diary 2006 August

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 6月〜8月


 音楽活動のご報告

 
 
 
 
 
 
 
 
 8月1日(火) 楽器達の大移動
 

 福岡での怒濤のハードスケジュールの一週間15Stageが明けるや否や、28日(金)に帰郷してから連日徹夜の楽器搬出作業となりました。2500点迄数えてから更に増えている楽器達の三分の二を納めていた楽器室の契約が終わって7月末日迄に明け渡す約束の日が迫ったからです。
 教室の生徒さんにも4月からレッスンの度に手伝ってもらいました。懸案のガムランSetや数台のガラスケースは大分県耶馬渓の皆さんのお陰で、なんとか搬出出来、無事に届いたそうです。大物が移動した後、気が抜けた訳ではないのですが、未整理の小物や造作の解体に時間が掛かり、ラスト数日はかなり過酷でした。
 自宅にも帰れず現場で仮眠して、はライブスポットの内装工事以来10年振り。

 名古屋、福岡、大分の受け入れ先も「ちょっとパンク状態」同じフロアーに教室の一部屋があるのを良い事に、とりあえず廊下に出しましたら、既に6月に消防から書類を貰っていて、8月1日ついに代執行、公共スペースにあるもの全て強制撤去の通達を貰いました。貴重な民族楽器を持って行かれて処分され、その処分費用を請求される瀬戸際でした。
 四面楚歌の状況で、呆然としつつも気持を振り絞って各地にお願いをしましたら、福岡のお弟子さんが数人で福岡倉庫の整理を引き受けてくれて、耶馬渓も家族友人総出で整理してくれると言ってくれました。そして吉祥寺にはウィンドウズの師匠、宮崎人の渡辺君が学生アルバイトさんを連れ立ってレンタカーを駆って自宅との間をピストン輸送。膨大な量の昆虫飼育用具の整理も手伝ってくれて、奇跡的に強制執行を免れました。
 福岡での「民族音楽センター九州一周年記念イベント」を乗り切った自信。そして月末の大引っ越し。膨大な数の楽器を目の当たりにして募る挫折感と焦燥感から振い立たせてくれた九州と吉祥寺の仲間、生徒さん達。ライブスポット時代のがむしゃらとは違う頑張りを出せたのは、親身な応援の力と気持に将来の希望が持てたからです。
 ありがとうございます。


 
やっと峠を越えた段階ですが、頑張ります。
 


 8月2日(水) 30年振りの豊島園!
 

 教室の床で仮眠して、自宅に急いで戻って支度して昼過ぎに真夏日の「としまえん」へ。 吉本興業さんのお仕事でビヤガーデンで「インド古典音楽」を演奏する為です。
 ディレクターさんは若林が信頼を置く、ちょっとユニークながら、かなりのヴィジョンを持つ若いながらも価値観と視座がしっかりとした人物。
 親子連れがサーカスや若手芸人の漫才に集う場所でインド音楽を演奏すると言うならば、極力楽しいアンサンブルで分かり易く、が要求されるかと思えば「一番自分らしい純古典音楽を黙々と」という逆転の発想。
 1970年代初頭、ウッドストックやモンタレーの音楽フェスティヴァルで、数万のヒッピーがたむろす野外ステージで黙々と古典音楽を演奏した、巨匠ラヴィ・シャンカル氏の気分を満喫出来る。昨年の博多湾の「花どんたく」野外ステージの再現も期待して。
 
 インド・カルカッタの夏日を思い出す湿気と熱さに無風の過酷な天気。でも不思議と汗だくではなかったのは、数日の肉体労働で体がワークホリックになっていたからでしょうか。「花どんたく」同様、若干額に汗する程度で、拭う事もなく出来たのが一番の満足でした。
 10年程前、赤城颪が吹き込む極寒の前橋商店街でのイタリア古民謡路上ライブの際、「寒イボ(東京弁で何でしたっけ?)」 ひとつ立てずに歌った,新人演歌歌手さんを見て「プロは寒イボも汗も見せてはイカン!!」と痛感。
  それに少し近づけた様な気がした自己満足です。

 2ステージの合間にディレクターさんと打ち合わせをしている私の元に、 写真の親子が「良かったです」と言いに来てくれて。
 少し夕方の空になり掛かった2ndステージでは、思いがけずにシタール演奏!の表情でステージに近い席に座り直してくれたグループが数組。笑顔と拍手を沢山くれました。

 8月3日(木) 藤沢でマレーシア
 

 「マレーシアってやっぱり何だか不思議」とちょっと驚きの数日間です。
 昨年の7月10日の日記に「マレーシア続きにびっくり!」と書きました。
 大阪でマレーシアにホテルを建設する企業のパーティーで演奏し、藤沢工業高校のマレーシア修学旅行の説明会で演奏し、ニッポン放送にマレーシア音楽紹介で出演し、が立て続けたからですが、今年も藤沢工業高校からご依頼頂きました。
 ご依頼を頂いた7月、直後に福岡のマレーシア友好協会さんからナショナルデー祝賀会での演奏依頼。その直後にマレーシア在住の製造業の社長さんでアマチュア・ミュージシャンさんが「在マレーシア日本人会の会報で若林さんの演奏写真を掲載したい」とのメール。

 日本人の「ブランド志向」に警笛を成らすべく「インドじゃなくてパキスタン」「バリ島じゃなくてマレーシア」と、カタログ的に持て囃される民族文化大国の隣国が「面白い!」の提唱を裏付ける為に、1984年と1995年に現地研修を行い、両国の民族音楽各種を学び、民族楽器はほぼひと揃え持って居ます。
 結論から言えば、パキスタンとマレーシアが日本で「ブランド化」しない、出来ない理由は、周辺諸国の色の濃さが境目に位置する為に入り交じって逆に「個性」が見えて来ない点にありました。 が、それこそ魅力である筈で、色の濃いインドやインドネシアの魅力が本当の意味で分かっている訳でもないのですから、むしろ入門編としても最適であり、文化のフュージョンの姿としてとても贅沢な筈です。

 昨年に続いて、子ども民族音楽コンサートでも良くおじゃました「湘南台文化センター」の大ホールでの修学旅行説明会。
 600席の会場に二年生100数名が点在し、ステージとの距離もあるシチュエイションで、ちょっとふてくされ顔の高校生相手の演奏はなかなか難しいものがありました。それでも先生方と、ゲスト文化解説者の在日マレーシア人さんから喜ばれ、学生も楽しかった事は、一年後の文集で分かりました。
 ところが、今年は、ステージに上った瞬間から良い雰囲気。
 サウンドチェックの時間が無かったので心配顔のホールスタッフさんとも良い感じでコミュニケイションして音も抜群に良く。点在しながら私語が止まない学生に対して、おおらかにのんびりと語りかけて、マレーシア音楽の「チャンプル(MIX)」なところを次々と紹介すれば、徐々に興味を持ってくれて反応が良くなってくれました。
 事前に、中学生、高校生のお子さんを持つ応援者さんのアドヴァイスもあって、学生の無反応にたじろいでも安心していたことも大きかった。
 とりつくシマが無くてちょっと苦手意識がありました高校生ですが、このところやればやるほど楽しくなって来て,嬉しい限りです。

 と、言う事はよろず、自らの精進の問題なのだなあ、と改めて勉強、修行の意欲も湧く、そんな得難い経験の一日でした。
 毎年呼んで下さる、先生方。ありがとうございました。

 また是非、宜しくお願いします。

   
 8月5日(金)  川村記念美術館でアラブ音楽
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《駱駝(リズミカルな樹々の風景の中の)》1920年ノルトライン・ヴェストファーレン美術館Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen, Du¨sseldorf

 8月5日(金)、楽器室の片付けも終わらず、教室と自宅に特大段ボールが積み上げられている中、千葉県の佐倉市、成田空港が近い山と田圃に囲まれた川村記念美術館にアラブ音楽を演奏に行って来ました。
 川村記念美術館は、大日本インキの創設者川村さんが集めた世界的に価値の高い絵画とオブジェを収集し一般に公開しているところで、美術ファンには有名なところ。
 特にアメリカの近代美術、欧米の抽象絵画の企画展では定評があります。
 
 若林忠宏とアラブ音楽楽団「タハト・アル・マシュリク(東方楽団)」はスイス人画家パウル・クレー(1879〜1940)の特別展に呼ばれました。
 そのきっかけは、若林のお弟子さんの友人で美術展や美術出版のお仕事が長い好青年桑島君が川村記念美術館の平尾さんと若林の話しで「盛り上がった」からだそうです。
光栄な事に、平尾さんは前から若林に関心があり、著書も持っていて下さって。桑島君は前から「美術館で演奏会出来ないかな?」と思っていて下さって。
 そこにパウル・クレー展の話しが。
 
 絵は見るより描くのが好きだったので勉強不足な私でしたが、今回春から幾度も打ち合わせさせて頂くうちに、嬉しい勉強をたくさんさせてもらいました。
 「色彩の画家」と評されるパウル・クレーですが、始めは線画が得意で、色彩的にはむしろ悩んでいた時期もある。それが35歳の時にチュニジア、49歳の時にエジプトという北アフリカのアラブ文化圏を旅行し、特にチュニジアの後に「ふっきれた」?様に色彩が豊かになったと言われます。

 パウル・クレーがチュニジアで何を感じたのか?彼の日記にほんの一行現地の大道芸人の民族音楽に心を動かされた、という記述と、クレーが7歳の頃からヴァイオリンを学んでいた、という事から「アラブ音楽とチュニジアの光景に色を見たのでは?」という平尾さんの推測を若林が音楽で立証するというコラボレイションでした。

 会場は、若林のリクエストで、クレーの絵が掛かっている中ホール。「絵に囲まれて演奏したい」とお願いし、セキュリティーの問題に苦心させましたが、実現。
 JR千葉から在来線で4,5駅。駅から山と田圃の中をタクシーで30分のロケーション。「ああ!やっぱり昆虫飼育再開したあい!」と絶叫したくなる様な良い場所。かつてマイクロバスに乗り込んでみんなで山形のさくらんぼの里に演奏に行った高速を越えるとカヤキリの雄叫びが!
 私には感動のロケーションでしたが、お客さんにとっては地元の方でもちょっと不便? 
 そこに120人集めたい、と言うので、若林の名前、アラブ音楽への関心度を考えて、なんだか責任重大。

 ところが当日、ご予約の方のキャンセルが何時もより少ないところに加えて,飛び込みのお客さんが増えて、かなり多く入って頂きながらも、お断りした方もかなり居たので,160名以上の応募が有った事になります。
 比例して会場の雰囲気も高まり、演奏者のモチベイションも最高潮。

 美術ファン、文化芸術愛好者さんたちですからとっても良い雰囲気。美術館スタッフの方が期待してくれた「演奏とその背景の話しの両面で聴衆を惹き付ける」若林の良い所が出せて嬉しい機会でした。

 一部は、古典音楽を渋く。それでもお客さんはウードと太鼓の音色にじっくり耳を傾けてくれて。話しにうなづいたり、微笑んだり。笑ったり。とっても良い感じ。

 そして私も感動し、忘れられない想い出となり、今後の励みとなったのが、二部のチニジアの砂漠の音楽と、打楽器即興演奏でのパウル・クレーの絵とのコラボレイション。 ひとつは《花ひらく木をめぐる抽象》という黒っぽい背景に微妙な色合いの色に塗られている多数の細かな正方形のモザイクがある作品。もうひとつが《駱駝(リズミカルな樹々の風景の中の)》
 私は、今回の演奏会の話しを頂いた時点で、クレーの作品には音楽的なインスピレーションを強く感じました。
 幾つかのチュニジア、エジプト旅行で見たと思われるイスラム建築風の抽象的な風景画には、風景のもつ香りや温度から音楽が醸し出されてきますが、《花ひらく木をめぐる抽象》《駱駝》は「楽譜」そのものに思いました。
 二枚とも掲載許可を頂きましたが、前者は手続きが複雑だったので、割愛させて頂きました。後者の《駱駝》を「楽譜の様ですね」と言ったのは美術館スタッフの平尾さんですが、私は、これを三つ〜五つの太鼓、打楽器の楽譜であると感じました。
 クレー作品に良く有る、様々な色が円や四角のパターンに描かれ、モザイクの様に集合し全体でひとつの色合いを作り出す手法。これこそ若林がアラブ古典旋法マカームの展開法に見た手法そのものだったのです。

 「駱駝」や、その他の作品に感じたもの。チュニジア、エジプト旅行の日記、ヴァイオリン教育のみっつのキイワードから若林忠宏のアラブ音楽と結びつけてくれた美術館スタッフの平尾さん。そ若林と美術館を結びつけてくれた桑島君の着眼点は見事に的を射て、クレーの絵に囲まれた会場に響いて具現したのでした。
 目に見えるヴィジュアル作品とのコラボレイションは、五年程前の西陣織とのコラボで始めたものですが、今回それが一層充実し、イメージのみならず、楽譜に置き換えて行えた事は、若林がかねてから提唱して来た「民族音楽は五線譜では表現出来ない。楽譜にするとしたらそれは図形か絵画、もしくはオブジェ」を実証するものとなりました。

 演奏後の楽屋で、スタッフの皆さん、桑島君達と興奮冷めやらぬ感じで楽しく歓談。
 若林が「なんだかとってもクレーに親近感を感じました」と言うと。「確かに、お二人は似た所が有る」と光栄な言葉!

 演奏前に桑島君が展示作品を見せてくれ、色々解説してくれました。
 「色彩の画家」と言われる一方で、繊細な線画も好み、いずれの作品にも暖かみと、どこかお茶目で剽軽な楽しい面がある。
 その一方で打ち合わせ時点でスタッフさんが言った「クレーは大変真面目で、色彩についてはむしろ苦手で、かなり悩んで苦労した、という説もあります」
  「悩みながらも、愉快で暖かい作品を創る」もしそんなところが「似ている」と言って貰えたなら嬉しい限りです。

 クレー作品とのコラボの後「クレーさん!どうでしたか?」と作品に満たされた会場に語りかけると、130名の中からたった一人拍手をしてくれた人が居て愉快でした。

 川村記念美術館の館長さん、スタッフの皆さん。平尾さん。桑島君。沢山の方々に感謝致します。ありがとうございました。

   美術館スタッフの方から、たいへん嬉しい感想文を頂きました。

「2006年8月20日までパウル・クレー展を開催中の千葉県佐倉市の川村記念美術館で8月5日、若林忠宏さんと民族音楽センターのお仲間を迎え、「クレーが聴いたアラブ・北アフリカの民族音楽」と題したコンサートを開きました。

 パウル・クレーが1914年に北アフリカのチュニジアで旅行中に色彩画家として開眼した、というのは、彼の日記に記されて半ば伝説化した伝記的事実です。
 また彼は、非西洋圏の文化から多くの影響を受けて絵画を制作しています。
 そうした背景があり、19世紀までの西洋絵画の空間を解体したクレーの絵とアラブ音楽には、響き合うところがあるのではと考えて企画した演奏会でした。
クレー自身は優れたクラシック音楽のヴァイオリン奏者でバッハ、モーツァルトを好んで演奏したのですが。

 若林さんの説明を聞きながら、楽曲に耳を傾けると、想像を遥かに上回って、
アラブ音楽とクレー絵画、特に色とりどりの方形を組み合わせた抽象性の高い作品群、が似た感触を持っていることに気づかされ感動しました。
 伝統音楽の演奏に終わらず、展示作品の色彩と形を音楽に置き換えたオリジナル曲の演奏もあり、「場」と呼応しあう音楽作り、とても魅力的でした。

 そしてベリーダンサーのNamieeさんによる、素描《ヴェールの踊り》にちなんだダイナミックな踊り...。

 展示室にはまだ、アラブの音楽と踊りの残り香が漂っているような気がします。

                   美術館スタッフ 2006年8月」

 8月6日(日)   小倉えいむでアフリカ音楽
 




 8月6日は朝5:00に吉祥寺を出て、福岡空港から博多駅経由で小倉へ。小倉駅北口の西日本総合展示場「えいむ」で行われた「アフリカ展」併催ライブの為に。
 「えいむ」では2006年春にも「世界の民族楽器展」が行われて、民族音楽センター九州の所蔵楽器を数十点展示しました。この時は残念ながらスケジュールの都合で演奏は無かったのですが、今回は企画段階から色々ご相談させて頂き、ライブも二回実現しました。
 企画会社の担当さんの熱心さ、仕事の丁寧さには春から信頼を感じていましたが、今回ステージの音響さん、舞台監督さんの清々しい仕事ぶりのお陰で大変心地よいライブをさせて頂きました。

 春の展示会の視察の際に「ここで演奏出来たらな」と思った「えいむ」エントランスの吹き抜けの広場。そこに自分のアフリカンギターと歌声が響いた時は、とても気持が良く。福岡市でも同様でしたが、ご年配の方がニコニコと最後迄聞いてくれました 。

 これは 東京や関西ではまずなかった事。東京や関西では、聞き慣れない音楽が始まると、そそくさと立ち去ってしまう方が多い。まるで「ああこれは若者向けに違いない。私達は居るべきじゃない」と感じての様です。
 福岡のアフリカ太鼓楽団Worokonondoの山田君、阿部君のサポートメンバーが楽しく盛り上げてくれました。
 8月8日(火)   福岡市の中学音楽研究会で講演
   
 8月8日は福岡市の舞鶴にあります「少年科学文化会館」で行われた、福岡市立中学校音楽教育研究会に講師として呼ばれて、40名、すなわち市内40校の音楽の先生に民族音楽をレクチャーしました。

 第一部を「インド音楽」第二部を「アフリカ音楽」と座って弾き、座って聞く民族音楽、立って踊って楽しむ民族音楽の両極端を「まずは先生方が楽しんで貰って」を主旨にご紹介しました。

 一部二部とも後半は、演奏に解説を加えたレクチャー。
 福岡教室の第一期生で演奏活動も始めている篠原渉馬君がアシスタントと太鼓伴奏を行い,休憩時間には先生方の質問や楽器に触れる時間のお相手で大忙し。

 先生方の中には、今年5月の書店での「子ども民族音楽ワーク・ショップ」からの嬉しいおつきあいをさせて頂いている方が数名いらして。7月末の「民族音楽センター九州一周年記念イベント」のワーク・ショップにもお誘い合わせて来てくれました。

 全国何処でも同じ声を聞きますが。「民族音楽を子ども達に伝える、と言ってもどんな音楽から、どう解説して聞かせれば良いものか?」の教育現場の声に、少しでもお役に立てれば、と馳せ参じる事は大変やり甲斐が有る光栄な事です。




                     続く
 8月8日(火) 中洲のジャズ・スポットでのLIVE
   8月8日の夜は、中洲のジャズスポット「River-Side」での新シリーズ「Makam-Rast〜Night Science」の第二夜。若林と在福のジャズメンとの一騎打ちの企画で、今回はウッドベースの間村清君とのデュオでした。

 あいにくお客さんは少なかったのですが、教室生徒さんがお友達を連れ立って、間村清君の奥さんと五歳のお嬢さんが来てくれて。River-Sideの小串マスター、町田さんの人柄も勿論のこと、アットホームな「弦の夕べ」となりました。

 若林的にはリハーサルに立ち会ってくれたお友達も誉めて下さった初めて弾いたジャズのスタンダード「Summer-Time」が嬉しかった。 素敵な共演曲をくれた間村君ありがとう!です。

 その真夏の縁起の良い数字が並ぶ日は、なんと間村君のお嬢さんの誕生日。
  お父さんのライブの日だから誕生会が無くなっちゃったのかな? ちょっと人見知りしながらお母さんと来てくれていました。 
  アシスタントの篠原君に走ってもらって近くのお店でケーキを買って来て貰って、五本の蝋燭を立てて休憩時間は「誕生日会」のサプライズ。

 人見知りさんがちょっと笑顔を見せてくれて蝋燭を吹き消してくれた姿が嬉しかった。


 お友達がSummer Timeの素敵な翻訳を下さいました。
 ガーシュイン がオペラ「ボギー&ベス」の為に書いた歌。熱い南部の夏に子どもを寝かす貧しい農民の子守唄。

「お前が歌を歌い出して羽ばたいて行く朝迄、ダディーとママが守るから、安心してゆっくりお休み」

 お嬢さんの誕生日にJAZZ-MANの父ならではの最高のプレゼントでしたネ。


 戸惑いながら弾いたにも関わらず、お友達が「とっても良かった!」と言ってくれて、お陰で本番では伸び伸びと弾けました。あまりに有名な曲なので、そんな素敵な歌とは知らず。バースデイプレゼントの想い出と共に、もしかしたらシタール演奏の十八番になるかもしれません。

 時々そんな素敵な出来事の「予言者」になるお友達と、間村ファミリー、River-Sideがくれたプレゼントです。ありがとうございました。
   
 8月13日(日) 小倉えいむアフリカ展の2ndステージ
 


 8月8日に引き続き、小倉駅前「えいむ」で行われた「アフリカ展」に合わせて、若林が20年前伊豆ラフォーレでデビューさせたアフリカ音楽オムニバス楽団「ムワンズィ」の再結成ライブが行われました。

 Mwanziは東京の初代メンバーが今も民族音楽センター教室講師やスタッフとして殆ど健在。しかし2004年にはサンシャイン広場で久々のライブを行いましたが、メンバー皆本業が忙しくて余程大きなイベントでないと動かせません。

 小倉で再結成して、サックス奏者のレギュラーさえ決まれば小倉、福岡市でもどんどんライブをやって行きたい「Mwanzi2」には、ベーシストにMaghreb-Windの福山ワタルさん。パーカッションに高橋カルロスさんの小倉勢。加えて太鼓軍団が山田一人君率いる福岡の新進気鋭のアフリカ楽団「オロコノンド」の面々。
 Worokonondoは、民族音楽センター九州一周年記念イベントにも出演してもらいましたが、男性二三名の太鼓、打楽器陣に女性二三名の打楽器とアフリカンダンスの加わったとても派手で楽しい楽団。
 今回の小倉えいむでのライブは、山田君と阿部君が8日のみ参加。
 13日はワタルさんカルロス君に加えて、若松から駆けつけてくれた長崎人のジャズSax奏者が加わってくれました。

 ライブが始まった頃、大分耶馬渓の「若林忠宏の民族音楽を全国の小都市に届ける会」の発起人白岩さんが駆けつけてくれてびっくり。二部にはKate-Musicのケイトさんコーキさんのお二人も。スタッフの藤田君は一部に来てくれました。
 お客さん用歌詞カードを急遽作って一緒に歌ってもらいましたが、二部は白岩さんケイトさんと、初めてお会いしましたがアフリカ衣装で来ていた女の子までステージに上がって貰って合唱。
 一部も二部も来てくれた親子連れからご年配の方迄頑張って歌ってくれた姿が嬉しかったです。 御陰さまで主催者さんにも好評でした。

 白岩さん、ケイトさん。お盆のお墓参りの前の忙しい時間に応援に来て下さってありがとうございました。

 
P.S.ケイトさんから写真を頂きました。ご自分がコーラス歌って下さった写真は無いんですと。残念。

   
 8月14日(月) 夏の研修
 

 8月14日と15日、一年前からの憧れの地に連れて行って貰いました。

 もの心付いた頃から、きっとこのまま一生続けて行くだろう音楽の仕事にとっても、音楽を軸とした人生にとっても、丁度今大きなターニングポイントの峠を越えかかったその時でした。
  心に広がる忘れ得ぬ景色。心の隙間に迄届くたゆまない笑顔。明日の自分に聞こえて来る大きな言葉。   得難いものを沢山頂いて来ました。

 この機会を作ってくれた方々に、心から感謝致します。
 ありがとうございました。


   
 8月16日(水) としまえんでの演奏、2ndステージ
 

 福岡から吉祥寺に二年振りに採集した「キリギリス」を置いて、音響機材を手にタッチ&ゴーで「としまえん」へ。8月2日に継ぐ二度目のステージです。
 
 4:00のステージは、サウンドチェックが始まって五分後に降り始めた雨で中止。
 6:00のステージも危ぶまれましたが、辛うじて雨が止んで、前回の音響問題を解決してかなり伸び伸びと演奏出来ました。

 プール帰りのお客さんもシタールの音色と珍しい演奏風景に惹かれて、まだ濡れているビヤガーデンのテーブルに集まり出した頃にサーカスの時間になってしまいましたが、「吉本新人おわらいショー」のポスターの一角に若林のシタール演奏の写真を見てくれた意外な民族音楽ファンのお客さんも居て、満面の笑顔で力強い拍手を頂戴してステージを降りました。

 身も心もズタボロの引っ越し騒ぎですが、担当ディレクターさんが「二週間前にお会いした時より目が澄んでますね」と驚かれて、こちらもびっくり。

  素敵な笑顔と素晴らしい自然を一杯見て来たからですネ。


   
 8月21日(月)  Maghreb-Wind-CD録音
   8月21日は、メンバーとゲストの忙しいスケジュールの合間を縫って、ようやっとMaghreb-Windの録音の最終段階を録り終える事が出来ました。

 仕事の都合をつけてくれたCICCAROLLの二人のギタリスト。泰祐君はGibsonハミングバードの繊細な音でソロを取り、淳君は気骨のあるカッティングでバンドの中域のノリを築く。 
  佐賀から駆けつけてくれた桑原君は、彼ならではのシートオブサウンドのギターソロ。2小節の為に小倉から駆けつけてくれたワタル氏は相変わらずのグルーヴを提供してくれました。

 福祉イベントのテーマ曲に決定した「風の街」のリフレイン以外の新しい歌詞を、伸びやかに歌ってくれたジュンちゃんは、ユニット再始動のタイミングもあってかノリノリでお見事!

 過酷な労働の後にも関わらず、パーカッションのアジ君も余裕のジェンベ。

 7月と8月半分を挟んだだけなのに、全員の音が成長していました。
 タイミングもあるのでしょうが、若林が投じた種がそれぞれの中で芽吹いたのなら嬉しいと思います。

 と、言いながら、福岡のミュージシャンは「良い仕事」に「時間が掛かる」。
 東京の「流し仕事の匠」に出せない味とは言え。またも若林と篠原君のパートの時間は無くなってしまった。
 8月22日(火) 福岡の民族音楽教室
   7月末の民族音楽センター九州一周年記念イベントの幾つかの目標。
 そのひとつの教室宣伝は、8月になって六名の新入生を迎えて好調です。

 平日がNGの方も居る事もあっての事ですが、一気に月二回のレッスンに発展です。

  限られた時間の中で、立派なチラシを作ってくれたデザイナーさん。
 広告で御協力下さった方々。真夏の夜に連日チラシを配布して下さった応援者さんのお陰です。

 そのお気持ちに応えるべく、深く静かな音楽の伝統を緩やかに教えて、どっしりとした音楽文化を築いて行ける様、しっかり頑張ります。
   
 8月26日(土)  佐賀市交流センター
 

 

 

 

 

  8月26日は、朝の第二便で福岡空港へ、その足で博多駅から佐賀駅まで。この夏二度目の長崎本線。とっても楽しかった長崎研修。それが下見になって迷わず 三番線からの「かもめ号」へ。地下鉄から走りに走って「発駅証明」の券を貰って飛び乗りました。
発車2分前でした。

 「かもめ」は、 私にとってお馴染みの小倉や中津に行く時の日豊本線ソニックにも使われている885系という車両。初めてソニックに乗った時にはもの凄くびっくりしたモダンなデザイン。シートはふかふか、デッキには木製テーブル。何処かのアミューズメントパークの「未来電車」の様な楽しさがあります。

【だんだん色々ご機嫌な気分に】

 博多駅から鳥栖を過ぎれば十数分で佐賀。 鳥栖は昨年9月に車で連れて行って貰った懐かしい場所。今年は六回も素通りです。南や西に行くのはワクワク!。東へは落ち着き、という感覚は私だけのものでしょうか?

 博多駅で福岡教室の第一期生篠原君と待ち合わせ、車中でたっぷり音楽理論を教えようと思ったのですが、満員の相席で叶わず。あっと言う間に佐賀に着いて、佐賀駅からタクシーでSプラッツホールへ。佐賀市交流センター主催の「民族音楽ふれあいコンサート」です。

 エスプラッツ・ホールのロビーには大型の水槽に「佐賀市の淡水魚」が飼育・展示されていて、私は一人ご機嫌な気分。
  淡水魚を見に小学生の兄弟が来ていたので「お昼に民族音楽やるから聴きに来て!」というと嬉しそうに「うん!」と。
 そのタイミングに久しぶりのお友達からもメールが来たりで。明け方迄原稿書きでハードな真夏日の佐賀でしたが、気分は上々!

 佐賀には「民族音楽センター九州佐賀支部」発足準備をしてくれている太田先生が居ます。本業は音楽の先生ですが、トルコ在住されていた時にトルコ民族音楽に親しまれ、音楽之友社を通じて知り合いました。
  高校の音楽の先生、町のギター教室の先生、などお友達を募って「佐賀支部」と「民族音楽教室」の設立にご尽力頂いております。
  先生には2004年の佐賀市アバンセでの「トルコ文化展」2005年には小中学校での演奏をお世話頂き、今年は今回の「佐賀市交流センター」と9月24日の佐賀県国際交流センターでの大きな演奏会のご紹介を頂きました。
 
 東京から送った、インド弦楽器シタールと太鼓タブラ、竹楽器やアフリカ・カリブのパーカッションに太田先生所蔵のトルコ楽器をお借りして、第一部「インド、トルコ、アフリカ」の民族音楽演奏を鑑賞してもらい、第二部で子ども達に色々な楽器を体験してもらう二本立てでした。

 交流センター館長の中野さんは、若林の楽器図鑑から写真を選んで、ポスターを作ってくれたり、若林の代わりにNHKに出演して演奏会の動員に努めてくれました。
 スタッフさん達も、音響さん達もとっても感じが良くて、お客さんの予約も150名に達したと言われ。充実の演奏会が期待されました。

【思いがけない急展開】
 ところが、なんと!
 春先に送って預かって貰っていたシタールをハードケースから開けると、過去35年でワースト3に入る程の大破。干瓢の実の胴体がばっくり割れていました。
 ぶつかった程度ではなく、謝ってトラックから地面に落とした位の衝撃によるものと思われる重傷でした。 本番迄1時間。
 館長さん、音響さんが携帯電話であちこちに掛けて接着剤を探し、館長さん自らがホームセンターに車を飛ばしてくれて本番前40分。地元ラジオの生取材を受けながら、篠原君と二人で懸命に押さえつけて応急処置をしました。
 丁度20本の弦 の力が集中する所の破損でしたから接着しても調弦中にヒビが広がるかも。演奏中に調弦が狂い出すかもしれない。 でも、チラシの写真で楽しみにしている子ども達に少しでも聴いて貰いたい。見て貰いたい。演奏者とスタッフ一丸と成って危機に挑んだ結果。 本番5分前に調弦完了。 
  宅配便保険の為に撮った写真で良く分かる、一番運が悪い箇所の破損でした。

 楽屋で仮眠するつもりだった私は、寝不足の朦朧をアクシデントの緊張と興奮で乗り切った感じでしたが、 終わってみればかなりの好演だった様で、終演後数十人のお客さんがステージに駆け寄って、声を掛けてくれたり、楽器を丹念に眺めたり。

【枕元への音楽】
 ステージに沢山集まってくれたお客さん。その中のお一人、嬉しい感想を述べてくれた方が、晩にメールをくれました。 ご本人の了解を得てご紹介します。

 「はるばる 佐賀へ ありがとうございました。3月に太宰府でお会いしまして 本日は佐賀で再会。つい お声をかけて 名刺をいただきました。とりあえずのお礼のメールです。入院中の父 その枕もとに 家族手づくりの音楽を届けています 。 たかまさ」

 たかまささんは入院中のお父さんに、毎週家族で音楽を作っては聴かせに通っているそうです。 卒中で倒れ意識混濁の母に好きだったドビュッシーと自分のシタール演奏をイヤフォンで聴かせたところ、奇跡の生還、言葉も完全復活した話しを、私の著書
「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)を太宰府の演奏会で買って読んでくれていたのです。たかまささんは、「【枕もとへの音楽】には、 信じられないような経験があります。また 報告したいです。よろしければ これからもおつきあい下さい」ともメッセージをくれました。

 メールを頂き感動しました。お声を掛けてくれた事に感謝です。 

 35年間の「大破シタール」ワースト3 は、母に買って貰った初代シタール、お客さんが持ち込んだ「飲み会で酔っぱらった女の子が椅子と間違えて座って折ったシタール」と今回のシタールです。

 初代シタールは応急処置のまま、25年教室生徒用で使っていましたが、母が入院中に思い立って大修理を施し完全に直した途端、母が回復に向かいました。
 それ以後、物事が上手く行かない時や、身内の心や体を案ずる時には「壊れた楽器を直す」を「ひとつ覚え」の様にしています。

 普通の精神状態でしたら、今回のシタールを本番前に直すなんて無謀はしなかったかもしれません。 ラジオ取材、段取りの打ち合わせ、僅かでも休息、を優先し、慌てて修理する事でパニック気分のままステージに上がるより「出来る事をしっかりやる」が冷静な判断なのでしょう。

 会場に向かうたかまささん家族の気持、チラシを見て楽しみにしてくれていた子ども達。 そう言えばロック少年、ジャズ好きのご年配もシタール演奏を楽しみに沢山見えていました。そんな色々な想いが伝わったのでしょうか? 完全に「修理モード」でした。

  ステージでは直前のパニックを一切語らず「プロ気分」を味わっていましたが。
「先生! しっかりガムテープだらけのお尻を見せてましたヨ」と言われて。がっくし。演奏中、破損を忘れる程シタール自身が頑張ってくれていたのでしょう。             
 太田先生のお友達も数人来てくれて、その中に某有名旅館の御曹司さんに「面白い人を集めて皆で語りながら演奏する:飲み会ライブ」吉祥寺と福岡でやっているものを提案しましたら「是非やろう!」と言ってくれました。

 その旅館は、某有名歌手が「是非泊まりたい」と言ったのに「芸能人なんか泊めたらせからしい!」と断った事が地元では有名らしいです。

 佐賀は福岡のノリの良さとはなんとなく逆の感じ。 その代わり、一度信頼するとどんどん熱く成ってくれる。
  そんな頑固で、マイペースな佐賀で、また違った音楽の流れが生まれてきたら........。 民族音楽センター九州全体の動きも更に面白いものになり、息の長い活動が出来そうな気がします。

 本番直前には大変ご心配掛けましたが、想い出深い演奏会となりました。
皆さんありがとうございました。

 また9月24 日にお会い出来たら嬉しいです。宜しくお願いします。
 8月26日(土)  国東半島の根元。豊後高田市で演奏
     8月26日「佐賀市交流センター」の演奏を15:00に終えて、15:45分もしくは、16:22の特急で博多〜小倉〜大分県・宇佐〜車で豊後高田市の旅庵・蕗薹(ふきのとう)へ。かなりのバタバタ。

【遠回りが近い?】
 実は前日迄、このぐるりの列車移動がどうにも気分が乗らなくて。佐賀からほぼ真っすぐ九州中北部を横断すれば宇佐なのに!と駄々を捏ねていました。車では100km〜120kmなのに列車はおよそその倍。なにより「ぐるり」の遠回りが「猪突猛進」の性格に合わない。
 大分耶馬渓の「民族音楽センター九州大分支部長」さんが「佐賀の演奏会に家族で来たい」と言う熊本のお友達に頼んで車での移動の手配をしてくれたのですが、蕗の薹から「是非お客さんと一緒に食事を楽しんでからの演奏」とリクエストがあり、「車で三時間以上」「列車で二時間弱」と判明し一も二もなく列車に変更となったのでした。

 九州の交通網は時々とっても不便。 私のPCの家庭教師さんは「日本で一番遠い故郷」出身です。外国行くより時間とお金が掛かる。
  JR九州は大好きですが、幹線とローカル線の落差が激しい。今日日何処も同じなのでしょうが、ソニック号のカッコ良さに浮かれてばかりは居られない気分になります。

【しかも佐賀からの直行便は無い!】
 そう言えば、博多駅からソニック号でそのまま小倉経由で大分まで行けるので、日豊本線は博多〜大分かと思いきや、日豊本線は小倉から。では博多から小倉までの幹線は何?
 「北福ゆたか線」とか言うらしのですが、実際は博多の次の吉塚までと折尾〜黒崎迄が「鹿児島本線」???? ならば吉塚〜折尾と黒崎〜小倉は何線? と分からない。

 色々な路線が乗り入れしている内にこうなったのでしょう。 それでやむなく「北福ゆたか線」と呼ぶらしいですが、果たして浸透しているのかしら? 乗客に尋ねると博多〜小倉が「鹿児島本線」で小倉からが「日豊本線」的な理解の様です。
 確かに門司方向に北上したソニックが、小倉でUターン状態になって大分方面に南下します。その際に座席を乗客が反転させます。それが同じソニック号に乗ったままでの鹿児島本線と日豊本線の「けじめ」みたいな感じ。
 ならば佐賀から小倉迄鹿児島本線一本で行けそうですが、「かもめ」は博多が終点。 ん〜〜。やっぱり分からん!ちょっと不便。

【替えシタールの絶妙な受け渡し】

 佐賀Keepの大破したシタールは、応急処置でしたが無事良い音で演奏出来ました。が、そのシタールで大分二回、福岡県南部で一回の演奏は不安でした。
  幸い福岡教室第一期生の篠原君が佐賀に来てくれていたので、当初の予定では二部もアシスタント演奏でしたが、一部で先に福岡へ急行。 音楽スタジオに預けてあるシタールをピックアップして博多駅で待ち合わせ。 
  出会えなければ篠原君まで小倉に行く羽目になる。佐賀からの「かもめ」が17:01分着。隣のホームの「ソニック」が17:04分発。走りに走りました。

 のんびりマイペースの九州では待ち時間30分位が「びったしのタイミング」1時間位でやっと「待たされた?」それを東京感覚で動こうとするからでしょうが、1時間か3分か、は極端に感じます。

 楽器を担いで階段を駆け上がり、九州の方がせかせかの不思議な私です。各支部での楽器のKeepとメンテナンスが課題、を痛感するツアーでした。

 宇佐の駅は、お馴染みの中津の特急でひとつ先。と思いきやその列車は宇佐に止まらない。
 直前に教えてくれたのは車内販売のお姉さん。車掌さんは言ってくれなかった。でも感じの良い車掌さんだったし、車内販売の方が乗換えのメモ迄くれたので、不愉快になりませんでした。
 JR九州のスタッフさん何処でもみなさん感じが良い。 旅の気分をすっかり損ねてくれるJRなんたらさんには見習って欲しいものがあります。

 ローカル線に乗り換えて無事宇佐の駅に着くと、料理教室オーグテの黒川さんがお迎えに。中津に2005年に二回呼んでくれた後、ちょっと久しぶりでした。
  車で40分程の山道を行くと、暗くなってクツワムシの大合唱が始まる時分に旅庵・蕗薹に到着しました。

 パンフレットから拝借した、左の写真そのままの「竹林にこつ然と現れる総桧作りの御殿」の様な素敵なお店。

  一面の大きなガラス窓の中では既に「宴もたけなわ」と言った感じ。 全員がこちらを向くので早速ご挨拶。  その後で部屋に鞄を置いて「顔を洗って直ぐ演奏」
 ところが洗面所の奥が温泉の大浴場。誘惑に負けて5分。烏の行水よりささやかに。雀の行水程度に。

 美味しい料理と風呂上がりのビール。 走った甲斐が有りました。


【完璧なマクロビオティック】
 蕗薹の料理は、ほんとに美味しかったです。

 演奏前の30分で大急ぎで食べなくてはなりませんでしたが。十数個の小鉢には様々な山の食材。瀬戸内海周防灘、姫島の海の食材がずらり。
 初めて頂いた「芋のツル」と自慢の合鴨が食べれない代わりに出してくれた姫島の車エビにはびっくり。合鴨は有機農法の田圃の「合鴨農法」で一石二鳥?に生まれる食材です。
 車エビは殻が中々はがれないので、時間も無いしで、そのままがぶり。ところがまるで桜海老の様に殻や足迄パリパリと美味しく頂けました。ミソが平気な人なら残す所無い。 「旬の土地の食材の全部を頂く」まさに「マクロビオティック」そのものでした。
 ところが料理は近所の主婦。 女将さん曰く「田舎の日常料理」
 その素晴らしさを見い出し音楽会の企画を何回か主催している料理研究家の黒川さんの解説によれば、子どもの頃から恵まれた自然の食材を最適な旬の時期に、代々伝わる最適の料理法で食して来た事で自然に身についた味覚。それがこの料理の神髄であり極意。


 逆に言えば、ご近所はわざわざ食べに来てはくれない。「我が家と同じ料理」だから。
 なんとも勿体ない様な、贅沢な。

 お客さんの中には、昨年のオーグテさんでの演奏会のリピーターさんが何人も。
「若林さんのファンになった」と言ってくれた椎茸農家のご夫婦は、昨年頂いて福岡のマンションで一人感涙の宴会を催した「ふくふくでべっぴんさん」の椎茸をまたお土産にくれました。

 中津から豊後高田に掛けては、椎茸も名産。 クヌギのホダ木と言えばクワガタ飼育で二年前とてもお世話になりました。 クワガタは椎茸栽培の二次利用で成長します。良い山が良いクヌギを育て、良い椎茸を育てて、立派なオオクワガタを育てる。 オオクワガタの白木の食べかすは、豊富なバクテリアを含んで茶色に変化し、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタが好む。その焦げ茶色に変化した食べかすはネブトクワガタが好み、その後は黒色に変化し、山を肥えさせ立派な山菜を育てる。
 この素晴らしい自然の循環と国東の恵まれた環境に目をつけた都会のクワガタマニアが既に移住しているとの事でした。

【肝心の演奏は?】
 この8月中旬以降、ちょっと変化した私の演奏。 自意識が無く、何も考えずに演奏してしまうので、自分ではどうだったことやら。

 記憶にあるのは、ビールをかなり頂いたのに演奏中「酔った」自覚は全く無く、弾きたい様に弾けた事。そして、お客さんが不思議で愉快な感じに見えた事。

 30人くらいで満員のスペースに溢れるお客さん達が「それぞれステージに向いて建てられた一戸建ての家の門に家族で集まってニコニコ音楽を聴いている感じ」に思えました。演奏後「どうでした?」とスタッフに尋ねられてこの通り答えました。

  聞けば、皆さんオーグテさんと関わりの深い、家族付き合いのお客さんばかり。

  黒川さんは、ギリギリ迄悩んでいたそうです。充分な謝礼の為に無理してでも多くのお客さんを集めるか? それとも本当に聴きたい人だけに来て貰うかを。
 そう言えば直前に「人数少ないですが平気ですか?」と聴かれて「一日2ステージ三カ所だから大丈夫」って答えたのでした。

 話しを聞いて気付きました。 
  今迄の多くの演奏会では、一戸建ての様に見えるお客さん達が様々な思いで聴いている。 門迄出てくる人は希で、多くは半信半疑、玄関をちょっと開けて顔を出すのは良い方で、窓の向こうで緊張している人も。
 その状況を「天の岩戸」の方法や「 北風と太陽」の論理や「焼き芋屋さん」のテクニックなど様々なものを駆使して庭に出て来て貰う。それまでに費やす時間とエネルギーは膨大だったかもしれません。

 8月中旬以降、そんなテクニックが要らなく感じる様になりました。
 家から出たくなければそのままで。 それでも何か耳に心に残っていれば。
 そんな微妙に変化した私が「聴きたい」と既に門まで集まってくれるお客さんと出会ったのです。
 きっとどちらもリラックスした良い夕べだったに違い有りません。

 思えば初心はそれだった筈。 十代の頃に言っていたのが「隣の部屋から聞こえて来て素敵な音楽を目指す」でした。
  ラジオやTVの場合は同時に同じ音楽が流れますが、レコードプレイヤー、カセットが普及し、ウォークマンが登場すると、音楽はとっても個人的なものになりました。隣の部屋ではどんな素敵な音楽でも「雑音」「騒音」に聞こえるのは、その個人性が個々にとっては「快適」であると同時に他人には「不愉快」。密集した都会で、テリトリーを守れない生活の中で、必然的に生まれた個人主義傾向。「壁の向こうの音楽」は共有出来ない。でも、人間には「町外れに聞こえる囃子の音に惹かれる」本能もある筈。
  「壁の向こう」でも「良いな」と思える音楽がしたい! が夢でした。

 そんな「個人性」が強く成った人々を一同に集めて「祭りの様に」聴いて貰う事の難しさに何年も何年もあれこれ努力し、工夫して来ました。自然体で聴いて貰う為の秘訣は単純なものだったのに。
  それが分かってみると、不思議な事に目の前には「待ってました!」のお客さん。
 意識過剰の頃だったら、逆に衒ってしまったかもしれません。
 色々な事が良い方向に進んでいると感じる、嬉しい瞬間でした。

 翌日の演奏は午後からで、その前に国東半島の先の方にご案内頂き「太刀魚の蒲焼き」をご馳走になりました。 瀬戸内周防灘の海を眺めながら、黒川さん、スタッフさんと話した話題は「分かってくれるお客さんを集めて行く事の難しさと大切さ」。
 「それしか出来ない」と謙遜されていましたが、それに尽きる。
 良き演奏会になったのは、黒川さんとスタッフの確固たる信念の賜物です。

 黒川さんが翌日、翌々日と続々集まる感想文を送ってくれました。

 


  初日夜の部。

「美味しいお食事と楽しい方々に囲まれ、ワインが進み。そんな良い気分での若林さんの演奏は、一番良いところでゆったりと聞け、最高の夜をありがとうございました。」

「若林さんの演奏とお話良かったです。国というより地方の風土・文化が感じられ、演奏中はそこからの風を感じます。テーブルを叩かれたとき、タブラも聞きたいと欲張りな気持ちになりました?黒川先生が食で大事にしているものと同じなのでないかと私も感じました。蕗薹のお料理は素晴らしかったです。」

 初日は前日?になって八名増えたそうです。
 近くのアロマテラピーの講習会の先生と参加者さんが、講習会を早めに切り上げて来てくれました。参加者さんにオーグテ料理教室の生徒さんも居て、先生に話されたら、先生が「行こう!」と言ってくれたそうです。

 椎茸作りの名人。以前中津の演奏会のリピーターさん。過去二回が何時も来れずに「やっと聴けた!」と喜んでくれた方。皆さんオーグテさんと心で繋がっている、想いを大切にする方々でした。

 素敵なひと時をありがとうございました。

 8月27日(日)  豊後高田市「蕗薹(ふきのとう)」昼の部
 




 

 

 






 

翌朝は、前夜の会場に「元々そこに有った」みたいに立てかけられたインド弦楽器シタールとアフガニスタン弦楽器ルバーブを眺めながら、朝食の一等賞。
 泊まり組の皆さんも楽しい夕べの興奮覚めやらず、お部屋に戻ってからも遅かった様で。私は思えば30分睡眠のまま。部屋に戻ってからの記憶がありません。

 パソコン仕事をしなくてはならなかったのですが、電波が入らなくて。しかたがないので、それから一眠りして、起きれば「太刀魚食べに行きましょう!」となんとも贅沢な。黒川さんスタッフさんと国東半島の先端迄。
 
 「昆虫採集」をしていた頃なら「ここで降ろして!」と言いたい山道を小一時間。
 風が変わったな!と思ったら周防灘を見下ろす、国東半島の先端「道の駅」。両子山の麓道を通り半島を横断した大分空港に近い漁業の町です。
「道の駅」と言っても鉄道が無いので本当に「道の駅」
  地元でも有名なお店で「太刀魚の蒲焼き」を堪能しました。

 帰りに蕗薹のお隣の、藤原時代の阿弥陀如来像、直頚の琵琶を持つ楽士の姿も見られる壁画が有る本堂が国宝に指定されている「富貴寺」を訪ねました。
 前庭には大人三人手を繋がなくては囲めないほどの銀杏と榧(かや) の巨木があり、母屋で拝見した季節の写真はとても見事。
 蕗の薹で「季節毎に出来たら」の話しも上がっているので、旬の料理と、季節毎の富貴寺のたたずまいと、温泉。それに音楽が加わったら、他県からも沢山ファンが集う事でしょう。


 二日目の昼の部は、お客さんは少数。
でも過去二回の演奏会にも来て下さったご夫婦、ちいさな女の子とお母さん、おばあちゃん。中津のご婦人とお嫁さん。湯布院のアーティストとアラスカから来たアメリカ人さん。スタッフの同僚さんとお母さん。奥さんが趣味を越えたカメラマンでご主人が「助手」という仲良しご夫婦。奥さんは私の演奏を撮ってくれました。
  みんな楽しみに来られたファミリー&フレンズでした。

 前夜の興奮のライブから切り替えて、ゆっくり感じながら演奏したい。出来れば一人一人に向けて十曲弾きたい、と思ったので、型破りですが、初めにお客さんに自己紹介して頂きました。
 やはりオーグテさんと心で繋がって、大切なものを大事にする為には時間を作って馳せ参じる熱いお客さん達でした。

 小さな子のお母さんは、ぐずる我が子に恐縮していたので「世界の民族音楽の現場では子どもははしゃげばニワトリも鳴くんですから、気にせずに」と言ったのが良かったのでしょうか?
 「静かに聴いてなさい」と言えば、落ち着かなく成ったかもしれません。お母さんの膝の上で曲芸をしていたその子は、シタール演奏が始まるや、インド古典音楽の静かな前奏曲をじ〜っと聴いてくれました。お礼に「カエルの歌が日本風から次第にインド風に代わる芸」を披露。はにかみながらニコニコしてくれました。
 さすがに後半に音楽と暮らしの話しが盛り上がった頃は退屈して、庭で遊んでたそうですが、「カエルの歌」が止まらなかった様です。終わりの頃に会場の笑い声に誘われたのか、また戻って来て、小さな手拍子をくれました。

 二日目の感想も送って下さいました。

「今日は、ふきのとうにいながら、ずっーと世界を感じてました。
若林さんの音楽がホントに全身に伝わってきました。
ありがとうございました」

「休日の午後2、3時ぐらいに部屋で聞きたい、ウトウトしながら聞きたいと思いました。ウトウトしながら聞いたら現地にいる夢をみるだろうなぁ〜?
心地よかったですよ。」

「若林さんの演奏には自然と耳だけではなく心も傾ける事が出来ました。
民族音楽は生まれて初めて聞きましたが、抵抗なく心に響いて感動しました。
また、こうゆう機会があれば是非参加させて頂きたいです。 今日は素晴らしい経験をさせて頂きありがとうございました。」


 こちらこそ、みなさんありがとうございました。 
 季節毎の蕗の薹での演奏会、実現したら嬉しいですね。 

 蕗の薹の皆さん。片付けの手を止めて座って聴いてくれてありがとうございました。
会の盛り上がりにその分も足されて、ご帰宅が随分遅くなったのでは?

 お忙しい合間に駆けつけてくれて、手拍子もしてくれた富貴寺の ご住職。奥様。今後とも宜しくお願いします。

  直接言い忘れました。スタッフの方が出して下さった。朝のコーヒー美味しかったです。
 息子さんが栽培したんですってネ。 次の演奏会では息子さんにも聴いて頂きたいです。

   オーグテ主宰の黒川さんからも、メッセージを頂きました。ありがとうございます。
 


 昨年、豊後高田市にある「蕗の薹」を紹介していただき、初めてお邪魔した時に、若林さんの演奏を是非ここで!と思いそれから数ヶ月…。
  若林さんの九州でのスケジュールと昨年9月にオーグテでの演奏を聴かれたお客様のまた聞きたい!思いが繋がって8月26、27日実現することができました。

  初日夜の演奏では、若林さんが、佐賀の演奏を終えて宇佐に到着される頃には、お客様は既にリラックスムードで…更に演奏が始まる頃にはスゥッ〜とインドの音色に溶けこんだ様子…。
  後に若林さんにお聞きした所、“皆さんが玄関口まで来て、ドアを開けて待ってくれている状態だった”らしいのですが。蕗の薹の素晴らしい空間&旬の素材を活かした美味しいお料理&美味しいお酒と言うシチュエーションの元に素晴らしい心を伝える演奏者と心のあるお客様が必然的に出会い出来上がった、自然な空間でした。

  初めて聴かれる方も多かったのですが、引き寄せられるようなシタール&ラバーブの演奏&チャイを飲みながらのお話にお客様も引き込まれ、お客様も帰らない…。
  会を終わらせるのが気の毒なくらいでした。

  2日目は午後からの演奏でしたので、美味しい朝ご飯をいただいてから、国東の方にお誘いしました。
  せっかく東京から九州に…  私としてはもっと九州の色々な所を見ていただきたい、美味しい物を食べていただいて、九州を知って、そういう上での若林さんの演奏を聞いてみたいと。
 蒲焼きのお誘いは、快く “行く!” とおっしゃってくださり、道中も周りの田舎の風景を楽しんでくださっていた様子。(お疲れなのにごめんなさい。)
  戻って、国宝富貴寺を拝観され、その後演奏に〜というながれでした。

  午後のお客様も既に蕗の薹の美味しい昼食をいただいて、満足気分。
  お客様の中には3度目の方、若林さんの演奏をずっと待っていた方、ご自身も演奏をされる方等々おられ、何と!自己紹介から始まる演奏会でした。
  それを知っていただいた上での演奏。近い距離でのやり取り。お客様にとっては何と贅沢な事でしょう!

  一人の方から叱られました。
“何でもっと人を集めなかったのですか!もったいない”と。
  本当に嬉しかったです。お客様からのこのお言葉。

  この贅沢な幸せな空間を、自分達だけでは申し訳ないと思って、誰かに伝える。あの人にも、この人にも伝えないと!って思って伝えていく、人が世界を歩いて伝えて行った様な。

  私なりの捉え方ですが若林さんの音楽はそんな気がします。
  今後どうなっていくのかワクワクしてきました。

  今回は若林さんがお忙しい時間をさいて、皆さんと交流してくださった事にとても感謝します。
  でも、皆さんの感想を聞いてみるともっともっとお話したかったと、欲張りな感想ばかり。本当に皆さん帰らないのですよ。

  うちの大事なお客様なので、これからも無理なお願いを沢山して、少しずつ若林さんとお話できる機会を増やしていけたらと思っています。

  若林さん、宜しくお願いいたします。
                                  黒川貴美代

   ほんとに楽しかったです。
 次回、福岡のお友達をお誘いしたいです。 そして黒川さん達を福岡のお店にご案内出来たらと思います。応援して頂いている素敵な人達がまた繋がって、どんどん大きな輪になったら幸せです。

 このHPを読んでくれた蕗薹LIVEのお客さんが、メールをくれました。

 「こんばんは。日頃は、解体され、押し入れに押し込まれているパソコンを用意。
ようやく、若林さんのホームページを拝見しました。
すごいパワフルですね。書き込まれている内容に引き込まれてしまいました。
びっくりです。
蕗薹ライブに至る話も知り、すご〜く有りがたい素敵な時間を演出をして頂けたことに、感謝です。」
 8月27日(日)  杷木市原鶴温泉「小野屋」で民族音楽
 






  オーグテさん企画の蕗の薹での演奏会を終え、お客さん、スタッフ全員のお見送りを受けながら、車で湯布院〜日田〜を越えて福岡県の中東部、杷木町の原鶴温泉へ。
 老舗の温泉ホテル「パーレンス小野屋」さんで季節毎に行われる「祭り」の出し物のひとつに民族音楽演奏のご依頼を頂いて。

 杷木町は幹線が無いので、車も列車も時間的にあまり変わらず。むしろ列車の乗り継ぎが悪ければ、夜の演奏に間に合わない。耶馬渓の白岩さんとお友達が車でリレーしてくれるお話が有ったのですが、オーグテのスタッフさんが日田に帰るのを足を伸ばしてくれて、最短距離で丁度の時間に着きました。

 演奏依頼のお話は、福岡で昨年お友達になった、民族楽器奏者のゆっきー君から。
 ゆっきー君は、7月の糸島のイベントにも呼んでくれました。
 ですが杷木町の担当者の「てっちゃん」という人が携帯メールだけで、しかも私より忙しい方で、字数制限もあって、要点だけのやりとり。
 正直「老舗温泉旅館」と「民族音楽系アンビエント・ミュージック」の取り合わせがピンと来ないままの会場入りでした。

 ところが、ホテルに着くなり、スタッフの方々が皆さんもの凄く丁寧。明るく上品で感じ良く。出番間近のゆっきー君達に「おう!ありがと!楽しくやろネ」、てっちゃんと「初めまして!宜しく!」と熱く握手をして「今夜も気分上々」

 和室の楽屋に入ると、わざわざ社長さんが来てくれて。
 お名刺を頂けば「てっちゃん」と同じ名字。 オーストラリアに管楽器ディジュリドゥー修行行った「てっちゃん」はご子息だったのでした。それで疑問が解けました。
 それどころか社長さんは若い頃ベンチャーズのサウンドに魅せられギターも弾く音楽好き。今年春から始まった「小野屋祭り」は社長さんの夢だったとの事。

 音楽演奏に関係無く盛り上がる大宴会場でしたが、社長さんの音楽への想いを聞けば モチベイションも最高に高まって「よっしゃ!さらに盛り上げまっせ!」
 9月2日小野屋さんから写真が届きました。
 ありがとうございます。
   かと言って、司会の方も思わず声を高める騒乱状態。 音のか細いシタール演奏は辞めて皮張りのルバーブにしても厳しい。 でも不思議に気負わずに。自然体で演奏すれば、次第に聴く人が増えて。二三曲演奏した頃には大多数が。 そこで国当てクイズや、ご年配に知られる「ウスクダラ」を演奏しましたら、会場中が集中してくれて。

 間に「お神楽」を挟んで、ゆっきー君達とのセッションがプログラムのトリ。
 楽屋で打ち合わせした若林のオリジナル曲でしたが、もう会場は若林が出れば「何でもノッテやるゾ」状態でした。
 福岡で作曲した「風の街」「Ber-Ber」と言った民族音楽フュージョン曲で大盛り上がり。
 ゆっきー君、おーちゃん達を誘って太鼓で会場を練り歩き。
 てっちゃんから借りたジェンベをほぼ全員のお客さんに叩いて貰って。

 ラストの曲にステージに戻れば、宴の当初から踊っていたというおばさんのみならず、多くの方が踊りだし。最高の「祭り」状態。
 お客さんも社長も、スタッフさん皆さんに笑顔がこぼれました。
 「今皆さんに叩いて頂いた太鼓は社長の息子さんの太鼓でした! 沢山の応援者さんの心を入れて頂いた太鼓で良い音楽を!」と言いましたら大喝采! 
 てっちゃんもちょっとウルって来てた???

 ただ残念なのが、折角奥の方から「盆踊り」三人組が踊り始めた所で、時間もオーバーしていたので、終えてしまった事。
 後で聞けば、近所の旅館の女将さん連が駆けつけて踊ってくれたのでした。
 ルバーブで「炭坑節」弾いていれば最高のエンディングだったに違い有りません。
 
 途中に十拍子が入る所など、ルバーブの得意分野だったのですが。

 演奏後、和室にご馳走がずらりと並び、社長さんから感謝と労いの言葉を頂き、至れり尽くせりの中。福岡天神迄の最終深夜バスに乗り遅れそうな時間迄楽しい時間を過ごしました。スタッフさんの笑顔に送られ、ホテルの社用車でバス停に急行。
 日曜早朝から分刻みの九州中南部ツアーはバスの中でもまだ話しが盛り上がって、疲れを感じる間もなく、天神へ。

 深夜バスが着いたのは、福岡にワンルームマンションを借りる迄一番お世話になったビジネスホテルの横。楽器を担いで大型バスの出入りに恐々としながら横断していた懐かしの場所をバスの中から眺めるとは不思議な気分でした。

 社長さんは「また是非」と言って下さいました。その晩も、出来れば泊まって温泉も楽しんで、翌朝は自慢の庭園の前のカフェでモーニングコンサートを、と言って下さいました。

 庭園には両端幅8mの見事な桜があって、今年の春は大鼓の演奏もされたそうです。
 来春、シタールと鼓のコラボが出来たら嬉しいですし、春と言わず季節の祭りの常連で呼んで頂けたら幸いです。

 是非宜しくお願いします。

ご快諾を得てHP:http://www.parens.jp/より写真を拝借しました。

 8月28日(月)  小倉Kate-Music「Maghreb-Wind」3rd-LIVE
     最近決まり文句になってしまった様な感じで、迫力に欠けますが「怒濤の三連ちゃん!」を終えた翌日は西小倉のKate-Musicでの夕方のレッスンと夜のライブ。毎月月末の恒例です。
 佐賀〜杷木町〜国東〜小倉だったら道順通り? 前日に小倉を素通りして国東迄行ったのだから、小倉に泊まれば良かった? 結構この三日、あちこち行ったり来たりでした。
 でも福岡に戻って良かった。大好きなお友達と実のある話しが出来ましたから。

 前にも書きましたが「止まったら死ぬ鮫」って意味分かりますよね?
 鮫は鰓の構造が下等な魚類で泳ぐ事で水流を得ないと窒息するという話しです。
 暇に成るとうだうだ考えたりろくな事無い!と知っているからか、演奏が暇に成れば、勉強したり、楽器作ったり。 楽器の置き場が無くなって閉ざされれば山に行く。
  演奏が忙しく成る事は演奏家の本望ですから、ハードでもへたったりしない。
 相変わらず気に病む事はあるかもしれませんが、演奏で忙しくても、オフを上手く作れる様な感じになって来ました。有難い事です。

 小倉の生徒さんもみんな皆勤賞で頑張ってます。 先日のえいむのライブもグッドタイミング。Maghreb-Windのライブも。 講師が楽しそうに仲間と演奏している姿を喜んでくれて、自分の練習にも一層励みが得られた様です。東京でも二年振りに定期ライブが二カ所で始まりそう。11 月には発表会もあります。

 でも小倉の教室はジェンベ、ダラブカ、太鼓初心者、インド太鼓、シタールが各一名だから不思議な光景。 15分ずつズレて来て貰ってますが、後半はグローバルな大合奏。12月のKate-Musicの発表会もそんな「ワールド・ミュージック楽団」になりそうです。

 この日のMaghreb-Windはヴァイオリンの谷本さんを全曲に迎えて、福岡佐賀勢が来なかったのでKokura-Windの様相でした。
 「お客さんから昇格? 降格?」の高橋君、MWの金庫番ワタルさんに谷本さん。
 後半には、戸畑に帰郷していた東京のお弟子さんも加わって。
 御常連の応援者さん達も駆けつけてくれて、やっぱり怒濤の大盛り上がり!
 
 録音中のMaghreb-Wind-CDに少しでも「ライブ録音」を、と祖原Cafe楽屋さんからCD録音機をお借りしました。
 ところが谷本さんの応援者さんやKate-Musicのスタッフ、お客さんみなさんが「このままライブ盤で!」という程の好演。
 
 テーマ曲のMaghreb-Windをアラブ弦楽器で弾けば「ここっきゃ無い!」ところでベース、ヴァイオリンが鳴り出す。パーカッションも出張らず引っ込まず。
 相変わらず「その場で新曲を作るとんでもない巨匠」は、突然アラブ弦楽器で「アラビック・ファンク」を始める。
 「ヴァイオリンとベースで好きに演って!」と言っておきながら自分も好きに演る。
 その曲に至っては超ノリノリで、エンディングは三回もありました。
 終わるかと思い気や4ビートで続いたり、ヴァイオリンのディクレッシェンドで「今度は終わりか?」と思えば太鼓が入って来て。
 ライブ後の歓談で録音されたものを聴けば、みんな楽しくて嬉しくて大笑い。

 「辞められません、止まりません」
 その場で出来た新曲は一体何曲に及んだのか? 今迄は録音してなかったので、誰も覚えていませんが、これからは毎回録音するので、とてつもない量になりそうです。

 まだ生で聴いた事の無い人は、是非。新曲作りに参加して下さい。
 次は9月17日(日)15:00ホークスタウン、イムズ17:00のアジアマンスのミニライブ。10月10日のVooDoo-Loungeのミニライブと 10月30日のKate-Music-Vol.4です。

宜しくお願いします。

 8月29日(火) 祖原Cafe楽屋 「Life & Music」キューバ音楽特集
   怒濤の四日間5ステージのファイナルは、「一周年記念イベント」が有ったので久しぶりの西新・祖原のCafe楽屋さんでの「Talk&Live」で一年振りのキューバ音楽特集でした。
 西方面は西南大学、九大六本松、福大と学生街が多いのにまだまだ宣伝不足で、お客さんは少ないですが、久しぶりに御常連と会えて嬉しかったです。
 小倉から高橋君も駆けつけてくれて、公開講座風場面もあり面白かった。

 「キューバ音楽にとって歌は踊りと太鼓演奏のお皿に過ぎない。だから歌に合わせようなんてするな!」を講義テーマに、お客さんで来てくれていたQadam-Beatの相川君に「お題拝借」
 Q:「野菜で何が好き?」A:「じゃがいも」
 よっしゃ!篠原君じゃがいもの歌歌って! 「えっ? 知りません」
 何でん良か!! 
 すると篠原君懸命に「ジャガリコジャガリコジャガリコジャガリコ..............」
それに合わせて高橋君にはボンゴ。ただし「パターンが二回続いたら¥100の罰金」
 クールな高橋君が「たじっ」としながら、なかなかのキューバ風味を出して面白かったです。
   



 Music & Life  

 
 
 
 
 

 8月11日(金) 持ち上げられて、落とされて。
 

 同じ様な事が一日にいっぺんに集まって来る事があります。
 そんな状況は、やはり「運気」と思ってしまいます。
 8月11日は、持ち上げられて良い気分になった途端に、ストンと落とされたり、ドスンと地面に叩き付けられる事が幾つも重なった不思議な日。とっても不愉快な事、ちょっと悲しい事、ガッカリですが笑ってしまう様な事が続きました。

 音楽に関する事で言えば、来日演奏家を招聘する会社がアポイントを取って来ました。
 今迄一方的にチラシを送って来たのが「わざわざ」には何か良いポジションのお仕事かもしれないと期待すれば、やっぱりチラシ。頂いたプログラムには旧態依然の勘違いや、イベント出演者にはちょっと違うんじゃないの?という人達が。そこそこガッカリでした。

 30分も置かずに、数日前からお約束の雑誌の取材。
 良い感じの青年が三人来ましたが、見本誌を見れば風俗系。
 瞬時に「ごめんなさい」とお引き取りを願えば「今からでは白紙ページを作ってしまう」と嘆願され。民族音楽の取材だから、よもやそんなことは、と思って雑誌内容を確かめなかった責任も感じて「匿名、写真無し」でお引き受けしました。
 意外にも青年達は実に謙虚で、質問も的確。妙な話し音楽誌のい取材より視点が面白かった。
「拍子木って何の役目ですか?」は若林得意の話しを引き出しました。
 「それはある意味で羊飼い、保育園の保母さん」羊や子ども達が伸び伸び遊べる雰囲気を作りながら、全体を見渡し「危ない!」と思うと警告を出す。羊や子ども達を統率するのでは、伸び伸び出来ない。信頼と安心感があるから伸び伸び出来て、くつろげて、幸せを味わう。そして育って行く。常に緊張感を与えて統率するのではファシズム。などなど。
 風俗に関して、私が音楽家の原点であるシャーマニズム、日本に於ける本来の意味の「癒し」の話しをして「とても重いテーマ」「だから取材拒否」に関しても話しが広がり、真摯で謙虚で賢い今の若者との出会いは、なかなか有意義なひと時でもありました。 

 体験講座のタイミングにラッキーな取材!と喜んだ分は、ちょっとストン。でしたが。
 ドスンも含めて幾つかの事がいっぺんに来ましたが、これがひとつずつ数日だったら、さすがに落ち込んでいたところ。「こんな日もあるわナ」と思えたのが少し幸いでした。

 

 

 8 月16日(水) 悩んだ末に
 

 8月15/16日の九州研修で、キリギリス、クツワムシ、カヤキリを採集して持ち帰ってしまいました。

 7月の末に楽器収納庫にする為に完全撤廃を余儀なくされた昆虫飼育部屋。 
  来るか来ないかまだ考える余地さえ無い「飼育再開の日」迄の間、捨てるのも運ぶのも同じお金が掛かると聞いて「喜んで」預かってくれるお友達に飼育用具を送る事にして。
  奇跡的に生き残っていた中国ホペイ・クワガタの雌一匹の天寿を見届けて「40年振りに再開した昆虫飼育」は再び封印される筈でした。

 この二年間。大分の山の中で鳴き声を聞いても募る想いは「罪悪感」と「挫折感」
 演奏時間迄のつかの間に、ススキの中で彼らを掌に載せては放ち。ライブ録音には自然の中で自由に歌う彼らの声も記録され。志なかばで中断し。失策によって失った彼らへの罪の意識に浸っておりました。
 それも、飼育室全廃によって「しばらく忘れられる」筈でした。

 九州の教室のお弟子さんで、芸術工学部の人が「鳴く虫の音と羽根の動きは、音響専科と映像専科の双方のユニークな研究対象になるから是非飼育の再開を!」と言ってくれました。お友達の息子さんも「飼育係の留守番バイト」に立候補してくれました。
  が、物理的にも精神的にも「今は無理」。
  九州で知り合った素敵な先輩が、一緒に畑をやろう!と言ってくれて、その時が再開の時期と考え、その望みに甘えて、罪の意識からしばし逃れんとしていました。
 
 かつて百数種、数百匹居た昆虫達。
 今は三種数匹ですが、これ以上エスカレートすることはありません。限られた時間ですが、丁寧にしっかり育て切る事。しっかり振り返る事から逃げたままではいけない。

 二年前には「この世の楽園」の様にさえ感じた複数種の鳴き声が、今はもの凄い説得力をもって訴え掛けて来ます。

 二年前迄の数年間の昆虫飼育は何だったのか? あの大義名分は何処へ行ったのか? 彼らから何を学んだのか? 何故中断せざるを得なかったのか? この先自分はどうなるのか? 彼らの為にこの先何が出来るのか? 
 
 一鳴き一鳴きそれを問い、厳しい答えを胸に突き刺してくれます。

 

   
 8月19日(土) 明日を夢見て
 

 8ヶ月も引っ越しをしていると、体も精神もかなり大変です。
 洗濯機がすっぽり入る大型の段ボールを数十個、太いビニールロープで縛っているうちに胸筋と上腕だけマッチョになってしまいました。
  「10tトラックで10回運んだよ」とお世話になっているヤマト運輸のスタッフさんに言われて,気が遠く成りそうです。なにしろ、同じ量を8月9月に何処かに運ばなくてはならないのですから。

 福岡に部屋を借りて、天神のビックカメラや空港近くの大家具屋さんでささやかな家財道具を揃えたのが昨年8月の今頃です。

 あの頃 のじわじわっと感じた機運を長閑に暖めていた頃と比べて、引っ越しの他にもちょと大変な事が色々有って「去年がのんびり過ぎた?」「幸せ過ぎた?」そのツケが来た様な過酷な日々です。

 「止まったら死ぬ鮫の様な」と言われていた私です。1999年にライブスポットを閉店してからしばらく「止まった」状態だったのを変えてくれた応援者さん。
 新たな目標や、音楽活動のあり方を示唆してくれた応援者さん。気持の持ち様、こまめなコミュニケイションの大切さを教えてくれた応援者さん。誇りと気概を持って自分を高めて行け!と激励してくれた応援者さん。
  たくさんの心強い応援を受けて、新たな音楽人生を歩み出しました。

 今年の秋は、吉祥寺の教室の自宅への引っ越しのラストスパートと重なり乍ら,9月の福岡市が主催するアジア諸国との国際交流イベント「アジアマンス」、天神繁華街で行われる10月の「ミュージシック・シティー天神」、そして11月の学園祭。12月の自主公演イベント。その間には東京でプロダクションに所属しての定期イベントがスタート。

 音楽家ですから音楽で充実する事は本望です。が、何しろ35年1500回ステージですから、言わば「生き様」「日常」です。
 もちろん今後世の中を刺激する様なコラボレイションは次々展開して行きます。
 舞踊、演劇、舞踊劇、書道、陶芸、朗読。アイディアは次々出て来ます。

 35年の経験を刻んだ腕、世界中の音楽家に学んだ頭、本番に強いハート。始まれば
「日本人離れ」で盛り上げますし、感動させます。

  でもその原動力が無いと。
  20代で日本のトップクラス、30代では各国で評価され、 
 厳しい実力の世界も、コネと利権の虚構の世界もかいま見ながら、さらに上に行こうと想う為には、原動力が必要です。

 人としての生き甲斐。明日に備える安らぎの時間。熱く語って閃く時間。
 人生を振り返って想う時間。
 去年の長閑な福岡南区のマンションの小部屋で、 そんな時間を得てこそ今年のバイタリティーがあります。

 昔から「想い描く」事が原動力でした。
 同級生が週刊誌を読む就寝前のベッドライトで、欲しい楽器の写真を眺めていると必ず一年以内に、楽器が向こうからやって来ました。

 想い描くを続けながら公言して。35年貫いて来ました。

 中学の卒業文集に「民族音楽とブルースのミュージシャンになる!」と公表。
Blues?やってるの? はい!1977年Music-Magazineに載りました。
 
高校受験は夏休みから始めて六番で合格。大学は推薦入学を取りました。
 大学中退した時も「二年で店を持つ」と公言。持ちました。
 10年で「世界中の音楽を取り上げる」と公言。しました。追加の10年で更に掘り下げ現在三回目の掘り下げ中。商工会議所長に「三ヶ月で潰れる」と言われましたが20年続けました。
 1989年「武蔵野インド祭」ではオープニング演奏を勤めました。

 1999年三ヶ月でCD45枚録音。「一年で邦楽の基礎を学ぶ」十五の楽器を学びました。インド弦楽器シタール、太鼓タブラは未だに日本の五指に入る。弦楽器サロード、サントゥール、サーランギーも。この段階でインドにも居ない。その上でアラブ弦楽器ウード、トルコ弦楽器サズ、ギリシア弦楽器ブズーキ、そして各国の歌。キューバ弦楽器、コンガ、ボンゴ、アフリカ歌謡、ジェンベ。100年経っても世界に現れないだろう。

 時間の使い方が違う。集中力が違う。 パワーが違う。根性が違う。
 
 誰をも驚かせるスピードで。「有言実行」

 人が動いてくれなくてはならない時は、そのスピードに合わせます。
でもボーっと待ってたりはしない。その先の準備をしていたり、土台を固めたり。
 50坪の土台は、待っている間に100坪の地下付きに変わります。


 しかし。そんな私も悲鳴が出そうな過酷な夏。

 長閑で幸せだった一年前を懐かしむ。


 だからこそ、明日を,未来を信じて、想い描きます。


 2006年中に「民族音楽センター九州Office」と教室を開設。FMの番組。
       熊本、長崎、大分、佐賀ツアー。
メジャーデビュー。

 2007年は、福岡に家を持ちます。民族楽器博物館のプロトタイプを設立。
      畑仕事を始めます。 有機農業で昆虫飼育。大学と提携して鳴く虫研究。
      民族音楽センター名古屋。大分、佐賀の設立。楽団 メジャーデビュー。
      インド、マレーシア、モロッコ、フランス、関西、関東でツアー。
      全国の小学校巡りをスタート。

 2008年は、素敵なお友達と文化伝統を語り合い、新たな閃きを産む邸宅を持ちます。
      東京の民族音楽センター新設。福岡に「伝統文化研究所」設立。
      日本とアジアの伝統文化、しきたり、礼儀、芸能を学ぶ学校です。

 2010年には、「民族音楽博物館」「国際民族音楽学院」「自然昆虫植物館」
      
 さあ! 頑張ろう。

 明日は久しぶりの「体験講座」何時もはタブラが人気ですが、今回はシタールが人気です。
 

   
 8月25日(木) 詩を書いています。
 

 ある恩人のお陰で、35年書けなかった曲がどんどん書けています。
 その人のお陰で、なんと大の苦手だった作詞迄。

 その人がヒントをくれて書いた、久々の作詞・編曲が「風の街」
  私が福岡で結成した楽団で、今一番勢いのあるMaghreb-Wind。現在デビューCD録音中ですが、日本語の書き下しの歌詞でチニジアの砂漠のフェスティヴァルの伝承曲を歌う「風の街」がデビューCDのタイトル。

  Maghreb=「アラビヤ語で陽の沈む処」すなわちサハラ砂漠の西端チュニジア〜アルジェリア〜モロッコ地域。日本では! 九州北部です。
 九州北部で生まれた新しい音楽の風が、日本全国、世界へとたなびいて行く。

 そんな楽団が生まれたのが小倉、本拠地は福岡市。
 Maghreb-Windは小倉生まれの博多湾育ちです。

 「風の街」は筑紫の山風、博多湾の海風が吹き、高宮のマンション8階から見ているとあっというまに山から天気が変わる。そんな福岡市での楽しい音楽の「広場」そして「歌声」を外の世界に届ける決意を表した曲です。

 この曲が10月22日の福岡市の福祉イベント「ときめきFesta」のテーマソングに選ばれました。
 楽器作りやライブを通して、福祉に携わる方々、親御さんみんなが楽しく歌える歌詞にと、「風の歌」はMaghreb-CDヴァージョンと「ときめきFesta」ヴァージョンの 2テイクを録音しました。

 そして今作詞中なのが、「風の街」の原点をくれた人が励ましてくれたもう一曲の
「サハラ」
インストゥルメンタルとしても行けそうでいて「歌っぽい」ちょっと扱いが難しい曲です。

【Sahara(砂の詩)】

 若林のイメージは「サハラの砂」そして「砂を運ぶ風」やっぱり「風の街」のMaghreb-Windなんですが、「砂の意味」が違う。

 砂には「心」が「記憶」の形で込められている。

 そして、同じ心の傷と喜び、同じ記憶の者が息を掛けると、鳴り(歌い)出す砂。

 
 誰でも知っている様に、山が渓流に削られ、氷河に削られて岩に成り、 
 岩が川に削られ石になり。 石が更に削られて砂利になり。砂利が波に削られ砂になり。 砂が風に削られ更に細かくなる。
 苔が付いていた石の時代もあれば、塩に揉まれた時代もある。
 サハラの乾いた砂は命さえ感じられない清らかな砂。

 岩は大志を抱いて幾つもの岩になって下界に降りて行く。
 その 岩の記憶は石に受け継がれて、石の記憶は砂に受け継がれる。

 すべての砂に記憶があるのだろうか? 風に削られて天空に消えた記憶もあるだろうか?
 渓流の底に今も冷たく清らかに残っているものもあるのだろうか? それらは一体どれほどの歴史を見て来たであろうか?

 でも、やがてそれらは堆積して、何万年も経てば隆起して山に戻る。

 サハラの詩はそんな精神の上に、ちょっとロマンティックな旅の楽士の話しが加わります。

 360度のサハラの中で、何故その楽士は馬を下りて、砂を掌に取ったのか?
 さ〜っと落とした砂の最後の数粒の中に、楽士の吐息に応えた砂があった。

 楽士がその砂を感じて馬を下りる筈が無い。 
 砂が楽士を呼んだのだ。       
 見えない繋がり。

 時々凄い事を言う方が、つい先日。

  「若林さんは『砂』の様」と言って下さった。

 取り掛かっているこの曲「サハラ」の初演奏を中洲のジャズ喫茶で聴いてくれた人ですが、歌詞のテーマの話しはしていなかったのに。

 

   
 8月31日(木) 音楽の原風景
 

 私の民族音楽の原風景は、小学校低学年の時に近所の団地にシーツを何枚も縫い合わせたスクリーンを垂らして上映された、地域自治会主催の「夏休み子ども映画会」での「シンドバッドの冒険」で聞いた「アラビヤ風音楽」の不思議なメロディーだったと思います。

 さらに強烈な原風景は夢に出て来たものです。
 初めて民族音楽をFMで聞いた日の夜見た夢。

 街灯も無い真っ暗な夜道。  丘の上から坂道を降りて行く。
 私は、歩き疲れと、不安で泣きそうな心持ち。
 そこに、一件の家の明かりが見えて。
 足下の不安、苦手な蛙の声の中、
 早歩きで坂道を下って行く。
 すると、不思議な音色のインドの太鼓の音がその家から聞こえて来る。
 不安の中で聞こえた不思議な音色であるにも関わらず、その音が私の不安を解消してくれる そんな気がして家の側の畦道で足取りを速めた。そんな夢でした。

 生まれて初めて聴いたインド音楽の太鼓の音色とビートにかなりの衝撃を受けた様なのですが、不思議なのは、曲がりくねった街灯の無い坂道。畦道。東京生まれ育ちで、田舎も無い私にとって、それはデジャヴの様な不思議な光景でした。
 今年の夏、その坂道とほぼ同じ坂道を歩きました。
その坂の先にもの凄く惹かれたのですが、今回は行ってみませんでした。
それは、とても素敵な町で見つけたからであり、また必ず来る運命を感じたからでもあります。
 
 私は、デジャヴや運命的な場所との繋がりを強く感じます。
 今年の夏、あの坂道との出会いは、励みになっています。
 原風景との再会は、初心を思い出させ、何かの使命を感じさせてくれる。

  あの家から聞こえた神秘的だけど、逞しくて優しい太鼓の音色。
 それが私の音楽の原点のひとつです。