2005年3月  
 

3月1日 福岡の小学校で演奏
3月4日 素敵な映画とたまにはN.H.K.
3月7日 これって吉兆?それとも。
3月9 日 ジェンベ親子と 浅草へ
3月11日 チャメは元気です。仕事も順調
3月15日 杉並の小学生も元気!
3月16日 両極端の話し

3月18日 呼び方、呼ばれ方
3月20日 福岡からびっくりNews
3月22日 やまよし君のお便り。
3月22日 ナタラジSarod-Liveと
      ニッポン放送亀渕社長
3月27日 岩手県子供キャンプ
3月29日 N.H.K.と民音と
3月30日 やられました!
3月31日 どんでん返しのハッピー・エンド

    最新書き込み

  2005年3月
   昨年12月のとんでもなく暖かい日に間違ってつぼみが育ってしまった、我が吉祥寺の借家猫屋敷の門の梅は、可哀想にもこの2月の雪で遭えなく散ってしまいました。

  地震、雷、竜巻、津波、台風の連破、酷暑、空梅雨とこの一年の異常気象。
京都議定書が施行されても焼け石に水。映画【the day after tomorrow】ほどはっきりしていなくても今始まっていることは明らかな筈なのに、今もって世の中は自分の身の回りの心地良さばっかり。
  「そりゃあんたもいっしょだろ?」とおっしゃる方。二日三日ホームステイしてみて下さい。なかなか非常識な暮らしです。
  これがこの30年の中じゃ最もまともってんだから呆れますが。そんなにがむしゃらに頑張ってもちょっとも世間に発言する地位も名誉も得られません。

 最近の自分にちょっと不気味な事を発見しました。恐らく昨年の末くらいからなんですが、意外に好きな「お笑い番組」でもない普通のバラエティやトーク番組に、思わず笑っている自分に気づく時が凄く増えているんです。
  これって気持ちに余裕が出て来たってこと?それとも壊れ始めている? これが意外にどっちもだったり。
  いよいよ守るものが無くなってきたのかな。猫や昆虫達が居なかったらどうなっていたのでしょう。
 2005年は、ちょっとセンセーショナルな二つ三つの大きな本と、有名な出版社からの本が出る気配と、吉祥寺という地元の先輩「はるばる屋」さんとの30周年記念イベントがめじろ押しですが、今迄泥臭くやってきた分、地に足つけるようなことなど考えず、勢い良く疾風のごとく走り抜けたい気もします。
   

3月1日(火) 福岡の小学校で演奏
 

デジャヴの在庫?
 3月1日は福岡市に行って来ました。
  丁度一年前の3月7 日には佐賀、半年前の8月22日には小倉と、なんだか確実に半年ペースで九州北部におじゃましています。
  今年は全く別な催しの博多や久留米のお話しも出ているので福島、名古屋についで第三の活動現場になるのかな?
  博多のお話は、今回福岡市平尾の小学校の現場に付くや否や受けた電話の門司出身のイベント企画会社さんからのものでしたし。佐賀に呼んでくれた小学校の先生は、丁度数日前の週末に東京にいらしたので夕飯をご一緒したのですが、その先生、お友達、小倉城記念館のスタッフ、演奏後の昆虫採集を案内してくれたネットで知り合った昆虫仲間、皆さん若林の人生の中でもとびきり深く心を通わさせて頂いた暖かな人達です。

 それは今回の福岡市でも同じでした。

 人生の半分を過ぎた辺りから、記憶力って凄く我が儘(都合の良い事ばかり記憶して、後はポイ)になって来るのですが、福岡空港に着いて、P.T.A.関係のお手伝いのたいへん上品なお母様に迎えられて空港の駐車場へ。
  「あれっ?前に来たことが有る様な、無い様な?デジャヴかな」
  と言ったらそのお母様は見かけによらずひょうきんな方で
「へえ、若林先生はまだデジャヴあるんですか」と不思議なことをおっしゃった。
  なんでも、歳とともにデジャヴって減るんだそうで........?

  そうか!
  刷り込まれている記憶なのか、螺旋階段を登りながら上を見上げる様な事なのか、いずれにしても半ばも過ぎればそりゃ少なくはなるわな。と妙な納得。
  でも若林の場合昆虫とプラモデルのお宅少年から、楽器作りのお宅青年、20代そこそこで店の主で、やっとフリーになっても猫だらけにお金が無きゃ半生通して全くの出不精なので、デジャヴの在庫ってかなり残ってるのかもしれないです。

  でも、今回の博多空港の場合なんてことはない、昨年の小倉の往路で来た時に見ていたのでした。朝が早かったから北九州空港ではなく、博多空港から新幹線で小倉入りしたのをすっかり忘れて、それこそ行きも帰りも小倉空港(んなの無い)ダッタくらいの記憶でした。言い訳を言えば、この一年ちょっと過激過ぎてなんだか自意識すら希薄で.........。


ママさん達の手作りコンサート
 目指す小学校は、福岡市の中心部で博多にも近い平尾小学校。
  新撰組を尼僧がかくまった(でしたっけ?)平尾山荘の由来の小高い丘の住宅街の小学校。
  山荘というほどの山ではないですが、歩けばそこそこの丘陵、半年前に歓喜の直翅目採集で懐かしい平尾台は福岡県の反対側ですが「平尾つながり」
  やはり若林はジンクス、シンクロ人間なのか、それとも脳みそが単純でだじゃれレベルのリンク構造なだけか?

  平尾小学校は、少子化、過疎が進む地方の小学校には極めて珍しく、ここ数年生徒数が増加していて、今回の六年生もなんと120人という賑やかさ。

 若林を呼んで下さったのはP.T.A.で、六年生の卒業祝いのプレゼントに「何か民族音楽を生で」ということでした。
  何故に民族音楽かと言うと、副会長の杉原さんがスマトラ北部の津波被害に対して何かスマトラの民族音楽でチャリティーコンサートが出来ないか、とネットで検索して若林にたどり着いたからでしたが、諸事情によって一般向けのチャリティーは断念し民族音楽だけが残って、卒業祝いになったのでした。

  ここでは全て語り切れませんが、当初のメールのお問い合わせの段階からアマチュアの手作り企画であることは十分承知で、昨年の佐賀も、世田谷も、三年前の駒込も皆そうしたお母さんや先生の手作り演奏会でした。
  そしていずれもお仕事感覚ではお引き受け出来ない代わりに、お仕事では得られない素晴らしい出会いがあったのです。
  佐賀の先生は先日も吉祥寺迄来てくれましたし、世田谷のお母さんは早速GUPIFANの応援ページにエールを下さいました。
  駒込の先生は今産休でお忙しいのだと思います。あっ先生!見てたらお便り下さい。

明るく面白い福岡の子供達
 平尾小学校は音楽が盛んで、近くのメルパルクホールを借りて演奏会をやる程とかで、子供達は皆民族音楽に凄い感心を寄せてくれました。

  まずは、小振りのジェンベでペルシア花杯型太鼓からアラブ太鼓を経て西アフリカ太鼓になるいきさつを構え方叩き方、歌を替えてのデモ演奏。
  子供達はアラブっぽく!とかアフリカっぽく!とかの手拍子も入れてくれて、初めからいい感じでした。
 中程は、何時もながらの生徒さんの参加場面。
  初めからだと収拾がつかなくなるのと、終盤だと予定の時間に終わらなくなるからですが、東京の学校で良くやるパターンがサッカー部と野球部の民族音楽合奏対抗戦。どっちがチームワークが良いか!です。

 ところが可哀想なことをしたのが、野球部員がたったの一人だったのです。彼の西鉄ライオンズから日本一になったダイエー・ホークスに至る栄光の野球王国がなななんと!
 ところがサッカー部が優勢か?というとなんと一番元気が良く、人数も居て、まとまっていたのがラグビー部でした。
  やっぱり渋いね福岡だね。

  女子は金管部が大活躍。
  次は何部が良い?とみんなに聞けば声を揃えて「キンカン!キンカン!」と言うから「何?痒いとき塗るやつ?」とか言うオジさんにも東京の子みたいな冷たい表情を見せずに確かに好演。
  なんだかみんな役者揃いでした。太鼓をやっている子と合唱の子のアフリカ太鼓音楽合奏も中々良かったな。

 そのメンバーに一人「ふん!」って感じのオマセな女の子が居たのだけど、終わってから若林を取り巻き去り難い一陣の中にも居て、他の子が「握手」「サイン」とか有名人扱いしてくれているところに「そのチョッキ着せて」と若林のステージ衣装のインドベストを試着したり、彼女なりに興味はあるんだな、という感じで面白かった。

  そう言えば、最後の質問タイムで「沢山の楽器はどのようにして手に入れたのですか?」などの大人っぽい質問に混じって「何時もそんな格好なんですか?」というのも面白かった。あっ!もっと面白い子が居たんだっけ。

  西アフリカ太鼓合奏を学ぶ所で細長い鼓型の「トーキングドラム」を肩から掛けてあげたら、その子ったら「あ〜この太鼓ピーナツ臭い!」と言うので、会場大爆笑。
  可愛らしい女の子なんですが、物を手渡されて、視覚や触覚で認識するよりも先に鼻を近づけて臭いを嗅ぐなんて最高! あんたは偉い!動物として正しい!
  そう言えば大昔に一人居たな、同級生だったっけ? その時もなんだかカッコ良いと思った。


心に残る熱いまなざし
 そんな明るく、素直で、暖かな子供達との楽しいひと時も大収穫で、子供達も先生達も凄く喜んでくれていたみたいで良かったのですが、今回は父兄、と元父兄(お子さんがもう卒業したから)の方々との出会いが嬉しかった、というか凄かった。

 まず、P.T.A.会長が彼のタモリ氏を東京に送り出した人の友人であり、鶴太郎さんやムサシさんにも指導したという拳闘家さん、演奏後に意気投合してすっかり仲良しになったのですが、実は演奏中はちょっとやりにくかった。ジムから駆けつけて下さったのですが、遅れて来て後部座席のど真ん中にどかっと座って作務衣のようなジャージのようなお姿で、腕を組んでムッとにらみ付けているので、かなりのプレッシャー。
  他の父兄や先生方が子供と一緒に大ウケしていていもずっとムッとしていたのです。 ところが演奏が終わるとニコニコ顔(って言っても格闘家の笑顔って凄く素直で可愛らしいのですが、ある意味で素顔より強烈な凄みが有る)で「良かった良かった」と。
 なんと会長さんはご自身も講演会が多いので、若林の話しっぷりや、子供達を惹き付ける技を盗まんと真剣に食い入る様に聞いていて下さったのだそうです。って、子供の為にやってるんですから、子供や講演者に少しは気を遣って、盛り上げる側に回って下されば良いのに、まったく格闘家さんは真っ直ぐ?なんですから。焦りましたゼ。

 その他にも福岡に伺う前にHPを良かったと書いてくれたお母さん、演奏を聞いてその晩にGUPIFANに応援を書いてくれた、若いお父さんとかとの出会いも素晴らしい想い出となりました。想い出というとなんだかそれっきりみたいで寂しい程です。

 それにしても、世の中には普通に幸せな生活をしている人の中で、大変な苦労をされていてもちっともやつれずに、回りへ、そして回りから暖かい愛情を与え、受け取りながら凄い人生を送り、若林などが足下にも及ばない魅力的な存在感の有る方って少なくないんですね。
  我々プロだかなんだか知りませんが演奏家だ、音楽書の執筆者だ、として才能が有るとやら良かったとやら誉められて辛うじてそれで生活させて頂いてますが、文才に目覚めて居ないだけで、その体験や考えてることったら僕ら以上に世の為人の為になりそうなんですから、穴が無ければ掘りたい感じです。


一番の福岡土産は
  そんな方との出会いも、きっとインドの師匠の時と同じように、その場どころじゃ無く何年後にも突然リバウンドが来るような、きっと何か大きなものが内面でグラっと来た感じですが、リアルタイムで得た特大収穫(大収穫は一杯ありますが、その中でも)は、「価値観」という言葉への疑問の解決でした。

 よく、仲間や連れ合いが「価値観の相違」とかで離れてしまうことが少なくないですし、若林などは数ヶ月に一回はそんな言葉を聞かされている様な気がします。
(なにしろ自分が三食蕎麦ゆでてるのにカブトムシが同じ位の原価のゼリーを舐めていたり)
  が、どうもその「価値観」という言葉に抵抗があったのです。
  自分が常に劣勢にたたされているからではないのですが、なかなか負けっぱなしだとその点自分でも強気になれなかったんですが、やはり「価値観」って立派な言葉の様で「うわべ」の言葉だと確信しました。
  「価値観の共通性」なんかよりもっともっと深いものがあるんです。やっぱり。
  今はその替わりになる言葉が浮かびませんが、「生きる態度」というのでしょうか
「生き続けることの規範」かな?
  何かそんな感じのもので、それは今言葉にはなりませんが、若林が子供の頃からずっと変わらずもってきたもので(ってことはもしかしたら幼稚なのかもしれませんが)しばしば人はそれを「教養」とも言いますが、それとも違いながら実は猫やある種のクワガタ(不愉快に感じる人が多いと思いますが多くの愛玩犬には無いようです)にもあるものなんです。
  それから比べると「価値観」おそらく感じている人の多くは「それ」についても「価値観」という言葉を使うのでしょうが、それから比べると「価値観」は非常にうわべの感覚に思えます。
  太鼓の臭いを嗅いだ子はもしかしたら素質あるかも。
  それとも福岡は名産地なのか? 食べ物を口に運ぶ前に舌で迎え入れる人の名産地もあるが、同じ動物的でもあれはちょっと違うな..........。

 「価値観」や「教養」は、教育や環境、意識でも高めることは出来るかもしれませんが、「それ」はよほどの愛情と己を悟った謙虚さ、そして生命力、強い精神力が無ければ持てないような気がします。
  今迄の半生で三人位そんな「人」にお会いしましたが、面白い事に三人ともご自身を「頭が悪い分ポジティヴで」、とおっしゃいました。
  その意味では若林は無い頭でぐたぐた考えていますから、あちらから見たら「共有出来ないゾ」かもしれませんが、人生で「それ」を共有もしくは共感出来ながら助け合って行けることが出来たら人間はそれだけで幸せかもしれません。
  否きっと凄い力を発揮して、少なからず世の中や地球のためになることが出来るに違いありません。

 残念ながら若林は猫には認めて貰っているようで すが、「猿の惑星」ならぬ「猫の惑星」にでもなれば若林は「お前は偉いやっちゃ」と言って貰えるのでしょうが、今の所「それ」を共有出来る「人」は東京の回りに居ない感じで残念です。

  と、お猫様を持ち上げているのに、今うんちに砂掛けなかったのはどいつじゃ!うあ〜強烈!「猫のは臭え」じゃないってえの。まったく。
 ってオチが失礼になってしまいましたが平尾の皆さんありがとうございました。

P.S.
  早速応援の言葉を下さった大庭さん、お礼もアップも遅くなってすみません。福岡から帰って、なんだか身も心も回りも清めたい気分で、床拭きをしたり、本棚整理をしたり、ぐちゃぐちゃになっていたHPのサイト内部整理をしたらなんと一度HPがぶっ壊れちゃったりで。ほんと要領の悪いフウタンヌルカ奴ですみません。

   

3月4日 素敵な映画と、たまにはN.H.K.も良いもんだ。
 

ショーン・ペンの「アイ・アム・サム」で長閑な週末
 3月1 日の福岡から帰って、気が抜けたのとは違うんですが、なんだか遅れて来た(旧正月なら当たりなのか)お正月のような気分で、教室も楽器作りも、新しく立ち上げた教室生徒専用サイト(ごめんなさいこれは入会三ヶ月経った生徒さんだけがPWで入れるやつです)やらこのHPの整理やら(って素人がいじって一時壊れてましてすみません。
  ご心配おかけしました)と、仕事はこなしながらも、心はソゾロというか焦りが消えた?というか急に老け込んだ?感じで、長閑な数日なんですが。

  そのお陰で今日は朝から、らしからぬ普通の方と同じタイム・スケジュールで生活してしまいました。

 普通に朝に起きて仕事して、夜の9:00頃にはのんびりT.V.の「金曜ロードショー」を見て11:00頃には寝てしまった。
  と、言ってもやはり猫睡眠なので3:00には起きてしまった。というか誰かに起こされた? あっ、そうだオプーが頭を舐めてくれまくってたんだ。
  オプーは猫や若林を「良い子、良い子」と舐めるのが寝る事の次に大事な趣味(仕事?)で。

  そんなんで珍しく見てしまった「金曜ロードショー」が、我が家のプリンちゃんにそっくりのショーン・ペン主演の「アイ・アム・サム」
  プリン目当てで見ていたのに、中身がなんだか凄くタイムリーで、見入ってしまいました。


ビートルズ尽くしが嬉しい
  2001年の作品ですが若林は初めてで、ショーン・ペンが愛娘の養育権を巡って争う知的障害のあるシングル・ファーザーを演じ、「負けた事の無い」と自から語るミシェル・ファイファー演じる美人(これって陳腐な差別用語ですが、若林にとっては中身の問題で『有り!』の言葉。
  これについてはいずれまた)敏腕弁護士に、愛娘役は日本のT.V.ドラマの「りん」ちゃんも負けそうな名演技のダコタ・ファニング。

  嬉しかったのは全編に若林が最も好きな時期の、しかもほぼリアルタイムで聞いていた後期Beatlesの名曲がリメイクで流れるところ。
  ショーン・ペン演じるサムがBeatlesマニアの設定で、劇中もしばしばBeatlesに話しをリンクさせ。
  何だっけ? 里子に出された娘の家の近くに引っ越してそれが9号室とかで、ジョン・レノンとショーンに加えレノンの母親(?)迄もの誕生日が9日で、生まれた土地の名が9文字でという語呂合わせに、娘の名前「ルーシー」は、まんま名曲「ルーシー・イン・ザ〜」から取って、ただで雇った弁護士リタが珍しく弱気になるのをサムが慰める言葉が名曲「ラブリー・リタ」となんだか若林大喜びのシンクロ・駄洒落大会! 

  七歳児の知能しかない、と調停委員に罵られるショーンが、突然弁が達った!と思えば「クレイマー・クレイマー」の台詞の暗記だったりで...................。
アラブ音楽やってるのに怒られるかもしれませんがアメリカのこういう駄洒落感覚って大好きです。
ジェシー・ネルソン監督がBeatlesマニアなのかもしれませんが、まさか配役迄ショーン、ミッシェル、ダコタと揃えたのかな? だったら凄い。凄過ぎる!!

 今では二十歳も過ぎて、何処で何好きなことやってるか分らない娘を恥ずかしながらシングル・ファーザーで育てた頃、保育園まで自転車の後に載せたそのあまりの軽さに「落っことしたか?」と心配で数分毎に振り返って「大丈夫」と聞くと小さくうなづく娘。
  大声で返事してくれれば良いのに、その度にハンドルの方が危ないのでバックミラーを取り付けた頃を懐かしく思い。

  颯爽としたキャリア・ウーマンの出で立ちの美人敏腕弁護士と七歳児の大人サムとの不似合いな喫茶店シーンは、一昨々日の福岡の自分の姿の様で。って言ったら自分は幼稚なだけで純粋じゃないのでサムに失礼か。

  などなどハマル名画でした。映画のラスト近くは、賢明にも「母親が居れば養育問題も一気に解決か?」とサムが気づく場面がありましたが劇場本編ではその後どうなったのでしょうか? 
  おそらく大幅割愛のT.V.版ではシングルになっちゃった子連れ美人敏腕(しつこい)弁護士とその息子と娘ルーシーのサッカー試合を応援するところで終わっちゃいましたが。

  サムの純朴さやサムが犬好きなところが弁護士の息子にプラスになってそうな場面もちらっと有ったりで、なかなか微細な技を見せる監督でした。

たまにはN.H.K.も良いもんだ
 「たまにはN.H.K.も良いもんだ」って言いながら、借家猫屋敷はN.H.K.だけ映りが悪く、受信料集金オジさんに「ほら」って見せたことがあるほどなんですが、最近民放が朝前に一度終わっちゃったりするのにN.H.K.だけやってたりで、その時ばかりは映りが良かったりで。
  昨日か一昨日か見ていたら(ではなく、全く違う原稿を書きながらという若林独特の集中法でT.V.の垂れ流しをしていたら)心理学者か何かの先生が、
「猿などの動物は痛みを感じない」「人間の子供も二歳、三歳までは同様で」と聞き捨てならないことを言うので、しっかり見ましたところ、最早話しの途中で要領は得てないかもしれませんが、そこで言う「痛み」とは肉体的「苦痛」ではなく「苦痛に精神的なものが加わったもの」すなわち「苦痛」に「悼み」が重なったものの様な概念でした。

お願い)ここでだけ、「悼み」の元、対象を「死別」としないで読んで下さい。「慈しむ」にも近い感じなんですが、やはり「ペイン」の一種である訳で。ちなみに番組では「悼み」とは言ってませんでした。だから若林が「えっ?」と思っちゃったんですが。その意味では、普通に言われる「痛む」を「痛がる」として貰って、ここで言いたい「悼む」を「痛む」にしてくれれば良いんですが。世の中には「痛がる痛み」しか知らないんじゃ?という人けっこう多いですから。そんな人にも「悼む」だったらわりと共有出来るのでは?

「痛み」と「悼み」
 それによると、人間も幼児の頃は動物と同様に「痛み」を感じないのですが、子供がこけたりした時に回りが「あら大変!大丈夫?痛くない!痛くない!」とか言う事で「苦痛」に「悼み」を重ねてしまうのだそうで、それに対して動物は心理的な「悼み」が無いので、こけたり、ぶつかったりしても「ケロっとしている」と言うのです。

 学者先生の論点は、人間の「痛み」が教育で施されるという人間の心理的発育 を説いている大変興味深いものでした。
  言い換えればその教育のお陰で、他人の「痛み」を「悼む」ことが出来る訳で、若林がかねてから言っても周囲に理解されない「悪気のない人の方が悪気の有る人より性が悪い」という訳の分らぬ論理を援護してくれる話しでした。

  巷では「悪気が無かったら許される」挙げ句には「善人」のような解釈がされていますが、逆に「悪気」を持ち得る人の方がそんな「間抜けな善人」よりも「傷つくこと」に敏感な訳で.....。これも話しが長くなるので、いずれまた。

  学者先生の論理も話しっぷりも好感が持てる見事なもので、確かに動物は他人の「痛み」を「悼む」観念が無いかもしれません。
 が、学者先生の専門も、論点も動物心理ではないですから反論は筋違いですが、その論理ですと、死産した我が子を数日抱きかかえる母猿は、D.N.A.指令の惰性で行ってる「お馬鹿」故に「哀れ」な様な話しになってしまいます。

我が家の猫達は多分に動物離れしていますが、クーちゃんは、若林が母親や娘をどやし付けたり、向こうも負けずに言い返していると、動物にとっては煩わしかったり、険悪な雰囲気に対して防御本能が出ても良さそうなのに、必ず割って入って、親子喧嘩がシラケる様な立ち位置で心配そうな表情で「もう辞めようヨ」と見上げてくれました。

  ウルサいから止めろ!なら怖い顔になったでしょうから、彼女もしっかり「悼んだ」に違いない訳で、「お友達の猫ページ」に紹介した横浜のクムちゃんも日頃はソッポ向き猫なのに夫婦喧嘩は心配してくれるそうです。ほんの先ほども、爪切りの嫌いなミーシャとマロンが「イヤ〜っ」とじたばたしながら切られていると、ミーシャの時に知らんぷりだった同じ父親のチャチャとプリンが心配そうにやって来てマロンの頭を舐めたりしました。
  まるで「大丈夫?痛くない!怖くない!」となだめている様で、出戻り虎がティナ組に虐められていた頃、虎を庇って慰め、励ましたのは若林だけじゃなく実の妹ミーシャと父親オプーでした。
  ミーシャなどは可愛い顔に似合わずティナに仕返しまでしてくれていましたが、その結果後にミーシャがティナの喧嘩相手になってしまったのに虎は、知らんぷりで、ティナと仲良しになってたりします。
  虎はまだその点で未発育なのかもしれません。


悼んでくれる我が家の猫達
  巷では「猫の躾は生後二ヶ月が勝負」とか言いますが、少なくとも我が家の猫達は歳とともにどんどん成長し、それと同時に「人の痛みも分る」様になって行ってます。

  今もひとり甘えに来て、構ってもらえなかったら、PCを器用にまたいでちょっと自己主張して行きましたが、PCキイボード踏んで怒られた記憶のなせる技ならPCやっている時は近づくな!ってなるでしょうから、しかもまたぐのは踏んで怒られた子じゃないんですから、「躾」じゃない訳で、若林の原稿がぶっ飛んだ「あ〜あ」の姿を見て「悼んだ」事があるのでしょう。
  これも人間と一対一や、犬が居ても猫はひとり、とか動物だけの野良の暮らしとも違って、猫同士と人間が深く関わっていると大きく違うのかもしれません。
  そう言えば若林があの子達に事ある毎に「大丈夫?」「痛い痛い」とか言って抱きしめていたので、「悼み」の教育が為されたのかもしれません。

 そう言えば、若林は娘にも猫にも「よしよし」となだめながらも「痛くない痛くない」とは言わずに「痛い痛い」とか「お〜痛いね〜」って言ってました。今や大昔の事もしれませんが「ちちんぷいぷい痛いの痛いの飛んでけ!」というのが有りましたが、「痛さ」を肯定してくれる感じが嬉しく、「痛くない」とか言われると「痛いもん!」て気がしましたし「大丈夫?」とか言われると余計に「痛く」なったものです。肯定されるのが一番ありがたいって、子供の頃に覚えたのだろうと思います。

 先日も日本の皇太子が、この話しと似て非なる絵本を引用して(本が馬鹿売れしているらしいですが。
  皇太子さん若林の本やこのHPも引用して下さいまし)ましたが、猫も人間も、意外に大きくなってからでも、「悼み」や「喜び」の教育は出来るのかもしれません。
  猫達の舐め合いもそれもあるかも。その内我が家の猫達は、誰かが芸当で誉められると、横で拍手する様になるかも。


難しい子育て
  先日の福岡でも、校長先生のお話しやP.T.A.のママさんのお話、ついで「アイ・アム・サム」で色々 子育てや教育について考えさせられましたが、躾も叱る事も勿論大事ですが、若林などは親が厳しかった分、娘や猫にはほとんど躾をしませんでしたが、それ以外に「悼み」や「喜び」の教育はして来たつもりです。

  が、人間には中々通じませんネ。
  18歳になる迄一度も手を上げなかった娘に、このままじゃ大変だヨとお弟子にまで言われ焦ったのも。
  ○○真理教全盛期の頃のお弟子さん達を見た友人に「あの人達目つきが危ない」と言われて焦って厳しく聡そうとした時も、結局通じませんでしたから。 
  ある意味では、幼児期だけではなくても教育は間に合う。
  と思いながらも人のお子さんはやはり親御さんがやっていてくれなきゃ大変!と思います。
  その意味では我が娘には幼児期に抱きしめたっきりで、大事な時期は母に追っ付けて置きながら急に焦ったのがいけなかったのかもしれませんし、やはり娘には母親、息子には父親って必要なのかもしれませんが................。
我が家系の女性陣は親戚の伯母まで含めて自分の「痛み」や「慈愛」の「慈しみ」が最優先の人達でしたからな...............。

また子供の社会って大人の社会の縮図だったり、より残酷だったりしますからね。う〜ん。ムヅカしいテーマだ。ロード・ハヴ・マーシー!


P.S.
  子育てと言えば、昨年の東京音楽大学付属民族音楽研究所でのジェンベ教室に楽しい親子の受講者が来てくれて、昨日メールを下さいました。
ご自身のPサイトが出来て若林のことを持ち上げ(過ぎ?)て取り上げ、更にリンクもしてくれているのですが、親子連れと言っても、何が素敵だったかって言うと、若い遊び盛り風のお父さんと、可愛らしいお母さんと、なんとやっと歩いたばかり、だからじっとしていない、それでいてのびのび育ってるからやんちゃな男の子の三人連れなんです。

  若林の場合、演奏会も講習会も子供が走ろうが、騒ごうが全然気にしない。長野の西友で演奏した時は迷子のアナウンスに気づかず演奏していたのを誉められた位で、むしろ福岡のお話しする前の拳闘家さんや、女子大や高校の押し黙って聞く人や「ふん!」て顔が一人居るだけの方が凄くやりにくい。
ようするに日本人的聞き方されることが苦手、でなんで日本に居るんだ?ってごもっとも。
 で、まずその三人家族のサイトがhttp://www.geocities.jp/cafesolidarite/link.html
ですが、若林が見てもパッと見何処の誰の何の?って感じだったんで、聞いたら今回初めて分ったのですが、某新聞社国際部の記者さんなんだと!
  サイトは親馬鹿丸出しにやんちゃ坊主(でも講習会では回を重ねるごとに若林に馴れて、三ヶ月の間に急速に成長し、最後は凄く良い子になって小ジェンベをちゃんと叩いていて可愛い奴です。
  今後の研究所の講習会も通ってくれたら日本を代表する奏者になるゾ!!)の成長記録と、全く似つかわしくない辛辣な社会批評のブレンドという不思議なサイト。でも後者は凄く頼もしい内容。

  なんだか気骨の有る若者でカッコ良い。
  しかもちょっとはにかみ屋のお母さんが凄く良い感じの名フォローアーで、うらやましいご夫婦です。
  先日の福岡の素敵なママさんが、意外にも男女同権思想の疑問者だった事、最近東京でむしろ同権思想の団塊の世代とのお仕事でぶつかる(若林にとっては良い意味で嬉しい経験でもあるんですが)ことが多い事などとも重ね合わせて、今更ながら「おだてりゃいくらでも才能を伸ばす男を立てる女性のあり方」というテーマを感じさせてくれます。

  これは前述の若林の音楽の話しともリンクするのですが、若林の音楽は、ノセりゃ幾らでも、それこそ自分でも驚く程幾らでも良くなるんですが(近々アップする「若林忠宏民族音楽ライブラリー」のパキスタン協会でのライブ映像をお楽しみに)「それこそ本物のムスィーコ!」って言ってくれる人は日本じゃ凄く少なく「じゃあ普通は手抜いてんだ」とか言われますが。
  そう言えば若林の歴代の身近な女性って世界で一番若林に厳しかったな....、なんてことは関係ないですが、男尊女卑の悪習はくだらない企業家に残すのみで内面的にはほぼ解決し、むしろ男女同権の結果、付け上がった女性と、ふぬけで湿気った男性が多くなっちゃった今日この頃、そろそろ逆の運動も初めてなくてはヤバイんじゃない?


男女同権論の是非(ってこの話しはまたいずれ)
  そう言えば昨日、先月結婚披露宴で演奏させてもらったお弟子さん夫婦から写真が届きましたが、可愛らしい奥さん(この言い方が批判されるのだ)連れ立って若林のライブに通ってくれたお二人のご結婚は本当に嬉しかったです。
  彼女も名フォローアー。しかも彼女のお父さんは名を出せば誰でも知ってるミュージシャン。
  きっとお母さんも名フォローアーだったんだろう。2月の日記に戻って写真も見て下さい 。そう言えばその新郎のお弟子さんも福岡人だ!これでジェンベ三人家族も九州だったら凄い話し。若林の回りの九州男児って、すごくフェミニストなんですよね。
  そこなんですよ。日本一おだて上手な九州女性のお陰で「九州男児」って言葉が生まれたのかも。こんどタモリ氏に会ったら聞いてみよう。


P.S.-2  後日談
 この日記を見てくれて早速お便り下さった、ジェンベ親子さんの出身は残念ながらハズレ。
  ご主人が大阪で、奥さんが名古屋ですって。
  でも大阪は最近東京っぽくなったのか、昔程ご縁がないんですが20年以上前の若林の心の支えエリア。
  名古屋は何度も言ってますが福島、九州、静岡と並んで現在の若林サポーター・エリアです!

  しかしご主人は男女同権論者だったので若林の真意は通じなかったかもしれません。上手く言えないのが悔しいんですが、人権は全く平等であるべき!と若林も思っています。
  が、意識、役割、生き方、態度、ポジション、は同じ必要はあるんでしょうか? そうありたい人にはあっても良いですが、皆が皆、一様に同権というのでは「同権」の中身がまだ発展途上のような気がします。

  例えば映画や演劇で主演と助演じゃ明らかに役割が違って、当然支払われるギャラが違いますが(役者のキャリアでももちろん替わりますが、同じキャリアの場合。
  ここでは例えとして)、それって封建的ですよね。もしギャラが同じで役割が違ったらカッコ良いと思うのですが。でもエキストラまでが同じだったら主役のモチベイションは下がりますよね。
  その為に差をつけるのだったら資本主義的でイヤな感じですが、ギャラ以外に得る物がある訳ですよね、やり甲斐とか、露出度とか。助演は、渋い立場、主役を立てた満足感など。
  その差別をお金以上に喜ぶって言うか。
  これが皆同権・平等、って言って主役も脇役も無くギャラが同じでドラマって出来ませんよね。
  役者のタイプもやりたいスタイルも無視されるか、最大公約数に均されちゃうし。ん〜これもムヅカしいテーマだ!


3月7日 これって吉兆? それとも。
 

チャメ君病院へ
 今日の昼チャメ君が一泊の入院をしました。と言うとあちこちでチャメ君を心配してくれている方を驚かせてしまいますが、このところむしろかなり調子が良いのでこのタイミングに去勢手術ということになったのです。
 
チャメの住む教室はビルの7階で、雌猫の声も届かないので、雌猫クーチャンほどの大騒ぎにはなりませんでした。
  たまに衣装や笛の束など、けっこう仕事的に困る所にマーキングしたりするのも、あの可愛いだけじゃなく若林のみならず皆に元気をくれるチャメのすることですから、その位ははなんてことはないのですが(生徒さんが臭いと言う位で)、本人がけっこうストレスを感じ始めて食欲が落ちかかったことがあって、これはかなり重大な心配事だったのです。

 
丁度一年前に口内炎の根本的治療で抜歯手術をした時もそうだった筈なんですが、チャメを載せてない分4キロ強軽い筈の病院からの帰り道、数百メートルの緩い坂道なんですがこんなにきつかったっけ?と驚きました。
  自転車の前輪の籠に縦に入れたキャリーバッグから時々こっちを見上げて鳴くチャメに返事をしながら、チャメを早く家に連れ帰ろうと懸命に自転車を漕いでいる時に気づかなかった坂道でした。チャメの居ない教室ってなんだか気が抜ける位つまんなく、心おきなく楽器修理や練習でもしようか!と気張ったのに何も手に付きませんでした。
  チャメとは一緒に暮らせない11匹のひとりひとりも大変な存在感で、誰とも比べることは出来ませんが、やはりチャメの存在感って凄いものが有ります。


最近の運勢って?
 
前にも日記に書いたかもしれませんが、吉祥寺の繁華街の北の外れ(って新聞に語ったら大家さんに「ど真ん中でしょう!」と怒られた)の借家猫屋敷から南の教室迄、歩くとなんだか人が多いのもあって20分位の所を、チャリで5分ですっ飛んで行くのですが、引っ越してからつい半年前迄の3年半、ほんとに大げさじゃなくて99%程の確立で、自宅の前の道から直ぐにぶちあたる五日市街道の信号が【必ず青】だったのです。
  せっかちな若林が、ギリギリまでやってた自宅の仕事や用事を中断して教室に向かうには「非常にラッキー」なことだったんです。ところがこの半年、これも大げさじゃなくて99%程の確立で【必ず赤】なんです。


 
母親がその昔N.T.T.(って当時は電々公社ですが)のテレフォンサーヴィスで聞く程の「占い好き」だったからか、若林は結構「占い」を気にします。
  街の占いは一回しか見て貰ったことは無いんですが、朝のT.V.の「星座占い」は欠かさず見ているんですが、大体同じ時間帯に3局ほどで立て続けにやってますから。
  あれって年間で全ての星座の善し悪しが平均的になるんですかね? お隣の「射手座」さんがこのところあまり良くないな、と思う位で他人様のはあまり気にしませんが、若林の「山羊座」って20世紀の末からずっと悪くないですか? 特にこの2,3年どんケツの様な気がするんですが。違います? 

 
それが信号が【何時も赤】になった頃から嘘の様に「星座占い」が上位になって、昨年末から今年1月に掛けてなんかビックリするほど良かったんです。
  2月からは又中の下位になってますが、それでもここ数年から見れば善戦! 全然恩の字です。
  かと言って何か良い事が有ったか、というと相変わらずのサッパリなんですが。
御陰さまでHPを自力で頑張るようになってから教室も演奏会も充実しつつあります。
  このご時勢それだけでも感謝すべきことではありますが、若い頃にビリビリっと感じた【運気】みたいなのはなんだか全然感じないんですワ。


 
かつては、厳しい状況の中にあっても、もしかしたら普通の人だったらかなり落ち込んだり、へたすれば世をはかなんだかも知れない程の窮地にあっても「近々良い状況になるに違いない!」っていう変な感覚が感じられたものです。
  「ひと筋の光明」が見えると言うより「あそこの角を曲がると、きっと福の神とすれ違うゾ」って感じの方が近いんですが。でも実際は角をまがる手前で迷子の子供と出くわして「お家はどっち?」なんて構っ たり、お姉さんに脇見している間に気づかない間に福の神とすれ違っちゃったり、貧乏神に追いつかれちゃったりでしたが、何故だか根拠も実績も無い【運気】を感じていたものでした。


 
それがここ数年の「星座占い」の最悪時期が長かったせいか、パッタリ感じなくなってしまったんですワ。
  もしかしたら世の中全部がそんな感じなのかもしれませんが、やっぱり守りに入ってしまってるのかもしれません。かつての様に次々と新しいことを始めて居る
方が貧乏神や疫病神から逃げ切れる運命なのかもしれません。
  いい加減落ち着かなきゃ、とかこれじゃ傍に居てくれようという人も大変だろう、とか考えたのが良くなかったのかもしれません。「止まったら死ぬ鮫の様」って言われていた位ですから。

 もしかしたら避けまくっていたネットを始めたのは、かろうじて新しい展開だったのかもしれません。その御陰でライブハウスを閉めてからの守り(といっても閉めた直後には邦楽修行から昆虫飼育まで色々新しいことを始めましたが)の状態が打開しつつあるのかもしれません。
  世の中がちっとも変わってくれない、ちっとも変えられない、という諦めの境地に入りつつあったのですが、自分の運気の為にもやっぱり進むしかない、哀れな鮫男であります。


嬉しいお仲間があらたな【運気】
 そんな中で、最近また新しい嬉しい仲間が増えて来たのが、今、そしてこれからの新たな【運気】なのかもしれません。もちろん昔からの仲間は居ますが、その多くはお弟子さんですが、最近のお仲間はライブのお客さんだったり、生徒さんでも若林の世代だったり、上だったり、お弟子さんでもかつてと違って友達になり得る感じの対等な関係が持てる人だったりが嬉しい所です。しっかり自立していて、他人に対する依存心も強くないので気分的に凄く楽で嬉しい対等関係です。
  例えばインド太鼓タブラ・クラスのあるクラスの偶然にも若林の母校の先輩と後輩のお二人。先輩の方は近々「ジャマイカ音楽」の凄い本を出されます。音楽療法学校で講義させていただいたきっかけで知り合った素敵なご夫婦、しかも二組も。東京音楽大学付属民族音楽研究所でさせて頂いた講座で知り合ったジェンベ家族、そして全国各地から応援してくれる方々。手作りで演奏会を企画してくれた方々。
  もしかしたらかつてのように一人でムキになってブンブンと歩いて行くのではなくて、皆でおしゃべりしながら歩いて行くのかもしれません。そんな楽しい道のりなら福の神に出会えなくても良いかも。それとも福の神は既にそんなお仲間の誰かに変装して意外に傍にいるのかも。

   

3月9日 ジェンベ親子とジェンベを買いに浅草へ。
 

ジェンベ親子と二ヶ月振り!
 3月9日は,ここ数日のんびり過ごした分、忙しい、でも楽しい充実した一日でした。数日前の日記に登場した東京音楽大学付属民族音楽研究所の社会人講座でお教えし、先日ご自身のHPに若林を絶賛して下さったヤマヨシ親子(父母赤ん坊)と午後に待ち合わせして浅草の楽器屋さんにジェンベを買いに。帰りには神田で演出家の大先生とミーティングで吉祥寺に戻ってバルカン太鼓クラスと、杉並区教育委員会関係の方と打ち合わせ。ヤマヨシ・ジェンベ家族とは、HPの紹介をきっかけにメールのやりとりで急速にお友達になって今日二ヶ月振りにお会いして短いながらも楽しい時を過ごさせて頂きました。
  初めの頃は東京音楽大学付属民族音楽研究所の講座も修了する度にミニ・ライブと打ち上げ親睦会をやっていたのですが、後半は研究所への負担を軽くする為にもそれが無くなってしまい、言わば「教えっぱなし」の状態で受講者の方々と仲良くする機会が無かったのです。しかも実は、今だから言える話し、そのヤマヨシ親子はちょっとやりにくかったので、講座でも親しくお話することが全く無かったのです。これも若林の印象で思い込む、しかもかなりネガティブに、の悪いところがなせるもの。
 だって(あんたはその「だって」が多過ぎるって言われる) ヤマヨシ家(若林が勝手に名付けました。なんか大阪風ネーミングだし、T.V.C.Mの「ワサビーフ(若林は菜食なので食べませんが)」好きですし)の父親君はなんだか剃りが入っていて、如何にもジャマイカ、アフリカ、その辺りのナチュラルなものが楽で良いんだよね、って感じの「吾が世の春」って感じの若者で。ヤマヨシ家の母親さんは始終うつむき加減で、ちょと「ふ〜ん」って感じで、てっきり「あたしこういうサービス精神ですって教え方いけ好かないのよネ」って思われてるなア、と恐々としてしまったし、1歳そこそこの息子リョウ君が当時歩き始めた盛りでじっとしていなくて、またこれが疳が強そうな、十年前の若林でしたら「このガキャ〜!」って感じの「怖いもん無し」の赤ん坊さんで、今日日の「伸び伸び育ててるんです、悪い?」って感じの幸せマイペース核家族の典型に思えたんです。って随分じゃな〜い。
 それもこれも20年も民族音楽ライブハウスをやって来て、およそ日本のかなりヤバイ層と出会ってしまったからでもあるんですが、ヤマヨシ家のようなニュー・ファミリーがカレー食べに来るとほんと恐々としてました。ガキゃあ店内走り回り、想い出の装飾品ぶっ壊しても親は叱りも謝まりもせずに、挙げ句の果ては隣でカレー食べてるお客が居るのにテーブルの上でおむつ代えたり、極め付けは、帰り際当時自主制作していた若林のインド音楽テープ指差して「これ誰の?」とおっしゃるから「わたくしです」と目一杯丁寧にお答えしたらそれが気に触ったらしく「そんな言い方していると口が腐って死ぬヨ」とまで言われて。これがひとつの家族の話しじゃなくて、親子連れっていうと大概そんな感じだったのです。
 それでもヤマヨシ家は一回だけ遅れてきただけで後は皆勤賞.「意外に楽しんでる?」「やる気あるんだ?」とか思ってる内に小僧の
リョウ君も後半にはなんだか可愛く思えて来て。たった三ヶ月だったんですが、一歳前後のその時期って凄い変化があるから、初めの頃は、立っても直ぐに尻餅って感じで、時々親の真似をして太鼓をバンバンやってたり、お母さんが止めると喚いたりだったのが(そう!今思えばお母さんはかなり気を遣っていたのでした)だんだんと空気に馴染んだというか、若林や他の受講者の人がリョウ君が居る状況に馴染んだと言うか、リョウ君の方も急速に大人方向に成長し、猿真似かもしれませんが加減しながら太鼓を叩く様になって、若林とリズムの表裏で遊んだりいつの間にか「なんじゃ、お前なんか可愛くないかい?」って感じになって来ました。でもお父さんの「もっと楽しく叩かせろや」「細かな手つきとか良いからさア」って感じと、お母さんの「あたし、ほんと苦手こういう人」って感じはついに最後迄変わらず、でした。
ところがどっこい、これが真逆の
 それがつい先日メールを頂いてHPを拝見したら、お父さんが若林を絶賛してくれていて「何に〜っ!」「なんで〜?」と凄いビックリ。しかもHPには世の中をかなりしっかりと見据えながら、驚く程明晰に批判しながらも、世の中に不満をぶちまけるのではなく、世の中を愛し大切に感じながら、弱者を支えようとさえする気概が感じられるコメントが幾つか有ってさらにビックリでした。自分の回りさえハッピー!ならオッケーという若夫婦じゃ全然なかったのです。しかもお仕事は、若林が生家に居た頃一家で色々お世話になった某新聞社の国際部の記者。HPで誉められたから急に評価が変わったみたいな感じになっちゃいますが、居たんだ。こんな若者が。というショックでした。さらに、奥さんのリアクションまでもが、な、な、なんと全くの真逆。ちょっと若林の口からは言えない爆弾発言まで頂いてしまいました。しかもそれを若林に伝えたのはお父さんの方。しかもしかも、むちゃむちゃカッコ良い台詞で。
 なんてことだ。人は見かけで判断しちゃイケナイ。否。とんでもなく失礼な失言、ミシシッピー大失言。見かけはそんなじゃないに違いない。単に若林のトラウマ、思い込み、決めつけ、最低な間違い。でも正解が嬉しい方なんだから間違っていても傷つかないって言うか、でも誤解される方は傷つきますよネ。お父さんの遊び人風なのは(これは本人もお母さんも認めてた)仕方ないとしても、お母さんは子供のやんちゃに凄く気を遣っていたし、伏し目がちが「フン!」の真逆なら今日日なんて純な方なんでしょう。こんな家族が幸せになってくれて、回りや後輩が「真似したい」と憧れる存在になってくれれば日本もきっと良くなる! 勿論こんなご時世で、しかも故郷を離れて暮らせば大変だろう。大阪も名古屋も美味しい物が安い。おじいちゃんおばあちゃんも居れば保育園通いもしなくて良いのに。なんと共働きの二人はジェンベ講座の為に仕事を切り上げ、保育園に息子を迎えに行って、ご飯も我慢する事も有りながら通ってくれていたのでした。今更ながらウルウル。恐縮の極み。そんな苦労を考えると言い難いですが、出来ればこれに第二子第三子が居れば、少子化も止められ日本も明るい未来なのに。
久しぶりの浅草JPC
 そんなメールのやりとりの中で「夫婦ふたりともジェンベはしっかり続けて行きたい」などと嬉しい事を言ってくれて、近々良い楽器を、というので「じゃあ一緒に見に行こうか?」と提案したら凄く喜んでくれて、早速民族音楽センターが20年近くお取引をしている浅草コマキ楽器のジャパン・パーカッション・センターの中に10年程前に新設されたエスニック・パーカッション・フロアーへ。田原町で待ち合わせだったんですが、ヤマヨシ家はリョウ君の名入りの提灯を買うのと浅草散歩というこれも嬉しいトラッドなイベントも兼ねて。若林は仕事を切り上げて午後から合流。
 JPCのジェンベはドイツ・アフロトン社の名器で、今日日インドネシアのマングローブを伐採して日本向けの海老養殖や、椰子の実天然洗剤(日本の環境に優しくてもねエって話しらしい)の為に植えた椰子の樹で作った超安価ジャンベがはびこる中で、確かに南下するサハラ砂漠(ってこれって『殿様キングス』ですが)のサヘルの貴重な樹を切ってのジェンベではありますが、ジャンベの数倍は高いので、若夫婦にはちょっと無理をさせてしまった。民族音楽センターではJPCさんの向こうを張って同じドイツで同じくセネガル人が運営しているセネガル素材をフランス製ザイルで仕上げた高級品のアフロトンのライバル「サバル」を直輸入していたのですが、サバルの社長の絶大なる応援と期待を裏切って、不景気に敢えなく事業撤退してしまった為、湘南方面の若林も共演した中々見込みのある若者ジェンベ奏者のお店も無くなってしまったらしいので、後はお勧め出来るのはJPCさんのアフロトンしかない訳で。重さの割に良くなる音の秘訣は両社とも素材の他に内径のチェックが素晴らしいので、もっともこれは皮の張りという人間で言えば気分みたいなもので善し悪しを言う日本人ジャンベ・ファンには分り辛いものがあるでしょうが。
 なんと久しぶりのお取り引きで(こちらのタブラ・テキストとかは納品していたのですが) 更新された顧客リストから外されていて(..........)でもフロアー・マネージャーの萬さんは心良く卸し取引の口座を更新してくれて、晴れてヤマヨシ家はリョウ君さえもが一生使えそうなジェンベを割引で買えたのでした。勿論民族音楽センターも赤字ですし、JPCさんともプロ同士のお付き合いですから失礼の無い様にマージンを取るべきなんですが、今回は大昔のアヒルの餌を頂いたお礼(お父さんが現在そこの記者)とあのセンス、手首の柔らかさ、鼓面へのアプローチの鋭いながらも優しいところは、きっと有数のジェンベ奏者になるに違いない一歳のリョウ君への先行投資と言いますか、若林の株主分ということも含めて割引じゃないヨ、と言うことで。
 彼らが素敵なジェンベ家族になって、それを追従する若者が現れ、同じ自然破壊に頼って得る太鼓ならば、本物の楽器で本物の根性の音楽をやってくれるなら、アフロトンにもJPCさんにも,そして民族音楽センターにもきっと良い結果になる筈なんです。
まあ過度の期待と言う訳でもなく。「そうなったら嬉しいな」くらいですが、ほって置いてもそうなりそうな三人でもあります。
 それにしても最近、即関係してこないっていうか 、絵に書いた餅って言うか、子持ちの熱烈なファンがやたら増えた。あたしゃネエチャン待ってるのに〜。
しかたないからワカチュー・サンバ・アラブ・インド風でも作って踊るか!

   

3月11日 チャメは元気です! 仕事も順調! ところが.........。
 

チャメが入院!!
と、方々でご心配をおかけしましたが、チャメ君はむしろ体調が良いので手術した訳でして、入院と言ってもたったの一泊でして、大変お騒がせいたしました。その後も大変順調で、傷口も化膿せず、不慣れなカーラーをあちこちにぶつけて「フンフン」言いながら不満げですが、カーラーしながらも巧みにご飯を食べたり、あんパンを強請ったりでとっても元気にしています。
 今日教室で、インド太鼓のドーナツ枕状の座布団 (チャメのレスリング相手なんですが)にカーラーを引っ掛けてしまったのか「ケホケホ」させて皆をびっくりさせたのですが、慌ててカーラーを外してさすってあげたらほどなくケロッとしました。が、その後で再びカーラーを付ける時、観念したかの様にじっとしているのには驚かされました。
  自宅の子達もかなりに良い子なんですが、それでもカーラー一端外したら逃げ回って大変です。チャメ君はお医者でも凄く良い子で、自分の為に治療が為されている事、カーラーも自分の為に必要なんだと、きっと分っている感じなんです。健気で泣けて来ます。

なんとも光栄なお仕事が
 今月末は、一昨年夏もさせて頂いた吉本興業さんのお仕事で岩手の子供キャンプに民族音楽の楽しさを伝えに行って来ます。吉本興業さんといっても「お笑い」ばかりでなく、お世話になっているのはレジャー事業部のようなセクションで、特に子供向けの企画はかなりボランティアっぽい感じで良心的な良い企画を行っています。
 これも大変光栄なお仕事なんですが、この数日に急遽決まったのが岩手の翌々日の
N.H.K.([たまにはN.H.K.も良いものだ」と偉そうな事を日記に書いたらお仕事が来ました!)のお仕事と、同じ日の遅い時間の大きな演奏会のお仕事(演奏ではないところが嬉しい反面責任重大)。どちらもかなりの責任有るお仕事で、最近かなりハードなのと新しい教室や仕事や出版、連載が一気に増えてしまって、かなり脳みそがぐちゅぐちゅいってますので、無事にこなしたら何っだった、とご報告します。
 同じく責任重大ですが光栄なお仕事は、昨年ゲスト講師で二回呼んで頂いた川越にあります
東京国際音楽療法学院に、なんと今年はレギュラー講座を受け持たせて頂くことになり、一挙に八回もの講座をさせて頂く事になりました。しかもテーマは即興演奏!若林の得意分野を「珍しい民族楽器演奏」として下さる事が主な中で、「即興」のセンスを評価して頂けたというのは大変嬉しい事であります。もっとも、生き方そのものが即興で、マニュアルも常識も、安定感さえありませんから、ポカやるんじゃないかと自分で心配です。と言っても心配事は単純に「寝坊」「電車寝過ごし」と「体調管理」なんですが、「猫睡眠」ですとどのお仕事のどの場面に何時もの昼寝の時間がぶちあたるかが分らないので、ちょっと怖いです。東京音楽大学付属民族音楽研究所も六月から再開しますので、今年は忙しさだけでなく、名誉もある光栄な充実が期待出来ますが、東京音楽大学付属民族音楽研究所は丸一年、無遅刻無欠席(電車が止まってギリギリになったり、スケジュール連絡の行き違いで事務局の方々にはドキっとさせてしまいましたが)で頑張れましたから大丈夫とは思うのですが。
そんな時に限って
 そんな時に限ってお金の工面の詰めが甘かったりで生活はアタフタだったり、プライベートはボロボロだったりする。せっかく色々な方が助け舟を出してくれる時に限って、サンダル突っかけて着替えながら駅迄走る様な「精神状態」(あくまでも例えです)ではいくら頑張っても「良い仕事」とは言えない様な。結局助け舟を出してくれる方をがっかりさせてしまうような気もします。本番は立派にこなして、お誉めを下さっても、直前にハラハラさせた記憶の方を多く残させてしまうのかもしれません。今迄メジャーになれなかった最大の原因はこれなのかもしれません。
 世の中、自分の悩み事で悩んでいる方が凄く多いのを、実は大変羨ましく思います。と言うのも、仕事が良い方向に向かっている時に家族の問題が生じたり、友人同士の問題の調停役にならざるを得なかったりで、またそんな時に限って、一生お付き合い出来るかもしれない凄い人(老若男女問わず)に出会いながらも、アタフタしている間に行ってしまったりで、ほとんどジンクスのような、あまりに定型パターンが続くのでトラウマもあるんでしょうが、大事にしようと思えば思う程失敗してしまう。
  ならば多少ボーっとしていても流れに身を任せるような方が良いかと思うと「その気がないなら良いや」と行かれてしまう。ハッタリと営業が下手な分、音楽とお仕事の本番はノリと集中力で乗り切ってきましたが、人間関係の不器用さには我ながらほとほと困ってしまいます。
 つい昨日も、その方の為に良かれと思って言ったことが、もしかしたら 気を悪くしたんじゃないか、なんてまったく何十年繰り返していることやら。人間関係も、否、むしろそれこそ得意の「ノリと集中力」でやった方が相手に安心感を与えたり、付き合い方に安定感を感じて貰って良いのかもしれませんが、好きな女の子の恋愛相談役になっちゃうようなタイプですから、要領もタイミングも悪いのでノリだけじゃ駄目なようで。困ったものです。昨日迄あんなに強気のノリノリ気分だったのに、今日の東京は無情の雨。せっかくの吉本興業のお仕事ですから寛平さんに会わせてもらって「血吸うて」貰って大阪のB型にすっかり入れ替えて貰いたいです。

   

3月15日 杉並の小学生も元気!
 

我が故郷はどうなの?
 今月の始まりは、明るく元気で暖かな福岡平尾の小学生との楽しい民族音楽の会でした。ここ数年、東京の街を歩く人々の無情で、よどんだ不気味な表情にホトホト参って、地方に行けば全然まだ大丈夫って人々の顔、そして屈託の無い子供達に救われます。が、逆に我が故郷、東京はどうなの?このままで大丈夫なの? そんな街で育つ子供達は?って本当に心配になってしまうのです。
  しかし、最近になってやっと分って来たんですが、東京の中でも「閑静な武蔵野の」とか、「若者の街」とか「文化の街」とか言われている、若林がかれこれ25年以上住んでいる全国的にも名の知られた吉祥寺がけっこうやばいスポットになっているから、ついつい東京の末期症状、ひいては日本の暗い未来を案じてしまうのかもしれないのです。
 渋谷センター街や新宿歌舞伎町に長閑さ、暖かさを求める人は居ませんし、下北沢や原宿竹下通りにも心のふれあいを求める人は少ないかもしれません。それに対して吉祥寺には井の頭公園が有り、成蹊大学、東京女子大、明星学園、アジア・アフリカ語学院、少し離れて国際基督教大学などが有る分、文教的で長閑で、って感じがしますが、繁華街は迎える商店主もお客さんもよそから来た人達で溢れ、おそらく西側の東急デパートの裏手方面に少し長閑さとお洒落さが見られる程度で、若林の通勤路である旧近鉄側から南口駅前に関しては、先日もチンピラといざこざになったりするかなり荒んだ地域でもあるのでついつい荒んだ気持ちになりがちだったのかもしれません。
 これは先日浅草に一緒にジェンベを買いに行った日本の将来を任せられる頼もしい若夫婦にも言われていたんですが、日本も悪くなったばかりじゃない。そう!たまたま若林の住んでる所が荒んでる? 否、お前自身が荒んでる? きっとまだまだ暖かくて元気な日本がある筈。
 と言う切なる望みを励ましてくれたのが、今日呼んで頂いた吉祥寺のお隣(のちょっと先?)の杉並区立富士見ヶ丘小学校の先生達と子供達でした。
最近何か感じるメールの不思議
 御陰さまで、昨年夏前にPCがネットに通じ、それまではマッキントッシュ・カラー・クラッシックって発売された当時はクラシックじゃなかった筈が、昨年春までそれで原稿や楽譜書いてる奴なんか居ないゾってレトロなPCの愛用者だったんで 、i-BookというOS-Xの一応最新機に変えたら「えっ!プリント中に他の仕事出来るの?」とか「えっ!もうとっくに保存されてるの? 瞬間だったじゃない!時計マークも出なかったし」ほどのカルチャー・ショック。
 それまではそのカラクラで ネットなんてとんでもない状況でした。教室のビルも配線外付けで大家さとビル管理会社に頼み込みが必要だったので。その御陰で知らないフリしてられた誹謗中傷の書き込み文化には触れなくてすんだし、迷惑メールも携帯同士のみに変えたらほとんど来なくなってましたが、ネット文化と接続したらしたで、この一年の新しい出会いやお仕事を考えたらもの凄い飛躍とも言える訳です。
 幸いにして迷惑メールはほぼ自動的に「迷惑メールBOX」に入っちゃいますので、気にならないし(たまに何故か大事なお付き合いのメールも入っていたりするんですが)
教室問い合わせや、「聞いてみただけ」っていうお仕事にならないお仕事メールでは、その後嬉しい出会いに発展しないものも少なくありませんが、最近何故か勘が働くと言いますか、文面に見えない何かを感じる不思議な現象があるのです。
 先日の福岡も、昨年の世田谷も、ごくごく一般のP.T.A.主婦の方のお尋ねでしたが、何か文面に見えない純粋な心が感じられたので、通り一遍なお返事に少し掘り下げてお尋ねしたら、やっぱり素敵な方々で、本番も想い出深いものになったのですが、今回の富士見ヶ丘小学校のご依頼は、教育委員会のスタッフさんからのメールだったので、マチュアの方のほ〜んのちょっとブシツケな雰囲気の逆の、若干オフィシャルな感じもしたのですが、また勘が働いて「お断りのメール」に一言加えたのです。予算がないが、楽器を子供に見せたいので貸してくれ、というお話しでは普通、門外不出の楽器は出せません、で終わってしまうのですが。やっぱり今回も勘に従って大正解でした。
 教育委員会スタッフといっても区役所の部署に居る方ではなくて、小学校の中にデスクがある平田さんは、地域在住の奥様であり、子供達からも慕われている素敵なお方でした。詳しく学ぶ時間が無かったのですが、中学校のお仕事もしているとかで、世間一般の教育委員会のイメージ とは随分変わって来たのだと嬉しい驚きでした。
生まれ故郷に凄く近い場所で
 富士見ヶ丘小学校は、若林が生まれ育った杉並区宮前とは井の頭線富士見ヶ丘駅を挟んで南北の反対側ですが、都立校の学区(当時)は同じの凄く近いエリア。閑静な住宅街の雰囲気と私鉄沿線の雰囲気を併せ持った(杉並には北部の西武線沿線にもその感じがあります)、武蔵野〜杉並の良いところを持っています。と言いますか、若林にとっては一番落ち着ける(お世話になっている武蔵野の方々ごめんなさい。でも吉祥寺よりは遥かに。でも今では家も身寄りも無いので.........)地域なんです。それでも、中央高速の真下の学校の回りは、かつて小中学校時代に遠出した当時とは趣も当然ながら随分と変わり、大きな集合住宅やこじゃれたマンションが立ち並んでいて、正直思い出せる景色は何も有りませんでした。
 学校の警備は、最近色んな事件があるので、何処もピリピリしていますが、平田さんの見事なコーディネイトで門の所でオロオロしてる若林に父兄の一人が「あっ馬頭琴の先生ですね」と案内してくれ、校長室へ。明るくて元気な女性の校長先生も暖かく迎えてくれて。お茶を入れてくれた音楽の先生は、昨年の夏前の作曲家の松橋さんのユニットTOVのまんだら2LIVEに来てくれたヴォーカルの佐々木モモちゃんのお友達で、偶然聞いた若林のタブラ演奏が凄く良かったと言って下さりと。暖かく迎えて頂きました。
 今回のリクエストは、すでに有名になったモンゴルの馬頭琴を取り上げた「スーホーの白い馬」が小学二年の国語の教科書に 載っていることからの馬頭琴の紹介なんですが、若林は馬頭琴は現地で習った日本人にレクチャーを受けた程度で、楽器を見せる程度しか出来ないと念を押したんですが、それでもここ数日少しでも音を、と結構練習して望みました。
今更ながら面白い馬頭琴
 馬頭琴(モンゴルではモリン・フールと言います)は,
弓のみならず弦も馬の尾毛を束ねたところが珍しいので有名ですが、その他にも高音弦、低音弦の二本が、洋楽器のとは逆の順番で張られる点、人差し指と中指は爪の付け根で押さえる(これはインド弓奏楽器サーランギー、ブルガリア弓奏楽器ガドゥルカも同じなので若林的にはお馴染み)他、薬指は腹で倍音を出し易くし、親指も用いたり、一弦の下からくぐって二弦を押さえたり、という独特な奏法が面白い楽器です。
 一昨年色々なライブで共演させて頂きお友達になった、その名も「倍音`S」という北アジアの倍音系音のバンドも成り立つ程、モンゴル等の中央・北アジアの楽器(歌でさえも)は倍音奏法がかなり重要で、モリン・フールの独特な指使いもその為と思われるのですが、にわか練習でしたが、富士見ヶ丘小学校の暖かい子供達の素直で熱心なまなざしの御陰で、実力以上の演奏までしてしまった感じでした。
 廊下で並んでるころは大騒ぎで「これで大丈夫なの」という感じでした。平田さんも「ここには同じ若林先生という体育の名物先生がいるので、生徒が騒がない様に若林さんと紹介しますね」と気を遣ってくれたんですが、むしろ若林はその話題から子供達の世界に入れて貰い(平田さんせっかくのお気遣いをすみません)スーホーの話しを子供達にリレーで話して貰っているうちに、みんな食い入る様にテーマに参加してくれました。
可愛くって明るい杉並の子供達
 スーホーStoryのリレーの中で、若林が一番考えてもらいたかった事。それも子供達は凄く理解してくれました。
 愛馬をお金で奪おうとした王様(二年生の快活な女の子が「殿様の王様」って言って若林が「それじゃ殿様キングス」て言ったら皆大爆笑。なんで殿様キングス・ギャグ通じたのだ?) にスーホーが断る場面。何故?と聞いたら、本来は二年生だけの予定が、教頭先生のお願いで三年生にも見せたいと参加した三年生の男の子が「それほどに白馬がすきだった!」と嬉しい答え。でも王様に無理矢理奪われ遠くに連れ去られた白馬がスーホーの所に逃げ帰り、力つきて死んでしまった後が肝心。夢枕に現れて「私の骨と皮と尾毛で楽器を作って何時も弾いて下さい」って感覚は日本人のものとは違う筈。「おじさんちには猫が12匹も居るけど、もし先に死んじゃって夢枕に現れても三味線作る気にならないよ」というと一同「う〜ん。そりゃそうだ」とうなづく。でもモンゴルの田舎にはTVも無ければゲームも無くて、人間よりも多い数の動物と暮らしていたらどうだろう? 「モンゴルの田舎には何が有る?」と聞けば元気な女の子が「草原!」同じ二年生が黒板に見事に漢字で馬頭琴と書いてくれた。若林の立たされ坊主の二年生の頃とは雲泥の差の賢い子供達。情報を受け取るだけじゃなく、ちゃんと理解して整理している。凄い。ただそれに「想い」が加わればもっと良いのだけれど、ささやかながら今日の音楽と話しの機会はその一端を担えたのなら幸い。
 そんな懸命な子供達は、自分もゲームの無い世界で唯一の友達が馬だったら、楽器を作ったかもしれないな、と思ってくれた所で馬頭琴の基本奏法を順に紹介。
 「このゆっくり弾くところがモンゴルの平原」「平原が見えた?」子供達は遠慮なく「まだ見えな〜い」。馬頭琴独特の倍音のささやかな音を「これは遠くの景色」そして意外に大きなドローンを響かせた音を「これは足の下の大地」と紹介すると「あっ!見えた!草原」と言ってくれた。続いて馬の歩く様子。小走りの様子。そして草原を疾走する様子とどんどん引き込まれてくれて。悲しい鳴き声、嘶き!のところで大盛り上がり。
 後半は、馬頭琴よりも珍しい、若林の専門。来日演奏家から学んだ撥弦楽器のトプシュール(PとBの間の発音)も紹介。日本の唱歌も歌ったがこれは古過ぎて先生方にしかウケなかった。残念!
 実はトプシュールの糸蔵には馬の彫刻が無い。「若林先生!その馬頭琴もなんで二弦なの」とほんとに今の二年生は賢い質問をする「今君は馬頭琴って言ったけど馬頭有る?」実はトプシュールには馬の頭以外の部分が彫られているのです。彼らもそれにはびっくり! またも賢い二年生が「じゃあそれって馬足琴(バソクキン)?」とトプシュールの日本語名はその時初めて命名されたのでした。 
 富士見ヶ丘の皆さん。暖かなひと時をありがとうございました。
平田先生、早速メッセージも頂き、ありがとうございました。

   

3月16日 両極端の話し
 

両極端の話し
 突然ですが、今日は両極端の話しをします。と、言うのもこの数日の間に何人かの最近とてえも仲良くして頂いている方から、全く違ったテーマ、ポリシーで「両極端」について考えさせられるお話がありましたし、意外な方面から凄く辛い話しを聞かされたことも加わって、これは何か言わなくてはならない感じなのです。
イジメられ子の世界観
 若林は、個人プロフィールにも書きましたがマジに虐められっ子でした。「役者の子!」と石を投げられていたのですから半端じゃありません。が、そんなあからさまな分逆に後腐れもないんですが、小学校の後半は結構陰険な黒板メッセージがありましたネ。今思えばあれが無記名で名指し誹謗中傷する掲示板文化の原点なんでしょうか。
 若林が虐められていた原因は、父親の仕事が俳優だっただけではきっとないんでしょう。何故かクラストップの賢さとお金持ちの女の子が庇ってくれるのもイジメ側にはムカツク一因だったでしょうが、根本的には「排除本能」なんでしょう。それ以上はあまり分りません。なにしろイジメを自覚したのが中学に入ってから「そう言えば小学校でイジメられてたんじゃなかったっけ?」でしたから。
 インドに行く前にかなりハマっていたヒンドゥー教の教えには、宇宙を個々の人間の体に例える、と言うか同一視する発想がありますが、それをお借りするならば、イジメの根本は免疫作用のようなもので、ばい菌やウィルスを閉め出そうとするDNA本能のようなものから、鼻毛が塵、埃を掻き出す様なものだと思います。故に根本的には「イジメは無くならない」のであって、これは恐らく洞穴で暮らしていた頃から有る訳で、人間だけの事でもない訳で。なまじ免疫が出来ればその後は「別に体内に居ても良いよ、もう馴れたし、あんたごときは怖くもないし、増長はさせないしね」となって存在を認められるのです。実際の小学校でのイジメもターゲットの子は色々変わりました。もっとも哀れな場合、免疫側(いじめっ子側)はたまに予防訓練的なものも必要な様で、特に異端でもないのに生け贄が「排除練習」の相手にされていました。
戦争と平和
 最近知り合いになった頼もしいジャーナリストの若者が、ご自身がまとめたフランスの若い「平和運動家」のインタヴュー記事を送ってくれました。
 記事は全体的にとても暖かく、フランス人の若者と聞き手の若者の、人としての大きさ、暖かさ、気持ちの余裕を感じました。 なかでも「平和運動」という次元から発展して「平和の文化を広める」という様な観念の部分は素敵でした。それこそ幼稚園の頃から、一歩家を出るとイジメに合っていた若林にとって「平和運動」という観念には逆の抵抗があったので「平和の文化」というのはとっても救われるフレーズでした。
 イジメられっ子 の側から言わせて貰うと、前述の様に「イジメは免疫作用」とするならば、いじめっ子から見れば「戦争=闘病」であり「平和=病気との共生」的なところもあるんです。こんな極端な話しは誰も理解してくれないでしょうが、何が病気で何が健康か?ということを定義してないのですから、まずはお聞き下さい。
 思春期には誰しも自分の体の部分がとてもコンプレックスに感じて「出来れば取り替えたい」と思う事があるでしょう。遂には希望通りに整形してしまう人も居ます。が、これを誰も「戦争と同じ位良くない事だ」とは言いませんネ。でも排除された(大概の整形は足すのか?)部分にとっては良い迷惑で、イジメを通り過ぎて抹殺されたんですから大変な話しです。その判断の基準というのが、何処で誰が決めたか分らない『美意識』ですから。WASPの理念が正しいと世界中にそれを押し付けている今のアメリカの政治家さんと、それによる戦争に似ています。「平和運動家は整形すべきではない」と言いたいのではありませんが。
 確かに世の中には沢山の不条理、卑劣な悪意が満ちています。こんなご時勢ですからそれは日に日に増えて行き、確かに憂うべき状況で、それらに果敢に立ち向かう人々は、イジメられっ子から見ても立派で素敵な人達です。が、『平和の定義』って何なんでしょうか? ウィルスやばい菌だって生きる権利が有る筈のミクロのサイズのマイノリティーだとしたら、『平和運動家』は闘病さえ出来ないという話しも成り立ってしまいます。これもまた大変物議を醸す発言ですが、イジメられっ子の意見に今しばらくお付き合い下さい。
病気と健康
 かつて人間は大腸菌やブドウ球菌で死んだ筈ですが、今ではどんなに奇麗に着飾った人の体の内外に沢山共生している筈です。滅ぼした撲滅した(と思ってるだけ?)菌やウィルスがある一方で、常在菌があったり善玉菌と言われたり。またあらたな菌が発見されたり、鳥から、牛から伝染したり。最も象徴的なのが、若林と母が、母の半年の闘病で立ち向かったMRSAなどは常在菌だったものが人間の医療が作り出したあらたな驚異と言われています。そうした彼ら微生物も「生きるため」に人間に取り憑いている訳です。世界には全ての医療、治療を拒否する宗教さえありますが、若林は別にその観点で物を言っているのではなくて、『平和のあり方』『勝ち取った後の世界観』というものが見えて来ないのが、悔しいのです。かつてはナチス・ドイツと同等の「悪の枢軸国」だった日本が今じゃ「友好国」なんですから、我々は『善玉菌』に出世したのでしょうか?
 知り合いのお医者さんが非常にクールなことをおっしゃいました。細菌やウィルスにも進化と高等下等が有って、賢く進化したものは「宿主を殺さない」というのです。が、彼らがその賢さにたどり着くには数千年、否それ以上も掛かる訳で、医療はそれまでの虚しいせめぎ合いに過ぎないと言うのです。
 世界中で身内の死を悼まない人は居ないでしょう。それが理由も分らず、もしくは納得出来ずに一方的に殺されたならば、もしくは 助かる人も居る病気で亡くなったのなら無念でしかたがない筈です。でも、実際のところ、その人の天命というものは医療も発達し、価値観も多様化する中ではとんど判定出来なくなってしまっていますから、「どういう生き方をするか」はほとんど考えられずに、ただひたすら長く生きる的な方向しか無くなってしまったような気もします。これは価値観が多様化し、それぞれの意見や生き方が認められて、人権問題もかなりに改善された様で居て、実は答えが先細っているような感じもします。
 もし人間が「病気に掛かったら逆らわずにさっさと死んでしまえば良い」と思っていたなら、医療は不要で、多分戦争もイジメも無いんだとは思いませんか? 若林は、それが天命なら何時死んでも良いと思っています。志は半ばにも届いて居ませんが。頑張って生きているのは悲しむ猫達、若干の人間達の為のようなもので。自分の生命力の助け程度の医療はしていただくと思いますが。
 そもそも健康の定義というのも全く未成熟な感じがします。「健康オタク」という人も居れば、若林の知り合いにも「宗教マニア」も居ます。サプリメント や健康食品にハマったり、スポーツで鍛える事にハマったり、否!精神の健康が無ければ無意味と精神世界に答えを見い出す人も居ますが、人間らしいスタンダードってないんですかね? 
 人間の幸せ、健康というのもあまりに考え方、感じ方が色々あるので、全くまとまってない訳で、それはそうであるべきでしょうが、その御陰で『目指すべき平和』の定義も成り立たない訳で、価値観の違いが利害の違いを生んで、戦争も起きますが、若林にとっては人間の殺し合いの犠牲になる動物や昆虫の方が心配です。
 まあ、こんな勝手な事を言わせて頂けるってことはかなりに平和な世の中なのでしょうが、それも最近ちょっとヤバイ雰囲気で、正直何処で見知らぬ人に突然ブスッとやられるか分らない感じもあります。
 あれっ? 今気づいたんですが、肝心の両極端の説明が全然なされていませんネ。ごめんなさい。また今度ちゃんと続きを話します。ようするにイジメられっ子から見るとイジメる側も、イジメられる側も似た様なもの、という、あれ? 余計にややこしくなって来た。だから若林は双方から排除しようとされるのだ。

   
3月18日 呼び方、呼ばれ方
 

「奥さん」という呼び方について
 最近、お仕事で幾つかの方面で不思議と団塊の世代の方とのお付き合いが増えています。もっともその世代の方が今の日本の中枢である訳ですから当然と言えば当然ですが。
  そこで先日「奥様」とか「奥さん」と言う言い方をして大変怒られびっくりしました。端的に言いますと。日本に本格的な人権問題意識を促して下さった団塊の世代の多くの人々にとって「奥さん」は古い悪習の象徴的な言い方なのでそうです。
 そう言えば、若林の民族音楽教室でも 激怒されたことが有ったにもかかわらず、若林は愚かにも全く反省していなかったのでした。
  若林の面白可笑しいレッスンをそこそこ楽しんで下さっていたと思っていたあるクラスで、ある方がおかしな間違いをされた時の事です。若造なら「こりゃ!小僧、何ボケとんじゃい!」とさらりと言って一同爆笑の場面でしたが、相手がちょっと気取ったお上品なご夫人だったので毒蝮三太夫さんを少し上品にした位の雰囲気で「ちょっと!奥さんそりゃないんじゃない」と言ったらそれまで皆さんと一緒に笑いながらレッスンを受けていた方が突然真顔で「私は結婚相手の所有物じゃありません!」と激怒されたのです。その後その方には、他にも色々若林の気に入らないところが目立って来た様で、ほどなく教室を辞められました。その方は団塊の世代どころか若林よりも若い世代の方でした。結婚指輪はしてたんですがね。
 その場では、ひたすら非礼を詫びるしかなかったんですが、 そもそも若林が面白可笑しくしなくてはならないクラスは、音楽に対する意識が「楽しかろう良かろう」でレッスンも修行じゃ全くなく「弾ける様にさせてくれて当たり前、レッスンが分かりにくけりゃ不機嫌」という実は普通に良くあるクラスでのみのことで、真剣な人のクラスでの若林は、他のクラスの生徒さんでさえもびっくりするほど険しく、無言でひたすら音を出しているのです。若林が会話すればする程、それが面白ければ面白い(文化論的に興味深いという意味ではなく)ほど、音楽修行的にはレベルが低いのかもしれないのです。
  レッスンで予定していた音楽的な課題に生徒さんの練習不足や、集中力不足で到達出来そうにもなかった時は、理論や文化的背景について講義したり、取っ付きが悪くてムッとしている人の御陰で教えるモチベイションが極端に下がってしまった場合、自分も含めて和やかに気分を変えなければやってられない様な雰囲気の時もまま有ります。そんな場面で言葉っ端を取り上げて激怒されても困るのですが。根本的な問題は、世間の人の「呼び方」「呼ばれ方」を若林があまりに無頓着な点にあるようです。
配偶者と納税者
  他のクラスで 、今度は男性ですが、恋人の頃から若林も数回お会いした女性と晴れてご結婚された後、若林が「奥さんお元気?」と言うのには反発しないのですがその奥さんの事を自分が語る時に「私の配偶者は」と言うのでびっくりしました。一応お弟子さんの立場でしたから、彼には「それは可笑しい」「言葉と言うものは相手用なんだから」「配偶者じゃ聞かされる方が気味悪い」と説教しましたが、譲れない部分だとのことでした。
  「言葉と言うものは相手用なんだから」と自分で言うなら。前述の方に対して、その方が不愉快な「奥様」は相応しくないという理屈ですが。その理屈もその彼の為に言ったまでで。若林にとっては「どうでも良い」ことなんです。
 彼女、彼氏。主人、旦那、夫。女房、かみさん、妻、家内、色々ありますが、若林は自分の事でさえ、「私」「わたくし」「僕」「俺」「オレ」「拙者
」「我が輩」の何でも全然良くって、未だに演奏会のプログラムに「若林忠弘」と書かれる事がありますが、全然不名誉に思えないんです。「そっち」とか「こっち」とかでもオッケーで、母が京都系の人だったせいか「あんた」も悪い印象がないんです。
  関西弁で「自分」ってのが「どっち?」に思えるのでさえオッケーですが、基本的に前後の話しの内容の方が肝心なのであって、その前後の文脈や会話の流れで最も自然なものが一番と考えているので、何かに決められると、その流れの相応しさが無視されている様に思えます。もっと言ってしまえば、呼ばれ方を人に指図する程偉いの?って言いたい気もしますし、「配偶者」さん、もしくは「お連れ合いさん」同士の気持ちやご関係など、正直興味ないですから、好きに言わせて頂いて、前後の言いたい事の方を受け取って欲しいと思う訳です。
 これに関連しているとは思われにくいかもしれませんが、「国民の皆さん」という政治家さんやお役人の言い方にはちょっと反発を感じます。本当に国を愛し人々を愛している方がどれほどなのか?という思いからです。
 若林は、強いて言えば基本的に保守派リベラル系(政治ではなく、伝統文化遵守主義の多国籍派ですから)ですが、この点に関しては悪名高い某党の右派の政治家さんの方が、愛情もって「国」「国民」と言ってると感じる時も有り、逆に左翼系の方が理念優先で人間やましてや動物達の個々の姿や権利が見えて来ない感じもします。いっそのこと「国民の皆様」などと言わずに「納税者」とか、経済的にも軍事的にも保護されているには違いないんですから「非保護者」とでも呼んでくれた方がとも思います。文句があるなら無人島で畑耕し魚釣って暮らせば? という感じです。
 「呼び方」「呼ばれ方」は最低限の礼儀であり、権利であるという事なのかもしれませんが、これって日本で日本人として生きて行く上でホント難し過ぎます。
  若林が民族音楽ライブスポットを始めた当時の事。その数ヶ月前に吉祥寺の遊び友達でロック仲間の兄貴分が若林の実家に下宿していました。かなり安い家賃で、母も頑張ってまかないの食事を作っていたと記憶していますが、喫茶店やスナックの厨房の経験が有った彼は、そのまま若林と母が始めたライブハウスの初代チーフをやってくれました。が、その運営は中々厳しく、若林も彼に幾つかお願いせざるを得なくなってかなり険悪になった時、それまでの数年間、回りの仲間と同じに「○○ちゃん」と呼んでいたのが、話しの中身と雰囲気から「ちゃん」はないよナと思って、礼儀のつもりで「○○君」と言ったら「お前に君呼ばわりされる筋合いは無い」と激怒されてしまいました。自分が無頓着な為に使い方を間違える。これに緊張して気を遣うとかえって逆をやってしまうジンクスが加わると、そりゃもう大失敗になってしまうんですが、どうにか「呼び方」「呼ばれ方」で引っ掛からないで前後の話しの中身や雰囲気で理解してもらえないものでしょうか。
 猫達は、数匹が一緒にたむろしていても、「マロン!」と呼ぶとマロンだけが振り返ったり返事をしますし、「プリン!」と呼ぶとプリンが二階からすっ飛んで来ます。その前に二階の本棚から急いで飛び降りたちっちゃな「トン」という音が聞こえます。
 明らかに自意識と名前の理解が確認 出来る訳ですが、マロンに「ティナ兄ちゃんは?」と言うとなんとなく他を向いて探すような仕草も見せますが、これは微妙に怪しいです。彼らは六感で感じる雰囲気と、目視の何となくの認識と、厳密にはお尻の臭いで誰?の判断をしています。ドアの向こうから鳴き声が聞こえれば声は最も早く認識出来るようです。ついさっきもTVから猫の不機嫌な声が聞こえたら、プリンが窓に飛んで行きました。周囲を徘徊する悪猫と思ったらしいのです。
 
彼らの中で若林が名付けた名前が役立っているかどうかは不明です。おそらく「お父さん」「お母さん」「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「妹」「弟」に相当する何かはあるんでしょうが、彼らの頭の中に「あっ、あの声はマロンちゃんだ!」という風に思い描かれているかどうかは分りません。もしかしたら「一号ちゃん」「二号ちゃん」「三号ちゃん」かもしれません。もしくは、性格や特徴で「気弱君」「チビ元気」「甘ったれチャン」「ズルッ子君」的なものかもしれません。
 この事から考えると、「呼び方」「呼ばれ方」はそれぞれの社会に於ける自分の位置を認識する社会性のある自意識と結びついていて、人間の場合、遥かに猫達より複雑なので色々と考えたり、気を遣う必要があるのでしょう。
  が、それでも元々人(親)が付けた名前や他人との関係で成り立つ名前(主人とか先生とかお父さんとか)に、こだわる感覚はやっぱり若林には難しいものがあり、猫的な方が遥かに助かります。さすがに偉そうに「あんた、あれだろ?」的に言われりゃムッとしますが、それは「あんた」という用語に対してと言うよりその雰囲気である筈で、それまで楽しく話していて、その人が「旦那さん」と言った途端に不愉快になった経験はないので。
  そう言えば若林のあだ名って、だんだん悪くなってます。小学校の低学年の「バカ林」は最低でしたが、その後一学年上の女子の間でファンクラブが出来た時に出世して「若」になりましたが、それをピークに下がりっぱなし。中学で「バヤシ」高校で「とっつあん」ツッパリ仲間と大学では「オヤジ」、それからブルースバンドとヒカシュー時代に「バヤシ」に復活して後は「マスター」「師匠」「先生」はあだ名じゃないですし、店を閉めて
音楽仲間が出来てからは「ワッキー」とか、悪くはないんですが「若」に戻ることはなさそうです。
アフガニスタンやベンガルでは、
 余談ですが、タリバン時代の女性人権問題が取りざたされているアフガニスタンでは、平和な時代でさえ「奥さん」は「奥さん」で、大学時代の仲間であっても、女の子が誰かと結婚したら、仲間時代には「アイーシャ!」と呼び捨てにしていたにもかかわらず、「奥さん元気?」と言わねばならず、これさえも実は無礼なのでお子さんが生まれたら「シャヒッド君のお母さん」と言わねばなりません。そして仲間だった人がお宅に御邪魔しても顔を見せずにカーテンの隙間からお茶や食事がぬっと出され、その際にその手だけを見て「ああ大切にされてるんだ」とか「苦労してんのか?」と知るそうです。これらの文化を一様に男尊女卑、悪しき旧習と言ってしまって良いのでしょうか?
 そのくせ結婚という契約にこだわったり、家土地を所有し国民の権利を主張するのは何故なんでしょうか? 
  ちなみにアフガニスタンではムハンマドという男性をムロモモと舌っ足らずで呼んでジョン(さん)を付けるとかなりの愛称で、そう呼べるのは母親、姉妹と恋人だけです。日本でもこのように決まっていればトラブルもないんでしょうが、日本の「御連れ合い」というのも事なかれ主義の無難な言い方で、日本文化の絶妙な知恵とも言えますが、日本人のファジーな欠点(謙虚の様で居て実は高慢な)にもつながる感じもします。
 これも 余談ですが、東インドに信者の多いバウルーという「音楽宗教」のような教団(といってもスーフィー神秘主義系ですから祈祷所、教祖、組織、祭壇などは本来持たないものです)の教えでは「一切の契約を否定」するので、当然家土地も無ければ職も無く、結婚という契約もありません。が、「神はこの世に男女を作り」の摂理には従い「男女で暮らし子供を授かる」のは義務でもあるのです。結局男女と子供で放浪の楽士になることが生涯の業なのです。あくまでも簡単に極論すればですが。
 若林の観念はそれらの 影響ではなく、子供の頃から自然に出来たことで、元来の遊牧民、放浪芸人的な性格と生い立ちから見ると、所詮は納税者たる国民同士なのに、垣根を越えて落ち葉が落ちたとか、犬がウルサい(って今お隣とモメてるんですが、こっちの植木の虫が飛ぶので枝を切れと言われて、庭に出ればあちらの犬がウルサく我が家のほとんど吠えない千恵ちゃんと他の隣に誤解されたりで....。若林の生家では「孔雀がウルサい」って文句はしょっちゅうでした)などと言ってテリトリー境界線でモメタリ、呼び方呼ばれ方でアイデンティティーのこけん(ってどういう字?)にかかわるって激怒するのって、正直分りません。ましてやものを教わる人に強要出来るの意識は全然理解出来ません。レッスンの先生でなくても、話し相手からも人間色々学ぶんですから、対等であっても年下であっても、前後関係で話し手が好きに使ったら良いと思うのですが。
 その意味では、しばしばその単純な言い回しにクールすぎる感じも受ける英語の方が便利な感じもします。

   
3月20日 福岡からびっくりNews
   3月20日の昼過ぎ、教室の生徒さんに言われる迄ニュースを知らなかったのも大変失礼だったのですが、3月初頭にお邪魔して大変楽しい時をすごさせて頂いた福岡で百年(以上)振りの大地震! 地震に対して比較的楽観的だったという土地柄にしては人的被害がお一人ブロック塀の犠牲になられた以外は奇跡的に最小限であったと伝えられますが、お見舞い申し上げます。
 丁度、先日卒業のお祝いに民族音楽をご紹介させて頂いた平尾小学校 の六年生が無事にみんな良い卒業式を迎えたとメールを頂いたのが18日親御さんものんびりと連休の中日の遅い朝を満喫していたその時だったのでしょう。
 民族音楽センター民族音楽教室でも4年〜10年以上の浅からぬお付き合いの生徒さんに福岡県出身の方が 何人か、と言うより県人会的にはセンター最大勢力なんですが、 佐賀のお友達、小倉の昆虫仲間さんも居ますし、よりにもよって、という感じです。県南の町起こし事業に携わっているお取引先のつてで、集めに集めた貴重な民族楽器を地震の少ない福岡県に運ぶか?というお話もあったのでなおさらのびっくりでした。
   
3月22日 やまよし君のお便り
 

 最近とっても嬉しい意見交換をするやまよし君からGUPIFANの掲示板に投稿を頂きました。18日の「呼び方」「呼ばれ方」についてよし君が感じたことを彼のブログに書いてあるとのことでした。早速拝見して、何かコメントを投稿しようと思ったのですが、相変わらず(良い意味で)の毅然とした快活なご意見には、どうにも「スキ」が無く、結局書けませんでした。
 思えば、若林も彼の年齢の頃には、まだ世の中を信じようとしていたし、何か頑張れば変えられるとも思っていたものでしたし、もっともっと尖っていたと思いますが、彼には当時の若林に無い気持ちの温かさ、余裕が感じられて、きっとそんな人の声の方が世の中には響くのだろうな、と嬉しく思いました。
  それもこれもまゆチャン、りょう君の存在のなせる御陰かな。でも言い換えれば、そんな彼が若林の文章に投稿するってことは、若林も昔に比べれば「スキ」を見せられる程に成長したのでしょうか???
 ちょいっと前の若林でしたら、よし君とは大喧嘩だったかもしれません。よし君の育ちの良さがチラっと見せる、愛妻愛息との暖かな家庭のぬくもりがちらっと見せる「柔らかさ」をプチブルっぽく批判して喧嘩したことでしょう。が、彼はそれを十分認知して決して恥じずに、その上で世の中も愛情を持って見つめているところが凄いと思います。背負い込み過ぎた若林の身内は可哀想だったな、と今更ながらよし家を穏やかな気持ちで眺めながら思ったりします。
 彼の「相手をどう呼ぶか」の意見には、リアクションが出来なかったのですが、その前の日記(?)の「がっかりする話し」には思わず反応を投稿してしまいました。携帯を拾って、人の子供にお土産で上げちゃう話し、財布を拾って仲間で食事しちゃう話し、彼はそれらについて「拾ったものを届けるのが「義務」だ、とは僕は言わない。そんな「強制された義務」で行動しろとは思わない。しかし、少なくとも、自分が物を落としたとき、自分なら拾った人に何を望むかを考えて、自分の行動の基準にすることはできるんじゃないか。自分の大切な写真、戻ってきてほしいと思わないですか?」とまとめていました。
自分に置き換えて考えるマナー
 世界的規模で普及している宗教としては二番目か三番目に古い宗教である仏教やキリスト教でさえ、善も悪も回り巡って自分に返って来るような教えを言っていたと思いますが、似た様な教えに「人の振り見て我が振り直せ」とか「金は天下の回りもの」あれっ?これは違うか。などなど、ようするに自分の喜怒哀楽を他人のそれに、もしくは他人のそれを自分のそれに「置き換えて」考えてみろ、感じてみろ、想ってみろ、と教えているんですが、つまりは2000年以上も前から教えられなくてはならない程の事なんですよね。ってことは人間は、基本的には他人の喜怒哀楽は感じれないってことなんではないでしょうか。それをどうにか「マナー」だ「親切」だ「義務」だって色々な言い方で言ってますが、結局は、2000年経っても未だに身に付いてない感じがします。
教育なのか意識なのか
 拾った財布を我が物にしてしまって平気な観念。意外にも定められたカルマを信じる仏教徒やヒンドゥー教徒の社会的に不公平な立場に置かれてい居る人々には、それこそ天の恵み的に「ラッキー!」と拾得してしまう人が少なくないと聞きました。
  その昔、若林が経営していた民族音楽ライブスポットで企画した「子供会」の「紙芝居」でイソップ物語などの洋物ばかりじゃ悔しい、というのでインドの昔話を取り上げようとしたのですが、その善悪観念や価値観の違いに愕然としたことがあります。
  日本では儒教の影響もあるのかもしれませんし、先日読んだビッグコミックの考古学漫画ではもっと古い古代宗教の頃の観念の様な説明もありましたが「花咲じいさん」や「金のつづら」の話しの方が、まだイソップなどと通じるものがあり、ようするに善行は神様にいずれ認められてご褒美が来るヨ、というものです。が、ヒンドゥー教の場合、(もちろん一概には言えませんし、その意味では世界で最も多様な宗教ですから極論は禁物ですが)たまたま若林がやっとどうにか使えるかな、と見つけた話しでさえ、善行に全く関係無く、祈願した訳でもない農民に、突然空からご褒美が降って来るのです。それが「カルマ」だ、と言われてしまえば、善行をする者など居なくなってしまうのですが、人を助ける力の有る者は助けるカルマがあるのだから、それをしなければ魂は救われない的な教えもある訳です。その力が無いカルマの者に対しては「善行の教育」は無意味ですし、為されない様なのです。よって貧しい者は富める者に施しを受けて当然、の発想も生まれるのです。(本当はカルマの判断は人間のその時々の判断や気分で決められない筈だったので、腹が減ったら泥棒して良いというものでは無かった筈ですが)
  ある意味では、ヒンドゥー教のその部分は、人間の本性を悟り切った様なところがあり、結局は世の中そんな甘いもんじゃないし、善行続けてても一向に勝ち組にならないまま死んでしまう方が多いのだし、ズルイ奴の方が死ぬ迄良い思いをしていたりは、古今東西事実だったりすることと、結局人間は人の痛みなんゾ分らんものだ、ということの悟りのようなところがあります。ただこのようなヒンドゥー教の観念も、キリスト教や儒教の観念も、いずれも「結果論」すなわち「因果応報」的な観念ですよね。人間は、否動物でさえ、結果では無く、その時々の瞬間に感じる何かがある筈です。
気持ち悪いという感覚
 それを若林は子供の頃から「気持ち悪い」と感じていました。 幸いに社会的にはちっともまともじゃなかった親が、さらに幸いに社会的な基準の躾けをしないでくれた御陰で(その御陰で未だに非常識ですが)「因果応報」なんて教育からは全くの自由でした。落ちていた財布を見つけたとしても(実際は皮肉にも落とすことばかりで、一回しか拾ったためしが無い)「落とした人の気持ちを考えなさい」とか「そこでラッキー!なんて考えると、将来自分が落として泣くゾ」なんて考えや教えを全く受けずに来たので、「ラッキー!」と思えば思えられた教育でした。(一応親としては並の教育はしてたのかも知れず。若林が聞く耳を持って無かっただけの可能性も有りますが)
  でも、若林は「ラッキー!」とは思わなかったんです。
 小学校の低学年の頃、生まれて始めて泥棒をしかけました。正確には「置き引き」ですが、昆虫採集の最中、他の子が虫の一杯入った虫籠を置いてしばらく姿が見えなくなったのを、一瞬手にして走り掛けたのです。手にする直前心臓がバクバクいう程でしたから、並の「罪悪感」は持っていたのでしょう。世の中にはそのスリルが快感になってしまう人も居るんでしょうが、幸か不幸か、走り掛けた瞬間に「気持ち悪く」なったのです。具合が悪いというのではなく、不潔な感じと言いましょうか、子供心には「つまらない」に似たものです。
  慌てて虫籠を離して、残った罪悪感と惨めさから手ぶらで逃げ出した後で、その不可解な気分と、行動について考えました。
  自分の力で木々に潜む昆虫を見つけ出し、昆虫とのせめぎ合いで捕まえる面白さと達成感から考えたら、盗んだ昆虫の何とつまらない、気持ちの悪い、愛着の無いものヨ、と子供心に納得し「以後僕は、昆虫とは言わず、こんな気味の悪い誘惑には屈しないぞ」と確認したのです。今迄の人生でたったの一回、お財布を拾った時も、この時の決意の御陰でネコババする気にならず、交番に届けてむしろ回りに誉められれば自己満足のオマケまで着いて来て、ネコババとは雲泥の差を実感した訳です。これは、親の善悪の教育ではなく、「盗られた子供の気持ちになって」などの思慮でも当然なく、ましてや犯人探しで見つかるなんて考えられる賢さも無く、正攻法で得られる快感との単純な比較から生まれた不快感だったと思います。
 すなわちこれは若林にとっては大層な正義感でも道徳観でも何でもなく、猫でさえ、否昆虫でさえするような事なのです。猫は僅かなうんちが着いているだけでも肛門を奇麗に舐め清潔を保ちます。カブト虫の幼虫は、糞をしに腐葉土の地表迄上がって来ます。自分の寝ぐらや、食堂に糞が有って欲しくない清潔感なのか、生きる知恵なのか。若林の正義感なんぞはそんなレベルなんです。
  が、これは動物的、否昆虫的である故にかなりに根源的、決定的な感覚で、「因果応報」の教育より遥かに強力なもののようです。ですから、世の中が「マナーがなってない」とか「義務」だとか言う事自体が若林にとってはかなりに「不気味」で、あえて最悪な言い方をしますと、昆虫にも劣る清潔感で良く言うヨ、とさえ思える時もあります。もしかしたら、これが若林が世の中に対して最初に感じた「違和感」だったかもしれません。
  思えばインド人っておしりを自分の手で水を使って拭きますが、そのより清潔さを味わうと、紙で擦り取ることの不十分さが不気味に感じます。でも日本に帰って来て半月ほどは水を使っていながら、次第にトイレット・ペーパーを使う様になってその感覚はボケて来てしまうのですが、 「マナーがなってない」とか「義務」だとか言ったり、「自分の身に置き換えて」とか「因果応報」のように後々を想像させるよりも先に、その瞬間と直後の不快感を何故問わないんだろう。それほどに人間はボケてしまったんだろうか?と思ってしまいます。
心の栄養と老廃物
 次の話しは、今回は話し切れないので、分り易い説明はいずれまたの機会になってしまいますが、そんなんで若林が最も嫌で、悲しく、辛いことは、財布を盗られる、などの嫌な事を「される」という被害の不愉快よりも、自分が「不気味」と感じる事を人がするのを見る「不愉快感」なんです。
  西洋クラッシック音楽や邦楽のようなしきたりや礼儀、すなわち教育された「マナー」や「強制された義務」の一切無いと思われている、日本に於ける民族音楽のほとんど第一世代で教室や演奏会をやってますと、ほんと色々な悲しい目に合う訳で「月謝のおつりをくれ」などは日常茶飯事で、滞納月謝の踏み倒しから、気が変わったからか何なのか、割引に惹かれて自ら選んだ前納制の払い戻し請求、僕のCDを一人が買ってクラスでダビングもしょっちゅう。果ては貸した楽器返さずにトンズラなども数回ありました。偉そうに言わせて貰えば、そんな事のビジネス的損害ではへこたれませんが、その不気味さ、にはかなりヘコミました。一時とことん彼らの意識に食い下がって凄まじい説明文付きの規約を作ったり、義務を徹底したりしましたが、全く理解されず完敗でした。かれこれ十年ほど前の事ですが。
 どんなお上品な美人でもトイレには行く訳で、人間からイモ虫まで体内に糞やら毒素やらを持っていて、新鮮な空気や食物や、嬉しい言葉や、芸術を取り込んで細胞や精神を新しくしながら老廃物を排出する訳で、それらをけじめるのは本能で持っている筈です。しかし、新鮮な空気や食物と入れ替わりに排出する老廃物は捨て場も捨て方も分って居ても、嬉しい言葉や、芸術を取り込んだ替わりの心の老廃物の捨て場や捨て方は知らない人が多いのじゃないでしょうか。捨てるべきであるとさえ教わらずに、慢性の便秘になっている人や、所構わずぶちまけている人、慢性の下痢気味の人もいるかもしれません。
 若林はキリスト教や仏教の「因果応報」的な教えは「良い事言ってる」じゃなくて、浄化作用が分らなくなってしまった人への仕方無しの教えと思っているんです。それ以前にもっと根源的な、心の老廃物の捨て場、捨て方を導いてくれても良いのに、と思いますが、むしろ逆に押さえ込む、溜め込むことを導いてしまっている教えが少なくない様に思います。そんなですから、消化の良いものの賢い取り込み方、逆に癖になっちゃうかも知れない不気味なものを取り込まない知恵の教えはほとんど無い様に思います。ただ単に「ねたむな、そねむな、僻むな、穏やかな心を持て」とだけじゃ、無理なんじゃないでしょうか。誰かがこの事を分り易く教えてくれれば、ストレスは勿論、心の病から、イジメ、社会の歪み、ひいては戦争までも、随分と解決するような気がするんですが。(キリスト教で牧師さんに聞いて貰う「懺悔」はかなりその感じがあるかも。またヤケ酒で愚痴をこぼすのもある種の捨て方でしょう。ただ捨てた愚痴と同等の嬉しい思いを吸収しなければ、汚れたものを取り込んで、汚れたものを排出するのではちょっと違うかと)
 ひと頃、ストレス発散法が色々言われたり、「愚痴を聞く」商売や 「殴られ屋」などもありましたが、最近は聞かないどころか「癒し」の次に「優しい」とか「ゆっくり」がブームになっていますが、逆に問題の本質を閉じ込める事になって行かなければ良いのですが。
「許す」という事
 しかし、もしかしたら人間は生き物の中でこの捨て方や取り込み方の工夫が最も下手な生き物なのかも知れません。そもそもその心の老廃物は細胞の老廃物ほどは明確に認識出来ないものなのかも知れません。逆にこの話しは全くの勘違いで、若林も単に普通の人が平気なことを偏執狂的に不気味と思うだけで、若林自身他の人が許せない不気味や不潔なことを平気でしているのかも知れません。
  これについては若林自身その十年程前の挫折の際に大方気づいていて、以後は人の不気味さをあまり気にしなくしていましたし、少なくとも自分の偏執狂を押し付ける事は決してしまい、と決意していたんです。でも仲良くなればなるほど、そんなつもりは毛頭なくて「それって変じゃない?」って何の気無しに言ってしまい、その結果その人を不必要に追いつめてしまうのです。なんの気無しの一言でも「ツボ」にあたると結構なダメージなようです。そんな若林から、頭で理解出来ずに本能的に離れてしまう人ならまだ無難なんですが、若林を理解してくれて、応援してくれる人に限って、理解出来る故に辛い思いをさせてしまうのです。
  若林は妹に「お兄ちゃんは自分をも人をも許すことが下手」と言われましたが、十年以上前ならいざ知らず、最近の自分的には「つい言っちゃった」のレベルですから「許さない」では毛頭ないどころか「不気味」なんかでも全然ないんです。むしろ最近怖いのは「その人の為に良かれ」と思ったり「その人が軽くなる為に」言ったことが真逆の結果になったり。
  これを解決するには本物の聖人君子になれば良いのでしょうか? それとも自分もごく普通の人と同じ、否それ以上に不潔で不気味であることに気づけば良いのでしょうか? 大切な人を苦しめてしまうんですから、それに気づいた時は、人類史上で最も不気味な奴と、もの凄い自己嫌悪です。人を批判するほどの立派な人生を送っている訳でもなければ、凄い仕事をしている訳でもなく、才能だって並ですし、だらしないいい加減な奴と思い知っています。このままじゃ人間界では悲し過ぎます。あの時、原っぱで虫籠を盗んで逃げていたら良かったと後悔してしまいます。
 財布を拾ってネコババしちゃった若者批判のような文章で始まっておきながら、「マナー」や「義務」じゃ不気味だヨ、と偉そうなことを言っておきながら、たどり着く話しは自己嫌悪じゃ読んで下さった方は訳分らないでしょうが、これは若林にとっては子供の頃から、おそらく死ぬ迄つきまとうテーマなんです。おそらく人間にとっても永遠のテーマのひとつじゃないかと思うのですが。
それにしても今日は確かに書いている途中でかなりへこんできました。
 今日は荻窪ナタラジで 久々のインド弦楽器サロードのライブです。もちろん何時だって演奏は切り替えて頑張ります。というか民族楽器カメレオンですから楽器を持ったら5分もすればその音楽に染まりますから。ごく最近サロードの師匠の息子とメールのやり取りが出来る様になって、流派の存続に一役買う事に成って大切なライブでもあります。むしろ長く若林の傍に居てくれるお弟子さんには「多少へこんだ時の方が優しい良い音楽を演る」なんて言われています。

   

ナタラジSarod-Liveとニッポン放送vsライブドア報道について
 さて、肝心のナタラジでのインド音楽弦楽器Sarod-Liveは、先日ご自身の結婚披露パーティーでも共演したタブラの江頭君に加えて、タブラ修行三年目尾澤さん、十年来のお付き合い柿沼君、東京音楽大学院生山宮君のデヴュー演奏もあって、ヒンディー語古映画ソングにウケてくれた在米インド人、タモリ倶楽部を二回とも見て下さったという暖かい声援を下さったお客さん、デヴュー・メンバーのお身内の聴衆の方々にも暖かく迎えられて、ほのぼのとしたひと時、久しぶりのサロード・ライブが充実して出来ました。
 尾澤さんからはその数日前、偶然にも若林がお世話になったフラメンコ・ギター演奏家の説田稔先生にフラメンコ・ギターを習う事に成ったとご報告。その日もナタラジと目と鼻の先のお稽古場に行った後の参加でした。説田先生は若林以上に頑固な業界の孤高の存在(本物のヒターノが唯一認めた日本人奏者)若林は結局一年がかりで一曲もものに成りませんでしたが、その分中身は濃く、ギター奏法のみならず様々な民族音楽に大きなヒントを頂きました。教室発表会にはお父さんかお母さんが必ず聞きに来てくれる大学三年生の尾澤さんが同じ先生に学んでくれたのは、偶然とは言え嬉しい話しです。
 尾澤さんは、前回のライブにはお母さんとお客さんで来てくれて予告無しの飛び入りを果たし、今回は久我山のおばあちゃん、おばさん、いとこ、とお父さんが応援に来てくれました。お父さんは若林の二つ上のお齢で(しかも小学校、中学校は若林のお隣)すから、大学入学と同時にタブラのお弟子さんになった尾澤さんが、いつの間にか親睦会で「二十歳になりました」と乾杯に参加し、そしてステージで共演、という点でも師匠をさせて貰っている上での光栄な瞬間でした。
 柿沼君も何時迄も恋人、といった羨ましい感じの奥さんが応援に来てくれましたが、お二人は若林のライブ・スポットの十年以上前からのお客さんで、タブラは十年も前に当時若林がやっていた民族楽器店で買ってくれて、つい一昨年にやっとお弟子さんになってくれたという長いお付き合い。今回はタンプーラで参加してくれました。
 ルーキーの山宮君は、若林が昆虫採集に行く山梨出身の音大院生で、インド音楽の拍節法の研究の為にタブラの生徒さんになられた期待の新人。今回彼の御陰で小雨の楽器運びが大助かり。叙情詩曲ではパーカッションも担当してくれました。
ニッポン放送vsライブドア報道について
 最近のニュースの目玉でありますニッポン放送vsライブドア報道について若林があれこれ言うのも筋違いですが、中学二年生の頃、AMラジオで学校教育音楽以外の音楽、ポピュラー・ミュージック、民族音楽(こちらは本格的にはFM)と出会い「オールナイト・ニッポン」を聞きながらの受験勉強で偏差値を1ランク上げて楽勝の都立校一本合格、大学推薦入学を果たした、などの浅からぬお付き合いと青春の想い出があるのです。
 昨年のギリシア・オリンピックに際してギリシア大使公邸で行われた全国AMラジオ社長のパーティーで、初対面ながらあちらからお声を掛けて下さり、しかも若林のプロとしての名前をお会いする前に既にご存知で居て下さった
亀渕社長の明るさ、暖かさには 30年来のお付き合いののような気にさせて頂いた暖かな想い出があります。
 若林にとって亀渕社長は、妹さんはジャズシンガーで、1970年代当時「オールナイト・ニッポン」の看板アナウンサーでしたので、遅ればせながら昨年のギリシア・イベントで事前に渡された式次第で「あれ亀さんが社長なんだ!」と驚いた時は、若者の代弁者の様だった現場の人が偉くなっちゃったんだ。と青春の想い出がちょっと寂しく思えたのです。 が、その直後、全国の社長に先駆けて真っ先に現場に来られ、スタッフに気配りされ、偉ぶったところが全く無いどころか、当時と同じエネルギッシュなお姿に、裏切られなかった!と思った瞬間にお声を掛けて頂いたので30年来のファンの気分になってしまったのでした。しかも演奏最中もお歴々との挨拶、歓談の会話を止めてニコニコとずっと聴き行って下さって、演奏後も真っ先にステージに歩み寄って「良かった良かった」と言って下さりました。大げさな様ですが、若林は亀さんの様な「社長さん」を見た事がありません。
 正直報道の中で登場するフジTVの社長さんが民放連の会長さんだったりで、昨年の野球界の支配者層とLD社とのやり取りを思い出させるものがありました。バブル以前の高度成長期から今日迄の日本の経済界のトップに君臨する独特な人種の中ではフジ社長は少し違うかな、とは思いながらも民放中最もミーハーで企業・商業性の強い局であるという印象は若林のみならず感じられていることでしょう。が、個人的にもお世話になったポニー・キャニオンさんは、T小室氏全盛の頃、その他の音楽業界が不景気も手伝って「冬の時代」を迎えた際、唯一アコースティックな音楽観を持ち続け、T小室サウンドに果敢に対抗していたことは一般音楽ファンにはあまり知られず評価されていないかも知れませんし、社長さんになられた亀渕さんのお人柄を知らない当時のファンの方も少なくないかもしれません。
 LD社長さんが若林より下の世代でありながら、桁違いの勝ち組であることへの僻みのような発言になりますが、昨年の夏前からネット文化に接し、このような発言の機会も得られ、教室も演奏活動も御陰さまで活性化しておりますが、ネット文化ってそんなに便利でしょうか? 勿論便利は便利ですが、その便利さってコンビニ的ではないでしょうか? 若林の仲の良いお友達にコンビニ本社の方も居ますので微妙な意見ですが、文化そのものは便利な様で居て、実はどんどん選択肢が狭まっていることに気づかないと近い将来大変な事になってしまう。その体質はかつての中国、カンボジアで行われた文革と極めて類似していると思っています。
 実際、希薄で表面的な情報はネットで非常に便利に得られます。また情報のみならず個人の意見さえも接することが出来ます。が、その意見の多くも昨今流行のお笑いにあるボヤキやケナシ的なものが多く、良心的て教養の感じられるスタンダードな意見や、叡智によってサポートされた情報は実は非常に希薄であることに気づいている方は、少なくない筈です。かと言ってそれがラジオでフォローされているか?TVではどうなのか?と言えばむしろ逆な点もありますが。
 またLD社長の言ってる事もブラフなのか本気なのか良く分かりませんが「ネットの便利さを知って貰いたい」とか「まだまだ使いこなしている人は多くない」などの意見を聞いていると「カッターナイフ」の便利さを連想させられます。カッターナイフも今日ではアクリル用の刃に替えたり、ノコ刃に替えたりと色々あって大変便利で、何より切れ味が悪くなればポキンと折って直ぐに解決します。が、昔ながらの研屋さんは要らなくなり、切れなくなった刃の不燃物、廃棄物が生まれます。自分や人を傷つける人がカッターナイフが普及してから増えた、というのはイメージ先行かもしれませんが、小刀や包丁は、工作室や台所以外に持ち出した時点で別な意図が自覚されるでしょうが、カッターナイフはその便利さ故にそこがごまかされて
日常からスムースに異常に移行出来る感じがあると思います。それが現代なんだ、と言われればそれまでですが。


3月27日岩手県子供キャンプ  
 


0番線から出る二両のディーゼル車が北上線。乗降客がボタンを押して乗り込みます。


若干の雪が降る「ほっとゆだ駅」写真左端に青い「ゆ」の看板のある「駅温泉」が。



これでも半分に減った積雪。あたり一面の銀世界を思わせるには十分な景観。


西アフリカ太鼓ジェンベの叩き方を学ぶチーム

ジェンベ・チームその2。「僕も!」と挙手のタクト君はなかなか筋が良かった。


創作楽器の合奏曲を練るチーム。なかなかユニークで独創的。しかも熱心。嬉しい限り。


銅賞チーム「ココアズ」最も元気な悪ガキ風のチームでしたが、最後にはすっかり民族音楽ファン。質問も一番多かった。


銀賞チーム「ワタチャンズ」打楽器合奏の妙技には会場全員息を飲んだ。


金賞チーム「東京ガールズ」ユニークな楽団奏法を考え出して、若林も勉強になりました。


地元の参加チーム「ジャムジャム」素直でもの静かな子が多かった。10年もすると東京の街角ですれ違うのだろうか。


合宿会場の「自然塾さそう館」は創設後20年で廃校になってしまった小学校を利用している

そもそも 
  3月27日は、怒濤の四連ちゃんの初日。岩手県と秋田県の境目の湯田という山間の合宿場で、一昨年(2003/8月)の日光のキャンプにも呼んで頂いたMIP子供キャンプに民族音楽インストラクターとして呼んで頂きました。日光のキャンプの報告は「教育音楽誌(音楽の友社)」の@@月号にも掲載されましたが、主催のMIPに京都のアウトドア・イベント会社「自然派企画」にお笑いで有名な吉本興業のスポーツ・セクション部が絡んで、中々面白い試みを行っています。主に東京の自然に触れる機会の少ない小学生から中学生迄の子供達を中心に、開催地の子供達にも参加を呼びかけ交流も含みながらの自然体験。これに心身を鍛えるトレーニングやスポーツ、キャンプや飯ごうの炊事などから軽いサバイバル体験も数日間の中に盛りだくさんに行われます。
 若林は、吉本の西本さんに気に入って頂いて二度目の参加ですが、民族音楽を聞かせたり、民族楽器を作ったりの「自然派音楽ワークショップ」を担当させていただくのです。が、若干の難しさとしては、子供達の年齢がバラバラな上に、同じ東京でも様々な地域からだったりする点です。小学校での授業ですと、地域も年齢も統一されている上に、学校でのことですから子供達もそこそこ真面目に取り組んでくれるのですが、それがバラバラな上に学校の先生も親御さんも居ない所で、さんざん遊んだ後でのことですから、ある意味一番インストラクター泣かせの現場かもしれません。
 それでも一昨年の講習は教育雑誌に取り上げて頂けるほどの成果でしたし、今回、その時の子供達も20名程居たのですが、彼らはこの二年でびっくりする程に大人になっていて、向こうも懐かしかったらしく、上手く協力してくれたりで、なかなか良い成果を出せ、スタッフの方々にも喜んで貰えたと思います。
例によってシンクロ、ジンクスの岩手北上
 3月も25日以降じわじわと暖かくなったので、直翅目はうかうかしてると孵化してしまうかもしれないし、冬眠状態だった甲虫類の幼虫も食欲が戻ることが予想され、玄関内に非難していた大型コンテナ・ボックスを裏庭に出したり、腐葉土を替えたりを、太鼓修理と平行して行えば、案の定、多種民族楽器無理無理修行の持病のひとつであるギックリ腰がけっこう危うくなりながら、4時間半の新幹線とローカル線の旅でした。
 実は若林は東北三県(岩手、秋田、青森)には 今回で五回しか行った事が無いんですが,
なんと全て岩手県!一回目が修学旅行の「奥の細道」で後の四回が今回含めて全て新幹線の駅が北上。しかもこの二年の間に。2003年の2月の雪深い頃に北上川の畔りのシティプラザ・ホテルでの西陣織の展示会でシルクロード音楽(絹がらみで)この時は、なんと日帰りを二日連ちゃんで、これで二回行ったと計上。5月には土地の名士で展示会の主宰者さんに気に入って頂き、北上線でひとつかふたつ駅の江釣子の江釣子中学で講演会。そして今回が北上線が秋田に届く手前の湯田という小さな町。
 岩手の人には若林と母が大変世話になったので、何故かご縁が深いのかも知れません。母が半年入院した時、一日だけさぼって他はほぼ毎日見舞いに行ったので家政婦さんと仲良しになった御陰で、母の危篤状態も担当じゃない家政婦さんが見つけてくれて命拾いしたり、などなど。日帰りを二日連ちゃんでやれば、馴れるかと言っても、さすがに「遠い!」感じはします。しかも、今回「逆にゆっくり寝て行こう」と前の晩朝迄仕事したんですが、なんとシート三つもまたいで宴会やるかなり頭のおかしい一群にちっとも寝かして貰えず。北上線でも寝ちゃって、起きたら「秋田!」じゃ大変なので、気を張ったまま。
 湯田の中心地なのでしょうか、他の駅は無人なのにちゃんと改札があって、売店もあるどころか観光協会とレストランに加えて駅舎に続けて駅温泉まである(きっとそれでTVか何かにも出てた様な)そして駅名は「ほっとゆだ」なんだか長閑な感じでゆっくり来れれば良かったのになア、とも言ってられないのが、駅に着いたらスタッフが迎えに来てくれる筈が、参加者の子供さんが一人スノーボードの転倒で骨折したとかで、若林付きのスタッフが東京迄 子供さんを連れて帰ってしまい「駅前でタクシー拾って!」と言われたのですが、携帯も途切れがちの山間に、なんと駅前にタクシーが無い!!遥か向こうにタクシー会社が見え、タクシーも二台程、雪の中を楽器担いで行ってみたのに、誰も居ない。 観光協会兼レストランに聞いても電話番号が直ぐ出て来ない「駅の方が分る」って言われ駅に戻れば駅員さんも「え〜そりゃないだろう!」と驚きながらも慌てて調べてくれて、やっとタクシーが30分してやって来てくれましたが、おかげで現場到着してお茶一杯で直ぐ本番。例のごとく完全解放状態のガキ共!って感じの
子供達の中へ! 長閑なのも良いけど、観光客アテにしてないのか? 大丈夫なのか?
 今回の目玉は、ブラジル・パーカッションと採点式のグループ競争。詳しくは一応プロの端くれの企業秘密ですが、「完全解放状態のガキ共!」の場合、これが一番てっとり早いのは一昨年の日光キャンプで実証済み。幾つかの実技、クイズ、グループ創作をやってもらってその都度皆で評価点を付け合って、最後に金銀銅の発表です。会場のあいちこちに散ってくれれて、そこそこ競争本能で集中してくれれば大騒ぎも一段落。それぞれを回ってコミュニケイションすれば、全体を相手にするよりは密な感じになんて、ふてくされてた子も味方になってくれたり。などなど。
 辺り一面(
数週間前には積雪3mを越えたという)雪の季節じゃなかったら、立ち去り難いところでしたが、なにしろ北上線は夕方はまだ一時間に一本ありますが、日に10本ちょっとしかないんですから。新幹線も盛岡に止まる列車に比べ北上に止まる本数は少ないですから、必死で片付けて正しくトンボ帰り。ぎりぎりで間に合う形でやっと北上へ。逆に新幹線は30分も待ちでした。これが一時間以上だと下りで盛岡迄行った方が早く東京に着いたりするというのもジレンマですが「まあのんびりお蕎麦でも食べて」。地方の駅の売店が結構美味しかったりしますから。と思ったらまだ7:00前なのに「店仕舞!」しかたなしにビールとナッツとちくわを待合室で。これはちょっとわびしかったナ。北上ビールがコクが有って美味しかったけど。

3月29日 N.H.K.と民音と
 

N.H.K.「お昼ですよ!ふれあいホール」に生出演
 N.H.K.総合で12:20から全国一律に生放送される「お昼ですよ!ふれあいホール」に出演しました。生という事に加えて秒単位に決められた演奏で、若干の緊張もありましたが、そんな時に限って前の晩なんやかんやで寝られないジンクスの若林は、むくれた寝不足の顔を披露してしまいましたが、ご覧になった方はいかがでしたでしょうか?先日の「タモリ倶楽部」も38度近い熱がある風邪の真っ最中で「貧相だった」と身内や回りの評判 が宜しくないので心配です。
  若林的には手作り楽器の変人ゴリさんに30年振りでお会いし(若林のライブハウスに出演して貰った事があります)たり、久しぶりにN.H.K.社員食堂(?)でお昼を食べたりなんとなく楽しくやって来ました。アフガン・ルバーブの演奏も、あのような状況の短い時間の中の割には何時もの自然体で出来た様な気がしています。が、対面するモニター画面に映る自分の姿には相変わらずの「ガマの油」気分で「変な動きするオヤジだなア」とか「身体の芯がずれてる」とかが気になってしかがありませんでした。
民音の「アジア芸能フェスティヴァル」の大仕事
 N.H.K.の本番の後、吉祥寺に戻るには半端なので時間調整でのんびりしてから、掛け持ちで 埼玉県東松山市民文化センターへ。民主音楽協会さんからの初の大仕事です。
同じ様に世界各地の芸能を招聘して全国で公演を行う労音さんんとのお付き合いは比較的密だったんですが、今迄ご縁が無かった民音さんのお仕事が回って来たのは、演出家の海野先生にご評価頂いたからでした。
 海野先生との出会いは2000年に新潟県が県を挙げて主催した「新潟アジア文化祭」で、中国ウイグル、トルコ、南インドの楽団が招聘された民音さんの1980年代から盛んに行われていた「シルクロード音楽の旅」とそっくりのイベントのフィナーレに新潟民謡「砂山」を合奏させるべく、若林が編曲と各国の音楽、楽団の特徴を生かしたアンサンブルを指導する大任を仰せつかった時でした。
 その時は一ヶ月以上の猶予があったので、若林は各国演奏家が最も普通に用いている楽器の書き方で編曲を記譜して、さらに若林の演奏でウイグル・ラワープ、ダフ、チャン、ドタール、トルコのサズ、ダルブカ、南インドのヴィーナ、ムリダンガムでデモ・テープを作って送ったのです。幸いに全ての楽団が思惑通り「ここまでやられちゃ、こっちもやってやろうじゃないか!」と奮起してくれて、勿論トルコの記譜法が他と違う(だから念の為デモ・テープ付けたのに)インド太鼓奏者がキイ替えてくれとか色々言って来ましたが、それはそれで想定内だったので、上手く丸く納めて、自分で言うのもなんですが、聴衆にもかなりの大評判、高い評価を受けました。
 海野先生はその事を覚えて下さっていて、 今回同様の演出が出来ると見るや、若林に活躍の場を下さったのです。が、今回は時間が二週間も無かったので、楽譜だけ、しかも中国(二胡、阮咸,箏,揚琴)、韓国(コムンゴ、チャンゴ)日本(太鼓、尺八)ロシア(バラライカ、ドムラ、バヤン)モンゴル(モリンフール)ですから、若林は阮咸、揚琴、は得意でも他は、チャンゴ、モリンフール、ドムラがそこそこ、ロシア式のバラライカはかじった程度。幸いにコムンゴ以外は楽器が手元にあるので、音域操作性は理解した上での編曲でした。が、五音音階の「さくら」にアジアだけならまだしも、ロシアが加わる点がお引き受けした時点の最大のネックでした。
 ところが運気がシンクロしたのか、作業に取りかかってみれば、なんとロシア楽団パートに斬新にもコーカサス式の増音程を含む七音音階のパートを書き下ろしてみれば我ながら力作で、これはイケル!と言う感じになりました。
長〜い一日
  初日はスタッフと各楽団代表の技術会議のみでしたが、会場の東松山の遠い事!しかも市民文化センターが駅から徒歩30分。早めについて楽屋で休ませて貰おうなどと思ったらとんでも無い、小走りでギリギリになってしまいました。普通に吉祥寺から通っても現場迄は2時間半は結構な遠出です。静岡や福島十分に着いちゃってますから。
 前の晩ほとんど寝られず、仕事して朝からN.H.K.へ。そして埼玉の奥地(は失礼か?)しかもあろう事か、長い長い東上線にうつらうつらしてしまい東松山駅に着いた瞬間に飛び起きたので、N.H.K.の衣装と編曲楽譜を入れた紙袋を網棚に置きっぱなしで下車してしまい、帰りは更に奥地の小川町迄取りに行って、さらに帰路、楽器を戻してくれるN.H.K.スタッフさんとの落ち合う時間に間に合わないぞ、などと焦ってメールしたり、近所生徒さんにたのんだりしているうちに乗り換え駅を通り過ぎたり、また戻って電車を待つ駅のベンチで寝てしまったりで、失敗フェスティヴァルの様な長い一日でした。幸い本番やお仕事の場面では失敗がなかったのですが、岩手出張の翌々日に、全くなんてことでしょう。
東松山の土地の人に救われて〜訊ねる習慣について思う事
 
でも、そんな勝手なドジの珍道中も、東松山の土地の方に随分助けられました。まず、東武東上線の駅の方が忘れ物の対応に非常に親切で、民音の現場に行く迄に確保が確認取れたので一安心。駅前のファミマーの店員さんも地図までコピーが用意されていて凄く親切に教えて下さり、でも途中で不安になって道を訊ねれば、商店ではないので、普通道を訊ねにくい、向こうも返事が面倒臭い筈の建築会社のご主人は道迄出て来て教えてくれたり、下校途中の中学生も感じ良く、そして圧巻は帰り道。行きにそれだけ多くの方に訊ねて行ったにもかかわらず、当たり前ですが、帰りの景色は皆逆なので、道を間違え完全に迷ってしまえば、回りはお店も無ければ歩く人も居ない。たまたま通りかかった自家用車を無理に止めて道を伺えば、若林よりご年配の上品な和服の女性がなんと「説明が難しいので、良かったらお送りします」とこんなひなびた怪しいオジさんを乗せて下さったのです。それこそ昼のN.H.K.でも見てて下さったのならラッキーでしたが、そうでもなく、恐縮しながら素人では無さそうな和服姿に「日舞の先生ですか?」と伺ってみれば大当たりで、それから市民会館のお話をすれば、P.T.A.の役員をされていた大昔(とご本人がおっしゃった)にモンゴルの馬頭琴(モリンフール)の演奏家を学校に呼んだ事があるとおっしゃる。二胡もお好きで、実に奇遇で、お話も盛り上がりましたが、お名前も聞かずにお礼だけ述べて失礼してしまいました。これも若林の中にある師匠譲りのイスラム的感覚で、他意は無くともむやみに女性の名前を伺わないという礼儀なんですが、どこかであの方のお弟子さんがこのHPを見て下さったら宜しくお伝え下さい。
訊ねる習慣について思う事
 そんなこんなで、東松山の土地の方に大変お世話になって、でもなきゃせっかくやっとの民音さんのお仕事でしたが、「今日迄頑張って来たのに こんな遠くまで徒歩とはとほほほ」のところが暖かな思いで現場を行き来出来たのですが、基本的には若林は全国各地で土地の人に甘えます。
 
面白いのが昆虫採集で地方に行く時も「カブトムシどこに居ますか」と土地のオバさんおじいさん、小学生捕まえて訊ねるんですが、耳の遠い、でも笑顔が素敵なおばあちゃんが「ほう!カブト山にお参りかいな、ご苦労さん」だったり、得てして土地の人の「すぐそこ10分位だな」が大概30分以上だったり。
 一昨日の岩手でも0番線の北上線を案内してくれたオジさんも親切でした。
昨年あたり盛んに宣伝していた携帯電話の徒歩向けナビゲイションまで登場する現代。日頃街で道を訊ねるってことが減って来てはいませんでしょうか? 
  若林も吉祥寺に住んでいるとついつい表情も厳しくなってしまいますが、他人が道を訊ね易い人相で歩いていたいものですし(そう言えば岩手の帰り道東京駅で学生さんに快速と先に出る各駅のどっちが先に新宿に着くか?という難題を訊ねられました。更にそう言えば昨日もカブト幼虫の餌を買いにホームセンターに行った際のバス停で「〜バスは行きましたか」と訊ねたら三人位が同時に答えてくれました)訊ねた時に心良く答えて頂ける様な人相で居たいものです。これだけでも一日が随分と違うと思いますし、訊ねたり訊ねられたりした時にもう二度と会わないかもしれない赤の他人同士に伝わりつながる心の輪がささやかながらも社会を明るくする様な気がするんですが。心良く道を教われば、訊ねられた時に心良く答えようと思う様な感じで。
 とこの数日、岩手からHC,そして長い一日を終えて吉祥寺に戻ると、やっぱり我が故郷吉祥寺はかなりヤバイです。人の人相は誰も「訊ねたくない」「訊ねてくれるナ」の人相で、しかも若者のみならず若林の世代の大人までもが、エスカレーターの前にたむろし,自転車で車道を逆走し、エレベーターも電車も仲間と喋りながらマイペースで乗り降り。
 ところが、 今日すごくびっくりしたのが吉祥寺の駅の改札手前でド派手なロシア人の恐らく(最近吉祥寺でも増えて来た)風俗系勤務の出稼ぎブロンド娘達の誰かが切符が無いか何かで滞っていたんですが、極力他人の通行の邪魔にならない様、その大きな身体を柱に寄り添っていてくれた事でした。恐らく多くの一般日本人が眉をしかめる出稼ぎ風俗娘の方が遥かに人間が出来ていて、その様に気づきもしないで通り過ぎる吉祥寺の日本人の方が自分が改札出た途端にその場で立ち話始め、後の人は下手に文句言って逆ギレされるのが面度なので触らぬ様に避けるという最早病的な状況。これは先日の日記に少し書きました「他人の迷惑顧みないマナー意識」では無く、やはり「自分が尺度の気持ち悪さ」の問題だとロシア娘が証明してくれたような気がします。ハラショー!と言いたかった位。
 そう言えば十年以上前、若林がパキスタンからの帰り、現地で着ていた衣装のまま、タイ空港のトランジットでドリンクを注文しようとしていたら突然日本人サラリーマンのオヤジが若林を押しのけて「ビールくれビール」と日本語でまくしたてた事もありましたが、最早吉祥寺の駅周辺の老若男女が売春ツアーで顰蹙買ったサラリーマンと同じ次元になってしまった感じです。加えて言うなら、携帯徒歩ナビの便利さが奪う「訊ねる文化」同様に今の現代人の追求する「利便さ」が奪うほんのちょっと昔迄有った人間らしさについても考えないとまずいように思います。

3月30日 やられました!
 

 今日の埼玉は風も弱まり、暖かな日差しが心地よい、何やら良い機運が感じられる陽気でした。が、結果としてはたった一人のために若林の力作アレンジはズタズタにされ、20人近い情熱的な世界各地の素晴らしい演奏家の努力が一瞬の内に半分以上も無駄にされてしまいました。しかし、その詳細は、今は語りません。多くのスタッフが応援して下さり、主宰者側も若林を大変厚遇して下さり、そして何よりも多くの素晴らしい本物の演奏家との素晴らしい出会いがありましたので、きっと素晴らしい演奏会に成る筈ですし、それを願うならば今日の事はなんてことないとさえ思えるからです。というか、そう思いたいのです。
素晴らしいロシア楽団との出会い
 最終的には二時間も押したリハーサルは、ロシア楽団から始りました。
正直言いますと、今回のお仕事をお引き受けした際に、音楽的にも雰囲気的にも最も懸念されたのがロシア楽団でした。と言うのも、極めて東アジア的な短調の五音音階の「さくら」にロシア民謡の楽器や音楽性が合致する筈もなく、西洋ポリフォニー音楽のロシア楽団に五音音階のモノフォニーを演奏させた場合の聴衆が感じる陳腐さと演奏家が感じるストレスを考え、結果的に来日楽団中で最も難しく手の込んだアレンジを要求せざるえを得なかったのですが、それに対してロシア人が素直に従うとも思えなかったのです。
  勿論これは思い込みの偏見ですが、同じロシアの中でも極東のウラジオストックの楽団とは言え、極東や中央アジアのロシア人の優越感に満ちたアジア人支配の歴史から考え、またソ連崩壊後の逆に文化的にマイノリティになっている不遇のどちらを考えても、基本的にプライドが高いロシア人がアジア音楽に素直に従うとも思えなかったのに同感して下さる方は少なくないと思われます。手の込んだアレンジは若林なりに彼らの音楽文化に対する敬意と愛情の表現であり、純粋に音楽的な高い目標を目指すものであったのですが、理解されなくても当然でもこちらはその位のものを提示しなくてはならない、と思ったのです。
ところが、ところが、若林のそんな懸念は全て吹き飛びました。彼らは実に素晴らしい音楽家でした。リエゾンの初老の男性大原さんも素敵な方でしたが、プロレスラーの様な威圧感のテノール歌手も実は凄くナイーブで、他の楽団が楽観視する中唯一昨日中に自ら楽譜を持ち帰って行きましたが、ロシア人ならば昨晩はウォッカで初日の労をねぎらっていただろうと思えば、なんと!なんと!翌日の昼、他の楽団に先駆けて真っ先に現地入りし最初にリハーサルをする楽団であったにもかかわらず、昨晩中に若林のアレンジを完璧にさらってあったのです。その素晴らしい責任感、日本公演に対する音楽的で真摯な態度、顔合わせしかしていない若林のアレンジに対する最大の評価には涙が出そうなほど感動しました。若林の懸念は全くの逆の結果になったのです。
 その素晴らしい結果を知ったのは、彼らの持ち曲の、素晴らしいリハーサルを聞いた後でした。丸い胴で金属弦の細かく美しい旋律弦のドムラ、目にも止まらぬ早さのトレモロのババライカ、現地と来日演奏家の今迄の数例では自己顕示欲の強い奏者が多かったボタン・アコーディオンのバヤン奏者は、真逆の暖かさと優しさに満ち、それに女声歌手とテノールが加わる今回のメンバーは音楽的にも人間的にも素晴らしく、今迄聞いたどのロシア民謡楽団よりも感動しました。メンバーの全員が気取ったところが一切無く、明るく謙虚で素晴らしい人達でした。
 リハーサルの後の、狭い楽屋での「さくら」のパート確認でも、彼らは情熱的で、弾く度に若林のアレンジを自分のものに仕上げてくれて、まるでロシア民謡のありもののような完成度になりました。ハラショー!スポスィーボ!の連続でした。
期待以上のモンゴル演奏家との出会い