diary 2006 April

 音楽活動のご報告
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 Music & Life
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 音楽活動のご報告

 
 
 
 4月9日(日) 豊津のハランベーLIVE
 

 4月9日(日)は、福島県東部の大分県に近い京都郡豊津に有ります文化スポット「瓢鰻亭」で行われたチャリティー「ハランベーLIVE」に、アフリカ古ポップスの演奏で呼ばれて伺いました。
 「ハランベー」はスワヒリ語で「助け合い」。ケニヤの子ども達の医療支援する企画です。
1920年代〜1950年代のアフリカ古ポップスは、インドやアラビヤ音楽で有名な若林の意外な得意分野です。
 JR特急が止まる行橋から30分程の 「瓢鰻亭」に伺うのはは二度目。
  日本の地域文化の保護と育成に尽力され有名な方の娘さん前田しずさんが運営するイベントスペースとこどもの為の書店、有機農法の食材によるレストランからなるとっても暖かでくつろげる場所です。
 主催は20年前に吉祥寺の若林のライブとライブスポットの常連さんだったという人で、現在はご家族と生まれ故郷の大分県耶馬渓町に住み、アフリカ関係のイベントを行っている白岩さん。若林の友人のアフリカ音楽や文化の専門家のイベントも多く手がけられていますが、若林の世界各地の民族音楽は昨年7月9日の耶馬渓厳浄寺「若林忠宏世界の民族音楽コンサート」8月24 日の「瓢鰻亭」での「若林忠宏アフガン音楽コンサート」を企画、主催してくれて、そのまま若林忠宏の民族音楽を全国の地方都市や過疎の町にも届けよう、というシステム「有機音楽共同購入組合」を立ち上げてくれた人です。

【ライブ録音盤】
 前回8月のアフガン音楽LIVEでは窓の外からクツワムシが盛大に無く中楽しく行われて、その声も含めて白岩さんの仲間コーゾーさんにLIVE録音して貰ったCDは、「有機音楽共同購入組合」から「アフガニスタンの詩」のタイトルで今年2006年2月に発売されました。
 今回もコーゾーさんに録音をお願いして「アフリカの懐かしい歌」(仮題)はチャリティーCDとして発売される予定です。
 また今回LIVEの他に録音の時間を設けて、「有機音楽共同購入組合」の「カタログCD」の録音も行いました。トルコ弦楽器サズの演奏です。コーゾーさんには昨年9月25日に中津の料理教室オーグテさんで行われたモロッコ音楽のLIVE盤も録音してもらっているので、3月の福岡市のワンナインStudioでのシタール録音、祖原のライブハウスCafe楽屋でのサズ演奏と、今回のアフリカ古ポップスから選んで、カタログCDの音源は揃った感じです。
 「有機音楽共同購入組合」は、「若林忠宏の民族音楽と語りを聞きたい」という会員が集まった所でコンサート企画、招聘、を行う手順によって、企画者、主催者に負担無い状況で行うという企画です。若林も安心して伺えます。その為には、音を聞いた事の無い人々にどの様にして若林の民族音楽の世界のポリシーや感性を伝えるかが、企画者、主催者の腕に掛かっている訳です。

【集客と宣伝の問題】
 九州に於いて、民族音楽を生で聞くという機会が少ないからと言って、音楽ファンはCDなどで聞いている人も居る訳です。その中で、若林ならではの良さを伝えるのは主催者が若林のものの考え方、音楽に対する考え方に共鳴、もしくは信頼、または惚れてくれていなくては難しい。でも、惚れてくれていてもその方が第三者に伝える術や、表現力を持っていなければ難しい。民族音楽もマイナーならば、それ以上に若林ならではの音楽観を伝えて集客するのはとても難しい事なのです。
 若林としては「〜音楽」ということではなく「若林の音楽」ということでお客さんが来てくれる時代になっていても良いのでは?と思いたいですが、それは中々難しい。35年も演って来ようが、本を何冊も書こうが、マイナーな民族音楽の中の更にマイナーな存在を実感します。

 東京や全国のライブ、イベントの主催者さんにとっては、民族音楽であるとか、〜音楽であるとかが当然優先される訳ですが、九州のイベントは、祖原の「飲み会ライブ」小倉の「トーク・ライブ」 警固の「ダイ・コ・ソール〜ラーガ・マーリカ」耶馬渓、豊津の「有機音楽共同購入組合」のいずれも、〜民族音楽に加えて、と言うよりもむしろ「若林忠宏の〜音楽」という性格が強い企画です。
 九州のリスナーは、情報過多とマニアックなファンクラブの奇妙な二重構造の東京と比べて「良いものは良い」という意識や「気に入ったから聞く」という意識を強く持ってくれます。 
 その御陰で「〜音楽が珍しいから」より「若林の〜音楽が良いから」になってくれる可能性が高い。けれど、〜民族音楽は元より、若林忠宏を知らない始めてのお客さんを呼ぶのは当然大変な訳です。
 今回の福岡県ツアーは、その意味も含めて、主催者さんとのコミュニケイションに務め、とは言っても今迄よりはるかに時間をいただいても尚、時間は足りない感じですが、Better than Nothingということで今後さらに努力し、また助けて頂きたいと思います。

 

 

  ハランベーLIVEの企画人、白岩さんがケニヤに宛てた報告メールを転送してくれました。

 
若林忠宏さんを迎えての「ハランベーライブ」、とても楽しく、無事終了しました。 カテンベ君をきっかけに、若林さんを囲んで、暖かい時間を友人たちと共有出来たことを、感謝しています。カテンベ君、マサヤ君、千晶ちゃんそして、協力してくれたすべての皆さん、ありがとうございました。

 田舎のことですから、たくさんの人に来てもらうことは、難しかったですが、今日のライブは、後日、CDを完成させて、皆さんにも、紹介したいと思っています。今や、現地でも歌い手の少なくなったアフリカ各地のポップス。貴重な歌と楽しいお話の詰まったライブCDを、どうぞ楽しみにしていてくださいね!!!そして、その売り上げを、カテンベ君に届けたいと思っています。

 けして、大きな力にはなれないけれど、1年後も5年後も10年後も、カテンベ君が闘病している限り、このCDを売り続けるつもりです。

 若林さんは、お話の中で「200年くらい生きられる人がいたら、世界中のひとが、アフリカの人たちのように、当たり前に助けあっている世界が見れるかもしれない」と、言いました。
  私は、200年くらい生きて、そんな世界を見たいと思ったけれど、そういえば、今日、小さいけれど、そんな光景の中にいました。ハランベーに集まってくれた人たちの中にいました。ああ、200年待たなくても、よかった。今、目の当たりにしているこのことこそ、私の願った世界なんだ!!と思ったら、幸せでしかたありませんでした。

 本当に、ありがとう!!!
 平成18年4月10日 有機音楽共同購入組合 耶馬溪支部長 白岩佳子

        

   
 4月11日(火) 福岡デビュー楽団・第二弾! Maghreb-Wind
 

 4月11日は、福岡で最初に出来たジャズ喫茶&LIVEの「River-Side」でMaghreb-WindのデビューLIVEでした。自分で言うのも何ですが、はっきり言ってもの凄い良いライブ!ここ十年で最高のノリでした!

【福岡で結成した二つ目の楽団】
  Maghreb-Windは、若林の弦楽器、打楽器を中心に、フラメンコ・ギター、ベース、パーカッションからなる民族音楽フュージョン楽団で、3月26日にデビューした民族音楽コラージュ楽団「Lakatak」についで福岡で結成された民族音楽系楽団の第二弾です。
  若林忠宏の民族音楽と楽器演奏を違った角度で楽しんで貰いつつ、新たな音楽を創り出して行く楽団です。

 Maghreb-Wind楽団結成のきっかけは、小倉の定期ライブ会場kate-Musicさんの暖かな音楽世界で伸び伸びと新感覚の民族音楽ライブを続けさせて貰った事に尽きます。
 そこに何時もお客さんで来てくれるベーシストの福山ワタルさんが居ました。ワタルさんはKate-Music音楽教室のベース科の講師でありながら、そして経験豊富なミュージシャンでありながら、若林のライブをほぼ欠かさず聴きに来てくれた。その有り難さは強く感じていました。
 ある時などは若林がビールのおつまみに欠かせない「ナッツが欲しい!」とkateさんにねだった所、あいにく品切れ。するとすかさず近くのコンビニまで買いに行ってくれたのがワタルさんです。その後はkateさんとご主人が欠かさずナッツを用意してくれています。ご主人は休憩で舞台を降りるとビールを持って立っている。小倉生まれの玄海育ちのそんなホスピタリティーがMaghreb-Windの母体かもしれません。
 ある時、早くお店に着くとワタルさんがベースを教えている所に遭遇。その音に「何時か一緒にやりたい」と決意。その昔ながらで暖かい音色は、若林のポピュラー・ミュージック経験の中で二人目という希少な音色でした。

 ワタルさんとの楽団結成の期が熟した頃、2005年秋に福岡市南区の教室を見学して以後、「是非一緒に演奏しましょう!」の嬉しいラブコールを送り続けてくれたフラメンコギタリストの坂本君の事を思いました。そして同じ頃福岡市のアジアマンスの舞台から居りた若林に握手を求めて来た若い二人のミュージシャン。一人はエスノ・サイケデリック系ロックバンドCiccarollのギタリストたいすけ君、そして同バンド・セッションメンバーのパーカッションのアジ君でした。アジ君も極力若林のライブに足を運んでくれて、会う度に「是非一緒に演奏しましょう!」と言ってくれていました。
Maghreb-Windはそんな熱意が結実した楽団なのです。
 

 この日のライブは始まる前からメンバーの意気込みが凄かったです。
 若林が5:00入りジャストにお店に入った時には、ギターの坂本君、パーカッションのアジ君、ベースのワタルさんは小倉からにも関わらず全員がセッティング終了し5:00音出し可能状態。
 御陰でサウンドチェックに加えて書き下ろし曲三曲の綿密なリハーサルが出来ました。更に、お客さんが入る前には曲順迄決定し、流れを把握したメンバーは思う存分各自の良い所を出してくれました。

 そこにこじんまりとしたライブスポットをほぼ満席にするお客さんが。
坂本君のお友達、アジ君のお友達が沢山。若林の数少ない福岡のお友達も駆けつけてくれて、曲順打ち合わせでは「敢えて一部はダラ〜っと北アフリカの砂漠の様に...........無理して盛り上げようとせずに」などと言っていたのに、一部で既にかなりの盛り上がり。
 一曲目のテーマ曲「Maghreb-Wind」の静ヴァージョンでぐぐっとお客さんの好感触が伝わって、次のジェンベ&シタールのアドリブ、打楽器アンサンブルで盛り上がり、ギター&ベースのデユオ曲では会場は一丸となって熱く盛り上がって居ました。
 そんな興奮の一夜は、以下のメンバーの声、若林の民族音楽ライブ常連さんの声でお分かり頂けると思います。

【メンバーと常連さんの歓喜の声】

「ライブお疲れ様でした。貴重な体験をありがとうございました。
いろいろな音色、個性の融合が大変新鮮でした。今後どのように進化して行くのかとても楽しみです。」
                                    メンバーA
「昨晩は近年稀に見る良い夜でしたねー!若林氏のお陰で素晴らしいメンバーにも出会えて楽しくやれてとても嬉しいです。」                       メンバーB

「やっぱり凄い勉強になります♪そしてなにより楽しかったです!!今後も精進しますのでどうぞよろしくお願い致しますー 」                      メンバーC

「今日のライブありがとうございました。最高でした。回を増すごとに楽しさが大きく
なります。今日初めてお会いしたメンバーも面白い人たちで嬉しくなりました。」メンバーD

「今日はほんとにすごいライブでした。思い切り気持よかったです。二十人くらいの人だけで独占するのはほんとにもったいないですね。また次のライブ楽しみにしておきます。ありがとうこざいました。」                            御常連Aさん

 そして福岡音楽シーンの仕掛人の一人として名高い、Maghreb-Windのサウンド・プロデユーサー氏は、

「ギター&ウードの坂本君 スパニッシュギターのピンの演奏は、本領発揮であった。次回はもっと聞きたい。ベースのワタル氏 縁の下の力持ち、力強さの中に繊細なフレージングを聞かせてくれた。パーカッションのアジ君 力強いジャンベの演奏といちばんデカイコーラスは会場を包み込んだ。同じくパーカッションの篠原氏 控え目ながらちゃんと存在感のある音をだしていた。そして、若林忠宏氏 シタールでスライドやってみせた。客席である人が「お〜ボルトネック奏法〜」と言ったのが思わずうけた。
 太宰府国博では、サズでライトハンドをやってみせたが次のステージでは、何をやってくれるか楽しみである。

   Maghreb-Windを見に行くのではなく
   Maghreb-Windに参加しにきて欲しい。と言いたくなるライブであった。」
                    ワンナイン・サウンドプロデュース 柳 和人

 福岡で一番古いライブスポットRiver-Sideの六代目マスターも大変誉めて下さいました。
 かくも嬉しく、 想い出深い宵でした。
 忙しい中駆けつけて下さった町内会代表さん、シッカのタイちゃん、メンバーの奥様、彼女連の皆さん、そのお友達。皆さんありがとうございました。
 

次回は更に弾(はじけ)ます。もしかしたら泣かせるかも? 笑わせるかも?
 宜しくお願いします。

 次回のRiver-Sideは5月23日(火)、そしてあのヴードゥーラウンジに6月6日出演決定しました! 請うご期待です。 詳しくはWebチラシ
                 写真はワンナイン・サウンド・プロデュース柳氏より頂戴しました。

   
 4月20日(木) 題名のない音楽会
 

 4月20日、東京三軒茶屋の昭和女子大・人見記念館で公開録画が行われた「題名のない音楽会」にゲスト出演しました。
 「題名のない音楽会」は、1997年にゴダイゴのガンダーラをインド音楽で伴奏した際は、大勢の出演者の一人でしたが、今回は唯一のゲスト。司会のピアニスト羽田さん、番組のレギュラー的存在で今回の民族楽器とオーケストラの編曲を手がけた作曲家の青島さん、指揮者の岩村さんと若林で一番組が繰り広げられました。
 
 「題名のない音楽会」と言えば、 丁度四十年続いている長寿番組です。私が子どもの頃家族と一緒に見る定番番組と言えば、「兼高かおる世界の旅」「ディズニー」「徹子の部屋」とこの「題名のない音楽会」でした。当時は作曲家の黛敏郎さんの司会でした。若林が以前出演した時は武田鉄矢氏の司会で、正式には「新・題名のない音楽会」で今回は正式には「題名のない音楽会21」です。

 3月にお話が有り、ディレクターさんチーフプロデユーサーさんがわざわざ吉祥寺の教室迄打ち合わせに来て下さり、4月に入って編曲の青島さんと六本木で打ち合わせ。オーケストラとは18日に初顔合わせで、つるっと三巡ほど練習して、当日でした。
 当日は、リハーサル、カメリハで本番でしたが、18日の段階では混乱のドタバタ状態で若林の世界、どころか民族音楽以前の状況でしたが、当日はリハからどうにかなって、本番は皆さんが絶賛して下さる仕上がりになりました。

【オーケストラとの共演のトラウマから解放されて】
 若林は今迄に「千回以上に及ぶ演奏経歴で唯一緊張して唯一本番がリハーサルより出来が悪かったのがオーケストラとの唯一の共演の時」とちょこちょこ書いていましたが、今回そのトラウマから解放された事は大きな収穫でした。
 これにはディレクターさんプロデューサーさんの絶妙指導と指揮者岩村 力さんの人間性が大きな助けとなりました。
 18日の段階ではオーケストラとしっくり行った時が全く無かったからしかたありませんが、20日のリハーサルを終えると楽団員皆さんがニコニコ顔。本番直前には私の楽器を眺めに来て、話しかけてくれたり。18日には目が合っても睨み返された外人演奏者さんなどは笑顔の日本語で「が・ん・ば・り・ま・しょ!」と言ってくれたり。
  でも、楽団員さん達との暖かな交流のひと時はトラウマの時の共演でもありました。むしろリハーサルや楽屋、舞台袖で和気あいあいだった分、本番でのクールで団体活動的な雰囲気に打ちのめされたのがトラウマの原点ですから、本番になって見る迄「分からん!」の感じでした。
 それを払拭してくれたのが指揮者岩村さんの柔らかでタイミングの良い音楽的気配りでした。「良い演奏にしよう」という気概を持ち乍らもホスピタリティーの有る指揮振りは、楽団員さん達にも同様で、それぞれの持てる力を引き出す様な姿勢はとても好感が持てました。
 合間合間にも声を掛けてくれて、中央アジア遊牧民の二弦琴で私が大きくテンポを代えてからオーケストラのテンポに上げる所などでは、何度も擦り合わせをしてくれました。
 指揮棒のタイミングが打楽器のバチの動きの様に見てしまう民族音楽演奏家の性?単に西洋クラッシック音楽不慣れ?の問題点に関しては、今迄誰も言ってくれなかった様な明快かつ楽しい答えが返ってきて、凄い人だと感動しました。
 
【持ち替えの可笑しさ】
 今回20分程のメドレーの間に、七地域8楽器を持ち替えましたが、その慌ただしさには自分で可笑しくなってしまいました。
 不思議と悪い緊張は無かったので「もし本番で滑って転んだらみっともないな」とは考えませんでしたが、終わってから思えばそんな慌ただしくも、危険な演奏スタイルでした。

 持ち替えの他に地域が代わり座り位置を移動している間もオーケストラは演奏し続けている。と言いますか、私が移動する間のつなぎ演奏が不可欠なのです。
  ところが今回初めて気付いたのが、そそくさと移動する際にビート感の無いオーケストラの拍数が全く数えられない。ビート感が有れば小躍りしながら移動すれば数えられるでしょうが。西洋クラッシック音楽は動いてしまうと「拍が分からない」という不思議な発見。一見して「飄々とした浮く様なリズム感」と思っていましたが、実は地に足が着いているのでしょうか。

 その他にも、きっかけの音を探そうにも様々な音が同時に鳴っているオーケストラの場合分かりにくい。指揮者の前にお客さんの方を向いて演奏するので、モニター画面を通して指揮を見る。思わず画面に「了解!」のアイコンタクトしてしまったり。リハーサルでは正に合図のタイミングにカメラさんがモニターTVの前をよぎったり。
トラウマの時以上、否数倍も危険きわまりない演奏スタイルでした。


 最もアタフタしたのが、リハーサルで上手から下手に移動して「 はい!じゃあ二つ目のメドレー曲からもう一度」と言われたりした事。楽譜は場所毎にちぎった感じで置いてあって、持ち替え楽器の置き方やマイクの向き、持ち替えたピックの放置場所など全てが進行方向に合わせてあるのを「逆行」するとかなり混乱。倒れたドミノをまた逆側に倒し直す様な感じ? それが何回か来る間に、要注意点を書き留めておく暇がなくなって。思わず可笑しくなって来てしまいました。

 それでも本番前の楽屋での待ち時間。お友達のメールが懐かしい楽しかった演奏会の話しを思い出させてくれて。むしろ得意楽器でちょっとふがいない部分がありましたが、全体的に音楽が出来たのが嬉しかった。
 オーケストラを背にしていたからかもしれませんが、皆さんの励ましで生まれて二度目の共演でトラウマから解放されたばかりか、とても楽しく、勉強になる機会でした。ありがとうございました。

 東京TV朝日のオンエアーは5月28日(日)の午前9:00〜9:30の予定です。
 

   「題名のない音楽会」のURLは、http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/
 4月22日(土)  小倉で沖縄島唄と共演
 
     
 4月23日(日)  LAKATAK 2nd LIVE
 
     
 4月24日(月)  Maghreb-Wind 小倉凱旋LIVE
 
     
 4月25日(火)  祖原Cafe楽屋 アフリカの古いポップス
 
     
 4月28日(金) 高円寺でアラブ音楽
 


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 4月8日(土) 中洲のギタリスト
 

 8日は、急遽一日前に福岡入り。幾つかの重要なミーティングの為で一日掛りで四会合。充実した「コミュニケイション」の日でした。
 
 九州進出の二年目。音楽活動の新学期の始まりか? それとももっと大転換な新たな段階へ進む為の、人生最大の進学試験の始まりか? いろいろな事が更に厳しく問われる二年目の桜の季節。この一年の「コミュニケイション不足」を少しでも補うために、なるべく多くの応援者さんとお会いする事に努めようと渡福しました。
  すると、不思議なことに会えると思っていた人達は都合で会えなくて、直ぐに会って話しをしなくても大丈夫と思っていた人達とばかりに会いましたが、話しをしてみれば微妙な意識の違いもあって。結果として基盤を固める良い機会になった次第です。

 会いたかった方とすれ違ってしまった代わりに、空港から電話すれば若林のインド音楽を応援してくれる方が急遽時間を作ってくれて。直行したライブ会場のネパール・レストランで午後たっぷりと話しが出来ました。
 夕方は、民族音楽センター九州の音楽部門の中心人物、サウンド・プロデユーサー氏、夜は大きな仕事の初対面が流れてしまった代わりに、民族音楽センター九州の底力となりつつあるビジネスマン氏も合流して、二人を引き合わせることが叶い、今迄以上に話しが出来ました。
 
 更にこの日は、深夜になって中洲からお誘いがあって。そこでは、この一年お会いしたいと思っていたギタリスト氏に会えました。
 学生時代に鍛えた腕前は、高度成長〜バブル期に仕事に追われつつも全く衰えず、焼酎で十分過ぎる程酔い乍らも,素晴らしく奇麗な音を奏でたのには勇気づけられました。

   
 4月10日(月) 福岡でシタールのお弟子さんが
 

 4月10日の大橋CUBEをお借りして続けている福岡教室のレッスンに、福岡でのインド弦楽器シタールの一番弟子が加わりました。
 早速一番弟子!とは持ち上げ過ぎ、と言われそうですが、春休みの短いインド旅行もあってやっと最初のレッスンとなったS君とは、彼女の方が先に太鼓タブラに入門していた事もあって既に数ヶ月前からのおつき合い。既に互いに気心が知れた感じです。

 二人して福岡のライブにはちょくちょく顔を出してくれて。と言うよりも何時も「昨日の今日」のタイミングなのに西の祖原から真ん中の親不孝通りと、あちこち前日に言われても都合をつけて来てくれていました。

 肝心のシタール演奏の方は、右手も左手もかなり直す必要が有って、その分、リズムに腰が無く地に足がついていない感じ。やっぱりインド人の先生は手の教え方はアバウト、を改めて目の当たりにしました。
  でもS君は、インド音楽はインドに行けば本物が習えると思ったり、日本に居る間しかたなしに私に習う訳じゃない様子。素直さ謙虚さは十分。感性も非凡なものを感じさせます。徐々に直し乍ら必ずや克服してくれるに違いない。
  頑張ってもらいたいです。

 

 

 

【スカッと爽やか! マグレブ男の新バンド】

 若林は民族音楽以外にも大学時代からロック、ブルースのバンドを結成して来ましたが、ジンクスなどというレベルを超えて、宿命的なとさえ感じるのが東京で結成するのに殆どのバンドのベーシストが福岡県人だった事です。
  4月11日デビューのMaghreb-Windもしかり。と言うより若林以外が福岡生まれや福岡育ちですから当たり前ですが............。それでもMaghreb-Windの誕生のきっかけはやっぱりベーシスト。若林は、福岡人ベーシストに惚れっぽいのでしょうか? 福岡人ベーシストが若林に惚れ易いのでしょうか?????

 Maghreb-Windは、世界各地の民族音楽楽団やラテン楽団も加えた今迄のバンドと、あらゆる所でかなり違いました。
  メンバーの大半が入り時間に既にセッティングが終わっている意気込みしかり、深夜帰宅の仕事柄にも関わらず事前連絡や演奏後の連絡、感想メールもマメ。共に音楽をやれる事への感謝の気持や、音楽的な自己反省点、音楽的な収穫をしっかり述べる態度も嬉しく思います。
 
  音楽に対する意気込みの違い? 文化性の違い? 非音楽的な部分の気遣いが少なくて済むのは助かります。しかも、若林や他のメンバーにはちゃんと気を遣ってくれる。でも音楽が始まればやるべきところでやるべき事はしっかりやる。なかなか真摯な良きメンバーです。
 やはりそういう部分全てにしっかりしている人は音楽も頼もしい。
 民族音楽センター九州本部長ワンナインStudioの柳さんが一部後の休憩時間に、側に行くなり「良いメンバー揃えましたネ!」と自身も嬉しそうに言ってくれた時、このバンドの有り難さ、そして明るい将来を確信しました。

 こうなってくると、更にその先に欲が出てしまう。本気にさせたネ!って感じです。
 4月11日のライブの全てに渡って諸手を上げて「最高だった!」という訳でもないので、そんなところが二回目に少しでも良くなっていて欲しいと思ってしまいます。

 例えば、如何にノッたとは言っても、今迄やって来た音楽性とその手法の中での事。自らの新たな音楽的側面との予期せぬ出会いに驚愕した様子という程ではありません。
 ギターもベースもインド音楽やアラブ音楽の旋法理論の厳しさから見たらスケールの解釈や堅持が甘い。テンション鳴らすならその前後のつじつまも欲しい。4月11日の段階では
  パーカッションも「待ち」や「応え」で気を遣い過ぎる。ひとつの楽器に執着し過ぎて「役割分担」ぽくなっている時があった。
  半信半疑でついついノッてしまった。という部分もあったかもしれませんが、全体的にやっぱりこじんまりとまとめる日本のプロの悪い風習も感じられました。ノッたら意外に一本調子で音量が上がって行くのみ。これは日本人の祭り音楽の悪い癖? シタールもウードも掻きむしって弾くしかなかった。

 その意味では、今迄の演奏を越えたインスピレーションでプレイしたのは若林と篠原君だったかもしれません。
  篠原君は仕事経験が少ない分、怖いもの知らず的に楽しめたのでしょう。良い意味で感性でどんどん音が変わって音楽に面白い変化を与えていた。かと言ってそれで彼が感性豊かと言うのは安直過ぎる。勿論若林はむちゃむちゃ買ってますが。今のままじゃ子どもが時々天才、みたいな言葉を発するのと同じ。アジ君達の様に仕事的に「大人」に成っても出せる様なものかどうかは未知数。
 ああ見えても若林は盛り上がっている中で、このバンドでは何が出来るが何が出来ないかを考え乍らプレイしていました。ほぼ全員がリハで予告して注意した部分さえも本番で盛り上がって忘れていた感じもあって、甘さも一杯ある感じです。
 若林自身は、トラッドなフレイズを次々リフとして提示し、そのイメージが定着した後、それに自らの音を重ねる、もうひとつの先行バンドLAKATAKでも試した手法を一人でやることに成功。また、メンバーがどんな音・リズムをプレイしてもそれから即座にリンクしたトラッド・パターンで全員をひとつのつじつまに合わせる事も出来ました。
  アジ君が自分のブログで「ギニアのトラッド・パターンを叩いたら見事にそれに音楽を付けて来て」と書いてくれた部分もそのひとつ。
 ただ、音が無くなる部分。スピードが変わる部分も欲しかった。その時にも音楽が続いている感じは仕掛けても通じなかった。これはリハで決めてはやりたくない...............。

 なんて欲が次々出て来た場合。メンバーが何処迄ついて来れるかは心配もあります。
いつの間にかバンドが教室になってしまっても困るし。逆にふてくされたり居直られても困るし。
 でも、若林の演奏に触発され乍らも個々のミュージシャンとしてのナルシズムと聴衆へのメッセージを持っている頼もしい面々に違いないと思っています。 かなり期待しています。

 だから、お客さんも「楽しむ」ばかりじゃなくて、彼らのそんな所を見逃さない気構えで「ノッて」欲しいです。今迄演った事が無い様な技を見せた時とかにフレーズの最中に(弾き終わったとこじゃなくて)喝采が起る様になって欲しいです。

 

注釈:「Maghreb」とはアラビヤ語で「日の沈む処」アラブ文化圏ではチュニジア以西、アルジェリア、モロッコ方面を言います。日本では当然九州北部。
 4月12日(水) 大将と出会って一年目!
 

 昨年の4月11日に始めて連れて行って貰った日本料理店の感動から、早一年。
 今年の11日はお店の定休日に重なったので12日にお邪魔しました。

 私が「スローミュージックで行こう(岩波書店)」 にもその言葉を書かせて貰っている大将は、職人肌と暖かさを併せ持つスケールの大きな人物。
  この一年、料理と笑顔と一言から貰ったものは、機会ある毎に書かせて貰っていますが、未だに筆舌に尽くせません。きっとずっと尽くし切れないから、その想いを音に込めるしかないのでしょう。

【大将と奥様の御陰で】
 
その意味では11日の中洲ジャズ喫茶でのライブは、ここ数ヶ月力一杯励まして貰った御陰で弾けた(はじけた)一日でした。
  そこそこのキャリアを誇る演奏家としてほんとに数年振りに味わった、音と音、気持と気持が互いに反響したり共鳴しあって増幅して行く感じに衒う事もなく、サーフィンの様な心地良さ。
 面白かったのが、メンバーとその奥さん、彼女、友人を囲んでのお疲れさんの乾杯の時。口々に「良かった!」と言う中で、若林と同世代でキャリアも豊富なベーシトと若林がほぼ同時に「長年やってきたけど、何年かに一回こんなライブが有るものだから、。ついつい音楽続けちゃうんだよネ」と言いました。これには一同大爆笑。
 どんな演奏の後でもビールの乾杯は嬉しいものですが、その時はまた格別でした。

 メンバーにビールを振る舞ってバンマス気分満腹。そんな若林にマスターが手渡してくれたのが「途中でお帰りに成ったお客さんから『演奏の後に』と」絶妙なタイミングで渡された冷えたビール。
 町内会代表を兼ねて、忙しいスケジュールの合間に聴きに来て下さった大将の奥様からでした。 思う存分演奏し、お客さんと一杯掛け合い出来たそのひと時を見て貰えてホントに良かった。「学芸会に来てもらった」感じです。

 などと言うと甘ったれ気分みたいですが、桁外れの筈かしやがりの私は、学芸会が大嫌いでした。人の紹介で有名幼稚園の面接に行き、お遊戯をやらされて『二度と来ない』と言って入園出来なかった時から、真性の出たながり。それが人前で下向いて楽器を引く様になり、民族音楽はやっぱり『歌』だ!と思って少しずつ顔を上げて歌う様になって、いつの間にかノリノリで演奏する様になった頃には、学芸会が無い年齢になっていました。だから、励まして貰った分育てて貰った分が音に出たのを見て貰う時「学芸会」を思い出します。

【季節が巡って】
 その日のお料理は、懐かしさと有り難さが一杯。
 一年前に感激した筍の形の器に入った筍。 筍が繊細に細く切られた筍ご飯。
竹に旬と書くくらいですから、今年は本当は間に合わなかった筈の想い出の料理。
 ぷりぷりの穴子には思わず「わあ!べっぴんさん」と声を上げてしまいました。
お刺身も美味しく。お醤油を代えて食べ比べ。お吸い物も懐かしく。ああ、今思い出しても、頬が....................。

 昨年末に町内会の皆さんも交えて楽しい宴を過ごさせて頂いて以後、緊張がだいぶほぐれたカウンター席でしたが、一年目の節目を意識したのでしょうか、初めの時と同じ位緊張しました。それを一品ずつほぐしてくれるところが嬉しい。
 初めて連れて来て貰った時「こんな高級なお店もう来れないだろうな」とは不思議に思いませんでした。
 リピーターが凄く多いお店です。再び来たくなる本物の味。再び来る為に日々精進する。そして再び来れた喜びを満喫する。そんな想いもありました。
 親しくさせて頂く中で、貰った励みや学んだ事で自分がどれほど成長したかを知る為もありました。
 でも初めて来た時に「また必ず来る」と感じたのは、他にも沢山の理由が有る様な気がします。

 大将!奥様! いつも素敵な料理をありがとうございます。
そしていつも力強く励まして下さってありがとうございます。
今度福岡に行く時には、野菜の話し、故郷の話しなど沢山聞かせて下さい。
たまには不肖の弟に何処かでお返しで一杯! 宜しくお願いします。

 
 

   

 4月15日(土) 吉祥寺の教室で
 

 先日の日記にも書きましたが、不思議なことに九州や名古屋、福島が盛り上がると東京の仕事も本格的なものが増え、吉祥寺の教室もやる気を出してくれて、ほんとに有り難い時代になりました。
 特にこのひと月は、10年選手からつい最近入門した生徒さんまでが、レッスン時間の前後一時間以上も都合をつけてくれて楽器室の楽器の発送を手伝ってくれています。
 運送費が不足すれば「何か売り物楽器買いましょうか?」と言ってくれたり、半年も先迄前納お月謝を納めてくれたり。みんなの優しさ暖かさに触れて感涙寸前です。
 
 土曜のクラスは、夕方にギリシア、トルコ弦楽器を挟んで前後がインド音楽。
スローミュージックで行こうに書きました「のんびりクラス」はすっかり上手になっちゃって。最近は「類似旋法の理解」と理論的な事もあって、しばしば上級生と合同練習までしています。
 そう言えば今日の合同練習は可笑しかった。
 元のんびりクラスのメンバーのKちゃんがロックバンドのツアー、O氏がイギリス出張でお休みだったので、Tさんは上級に合流。その中のあるレッスンの突然の質疑応答が面白かった。

【 インド音楽のフレーズからの発想力のテスト】
 
インド音楽は「習うフレーズ」から旋法ラーガの理論に則り乍らも自作のフレーズを即座に発想する力が求められます。そんな話しの流れから、若林が突然「しょっぱいものと言えば?」と端から答えさせます。
すると「醤油」「梅干し」「???」「塩」の答えが。リズムに乗せてポンポンと答えなくては音楽に応用出来ない。二巡目には「甘いものと言えば?」すると「ケーキ」「???」「???」「砂糖」このぐるりの輪の最後に居た男性がとっても可笑しい。この後にもなんだか妙な発想のおかしなことを言いました。
 このレッスンでは、とっさの質問に対して素材と料理と調味料をごちゃ混ぜに発想するか、それとも統一された基準で発想するか?それによって即興演奏も大きく変わって来る、がテーマでした。
 でも、その男性があまりの意外な一面だったので、皆大笑い。共に10年、15年一緒に学び乍ら初めて知った面白さ。そこで話しは旋法ラーガの理解と表現のテーマへ。
 私たちインド音楽演奏家は「ラーガの紹介者」でもあります。ラーガによっては知れば知る程紹介が楽になる素直なラーガも有れば、知ればしる程分からなく成るひねくれたラーガもある。多面的なラーガは段階的に理解しないと訳が分からなく成る。そんな時に理解の尺度を持っているかどうか? 感覚ばかりに頼っていると駄目。そんな時、面白かった彼の様に一貫して「調味料」で貫くなどの感覚が結構役にたったりします。

   
 4月22日(土) 能古島の感動の出会い1 【前編】
 

 4月22日(土)は、早朝吉祥寺を出て羽田から福岡空港、その足で博多駅から新幹線で小倉に向かい、野外ライブの後、GWに小倉駅の反対側えいむスクエアーで行われる民族楽器展示会の現場下見を済ませ、急遽福岡市の西、博多湾に浮かぶ「能古島(のこのしま)」へ初めて行って来ました。
 福岡の放送局のディレクターさんで2005年夏からずっと応援してくれている方に能古島在住の陶芸、書家の荒尾記史朗さんを紹介して貰う為です。

 能古島は毎月月末にライブをしている西新・祖原よりも更に西、地下鉄が地上に現れる姪浜からしばらく行った渡船場からフェリーで10数分東京の感覚から言ったらもの凄く近いところにあります。
 それでも 少しでも早く島に着く為に小倉から走りっぱなし。ところが、前の晩に棚の上の楽器の出し入れをしていて乗っていた椅子が分解し足の親指を何かに挟んだか、強打したか。痛くて履けない程腫れてしまっていたのを無理矢理靴に押し込んだので、何時ものスピードが出せなくて歯がゆい思いでした。
 足の痛みに加えて悪天候の飛行機酔い、船はさらに苦手。憧れの島で荒尾さんに会う頃にはヘロヘロになっていそうな予感でした。それを救ってくれたのが、大親友の「良かったね!凄いネ!」のメールと大分の山から来た楽しい一陣でした。

【大分日田の幻のグループサウンズ!?】
 希望と気合いで渡船場に着くと、海で日焼したのか良い感じのおじさん達の一陣が、夕方だというのに既に酔っぱらって喫煙場所にたむろしていました。
 切符売り場などを訊いてフェリーを待つと、屈託のない笑顔で話しかけて来てくれて。「そりゃギターかい?」「あんたプロかね?」

 船の中でも話しを聞けば、日田の山で農業を営むご近所五家族の合同家族旅行でした。てっきり島の人かと思えば、海の無い大分の盆地からわざわざ来たのでした。折角来たのに博多湾はあいにくの雨。でもおじさん達は至って上機嫌。「焼酎はアルコール性健忘症の常備薬」とか可笑しな事を言い乍ら、楽しい話しの御陰で船酔いも無く、足の痛みも一時忘れさせてくれました。


 日田と言えば、若林がいつも暖かく迎えられている大分耶馬渓の山を越えた所。
  若林の演奏に何時も駆けつけてくれ「アフガニスタンの詩」に加えて近々出ます「有機音楽共同購入組合カタログ」のCD録音も担当してくれたコーゾーさんみかさん一家も日田の人。だからもの凄く親近感が有って。昨年晩夏の大雨は如何でしたか?と話しかけますと、おじさん達は大喜びで楽しい話しをしてくれました。

 感動したのが日田の幻のグループサウンズの話し。
 子どもの頃から野山を共に駆け回ったご近所の幼なじみ五人衆。途中で都会に出てまた戻って来た人も居ました。 ここ十数年は何時も一緒で、畑仕事が終われば集まって焼酎。十年ほど前に「俺らも何か新しい事にチャレンジしなきゃあかんばい!」と誰かが言って「よしギターを勉強しよう!」と早速質屋さんで中古ギターを五本買い揃え定番の「禁じられた遊び」をああでもない、こうでもないと弾き始めたそうです。

 ところが、練習の度に焼酎で心地よくなってしまうので、一向に上達しない。「おい!だれか早く上手になって歌の伴奏でもせんかい!」と口々に言っても全員がへべれけ。「そのギターは今どうしてるんですか?」と訊けば「階段の下で埃冠っとるばい」。練習の時くらい焼酎を「禁じて」いれば良かったのでしょうが、おじさんバンドの夢は敢えなく挫折した様です。
 それでも「みんなで何かやろう!」という心意気には感動させられました。
ギターの音は響かなかった様ですが、笑顔と笑い声の五重奏は絶えない感じの楽しい仲間達。
  今回の旅行も、焼酎代から少しずつ積み立てて来たそうで、とっても心暖まる出会いでした。

【波止場の二人】

 島の渡船場についてディレクターさんにメールをすると。「もう飲んどりますけん」って。そうじゃなくて道順は? と聞けば。「迎えの車が行きます。特徴は?」と訊くので「ギターバッグ背負ってます」と。
 
 その頃に日田の五重奏団&ファミリーは送迎ワゴンが来て「じゃあ!また何処かで!」と。 ところが一度出掛かった車が直ぐに止まって。「ほんとに迎えが来るのか?」「大丈夫か?」「俺らの車に乗れば?」 「なんなら同じ宿に泊まれば?」と、日焼けの笑顔が次々窓から飛び出して言ってくれます。

 外周12kmの小島ですから海沿いの道はお互いが手を振るのが見えるうちにカーブして、楽しいおじさん達との出会いはあっと言う間に想い出に変わりました。

 ところがその五分後 。波止場の建物からおじさんの一人が酔っぱらって出て来て、互いの顔を見るなり互いで「あれっ!」
 なんとおじさん一人、トイレに入っている間に置いてきぼり。

  私の事をあんなに心配してくれている間に、なんで誰も気付かないのでしょう?
  奥さんさえもが旦那さん置いて行っちゃって!!!
 
 ワゴンが小さいので二往復したらしく。誰がどの便に乗ったか分からなくなったんだろうと言い乍らも「みんな冷てえなあ」「車はどっちに行った?」とおじさんは歩き出す。
「旅館の名前は?」「幹事任せで覚えとらんばい」「僕の迎えの車を待てば?」
「いやいや酔い覚ましに歩くけん」と気持良さそうに海辺の道を歩いて行きました。

 「お〜い! おじさん!もっとこっち歩かないと海に落ちるよ!」「大丈夫、大丈夫!」

 波止場は完全に静寂となりましたが、その後10分経っても20分経っても車が来ない。とっくに島の反対側からでも着きそうな時間です。焼酎飲んでて忘れたか?とか、
もしかしたら慌てて乗ったフェリーが間違いで違う島に来たのでは?
 思えば日本人とは日田のおじさんとしか話してない! 
などなど不安に成って来て「目印は?って言ったって他に誰もおらんとよ! 犬も猫もおらん!」「韓国来たかも!?」とメールすれば、「迎えの車は酒屋さん。今配達中だから待っとき!」「まったく東京の田舎もんはオロオロばしよって」

 やっと車が来て乗り込めば、5分もしないで荒尾さん宅に着くと言われます。
 ところが途中でおいてきぼりおじさんと再会。

 おじさん宿が分からずに、また波止場に戻る所でした。
  おじさんを車に乗せて宿まで送って。宿に着けばワゴン車がありました。かれこれ30分。未だに捜索隊が出ていない! あの酔い方でしたら用足しのつもりがまだまだ寒い博多湾にドボンも有ったかも! 
  なのに、きっとみんな温泉か焼酎に気持よくドボンしてたに違いない。

 荒尾さんに一分でも早くお会いして、一分でも長くお話したいと思っていたのですが、思いがけず島ののんびりとした感覚に浸り、九州の人の桁外れのおおらかさを満喫する事となりました。 
 思えば、それが良かった様な。オーディション気分も、打ち合わせ気分も何処かに行き。遊びに来た感覚で、荒尾さんのお宅の暖簾をくぐったのです。


   
 4月22日(土) 能古島の感動の出会い2 【後編】
 

 荒尾さん宅は、若林の母の生家を思い出させる様な小さな庭園に苔が美しい古い民家。お店じゃありませんから「暖簾をくぐる」も変ですが、「サン・ネン・ドウ」と称されるその家の玄関には麻?の布に草木染めで荒尾さんならではの豪快な筆で「散鯰堂」の文字がありました。

  「ごめんくださ〜い」と玄関を入ると。
「いらっしゃ〜い」とディレクターさんの声。「ここんちの人かい?」って感じで可笑しかったですが、直ぐに沢山の人がお出迎え下さって。でも荒尾さんらしき人は見えない。
 私の思い込みでは書道家さんは白髪頭を後ろで縛り、仙人の様な髭を生やし.........。

 思わず「何方が記史朗さん?」と失礼な質問をしてしまいました。
 一番ニコニコで、若林より断然若い感じのハンサムさんが荒尾記史朗さんで、びっくり。
 それだけでも失礼なのにバリ島以来の参謀さんを「じゃあこちらはお父様?」って。お話してみれば参謀さんも全然お若くて........。全く勘が鈍った状態でした。

 両膝着いてご挨拶して、自己紹介をして、能古島でのイベントの案を訊いて頂き。
そんな心つもりが、勘を鈍らせたのかもしれません。
  奈良から数年振りのお友達も来ていたタイミングも良かったのでしょうけれど、大きなテーブルには男の手料理、酒のつまみがドサッと並んで、まあ座れや、まあ飲めや。あれよあれよとビールを数杯。
  するとディレクターさんが「じゃあ一曲やれや」「拍手!!」

 もてなしを受ければ受ける程演奏の段になって気を使い過ぎる悪い癖は、不思議なことにすっ飛んで、 春の花見の時には七十人集まったと言う素敵な空間でゆったりと音を出し、ゆっくりと歌い始めました。
  部屋の隅々の不思議な気を発している箇所を確かめ、それに向かって自己紹介をする様な感じでしたから、主さんとお客さんに対しては失礼でしたが、その家が迎えてくれた感触はしっかり掴みました。だから「きっとここにまた来て演奏出来る」と勝手に自分でオーディション合格にしてしまった感じです。
 
 記史朗さんは次々に色んな部屋に行ってヴェトナムの打楽器やアフリカの木琴などを持って来て「これも演奏してみて!」と。バチがないので竹の棒で叩いたので音がちいさかったのですが、それもまた新鮮な気分で入り込んで弾き、ふと顔を上げるとみんなのニコニコ顔。

 「若林君にこれ上げるワ!」と下さったのが私も持ってない、それどころか図鑑でも見たことが無い不思議なヴェトナム打楽器。
 でも、もっと不思議だったのが、記史朗さんは「読心術」を心得ている???
 想う事全て直ぐに言ってくれるのです。
 「その楽器へんてこやけど、かざしてみると火焔太鼓みたいやろ! 裏側ぐるりと穴をほがしてあるとこが凄いやろ? そんな工夫で音を良くしてるんたい」

 「読心術」はその後も続きました。
と言うより記史朗さんが話す事全て。福岡の文化、土地柄、バリ島の変貌振り、無くしてはならない文化、日本人と芸術観、その中で気張る想い、悟った事。それら全てがこの数ヶ月私が考えて来た事ばかり。ばらばらなテーマがオンパレードしながら、何かで繋がっている様が全く同じ感じ。

 元々かなり似た人間?なんて言ったら失礼かもしれませんが、ひとつの言葉で思い浮かべる言葉や、駄洒落迄がそっくり。そんな人に出会ったのは生涯で二人目。

  「ほがしてあるってどういう言葉ですか?」「穴をあけてあるたい」の直後に私が思い浮かべた情景が「ほら子どもが障子を指で舐めて覗き穴を............」と記史朗さんの口から発せられる。

 途中で奈良のお友達が「博多の屋台に行く!」と出る時はみんなでアフリカ風?音楽で玄関までお見送り。踊って歌って。送られた人も踊り乍ら。「散鯰堂」は何時もこんな感じなのでしょうか。とにかく暖かくて愉快。

 
 楽しいひと時はあっと言う間に過ぎて、最終のフェリーの時間になってしまいました。
  よくよく考えてみれば、自分の意見や、イベントやコラボレイションの話しは殆どしていない様な。でも、記史朗さんには伝わっていたのかもしれません。
 
  一日置いてお電話したら、ニコニコの声で、バリに行く前に色々打ち合わせをしようと言って下さりました。

【偶然を必然に替える魔術師?】

 福岡の大親友には、昨年春、夏に色々な場所を案内して貰いました。
 不思議な事に、その時「ここで演奏出来たら良いネ」と思ったり、親友に言って貰った所での演奏が次々に実現します。

 一番良く通った道に在る九州エネルギー館では昨年秋に演奏。ゆったりとした空間の中で夢を語ったリバレインは今年3月。天満宮に連れて行って貰った頃は、まだ建設中でしたが、その後しばしば話題に出ていた国立九州博物館でも今年2月に演奏。
  生まれて初めて中洲に連れて行ってくれたのもその親友。中洲での演奏の夢は、4月に福岡最老舗ジャズ・スポット出演でも果たせました。ワインを飲み乍ら芸術論を交わしたパスタ屋さんの側の有名なライブハウスVoodoo-Loungeには6月6日の出演が決まりました。

 祖原のCafe楽屋の定期ライブが決まった報告をした時には「とっくに車で通った」と。その時に楽屋さんの隣の昔ながらの楽器屋さんを見て私が喜んで居たと。
 荒尾さんに会いに能古島に行くと報告すると「とっくに荒尾さんの書を見てる筈」と。その書の前でお友達に私と先輩の誕生会をして貰っていた、と。

 
 沢山の事を教えてくれて、気付かせてくれた大切な親友ですが、不思議なデジャヴ現象と共に出会ったからか、楽しい会話の中に柔らかな予感が感じられる事が有り、それが面白い様に現実になって行きます。「偶然を必然」に替えてしまう不思議な魔力の持ち主に思えます。


 「運命的」とか「劇的」と言ってもおかしくない人や場所との出会いが、不思議と自分らしい自然体で接しながら深まって行く事の連なり。それが一年続けばある意味で日常的。
 「タイミングが良かった」と言われてしまうかもしれませんが、それとは似てて異なるもの。 生き方の意識と実際の行動と状況を感じ取る感覚の三つがバランス良く自然に一体と成っている時に生じる自然な流れなのでは、と思います。

 長年そのバランスが悪いのに力んで頑張って来ました。でもそんな時代に蓄えた基礎力や経験から学んだ判断力。失敗から学んだ「無理しない」動き方。それらの蓄えた力で流れに身を任すという心地良い感覚です。これこそ「偶然が必然に替わる」不思議な感覚に違いありません。

  能古島は去年の春からずっと「是非行こう!」と言っていた場所。
 それが能古島の前日にディレクターさんに「題名のない音楽会」のご報告をして急遽決まったお引き合わせ。でなければ荒尾さんのバリ行きに間に合わなかった。
 元気印のディレクターさんも「思い立ったら吉日」の嬉しい感覚の方。ありがとうございました。

 能古島は、私にとっては「片思いの島」ではない感じです。みんなで楽しく思い描いていれば演奏会もきっと実現することでしょう。

  楽しく思い描いて夢を実現する。親友の御陰で体感出来た不思議な感覚。

「偶然を必然に替える」という言葉を記史朗さんも言いました。
  その時私は、確かな繋がりを感じました。


   

 4月23日(日) 梅の種を喰らうは九州人?
 

 4月23日(日)福岡市の繁華街のひとつ「親不孝通り」のライブハウスgrafで行われた、民族音楽コラージュ楽団LAKATAKの2ndーLIVEその後の「反省会&打ち上げ」にはゲストメンバーのAji君と彼女、サポートブレインのI氏も参加してくれて、とても楽しいひと時になりました。
 若林の音楽観を高く評価してくれてもの凄く嬉しいリアクションをくれるグループの中心的な四人 連ねていましたから、ライブ後のビールも旨味が増し、饒舌度も何時にも増して、語りに語り、みんなで笑いに笑い。

 その中で一番たくさん笑ったのが「梅干し喰らうは九州人」の話し。
 ゲストのAji君の翌日のブログでも話題になって、お友達の書き込みも一杯有ってなんだかんだのやんややんや。

 事の発端は、シュールな音楽観で若林も一目置く若林の音楽的サポートブレインのI氏
との音楽談義。
W「歯を使って良く咬むということは健康にも良いだけではなく、頭に良い刺激が与えられて思考能力も冴えると言うじゃないですか!」
I氏「うんうん!」W「だからプリンみたいなものばかり喰らってちゃいかんのですヨ」
Aji君「ほ〜〜(ん?なんの話しじゃ?の表情)! 」篠原君、目を輝かせて聞き入る。たぶんAji君以上に通じて無いのに話しのオーラを感じ取って嬉しがる不思議な青年。
I氏(若者の表情を見て取って)「 いや、だから音楽も同じって話しだヨ!」「プリンみたいな柔らか音楽ばかり聞いてちゃ頭も鈍るというもんたい!」
Aji君「お〜!!!そこに行くんですか?」
W「ラカタクの音楽も今日のライブの様にみんながまとめに入ったナという時はぶっ壊しもありかな?と。でも事前にそれがレクチャーされてないとみんながナーバスになるかも、と思って今日はしなかった。でも考えてみれば九州人!梅干しの種割って中迄喰らう根性が音楽に出ていれば大丈夫な筈」
Aji君「え〜!!!何の話しですかぁ????」

 若林はAji君が山口県出身と知っていたので、そこで全員にアンケート。
梅干しの種の中を食べた事がある人手を挙げて!
 すると本州人の若林とAji君以外全員が「は〜い!」
若林も九州に来て初めてその中が食べれると知ったクチです。

 食も音楽も全く同じ。
 甘くて柔な物や流行の辛いものばかり食べずに、しょっぱいもの、苦いもの、 すっぱいものなど色々食べて、堅い物も。出来ればその土地の旬のものを。
 LAKATAKはそんな土の香りのする民族音楽を、民族色濃厚な九州人メンバーの個性を引き出して土地の感性で消化、昇華させて、堅い柔らかい、苦い、すっぱい取り混ぜた音楽を演奏して聴き手のブレインを刺激するのだ!と。

   
 4月25日(火) 梅種話の新説
 

 4月25日の西新・祖原のCafe楽屋さんでの「飲み会ライブ」は、当初のコンセプトが実現して楽しいひと時になりました。
 昨年のキューバ音楽の時には、大好きな大先輩がお友達を沢山連れて来てくれて。会場がひとつになる盛り上がりでしたが、その後の毎月のライブは演奏会ムードになりがちでした。
 今回は、初めてのお客さんが多く、しかも緊張の面持ちでしたし、ソフトドリンクを注文されたので尚の事「飲み会ライブ」から遠くなった感じで始まったのですが、へそ曲がりなのか、逆境こそ強い若林はむしろそんな雰囲気からじわじわと「飲み会ライブ」へ。するとソフトドリンクのお客さんも「じゃあ飲もうか?」と。

 ライブタイムの後半にはすっかりひとつになり、次々に楽しい会話と音楽が。
 元祖「飲み会ライブ」の吉祥寺ブルムーンでのライブは、お店が広い事も有って、演奏はお客さんも聞くけれど会話はお仲間とだけでした。なので会話は仲間が居酒屋に集まった感じに自然に盛り上がります。
 それが祖原の場合は、お店の大きさ、客席の向きなどもあってお客さんがなかなか乗って来ない雰囲気で、ついつい「若林忠宏トーク&ライブ」になっていました。
 一説には「お店のオーラ」「雰囲気」が原因と言ったお客さんも居たのですが、若林は初めて行った時にお店も、スタッフも好きになっていたので、「そんな筈は無い」と思っていました。それが今回証明出来てとっても嬉しかった。

 むしろ吉祥寺ライブより前進したと言えるのが初対面のお客さんも会話に巻き込み、語ってもらう事が出来た事。
 大橋の教室の名物娘さんのお友達が明るかったこともありますが。
 先日の親不孝通りライブ後の「反省会&打ち上げ」で初めてやりました「アンケート方式」に加えて「貴方はどう思います?」と切り出すその雰囲気に新しいスタイルを発見。それが吉と出て良い感じでひとつの雰囲気になりました。

 昨年夏からの若林のライブにほぼ全回来てくれている常連さんは、Cafe楽屋さん開店の頃からの常連さんとのこと。何時もは「じっと音楽を楽しむ」感じで、お声を掛けるのをためらっていましたので今回初めてお話を伺えました。
 八年前江島さんの代になって新規開店の頃、直ぐ近くの高校生だったというOさんは、誰が見ても真面目そうな人。その人が「若林さんは何処かの不思議な宗教の神様みたい」と意外な事を言って、「やっぱり一般人じゃないんだ!」と同じく寡黙な江島さん、篠原君達も大爆笑。「いや中々感性豊かで、音楽に対してもしっかりとした審美観をお持ちの」と江島さんも一目置く面白い方。
 江島さんも良くご存知のベーシストのワタルさんの「子豚」のシリトリの話しでも盛り上がり「やはり音楽はその人の性格を表しますね」のテーマが生まれました。
 
 でも、若林の場合、音楽的に裏表が無い人が集まって来る感じ。日頃は色々使い分けて暮らしていても、少なくとも若林の前では、素の自分で接してくれている感じです。 メンバーの場合もお客さんの場合も。演奏しない人も含めて。
  音楽(芸術)=人柄や生き様だったり、価値観やロマンだったり。でも、その分頑固だったり、こだわりが有ったりします。
 不思議なことにその頑固さやこだわりの種類で共通するから集うのではなくて、そんな風な我が儘同士が異なるこだわりを持ったまま「同類だネ」で仲良くなる感じです。それは、むしろ同じ価値観、志向の「同好会」よりも濃い。
 何故なら真っ先に人柄、生き方の存在感が有っての集いですから。繋がりが濃い。想いがやや重い。
 逆にネットなどの同好の集いの掲示板を見ていますと、情報と好みばかりで「想い」が伝わって来ない。情報から連鎖した考えやその取り込み方について、そこから新たに生まれた想いや感性のユニークさが伝わって来ない。早い話しが人柄、顔、存在感が伝わって来ない。
 そんなものを出したら、繋がりが壊れてしまうと思うのか、もともとそこ迄求めず、感じず、考えない人達なのか? それは奥底にしまってあるのか?
 少なくとも若林のファンになってくれた人は、しまって置かずに出してくれる人ばかりです。

 そんな中、先日来話題の「梅干しの種迄喰らう九州人」のアンケートを取りましたら、やはり九州人の全員が「食べる!」と挙手をしました。
 すると 楽屋のスタッフのトオル君が若林のロマンを打ち消す様な科学的定説を言いました。
 若林のロマンとは、堅い種の中まで見てやろう!という九州人の探究心の強さ?もしくは大陸伝来の知恵が豊富? 全部食べるというマクロビオティックの先進国? もしくは伝統を守り続けている? だから九州では民族音楽がより理想的に根付くに違いない!
 ところがトオル君の定説は、
 九州は温暖だから種まで食べてしまっても作物が豊富。本州でそれをやったら作物不足になるから「神様が住む禁断の種」と戒めたのである、と。

 でも、そんなトオル君が若林のアフリカ古ポップスを聞いた感想を述べてくれました。
 「ケニヤなどに行った時の言葉で言い表せない独特な心地良く、懐かしい雰囲気が見事に現れていました。若林さんのアフリカ音楽は現地のそれそのもの!」と。

 江島さんトオルさん。Oさんやお客さんのみなさん。面白いお客さんを連れて来てくれた小山君、四連ちゃんお疲れさまの篠原君
 楽しいひと時、励ましの言葉。 ありがとうございます。

   

 4月29日(土) ありがとう!
 

【新しい事を始める元気】
 4月の中頃に応援者の一人がとっても素敵な話しをしてくれて、とても励まされました。その事は、一度日記に「励まされます。ありがとう」と書いたのですが、編集している内に何処かで消してしまったらしく。 ここでもう一回お礼を言いたいと思います。
 
思えば、私の民族音楽教室も「何か新しい事を始めよう!」という気持を満たし乍ら、色々な仕事の人が色々な所から訪れる。その初心の息吹に、こちらも新鮮な気持になり元気になって、を繰り返し乍ら続けて来れた様なところがあります。

   

 

 

 

 

 猫さん達との日々

 
 
 
 

 4月12日(水) お帰り!のハイタッチ
 

 4月12日、何時もの様に九州から数日振りで戻りますと、どうしたことか猫さん達総出で玄関でお出迎え。ほぼ全員が「背伸び〜」のハイタッチで歓迎してくれました。
 親分肌のティナ君は「ナア〜」と言い乍らの「よじ上り」 。オプー父さんは体が重いのでハイタッチはしませんが。プリンやマロン、チャチャ、プジョー、グピ君は何回も何回も。

   
 
 

 

   
 4月19日(火) オプーのハイタッチ!
 

 なんとなんと!今日初めてオプー父さんがハイタッチをしてくれました。
 オプー君はあんなに可愛がっていた愛娘、息子と喧嘩の日々に成ってからリビング入室禁止に成っていて、たまたま他の子が皆リビングでひとりぼっちだったりすると「ワオ〜ン」と文句まじりに甘えて来ますが、ハイタッチは初めて。
 巨漢ですからハイタッチの後「トスン」と音がしました。