2005年6月ダイアリー  特報:タモリ倶楽部7月1日深夜放送決定!
  6月1日(水) 昔ながらの 6月2日(木) 南舞岡小学校で演奏
  6月3日(金) 盛況の音大学研究所講座 6月5日(日) 良い事も悲しい事も
  6月10日(金) スケールの違い 6月11日(土) タモリ倶楽部収録
  6月12日(日) 音楽、社会、人、猫、虫への 6月13日(月) 福岡19Studio〜「たか野」さん
  6月14日(火) プロの技って。 6月15日(水) 壬生北小学校に再び
  6月19日(日) 類は友を呼ぶ? 6月23日(木) 第二回LIFE&MUSIC
  6月28日(火) 愛知万博に出演 6月29日(水) 福岡旗揚げライブ!
6月1日(水) 昔ながらの喫茶店〜
 

5月末から6月に掛けての福岡出張で
 5月31日、今最も信頼を寄せているパートナーに福岡市天神のビル街の一角にある
「昔ながらの喫茶店」に連れて行って貰いました。

  一日にコーヒーを15杯は飲むコーヒー・ドランカーで、バイト時代〜自営民族音楽ライブ・ハウスではお客さんに出す立場だった若林の言う「昔ながら」には色んな意味がありますが、その中の最も重要な要素が「憩いの場所」。なんて言うと普通っぽいですが、若林的に言うと「隠れ家」的な場所。
  そのお店はオフィスや銀行、デパートが立ち並ぶ土地柄なのでお昼休みのサラリーマンや店員さんも多いですが、隠れ家風に思っているマニアも少なくない感じのお店。

 若林の思春期の頃、都立高校からの帰り道、吉祥寺にはそんな喫茶店が一杯有りました。付き合う悪友やガールフレンドが代わる度に通い詰める店が代わってもちっとも困らない程沢山。サーファー系が集まったり、ツッパリが集まったり、ミュージシャン志望が集まったり。ところが若林が好きだった青春の想い出の店は、とっくの昔にほとんど消えてなくなってしまった。
  残ったのは、店内が洞窟の様なユニークなお店、カレーの味でも評判なお店が数件と、あとは外資系のチェーン店。

【昔ながらの定義?】
  若林の民族音楽ライブ・ハウスは喫茶店と言うよりはカレー屋(民族音楽&料理屋のつもりだった)でしたが、コーヒー通としては、カレーの香りと同時にコーヒーを出すのは邪道! 少なくとも「昔ながら」ではない! 「昔ながら」に似合うのは微妙に酸っぱ過ぎないパンが微妙に焦げる臭いとバターの香り。

  ようするに「昔ながら」は、若林の青春の想い出の喫茶店のスタイルのことなんですが、お店の内装は白い壁が煙草の脂でアイボリーに変わり、黒い木部とのコントラストが不思議な安心感を醸し出し、銘木のどっしりとしたカウンターと、直角部分が多い若干重めの椅子&テーブル席が無くてはならないんです。
  籐の椅子も違うな。日本の田舎風も違う。何故ならいずれも1990年代以降の流行だから。
 「昔ながら」はそれ以前の限られた一時期のスタイル。それは1970年代末から80年代前半にほぼ限られます。90年代に成るとエスニックかディスカヴァー・ジャパンが入って来てしまうから違う。1970年代前半も違って、ちょっと勘違いモダニズム系の合成樹脂製品が目につきます。尤もこれも今となってはむちゃむちゃ古くさい感じで、僕らミュージシャンの言い方でドサ回りの「旅先」の寂れた喫茶店を意味する「ビタ先」の、なんだかスナックとの違いがあまり無い感じのお店。それはそれで「懐かしい」って思う時も有りますが「隠れ家」にはしたくない。なにしろBGMが有線の歌謡曲かラジオですし。
  「昔ながら」のBGMは西洋クラッシック音楽です。JAZZだと全然違う。
  若林は実は世界中の民族音楽をかじっておきながらJAZZとクラッシックが大好きです。理由は簡単。自分が弾ける楽器がほとんど無いので「完全なリスナーになれる」から。JAZZ喫茶にも良く通いました。
  でもJAZZ喫茶の持つ独特な「会員制」みたいな雰囲気は、リカー・タイムになってやっと愛すべき隠れ家になりますが、昼間のカフェイン欠乏状態を満たすにはなんだか嫌な感じ。だから「一見昔ながら」のお店のBGMがJAZZだと「なんか違うゾ」と急に落ち着かなくなる。 「昔ながら」のお店のBGMはクラッシックに限ります。でもこれも「名曲喫茶」じゃ困るんです。なんだかとんでもない「我が儘な」こだわりですね。今やJAZZ喫茶さえ希少だって言うのに.........。

 天神のそのお店は、話に聞いてイメージしていた「昔ながら」と全く同じ 内装と香りとBGMだったので正直足下がぐらつく程嬉しかった。噂のマスターにもびっくり。
  吉祥寺にも一件、内装とBGMは条件を満たしながら「俺のコーヒーの味が分らん奴は来なくて良い」って苦虫の顔が語ってるので(後で聞いたんですが、実際そう言ってるとこが人気らしい)、二度と行かないどころかその前の道も通るのも嫌って店がありますが、天神のお店のマスターは真逆。暖かいって言うか可愛らしい「三の線」が素敵でした。 絶妙なチートーの工夫を絶賛しても、気取らず得意がらず可愛くニヤニヤしてるだけ。BGMがクラッシックである理由を尋ねてみても「飽きんでよか」程度の答え。こりゃ中々の本物? 
 そんなお店に通える人達が羨ましい。 「昔ながら」の定義も知らずにマスターのおかしさ、味のおいしさで気楽に通っているのが羨ましい。でもご常連さんでもマスターがカウンターの一番端の天上にある階段の出っ張りにいちいち頭をすくめなくてはならない可愛らしい理由を知ってる人は少ないかも。それを知ってるのはちょっとした自己満。
 そんなマスターが若林のことをお会いする前から「変な人」って言うのについては今のところまだ良く分かりません。本物同士の賛辞なのか? 単にまんまで「変」と言ってるのか。ん〜???。

 

活発になって来た九州での活動
 そんな「昔ながら」の素敵な喫茶店に常連として通えるかもしれない?と思わせてくれる嬉しい話が次々に沸き上がって来ています。
 そのひとつで大変嬉しいお話が「民族音楽センター九州」設立の動き。
福岡
 福岡市の中心部の音楽スタジオ&プロデュースのワンナイン・サウンド・プロデュースの社長さんが、この6月の若林の民族音楽レクチャー・コンサートから始めて、更にワーク・ショップ、ゆくゆくは常設の「民族音楽教室」の設立。同時進行で九州での演奏活動を強力にサポートして下さると言うお話です。
 もともとは福岡県南部の筑穂町の音楽家さんで、若林のCDをほとんど1セット購入して下さった方のご紹介から広がって行ったお話ですが、ワンナインさんから更に福岡市役所の方をご紹介頂けばなんと仙波清彦氏の「はにわ隊」に参加させて頂いていた頃からの「かくれ若林ファンです」などと嬉しい話に展開。
  ワンナインさんでは来る6月29日30日の両日「若林忠宏インド音楽レクチャー・コンサート」が行われます。
大分
 一方大分県中津市では、先月のダイアリーでもご紹介しましたが、ちょっと山に入った耶馬渓町のお寺での7月9日のライブに続き、7月末には中津市内のお茶教室でもミニ・ライブ が計画されています。
  偶然同じ中津市ですが、それぞれ全く別の経路で、耶馬渓の方は20年近く前に若林のファンだったとおっしゃって下さるインド、アフリカ大好きのママさん個人の企画で、市内の方は若林がお世話になっている京都のお茶屋さんメランジュさんのご紹介です。これも先月耶馬渓のお話が決まった直後、突然のお電話でしたから不思議な流れです。
 福岡市にも西アフリカ太鼓ジェンベやインド音楽、ベリーダンスのグループがある様なので、もし興味を持って下さってご一緒出来たら幸いに思います。どうぞ気楽にお声を掛けて下さい。

6月2日(木) 南舞岡小学校で演奏
 

民族音楽ふれあいコンサート
  6月2日(木)は、横浜市の南舞岡小学校に呼んで頂いて「民族音楽ふれあいコンサート」を行いました。このコンサートのコンセプトは、若林が各地の小学校のPTAに呼んで頂く中で自然と生まれたもので、「音楽観賞教室」よりはかなり自由な感じなので
「民族音楽ふれあいコンサート」と呼んでいます。

 子供達と若林の演奏の間に、ステージなどの仕切りを作らないで、車座に囲む 子供達の中に入り、時に練歩いて演奏したり、子供達の代表者を前に呼んで民族楽器奏法を教えたり、「サッカー部」「野球部」などのグループ毎にアンサンブル演奏をして貰ったりで、昨年の世田谷・赤堤小学校、福岡・平尾小学校、岩手県子供キャンプなどで確立したスタイルです。

 南舞岡小学校は、JR横須賀線の戸塚より、横浜市営地下鉄をひとつ乗った舞岡から車で15分位の所にあります。面白かったのは、地下鉄が後に出来たため、地下鉄駅の周辺は 「演奏じゃなくて昆虫採集で来たかった!」と思う程の山の中で、車で進んで行くに従って町に成って行くという普通と逆の感じ。

たくましい熊さんのような保育士さん達
 今回呼んで下さったのはPTAではなく、学童保育の保育士スタッフの皆さん。相手が遊び盛りの一年生から六年生迄ですからかなりハードなお仕事なんでしょう。お電話でお話した時からなんだかたくましい感じがしました。
  地下鉄駅に着いたら電話、と指示されていたので「東西どっちの出口に出るんですか?」と聞いたら「コンビニのある方」というお答え。
「????地上に出なきゃ分りませんけど」って若林もちょっとびっくりして言えば「ああそう?じゃあどっちでも良いから、ハイハイハイ」ガチャン!なんだか凄いつっけんどうなノリだなあ、と思いながら地上に出てみれば、駅前にコンビニ以外何もないので、どっちに出ても同じだったり。
 なんだかさっきの会話の意味の無さに思わず吹き出してしまいました。昔の自分だったらこの辺りでかなりキレてたかなあ。なんて思うと余計に愉快な気分に。

まだまだ民族音楽に対しての理解は低い?

 「若林さん、随分丸くなりましたね」と言われることが最近多くなりました。ライブ演奏中にもメンバーにゲキを飛ばしていた若林を知る人には信じて貰えないかもしれませんが、最近の方が若林の本来のノリなんです。
  民族音楽演奏家の市民権のようなものが全く確立していなかった頃に、そこそこの態度を示さないと若林のみならず民族音楽の将来が心配、と頑張っている内に、西洋クラッシック音楽演奏家や邦楽演奏家と比べてあまりの待遇の悪さや、民族楽器の調節の大変さなどに対しての不理解に本当に腹が立って来たって感じもあります。

 最早そんな話、どうでも良いんですが民族音楽の認知度が上がった最近でもまだまだの部分もありますので、軽く触れますと。西洋クラッシック音楽のアンサンブルがメイン・ステージでお洒落に演奏するのを羨ましく見ながら「そこら辺で、ムシロでも弾いて勝手に演って」とか言われたのが横浜の駅ビル。
  渋谷の超有名百貨店では冷え込み始めた11月の野外で「紅茶の日キャンペーン」ってインド弦楽器シタールを弾かされ。南国インドの薄手の民族衣装は寒くて演奏どころじゃなかった。東急線のお洒落な駅ビルのインド物産展に呼ばれ1ステージ終わるや、プロダクションの人が「なんかもっと賑やかなアフリカの太鼓みたいなのないですかね? 辛気臭いってクライアント不機嫌なんですヨ」ってそんならアフリカ音楽で呼んでくれつうの。みたいなことは、最近でもあります。

実は優しい保育士の先生

 かつての若林の様に学童保育についてご存知ない方も少なくないかもしれませんので、これも軽く触れます。
  皆さんは保育園の「延長保育」の存在はご存知でしょうか
? 親御さんのお仕事が遅く終わる場合、時間を延長して世話をしてくれるシステムが不可欠になります。
  それが「延長保育」ですが、元々保育園では保育士さんが親御さんの代わりにお子さんを面倒みるという感覚がありますから、比較的延長線に発想し得たかもしれません。

  それに対して小学校の場合「学業を教える場」という感覚がありますから「授業が終われば子供は帰れ。自分も帰りたい」と思っている先生も少なくない様なのです。ところが保育園を卒業して小学校一年生に成った途端に「延長保育」が無くなると言うことは、親御さんが帰宅する迄小さな子供は一人で留守番して居ろ!ということになります。若林の子供の頃は「鍵ッ子」なんて言われていましたが、そういう状況がつい十数年前まで続いていたのです。(地域によって随分違いがある様ですが)

  しかし、三月末に生まれた早生まれの子供と四月一日に生まれた子供と一日違いで置かれる状況が大きく異なるのは可哀想な話です。二年生でも三年生でも、自分でなんでも出来る子も居ればそうじゃない子も居ます。
  それは高学年に成っても同様です。また快活な子供ならば「鍵ッ子」で良い、ということもありませんし、若林の子供の頃の様に近所の原っぱで安全に遊ぶ環境に恵まれている地域ばかりではありません 。

  そこで生まれたのが小学生でも放課後学校で保育士が世話を出来ないか?という運動だった訳ですが、若林も理解不足でしたが、初めはお母さん方の市民運動が原点だった。すなわち国や学校は考えてくれていなかった、と言うのです。
  今回若林を送り迎えして下さったお母さんもそんな学童保育が市民運動だった時代に苦労された方でした。
 そんなお話を聞くと、つっけんどうだけどたくましい保育士さん達の心意気も受け止める事が出来、終わってみれば楽しい演奏会になりました。
 地下鉄の分楽な様に戸塚駅迄送って下さった保育士さんが「子供が言う事聞かなくてすみませんね、やりにくかったでしょう?」と労って下さいましたが、そんな事は覚悟の上、じっと聞いている子供の方が怖いぞ!という感じです。
  確かに学校の授業中に先生が居る時の「観賞教室」と比べて歯止めが利かない感じでしたが、照れる子供、積極的に手を挙げて楽器に触れたいという子供、在日外国人のお子さんは、親の母国の音楽の話が出ると照れながらも嬉しそうだったり、真剣なまなざしだったり。みんな良い子でしたよ。

6月3日(金) 好評の東京音楽大学付属民族音楽研究所・社会人民族楽器講座
   
6月5日(日) 良い事もあれば、悲しい事も
 

吉祥寺の教室にも新入生が
 東京音大学民族音楽研究所の講座が思いがけない大盛況なのに負けずに、吉祥寺の民族音楽センター・民族音楽教室も新入生が続々入ってくれています。6月の体験講座からも2,3人正規の講座に加わってくれました。
  例年ですと4月末〜5月前半が入会シーズンで、それ以後は秋迄新入生は少ないのがパターンでしたから嬉しい流れです。

TOKYO人権6月号の表紙にでかでかと!
 東京都の外核団体、東京都人権啓発センターの広報誌の第26(6月)号の表紙と特集ページ(3ページ)で若林のインタヴューが取り上げられました。教室のマスコット・ボーイのチャメ君ももっと知りたい世界の民族音楽(東京堂出版)、朝日新聞についで三度目のお仕事を立派にこなして若林の膝にちょこんと座っております。

  内容は先月のダイアリーでもご紹介しましたが、ちょっと今迄とは違った切り口の民族音楽観が紹介されています。都内の公共機関にフリーペーパー式に置かれているとのことですが、次の号が出る頃には同センターの公式サイトhttp://www.toyko-jinken.or.jpのバックナンバーに紹介されると思います。

  現在は前号の明治学院大学教授、辻先生の「ナマケモノの話し」が楽しく掲載されています。辻先生の「スロー(昨今話題のスロー・フード、スロー・ライフなどの)」は「ゆっくり」じゃなくて「つながり」というお話は、このところ若林のテーマでもあり、7月に岩波書店さんに出して頂く民族音楽入門書のテーマでもあるので嬉しく拝見しました。
N.H.K.とギリシアが重なると
 昨年のギリシア・オリンピックの前頃、突然TV番組制作会社さんから電話で色々なリサーチが有りました。昔はどこの制作会社さんも電話で情報を集めるというかなり無礼な方法が言わば当たり前だったですが、最近は随分少なくなったと思っていたら、N.H.K.さんの下請け会社にはまるで「天下のN.H.K.」みたいな感覚が未だあるのでしょうか、かなりの図々しさでした。
  若林にとって最も悔しかったのはオスマントルコ支配下からナチス支配下に至る時代のギリシア演歌の流れと、戦後の右翼左翼の政権がせめぎ合いながら民族音楽をプロパガンダに利用した部分を一連の流れの様に紹介してしまう「早飲み込み」的な紹介法。 その中で如何にも虐げられた人々の代弁の歌の様に名曲を紹介して視聴者の関心を惹こうという体質にはかなりがっかり。
  当時若林からギリシア弦楽器を学んでいて、現在は現地の考古学発掘事業に参加しているギリシア語通訳の若者のところにも同じ制作会社が歌詞の意味等をガンガン尋ねて来たそうで、それも後から勝手に日本人向けに変えられてしまったと嘆いていました。

 そんな話を忘れた頃のつい先日、やはりN.H.K.さんの下請け制作会社から「古代ギリシア音楽」の特集で、若林が復元した楽器と若林のCDを用いたい、との話が有りました。もともと現地の音楽家で古代音楽の復元をしている人を捜していた様ですが、見つからなくて困り果てて若林の所にたどり着いた感じですが、CDの音源からキタラという竪琴の音だけを取出させ用意させた頃になって「予算の都合で」ってそりゃどゆこと?

芸大資料館に喧嘩売ったアフリカ在住日本人

 この所ケニヤを中心とする東アフリカ関係の人からの同報メールが絶えません。もともとは若林の弟分、俵貴実君とその関係者さん達で、若林をこの7月に大分に呼んで下さるSさんや、夏前後に京都か丹波に呼びたいと言って下さるNさん、面白い所では昔若林からインド音楽を学んでいて一緒にインドにもご案内し、後にアフリカ通になられたO君なんかの同報返信も送られて来ました。

 事の発端は、貴実君が何かのきっかけで芸大資料館の東アフリカ竪琴の表記の間違いを指摘したところ、何処の公共機関でも普通に行われるオフィシャルな返答に貴実君がキレた。というの様です。

  若林的には彼の純粋さと音楽に対するクレイジーとも言えるのめり込み方、半端な日本人民族音楽演奏家に次々喧嘩してしまう辺りは絶賛とまでは行かなくても「やるじゃん!」という感じなんですが、そんな彼が初めて若林の元に現れた時に彼のちょっとヤバイ部分は既に見えていました。

  「ケニヤから帰国した者だ、あんたは日本人じゃなかなか角に置けない人らしいから会いたい」的な連絡を受け、時間を決めて待っていれば遅れてやって来て「電車の中で礼儀知らずの小僧達と喧嘩したんで」と言う言い訳。ちょっとコロコロとした体格で気の短い彼はまるで「かんしゃく玉」「鉄砲玉」みたいなところがあるな、とは思っていたんですが。彼にしても資料館の学芸員さんを個人攻撃するつもりもなかったんでしょうが、引っ込みが着かなくなったところに、幼稚な暴言を吐いた様で、かなりヤヤッコしくなってるみたいです。
  同報メールでも彼の喧嘩っぷりを賛辞する方から、彼を好き故に諭さんという方まで様々ですが、若林の場合、あまりに連日の長文に戸惑ってる内に、初めの頃に若林の名前が登場してるので、何らか反応しなくてはならないのですが「あれよあれよ」という感じで。
  つい先日の彼との一対一のメールのやり取りでは相変わらず若林が現地情報や歌の意味なんかをリサーチして貰う等一方的に世話になってたんですが「なんとなく貴実も大人の対応が出来る様になって来たね」と誉めた矢先の今回の事。何が悲しいかって彼の言葉はまるで彼が青春を掛けて学んだ滅び行くケニヤの一部族の太鼓の「音数」と同じ位けたたましいんですから皮肉なものです。まあ、その裏表が無いところが彼の素敵なところなんですが「本物やってんだったら、もっと堂々としていようヨ!」なんて若林が言ったら貴実はもっと怒るだろうな。昔の若林を真似て喧嘩してるっぽい所もあるから。
  かつての若林の場合「自分も好きでやってる」にも関わらず「好きなだけで、いい加減にやっている奴を許せなくなる」という感覚を自己解決出来なくなったのが「キレる」原因でした。
  確かに公共機関でノホホンと給料貰ってスローに研究している間に、現地では真実が滅び、むしろ欧米や日本の研究者やコマーシャリズムがその破壊を加速しているという部分は有り、貴実君(若林も有る程度そうでしたが)の様に私財なげうって、青春やプライベートを犠牲にしてやってる者に「自己解決しろヨ」って言うのは酷な部分も有ります。が、最近では、最も批判されるべき対象は真実を見極めない日本の大衆であり、それには僕らも含まれるって考えてます。


  貴実君はケニヤ音楽について、若林はインド音楽やアラブ音楽などについて真実と嘘のギャップを知ったからと言って、興味の無い事に関しては「日本人の大衆」の一役を担ってるかもしれない訳で。そんな事を若干考慮すれば
もう少し人に伝わる様に、喧嘩も上手にできたのでは?なんて思うんですが。

アフガン楽器の修理完了

 先月の日記に登場するアフガン弦楽器のルバーブとキンは、日記に書きました様に先月末には修理完了していました。
 双方が東京に居なかったので、 やっと鶴見先生と連絡が取れまして「折角弟さん、息子さんが若林と同じ高校ならご主人もいらっしゃる所にお持ちして、少しでも音を奏でてお渡ししたい」と申し出ました。
  すると奇しくもご主人の出版記念会が6月10日にアジア会館で行われるので、スケジュールが会えばそこで奏でて欲しいという嬉しいお話を頂きました。

 ご主人雁部貞夫さんはパキスタン方面(ヒマラヤや中央アジアも含む)の登山家であり、出版記念のご著書は雑誌「岳人」書かれた130編の書評をまとめた「岳書縦走」。まさか!と思いお尋ねしましたら、やはりご主人は、若林が大変お世話になり日本パキスタン協会の催しで演奏出来る様に取りはからって下さった応援者の一人、故広島三朗先生のお知り合いでした。

なんと日本パキスタン協会繋がりもあった!
 広島先生(高校の先生でした)は、1997年の夏、カラコラム山脈の峰の登頂に成功した下山途中で遭難に遭われました。若林もT.V.ニュースで知った程大きく報道された事故でした。鶴見先生(短歌のペンネームでご本名は雁部輝子さん、高校の音楽の先生を退官されたばかり)のお電話の後、若林も会報にパキスタン民族音楽について書かせて頂いた日パ協会の資料を見ましたら、ご主人雁部貞夫さんの論文が広島先生とならんで掲載されていました。鶴見先生と若林が修理させて頂いたアフガン楽器とは、都立豊多摩高校繋がりどころではなかったのでした。

 ところが鶴見先生より、当日の式次第をファックス頂いた翌日。アジア会館の経営方針が変わり、レストランでの音楽演奏は一切禁止されたので「ごめんなさい、残念ながら今回は」という悲しいご連絡を頂きました。

 アジア会館と言えば、1980年代の初頭、若林が初めて在日インド人やパキスタン人の音楽ファンの歌う民謡を伴奏させて頂いたり、つい数年前もアフガン空爆の際のアフガン夫人の会で飛び入り演奏をさせて頂いたアジア国際交流の中心地であった筈の場所です。当時、日パ協会のオフィスもそこに有りました。来日ミュージシャンの追っかけレッスンでも数回訪れ、宿泊部屋で楽器を鳴らして学んだ場所です。
  その想い出の場所で、二度と民族音楽を奏でることが出来なくなったのも大変残念でしたが、鶴見先生の「申し訳ない」という悲しいお声が逆に申し訳ない思いでした。
 人間社会は時代とともに発展し、豊かになっている筈の様でいて、実は逆さまなんじゃなかろうか? と感じさせる出来事でしたが、それもこれもインシ・アッラー。きっと何処かで良く成っている流れもある筈で、そこで再び鶴見先生の楽器を奏でる機会もある筈です。

6月10日(土) スケールの違い。想い、情熱、愛情、人間性。
 

最近何か変?
 一人の人間の中には色々な性格や側面が有って当たり前なのかもしれませんが、 若林の場合、どの面を照らし合わせても同じだという人が少く、たいがい「違う」という答えしか得られないので、その側面が自分らしいのかそうではないのか?自分でも自分が良く分からない。なんだか、おかしいんじゃないか? って時々考えます。
  「そりゃあんた、時々じゃまずいんじゃないの?」とおっしゃるかもしれませんが、目の前にやりたい事が一杯有ると「自分の事はどうでも良いや」「人にどう思われようと別に構わない」的に思春期〜青年期を通り過ぎて来てしまったんだと思います。それが最近なんだか更に「変」なんです。

 なにがどう「変」かと言うと、話が前より人に伝わるんです。まだまだ「全部伝わる」って程ではありませんが。
 それが「普通」で、伝わらない方が「変」なんですが、若林的には今迄と比べてとても「変」という、誠に「変」な話です。

 例えば、先日発刊された「TOKYO人権」の6月号。お恥ずかしいことに表紙にでかでかと、そして全体の半分の紙面を戴いてのインタヴュー記事。
  ライターさんがかなり優秀な方であったからも勿論有りますが、様々な方から「話が良く分かる」ってご好評戴きました。数年居る生徒さんが「へ〜、そうお考えだったんだ」という位ですから今迄、かなり伝わってなかったんだと改めて実感。

 また、一昨日は音楽之友社の長寿音楽雑誌「レコード芸術」に民族音楽DVDレヴューの原稿を提出したのですが、数年前別な編集会社に居た編集者さんが。改めて
「面白い」「分り易い」と言ってくれました。
  そこまで誉められると「何処が面白い?」って校正も兼ねて読んで見ますと、数日前に勢いで書いたにも関わらず、確かに「分り易い」。自分でも不思議な感じです。
 今迄は伝えたい事が一杯有り過ぎてあっちも、こっちも触れながら、なんだか自分でも「とりとめも無い文章だ」と気づきながらも、それでも何か言い足りない様な気がしていたのですが、それがかなりすっきりしているんです。なんだか「変」です。
 
 それらの中で読み直して見て自分でも「不思議だ」と思ったのは、自分でも「分り易いな」と思える部分に、今迄自分が使った事の無い言葉が多い事。

  「TOKYO人権」では、今迄の民族音楽人生を語っている訳ですから、基本的にはそんなに言ってる事が変わる筈もありませんが、「異なる音楽文化」を「異なる言語文化」に例え、その奥の「心に触れる喜び」的な表現が出来たのは今回が初めてです。
  今迄の「違いの面白さ」とか「意外な共通点の面白さ」と言った自分の目の前に広がる世界中の圧倒的多数の音楽を如何に伝えようか!という思いにかられていたのと比べると、随分とあっさりしたものです。

 「レコード芸術」の方でもマダガスカル 島が近いアフリカよりも遠い東南アジア文化との関係が深い事を色々語ってしまっていましたが、一言「インド洋の海流のもたらした絆」で終わっていたり、中世北インドの花柳界起源の声楽が「蝶が舞う様な」という表現は前にもした事がありますが、より古いドゥルパド声楽を「鷹や鷲の急降下」の様に言う表現は初めてでした。
 
 この「若林的に変な変化」は、ひとつにはこの数ヶ月沢山の話を聞かせてくれる親しい方が話し上手な事の影響(元来人の影響を受け易いカメレオン人間ですので)もあると思います。それに加えて「伝えたい」「分って貰いたい」という思いが少し減って、逆にそれが良かった、という皮肉な結果もあるかもしれません。

音楽に対する愛情、情熱。そのスケールの違い
 そして今日、アラブ音楽教室でのこと。
  昔から生徒さんの集中力の無さには不満を感じていました。「どん欲さ」が足りないのか? 「お稽古事」と言えば、ボーっとしていても教えてくれると思っているからか、30代迄はガンガン切れていましたが、それも虚しくなると、それでも何か伝えてあげたい、少しでも分って貰いたいと、とつとつと説教を始めるんですが、それが得てして「伝わらない」。
 「民族音楽の現場にもプロとアマはあるんだが、違いはプロには『ハッタリ』があるだけで、民族音楽的にはアマチュアの方が純粋............だから君達が僕よりいい加減で良いということは無い訳で...........」の様な。今思ってみても、これじゃ分りませんよね。

 それが今日は「感性と勘にはキャリアの差は無い」と一言。
  まあ、これも極論ではあるんですが、その場では「右手は腕を使っちゃ駄目!」「あっ、今度は左手の角度が!」と言われれば言われる程分らなくなっていた二三人の生徒さん相手に、こちらはこちらで「皿回し」しているような気分になる、昔から良く有る光景でした。
 それが、 ふと手を止めて貰って「あなたの勘と感性を信じて感じながら弾いてみて」と言うと突然良くなったのです。
 丁度その頃幾つかのポイントが分りかけていた「たまたまのタイミング」だったのかもしれませんが、「分らせなくちゃ」という思いよりも「分ってくれる筈」の思いが強くなった途端に通じた様に思います。もちろん、今やる気満々の二人して太鼓に加えて弦楽器にもチャレンジしてくれているIさんとY君が素直な方だからでもありますが。
 
 そんなありがたい、嬉しい生徒さんであっても、音楽に関して言えば若林と生徒さんには決定的な「愛情の差」があるのは否定出来ません。
  今迄は、何処かでそれを「寂しく」思っていたので「分って欲しい」「皆で高みに成長しようよ」的な思いが強過ぎたのでしょう。「なんで分ってくれないの?」的な悲痛な思いも感じてしまったり。
 でもそれは間違いでした。自分の寂しさから生徒さんにも同じ様な情熱を音楽に向けて欲しかったのだとしたら、それは無理。場合によっては酷な事で、お互いの関係も残念なものに成ってしまいます。
 これからは「愛情の差」は問わずにそれぞれの「想い」でそれぞれの「感性」で民族音楽と触れ合ってもらえる様にしたいな、と思いました。「今更かいな!」と言われるかもしれませんが。 注:今迄の教え方も人によっては「本気のレッスンが受けられたのは光栄だった」と言って下さったんですがね。ごく少数ですが。
 
 その一方で、自分は自分で、今迄の、同じ様な情熱を持って音楽をやってくれている人の少なさに対する寂しさ。そして虚しさは気にせずに、むしろその想いで知らず知らずに掛けていたブレーキを外して、恐らくとてつもなく早いマイペースでガンガン追求して行きたいと思い、なんだか不思議に気楽になりました。
 
 ところが、こと音楽に関しては軽く成れて、自分らしさを取り戻せ、さらに新しい突破口や進むべき道を見い出せても、中々人間としては、先にも述べました様に「あまり考えずに」良い歳迄来てしまった為にかなりに幼稚でヤバイ感じです。
 しかも質が悪い事に、それは 近くなればなるほど、愛情を注いでくれればくれる程、その幼稚さにがっかりさせてしまう様です。
 音楽だって楽器だって、ある意味では「相手」であり、こちら次第でどうにでも良くなるものではありませんが、それでもこちらが向かって行けば、その分答えてくれると安心しているんでしょうね。

  ところが相手が人間だと、今迄あまりに無関心だった為、ノウハウも無ければ、自分で自分が分らない様じゃまずいんじゃないかという不安にかられ、違いが気になり、言葉を深読みしたりでだんだん心配が増えてしまう。

 でも、これじゃ民族音楽教室での事と同じです。立場が逆転して全く同じ事。
そう思えば今迄何れ程の応援者さんをがっかりさせてきたことか。若林が生徒さんに感じた愛情のスケールの違い。「感性」や「勘」を信じないで小手先を必死に工夫したり、要らない考えで逆になったり。それと同じ事をしていたのでしょうから、想いを掛けて下さる方は、さぞ悔しい思いをされたことでしょう。

 もっとも、分ったからと言って急には大人になれないかもしれませんし、急には十分期待に応えられないかもしれませんが、応援者さんの想いをしっかり受け止められる様には成りたい、と強く思いました。スケールの違う愛情で音楽をやって来た自分が逆ばっかりの筈がありませんから。

6月11日(土) タモリ倶楽部収録
 

短く成った? 出演サイクル
 2004年の年明け放送の第一回出演,一年後の第二回出演と、年一回ペースだったT.V.朝日「タモリ倶楽部」の出演ですが、今年は7月放送分を今日収録しましたので、半年ペースって感じです。
 毎回「何か案はありませんか?」というリサーチの段階の打ち合わせに、ディレクターさん、ADさんでわざわざ吉祥寺まで来て頂いて1〜2時間色々楽しくお話するのですが、毎週30分の番組作りの中でこの姿はかなりに熱心。若林に対してご丁寧な態度と嬉しく思います。そんな「一緒に作って行く」感じを味合わせて頂く事もあって、こちらも取って置きのアイディアをついつい提供したくなってしまいます。
 初めは、どこのT.V.制作会社同様に「民族音楽で何か珍しいもの」ということでいらっしゃったのですが、そこは若林も突っ張って「珍しさだけじゃ悔しいです」「色物的な面白さはギリギリ迄押さえて」と逆提案しました。そんなせめぎ合いも楽しいところです。

  2004年は「楽器の奏法当てっこクイズ形式」をメインに「世界一痛い弦楽器」と「世界一痛い太鼓」を罰ゲームに展開しました。
  2005年年明けは、ご覧下さった方も多い様ですが、なんともマニアックな「インド太鼓タブラの皮張り替え実習」でした。「民族楽器ユーザーたるや自分でメンテできなきゃ駄目」という真摯なテーマで、マニアックなものはお得意の「タモリ倶楽部」にあってミュージシャンやマニアにはかなり評判で制作側も結構楽しんで作りながら、番組的には「あれで良かったの?」という感じでした。が、一年待たずに今回ですから、どうにか面白かったんでしょう。

百円ショップから民族楽器
 そして今回が「百円ショップから民族楽器が作れる!」というテーマ。さすがに娯楽番組ですから、タイトルは、若林に恐縮しながらも「チープな素材でナイスな音色」とか言ってましたが。 
 前回も出演のシャランQのドラマーのマコトさんと若林が百円ショップのビニール袋ぶら下げて道ばたでばったりタモリ氏と遭遇。というこの番組ならではのウソっぽい設定のオープニングから、突如、百円ショップ商品を素材に民族楽器製作に。
 それから後の色々は、番組を観てのお楽しみ。って放送日はだいたい決まってるんですが、正式に伝えられたらお知らせします。
  と言うのも2004年の時、三味線の先生方などお偉い方にまでお知らせして、ご高齢の家元が正座して番組が始るのを待っていて下さって、例のお尻のオープニングを我慢しながら「若林は何時出るのか」と観ていたらそのまま「ラーメン屋特集」で終わった。急遽放送日が変更になっていた。という大変な事態があったので。
 また、編集でカットされたけど、これこれが本当は面白かったんだ、などは放送後にお伝えします。そう言えば今回初登場の劇団ひとり君はなかなか良い奴でした。

 タモリさんも「タモリの音楽は世界だ」から数えて五回目なので、随分とお馴染み。今回は何時もより休憩室でお話する時間が多く、今年の3月にタモリさんの通った小学校のお隣の小学校で演奏した話から、日頃TVではあまり話されないお話が聞けて面白かったです。

 若林の熱烈なファンの方で、特に在日のアジア人のファンのご年配の方は、若林が娯楽番組に出てタレントさんに茶化されていると「この人は凄い人なのに、なんて失礼な!」と憤慨して下さる(って若林自身がニヤニヤ喜んでやってるんですが)んですが。

 デビュー当時のタモリさんのファンの若林としては「タモリ倶楽部」はタモリさんの原点に一番近い番組ではないかと思うので、お仕事は基本的にどんな番組も「来るものは拒まず」の姿勢と「郷に入っては」の気持ちに切り替えてやっていますが、そんな中で「タモリ倶楽部」はけっこう名誉に思って喜んでやっています。(あっ、そういえば、ロンブーと筋肉少女隊のはあまりに悲しい設定だったんで断ったっけ)

  若林が出させて頂いている時のタモリさんは、のめり込み系のタモリ倶楽部の中でもより一層真剣な感じがします。なにしろ他のどのタレントさんよりコンセプトに忠実。今回の楽器作りも前回のタブラの張り替えでも、誰よりも本気ですから嬉しいです。

 「なんでも器用に雰囲気を捕らえて、それを独特に茶化して」っていう風に思っている方も多いと思いますが、肩がぶつかる程の真横に入ると、タモリさんが何時、どの様にターゲットに集中し、自分に取り込んで、面白い表現に変えるかのタイミングの息づかいが伝わって来ると、器用なだけでやってない事が良く分かります。

6月12日(日) 音楽、社会、人、猫、虫への情
 

アフリカV.S.芸大資料館のその後
 先月の日記に触れましたケニヤ在住の若林の弟分、俵貴実君が、資料館の楽器名表記について指摘した事に端を発する、アフリカ〜日本の間で数十人を巻き込んでの連夜のメール大合戦は、その後急展開を見ました。
  6月7日に若林もついにメール合戦に参加したところで、幸いにも貴実君に好意で理解され、その一方で、感情論が一転学術論に転じ「良かったね」という思いと「なんだか若林の言ってることはピントがずれたか?」の状況になりました。
 若林の意見は奇しくもこの夏、若林を講師、演奏家として招聘してくれようと言う丹波のNさん、大分耶馬渓のSさんの意見にも共通しながらも「情報の真偽」を問うのではなく、伝達のシステムを考えませんか?ということだったんですが、果たして貴実君には好意で受け取って貰えた様ですが、彼の果敢な戦いを賞賛した若者にはどの様に理解されたのでしょうか? 「若林のような繋ぎ役、まとめ役の地位を持ち上げてくれヨ」なんて今迄言った事もないような事を言ってみた手前。若干心配ではあります。

  でも嬉しかったのは、長年貴実君を応援して来た方で、今回の事を心底心配されていた方が、若林のメールによって貴実君が謝罪文を芸大担当者に書いてくれた事を喜んで「彼は愛のブラックホールだと思って諦め掛けていたので、気持ちが通じる奴なんだ!と安心しました」と感謝してくれた事。

 今回の事は色々な意味で若林にも思いつまされる事が 多く、色々諭されました。
まず、貴実君の純粋ながらも真っ向勝負の幼稚さは、教えた訳では有りませんが、かつての若林そっくり。そして「ブラックホール」だなんて思われる辺りも。

 逆に貴実君の応援者さんの立場も痛い程分りました。若林が生徒に対し、仲間に対し感じたものに非常に近い感覚。思いが強過ぎて逆に通じない事や、期待が強過ぎてささやかな成長を評価出来ずに摘み取ってしまい、一番の敵と感じさせてしまう事など。A型気質なのかもしれませんが、その辺りの不器用とジレンマ。
 今、そして近未来の若林にとっても身につまされる多くの事柄を、貴実君が代理になり渦中の人になってくれて若林に気づかせてくれた様なところもあります。

 そんな部分を感謝するとともに、彼に沢山の応援者と仲間が居る事を喜び、彼のますますの頑張りと、将来見事な発言権を正攻法で勝ち取られる事を祈る次第です。
 
憧れることと、惚れることと、
 人によって言葉の感じ方、解釈は違うと思いますが、「ミュージシャンに(自分も成りたいと)憧れる」の「憧れる」と、「あんたにゃ惚れたよ」の「惚れる」には違いが有る様な無いような。

 なんでそんなことを考えたかと言うと、最近出張が多いせいか、珍しく家に居る若林に対して我が家の猫さん達のサービスが非常に良いから。
  猫さんは若林に対して「自分もあんたの様な人間になりたい」とは思っている筈もないので「憧れ」てはいない筈。じゃあ「惚れて」くれているのか? 「懐いている」だけなのか? 「甘えたい」だけなのか? 何なんでしょう?

 面白いのは猫さんと言えば「マイペース」「身勝手」「我が儘」と言われますが、その割には独占欲が無いみたい。11匹が代わる代わるに甘えに来ますが、取り合いにはならない。誰かが待ち切れずに膝に昇ってくると、先に居た子は一応文句を言いますが、そそくさと膝を譲って行く。
 猫さんがすり寄って来る時、ちょっとジャンプして来ておでこを撫でて貰いたがる時、横顔を摺り寄せて来る時には「挨拶」「お礼」「御ねだり」など色々ありますが、しつこくベタベタしたがる時は、どうも「安心したい時」の様です。膝に載せると安心する様で、しばらくすると満足して他に行ってしまったり、他の子が来れば譲ったり。
 猫さんの「安心したい」という「甘え」は何なんでしょうか?
「明日もちゃんとご飯くれる?」「ずっと一緒に居てくれる?」のような気もすれば、そうでもない気もする。
 なにしろ猫さん達は「くよくよしない」「忘れっぽい」性質が強い様なので、おそらく、数十分前と後程度の近い過去と未来程度のヴィジョンしか無い様な気がします。すると「明日もちゃんとご飯くれる?」という心配はしていない様な気もするのです。ならば、猫さんが求める「安心感」それの裏腹な「不安感」は一体何なんでしょう。
 

 猫の事が分ってどうすんの?と思われるかもしれませんが、猫が分らず人間が分るかいな?という気もする訳で。 猫さんの様に生きられたら楽かも、なんて思うと、分りたくもなる訳で。
 「ありゃ単に本能だよ」とか言われてしまうとそれまでなんですが。
 我が家のママさん猫のクーちゃんは、宅配便のお兄さんが来るとすり寄って、保険の外交員さんなどの女性が来ると玄関先で威嚇したり、かなりに異性意識が強く。帰宅するや否やクーちゃんのチェックを受けるとちょっとドキっとします。それでも我が家のチーママのアイーシャが(とっても希に)若林に甘えて来たとしても、むしろ微笑ましく眺めて居たり。

 その昔、若林が母親や娘と口論していると「もう辞めようよ」と間に座ってクールダウンさせてくれたり。本能なら人間の荒げた声から逃げ出す筈じゃないか、と思うと「本能の赴くまま」ではないんじゃないかと思うのですが。

 こと人間に対して「惚れられる」事が出来ればそれは勿論光栄ですが、それ以前に相当に自分に自信が無くてはならないし、ついこの前まで、自分が好きじゃなかった若林の様な人間がそう簡単に人に惚れられる訳もなく。これはかなり努力をしなくてはなりません。
 かと言って「憧れられる」はもっと遠い様な気もします。色んな事に手を出して「何がやりたいの?」という感じでは「真似したい」という人も現れない。
  でも、最近自分の中で急速に色々な事が整理整頓されて来たので、余分なものを取り払って自然に見えて来るものが「やりたかった生き方」なのかな?と思います。
 「器用貧乏」な上に元来「変な人」ですから、回りに対応しながら様々な側面を身に付けてしまった。ゴム紐売りに行って「要らない」と言われれば次から洗剤も用意しちゃったり。そのうち自分が何を伝えたかったのかも良く分からなくなってしまった感じでしょうか。そんなのがかなり見えて来て整理されると、すっきりと自分のスタンスも道も見えて来る感じがします。
 そうすれば何時かは「憧れられる演奏家」にも成れるのかな。
でも本音を言うと人間からも猫さんのように「懐かれる」のが一番嬉しい気もします。
                                   つづく。

6月13日 福岡 One-Nine-Studio
  柳プロデューサーとの出会い
 6月13日からの福岡出張では、この数ヶ月すっかり意気投合し「若林忠宏九州後援会本部長」とまで言って下さったワンナイン・サウンドプロデュースの柳さんと初のご対面。この春からの若林の不思議な運気、その中で今迄の人生でトップクラスに冴え渡る直感に素直に従ってお付き合いを始めた実物の柳さんは「思った通りの」なんて言うと失礼ですが、一緒に様々な音楽企画を考えて行ける方だと再認識させて下さる、笑顔と技術屋さんの落ち着きを併せ持った頼もしい方。

 一見町工場の倉庫の様な建物の中は「あれっ!」という程に奇麗なロビー、驚嘆させられる録音機材と、6月29,30にワンナインさん主催で行われる若林のインド音楽レクチャー・ライブの場とも成る充実した録音ブース。若林の民族音楽教室のスタート地点ともなる奥の練習室などを拝見し、若者の音楽の街でもある天神からも遠くないロケーションとも合わせて絶好な空間とも出会えた実感。

 元はミュージシャンだった柳さんは、髭を剃った若林? それともジョン・レノン?という感じで、イメージ通りイギリスのポピュラー・ミュージックが好きだけど、音楽指向の底辺には常に民族音楽が有ったと言う方。

 スタジオのロビーには、福岡で旗揚げし、このほどメジャーデヴューを果たし東京に進出したユニット「ケイタク」など、ワンナインで録音したり、メジャー・デヴューをプロデュースしたアーティスト、バンドのCDがずらり。もともと若林の45枚シリーズの民族音楽CDの在庫の限りを注文して下さった作曲家さんのご紹介だけあって、地元音楽家の信望の厚さを物語っていました。
  6月13日 笑顔と気骨の職人さん。そして笑顔が素敵な名サポーター
 

願いが叶って再び「たか野」さんへ
 13日は、4月11日の日記にも触れさせて頂いた福岡市薬院の「たか野」さんに再び連れて行って頂きました。「たか野」さんは福岡の食文化の中心地天神からは西鉄でひと駅の閑静な住宅街にある知る人ぞ知るお店。

 福岡グルメ情報・和食懐石料理にも紹介されている程のお店ですから、無粋な若林がご紹介するなんて僭越をするつもりじゃありませんが、音楽のアンサンブルやハーモニーに凄いヒントが得られたり、今や別人の自分がやっていたかの様な昔に思える若林自身が民族料理をお客さんに出していた頃から考えていた音楽と料理に通じる想いが励まされたことだけを少し書かせて下さい。

 もの凄い経歴の持ち主のお店などとはつゆ知らずにお邪魔して、連れて行って下さったイベント・コーデイネーターさんとお店の上品さに緊張しながらも美味しく戴いた前回よりは、ちょっと落ち着いた気持ちでお店に入りました。

  味の分る常連さんには食についてのうんちくも豊かに楽しくお話されていると「グルメ情報」に書かれていた大将ですが、当然お忘れでギロっと睨む職人の顔。「やっぱり今日も緊張か?」ところがその緊張を一気にほぐして下さる奥様の可愛らしい笑顔。
  たった二ヶ月で味が分る様になった訳では全くありませんが、暖かく迎えられ初めての時より落ち着いて味わえば、その味の全てがひとつの個性、きっとポリシーが貫かれている様がグッと伝わって来て、なんだか元気と覚悟を貰った気分になりました。

 若林が民族料理と音楽を紹介する店をやっていた頃。下積みの修行も無く、無鉄砲に始め年月ばかり経っても「永遠の学祭模擬店」の素人芸ではありましたが、常にテーマになっていたのが「音楽でも料理でも何がメインで何がハーモニー?」という事でした。
 エスニック料理ブームが起こり始めた80年代後半頃の主流は「分り易いエスニック」とにかくスパイシーだったら「本物っぽい」でしたが、若林はそれが作れなかった。
  現地の安食堂ではそれに近い味が有っても、自分が懐かしく思う再現したい民族音楽の師匠の奥さんの手料理の味ではなかったから。
  でもそれは手間が掛かるばかりで原価も高く、その割には理解もされなければちょっとつまらない。元々料理人になる程根性が座ってなかったので、一度休むと今ではすっかり過去の事になってしまっています。
 それでも、師匠の家の家庭料理の暖かさの秘密とプロの民族料理店の味の違いについては気になっていました。

仲の良い兄弟の様な色々な味
 今回少しだけ雰囲気に慣れて頂いた「たか野」さんの味はもの凄かった。
  甘さ、塩味、酸っぱさ、コク、爽やかさ、ダシの味、香りのどれもが出しゃばることなく、それぞれの存在感で並んでいる感じでした。
 若林は三月に「たか野」さんのこの春中学に進学した息子さんもその中に居た平尾小学校で民族音楽演奏会をさせて貰いましたが、それぞれの個性を持った子供達が元気にすこやかに、そして個性的にありのままに居る。その時のそんな子供達の姿がひとつひとつの鉢の料理に現れている様な。そんな感動を覚えました。

 長芋を寒天で固めた冷たいお造りは、ギリギリに繊維が残ってその野趣が伝わる。とびきり良い顔をしていたんだろうなと思わせるコリコリのコチとイカのお刺身。お魚であることが皮との隙間にギリギリに分る柔らかい味のハモのお吸い物。身のしっかりした所だけを集めて詰め直した様な錯覚を覚える鴨茄子には自家製の甘さ辛さ懐かしさが頭を揃える白とも茶色とも言えない香ばしいお味噌が載り。レーザーで切ったの?と驚くほど艶やかなお新香とご飯を頂けば、菜食主義だった自分が誇らしく思えるほど嬉しくなり。何故繊維が残るのか? 全部手で漉したから?と思う、インド最高級のラクナウ・マンゴーを食べ慣れた若林も仰天の自家製のマンゴーのシャーベットまで。

素材達が生き生きと鉢の中で遊んでいる様な楽しくなってしまう素敵な料理でした。

メインと引き立て役
 何かのスパイスだけ際立てたり、辛けりゃ本物の様に思われがちの日本のエスニック料理に反発しながらも、若林の料理は「際立つものが無い」けれど「何も無い」に等しいものだったかも。どれもが引っ込み思案な弱々しいものだったんでは?と、「鉢の中で素材が楽しく遊んでいる様な」料理を頂きながらふと思いました。

 これは音楽にも言える事で、流行の音楽にあるハッタリに反発しながらも、主奏者、伴奏者なんて観念から抜け出ては居なかった今迄の音楽観では巷の音楽とさほど変わりはなく、現地の民族音楽にある、それぞれの楽器の音が賑やかな小学校の休み時間の校庭の様なはつらつとした感じは中々出せていなかった事を痛感しました。

 密かに自分は主奏者を「実力以上に上手く思わせる名伴奏者」と思って来ましたが、それは主奏者、引き立て役という日本独特のアンサンブルの中で成り立つ観念。
 「たか野」の大将が音楽監督だったら凄い事になっていた事でしょう。 否、料理と音楽だけじゃ勿体無い。日本代表サッカー・チームの監督でも良い。たまに顔出して助言するだけでも凄いことになりそう。

現地の民族音楽にはそんな気配が無い。
 現地の民族音楽は、全てのパートが我が儘に主張しながらも自然なハーモニーが出来上がっている。これは録音して更に驚く再認識が出来ますが、現地の生演奏は、何処にマイクを置いてもそれぞれのブレンドで素晴らしい音楽が録音出来る。ところが日本人の演奏では、伴奏者の近くにマイクを置けばバランスが崩れて音楽に成らない。本来「隠し味」だったものが目立ってしまうから。

 その意味では「たか野」さんの料理には、果たして「隠し味」ってあるのでしょうか?
 ハモのお吸い物の蓋を開けると、フワっと広がる柚子の香りに、三つ葉(じゃなくて似た香りの違う青物が少し入っていました。ごめんなさい分らなくて)の様な香りとハモの香り、若林には到底分らないダシ汁の香りが凄いスピードで「タンタンタンタン」と四つ続けて飛び出して、フッっと解け合ってしまう。
  何かだけが残ることがないけれど、全部が並んで出て来る感じで、混じって現れる訳でもない。これだけはっきりと現れていれば何がメインで何が隠し味という次元ではない様な気がしました。これは初めて本場のキューバ音楽を聞いた時の仰天し認識した時の感動と同じでした。

それぞれが持っている「隠し味」
 始めに鳴る拍子木の音の朴訥さに驚き、その魅力の秘訣は?と思っている間も無く、カウベルの鋭いながらも爽やかな金属音が響き、意表をついた重低音の太鼓が意外にも乾いた感じで響き、掌なのかバチなのか?と疑いたく成る様な切れ味の高音太鼓に繋がって行く。どれもがメインで「隠し味」などと言うものが無い。

  言い換えればそれぞれのパートが微妙な「隠し味」を持って居て、それぞれが「我先に」「隙さえあれば目立ってやるゾ」と主張する時の「懐刀」になっている。でも全部が出揃った頃には見事に解け合ってしまい、それぞれを聞き分ける気にならなく成っていて、グイグイとその世界に引っ張り込まれる。これこそが若林が惚れ込んだキューバ音楽の魅力。
 これが日本で一番とか言われているバンドでも全く悲しいものになってしまう。拍子木は如何にも引き立て役の「居酒屋のお通し」みたいで、カウベルは耳にウルサく、低音太鼓は重たく湿り、高音太鼓は勘違いの自己顕示。それぞれが全く逆の勘違いにも関わらず、楽しんでますの顔をされると、5分で帰りたくなってしまう。
 
 それぞれのアンサンブルの素材が持っている「隠し味」こそは若林が民族音楽に求めて来たものかもしれません。と言いますか、それもその素材の個性の一部ですから、そもそも「隠し」てさえ居ない。当然他の主役を引き立てる為なんかじゃない。「隠したくても出てしまう」個性。良く言って「味」「コク」「渋さ」。

 日本人の音も最近では随分変わって来たとも言われますが、日本人の西洋クラッシック音楽の冷たい「研ぎすまされた音」を求める勘違い。それぞれの音が「淡白」で味けもコクも無く、単に「すました」だけの冷たいアンサンブル。何も伝わって来なければ、心が冷えて行くような不安にさえかられる。
 それと比べてしまうと世界各地の民族音楽は、暖かくて楽しくて。それぞれが倍音も雑音も含んでいるので安心してその世界に入って行ける。

生まれ出た音に善し悪しは無い
 日本人の西洋クラッシック音楽だけの事と思いたいですが「研ぎすまされた音」を追求するあまり、理想に反する音は「間違って出てしまった音」として捨てられて行く考え方が、むしろ音楽全体を冷たいもの、味気ないものにしているように思います。
 これは西洋クラッシック音楽とは別な次元の話しかもしれませんが、若林の民族音楽教室で、なまじ音楽を学んだ事がある方に限って(ってことはやっぱりクラッシック系?)「間違えて出した音」を慌てて消す人が少なくない。 若林はそれがなんだか無性に嫌なので「その音も貴方が産み落とした子供の様なものですから、無下に消さないで」と言います。
  即興が信条の民族音楽の場合、仮に「失敗っぽく」出てしまった音でも、その後の音との関連で意味が変わって来て「絶妙な音」に出来るかもしれない。

 「音を子供に例えられたら重くて楽しめない」的な反発をした人も居ました。ある意味で、プロ、アマ問わず太古の時代には薬として用いられていた「音」を出す事に対してそれくらいの意識は持って欲しいという本音はありますが、この場合「駄目な子程可愛い」という感じで捕らえて貰っても良いのですが、そもそも民族音楽の原点に於いて音に対して「良い」とか「駄目」が有ったとは思いたくない。それが個性だから。

 「こうでなくては成らない」という「物差し」が有れば、「良いとか駄目」とかが決まるかもしれませんが「物差し」は時代やT.P.O.で変わるからあまり信用したくない。
 少なくとも「昔ながら」の音楽である民族音楽に現在の価値観の物差しは合わないと思いたい。
 若林の場合子供はひとり娘だけだったので幸いに「良いとか駄目」とか比較しようがなく、元来現代の価値観の物差しも無ければ、現代人の感性からずれていましたから「本人が良いと思った生き方でどうぞ」という放任主義でした。

  が、まっとうな社会人の方でお子さんが二人以上居ると「こっちは良く出来た子だけど、こっちはなんでなんだろう」と思ってしまう方が少なくない様な話を聞きます。

子育ての様な料理。音楽もそんな感じで出来たら。
 「たか野」さんの料理の「鉢の中で楽しく遊ぶ子供達」には「良いとか駄目」の物差しで計られていない素材の延び延びとした持ち味が失われていないのが素敵に思いました。
  だし汁は子を支える親の経済力? 甘みや塩味の教育、酸っぱさ苦さもほどほどに必要な教え。柚子や三つ葉(?)の加えられた香りは洒落っ気であり、茶目っ気? それらが素材に対して、絶妙なバランスで施される。
 かと言って良く言われる「素材の持ち味を活かし」ではない。全てが「たか野」さんの味に教育されながら延び延びとしている。

 もちろん大変なプロ意識と経歴の持ち主ですから、魚河岸、青果市場での素材の吟味、同じ素材の中でも切り捨てるもの相当厳しくされているに違いありませんが、それは素材と言う子供達に、時には叱りつける事と同じ。延び延びとした子育ての様な料理に矛盾しない。逆に「たか野」さんの腕があれば、どんな素材でも見事な「素材の遊び場」を作り出せる様な気もします。
  その意味では、最近の素材に頼ったり産地のブランドに踊らされる風潮とは逆行しているのかも。なんて生意気言ってごめんなさい。でも本物って得てして「流行に逆行」してますよね。と、言いますか、本当の本物はどの時代であっても認められる。「たか野」さんの味は、菅原道真も北原白秋も誉めたに違いない。

注:「鉢の中で素材が遊ぶ」という表現はその味と香りの豊かさを言いたい若林独特の良い意味であって「きゃっきゃっ」とはしゃいでいる訳じゃありません。実際の「たか野」さんのお鉢を覗くと、ドキっとする程「凛とした」「毅然とした」存在感で素材がこちらを睨みつけているとさえ思える様な緊張感すら感じます。にも関わらず、それらを口に入れると全ての素材が実に体に優しく染み渡るというか「同化して行く」様なありがたい嬉しさに満たされます。

 実際の「たか野」ご夫婦には若林の演奏を聞いてくれた息子さんの他にもう二人居るんでしたっけ? あの小学校の朗らかな子供達だったらお子さんも延び延びと育てられたのだろうと思います。ご家族が皆仲良しで。楽しく笑って。
 もっとも若林の第二の父親の様なインド弦楽器の師匠は、音楽では「天才」の域さえ越えた様な凄い人でしたが子育てはからきしだった様で、若林も失ってみて初めて「もっと厳しく教えて欲しかった」なんて我が儘を感じました。

  「厳し過ぎる」と「放任主義」の両極端は「逆はまた真なり」みたいな実は同じもの? 親は「反面教師」も含めて自分の育てられ方からどうしても逃れられないところがありますから、難しいところです。若林の師匠は「父親に下駄で叩かれた」という頭の傷を見せてくれました。若林自身も父親に良く殴られました。その反面教師が「放任主義」に至らせてしまったのだと思います。
  でも「昔ながら」のインドや日本では、近所の人やお弟子さん、贔屓衆と言ったファンの方々が跡取りや子供達を育ててくれる。師匠の息子も若干遅過ぎた感が否めませんが、二十歳を過ぎてから回りの厳しい圧力で音楽に本気になったと言います。

 今の若い親御さんは、子育てを「餌遣り」程度にしか理解していない方が増えている一方で、自身の責任を重く感じ過ぎる方も多い様な。でもご近所やファンの方がお子さんと接する環境に無ければご苦労察して余りある感じです。
 その意味では料理人も演奏家もご贔屓、応援者、ファンに励まされて素材、音という子供達を延び延び育てて行くのが理想なのかもしれません。

  頑固な職人のこだわりを感じさせながらも、暖かさに溢れた料理の「たか野」さんには、味の分るご贔屓さんと、素敵なお友達が沢山いらっしゃるに違いないと思いました。
 
時間を感じさせる技
 「何も足さず、何も引かず」なんて言葉が最近カッコ良い「匠の技」の感じで使われていますが、若林が「良いな」と思う民族音楽アンサンブルの場合、道草しながら拾い物してどんどん足して行く感じ。それと比べると「何も足さず、何も引かず」って素材の良さに責任転嫁した感じで「何も起こらず、何も始らない」に思えて来る。時間が経っても何も面白い変化が無い。そんな料理だったら食べずに拝見して終わりで良い様な気さえしてくる。時間が勿体無い。

 その意味では「たか野」さんの料理には時間の経つ事の楽しさがあります。
 翌日のお豆腐料理のお店でも同様の技がありましたから、和風、懐石風の常識かもしれませんが、段々に味が濃いものの順に登場する全体の流れを考えての料理の出し方。
 これは若林が一番長く演っているインド音楽とそっくり。
  インド料理は最初っから原色のゲキ辛なのに不思議ですが、実はインド料理が辛くてスパイシーなのはアラブ商人に始まり欧州植民地政策がもたらした商業主義の犠牲によるもので、大昔、お釈迦様のころはミルク粥等の体に優しい菜食に徹した元祖薬膳〜懐石料理だった筈ですからインド音楽にそれを見い出すのは勘違いじゃない筈。
  インド音楽は耳に優しい音から次第に濃厚に成って山場を迎え、終盤には再び優しく元の世界まで送り届けるのが神髄だと思っています。最近では現地の演奏家でもその感じの人が少ないので、そんな風に演奏しようとしているのは若林だけかもしれませんが。
 「たか野」さんの料理は、お吸い物の蓋を開けてから一口頂くまでの間にさえ時間の経つ面白さがある位です。厨房から聞こえて来る揚げ物の音に寄せる期待感。
  お店の中も少し暖かく成る。でも揚げ物と気づかない内に熱々の茄子を食べ終えて、お店が涼しく成った頃に冷たいお新香の素材ごとがそれぞれの漬けた時間の差を感じさせてくれる。
 CDなどの録音物は別次元なものとして「形に残らない芸術」と言われている音楽をやっている自分と比べて「絵画」や「陶芸」「書道」そして「料理」は形に現れ真贋も評価も定まって羨ましいな、と思ったこともありますが、食べてしまえば無くなってしまうから料理も似たもの、というまんまの意味ではなく「時間差」を上手く捕らえて心を虜にして行くという点で「たか野」さんの料理は「音楽」にそっくりな感じがしました。
 ひとつの料理が口元、口の中、喉越し、後味でもどんどん変わって行く。
そして「幸せな後味」の絶妙な余韻の間があってから次の鉢が現れ。姿を「目で味わい」わくわくして「香りを味わう」ことから又次の楽章が始る様な。すごく音楽的な流れ。

 もしかしたらその時間の面白さは、笑顔の奥様のリズム感の良さに負う所も多いのかもしれません。世界中の民族音楽を学んで、延べ数百人に教えて来た若林は、その人のリズム感を表情や物腰、話し方で分る点についてはちょっと自信があります。その意味では、お店が大きくなって名コンビのお二人だけじゃなくなったら難しくなってしまうのかな。ファンとしてはお店の繁栄を願いながらも複雑な気持ちです。

 美味しいものを頂いた幸せと、ゆとりの気分の時間を味わっただけでなく、音楽についても沢山の事を気づかせ、また自信を着けさせて頂いた嬉しい時間はあっと言う間でした。

 帰り際にわざわざお顔を見せてくれた大将は、笑顔と職人の気骨有るきりりとした表情(ちょっと意外な取り合わせ?)でこれまたその料理と全く同じそのまんまの魅力。
 大将と奥様の暖かい笑顔の御陰で、若林もひとつひとつの「音の素材」が生き生きと遊ぶような、それでいて全体が素敵に流れて時間を味わえる様な音楽が出来るような錯覚を覚えました。
 次におじゃまする時には、晴れの舞台でそんな音楽が出来た時の打ち上げのお食事だったら光栄です。

 若林が書き上げた「日本の三味線音楽とそのルーツ」の本はいまだに出版社が決まりませんが、そのインタヴューの項でお話を伺った本條秀太郎先生の素敵な話。
 田舎から出て長唄の大先生の内弟子になった時、大先生は機会ある毎に「本物を見極める力を着けなさい」と有名絵画展や豪華懐石料理に連れて行ってくれたそうです。普通なら「子供にゃ勿体無い」と言う程まだ子供の本條先生に。

 その意味で、今迄そんな機会に恵まれず(否、避けて来た?) 若林を「たか野」さんなどの素敵な「本物を感じる」ところに連れて行って下さるコーディネーターさんはこれからの若林に取って新たな「大先生」なのかも。 なんて言うと「ただ自分が食べたかっただけ」とおっしゃる様な方ですが。それでも深い感謝をお伝えしたいです。
ありがとうございました。

6月14日(火) プロの技って
 

プロとアマの違いって? 
 最近、何人かの方と「プロの技」と「真心」についてお話をする機会があります。
 先日の日記にも書きましたが、これも若林にとっては永遠のテーマで「プロとアマチュアはハッタリが有るか無いかの違い」的に思っているところも有りながら、自分にはそれが向いていないので、何か違った「プロのあり方」を長年模索して来たからです。
  演奏家としての自分は、長年培って来たことを真面目に表現するだけですが、教える身としては人に伝わる「定義」みたいなものも必要なのかな?。少なくとも「音楽の演り方」「楽譜に書ける情報」だけじゃプロは育たないだろう。と思ったからです。
 ところが先日ある方が見せてくれたヴィジュアル作品と、その作者の名言で何かヒントが得られた様な気がしました。

 その作品は素人の若林が見ても見事なもの。 素材の限界を熟知しながら、その欠点を見事にカバーし、あらゆるテクニックを駆使して見る者の目線、目が追う時間の流れを巧みに計算してグイグイと持って行く。その意味では昨日の日記の日本料理「たか野」さんの時間を捕らえた味覚の世界と同様の「プロの技」が有り、「形に残る」ヴィジュアル作品も受け手の目線や心の動きが時間によって移り変わって行くなら「形に残らない」音楽と同じなんだな、と再認識。
  「たか野」さんとその作品を通じて理解するならば「プロは受け手の時間を読む」それがアマチュアとの大きな違い。という事になりそうな感じでした。
 
 でもそれが「プロ」というなら若林にはちょっと苦手な世界。
「絶妙な構成でしたね」とか「時間ピッタリでしたね」などと誉められることもあるので 、知らず知らずに出来ている部分もあるのかもしれませんが、基本的に「与え手」と「受け手」という区別が希薄な上に、音が出ているリアル・タイムの先を計算するなんてことはしたく無い。
 心底本気で体当たりしなくては音さえ出ない民族音楽にそんな余裕が生まれてしまって、何処かで醒めてなくては出来ない「計算」をしているなんて。きっと音まで「冷める」に違いない。そんな音を出して迄自分は「プロ」で居たいと思えるのか? それじゃあ若林が寒々としたものを感じる演奏家と同じになっちゃうんじゃないか? 

 「たか野」さんの料理の場合、暖まったり冷めたりで味はどんどん変わる。しかも匠の料理は口の中でも味がどんどん変わる。時間との勝負に勝つ技を持ちながら、その上に時間を演出する思いやりが暖かな心として伝わる。

 けれどヴィジュアル作品の場合。悲しいかなやはり素材は固定されていて変化しない。若林が感動したその作品も、たまたまテクニックがテーマの話の中で、登場人物とご縁も面識も無い若林の見るテンポと作品の時間的演出が一致したからかもしれなく、これが所縁のある方がゆっくり見てどうか? 違う気分で見直したらどうか? もしかしたらテクニックと裏腹な微妙な冷たさに気づく場合もあるかもしれない。被写体の個性に負いながらの上辺のテクニックに気づき寂しくなる場合もあるかもしれない。
 すると料理の場合は「プロの技」を越えた「思いやり」「暖かさ」になっても、作品や音楽の場合「時間の演出」はやはりテクニック。ともすれば「ハッタリ」の域を出ず「思いやり」や「暖かさ」には繋がらないのでは。「思いやり」や「暖かさ」はテクニックでは表せない筈。

何処かで聞いた『名言』
 その作品の作者が言ったと言う名言。かなり若林風に変わってると思いますが、だいたいこんな感じ?「 盗めるものなら盗んでみな!」「でも今日の俺の技を盗めても、明日の俺の技には追いつかないゼ」。一生勉強、一生成長という意味では立派な名言。
  ここまで嫌味な感じじゃなかったと思いますが、聞いた瞬間「ドキッ」っとしました。なぜなら突っ張り真っ最中の二十代の頃の自分の台詞だったから。

 二十代の頃、まだ民族楽器の演奏に小手先のテクニックしか自信が無かった頃、否、自分の音楽にそれ以外に何かが得られるとしてもかなり高齢になってから醸し出される「枯れた味」くらいしか思いつかなかった頃の若林の台詞と同じでした。
 当時、民族楽器の経験も長いものでもまだ10年そこそこで、そのくせあれもこれもと手を広げるので、どれかひとつをがむしゃらに練習する生徒に「手の早さ」では追いつかれそうになった。でも「手が早いだけじゃ音楽じゃなかろう?」 と伝えたいけれど自分にも確信が無い。その結果自分への叱咤激励の意味も含めて吐いた捨て台詞的な言葉がそれでした。

 テクニック以外の色々なものが見えて来た三十代を経て、今では「たったの一音で勝負してみな」「たいがいの日本人にはたいがいの楽器で負けないヨ」なんて程の思い上がりに迄至ってますが、その自信は「出した(出す)音の意味を説明出来る」という確信が有るからです。
 その意味では、もし自分がヴィジュアル・アーティストだったら見せて頂いた作品の作者には明後日位には追いつけるかも、と思います。若林の二十代の頃の台詞を言ってる位ですから、きっとご自分が持ってるテクニック以外の凄さに気づいていないのでしょう。そこが責め所です。もし気づいているなら「10年は誰も追いつけない」位の事が言えた筈。その人もテクニック至上の感覚なんでしょう。

 デジタル技術が日々進歩する世界ですからテクニックに溺れ、奢るのはやむを得ないのかもしれませんが、もし若林が本当にその世界に置かれたならば、必死でテクニック以外の自分の才能を見いださないと追いつくところか、自滅するかもしれません。これが若林の様な「超アナログ人間」が「プロ」としてクオリティを高めて行く上での最も厳しい側面です。

アナログ派とデジタル派の別な側面
 ここで言う「アナログ派」と「デジタル派」とは、単に「機械に弱いが感性が豊」と「味は希薄だが機械に強くテクが有る」という事ではありません。怖い事にもっと重大な側面があるのです。
 端的に言うと「アナログ派」は「自分の感性に頼る分、細かな部分に対しての執着心が強く」と「デジタル派」は「テクニックに頼る分執着心が希薄なので全体を見渡す力に長ける」ということです。「木を見て森を見ず」と「木なんか見ないけど、森は作り出せる」という違いです。
  今の時代圧倒的に後者が有利。若林の様に木のうろにクワガタでも居ないか?なんて見方で道に迷ってる様じゃどうしょうもありません。(実際は木のうろの形の違いを覚えていたり体に感じる磁場で東西南北が何となく分るので迷うことはあまり無く、むしろ地図がある方が迷うんですが)
 でも後者優勢の時代が進んで前者が淘汰されてしまえば、自然の森も無くなり「ヴァーチャルな森」に「癒される?」時代になってしまいますから、ここらで「アナログ派」 もなんとか活路を見い出してその良さを主張しなくてはなりません。

  若林の様な「超アナログ派」はともすれば「一球入魂」の様な頑張りで演ってしまいますが、民族楽器のアナログ音でさえ「音素材」として気軽に扱う「デジタル派」は実に巧みに「美味しい所だけ」を上手くブレンドして全体を「シャープ」で「スマート」に仕上げてしまいます。すると「アナログ派」が幾ら「心がこもってる」と主張しても「音がこもってる」みたいな「野暮ったさ」にしか感じて貰えず、全く太刀打ち出来なくなってしまいます。
 PCミュージックの担い手さん「デスクトップ・ミュージック」などとも呼ばれる「超デジタル派」のアレンジャーさんなどは、若林が感心する程、民族楽器の音素材、民族音楽の部分を巧みに取り込んで素晴らしい作品を作ります。
 またデジタル・サウンドとのコラボレイションでも「一音の勝負」なら若林の十分の一程も楽器を鳴らせていない人が、若林迄もが小躍りしたくなるような小気味よい音楽を演奏したりします。逆に若林の過去の録音のお仕事を振り返って「もう一回やらせて!」と言いたい程、デジタル・サウンドに翻弄されて持ち味を出し切れなかったものも。
頑張れアナログ派 !
 しかしこれも「発想の転換」でいとも簡単に解決出来るのです。「アナログ派」はその持ち前の感性の素晴らしさで「全体」を見渡してデジタル素材さえも民族楽器の音の様に感性でまとめあげる力がある筈なのです。
  しかし、これに自分で気づくのは「アナログ派」だけに時間が掛かる。若林もプラスティック・ヘッドのアラブ太鼓で耳と心にキツくない音を出すのに五年掛かり、味を出すのに更に二年掛かりました。これは現地も含めてそんな音を出して示してくれる人が居なかったからです。もし同じタイプの人が「こんな感じでやると良いよ」って示してくれたら、感性の人間の方がキャッチは絶対早い筈なのに。

 困った事にやって見せられない場合。やって見せても出来ない場合「アナログ派」の我が儘な感性と執着心を解きほぐすのはなかなか大変で、アドバイスを「味方の言葉」として伝えるのは難しい。
 間違って「味方に敵の言葉を言われた」なんて思わせた日にや、二度と素直に聞いて貰えない。「言ってることが正解なら何時かその真意は理解される」って慰めてくれた方も居ますが、「気づけば直ぐに変われる」んですし「今変わって即戦力に成ってもらいたい」というのがジレンマです。数年後に理解されたんじゃ悲し過ぎる。

  若林を慕って演奏スタッフに成る様な人の多くはやっぱり「アナログ派」なんですが、なんだか若林の「ノリの真似」ばかり先に身に付いて「音が雑」「リズムが雑」な為下手すると聴衆に「単に下手」にしか聞こえない。当然「ハッタリ」も苦手。
  「きちんと弾こうよ」とか「クオリティを上げてさ」とか「ステージ・マナーやハッタリについては彼らに学ぼうよ」的な形で、若林の持ち味とは逆の人達を模範にしろ、とまるで逆の事を言わなくてはならないジレンマ。

  若林としては折角「味」も「暖かさ」も出せる可能性があるんだから、それが希薄だったり分ってなくて上辺の整いだけで評価されている演奏家を抜いて「音楽ってのはこういうもんだゼ」って皆で示したい。
  若林独りじゃ「変わり者」良くて「カリスマ」でも似た様なもの。「異端」で終わってしまうし、繋がりを広げるのにも限界がある。だからみんなに頑張って貰いたい。

 でもこれもアナログ派ならではの欠点かもしれませんね。自分の感性に頼りがちで、言ってみれば冷静さに欠ける。その言葉を聞く者もまたアナログ派なら、その冷静さに欠けた部分をまた感性で聞いてしまって冷静に真意を読めなくなる。なんだかなあ。って感じです。
 でも頑張ろうゼ「アナログ派」。自然や弱い生き物を守れるのは僕らなんだから。

6月15日(水) 壬生北小学校に再び!
 

 15日は、2003年の冬に呼んで頂いた栃木県壬生北小学校に再び呼んで頂いて、P.T.A.のお母さん方も交えて「民族音楽ふれあいコンサート」を行って来ました。
 元々2003年の時は、音楽の室江先生が2002年の11月その前後三年続いて呼んで頂いた宇都宮・栃木総合文化センターでの「生涯学習セミナー民族音楽レクチャー・コンサート」に参加され、終演後に声を掛けて下さったのがきっかけで、今回はその室江先生がなんと教頭先生に成られて「また若林さんを呼ぼう」と企画して下さったありがたいお話です。
 壬生北小学校は栃木県南部の長閑な田園地帯に広大に広がる学区を持つ学校ですが、何処でも同じお世辞を言ってると思われると困りますが、子供達は凄くあか抜けていて美男子、美少女が多くて、明るくて、なにより純真で素直。
  何処の小学校でも五、六年生だとちょっと大人ぶって「フン!」って感じになったり、一、二年生は一時間以上経つとだらけてふざけたりが当たり前の所、壬生北小学校の高学年は食い入る様に聞いてくれて、低学年はふざけても音楽から関心が逸れないのが凄い。
 また広大な学区ですから一年生が一時間近く掛けて歩いて来る子も少なくない。でも「可哀想だから」とこっそり途中迄車に乗せちゃうお母さんはまだ少数。「足腰が強くなってむしろ得した」と思う「昔ながらの発想」の方がまだ優勢というのが嬉しい。

 実は一昨年、思い出した様にお電話して「そう言えばオケラなんか幾らでも居るって言ってましたよね」と御ねだり。学校の横は雑木林で、裏は一面の畑。早速若林の民族音楽を聞いた子供達に話して下さって数日後、ある児童が「おじいちゃんと捕まえてくれたオケラ」が郵送されて来ました。お礼にお送りしたささやかな小物民族楽器数点も若林の最訪を迎えてくれました。
  が、その時のオケラは子供昆虫図鑑の情報(って言っても大人の昆虫図鑑にもオケラの飼育法なんか無いですが) が違ったみたいで飼育に失敗。その後に出会った昆虫飼育の師匠の情報が有る今ならどうにか。申し訳ない事をしました。
  歌にも成っている昔は土いじりすれば直ぐに出て来たオケラも全国的に農薬で激減し、実は飼育も簡単ではない。昔当たり前に居た生き物程、環境変化に弱く、失われて行くものなんです。悲しい。

 2003年の時に天才少女が居ました。小さな女の子なのに若林が叩いて見せたブラジルの二連カウベル「アゴゴ」を握って打合わす「裏拍」まで真似て見せて「子供って大人が想定している事より凄い学習能力が有るんだ!」と驚いた事がありました。でもその子は既に中学生。当時の一二年生が五六年生ですから、彼らは二度聞く幸運(?)が得られても、その上の四学年は一度っきり。

素直な反応と夢の共演
 各地で現場の先生やP.T.A.の方々が懸命にやりくりして、時には未だに残る偏見(音楽と言えば西洋クラッシック音楽)を説得して呼んでくれても、子供の成長には追いつかないのが心苦しい所です。でも壬生北小学校の生徒さんはこれで八つ違う年齢差の子供達が一回は民族音楽と楽器に出会えたのですから、もしかしたら全く無いお隣の小学校の子供達よりはラッキーなのかも。
 今回もなるべく多くの楽器を、と宅配便で送ったアフリカ太鼓と打楽器、ブラジル・サンバ打楽器と生活リサイクル楽器、「干瓢の里」に因んで干瓢楽器と瓢箪楽器、トルコ弦楽器とモンゴルの馬頭琴、インド太鼓タブラ。素直な子達ですからタブラの言葉で奏法を覚えるデモ演に笑いが止まらない。
 何処の小学校でも目玉のプログラムのインドネシアの竹楽器「アンクロン」で 「カエルの歌」「チューリップ」の合奏を指導。可愛かったのが間違えた子が照れ笑いをして楽器の陰に隠れたり。 「チューリップ」に出て来ない「ファ」を持たされた子がちょっと悲しい顔になっちゃったり。
 そして今回初めての試みが子供達との共演。二年生の国語に物語が登場するモンゴルの馬頭琴と高学年のリコーダー、マリンバ、 低学年の歌で、大平原に沈む「陽」をイメージしてモンゴル音階にも通じる唱歌「夕日」を。ジェンベを南米風にマレットで叩いて「コンドルは飛んで行く」を合奏。この日の為に急遽練習してくれて新たなプログラムと想い出が出来ました。
石田校長先生、室江教頭先生、福田学習指導主任、僕と同じ歳の前回も応援して下さった鈴木先生、カブトの樹を教えてくれた高山先生、その他の先生、父兄の皆さん、楽しい時間をありがとうございました。

カブト虫で新幹線に乗り遅れる!
 2003年の時は冬だったので「夏に成るとあの林でカブトムシやクワガタが」と伺いながらも恨めしく眺めて帰りましたが、今回は「もうクワガタが出ました」と事前に言われていたものだから、 講演終了後の校長室へご挨拶もそこそこに、長靴とジャージを借りて小雨降る林へ。
  「昨日クワガタ採った」という三年生の「りょう君」にお母さんの快諾を得て道案内をお願い。残念ながらその樹には居なかったんですが、唯一の喫煙教員で、学校の裏門に通じているその林を一服のシェルターにしている先生に「毎年この樹が」と教えて貰った樹に雨降りのため夜更かし(夜行性が寝ないで、と言う意味。正確には『昼更かし』?)していたカブトムシの雌を採集。
 ところがその御陰で、小山駅を通過しない一時間に一本の「新幹線」に乗り遅れるとは「感心せん!」

 実は前日福岡で昨年からカミキリ虫飼育の高等技術に挑んでいるにもかかわらず、一度手にしたゴマダラカミキリを放してしまった悔いが有って、ここであの林に入らずまた数年後か!と思うと居ても立ってもって感じだったんです。

 福岡市のど真ん中の大濠公園で、昆虫大嫌いというコーディネーターさんめがけて脇目もふらずに飛びついたゴマダラ。コーディネーターさんはゴマダラと目が合ったと言う位。嫌いな人が立てに飛ぶカミキリ独特の飛翔スタイル学んでどうすんの?って感じでした。嫌いな人の前で持ち歩くのもはばかれて逃がしてしまったんですが、やはり九州は昆虫王国。町中にカミキリが居るなんて凄い。

 って新幹線の話をゴマダラでごまかしてしまいましたが 、あれっ?そう言えば「ゴマダラ」って「胡麻ダラ」だっけ「五斑」だっけ? それとも「胡麻斑」? 後で調べときます。えっ!「知る必要ない」?

 ところが なんと!あろう事か新幹線の方が一時間遅れで、乗り遅れた筈の新幹線に余裕で乗って。もしカブト虫諦めて急いで帰って、駅で一時間待ちだったらやだった、というか朝七時の飛行機で羽田から直行したテンションがブチっと切れてへたったろうな!と。むしろカブトの御陰で「早く帰ってゼリーを上げよう」と充実の気分。
  やっと発車!って時になってマジに切れた何処かのおっさんが新幹線に蹴り入れたらしくてまたしばらく立ち往生。駅員さんも乗客も緊張。なんだかこちらはルンルンの得した気分ですみませんって感じ。

 翌日になって室江先生からお電話で「停電事故の原因は小山の手前でパンタグラフに蛇が落っこちて」って凄い所なんだ栃木南部って。と驚愕。
 一歳のお孫さんが居るとは見えない元気ハツラツな室江教頭先生は、学生時代カレッジ・フォークを演っていてコータローを学祭に呼んだとか、道々何か有れば、あれはドイツの町と姉妹都市になった記念の建物だけどあちらが吸収合併で無くなって、とかあの近代建築の学校は、などなど機関銃の様にお話して下さって。って言っても栃木南部の語り口調は前日の福岡の機関銃よりはかなりのんびりしてますが。その御陰で新幹線の待ち時間も長い車も苦になりませんでした。

 申し訳なかったのが新幹線待ちの為「昔ながらの喫茶店」にご案内下さったのに『定休日』これはどうも若林のせい。
  福岡でも何時も行けばやってる感じのお店が一体何件? 若林をご案内して下さる度に『定休日』『臨時休業』なんか意味あるんでしょうか? 「晴れ男」ならぬ「休み男」?
 「晴れ男」の方はまたも健在で、先日の横浜に次いで今日も演奏前後だけ雨が止んでくれました。

6月19日(日) 類は友を呼ぶ?
 

最近多い?似た様な心配性の方が
 血液型と性格については、最近TVで非常にユニークな特集や実験が目立つ一方で「差別に繋がる!」って問題視する人も現れています。恐らくそのご批判は、日本人に多いA型が、さも「気遣い、気優しい」と表現され、他が「ずぼら」「身勝手」「二重人格」などと表現されているからかもしれません。
  ところが若林を取り巻く環境はその通説と全く無関係。民族音楽教室30年の歴史の中でなんと圧倒的に多いのがB型、次いでO型で、A型は世間と逆で少数。その代わり希少なAB型がざくざく居たりしました。

  これと民族音楽の関係はさておき、最近若林の回りに、って言うか昨年末から今年春に掛けてお友達になった方のほとんどが若林と同じ血液型で、しかもその中でも幾つかあるパターンもそっくりという方ばかりなんです。「類は友を呼ぶ」状態なんでしょうか?
 横浜の子供向け民族音楽の会 を企画されてくれたCさん。凄く気を遣って下さる一方で、開催時が近づくに連れてその心配振りが目に浮かぶ程。そして終わってみれば、あれこれが不愉快じゃなかったですか?のご心配。
  若林と同じタイプなのに客観的に見ると「心配し過ぎ」「もっと普通にストレートに『楽しかった』とか『呼んで良かった!』とか言って!」と言いたくなる程。なんだか『楽しんでくれてなかったの?』とさえ感じてしまう程の気の遣い過ぎ。

 そのくせ驚いたのが、掲示板上のニックネームについてのご相談では「それは嫌」と意外なこだわり様。これも同じタイプ。「おいおい、本当は我が儘なんじゃないの?」という気もしました。そして面白いのが若林が「もしかして〜型?」と聞くと「えっ!当てた人って珍しい!」と凄く驚かれた。

 若林と共通の友人を持ち演奏会の企画をしてくれるSさんのメールは面白い。
こちらのリアクションを待たずに「〜ってこんなことを言うと〜ですが」って先に答えが用意されている。もの凄い頭の回転。「ああじゃないか、こうじゃないか」って凄く考えてる。これも端から見ると「考え過ぎ」なんだかストレス貯められてるんじゃないかと心配になって来る。何よりも人に合わせようとするばかりに必死で考えて様々なパターンを想定して準備してしまう様が「大変じゃない?」って気がして来ます。
 かく言う若林もついこの前迄は全くそのタイプ。

ちょっと情けない性格?
 その人の為に良かれと思って、むちゃむちゃ気を遣って言っておきながら「言い方が不味かったんじゃないか?」などと気になってしょうがなくて、また言い直したり、さらに気を遣ったり。気遣いが高じて様々な人に合わせる癖がついて、その内自分の本音のスタイルが分らなくなって、でも「変身願望」も何処かに有って違う血液型に間違われるのが意外に嬉しかったり。
  かと思うと基本的にはポジティブな癖にごく希に落ち込むとかなりに質が悪く、ずんずんとへこんでしまったり。逆境に強いくせにかすり傷に弱いみたいな。何かにつまづくとこの性格にほとほと嫌気がさしてくる。そのくせ何処かでそんな自分を愛しく思っている。慰めてる?

否、たんなる癖。意外に好きでやってる?
 ところがこれも最近のお友達なんですが、血液型を「目」として、タイプを「亜目」その先の細分を「科」「 亜科」「種」「亜種」としてゆくと『亜種』まで「一緒!」という程若林に良く似ている人が、驚く程違う行動を取ったりする。 その反面でもの凄く大人で、もの凄く考えていて、もの凄く堂々と生きていて、さばけていて、悟っている。
  そんな様に影響されたのか、(人に影響され易いのもこのタイプの特徴)なんだか自分の性格が客観的に見えて来てかなり気が楽になりました。
  って言うか性格じゃなくて「単なる癖」だと言う事に気づいたのです。更に言うとこれがけっこう「指向」だったり、自分の密かな寄りどころだったり、自己満足だったり。
 例えば「心配性」が高じて結果を悪く想定する「癖」。
  悪く考えておくと悪かった時にへこまずに済むし、良かった時は一層嬉しいかも。なんて考えて「心配性」を肯定している自分。確かにその御陰で「機転が効く」「切り替え上手」「パニックや逆境に強い(あくまでも外的なものに対して)」などの長所もここから生じているんですが「素直じゃない」「素直に喜べない」様は、あまり可愛くないかもしれません。

 様々な人の感覚に合わせるのも、人と自分のギャップが心配だったり寂しくなったりという不安がもたらす「癖」かもしれません。良く言って「サービス精神が旺盛」ってことでもあり、気遣いの癖の御陰で「観察力」「集中力」もそこそこに鍛えられているので、仕事の内容によっては「良く気がつく」「統率力が有る」などと誉められたりもします。
 また「変身願望」の様な「多重人格」の様な多面性は、このタイプに多い「バランス」 を凄く求める「癖」であり、逆に考えをどれかひとつに決めてしまうと「もの凄く不安」になり、決めたひとつに対して極端に「否。これじゃない」って気分が増して来る「癖」。自分が客観的である様な錯覚で安心しながらも「決められる(って自分で決めつけてるんですが)」という圧迫感に弱いんですから、凄く我が儘。勝手に「考え過ぎ」てしまうくせに、それにくたびれちゃったりもする。

 これもやっぱり可愛くないし、素直じゃないので自他ともに「本音は何なの?」って不信感に繋がってしまう時も。
 でも本当は「常」に、否もしかしたら「永遠」に「答えを求めている」様な、何時迄も「安心出来ない」可哀想なタイプ。
  って自分で言うのもなんですが。でも「そうだよね」「分るよ」って言われると凄く安心する。また、そんな考え過ぎが人の役に立ったりするととても嬉しい。分って貰えたり、感謝されると「ケロっ」って何悩んでいたか忘れたかの様に元気になって、長所丸出しのポジティブ人間に成れる。

 ある意味で、凄く扱い易い人間だと思うんですが。煽ててくれれば何でもやる様な。

そう思うと気楽、というか他に大事なものが有るだろう!って。
 でも最近思うのは、今迄かなりに苦しんで来たそんな「損な性格」「誤解され易い性格」って、このタイプの人は意外に「好きでやってる」様な。
  そう思うともの凄く「気楽」になる。この性格(癖)で人とソリが合わなくなると悩むし、自分でも面倒だし「ビョーキか?」とも思ったりしますが、「趣味なんだ」と思うと上手く自分をコントロール出来る様な気がするし、相手に合わせて適当に加減出来る様な気がしてきます。

 っと言うか、 これが「趣味」や「癖」なら、他に本来の自分、「我が儘だけど素直な自分」がある筈だし、何よりもそんな本音の自分が本気で「やりたい事」「目標」「夢」が有る筈。
 それがしっかり見えたら、そんな自分の「ややっこしさ」に悩んで居る暇が無い。
大切な事が他にしっかり有って、それがしっかり見えた場合には、このややっこしい
「癖」は突然要らなくなるんです。

 二重三重に考える必要も無ければ、それに対して自己嫌悪になる必要も、逆に自己満足や慰める必要もないし、ましてや人に気を遣う必要も、心配も要らない。どの道「我が儘で甘えん坊」が源泉なんですから、まんま「我が儘で甘えん坊」で良いんじゃないか? と。 

類は新たな友を呼ぶ!
 逆に自分の気分、利益優先で動いて来た人だったらこんな複雑な思考の「癖」など身につけなかった筈ですから、その「想い」は素直に伝えれば誤解される筈もなく、良い意味で「類は新たな友を呼び」きっと頼もしい仲間達に発展し、夢も理想も近くに見えて来ると思います。
 その意味では、最近似た感じ思考の人が集まって来るのは、何か新しい動きや繋がりがしっかりと広がって行く前兆、否始まりかもしれません。そして、遅ればせながら若林がそんな「癖」の有様を気楽に受け止められる様に成った事は、僅かでもそんな仲間を励まして行ける段階になった、という事かもしれません。 「だったら良いな」のレベルですが。

 若林の場合「夢、目標」が見えた御陰で「癖」に気づいたんですが、 「夢や目標なんか分らない」という人でも心配ない。「素直じゃなかったこと」が見えなくしていた夢や目標も見えて来るに違いない。
 気遣いや、様々な側面、思考の「癖」は「要らないんだよ」と思う事で一気に楽になりますが、その途端に、それらが無くなるのではなく「長所」としてあり方を変えてくれます。やっぱり何処かで「気づいちゃう」のは仕方が無い「癖」ですから、それを「長所」いっその事「才能」とでも思って有効活用すれば良い。

  それが支離滅裂の矛盾に満ちた「多重人格」なら尚の事「在庫が豊富」ってことにしてしまいましょう。
  その分、 人の様々な悩みに助けを差し出せるかもしれませんし、その分機転が効いて冷静に行動出来るかもしれません。

 もしその「癖」が「短所」として目立ってしまいそうなら、自分でも扱い切れなくなって混乱しかけてしまうなら、心配しないで洗いざらいその色々な想いを並べて見せたら良い。
  それで「貴方が分らくなる」という様な人には見せなきゃ良いし、気を遣う必要も無い。「矛盾?」結構じゃないですか! 一人の人間が複数の思考を持ち得るなんて「引き出しが多い」と言えばカッコ良いんじゃないでしょうか? 

  でも、このタイプは「図に乗る」からな。何処かで歯止めも無いとな。
 せめて美意識、生き方、善悪の判断基準、他人の不愉快に関する事は「矛盾」しないように気をつけなくちゃいけないよね。うん。

6月23日(木) Life&Musci 第二回会合 ギリシア演歌レベティカ
 

嬉しい二度目、残念メンバー
 23日は、毎月第四木曜日に吉祥寺東口のモロッコ風カフェ・バーBloomoonにて行っております「音楽と人生」を語り合うLife&Music の二回目の会合。
  先月に引き続いて来てくださった、岩波書店の中本さん、東京音大研究所講座の生徒さんヤマヨシ家のマユちゃん、大田、品川区方面の教育関係のイベント・コーディネーターのみどりさん。メールで「超残念」とか「良いな」を八個位下さったのが、先月来てくれた保坂さん、ギリシア舞踊のスーさん、みどりさんのお仲間、ヤマヨシ君&Jr,岩波書店の十時さん、イベント・コーディネーターのアルマズさん。「ありゃ?今日は前回より少ない?」とちょっと心配。でも皆さんにじっくりと聞いて貰いましょう。と思えば......。
 ダラブカとブズーキの生徒さんヤギ君、マユちゃんの同僚、中本さんのトルコ通の同僚、そしてお仕事の打ち合わせをしなくてはならなかったんですが、お互いスケジュールが合わないのでこの日に誘っちゃったバルカン音楽とロマ音楽の大家(って言う言い方もなんですが)著書が幾つもある関口義人さんと雑誌編集者の方。
  そこそこの人数で、なかなか良い感じ。御陰さまでありがとうございました。

バルカンとロマ音楽研究者、関口義人氏現る。
 若林がご用意したこの日のテーマは「子供にどうやって民族音楽を聞かせたら良いか?」すなわち「音色を聞かせる」を中心とするか、「触らせるを中心」とするか?

 子供の場合、どちらかの印象が強くなる可能性が高いので「そのバランスは難しい」とか、民族音楽の真の魅力って「音色の珍しさ」がかえって誤解を招く?とかについてご意見を頂きたかったのです。

 ところが、子供民族音楽演奏会の主役の一人、みどりさんが仕事場から駆けつけてくれる前に登場した関口さんが気さくな上とっても面白い方で、 中本さん達もロマ音楽やバルカンに興味がお有りだったので、自己紹介をして頂くうちに皆自然に関口さんの話に惹き込まれてしまい、若林も交えて「これからの民族音楽招聘の課題」(これも重要なテーマ)に移行した部分も有りました。

 関口さんとは、以前にも人を介してお会いする手前迄行ったことがありますが、互いで互いの著書を「大変参考にさせて貰って」と言いながら今日が初対面。
 今回、恐縮にも関口さんからのお声掛かりで、来年交際交流基金が全九回に渡って行う「アラブ音楽の理解」というシリーズ講座の一駒の講師に若林を任命して下さって、そのご挨拶にわざわざ来てくれて、やっとのご対面となったのです。

 関口さんは、ライブ後に下さったメールで今日のブズーキとダラブカの演奏を絶賛して下さって「もっと早く会うべきだった」「これから色々コラボレイトして行きたい」と嬉しいお言葉を下さいました。

 「Life&Music」の主旨は、皆さんに共通の話題を通じて若林と民族音楽センターの今後の活動に様々な課題を頂戴するというもので、半分は若林への期待、アドヴァイスとなるのも覚悟の上、言わば仕方が無いものです。

 その一方で、皆さんの生活観の中から生まれた考えを伺わなくては吉祥寺という都会に住みながら「仙人」の様であったり「昔トンボ」の様である若林は現在日本人の感覚をモニターする機会が無い、という部分も有って「ファン・クラブの集い」とは一線を画すものでもあるのです。
 ところが 関口さんが若林をやたらに誉めて下さるので、その言葉に、現在若林の新著を岩波書店さんから出さん!と月刊誌と平行して不眠不休のご無理をして下さっている中本さん、ご同僚のミチコさんが賛同して下さって「やっぱり勿体無い」とか「どこであんな深い情報を」とか「その理解力は何故に」とか誉め倒し状態になってしまいました。
煽てられて調子に乗って名演奏?
 この日の演奏メニューは先月のトルコ弦楽器サズとも関連が有るギリシア弦楽器のブズーキによる古いレベティカ歌謡と、ディモティコ民謡。本来後者はブズーキを用いませんが、一曲トルコ出身のユダヤ人歌手が歌った七拍子の民謡をご披露。「哀歌アマネス」風に。
 この日の我ながら「名演奏!」「名レクチャー」は「一見下手に聞こえるレベティカの渋い奏法の神髄に迫る!」
 まず「日本人好みの上手なタクスィーム即興」そしてその後に「レベテス(アウトロー)風弾き方のコツその1」楽器の棹を床の方に落として、表面版を上に向けて、左手の薬指と中指の間にに煙草を挟むと、むちゃむちゃ弾きニクくなり、右手も力が入り「グキッ」という弾き方になります。それが本式。今ではギリシア人演奏家もそんな弾き方はしない。

 この違いを比較実演すると皆さん納得の表情。
 実は「レベテス風その2」の「究極の弾き方」もあるんですが、これは説明だけ。
まずアブサン並みの強いウゾ酒でしこたま酔っぱらった上に右手でおネエさんを抱きしめてグッと引き寄せながら弦楽器ブズーキの弦を右手で弾き(二人羽織風になります)、左手は例の煙草を持ちながら。その上で客席の別のおネエさんに歌って口説くのがより本式。楽器や音楽に集中なんかしていない。でもそんなライブ盤を聴くとぶっ飛ぶ位凄い音楽。
 さすがにこれはシャイな若林にはデモ演奏は愚か実践など出来ませんが、レベティカの名曲を演る時、気分は何時もそんな感じ。
  と言っても今迄客席の誰かに歌いかけたのは、日本で最初にギリシア料理店を開いたという横浜在住の腕の入れ墨が本物のマドロスさん、
手慰みの数珠が本物のレベテスさんと確信させる初老のギリシア人男性只一人。

 これから話は白人ブルースの神様エリック・クラプトンと黒人シカゴ・ブルース・マンのバディー・ガイのギターバトルに脱線して更に盛り上がりました。
  クラプトンが「キーンキュルキュルー。トゥルリララー」 と流麗に弾けばバディーのおっちゃんは「グガッ!ギュルンギギン、グゲゲギン」とか弾いて返す。

 中学生の若林は愚かにも「流石神様クラプトン!上手い!凄い!」「それに比べてなんだあの黒人は、ド下手!酔っぱらってんじゃねえヨ」 って思っていた話。
 さらに若林が十七歳の頃、ブルースメンをホテルに追っかけして「僕らブルースに惚れてるです」ってうるうるしながら言えば「馬鹿言ってんじゃねえよ」「俺ら嫌々やってんだ」「金持ちの日本人が演るこたあねえだろうが」って言われ何ひとつ音楽的なアドヴァイスくれなかった話。などなどで盛り上がりました。
 

業界の『デッド・ストック』が?
 民族文化紹介の最前線で活躍される関口さんは、 アルメニア演奏家(保坂さん!J.ガスパリアンを呼んだんですって!)の招聘などにも携わり、ご自身で世界百数カ所のロマ(ジプシー)集落を回って研究された凄い方です。

  そんな方が嬉しい事に「時代はかなり変わって来ている」「まだまだ若林さんレベルの本物志向には至らずとも、カルチャー・スタディー的な要望はかなり高まっているのでこれから出番はもっともっと増える筈」「若林さんのように全体をあそこ迄見渡せる人は居ないのだから」とまるで「時代は君を欲している」程迄持ち上げて下さいました。
 編集の中本さんは、当初の話題「子供達への民族音楽」の導入で若林が話しました「CDでカットされる上下の周波数が児童の根気に悪影響を及ぼす」という話しと同様に「西洋楽器や電子楽器では出ない倍音、雑音が民族楽器には有って」 というテーマやお預けしている原稿の内容とも関係させて、「昨年の〜音楽祭に感動出来なかったのは何故?」とか「音に『揺らぎ』を持てる持てないが重要なのでは?」と言う話を通じて、関口さんとともに若林忠宏メジャーへの道!(?)を応援して下さりました。

 中本さんは、更に「日頃目の前の締め切りが迫る編集物との戦い」「著者さんとも具体的なお話に終始する」その結果「忘れていた話や、人脈などが、この様な会で文化論談義をしていると次々に思い出されてたいへん嬉しい」とこの「Life&Music」を立ち上げた事の意味さえも嬉しく感じさせて下さいました。

 あまりの持ち上げに、かなり照れました若林が「以前にも何度か同じ様な事(これから忙しくなりますよ!って)を言って頂いたことがあるんですが。そのままで.........」「数年前〜レコードさんからのメジャー・デヴューのお話の時なんか、つい「業界のデッド・ストックですから」と言ったらむちゃむちゃウケて」などと言いましたら。そこそこウケてくれた関口さんが「じゃあ本当に『Dead』される前に頑張らなきゃ!」とおっしゃって下さいました。そこでまた一言余計に「もしそうなっちゃったら冠に『グレイトフル』を着けて下さいネ」と言ったら中本さん達にバカウケ。「うわ〜!何!『グレイトフル・デッド・ストック』!」注:かつて90kg有りました若林が似ていると言われたJ.ガルシア氏率いるアメリカのサイケデリック・ロックの先鋒『The Greatfull Dead』を知る方に通じる駄洒落です。
 思えば数年前持ち上げられた時に照れから「デッド・ストック」などと言ってしまったのかいけなかったのかもしれず。いよいよ今回は本当に、そしてラスト・チャンスかもしれないのにまた言ってしまった。しかも「グレイト」まで着けて。
 ですから『照れる』のはこの日でおしまい。むしろ「鼻高々と..........」なんてそれは無理か? 性格的に言って。でも頑張りましょう。

6月28日(火) 愛知万博に出演
 

愛知万博二つの会場をはしごして
  6月28日は、愛知万博に初出場。初めはメインの長久手会場の中京TVさんの取材で、大急ぎのはしごでもうひとつの瀬戸会場の「市民対話会場」でアフガン音楽の演奏。

 名古屋でのこの一、二年の演奏のほとんどが、アフガニスタンの復興支援、特に子供達の生活、健康、教育問題に取り組んでいる「アリアナ平和基金」という市民団体に呼ばれてのアフガン音楽の演奏でした。昨年10月10日は高島屋さんに呼ばれてギリシア音楽でしたが、その時もアリアナのスタッフ全員が集まって下さり、ステージを盛り上げるだけでなく、その後の昆虫採集にも付き合って下さる等、もの凄く仲良くお付き合いさせて頂いております。
 今回の万博での演奏の招聘は、市民団体でパビリオン「市民対話劇場」の運営実行委員会。アリアナ基金は主催者代表の「若林を紹介しろ」に応えただけでした。
 実行委員会は、大学教授から牧師さん、主婦から学生スタッフまで皆さんボランティアの学生など、アマチュアの皆さんの集まりでした。その為「実際行われるの?」「交通費などは頂いて良いの?」「誰が責任者?」などなど中々大変な経緯を経てやっと実現し、当日も演奏後もハラハラするハプニングが色々有りました。

  でも「本番に強い」と言うより「逆境に強い」若林ですから、演奏とトークはここ数年でもトップ・クラスの出来映え!という程もの凄く良い感じで記すことが出来ました。
 演奏メンバーは、若林の歌とアフガン弦楽器ルバーブに、アリアナの会では何時も伴奏を務めてくれる在名古屋アフガン中学生のワリード君、そして今回東京からお弟子さんの山ちゃんを鍵盤楽器ハルモニヤム演奏者として同行。

 「市民対話劇場」のその日は、地元の小学生と、万博見物のお父さんお母さん方。どうしてそれが分ったかと言うと。大会場でのコミュニケイションの為に若林が良くやるまず何も言わずに一曲やってからの突然の挙手要請。
「小学生手を挙げて!」というとかなりの人数。「中学生は?」なんと皆無。 「じゃあ小学生のお子さんの親御さんは?」意外に居ない! 「ええ!じゃあ関係ない大人の方は?」というとそれが三分の一。「これじゃあ大人と子供のどっちに合わせたら良いの!」って言いながら。200人程のお客さんをひとまとめにして,アフガニスタンの国紹介から,音楽の面白さを。

 ノリノリで語ったものですから、なんと40分の半分はお話。
 でもそんな小学生との質疑応答は「対話劇場に相応しかった」と関係者から誉められました。地元の小学生がなかなか賢くて「これは何拍子?」とクイズ形式でアフガン7拍子を叩けば何人かが見事に正解! 見た目絶対ガキ大将って子が手を挙げて「七拍子!」と言ってくれたのには感動しました。

血は水より濃い!
 そんな賢い小学生にもちょっとピンと来なかったかもしれない言葉が「血は水よりも濃い」。一見「そりゃ当たり前だろう」というキョトンとした顔でした。

 なんの話しか?と言うと名古屋在住のアフガン中学生のワリード君。
期末試験の前日でお父さんが「駄目!」って言ったのを、主催者でも関係者でもないのにアリアナの代表のお上品な奥様の横山さんが主催者、そしてワリード君の学校の校長先生に迄掛け合って、遂に「子供達との対話の集いに母国の音楽を演奏するなんて、なんと感心な!」の最大評価で「出席扱いの出演許可」を勝ち取ったという凄い話。
 その御陰で今回も若林の太鼓伴奏を務めてくれたワリード君は、またも腕を上げていました。 今回は自分から「ビビ・シリネイ(曲名)にはドール(民謡の両面太鼓)を使いたい」など、頼もしい事を言ってくれて。若林のデヴューした年齢になって一段とたくましく、そして可愛い存在です。
 そんな彼は、なんとアフガニスタンに行った事が無い。

 彼が生まれたのはアフガニスタンが30年近い内戦に苦しんでいた時代。彼のお母さんも命からがら脱出して日本でお父さんと再会した。だから彼は生まれてこのかた「名古屋千種区の水」しか飲んでない。にも関わらず、若林のお弟子であるお父さんから少し習って、その後はビデオを食い入る様に観て独学でアフガン太鼓を習得したのです。その雰囲気、フィーリングたるや紛れも無くアフガン音楽そのもの。

 この話をして、やっと会場の小学生も「血は水よりも濃い」の意味が分ってくれて、満場の惜しみない拍手でワリード君を讃えてくれました。

か弱いお嬢さんが元気になった訳
 ワリード君の出演のみならず、一時危ぶまれた若林の出演さえ実現に漕ぎ着かせてくれたアリアナ平和基金代表横山さんは、見るからにお嬢様がそのままお母さんになられたという素敵な方。
 今回のプログラムは、主催が市民団体で責任者が複数のちょっと難しい状況で、なかなか事態が進展してくれないので横山さんが体を張って動き回ってどうにか実現したものでした。

  若林もささやかながら中京TVに提案して万博紹介番組に出演し「対話劇場」のコンサートの宣伝を。その為に東京を早朝に経ちました。
 にもかかわらず、主催者の一番偉い方(?)は「余計な寄り道をして.......。遅刻は厳禁!」とかおっしゃったのはまだしも、横山さん達を楽屋から「部外者」と言ってしめ出したのには若林もブッチン寸前。そこで切れたら横山さん達の苦労が.........と考えられる様になった若林は少し「大人になった?」それとも「感情が鈍った?」

 横山さんの頑張りは、若林が幾度となく「横山さん!お願いだから無理しないで」って言う場面があった程でしたが,二つある万博会場の一方に入場する為のパスをもう一方に取りに行くなんて出来ない!ワリード君が中京TVの取材に間に合わない!となるや高いチケットを数人分買って長蛇の列に並んで入場。東京から来てくれて本番の演奏は中々良かったんですが、のんびりとした性格の為か、けっこうポカが多い山ちゃんの忘れ物を走って取りに行こうとする。「貴方達は音合わせがあるから、私が走る」と。
  でも炎天下の遠距離を走ったら、いくら気合いとテンションで頑張っている横山さんでも倒れちゃうに違いない、と説得して山ちゃんが走って横山さんはゴンドラ駅で待機。
 翌日の福岡のワークショップの為に、余裕を持って中部国際空港に行く予定を立てたつもりが、万博会場も空港も名古屋なんかじゃ全然ないので、演奏が終わって直ぐ出てギリギリ。主催者の若いボランティア・スタッフ(彼女の方が代表より遥かに出来る人だった)がメールして下さったタイム・テーブルを見て、大慌て。なのに代表の「苦労話」が終わらない..............。大学教授が若林達の荷物を持って走ってくれたり、代表はとんでもなかったですが、回りの人達が桁違いに素敵な方々だったのに救われました。

血よりも濃いご縁
 そんな横山さん、華奢なお姿にも関わらず「アフガンの事に関わり出してから元気になった」と常に精力的に動かれていましたが、昔は体が弱かったそうです。
 世間に疎い若林は「近所の女子大出身」と空耳で聞いていたんですが、一年位して改めて理解すれば名古屋の超有名お嬢様女子大「金城学園大学」 のことでした。

  体が弱い超お嬢様が人の為に動くと丈夫になる、という話は不思議と若林の身内、近しい方に凄く多い。母親、叔母................。
 アリアナの会には7月中旬にも名古屋に呼ばれているんですが、若林の都合で早々に移動。7月の打ち合わせも出来ませんでしたが横山さんは「お食事も差し上げられなくて悪かった」と。若林には着替えのTシャツまでご用意下さって。
 横山さんとの出会いは昨年の日記にも書きましたが,突然掛かって来た電話の向こうで機関銃の様にご自分の話が止まらない。そのために今回の主催者代表と同じ人種と思ってしまった若林はスケジュールが重なっていた事もあったので丁重にお断りしました。
 でも数日なんだか気になって、都合をつけてこちらから再度お電話してお付き合いが始ったのでした。それは若林の人生にとって大きな転機でした。 以後、第一印象で決めつけずに、素晴らしい出会いとなったことは何れ程多いか。
 その意味では、横山さんもその後の「初めは身勝手、一方的な感じ」の出演依頼をされた方々もみなプロフェッショナルの企画屋さんではない。と言うかむしろ超アマチュアだと思います。

  でも今の日本「これがプロ!」と豪語する方達が勝手にバブルを盛り上げ、勝手にはじけさせ、その代わりにアンパンマンの様に体力気力を削って頑張るアマチュアの人達が必死に文化活動をしている。そんな現場と関わらせて頂ける自分は幸せだと思います。若林がメジャーのお仕事で忙しくなっても、そのご縁は絶やしたくないですし、切れないと信じます。

隠れファンに助けられて
 若林が「中部国際空港に間に合わない! 」と慌てているにも関わらず、代表の方の「苦労話」が終わらず、廊下では閉め出されたスタッフ、身内がオロオロしている所に「どうも!」みたいな感じで呑気に楽屋に入って来た方が、瀬戸会場の建設が始った頃から地域住民の方々との交渉にあたり、市民会議のパビリオンの運営も任されている中沢さん。

 なんと若林の「隠れファン」とおっしゃって「こんなところでお会い出来るとは!」と嬉しいお声を掛けて下さりました。が、回りが大慌てな事に気づくや「じゃあ僕が名古屋駅迄車を飛ばします」と有り難い助け舟。

 道中、音楽談義から環境問題、音楽・イベント業界の今後、などなど有意義なお話でも意気投合。若林が次に名古屋に来る時には是非レッスンを受けたいと迄言って下さいました。特に感動的だったお話は、大手広告代理店のバリバリ営業マンだった彼が、愛知万博のお仕事で瀬戸会場に詰めている内に、市民、自然と接する機会が増えて、不思議と民族音楽への興味が以前より高まって、今では各国パビリオンに行っては民芸楽器を買い漁ってるという楽しく嬉しいお話。

 前述の横山アンパンマンさんに見送られた直後だったこともあって、「利益追求」「時間と労力を極力節約」「トラブルを避け」「感情的な事象は上手く流す」というプロの「鉄則」に疑問を持たれた事と民族音楽がリンクするというお話は、励まされもしつつ「う〜ん深いかも」と悩んでしまいました。

 この7月の大分公演もそうですし、福岡でのワークショップの宣伝もそうですが、若林を10年、20年前から密かに応援して下さっていた方と地方でお会いし、密かから一気に強力な助っ人になって下さる不思議なタイミング。そんな時代の到来?。
 中沢さん、皆さんありがとうございました。
 横山さん、加藤さん、小島さん。7月21日も宜しくお願いします。ありがとうございました。


  6月28日〜7月4日 ちょっと頭が混乱気味
 

放浪芸人の心境?
 今回の名古屋〜福岡ツアー(ってほどの長さじゃありませんが)では慌ただしさの中にもなんだかホッとする暖かい心との出会いがあったり、逆になんだかなあ、なんでだろうな、というちょっと悲しい事も。
  今迄ならテンションで乗り切って「地元」の吉祥寺に戻って自分のスタンスで物を考えて、それでも答えが出なければ「まあそのうちどうにかなるだろう」的に気分転換していたものです。
 ところが最近、名古屋、京都、福岡に民族音楽センターの拠点が出来そうな(福岡はばっちり決まりで動いています)感じの中「何処が地元?」っていう気分になっているのでしょうか。精神的に逃げ帰る場所が無い分、それぞれの場所での人々との信頼関係、心の繋がりが有り難くもあり、時に悲しくも有り。

 「オタク歴40年以上?」がメジャーになる為に大きく脱皮するまたと無いチャンスに置かれ、逃げ場なんか要らない!、自分をしっかり持てば良い!、今正に大きく飛翔する「人生のラストチャンス」なのだろうと思っています。
  ある意味「放浪芸人」の心境? 己の芸と、自分自身の生き方を信じて場に流されずに、場にとけ込んで。
 でも自分のことはそれで解決しても人との事や、人にどのように信頼して貰えるか、ということになると、「気楽な放浪芸人」では信頼は得られません。勿論「地に足がついた活動」は出来ず。何時迄経っても「よそ者」で終わってしまいます。

何が本当で何が嘘?
 今回の名古屋の演奏会は、数ヶ月前から色々な話しが二転三転して大変でした。
  随分前から絆を感じていたと思っていた方の思わぬ反応や、間に入った人達の様々な心、それが刻一刻と変化する様。良い事やってる筈の人の悲しい姿などなどを沢山見ながら,正直「なんで音楽に専念させてくれないの?」と我が儘を言いたい様な「すったもんだ」の連続。
 自分の利益を全く考えないで、決して丈夫じゃないお体で奔走する方が居る一方で、本当はこの人何を考えてるんだろう?と思って関係者に尋ねれば、回りの誰もが「分らない」と言う。「え〜それで本番があるんですか?」
  情報が入る度に変わってしまい、誰が善人で誰が悪人なんてレベルで判断出来ない程複雑になって毎日変わる情勢に「何が本当で何が嘘?」って叫びたい心境になりながら当日を迎えました。

志が現場に届かない
 6月の吉祥寺の若林のライブ「Life&Music」の場でも会話された事ですが、折角素晴らしい主旨で始めたプロジェクトでも、お金が動く段になって「悪人では無いが臆病で無責任な中間管理職」が「お金を預かる立場」に居ると、どうもちょっと怪しい 「やり手」に丸投げしてしまう結果、当初の崇高な志しが現場に迄行き渡らない。
その結果、イベントの聴衆や観客は全然違った心のものと出会うはめになる。

 その意味では、今回のイベントは、現場の人や本来部外者だった救世主の様な方が大元の志をしっかりと受け止めていてくれていたので、結果、本番は素晴らしいものになりました。
  しかし直前に身内から「協力出来ない」と言われた時の救世主の方の落胆振りは大変なものがありました。

  幸い人生で二度目程の「良い勘」が働いているこのところの若林が何気に言った言葉を励みにして下さって、心新たにぶつかって下さったら嬉しい快諾が得られた様です。その身内の人も、やはり主催者代表にかなりに激怒していて、初めはご自身のプライドが協力を許さなかったのでしょう。でも、根はとっても優しい方だと解っていたので「何で?」って気持ちを辞めて「きっと分ってくれる」って接すればと助言しました。「折れろ!」と言うとプライドはより一層堅くなりますが「しなれ!」と思うと意外に柔らかくしなってくれるものです。

 これは楽器の習得、手首のしなりも、同じ。手首が柔らかくならないと楽器は弾けませんが、手首に力が無くても弾けません。「しなる」は力を持ったまま柔らかいことの表現。

 ところが今更こんな事を言うと、その人に振り回された沢山の方々に怒られそうですが、若林的に言うと実はその悪役代表者さん「好きじゃないですが、嫌いじゃない」んです。端的に言うと、あそこまで「あから様」な場合「やり手」の悪人じゃない。と言う事です。

善人と悪人ってそんなに簡単に区別出来ない
 勿論、凄く面倒くさいですから、お付き合いは二度とごめんですが、ちょっと変な感覚かもしれませんが、「あから様」な人は意外に付き合うのは簡単。「可愛いもんだ」という感覚です。
  身勝手、我が儘の固まりの様な人は、ある意味で「純粋」。表に出て来ているものの裏に違うものが有る訳じゃない。若林の場合、そういう人に「ムッ」としたり「キレ」たりしない。むしろ面白くてついつい「ニコニコ」しちゃう。その結果、人に嫌われ易いそんな人に意外と好かれるんです。変ですよね。

 むしろ怖いのは「あから様」の逆の巧妙な「やり手」。
  でもそれもいずれは化けの皮が剥がれます。相手によって、場所によって言う事が変わるから。でもそんな「化けの皮がはがれちゃう」程度の「やり手」はまだ「可愛い」部類かもしれません。

 もっと面倒なのが「八方美人」。全く価値観、ノリ、し好が異なる「八方」の全てに上手く対応出来る様な人。
 「八方美人」の人を天性の才能の様な気がして憧れた時期も有れば、「有る時はインド音楽演奏家」また有る時は「アラブ音楽演奏家」の若林なんぞ「まさしくそれじゃん!」って感じもありますが、本人でさえ自分が分らなくなっている程巧みに変貌出来ちゃう「八方美人」は結構怖いかも。

 そんな人がプロジェクトの中間に位置しちゃったり、スタッフの重鎮に居ると中々大変。その人自身たいして悪い事出来なくても回りが腐り出す。それは結構ヤバイし修復が難しい。
 でも幸いにしてそんな人は中身が希薄。実力が無い。キャパが極端に小さいので試しにコンプレックスらしき部分を責めてみるともの凄く守りに入る事で直ぐにバレてしまいます。そこでキレないなら、希に見るスケールのでかい逸材かもしれない。なかなか居ませんが。
 最近では面倒くさいので、全くと言って良いほど「無視」。やっていませんが、若林はかつてこの「八方美人イジメ」にハマっていた事があります。
  自分に似て非なるものへの奇妙なライバル心なのか、実は深い愛情かは自分でも分りませんが。「そんな風に無理して合わして、いずれ醜態晒すより、自分らしい自分の世界にお帰りよ。じゃないと本当に困った時に助けてくれる人誰も居なくなるよ」という親切心と言いますか、見えちゃう分放って置けない。が一番近い感覚でしょうか。当然のごとくもの凄い嫌われ役になってしまいますが。

 勿論、世の中には更に上手の「怖い人」も居るでしょうが、幸い民族音楽の世界ではまだ見当たりません。これがもっとビジネスに成る様だったり、若林がメジャーになってしまってお金が動くようになると突如として現れるかもしれませんが、幸い長くマイナーやってきた御陰でその辺りの人を見る目は養われて来ているので大丈夫?

身内とのもめ事の辛さ
 逆に、名古屋の救世主さんがお辛そうだった「信じていた身内の不理解」は確かに厳しいものが有ります。
 名古屋のイベントの救世主さんがくじけそうになった時、お助けすることが出来た若林ですが、なんと同じ様なことが自分にも振りかかって来ました。
  名古屋、京都、福岡で暖かい出会いが重ねられ、輪が広がって行く実感が得られる一方で、吉祥寺に戻ってみると大変な事態に。

 ツアーの準備の忙しさにかまけたことと、古い方の携帯の調子がいよいよヤバイことが重なって、この一年色々なイベントを一緒にやらせて頂いている吉祥寺のプロジェクト・チームの中で「若林行方不明説」「重病説」が飛び交い、若林が出入りしている所を探し廻ってくれた方も。
 やっと連絡した頃には完全に信頼をうしなっていて「飛行機に乗る直前に電話だった」と弁明してもその後お電話を忘れちゃったんですから「無視」と言われてもしかたがない。なまじ長いお付き合いに甘えていたところが反省し、謝罪すべきところです。

 結果的には信頼も関係も修復出来たんですが、そのプロセスには一気に色々な事を学び、大いに反省し、気づかせて貰いました。
  最も勉強になったのが、一時に両方の立場を味わった事。

 こちらがあちらの言ってることが分らないばかりでなく、あちらがこちらの言ってることがわからない。
  こう言うと、良くある「議論の平行線」その原因は「価値観の相違」「感じ方の違い」「論理の違い」ということの様に聞こえますが、そうではなくてお互いが相手に対して「貴方の言ってる言葉と言葉自体が矛盾している」「言っていることが変わっている」「どっちが真意なの」「どれが事実なの」という思いを感じている状態。それぞれで自分の矛盾に気づいて居ない。

 自分は常に自分の足で一本道を歩いているつもりでも、端から見ている人からは、植え込みの下から足だけ見えたり、垣根の上から頭だけ見えたり。でも「一緒に歩いたら分らなくならないじゃん」ということの様なんです。
 「人の真意を見なさい」「何言ったかに言ったなんかに捕われてないで」「ったく子供なんだから」ってビシっと言われてしまいましたが。確かにこれは一理あると納得。
 人間関係は近くなって、互いに信頼度が増すとしばしばこんな時期を経なくてはならなくなるのでしょうか? 互いに「信頼したい」という思いが高じて。

 でもこの様なケースには得てしてちょっと悲しい構造が感じられます。
 若林の場合、人間が気分でモチベイションが変わったり、それに応じて言う事の暖かみが変わったりは大いにあると思ってるんですが「白が黒」にはならない筈。
 音楽に当てはめれば、壮大な曲であればある程、曲想は一曲の中で大きく変化するものです。 言わば変化は大きさに比例する。
「想いの核がしっかりしている人」は「枝葉」が色々に変化しても。すなわち「優しい時もあれば」「厳しい時」「冷たく感じる時」があっても。何処かで人に「中身」を安心させる「パワー」がある筈。
 ところが「自分の思いが強い」人。「情が深い」と言いますか。そういう人の場合、自分の「想い」や「感性」にすがる様な自信があるのか、すがって「自信」を得たいのか、「感じた」事に対してもの凄い「執着」があって、一度感じたものは中々思い直してくれない。 「感情に素直」な結果、「自分の真意」に対する確信の割には「人の真意」が見えなくなったり、「白と言っていた事を黒と言ってる」ことに気づかない。

子供と大人って
 吉祥寺でのことは、若林が反省すべきところ大でしたが、最近こんな幼稚な自分が人の相談相手になることが不思議と増えて。そこで良く語られるのが「あの人は子供なのよ」って言葉。
  初めは相談者の側に立って考えを述べていても、この言葉が出るとなんだか人ごとじゃなくなって、反対側を味方したくなる時も。

 人を「子供っぽい」となじる、もしくはそう思う事で「我慢しようとする」人が言う「子供」と「大人」ってどういう事?
 若林がかつて思いついた定義では 、子供は視野が狭いが、大人は視野が広い。子供は相手に望んで駄々を捏ねるが、大人は諦めが早く切り替えが上手い。
 子供っぽい人は「執着心が強く」「こだわりが強く」その反面「感情」「感性」というより「気分」にも「執着」が強いため「熱し易く冷め易い」。「意地っ張り」で「我慢したがる」割には「根気が無い」「ある日突然我慢が限界に来る」。
 それに対して大人っぽい人は「流すのが上手い」「感情で受け止めずさらりとかわせる」。もともとそんなに「気合い」が入ってないので「のんびり長く続く」。
  でもそれは「感情の蛇口」を閉めてしまったのか、元々そんなに感情が豊かじゃないから出来る技で「子供っぽい人」に好かれすがられる割には、意外に「冷血漢」。「安定感」は有っても「安心感」は得られない筈。

嘘っぽい大人。大人っぽい子供
 「そんだけ分ってて(考えてて)なんであんたはそんなに子供なの?」とも言われますが、これはなかなか説明が難しい。
  「子供のままで居たい」と誤解されてしまう場合が多いんですが、そうではないんです。でも何処かで「本当の大人は子供っぽい」という変な思いはあるのかもしれません。
 子供でも妙に「覚めていて」「大人ぽい」と言われる子が居ますが、誰もそれを「大人」とは言いませんよね。「大人しい」という言葉があったり「子供のくせに大人だね」って誉め言葉もありますが、若林的にはなんだか「寂しい」感じがします。子供は無垢で純粋で、多少お馬鹿でアホであって欲しい。
 それと似た構造で、実は内面的に子供のままなのに「大人しく」「大人」になった人が多い様な。そんな寂しい「大人」には時々「嘘」さえ感じる。そんな「大人」に限って妙な所に凄くアンバランスな頑固さや意地っ張りがあったりする。なんだか「素直」じゃない感じ。 どっかで無理して「大人」になったんでしょうか、「大人に成れた(と思う事)」が自信なのでしょうか、そんな人に限って人の事を「子供だね」って言いたがる。
 難しいのはこれを音楽に置き換えた場合です。
  子供だったら良い意味の「らしさ」である「素直」で「率直」は、音楽の場合「独りよがり」な感じになってしまっていただけない。その意味では単に「幼稚な音楽」でしかない。耳障りなだけでノー・サンキューと言いたい。
  かと言ってその逆の「暖かみ」も無ければ「心」も伝わって来ない「大人」の音楽は同じ位ノーと言いたい。

何時でも子供に成れる大人
 自分は「大人っぽい暖かみと包容力の豊かな」音楽も「子供っぽい無邪気な」音楽も何時でも自由に切り替えて奏でられるようで居たいので、人としても何時でも「子供に戻れる大人」で居たいと思います。
  英語の「Look After」的に無邪気な子供を見守る様な、視野の広い、包容力の有る「大人」の部分と、「子供と一緒になって遊べる」部分を失わずに居たい。それが自分の中で「二重人格の様に」持ち続けていられたら。が理想です。
 言い換えれば自分の基本スタンスは、物事の仕組み、理屈を良く理解し、普遍的な価値観、広い視野をしっかり持ちつつも、本質的には素直でお馬鹿で単純な「子供っぽい」部分を失わず、むしろ日頃はそっちで人と接して居たい。
  何故なら自分は人に「嘘の大人の冷たさ」で接して欲しくないから。「良い歳こいて子供」と言われようが、せめて自分は子供の部分で人と接して居たい。(勿論お仕事では最低限のラインは守りますが)

 無理して嘘ついて大人になった人。傷ついてへこまされて大人になった人、その他の理由で子供っぽさを捨てなきゃ前に進めないと思っちゃった人は、なかなか「子供」に戻れないかもしれません。
 逆に 「子供」のままで「大人の年齢」になっただけの人はちょっと悲惨で、「大人」でもなければ「子供」ほど可愛い訳でもない。
  「子供のまま歳取った」と「何時でも子供に戻れる」「何時も子供の自分を持っている」は違いますよね。そんな「大人」で居たいんです。
  子供のままで居たい「モラトリアム」「ピーターパン症候群」とか言われる人の場合「子供っぽい」「幼稚」って言われると、そのキイワードでスウィッチが入ったみたいに凄くムッとしますが、若林はむしろ嬉しい。

  でもその思いが分らないで言われると悲しい。自分のことよりも、その人が無理して大人になって来たことが悲しくなるから。
  分ってくれない人はそんな「悲しい」のリアクションを「幼稚な証拠」と思う様ですが、「ムッとする」と「悲しい」は違うんです。
 でもこれって殆ど理解されませんよね。

 ん〜。やっぱり難しい。考え過ぎなのかな? でもそう言われるのも悔しいし。
 名古屋でも、福岡でも、大分でも,京都でも。凄く純粋な方に暖かい応援を頂いて、奇しくもそんな方がみなさん凄く子供っぽさを失わずにいる姿を見ると、ちょっと励まされますが。

P.S.
  そういえば先日の多摩川のマンション自治体での「親子で楽しむ民族音楽七夕祭り」で子供達が皆ゲームか何かで居なくなってしまった後、大人達が竹楽器で「かえるの歌」を合奏したり、みんな凄く「子供返り」していてとっても素敵だった。

 ブルース・ウィルスの「キッド」を観た頃、突如猫との生活が始まり、昆虫や淡水魚飼育やプラモデル作りにハマった若林の「子供返り」の全国行脚はしばらく続く? 
  似た様な【子供っぽい仲間」を増やしながら。その方がメジャーになったりして?