diary 2006 February

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 2006年2月は、中旬にちょっと厳しい事が集中しましたが、全体では例年にない充実の演奏活動の月でした。新たな仕事のお話も続出し、後半には九州国立博物館デヴュー演奏も果たしました。

 
   
 
   
 

 そう言えば、若林と九州のつながりには意外にアフリカ音楽も関係しています。
でも、それも元を辿ればやっぱりインド音楽。 
その辺りのお話は欄外に書きました。

 やっぱりどこかでつながている感じです。
 
 白岩さんは、ここ数年、アフリカ音楽のイベントの開催に尽力されていましたが、2005年8月の若林の耶馬渓厳浄寺ライブをきっかけにワールドワイドな音楽観に立ち戻り、それはさらにジャンルにこだわらない、しかし「命とつながる音楽」へのこだわりに発展しているようです。


  昨年春以来、九州に頻繁に行く様になって、沢山の演奏家とお知り合いになりました。意気投合すれば「じゃあ是非一緒に音楽をやりましょう!」の言葉を交わすのですが、やっとこの度それが現実のものになりました。
 二つのバンドを結成する事になって、「一緒にやりましょう!」と交わした人達に改めてお誘いをしたら、みんな「ふたつ返事」を返してくれて。ここ数日メールでの打ち合わせで嬉しい忙しさです。

 バンドのひとつが「若林忠宏民族音楽コラージュ楽団:Lakatak」
 若林が特に思い入れのあるインド音楽、アフガン音楽、シルクロード音楽、トルコ音楽、アラブ音楽、ギリシア音楽、アフリカ音楽、キューバ音楽の伝統的なスタイルと、民衆音楽を基本に、贅沢なコラボレイションも含めた「多国籍音楽」です。
 「多国籍」か「無国籍」かどうかは若林の音楽人生の沽券にかかわる重要な問題ですから、聴く人にも「やっぱりひと味違うネ! 本物だね」と言ってもらえる様な音楽を目指したいです。
 メンバーは、すでに福岡市の西の学生街、西新・祖原のライブに出演し始めた福岡の教室の第一期生の篠原君と小山君。九大の院生のT君は博士課程の最後の年なのですが「気持ちはレギュラー。実際はセッション・メンバーで」の返事を嬉しく頂きました。
 この太鼓・打楽器陣を基軸に、在福の沖縄三線、中国ニ胡の演奏者数名や、アフリカ太鼓の演奏者をセッション・メンバーに迎えて、伝統曲や、即興曲を若林忠宏のアレンジで聞いて頂く趣向です。日本の伝統邦楽も是非加わってもらいたいのですが、まだお返事待ちの状態です。
 LakatakのデヴューライブはこちらのWebポスターをご参照下さい。

 もうひとつのバンドが「若林忠宏民族音楽フュージョン楽団:Maghreb-Wind」
こちらはジャズと民族音楽の融合を目指しています。
 メンバーは小倉のKate-Musicの教室で講師 をされているベースの福山ワタルさん、フラメンコ・ギターの坂本君と若林の三人を軸に、福岡中洲のリバーサイドで演奏する時にはジェンベとパーカッションのアジ君とLakatakの篠原君が加わり、River-Sideで毎月とKate-Musicで隔月を予定しています。
 Maghreb-WindのデヴューライブはこちらのWebポスターをご参照下さい。

 東京も頑張っています。
 と言いますか、不思議なもので、福岡、九州で何か新しい動きがあると東京でも負けじと動きが生まれる。
 若林の関東を基点としたメジャーな活動のプロモーションを某有名プロダクションが手がけて下さるというお話。昨年の「スローミュージックで行こう(岩波書店)」を受けて新たに提示しました「スローミュージック」のイベントを企画してくれるかもしれないイベント会社さんのお話。そしてY興行さんの「ナイトサイエンス」の詳細もきまりました。ハワイのシャーマン、ハワイ写真家さんと若林のコラボです。詳細は
http://www.night-science.tv/index.html をご覧下さい。


  2月9日(木)  都立大森高校定時制で演奏
 

 
 
 

 追記A 「親と子ども達のエピソード」
 日記に母が「この子は太陽の子」と言った話しを書かせて頂きました。
勿論、そこには母の「親ばか」も有ったでしょうし、バスの乗客さんの些細な表情を大きく受け止め喜んだ母の笑顔が人々の笑顔を引き出したところも大きい筈です。
 かようにも親子は思いがけない所でつながっていて、その姿がまた世の中の人々とつながって行く。その事に気付かないで過ごしてしまう時間もあれば、忘れてしまっている事もある。
 
  母は「そんなあの子が今じゃ」が口癖でした。きっと中身は変わっていない事も分かっていてくれていた筈。でも、分かっている分表面がどんどん変わって行く寂しさや、良い所が失われて行ってしまうのではないか?という勿体なさも感じたのかもしれません。
  親子は鏡の様なところもあるのでしょうか? 寂しそうな母を見ると、逆に昔の様な甘え方が出来ない自分が在った様に思います。
 「北キツネ物語」や猫さんの親子を見ていますと、「親離れ子離れ」も成長には不可欠なことは分かります。これは大人になりきれていない私だけの考えかもしれませんが、「親離れ」したとしても、親は「永遠の基点」の様な気がします。
  子どもは何時だって親から一番多く学んで成長して行く様に思います。「反面教師」の場合も有れば、「物差し」の場合もありながら。何よりも、親と育った環境は、物事の判断、価値観、新しく学ぶものの理解の「基点」「基準」であることは良くも悪くも変え難いものがあるのではないでしょうか?

 面白い事に、母は「あんたは変わらないね」「相変わらずお馬鹿だね」も口癖でした。そんな言葉も、今になってみれば別な理解で「ありがたい事だ」と思います。
  中学二年の時に志した民族音楽をずっと続けていられたのはそんな言葉の魔力と、自分の本質は「積み立て貯金」の様に親が持っていてくれると信じさせてくれていたからの様に思います。
 そんな事を思う様になったのも、あちこちのお友達の「子どもならではの面白い発想の面白く楽しい話し」や「親子の可笑しい楽しい話し」を沢山聞かせてもらったからです。
 もしこの日記の読者の方も、そんな話しを聞いて、忘れていた子どもの愉快な姿、我が子の純粋さに学んだ瞬間などが思い出されて、殺伐とした日々に少しでも気持ちに余裕が出来るのであれば、おりに触れてそんな話しをしたいと思います。 全国の小中学校での民族音楽演奏の時の話しも含めて。
 また、人に伝える事で、想い出された記憶がもっと長く残っていられるなら、是非、このHPの掲示板に匿名で結構ですから御寄せ下さい。沢山の方がそれを見合って、暖かな気持ちで子ども達と接する事が出来たら楽しいですね。
 そんな話しで微笑む事が出来たり、想い出して笑う事が出来たら最高です。

 2月13日(月) 大橋の教室に新入生
 
   

 2月14日(火) 西日本新聞の取材
 
   

 2月14日(火) 色々勉強
 

 2月16日(木) 孤軍奮闘

 

 2月15日、福岡から東京に移動すれば、福岡は大雨だったそうで、東京もどんよりとした天気が続きます。16日からは寒さも戻って治りかけの風邪もぶり返し、ちょっと厳しい日々です。
 そんな天気の中、不思議に届くニュースはちょっと悲しい話しばかり。日本のあちこちから、シルクロードから、そしてアフリカから..............。そして自分の身内からも。
  この一年、嬉しい話しを紡いで来たこの日記ですが、時には憂鬱なテーマにもしっかり対応して行かねばならない。やはり基本的な姿勢は曖昧に出来ないものだと痛感しました。
【応援者に恵まれず】
 日本を遠く離れて頑張る友人が居ました。
本人の幼稚さが原因で帰国の度に日本中に敵を作る様な若者でしたが、今の日本人の平和惚けにも一責あるなと思えば、民族音楽の本物を目指す姿を私なりに惜しみなく応援して来たつもりです。
 そんな彼がひっきりなしに友人達に同報メールを送る様に成ったのは二年程前でしょうか。私と彼との共通の友人曰く「彼にPCを渡したのは機関銃を与えた様なもの」 アフリカに於ける伝統文化の行く末を案じたメッセージが配信され始め、日本や世界の知人に啓発を促す切なる思いが伝わって来ました。 しかし、それは回を重ねる毎に社会批判、日本人批判にエスカレートして行き、その姿が多くの若者に共感を与えた様で、一頃は総勢数十人に及ぶメール合戦に至っていました。
  昨年は、日本の民族音楽研究機関向けて批判同報メールの嵐。ついに私の仕事関係の方や友人から「どうにかならないか?」の声があがってしまいました。
 その時、私が彼に宛てたメッセージが彼の心にどう届いたかは、表面的には分かりませんが、彼の真意を汲みつつも「もっと良い方法があるヨ」と「軌道修正」をアドヴァイスしました。
 ところがその時点で日本各地から、海外各地から、「良く言った! よくやった!」と彼に集まっていた激励の同報メールが、今年になってぱったり止んでしまいました。
 共通の友人に聞けば「みんな飽きたんだろう」ということでした。
 彼のメッセージはちょっとアフリカを知った気になった日本人のプライドを満足させ、日本の文化への批判の面白さに呼応させた感じがあります。ですが、それもこの様に飽きられてしまう。私は双方に問題が有る様に感じました。

 「良く言った!良くやった!」と言っておき乍ら、提起された問題に取り組む姿もみせぬまま、いつの間にか一人減り二人減り。彼から見ればそんな連中も「やっぱり楽しさだけを追求し、文化を消費している奢れる日本人」。彼のメール攻勢は、しばらくはそんな日本人批判に矛先が変わっていましたが、さすがに異郷の地で孤軍奮闘、次第にそのトーンも大きく下がり、久しぶりに来たメールでは寂しさがひしひしと伝わって来ました。
 若林も「楽しいから」と思って民族音楽を始めた訳でもなく「楽しい」と気付いて続けてこれた訳じゃないですが「楽しさ」を伝えて底辺を広げなくては何も始まらないと「楽しさ」を伝えるポジションを選択しました。
 難しいのは「楽しさ」と裏腹な「理解して欲しい部分」のバランス。それを伝えるタイミング。
 2004年に出ました「民族楽器を楽しもう」(ヤマハ・ミュージック・メディア)は、
「〜音楽の楽しみ」の字数より「〜音楽の難しさ、留意すべき点」 の字数の方が歴然と多い。「それを楽しもうとタイトルをつけて、良く出したものだ」と苦笑される本ですが、御陰様で年々重版を重ねて居ます。 「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)ではヤマハの入門書より一歩進んで、何故楽しいばかりじゃいけないのか?
について、現状の伝統文化の崩壊を説くことから説得するのではなく、古代から今日迄の音楽の歩みを共に考えて何かをそれぞれに感じて貰いたかった。
 私の結論では、そのバランスは圧倒的に「楽しくない」部分が多い。そして伝えるタイミングを計っている様では間に合わない。テクニックで通じさせるのはまるで詐欺師の手段の様。 伝え方、タイミングでやっと通じるレベルじゃもともと期待出来ない。
 でもそれを言っていたら、今の世の中ほとんどの人に通じない。聞く耳さえ持ってもらえない。もしかしたら上手い伝え方が入り口になって少しずつ分かってくれる人が増えてゆくかもしれない。そう信じてやって行くしかない。
 その実、一度ほとんど諦め掛けた私が再び頑張って来れたのは、応援者さんの御陰です。
 アフリカでムキになって頑張っていた友人の、あんなに沢山居た応援者は単なる野次馬だったのでしょうか? 
 彼の失敗の原因、寂しさの原因は、その昔同じ様な事をしてしまった私には良く分かります。分かり易くひとつを上げると「楽しいヨ!」と人を集めてしまった点に尽きます。
彼自身は「楽しい」レベルで取り組んで居なかったにも関わらず,賛同者欲しさに「楽しさ」で人を惹き付けようとして「楽しさ目当て」の者しか集められなかった。私はその辺りで気付いたのでまだましでしたが、やはり異国での孤軍奮闘、顔の見えないメールでのやり取りが彼の感覚を鈍らせたのでしょうか? 彼は「楽しさ」で釣る事が底をついて来始めた時、アンチテーゼに移行してしまった感じです。それでしばらくはまた新しい賛同者を得た訳ですが、それも次第に先細り、ついにはより深く彼を応援していた人迄失うに至ってしまった。
 でも、もし、私たちの様な同業や身内だけでなく、普通にアフリカに興味を持つ普通の人の中から、たった一人でも「楽しくなくても応援する」と言ってあげてくれたら、彼はまた頑張れる様に思います。
  ともに戦わなくても良い。もともと戦うものでもない。 でも同じ場所に立って応援してあげて欲しい。きっと何時かは、自然に上手に伝えられる様に成ることを
期待して。気付いた人間を黙殺しないで欲しい、と願います。

 

 【楽しさと頑張りと我慢】
 アフリカで頑張る友人の紹介で、昨年地方でワーク・ショップを行って来ました。
 大方の受講者さん達にとても喜ばれて、有り難い好評判は友人を何人か経て私の耳に入って来て、更に嬉しく思いました。 
  ところがこの数日に聞いた話しですが、彼が「あいつは見応えが有る」と言っていたワーク・ショップの主催者さんの私に対する評価は全く逆だったと言うのです。
  その人を軸にしてその後も継続する話しだったものが、受講者さんの多くは「また来て下さいネ」と言ってくれていたのに、何故か立ち消えた理由が分かって、ちょっとガッカリしました。でも、不思議なことに私もその人を「えっ!この人の何処が見応えが有る?」と感じていたのです。

  私は、「ライブや演奏会」と「レクチャー・コンサート」と「ワーク・ショップ」「レッスン」では「伝えるもの」が異なる、という意識があります。レッスンにも「手稽古」「話し稽古」「聞き稽古」の様な種類があります。もし聴衆、受講者、生徒さんにと私との間に解釈の違い、誤解があると私とその授業に対するイメージは大きく変わるでしょう。        これらの違いについては欄外を
 アフリカ友人関係のワーク・ショップの主催者さんの感想から察するに、ワーク・ショップとレッスンの違いが分かっていなかった。そもそもレッスンに対する考え方が違ったのではないかと思われます。
  情報が欲しい、「手稽古」的なレッスンが受けたい。という思いは分かるんですが、私に言わせればそれは「怠慢」。「分かろう」という努力に欠け、知ってしまえば良いと思っている。
 情報が無い時代に独学でひいこらやってきた苦労は、今にして見れば「楽しかった!」。不思議なもので当時は「楽しい」なんて一時も感じなかったのに、分かってしまうと分からなかった時代が楽しい。まるで「なぞなぞ」を解く楽しみの様な。
                    これの具体例については欄外を

 それを人から貰っちゃってどうすんの?と思います。だからレッスンの貴重な時間は
「情報提供よりも、情報分析のコツ」「手稽古よりも判断力と吸収力を高めるコツ」を教えます。
 そのワーク・ショップに集まった人達は、音楽の理解も楽器の技術もバラバラ。元から同じレッスンなんか出来ない。ところが一番の核になっていたその主催者さんが、悲しいかな一番私のコンセプトに合わない受講者だった。 人の話しを聞いていない。手さえ見ていない。ひとつ聞いたら自分の世界に入って反芻しようとする。「それは後で家でやって!」と言いたくなる程の意識のずれ。

【詰め込み教育の弊害が音楽にも現れている?】
 私は「勉強嫌い」の烙印を押された中学生でした。二年生迄は下から数えて何番。それが三年生になったら「急に成績上げて何の気まぐれだ!」と職員室に呼び出されたほどの変貌でした。
  勉強が「面白くなった」のは事実です。でも「面白〜い!」と喜び乍らやっていた訳ではない。ましてや「楽しい」と思った訳でも毛頭ない。むしろ自虐的にも似た自らを鍛える事に快感を感じ乍ら「分かることが嬉しい」の粋に達したのです。
                「詰め込み教育」については欄外を
 
 ワーク・ショップの後で、主催者さんの得意楽器の演奏を聞かせてもらいましたが、確かに音はレコードと同じ。でも何も伝わって来なかった。 その人自身は「何かを知った」かもしれませんが、その音楽を聴いて「何も分からない、感じない」それは「知った」だけで「分かって」いないからだと思います。
 その音楽は「詰め込み教育」の様な寂しいものを感じました。楽器のスキルばかりに執着して,民族音楽にあるリズム感やおおらかさが感じれず、土肌の凸凹道を素足で歩いている楽しさが得られませんでした。
 これから先、そんな風な器用な日本人が現地で鵜呑みにして来た様な音楽が増えて行くのでしょうか? それじゃあなんだか寂しい感じがします。
 

 2月16日(木) 時事画報の取材
 
   
  2月17日(金)   杉並第五小学校
 

 2月17日(金) 寒いけどハワイ
 
 2月18日(土) 誉め上手と誉められ上手
 
 2月20日(月)  福島郡山で講習会
 
 2月21日(火)  高島平福祉園で演奏
 
   

 2月22日(水) バルカン音楽教室
   今日は、ギリシア、ブルガリア、旧ユーゴスラヴィアなどからなるバルカン半島の弦楽器と太鼓、打楽器の総合クラス「バルカン音楽教室」の月二回のクラスでした。
  吉祥寺の民族音楽教室は、土日にも若干トルコ、ギリシア音楽のクラスがありますが、土曜のほとんどがインド音楽、日曜はインド音楽とアフリカ太鼓、カリブ海のパーカッションで、アラブ音楽、トルコ音楽、ギリシアや東欧は平日に集中しています。
 バルカン音楽クラスは、元々4年ほど前に、東欧舞踊を何十年もやっている民間サークルの主催者さん達、つまり先生級の人達が「踊りを教える上で太鼓も学びたい」と始めたクラスです。忙しく成ったり、転勤で一頃の人数は居ませんが、長く続けている人は太鼓から更に弦楽器に挑戦して頑張っています。
 アラブ、トルコの弦楽器や東欧、バルカンの弦楽器、太鼓はインド音楽のシタールや太鼓タブラに比べるとギターやマンドリンの奏法に似ていたり、叩けばなる様な気がしていしまうらしくらしく、ギター式のアプローチやひっぱたく感じの人よりは、楽器初心者の方が「現地」の音に近く成ります。が、教える私よりも上の世代の方も居れば、その修行は諦めとの戦いの様な所もあり、教える、と言うよりは一緒に堪える様なところもあります。
 逆にギターが弾けたり、太鼓が叩けると思い込んでいる人に違いを教える方が難しく、思えば最初にびしっと言っておけば良かったのですが、弾ける気になったころに言っても駄目でした。
 幸いに、ここ1,2年のクラスの雰囲気は直ぐに上達しなくてもへこたれず、若林が伝えたい文化的背景を面白がってくれて、少しずつですが理想に近づきつつあります。
 
 2月23日(木) 吉祥寺のライブ
 
 
 2月25日(土) 福岡のパーティーで
 
 2月26日(日)  太宰府九博で演奏
 
     
 2月27日(月)   福岡市の小学校と小倉のLIVE
 
     
 2月28日(火)  福岡市の小学校と祖原のLIVE
 
     

 


 ライブ・演奏会、レクチャー・コンサート、ワーク・ショップの違い
 
 「知った」と「分かった」の違い
 
 詰め込み教育じゃ「分からない」
 
 W大学演劇部風