diary 2004 November & december

11月3日 横浜と出版社から嬉しいメール 12月1日目白大学でレクチャー・コンサート
  11月10日 はるばる屋さんからのメール 12月4日5日 新生楽屋一周年ライブ
  11月15日 トルコ民謡ミニライブ 12月5日  エーゲ海学会
  11月18日 アママニア66モダン LIVE  12月8日  おじさん達との素敵な飲み会
  11月22日 音楽療法仲間と楽しいレッスン 12月13日 初めての炬燵
  11月28日 八雲なかよしコンサート 12月15日 お台場の屋形船でシタール?
  11月28日 幻の猫屋敷再訪 12月16日 音羽女子学生寮でジェンベ?
    12月17日 東京音楽大学付属民族音楽研究所
    12月18日 タモリ倶楽部
    12月23日 品川教育委員会子供
    12月25日 猫達のクリスマス

 11月3日 横浜と出版社から嬉しいメール
 

【横浜からの嬉しいメール】
 先日10月31日に横浜青葉区国際交流ラウンジでのアラブ音楽コンサートに来て下さったお客さんから嬉しいメールを頂きました。
  ご夫婦で子供向けの音楽教室をやってらっしゃる方で、100人を越えた段階で締め切られたのを、是非にとおっしゃって入場された数人の中にいらした様で、かなりの期待感で来て下さったところに、かなりに満足して下さったというありがたいメールでした 。
  ご夫婦はアメリカで長く音楽教育活動をされていて、帰国後の現在もアメリカで考案された幼児養育プログラムを実践されているとのことで、ご自身の音楽体験やお考えに照らして僕たちの演奏と若林の解説を聞いて色々思い当たったり、うなずいたりして下さったとの事でした。
  特に『同感』と書いて下さったのは、若林がアラブ音楽の10拍子の旋律的モチーフとそのリズム・サイクルの関係をご説明した際に日本人風のセマアイ(器楽曲)とアラブ人風を比較演奏した部分とのことでした。

  当日は次の演奏の現場に飛んで行ったので皆さんとお話が出来ずに慌ただしく出てしまいましたので、メールのご感想を頂き大変嬉しく思うと共に大変励まされました。
  イラン人の方にも「イラン人アラブ人が言えないことを説明してるのが偉い」と言って下さったり、メールを下さったご夫婦が「コンサートから大きな原動力を貰った」と迄言って下さり恐縮です。もし若林なりの音楽観が通じた上でのことなら大変幸せです。

【ダイアリーへの様々な感想】
 このダイアリーも意外にも色々な方が見て下さっている様で、先月も数年前に埼玉でのコンサートを企画して下さった方から「いつの間にか更新されているページが出来ていたとは!」とメールを下さり、「何故民族音楽センターで『猫ページ』?」と賛否両論の猫の話しなども褒めて下さいました。(虫ファン以外で虫ページを褒めてくれたお便りは未だですが)
  その他にも体験講座の申し込みの方が褒めて下さったり、嬉しいお便りを幾つか頂きました。逆にダイアリーの言葉足らずの表現にかなりご立腹のお便りも頂きます。

  ご自身でHPダイアリーを書かれている方はお分かりと思いますが、忙しいくせに毎度これだけ書いてますから言わば殴り書きのようなもので、これをもって啓蒙やら人々の意識を啓発するなんてとても僭越です。共感された方は褒めて下さり、拒絶反応を感じた方はご批判を下さるのが普通、当然ですが、出来れば共感された方からのご批判アドヴァイスが欲しいな、と思います。
  日常顔を合わせるお弟子さんからは批判や「あまり難しい事ばかり書いてると教室入会者が減るんじゃ」とか心配されますが、異なるフィールドで異なる思いで活動されている方で少しでも共感して下さる方にご批判されるのはこの上もない喜びです。
  拒絶される方でも「〜は分かるが〜は分からん」というのなら参考になりますが、単なる感情的な拒絶反応だと寂しいものがあります。
 逆に賛否どちらでも無い方のご批判、疑問なども参考したいものですが、そういう方はリアクションを下さらないのでしょうか。
  同族に褒められ、対立する価値観の方に批判され、では進歩が無い様な気がします。

  拒絶反応を感じられた方でメールを下さらず他に批判を書かれる方でも若林がやる事やらずにたわいもない事を言っているなら反応もしない筈ですから、無視されないだけでもある意味評価なのかもしれず、そんな中で、好意で受け止めて下さる方の励ましで日々の精進に励む今迄の感じでも幸せなのかもしれません。
  好意の無い批判でも得られる立場に居る事は幸せな筈です。その上でお仲間にも批判されたならさらに幸せだと思うのです。凄く欲深い話しですが。

【世の中の二極化に危機感】
 同族、お仲間、拒絶反応とかまたも極論していますが、かならずしも極論ではない危機感を感じます。 世の中が かなりのハイ・スピードで二極化しているような気がします。
  僕が民族音楽を続けて来れたのは価値観も人生観も実に多様な世界に惹かれたからに他ならないのに、民族音楽も含め世界の文化全体がいわゆるガリ勉と不良の二種類みたいな感じに二極化しているように思います。「ガリ勉」すなわち学術派は音楽理論を振りかざし民族音楽学なるものでそれぞれの国、地域の人々の暖かみや息吹を伝えようとしない。「不良」すなわち「楽しかろう良かろう」と軽い気持ちで民族楽器を手にし自分の音楽に利用したり、表面的に民族音楽を学んで自己満足している人々。
「役者の子」って虐められてた若林の経験から「虐められっこ」の冷めた目、卑屈な目から見れば「ガリ勉」も「不良」も似た様なもので、結局は互いを受け入れられない感じ、と言うか互いの違いを認識してアイデンティティーを感じる事で安心したり、自分たちのアプローチを正当化する。その為に同族で徒党を組む感じなんです。
 結局は同じもの、同じ意識の表と裏の様な事なのに、それぞれに固執して対立し合う。そんな事では物事の真実には迫れないばかりか、真実がゆがめられる様な気さえします。
  例えば、ここ数年のアメリカの政治家とそのスポンサーがやっていることを見ると、テロリストと戦うアメリカを「悪をくじく正義」の様に宣伝していますが、結局は「殺し合い」なんですよね。「宣戦布告」をして「戦闘員」を相手にしていれば圧倒的な戦力の差があろうとも、その目的、本音が何であろうとも「卑怯じゃない」なんて中世の昔から何の進歩も無い。小中学校の虐めの世界と同次元。いや、保育園幼稚園の砂場の取り合いレベル。
 かつて「東西冷戦」の時代にお互いが世界をそれぞれの価値観で統一しようとした。お互いでそれに対する危機感を持って戦った訳ですが、何かの価値観で統一する事が「平和」だと言う勘違い。

多様性が否定され二極化が進んでいるような気がします。
  その二極の中で安心すればその中での気ままな多様化は見られますが、その二極に属さないバラバラ(本来多様ですから)で発言力も乏しい少数派は淘汰されてゆく感じです。 僕ら虐められ側は実に様々な虐められる理由があって決して同族でもお仲間でもなかったのですが、クラスが二極化すれば相対的にそのどちらでもない「虐められ族」という一族に見られるしかなかったのです。それは双方から排斥される悲しい民族です。

 虐められ子は、虐めっ子より人間的に多様で個性的(それが虐められる原因?)だった分彼らと居る時の方が僕は伸び伸び出来ましたが、徒党を組む訳じゃなかったのです。

  そんな僕がいつの間にか民族音楽を演奏したり教室をやったり本を書いたりHPを作ったりする中で出会う人の多くは「ガリ勉」か「不良」「苛め側」か「無関心側」のどちらかに居ようとする感じの人ばかり。
 世の中について、音楽について「これってどうなの
?」って問いかければテーマによってはガリ勉が共感してくれたり、不良が共感してくれたりしながら、最終的には「そう言うおまえはどっちなんだ」的に思われたりもする訳です。

 【多様のままでいて欲しい】
  どっちでも無い人の方が多くて自然な世の中なんじゃないかと思います。
それが僕の唯一の主旨で、だから世界中の民族音楽を学んで来れたのだと思いますし、言ってることとやってることは矛盾してないし、言ってることと音も矛盾してないと思うのですが、なかなk理解されない。
  なんてまたとりとめも無い事を書いてしまいましたが、共感者からの異なるご意見切望します。
 あっ!今急に思い出しましたが、先日のクイズですが、CMはまだ僕も見てないのでまだやってないのかもしれません、番組の方はヒントも無くてすみません。TV朝日系列です 。

 横浜のご夫婦のメールを頂いたのとほぼ同時に、出版社の方からメールを頂き、先日楽器修理の日記に書かせて頂いた編集者の方がICUから一般病棟に移られたとの吉報でした。

 

 追記11月5日未明 【偶然にも古い映画で】

 4日の日記を書き終えて寝る前に何気に付けたTVの深夜映画(コメディSF)で、日記と同じテーマの場面が画面から躍り出てびっくりしました。
  主人公の宇宙人(地球制服の先遣隊)が星の議会で演説した台詞が
「我々の星は今や対立ばかりだ、対立によって自己を認識しようとしている.........。地球には『愛』がある、地球の征服など辞めて我々も地球に学ぼうではないか?」
  おふざけのコメディ映画でしたが、日記を書き終えTVのスウィッチを入れた瞬間にその台詞なのでびっくりしました。
  きっとその映画でも、異星の姿は未来の地球を示唆していたのでしょうが、何年の作品かは分かりませんでしたが、最早地球がその星になった感じです。きっと作者もびっくりしていることでしょう。

 

 追記11月5日 【嬉しいメールの続き】
 10月31日の演奏会の嬉しい感想メールのご夫婦からまた嬉しいメールを頂き、ご夫婦の音楽教室のHPのアドレスも頂きました。若林達の演奏会の感想も買いて下さっています。メイン・ページがwww.h6.dion.ne.jp/ ̄togetherで、日記的なクラス報告のページがhttp://www.h6.dion.ne.jp/ ̄together/Flute6.htm です。ご夫婦とはこの数日色々なお話をメールでさせて頂いて大変励まされています。

【批判者さんからも気骨のあるメールが】
 4日の日記のアップと入れ違い に早速元生徒さんから「異論反論」ですが単なる批判ではなくなかなか志の感じられるメールを頂きました。メールを往復しているうちに互いに教室在籍中では語り合えなかったことが語り合え、僕も大変勉強になり感謝しておりますが、彼も同様なことを述べてくれました。
  たまたまなんですが、早速ひとつ壁を乗り越えたコミュニケイションが出来た感じで嬉しい限りです。文中にむちゃむちゃカッコいい比喩があったのですが、ご本人の了解が得られたらその内何かの話しで引用させて頂きたいと思います。

   追記11月6日
 8月からのハード・スケジュールにもかかわらず何故か元気な自分。昨年の今頃は寝毛アレルギー悪化で大変な事に成っていたのに何故今年は昨年の数倍ハードなのに元気なんだろう?「そのうち入院か?」なんて思っていたら、ついに風邪を引きました。

  楽器修理の微粉末を吸い込んで咳き込むのと、鉋や鋸で両腕が晴れ上がって関節がきしむので風邪とは気づかなかったのですが5日の朝から凄い熱。それでも頑張って東京音楽大学付属民族音楽研究所で講義をして、楽器修理を少し休みました。
  でも6日には元気になりました。なんだか運気が良く成って来たのか、消える前の一瞬の輝きなのか?頑張った甲斐合って楽器修理も10本近くほぼ完成。
  ガムランの森重さんのご紹介のヴァイオリニスト兒玉さんの大破したシタールも中々良い感じで直りました。兒玉さんは一年近く前からのご依頼で、実際楽器をお預かりしてからは直ぐに直しましたが「今楽器修理出来る状況に無い」とずっと待ってて下さった方で、先月末にお会いしてなんだか意気投合し、最近また増えつつある新しい音楽のお仲間の一人になって頂ける感じの方です。
【インド旅行のお見送り】
 東京音楽大学付属民族音楽研究所のタブラ入門とジェンベ入門は丁度一年経つところですが、今迄で一番の受講者数の賑わいで嬉しい限りですが、なんとタブラ入門のクラスから二人も、しかも女子大生がインド短期旅行に行かれました。
  一人目はなんと帰国するや赤痢かなにかで隔離されまだお話していないのですが、もう一人は7日に出発ですと。若林も毎回大変な下痢で苦しみましたが(我慢し切れず飛び込んだところが陸軍だったという変な自慢話しもあります) 一番最近は執拗な迄の消毒で一切下痢せずに帰って来たので二人目の娘には良く伝えました。
  一人目の娘さんには言わなかった!!ごめんなさい。可愛そうなことをしてしまった。僕が初めに渡印した時代(1ルピーが¥30強だったか?)に比べ若い人が気楽に行く時代だと思っていたので、若林の経験や忠告など役立たずで、それでなくとも「歩き方」本やネット情報をご存知だろうと思っていたので。すみません。タブラの買い方はお教えしたのですが。
    そう言えば昔民族音楽ライブハウスをやっていた頃「マスターのお陰でインドにハマり、明日初めて行って来ます」や「楽しく行って来ました」と行き帰りに挨拶に来てくれる若者が一杯居ましたが、中には「インドに着いて二日目に赤痢になって数週間インドの病院に入院し昨日退院して帰ってきました。明日鹿児島の田舎に帰りますが、一目マスターにお会いして報告したかったので」という凄まじい旅もありました。彼は別に怨みを言うつもりでは無かったらしいですが,そんな旅も知っていて欲しかったらしいです。
  そう言えばその彼に良く似た青年が東京音楽大学付属民族音楽研究所タブラ初級に居ます。バラナシでタブラを少し学んだので初級クラスからの入会ですが、今日の若者にしては礼儀正しく、インド好きの割には明るく(ってまたまた偏見オンパレード)可愛い奴です。
  初めは批判メールだった元生徒君にもたしなめられ、かつ慰められましたが、この数年で染み付いた若いバックパッカー系インド音楽ファンへの偏見はそろそろ修正しないといけませんなア。「俺はちょっと違うゼ」って若者のお便りお待ちしています。
 11月10日 はるばる屋さんからのメール
 

【長年の盟友? 未だに大先輩?】
 若林が吉祥寺で1978年日本初の民族音楽ライブスポット を始めるさらに前、日本にエスニック民芸品店が未だ2,3店しか無い頃吉祥寺に本店を出された80年代前後からインド文化関係に携わっている人達の中では親分的存在(全然気さくな方ですが)の「はるばる屋」さんからメールが。
  夏前にはご主人の一郎さんと色々メールのやり取りをしていたのですが、奥様の順子さんから直々のメールでした。それはなんと倉庫を整理していたらアフガン楽器とインド民謡太鼓の大破したものが出て来て廃棄は忍びないので若林に託すから活用してくれ、との光栄なお話でした。
  若林はかねてからひつこいように言ってますが、実にジンクス人間で、今回も25年程前にはるばる屋さんから大量に譲っていただいたアフガン楽器の再修理に取りかかっていた最中、まるでそれが伝わったかの様なお話でした。しかもアフガン・タンブールを数本直しながら「あああの頃は活用のアテが無く、やむなく購入しなかった弓奏楽器類(タジキ・ギジャーク、ヌーリスタニ・ギジャーク)が今となっては惜しまれるな」とフッと思ったら正にそれが5,6,本もあるというのです。

 もともとは1980年代初頭、アフガニスタンにソ連が侵攻した矢先、はるばる屋さんがウール・セーターの取引先に2,3本の楽器を頼んだところ30本も届いた(もちろん30本分の請求書付きで)という大事件の楽器が日本に最初で最後アフガン楽器が入荷したものでした。ソ連侵攻でチリジリに逃げた演奏家が残して行った楽器、避難資金に泣く泣く手放した楽器達を先方もラスト・チャンスとばかりかき集めて送って来たという感じでした。現在パキスタンの大手楽器店が北部で作った楽器がネットでも売られていますが、古き良き時代の桑材の楽器はもう手に入らないかもしれません。

 30本あまりの楽器の中には結構立派な楽器もありましたが、それらはお得意さんが関西から呼ばれて新幹線で飛んで来て買い占めてしまい,若林はその残り物楽器があてがわれた感じでした。その人は若林がはるばる屋さんに呼ばれて楽器を見に来る迄「せめて一目お見せしようと思って」と待っているという、ちょっと僕には理解出来ない感覚の持ち主でした。
  逆の立場なら「悪いから」とそそくさ引き上げるんですが、楽器は見たってしょうがないだろ、と思うのですがコレクターさんは弾かないで見るのが目的だからでしょうか?人も見て喜ぶと思ってるのでしょうか。今もあれらの楽器は修理もされず、奏でられもせずガラスケースに陳列しているのでしょう。

 その残り物楽器を一旦預かって修理しどちらかで売れたら修理代を貰い、自分用にしたい楽器の代金に充てる、という話しとなりました。が、幾つかのラバーブは売れましたがタンブールはほとんど25年在庫状態で、実は僕の楽器店でもかなりきついデッドストックでした。結局自分用に良さ目の楽器を残しているどころじゃ無くてその良さ目の楽器から売ってしまいました。
  なにしろアフガニスタンは世界で最も楽器を雑に作る上に、超乾燥地域のためニカワが非常に緩く、にもかかわらずアフガン楽器は共鳴弦が多いので弦の張力に負けて日本の梅雨に大破してしまうのです。でも残り物の楽器のさらに売れ残りの楽器が、日本で一番手入れされ、数十回もステージで奏でられているというのも皮肉な話しです。愛用のラバーブは数本の中で最も古びて大きな亀裂があり、伝統的な象眼のデザインも無い売れ残りでしたがそれで全国各地で演奏したのです。伝統デザインの楽器は後に森繁久彌さん一家から頂きました。
  若林はアフガニスタン音楽教室と楽団結成を目指してアルバイト迄雇って20本の楽器を直しましたが、結局生徒は25年間に一人も入らず。楽器も売れず。楽団はインド音楽教室上がりのスタッフ・メンバーを口説いて何回か実現しましたが。
  そんな思い入れの強い楽器達の生き残りが結局若林の所に来てしまうのも不思議な話しです。順子さんが「託せるのは君しかいない」とおっしゃってくれたのも大きな励みであり、気の引き締まる思いです。

   
 11月15日 トルコ民謡ミニライブ
 


 11月15日はトルコ民俗舞踊の会で知り合ったフォークダンス歴数十年という方のプライベート・パーティに呼ばれてトルコ民謡をサズで演奏しました。
  今現在レギュラーなライブ会場が無いトルコ民謡なので久々に本気のサズ。 現在トルコ最高峰の名手アリフ・サア氏の秘蔵っ子ジェム師に学んだ曲を数日前から緻密に練習して臨みました。
  朝から雨だったのに会場に着いた途端に晴れて、既に始まっていたパーティーの皆さんには薄暗いレストランの扉を開けて入って来た僕に後光が差した様に思えたとのこと。
  最近確かに晴れ男が続いています。ただ僕的には先日の横浜のアラブも今回も、雨から晴れに変わった瞬間の演奏は調弦が大変ですワ。

 11月18日アママニア青山LIVE

 「晴れ男」と調子に乗った途端(「そう思うと裏メル」これも僕のジンクスですが)アママニアの久々のライブは雨に祟られました。この日は僕にとっても大変嬉しいライブでした。
  アママニアというバンドは、なんでマイナーなの?と不思議な位昔懐かしい70年代サイケデリック音楽に通じるロックをやっているのにマニアックなのかイマイチ商才が無いのか今風な華が無いのか若い人達にウケないというか、知られてないのが勿体無いバンドですが、バンドの音職人アキ氏のお父上が病床のまま旅立たれ今年のほとんど活動休止だったところの久々のライブでした。
  しかも今回はアマ・メイン・プログラムの前に若林とのセッションが組まれました。それは2003年に若林主導で吉祥寺のモロッカン・カフェバー「ブルムーン」で毎月繰り広げられていた、身内の中で「伝説のライブ」化している興奮の即興音楽の再現をアママニアが設けてくれたものでした。若林にとってはこの上もないありがたいお話しで、あの頃ともした火を絶やさずにという気持ちには本当に感謝です。なにしろ凄く盛り上がってお客さんも交えて「ここはジャマエルフナ広場か!」という所まで持って行って突如若林がすっぽ抜けてしまい、現場に居ても演奏しなかったり、遂には行きもしなかったり、アママニアやファンの方には当時かなり「わがまま」「気まま」に思われたでしょうに。それを振り回された側のアママニアが再現してくれると言うのですから。
  若林脱退の本当のワケは今はまだ全部お話できないのですが、色々あったところに、音楽的な事だけ言えば素材で出来ることの全てをやってしまった。が大きな原因でした。アマも当時の生徒さん駆り出しメンバーもみな素材になってしまっていたのが凄く辛く虚しくなった時期に色々重なって僕にとって大切な場所であるブルムーンで、大切な仲間であるアマや大切なお弟子さんを「料理」して行き切れなくなったのです。言い換えればそれがアママニアの大きな問題点でもあるのですが、良さでもあり、その意味では若林よりも売れるはずなんですが......。
  それはともかく、青山「66モダン」のライブは、あいにくの雨でお客さんの足が遠のき、動員が少なかったのが残念でしたが、15日のミニライブもあったので弾き込んでいたサズをたっぷり弾かせてもらい、アキさんもヒデちゃんも良いところを出してくれて、内容的にはブルムーン・ライブに負けないものだった筈です。
  ブルムーンの伝説のライブ盤はアマの私家盤が頒価で分けて貰えるのではないでしょうか。アママニアに問い合わせてみて下さい。けっこうぶっ飛びますヨ。もっとちゃんとお礼して持ち上げれば、今回の66ライブも組み入れてちゃんとCDをリリースしてくれるかも?
 11月22日音楽療法仲間の楽しいレッスン
   11月22日は、先月今年二度目のレクチュアーに呼んで頂いた川越の音楽療法士専門学校の受講生の有志が吉祥寺に来てくれて特別講習でした。ご夫婦で療法士を目指しつつ、福祉関係での音楽活動を熱心にやられている方と、10月の受講生、春前の時の受講生の方が若林からもっとパーカッションと民族楽器を学びたいと来てくれた嬉しいレッスンでした。皆さんとは凄く仲良くなれて、たまたま近く予定されているイベント用に楽器を必要とされていて若林が民族楽器店tipicoをやっていた頃の在庫をお安くしたのを沢山買って下さりこちらも思いがけない臨時収入で、猫達はササミをたらふく食べることが出来ました。
 
 11月28日目黒八雲の「なかよしコンサート」
   11月28日は体験講座の二回目と重なってしまったのですが、受講生の皆さんが心良く前日に動かしてくれれたので(「ムリ!」と言っていたのに駆けつけてくれた音大生のグヌグヌちゃんごめんネでもありがとう)ここ数年若林の放浪芸人活動を応援してくれたスミ子さんの地元の会にお手伝いに行けました。「なかよしコンサート」というタイトル通りの地域の子供さんお年寄りの人達に踊りや音楽をアマチュア、セミプロが聴かせる長閑な会でしたが、スミ子さんのブルガリア舞踊の後に若林のギリシア弦楽器ブズーキ演奏、その後はギリシア舞踊と共演でお客さんに大変喜んで貰えた楽しい会となりました。

 11月28日 幻の猫屋敷再訪
   若林は、自宅と事務所に合計13匹の猫さん達が居ますが、それについてのいきさつはこのHPの猫ページの冒頭「そもそもの始まり」に書きましたが、そこに書かれた「幻の猫屋敷」に行って来ました。目黒区八雲「なかよしコンサート」に誘ってくれたバルカン舞踊のスミ子さんも大の猫好きなのですが、数年前の猫話しの折に「幻の猫屋敷」の話しをしたら「えっ!それって私の実家の目と鼻の先かも」と言うお話をしていました。そこで今回早めに到着した「なかよしコンサート」の前の時間に数分歩いてその現場に案内してもらったのです。
  何故に「幻の猫屋敷」なのかと言うと、数年前の真夏のある日、熱帯魚屋さんに行くのに何時もと違う電車の路線から初めて乗ったバスを間違って降りてブラブラ歩いている内に運命の糸に引き込まれて入った路地の古いお宅で若林が民族音楽と出会った中学生当時に我が家に居た猫達とそっくりな一団に出くわしたからですが、真夏の熱気のなせる気のせいか?とも思いながら数年確かめに再訪する機会がなかったのですが、ちゃんと記憶通りのお宅がありました。猫達は陽の当たるお庭側に居たのか、お初の数匹しか合えませんでしたが、玄関先に猫用に改造した(数匹入る様に)洋服箪笥がありましたから猫屋敷ぶりは相変わらずでした。興奮と感動の為か、真夏の暑さは無かったのに携帯内蔵カメラでお屋敷を撮ったのに保存し忘れまたも幻か、というところその日の夕方にスミ子さんは再び現場に行って撮ってくれました。スミ子さん、楽しいコンサートと猫屋敷や昔懐かしい雰囲気の散歩道や神社のご案内ありがとうございました。写真の階段に数匹の猫さんが雛人形の様に並んだのです。
 12月1日 目白大メディア学科でアフガン音楽レクチャー・コンサート
   今年の夏前に出版記念会に呼んで頂きアフガン音楽を演奏させて頂き、秋には北区のイベントでも演奏させて頂いたジャーナリストの楠山さんが講師をされている目白大学短期大学部に演奏に伺いました。
  楠山さんの授業に特別講師で招かれ、ホール講堂で女子大生数十人にアフガン音楽弦楽器ラバーブ弾き語りとインド〜アフガンの古典太鼓タブラを披露しました。
  話しのテーマはたまたまその場のノリで「日本人の感じ方とアフガン人の感じ方の違い」「音楽に国境は無いってのは違うんじゃないか」「違いを理解しようという気持ちを持って欲しい」などだったんですが、これが学生に混じって聴講して下さった同大学岩槻キャンパスの久保寺先生、同大付属中高校校長で激動のソ連アフガン侵攻を取材した元朝日新聞記者の松本先生達に大変喜んで貰い、思いがけずお褒めを頂きました。

  久保寺先生は言語学に於ける言葉の伝播と変化に着目されていてロビーの立ち話でしたが大変興味深いお話を伺いました。「言葉の伝播と変化」は、正に「民族音楽の伝播と変化」と同じなのです。その様な共通のテーマと現地を足を棒にして歩いたジャーナリストの方々は「音楽だけ国境が無いなんておかしい」という僕の体験的理解を沢山痛感されているのでしょう。

 写真は、カメラ教室もされているプロでもあられる楠山さんが撮って下さったものです。珍しくアフガニスタン西部北部の 衣装ですが、出がけに何時もの宮廷楽士のシャツとベストを引っ張り出せばなんと教室のマスコット・ボーイのチャメ君がたっぷりおしっこをしていたので急遽しまってあった衣装を取出して駆けつけた次第です。
  これはソ連侵攻直前まで現地TV局に技術指導に赴かれていた方にお借りしている貴重品です。

  目白大学が目白に有ると思っていた初歩的なミスで目白駅に降りてしまったお陰で30年前からお世話になっていて若林のアラブ音楽の最大の後援者でもあるヨーロッパ古楽器専門店ギタルラ社さんに久しぶりに立ち寄れました。青柳社長さん、一週間日が変更になったのを伝え忘れお留守に伺ってしまいました。また伺います。
 12月4日・5日の楽屋1周年記念ライブ
   12月4日と5日は一年以上ぶりに中目黒のライブスポット楽屋さんのライブでした。
楽屋とかいて「らくや」と読むこのお店は、若林が民族音楽ライブスポットをやっていた頃の出演者ナオキ君の紹介で2001、2年に頻繁に出演させて頂いていたのですが、新しいお店になってから結局一回もお客でさえも行かずじまいでしたが、それにもかかわらず新装一周年記念ライブにオーナーのマーシーさん自らのご依頼で二日とも出演することとなりました。
  マーシーさんは東京で最も音楽と音の質が高いと言われる外資系ライブスポットの音響をされていた方ですから音楽と音質の耳には肥えた方。その人の御指名で若林のアラブ音楽とインド音楽とは誠にありがたいお話でした。実はご無沙汰の原因の一つに若林的に「ちょっとなア」というエセニック楽団の出演が目立って来たのもあったのですが、今回のご指名でその件も全てクリアー、しかも二日間のイベントの出演者は沖縄島唄の古我地さん、二胡とアコーディオンのアコニコさん、東欧西欧民族音楽系おいしいとこ取りのTrampsさん無国籍音楽のUooMooさんにフラメンコ、日本語ブルースとおいしいラインナップ。そこに純民族音楽系では唯一若林が選ばれた光栄でした。

【初日のアラブ古典音楽】
 初日のアラブ音楽はヴァイオリンの及川さんが都合が付かず(夜のギリシア音楽には来てくれましたが)岩田君のダラブカと若林のウードのデュオ。ところが3:30始まりなのに3:20の段階でお客さんが三組!新しく奇麗で大きくなったお店に戸惑っていたところに、やはり真昼間から期待してもムリか!と若干しょげていたら体験講座の受講生、ダラブカの先週入ったばかりの新入生、夏の新入生、バルカン舞踊のスミ子さんにその倍程のイベント目当ての知らないお客さん達が残り10分の間にどっと現れ、いつの間にかほぼ満席。
  嬉しかったのは奥さんが6年ほど昔のタブラのお弟子さんでサックス奏者のご主人には若林のCDでもお世話になったHさんご夫婦が来てくれたこと。若林の後の出演者ともお知り合いとの事でしたが、タブラ教室産休の原因の二人のお子さん連れで若林の出演に合わせ早目にて来てくれたのでした。しかも産休の延長、すなわち「お弟子の縁をつないで」の言葉まで申し出てくれました。他のお客さんも夜の出演者のファンの方なのでしょうが、マーシーが素敵なフライヤーで持ち上げてくれたからか若林も聴いてやろう、と早目に来てくれた感じです。

 先日の横浜青葉区でのアラブ音楽コンサートでは、岩田君及川さんに「何時ものレパートリー全然やらないのに二時間たっぷり出来て凄い」と言われたのが、今回はたまたま昔ながらのレパートリー、ファリドゥルアトラシュの「ガミール・ガマル」アラブ古典のバヤティ.・セマアイ、イエメン民謡などを演っても横浜以上の盛り上がり、明らかに無国籍系ファンの方々がノリノリで答えてくれたのが嬉しい結果でした。青葉区で味をしめた緩急自在のセマアイに岩田君も馴れた表情で好演。

  重く暗く地味な「ガミール・ガマル」に至っては「これってキューバ音楽なんじゃない!」って言いたくなるほど、エンディングからむしろ盛り上がってキューバ音楽の即興モントゥーノ部のごとくの興奮の延長とあい成り、若林のアラブ音楽経験の中でまたも新展開となりました。

【二日目のインド音楽ライブ】
 二日目はうって代わって既に盛り上がりのイベントのトリの直前、一番良いところでのシタール・ソロ。しかもたったの15分。これは若林のわがままで、二日目の打ち上げに招待されたのですが、「手ぶらでお酒だけ飲みに行く暇が無い」と偉そうなことを言ったらマーシーさんが特別にプログラムを割いてくれたのでした。
  若林から言い出して置きながらUooMooさんの元気娘ユウコちゃんのジェンベで会場盛り上がったところにシタールでしんみりも辛かったので、冒頭は会場を巻き込んでのキューバ・サンテリア曲の合唱。インド音楽ですから本来は「ガネーシュ・バンダナ」であるべきところ同じ意味の「エレグワ」でお客さんの協力を確保して余計なことをやらずにシタール・ソロをオーソドックスに弾いて、珍しく喋りほとんど無しで終了。
  そんな時に限って数組のお客さんに「素敵でした」と言われながらも「ところで何て言う楽器?」という質問。洒落で「ラヴユートゥ」のイントロ完コピを弾いたところで止めたのはほとんど気づかれなかったのかもしれません。
  音楽療法仲間のYさんご夫婦やアフロカリブ太鼓教室の10年選手も来てくれたお陰で演奏後も楽しくその場に居られ、打ち上げに参加して楽しい一日となりました。マーシーさん、スタッフの皆さんありがとうございました。楽しかろう良かろう系のジェンベ演奏者にしては珍しく中音が出ていた(でもやっぱり低音が多いのが日本風でしたが人は謙虚でとても良い娘)ユウコちゃんが目立ったUooMooさんのリーダー夏秋(なんと本名!)さんは若林の民族音楽ライブスポットのお客さんだったと声を掛けてくれ、楽しいお話をして是非セッションしよう!と盛り上がりました。
 12月5日のエーゲ海学会ギリシア音楽
   楽屋初日の演奏後は毎年クリスマス前後にこの7年毎回呼んで頂いているエーゲ海学会定例会兼忘年会でのギリシア音楽コンサートの掛け持ちでした。
  これも楽屋のマーシーさんにわがままを言って4:30にぴったりお店を出させて貰って岩田君と電車に飛び乗れば、渋谷国学院の会場には開演の5:00より前に着いて無事遅刻せずにギリシア音楽に早変わり。
  今年ニューフェイスの今までで一番歌の上手いギリシア人の飛び入りもあって日頃出来ないハモリも充実のこれも新たな気分のギリシア音楽2004年の〆演奏が出来ました。 竹内さん、新井君、佐藤さんの7年レギュラー組に小宅君、阿部さん、今年の新入生ですが学会会員なので毎年お会いしていた大谷さんのブズーキ、及川さん岩田君のアラブ楽団からの助っ人、アママニアのアキさんkaz君のPAに支えられ、学会の教授先生達に何時もながら暖かく迎えられ今年も無事に楽しく終わりました。
 うっかりデジカメを忘れたのですが、若林も始めてお会いした 岩田君の彼女がイラストを書いてくれました。寡黙でかなりクールな細身でのっぽの岩田君の彼女だからちょっと気取った娘かと勝手にイメージしていれば美大出のアキちゃんはちっちゃくて丸っこい明るい可愛い娘さんでビックリでした。
   楽器修理と編集者氏のその後と腕を切る悪夢の思い
  【がむしゃらな師走】
 11月の冒頭から始まった怒濤の楽器修理も既に弦楽器20本目に突入です。
今年は何かに守られているのか、去年同じ季節の変わり目にシンナーと疲れが重なって猫毛アレルギー発覚の大事件でしたが、今年は数日かゆみに耐える戦いをしたのみで、怪我もせずに頑張ってました。
  その介有って30数年近く中途な修理だったアフガン弦楽器が大量に直り、来年は大活躍させたいです。
  そして無事生還の祈願を込めて楽器修理をしていた編集者さんは奇跡の退院!!しかも12月中旬には職場復帰で若林と進めていた出版のお話も再開ですと!近い将来ご報告出来ると思いますが、その方と進めていた60万字にも及ぶ大作の著作を形にせねばと、同じ出版社の方も手伝ってくれようとしたのですが、結局は若林が独りでやった方が早いとこの数週間頑張りました。

【悪夢を見る程腕を酷使して】
  今年の夏前にマックのOS-Xを導入するまで、なんとカラクラ2のエクセルで原稿を書いていたのですが(まだ10冊分の原稿が入っている)それをテキストに張ってセルを落としてからワードに張る作業が地獄でした。縦書きにする際にエクセル半角の句点がワード縦書きでは左に移動してしまうのでアラビヤ数字の変換も含め句点やら小文字片仮名やら検索で直し切れないものを手直しでほんと60万字はきつかった。
  腱鞘炎にもなりかけましたが楽器のお陰で手首を鍛えてかつ柔らかい為にどうにかなったんですが、その分腕に来た感じです。
  なにしろ数日前の悪夢と来たら(基本的に猫に会わせて90分熟睡なのでこの数年夢さえ見ないのですが)自分で腕を肘より先の辺りで金ノコで切断して、元気な人の元気な腕と取り替えたというかなりグロイもの。
  切断場面は出て来ないのでそっちが目的ではない様ですが、替えた腕が少し小さめで作業がはかどらず、そうこうしている内に自分で接着したのでだんだん腕が白くなってきた「どうしよう!」という所で目が覚めましたが、夢で見た切断・接着箇所の辺りの鈍痛が激痛に変わりつつ有った為の悪夢でした。
  そんな中で楽器は直りの、外部演奏はしいので、岩波書店さんへの入稿も済ませ、担当者さんはけっこう気に入ってくれてるみたいで、ほんと良く頑張るなと思いますが、褒めてくれるのは猫ばかりかな。

【よそ猫に慰められ】
 そう言えば先日目白の東京音楽大学付属民族音楽研究所に向かう電車で、スケジュール確認で携帯を見ていたら、誰も居なかったので座った優先席で向かいに座って来たおばさんが「携帯の電源切れ」って突然!!今の時代そんな風に人に注意するご年配が少なくなったのを憂う若林としては嬉しいお姿ですし、それに逆切れする今の若者にはなりたくなかったので丁重に言い返す(若林はドライブモードにして車中では決して使ったことはないのですが、その時たまたまスケジュールだけ見たかったのがいけなかった)とおばさん切れまくってしまい、僕が悪いんですがその後に乗って来たおネイちゃんがおばさんの隣でメールをするのは黙認だったりで、なんだかへこんでしまいました。

  すると目白から研究所までの住宅街で突然デカ猫がすり寄って来て慰めてくれました。 もう20 回以上歩いたその道で、数回見かけたその猫は今まで近寄っても来なかったのに。
 そう言えばの第二弾。最近知り合いになったジャーナリストKさん が中学生の頃の猫話し。親戚のおばさんの家に厄介になっていた頃、愛猫のルルは体も弱く小柄なのに多産で弱い子猫を沢山産んでしまったのですが、親戚(近所?)のおばさんが剣幕で「三匹ほど捨てて来い!!」と言ったら数日後気づけば三匹居なくなったそうです。Kさんがおばさんに食って掛かり講義するとおばさんはルルに「馬鹿だね、本気にしたんかい」と言ったそうな。するとルルは何処かに消えたかと思うと三匹の子猫を連れて来たというのです。
  その後ルルとの生き別れの悲しい話しにつながるのですが、やっぱり猫は話しみんな通じてるという凄いお話でした。

  目白のデカ猫おばさんも、見知らぬおばさんにへこんだ若林を見て「なんじゃあいつ、何時ものやる気が無いじゃないか」と思ってくれたのかも。若林は演奏に対しては緊張は無いのですが、実はレッスンはかなり気重。
  岩波書店さんの新著にも書きましたが若林は師匠達と同様にレッスンも本番の演奏と同じなんです。だから日本人生徒さんのリアクションがかなり辛いのでしょう。何時もデカ猫さんの住処辺りで「ヨシ!」とモチベイションを高めて居たに違いありません。 そこら辺りはなんだか哀愁たっぷりのその名も「目白荘」という二十歳前に一人暮らしを憧れたひなびたアパートがあってそんな想いを感じながら角を曲がると、一転してお金持ちの小洒落た出窓の一軒家が続く裏路地です。
  民族音楽ライブスポットなんかやらなかったらこれくらいの一軒家は持ってたろうに、と「くそっ!」の思いも込めて人通りも無いのを良いことに「ハッスル!ハッスル!」のポーズでもして足取りを早めて通過していたのかもしれません。
  それをデカ猫おばさんはこの一年ずっと見ていたのでしょう。もちろん電車のおばさんも少しムキに頑張って来て自己中になっていた若林に必要なカツだったに違いなく、デカ猫おばさんのお陰でその事にも気づけたのです。おばさん!ありがとうございました。
 12月13日 初めての炬燵
   12月13 日は「炬燵記念日」となりました。猫が沢山になった翌年の冬は大きくなった彼らの為にあったかマットを敷いてあげたのですが、何分不潔になったりだらしなくなったりで春に撤廃した次の冬は若林も原稿書きの仕事が増えたためもっぱら机で仕事しエアコンのヒーターと鍋でお湯を煮立てるので乗り切っていました。
  ところが足下から冷えるのが段々辛くなって来て去年はフリースを掛けて小さなあったかマットに足を乗せていましたがそんなちいさなスペースに数匹入り込むので今年は思い切って炬燵を買ったのです。
  猫達にとっても初めての炬燵ですが、若林にとっても生まれて初めて自分で買った炬燵でした。
  炬燵に座って民族楽器で虐め抜いた腰を悪くしては、という心配もありましたが、幼少の頃に目に焼き付いた仏語の戯曲翻訳に集中していた父親の姿とダブルのを敬遠していたところもあるかもしれません。

 炬燵って猫のDNAに記録されているのでしょうか?おそるおそるだったのはほんの1時間ほどで二日目には足を入れるスペースが無い状態です。
  それでも面白いのが完全に入り込むのが好きなクーチャン、プリン、グピ、プジョー、チャチャに対して掛け布団の一角を自分の場所と決めたオプー、若林の真似をして半身炬燵の中で半身外に出ているマロン(写真の子)、ティナ、遠慮がちに使用者が少ない時を見計らって暖まるミーシャ、虎之輔、炬燵板をずらしてあげた掛け布団の上が大好きなアイーシャ
とそれぞれなのが面白いです。 
  感心したのはそれでも何処かで若林が買って来てくれたと思っているのか足を伸ばしてぶつかっても誰も文句を言わずに素直につめてくれたりが可愛いところです。
  それでもたいがい中に4,5匹居るので赤外線がつかない弱にしてありますが、暖冬の今のところは猫体温も手伝ってけっこう暖まります。
 12月8日ありがとうバルカン太鼓教室&素敵なおじさんの会
   おばさんに励まされ(?)た翌週はおじさんに励まされる会でした。日頃っから「若林さんて子供とご年配にウケが良いよネ」って言われ、それは「本物」の証だ!と言われても若林は若い子、特におねいさんにチヤホヤされたいのでひじょーうに複雑な思いなのですが,2004年は特に子供ご年配にウケまくった年でした。あーセーラー服のおねいさんが若林のジェンベに合わせて一列になって踊ってくれた国学院高校文化祭ライブが遠い想い出だ..........。
 12月8日はバルカン太鼓クラスが有ったのですが、一週間前に目白大学短期大学部に呼んで下さった沖縄、ベトナム、アフガン、イラクと飛び回ったジャーナリストの楠山さん、岩槻キャンパスの図書館長久保寺教授、広実先生、松本付属校校長先生が8日の後は時間がなかったので打ち上げを企画して下さり、若林が教室があると言うと、ならば吉祥寺で先に始めて居るヨという嬉しいお気持ちの楽しい会を作って下さりました。バルカンの生徒さんも今年一杯で関西に転居する方が居て一分一分が貴重に感じられましたが、後半は自習するから、と送り出して下さいました。
 松本校長は僕が妹尾河童さん、立花隆さん達にお世話になった頃のお仲間元アエラ編集長蜷川さんがインド特派員時代に共に激動のアフガンに入った元朝日新聞記者という筋金入り。世紀の変わり目に出会われたという根っからの教育者のお二人に世界を飛び回ったジャーナリストのお二人のなにやら定住者と遊牧民の対決のような熱い議論には日頃味わえない遠い昔に忘れて来た興奮が蘇りました。そんな中に前述のチビ猫ルルの悲しい話しもあるのですが、その他の文化論、日本人気質論については今若林自身が直面しているテーマにかかわることばかりで実に刺激的、収穫の多い時間でした。そう言えば駆けつけた飲み会会場は吉祥寺の老舗「いせや」さんの二階。30年近く前若林が仲間と熱い議論を戦わせた同じ場所の同じ席でした。不思議!
 ソワソワしたつもりはないのだけど、バルカン・クラスの皆さんありがとうございました。
 12月15日 お台場の屋形船でシタール?
    毎年12月は渋谷・国学院大学でのエーゲ海学会の忘年会ギリシア音楽演奏が何となく演奏納めという感じで、その後は巷のクリスマスやら忘年会やらを尻目にひたすら溜まった仕事をこなし、スタッフもみな帰京した寂しい年末年始の間にせめて新しい音楽や楽器の練習に励んでいました。
  が、だんだん新しい楽器も無くなって来たので今年は大昔にチャレンジして頓挫したブルーグラス・バンジョーの難曲などをやろうかナなどと思っていたら、エーゲ海学会が例年より1,2週早かったところに、今年は12 月になってもまだ演奏依頼が絶えませんでした。
 12月15日は、昨年も呼んで頂いた編集プロダクション今人舎さんが出版社お歴々、大学教授を招いての忘年会。昨年は会社の地元の国立の割烹だったのですが、今年はなんとお台場の屋形船を借り切ってとのことでした。
  若林は小学生時代船好きで、サントリーのコマーシャル・アニメで知られる柳原良平さんが立ち上げた船マニアの会に最年少で参加させて頂いたほどの船マニアであったにもかかわらず、船模型の作り過ぎで近眼になり、フェリーに乗ってみればむちゃむちゃ船酔いすることが発覚して小学校半ばで人生初めての挫折。
  船乗りになる夢を諦めたほどですから、最初は船酔いのお話をして丁重にお断りをしたのです。
  なにしろ引き受けて乗ってみたら駄目だったといっても途中下船は出来ないのですから怖い話しです。が、昨年のアフガン音楽がとても好評で今年も楽しみにしているお客さんが居るし、下見をしたらそんなに揺れなかったと言うので、断り切れずにお引き受けした次第でした。
  確か数年前にもトンネルズの木梨氏が結婚式会場に使われたヴァンテアン・クルーズ号(ギリシア音楽を演奏しました)ではそれほど酔わなかったから大丈夫だろうと思い気や、現場に着いてみればやはり屋形船は何十分の一の大きさ。波止場から見ても数メートルも上下しているじゃないですか。
  これは早々にお酒で酔ってしまうしかないか? でもそこに船酔いが加わったら演奏どころじゃない。演奏前にあれこれ考えるなんて日頃ないことでした。日頃の気楽さのツケかもしれません。
 結局は、ホロ酔いに船酔いをごまかし、徹底して外の景色を見ない様にしたことが幸いしてどうにか演奏出来、そこそこお客さんにも喜んでもらえました。中目黒の楽屋ではウケなかったビートルズ曲がウケたのは世代のせいかしら?

 12月16日 音羽女子学生寮でジェンベ?
   実は遂に12月8日の楽しいオジサン合コンの後から喉風邪、鼻風邪、高熱の痛い風邪の三種類を次々にひいてしまって最悪のコンディションの中でお台場の屋形船から、女子学生寮、東京音大研究所最後のレッスン、タモリ倶楽部収録とぶっ続けなのです。今年は随分無理するなアと言っていたのが10月位ですからキャー・バート・ハエ(なんてこったい)です。誰か僕に「チョク・ヤシャー!!」の掛け声を下さい!年末年始に一年の疲れが出て寝込むことも多いので今年は心配。
 お台場では船酔いに恐れながらの演奏でしたが、翌日は女子学生に恐れながらのアフリカ音楽とカリブ、ブラジル・パーカッションのデモ演。音羽の女子学生寮は地方から東京の様々な大学や付属高校に通う淑女の館。その中の一人が東京音大の若林の講座を知って今年のクリスマス・パーティーのゲストにと提案して下さったようなのです。昨年はウイグル留学生のウイグル民族音楽だったそうですから意外な民族音楽スポット状態です。
  現場に着いてみれば、来日演奏家や留学生に言葉や音楽事情を学びに通ったアジア会館や駒場留学生会館の懐かしい雰囲気。しかし対象は若林が最も恐れる女子高〜女子大生。しかも現場は彼女達のヤサですから。若林は小中学生かご年配とは凄く上手くやれるのですが、自分の娘の世代は中々厳しいものがあります。お台場に続いて連チャンで恐れながらの演奏。控え室で待機すれば、館長さんの挨拶をかき消すほどの勝手な会話の盛り上がり。これは大変。絶対ムリ。今日こそ駄目。
 ところが舞台に上がってジェンベを叩けば、とつぜん子スズメ達はしーんと静まり返り、今までこんなにしっとりとたっぷり音を味わいながらジェンベ叩いたことはないぞ!というほど渋いソロをしてしまいました。
  叩き終わってみれば「イエイ!」の掛け声付きの大喝采。運に恵まれているのか、最後の灯火の様なオーラでも出ているのか、今日も思いがけない名演奏会になりました。その後はブラジル式の楽器が動くアゴゴ奏法、ラテンの基本ステップしながらのマラカスやクラヴェス奏法を数人ずつ教えて、最後にカリプソの大合唱で追われは時間はピッタリお約束の40分。ロスタイム無しの神掛かったステージでした。演奏後のパーティーに少し参加させて貰って話しを聞けば、アゴゴが上手かった娘が芸大付属だったり東京音大一年生だったり、美大生も居たりで、結構芸術的な学生寮でした。

 12月17日 東京音楽大学付属民族音楽研究所2004年ラスト・レッスン
   12月17日は東京音楽大学付属民族音楽研究所での社会人向け民族音楽講座の一周年を記念する最後のレッスンが無事終了しました。思えば2003年10月に始まった当初は連続してJRが事故で遅れハラハラしたりしていましたが、その後約10 ヶ月よく遅刻もせずに頑張ったものです。今年は12月になっても若林が外部演奏で忙しく忘年会ライブ&親睦会が無かったのが残念でした。大学の都合で春迄休講なので尚のこと今年お知り合いになれた受講者の方々と何かの親睦会が有ったら良かったのですが。それでも吉祥寺に通っ続けたいという人もちらほら居てくれるので嬉しい限りです。
 17日は、西洋クラッシック音楽の弦楽器専門季刊誌サラサーテ の編集長新さんが遊びに来てくれました。サラサーテ誌はこの11月発売の秋号の「アジア弦楽特集」からの御付き合いで、光栄にも今後も見開きページを任せて頂く事になったのです。民族音楽に於ける西洋ヴァイオリンや民族弓奏楽器を紹介して行きます。写真は新編集長が撮って下さった、研究所一時間目のタブラ初級の様子。サラサーテ誌についてはリンクを貼る予定ですので宜しくお願いします。
   
 12月18日 タモリ倶楽部収録
   18日は朝っぱらから大忙しでした。朝の10:00から一年振りのタモリ倶楽部の収録で、今回は若林の逆提案で「タブラ修理」がテーマなので破損タブラやパーツの準備で朝から大変でした。一年振りで「また何か珍しい民族楽器を」と制作会社さんのご相談に「民族楽器は自分でメンテしなくちゃ駄目」というテーマを提案したのが面白がられたのですが、収録場所はぎりぎり迄決まらず大変でした。
 昨年は、幾つかの楽器を見せてその演奏法を当てっこするというのがテーマでバツゲームは「世界一痛い弦楽器」「世界一痛い太鼓」の体験でした。収録場所は吉祥寺南口二分の民族音楽センター教室で行い、あらかじめビル管理会社や住民の方々に許可を得ておこなったのですが、なにしろ総勢30 人のスタッフでしたからかなり大騒ぎになりました。主な住民の方は「TV見たよ」などと好意的でしたが若林としては数年はほとぼりを冷ましたい感じだったので収録場所が決まらなかったのです。
 結局、若林が月一回ライブをやらせて頂いている吉祥寺北口のモロッコ風カフェ・バーの「ブルムーン」さんを借り切っての収録となりました。
 出演はタモリ氏の他、今回で若林との民族音楽二回目のふかわりょう君、吉本新喜劇の吉田氏、シャランQのドラマーのマコト氏で、みんなけっこう真面目にタブラの張り替えをやってくれました。もちろん収録時間の限りの中では完成しなかったので後で若林が大変ですが、タモリ氏などはカメラがテープ交換で止まってる時でさえ懸命に張り替えていました。
 ご存知ない方は、若林がタモリ氏 の番組に良く出て(「音楽は世界だ」に二回「タモリ倶楽部」が今回で二回目) にこやかにやっている様を見て、ミーハーだとかなんとか言う人も居ますが、1970年代の後半にタモリ氏がまだブレイクする前にデビュー・アルバムを知人のギタリストに譲って頂いてタモリ氏のインチキ民族音楽にすっかり感心したので、仮に有名になってなくても楽しくやったに違いないのです。実際タモリ氏のインチキ・タブラ言葉などは、インドで勉強したと豪語するタブラ奏者より音楽的だったりします。スタッフが勧める軍手もテーピングもせずに手を真っ赤に腫らして張り替えを続ける様、いかにも真面目にやってる風の撮影が撮れれば良いのに手を休めなかった姿にデビュー当時から変わらない音楽への情熱を感じ、また若林のコンセプトも大切にして下さっている様で嬉しくなりました。
  オン・エアーはぎりぎりまで分らないので、また追ってお知らせします。そう言えば昨年は一週ずれて三味線の先生や京都西陣の先生達に凄く怒られたのでした。三味線の先生達など番組冒頭のオシリを正座して見ていたにもかかわらず、ついに若林が登場しなかったのですからほんと申し訳ないことをしました。
  最近のT.V.C.M.について
   TVと言えば若林は、むちゃむちゃTVを見ます。かつて外部演奏の道中にビックコミックを読んでいたのを見たお弟子さんに「幻滅した」と言われたことがありますが、深淵なインド音楽の演奏家たるや漫画やTVなど見るな、ということらしいのですが、確かに1980年年代前半の大修行時代には完全菜食も含め、仙人のような風体で冬でも裸足のインド・サンダルで当然のようにTVも雑誌も見なかった時代がありますが、悪いけどその時代の反省で、今の日本で日本人やってゆくならかなりボケないとならないとは思います。そんな意味も含めて90年代以降のTVや雑誌には確かにミーハーさも持って接していましたが、最近は少し事情が違います。

 もともとビックコミックは結構上質だと思ってましたし、色々思わされたり勉強になります。ただ2000年以降三つ、四つしか読める連載が無くなったような気がしますが。
 TVの方は、若林流の過激な集中法の為に付けっ放しにしているのです。
  軽さ俗っぽさが良いので某局ほぼ一局に限定されていますが、2000年以降原稿書きの仕事が過激になってから、原稿に集中する為に「ながらTV」「ながら執筆」をしているのです。これを止めてTVを消すと妙に原稿にハマって自分でも収拾がつかなくなったり、人に伝わらない文章になったりするのです。これは音楽的にも意味があり、基本パターンを演奏しながらアドリブをイメージしたり、太鼓、弦楽器を演奏しながら歌ったり、語ったりするのと同じ感覚なのですが、意識の分離、多重人格風な集中の仕方の良い訓練になります。
  もちろん「何か一つに絞ると、少なくとも【これじゃ無い】という気になってくる」若林独特の何処かでトラウマでも持ったか?と思う程病的な性格も大きく関係していると思います。同時に二つ以上やっていると、それぞれが一つに絞った時の自分以上の集中が出来、それはたいがい並の人以上と言われる集中度です。
  そんな訳でヤマハ出版の三冊も、東京堂出版の本も、この度岩波書店さんから出る本も、音楽之友社の連載も、校正の時以外はほとんどTVつけ放しです。
ってな訳で結構TVには詳しいのですが、相変わらず自分の興味、感覚ですから世間知らずですが、朝の4:00から見ているので毎日のニュースが実は六つ〜十程度を繰り返しているなんてことは良く知って居ます。
  原稿の佳境に入りながら九州の何処そこで事件が有った、などと言うニュースを聞き流しながら、現場中継でカヤキリの鳴く音がすると思わずTVの方を見てしまう、という集中です。
  その為か、感覚的にかなり深く受け止めているものもあれば、かなり拒絶しているものがはっきり分かれているのです。おしなべて民族音楽の仕事してる割にはTVに詳しいかもしれません。そう言えば、最近何回目かの「お笑いブーム」ですが、物真似と批判の両極端ってのが面白い現象ですね。
  もともとコロンビア・トップ&ライトさんの頃から基本的には、庶民の日常を真似てボケてみて笑いを誘うのは芸の基本でしょうし、それは今も変わらないんでしょうが、「悲しい時!」のやんわりとした批判から「ギター侍」に至る迄あからさま度合は様々ですが、「けっこう最近の若者も『批判精神』があるのか」などと感心したりしました。もっとも悪く言えば「真似とけなし」って如何にも現代日本人らしくて嫌らしい感じもしますが。 そんな中、最近(ってこの二年位かな?)T.V.C.M.ってかなりヤバくないですか?(古いニュアンスの悪い意味で)
 前々から下らないコマーシャル、ひつこいコマーシャル(新聞社、ラーメン、深夜の薬品など)には「ある種の暴力だ」と思っていましたが最近の生命保険とカード会社には内臓が拒否反応を見せる様な腹ワタ的なムカツキを感じます。
  僕も番組でご一緒したことのあるタレントさんが次第に老人になってゆくやつや、これって「オレオレ生命保険か?」と思う様なノスタルジックに実家に電話するやつなどなど。
  極めつけは二年近く前からの「〜に幾ら、〜に幾ら、〜に幾ら、〜はプライスレス」ってやつで、いずれも一瞬面白みで洒落ているようで、そこそこお金掛けた感じで作っていながら、すべての部品(小道具、衣装、台詞、音楽からテンポ映像のトーンまで)が絶妙に大衆向けに設定してあるんです。これは作り手の側からみればかなりのハイレベルで、よほどのテクニシャンかよほど俗っぽくて腹黒くて冷たい人間じゃなければ、ついつい本物に近づいてしまいそうなところを決してその一線を越えてないところが絶妙な感じがします。事の真偽は意外に近い将来はっきりとするような気もしますが。最も最近のバージョンでドラキュラ、フランケン、ミイラ男が出て来るやつなど、ついつい「あれ?面白くなったのか?」と思ってしまいましたが、やはり絶妙でした。

 僕がほとんど同じ某局を掛け放しにしてるのは、他局だとついつい真面目なタメになる番組が有ったり再放送の良い仕事をしている番組が有ったりして原稿が止まってしまったりするからですが、1990年代に「TVはつまらなくなった」と言われていたのが、絶妙なハイテクニックで挽回していることの怖さが某局を筆頭に感じます。その局の朝の番組のテーマソングなどはアメンボ殺しておいて良く言うよ、と思います。
  ギター侍さんは、意外に良い人らしいので期待するのは酷かもしれませんが、二番煎じの物真似さんが現れる迄頑張ってもらって、依然と批判精神がウケてるなら洒落ぶったおぞましい流れを「それって差別ですから」「それって人身売買の歌ですから」「それって自然破壊ですから」「それって剥製ですから」「それってどっかで儲けてる筈ですから」ってバッサリ切ってもらいたいものです。
 唐突ですが、関連した別な話しですが、日本人の伝統的な感覚に「衣食住と子づくり」の四つを「隠す」「恥じる」文化が有ったと思うのです。派手な服装をしない、慎ましやかな住まいと暮らし、ものを口に入れるとこを見せない、子づくりはひっそりと、は儒教が伝わる以前から日本人が自然に身に付けていた文化だと思うのです。が、古今東西そのような文化は実は逆説的で、衣食住は世界的に比べて日本がかなりに恵まれていたことの逆説で、子づくりは太平洋文化の一環で実はかなりにおおらかだったことの逆説に思います。
  その基本姿勢がある中で、さりげないお洒落やワビサビの贅沢、一口で口に運べるが手間ひまを掛けるという贅を尽くした超スローな料理などを磨くところに日本人の粋と根性が有った筈です。
  それがこの数十年、美味しいものを口一杯にほおばって「美味い」とリアクションして見せる番組、豪邸訪問、セレブな暮らしぶりやブランドし好をあおる番組。さすがに子づくり番組は無いかもしれませんが、むしろ少子化なら有って欲しいところですが、それ以外の三点をテーマにした番組が安易に視聴率を取れる番組だとするなら、それは逆説的に日本の豊かさの崩壊を意味しているのではないでしょうか。
  これは民族力の低下を証明しているに違いありません。同様に日本人の第五の文化性に「お金を隠し、儲ける事を恥じる」もあった筈です。これも最近ではかなりあからさまですから、よほど国力も衰えてきているんでしょう。
「武士は喰わねど高楊枝」「宵越しの金は持たねえ」なんてやせ我慢のようで、今と比べればかなりに余裕が有った時代を思わせます。その意味では民族力、国力が衰えれば、音楽なんか真っ先にレベルが下がるのもムリはないかなと、先々虚しい感じもします。
 なんて年の瀬に暗い話しで困ったものです。これから年末迄に何か少しでもホッとする話しや番組、CMが現れないかしら。
 今のところ猫さんが薄目を見せるおダシのCMや、犬のゴン太君が笑うCMなどの大好きなCMでそこそこホッとしてます。ある意味そのまんまのCMですが、これが本物!って感じがします。
 12月23日 品川教育委員会 子供会
   12月23日は、品川教育委員会生涯学習課主宰の子供会で、アフリカ太鼓とラテン、ブラジル・パーカッションのワークショップでした。今年最後のオフィシャル演奏会なのに風邪も治り切らないところに子供達が凄く元気なので声を枯らして奮闘しました。最近ちょっと新しい工夫を始めたので、教育委員会から写真が届いたらまたご報告します。
 12月25日 猫達のクリスマス
 























 12月25日は、猫達とクリスマス・パーティー。教室は日曜迄、翌週にお仕事の打ち合わせがあるので、仕事納めではなかったのですが、今年後半は結構きつかった上に、教室のチャメには楽器直しで毎日たっぷり合ってながら、自宅の子供達は寂しい思いをさせたかなと思って皆でクリームたっぷりのケーキを食べる口実のようなパーティー。初めての炬燵のお祝い。みたいな感じで。品川の子供会の演奏の帰り、渋谷の東急ハンズで楽器修理材料を買うついでにクリスマス・グッズを買って帰ろうと思ったら、なんと情けない事にダックスの千恵チャンの被り物を買ったところでお金が足りなくなってしまいました。
  渋谷の人ごみにへきへきとしたので、翌日は新宿のハンズに。ところが新宿のペット売り場には何もなくて結局吉祥寺の湯沢屋で赤いフェルトにボアなどを買ってサンタ帽子、雪だるま帽子を自作。「ペットに洋服着せる趣味ってネ」と言っていたくせに、シャム犬(猫というサイズではない)のオプーがあまりに雪だるまに似ているのと、螺子が足りない虎之助があまりに従順なのや、胴長で顔長の千恵チャンが如何にもトナカイなので、一度遊んでみようか、と言う事になりました。だいたい我が家の子供達はペットという感覚は全くなく、唯一アイーシャが猫を貫いて居る他は皆動物離れしてますので。ペットに服、というよりはコスプレ感覚です。
 期待通り千恵チャンはばっちりハマり役。虎之助も喜んでは居ませんでしたが、なかなか好演。しかしオプーは逃げ回って駄目でした。キャスティングになかったプリンがやたらと興味をしめしたので一瞬サンタをやりましたが。やはり猫は被り物は嫌いのようでした。
写真上より。
1) 千恵サンタの見慣れない姿に恐れをなした猫達が逃げてしまう中、世話役の親分ティナが寄り添って来てくれました。
2) 虎サンタは実は固まってしまっています。
3) プリンは帽子がとっても気になっていたのでかぶりました。何故だか嫌がらないのですが、嬉しそうでもないです。
4)ケーキに飛びつきたくてしかたがないデザート・シスターズ のマロンとプリン。誕生日会の時は蝋燭も恐れず髭を燃やしたので、今日は蝋燭無しです。