Diary-2004/September&October

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2004年9月1日 嬉しい贈り物

 

 今年も、船橋のY君から美味しい梨が届きました。Y君は10年以上前のインド音楽教室タブラ科のお弟子さんで、実際お教えしたのは五年に満たないはずなんですが、その頃何かで「梨が大好物」と言ったのか、「申年だから剥きものがたまらん」「季節の果物十分食べないと非常に悲しい」とか言ったのでしょう。お教えしている時間以上の長きに渡って毎年たっぷり一箱送って来てくれるのです。そして毎年この季節だけは満足して秋を迎えるのです。
 つい最近のような気がしますが、習志野の公民館で演奏を依頼された時にお知らせしたら、お母さんと来て下さいましたが、もう二年も前のことでした。北欧ラップランドの民俗を研究されていた妹さんはお元気でしょうか? もしかしたらY君は伯父さんになってたりして。こちらは何をお返しできるのやら。でも、中々難しい音楽の仕事の中で、とっても励まされていることは本当です。ごちそう様でした。ありがとう! 一日何個も芯を貰ってMダックスの千恵も大変喜んでおります。

   

2004年9月5日 感動しましたカヤちゃん!!
   夕べなんとカヤキリが産卵していました。昨年夏生まれて初めて生きているカヤキリと出会って(子供の頃に見た気がしたのはカヤキリの半分サイズのクサキリだったらしい。 子供の頃の記憶ってみんなサイズが倍ですよね)期待の産卵が全く駄目だったので、今年こそはと八景島の演奏の時と、青葉台国際交流協会の打ち合わせの時に横浜の山に行って連れ帰ったカヤキリが、今年は雌がまだ皆元気なので期待はしていたのですが。産んでくれたようです。
  実際は産卵の姿を見ただけで、まだ卵は取出していないのですが。何が嬉しい,というか感動したと言うと、今年は猛暑や、僕のバタバタで注文が遅く細身のススキしか入手出来なかったのでカヤに比べて半分の太さのススキにあの大きなカヤキリは産卵しないのでは?と心配だったのです。
  採集地からカヤの茎も持ち帰り、冷凍保存して時々籠に入れてみたりしたんですが、一向に産卵する気配がなかったのですが、夕べ懸命に産んでいました。なんと細いススキに我が子の将来を心配したのか、ススキの根元の土中に産卵管を差し込んで懸命にいきんでいるじゃないですか!「カヤちゃん凄い」と思いました。
  が、本当はカヤちゃんと名付けられた雌は別の雌でした。カヤちゃんは八景島の演奏の時に唯一見つけた幼虫だった雌で、八景島の楽屋で、ギリシア楽団のブズーキ奏者小宅君の彼女のクーちゃん(我が家のママ猫と同じ)が「名前はなんて言うの?」と訊いたので思わずカヤちゃんと言ってしまった,我が家で始めて名前を得た昆虫でした。
  カヤちゃんも時期的にギリギリの時期なので、そろそろ頑張ってくれなくてはならないのですが、何分幼虫で連れ帰り、後からお婿さんをつれて来た、箱入り娘なのでお見合いも上手くいったのかどうか?
   

9月10日 素敵なポスターが届きました。
 

 10月6日にレクチュアーコンサートをさせて頂くことになっている、世田谷の閑静な住宅地にある赤堤小学校のP.T.A.のコンサート実行委員会から素敵な楽しいポスターが届きました。
  発起人でご主人も民族音楽ファン(なんとタンザニア出張中に故ザウォセ氏にイリンバを習ったと言う)の荻原さん作かと思えば、おなじP.T.A.の実はプロの山本さんというお母さんですと。
  でも上手いだ、プロだという以前に民族音楽の雰囲気を楽しく子供達に伝えようという心、なにより荻原さんを通じて受け止めてくれた(と勝手に思い込んでいますが)若林の気持ちをポスターに込めてくれたような感じが嬉しい限りです。一般は不可で、在校生とその親御さんだけの会ですが、宜しくお願いします。
 赤堤と言えば、1999年と2001年に、奥様のコレクション民族楽器を頂きに伺った大俳優森繁久彌さんのお宅の隣町、さすがに虫は居ないでしょうが、きっと長閑で暖かな演奏会になることでしょう。


9月15日 あのカヤちゃんも!!
 




 今日の午後、あの八景島のギリシア音楽ライブで連れ帰った幼虫だったカヤキリも必死に産卵を試みていました。
  なかなかススキの葉の隙間を探せないみたいで、苦労しているところに雄が迫って来たりで大変そうなのですが、産卵中に雄を排除も出来ずにただ固唾を飲んで見守るだけ。
  やっぱりススキじゃ細いのかな。カヤ茎冷凍にもトライしてましたが葉を落としてるので、隙間が見つけにくい感じで可愛そうです。写真は先日の土中産卵に至ったもう一匹の雌、今日も頑張っていました。カヤちゃんは網越しでピントが合いませんでした。
 グラント白カブトの我が家の二世が一匹羽化しました。またも雄が先行でちょっと心配。雌はまだ蛹です。ほんとうに白いですよね。北米の昆虫というのも珍しいところです。
 季節の変わり目の9月に外部演奏が少なかったのと、昆虫生態の様代わりの時期なので音楽の話題が少なくて申し訳ない。 そう言えば、先日ネットCD通販のZeAmiさんで初めてオーダーしました。邦楽(僕の場合j-popのことじゃありません)のCDなので町のレコード屋さんも気合いが入らない感じなので生まれて初めてネット通販でCDを購入したのですが。在庫切れのお電話を代表の方から頂いた際「若林さんて、あの羅宇屋のですよね? ライブ良く行きました。」とお声を頂いてなんだか嬉しかったです。

 

9月16日 猫達二世の誕生日!!
 

 9月16日には原稿仕事の合間に二世猫達の二回目の誕生日会をしました。
  15日がママ猫クーチャンの長男ティナ、次男チャチャ、三男プジョー、四男グピ、次女マロン、(長女チミーは里子に出ました)16日がチイママ猫アイーシャの長男虎之輔、次女ミーシャ、三女プリン(長女マーシャは里子に出ました)が生まれて丸三年。
  生まれた直後は弱い子、何度もお医者で危機一髪の子も居ましたが、1年半以降は皆安定して、皆立派に元気な成猫になって、時に長閑に、時にやんちゃに楽しく過ごしています。
 8月は外部演奏が多くて留守がちでしたが、9月は一日中原稿を書いている事が多かったので皆なんだか安心しているみたいですが、8月の事が記憶にあるのか、皆僕の回りを離れません。
  今年前半の様に数ヶ月原稿仕事の頃は、皆勝手に家の中の好きな所に居て、僕なんか放ったらかしで、おやつが欲しい時だけ甘えに来たものだったのですが、猫は過去の事は直ぐに忘れる、と言いますが、結構寂しかった記憶が残ってるみたいです。
 写真上:年に一度ケーキを食べれる!!左はアイーシャ家代表虎之輔、 右はクーチャン家代表ティナ、三本の蝋燭が気になってしかたありません。中左写真のプリンはやっぱりがっついてます。中右写真の虎はあいかわらずボーッとしてます。フラッシュをモロに見てしばしばさせてました。下の写真のプリンは今にもケーキに突進しそう。マロンは直前にケーキににじり寄って蝋燭が熱くて驚いたので、警戒の顔つきです。



9月18日(土) 朝日カルチャー・センターインド古典音楽
 

 9月18日は、朝日カルチャー・センター新宿でインド古典音楽シタールとタブラでレクチュアー・コンサートを行いました。講習会は単発のもので、昔からお世話になっている元明治大学教授の江波戸昭先生の講座のデモ演奏に呼んで頂いたものでした。
  先生の概説の後、短めにラーガ・カマージを演奏し、受講生の方々の素朴な質問に応じる形で、解説を進めました。と、いうのも限られた時間の中で「インド古典器楽は、まず始めに『前奏曲アーラープ』があって...........」などとつらつら話していても何が理解されるものやらと思ったからもありますが、実は今や本も書いたり今回の場合教授先生を前にして講義する若林自身そのような理屈が全く頭に入らなかった方でしたから一方的に話すのではなく、リスナーの関心に基づいて演奏を解説してゆこうという手法をとりました。
  1970年代にインド大使館で定期的に行われていた「日印協会・インド音楽の集い」の最年少常連で参加し、田辺先生、草野先生に随分かわいがって頂いたのですが、理屈が面倒臭いとか、理解出来ない、というのではなく「『前奏曲アーラープ』があって」と言われると「何故?無いとだめなの?」と言う風にいちいち引っかかってしまい、話しが先に進むのに追いつけなくなったものです。
  今でこそ、アーラープは実は前奏曲ではなく最も古い演奏形態である,故に初めに演奏される、とかアーラープの各楽章のそれぞれの四つの段階は、その後様々なカテゴリーに当てはめて次々の楽章にすすむのだ、と理解出来ればその様に説明出来ますが、当時も今も文献はそれを教えてくれません。
インド人演奏家に聞いてもこれは同じで、若林がいちいちつっかかるもので「お前の名前に意味があるのか?」「空気が何故あるのか?と考えて吸ってるのか?」位なことを言ってキレた師匠も居ます。
  そんな若林が講義する際に、一方的に『前奏曲アーラープ』があってなんて、とてもとても言えません。
  受講者の質問を元に講義する手法ですが、たいがい日本人は受け身で、つらつら話しをつらつらメモって満足するようなところがありますから、僕式の良さはあまり理解されないのですが、今日の受講者は一見して中々の強者揃いで絵画に関して言う「絵心」の音楽版の様な物の豊かさを感じました。
  もっとも、「まずは楽器の説明をしてくれ」と楽器に対する質問も多かったので、インド音楽はCDで昔から聞いていたという人と初めての人が混在してますから、受講者主導というのも中々まとまりが取れない問題もあります。
  でも、ラーガに用いられない音に「割愛音」と「敵音」があることの具体的な説明では、デモ演奏で見事にそれを聴き取っていた方が何人かいらしたりで、なかなか掘り下げたレクチュアーも出来ました。
 タブラ伴奏は、江波戸先生の会と言う事もあって、そろそろ10年目の新井良伸君に多忙を押して来てもらいました。さすがにギタリストですから音楽の構造に関しての理解も深く、苦楽を供にしてきた時間も長ければ、シタールが行こうとしているステップの理解も早く、さすがって感じでした。
  もっとも江波戸先生の「ターラに関するデモ演を」のフリに急遽始めた7拍子や10拍子はドゥルットのテンポでもあったため、ノリ切れず困っていたようです。が、モダン・スタイルの実演の掛け合いではララント掛かったものも見事に答えさすがでした。
  思えば皆多忙なタブラ奏者ですが、10年選手のギタリストで気心通じる新井君、作曲家で安定したノリであらゆるラヤカリを存分にやらしてくれる青山さん、新進気鋭のダラブカも叩く和太鼓奏者の岩田君と、タブラの相棒には恵まれているかもしれません。
  欲を言えば若林以上にアカデミックな(マニアックは日本に多い癖に以外と居ないんです)タブラ奏者、古典より民謡が得意といったタブラ奏者が居てくれたら本望なんですが、過去30年居なかったくらいですからこれは諦めるしかないんでしょう。

 

9月28日 杉並区立沓掛小学校のノリノリ五年生

 

 9月28日(火)のお昼前、杉並区の下井草に近い長閑な住宅街にある区立沓掛小学校に呼んで頂いて、五年生3クラスの元気な子供達にアフリカ民族音楽デモ演奏の鑑賞と太鼓合奏の実技を紹介しました。
  呼んで下さったのは、中野区立野方小学校にいらした頃に何回も呼んで下さった民族音楽にも熱心な市川先生で、HP更新のご案内を差し上げたところ早速転勤先の沓掛小学校に呼んで下さったのです。早めに着いたので校長先生にお相手してもらうことになってしまたのですが、

普通お互いで気を遣ってしまうことの多いところ、高田校長はお話上手な気さくな先生な上に民族音楽にも理解が深く「国際理解には民族音楽が最適」という嬉しいお言葉も頂きました。
  しかもお話しが弾むうちに、若林が杉並区立荻窪小学校卒業なんてお話したら、なんと沓掛小の前教頭先生がこの春から荻窪小の校長先生ということで、その場で校長室から荻小校長に電話して「今度そっちでも若林さん呼びなさいナ、卒業生の有名人ということもあるし、民族音楽ならお任せですよ」と校長先生がプロモーションをしてくれると言う異例の大接待。市川先生が旧交新たに呼んで下さった嬉しさの上に校長先生のノリノリぶりに驚きと感動で朝からテンションが上がってしまいました。
 しかしながら、まだまだ現状は、現場の先生が民族音楽に理解が有っても校長先生迄は....。というところが大半で、高田校長の「国際理解には」のお話で 直ぐに思い出されたのは数年前の悲しい出来事。
  都下の小学校で、音楽の先生や、担任の先生が若林の演奏会を国際理解の授業でプログラムして下さり、教頭先生も乗り気で、日時も決めて細かな打ち合わせをする頃になって、ほとんどドタキャンの事態に、なんと校長の鶴の一声「国際理解は音楽ばかりじゃなかろう。偏り過ぎで良くない」で中止になってしまったのでした。
  若林を見い出して下さりノリノリだった担当先生の気の毒な落胆振りが沈痛な想い出となってしまいました。それにくらべて沓掛小の高田先生のノリノリはなんと素晴らしいことか!
 と、数年振りで使った「ノリノリ」ってフレイズを連発しているのは、どこか長閑で昔の公家さんのような雰囲気の市川先生が「今日は子供達もノリノリでとっても良かったですよ」を帰り際に連発されたので、僕迄「ノリノリ」の余韻が丸一日続いているのです。子供達は確かにノリノリで、二時間休憩無しのぶっ通しで、若林の演奏と、アフリカ・クイズ、また演奏しては手拍子で学ぶアフリカ・ポリリズム、また演奏を挟んで、野球部とサッカー部の太鼓合奏対決、また演奏を挟んで女子代表チームの太鼓合奏。
  そして最後の目玉プログラム代表三名によるアフリカ太鼓家族。お母さん太鼓は「一番元気な女の子」お父さん太鼓は「一番優しい男の子」子供太鼓は「一番可愛い子供っぽい男の子」を太鼓合奏女子代表チームに選んでもらったらそれはそれは大騒ぎで「一番優しい男の子」が中々決まらず大モメ。しかたなく「一番オヤジっぽい子」に変更したら即決でした。
  五年生ともなると女の子はちょっとオマセなので「優しい男の子」なんて色々差し支えがあったみたいで可愛かったです。各地で同じ様な合奏を指導しますが、それぞれの町の雰囲気があって何処も面白いし、想い出深いですが、校長室のノリノリも有ったり、途中に一年生の坊主頭の二人が廊下を走り抜けて行ったりのハプニングやら、大人びてすます子も全く居なくて、反応も早いのでこっちがノセられたところもあったので、代表三人の合奏はしばし聞き惚れ、ちょっとジーンと来てしまいました。




10月1日 東京音楽大学付属民族音楽研究所
 

 10月1日(金)は、東京音楽大学付属民族音楽研究所の民族楽器講座2004年秋がスタートしました。
  作曲家伊福部昭先生の秘蔵っ子の作曲家、甲田先生のお誘いで始まった若林の講座も丁度1年。3ヶ月ずつの講座の第四回目です。

  今回は講座の種類は少なく、インド古典太鼓タブラの入門と、5月〜7月の受講者対象のタブラ初級と西アフリカ太鼓ジェンベ入門ですが、入門はいずれも大好評で、当初からご案内で明言していた「楽器は二人にひとつ」が本当に徹底してしまいました。
  でも四回目なので勝手も分かるので二個一組のタブラは受講者を手ぶらにすることもなく、どんどん教えて行きます。

  面白いのはジェンベ入門にアメリカ人の女性が二人も居るのですが、一人はロシア系、一人はウクライナ系と今迄スラブ系アメリカ人とは出会ったことがなかったのがいっぺんに二人も。しかも西アフリカ太鼓のご縁とは。
  また若いご夫婦が3歳位の男の子同伴で交互にあやしながらの受講もあり、なんだか独特な和やかさです。タブラ初級でも入門受講者ではなくインドのベナレスで少し習ったという若者が参加したり、ついに1年ずっと様々な打楽器を受講し続けてくれた方が三人居たりも嬉しいところです。
  1年目で色々とだれる部分もあるかと思えばむしろ逆で、思いがけない部分の盛り上がりもあってなんだか嬉しい気配です。



10月3日 チェロの王子様演奏会
 

 9月末から10月に掛けてリハーサルを密に行い、10月3日に渋谷東急文化村オーチャード・ホールで晴の本番が行われたチェロ奏者溝口肇さんのコンサートにシタールで参加させて頂きました。
  元々は9月のスタジオ録音のお仕事の流れで、録音に参加した新曲のお披露目だったのですが、いずれも有名なTV番組「世界の車窓から」の為の曲で、インドの場面を僕のシタールが担ったという曲は、今回溝口さんが書き下ろしたもの。
  録音の前に溝口さんご自身とメールでやりとりしたお陰で、シタールの最も理想的な音域と調で作って頂いた上にたっぷりソロもあるというところが嬉しい曲です。今までもタレントでアーティストのYOUさんや松雪やす子さんのCDでもたっぷりシタール・ソロを弾かせて貰ってけっこう自分でも満足しているのですが、何分エンディングのFOでの弾きまくりでした。
  ある時などタクシーに乗っていたらそれがかかり「おっ!この後にソロだゾ」と思ったら割愛されて『ここで道路交通情報です』の悲しい思いをしたことがありましたが、今回はまるでインド音楽のように四小節の主題の後のチェロの展開部があった後は二巡に渡ってたっぷりのシタール・ソロでした。
  本番では溝口さんが中央のチェロ席から立ち上がって僕をフィーチュァーして下さったり、演奏会の最後では再び呼び出してご紹介下さったり、色々な場面で気を遣って頂きたいへん光栄な場面の連続でした。
  バックバンドのメンバーのユニークな方、若いのに凄く良いセンスの方々と合えましたし、僕と同じゲスト演奏家のハーモニカの僕も教則本を持っている松田幸一さんともお会い出来て収穫の多いコンサートでした。
  ただ、ゲストは各一曲わずかな曲間でさっそうと登場して美味しいところを見せてさっそうと消えて行くのが演出なので、シタールだけが平台引きずってそれに胡座をかいて、という感じじゃなかったのです。

 そこで急遽ストラップで立奏となりましたが、アラブ民族衣装で立ちシタールはかなり奇妙でした。ただでさえ浮きがちなのに。ところがこれも溝口さんの気遣いか、僕のたった一曲の為にメンバー全員が全曲通じてインド・シャツにターバンの珍妙な衣装を着せられ、自称盗賊団のような格好だったので若林の異質感も最小限に押さえられた感じです。 当の溝口さんは、と言うとひとり貴公子スタイルでしたが、何しろ1500人も若い女性ファンを集めるのですから、正に王子様でした。溝口さん、ホリプロのスタッフの方々、メンバーの皆さん、松田さんお世話になりました。とても楽しかったです。


10月4日 現代三味線協会・演奏会


 10月3日は、あいにくの雨でしたが、春からご予約頂いていた、ジャワ・ガムランの先駆者で、僕の著書「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)にも登場する森重行敏さんのプロデュースによる現代三味線音楽協会のコンサートの二部で「三味線ルーツ楽器レクチュアー・コンサート」をさせて頂きました
 参宮橋のオリンピック記念会館にあるカルチャー・ホールは、東京オリンピックの施設の後利用のイメージからは驚く程新しく美しい施設で、若干響き過ぎの感もありましたが、ホールも民族音楽には格好の空間でした。
 しかしあいにくの天気なので、シルクロードの三味線属にとっては最悪のコンディション。朝から音楽仲間の今井君に車を出して貰って運び入れ、楽屋ではその辺り(イスラム圏内民族音楽)に理解も興味も深い今井君と純正調学会の玉木先生の寄せてくれる関心の中で、アフガン・ラバーブ、インド・サロード、ウイグル・ラワープ、トルコ・サズを弾きまくり「ノリノリ(先日の沓掛小学校の余韻がまだ有る?)」で本番に臨んだのですが、舞台に上がってみたら異常に温度が高く、調弦しながらの演奏で弦が切れたり、湿ったヤシの実ピックに弦が引っかかりでむちゃくちゃナーバスな演奏で思いがけず苦しみました。
  もともと「民族楽器カメレオン」の僕ですから、50分に4各国なんて苦手なところ、丁度「三味線BOOK」の書き上げ段階で気持ちもこのテーマに充実していたのと、楽屋でノリノリ絶好調だったギャップにやられてしまいました。
  幸い太鼓の岩田君が大きいホールでは昨年12月の東京音楽大学ホール以来でしたが、その時のナーバスな演奏とくらべ凄まじく大き成長してくれていたので、客席から聴き、写真も取ってくれてスタッフ仕事をやってもらっちゃった今井君が聞いても演奏会としてはそこそこ良い感じだったと言ってくれました。




10月4日 アニメ音楽録音
 

 10月4日は、三味線協会の演奏会から戻って、丁度授業を終わったところの新井良伸君のタブラ・クラスの生徒さんに助けて貰って三味線属を片付け、教室のマスコット・ボーイの虎猫チャメと小一時間遊んで再び街へ。かさばるシタールを傘さす溢れる群衆の間を縫うように小田急線を6日に又行くことになる(やはりジンクスが強い)経堂方面のスタジオで、アニメ番組の録音のお仕事でした。
  今回はシタールに加えてなんと日清カレーUFO以来久々の中近東風(と依頼される)ヴォーカルも。ラーガかマカームのスケールがはまればお得意のジャンルですが、歌のソルフェージュなんかやったこと無いですからスケールが途中で転調したりポリフォニックな雰囲気だったりの書き譜で歌うなんて過酷でしたが、作曲家の窪田ミナさんが凄く温和でゆったりした方だったので幸いしました。
  原稿書きの仕事で寝不足の中、急に寒くなったのに布団も無く(春先に猫にたっぷり粗相されたり引っ掻かれたりで処分してしまったので)6日間ぶっ続けの外部演奏活動でしたが、風邪も引かず良く頑張れたものだと我ながら関心します。
  色々な意味で正念場ということも有りますが、チャメも含めて我が家の猫達が元気で居てくれるのが大助かり。去年の今頃はとんでもないアルバイトを雇ってしまって糸飲ませたとかドアに挟んだ、とか毎週病院に連れて行っていたので、それから考えれば布団駄目にされてもおつりが来る程支えてくれてます。急に寒くなったものですから、僕のベットに群がってまた寝返り出来ない状態ですが。       


10月6日 世田谷赤堤小母と子演奏会




「若林さんがどれだけ練習したかが分かった気がした」と書いた子も。シタールの演奏を聴き弦の数を知り大変な楽器だ、と実感して練習沢山したのだろうな、と思ったのでしょう。このような表現からも子供達が自由に聞き、自由に感想を述べてくれたのが分かります。望まれている答えが分かった時の子供はとは別な答え方です。
 上の長文では若林とタブラの音が「ウキウキしていた」と有ります。子供とは言え、鋭く音を受け取るものだと、なおさら痛感です。
 


 10月6日は数日続いた秋雨もすっかり晴れて絶好のお天気の中、夏前から企画担当でお話を進めて来て下さった世田谷区立赤堤小学校P.T.A.の荻原さんに朝から吉祥寺に来て頂いてワゴン・タクシーに楽器を一杯積み込んで小学校へ。
  P.T.A.主催という若林には今迄無かった催しの「母と小で楽しむ民族音楽」というレクチュアー・コンサートでした。
 先日の杉並区立沓掛小に続いて嬉しいことに校長先生が民族音楽に理解があって、さらに佐伯校長は自然保護や旅にも造詣が深く、音楽のみならず若林の昆虫飼育や自然保護、ビオトープ論でも盛り上がり始まる前から
「また今日も『ノリノリ』か?」と言う感じで臨みました。今回は母親も演奏会を聴く意識で来て下さっており、子供達も親が居て「授業じゃない」という理解が有ろうと思い、始めにあまり盛り上げずに子供達が神妙にしている内にインド古典音楽をシタールで小学校では異例の20分も演奏しました。 その後は子供達が一番関心を示す言葉で覚えるインド太鼓タブラ。その結果が左の感想文です。
 お母さん実行委員の皆さんは子供達にカードを配って、最後に可愛く束ねてプレゼントしてくれたのですが、思いがけないお土産に感動でした。案の定タブラから徐々にノッて来た子供達は、休憩を挟んだ二部のアラブ太鼓、アフリカ打楽器、太鼓と歌ではやはり「ノリノリ」でした。この「ノリノリ」のフレーズは子供の感想文にもお母さんの感想文にもあったので、もしかしたらまだまだ死語では無かったのか!?世田谷の閑静な住宅街の子供達は、一年生でかなり口達者な子が居たり、お母さんがイギリス人の、モデルみたいな娘がトーキングドラムを通訳してくれたり、感想文でも鋭い指摘や若林の気持ち迄受け取る様なところがあってなかなか凄い子達でした。
右の子の「上手」と褒めて頂いた左の絵はシェケレ、右はタブラを上から見た図らしい。 元は数人のお母さんの「民族音楽が聞きたいな」に始まった企画をご主人が民族音楽ファンの萩原さんが奔走して下さいましたが、当日お子さんは来れず、若林としても恐縮の思いです。荻原さん、皆さんありがとうございました。





10月10日 名古屋JR高島屋ギリシア音楽

 

 10月10日は今年三度目の名古屋での演奏でした。2月と夏の大変良い時期にはアフガニスタン援助と交流に務められているアリアナ基金の皆さんに招かれ、丁度一年前は名鉄百貨店の特別祭事アフガニスタン・バザールでアフガン音楽を演奏し、名古屋と言えばアフガン音楽という感じでしたが、今回はJR高島屋さんの地中海フェアでギリシア音楽のご依頼でした。
  中部・近畿地方でのギリシア音楽は大阪産業貿易センター、掛川ヤマハ・リゾート、名古屋南部に当時あったギリシア・レストランでの演奏が有り多からず、少なからずといった感じです。 
  JRとの合弁のJR高島屋さんは高級感溢れるスポットで、間にプロダクションも入ってのお仕事でしたので粗相は出来ないちょっとストレスを感じるお仕事でした。
  季節の変わり目は、昆虫飼育中心モードから「芸術の秋」ということでイベントが目白押しの外部演奏モードに切り替わる時期ですが、今年は執筆活動と楽器修理のお仕事も加わってモードが定まらず、9月末からの6日連続の外部演奏、しかもそれがチェロの溝口さんから小学校迄の幅があってかなりハードでした。
  正直ベスト・コンディションで遠方に行けるとは期待出来る状況じゃなかったですし、7月の八景島で盛り上がった期待のギリシア音楽楽団のメンバーがスケジュールが合わず、急遽民族音楽センター10年15年選手に無理を言ってのスケジュール調整でしたので7月のアフガン音楽の時の様な準備万端、前後の昆虫採集も充実とは大違いでした。そのため7月に昆虫採集に付き合って下さった名古屋の虫仲間渡辺さんには直前のご連絡をする余裕もなく、西日本方面の若林のコーディネイター三河屋さんもお誘い出来ず、直前にアリアナの会にご挨拶としてご連絡するのが精一杯でした。
  お仕事のお話もけっこう急だったのもあります。(渡辺さんごめんなさい)

 さらに前日どなたかのベリーダンスで踊り手さんと音響さんのコミュニケイションが取れずにハケの曲をまるまる流し続けCD鑑賞会になってしまったというハプニングが有った上に台風22号で新幹線が止まるという大騒ぎが有った為、急遽僕らも数本早い新幹線で来い!というなんだか憂鬱な雰囲気となりました。
  演者がMC出来ずBGMを用いるベリーダンス(僕が踊り手ならその場のアドリブで再び舞台に上がりお客さんも巻き込んでむしろ盛り上がるのに、とも思いますが)とMCの方が演奏より達者で、決めたことよりハプニング対処の方が上手いと自他共に認める民族音楽センター楽団と一緒にしないでヨ、とも思いましたが渋々早めの新幹線で大御所メンバーに気を遣いながら現場に到着しました。
 ところが現場に着いてみれば、僕との相性の問題なのかも知れませんがクライアントの担当者はお二人ともノリの良い大阪人で、前日とは別な方と言うMCの女性もアドリブが効く感じの方で凄く良い感じで始まりました。
  強いて言えば何処でやっても必ず一人二人居るのですが、最前列に座って聴く気満々かと思えば始終腕組みしながらぶっちょう面の御仁が二人も居たのが若干気になりました。普通舞台演奏家はそういう御仁は無視するのが鉄則でしょうが、民族音楽演奏家であるならば、むしろ彼等をノセずにどうする!という感じになってしまう向きもあります。
  結局一人は途中で退席しましたがもう一方は最後は笑顔や拍手を下さるとこ迄持って行けました。しかも後半はなんとアリアナの会のメンバーが勢揃い、主宰の横山さん、岐阜からの副官加藤さん、20年来のお友達名古屋在住のアフガン人レカさんファミリーが到着し客席から笑顔で応援。加藤さんが「あたし達がサクラする迄もなく盛りあがってたじゃない!」と言ってくれましたがちょっと難し目のお仕事だったのが大盛り上がりの楽しい演奏会になったのはアリアナの皆さんのお陰です。
  レカさんはギリシア音楽にアフガン音楽と通じるシルクロードの旋律や7拍子の曲を見つけて喜んでくれましたし、横山さんも立って演奏する若林が珍しかったからか「カッコ良かった!」とまで言って下さり、クライアント担当さんもにこやか、一般のお客さんも演奏後お声を掛けて下さったりで、上々のパフォーマンスになりました。
 休憩時間にはレカさん達と楽しくお茶をして二部も付き合って下さったので再び盛り上がりました。
  4:00近くに終わったので若林の気持ちはすっかりその後の昆虫採集に切り替わり、渡辺さんお勧めの庄内河河川敷へ思いが行ってソワソワ。それでもアリアナの皆さんにちゃんとお礼をしなくては!と客席に行くと、後から駆けつけてくれたアリアナ幹部でお医者さんの奥さん河合さんが「この後のご予定は?」と訊いて下さったのでモジモジと「庄内緑地でバッタを....」と言えば河合さんは呆れながら、家にも近いし旦那もそんなの大好きだし皆で行きましょう!!と凄いことになってしまいました。
  メンバーの二人佐藤さんと竹内さんはあらかじめ「好きなところで好きな美味しい者でも召し上がって!」と食べ物で釣って来てもらっていたので用意周到に下調べしたお店へ、若林は思いもしないメンバーとタクシー二台の昆虫採集ツアーへ。アフガン人のレカさん、奥さん、アメリカから尋ねて来た弟さん、若林の孫弟子でアフガン太鼓タブラが達者な息子さん、実は昆虫が苦手な横山さん迄引き連れ、途中で夜勤明けのドクター河合さんのご主人を加える為に河合さん宅にお寄りすれば小さなお子さんが居る訳でもないのにカブト虫コクワガタが居たりでドクターはタモ網迄積み込んで渡河用シュノーケル付きの河合家御自慢のランドクルーザーで庄内河へ。
  河川敷の公園はかなり整備され「これは無理かな?」と思えば、さすが名古屋ドーム周囲にクワガタも居る名古屋でした。
  駐車場で既にササキリが鳴き、東京より大型のクビキリギス、不思議な超小型の緑色の河原バッタ風のバッタ、トノサマバッタなど思いがけず大収穫。
  むちゃむちゃ驚き感動したのが、ドクターの奥さんが手づかみでクビキリ採りの名人かと思えば、若林が全国各地で網を持って無様に走り回って採るトノサマバッタをアフガン人のレカさんが手づかみで何匹も。
  しかもそーっと近づきパッと手を出すともう捕まっているのです。僕はインド人パキスタン人アフガン人は決して走ろうとしない。という変な思い込みがあるのですが、やはりそれは当りでアフガン人はトノサマバッタ採集でも無様に走って追っかけ回すなんてことはなかったのでした。
  訊けばアフガニスタンでも子供達は昆虫採集で遊ぶそうで意外な感動でしたが、レカさんも子供の時サソリを捕まえたけど餌が分からず死なせたとか聞き、やっぱり半端じゃないと二度びっくり。思えば旧ソ連軍は昆虫に見せかけ子供狙いの小型地雷を仕掛けた話しや、レカさんも一度体験したという干ばつで苦しんだ挙げ句のトノサマバッタの大群の大被害の話しを聞けば、アフガン人に昆虫採集を付き合って貰うなんて、なんと心苦しいことか!!それでもレカさんはお医者さんと競って昆虫採集に熱を上げ、木の枝で追い立てる方法を発明したと、自慢げだったり、そう言えば名古屋港にも沢山居るところがあるから今度沢山捕まえ宅急便で送る!とまで言って下さり、恐縮どころか大感動の名古屋アリアナの会昆虫採集ツアーでした。みなさん本当にありがとうございました。
  この素敵な日を下さったアルマズの伴さん、JR高島屋の赤木さん、池谷さんありがとうございました。勝手が分かりましたので、次回はもっとリラックスしてその分音楽をさらに盛り上げられると思います。宜しくお願いします。


10月13日、横山さんが写真を送って下さいました。上:JR高島屋のステージでレカさん家族と加藤さんと。中 :右がレカさん。左がドクター河合、レカさんは写真より採集に没頭。下:ドクター夫人(中央)と横山さん(右)を加えて。こんな日没直前迄みなさん付き合ってくれました。



10月14日 朝日新聞と銀座ナタラジ
 

 10月14日の朝日新聞の夕刊「連載:民族楽器の旅」に若林がシタール奏者としてご紹介頂きました。連載の編集の方も若林がシタール以外にも色々やっていることはご存知で、本文にも若干反映してくれいていますが、この連載を気に掛けて読んでらした方々から昨晩は沢山メールを頂きました。
  最も多かったのは「何時出るかと思っていたらやっと出たか」で次いで「やっぱりシタールだったか」でしたが、中には「なんでシタールでなの?〜(何処そこ)の〜(楽器)じゃないの?」という人も居たりです。また初めて若林忠宏を知った方からも教室やCDのお問い合わせをいただき、その意味でも朝日新聞マリオン編集部の方には感謝したいと思います。
 この連載と今回ご紹介いただいたことは、色んな意味で象徴的な出来事かもしれません。この時期にこのような連載が大新聞にあること、今迄若林が登場せずに若林の専門楽器も他の人だったりで若林のファンで居て下さっている方にもどかしさを与えたこと、そしておそらくこの連載が続くならば他の楽器でも同じ思いをさせてしまうこと、シタールで登場した以上、他の楽器では登場しないでしょう。
  そして何故かシタールで登場したこと、これが日本の文化であり社会の仕組みであり、如何に若林がそれから逸脱しているか浮いた存在かを象徴しています。
  日本人は何かひとつを追求している方を好みますから、本来この連載のコンセプトに若林は全くそぐわない存在ではないでしょうか。
  それでもシタールで登場するというのもまた象徴的です。技術的にはシタール、サロード、タブラ、ラバーブ、ラワープ、サントゥール、ウード、サズ、ブズーキ、ダラブカ、サーランギ、クアトロ、トレース、etcは日本の三本指に入る筈で、情報的な理論も同様で、理解的、普遍的な理論は恐らく誰にも負けていない筈で、ラバーブ、ブズーキ、クアトロに至っては日本に三人も居ないかもしれませんが、これらの楽器の二つ以上で三本指に入る人は若林の他に居ない筈です。
  故に「若林は凄いのだ」では全く無く、それが普通のことな筈なんですが、日本ではそうじゃないので若林は正しく「普通の評価」を得られないのです。キューバには
「Musico」という言葉があって若林みたいな者を普通に当たり前に扱ってくれます。
  インドネシアのガムラン音楽の演奏家はガムランのほとんどのパートを演奏出来ます。おそらくマリオンの連載「民族楽器の旅」に登場した外国の演奏家は多少なりとも「専門の楽器」以外でも音楽が出来る筈です。
  が、日本人と在日の外人演奏家はそうじゃない方が非常に多いのがポイントです。「専門」の楽器を掲げて「プロ演奏家」を自称するなら他の楽器や音楽もおしなべて一般人以上出来た上で「専門」が卓越しているべきの当たり前なことが日本では通用しません。「それしか出来ない」という専門が多いのです。
  もし日本でその当たり前が普通に認識されているならば、若林は何かひとつを専門としているかもしれません。その意味では連載は各楽器の紹介者に過ぎないのですが、あの様な形で紹介されると読者は「専門家」と思う訳です。
  先日のTVのトリビアで「医者は麻酔医以外何を専門と名乗っても良い。へー!」というのがありました。言い換えれば内科でも外科でも皮膚科でも看板を掲げるだけの技術を持っていなくては医者に成れないということですが、同じように「Musico」ならば様々な音楽、楽器に通じているべきなのです。
  とは言え若林とて900種弾きこなすなんて書かれてしまいますが(毎回「その中では一曲やっと弾ける程度から現地でギャラ貰ったものまで様々」と言ってるのですが)ピアノでショパン、ヴァイオリンでパガニーニを弾けません。
  でももし日本の民族音楽演奏家と言われている方々が僕と同じ数の楽器をアマチュア以上に弾きこなした上でショパンもパガニーニを弾く時代が来たら僕も1年で弾けるようにします。それがプロの看板を掲げる最低条件じゃないでしょうか。
  その意味では日本の現状に若林も甘んじて怠けているのかもしれません。専門(矛盾した言い方ですがプロの責任として常に日本の三本の中には居ようよネという十種)の楽器さえも、自分自身の尺度ではかなりに怠けています。
  20歳代にがむしゃらに修行した時の虚しさから未だに抜け切れていないので、張り合いが無いとがむしゃらに成れないという処もあります。が、一方で手足の動きが封じられても音楽は続けられると思う意識も常に持っています。
  誤解を生む例えですが、武器を奪われても「武士」であるような感じでは有りたいということで、その場合「武器」の種類は問わない筈です。なまじ元弟子だったりする人が多い中、彼らの意識をずっと見て来たので武器が無い時のあまりに一般人という姿にはせっかくの機会や技術が勿体無い思いがします。
  武器を持ったら豹変するならそれは単に「殺人者」ではないかと思うほど極端な場合も見られます。武器を持っても武士にならず私利私欲、自己認識、自己表現に用いていれば「殺人鬼」並に物騒です。(誤解が無い様に付け加えますが、彼らの同級生でプロにならなかったお弟子さんで彼らより筋が良かった人、人間的に面白い人、プロの素質があった人も沢山居ました。そういう人のほとんどは音楽以外の職業で日本の社会に若林以上に貢献しています。)
 まあ、それでも本当ならばこのような風潮の中の連載にシタールでさえもお呼びが掛からなくてもおかしくないところをご紹介頂けたことは感謝しなくてはなりません。
  しかも立花隆さんにエールまで頂いて全く恐縮です。立花隆さんはオーディオ・マニアでもあられ十数年前に自家盤レコードを作られた際の記念すべき第一作のインド声楽でタブラを演奏させて頂いたご縁です。その時立花さんが「あいつは本物だよ」と言って下さったのを妹尾河童さんから伺って随分励まされた想い出があり、誰か有名人をと言われて思わずお名前を挙げてしまったのですが,昨日(14日)新聞の発売日に面白い出来事がありました。
 いつもお世話になっているインド料理のナタラジさんからお客さんが出張演奏のリクエストを下さったと言うことで、道中売店で買った新聞を持ってシタールを担いで銀座店に行きました。
「お客さんに差し支えが無ければご覧になって頂ければ(ナタラジさんにも呼んで下さった方にも良かれと)」と念を押して託したのですが(もし産経新聞の重役さんだったら失礼ですから)控え室は7人ほどのお客さんの個室の隣で会話も良く聞こえる部屋だったので「今日呼んだ演奏してくれる人が載ってる新聞だってさ、俺は朝日は読まないんだがネ」の声が聞こえて、ヤバッ!まずかったんじゃない?と思いながら演奏時刻が来たのでお部屋に伺えば、なんと某保守党の超有名代議士さんでした。
  直接が有ったかどうかは分かりませんが痛烈な批判をされた立花さんのエール付きの朝日新聞を見て頂いてしまったのですが、代議士先生は不機嫌な感じでもなくシタールを喜んで下さりご祝儀まで頂きました。
  ナタラジのスタッフさんは「全然知りませんでしたあ」と後から焦ってましたが、なんだかすべてがほのぼのとした出来事でした。ごめんなさい、オチは無い話しなんですが、強いて言えばほのぼのとしながら帰路につくと銀座通りのど真ん中で突然シタール・ケースの取っ手がちぎれてシタールがどかんと地面に落ち、回りのほろ酔いサラリーマンさんに「大丈夫?」と心配されました。
  サラリーマンさんがその後で新聞に気づけばそれがこの話しのオチでしょうか。?「あっ!こいつさっきシタール落っことしてた奴だ」と。


10月17日(日曜)東村山の福祉施設での演奏
 

 10月 17日は、西武線小川駅近くにある障害者更生施設「さやま園」の開園40周年記念のお祭りに呼ばれて演奏しました。
 
先日の世田谷区赤堤小学校のP.T.A.の皆さんが考えてくれたタイトルを気に入ってくれたのか、立川のアマチュア・ボランティア楽団や地元の子供和太鼓グループなど充実したプログラムの中で、「母と子で楽しむアフリカ太鼓と東南アジアの竹楽器」と園の職員の方が銘打って若林得意の1930年代のアフリカの古ポップスとジェンベ、トーキング・ドラム、お客さんを呼び込んでの東南アジア竹楽器・アンクロンをご紹介しました。
  先日の名古屋のギリシア音楽にも助けてくれた民族音楽センター・スタッフも演奏してくれましたが、客席からとても明るく、小躍りや手拍子で可愛らしく参加して下さった障害者の方も写り込んだ写真しかなかったのでお見せ出来ませんが、お陰でたいへん楽しいステージになり、記録係をさせられていた園長先生やスタッフの方々にも喜ばれ有意義な思いをさせていただきました。
  立川の楽団の方も、丁度数日前に若林が掲載された朝日新聞を見て下さって「あの人が来るなら見て行こう」と残って下さり、お声を掛けて下さったのですが、演奏前に歓談させて頂いたことをこれ幸いにアンクロン合奏に駆り出されてギタリストさんとチェリストさんが可愛らしくアンクロンを振って「カエルの歌」「チューリップ」を演奏してくれました。
  秋雨の狭間のとても暖かな良い天気で、園内一角の利用者さんたちが作られた家庭農園でウスイロササキリが日差しを喜ぶかの様に元気に鳴く東京都下の住宅街のささやかな自然を見つけられたことにも、バザールではこの5年程出来ずに居る唯一の趣味のプラモデルを超特価で買わせて頂いたり、模擬店でおでんを頂いたりしたことにもとてもほのぼのとした気持ちにさせられました。
  「さやま園」のスタッフの皆さん、またお役に立てる機会が有りましたらお声を掛けて下さい。ありがとうございました。


10月23日(土曜)池袋サンシャイン郵便貯金ボランティア・フェスタ
   10月23日は、池袋のイベント企画会社ポパルさんの初めてのお仕事で、池袋サンシャインシティ 地下噴水広場で行われた「国際ボランティア貯金フェスタin Tokyo」にアフリカ音楽とパキスタン音楽で参加させて頂きました。同フェスティヴァルは6年程前に、郵便貯金ホールで行われた際に「学生楽団特集」に若林を抜いた民族音楽センター・ジェンベ教室の学生メンバー10数名で参加し、ゲストのサンコンさんにも褒めて頂いたおなじみのイベントです。今回は会場をより一般の人々目に触れる場所に移し、都内の郵便局を通じて広報もなされたものでした。
 国際ボランティア貯金は、郵便貯金の利子の中から、利用者が自らの意思で援助資金に寄附するもので、イベントはその活動の紹介と寄附の呼びかけを目的としています。ポパルの有賀さんの初めのお問い合わせは、同基金の援助によって世界各地で展開するNGO団体から今回ノミネートされた、フィリピン、マレーシア、ネパール、バングラデシ、パキスタン、ギニアの何処の民族音楽が出来ますか?でした。恐れ多くも「全部やってます」とお答えし、今回は抽選でギニアのサヘル(半砂漠地域)で有機肥料による農業と植林技術を指導する団体「サパ」とパキスタン中部の古都のラホールで活動を続け、伝統文化の保護継承の余裕の乏しい同国政府に代わって民族音楽も含む伝統文化保護の貢献も行っているYMCAが活動報告をされ、若林忠宏と民族音楽センター・ライブスタッフはその度にアフリカ音楽とパキスタン音楽を演奏しその地域への雰囲気作りに一役かいました。

  アフリカ楽団は、若林の歌とギターによる1930年代の古ポップスと若林、竹内、山田さん、山脇君のジェンベと岩田太郎君のジェンベ伴奏太鼓ケンゲニによる祭り音楽ククの合奏、パキスタン音楽は若林の歌と板張三味線タンブールと岩田太郎君の両面太鼓ドールで、バロウチ地方、スィンド地方の民謡をご紹介しました。15分の演奏と15分のNGO報告が30分の休憩を挟んで慌ただしく二回繰り返されるのですが、同じお客さんの居る所にほとんど同じメンバーが衣装と楽器を代えて登場するのも奇妙なものだったでしょう。が、メインはNGO報告で演奏は客寄せですから、こんな内容こそ民族音楽万屋である民族音楽センターがうってつけという感じです。しっかりとしたPAもあったので、地下広場に用意した客席は満席で、加えて二階、三階のテラスから眺め下ろす群衆も鈴なりで、若林のプロフィールとHP紹介も記載して下さった同基金紹介パンフレットも2000部はけたほどですから、中々の好評だったのではないかと思います。
 アフリカ古ポップスは7〜10年選手の竹内、山田さんの小物打楽器も余裕の味で、ひとりで叩くジェンベ伴奏は初本番の山脇君が担当し、これも期待以上(失礼ながら)の好演でした。さらに

 

 
  期待以上と言うか思いがけず感動的な程好演だったのが、本番直前に急遽お願いしたアフリカ・メンバーの竹内、山田さんのパキスタン・インド民謡打楽器でした。インド・パキスタンの音楽をやる人や、民族音楽センターのインド音楽教室上級メンバーの小物打楽器より遥かにドライブ感があったのは、やはり打楽器に対してダイナミックな存在感を求めるアフロ・カリブ民族音楽の上級メンバーだからでしょうか。本当はインド・パキスタンのハンド・シンバルやハンド・シズル類も打楽器としてそれだけでも音楽が成り立つ感じが有ってしかるべきなんですが、インド〜アジア音楽を好む日本人の場合失礼ながら根暗っぽい人が多く、現地で修行された方でさえ付け合わせ的な打楽器がほとんどだったのが長年不満でしたが、出来る人もいるじゃない!と思えたのは両名には失礼ながら大きな収穫でした。 
 和太鼓のプロ演奏家でもある岩田太郎君は、アフリカ音楽では持ち前のクールな演奏スタイルが邪魔をしている感じも否めまず、パキスタン音楽の場合でもそれは同じ(インド亜大陸民謡のノリは本当はアフリカ音楽顔負けのノリが有る)で、ヴィジュアル的なものクールさ、動きの無さと醸し出される雰囲気やオーラには「もっと出して!」という不満があるにしてもその音はかなり良い感じ、今までの日本人のレベルは遥かに越えていました。その意味では雰囲気ばかりの人の数倍偉いって感じです。昔から津軽民謡やねぶた祭りの太鼓に似ているなア、と思っていたスィンド民謡の曲などまさにその感じで(指示しないのに)叩いてくれたこともたいへん嬉しいところでした。
  もう二つ三つ嬉しかったのが、ひとつはNGOのギニアのサパの方もパキスタンのYMCA方も僕らの演奏を喜んでくれたこと。そして、客席にエスニックな服来た一陣が何回か見えたのですが後でステージまで来て「良かったです」と言ってくださったのが、サンシャインのワールドインポート・マート5Fと渋谷にお店を出されているエスニック雑貨の「グラスルーツ池袋店」のスタッフの皆さんだったこと。わざわざ挨拶してくれたのは、楽しいお店のニュースレター編集担当の可愛らしいお嬢さんあいみチャンでした。三つ目の嬉しいサプライズは、客席にどっかで見た方だなあと気になって終演後駆け寄ってみたら、若林の自宅傍の何時もお世話になっている吉祥寺駅前郵便局の方でした。その郵便局には明るいお姉さんで「TV見ましたヨ」なんて声を掛けて下さる方も居たのですが、黙々と仕事するその方がわざわざ来てくれる訳もなかろうと演奏中は半信半疑で、もしそうだとしても郵便局関係のおつきあいか?と思ってたのですが、お話してみれば実はその方こそ民族音楽ファンでご自身もケーナを習っていたりで今日わざわざ若林が出るというので来て下さったのでした。皆さん楽しい一日をありがとうございました。ポパルの有賀さん、良い写真を提供して下さって大感謝です。現場でちらっとお話ししたアイディアも含め、また宜しくお願いします。
 

 ところで、今回くじ引きで決まった報告のたった二つの枠のアフリカとパキスタンは、奇しくも若林に取って特別な民族音楽でした。世界中の民族音楽のそれぞれの想い出や思い入れがあるのですが、アフリカ、パキスタン、アフガニスタン、ウイグル・ウズベク、トルコ、キューバ・プエルトリコは何故だが歌詞がほとんど頭に入ってるのです。「相性の問題」とか「それが本音で好きな音楽なんじゃないの?」とおっしゃるかもしれませんが、インド音楽などは中学生からですし、個人的にはギリシア音楽、アラブ音楽も一冊本を書きましたし、思い入れや好きな名曲が少なくありません。恐らく始めた当時日本で誰もやってなかったしファンも少なかったのでマイペースでやれたことによる初めにじっくり時間を掛けられたことが原因だと思われます。歌詞が(もっとも年々片仮名っぽくはなってるでしょうが)頭に入っている分聴衆を見ながら思い思いに演奏出来るので演奏の度に腕が磨かれるということも有るでしょう。でもやっぱり言語学的に相性が良いのも有るかもしれません。否、アフリカはかなり大変だったナ、そう言えば。その分必死に数ヶ月毎晩練習していたからかもしれません。しばらく忘れていた「昔取ったなんとか」でしたが、奇しくも世田谷赤堤小、東村山さやま園、サンシャインと何故か立て続けにアフリカ古ポップスの秋でした。

 

   
怒濤の外部演奏再びと、怒濤の楽器修理。
 

 9月末の怒濤の6日連チャン外部演奏も奇跡的に元気だったのが、10月は毎週土日に外部演奏で月末はまたも怒濤のハードスケジュール。
  昨年のこの季節の変わり目には一皮剥けるほどの猫毛アレルギーで苦しんでいたのに今年は何故元気なんだ?その内大病でもするのかしら?と思っていたらさすがにサンシャインから帰って教室をやっていたらかなり具合が悪くなって来ました。
  金曜日から風邪っぽかったのに、ちょっとトラブルが有って寝不足で池袋の雑踏に楽器三つ担いで疲弊したのか?教室に着いて急いで甘いパンばかりを食べたからか? 決定打はあの三回の大地震でした。教室の楽器は皆吊ってあるので意外に壊れないのですが、久々の大揺れで揺れに揺れる楽器を見ていたからかまるで船酔いのように気持ち悪くなってしまいました。
  が、今書いている新しい本のコンセプトをくれたシタール中級、10年選手ばかりのシタール上級、その後も秋に始まった東京音楽大学付属民族音楽研究所の講座から引き続きタブラを本格的に学ぼうという嬉しいおじさん&お兄さんクラスの3クラスだったので頑張りました。
  翌日は朝7:00に電車に乗って川越へ、その後また教室で月曜はスタジオ。その間に教室一角の楽器修理コーナーで貯まった修理作業。よくぞ体が保つものだと関心しますが、実は楽器修理は生徒さんお客さんの分の他にも取り組んでいて、その訳はちょっとした理由からです。
  今やってる修理は、ウードとサズの大切なお弟子さんの分、ガムランの森重さんから紹介のお客さんのシタールなどですが、本当は今はお客さんの持ち込みはお断りしてるのです。数年前からやけに増えたな、と思えば面識もない民芸品店が「壊れたり困ったら吉祥寺に」と僕にフォローさせてることを知り、初めの数年は楽器が不憫でやってましたが、その割にお客に「高い」だの言われたので「頭来た、もうしない!」としたのです。
  楽器の修理は一気に数本まとめてやると接着中や塗装中に次の楽器に取りかかれるので能率がよいのですが、昨年のこの時期のアレルギーはおそらく猫毛、寒さ、湿気、疲れにシンナーがトドメだったようなので、またもぶっ倒れるのを覚悟だったのですが、今回は心に念じ、気合いが入っているのです。
 1992年の正月に母は卒中で倒れ若い頃に結核で片肺となっていた為生きて病院を出られないかもしれないところに院内感染も加わり絶望的な状況となりました。
  母を民族音楽ライブスポットのキッチンの仕事に巻き込んでくたびれさせた自分を恨みがむしゃらに働こうとした時、ある方に深く誡められじっと冷静になって考えた挙げ句に思いついたのが楽器修理でした。母に裁縫の仕事を無理させて中学卒業祝いに買って貰った本物のシタール第一号が壊れたままになっていたのを「お医者が母を直してくれている間に、自分が体壊す無理をする位なら、楽器を直そう」と思ったのでした。
  その後、半年も入院していましたが僕の音楽療法の真似事やお医者の思い切った治療法もあって奇跡の退院。しかも後遺症ほとんど無し(レントゲンでは原語中枢が完全に壊滅していたのに)の驚くべき結果を得ました。それを今再びやらねばならなくなったのです。
 10月12 日に僕の本を作ってくれた編集の方がくも膜下出血で倒れてしまったのです。母の脳内出血、エレキギターの作り方を教えてくれた叔父の脳梗塞に比べても重篤な病名。しかし僕がそれを知らされたのが1週間目でした。
  多くの場合2,3日で命も危ないこの病気が1週間ということはかなり期待が持てると思うのですが、それでもまた一緒にお仕事したいですから、母と同様の後遺症無しで戻って来て貰いたいのです。そんな訳で、お客さんの楽器と同時に何年も修理途中だったアフガン楽器やパキスタン楽器、その編集者の方との将来の夢である「楽器図鑑」の為の復元楽器製作にも取りかかって毎日教室に行っています。
 お陰でチャメは大喜びですが、修理コーナには網越しで入れないのでミャーミャー怒ってます。コーナー手前の大鋸屑を掃いても掃いても肉球の間に挟んで教室に運ぶし、猫砂と同じような木の粉についついモヨオしてしまうのか、修理コーナーの入り口に粗相をするし、「また元の名のメチャに戻すゾ」って感じです。
  預けた原稿は出版社の方が僕同様の思いでご自分の仕事もあるのに引き継いで下さり続行がスタートしました。もう10 日経ち楽器も随分直ってきましたから、近々少しでも良いニュースが入る筈です。

 


10月23日(土曜)愛しの心の故郷、新潟山古志村よ。
 

 そんな(上記)怒濤の楽器修理をしながらチャメがあまりにせがむので作る休憩時間にTVを見れば、あの船酔いにも似た具合が悪くなる程の揺れの原因である新潟・中越地方大地震のニュースを見て愕然としてしまいました。
  震源地の小千谷と同様の被害を受け、特に道路が遮断されご無事な住民も丸一日取り残されながらヘリで運ばれた新潟県古志郡・山古志村は僕にとって最も想い出深い所、
「心の故郷」と言っては嘘くさいと思われましょうが控えめに言っても「僕の日本再発見の原点」であり「昆虫飼育の原点」ではあるので背筋が緊張するほど驚きました。

 2000年の8月、新潟で行われた「アジア文化祭り」には中国ウイグル、トルコ、インドから楽団が招かれ、新潟市、六日市市、 上越市と回りましたが、若林は光栄にも特別解説者として司会のマイク真木氏、早見優さんに呼ばれて舞台で解説するという立場でした。「せっかくだから」とインド楽団太鼓奏者と僕のシタール演奏もちょこっと有り、三楽団共演の新潟民謡「砂山」合奏指導(来日前に若林が各国楽器のデモ・テープと各国式楽譜を各国に送った)もありましたが、演奏以外で数十万もの謝礼を頂いたのは後にも先にもこの時限りの不思議なお仕事でした。

 この時が僕の「昆虫飼育」の原点となったのは、事前取材で教室に来てくれた新潟のTV制作会社の若社長に思わず「新潟は昆虫が居る自然が多くて羨ましい」と言ってしまったのがきっかけで、初日の新潟市の終演後、打ち上げのビールを我慢して若社長の車で社長の故郷へ猛スピードで南下、途中の穴場では国道の街頭に集まるカブトムシを拾いながら生き物好きの社長の昔の穴場を巡って深夜に社長の生家へ。
それが山古志村でした。

 夜中であるにもかかわらず、農業を営むため、お歳よりもしわが深く刻まれたご両親と大きな猫が出迎えて下さり「ご苦労様」(虫取りにご子息であり社長を付き合わせてそう言われてしまうと大変恐縮でしたが)「何もありませんが」と出して下さったご飯、お漬け物、お味噌汁、枝豆、ビールに信じられない美味しさと、暖かさと、力強さを頂いたのでした。南米舞曲の名のような「チャマメ」の名で知られるコクの有る枝豆は有名ですが、まだ小さいうちに摘み取った小茄子の漬け物の美味しいこと!そして極めつけは白米。2000年のその日までご飯は「一膳二膳」とお椀単位で考えるものと思っていましたが、なんとご飯の単位は「一粒」だったのです。
  一粒が東京の標準古米の一膳の説得力、魅力に満ちているのです。
 正直その晩に死んでも悔いは無いと言う程嬉しい接待を受けて、ぐっすり眠らせて頂けば、早朝から社長は一人で虫取りに行って下さり、おみやげの「スジクワガタ」を捕まえてくれました。
  着いた晩は街頭も無い山道を揺られて分かりませんでしたが、翌朝次の公演地に行くためご実家を出発すれば山古志村の自然の信じられない美しさ。ネパールかとも思える段々畑には早朝からお年寄りが仕事されていました。
  村の過疎化、高齢化の為か、段々畑の為かそのおばあさんの腰はまったくの90度に曲がっていて「あの方が段々畑には都合が良いのかナ」なんて一瞬とんでもなく冒涜なことを思ってしまうほどのお姿でした。昆虫採集と美味しいご飯で、雪さえ振らなきゃ住みたいほどだ!なんてまたもとんでもなく失礼で身勝手なことを思いながら、車酔いし易い僕が曲がりくねった坂道に全く酔わずに絶景を楽しみながら下山したのが山古志村だったのです。ニュースの映像で見るも無惨に崩壊した山道があの道だったのか!と思うとなんと図々しく身勝手なお気楽な小旅行をさせて頂いたと今頃になって深く反省します。
 当時、あまりの至福の思いに調子に乗った僕は、帰京後お礼状を差し上げながら、お礼よりも翌年のおねだりの方が多く書いていて、恐らくそれに呆れたのか社長からはそれっきりで、今回も思い出したようにお見舞い申し上げるのもはばかれる申し訳ない状況です。
 民族音楽演奏のお仕事で ちょくちょく地方に呼んで貰い、その都度「日本はまだまだ地方を見れば素晴らしい文化と心と自然がある」と励まされますが、山古志村は、闘牛と錦鯉の名産地(今回大打撃を受けました)ではありますが日本一の豪雪地帯でもあり山奥の過疎の村という感じも否めません。
  しかし日本のどこの地方よりも美しい自然と景色と、暖かな心と、質素なただ住まいが有る素晴らしいところであることは間違いありません。猛暑の後の連続大台風と言い、今回の大地震と言い、私たち呑気な東京人の身代わりに被害を受けたような日本の地方を思う時単なる同情や救援どころじゃなく、何かをしなくてはと思わずに居られません。不謹慎ですが、日本人の心を捨てて、だらけ切っているにもかかわらず、くたびれ切って、いらついた顔つきの人で溢れる東京が、地方の身代わりになってしかるべきだったのではないでしょうか。そんな東京人のひとりの僕にはお悔やみさえ言う資格はありませんが、意に反して初めてその名を全国に知らしめた山古志村の僕が知ってる僅かなことでもここに書かずにいられませんでした。

  捨てる弟子ありゃ、拾う弟子有り
 

【二極化が音楽の楽しみ方も変える?】
 最近の日本の状況で「極端な二極化」現象がささやかれています。
ちょっと前までは「一億総〜」という表現が氾濫していたのに、バブル崩壊以後実は貧富の差もじわじわと進み、毎晩深夜帰宅のハードな仕事をする人が居る一方で、凄く豊かに暮らしている人も増え、若者もフリーターとバリバリのエリート会社員に分かれてしまっていると聞きます。
  不景気で激減した民族音楽教室の生徒さんも中々復活しないない状況ですが、街を見渡して民族楽器は遥かにポピュラーになっているのに知的好奇心も含めて習ってみようという気持ち、時間、お金に余裕がある人が少なく遊び道具的に自己流で弾く人、たまにワークショップで情報を得る程度の人ばかり増え、本気で習いたい人はお金が無く、有る人は仕事が忙しくて時間が無いという感じのようです。

 このことと直接関係ないのかもしれませんが、若林の民族音楽教室が10年ほど前に世の中に 大量の楽しかろう良かろうのいい加減な民族楽器奏者を放出してしまった時代と比べれば、生徒さんのタイプもかなりはっきりと二極化しているの感じです。
  それは、昔ながらの民族音楽にロマンを求めるタイプとなまじ身近になった分お気楽に感じているタイプで、前者は民族音楽の根底に流れる何かを学ぼうという意識が有りますから、流行る前からやって来たキャリアや世界中を見渡す意識の若林を信頼して若林にこそ学びたいという事を言ってくれますが、後者は音楽情報や表面的な演奏法が学べれば良いという感じで、別に若林じゃなくても良かったという事も言われます。
  割り切って付き合い方を切り替えることが出来るなら、ある意味昔より楽に成ったと言える筈ですが、中々それが出来ません。
  後者のタイプは、独学で出来るところまでは独学で頑張り表面的な技法の大半を身に付けてから師匠について奥義と内面的なものや理解を学んで来た若林にとって最も遠いタイプです。が、ご縁あって出会ったのですからその人がちらっと見せるささやかな才能や優しさ暖かさやを引き出そうと思い僕なりに懸命に指導しようとしてしまうのです。
  しかしながら大概そんな思いは通じないのです。このHPや東京音楽大学付属民族音楽研究所の講座のお陰で、新しい生徒さんが増える一方で、この2,3年互いに頑張って来た人達が抜けてしまうのは残念なものがあります。
  勿論大半はお仕事の都合やご結婚などだったり、音楽に対する思いの変化の場合で退学した方でも、ライブに来て下さったり、数年後にお子さん連れで来て下さったり、気持ちの上では縁を切らず休学扱いを希望される方も居ます。
  もしかしたらその方が多いかもしれませんが、ごく一部であっても気持ちが通じないまま辞められるのはかなり悲しいものがあります。
  昔からの謎ですが、気持ちの問題なら何故2,3年いやそれ以上も若林から学んで来れたのが不思議でならないのですが、そこそこ学んだ段階で色々不満が生じるという構造には、人の性格や想い、生き方がそれぞれの様でいてある種の定型を感じざるを得ません。自分に置き換えて考えると2,3年も師匠と相性や考え方が合わないとに気づかないというボケはあり得ませんし、気づいていて我慢するなんてもっと出来ません。音楽を学ぶために絶えるなんて、そんな風にして学んだ音楽が自分で必要とも思えません。
 和太鼓は有名な鬼太鼓座創始者の一人に師が亡くなるまで学び続け、数年前から若林にインド太鼓とアラブ太鼓を学んでいる岩田太郎君は、自宅も職場も湘南の当教室遠距離通学トップ3の一人で、教室が長引いたら帰宅は終電で翌日になってしまう彼が、ライブ・メンバーが一人抜けた先日のレッスンの後、僕が話しかけたのでもないのに「一服してから帰って良いですか?」と何気に気にしてくれたのが申し訳ない程ありがたかったです。 何が申し訳ないかと言えば、僕は教室を始めた30 年前から生徒さんを選んだことはないし、前述のように振り分けたり出来ないので、志ある方や心が通じる方とそうでない方が互いの意に反して同席させられるのです。その結果、聞きたくないような生徒の言葉、見たくない師匠の落胆を見せられることは、僕の不器用や身勝手な理想論によるものかもしれないので、申し訳ない様な気もするのです。
  岩田君は日頃から口数が少ない方ですが、既に師弟関係を経験して来た彼こそ思ったことを言って僕を励ましてくれました。 
 翌日は、岩田君に加えてアフロ・カリブ民族音楽教室10年選手の竹内さん山田さん達とサンシャインで演奏し、お陰で一瞬やな事を忘れ良い演奏をしましたが、更にその翌日のアフロ・カリブ教室で何気にそんな話題(新しい人が増えても古い人が急に変貌するのは辛いネ)になったら、竹内さん山田さんと幻のエスニック・ドラム科の生き残りの藤島君がお茶に誘ってくれて色んな話しをしてくれました。
  僕の記憶じゃつい数年前までは、スタッフの竹内さんは好まない話題でも話しをしてくれましたが、他の生徒さんは喜んでそういう話しには参加しなかった筈でした。ところが10年選手が多いアフロ・カリブ教室は、レッスン後の生徒だけの食事やお茶の際に結構音楽談義や自分たちの音楽修行、教室運営の心配事など真面目な話しをしていたと言うのです。その日も竹内さん以外までが自ら自分の意見を述べてくれ、それだけでも凄く励まされましたが、前日の岩田君と言い、アフロ・カリブの面々と言い、何時の間にそんな時代が来たのだろう!とちょっと驚きました。
  ほんの数年前までは僕が問題提起しても意見が中々返って来なかったのに。何が変わったのでしょうか? 時代が変わった? 彼らが大人になった? それは失礼でしょうし入門した時に既に成人だった筈です。音楽修行の成果? 音楽的に自信がついた? 否、それも失礼でしょうし、僕にとっても彼らにとっても音楽はむしろポジティヴで楽しいものですから、深刻な話題の原動力になるとも思えません。
  だいたい岩田君はまだ2年目位の20歳代の若いお弟子です。そんな意外と言ってはそれこそもっと失礼ですが嬉しいありがたいお弟子さん生徒さんの励ましを受け、しかも今までは励まされてもそれを良い音楽につなげるのは後からの別問題で中々達成出来ないことが多かったのに、今回はサンシャインで見事に達成した上での事でしたから凄いことです。
 この数日前には関西のウードの生徒さんに譲った楽器が湿気で壊れ、別の新しい生徒さんが僕のメンテを待たずにネット通販で安かろう良かろう楽器を買おうとして「またか」の状況になって駄目元で今までほとんど通じなかった話しをせざるを得なかったのですが、奇しくも二人とも驚くほど好意的に解釈してくれたのです。
  修理の方は、間に入ったいい加減な人がどっちにも適当な事を言ったらしく僕は管理の責任を感じ当然修理代を払ってくれると思わされ、先方は不良品あつかいで無償と思わされていた最悪のパターン。新入生の方は、ネットで見ているうちに教室より安い楽器が有ったから教室で買うのはキャンセルという今までうんざりするほど繰り返されたパターン。今までこの様な状況になると理解されずにモメるか、モメなくても不満を内在されたものですが、驚いた事に今回奇しくも同時に二人ともが失礼な言い方ですが、完璧と言える程の素晴らしいリアクションをくれました。
 「捨てる弟子有りゃ拾う弟子有り」 というのも何やら過激なタイトルですが、師匠の親心、民族音楽を通じて考えて来た事、表面的なものでは得られない何か、が残念にも捨てられてしまう事も少なくない中、それを見事に嬉しい拾い方受け止め方をしてくれるお弟子さんが現れる、何やら新しい時代の到来を予感させる10月末の数日でした。


10月24日(日) 川越の音楽療法士学校で教える。

 

 10月24日は川越にある東京国際音楽療法学院の通信教育生を年数回合宿させてのスクーリングの講師に招かれラテン、ブラジル、アフリカの民族パーカッションを指導しました。朝7:00の電車に乗って川越までの遠方のお仕事は楽じゃありませんが、この数年ひじょうに関心が高まっており社会福祉としての整備も整いつつ有る「音楽療法」の学会の中でも存在感が抜群の同学院のお仕事ですから若林にとっても重要な機会です。
  ご自身の体験を通じて音楽療法を分かり易く紹介した「そのままのあなたのままでいい」(2001年一橋出版)を書かれた、千葉にも研究所を持たれる笠嶋道子教務主任が若林のもっと知りたい世界の民族音楽(東京堂出版)を大変高く評価してくださって春に続いて二度目の光栄な講師依頼です。
 春の時は学院にある打楽器を全て使って次から次へとその奏法を解説する事に終始しましたが、勝手が分かった今回は、まず初めに十分なレクチュアーを行い、若林ならではの音楽観、民族音楽のエネルギー、民族音楽の感覚的な定義に通じる理解を手拍子や声を出し十分理解してもらってから楽器に触れる試みが上手く作用して、3時間の授業が短く感じられる充実した講義が出来たと思われます。
 春の時も後から写真を送って下さった地方からの受講生も居る程たいへん喜ばれましたが、有志が集まって吉祥寺にも単発レッスンに通いたいと言って下さる方々も居た今回も、なかなか好評だったのではないかと思います。
  が、幸い僕が直接出会った音楽療法士の方々は皆人間的にも魅力のある方ばかりでしたし春も今回も受講生の方々は皆純粋な人達でしたが、日本社会の未成熟が原因でまだまだ未発達の感も否めないこの業界にはかなり勘違いの療法士や講師が少なくないとも言われますので、若林にとっても毎回が全力投球で臨むシビヤな時間です。
 療法学としての学問的な研究と現場での体験はひじょうに奥が深く、何が正しくて何が勘違いであるかはまだまだ明確に出来ない点が多々有るように思いますが、無理もない事ではありますが現在の音楽療法では西洋音楽クラッシック音楽が基本になります。僕から見ると日本人にとって今までの受け止め方の西洋音楽クラッシック音楽が果たして自然な音楽なのか?という疑問があるのでそれを療法に用いて果たして?という懸念が生じます。その意味では笠嶋先生が僕の様な民族音楽演奏家に機会を与えて下さる事は大変ありがたいことです。しかし僕の勝手な思い込みかもしれませんが笠嶋先生は単なる民族音楽演奏家としてでは無く、著書を読んで下さって春に機会を下さった中で、若林が積み重ねて来たものと想っていることを見取っての講師起用であると思うのですが、今正に起こりつつある「民族音楽だったらより自然体の音楽」という誤解がある場合、民族音楽と称しているものの中に西洋音楽クラッシック音楽よりも質の悪い場合も懸念されます。
  実際過去に数名居ました僕の教室に音楽療法士として学びに来た方や、後にこの業界にかかわった方で、音楽そのものに対して勘違いが目立った人も少なくありません。その場合、西洋音楽クラッシック音楽か民族音楽かという議論以前の問題が有る筈ですが、民族音楽が単純に「自然体音楽」的にもてはやされれば、西洋音楽クラッシック音楽を基盤としたものよりもさらにややっこしいことに成るような心配があります。

 変な例ですが、音楽と同様に療法に用いられることもあり、昨今一般の人にとっても「癒し」効果が語られる犬や猫などのペット(僕の場合はペットではありませんが)を音楽療法の音楽に例えるならば、音楽大学卒業生による西洋音楽クラッシック音楽という血統書付きが尊ばれた今までに対し、野性に近いと言われるシベリアン・ハスキーやオシキャットの様に民族音楽がもてはやされる時代が来てもそれが本当に野性が強いなら療法を受ける方に相当なエネルギーが要求されてしまうように思います。
  逆に我が家にも居るベンガル種とかアビシニアン種のように名前や見た目が野性的だが作られた種である場合がある様に民族音楽にも西洋音楽クラッシック音楽やポピュラー・ミュージック並みの作られた音楽もあるのです。
  で、結局は健常者(語弊をお許し下さい)の感覚から見てレトリバーなどの「癒し系」民族音楽が「良し」とされるのですが、そんな民族音楽が本物の筈ありません。世界各地にとって音楽は「癒し」の為だけじゃないのですし、むしろ皆さん日本人より気丈ですから音楽に癒されたいなんて軟弱な人は少ないです。
  その意味では西洋音楽クラッシック音楽や民族音楽という形に惑わされず、民族音楽を一つの客観として学ぶ事で音楽そのものをより深く見つめ、ある意味で自分の感性に自信を持って取り組んで貰えたらと思います。
 僕にとってもまだまだ未知の部分が多い分野であり、単に鑑賞音楽をやるより難しい分野ですが、信頼されて得られた機会は大切にしてこれからも誠心誠意頑張ってお手伝いしたいと思います。
宜しくお願いします。現場でも言いましたが、川越の受講者の方、遠慮なく何時でもご相談下さい。お待ちしております。

   
10月25日CM録音
 

 10月25日はまたもCM録音でした。今回はアップテンポで可愛らしい賑やかな曲で、テーマがアルプス地方の民族音楽。メインはヨーデルで若林はアコーディオン、ウッド・ベースと供にハックプレット(アルプスのハンマード・ダルシマー)で参加させて頂きました。事前の電話ではかなり話しが込み合って、二転三転してきついお仕事の感じでしたが、現場に着いてみればディレクターの田畑氏も、作曲家の大沢氏もコーディネイトの井田さんもとても感じが良くて、若林の演奏にニコニコのオッケー・サイン、予定通りの時間にかなりいい感じで終了しました。
 初めのきつそうな雰囲気はコーディネイターさんの「ツィター」出来ますか?から始まりました。そんなに得意じゃないから色々あたって誰もいなけりゃ、とお答えしたのですが、2,3日して結局僕のところへ。事前に楽譜を見て練習しなけりゃ大変な楽器なのでと譜面をリクエストすれば、歌の主旋律とコード進行と仮音のテープが送られて来て「これを元にヨーデル風にお任せで」と有りました。
  得意楽器のお任せはお気楽ですが、テープを聴けばツィターの雰囲気とは到底思えないアップテンポ。しかも「ヨーデル風」ってヨーデルは歌だろう? アルプス風ってことか?それはスイス?オーストリア? オーストリアもザルツブルグ風?ウィーン風?しかも調は♯系? なんだかかなり厳しそうになってきました。そこでアレンジャーさんに直接お電話いただくことに。
 外部演奏の現場までの道中にお電話を頂ければ、作曲家さんの元に届けられたツィター の音があるというので電話口で聞かせて貰えばなんとそれはハックプレットの音。ピアノの中身をバチで叩くようなものだから 余韻が凄いのを押さえたいと言う、そりゃ無理。しかも調は歌い手さんの音域によって決まるので当日分かるって、それじゃ何の下準備も出来ないし。大変な事になってきました。
  翌日になってヨーデル の方の音域に合わせて譜面を1音上げ「ハイ分かりました」と言ってしまって帰宅して譜面を見ればなんとEで始まり後半F♯に転調!譜面は♯だらけになってしまいツィターであろうとハックプレットであろうとクラクラする状況となってしまったのです。結局二つの楽器を持ってスタジオ入りして、とりあえずのハックプレットを弾けばニコニコ顔で「それ!それです!」という感じで比較的つるつると終了。作曲家さんは民族音楽は知らねど(知る必要もないしなまじ半端に知ってても困る)音に対する感性は高く、適切な指示を下さって助かりましたし、嘘のように楽しかったのが不思議です。
 数年前も 「1970年代ソウル風のエレキシタールで」というゲーム音楽のお仕事が有ってきつそう!と思ったら現場で楽勝というのがありました。エレキシタールはシタール風の音が出る結局はエレキギターですから民族音楽演奏家の僕じゃないだろう、と思いました。しかも僕は持ち出しもはばかれるヴィンテージのコーラル社のしかなかったのと、結局はシタールの音が欲しいのかソウル風が欲しいのか分からなかったので、その日の午前中に駅前の楽器店でジェリージョーンズのレプリカ「エレキシタール」を買って本物インド・シタールの二本を担いで現場へ。
  渡された譜面をそれぞれで弾けば「あっ!その本物の方の感じです」ですって。何か理由付けてレプリカ返品出来そうな程しか時間経ってませんでしたが、思っても出来ない性格なので「今後もそんな事もあろうか」とレプリカをそのままキープ。あれから数年「そんなこと」など結局ありませんが。
 でも今回はとっても楽しかったし、曲も良かったしすれ違いでご挨拶しませんでしたがアコーディオン とベース の方も良いノリだったので放送が楽しみです。あっ!そう言えば先日のアニメの音楽ってアニメじゃなくってドラマでした。すみません。これをついでにそのドラマと今回のCMが何?ってご紹介を敢えてせずにこのHPの読者に当てて貰いましょう。メール回答者の先着5名の方に(どっちかが正解なら)若林のCDか本をプレゼントします。TVのチャンネルと時間帯番組名、CMの方は商品名を書いて、HPの感想やご自分の簡単な紹介を書いて送って下さい。若林のCDや本を持っている人はダブらない様それも書いて下さい。

   

10月26日 青山ナタラジでアラブ音楽ライブ
 

 10月26日の雨の夜、青山ナタラジでの隔月のアラブ音楽ライブを演奏して来ました。
  年末はパーティーなどが入るので今年最後のライブですが、雨にもかかわらず満席で暖かいお客さんに囲まれて満足の夕べでした。
  メンバーは若林忠宏の歌とウードに、及川景子のヴァイオリン、岩田太郎のダラブカ、と奇しくもインド音楽教室やアフロカリブ教室に比べて弟子らしい弟子が育たなかったオリエント音楽教室に於ける希少なお弟子さんだけとのトリオでした。
  二人に共通しているのは若林に入門する前から師匠を持っていたということ。これによって無駄な説明、理解が不要なのは本当に助かります。
  演奏も気心知れた感じで、余計な気遣いも要らないし、フェイントしてもムッとせずにむしろニヤっとかされる、これぞ民族音楽といった感じの嬉しいアンサンブルでした。なら最初からそんなメンバーだけでやりゃ良いじゃん!と言われそうですが、各国には他にも楽器はあるのだし、民族音楽センターにもその楽器が担い手を待ちわびていますし、及川さん岩田君だって当初はムッとではないにしてもグッとした顔だったのが変わって来たのですから。
 客席には、演奏のお仕事を頼もうかと下見に来てくれた国際交流の会の方など予約を入れて下さった方が何組か居らして、先日2年近くダラブカを学びながら「やっぱり無理」と退学してしまったのにもかかわらず「先生のファンでは居たいからライブには来ます」と言ってお友達を連れて来てくれた方も。
  確かに楽器演奏に不可欠なハッタリの部分は欠けていたかもしれないですが、暖かな音を出す方でした。世の中逆な人が多く、本当はこっちが民族音楽をやるべきって人が萎縮してしまうのは残念ですね。お客も演奏者をサービス業だと思い込んでるのもいけないのでしょうが。
 そう言えば岩田君が初めてライブでニコーっと笑ってたっけ。出演者賄いといってもお客さんと同じ豪華なカレー・セットを頂きながら話しをすれば。岩田君はわりと一つの意識で音楽を演奏していたようで、若林が曲によって、時には曲の部分によって「お客さんをノセる目的、伝えるのがテーマ」「演奏者が楽しんでいる姿を見てお客さんも楽しい部分」「伝統や曲の神髄に触れ、楽しそうな顔などしていられない真剣な部分」があるから「あの曲のあの部分は自然に笑えた岩田君大正解だよ」と言うと「ああ、そうなんだ!」と感心していました。
  二人は疑問や質問もちゃんと言い、時に反論もしますが、分かった時や同感した時ののリアクションがしっかりある事、そしてその方が多いことが何より励みになります。([ありがとう]も自然に言えないのに不満だけ言える人って多いですから。)彼らのお陰で僕の考えが間違いではないと安心するなら、世の中上記の「音楽の部分」「表現姿勢」を一種類だと思っている人が凄く多いと言うか、ほとんどですね。
  同じ曲でも日によって変わるのが民族音楽というか音楽だと思うのですが。また人にものを学ぶ時はおだてても引き出す程の意識が無いと結局はその人に身に付きませんし、手先の技法を身に付けたと思っても手だけ動いても心は伝わりませんよね。そんな意味では、この10月の1週間は今までになかった良い演奏、嬉しいメンバーの音、気持ち、言葉の連続です。
ノリノリのお客さんまで加わって。

 

10月31日 横浜青葉区アラブ音楽コンサート
 

 10月31日(日)は、お昼の1:30から3:30まで横浜青葉区の国際交流ラウンジで行われたアラブ音楽コンサートでした。
  ラウンジは、青葉区在住のボランティア・スタッフの方々が在住の外国出身の方々とのコミュニケイションや区民の方々の国際理解を生涯学習的に広める為に自主運営しているもので、若林のアラブ楽団「タハト・アル・マシュリク」への出演依頼と打ち合わせは6月頃からスタッフの方々が熱心に来られ、かなり気合いが入ってらしてこちらもけっこうプレッシャー(演奏の本番は強いのですが、当日熱を出したり電車寝過ごしたらどうしよう的な)でした。
  しかも今回の企画は、旧区庁舎でもあった同ラウンジが今期をもって閉鎖されてしまう最後の記念すべきコンサートであったことも責任重大でした。

 昨日までの雨がすっかり上がって、会費がお安いこともありましたが、予約の105名のお客さんがほとんど来て下さり、会場は熱気で大変なことになりました。いくら会費が安いと言ってもわざわざ休日に足を運ぶことはそれ相当の期待があってのことでしょう。スタッフの方々の最後の大イベントに懸けたお気持ちが伝わりました。 
  ところが雨上がりにその熱気でアラブ音楽には最悪の条件で、弦楽器ウードは会場にしばらく置いて慣らしてから控え室で念入りに調弦すれども本番始まった途端に音がどんどん変わり大変な状況でした。
 ところが、ヴァイオリンの及川さん、ダラブカの岩田君という気心しれたメンバーであったこと、先日のサンシャイン、青山ナタラジと好演が続いていたからか、若林も気持ちに余裕があったらしく(我ながら)、何時もなら初めにご挨拶し1曲やってMCしながらさりげなく調弦するのですが、かなりの狂いだったにもかかわらず、いつになくナーバスにならずに及川さんと演奏しながらのアイコンで「こまったね、でもなんとかしよう」と挨拶も解説も無しでフルサイズの舞曲「ラクサ・ライラ」とパレスティナ・ポップス「ブクラ・ブクラ」を、しかもブクラは調弦の狂いから弦楽器ウードの即興が出来ない代わりに歌の即興「ヤレール」をこんなにたっぷりは生まれて初めてという程長く、しかも旋法マカームを5つも転調しながらのノリノリの我ながら若干陶酔状態で歌ってしまいました。
  お客さんがどう思ったかは分かりませんが、二曲の後の拍手は100人分の熱意がありました。
 何事も本番のノリ任せの若林のやり方は危機一髪的なものがあり、終わり良ければ的なもので、それこそインシ・アッラーの世界ですが、いつも通りに解説しながらの調弦でしたら今日程のトラブルは、余計にナーバスになりか焦るかしていたと思うし、その割には完全に合わずに次に進んでいたかもしれません。いつもの3曲分以上演奏した後ですから、お断りして丹念に調弦も出来ました。その際楽器の説明や音楽解説も調弦に基づいて出来ました。

11月17日ラウンジの皆さんからやっと写真が届きました。ありがとうございました。

 

 この他にも終わってみれば全てのことが上手く回った不思議な日で、前日まで「二時間も保たないヨー」とメンバーが心配したにもかかわらずメンバーも驚く程、何時も必ず演奏するイエメン民謡、エジプト歌謡ファリドゥル・アトラシュ氏の名曲メドレー、アブドゥル・ハーフェーズ氏の名曲、坂本九さんも歌った「ヤ・ムスターファ」など一曲もやらず、「アラブ音楽」と銘打ちながらオスマン・トルコ人作曲家の曲をやる(現地アラブ各国では演ってるけど)のは「もう辞めよう」とこの数年頑張って来たのがさすがに今日は無理かも、と思って居たにかかわらず、話しのネタに一曲自然に起用した以外にトルコ曲にも頼らずアラブ古典器楽セマアイと、古典声楽ムワッシャハー、声楽即興ラヤーリはお客さんとも掛け合いしかなり純度の高い、と言うかかなりマニアックなアラブ音楽コンサートになってしまいました。このことはメンバーにもかなりの自信につながった筈です。特に古典器楽曲は、微妙にテンポが自在になるアラブ音楽独特のうねりまで表現出来、日本人のレベルを越えたアンサンブルだったと思います。
 残念ながら青葉区にはアラブ人が居なかったのか、招待されたのはイラン人の方と、アルメニア系アメリカ二世の方 でしたが、どちらも凄く喜んでくれました。
 最近特にそのような結果になることが多いのですが、今回のように日本人向けの曲など一切やらずに、自分たちも身震いするような渋い曲を気合いで演奏した方がかえってウケたりします。が、これもメンバーが信頼出来る及川さん岩田君だったからであり、ステージに上がっているにもかかわらずノリや顔つきのイマイチのメンバーに気を遣って少しでもノセようとしたり、自分の世界に入っちゃって勝手にノッてるけど調弦やリズムが悪かったりではなかなか今日のようなレベルに到達できませんでした。が、悔しいのはアラブ音楽は歴史と理論体系の豊富さに比べて楽器の種類が少ないとは言え、アラブ琴「カーヌーン」葦の縦笛「ナイ」古い曲ではダラブカよりも重要なタンバリンの「レッ(ク)」という魅力期な楽器があるのです。その音を求めれば、上記のノリ、顔つき、調弦を我慢せねばならず、我慢出来なければ楽器の種類が限れられる、というジレンマです。
 せっかくここまで到達したのですから、及川さん岩田君のように民族音楽を学ぶ以前に師匠について音楽を学び、演奏家としての自覚がある方でアラブ音楽をやってくれる方がメンバーに入ってくれたら嬉しいのに、と思います。



10月31日 京王プラザ・ホテル「ギリシア音楽パーティー」
   青葉区のアラブ音楽コンサートの熱気もそのまま、スタッフの皆さんとの打ち上げや感想をお聞きする間もなく、大急ぎで電車に乗って次のお仕事京王プラザ・ホテルの宴会場で行われた東欧舞踊の会の「ギリシア音楽パーティー」へ。太鼓の岩田君はそのまま残業。現場で民族音楽センター長老のひとりですが、最近お仕事が忙しいのでよほどの時にしか頼めないギタリストでありインド音楽タブラの信頼出来る相棒でもある新井君と落ち合って、と言うか会場で待ち合わせだったのに同じエレベーターになりましたが、最少人数のギリシア楽団で。
 同会は今年の前半にもアフガン音楽で呼んで頂きましたが、その時は来日当初とっても仲が良かったモロッコ人太鼓奏者と日本人離れした美貌のベリー・ダンサーのファティマさんのショーもありましたが、今回はお客さんのピアノ演奏の他は僕らのギリシア楽団のみ。かと思ったらお客さんでファティマさんも居れば、なんとブルガリア音楽と舞踊では日本屈指の信頼度で知られる石坂史郎さんヌーシャさんご夫妻もお客さんでいらしててびっくり。
  ここ数日のハードスケジュールに加えて楽器修理の寝不足にもかかわらず、横浜の熱気そのままにハイテンションでヌューシャさんお土産のブルガリア銘酒ラキアを頂いてほとんどハイ状態でギリシア音楽で盛り上がりました。
 すると、 なんとブルガリア舞踊では母国でも職人的レベルで知られるヌーシャさんがギリシア舞踊スィルトを踊ってくれ恐縮の大感激。ファティマさんも喜んで下さり、演奏後の歓談で「今日は横浜でアラブ音楽をやってウードとブズーキ担いで来ました」と言えば「じゃ一曲セッションしよう!」と急遽ベリーダンスも。
  さすがに昨日今日始めた方じゃないからぶっつけ本番でも一曲の中にやるべきスタイルを全部盛り込んで、僕もそれを想定して演奏すれば見事にそれに合わせてくれて嬉しい初共演が実現しました。ファティマさんが誘ったお弟子さんも客席で大喜び、主催者も思いがけないアトラクションで大喜びしてくれました。
 新井君と岩田君は実は若林のインド音楽の重要なタブラ伴奏者でもありますが、新井君は仕事がハード岩田君は湘南大磯からの呼び出し、即戦力の残る二人江頭君も仕事がハード、青山さんは千葉からで、ちいさなお仕事ではやむなくシタール・ソロが続いたのに今日はその貴重なタブラ奏者(最近日本人タブラ奏者も増えましたが音楽を分かっている人はほとんどいないので)が「なんでギリシア音楽の夕べに二人も居るの!」と僕の中のインド音楽部門が不満を言ってる感じでしたが、 宴の最後は、お客さんのピアノと若林のダラブカ、ヌーシャさんの歌でマケドニアの7拍子の曲を全員で輪になって踊り、その貴重なタブラ奏者二人がうら若き娘さんと手をつないで一緒に踊る姿も見れて不思議な夕べでした。
 
10月31日 若林忠宏
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