
 あの店はとても多くの人に何かを感じて貰えていた。みなさんの中にたくさんの想い出が有る。そう思うと粗末に出来ないどころか、大切にしたい嬉しい歴史と思える様に成って来ました。今頃ごめんなさい。そしてありがとうございます。

7月10日(日) 大阪でマレーシア音楽演奏
 

 7月10日は福岡から飛行機で大阪毎日新聞社オーバル・ホールへマレーシア音楽を演奏しに行きました。
数年振りに突然のお声掛かり
 若林は、1995年に、マレーシア・ペナンの植物館と姉妹関係にある板橋区熱帯植物館の展示会の為に、展示楽器の買い付けと研修にクアラ・ルンプールの公立、私立二大音楽院に赴きましたが、その前後に数回演奏の機会があった位で、お呼びが掛からなかった「マレーシア音楽」10年経ちますから「昔取ったなんとか」に近いお久しぶり。
 今回のお声掛かりは、金沢のイベント・プロダクションさんがネットで若林を見つけてくれたもので、ボルネオ島のマレーシア領サバ州に出来るホテル建設のレセプション。
 オープニングではボルネオの森の民の弦楽器「サペ」独奏。一部と二部の間にアラブ系弦楽器ガンブスの弾き語り。それぞれたった5分の演奏ですから、民族音楽ライブの感覚から言うととっても贅沢? 勿体無い? でも演奏がメインじゃないんですから仕方がないですね。
 そう言えば、秋にも似た様なレセプションが有り、シルクロード音楽のご依頼を受けてるんですが、最近この手のお仕事がまた復活して来ました。景気が良く成って来た、と言う程でもないようなんですが、付加価値を付ける意味で生演奏が復活し始めて居る感じです。
何故かマレーシアが続く
 今回の大阪でのマレーシア音楽の話を頂いた直後、藤沢の高校からもマレーシア音楽のご依頼が。なんと修学旅行でマレーシア!! その説明会で演奏して!というご依頼です。
 なんで急にマレーシアが続くんだろう!と思いながら大阪の演奏を終えれば、今度はニッポン放送からお電話。「世界各地の音楽を紹介する番組でこの度マレーシアを取り上げるので演奏をお願いしたい」ってどうして?どうして? 

 いっそのこと皆さんもこぞって「真似ーしや」ってこういう駄洒落は禁止されてるんでした。

 7月10日(日) ありがとう!ちょっと分って来た感じ。
 

 今回は、福岡を拠点に大分、大阪と西日本ツアーって感じでしたが、その慌ただしい中に、とってもお世話になっている若林の欠け替えの無い応援者さんで、数少ないお友達の中でも親友と呼びたい方ととっても実の有る嬉しいお話をする機会が得られ、そこからとってもタイムリーに「なんだか分って来たゾ」というものが。
 話の中身は、イベント業界の色々な話や、作品の感性とクリエイター気質やアーティスト根性などなど、若林がこの日記でもっとも触れている話題。
 そのお話も大変嬉しく、勉強になったんですが、それにも増して感謝の気持ちで一杯なのは、先月の日記で触れた「大人と子供」というテーマ。若林のタイトル「ちょっと頭が混乱気味」をかなりすっきりさせてくれた事。それは話の内容ではなくて、応援者さんの会話の素晴らしさから。

「言葉のボール」に「心」と「想い」を込める天才
 元々「語り」のプロだからでもありますが、応援者さんはオフの歓談でも実に話し上手。とは言っても、オフでもプロ根性出しちゃうタイプ(どんな時でも、誰であっても他人は商売相手、みたいな人っていますよね)ではなく、素のままで。
  言い換えれば、本番のお仕事でも、どっちかと言うと「素のまま」で見事に人の心を捕らえる。もっと正確に言うと、なまじ「話芸」に自信が有り、それで顧客の心をつかんで仕事しているプロの様に「心を捕らえる」のでは無くて「心を運ぶ」天性の才能の持ち主。
 自分が「語り部」という気負いが無い代わりに代わる代わる演題に立つメイン・スピーカー達の心をお客さんに運んだり、イベントのスタッフとクライアントの間で心を運ぶ技に関して天性の素晴らしさを持った方。でも恐らく「素のまま」がその才能の源なんでしょう。
 そんな人との会話は楽しくて時を忘れます。「言葉」に込められた「心」や「想い」を優しく「ポーン」と投げてくれて、それを上手くキャッチし、面白く投げ返す。すると、次々に「ボール」は面白い方向から、様々な球種で元気良く飛んで来る。

絶妙なキャッチ・ボール
  話の中身に熱くなって語り明かすってことは誰でも青春時代に 沢山経験されていると思います。が、そういう楽しさって、例えば宴席の盛り上がりの場合酔いが覚めたら、話も冷える。翌日になると「なんだっけ?」見たいな虚しさが有ります。
  が、話の中身にも価値がありながら、なにしろキャッチボールが楽しい。そんな会話は、中身も残りながら、会話自体の雰囲気や楽しさが冷めずに残る。それは音楽の「掛け合い」にも通じる、若林が大好きなジャンルです。
  ストレートの速球から、スロー・ボールや変化球。次々変わるその多彩さにはワクワクさせられっぱなし。同時に、自分が名ピッチャーなんじゃない?って思うと更に会話も楽しくなって、もし深刻な雰囲気や、誰かに説教されているんならむちゃむちゃシンドイ様な話が、とってもすんなり頭に入り、心に伝わる。

子供と大人のキャッチボール
 そこで気づいたのが、先日日記に書きました「何が子供で何が大人?」という話しとの関連。それを子供とのキャッチボールを思い浮かべて考えてみました。

 三歳児とのキャッチボール。まだ、鞠などは危険ですから、紙風船みたいなものを「ほ〜い」と言いながらフワって飛ばして、その小さな手で押し返しただけで「わあ!すごいねえ」っと誉めて上げる。こちらは子供の高さ迄腰を落としてしゃがんで。
 四、五歳児ならば、ビニールのカラーボールでも大丈夫かもしれません。転がす様に与えて、それを返すだけ偉い。我が家の犬や猫さんは返してくれませんから。
 これが小学生になれば、こちらがしゃがんであやす必要も無くなります。
「よっしゃ!行くぞ!」くらい本格的な雰囲気の方が、やる気を出して瞳を輝かせて。でも、「豪速球だゾ」「変化球だゾ」っと言って投げても、実際はスロー気味のストレート。「おお!凄いね良く取れたね!」と誉めてあげれば上達も早い。
 小学校高学年になれば、そんなお世辞はバレてしまいますから、そこそこマジにやってあげないとヒネ曲がってしまいます。立ち上がったお互いの距離も随分と離れて。球もソフト・ボールの本格的なものでオッケー。軟式野球だって出来る。グローブをはめさせても。ノックでしごいても良い。
 これが中学生になって、高校生に成れば、下手すると親のこっちが必死。
中学生なら対等でしょうし、高校生ならどっちがしごかれてるの?という感じでやがて相手にされなくなる。
 
 言う迄もなくボールは心や想いを運ぶ「言葉」。
  大人から子供を見れば、相手が何れ程の精神年齢かが良く分かる。合わせてあげなくては成らない程子供なのか、そこそこキツいボールじゃないと気遣いが逆に「信頼されていない」と感じさせてしまう場合もある。
  互いに信頼が増せば「気持ちの距離」は縮まるけれど、「キャッチボールの距離」は離れていても大丈夫。むしろ変化球や速球が練習出来る方が嬉しい。信頼出来る身内と日頃から良い練習をしておけば、他人とのコミュニケイションに自信がつく。
 逆に自分ばかり練習したがっていて、相手が 捕るのが必死じゃ捕る方はだんだん辛くなる。それが分らないのもある意味まだまだ子供。お互いに励まし合いながら「よっしゃ!今度は変化球練習させて」「豪速球行くゾ」って上手く伝えられたら良い感じのキャッチボールが出来る。
  これが慣れて来て、日常的に良い感じのキャッチボールが出来る様になるととっても嬉しい人間関係。変化球であれ、豪速球であれ、ど真ん中や低め、高め、内角、外角をビシっと決めるコントロールをお互いが持っていて「感じ合って」受け答え出来るととっても気持ちが良い。日々のストレスも解消される。
  コントロールが悪ければ世間でも通用しないし、身内に放っても「何が言いたいの?」「何がしたいの?」という事になる。単なる「意地悪」「いじけ」になってしまう。これは大人子供言う以前の問題。
 お互いのコントロールがしっかり身に付いていれば、逆にストライクを外して見事にキャッチする技の訓練も出来る。しかしそれは受ける側が望んで成り立つことで、望んでいなけりゃ不愉快な「意地悪」「しごき?なんで?」と同じ事になる。

お互いが成長する楽しいキャッチボール
 親しい仲の嬉しいキャッチボールでもたまにはすっぽ抜けたり、力み過ぎて「暴投」もあるかもしれません。でもそれをしっかり受け止めて貰えるのも嬉しい。肩の力を鍛えたい時に「遠投」もしっかり受け止めてくれるともの凄く嬉しい。その為にも「捕球」の技も磨いておきたい。何処に落ちるか分らないフライをオロオロせずに見事にキャッチする技も磨いておきたい。出来ればイチローの様に背中で受けられたらムチャカッコ良い。
 「名投手」も日々のトレーニングを怠れば、肩に力が入ってしまいコントロールの正確さが落ちる。キャッチボールの相手が下手くそだと才能が有っても腕が落ちる。良いトレーニングが出来ずに無理に変な力を入れれば肩を壊してしまう。
 言い換えれば大人だ子供だって言う事は、ある程度は相対的なものも有り、同じ人が相手によって若干変化する。

  「礼儀」という気遣いに満ちた紳士的なキャッチボールから始めて、次第にお互いを高めて行けるハイ・レベルなものに変えて行ける気持ちの余裕があることが、より嬉しい意味での大人の関係なのかも。
 そんな風にお互いの投球コントロールと捕球の技を維持し、更に高め合って行ける間柄はリクレーションとしても心の健康維持にはもってこいだし、社会の本番にも役に立つ。

7月14日(木) 優しさと勇気
 

半年前に
 気がつけば半年が経ってました。
  若林のHPのプロフィールや猫のページをとても誉めて下さったファンの方のお便りで頂いた「優しさと勇気」。それに支えられ、今迄とちょっと違った感覚で毎日を過ごす様になり............。なんて「人はそんなに変われるもんじゃない」が口癖の自分が、思ってる程は変わってないんでしょうが。人の優しさを「照れずに受け止められる」様にだけはなった様な。
 人は「優しさ」を「喜んでくれる」「受け止めてくれる」相手にはどんどん優しくしたくなるんでしょうか? それとも素直に受け止める事が出来る様になると、人も素直に接してくれるのでしょうか。そして素直な「優しさ」をどんどんくれる様になるのでしょうか? 
  この半年で沢山の人からどんどん暖かい「優しさ」を頂く様になりました。
  お仕事で出会った人でさえ、優しさと心を開いて「またお仕事ご一緒しましょう!」と言って下さる。
 でも素直になった分、きっとさらに「子供返り」している若林は、何もお返しが出来てないに違いないんです。人はお菓子やお土産を喜ぶ子供にまた上げたくなるような感じで次々に優しさをくれますが、若林はそれを「ニコニコ」と喜んで受け取ってるばかりな気がします。

お返しは音楽なんて都合良い
  若林の音楽のファンの方は「音楽で返してくれてるじゃない!」とか、老若男女、子供達が笑顔になる音楽を渡していることが「お返しじゃない!」と言って下さり、「勇気を貰った」とも言って下さる人も居ます。
 もしかしたらこの半年で音楽も少し変わってきたのかもしれませんが、自覚はありません。良い意味では昔から音楽に対しては素直だった、と言うかそれしか出来ない。嘘がつけない。「嘘がつけてたらもっとメジャーになってただろう」なんて悪口を良い意味で受け止めてしまう位。
  悪い意味で音楽をやっている自分をコントロールするのは難しい。カウンセラーが「治療の為に」、もしくはプロデューサーが「売れる為に」、もしくは恋人が「私の為に」「健康の為に」「少し減らして!」とでも言ってくれなきゃ常に全力投球。受け取る側(聴衆)は常に過剰ぎみ。その結果「努力の割に利が薄い」。
 そう言えば、昨年日記の文章にわざわざメールで意見をくれた、かつてのお弟子さんが「習ってる当時はその音楽の鋭さに恐怖さえ感じた」と言ってくれました。
  「最も自分らしい音楽の現場がレッスン」と思って居ましたから、遠慮なくぶつければ、受ける方は過剰気味どころじゃなかったんでしょう。
 その当時に比べると、相手の受け止める力やその時々の気力に応じて音や心を投げかける力を加減する気持ちの余裕が出来たのかもしれません。昔はそんな手加減は「相手に対して失礼」と思っていました。

後から分るんじゃ意味が無い?
 その生徒さんは「今になって教えてくれたことの意味が少し分る」と言う感じのことを伝えてくれました。これはある意味で若林にとっては究極の誉め言葉。
 若林のシタールの師匠の教えは、師が亡くなって10年以上経つ今でさえフラッシュバックのようにレッスンの意味を分らせてくれます。そんな想いをする毎に自分もそんな深い教えを伝えたくなる。
  でもそれじゃ「名教師」ではないんでしょうね。そんな理想で教えてても喜ばれなきゃ報われない。卒業式の日に「恩を仰いで」って歌って貰えない。数十年後の同窓会でやっと?
 そう言えばお付き合いした人の一部に「貴方の優しさって別れて数年経って分る」って言われた事も。殆どの場合、未だに理解されずに「道で会ったら覚悟しろヨ」でしょうが............。
  これも今想えば「手加減が失礼」と似た心理から出ていたに違いない。
  人に今喜ばれる「優しさ」はその人の明日には役に立たない。むしろ成長を止めてしまうのではないか?と。 
 とかく人は「今の自分」「今迄の自分」を肯定してくれるものを「優しい」と感じたいもの。でもそんな「優しさ」やフェミニストぶった「優しさ」は嫌いでした。
 ライオンの母親が子供を崖から突き落とす様なものを「愛情が有る優しさ」と思いたかった。もちろんそこ迄他人にはしませんでしたが、自分は人に求めて居たかもしれません。でも実際やられたら人一倍拗ねたり、メゲたりしたに違いないんですが、「耳障りの良い優しさ」に対して抵抗感が強かった。

まるで万能薬の様な
 でもこの半年でその感覚はかなり変わって来ました。
 確かに「上辺の優しさ」に対しては未だに同じ気持ちかもしれませんが、半年前に頂いたお便りから得たものは、優しさだけじゃなくて「勇気」でした。

 人から得られる「勇気」。それ自体は、ある意味実態不明。
  より正確に言えば「勇気の源」「元気の元」ミネラルやビタミンみたいなもの。
  それは時と場合によって「自分を律する」「自分を厳しく見つめる」勇気であったり、逆に人を厳しく見つめたり、打算に嫌悪しながらもずるずる付き合っている人間関係をスパッと切る「勇気」だったり。また、自分の経験やごまかし難い性格を「慈しむ勇気」だったり。自分を信じる「勇気」だったり、相手を信じる「勇気」だったり、未来を信じる「勇気」だったり、過去を切り離す「勇気」だったり。
  新しいものを掴む「勇気」険しい崖の上のものを危険を顧みず掴みに行く「勇気」そして失う事を恐れない「勇気」。変えて行く「勇気」守り続ける「勇気」。
 人から貰った時点でも実態は不明だし、その実際の量も不明。でも、受け取った人は、それを様々な時、所で「勇気」として色々なサイズ、強さで活用出来る。
「物」ではないけれど、「心」というものでもない。その人がその人のものとして活用出来る、なにかスウィッチの様な。

優しさに包まれた勇気
 でもこれはある意味で毒にも薬にもなれば、楯にも刃にもなるかなりハードなもの。受け取れない程に弱く成っている時もある。もしかしたら与え手の問題より受け手の問題が大きいかもしれない。
 でもそれを人にしっかり手渡すには、かなり肌触りも耳障りも良い、暖かな「優しさ」で包むのは実に見事なアイディア。
 母ライオンが「お前も男として一人前になるんだから、自分から崖を走り降りてごらん!」と優しく励ます感じ。「君ならきっと出来る!」「もし失敗してもまたやれば良い」そんな「優しさ」に包まれた「勇気」でした。
 「勇気」を得て 逃げる人は居ない。「勇気」を得て人をおとしめたり、妬んだり、裏切ったりする人は居ない。「勇気」を得て弱く成って行く人は居ない。
「勇気」を伴う「優しさ」が人を駄目にする筈はない。
 そんな事を教えて貰った気がします。

勇気を与える音楽って?
 
この半年の間、演奏会の度に励まされているからに違いないんですが「演奏を聞いて勇気を貰いました」って言って下さる事が多く成りました。
 
たかだか半年で、若林がそんなに成長する筈もなく、こんな自分が何故「勇気」を与えられるのか?
  そりゃ、こんな幼稚で情けない自分でも音楽やってる時は多少マシ?

 
20代の昔の事にはなりますが、一日15時間練習を一年以上続けました。指の痛みを和らげるのは、別な痛みを伴う他の楽器の練習だったり。また自分で言うのも変ですが、音楽に関しては教え手からより多くの情報と、心を引き出すのが上手。そうして得た音楽とその伝統に対しての誇りが有れば、それと関わっている時の自分に対しても当然自信は有る。音楽的な高みに対しての挑戦から逃げたことも無ければ、嘘も無い。
 その音楽が娯楽として「楽しめるか?」を別にすれば、若林の音楽的姿勢は、確かに「勇気」に満ちているかもしれません。

 でもそれが果たして単純に人に「勇気を与える音楽」ということなんでしょうか?
何故ならば、「勇気に満ちている音楽」ならば20代の尖った頃の方が当然強かった筈。それと比べれば、今の音楽は、ちょっとナマクラ?  ニタニタしながら駄洒落まじりに解説して、気楽に楽器を手にして。楽そうに演奏し、気持ち良さそうに歌う。
  昔の様に楽器にプラナーム(★)の挨拶をして、大きく深呼吸をして、険しい面持ちで音楽に入って行く「弾き始め迄の息苦しい緊張感」と言われた頃と比べたら大違い。
  まるで好々爺が「昔取った杵柄」の様に軽く楽器を手にして、ふわっとその世界に入って行く。言わば自然体? 否、自然体よりも柔らかく成ってる?

 こんな若林がそんな風に自然にやれる姿を見て「自分も何か出来るかも!」っていう感じで「励まし」を与えるというならなんとなく「あり得るかも」って思います。
 でもどうもそういう事でもないみたい。
 「励まし」と「勇気」はちょっと違う。外からと中からの違い? 
極度に弱っている人には「励まし」がプレッシャーになる時もありますが「勇気」を渡せたらそれは弱った人にも「優しく」作用する。

野良猫が掴んだ勇気とは
 今では民族音楽教室のマスコットボーイのチャメ君は、若林の自宅に現れる野良子猫でした。若林の飼っていたウズラを食べちゃったり、重い病気で寒い冬を生き延びる為に必死に頑張っていました。
 目から鼻からヤニを垂らす悲惨な姿が心配で、何か出来ないか!と思って餌付けを始め、数週間後、扉を開けたケージでご飯を食べるチャメを捕獲して病院へ。病気が分って自宅の猫家族とは隔離して教室の主に。すると数日後にはそこが自分の「居住区」のくつろぎでシタールやタブラの生徒さんの誰をも選ばず甘えて膝に乗っている。
  「チャメから勇気を一杯貰った」と言ってくれる生徒さんは多い。もちろん若林も沢山貰っています。
 そんなチャメは「生きる勇気」を持っていたのとはちょっと違う様な。
  野良の当時は「必死の頑張り」。でもかなりのストレスが有った。それは教室に来てから、マンションの一部屋に閉じ込められているにも関わらず、獣医さんが驚く程全身状態が良いと言ってくれて判明。かつてのストレスが消えている。病気に一番効果を発揮するのがストレスからの解放。

 生後数ヶ月で野良に成ったチャメは若林を「信じる勇気」を何処かで持ったのでしょう。「この人は自分の為に動いてくれている」と。
  実は食事中にケージの蓋をパタンと閉める計画は一度大失敗しました。
 何も悪い事をしようと言う訳でもないのに、「チャンスは一回!」と思ったからか心臓がバクバク言う程緊張した挙げ句、腰が引けて大失敗。
 もう二度と現れまい!と思ったチャメは、驚いた事に翌日からも現れました。まるで覚悟したかの様に。
  今では籠ごと自転車で通院するのも診察台に載せられるのも「理由」 が分ってるかの様。「良い子ですね」と全ての獣医さん、待合室の誰もが誉め、猫苦手の生徒さんの心もほぐす愛くるしさ。そんなチャメの途切れる事の無い「信じ続ける勇気」には本当に「勇気」つけられます。
 「勇気」は瀕死の状態だったチャメ君も持ち得た。弱ってる人だって持つ事が出来る凄いもの。

勇気を手渡せたら嬉しい
 そう思うと、どうして自分が「勇気」みたいな凄いものを人に渡せたって言って貰えるのかが不思議でなりませんが、もしかしたら「勇気」って人から人に伝染するのかもしれません。
 
 「勇気」の凄いところは、それぞれの人のそれぞれの必要に応じて何時でも形を変えて働いてくれるだけじゃなく、自分ひとりで活用できる点。人を頼らず、人のせいにせずに自分で出来る。「優しくないじゃん!」「励ましになってない!」って文句を言われることは有っても「勇気をくれないじゃん!」とか「そんな勇気じゃ足りない!」って聞いたことが無い。
 
 若林がファンの方から頂いた「勇気」。それによって今迄多くの師匠や応援者さんから頂いていた「勇気」が自分の音楽から思い出される。
  若林が自ら奏でる音楽から新たな「勇気」を受け取って嬉しそうにしている姿を見て「勇気」を貰った、と言って下さるなら、分る様な気がします。
 「勇気」を「優しさ」で包んで「夢」と「希望」迄与えて下さった。大恩人には到底及びませんし、「そうなのか!」と自覚したからと言って音楽の中に「勇気」が満ち満ちてくる訳じゃないでしょう。
  でも今迄の「元気」を与えよう、なんていう気負いとはちょっと違ったものが自分の音楽の中に見え始めた気がします。

   ★「プラナーム」ヒンドゥー教徒の挨拶。師匠の足や楽器、舞台の床を右手で触れて、その手を自分の額に触れてから合掌する。「触れたものは私の頭上のものです」という最敬礼。

7月15日(金) 茨城石岡の小学校へ
 

ええ〜っ!中野じゃないの?
 6月も末か?もしかしたら7月に入っていたか? 吉祥寺の教室中にインド人の大昔の知り合いからお電話。「中野でインド人会の催しがあるので、シタールを弾いて欲しい」「午前中ですが宜しく」と。
  もう20年以上のお付き合いの在日インド人会からのご指名の名誉ですから二つ返事でお引き受けしました。中野なら近い。終えてから夜の仕事迄休めば良いだろう。深夜2:00位に寝て朝6:00に起き、生き物&猫さんのご飯を上げてから寝直す生活で午前中のご依頼はちょっと大変。
 それからしばらく音沙汰無く「さすがインド人ノリだなあ」と思っていたらE-Mailで「電話が通じない!」って別なインド人が怒ってる。「ええ〜携番号教えたのにい!」
 E-Mailの番号に掛け「NPOを支援している会社社長だ」とおっしゃる日本人の方と話をすれば「中野じゃありません、茨城の石岡です!」と。しかも初めに校長室に挨拶に行くので朝6:00代に吉祥寺を出なくてはならない話し。「そりゃ勘弁して。だいたい中野だと思ってた」と言っても中々理解されない。「こちらはボランティアでやってるので!」と、こちらの要望は聞いて貰えない感じ。本番迄2時間近くも待たされる為に寝ないで行く感じ。とほほ。
 翌日届いたファックスは、会の経歴とかばかりで、行き方、時間割、ご予算等何も書いてない。名古屋の辛い話が思い出される。
 普通こんなノリのお仕事は「プロなら断る」んでしょうね。だいたい当のインド人気質なら絶対ゴネる。若林はその昔、本番数日前にゴネたインド人演奏家のトラとも知らずに、シタール演奏し終わってプログラムを見れば、変更のアナウンスもなくインド人の顔と名前が! お客さんは「おい随分色が薄く成ったじゃねえか?」と思って聞いていたっぽい???
 ところが現場が小学校と聞いては断れない。インド人会がらみもありましたが、期待して待ってる子供達を裏切れない。

国際理解教室? 国際的不理解教室?
 石岡の駅にはその怒りっぽい社長コーディネーターさんではなく、感じの良い母息子の二人が迎えにきて下さっていました。わざわざ水戸から一時間。「若林の父方水戸です。」などと楽しく話して現場へ。
  数十年振りに会うベンガル人、その友達のベンガル歌曲を歌うという若者。そしてくだんの社長さんとNPOのスタッフ。

 若者はキイボードでタゴール・ソングを歌うと言うので「 若林がタブラで伴奏しましょうか?」と言ったのに「いや、リハーサルをしないと出来ない。あんたが困るだろう」というインド人独特の返事。
 「ってやんでい!こちとらプロでい!」と胸くらい迄出掛かりましたが、そこはちっと大人になった若林君。
 タゴール・ソングも現地のプロの伴奏をして来た若林です。
  太鼓と合わせた経験の少ないインド人は必ず「あんたが困るだろうから」というのは良〜く知ってますヨ。インド人は自分が困る時にこれを言う。
  でも実は若林、これ大好き!「お〜お〜出た出た!懐かしいフレイズ!」 って感じでニカニカしてしまいました。

 ところが若林の出番の前、彼の演奏は超地味で。全校生徒は長い話の後の地味ソングにヘロヘロ。NPOのスタッフの方も舞台袖でオロオロ。社長はイライラ。若林にも当たり散らす。ひ〜!  でも今日は寝てないのに機嫌が良く。喧嘩もせずに。
 若林はすっとぼけて知らんぷり。「ほ〜ら言わんこっちゃない」「だからタブラで楽しく聞かせてフォローしたろ思ったんに」
 可哀想なのど自慢の若者は、決まりの日本時間20分をとうに過ぎてまた歌詞ノートをめくったところで、スタッフ全員が舞台に上がって「はいもういい!おしまい」。
 タゴール・ソングは太鼓とちょっとした打楽器と、リズム弦楽器(先日のタモリ倶楽部で作成した一弦琴など) を加えて、歌詞を説明すれば子供相手でも1時間はオッケーなのです。「インド人呼んでくりゃ本物」と思ってるとこのギャップは埋まらない。彼も不愉快だったろうし、子供達は退屈した。まあそれも国際理解なのだろうけど。
そんな場面を30年前にさんざん見てる若林を活用してよ!って感じです。

地味なインド音楽なのに!全校生徒ノリノリの大成功
 さてさて全校生徒ド〜っと疲れて、父兄も教師も困惑の世界。
 若林の腕が鳴る最高のシチュエイション。かすり傷に弱いくせに、何故か逆境に強い「山羊座のA型」
 「こんにちは〜!」
 プロの司会者さんはここで子供達の声が小さいと「あれ?元気無いなあ、もう一度元気良く」って必ず言いますが。「元気が無い」ことを認識させては駄目。「よっしゃ!良いぞ、もういっちょう!」「こんにちは〜!」「ごんにぢわ〜!」
 っと全校生徒を掴んでからは「さてこの楽器の名前は〜」「この胴体は何で出来てると思う?」「木!」「瓢箪!」と始まり。その後は「一年生がシタールと一緒にカエルの歌を!」みんな不思議な形の弦楽器で知ってる歌に面白がる。
 その後はインド音階に合わせて六年生が「インドのカエルの歌」インド音楽独特のコブシの為には顔を揺すって!
 「さあ!これからシタールの凄い演奏をします。凄い!と思ったら拍手ね!曲の最中にね!」ところが思いのほかノリノリの子供達は数秒で拍手喝采!「おいおいまだこれからだよ!」みんな大笑い。「大笑いは水戸の海」の駄洒落は我慢。
 この後は大得意のタブラ奏法を口で言うやつ。大人にも馬鹿ウケですから子供は大喜び。
NPOスタッフとの心の交流に労われ
 出番が終わったので帰ろうとすると、一転上機嫌な社長は「インド国歌を若者が歌うからセッションしろ」とおっしゃる。あ〜あ。インド人さえもつまらないという世界一地味な国歌を、超地味な彼と?  折角みんなノリノリなのに? 約束の終了時間も一時間近くも過ぎてるのに?
  でも最後迄居ないと交通費もくれそうにもない感じ。どうしましょ。
 幸いNPOスタッフの方が雰囲気を感じて下さっていたので、袖でお話をしたら立て替えて払って下さり「早くお帰り下さい、後は私たちで」と取り計らって下さった。
 そんなこんなですから実はもっとびっくりの話もあるんですが、それはそれ。
 先月の吉祥寺の「飲み会ライブ」の話題と名古屋万博のイベントの話しがモロにダブる。
 最近のお仕事で名古屋高島屋さんでも、大阪でも、福岡でも心通うコーディネーターさんとばかり出会っていたので、忘れていたタイプ。「まだ居らっしゃるんだこういう人」
 
 NPOスタッフさんは「ほんと今日若林さん居なかったらどうなってたことやら」と大絶賛して下さって。「これからは直接」 とお名刺を頂けば事務所の所在が「中野」
  それでやっと分った。
  インド人数人の「伝言ゲーム」 の結果「中野のNPO事務所の依頼で〜」が「中野で演奏」になったんだ! しつこいインド人気質にしては随分短絡したものです。
 まだまだ有るびっくり話し。
「ほんと今回はハラハラしましたけど。若林さんの御陰で........。何しろ数ヶ月前から話ししているのに演奏者の名前も中々出なくて」ってオイオイ。また誰かドタキャンしたな!!!
 でも明るく元気で素直な子供達と、感じの良い先生方。帰京してからお電話でビデオの郵送をお願いした教頭先生も凄く感じが良く。NPOのスタッフさんも皆さん感じが良かったのが幸いでした。もちろん演奏は今後の糧になる高成績!
 まんまのマニアックなインド古典音楽だってやり方次第で十分ウケる。

7月18日(月) 三味線との共演。そのリハーサルで
 

 7月18日(月)は東銀座のレトロな建物の中身をすっかり改造した音楽スタジオ「SBS」へ、千藤流三味線家元のリサイタルのリハーサルに参加させて頂きました。
 門弟さんとのメールとお電話だけの打ち合わせで、時間早めに現場に着いてみれば数人の三味線、お琴、十七絃、数人の尺八と和太鼓・打楽器、みなさんもう既に始っている雰囲気。 若林のスケジュールをご理解頂いた上のお仕事とは言え、かなり張りつめた緊張の現場。
懐かしい面々
 と思って良くお顔を拝見すれば、海外公演で同じ外国の釜の飯を食べた仲良しの望月太喜之丞さん、大先輩の西川先生という打楽器奏者(正式には鳴り物演奏家)の面々に、お仕事でお会いする度に気さくに声を掛けて下さる尺八の大御所三橋先生といったお馴染みの面々。西川先生は相変わらず、その場の音楽をとっても元気にリードしてくれて若林のインド音楽太鼓も古巣に戻ったような安心感で叩けました。
嬉しいお声掛かり
 その日は楽譜の確認を兼ねて、全国のお弟子さんの練習用の音源の録音。六時間近くほぼぶっ続け。さすがに板の間の胡座が痛くなる。久々の邦楽の現場です。
 ポピュラー・ミュージックの現場がダラダラしているという訳ではありませんが、曲数も限られていれば、ノリが重視される世界ですから、そこそこリラックスした雰囲気がありますが、全国にたいへんな数のお弟子さんが居る邦楽の大きな会のリサイタルでは曲数が多いのでのんびり休憩などしてられません。
 タブラのような癖のある楽器は普通全曲には入らないので、鼓や大太鼓の人が黙々と続ける中、加わらない曲ではロビーでのんびり休憩も出来ますが、今回は何故か一つの「部」の全曲に起用頂き、叩き尽くめ。
 やっと三時間過ぎたところで 15分の休憩。
 その時、初めて家元と御挨拶。リハーサル中穏やかに曲の説明をされる方を「まさかあんな気さくな方が家元じゃないよな」と勝手に勘違いしていた方がなんと家元ご本人。
 今回若林がフル出場させて頂く三味線組曲は、20年前の初演から久々の再演となるもので「鯨」の母子の愛情と捕鯨という日本の伝統文化との切ないジレンマを表現したもの。
 その僅かな休憩中に家元がお声を掛けて下さって、たいへん嬉しいお話を。
なんと若林が起用されたのは、家元の奥様が、たまたま年明けのタモリ倶楽部をご覧下さって、それが「タブラの皮を張り替えよう」だったので、今回の作品にあたってTV朝日に問い合わせてご連絡を下さったというお話。
 さらに家元は20年前の初演の作曲にあたって、インド、パキスタン公演で興味を持ったタブラを起用したいと考え、その時すでに若林の名前をご存知だったという光栄なお話。どうやって若林に連絡しようか?と思っていた頃、和太鼓の方が別なタブラ演奏者を連れて来て初演が行われたとのことですが、恐縮にも家元はずっと若林の事を覚えて下さっていて「やっと来て貰えた」と迄言って下さいました。
 そんな暖かなお気持ちに誘われて参加させて頂く事になりましたリサイタルの本番は10月30日。追って詳しくご案内致します。
  皆様宜しくお願いします。

7月19日(水) 青山ナタラジでトルコ音楽
   7月19日(水)は、ほぼ毎月荻窪か青山のお店でインド音楽〜西アジア音楽を月代わりでライブ演奏させて貰っています、自然食派インド料理店ナタラジの青山店でトルコ音楽のライブをしました。
 前回のナタラジ青山ライブに来てくれた横浜のお母さんと小学三年生、お母さんのお友達の三人もまた来てくれました。
  わざわざトルコ音楽を期待して来てくれた民族音楽ファンは一人で来られた方が多く。全体的に静かに聞くパターンとなりちょっと大人し目のライブとなりました。

 太鼓はマルチ奏者の竹内さんとこの日が本格デビューとなった八木原君。
 微笑ましい事に八木原夫人がデビューライブにお友達と来てくれていました。
若林の「タモリ倶楽部・タブラ張り替え編」を見て「解説下手?」っておっしゃった方なので、どれほどの方かと思えば気さくで可愛らしい方でした。

 八木原君のダラブカは先月のブルムーンLife&Musicの飛び入りの時より気骨の有る太鼓を叩いてくれました。竹内さんはさすがに堂々としたもので、後輩が育つ度に上達するという感じ。なら一人で勝手に上手く成れば良いのに。とも思いますが、そういう欲がないのでしょうか?

 若林の演奏は板張三味線のサズ。
  元来桜の木の皮で弾いた。という位ですから、薄いビニールのピックでは音量が出ない。それを心配して近代に改造された皮張りの「ジュンビュッシュ・サズ」も持って来て正解。マイクなどのPA機材を用いない小さな店ですが。やはり生でサズを聞かせるには現地の音空間とは違って難しい様です。
  チラシ写真通りのサズをお見せした後は、もっぱらジュンビュッシュで太鼓打楽器二人とのアンサンブルに見合う音量で、そこそこお客さんを乗せて楽しく行いました。

 八木原君、デビューおめでとう! また現場でしごき(?)ますね。
 7月21日(木) 名古屋でアフガン音楽
 

 7月21日(木)は、毎年一二回名古屋に呼んでくれる「アリアナ平和基金」によるアフガン難民チャリティー・ライブでアフガン音楽をご披露。この日は他にプログラムは無く、若林のソロ・ライブとなりました。
 場所は、新栄町の知る人ぞ知る作品展示とライブ&イベント喫茶「カノーヴァン(Canolfan)★」ケルト系のウェールズ語で「センター」を意味するお店は、地域の人に信頼の厚い文化的に価値の高いライブとイベントを行うお店で、マスターの新見さんはとっても感じの良い穏やかな方。
 ライブは何時もの様に若林の弦楽器ルバーブ弾き語り。
 アフガン人中学生の太鼓も予定されていたのですが、これは主催者にとって、とっても悲しい出来事のせいで、急遽キャンセル。
  代わりに一人じゃなければ出来ない自由にリズムやノリを変えたルバーブ弾き語りに若林ならではのリズム解説を交えた演奏を。
  アフガン人にも難しいかもしれない、既成の曲の拍子を七拍子から三拍子に変えたり、四拍子の曲を七拍子に変えたりの即興演奏で、アフガンのリズム感を解説しました。

 お客様は、アリアナの会の常連さんが主で、名古屋大の外池先生とそのご家族お知り合いが沢山来て下さり、カノーヴァンの近所に住まわれているお箏奏者の浦沢さん、ご自身が尺八奏者でお寺でも色々イベントを主催されている知多半島谷性寺のご住職。
 その他若干チラシで来てくれた一般の方も。 自分達で雰囲気が違うと思っちゃったのか、小さく成ってて可哀想だった若者などバラエティに富んだお客さんでした。
みなさんありがとうございました。
★http://www.canolfan.com/

悲しい話
 主催者にとって悲しい話は、先日の名古屋万博の日記にも触れましたが、例の万博市民イベントの主催団体の代表が、とんでもないことをした事です。
 もうイベントは終わったというのに、後から後から明るみに成る悪行のごまかしの為なのか、それとも八つ当たりなのか、あのイベントが無事に行われた恩人であるアリアナの会を潰しにかかって色々な事を言い始めたそうです。
 アフガン中学生にとんでもないことを吹き込んだ結果、アリアナの会代表が諭したのにも関わらず少年はこの日のライブをドタキャンするという悲しい結果に成ってしまいました。
 その呆れた市民団体代表には「まだ居たの?そんな(暇でまめな)人」とか「あそこまであからさまだと、むしろ面白い」とある種感動していましたので、そんな古典的な卑劣な手段を使うのもある意味感心し、会や団体の弱点をすかさず見つけ出す才能には感心させられますが、その手の輩には、会や団体の最も弱い人が真っ先にやられてしまうのは、やっぱりかなり悲しいですね。

P.S.7/24追記:今日横山さんからカノーヴァンのマスターが大変誉めて下さった話、外池先生が太鼓が無い分また色々新鮮な側面や若林の深みが見れた、とのお褒めの言葉を伝えて下さいました。随分報われる思いです。ありがとうございました。

 7月22日(金) 京都でアラブ音楽
 

 7月22日は、丹波笹山の親指ピアノ「ムビラ」奏者中村さんとそのお仲間に呼ばれて、北白川の民族音楽のプログラムが多いライブ・ハウス「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」で夕方から「ダラブカ体験レッスン」と夜から「アラブ音楽ライブ」を行いました。
さすがに熱いね!夏の京都
 
前夜、名古屋のライブを終えて主催者横山さんの華奢なお体に似合わない欧ワゴン車風の大きな車で10:00の新幹線に乗って、お世話になった「お茶屋さんラ・メランジェ」の松宮さんに教わった御所の森の前の「パレスサイドホテル」へ。
 背中にルバーブ、両肩にPCとスーツケース、そしてダラブカを入れたバッグで頸動脈を締め付けられながらフラフラと地下鉄に乗り換え、丸太町を歩いて。
 やっとこさっとこたどり着いたホテルのフロントの好青年は、日本語がたどたどしい。「もしや」と思って尋ねればやはりウズベク人。片言を言うと「京都来てから初めて聞いた!」と喜んでくれて。ちょっと疲れも楽に成りました。
 パレスサイドホテルは、お風呂とかの内装は新しくしつつもドアノブが真鍮だったりでかなりレトロ。インド地方都市のバンガローを思い出す、ちょっとご機嫌な外人向けの良心的なホテルでした。

 翌朝のそよ風の爽やかさもデリーの朝にそっくり。その後陽が上がると急激に熱く成るところも似ています。
 「 臭い」と言う程でもないんですが、なんか空気に雰囲気があるところは北京の朝も思い出す。カフェの朝食に白粥が有ったのも北京風で懐かしい。

 そんな清々しい朝を迎えて、お世話になった方へのお土産を求めに六角通りの扇の宮脇さんへ。その頃には盆地京都の熱が貯まって来た感じに。

古都でも「昔ながら」のプロ意識が薄らいだ?
 京都も昔と比べて他所からの人が多いのか、近く迄来ている筈が在処を尋ねても宮脇さんを知らない方が意外に多いのにはちょっとびっくり。
  遥か昔、高校の修学旅行の班別行動を班長だったのに抜け出してジャズ喫茶巡りをした頃の想い出「道を尋ねるとのんびりとした京都弁で丁寧に親切に教えてくれる」を期待してちょっと裏切られました。
  笑顔で店先に出て来られても道案内だと知ると途端に顔が変わってぞんざいになる人。迷惑そうに顔をしかめる通行人。
 ここでも日本には「プロが激減したな」と実感。

  高校生にして感動し自分の一つの指針を得た頃の京都では、店先の小道を掃き掃除する小料理屋の女将さん、道を行く置屋の女将さん、自転車の商店主。
  仕事中であろうとオフタイムであろうと、それぞれがプロの自覚で他人と接し、観光客やお上りさんに対してそれぞれが「京都の顔」の自覚を持ってらした。そんな当たり前のプロ意識に大きく感動し、感化されたのですが、最早そんな京都は見つからないのか?と寂しく思いました。

 やっと宮脇さんにたどり着きましたが無粋な自分に不似合いな老舗で、ちょっともじもじしていれば、お客さんが空いたところで感じの良い店員さんが、想い出どおりののんびりとした京都弁で親切に教えて下さって、御陰でちょっとホッとして。イメージ通りの扇子も見つかり嬉しくなりました。

 それからまた灼熱の小道を木屋町通りから先斗町の「長竹」さんへ。
 数年前、お世話になった鎌倉のお茶屋さんと京都のお茶屋さんに連れて来て頂いた、マスターが楽しくて、お食事もおいしい京風庶民料理でお茶にも凝ってる、ネットでも 評判が高い小料理屋さんというか飲み屋さん? 

 若林の記憶がいい加減だったんですが、 お電話して聞いた路地が中々見つからず。
 京都の碁盤の目の様な土地と、通り、筋、上ル下ルの言い方は、京都の人にとってみれば公明正大!分らん奴はアホだ!と言わんばかりなのですが、「三条下る、ってここ迄来たらさっき迄居た四条から上るの方が近かったじゃん!プンプン!」って感じは良くある話し。 「小道の番号が有る」っておっしゃられても見つからない。それよりはカラオケ屋とかラーメン屋の筋を、とか言って欲しい。

 数年振りの長竹さんは、小粋な奥様と、立派な栃の木のカウンターに、人を見て鋭い視線と突っ込みを入れる、でも暖かくて面白い大将の懐かしい雰囲気が蘇る。
 「あれっ?」最近何処かで似た景色を見た様な???。
 それはお昼の定食で思い出しました。空に浮くんじゃないかと思う程繊細に切ったキンピラのごぼう、イワシの中に明太を詰めて焼いたもの、魚のおダシが爽やかなお吸い物、柔らかなお赤飯?と誤解した茶飯。そして極めつけが鴨茄子の田楽。
 そう! 高級懐石と庶民派料理の違いはあれど、福岡の「たか野」さんとお店の暖かさ、大将と奥さんの役柄、ごぼうと鴨茄子の流派が近い?
 どちらの大将も京料理店の修行が長かったとの事なので、もしかしたら根底で何か確かな繋がりがあるのかも。 なんて無粋な若林が評しては大変失礼ですが。

  これが烏龍茶? じゃあコンビニのは? と言いたい程七色に味が変幻するお茶を久しぶりに頂き。素敵なお昼を満喫。
 お会計で大将は「ほな2万円!」ってこれも福岡の他のお店で聞いたゾ。
京都から太宰府へ渡った菅原道真公にご登場頂く迄も無く、やっぱり何か繋がりがある京都と福岡。

 すっかり真夏の空に変わった京都を、ラ・メランジェの松宮さんのお友達のオルゴール専門店へ。
 母が倒れた時に、映画「7 Days in Tibet」でブラピがダライラマに献上した、母のピアノの十八番「ドュビッシーの月の光」のオルゴールを病院の枕元に置きたくて東京で探し回っても無かったオルゴール専門店が「有る!」と言うので大喜び。
  ところがさすがに京都でも市内は遥かに越えて山の麓の西賀茂(上加茂)へ。鴨川が加茂川と名を代える上流に近い所。でも住所は賀茂と紛らわしい。

 夏の日差しを肌が喜び、今にもあの山へ飛んで行き昆虫採集をしたい気分。
 その頃になってやっと気づいたのが「お茶屋さん」
  京都で「お茶屋さん」って言ったら祇園などの...............。ここ迄読んで下さった方は若林がそんな粋な知り合いが居ると誤解されましたか? 
 もちろん鎌倉の陀陀舎 さんもラ・メランジェさんも別な意味で凄く粋な方ですが、日本茶、中国茶、インド茶から、モロッコのミント・ティー、南米マテ茶まで良質のお茶を取り寄せ、各国伝統作法や、特別な茶器を紹介されている「お茶屋さん」
 松宮さん曰く、誤解されそうになると「お茶っ葉屋さん」と念を押すそうな。
 かなりハマったそのオルゴール屋さん「キコー・オルゴール」のURLは http://www2.odn.ne.jp/kiko-orgol ラ・メランジェさんのURLはhttp://www.melangee.com/です。

北白川の民族音楽の拠点?
 その後お忙しいのに若林を車で北白川のライブ 会場迄運んで下さった松宮さんと、車中で色々楽しいお話をして。ビバラムジカへ。ライブ前の「ダラブカ体験講座」
 マスターの植松君はジェンベ奏者でもあって、ダラブカのレッスンは興味津々の感じ。中村さんがかき集めた受講者は皆アフリカ音楽とダラブカに興味を持つ感じの良い若者達。
  ライブは主催者の中村さん達の他にも、先日東京ワンダーサイトのイベントでお世話になった京都のイベント・コーディネーターさんの息子さんが来て下さったり、お店の常連さんもちらほら。そしてオルゴール屋さんが「オルゴールの元祖ムビラが見れるかも」という若林のお誘いにお友達と来て下さって。
  お友達のコカリナ製作者さんは、さすがに今日の今日は無理だった様で。人数は少な目でしたが、暖かい雰囲気で出来ました。
 皆さんありがとうございました。

7/24追記。キコー・オルゴールさんにお礼のメールを差し上げたら嬉しいお返事が。
オルゴールの元祖「ムビラ」
はともかく、若林の民族音楽は耳慣れないジャンルで退屈されたかと思えば「魂に響く音に出会わせて頂きました。また京都でライブされます時には、お誘いしたい方がいっぱいですので、声をかけてくださいね。」と有り難いお言葉を頂きました。是非また宜しくお願いします。

珍しく新幹線に見捨てられ?
 ぎりぎりまで悩んだのが新幹線の終電に乗るか否か。
  7:30〜9:00のライブじゃお客さんが満足しない!って言われ、中村さん達は当然若林がもう一泊するものと思っていて。最終新幹線は9:32!

 休憩無しで、間に中村さんのムビラ独奏。彼女曰く「初めて他の楽器とセッション」となったルバーブやダラブカとのセッション、など盛りだくさんにして時間を気にせず時計を見ないで盛り上げてジャスト9:00に終演。
  ところがその後のお客さんに気を遣った挨拶の5分がいけなかったのか。

  可愛くすればそこそこの美形の中村さんは、上から下迄全く男っぽく、朴訥でムビラと焼き物一筋なので、閉会の挨拶でお客さんに気を遣いつつ、若林が立ち去り易い様な言葉を言ってくれる様なキャラじゃない(?)。
  って民族音楽関係の人でそんな人見た事無いな。そう言えば。だから若林の気遣いって嘘っぽく思われるんだろうか? 

 名古屋の横山さんの車と同じ位?ボルボのどでかいワゴンで疾走。後を追いかける奈良の兄弟分岡林君の道案内を若林が携帯で受けて、京都駅のロータリーに着いた時に!
なんと無情にも新幹線はす〜っと。

 20年前初めて広島で演奏した時に階段を登り詰めた時に「す〜っと」以来のちょっとショック。しかも今回は最終列車。岩手でも、福島でも、小倉でも、走れば何故か間に合った新幹線。栃木じゃ蛇がパンタグラフに落ちて新幹線が間に合わせてくれたり。

 中村さんと岡ちゃんは、途方にくれる若林の代わりに始発の時刻や夜行寝台の時刻を調べてくれて。でも寝台はむしろ新幹線より高くて七時間!、東京着も二時間早いだけ。すかさず岡ちゃんが「あっ京都来た時に駅前の新しくオープンしたホテルが安いって看板を見た!」と流石の機転とタイミング。

 「こんなことなら腹決めて9:30迄ライブやってみんなで親睦深めれば良かったのに!」って思ってるかな?と中村さんを見れば「まあ、ゆっくり骨休めしろってことで」となかなか男っぽい「良い奴」でした。
 彼女なりに馴れない京都でのイベントに苦労してくれて、その上で若林にも気を遣ってくれて。今後はもっと皆で足固めして、ゆっくり準備してやりたいですね、と。
 でも、レッスン受けてくれた人達は、お世辞抜きでみんな若林の指導を良く聞いてくれて、なかなか筋も良く。今後に期待が持てました。
 みなさんありがとうございました。

7月23日(土) 旧交を暖め、更に新たな出会いが。
 

主催者にも演奏者にも負担を掛けないアイディア
 若林も民族音楽ライブスポットをやっていた当時、ゲストを呼ぶと動員が気になり胃が痛んだもので、それがあるから「呼ばれる側」になっても主催者の心配や、お客さんの気遣いやノリにくさなどが、演奏者としてのやりにくさ以上に気になってしまうものです。
  今回の名古屋、京都はスペース的には決して閑散としていた訳ではないんですが、あの倍お客さんが来てくれていたらもっと凄い会に成っていて、それからまた繋がる想いももっと大きかっただろうな、と思いました。
 今回の名古屋は奇人にスクイズされての苦労、京都は地元のスタッフが少ない中での急な計画などが主催者さんを圧迫した事は事実。
 大分耶馬渓のイベントの後、主催者の白岩さんが提唱してくれた「主催者にも演奏者にも負担を掛けない、有機野菜の協同購入みたいな民族音楽コンサート」の実現が一層望まれる想いでした。

 ただ、一つ心配なのは、「有機的音楽協同購入組合」が出来てしまったらしまったで今回の様な人間模様は闇に葬られてしまうのではないだろうか? ということ。

 本来若林の「呼ばれる側」の立場からすれば、名古屋も京都も先日の茨城も「冗談じゃない!」「企画もコーディネイトもなってない!」「こんな不愉快な状況じゃ良い音楽をお客様に提供出来ない!」って言ってもおかしくない状況。
  若林が呼ぶ側だった時は皮肉にもそんな言葉を遠慮なく吐く演奏者ばっかり。
  だから「せめて自分はそんな演奏家になりたくない」という思いや気遣いが、逆に「聞いてくれる」「言っても良いんだ」と主催者を甘やかしてしまい、主催者が「気遣うべき部分」に気づく余地さえ奪ってしまっているのではないか? 
 ふと、そんなことに気づきました。

 西洋クラッシック音楽一辺倒か楽しかろう良かろうのポピュラー・ミュージックのどちらかの価値観しか無かった1970年代〜80年代に「他にやってる人が居ない」民族音楽を紹介して来た為、「私憤」ではなく「民族音楽全体の地位向上」の為に「怒った振り」をしなくてはならないと思ってやって来ました。そうでもしないと分らない人が多かった。
 それが最近では、「怒った振り」が面倒臭くなったり、自分らしい自然体で居たくなったり、ついつい人との心の通い合いを求めてしまったり。単に気遣いじゃなくても主催者の気持ちを受け止めて上げたい思いも有れば「一緒に作って行きましょう」という気分に浸りたい思いも。
  でもそれが「主催者の甘え」を引き出して、結果的にお客さんの満足を疎外しているかもしれない。
  その場に来てくれたお客さんには音楽で出来る限りの満足を与える努力は出来ても、客席の熱気がもたらす雰囲気までは努力しようがない。
  宣伝不足の結果「聞きたかったのに知らなかった」という来なかれなかったお客さんも生んでいるかもしれないし、お店には「客を呼べない音楽」の印象を与えてしまう。

 演奏者が「練習不足」と言った途端アマチュアに成ってしまうのと同じに、主催者も「宣伝不足」とは言ってはならないのではないでしょうか。
  ところが、「手作りコンサート」と言ってアマチュアを正当化する。ならそこにプロを呼んではいけない筈。
  なんて言うと「じゃあアマチュアを呼べば良い」と言う事になってそれを「〜国の民族音楽」として紹介すれば、民族音楽を深く理解する人、深く好きになる人が増えないかもしれないし、誤解されるかもしれない。
 これは非常に難しい問題です。
  結論としては、若林は「手作りコンサート」でも喜んで行きます。少しでもより良い音楽を聞いて貰いたいから。
 でもアマチュアの方が、損得抜きでチラシを配って歩いたり、電話やメール大作戦やっておかしくない、より自由におおっぴらに出来るんだ、と思って貰いたい。

聞き上手が仇に成る?
 「企画もコーディネイトもなってない!」「そんな認識でお客さんを十分集められるのか?」「こんな不愉快な状況じゃ良い音楽をお客様に提供出来ない!」って言って喧嘩になるのか? それとも甘やかしてしまうのか? 
 全て「言い方の問題」「言うタイミングの問題」 という様な気もします。

「お互いの苦労話など言わないのがカッコ良い」という美学もありますが、主催者と演奏者の美学よりお客さんの存在が大な筈ですし、良い企画、意味のある活動ならば後継者も育てて行かねばならない筈で、その意味では「苦労話」は「公共の出来事」それに「どう対処したかの経験とノウハウ」は共有すべき「財産」な筈です。
  が、主催者と演奏者は立場の違いがあるので、互いに「共有すべき」と言う意識が対等でなければ、「苦労話」は「言い訳」「責任逃れ」「愚痴」に聞こえてしまいます。

 所詮は 「相手を思い遣る気持ち」「聞く耳を持つ」ということですが、若林より上手に聞いてくれる人に会った事が殆ど無い。逆に若林を「男のくせに言い訳が多い奴」としか思ってくれない人は凄く多い。
 聞き上手が過ぎて相手が歯止めを失ってるな、と思って言いたくない事を無理して言えば、「なんだこの人急に拒絶して!」「じゃあ今迄も腹の底ではそう思ってたのか?」となってしまい、理想のバランスには戻せなくなってしまう。
  かと言って「何時か気づいてくれるだろう」と思ってると甘えがどんどんエスカレートするばかりだったり。

 ごく最近、やっとその辺りが気楽に出来る様になってきました。
  これも人の影響なんですが、諭すべき点は軽く冗談っぽく言っておきながら、基本的には聞き上手、というのが一番楽で、一番好まれる。それでも気づかない人、変わらない人には次から甘やかす聞き上手は止めれば良い。
 でもそんなやりとりこそ人間らしさである訳で、お互いにそれが上手に成れる様な関係でイベントを作って行ければ一番良いのだけれど、たった一回で「もうこりごり」となってしまったら意味が無い。逆に「有機的音楽協同購入組合」の様な理想的で安全なシステムが出来てしまうことで、思いや心をおざなりにしてしまう点も心配。

 その点では名古屋の横山さんは相手の苦労も良く分かってくれる人。
万博で部外者として動いてくれた時の貢献は凄かった。若林に着替えのTシャツをご用意下さった時はジーンと来てしまった。
 最近本業が忙しく成りちょっとペースダウンの福岡のサポーターさんも、凄く恐縮される方。そんな人にはこちらも最大限に気を遣ってもおかしな関係にはならない。
 京都では万博の時の横山さんの様な立場で奈良の岡林君がもの凄く動いてくれました。
 ってことは「言い方の問題」ではなくて「人間性の問題」なのかもしれませんが。

岡ちゃんカッコ良い!
 岡林君は、中村さんがイベント直前にアメリカに行った時にチラシを作ったり配布してくれたばかりか、若林が宅配した弦楽器を奈良で受け取ってくれて、また若林がホテルのフロントに預けた楽器をピックアップしてくれたり、お互いに相手が一番楽に動ける事を考え合える「意識レベルが対等」な嬉しい仲間。
 最終新幹線捕獲レースでは夜の京都を携帯で繋がりながら疾走し、気が抜けた若林の代わりに始発便から宿迄てきぱきと調べ上げてホテルに案内してくれました。

 岡ちゃんの侠気と暖かさに労われ、中村さんとも気持ち良く再会を誓う挨拶をしホテルのフロントに並べば、再び岡ちゃんが走って来て
「若ちゃん!晩飯まだやろ? これ食べて。たこ焼き! ここらじゃいっちゃん上手い奴や!」と2パックも手に握らせてさっそうと立ち去る。
「おいおい!カッコ良過ぎやん!岡ちゃん」

 後に残された若林は、かつて自分が巨漢だった頃を思わせる体格と髭の、でも気持ちとフットワークのむちゃ軽い彼の心に触れて、感動のあまり「いらっしゃいませご予約のお客様ですか?」のフロントの声に一瞬返事が出来ませんでした。
  ええ奴や! 男だね! 康ちゃん良かったね!幸せに成れるね!(内輪の業務連絡です)

 「涙でちょっとしょっぱかった」と迄は言いませんが、ホテルの部屋に落ち着いて食べた感動のたこ焼きは本当に美味しかった。
 しかもまだ暖かく。 ずっと一緒に行動してた筈なのに一体何時何処で買ったんだろう。やられたね。若林の得意技じゃん! 悔しいな。
何時かお返ししたろ。

旧交を暖め、いや更に近しくなった今回のツアー
 今回のツアーはあてにしていた福岡、名古屋のちょっとペースダウン、京都も前途多難を思わせ、春からのノリまくりがちょっと変わっちゃうのか? という感じもありましたが、実はもっと深い所で大きなうねりが生じていました。

  岡林君との旧交を暖め、それ以上の心の通い合い。横山さんとの気持ちの通い合い。
福岡のサポーターさんとは、動きが止まった分、労り合いが生まれ、京都でも長いお付き合いのお茶(っ葉?)屋さんが前より身近に。

 世界のお茶の葉と茶器を販売し、作法のインストラクションで全国を廻られているラ・メランジェの松宮さんとは、そろそろ七年近いお友達。
 飄々としている様で人と人を繋ぐ名人で、松宮さん関係では末永く仲良く出来る人が多く、雲南の福井さんは「虫の声の録音」や貴重な三味線元祖楽器を運んでくれたり、西陣の織元澤屋重兵衛さんも、今月末の大分中津のオーグテさんも、先斗町の長竹さんも、今回のオルゴール屋さんもみなさん松宮さん繋がり。
 松宮さんから見れば、若林は「忙しそうでちっとも捕まらない」だそうで、こちらから見れば何時も悠々自適に日本国内、海外を飛び回っている松宮さんにも同じ感想なんですが、何故か京都に行く時は必ず日本に居て、僅かでもお時間を作ってくれる。
  京都のライブはあいにく会合でいらっしゃれず。でもご自分の予定も迫っているのにオルゴール屋さんからライブハウスまで送って下さり、車中で色々なお話が聞けました。
 今迄は共通のお友達の鎌倉のお茶屋さんが居て、その方が「愚痴は言わねど人にも言わせない」独特な雰囲気のある方なので、初めてお茶の世界の苦労話も伺って、若林の音楽の話とも一緒で急に近しく思えました。

 茶器の販売に伴うインストラクションがボランティアに成ってしまう話し。アマチュアのインストラクターが増えてお茶の価値が下がりつつある点。その一方でプレミア茶ばかりが持て囃されるブランド志向。
  楽器を売ったら「調弦も教えろ」「調弦教えてくれるなら弾き方も教えろ」ってケチじゃなくてそこを自分で苦労するからその楽器のオーナーなんじゃない?って言っても通じない昔と今の意識の違いの話。 これからは消費者を啓蒙して行かねば「安かろう良かろう」「お気楽 」じゃ先が無い。という点でも意気投合。

 松宮さんは人にそんな苦労を見せずに、むしろ常に「羨ましい」と思わせて楽しませながら人と人を上手く繋いで下さる凄い人。さんざんお世話になって置きながら、今更その凄さと有り難いお気持ちが深く分って、短い時間でしたが、意味深い再会でした。

続々と広がる新しい繋がり
 
今回の波瀾万丈気味のツアーとその時期、旧交の新たな嬉しさを確認したばかりか、連日のメールでは更に嬉しい広がりが生まれました。

 福岡では新たな頼もしい理解者、福岡のインド舞踊の先駆者サキーナ先生とのコラボレイションの話が進み、それをお膳立てして下さった市役所の山本さんからは、九州国立博物館のスタッフをご紹介頂き、山本さんの盟友アオキさんからは、若林が元ボ・ガンボスのベーシスト氏のバンドに参加していた時に客席から「ワッキーさん!」と声援を送ってくれたという東京から福岡に戻られた二胡と三線演奏家の大関順子さんをご紹介頂き、セッションの話も始りました。
  若林を面白がってラジオ番組に出そうとしてくれているKBCの元気姉さんゴエさんとサキーナ先生とは共通のイベンターさんが浮上。近々若林もご紹介頂く事に。またゴエさんからはその他にも頼もしいご紹介が。

  動けば動く程、人の輪が繋がって行く。それと同時に思いがけないところで育っている運気の流れと大きなうねり。
 一人の応援者さんに励まされて春に植えた種がいつの間にか芽吹き育った感じさえします。

 京都北白川のライブハウス「ビバラムジカ」に着くとマスターがカウンターのお酒を差し出して「今日昼間ランチを食べに来てくれたお客さんが『若林さんへ』って差し入れ置いて行きました」と。

  添えられたメッセージを見れば、なんと数年前に吉祥寺の教室で太鼓をお教えした人見さん。
  京都に帰られてお店(★)を始めたとは聞いていながら、前回も今回も「行ってみたいな」と思いながら失礼していたのに、あちらから暖かいお心遣いを頂いてしまいました。ありがとうございました。
(左京区田中関田町のアシュクルクhttp://www.arkworld.co.jp/obnotaka/gallery/ashukuru.html)
 
「孤高の存在」
 昔、お弟子さんを連れ立って『インド音楽研修ツアー』をやっていた頃、せっかちで早足の若林がインドの道で後を振り返ると、お弟子さん達が遥か数百メートル後方をダラダラと歩いている。
  「まったく何のんびりしてんだろ!」「もっと懸命にやらないと一生かかっても民族音楽のひとかけらも学べないゾ」なんて思ったものです。
  その内人に言われた「孤高の存在」で仕方ないのか? と思う様になってましたが、全然違いました。

 自分自身を慈しみ、辛かった事も楽しかった事も一緒くたにかき混ぜて、経験を宝と思い、心を開いて目を見開いて回りを見てご覧よ。 と諭されて、励まされて少しずつそんな気持ちになってみれば、いろんな所で見てくれていた人、覚えてくれていた人、会いたいと思ってくれていた人が沢山居ました。

 今回のツアーは、そんな嬉しい思いを沢山得られたツアー。気持ちの余裕を得られたツアーでした。
 みなさん、ありがとうございました。 そしてこの流れのきっかけを与えてくれた方、ほんとにありがとう。マッシャッラー!

7月25日(月) アジアン特急2005「若林忠宏シタール・リサイタル」
 

 7月25日は、吉祥寺の民芸品店「はるばる屋」さんとの共同企画アジアン特急2005の7月のイベントととして、若林のシタール・リサイタルが行われました。

 場所は、アジアン特急2005の何時もの会場とはJRを挟んで反対側、井の頭動物園の前を越えて玉川上水を渡って直ぐの所に有る、フランス料理店と地下のイベント・スペースの「ラ・フォルテ」さん。
  店の前は吉祥寺通りを挟んで井の頭公園の森の緑が映え、ヒグラシの鳴き声も長閑な雰囲気。始る前から良い感じになってました。

 はるばる屋さんが「ピアノが気になる」と言った、ちょっとアジアっぽくない西洋クラッシック音楽のコンサートで知られる地下スペースは、その分音響が良かったような。
 この日は、 アジアン特急2005の恒例となりました舞踊とのコラボレイションではなく、弦楽器シタールと太鼓タブラだけの純然たるインド音楽コンサートで、若林のシタール独奏とタブラ・デモ演奏に、タブラの尾澤理美さんのタブラを加えて北インド古典器楽をご披露しました。

今迄で最高レベルの演奏が気負わずに
 演目は、定刻に始った一曲目が「旋法(ラーガ):カマージ」の前奏曲、アーラープ、ジョール、ジャーラー。丁度宵の時間帯に演奏せよと定められている旋法(ラーガ)ですが、インド現地でも叙情詩音楽や、演奏会のアンコールにやる比較的軽い曲。それを何故か大曲並の一時間も演奏しました。
 それ自体が珍しいにも関わらず、一時間もの前奏曲は、かなりの重厚な感じとなり、かつて自分の民族音楽ライブ・スポットでも「オールナイト・インド音楽コンサート」の様な特別な時にかなり気負って演奏したものですが、この日は全くの気負いがなく、言わば淡々と、何時迄も弾き続けてられそうな気分で弾いていました。
 前奏曲は、伝統的な手順を踏まえる即興演奏ですから、楽想が途絶えれば辛いものになりますが、三部作のそれぞれで我に返ってなければ、あの倍の演奏も可能だった程です。
 若林に長く学んでくれているお弟子さんは「先生芸風が変わった!」「なんか上品になった?」と誉めてくれました。
  新しい生徒さんは「今夜は先生の演奏が聴けて本当に良かったです。帰りのバスの中でもシタールの音が耳に残ってました。以前に話したのですがラヴィ・シャンカルのビデオがシタールとの出会いで衝撃的だったのですが、生演奏を聞くのは今夜が初めてでした。気がつくと自然と笑顔になって、込み上げてくる音の凄さに感動です。シタールは本当に沢山の音が出るのですね。最後のタブラとの共演も心が暖まる光景でした。」とメールをくれました。
 かれこれ一年位の生徒さんは、翌日メールで「ライブで先生のシタールを聞いたのは初めてだったので感激でした。何ヶ月か前に若いシタール弾きのライブを見ましたが、何がどうとうまく言えませんが「薄っぺらい」気がして、こんなものなのかなぁと釈然としなかったのです。が、昨日のライブで、やはり演奏には「年輪」が出るなぁと。圧倒されました。シタールって見掛けによらず攻撃的な面も持つ楽器なんですね。」 と。若林が「年齢?」に突っかかって聞いてみれば「豊かさの中に、ある道程の中で研鑽・煩悶して今があるのだぞと(当たり前すぎて私が言うのは失礼かもしれませんが)、立のぼるものに、すさまじい気迫、というか鬼気を感じました。」と。

 若林的には、シタール歴三十年の数百回の演奏の中でもベスト3に入る好演だったと思うと同時に、20年続いた民族音楽ライブ・スポットの閉店ライブの時と同じ「優しい気持ち」で「感謝」を伝える演奏が出来た、数百回の中で唯二(?)の演奏でした。それでも「気迫」「鬼気」と言われるのですから我ながら呆れてしまいます。

シタール三十周年記念演奏会
  「優しい気持ち」で「感謝」を伝え、その結果、皆さんに感動してもらえたのは、言うまでもなく、アジアン特急2005でご一緒させて頂いております、はるばる屋さんの「三十周年」のお祝いと、若林のソロ・リサイタルを企画して下さったことへのお礼。そして25年以上前、若造の若林を応援して下さった、その御陰で今日があることへの感謝の気持ちが有ったからです。

 春から始りましたアジアン特急2005は、元々は若林がはるばる屋さんを口説き落としたものでした。にも関わらず、途中では団塊の世代とのジェネレーション・ギャップで拗ねたり駄々を捏ねたりしましたが、プロデューサーとして参加して下さっているマオさんも含め、若林の音楽家としての成長を期待し、時に厳しく、時に愛情たっぷりに諭されながらこの日のソロ・ライブを迎えました。

 そんな感謝の想いが音に出たのでしょうか。
 この日のシタール・ソロは1999年の初春。20年頑張って来ましたライブ・スポットを閉める時「ミイラ取りがミイラになった」の口癖で厨房を仕切ってくれた母と、店の最後を共に見取ってくれた仲間、お弟子さんへの感謝の気持ちが「今迄で一番優しいシタールだった」と感動を伝えられた時の再現となりました。
 思えば、この日の会は、若林のシタール三十周年記念演奏会だったのかもしれません。
  自分を祝う事への照れからそんな場を作り難い若林に、まわりがその機会を作って下さった様な気がして、一日経った今、その感謝と感動の想いが込み上げて来ました。

 第二部は、若林のタブラ・ソロの後、先日の荻窪ナタラジでソロ・デビューした大学生タブラ奏者尾澤理美さんの伴奏を加えて、これも叙情詩に良く用いられる「旋法(ラーガ):カフィー」をさらりと。
 客席でボーイフレンドも見守る中、 健気にタブラに立ち向かう小さな手の懸命の熱演は、ソロの所で拍手が沸いた程の頑張りでした。

 首都圏直撃?と言われた颱風の迫る中「晴れ男」は健在?で、演奏会の前と最中は雨が止みましたが、帰り道には土砂降りとなってしまいました。
  立川の先のジャマイカ音楽の本を出された牧野さん、柏タージでの演奏会でインド音楽のファンに成られたKさん、藤沢のNさん、お店を出すのでお忙しい筈のミサさんとその名トリオの皆さんなど遠くから来て下さった方、そして平日の演奏会にも関わらず沢山お越し下さった初めてお目にかかった方々、雨に濡れて帰られた方も少なくなかった筈です。
 みなさん本当にありがとうございました。
これを励みにまた精進して参りたいと思います。

7月28日(木) 第三回 Life & Music「アラブ音楽」の夕べ。

 

 28日は吉祥寺モロッカン・カフェ・バーBloomoonで行われた「Life & Music」第三回目の「アラブ音楽」でおもてなしをする、音楽と暮らしを語る「飲み会ライブ」でした。
 今回は、ボランティア活動や地域活動、子供会の企画運営で活躍する元気な小関さんがタイ研修の為に来れなくて、ちょっと寂しい感じでしたが、代わりに教室生徒さんの参加が何時もより多く。またレギュラーの感さえある岩波書店の中本さん、みちこさん、そして初参加の東京堂出版の渡部さん、そして常連ヤマヨシ家の三名と一緒に、アラビヤ語教室に通っているお友達が盛り上げてくれました。

 共にこの夏が校正の追い込みで、秋に若林の新著を出さんと頑張ってくれている岩波書店と東京堂出版の編集者さんがやっとご対面。
 おもてなしの音楽は、若林のウードと歌に太鼓は先月も助けてくれたダラブカの生徒八木原君。タブラ、ダラブカを吉祥寺で、ジェンベを東京音大付属民族音楽研究所の社会人講座で若林に学んでいる山宮君も叩いてくれました。
国民性? 民族性? 生き方と伝え方
 今回は、 参加者の中にご主人が外国の方が居た事もあって、今迄のちょっと辛辣な音楽状況談義よりは身近な話題が多かった感じです。
  楽しみにして下さっているこの集まりの為に仕事や家事のやりくりをしながら頑張られたのに、外国の感覚であっけなくすっぽかされる? そんな話題から始りましたが、若林の経験から言うとそのレベルの約束を守るのは世界で日本人位なもの。
  なにしろ「タイには『頑張る』という言葉が無い」「インドで一番話される言葉は『まあ良いじゃないか』」これはアラビヤ語も一緒。お腹が空いたら見知らぬ人の家に寄ってもご飯を食べさせてくれるアフリカ。ラテン系の南欧、中南米諸国のお気楽ノリは言う迄も無い。って極論ですが。何処も日本人ほど律儀じゃ無い。それを異なる文化圏の人に要求するのは「無理なんじゃないの?」という話に。

 それから話はいつの間にか、若林の「やせ我慢」の話に。
 上記の外人論にも関係するのですが「言わなきゃ分らない人」「言っても分らない人」「痛みが分らない人」って凄く増えた? これは日本人が国際的になったから? なんてとりとめも無い話なんですが、色々と生活も価値観も違う参加者さんが思い思いの意見を述べてくれるので、面白いしとても参考になりました。

 昔から良く言われる話ですが、日本人の謙遜の美徳と言いますか、まずこちらが謙遜したり詫びたりしながら、相手の謝罪を受ける。しかしこれは外国人の感覚では「非を認めた事に成る」ので一向に謝罪は引き出せない。
  じゃあ日本人のその習性は、日本人が国際的になるにつれて捨てるべきものか? 元々誇る程の文化、習慣でもないのか? 

 言わなきゃ分らない外人さんや、日本の旧習に反発を感じている若い自由人との付き合いの多い民族音楽の世界に居ると、「言いたく無い事」も言わなくてはならなくなる。
 でも「言わなくても良い事は相変わらず言わない、言いたくない、言っちゃおしまい?って思うかな?」とか「その逆に最近の人は『言ってはならない事』を言い過ぎる 」などと話してる内に、夫婦や恋人の会話に発展? 
 若林的にはそれは辛い話題なので、「師匠のやせ我慢」「男のやせ我慢」に話をすり替えたのが逆に窮地に。
  お弟子さんからは「そんな事は言われなきゃ分らん」と言われ、女性陣からは「やっぱり女はそういう事言って貰いたいものヨ」とか、似た様な違う話でどんどん劣勢に成って来て。
  決め台詞が「人の有り様としてはスタイリッシュ」という名文句。「だが、通じないんじゃない?」という結論に至ったところで時間切れ。


 でも古今東西に『歌』が有るってことは、元々人間は「話し下手?」言葉で伝えられないから歌で伝えるというのであれば、国際的って非音楽的なんじゃない? 
 若林の音楽を認めながら言葉を求めたり、言葉に引っ掛かったり、そりゃ音楽が通じてない事?
などなどと考えると、この先もテーマは尽きない感じです。

7月30日(土) 大分・中津のコンサート
 

 30日は、料理教室「オーグテ」の黒川さんが主催して下さった「若林忠宏・インド音楽コンサート」に奇しくも7月の初頭、生まれて初めて行った大分県中津市に立て続けに伺いました。
 黒川さんをお引き合わせ下さったのは、オーグテにお茶の講師で呼ばれている若林の頼もしい応援者、京都の世界のお茶を紹介するラ・メランジェの松宮さん。
 当初はオーグテさんの教室で演奏というお話でしたが、東京からの渡航費用を考えて下さり近所の大きなスペースを借りて大々的に主催して下さいました。

 会場は、7月9日の耶馬渓が中津駅から一時間車を疾走させた「山の中」だったので「今回は駅前」と勝手に思い込んでいたところ、やはり結構な時間車を疾走させて「山の麓」まで。かつては呉服の大展示場だったという「城山ホール」
 コンクリの中ホールですが、200人は優に入れそうな立派な新しいホール。音響設備もバッチリなのは、若林の演奏会がプレで、翌日がフォークの高石もとや氏の演奏会という中津随一の音楽拠点となろうとしているスペースだからでした。

オーグテの暖かなスペースに心温まる
 秋と冬にも呼んで頂くので、オーグテさんも下見にお邪魔しました。
 黒川さんとはメールで事務連絡をした後、7月9日の耶馬渓での演奏会にも来て頂いたのですが、何分事務連絡だけだったのと連絡事項以外あまりメールに書かれない方だったので、オーグテのスペースを拝見してちょっとびっくり。
 ログ・ハウス風の内装の樹の暖かさに溢れる教室には、屋根裏部屋風な二階が有り、丸太で作った調理台、テーブル、木の椅子の雰囲気にすっかり落ち着いた所に、お茶の先生に失礼だとも忘れてコーヒーを御ねだりして。
 オーグテ創設に至る色々なお話を聞けば、なんと気持ちの通じる、嬉しい方の嬉しいスペースに呼んで頂いた事か!と今更ながら感動しました。お若いのに地域に根ざした文化活動を、次世代に受け継ぐところまで想っていらっしゃる点には敬服しました。

  お邪魔して直ぐに掛けて下さったアコーディオン音楽のCDも凄く長閑で暖かな気分を演出してくれて。
 庭にはキリギリスが鳴き、お父さんが東京から来るお孫さんの為にカブトムシを捕まえたと言うスモモの樹を拝見したり、長閑な気分を満喫して「城山ホール」へ。

熱気と暖かさでコンサートは大成功
 次々に車で駆けつける聴衆の皆さん。その光景は耶馬渓でも一緒。車生活の土地柄ならではの。耶馬渓の白岩さんも末っ子の次郎君を連れて聴きに来てくれました。

 ソロ・リサイタルがいよいよ始る嬉しい臨場感の中で、若林はプロにあるまじき大失敗。前週の「アジアン特急2005」の「若林忠宏・シタール・リサイタル」で使用したシタールを中津まで宅配したのですが、ケースを空けてみれば小物入れが入ってない! お客様の挨拶中に撤収時間となったのでお弟子さんにシタール片付けを頼んでしまったのにその後のチェックを怠って、宅配便の〆切に集配場迄慌てて運んだ若林のギリギリ性の失敗。
 かすり傷に弱いくせに窮地に強い変な性格を過信して「
ギリギリの方がテンションが上がって良い」という悪い思い込みは確かにあります。
  が、今回はそれを意図した訳じゃなく月曜の演奏会の後、中一日二日掛かる九州への宅配にほんとに時間的な余裕が無かったんです。でも、今一番鳴っているシタールを九州に送ってキープし貰ったので、音色は良かった筈。

 本番直前に城山ホールの社長さんに針金を探して貰ってピック作り。
 
社長さんの暖かい協力が無ければ間に合わなかった。黒川さんは「自宅迄探しに行く」と迄言ってくれて、コンサート・スタッフに駆り出された料理教室の生徒さんも安全ピンを持って来てくれたり。ちょっと長さが足りない分は、絆創膏で指に固定して。第一部のシタール紹介を始めました。

 50名前後のお客さんの中には、黒川さんの料理教室の生徒さんのみならず、車で数時間掛けて来て下さった親戚の方迄。そして地域の文化人、面白い事が好きな、でも耳も目も越えた人達。 中津に二人しか居ないインド人のひとり。先日の耶馬渓で気に入ってくれて来てくれた方々。親子連れからご年配の方迄。中にはLife&Musicの会場の吉祥寺のカフェ・バーで二年前の若林の伝説的なノリノリのライブに居合わせて、郷里で配られたチラシに若林の名を見付けて馳せ参じてくれた赤ちゃん連れのママさんも。

★そのママさんから携帯で撮られた写真を頂きました、お子さんゆうき君はしっかりタブラを叩いていたのです。

 「まずはシタールの音色を」と五分くらいの紹介デモ演奏のつもりが、先日のアジアン特急2005のライブと同じ比較的軽い「旋法ラーガ:カマージ」をまたもたっぷり一時間。
  でもお客さんは皆さん笑顔で聞き入って下さり、前奏曲迄で終えたその直後の満場の暖かい拍手。演奏を始める前に「どうぞ良かったら寝ちゃって下さい。インド音楽の場合それも良い音楽の証明ですから」と言ったのですが。「気持ち良かったからほんとに眠く成ったけど、寝てる場合じゃ無い程凄い演奏だった」と言っていただいたり。

 休憩時間の楽屋兼喫煙所では、今迄に何人かの日本人シタール奏者の演奏を聞かれた音楽に詳しい方が「音の綺麗さは一番」と意外な評価をしてくれました。

 先日のアジアン特急2005でも長く学んでくれている生徒さんが「先生芸風変わった?」と言ってくれましたが、やっぱり変わったのでしょう。

  若林のシタールの持ち味と言いますか、これ迄の評価と言えば「日本人離れしたノリ」「これでもか!これでもか!と言う怒濤の即興演奏」でした。
  当然のごとく「音の綺麗さ」は二の次、三の次。「音ばっかり綺麗なのが日本人の駄目な所」「それは単に上手なだけでハートに響いて来ない」と言う意見に完全に同調していた若林が、真逆の評価を戴いてしまうなんて。
  あれっ? もし「綺麗で上手でハートに届いた」んなら「芸風変わった」だけじゃなくレベルが上がったのかしら?

渡りに舟に楽士迄居て
  若林の九州での活動の拠点は、既に民族音楽の関心が高まっている福岡市が中心になっていますが、今回オーグテの黒川さん繋がりで、北九州市にも場が広がりそうです。
 さらに7月初頭に耶馬渓の演奏会を企画してくれて、今回の城山ホールの演奏会にも来て下さった白岩さんは、小倉のお隣の行橋の素敵なスペースでの演奏会のお話も。

 実は、予定されていた福岡市内のワーク・ショップが会場の都合で順延になり、やるき満々だった九大学生さん中心のレッスンも、やっぱり夏休みで。と8月の福岡の予定が大幅に変わってしまっていて、ちょっと途方に暮れていました。
 なんだか勢いばかりで突っ走って、気づいてみれば向こう岸に一人で取り残されたような寂しい焦燥感。
 ところが 「お〜い!」と声を掛ければ、なんと向こう岸から渡しの船頭さんが。
 オーグテの黒川さんのお友達、と言いますか、演奏を聴いてピン!と来た黒川さんが「追っかけ」をして仲良しになったアルゼンチン・タンゴ・ピアニストの秋元多恵子さん。 その楽団メンバーで福岡出身のアコーディオン奏者のいわつなおこさん。

 楽屋で黒川さんにご紹介頂いたんですが、お二人とも若林の著書をご愛読下さっていて、秋元さんは「サイン貰う為に持って来てます」と嬉しい出会い。
 秋元さんは若林が昨年演奏に伺った小倉城庭園に近いところにライブカフェKatemusicをお持ちで、なおこさんのパートナーは学生の街西新に近い福岡市早良区でライブも行う「Cafe楽屋」を経営されてるとのお話。

  「何時か是非出演して下さい」と言われるよりも先に「実は8月がすっぽりと」とお話すると、宣伝期間は十分じゃないですが「やりましょう!」のたいへん有り難いお話。
  翌日には白岩さんが行橋市の無農薬野菜と子供の本のお店「ひょうまんてい」さんでのライブも決めて下さり。一気に8月は福岡県ライブ・ツアー月に。
★詳しいライブの内容と、会場のURLは「九州ライブスケジュール」 をご覧下さい。

 若林のシタールを「音の綺麗さは抜群だね」とおっしゃったのが、秋元さんのおつれあいで、若林がオーグテさんで自分のシタール演奏に近い「何か」を感じて気になっていたアコーディオンのCDの演奏者がいわつなおこさん。
 
これもちょっと凄いご縁。
 大分の白岩さんと黒川さんという二人の船頭さんが、途方にくれる若林を福岡県迄運んで下さった感じです。

 そう言えば二人の船頭さんが「白」と「黒」というのも不思議な取り合わせ。音楽家の若林にとってのキイパーソンですから船頭さんではなくて「白鍵と黒鍵」と表現しなくてはいけませんでした。
 みなさんありがとうございました。8月のライブの音楽で感謝をお伝えします。宜しくお願いします。

7月31日(日) 福岡イベント・リサーチ
  イベント&コンサート会場下見ツアー
 大分中津の演奏会の盛り上がりと、嬉しい出会いの興奮冷めやらぬ翌日は、福岡市の強力なパートナーさんに市内の気になるイベント・スペースをご案内頂きました。

 三つ廻った内二つは、演奏会というよりもパーティー会場として知られるレストランで、ロケーション、店内の雰囲気、音の響き具合からスタッフの意識、シェフのポリシーなどを近く「何か面白い企画が出来ないか?」という意識でリサーチ。
  イベント業界で頑固なポリシーで仕事をされている方のご案内ですから、厳しいチェック・ポイントのご指導も賜り、中々勉強になる一日でした。
  かと思えば、若林も20年ライブ・レストランを経営していた手前、色々と気になることもあると言うと「貴方は音楽に専念しなさい」と厳しくも嬉しい指南。
  言われて思えば、会場の雰囲気とスタッフの動きに気を取られての演奏ではなく、それをフォローするより上のレベルの演奏をしてくれなきゃ、と言う事なんですよね。

 しばしば書いた話ですが、 長野の西友で演奏した時「若林さん凄いね!迷子の放送にも気を散らさずに」と主催者に誉められたことがありますが、確かに演奏者が音楽に集中していれば聴衆もその他の音が気にならない。
  そういうフォローの方が上ですね。
さらにそんな安心感でスタッフの動きや表情まで和らげば、最高のマネージャーを兼ねているようなもの。    そうでした! 失礼しました。
 
 三つの内、ひとつは福岡市中央区のスペイン料理店「イビサルテ」。
 サイトを見ると、少し前迄はかなり面白いライブをやっていたみたいなんですが、料理に掛ける時間が取られる、と自主公演を控え出した頃に、色々な楽団にも人の移動があって、今はちょっとお休み状態。とのこと。
 でもマスターとちょっと意気投合した感じも得られ、お店のあるエリアも気に入って「近々何かやりたい!」気分に浸りました。
イビサルテは二胡奏者の大関さんから教えて頂いて若林の方がパートナーさんをお連れしたのですが、偶然にもシェフがお知り合いだったり。今の動きに意味を感じる嬉しい偶然でした。
 そういえば、吉祥寺の飲み会ライブ「Life & Music」の「In 福岡」がいわつさんのご紹介のカフェ楽屋(らくや)で始るんですが、楽屋(らくや)と若林の繋がりも運命的。
 自分の店を閉めて以後、再びやる気を起こさせてくれたのが中目黒の「楽屋(らくや)」 執筆が忙しくなってご無沙汰してたのに新店舗一周年記念イベントには連日呼んで下さって。若林の再スタートの強力な応援者さんです。
  福岡に居る時にちょくちょくお邪魔する串焼きの「楽がき」さんでは、マスターが東京調布の修行時代に憧れた、今は無き吉祥寺の焼き鳥屋さん「楽屋」から一文字拝借して名付けたと言う話で盛り上がり。みっつもの楽屋に関わってるミュージシャンは僕だけじゃない?って感じです。
 さらにそう言えば、吉祥寺の「飲み会ライブ」の中心的元気娘が子供向けのイベントを企画してくれているのが小関さん。
 福岡の元気娘は、在京時代、一時期若林が加わっていた元ボ・ガンボスのベーシストのバンドのファンで「ワッキーさん!!って声援を送ったのよ」と言う大関さん。福岡の「飲み会ライブ」の中心に成ってくれると面白くて嬉しいな!

中洲でじわーっと盛り上がる
 翌8月1日は、福岡市文化芸術振興財団の方で、6月末のワーク・ショップを受講して下さった方々との親睦会。後から駆けつけてくれた市役所の名物お兄さんも加え楽しい宴でした。
 今回は具体的なお仕事の打ち合わせではなく、それぞれが意外にもマニアックな音楽ファンである部分の改めた自己紹介をいただき、それはそれで九州での活動が更に楽しく感じられました。お役人さんが音楽マニアなんですから期待が高まります。

 財団が中洲川端の駅の上にあるため、生まれて初めて「中洲で飲んだ」んですが、その後でパートナーさんに連れて行って貰ったのも中洲。

 しかも「まずは民族音楽で基盤を作らなくては」と気合いが入る福岡で、訪れるとは思っていなかったR&Bギタリストがマスターの、昔ながらの雑居ビルのスナック。
 福岡と言えば、大阪に劣らぬR&Bの豊かな土壌。「R&Bこそ若林が素直にファンになれる趣味の音楽」というのも妙ですが、マスターとのブルース談義に じわーっと盛り上がり、別な神経も大いに励まされた夕べとなりました。

 みなさんありがとうございました。嬉しかった!楽しかったです。
★早速、8月の福岡のみっつのライブ情報を「九州ライブ・スケジュール」にアップしましたので、ご覧下さい。日があまり無いので動員がちょっと心配。たくさんで来て!!!。ね。