若林忠宏 Music,Family&Friends Diary

 
2004/Spring&Summer

  2004年6月 2004年7月
  6月4日 東京音楽大学付属民族音楽研究所
6月10日 アフガン音楽演奏
2004年7月
7月の空梅雨の昆虫飼育
7月4日 静岡で音楽の先生と再会。昆虫採集
7月14日 西荻に出来た新しいお店 Siry
7月16日 八景島でギリシア音楽
7月21日 福島市 民族楽器展示会のお手伝いと
7月23日 スタジオと東京音楽大学付属民族音楽研究所講座
7月25日 千葉県長柄町 雲南瓢箪笛ユニット演奏と
7月27日 ナタラジ荻窪インド音楽ライブで
7月30日 東京音楽大学付属民族音楽研究所ミニ・ライブ
7月31日 
名古屋上飯田 アフガン音楽と

   ディジュリドゥのTets-J氏のお仲間で、この7月に西荻に花屋さんを奥さんと始めた高島君に全面的に助けてもらって出来た新しいホーム・ページもひと月たちました。
 旧ホーム・ページを長年なくさずにいてくれたM氏のお陰で、その兄ページの知名度から弟ページも順調に訪問があるようで、通販や教室問い合わせも順調です。
  ヤマト宅急便との契約もしたので早速通販業務が普通っぽく手短に行え、教室入会も始まっています。

  長年、M氏達にお任せで「逃げて来た」ネットの世界ですが、著書に載ってるURLひとつは「時間が止まり」ひとつは消えて、「どうなってんNO?」のプレッシャーに動かされ、というより暖かく背中を押してくれたI夫婦や、即答でお手伝いを引き受けてくれたT君のお陰で、関わってみると結構便利ですネ、なんて今更……。
 あい変わらず、伏せ名で実名をこき下ろす文化には「逆じゃないの?」と思いながらも、若林がE-Mail導入した事で出版社の方々は随分楽になったのかな? 原稿や写真を吉祥寺迄取りに来ていたのが「シュワー」と飛んで行くのですから凄いですね。

  ネットで得られる情報も参考になりますが、民族音楽に関してはなんだか不気味な方向に行きつつあるような気がします。この30年、海外公演出来る演奏家が生き残り、名も無い本物が抹殺されてきたのが、更に一歩進み、ネット上で雰囲気作れる人が残って行く時代に成って行くのでしょうか? 
  また同好の志も、僕らが始めた時代はマイナーでマニアックであっても小さなライブスペースでそれなりに世間に向けて演奏していたつもりですが、顔が見えないところに名前さえも年齢も、住んでるとこも分からず情報と意見だけ、っていう風潮でなんだが凄いですね。
  とは言いながら、ネットに接続して一番活用しているの実は昆虫情報だったりしています。勿論そこの世界も民族音楽となんら変わりなくペンネームで「こんな虫がいたゾ」なんてやっている訳で、中には自慢タラタラの人も居ますが、結構みんな世話好きで僕も随分教えて貰いました。昆虫の世界では、売らんかなの悪徳商人はあからさまですから、善悪は割とはっきりしていますが、民族音楽の場合何が善悪かを誰も言えないところがミソですね。しかし絶滅危惧種より確実に急速に本物の伝統音楽が消えていってますし、楽しかろう良かろうで持ち込んだ外国音楽が文化体系を乱しているのも事実です。


2004年6月4日 東京音楽大学付属民族音楽研究所
 

【インド人家族の嬉しい訪問!】

 6月4日の東京音楽大学付属民族音楽研究所の民族音楽講座ではちょっとした嬉しいハプニングがありました。
  突然インド人の歌い手さんが見学に訪れ、そのままセッションとあいなったのです。
  著書でアラブ人がライブに来てヒトモメあった話しを書きましたが、インド人では今迄モメたことはなかったナ。そう言えば。なぜなら皆直ぐセッションになって、お互い凄く満足するから。

 池袋在住の若い夫婦がお母さんを日本に招待したのですが、そのお母さんが知る人ぞ知るインド独立前後の著名な歌姫のひとりヒラバイ・バローデカルのお弟子さんだったんです。ちょうどその日、研究所の前を通りかかって若林がタブラを叩く教室のポスターに目が止まり、中を覗いてみたくなったそうなんです。

 大歓迎でお通しして、しばらくレッスンを見学して貰ってから、若林のタブラと思いがけず夢の共演。師匠ヒラバイさんそっくりの声と歌い方が最高でした。

【インド音楽は声楽が基本!の誤解】

 正直10年ぶりのヴィランビット・エークタール(Very-Slow-12Beats)には一瞬戸惑いました。歌を聴いていたら自分が何処に居るのか分からなく成る世界です。恥をしのんで、目の前にテカ(Bassic-Pattern)のメモを置かせて貰ったのですが、ある意味おまじないみたいなもので、3アヴァルタ(Cycle)過ぎた頃にはメモを見る迄も無く、彼女の歌の展開が見え、自分の取るべき拍も、オカズも見えてくる不思議な境地に誘われたのです。
  つくづくインド音楽は声楽が基本だよナ、と思いました。

  消え行くタントラ・バージ(Pure-Instrumental-Style)の限られた後継者にあるまじき発言の様に思われるかもしれませんが、器楽奏者の歌心、すなわちラーガは自らが歌うことで基本が得られるものですし、歌やその模倣が分からなければタントラ・バージも成り立ちません。
  あらゆる器楽奏者は、まず歌い、それをホーミーに替えて、さらに口琴に替え、さらに撥弦楽器などに替えた、というような感覚も必要なのです。その上で歌に叶わない部分を思い知り器楽にしか出来ない部分を開発し、しかし歌を置き換えた部分も熟知しているのです。

 近年流行のガヤキ・アンクは、器楽で叙情詩風の分かり易い旋律やメローなフレイズをやって受けたスタイルで、タントラ・バージあってこそ対象としてウケた訳ですが、タントラ・バージが駆逐された後、それが器楽の本来の様な顔をするのはとっても不思議なことなのです。
  それなら歌を歌った方がまだ話しは早く、実際シタールを置いて歌いたがった演奏家も居ますが、いずれにしても突き詰めて行く指向と、ウケル指向の違いがインドの聴衆にも分かる人が少なくなったということで、ある意味「歌が基本」ということと逆行しているんですが、日本人には難しい話しのようです。
  そんなこんなで日本じゃ僕が歌ってもVilambit-Ektalを叩いてくれるタブラ奏者は皆無ですし、僕が叩いても歌ってくれる人が皆無なのは、本当に残念です。(数えながら歌う様なレベルはあるかもしれませんが)


2004年6月10日 アフガン音楽演奏  京王プラザ・ホテル
 

 6月10日、新宿の京王プラザ・ホテルでジャーナリストの楠山忠之さんの出版記念会に呼ばれてアフガン音楽を演奏させて貰いました。太鼓ゼルバガリ伴奏は竹内さん。
  沖縄出身の楠山さんの奥さんの琉球舞踊に僕らのアフガン音楽に、在日イラン人のイラン近代歌謡まであって、いっぱしの民族音楽イベント風でしたが、何に驚いたかというと集まったジャーナリストさん達の雰囲気。と、言うより顔。
  こんなに一度に沢山の「髭面のおじさん」達に囲まれたことはなかった!と思わず舞台で言ってしまうほど、猛者の集まりでした。
  しかも皆、楠山さん同様に暖かい笑顔。ご著書のサブ月にも講演会にアフガン音楽で呼んで頂いておりますが、イラクで無くなった方もその奥さんもそうでしたが、生死の狭間で何年も地味な仕事をしている人ってなんであんなに普通に明るいんでしょう。
  そんなところを目くじら立ててやっている方が本物臭いと思っている人たちに是非知ってもらいたいです。

 楠山さんのご著書は三五館www.sangokan.com/より¥1890でこのほど出版されました。


2004年7月の空梅雨の昆虫飼育
   ところで、今年の梅雨の熱さには誰しも参っていることでしょうが、昨年の冷夏で昆虫にフラれ、今年の猛暑が良いかと思えば、孵化手前で夏期休眠に入られたりで逆に困ってしまいます。
  昨年、民族音楽教室の生徒さんでおじいさんが昆虫学者という子にアルバイトで餌替えと水遣りをたのんだのが大失敗で、おそらく数千個の卵を死なせてしまったのですが、東京で音楽修行を続けたいがアルバイトが決まらない、というので人助けのつもりが、やはり命に関わることは人に任せては絶対に駄目でした。
  またそんな命を沢山預かっている僕に人助けをする余裕が有る筈も無かったと猛反省の寂しい猛暑です。それでも浜松の浜辺から連れ帰ったタイワンクツワムシやハタケノウマオイは無事羽化してガチャガチャ賑やかに鳴いています。

  静岡の小林先生が探してくれ紹介してくれた、虫の師匠静岡の杉本先生のお陰で、孵化コオロギ若令幼虫の生存率は8割を超えて、6月中にあらゆる種が大合唱という大騒ぎです。
  7拍子で鳴くミツカドコロギの三角頭は亜終令で突然尖ってくるのには驚きました。しかも今年は回りの異種がうるさいからか、無理して9拍子で鳴いてましたが、最近賢くなって回りが静かな昼に7拍子で鳴いてます。 

  甲虫類もアルバイトが箱から逃がして種が同定できなくなってしまい、累代が中断されたり、ダニが湧いたりで三年続いた種が断絶したりの悲しい状況ですが、それでもグァドループのヘラクレス大カブトムシが続々生まれてくれました。
  ザイールのシロヘリカナブンは、餌替えの遅れで全滅しかけたのが、逆に成長を遅らせ、その結果去年より数ヶ月遅れですが、一回り大きくなって続々羽化しています。
  一般に餌のカロリー度の方が大きさに反映すると実感されますが、全く質素な腐葉土なのに巨大になってびっくりです。ゆっくり育てると大物が生まれるって音楽のお弟子にも言えるんでしょうか?

2004年7月4日 静岡で音楽の先生と再会。昆虫採集
   7月4日は、静岡に居ました。なんと楽器も持たずに。
  昨年一昨年と、静岡の高校音楽教員の部会の先生方が若林を民族音楽講座の講師に招いて下さったのですが、そこでお友達に成って頂いた、と言うか、僕が一方的に甘えさせて頂いている小林先生にお願いして山を案内して頂いたのです。
  小林先生は音楽の教諭でありながら、山登りがお好きで、それをちょこっと言ってしまったが為に昨年は民族音楽講座の前の時間に浜の方、今年は山の方をご案内頂いてしまったのです。   

  小林先生は、その日の為に、事前に下見迄して下さって、当日は旧同僚の金子先生という、旧静岡市の山はほとんど全て歩いた。今は合併のお陰で旧清水市の山を歩き、生涯学習教室などで山登りの講師をされているという素晴らしいガイドさんまでご用意下さったのです。
  しかしながら今年もアオカナブンにはフラレてしまいました。ネットでお知り合いになった静岡の昆虫写真家さんの情報通りに標高がそこそこ高いところであるにもかかわらず、クヌギの木が有り、生まれて初めて見て聞いてびっくりしたピユーピュー音を出して樹液が出ているにも関わらず、ハエくらしか来ていなかったので単にほんの1週間ほど早過ぎた、という残念な感じです。  
 それでも車中の金子先生のウンチクで、僕は初めてマウンテニングとトレッキングとハイキングとワンダーホーゲルの違いを知ったり、知る人ぞ知る静岡の重要な神社を案内して頂いたり、金子先生の歩いた記憶のお陰でカヤの多い地域で、東京のヤブキリとは違ってまるでキリギリスの様に短くなくヤブキリを採集したり、十分な収穫がありました。

  実は、東京堂出版さんのお仕事に思いもよらず時間を掛け、勝手にハマってしまい大変なことになっている佳境にお約束の日が来てしまったのですが、むしろ良い息抜きと、新鮮な謙虚な気持ち、想いを補給して、お陰さまで帰京後一気に仕上げることが出来ました。
  小林先生、奥様、金子先生ありがとうございました。両先生は先日静岡の山や自然の冊子まで送ってくださいました。

  ところで、高校の音楽の先生って、小林先生の他にも仲良くなった福島の先生もそうなんですが、部活の顧問の立場上、楽器運搬に必要、という理由でおっきな車を持ってるんです。しかも何故か四輪駆動だったりするんです。不思議ですね。
  僕の場合、この十数年、お弟子さんに電車で手運びさせて来たので、いまさら楽器車という大義名分を使えないので、先生方に甘えたり、公演先の公民館や児童館から自転車を借りたりです。


2004年7月14日 西荻に出来た新しいお店 Siry
   7月14日に民族音楽センターHPのメイン・ページを作ってくれた高島夫妻の花屋さん「SIRY」に行って来ました。高島君は民族音楽センターHPを6月頭に大急ぎで立ち上げてくれた直後、ご結婚と開店の大忙し。
  奥さんが数年花屋さんで修行してた方で、二人ともインドやネパールが好きということもあって中々嬉しい雰囲気のお店です。



  場所は西荻窪の南口からバス通り(なんと西荻銀座通りと言う)を南下して、新星堂レコード店(西荻生まれ育ちの僕が最初にインド音楽のレコードを買った30年近く前から同じところに在る)の十字路を左に曲がり少しあるくと左側に、最近新しく建てたという感じの一角にあります。
  シリィは花と雑貨のお店ということで、切り花の他に鉢植えや、今流行のコケなどもお洒落にアレンジされていて、感動したのは恐竜の卵のような焼き物に、まさに恐竜の赤ちゃんが飛び出した様な孔があって、そこにびっしりコケを定着させたところに、盆栽のような繊細なモミジとササが生えてるアレンジ物、我が家だと、その日の内に11匹の猫達がネコ草と思って丸裸にしてしまうので買えないのが残念。

SIRY西荻南3-7-2-1F tel:03(3334)2288/HP=www.siry.jp/メール=info@siry.jp ご主人はWebデザインのお仕事もされています。


2004年7月16日 八景島でギリシア音楽
   7月16日は八景島シーパラダイスにあるイタリア料理店「鴎亭」での「ギリシア音楽と地中海料理の夕べ」に出演しました。
 新生ギリシア音楽楽団ヴィーシェは、若林の歌とブズーキに加え、歴代ブズーキ奏者に遜色無い程腕を上げた(むしろ調弦とリズムは一番か?何しろピアノ調律師の息子さんだから)小宅良明君、同じく昨年迄の第三期ヴィーシェ太鼓奏者の水準に達したダラブカの今井勤子さん、のレギュラーに今回はギターで勤子さんのご主人今井隆氏、さらに5月に若林が参加させて頂いたクラッシック系フュージョンと民族音楽を融合させたユニットTOVのリーダー松橋恵さんのピアノを加えての画期的な編成。

 日本初のギリシア音楽楽団ヴィーシェは活動開始の1980年代から6年ほど前まで、レベティカもディモティコもエンテフノも皆同じ編成でやってきましたが、6年程前からやっとレベティカで気分を替えてバグラマやコンボロイを加えたりしてきたんですが、今回のピアノを加えたエンテフノと加えないレベティカでかなりジャンルの区別が出来たのは画期的でした。
 
  実は今井夫人はロック・ドラマーなので昨年末のエーゲ海学会ではエンテフノ曲でドラムをやってくれたので、八景島が吉祥寺から遠くなければもっと違いが出せた筈。
  さらにクラッシックの声楽家でありながらポップスもジャズも歌い、民族音楽センターにちょくちょく遊びに来て歌いながら出来る小物民族パーカッションにもチャレンジしているTOVのヴォーカリストの佐々木朝美さんがエンテフノを歌ってくれれば、さらに充実間違いなし。
  しかも現在はアテネ・オリンピックで現地通訳で行っている頼もしいブズーキのお弟子さんの山口君のギリシア語歌詞翻訳と男声コーラス、吉祥寺在住のギリシア人舞踊家イオアンナさんの発音指導があらば、ギリシア凱旋公演か!。
  クレタ民謡曲ではヴァイオリンの及川景子さんが昨年末から加わってくれているので、レベティカ、ディモティコ、エンテフノごとにメンバー編成を替えるという長年の夢も実現しそうな感じです。しかも第二期ヴィーシェのギタリスト新井氏、太鼓奏者竹内さんも居ますから。

  当日の鴎亭は、数日前に予約で満員御礼になってしまうほどの企画大成功で、さすがに踊り出すギリシア人のお客さんはいなかったんですが、(いたら絶対大騒ぎになっていた)どのテーブルでも凄く嬉しい反応をしてくれました。意外だったのはド渋のレベティカ古曲をっじっくり聞いてくれたこと。ヴィーシェのライブ経歴の中でもかなりハイレベルの演奏会だったと思います。

  当日は下準備を理由に昼前に現地入りし、打ち合わせもそこそこ、鴎亭企画担当の井上氏とネットでお知り合いになった元神奈川在住の昆虫写真家さんの情報であこがれのカヤキリ採集に山に入りました。
  山を抜けてたどり着いたのは高速ジャンクションの真ん中で今にもパトカーに連行されそうな場所だったのと、後に本番演奏が控えていたのでゆっくり探索できなかったので、雌幼虫一匹でしたが、「ここに居るゾ」という感覚はかなり習得できました。


2004年7月21日 福島市 民族楽器展示会のお手伝いと
   7月21日(水)は8/6に演奏会で呼んで頂いている、福島児童文化センターの素材別民族楽器展示のお手伝いに行って来ました。愛知の三河屋さんのコーディネイトで、なんと若林は、午後からで良いヨ、それまでは昆虫採集でもどうぞ、と嬉しいお話でした。しかも去年一昨年とお世話になった福島県教育センターの石川さんが、福島の虫博士とコンタクト取って下さり、同じ日に文化センターに「夏休み子供昆虫採集」の下準備にいらっしゃるので僕が会える様に計らって下さいました。
  民族音楽と昆虫のどっち?という様な意味不明の僕に、文化センターの所長さんも担当の松本さんも暖かく迎えて下さり、運良く山に出かける直前の「福島虫の会」の斎藤先生にお会い出来、南福島の山の中の穴場を教えて頂きました。

  昼前にも関わらず、カブトムシ、コクワガタ、カナブン(これは昼光性)になんとミヤマクワガタまで採集出来ました。東京は空梅雨のあげくの梅雨明けでまったく7月から真夏でしたが、福島は未だ梅雨も開け切らず、栗林でにわか雨に降られ、自然に囲まれた環境のイメージの割には大漁という程ではありませんでしたが、十分嬉しい収穫でした。
  しかも後日、カナブンの雌雄をチェックし産床に入れようとしたら、なんと1頭はあのあこがれのアオカナブンでした。驚いた事に、そのアオカナブンは独特のシルク風のグリーンの地に、サテン風の赤茶が混じって、遠目には普通カナブンなんです。ちょっと細長いなアとは思っていましたが、まさか!のびっくりです。

 普通カナブンにも時々グリーンが居て、子供用の昆虫図鑑でもアオカナブンとの見分け方が書いてありますが、まさか逆があるなんて。しかも郡山以北に居るなんて。大感動でした。
  あまりに小振りなので今一雌雄の同定が不安なんですが、多分♀だろう、今度こその期待を込めて、たった一匹には巨大な産床を用意して放ちました。

 展示会の方は、三河屋さんのニューフェイスがなかなか頼もしい若者で、気心知れた島井氏と楽しくお仕事してその日に帰京しました。あの場所に夜に行けばミヤマクワガタ、ノコギリクワガタがもっと居ただろうに。
  飼育の為も有って日帰りというのが辛い所です。

 帰京してから石川さんにお礼のメールを差し上げたら、児童文化センターは石川先生も子供の頃に良く通ったところとのこと。庭には蒸気機関車があり、館内には昆虫標本やプラネタリウムがあり、ロビーには南方の生きたナナフシまで居てなかなかのものです。
  古い建物なので東京の商工会議所みたいな感じですが、今や福島の各分野で文化・教育、社会をリードされている名士達が子供の頃に沢山の素敵な想い出と教養を受け取った場所なんだナアとなんだか、じーーんと来てしまいました。


写真:左上、オレンジ色も混じる福島のアオカナブン。右下写真のミドリカナブン(普通カナブンの緑型)の方が遥かに緑色。がミドリカナブンのメタリック・グリーンに対してアオカンブンはシルクっぽい柔らかな光沢である
写真左:アオカナブンのお腹。右:ミドリカナブンのお腹。足の付け根がアオカナではくっついているが、ミドリカナブン普通カナブンでは離れている。


2004年7月23日 スタジオと東京音楽大学付属民族音楽研究所講座
 

 7月23日(金)は、昼は渋谷文化村スタジオで、キューピーマヨネーズのラジオCMのインド・ヴァージョンでシタールを録音して貰いました。
  聞かせてもらったメキシコ・ヴァージョンは名曲「ラ・バンバ」の故郷ヴェラクルースのアンサンブルで、イタリア・ヴァージョンはカンツォーネ、それぞれの言語で歌い最後に「キューピーマヨネーズ」と言う節も入る楽しいCMですが、インド版もすべてLA録音でインド人歌手が歌ってるのです。
  なのに何故かシタールは日本で僕が弾いて録音。面白いコラボレイションでした。

 広告代理店さんから名刺を頂けばなんと会社名がDAIKO、僕が雲南瓢箪笛の伊東悟君とやっているユニットと同じ名。「雲南の少数民族の言葉で『友達』って意味ですよ」と言うと感動してくれました。
 夜は東京音楽大学付属民族音楽研究所の民族音楽講座第三期の最終日、控え室で先日行われた研究所の創設者のひとり、あの伊福部昭先生の卒寿祝いのコンサートで名曲ゴジラなどを演奏したNHKの番組のビデオを見せて頂きました。
  途中でゴジラが客席に現れ、客席に座る伊福部先生に花束贈呈する場面では、ゴジラとおじいちゃんの2ショットにもかかわらず、思わずぐっと来てしまいました。伊福部先生がゴジラの一曲目を作曲された年齢が僕より少し若い頃と言いますから、凄い方です。

 不思議な縁があって、僕が昔在籍させて貰っていた前期ヒカシューの井上誠君は伊福部先生フリークなので、彼のカヴァーCDでは僕も「モスラの唄」でシタールを弾かせて貰っています。
  その伊福部先生のお弟子さんの作曲家の甲田先生、民族音楽を一般に知らしめた故小泉文夫先生のお弟子さんのガムランの佐藤まり子先生に呼んで頂き講師をさせて頂いている、しかもつなぎはお箏の小暮先生。これも不思議なご縁です。


2004年7月25日 千葉県長柄町 雲南瓢箪笛ユニット演奏と
   7月25日(日)は、その雲南瓢箪笛の伊藤君のお誘いで千葉の誉田駅からタクシーで40分程山に入った茂原に近い長柄町ふるさと村のエアロビクス・センターで行われたミステリオの子供キャンプで雲南とラオスの民族音楽を久々のDAIKOのユニットで演奏しました。
  自然に囲まれた会場なので、伊藤君は突然外の木の下で聞かせたい、と言い出し、数曲外で、その後は屋内でと皆で行ったり来たり。でも主催者側もアドリブOKの人達だったのでとっても良い雰囲気で行われ、主催者にも子供達にも喜ばれました。

  伊藤君のタイ人ノリは、これ以外も相変わらずで、日頃回りに迷惑を掛けている僕が焦る程ではありましたが、あの様な場所では全然OKでした。

 その日はさすがに帰りの電車に間に合いそうもなく、吉祥寺の猫達にはご飯を上げてくれる人が居てくれたので、ロッジに一泊。と言っても、着くやいなや、下見した樹液の出ているクヌギの木へ。
  カブトムシ、コクワガタを採集しました。地元の虫好き青年に出会い話しを聞けば、今年は不漁とのこと。昨年は冷夏で不漁と言われ、今年は酷暑ならその分取り返すかと思えば、水分不足で羽化率が下がっているか、樹液が出ず、木の凄く高い所に集まっているか、だそうです。
  採集した数と、僕が通る前に車に轢かれた数が同じだったのは無念でした。しかもその哀れな虫の中に透き通る様なグリーンのアオカナブンが居たのです。赤アリも集まってない位でしたからほんの数十分か数時間?と思うと無念でした。
  見上げるクヌギやコナラの木の上の何処かに居る筈でしたが。千葉県では、標高300m位のところでも、ミヤマクワガタ(昨年採集)やアオカナブンが居るのです。ほんと引っ越したい。
          8月17日悟君より写真届きました。悟君ありがとうございました。

2004年7月27日 ナタラジ荻窪インド音楽ライブで
   アオカナブンにはホントにじらされます。
  亡がらだけ拝んで帰って来た翌々日の7月27日(火)は荻窪ナタラジでインド音楽のライブでしたが、PAをやってくれている10年以上前の僕のお弟子さん(偶然3年前ナタラジで再会)田口君は、ナタラジのスタッフとしてなんと山梨の韮崎のナタラジの有機農園で働いてるのだと。
  しかも農園は僕がナタラジさんとお付き合いし始めた数年前から韮崎に在って、その場所はなんと昨年、一昨年とアオカナブン探しに行った場所の直ぐそばだと言うのです。

  このダイアリーを読む限りでは、僕は民族音楽の現場で辺り構わず虫の話しをしている様に思われるでしょうが、これでもT.P.O.を考え、また6月〜10月以外では自粛してるんです。
  それが仇と言いますか、その辺りの運のなさ、見事に外すジンクスですが、この数年、ナタラジのスタッフさんに虫の話しをしていれば、去年も「アオカナブン出たゾ」の一報で出かければ良かったのに。僕に取っては日本で十数万円もする南米のサターンオオカブトムシと負けないほど貴重な昆虫なのです。田口君宜しくお願いします。

2004年7月30日 東京音楽大学付属民族音楽研究所ミニ・ライブ
   7月30日(金)は、東京音楽大学付属民族音楽研究所に於ける「民族音楽特別講座」第三期の打ち上げライブでした。
  台風の話しもあったにもかかわらず、前回よりも多い、4,50名の聴衆に囲まれて、第一部は、タブラ講座の講師演奏ということのインド音楽では若林忠宏のシタールでラーガ・ジャウンプーリのアーラープ,ジョール,ジャーラーに岩田太郎君のタブラを加えて、マディア・ガットとドゥルット・ガット。
  第二部はダラブカ講座の紹介演奏ということのアラブ・トルコ音楽で、オリエンタル・ダンス曲、トルコ古典器楽からナフワンド・セマイ、アラブ・ポップスと相変わらずのゴチャマゼ・プログラムでしたが、この日は及川さんのヴァイオリンが冴えまくり、それにつられてか、今井さんのリクも堂々と(もっとも二度目のモロッコ旅行から一皮剥けた感じですが)していて、昨年迄のレベルを超えたアンサンブルだったと思います。

  第三部はジェンベ講座の打ち上げと秋から(10月より)の紹介演奏で若林、竹内さん、山田さん、山脇君のジェンベに岩田君のケンゲニで、クク。第三期ジェンベ初級第二期のジェンベ入門から引き続き受講してくれた嬉しいメンバーの(熊井戸さん、逸見さん、大竹さん、加藤さん、川原さん、その他お休みが数名いましたが)ランバンの発表演奏、最後は客席にも太鼓を配り、セィディバで盛り上がって打ち上げ「飲み会」に突入しました。
  台風接近の湿度と気圧のせいか、非常に蒸し暑く、物事なににつけてもたるみがちの三期目が盛り上がって終わり、メンバーもなんだか好演(忙しいメンバーも全員揃ってたり)だったことも加え、なんと、ビールの美味しい事か。受講生もお友達を連れて来てくれたり、第二期の受講生も来てくれたり、かつて(純粋だった頃の)若林を思い出させる高校生の受講や親子づれもあったりで、良い会だったと思います。みなさんありがとう。おつかれさま。

写真は東京音楽大学付属民族音楽研究所スタッフ高橋さんに送って頂きました。ありがとうございました。

2004年7月31日 名古屋上飯田 アフガン音楽と
 

 翌7月31日(土)は、朝5:00出で名古屋へ。
  横山女史、加藤女史率いる名古屋アリアナ平和基金のアフガン情勢を考える会と、国際文化交流イベントの合同イベントで、名古屋在住で若林とは20年来のお友達のレカさん、サーメさんのお話、狂言の野村小三郎氏のレクチャー&デモ演、に若林のラバーブ&ドール弾き語りで、前回に引き続きレカ氏ご令息ワリード君のタブラの伴奏も加わりました。

 レカ氏は20年近く前に吉祥寺に年数回訪れて若林からタブラの基礎を学び、名古屋で独学で頑張ってました。
  彼の世代、故郷アフガニスタンでは、彼の家柄で音楽をやることは叶わなかったので、故郷に帰れない状況(コミュニスト時代もタリバン時代も処刑される可能性の高い名家の出)思いあまって始めたタブラでした。
  それがこの20年の間に、日本で生まれた息子にタブラを教え、ワリード君も頑張って練習し、今年2月よりもさらに腕を上げていました。
  中学2年生と言えば、なんとなく親に逆らってみたくなる年齢なのに、ワリード君は僕にも素直で、純粋でほんとにいい子です。
  驚いたのがアフガン北部民謡で、見事に三回ずつ繰り返される節の末尾に入るオカズ!!日本人ならリハーサル数回やってやっとのところ、しかも偶数回には反応できても三回には反応出来ないのが常でしたが、彼は何も言わないのに三回目で見事に。
  独りでカセットやビデオで勉強したというのですが、日本で生まれ、アフガニスタンに行ったことのない彼が、何故出来るのか?それは単に血の問題だけじゃないはず。と日本人にももっと考えて貰いたい。

 例によってせっかくの地方公演では、前の晩打ち上げであろうとなかろうと、始発近い新幹線で出かけ、昆虫採集です 。
  今回は横山さんも応援してくれて、涼しくなってからの案もあったなか、夏に呼んでくれたので、大ラッキー!しかし、名古屋の何処へ行って良いやら。するとインターネットで駄目もとで昆虫ファン個人BBSに問い合わせたら、管理人さんが直接お返事をくれたのです。
 名古屋駅で近鉄に乗り換えお電話すれば、出会い系サイトって言うんでしたっけ?20分ほどの郊外(東京じゃ新宿辺り)の駅に僕よりちょっと若いオジサンがニコニコ待っててくれました。もちろんメールのやり取りだけですから少なくとも僕は始めてお姿を拝むという不思議な世界。
  その渡辺さんのご自宅のほんとにご近所の造成地区の一角の取り残された様な雑木林へ。そこは時代劇のロケが出来そうな竹林の奥にひっそりとありました。

 渡辺さんのメールには、運が良ければ、ヒラタクワガタ、駄目でもどうにかカブトムシとコクワガタ位は、でも昼間だからカナブンだけかも、とありました。
  その地域の林の雰囲気は抜群なのですが、聞けば全てコナラ、名古屋のコナラは巨大に育った為か、木肌がゴッつくまるでクヌギの様。
  クヌギとコナラが混在すれば、クワガタ類は圧倒的にクヌギに居てコナラに居ないのが今迄の経験だったので、これは難しいのでは?と思いかけたその瞬間、たいして樹液が出ている訳でもないコナラにカナブンと一緒にカブトのペア、白点ハナムグリ、樹皮の隙間にはコクワのペア、そしてなんと生まれて始めて、天然のヒラタクワガタを自ら採集の幸運に恵まれました。

  思いがけない大漁。千葉では二日掛かり、福島もかろうじての成果だったのですが、まさか名古屋の新宿辺りでこんな大漁とは! ご案内の渡辺さんもさすがにヒラタはラッキーと、胸をなでおろしていました。僕の都合に合わせて短時間で成果が出るかどうかと、気苦労をさせていたのでした。
 お陰で早めに切り上げられ、ご自宅で一服。
  今日日クワガタ並に希少な愛煙家の渡辺さんは、ビール党迄僕と共通。東京音楽大学付属民族音楽研究所ライブ打ち上げから小一時間睡眠で、新幹線でも寝ずに頑張ったのを、ここで昆虫で祝杯を上げたら絶対乗り過ごし岐阜に行ってしまうとこなので、ぐっと我慢。
  渡辺さん飼育のトラフコガネの幼虫迄頂いて、お返しがお土産の東京バナナしかないぞ、と思いきや、アフガン・ラバーブを是非見たいと言って下さって、渡辺さんと「虫大好き」と嬉しい事を言ってくれる小学五年生のお嬢さんにラバーブを一曲献上。

 帰京してからは翌日のヤマハのお仕事の準備もあり、名古屋カブト、ヒラタ達の仮住まい作りで、そう言えば未だ祝杯を上げてない。横山さん、加藤さん、レカさん、サーメさん、ワリード君、渡辺さん、ありがとうございました。


左上の写真:名古屋のカブト夫婦。この♀は凄く甘えん坊でケースを開けると♀が♂にしがみついていたりする。普通は逆で、♀が嫌がる場合が多いのに。写真右上:生まれて初めての天然ヒラタ。ちびさんだけど根性は一人前。ヒラタクワガタは気が荒く、しばしば♀をちょん切ってしまう。

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