2005 September-Diray 9月3日(土) 残暑お見舞い申し上げます
  9月3日〜5日 西陣展示会で演奏 9月23日(金) 京都で昼夜七カ国ライブ
  9月4日(日)  新入生歓迎コンパ 9月24日(土) ノセルということ
  9月7日(火) 〜パソコンがダウン 9月25日(日) 中津でモロッコ音楽
  9月10日(土) 朝日カルチャー 9月26日(月) 小倉でジェンベ教室
 

9 月11日(日) 花どんたく

9月27日(火) 飲み会ライブ福岡Vol.2
  9月15日(木) 嬉しい事が沢山!  
  9月16日(金)猫日記Happy Brithday  
 

9月16日(金) 素敵な未完成

 
 

 ここ数十年忘れていた感覚が「夏が行ってしまうのが切なくてならない思い」。
  数年前に昆虫飼育を再開して想い出した感覚。昆虫飼育と同じ「子供返り」感覚なんでしょうか。

 子供の頃、夏休みが終わってしまうことと宿題が手つかずで貯まってしまっていることのダブルショックにヒグラシが切なく聞こえたものです。
 忙しい父と母が、僕らにせがまれてやっと海に連れて行ってくれた頃にはクラゲが出ていて泳げやしない。それでも嬉しかった。身体が弱く直射日光に弱かった妹も家族一緒の貴重な時間が嬉しかった様です。
  晩夏でも、海に行けばまだまだアブラゼミが鳴いていましたが、夕暮れにはカナカナカナと悲しいヒグラシの声。

  東京ッ子にとっての海や山は、千葉や神奈川ですからそんなに地方、田舎ではないんですが、真っ黒に日焼けした土地の女の子と仲良くなったと思ったらお別れが寂しいオマセな小学生でした。「海に山にスイカにカブトに..........」夏は大好きなものをみんな連れて行ってしまう。

 ですから「残暑お見舞い」と申しましても、実は「夏がしぶとく粘っている」感じはとっても嬉しいんです。「残暑お祝い」って気分。夏が苦手な方にはごめんなさい。
 
 思えば若林の「夏好き」は昆虫飼育再開前にも発覚していました。
それは常夏のマレーシア、その前のインド、パキスタンの音楽研修で、同行のお弟子さん達がヘロヘロなのにひときわ元気だったから。
 1980年初めてインドに行った時は嬉しかった。何が?って日本で夏が終わったと思ったら日本の夏よりも暑かったから。その代わりに帰国した時は大ショック。秋が無くて一気に冬でしたから。

 数年前、季節感を味わいたくて「和菓子作り」の本を買いました。
春は桜餅、柏餅、夏は水羊羹、秋は椿餅、などなど。ゆくゆくは、楽器作りのセンスを活かして木型を掘って干菓子まで。ところが何か新しい事を始めると、やって来た事で忙しく成るジンクス。「和菓子の本」は本棚で干されてしまっています。

 季節感を味わえる豊かな四季を持つ世界でも恵まれた国が日本です。
 常夏の太平洋の人々がアラスカの暮らしを想像出来なくても日本人なら想像出来るかもしれない。シベリアの人がアフリカの暮らしを想像出来なくても日本人なら分るかもしれない。
  季節の他にも豊かな自然は山も有れば海もある。砂漠に関しては理解力は乏しいかもしれないけれど、世界の多くの国の人々の暮らしが分る筈。宗教も様々、それに伴う人生観も様々。
  第二次大戦前の昔ながらの生活観に、戦後の荒廃した貧しい時代、そして復興〜経済成長の歪など、世界で最も色々な事を学んで来た筈の日本。戦争の痛手も、加害者の批判も、核の恐怖も、復興の歪みの弊害も何処の国に劣らず学んだ筈。
 アジアに属しながら最も欧米近代化が進んだ国。でも年に数回祭りの頃にはトラッドなアジアの日本人に戻れる。百年も鎖国しながら平和を保ち、自国の文化を向上させて来たなんて幸運と優秀さは世界に類を見ません。

 世界で最も世界の事を理解出来る筈の国。 そんな日本なのに世界の人々同士が分り合う為のお役にはちっとも立っていない。経験ばかり積んでも「単一民族国家」という思い込みで、他民族に対する思い遣りが足りないのでしょうか? 

 夏が嫌いな人は、夏だらけや夏を味わえない冬だらけの国の人を想い、冬が嫌いな人は冬だらけや冬を知らない夏だらけの国の人を想い、少しは暑さ寒さを我慢して、家族も寄り添って心が温まり、冷暖房を控えたら温暖化防止にもなれば、豊かな自然や昆虫達も絶えずに済みます。

 暑い時には砂漠の音楽なんかどうですか? 気持ちがからっとしますよ。

 

   蝉とミュージシャン
季節を惜しんで歌わば歌え! ともに日暮れに活気づく、その日暮しの道楽者。

 9月3日(土) 遂にダウンです。
   9月3日(土)は久々に大きなダメージを受けました。
 早朝に福岡のマンションを出た途端に腹痛。慌てて戻ってトイレに駆け込み。一気に具合が悪く成って脂汗かきながら空港へ。
 幸いに飛行機が遅れなかったので、羽田着の時間の一時間後には本番の舞台の上に立てました。
 
 恐らく直接的な原因は、「クーラー病」
 福岡の新居にまだ扇風機が無く、熱帯夜にクーラー着けっぱなしで三日寝てしまったツケ。演奏会の楽屋にスタッフさんがいらっしゃる度に「うわ!暑! うわ!28度に設定?どしたんですか?」と。若林は汗ひとつかかず、それ以下だと震える程の発熱であることを自覚しました。だんだんと体中の関節が激痛に成り始め。それでも頑張って三回ステージを終えて教室へ飛んで行き、4クラス。途中小刻みに休憩頂きながら。
  自然派を掲げていた筈の若林が「地球温暖化」に貢献してしまった罰です。

 8月の末から今日迄の幾つかの事を考えると「異常な程守られていたんだ」という事を痛感。今年の一月から殆ど風邪も引かず、月三、四回九州名古屋大阪と飛び回っても全然元気だった。しかも猛暑の夏に福岡で引っ越しまでして。
 梅雨の前からのちょっと異常な「晴れ男」も、運が良いからではなかった。
 8月30日の荻窪のカレー屋ライブの後に大雨に降られ、身体も楽器も塗れたままファミレスで編集の打ち合わせ。そのまま辞典の最終校正の為に夜更かしして翌日福岡へ。何時も機内で借りるブラケットも忘れて爆睡。そしてエアコンの効いた新幹線で小倉へ。
 これじゃ応援やエールが有ったとしても調子に乗り過ぎ。いい加減に守り神も愛想をつかしたんでしょう。ここで気づかせないとキリが無い、って。
 でも何に気づいたら良いのかが分らない馬鹿たれ。
「自分の事は自分で守れ」って当たり前の話を今更気づいてどうすんの? それじゃ今迄と同じ。この半年、色々な方に貰ったヒント、親身になってお応援してくれる方のアドヴァイスが無駄になる。守って頂ける様な自分であり続けながら、無理はしない様に、守って下さる神様に応える頑張りを。頑張りと無理は違います。
 分っちゃ居るんですが、人間具合が悪く成るとほんと、思考も悪く成り、その癖妙な勘は冴えたり。「何故今になって、この場面で?」って余計な事を「気づかなくちゃ」いけない様な変な思考が働く。
 う〜ん。いけませんね。
 こんな時は、じっと絶えて、神や人に頼らずに過ぎ行く事を待つしかないんでしょうね。
 明日も銀座の展示会の演奏と教室の連チャン。小倉のご報告、展示会で新たに気づいた事も色々あるんですが、半端でごめんなさい。

   弱く成ると音楽が優しく成る......。アクの抜けぬ奴。

 9月3日(土)〜5日(月) 西陣織展示会で演奏
    9月3日(土)から三日連続で、東銀座の時事通信ホールで行われた京都西陣の織元、澤屋重兵衛さんの展示会に呼ばれて南欧の民族楽器「リュート・ギター」とアフガン弦楽器ルバーブを日に三回のステージで演奏しました。

澤屋重兵衛さん

 重兵衛さんとの出会いは、若林の強力なサポーター、鎌倉の陀陀舎さん京都のラ・メランジェ繋がりのご紹介。四年前になりますが,重兵衛さんが「シルクロードの楽器の音色を聞きたい」と吉祥寺の教室まで来て下さって、一目、否一聴で決めて下さったのがアフガン弦楽器ルバーブでした。
 重兵衛さんは、流行物に気が引けてしまう若林に当時流行始めた「コラボレイション」を良い感じでやらせてくれた恩人であり、流行に関係無く、異業種共演の嬉しい形を色々と試行させて下さりました。
 重兵衛さんの織物は若林が観ても、嫌みも衒いも無く、トラッドの本筋と、余計なものが無いすっきりとした新作のセンスは素晴らしいものがありますが、何より感銘を受けたのは、その言葉の柔らかさと多彩さ。
 作品をお客さんに紹介する時の京都弁独特の柔らかさも勿論ですが、「五感で楽しむ」とか「織物の余韻を聞く」とかの言葉の感覚が、しっかりとした伝統芸を受け継ぐ者の自信から出て来る素直さが満ちていて、好感が持てました。
 若林も触発されて生まれたコラボレションのテーマが「余韻を見る」で、
2002年から2003年に掛けて、全国を廻って展示会で演奏させて頂きました。
 重兵衛さんの情熱に強い影響を受けましたので、京都西陣迄伺って、伝統的な織り機の工房も拝見。演奏だけに没頭しがちなミュージシャンとしては、色々気づかされる事も多く、大変刺激を受けるお付き合いをさせて頂いています。

コラボレイションが得意に

 その結果が、アフガン音楽を数曲演奏した後の、アンコールでの「即興演奏」
重兵衛さんのお勧めの帯を横に掛け軸に掛けて、その帯との共演、コラボレイションでした。
 その結果、共演の帯は次々と代わり、竹林から夜空を見上げた様な斬新なデザイン、伝統手法に則った「古代錦」というテーマの作品。「祇園祭」という作品では、皮張り弦楽器ルバーブの皮をも叩いて太鼓の音を模したり、色々なアイディアが即興で次々と生まれ、すっかりコラボレイション得意、な気分になりました。
 2002年からの展示会のテーマは「五感で楽しむ」であり「余韻を楽しむ」であったので、三本の主弦に十数本の共鳴弦の響きが独特なルバーブは持って来い!だったのです。
 2004年はテーマが「和」。和みでは無く和風の「和」だったので、おそらく邦楽や石笛とのコラボをされたのだと思いますが、今回再び若林にお鉢が廻って来ました。

 ところが今回のテーマの「豊かさ」では、今年2月に重兵衛さんのコレクションがモナコで行われ、モナコ皇室に献上された純金純プラチナの錦糸で刺繍した帯が主役でした。それに合わせてリクエストされたのが「南欧の音楽」だったので、「リュート・ギター」の登場となった訳です。
「リュート」でも良かったのですが、展示会にはマイクが無いのに廻りに帯や着物といった音を吸い取る素材に溢れていては指で爪弾く「リュート」では全く不安。ハーディ・ガーディという弓奏楽器も面白いかな?とも思いましたが「ギーコギーコ」の音が西陣向けじゃないかも。と取りやめにしました。

モナコ皇室献上西陣織

 その結果がリュートの面白さとギターの音量を持つ「リュート・ギター」
 バロック時代迄西洋クラッシック音楽の主役でありながら滅んだリュートが20世紀前半に復元が試みられた頃にギター弾き用に作られた、今では本格リュート復元楽器よりも希少な、ごく一時代にしか用いられなかった、ある意味で半端、ある意味で幻の楽器です。
女性が育てるアフガン弦楽器

 本物を見慣れたお客さんに対しての若林の解説と演奏は、日頃の「楽しく愉快な民族音楽コンサート」とはちょっと違った趣です。 ですが、今回を期に全てのステージングの姿勢が新たな局面を迎えたという様な気もします。
 ルバーブとその音楽の解説で、今回最もお客さんの優しい笑顔とうなずく姿を頂きましたのが、「ルバーブは女性が育てる楽器」という話しです。
 元々シルクロードの遊牧民族や、放浪芸人は銀行に貯蓄するという発想がなく、財産はアクセサリーにして身体に身につける習慣が根強いと言われます。

 弦楽器ルバーブは女性に見立てられ、十数個の糸巻きはペルシア語で「耳たぶ」と呼ばれひとつひとつにピアスが填められ、英語で「ネック」と呼ばれる棹は、文字通りネックレイスの象眼が施されます。
その他にも胴体の横や背筋に伸びる付け髪をイメージしたラインにも象眼が施され、水牛の角の黒、駱駝の骨の白に真珠貝の玉虫色が光ます。
 これらはルバーブ演奏家の貯蓄であり、娘の持参金、結婚資金の積み立てなのです。
その日暮らしの放浪芸人とは言え、田舎に妻子も有れば、その日の宿代食事代以上を僅かでも蓄える必要があります。アクセサリーに代えて故郷に届ける場合も有りましょうが、結婚資金は、ポケットが満杯になれば楽器屋に持って行って象眼を入れます。

 そうしたルバーブは娘が嫁ぐ時に高く売れます。
その後はまた装飾無しの新品のルバーブを手に入れてまた日々の糧を稼ぎ出すのですが、娘が数人も、しかも年子で居る演奏家はさぞや大変なことでしょう。いやでも腕は上がる一方。
つまりはそんな演奏家の音楽を育てるのは、演奏家の娘達の様なもの。という話です。

 皮肉な事にイスラームの戒律を厳守するアフガニスタンでは、盛り場に女性は現れません。
夕刻にもなると、会社から自宅に戻る際に、買い物籠にネギやパンを突っ込んだ厳つい髭のオヤジで市場はごった返すのです。
 そんなお使いオヤジの寄り道の喫茶店でルバーブは演奏されますが、当然その音楽は男社会の歌ですから、女性に歌う様な歌詞は殆どありません。アフガン女性はそんな音楽を20世紀になって初めてラジオで聴いたのです。
 でもそんなルバ−ブ音楽と演奏家を育てるのは、馴染みの喫茶店の常連オヤジさん達よりも、父親の名演をついぞ聴く事もなく嫁いで行く娘だと言うのですから不思議な習慣です。

 そんな民族音楽の生活観、人生観に通じる話しは、お子さんを成人させた世代、これから嫁がせる世代のお客さん、同行されたご主人連が興味を持って聞いて下さり。これも民族音楽ならではの話題なのか、と勉強しながら頑張っております。

 中日には、 偶然音楽研究所の所長夫人がお客様でいらして「とても良かった」とお声を掛けて下さり、お名刺を頂いて、何かの機会に呼びたいと、新たな繋がりも出来ました。
 重兵衛さん。ありがとうございました。

  本物同士のコラボレイション
 出逢いによって新しい物を作ろうとせずに、お互いの古い良さが引き立つコラボレイションが嬉しいですね。その方がお互いにとって本当に新鮮なものの筈ですから。

 9月4日(日) 新入生歓迎コンパ
 

 9月3日からの銀座での展示会演奏は、掛け持ちの連ちゃんでした。
3日は福岡からの飛行機が羽田に着いてからぴったり一時間後にステージで演奏.3日も4日も4:00に終わるや吉祥寺に飛んで帰り5:00から9:00迄の民族音楽教室。
 「お忙しいですね」のお言葉も頂きますが、たまたま重なっただけのことで、売れてるピークのタレントさんと比べれば、たいしたことでは有りませんが,4日(日)は教室と新入生歓迎コンパも重なって、そこに見学者さんが三名も重なって大忙しではありました。

 新入生歓迎コンパはかつては三ヶ月毎、発表会も半年に一回はやっていたのですが、今年はまだ一回も。春以降一気に10名近く新入生が増えたのでここはひとつ楽しく盛り上げましょうヨ、となったのですが、展示会の演奏のお仕事が入ってしまったので、教室と同時進行になってしまいました。
 幸いに教室が七階にあるビルの三階に白木屋さんがあって、日曜日は比較的落ち着いているので、5:00から民族音楽センター10年の番頭さん新井君のタブラクラスから先に親睦会を始めて貰って、あとから続々と新入生が合流。若林は10分顔出しては教室へ、30分レッスンして又10分自習課題を出して飛んで行く。

 今年は東京楽大付属研究所 の社会人講座のタブラ科から直ぐに吉祥寺教室に編入の嬉しい生徒さんも多く、今秋から初めて始りますシタール講座からの編入も期待されますが、シタールは体験講座からの編入が有って久々にまとまった仲良しクラスが出来ました。
 しかも気真面目さ、礼儀正しさ、練習熱心さ、そして明るさ、ちょっと可笑しさの五拍子揃ったクラスはかなりの久しぶり。昨年末の東京音大講座卒業生によるふたつのタブラクラス以降、シタールでは数年振り。20代、30代の女性ばかりですが、素直で明るい性格が幸いして、手の形等の指導に素直に従ってくれるので助かります。
 その代わりかなり「天然」の可笑しさが溢れる面々なので、次の授業ではすっかり忘れていたり、ピックの向きさえ逆だったりで、呆れて笑うばかりで、不機嫌にも成り様が無い感じ。これは「うんちく話し」を大変良く聴いてくれる嬉しさに反して,手先はヒイコラ続きの昨年末開講のタブラ・オヤジ・クラス並の可笑しさです。
 いずれも間違ってもヘコまず、本人ケロッと時に笑いながら、くじけず素直に、が嬉しい。これこそ上達の秘訣。ってこれで上達しなかったり途中で投げたら悲しいですが。

天然長閑人の名産地?群馬県

 そう言えば、この不思議クラスの四人中二人が群馬県人。若林の娘よりひとつ若いけどかなりオヤジっぽいTちゃん、三つ若い音大生のMちゃんに、埼玉のNちゃんと、一気に遠い山口のEちゃん。Eちゃんはオヤジタブラ2組にも加わってますが、オヤジ同級生の楽しみのひとつにも成ってる程、言動が可笑しい。その可笑しさはジワッっと後から可笑しい。一人でふんふん言いながら頑張ってるんですが、テキストのページが一枚違ってたり............。逆にNちゃんは何か言い出す、し出す前からなんだか可笑しい。「ほうほう!」が口癖なんですが、全然分ってないことが殆ど。可笑しさ見たさに早めに来る次のクラスの生徒さんも居る程。「天然」にも「余韻形」と「予兆形」が有る事を知りました。
 群馬人は番頭新井氏の存在もあって教室とは相性が良いみたいですが、なにせ暑がりが多いので、うら若き女の子もかなりオヤジっぽい。Tちゃんはうちの娘の家庭教師にしたい程社会性がしっかりしていて、業界っぽい?ほどシャキシャキしてます。

 が今回親睦会で初めて知ったんですが、危険な域に達するほどの「空耳」ですから、クラスメートの誰よりも練習熱心ですが、聞き間違えで違う事を練習しちゃいそう。
 「最近練習不足で」って言うので先輩が「どの位?」聞けば「この数日」って言うので先輩は唖然。「しっかり練習したのは何年前だっけ?」
 お務めや主婦しながらですからレッスンが練習日、それでも細く長くが一般講座の信条の様なところがあります。

 新井君の群馬話の定番が「鶴舞う形の群馬県...........」で知られる「上毛カルタ」
  なんとこれ新井君の娘の世代のTちゃん迄が暗記している! 群馬人の恐るべし不思議な特技? 何に役に立つのか分りませんが。記憶力は育っていそう?
  でもそれが天然同士だと通じない。NちゃんがTちゃんに「えっ!何? 縄文カルタ?」ところがTちゃんは「何言ってんの!増毛カルタなんて有る訳ないじゃない!」
 って縄文時代にも カルタは無いと思いますが。「空耳」同士の恐ろしい会話。
あれっ? もしかしてこのクラス大丈夫なのか? 違うものをしっかり記憶してもらっても.............。
 これ以上参加していると頭がクラクラして来そうなので教室へ逃げ帰ると、男女三名二人の子供付の見学者さんでごった返し。若林の教室は赤ん坊でも大歓迎なのです。
 最後の方は一歳の男の子も太鼓を叩かせてもらってやたらに懐いてくれました。
「お兄ちゃんの方のお名前は?」って聞いたら若者が答えようとするので「ええっ!ご主人だったんですか?」と驚けば赤の他人。
  なんだか楽しいんですが「天然」だらけの教室になりそうです。
その自分が「お兄ちゃん」と言われたと思った若者はその日の内に入会。子連れのママさんはアジア太鼓も見学したい、との事。

 タブラクラスのジャニーズ系美形新入生K君は、同じく新入生なんですが若林の上の世代のおばさまにモテモテ。娘婿にしたいワ、なんて言われてましたが、福岡芸工大の卒業で、福岡で知り合った彼女がやっと東京に来て幸せの真っ最中!丁重にお断りしてました。
 K君は若林の福岡の教室に後輩を数名送り込んでくれました。
 そのK君の吉祥寺初レッスンが親睦会の後から。
インド音楽初級クラス全員ご機嫌な気分でレッスン。わざわざマイ・シタール担いで来たのにすっかりギャラリー気分の空耳ギャル。レッスンなんだか宴会芸練習なんだか訳が分らぬ内に番頭さんや先輩も上がって来て若林のシタールとのミニライブと相成り、とても盛り上がった夕べとなりました。
 この中から明日の演奏家が生まれるかどうか?は別にして、楽しそうな感じが世に伝わればなによりです。

   好きこそ物の上手也
 好きになる為にはまず楽しくなくっちゃですね。若林の様な偏屈は「楽しい=好き」でもないんですが。そりゃかなり何かに偏ってる、って良く言われます。

 9月6日(火)〜 ダウンはパソコンでした。
   9月3日(土)の福岡からそのまま銀座の西陣織展示会で演奏しました後の発熱とお腹の痛みは、おかげさまで翌日には回復しました。「クーラー病」もあったかもしれませんが、何か食べ合わせが悪かったのか、体に合わなかったのか。
 ところが翌週、展示会の演奏が無事にご好評をいただいて終了したと思いましたらパソコンがダウン。主にメールからやられてしまいまして、徐々に全体にトラブルが広がり、ホームページや書き貯めた原稿、オリジナルを破棄した映像資料などへの危険も迫り、徹夜の三日間を強いられ、かなり大変でした。

 しばらく従来のメール・アドレスが使えませんので、ご迷惑を掛けてしまいました皆様には深くお詫び致します。申し訳ございませんでした。
 こういう状況の時は、サーバーさんの方で「現在トラブル発生でメールが使えない状況です」とか自動返信してくれれば良いと思ったんですが、そういうサービスは無く、サーバーにはたどり着くメールは今現在も送信して下さった方も内容もわからず、単に「返事が来やしない!」という状況になっております。
 不愉快、不可解な思いをさせてしまった方々、申し訳ございません。
臨時のメルアドは十分に機能しておりますので、お急ぎの方はお電話下さいませ。
 
 

 便利が不便を作る怖い時代
 2005年3月中旬の福岡の地震の際に携帯がしばらく通じ難かったりしましたが、今回のパソコンダウンの際有名サーバーさんへの電話が「颱風の為に交通機関の乱れによって電話が通じ難くくなっております」というオペレーターの録音の声には恐れいりました。颱風14号が九州を直撃して日本海に抜けたそのリアルタイムでのことですが、交通機関の乱れの際に電話が通じないってことがあるのでしょうか?。九州の颱風でこの状況では、首都直撃天災の際の首都の連絡機能のパニックは想像するまでもない状況です。

 携帯電話が便利と思われていてもいざと言うときにはとっても不便。かと言って有線電話が安全で便利という訳でもないでしょうが、「便利」が便利でも安全でもないということに人々も徐々に気づき始めている昨今です。
 でも「コンビニエンス・ストアー」が「アンコンビニ」であることはまだまだ考えられてませんね。
 その内特殊な状況、災害の際に「コンビニ」の限定商品では「駄目だった!」なんてこともあるかも。「コンビニ」が駆逐した「昔ながら」の商店や、家内制手工業的なところでコツコツと作られていた商品が何かの拍子で急に必要になって「無くしてはならなかった」事に気づいてもおそらく手遅れ。

 便利と思われている「リモコン」もそう。
  あらゆるものがリモコンになってTVにクーラーのリモコンを向けちゃうご年配の話はよく聞きますが、若林も編集の仕事で、慣れたつもりでもDVDとVHSのリモコンを取り違えるのはよくやります。
 TV-VIDEOのリモコンを猫さんが深夜のサッカー大会で何処かにシュートしてしまってTVが本体で全く操作出来なくなって、リモコンを注文しても本体とセットで中国や韓国から送ってくるので取り寄せに数ヶ月も掛かったり。

 ちょっと前までは、リモコンは「体を動かさずして行える便利さ」だったんですが、いつの間にかリモコンでしか出来ない操作が多くなって、リモコン嫌いにはとっても悔しい世界。だいたいリモコンの置き場って決めても、他の人が変えちゃったりしますから、教室のエアコンなんかはチャメ君も手伝ってどこかにシュートしてしまうので、リモコン探すより椅子に上って本体のスウィッチ(有ればの話ですが)を押した方が毎回早い感じ。

コンビニ思想が滅ぼした楽器
 こうした「コンビニ思想」は決して「現代病」ではなく、それこそ18世紀後半の「産業革命」の頃からの事の様です。
 先日の西陣織の展示会で、京都の織元さん澤屋重兵衛さんが今年2月に特別な帯をモナコ皇室に献上した事にあわせて、南欧の民族楽器の中からリュートを選んでもらって、ステージの冒頭でちょこっと紹介しましたが、この楽器が滅んだのは「不便」が理由。
 「複数のメロディーが同時に」演奏される「ポリフォニー(多声音楽)」のあまりの発展の結果滅んだと言っても過言ではない楽器です。
  「ポリフォニー(多声音楽)」って何?と言う方の為に申しますと。 「カエルの歌の輪唱」などが分かり易い例ですが、同時に二つ以上のメロディーが巧妙に関係しながら演奏される音楽で、リュートはそれを「一人で演奏する」ところが醍醐味で、リュート全盛の頃は「輪唱」どころか「カエルの歌」に「うさぎ追いし」の「故郷」を同時に演奏するほどの複雑な「ポリフォニー(多声音楽)」がもてはやされました。
 その要望に応えてリュートとその仲間の楽器はどんどん弦の数が増えて、演奏法も複雑になり、皮肉な事に徐々に演奏者が減って行ったのです。

 折しも産業革命が興った時代、西洋人はその後の楽器の開発は「音や音楽本位ではなく、操作性本位」と学んだ感じです。

 それでも低音楽器に関しては、低音を響かせる為に大きくなくてはならない、その結果演奏も大変で持ち運びも大変、といういみではアンコンビニな楽器が低音楽器です。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、とだんだん大きくなってゆく西洋弓奏楽器ですが、その最大の楽器コントラバスは「ヴァイオリン属」ではないのをご存知でしょうか? 「ヴァイオリン属」はそれぞれの弦の間隔が「音五つ」の「五度調弦」ですが、コントラバスは「四度調弦」です。これはヴァイオリン属が駆逐した「ヴィオール属」の唯一の生き残りであることを示しています。皮肉な事に「新しいコンセプト」のヴァイオリン属が嫌った「不便な大きさ」を担う為に行き残された楽器なのです。

人間社会は豊かになってるんでしょうか?
 もうそろそろ忘れられそうな牛肉の事件。
 若林の住む吉祥寺動物王国の路地の入り口に小洒落たハンバーガー屋さんが有り、引っ越ししたてに「フィッシュバーガー有りますか?」と言って、驚くほどの言い方で「うちは牛肉の質がウリなんだ、ある訳ないだろ!」と言っていた店が、牛肉事件の後、ちゃっかりフィッシュバーガーを出してます。

 不規則生活のミュージシャンですからコンビニさんにはいつもお世話になってますが、頼りすぎると体調を壊します。若林が弱ってるのか、菜食が半生を超えた体が敏感なのか? 
 その過敏な反応が世間一般の人々が自覚する様な事件になった時、こつ然と姿を消す商品が有ったとして、その商品に駆逐された同業者さんは既に廃業しているのではないでしょうか? 
  恐らく利益重視で商品が選ばれている場合、色々なところで無理、無茶をした商品が生き残っているのでしょうから、器や素材の安全性を重視していたら淘汰されてしまいますよね。「コンビニったって数社あるんだから」とおっしゃるかもしれないですが、それこそ全国で数社しかないんですヨ。
  名古屋のL社は名古屋のパンだけど同じL社の広島では土地のパン屋さん。新潟のF社は新潟のお米、野菜で作ってるなら良いですが、全国ほぼ同じところのパン、お弁当。これでは全国的に淘汰される商店、製造者が居る訳で、それを新鮮なうちに全国に運ぶ為にどでかいトラックが排気ガスまき散らして疾走している姿は、もはやヒステリック状態ではないでしょうか? 20世紀後半の社会主義世界より重傷です。
 旧ソ連時代に「家具は北欧」「衣料はアジア」など計画経済で分業を決めて、どれほどの地場産業が破壊されたか。

 もう数十年も前に人から聞いた話ですが、西アフリカの独立したばかりの国で、母親が「母乳より子供に良い」と洗脳されて家計を圧迫しながら米企業のインスタント飲料を赤ん坊に飲ませる事が話題になりました。もちろん日本では話題になりませんでしたが。
 先進国で通用しなくなった嘘は途上国に持ってゆく、その営業マン魂は凄いものがありますが、具合が悪くなってもお医者も企業感覚、役人も企業感覚、国も株式会社っぽい世の中で、民族音楽の音楽家でさえ営業マン感覚の豊かな人が機会を得るそんな時代。果たして豊かになった!というのは何処をしてなのでしょうか?

 西洋人は「リュートのお馬鹿」で楽器が生き残る賢い道を見いだしました。
でも民族音楽にはまだまだ「音本位」「音楽本位」の代わりに弾きにくい、人間が努力しなくてはならない楽器や音楽が残っています。
 でも、それも21世紀になってからは倍に加速して淘汰されつつあります。
幸いに「自然志向」のトレンドのお陰で楽器は自然素材の「昔ながら」が好まれているので、一件トラッドな感じもしますが、その分音楽はかなりやられています。
 
 怖いのは、ハンバーガーショップでもコンビニでも「儲けられる時に行け行けGo!Go!」で、コケた時や何かトラブルが生じた時の事をまったく考えていない。
 パソコンのサポート・センターに電話する度に思いますが、日進月歩で格段に高速化するパソコンなのに壊れた時の遅さったら、パソコンが普及するかなり前の家電製品会社の方が早かった様な。

 今の幸せ感を人々がどのように感じているのかは想像もつきませんが、後の時代の事なんか考えていない感じ。子供を生んでおいて随分な話ですが、だから少子化なんですか? だとしたら貧しくなってるんですよね。やっぱり。
 
 ついつい時間に追われてコンビニさんや大きなスーパーで買っちゃいますが、お豆腐とかは「昔ながら」のお豆腐屋さんで買いたいですよね。こちらが寝ましょうか、と思っている時間に仕事を始められていたりするのを見るとつくづく思います。

   完璧な人間は居ない
 って言葉がありますが、世の中がおかしい方向に進んでいる事に加担したくなくても、必ず何かで貢献してしまう。
  悪い事の手助けをしてしまったらその分、防ぐ事や良い事に協力出来たら良いんですが...............。   その分じゃ差し引きゼロで駄目なのか!
9月10日(土) 朝日カルチャー・センターでレクチャーライブ
   9月10日は、立川の朝日カルチャー・センターで文化講座の一駒として「若林忠宏インド音楽レクチャー・ライブ」を行いました。
 立川の朝日カルチャー・センターは、昨年の新宿朝日カルチャー・センターでの演奏の前に10年以上前になりますが、まだ駅から少し離れたところにあった時代に奇しくも同じインド音楽のレクチャー・ライブに呼んで貰った事がありあます。
 今回は、受講生の中に、インド舞踊をされている方、昔に日本パキスタン協会の催しでお世話になった協会関係の方、今年始めに呼んでいただいた小学校の音楽の先生のお顔もあって、嬉しく思いました。
9月11日(日) 花どんたく市民ステージで演奏
 

 9月11日は、福岡到着して間もなく博多湾の埋め立て地アイランド・シティで行われた「花どんたく」の半野外ステージでインド音楽弦楽器シタールを弾いて来ました。
 若林が呼んで頂いた「花どんたく」は正確には、「第22回全国緑化フェア福岡」の「TPO観光展」。「緑化フェア」は全国を廻るもので、思えば若林は十年以上前に「緑化フェア神奈川」でも演奏しました。「花どんたく」
は、さらに「山笠」のシーズン前の春から、5月の「博多どんたく港まつり」を皮切りに、冬迄様々な催しが連続するかなり大きなイベント。福岡市役所のスタッフの方々は、世間のお役人さんに対する認識に反して連日残業の日々で、実に大変そう。そんな中、夏前にお会いして若林の九州に掛ける想いを感じ取って下さった担当さんが「夕日の博多湾に向かって思いっきりシタールを弾きたい」という夢を叶えて下さいました。
 嬉しかった事は沢山ありますが、敢えて純古典の渋い演奏であったにも関わらず,殆どのお客さんが席を立たずに、むしろニコニコと笑顔だったり、興味深そうに聞き入ってくれていた姿。
 民族音楽センター九州の拠点である市内高砂のワンナインStudioの柳社長がご家族で来て下さった事。東京から福岡に移ったインド人舞踊家ニラ氏とやっと会えて共演に向けての気持ちを交わした事。
 そして春から御世話になっています、コーディネーターさんと初めて本格的なお仕事が出来た事。関連業界のプロの方に失礼かもしれませんが、ステージ・スタッフとしてもやはり実に頼もしいサポート振り。

  「花どんたく」の出演 は、10月の「アジアマンス」「ミュージック・シティー天神」の前哨戦としての意味合いもありましたが、在福のイベント会社さんとも御挨拶が出来、アジアマンス・スタッフ、ワンナインStudioさん、コーディネーターさん達との秋からの展開の良い感じを予感させる、新しい幕開けを共に感じれた事は嬉しい限りです。
  
 写真は早速スタッフの方と柳社長が送ってくれました。
客席後方が全面的にオープンの半野外ステージですが、写真で分る様に特大スクリーンにも映し出されるため、ステージに対面するアジアン・マーケットという感じのパビリオンでエスニック料理や飲み物を楽しむお客さんにも音と映像が届き、福岡の文化、イベントに関心の高い層には大変嬉しいお披露目になったと思います。


 






みなさんありがとうございました。アジアマンス以降も宜しくお願いします。

   念願叶った喜び。
 様々な願いが実現する時。でも、それがしごく自然に、必然のように叶う時。申し訳ないほど当たり前に感じて、驚きも感動も少なくて。でもそれが長続きの秘訣かな。
9月15日(木) 嬉しい事がたくさん!
 

 今週は、前半は福岡後半は東京でしたが、九州から次第に東に進んだ寒冷前線に沿って移動してしまったのか、急に秋が来てしまった様なちょっと寂しい季節感。
  夏の疲れが出て爆睡出来るのは良い事かもしれませんが、ちょっと寝冷え気味だったり。お友達でも風邪をひいた人、疲れが出た人も少なくなく。皆さんもどうぞお気をつけ下さい。

梨の贈り物
 東京に着いた若林を玄関で迎えてくれたのは、久しぶりで怪訝そうな猫さん達と千葉の梨。
 産地直送一箱たっぷりの梨は、お仕事の都合で退学されたインド太鼓の生徒のY君から。毎年届く暖かい贈り物は、既に10年目。なんと在学期間より遥かに長く。
 在学中のお弟子さんからも季節の贈り物を下さったり、季節の料理を差し入れしてくれるありがたい励ましはありますが、辞められてからもという話は世間にあまり無いんじゃないでしょうか。
  毎年この季節になると教室をやって行く上でのちょっとした苦労やストレスが癒される思いです。Y君今年もありがとうございます。

 若林は季節の果物に異常な執着心が有り、苺、枇杷、スイカ、梨はたっぷり頂かないと季節を越えられない不満にかられます。と、書いて気づいたんですが、この数年、夏がなんだか忙しくてスイカを食べ足りない事が多かった..........。
 でも、秋はY君からの梨でいつもほくほくの申年男です。

日本初の民族音楽辞典が出来ました

 15日東京堂出版から9月中旬に出ます「世界の民族音楽辞典」の見本が届きました。編集者氏がわざわざ届けて下さりました。

 著書一作目の頃はものすごく嬉しかったものですが、七作目にもなりますと(数作前からですが)「ここもこうすれば」「あそこもああすれば良かった」と直しポイントばかりが気になって.............。

  ある意味、物書きの素人がプロっぽくなって来たっていうことでしょうか?

 皆さんからの忌憚の無い、ご意見、ご感想を頂くなかで、じわじわと達成感が生まれてくるのかもしれません。

民族音楽センター九州に続々支部が
 この夏の大分耶馬渓のコンサートを期に、民族音楽センター耶馬渓支部と「有機的音楽共同購入組合・耶馬渓本部」を応援者の白岩さんが立ち上げて下さりました。
 昨日の耶馬渓支部ニュース!
 なんと白岩さんはこの9月からパソコン教室に通い始めたそうです!
 チラシ作りも「人頼りじゃいかん!」と思ったそうで、 ゆくゆくはホーム・ページの立ち上げにも挑んでくれる勢いです。

 その嬉しいニュースに続いて、今日。佐賀の音楽教員太田先生が民族音楽センター佐賀支部を立ち上げて下さる嬉しい話を頂きました。二ヶ月に一回ペースの若林の演奏会を皮切りに教室も開設して下さるとの頼もしいお言葉。ありがとうございます。
 トルコの日本学校でも教鞭を振るった太田先生とは「アジア民族音楽の良い教材を一緒に作る」という目標も有って、若林の九州進出をとても喜んで下さっている方の一人です。

 主催はケイトミュージックさんですが、この9月末から小倉で若林の西アフリカ太鼓ジェンベ教室もスタートします。既に先日のライブで受講希望者数名にお会いし、インド太鼓、アラブ太鼓も習いたい、という嬉しい言葉。小倉教室も発展しそうな勢いです。

 タモリ倶楽部の次回の出演が決まり、この週末に収録です。内容はまだ秘密ですが、前回大変好評だった「百均ショップから民族楽器!」と、マニアック過ぎ!!と嬉しい酷評の「タブラの皮の張り替え」の前々回を足して二で割った感じでしょうか?
 若林がタモリ氏の生家そばに部屋を借りたと話せば、きっとあの不気味で可愛い笑顔で「ほお!」と言ってくれることでしょう。

 若林がトルコ管・打楽器を担当したアフラックのニューキャラクターが登場する新CMが東京でもオンエアされ始めました。まだロングバージョンが少なく、民族音楽部分は確認するのも難しい感じですが、気にしてみて下さい。

 学問の神様であり、単身赴任の大先輩道真公をお参りに初めて太宰府に連れて行って頂いたその現場では、お参りの直後にご案内下さった方がおみくじで「吉」を引いた途端に福岡県主催のお仕事のオファーの電話が。

 夏前のがむしゃらな頑張りが徐々に良い波紋となっている感じかもしれません。
涼しくなってよく眠れる日々です。  太鼓博物館のお仕事もややハードですが、岩波書店の校正も終わりましたので、しばし「果報は寝て待て」って感じでしょうか?
 寝冷えしない様に「それでは、おやすみなさ〜い.............」

P.S.
  寝冷え所じゃありませんでした。夏の間ベッドの下の床で涼んでいた猫さん達が大挙上に移動し、まとわりついて「暑つ〜!!」
 ここ吉祥寺東町動物村だけはまだ熱帯夜が続いている様です。

   猫の魂
 春から少しずつ書いていました「猫の魂」がほぼ書き上がりました。
これから出版社を決める段階ですから、日の目は見ないかもしれませんが、ちょっと信じがたいけど本当の不思議な話満載です。出版編集者の方、ご覧になっていたら是非ご一報下さい。
   
   
9月16日(金)の猫日記   A Happy Birthday!!
 

猫は人間に劣る?勝る?
 動物好きに言わせれば「人間が最も優秀な動物なんて.....ちょっと違うんじゃない?」と口を揃えるでしょう。しかし、それは「あばたもエクボ」「我が子可愛さ」かもしれず、好きでもない方から見れば説得力に欠ける場合もありましょう。
 が、これからお話する事は、かなりに説得力がある筈です。
何故なら猫好きの多くの方が「伸び伸びとした表情」「幸せに暮らしている」とお墨付きを下さる14匹の猫さんの、吉祥寺東町動物村での五年近い間近の観察による話ですから。

喜怒哀楽その他の表現
【喜び】
 猫さんは「喜び」は顔を床に擦り付けてとぐろを巻いたり、かざした掌におでこのハイタッチをしてくれたり、一件挙動不審にあたふたぐるぐる走り回る事で表現します。
 ハイタッチが照れくさいアイチャンなどは、ぐるぐる走り専門。
ライダーが前輪を上げて発進する「ウイリー」の様に「ぴょん」と跳ねてから走り始めます。「ちょっとウキウキした気持ち」がそのミニ・ジャンプに現れています。

 親分肌のティナ君はハイタッチはやっと最近、照れながらほんのちょっと「ぴょん」とする様になりました。これは他人(他猫?)の様を見ての真似。つまりは「なんだか楽しそう?うらやましい」という感覚がある事の証明でもあります。

 「照れ」の話で言えば、我が家の多くの猫さんの「照れ隠し」 は「突然の爪研ぎ」です。 褒めまくったり、ちょっと足を滑らせたりした時に冷やかすと、あたかも予定に入っていたかの様に爪を研ぎに行きますが、端からみていると脈絡の無い突然の不自然な行動です。
  まさか条件反射な訳はないでしょうから「恥ずかしい」と「ごまかしたい」という意識がある証です。
 
 猫さん達は、さすがに「笑う」ことは無い様です。
  顔の筋肉に笑うという動きが無く、横隔膜も笑いの感情に連動しない様です。
でもアイチャンなんかはしばしば「ケケケ」って笑う様に鳴きます。が、あれはベンガル種の特徴で笑い声じゃなくて「なにヨ!」の感情表現です。

  あっ!そう言えばアイチャンが一番照れる時、それは歌を歌ってるのを目撃された時です。そう!猫さんも歌いたい時があるんです。しかもドレミ位の節はちゃんとあります。「ケエケケ、ッケケエ〜ケケ」みたいに、アイチャンはかなり綺麗な高音で歌います。何度も同じメロディーを繰り返し繰り返し。
  それを目撃されると、アイチャンは「ケケケ(なにヨ)!」って言って走り去ってしまいます。
 かなりご機嫌な時に限る様ですから「気持ちが沈んだ時に景気付けに」は歌わない様です。その点では人間の方が複雑かな? 
 同じく、他の猫さんが落ち込んだ時に「ねえ!アイチャン一曲歌って励ましてよ!」とリクエストする場面はなさそうです。ってことは歌を歌ってもあくまでも自分の為。猫社会にプロ・ミュージシャンはあり得ない。

 ちなみにベンガル種アイチャンとその娘プリンは、親兄弟や人を呼ぶ時に「ナーウ」とは鳴きますが、いわゆる「ニャー」とは鳴きません。

【怒る】
 笑う表情は無くても「怒る」表情は日頃とぼけたプジョー君や甘えん坊のマロンでさえも立派なものがあります。
  さすがに自然界出身だけあって「威嚇」の表情は生き抜く上で不可欠なものなのでしょう。クーちゃんなんかは目の形が下弦の月の様にむちゃ恐ろしくなります。

 「グ〜」のうなり声の後の高音の「シャー」の発音と太く逆毛立つ尻尾は、DNAに刷り込まれた永遠の天敵「蛇」の真似と言われます。
  「蛇」に「蛇」の真似で対抗するのでは無くて、互いに強敵の真似で猫同士が威嚇するのです。

 夏にプリンちゃんが喧嘩のかみ傷が膿んで硬貨が入りそうな空洞を作って全治二週間の苦労を味わいましたが、これも猫同士の戦いの為の皮肉な進化の為せるもの。
 すべての猫が、猫にとって最も悪質な菌を口腔に持っているのです。それは相手にダメージを与える為でもあるんですが、それこそ口内炎にでもなって口に傷が出来たら自分が危険なんです。

【猫の哀愁】
 猫さんはしばしば窓の外を哀愁たっぷり漂わせて眺めていたりします。
それが生き別れの母を想ってのことなのか、気になる鳥や蝶々を追ってのことなのかは分かりません。

  クーちゃんは窓の外の鳩、チャメ君は教室の窓の眼下の町並みと車の動きを見るのが日課です。 ほっぺがくっつきそうなほど近寄って「何が見えるの?」と言うと尻尾で答えます。何かに集中しているときでも尻尾の返事はしてくれる優しい生き物です。

 「あっクックルックルー(鳩)だね!」「お友達?」と言うとクーちゃんは「グクル、グクル」と可愛い鳩真似をします。実際はお友達では無く獲物なんでしょうが。
 
 楽器だらけの教室の窓際のほんの30cm四方の空間は、チャメ君の唯一のお仕事、吉祥寺南口観察用の空白です。 クーちゃんが教室に居た頃からの空白で、今は教室に一人で住むチャメに受け継がれています。

 チャメの顔に頬をすり寄せて、その狭い空間に頭を入れて一緒に窓からの吉祥寺の景色を見ると、昼は、向かいのビルの鳩やカラスの可笑しな仕草、夜は東急インの明かりと、車のライトがとっても美しい事に 気づかされます。
 雨の日の景色はチャメのお気に入りです。チャメの横に割り込んで覗いて見ると、色々な色の傘が行ったり来たり。母が好きだった映画「シェルブールの雨傘」の様な楽しい景色が広がっていました。

 何時かチャメが窓に居る時に地上から手を振りたいのですが、その時のチャメのリアクションを見るにはどうしたら良いか?  思案中です。

 こんな風に猫さんの窓の外観察は如何に「哀愁」を帯びた雰囲気が漂っていようとも、かなりに現実的な日課である場合が多そうですが、これとは別なところでは、はっきり「哀愁」を感じていることが分かります。

  人間同士が言い争いをしている時に心配そうに間に座ったり、ひどく疲れていたり、落ち込んでいると、邪魔にならない様にそばに居て心配そうに見上げてくれる。これは「哀愁」を理解するからに他なりません。

【落ち込まない生き物?】
 もしかしたら猫さんは「落ち込まない」「くよくよしない」「ヘコまない」生き物
なのかもしれません。
 「あれっ? 今日はなんだか暗いなあ」とか「ちょっと元気が無いんじゃない?」という姿を見た事がありません。元気がなかったら、それはもう明らかに病気や怪我だったりしますから、それ以外では大概元気で、ポジティヴな生き物です。

  その分「懲りない」「反省が足りない」部分もありますが、「謝罪」はしますから
「悪かった」という認識は出来る様です。


 怒られて飛んで逃げた子が、数十分後におずおずとおでこをすり寄せに来ます。「さっきはごめんね」って感じです。
 
 「悪かった」という意識が有るんですから「悪気」「意地悪」「すねる」「困る」もきっと有る筈ですが、どうも「悩む」は無いみたいです。

 猫に限らず、昆虫でさえ「ストレス」を感じて病気になりますから「継続して困る」状態は体験するのでしょう。でも「悩んでる」感じじゃなくて「困ってる」感じ。

 その意味では、意味も無く走り回ったり、イライラして喧嘩をする方法以外に「ストレス解消」が出来ない様でかわいそうです。
「S.O.S」の表現はたくさんあります。
 それを人間が見極めないと、妙な場所でうんちをしたりして訴えます。が、「困ってんだゾ!助けろ!」って感じですから「落ち込んでる」「ヘコんでる」って感じじゃない様です。

 
猫さんの「落ち込まない」「くよくよしない」「ヘコまない」姿はとってもカッコ良く、雌猫でさえ、なんだか凛々しく男っぽく、大人っぽくて憧れてしまいます。

 猫さんの事が分かった気でいて、きっとほんの一割位なのでしょうが、
決して人間と比べて劣ってるところなんか無く。あんなちっちゃなおでこで、あんなにも沢山の事を感じて、考えて、気を遣って..................。

 とっても健気で、でもちょっと不器用だったり、シャイだったり。
でも、基本的にはとっても元気で、明るく、前向きで。

  素敵ないきものです。

   そんな猫ファミリー、9月15日はクーちゃんの子供達、16日はアイちゃんの子供達の誕生日でした。
 この四年、みんな大きな病気も怪我もあまりしないで、助けてくれました。
人間ならば32歳の充実した年齢です。
9月16日(金) 素敵な未完成
 

 9月16日(金)は、このところ講義の内容がお弟子さんだけじゃなく、若林にも思いがけず色々な事を気づかせてくれる不思議の連続の「アラブ・オリエンタル音楽教室」
 先月からのテーマ「 ただ弾くだけじゃなくて考えて! 想って!」はお弟子さんにもかなり伝わった様で、弾く度に色々工夫したり変化に富んだ練習になって来ました。
 
  16日は珍しく若旦那がお休みでしたが、及ちゃんも元気な姿を見せてくれて。
そこでまたも湧き水の様に出て来た言葉が「曲って間違えずに完璧に演奏したら、そこで終わりなのかも」という自分でもびっくりな言葉。

間違えない様に弾く事の不自然さ
 日本人で音楽を志す人の多くが「間違えずに弾く」という事を真っ先に念頭に置いて練習始めます。その後の表現力の段階になってさえも、または即興音楽でさえも「ここはこう表現したい」と決まっている様なイメージを目指し、それから外れない努力の「真面目さ」が目立つ感じです。
 これがジャンルを問わず日本人と外人の演奏家の「伝わるエネルギー」の違いの様にも思えます。

 「アラブ・オリエンタル音楽教室」の講義では「それは曲の習得の段階から『間違えない様に弾こう』という意識があるから」と言いました。
 「普通それが当たり前なんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、
 例えばイントロは2回、Aメロは2回、Bメロは1回でサビに行き.......。
と決まっていても、その場その場の雰囲気に敏感な民族音楽の場合、太鼓や聴衆のノリが安定するまでイントロは続けられるかもしれない。その日に限ってBメロを一回多くやってたっぷり貯めてからサビに行きたくなるかもしれない。

 結局は譜面通り、決まり通りに演奏したとしても、そんな思いを常に持ちながら演奏して欲しい。
 言い換えれば、その曲の本来の決まりなんぞは気にせずに、その場その場の想いで音楽を演って欲しい。と言う事です。

 「間違えない様に演奏する癖」が着く様な感じで練習してしまうと「勝手に、想うがままに回数を変えても良いんだ」なんて発想が宿らない。その結果「習得した」と思っても「決まりよりもこじんまりとした音楽」になってしまう。

 ところが「決まりなんて関係ないさ!」の意識で、気分に従い多分に即興的に演奏しようと思うと、実はこれが自由な様でいて意外に難しく、非音楽的な失態を露呈する場合だってある。ということは逆に言えば、勝手気ままじゃない演奏というのは、多分に「手堅い演奏」という事も出来る訳です。

「手堅い演奏」
 若林はそんな「手堅い演奏」が大の苦手。
 そんな気持ちをセーブした演奏で拍手を受ける事は、聴衆はもとより自分、さらには師匠に対してとっても失礼な事と思って来ました。
 だから常に冒険、気まま、即興的に演奏して来たのですが、その結果は多分に雑で、危なっかしく、自分でも「なんじゃこりゃ」と言うものが少なくなかった。
 録音された結果を優先するなら、気まま演奏はとっても雑で危険で無責任。でもその場の気持ちを優先するなら、結果のそつ無さを狙った演奏はとってもズルい、心が込められていない手抜きの演奏に思えていました。

 最近では、ある方の非常に深いアドヴァイスのお陰で「曲や音楽」以外のものに気持ちを込めたり、感じたりしながら演奏する「奥義」に触れる事が出来つつあるので、全く別な方向からこの問題は解決してしまいそうです。
 つまりは、正しく作曲の指定通りに演奏する事でも、手抜きにならない方法と言う事です。
 そのお陰で、演奏会の一曲目から、とっても穏やかな気持ちで落ち着いて演奏が出来る様になり、かつ「間違えない様に丁寧に演奏する」というものとは違った、リラックスした気持ちで、自分の良いところをより自然に「優しく丁寧に」出せる様になって来ました。

 とは言っても即興演奏にどっぷり30年浸かった若林が全てについてこじんまりと終わる筈も無く、「ここゾ」という時にはやはり気合いも想いも込められた演奏がある訳です。全体がリラックスしている分、そんなタイミングをキャッチする余裕、遊び心が増えた感じです。

「わざと間違える」
 それでも「奥義」に触れたお陰で、「ここゾ」という時の即興演奏も、完全燃焼の一歩手前で「洒落っ気」を残しながら自分も聴衆の皆さんも余裕の笑顔で演奏を終え、決してがむしゃらにはなりません。

 そんな感じで、この半年とそれ以前では音楽の演りかたが随分と変わって来ましたが、今も昔も意味合いの違いは有れど同じ用な不思議な「癖」が、ある稀な状態になった時に「ワザと間違える」奇妙な心理です。

 かつても、何かの拍子に「おいおい!今日は一体どうしちまったんだ!」と思いながら演奏する様な、自分でも呆れ驚くほどに「最高の演奏」をしてしまう事がありました。なんだか天狗っぽい言い方ですが、延べ数千回の演奏の中で二三回ですから、自画自賛、自信過剰ではないと思います。

 不思議な事に、そんな時「どうにかして間違えなくては!」という衝動に駆られるのです。
 これは若林のかなり変な性格の為せるものかもしれません。

 『もしこのまま最高の演奏をしてしまったら、きっともう二度とこの曲は弾きたくなくなってしまうから』のような感情にとらわれて「何処かで間違えなくては!」と思い始め。 「どうせ間違えるなら、ここゾというところでお洒落に、もしくは可笑しく、または可愛く間違えてやろう」と妙なやる気に駆られるのです。

 普通の感覚で言えば、大リーグのイチロー選手が自らの大記録にプレッシャーを感じるのとも似た、なまじ完成の域に達した演奏をしてしまうと次からそれを意識してしまう、にも似ていますが、それとも微妙に違う感覚。

 作曲の通り、決まり通り、何処も間違えずに弾いただけでなく、その決まりがまるで自分が決めたかのごとく自然に演奏出来てしまう。まるで即興演奏のように。
  その瞬間、その曲はあらゆる意味で完成してしまい、もう二度と演奏する意味がなくなる様な。
 それ以後、そのレベルの再現を狙うなら聴衆不在になってしまうし、手前で良いと思って演奏するのも手抜きになってしまう。ならば、完成した途端にその曲は「封印」してしまった方が良い。
 そんな感覚とは別に、即興演奏をより嬉しい音楽スタイルと思いながら、一方で「作曲された音楽」「決められた筋道のある音楽」を神聖に思える程尊敬している感覚もあります。
  自分は「それ」を目指して演奏するようなことはしたくない。けれど「それ」は究極の音楽であると思っている。だからもし「それ」に到達してしまった場合、その事の重みを十分に受け止めたい。そんな感覚があるのです。

 世の中にはこれと同じ感覚を説いたものが確か有った筈です。
どうにも思い出さずに居たら、最年少のお弟子さんが「日光東照宮の『逆さ柱』!」と即答するので驚かされました。
 若林の記憶の角にある筈の何かとは違うものでしたが「完成したものは壊れる道を歩むしかなくなるので、永遠に存在し続ける為に、ワザと間違えて柱を取り付け『未完成』に建築された」という日光東照宮。
 当たらずとも遠からず。即答するとはなかなか!、と感動しました。

形に出来ないものは壊れない
 この感覚が自分の性格のどんな部分に関係しているのかは、薄々分かっています。
 評価されたり、好かれたり、完成したりすると「守りに入る」自分が怖い。成長が止まって、壊れる事にびくびくして生きるなんて出来ない。
 まず、そんな想いがありました。

 これとちょっと異なる別な想いが、子供の頃から「飽きっぽい」と言われ続け、自分でもそうなのかも?と思ううちに「飽きない為にも」未完成が一番。みたいな。

 でも「こう在りたくない」「こう在りたい」というテーマが意外にコンプレックスの現れ、裏返しだったりしますから「守りに入りたくない」という想い自体が既に「守り」なのでしょうし、「飽きない様に」なんて思って続けていること自体既に「飽きている」のかもしれません。

 これらと似ていて、しばしば同時に作用してしまう感覚が「完璧」に憧れ、それ以外を信じれない感覚。
  周りが「飽きっぽい」と思うのも、実は「飽きている」のではなく完璧なものを探し求める道中で「違った」と思って他を探している姿であって、満足の結果飽きたのではない。

 でも早人生も三分の二を経ると、そんな風に「探し求める」ことで人生を終えてしまうのはなんだかとっても虚しい気がしてきました。
 もうここらで、そんな生き方は辞めにして、 今好きだ!と思っているものは出来れば人生の終わり迄続けたい。守れるなら守りたい。今はそんな想いに駆られます。

 ところがごく最近「そんな想いも必要ないんだ」って事に気づきつつあります。

 形有るものは「未完成」の方が壊れない感じがして安心かもしれませんが、形の無い情や音などは、そもそも「完成」というものが無いに違いない。
 にも関わらず今迄の自分は、理想型に近づいた様な気がすると「守りに入りたくない」が口癖なくせに「壊れる事」を恐れ始める。形に残したがる。築きたくなる。挙げ句の果てには逆に自ら壊したくなる。

 でも、そもそも「完成」など無い「形に見えない」ものは「形に留めよう」とした瞬間に壊れるのかもしれません。
 
それを考えたら「今大切にしているもの」「大切にして来たもの」は、そう易々と壊れることなどないんでしょうから、きっと人生の終わり迄ずっと成長し続けて行くものなのでしょう。
 だから心配しなくても大丈夫! 
 
 間違えない様に弾くのも必要なければ、間違えようとするのも可笑しいのでしょうね。今度は何時そんな「凄い演奏」をしてしまうか分かりませんが、その時は思いっきりむちゃむちゃ凄い演奏で完成してみたいと思います。
 それでもきっと飽きもしなければ、恐れる事もなく、再現を目指すこともなく、なんとなく嬉しい記憶になって。 その分優しい気持ちで丁寧に作って行く、育てて行くプロセスが嬉しく感じれるようになって。
  そして、また違った完成を楽しみに、ずっとずっと続けて行く感じです。

   なんだか軽〜く頑張れそうな。
気持ちが軽くなった分、動きは迅速かつ的確に。とっても良い感じ。 
9月23日(金) 京都で昼夜七カ国ライブ
   9月23日は、京都で昼夜充実した演奏の日でした。

ラ・メランジェ新規開店お祝いティー・パーティー

 午後の演奏は、この5年以上色々お世話になっていますネパール、ダージリン茶から、貴重な烏龍茶など世界のお茶を扱っている「お茶っ葉屋さん」ラ・メランジェの新店舗新規開店のお祝いに呼んでいただいてです。
  ラ・メランジェさんは、京都で「お茶屋さん」というと祇園を思い浮かべる方が多いので「お茶っ葉屋さん」とおっしゃってます。
 今迄のラ・メランジェさんは、植物園の北の京野菜の畑もちらほら見える長閑な地域に在ったのですが、この度京都の中心街地下鉄烏丸御池駅の側に移転されました。
 開店記念のこの日は、同じフロアーの会議室を借りて「世界のお茶と音楽」のパーティーを。
 「お茶も音楽もシルクロードを中心に繋がっている」がラ・メランジェ主宰松宮さんの持論です。

 以前ティーパーティーに若林の演奏を呼んで下さった横浜のお茶の先生川谷さん、昔からラ・メランジェの松宮さんと何度もお会いした陽気な輸入業のお兄さん川田さん、在京ウクライナの娘さん、中国服の娘さんが、各コーナーで、トルコ・チャイ、ネパール・チャイ、ロシアン・ティー、烏龍茶をそれぞれの伝統的な作法と茶器でその場で入れてお客様にお出しする、雰囲気満点の「世界のお茶会」です。

 メインイベントはステージ上で行われたラ・メランジェのスタッフと川谷さんによるモロッコのミントティー、2kgの大根型に固めたモロッコ砂糖の固まりをヴィンテージの専用ハンマーで砕いて、これも80年ものヴィンテージの茶器で生のミントの葉を絞って高いところからお茶を注いで。最高のアトラクションでした。

   六カ国のお茶と民族音楽のコラボレイション
 若林はそれぞれの雰囲気に合わせて六カ国の民族音楽を演奏しました。
 「烏龍茶」に合わせては、中国雲南省からタイ北部に掛けて住む産地民族の弦楽器「ツン」を。合わせてお持ちした打楽器はお客さんにその場でお教えして合奏。
 ラ・メランジェさんのサイトhttp://www.melangee.com/new/new2005.09.04.html、で若林の来京を知って滋賀から駆けつけてくれたケーナ奏者山田君と彼女、京都の複数の大学が合同で行った国際交流のイベントを企画した学生さんがタイ打楽器をやってくれました。
   「ネパール・チャイ」はインドと同じスパイシーなミルクティー。これに合わせては、山羊皮を張った三味線系の弦楽器トゥグナで有名曲「レッサン・ピリリ〜♪」を。
  続いてお客さんに清聴をお願いしてご披露しましたのが、インド古典音楽のシタール演奏。
どこかでしっかり演奏タイムを儲けるのもイベントでは大事な事。
   「ロシアン・ティー」に合わせてはバラライカの陰に隠れて比較的マイナーな丸い胴体の板張り三味線「ドムラ」でベルーシとグルジアの古い民謡を。
 ティーサーバーさんはウクライナ人ですからかなり不思議。何処にロシア? でもお茶の作法を流暢な日本語で解説する色白の東欧の顔立ちの女性が、湯沸かし器サモワールで入れるお茶には人だかりが出来ていました。
ベルーシもグルジアも連邦解体後ロシアとは犬猿の仲ですからちょっと気が引けましたが、そこは若林の持論で正当化。

 バラライカもドムラも、お琴のグスレも元々はロシアでは虐げられた吟遊詩人スコモローフ達の楽器。
 その差別の歴史からスコモローフはロシア人であるよりシルクロードのジプシー系世襲音楽家やコーカサス人であった可能性が高い事、ソ連誕生期に民族プロパガンダに利用されて変形した今日のバラライカやドムラ音楽にはその片鱗が見られないスコモロー
フの音楽の雰囲気は、むしろベルーシやコーカサスに見られる。
   トルコ・チャイは小さなグラスに濃い目の紅茶をたっぷりの砂糖で頂きます。
濃いのに渋くないのはかなり凄い事かも。
 マイクを使わない会場だったので、トルコ民謡弦楽器サズは比較的音が通る皮張りの近代型「ジュンビュッシュ・サズ」
 でもむしろこれはロシア・スコモローフと関係があったか、同義だったかもしれないトルコ・シルクロード吟遊詩人オザンの瓢箪三味線への先祖還りかも。
   ラストのメイン・イベントは、若林が叩くモロッコのベルベル系枠太鼓ベンディールの大音量の中で白い大きな砂糖の固まりを砕くセレモニアルな一場面で始まったモロッコ・ミント・ティー。   

 お客さんがお茶を待つ間はアラブ系弦楽器ウードの弾き語り。お茶が行き渡ったところではベルベル系の小型三味線ゲンブリの弾き語りによる練り歩き。
  お客さんもスタッフも手拍子とかけ声で盛り上がってくれました。
  大きな砂糖の固まりが砕けて飛び散る
 

 「伝統的なお茶の時間は3:00から」というラ・メランジェの松宮さんのポリシーで行われたちょっと贅沢なお茶会。
 お客さんも皆さんとっても満足して下さった様です。
全国の展示会を駆け回ってお忙しい筈の西陣織元、澤屋重兵衛さんも駆けつけてくれて「世界のお茶会」をすっかり堪能された様で「何時か展示会でコラボレイトしたい」とおっしゃって下さいました。

 重兵衛さんには先日の銀座での展示会にも呼んで頂きましたが、元々はラ・メランジェの松宮さんのご紹介で、松宮さんが提供された希少な烏龍茶のサーヴィスに合わせてシルクロード音楽を演奏させて頂いたのが始まり。
 お二人の拠点京都でラ・メランジェの新たな始まりの日にお会い出来たのも、今後の励みに繋がります。

 松宮さん、スタッフの皆さん「新規開店」おめでとうございます。
そして楽しい会に呼んで下さってありがとうございました。
 重兵衛さん、スタッフの平子さん、沢山笑顔を下さったりお声を掛けて下さったお客さんの皆さん。また近々お会い出来る機会を願って。
  宜しくお願いします。

   がらっと代わって夜のライブハウスへ

 立ち去りがたい、雰囲気の中、若林は夜のライブ会場「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」へ急がねば。
 なんとお客さんで来てくれた初対面のケーナ吹き山田君とその彼女の尼僧さんでもある音楽好きの釋妙香さんが車で送ってくれると! 
 CDを頂いた山田君には今後セッションや大阪でのライブのコーディネートなどのお誘いを頂き、釋妙香さんには若林がインド音楽打弦楽器サントゥールをご指導する事になるかも、などと楽しくお話しながらヴィヴァ・ラ・ムジカへ。

ヴィヴァ・ラ・ムジカの有る北白川は地下鉄の便がちょっと悪いところ。

 7:00から9:30頃迄のライブですが、前回若林のソロ・ライブは早めの9:00に切り上げ、お客さんとのお話ご挨拶もままならぬ中急いで駅に向かったにもかかわらず、目の前で9:32の新幹線最終に行かれてしまい駅前のホテルに泊まりました。
 その勿体ない思い(ならばゆっくりしていけたのに)が有ったので、「次はタイバンで」とお願いしましたところ、快くジョイントを引き受けてくれたのが西アフリカのマリンケ系民族音楽で、有名なジェンベ音楽以外に力を入れると言う頼もしいバンド「Pese Pese」さん。
 若林は一部にインド音楽シタールと、モロッコのベルベル系弦楽器と太鼓を演奏して、二部はペセペセさんにお任せすれば、新幹線に間に合うかな? と。

アフリカ音楽楽団とのジョイント・ライブ

 ヴィヴァ・ラ・ムジカに着いたのは6:00を回っていて、若くて気さくで、若林を大変評価してくれているマスターもちょっと心配し始めた時。ペセペセさんも一部と二部の間にちょっとでもセッションが出来ないかとスタンバイしてくれていました。
 慌ててサウンドチェックをして、セッションの打ち合わせ。

音を出す前から、なんだか全て安心出来る笑顔の面々でしたが、やっぱり音を出せば8小節位で十分。あとは本番のお楽しみ。

 低音の親指ピアノ「ゴンゴマ」のドライブ感とジェンベ伴奏太鼓としても知られる大小様々な両面太鼓のセット「ケンゲニ」の小気味良い音が良い感じ。

 今回のライブでちょっと失敗したのは、京都は京都でネットワークが出来ていて、若林がわざわざご連絡しなくても繋がってると思い込んでいたので、前回のライブに来てくれたオルゴール屋さん、奈良のアフリカ通ブッチャー君や若林のアラブ太鼓ワーク・ショップの受講生さんへの直前連絡を怠った事。
  「あれっ?お友達が誰も居ない!」状況を招いてしまいました。
みんなごめん。今度は連絡取り合って宜しくお願いします。

 ところが前回、差し入れだけ置いていって下さった東京で太鼓をお教えし、今は京都に戻られているミーさんがなんと今回は都合を付けてお友達と聞きに来てくれました。
 一二年、シタールがずらりと並ぶ吉祥寺の教室でコンガを学び乍ら「シタールを聴いたのは今日が初めて」と不思議なお方。もっとゆっくりお話したかったんですが.......。ありがとうございました。

 ペセペセとのジョイントの一曲は「このまま止まらないんじゃないの?」という位ノリノリで。
やっぱり本番に取っておいて良かったいろいろ仕掛を問いかければ、嬉しい答えが返って来たりで。
 マリンケ風姉さんのサトミさんも、ウォロフ系のトーキング・ドラム姉ちゃんのカナちゃんも、優しい大男ツヨシ君も若林の歌を褒めてくれて嬉しかったです。ツヨシ君のリングネームはなんと「バオバブつよし」う〜ん。言い得て妙。

 ペセペセは奇しくも日本の西アフリカ音楽グループの中でも歌に力を入れているグループとのことで民族音楽の歌の重要性と「歌心」には理解が深いのでしょう。そんな彼らに褒められたのは嬉しい限りです。

サトミさんは、見るからに世話見、面倒見が良さそうな暖かい方。早速教えて頂いたサイトを拝見すればやはりアフリカ音楽家の日本ツアーとか、各地でのワーク・ショップなど精力的に頑張っておられます。今後は是非若林の世界のいろんな国の音楽、それに通じる何かを日本の多くの方に伝える機会で是非ご一緒願いたい所です。
 サトミさんのプロジェクトのHPはhttp://www.live- -love.comです。

 あっ!あと,ちょっと昔に若林がマリンケ太鼓歌を独自にアレンジしたものの方での共演や、日本語マリンケ音楽でもユニット的にやれれば嬉しいな、と思います。2月の現地でのリサーチの為に資料を郵送しますね。宜しくお願いします。

 ゆっくりビールを飲む間もなく。って演奏中に数杯頂いてますが、楽器を片付けてやっぱり慌ただしく最終新幹線に「今日こそ乗るゾ」って。
 それでもペセペセさんのやっぱり楽しい演奏は、二三曲聴けました。
 
  アフリカの陽気な音楽の途中に退席するなら前回より気が楽かな?
盛り上がっている時にそそくさと。
と思えばなんとタイミング良く、日本語にアレンジしたマリンケ系のスス族?の「いってらっしゃい」の曲。ステージから「いってーらっしゃーい!」と派手に送られて、
やっぱり、もっとゆっくりしたい京都を後にしました。

 帰りの新幹線では早速山田君よりお礼のメールが。
こちらが沢山お礼をしたいところ。
なんとあの後ヴィヴァ・ラ・ムジカのマスターともペセペセさんとも仲良くなって、
11月にジョイントライブが決まり「嬉しいお引き合わせありがとう!」とのグッドニュース。
 徐々にですが京都でも旧交の温かな確認と新しい出会いの繋がりが嬉しく感じられた一日でした。

9月24日 ノセルということ

   
9月25日(日) 中津でアラブ・モロッコ音楽
 

 この5,6年お世話になってます京都のお茶っ葉屋さんラ・メランジェさんの新店舗開店パーティーと京都の民族音楽の拠点ヴィヴァ・ラ・ムジカでの暖かいライブの後、今度こそは新幹線の最終に間に合って東京に戻りました。
  日曜日はラ・メランジェの松宮さんのご紹介で仲良くなって、二、三ヶ月に一回ペースで呼んで下さる様になった大分中津の料理教室「オーグテ」さんへ。

颱風で飛行機が欠航?


 「明日から黒ちゃんのとこ?」ってラ・メランジェのスタッフさんに言われた様に、 京都で一泊して大分に行った方が経済的ですが、吉祥寺の教室が五週目だったので土曜日は自宅の12匹、教室のチャメ君とたっぷり遊びながら、珍しくのんびり楽器直しや連載の原稿書きの仕事をして過ごしました。

 ところが夜半になって「颱風17号が関東直撃の場合、飛行機欠航かも?」「それから新幹線で大分まで行こうにも午後の演奏に間に合わないかも?」という情報が。 
  結局長閑な日は半分で終わり。大急ぎで仕事を片付けて、出張準備を行い、翌日は早朝5:00に出るはめになりました。 飛行機か?新幹線か?の分岐点の品川に着いた段階で予定の一本前の飛行機が必ず飛ぶ事が分り、それで福岡へ。

 当初の予定寄り数時間早く着いたので、市内に借りている部屋に行き、お仕事メールのお返事や担当しているアジアン特急2005のサイト管理の仕事をしようと思えば、なんとエアエッジの端末を忘れる大失敗。
 急遽翌日ビックカメラでOCNの端末を別途購入するまで、PCの仕事も出来ず。やむなく又のんびりと珈琲を飲んでから大分中津へ。
 
 そう言えば、翌日のビックカメラさんの対応の素晴らしさには感動しました。
東京からの出張で時間が無いのに予定が色々有ってと言えば、PC丸々預かってくれて、新しいOCNの端末を直ぐ使える様にしておいてくれて。なかなか居ないんじゃないでしょうか。マニュアル以上の事をしてくれる店員さんって。
  ビックカメラ天神二号館の森さん!ありがとうございました。

中津の長閑な日曜日

 大好きな特急ソニックで中津迄。
 ちょっとのんびりし過ぎたので小倉迄新幹線で行って博多駅を20分強前に出たソニックを捕まえるんです。これが又不思議で面白い。でも小倉駅の乗り換えが結構走る。毎日がのんびりと必死の変なブレンド。緩急自在のインド音楽の様な生活です。

 中津に着くと、スタッフのお母さんと小学生の女の子が迎えに来てくれて。
二度目の場所はちょっと近い感じ。特に一度目は「駅前」と思い込んでいたので、山に連れて行かれて「え〜お客さん来るの?」って感じでしたから、尚更。
 「もうキリギリスも居なくなったんだろうな」とちょっと寂しく中津の山道を。

 郊外の農家のお屋敷の一角に立てられたかなり立派なログハウスが「オー・グ・テ 」と名付けられた料理とお茶教室。
  地域に貢献し食文化を軸に世界の文化や価値観を伝えたいというコンセプトで、若林や前回お友達になったアルゼンチン・タンゴとフランス・アコルディオンの演奏家秋元さんやいわつさんのコンサートを企画されています。

 現地に着くと、料理教室の生徒さんがお手伝いで民族衣装で頑張ってくれていて。
行橋・豊津の「瓢鰻亭」ライブ録音をやってくれた山崎コーゾー君が、今回はオーグテ自主制作盤若林忠宏LIVE-CD録音の為に来てくれていました。
 
 この日受け取った「瓢鰻亭LIVE盤デモCD」を後で聴いたら、もの凄く良い。
福岡のコーディネーターさんが何度も言って居た「若林さんを本当に好きな人が写真を撮らないと勿体無い」の「音版」。若林が言うのも変ですが、コーゾー君が若林の音楽をほんとに理解して好いてくれているから録れたCDって感じです。
 カットされる前提でしゃべりまくってるMCも良いところをふんだんに入れてくれて。初の「TALK & LIVE盤」となっています。

 嬉しいのは「瓢鰻亭LIVE盤CD」の制作者大分耶馬渓の白岩さんと、オーグテの黒川さんが同じ事を言ってくれたこと。
 二人とも若林の生の演奏を聴いて、ファンになってくれて。白岩さんは20年も前に吉祥寺で。若林の店のバイトに迄応募して。でも、お客さんじゃないと楽しめないと気づいて一日でバイトを辞めて。黒川さんは、民族料理の会がある度に若林のCDを注文してくれます。今迄は町で入手したCDを掛けていたのに。
 若林が「CDのスタジオ録音の雰囲気は、聴いて貰った生と違うヨ」と言うのに、二人とも音を聞くと「ライブの時のぬくもりを思い出す」って言ってくれて。
  元々半年近く前に福岡のコーディネーターさんが同じ事を言ってくれて。「ライブ盤が有れば良いのに」と。
 これは 僕ら音楽家にはちょっと計り知れない感覚。音を聴いたらテクニックや構成も感じ取りながらその音に入って行く僕らと違って、音から別の記憶を蘇らせる。九州の人の特性かしら?
 否。7月にちょこっと寄らせて貰った「オーグテ」ではいわつさんのアコルディオンに若林も感動したのですから、場と結びついた音ってやっぱり有るんですね。
  若林がアコルディオンは録音の時にやむなく弾く位だからリスナーに徹するからかもしれませんが。ストレートに「音楽」として取り込むと、同時に雰囲気やぬくもりも感じられる。そういう事でしょうか。

 7月は猛暑で「このお庭でも演奏出来たら」という話がピンと来なかった素敵なテラスもある芝生の庭は、初秋の中津の長閑な空気に満たされて「今日はここで演奏しません?」と言いたい程の雰囲気。
 そのテラスで次々に集まるお客さんは黒川さんの「モロッコ料理」と生のミント葉を入れた「モロッコ・ミントティー」をまず満喫します。前回の「城山ホール」に来て下さった方も居て。再会を喜んで下さって。

 「僕は若林さんの音楽が気に入ったんだけど、家内は笑顔に元気を貰えるからって」やっぱり九州の人は音楽を面白い聞き方するんですかね。
  その分、小手先のテクニックは通用しないって事でしょうか。指先テクはあっても小手先テクの全く無い若林には願って得られない環境の様な気がします。

 「城山ホール若林忠宏シタール・リサイタル」の感想をあらためて伺っていると「城山ホール」の若奥様まで駆けつけて下さりました。
「城山ホール」では録音が無かった代わりに大旦那さん直々撮影のビデオがやっと編集されてくるみたい。DVD自主制作盤になったら嬉しいな。幼児がステージににじり寄って来て若林と一緒に太鼓叩いたりの場面も有って、東京では無かった感じが映像で伝われば嬉しいんですが。

 若林がお客さんと歓談しながら、ホーム・ページ案内のチラシを書いていると、耶馬渓の白岩さんが一家総出で来てくれました。真っ黒に日焼けした中学三年のお姉さんハナちゃん、中々のハンサムな弟達。長女と長男は、子供和太鼓チームの練習や本番と重なって三人が揃うのは耶馬渓厳浄寺のコンサート以来。

昼と夜の二回ライブ

 この日は日曜日ということもあって、一部は大分県の南部などの遠方からもわざわざ来て下さった方が居て、主にご家族連れ。
  二部は音楽好きな若者や料理教室の生徒さんという感じに別れて行われました。

  CD録音・編集の山崎コーゾーさんは編集で悩むだろうな。同じ曲でもギャラリーと時間の雰囲気が変わると大きく変わっちゃう若林ですから「この曲はどっちバージョンをCDに納めるか!」で思案されることと思います。
 一部は解説も丁寧でレクチャー・コンサート風。二部は、福岡市のレクチャー・コンサート
にも来てくれたフラメンコ・ギター奏者さんが湯布院でお店をされている奥様を連れて来てくれたり、「前回のシタールは仕事が重なって残念だった」とご夫婦で来てくれた音楽の先生など詳しい方も多かったので曲を増やして、ガンガン飛ばしました。 その結果「若林さんはビールが入った方が良い」という印象を与えてしまった様です。半分は当たってま〜す! でも半分は会場の雰囲気なんですよ〜。

 なんと嬉しい事に、昼間の中津はまだ暑い感じで、外ではヒグラシもキリギリスも僅かに鳴いていました。 一転して夜になると急に涼しくなって。きっと林が近ければクツワムシも鳴いたのかな? 今回のCDは虫の声は少ないかもしれません。

 この日の演奏の中で若林的にも画期的だな、と思ったのは、モロッコ音楽を縦割りに解説したデモ演奏。
 先住のベルベル系の音楽と、中世イスラム王国時代スペインの音楽、そしてどの時代でも常に東から供給され続けて来たアラブ音楽。これらをグラデーションで演奏を通して解説出来ました。
 楽器はアラブ系弦楽器ウードと、ベルベル系の古楽器ゲンブリ、モロッコ独自の響き線付き花杯型片面太鼓ダラブカ、響き線付き枠太鼓ベンディール。

 一部と二部の間もゆったり流れる時間が有って。何時も来ては直ぐ帰る若林ですが、黒川さん、白岩さん一家とのんびりお話して。白岩さん一家には今後の太鼓伴奏を期待してアラブ太鼓をお教えしました。娘のハナちゃん長男太郎君は筋が良かった!
 白岩さんは「娘達は『まったくお母さんに余計な事を教え込んで!ただでさえぶっ飛んでる人なんだから、太鼓なんて始めた日には..............』って思われているに違いない」と言ってましたが、お母さん大好きな子供達です。お母さんより先に上手になっちゃうのが心配なんじゃないかしら。
 
 みなさんの感想はまたお寄せ頂いてからアップさせて頂きます。
ありがとうございました。
 コーゾー君、CD楽しみだネ! ハナちゃんミサンガありがとう! 二部で付けて太鼓良い感じで叩きましたヨ。お母さんの太鼓の練習に付き合ってあげてネ。
 
 豊津「瓢鰻亭アフガン音楽トーク&ライブCD
」と中津の「オーグテ・アラブ&モロッコ音楽ライブCD」は出来ましたらまた告知します。若林の方でもご予約、お申し込みを承れる様に致しますので、宜しくお願いします。

   狭い日本って言われますが、日本の各地でそれぞれの季節の変わり目に居合わせる幸せ。それぞれの土地のそれぞれの季節に、世界の楽器がそれぞれ異なる響き方をする。季節の豊かな日本に居て世界の音楽を奏でられる贅沢です。
9月26日(月) 小倉でジェンベ教室始る。
 

 9月26日は小倉のケイト・ミュージックさんで、若林のジェンベ教室の第一回が始りました。
  25日に中津迄来ていましたから、中津か小倉に一泊すれば時間も交通費も節約出来るところですが、昼に天神のビックカメラさんにエッジの端末を受け取りに行けねばならず。行ったり来たり。
  ケイト・ミュージックさんは歩いてもかなり近い一駅の西小倉。
  小倉駅で在来線に乗り換えるのにまたも走って。次第に慣れた今度は1分で見事に間に合って。
 ケイト・ミュージックさんに着くや、スタッフさんの私物自転車を借りて小倉迄戻って百円ショップで工具などを買って。ケイト・ミュージックさんのシタールとトルコ弦楽器サズのメンテナンスを。
 そこそこ立派な楽器が置いてあったので、使える様に直せば若林は手ぶらでライブに来れるじゃん。という甘い考えが「楽器が鳴らない状態で存在するのが心苦しかった」という主宰者秋元さんの快諾を頂いて。

  店内禁煙なので店先のコンクリの台の上に載っかって作業をすれば、お向かいのTVの取材も多い老舗提灯職人さんが声を掛けてくれて。
 前回はご主人が小倉迄迎えに来てくれたんですが、今回は帰りの新幹線の切符を西小倉で買ってあって、若林の送り迎えを気にして八百屋さんの仕事から戻ったご主人に感心されました。
 在来線乗り換えの早さ、自転車での買い物、店先での楽器職人振り、と東京からのゲスト風じゃない感じの自己満足に浸っておりました。

 さすがに数年放置してあったシタールは、30本の弦を全て替えなくてはならず。レッスン時間の7:30の直前に見事に張り替え終わりましたが、弾き込んで演奏に耐え得る様にするには11月2日のシタール・ライブにはちょっときついかな?

中々頼もしい生徒さん達

 九州とは言え、さすがに陽が落ちると肌寒く。 煙草と暖かい店内のどちらを優先しようか?と思っている頃には受講生の若者が続々と集まり。
 前回のライブにも来てくれた嬉しい面々です。

 仕事の都合で来れなかった人も居ましたが、男女総勢五名は、講師の先生が来れなくなった後も集まって自主練をしていたジェンベ仲間グループ。
 ジェンベは「叩けば鳴る」と思っている人が多いので若林の音出のレッスンが厳し過ぎて嫌になっちゃう人が少なくない中で、内二人はかなり良い感じで手が出来ていました。
 その一人は、東南アジア産の偽ジェンベを買ってしまい、四国の太鼓制作者さんにギリギリまでジェンベに近づけて貰った太鼓を持って来ていました。結局高く付いたという太鼓はそこそこジェンベの音になっていて、東京じゃ普通買い替えるヨと言うと「出会った楽器が偽物のままじゃ可哀想」という心意気にはホロっとさせられました。


 若林が始めた時は、偽物でも安物でも民族楽器は在る事だけでも有り難い時代でした。
 買い換えどころか選べさえもしない。
  直して使うのが当たり前で育ってきましたから、プロとして得意楽器は最高のものを揃える様になった今日でも、買い替えたり、偽物として捨ててしまったり放置する事が相変わらず出来ない。
  物不足の時代に育った若林の母親が「こんなに集めてどうするの?」って言う程包み紙は綺麗に筒にし、コンビニ袋も束ねて集めて。その影響なのでしょうか? 
  物が捨てられない性質に、出来の悪い子程可愛い的な愛着が加わって。
 そんな時代の開拓者魂や創る精神が、なまじポピュラーになった最近の民族音楽
シーンでは「消費」の精神が目立って来た様な気がしています。
 
 小倉教室のメンバーの一人がジェンベをバッグから取出すとなんとざっくり破けていて。「四国に送って数週間待たねば」と落胆していました。
 確かに東京に比べて民族楽器は物不足、 民族音楽も情報不足。若林がプロになった頃の状況が今の九州なのかもしれませんが、「出会った楽器が偽物のままじゃ可哀想」と言った彼だって現代ッ子には違いなく。やはりファン人口が少ない分、興味を持つ人のハートが濃いのかもしれません。

 ケイト・ミュージックさんは北九州市から大分北部では良く知られた良い音楽、濃い音楽の拠点のようなところ。
  翌日も福岡のCafe楽屋さんのライブで、行橋から福岡に仕事で通っている人が「ケイト・ミュージックの若林さんの教室に友達が入りたがっている」と言ってくれたり、前日のオーグテの料理教室の生徒さんも皆ケイトさんを知っていました。
  と言いますか、内二人がむしろケイトさんと黒川さんを繋いだ人で、黒川さんが若林をケイトさんとCafe楽屋さんを繋いでくれたので、中々充実のネットワークの渦中に置いて頂いている感じです。

9月27日(火) LIFE & MUSIC IN FUKUOKA  Vol.2

 

 9月27日は東京吉祥寺で始った「若林忠宏トーク&ライブ」別名「飲み会ライブ」そのまた別名「Life & Music」の福岡版の第二回目。
 早々と若林民族音楽歴30余年の真骨頂インド音楽シタール特集でした。


 吉祥寺の「本場所」はこのところ、宴会部長の多忙や、出版各社がいよいよ若林の新著出版の追い込みやら、颱風直撃などで流会が続きましたが、拾う神有りで「福岡場所」が嬉しい展開中です。

 市の文化事業部、そしてアジア文化関係のお仲間はいよいよ本番間近となったアジアマンスの為に来れなかったり、沖縄出張だったり。ちょっと人数は少なかったですが、 お馴染みのワイルドI氏、情に厚いS姉、心優しいK君に、若林の九州進出の助っ人を真っ先に名乗り出てくれたワンナインStudioの柳社長の嬉しい面々は多忙の中駆けつけてくれて
。S姉さんなどは、展示会の片付けをして一旦帰宅したのにお疲れの中、何時も通りの元気な笑顔で。ありがとうございます。
  前回のライブにも来てくれた方、一頃Cafe楽屋さんでも演奏したという職場が福岡市の西方面なのに大分に近い行橋から通ってる方がお友達と来てくれたり。会場も次第に盛り上がって。

 I氏S姉さん達とは回を重ねる毎に深い文化論を語り合える様になってきました。
  お店的にはお客さんを待たせて話し込んでる若林に「オイオイそろそろ始めなくて良いの?」と言いたい状態でしたが、実はもう始っていて.................。
  それが「飲み会ライブ」ってちょっと無茶かもしれませんが。
  そうとは知らず、と言いましょうか徐々に慣されてくる感じのお店側も、気づけばカウンターの中でCafe楽屋サイト担当スタッフ氏が不思議な所で妙にハマって受けていたり。店主江島さんは超真面目ですが、江島さんもその内思いがけず反応して「若林マジック」にハマって行くのです。きっと。


 Cafe楽屋さんは、「一が着く日はお休み」って不思議なシステムなんです。何処かの朝一にでも行くのかしら? そんなんで10月は若林の福岡滞在と日程が会わずにお休みして、11月の第三回でまた宜しくお願いします。

 丁度昼のTVで西新商店街のリヤカーショップ。ってリヤカーを売ってるんじゃなくて、野菜やお惣菜を道路で売る屋台ショップ。福岡は天神の繁華街にも屋台が多く。なんだかバンコクやインドみたいでワクワクしますが、西新はより一層インドっぽい。そのまた先の祖原交差点にある、アイリッシュ音楽の拠点の様なCafe楽屋さんです。お向かいの古い家は京都町家にも見えて。なんだか2005年では無い感じ。
 
 写真は柳さんが撮ってくれたんですが、アイリッシュ・グリーンのお店からシタールを慎重に運び出さんとする若林を見事にキャッチ。
 その後は柳さんの車に乗せて貰って、お友達の二次会に顔を出しました。

思いがけず楽しい二次会に誘われて

 ひょんな事からお友達に混ぜて頂いた、とっても暖かく面白く、元気で優しい役者揃いの素敵な人達の集まりで、音楽関係者は一人も居ないという若林にとってはとても新鮮な輪。
 古き良き時代のご近所仲間? 町内会っぽい雰囲気もあれば、有る時はNHK大河ドラマ風に人情が溢れ、また有る時は吉本新喜劇の様な大笑いが止まらない楽しい集まりです。
 「ようこそ福岡へ!」とお誘い下さったんですが「若林はやっと南区の小さな部屋ですから」 と言うと、早くでっかくなって福岡のど真ん中に事務所を構えて!と励まして下さいました。
 子供達の将来、日本の未来から、猫さん話迄、熱い話しが尽きない宴で。
  他のお客さんが居なかったらそこでも一曲だったかもしれませんが、「飲み会ライブ」の後に思いがけずとっても嬉しい美味しいビールを頂き、充実した今日一日の幸せを満喫して自宅に着きました。

 みなさんありがとうございました。
 また10日程したら伺います。今度は福岡市を挙げてのイベント「アジアマンス」出演です。また美味しいビールをご一緒出来たら幸いです。宜しくお願いします。