diary 2007 December

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 12月


 音楽活動のご報告

 
 
 
 12月2日(日)   アクロス福岡でのConcert
 

  子ども向けの「人形劇」「朗読」「音楽」を主催している福岡の市民グループ「SEGUE」さんの「15周年記念イベント」にゲストで呼ばれました

 10:30/13:00/15:30/18:00/20:00
 に「生演奏による人形劇:くるみ割り人形」と「朗読と切り絵による:あらしのよるに」の間の 若林の演奏「アフリカ音楽」は
 11:00/13:40/16:00/18:40/辺りから各30分。

 毎回、ほぼ満席。各回120人以上に座敷席の子ども達を加えると140人前後でしょうか。 予約が少ない午後の分も「当日」の方が数十人も入って。大盛況だった様です。
 そして若林の「アフリカ音楽」もとても喜んでもらいました。
 ケニヤ人にもウケて「ナイロビLIVEを企画しよう!」とまで言って貰った、古ポップスから、トーキング・ドラム、親指ピアノ、ジェンベ、シェケレ、それぞれの弾き語り(叩き歌い)。

 朝五時に吉祥寺を出た時、寝坊でシャワーも浴びずに飛んで出て。第一回を終えて、福岡の自宅に飛んで行ってシャワーを浴びたので、一回目のお客さんはお見送りが出来ませんでした。 
 ちょっと困ってしまったのが、人形劇団、音楽楽団と同じ楽屋だったんですが、二回目のお客さんをお見送りした後、奥のパーテーションの裏でパイプ椅子で仮眠を取らせて頂いていて。 自分の咳で目を覚ますと、楽屋は大勢の人で盛り上がっていて。
 「若林さん良かったよね」「毎回子どもに合わせて内容が変わる所が凄いね」
 「流石だね」と言われてしまって。 出るに出れず。 でも、知らんぷりして聞いてたというのも.........。と困ってしまいました。

 主催者にとっては、四部で終わりで気分一新でしたが、若林忠宏は20:00から
「若林忠宏:インド音楽mini-Concert」主催者さんが「せっかく円形ホールの借受時間があるから演奏されたら?」とセッティングして下さったのです。
 18:00の回のお客さんも、そのまま少し時間を潰してから来てくれたりで、60人を越えるお客さんに囲まれて。朝から同じ場での演奏ですから、伸び伸びリラックスして演奏しました。
 朝の回のお客さんがもう一回、お友達を誘って来てくれたら、偶然マイミクさんだったり、お会いしてお話ししたいと思っていたマイミクのドラマーさんが奥さんお子さんと来てくれたり。びっくりしたのが長崎の応援者さんのちゃらんごさんが「丁度渡福の都合と合ったので」とは言いながらも、駆けつけてくれました。 
 マイミクでもありますが、若林の演奏を仕事の都合が付けばDVDに録ってくれているコズとしさんも来てくれました。

 SEGUEさん、スタッフの皆さん。 ありがとうございます。
 また是非、呼んで下さい。

★デジカメ動画ですから、ほんの少しですが、

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=327576&video_id=2204786

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=327576&video_id=2204795

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=327576&video_id=2204838

 【ありがとうございます。2007年12月05日04:13】

 先日のアクロス福岡でのインド音楽Mini-LIVEに長崎後援会長さんが突然お見えになって大変嬉しい思いをしました。 
 そして今日、兵庫後援会長さんがBlogコミュニティーに自己紹介文を書いてくれていました。
なんとびっくり。1978年〜1999年吉祥寺でやっておりました民族音楽ライブスポットで働こうと思ったのが「面接」迄のご縁だったと! その後「民族楽器大博物館(京都書院)」を欲しいと思った時に絶版だったので私に電話をくれたそうです。でも「無い」と申し上げたようです。
 13年前ですと、生徒さんもアルバイトさんも「来る者は拒まず」の時代だった筈なのですが、なんて事でしょう。二度もフッてしまっていたのです。 
 ところが先月、兵庫の演奏が急に決まってご連絡して、たったの一週間しかないのにライブのお願い。二つ返事でご快諾。素晴らしい夕べになりました。

 思えば、吉祥寺から殆ど出なかった私が、頼まれ演奏でほんの時々各地に呼ばれ。
何時もトンボ帰り。それが昆虫飼育のお陰で「早めに行って昆虫採集をして」各地に呼ばれるのが「不純な動機」で嬉しく成って。ほいほい出向く様になると各地で「お店のファンでした!」と言ってくれる方と出会いました。
 それがきっかけで月に二三回の九州通いで、楽団は30にもなりました。 次なる目標は全国各地で楽団を作って「民族音楽は方言文化」「日本の復旧は地方から」を具現しよう!と、思い立てば、各地で民族音楽センターを立ち上げてくれたり、演奏会の話を進めてくれたり。

 吉祥寺以外では、全国に先駆けて「民族音楽センター」が出来た大分耶馬渓の代表さんも、仲良しになってからおっしゃいました。その時もびっくりでした。
 20年前に私のインド音楽LIVEの大ファンで、苦学生がライブに通う為に考え出したのが「バイトをすれば良い!」。ところが三日位して「ゆっくり聴けない」事に気付いて私の母に重々詫びて辞めたそうです。 
 
 名古屋万博のスタッフさんも吉祥寺の店の常連さんで、演奏後、車を飛ばして飛行機に間に合わせてくれました。 

 大阪の知人が話してくれた大阪が生んだ日本を代表するギタリストの言葉
 「ええこと長い事やってる奴が勝ちやでぇ」
 
 何度かその言葉を恨みました。 
 「真に受けて辞めずに続けてしまって」「ちっとも良くならないじゃん!」
 「勝ち負け」という感覚も良く分からないし。

 でも今日、兵庫後援会長さんの自己紹介文を読んで思いました。
 「勝ち」の自覚は得られないけれど、「負けそうに成っても負けないだろうな」と。

 絵描きさんとか、陶芸家さんとかは「作品が残って羨ましい」と思った事もありました。
 「音楽」はその場で消えて行ってしまう。 35年中34年程「作曲をしなかった」から「作品」も無ければ、根っからの即興人間ですから録音物もちょっと別物感覚。
 
 でも「20年目に辞めてしまった店」でさえ、毎回毎回演っては消えるライブでさえ。
 一旦人に向けて放たれた以上、受け取る人の耳、思考、感性、心に届き、記憶、想い出になり、13年も20年も想い続け、私の知らない所で「絆」を紡いでくれている。
 
 全ての事が「Work」という「作品」なのだと。

 その意味では、全ての事を、中断しても、休んでも
 「辞めなくて良かった」なぁ、と思います。
 
 インド音楽もアラブ音楽も。 ラテンもブルースも
 昆虫飼育からプラモデル。 楽器作りから、書きものまで。

 やりたい事をやりたい様にやらせて下さった事に感謝です。

 「信念」を貫き続けられた「自由」に感謝です。

 ありがとうございます。

 12月6日(木) 高円寺でシルクロード音楽LIVE
 

 本日、12月6日(木)今年最後の東京でのライブでした。
 「若林忠宏シルクロード音楽の旅」高円寺:BolBol
 です。若林忠宏のアフガン弦楽器ルバーブ弾き語りと アラブ弦楽器ウード弾き語り。ダラブカは八木成隆君。
 

 今日のライブには、昨年、一昨年に呼んで貰った小学校の音楽の先生が、同僚の先生方を連れてきてくれました。 明日もレッスンがある池袋の講座の受講生さんも奥さんと来てくれて。音楽に熱いお客さんに囲まれて、何時も以上にアカデミックな雰囲気に満たされました。

 一部と二部の間にお話をすれば、受講生さんは、奥さんと歌い手さんと三人のユニットをしていて、若林も準レギュラーに混ぜて貰う事になりました。ピアノとフルートと歌。西洋クラッシック音楽系ではないとおっしゃいますが、奇しくもイメージしていた通りの方向性なので、びっくりでした。
 小学校の先生は、1年振りに広尾のライブと今回続けて来てくれましたが、一昨年の学校訪問演奏も、元々は先生が学校に若林を推薦してくれたとのことでした。

 西洋クラッシック音楽との不思議な繋がり。 そしてやはり九州とも繋がっていました。

今日の太鼓のサポーター八木君も今年前半の受講生だったのが、池袋の東京音楽大学付属民族音楽研究所「民族音楽社会人講座」。もう四年程講師をしています。
 今日来てくれた後期の受講生さんと奥さんと歌い手さんのユニットとの交流は実にタイムリーです。「西洋クラッシック音楽系のポップス」に「民族楽器」を独自なアレンジで絡ませるスタイルを丁度イメージしていた矢先だったから。 出来そう!と意気投合。 そして伺えば、ご主人は大分人でした。 別府の出身ですと。

 小学校の先生とのお話は、音楽療法の話からドュビッシーに話が飛んで、西洋クラッシック音楽をアレンジする民族音楽とのコラボ・ユニットの話へ。「アレンジ」と言っても若林独特のアイディアで「作品」を「民族音楽的解釈」でモチーフを分断し、部分繰り返したり、隙間を空けたり程度ですから、本筋は変わらない。そこに民族音楽が絡むのです。 
 すると奇しくも先生がドュビッシーの三部作「版画」の楽譜を持っていて、その場で意気投合。 ユニットが決まりました。 楽譜もそのままお預かりして来ました。
 なんと先生は東京音大ピアノ科の卒業生。厳しい事で有名だったと言う音大でのピアノの師匠のお父さんは若林の叔母の師匠でした。師匠の叔父さんに当たる方が若林の母の師匠です。偶然とは言え、奇遇にも「同門・同筋」。それに驚いていたら、なんとお父さんが鹿児島人でした。

 春の受講生、秋の受講生と本学の卒業生で盛り上がっていたら、BolBolのマスターが先日小学校の「国際理解教室」に呼ばれて行ったのが先生のお友達が音楽を担当している、お隣の小学校。しかも若林の母校でした。

 不思議な出逢いの夕べでした。
 チラシをご自分でデザインして迄、ライブを盛り上げようとしてくれるマスターに
 イランの歌も教えて貰えるという励ましの言葉も貰い。
 ライブ後のお楽しみの「絶品のパスタ」をお腹一杯頂いて。
 
 八木君の笑顔に見送られて吉祥寺に戻りました。

 みなさんありがとうございます。

 さっそく、ご縁を音に替えましょう!


 12月9日(日)  小倉でKate-Music-Concertに参加
 


 9日(日)は、朝吉祥寺を出て、天神のカルチャーセンターで教えた後、小倉ケイト・ミュージックさんのConcertでした。

 若林が民族楽器科を担当している、音楽教室で、ピアノ、ヴォーカル、ベースなど色々。 昨年も参加しましたが、中々のレベルで「発表会」というより立派なコンサートです。

 ケイト・ミュージック主宰者秋元さんのピアノに、谷本仰さん:Violin。いわつなおこさん:Acordeon。のTrio-Los-Fandangosの演奏に
 
若林がケイト・ミュージックさんでのLIVEの繋がりで結成した福岡で最初の楽団民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Windも、福岡市からパーカッションのアジ君も呼んで、四人揃って演奏。

 エンディングには秋元さんが、若林自作曲「風の街」を、会場を巻き込んで
歌ってくれました。

 民族音楽科の生徒さんもかなり上手になってくれて、ビシっと決まったので、評判も上々。 

 昨年よりも温かな小倉でしたが、打ち上げもしてもらって。充実の一日でした。

 民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Windは、またも伝説のライブを更新してしまいました。

  9日の小倉ケイト・ミュージックさんのConcertは本当に幸福でした。
 お客さんにも喜んで貰えた事。 発表演奏をした生徒さんも皆満足の様子。
 ゲスト出演した民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Windも久々に全員が揃って好演。

 メンバー全員が自画自賛するだけの「音楽ワーク」は確かに積み重ねられて来ています。
 先日も凄い瞬間が一杯ありました。
 
 冒頭に感動したのが、始まって数分でお客さんが「水を打った様に」シーンと聴き入った事。
 「それだけの音を出していたからだヨ!」とおっしゃってくれましたが、数分です。
 Maghreb-Windの聴き方に慣れた人達という訳でもないのに。
 
 30分の持ち時間ですから、三曲。 三曲目は「会場一丸と成ってのフィナーレ」なので、サイズや進行を決めましたが、二曲は若林自作曲ですが、モダンジャズと同じに「テーマとテーマの間は即興」。しかもたいがい「混沌」とした即興の中で自然に「ここっきゃない」ところでテーマが始まる。 言わばそれまでのイントロがすでに「MW節」。

 

 二曲目の後半、アジ君が客席に躍り出た。
 ジェンベのボトムにマイクをセットし、ワイヤレスで自在に動き回れる準備を最大限に活用した。最早「行け!」の指示が無くても「ここっきゃない」ところで躍り出て行く彼。
 この半年は、谷本氏の楽団に対する愛着とアジの成長がMWを大きく飛躍させています。

 すかさず若林がお弟子さん、Kate楽団のドラマーを呼び込む。三曲目に先駆けての打ち合わせに無いアドリブ。 気付かないドラマーを谷本氏が大声で呼んだ。

 リハーサルで舞台に上がったその日の昼過ぎの時点での事。
 谷本氏と恒さんは、ON-Satage/OFF-Stageはあまり変わりません。 思えばアジも同じ。
 若林はきっとかなり違う。本番とリハーサルでもON-OFFがあります。
 他の三人は、あまり変わらないけれど、出て来た音はもの凄い。 一人で1000人の聴衆相手に二時間ソロを取りそうな音楽家。 
 
 改めて感心したのが、リハーサルで「あれっ?MWってメンバーこれだけだっけ?」
 と思うけれど、本番では20人のアンサンブルに聞こえて来る。日本公演の頃のビートルズの四人だってここ迄じゃなかった? 後期のビルの屋上の「Get Back」セッションの頃の感じだと自画自賛。

 本番二曲目の後半、そこにドラマーが加わりましたからもの凄い。
 ところが、メンバー皆ノリ過ぎた? 予想外の展開でPAさんは大慌て。お弟子さんにもマイクを立ててモニターが破壊した感じでした。

 その時、MWならではの凄い事が起きました。
 
 正方形をイメージして下さい。 左下の角がジェンベのアジ君。左上がベース。右上がドラム、右下がヴァイオリン。 若林を取り巻くそんな位置関係でした。

 もの凄いグルーヴの中で、突っ込むドラムと、凄い集中力でタメと間を打ち出すアジとのノリがズレ始め、「正方形」が「平行四辺形」に傾いだのです。もの凄く重いGが掛かって右にズレる。

 普通なら。若林が今迄演らせてもらった東京のプロ・ミュージシャン達でも、ビートを弱めて調節し「立て直す」。キャリアが不足していれば止まって直すかもしれない。
 ところがMWは誰もそれをしない。

 まるで一個の「生命体」の様に。 傾いだ「平行四辺形」が「ぐぐぐ〜っ」と「正方形」に戻って行ったのです。
 もの凄かった。 「譲らない頑固さ」「慌てない焦らない根性」「小手先のジャストミートなど気にしない深いリズム感」それらに裏打ちされた「グルーヴ」に対する信頼感。
 傾いだ時にこそ、MWが出現する様な、不思議なバンドです。

 「やろうとして出来る」ではない、ある意味昨今貴重な、 「真のアバンギャルド楽団」

 
 「楽しかった」と一言で言うのは、悔しいとも思います。同時に「演る側」も「聴く側」も「楽しみ」の分析をして行かねば、今の文化の荒廃をくい止められない。

 「演奏者の十分な達成感」「音楽ワークとしての水準と充実」「聴衆の満足感」
 に主催者への感謝が演奏者からもお客さんからも寄せられる様な一時。
 そこに「主催者の満足」があり、演奏者と楽団にとって「良き軌跡」となりながら、「今後への期待」に「新たな可能性」と「課題」が残された時、音楽家として
 「幸福」「至福」であったと言いたい。まさにそんな夕べでした。

 その後の打ち上げも同じ。「達成感」「充実感」「満足感」「感謝」「喜び」「展望」「期待」の想いと言葉が溢れる中、最高のビールを頂き、生まれて初めて? か二回目?の「あんこう鍋」に至福を味わいました。

 しかしながら、自分が20年店、25年教室をやってきた経験、若いお弟子さんに気を遣っている姿を見て、手放しで喜べない。演奏者としてだけ素直にもてなされ切れない部分もあり、翌日メールにて御礼とお詫びをしました。

 すると返って来た言葉が

 MWのメンバーもKate楽団のメンバーも、若林さんも、皆「家族の様な」もの
 「そこに在ってあたり前」に思われるのも光栄だし、良かれと思い、語らずに裏で頑張るのも「当たり前」の事。

 この三年近く、小倉ケイト・ミュージックさん関連で得た繋がりは、広がり、太く成りはしても、かすれたり、立ち消えたものがありません。

 改めて、感謝をすると共に、この「至福」と、陰なる苦労、頑張りに応えるべく、
 一層の飛躍と活躍を心に誓うものであります。

 御礼が遅くなりましたが、
 MWのメンバー各位。 そしてドラムの白川さん、アコーディオンのいわつさん、
 ありがとうございます。 

 いわつさんもステージに上がって欲しかったな。若林的にはライトの逆行の中で探して呼んだつもりだったんですが.................。打ち上げでおかしかったし、盛り上げて下さったから、OKですけど。 変な子だねぇ。

 そして、小倉教室の可愛いお弟子さん、idumittyさん、Fiestaさん、M.T.君
 駆けつけてくれて、今回もMWの軌跡に立ち会ってくれたtaniseさん
 お母様の着物で受付をしてくれた休学中のふくさん、新入生の西さん、 
 かんかん村の皆さん、江島さん、ありがとう!

 そしてKateさん、コーちゃん、
 沢山のお客さん。 ありがとうございました。

★お友達のtaniseさん、お弟子さんのふくさんとidumittyさんが写真をくれました。

 12月11日(火)  本邦初のアラブ・ブルース
   

  12月11日(火) 若林楽団にとってのVooDooLounge2007Final-LIVE

 今年は昨年以上にお世話になったLounge-Sounds。 やりたい音楽を沢山
 ChaChaCha。エスニック・ジャズTrio。Vocalistとのユニット。Blues。
 
 今年の最後は、なんとアラブ弦楽器弾き語りで、シカゴBluesを演る
 Arabic-Blues-Band「Suuk」

 open19:00/ start19:30
Suukの本番は(三番手)20:55〜21:20頃の予定です。
Charge¥1500(+1irder)
チケットノルマが在ります。入り口で「Suuk」と言って貰って下さい

中央区天神3-2-13 天神センタービル3F
Tel/Fax:092-732-4662/092-732-4381
親不孝通りより一本渡辺通り寄り。アセント福岡そば。というか隣のビルの三階です


 
 12月21日(金)  2007年最後のレッスン
   

 

 
 12月23日(日)  福岡で「忘年会LIVE」Tetraptera-Vol.6
   

 

 


 Music & Life  

 
 
 
 

 12月5日(水) ありがとう神戸
   
 

 

 12月12日(水) 飛行機雲
    温かさと長閑さと

 先日の小倉ケイト・ミュージックConcert
 昨年に続いて、私の教えるクラスも発表演奏があるので、講師で呼ばれました。
 今回は12月2日は半年も前からアクロスのイベントを頂いていたので。私のScheduleに合わせてもらって多方面にお世話になりました。お陰さまで素敵な一日を過ごさせてもらいました。

 会場は昨年と同じスミックスホール。昨年は小倉駅から、西小倉に近い、湾岸にあるホールまで港を歩きましたが、ちょっと悲しく侘しく成る様な「凍てつく寒さ」で、ホールに着いた頃には凍えていました。が、今年は「冷えるし疲れるし、長丁場なんだからタクシーで」と言って貰っていたので乗りました。ところが今年はとっても良い天気で、ホール前で降りたらポカポカでした。

 何故か不思議に「馬が合う」コーキさんが「もう着く時間だけど」と電話をくれた時
「今ホールの前です!」 の会話が何とも長閑な気分。
 見上げると小倉湾全景が見える180度の視野の端から端迄の見事な飛行機雲。
 
 お弟子さんでヴァイオリニスト谷本仰さんの次男、中学生のM君が太鼓を持って現れたので、「ほら!見てご覧!超長くない?」
 思春期でしょうけど、ふてくされず、突っ張らず、素直な好青年です。

 
 小倉教室の一期生は、昨年の小倉ケイト・ミュージックConcertの後にも、小倉・紫川の「水環境館」でも演奏しました。その際に名付けたのが「Sharqi-Ensemble」
 今回は、完璧なアンサンブルでした。

 写真が送られて来たので張ります。 様々な世代で愉快な仲間です。
 最近知ったのですが「数年したら娘さんと『ご姉妹?』って言われそう」
 「更に数年したら娘さんが『お姉さん?』って言われそう」としょっちゅうからかっている
 Fさん。 娘さんは若林のファンなのです。 ところが最近知ってびっくりしたのが、
 Fさんたら、ご結婚前はアマチュアバンドのドラマーで、バスドラ二台叩いていて熱狂的ファンが居たのだそうです。

 小倉ケイト・ミュージックでのクラスは今や福岡市大橋のクラスよりも人数が多くなりました。 そんな前途を祝してくれた様なポカポカ天気と何処迄も続く様な飛行機雲。
 温かくも爽やかな気持ちにさせられました。

 夕べの福岡市でのライブの後、「鬼金話」の「金棒」さんが来てくれました。
 大変なお仕事ですし、若林も翌朝帰京でしたから「ほんの一杯」お誘いしました。
 早速夢が叶って幸せな夕べでした。

 嬉しい応援もたくさんありますが
 色々と悲しい事、悔しい事、憂鬱な事もあります。
 
 しなきゃならない事。頑張らなきゃならない事も。

 吉祥寺に着いて家のほんのちょっと手前で何げに空を見上げたら
 珍しく東京の空にも「飛行機雲」が見えました。
 飛行機の銀色のお腹もよく見えました。

 福岡市は雨が降って来た様ですが、
 吉祥寺はポカポカでした。頑張って少し庭の荷物を片付けに入りました。

 12月13日(木) もし本当に
    もし本当に音楽を愛しているのなら
 もし本当に認めてくれているのなら
 もし本気で勿体ないと思ってくれているのなら
 もし本気でこの国の文化を変えたいと思っているのなら。

 

 私のシタールの師匠。 Ustad Ilyas Khan(1924〜1989)
 以前の日記に「不運にも父親が早世だった」と書いたが、
 不運と言うか、無念と言うか、師匠故に「愚かにも」とは言い難いが、「息子に教え始めるのが遅過ぎた」と二重に損をした人である。
 親が長生きで現役時代が長く、幼少の頃から息子を鍛えて来た演奏家と比べたらそのギャップの大きさたるや。

 師匠の一人息子は私と同じ歳。 喘息持ちで庇われて育った。
 師匠としては元気で居てさえくれればと思ったのだろう。仕事もせずにカフェにたむろしていた。 師匠の回りのラクナウの名だたる音楽家達が息子の首根っこ捕まえて呼び出して、説教し、遂にシタールの修行を始めさせた。 たったの二年で、音楽院の六年生に追いついたが、その後八年で父親に逝かれた。 父親の学んだものの四割も受けとってはいないだろう。

 師匠の長兄で私のサロードの師匠に友人の声楽家のライブに連れて行って貰った。
 舞台の上にはまだ十代初めの弟子と、二十歳間近の息子が伴奏弦楽器を弾いていた。
 声楽家が息子に眼くばせをした。「ほれ、おまえが歌え」

 なんと、息子は聴衆の眼前で首を振って拒否した。
 代わりに少年の弟子が歌い、拍手喝采。

 楽屋では声楽家の楽友が息子を怒鳴りつけていた。

 伝説的なバンドの中心的なミュージシャンの新しい楽団に入った。
 様々な民族楽器の音を提供したくて私の弟子を動員した。

 評判が悪かった。 リーダー氏は、私の日頃のライブを見た感想も含めて
 「何故彼らを使うのか?」と問い質した。

 今年、一つのライブがドタキャンとなった。
 地元の世話人がこつ然と消えたから。 
 ライブハウスのマスターが電話で励ましてくれた。

 アマチュアに振り回されていちゃ、若林さん! プロの名折れですよ!
 
 お店も全面的に集客してくれると言ってくれた。
 が、条件を言われた。
 その代わりに前の様なアマチュアはステージに上げないでくれ。

 丁重にお詫びをしてライブをキャンセルした。 
 35年で初めての事であった。 

 
 大好きな友人が「あいつは本当に良い奴だ」「オープンマインド」で「音楽に対しても本気で」
 友人からアドレスを貰ったので挨拶を送った。 返事が来なかった。
 思いがけず同じイベントで顔を合わせる事となった。
 喧嘩してもお互いつまらんと思い、こちらから挨拶に行った。 
 私の演奏の時、彼は屋外で大声で話していた。
 それでも尚かつ、友人は「良い奴」と言い、聴衆は「日本を代表するプロ中のプロ」と言う。

 
 私があるミュージシャンと共演した時に、知り合いのプロ・ミュージシャンが楽屋に現れたので「良く来てくれたね」と御礼を言った。私の本番の時に楽屋から大声が聞こえて、私のファンも苦言を残していた。主催者が「若林さんに招待された」と言うので、してない、と答えた。
 私は友人の演奏に招待されても正規の料金を払う。 

 
  「お客を呼べる」「売れている」「メインストリームの」と呼ばれるプロミュージシャンの、人としてのつまらなさ、ずるさ、せこさをどれほど見せられて来た事か。

 逆に、彼らが「共演」を拒む「金を取る資格がない」というアマチュアミュージシャンの温かさ、人としての豊かさにどれほど助けられて来た事か。

 勿論、プロミュージシャンの中には、本物も少なくない。 私の世界中の師匠の様な。何故かそういう人達に可愛がって貰う。 が、何故か「プロに一目を置かれながらも」業界では「孤高」。そして一般には知られていない。晩年は「清貧」という人が多い。

 もしかしたら、私はプロではないのかもしれない。
 決定的な勘違いをしていて、それこそ「お金」を貰う資格さえもないのかもしれない。

 貰う「責任」を全うしていないかもしれない。
 
 
 それ以前に、もしかしたら、私が演っている、演ろうとしている事は
 お客さんに伝えようとしている、紹介しようとしているものは、

 「音楽」じゃあないのかもいしれない。

 12月13日(木) 人間臭さ
    ある日本の伝統芸能のジャンルのひとつの話。
 一世を風靡してスタートしたそのジャンルであるが、初代と二代目が共に現役の最盛期にも関わらず、早速騒動が起きた。 家元の娘が二代目となった一番弟子を差し置いて、二番弟子と駆け落ちした。 二番弟子は当然の「破門」。全ての曲の使用を禁じられた。

 彼は、全てオリジナルを自作したが、見事に「流儀」を守っている。
私の主観だが、むしろこちらの方が宗家の作品より「らしい」とさえ思える。
 弟子も贔屓も迷惑だった事だろう。 「二者択一」を迫られ、レパートリーも楽しみも半減する。

 お客やお弟子に迷惑を掛けるなんぞ、プロとして失格。 しかも、家元の娘に手を出すなんぞ、弟子のする事じゃない。 師の恩を仇で返す様な、人としてもその真贋を問われる。

 が、彼の作品が無かったら、その流儀はその後100年も続かなかったであろう。

 しかし彼の派は、終始一貫して「亜流」である。
 この話を知った時「亜流」の方が好きだった自分の感性に安堵した。

 「情けない程」人間臭く「無責任な程」我が儘で
 「自業自得の苦労」をして 歴史にどうにかその名を残し、
 「解る人には解る」程度であるかもしれないけれど。
 
 たかが音楽 されど音楽

 だから音楽    

 真似をしていない所が カッコ良い 

 12月14日(金) 制作さん
 

  心は全ての聴衆の回りを練り歩き、ホールの壁を突き抜けロビーに迄届かせるが、
 音は30cm先に出た所でもう私たちの元を離れている。
 
 それはもう、音響さん。舞台監督さん。照明さん。演出家さん達に
 委ねられ、預けられたもの。アナタ達がお客さんに手渡してくれる。

 こんな事、口に出すのは、初めてだ。 「口幅ったい」とはこの事だ。
 言わなきゃ分からないなら、言いたくないのだが。 
 自分一人なら「それで良い」否、むしろ「それが良い」

 第一部の後、スポンサー、主催者よりも先に「制作さん達」に挨拶に行く。
 終演後はお客さんに挨拶に行く。
 スポンサー、主催者さんには「可愛くない」と思われる。

 自分一人なら「それで良い」否、むしろ「それが良い」
 スポンサー、主催者さんが向こうから挨拶に来てくれなきゃ
 一流じゃない。

 
 今日、東京国際音楽療法学院での今年度最後の「即興演奏」を教えた。
 四つあるレポート課題の一つにこれを命じた。

 「耳」と「心」と「舞台」と「客席」

 何の「基点」を何処に置くのが「プロ」で「アマ」か?

 小倉ケイト・ミュージックConcertで面白い光景が見られた。
 ロビーで生徒さんと調律(民族楽器は時間が掛かる)していたから
 「ドア越しに聴いた」が正しい。

 プログラムが進行するに従って、初級、中級、上級、ゲストと成って行く。
 伴奏は皆プロ。
 より一層その違いが比較出来て面白かった。
 言う迄も無いが「上手い下手」ではない。
 「表現力」の違いでもない。

 「アマ」の組み合わせでそのまま、技術が向上し、演出も加わって「売れる」者も居る。
 が、たいがいは、根本的な姿勢が違う。 

 しかし、どうにも好きになれない。というか「心に響かない」

 「自分が好き」と「音が好き」と「人間が好き」

 その出て来る、伝わって来る順番。

 
 一年前の私の今頃の日記と比べてみて欲しい。
 最近「言わなきゃ分からない」場面が増え過ぎて辛い。

 一年も二年も見て来て何故分からないのだろう。
 KちゃんやK君に聞いてみて欲しい。
 
 「挨拶しない事」で一流のフリをしている輩との違いを。