考えた事 2007年2月後半〜

 
 
 
 
 
 
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 2月9日(金) 笑顔
 

 2007年02月09日15:08 笑顔

 鹿の様な透き通った笑顔。疑う事を知らない笑顔。
 その笑顔が消えないうちに。足腰しっかりさせて欲しい。
 とってもスマートに走れる筈だよ。大草原を伸び伸びと。
 
 太鼓の様に響く笑顔。じわっと広がる波紋の様に。
 より大きく微笑む為に、肩で息せずお腹に貯めて。
 長く長く響かせて。ゆっくりゆっくり微笑んで。

 水仙の様な悲しい笑顔。可憐だけれど切ない笑顔。
 悲しさ、寂しさに負けないで、与える力を信じて欲しい。
 ゆっくりしっかり落ち着いて。優しく柔らかく微笑んで。

 豆腐の様な自然な笑顔。笑う事が少なくなってる。
 頑張り過ぎて、無理し過ぎても、無くしていない自然な笑顔。
 たくさん出なくて良いですよ。少しずつでも増えれば良いね。

 稲藁の様な明るい笑顔。忘れていたもの想い出す。
 幾世代も変わらないかの、故郷の様な温かさ。
 何時もじゃなくても良いけれど、何時迄もそこに在って欲しい。

 
 笑顔を映す鏡はないから。時々眺めに行きますね。
 少なくなってても大丈夫。笑顔の種を運びましょう。
 お代は笑顔で貰いましょう。


 2月9日(金) 東西南北
   2007年02月09日22:57 東西南北

 シルクロードから東欧ギリシアに掛けて、何故か「黒い瞳」という歌が多い。
 殆どの歌のテーマが「黒い瞳の娘。その神秘のまなざしに心を奪われる」
 中には「魅せられ心を奪われてはいけない! 注意しろ!」という歌もある。

 ギリシアでは主にトルコ娘。トルコでは主にチェチェン娘。ホラズムではブハラ方面。
 と何故かテリトリーの東方の娘を歌う。

 同じ事が東南アジアにもある。
 ビルマはタイを攻め、タイはカンボジアを攻め、戦利品として
 楽器、楽士、歌姫、舞姫を連れ帰った。東方の芸能に強い憧れがあるから。

 チンギズハーンはまず西に攻めた。トルコ人も西に進んだ。
 しかしマルコポーロは東方に憧れを持った。それに倣ったモンゴルは九州に及んだ。
 アラブ・サラセン軍も西に攻めた。
 北アフリカの最西端「Maghreb=陽の沈む処」そしてスペイン。
 後に東に進み、イスラームはインドネシア、フィリピンに及ぶ。
 まずは西の驚異を押さえて「じっくり東に」の感じがする。

 世界中で文化圏の中心から東北方面には辛抱強い労働者が多く、民謡が豊富。
 日本の東北地方。タイのイサーン地方、インドのベンガル地方、トルコの.............。

 私は、これらの偶然。シンクロニシティーを「地球の自転」のせいだと思う。

 じゃあ私たち日本人は? 東には海しかない。

 だからこそ、日本人は特別な感性と、ヒントを持っていると説きたい。

 

 さてさて。この話しに関連が有るかどうか分りませんが。
 私は東西南北に妙なインスピレーションがあります。
 こだわりという程ではないのですが.............。

 今自分が住んでいる場所の東方は「昔」を象徴していて、伝統もあれば、古さも。
 北方は、何故か「切ない」「寂しい」。命の帰る場所的な感覚。
 西方は、不思議に「心が躍る」。どちらかと言うと「探検」や「遊び」
 南方は、「喜び」。新しい仕事や「夢」「希望」

 東方に学び、技を仕入れ。南方に出稼ぎに行き、余暇は西方へ。
 南方により多く行くから「北に帰る」感覚もあるのかもしれない。
 
 たまたまかも知れませんが。
 東京の山の手生まれ育ち。東方の下町には、浅草、歌舞伎座、合羽橋。
 西方にはあまり遊ぶ都会はありませんが、昆虫採集に行きます。多摩川、高尾山。
 北方には私が生まれた母の実家があります。南方の渋谷、横浜、鎌倉は出稼ぎ方面。

 これもたまたまかも知れませんが。
 生まれて初めて東京以外に部屋を借りた福岡市南区。
 東方は「博多」更に行けば飯塚、小倉、伝統のエリア。
 西方は新しく開けた遊び場が多い。
 北方は繁華街天神、親不孝通りを抜けてしまうと海。
 南方は太宰府、久留米、佐賀、と出稼ぎエリア。

 これらは人によって大きく異なるでしょうし、南半球では真逆になるのかも。
 
 こだわる程ではないのですが.......。
 でもジンクス的なものも多いし。
 朝日を拝んで敬虔な気分。心を落ち着けるには東に行こう。
 夢を叶えに南に行こう。陽の光を浴びに行こう。
 夕陽を眺めて切なくなったら、西に行ってビールを飲もう!

 そんな風に暮らせたら、それだけで幸せな感じです。

 これも「猫度」のアップに関係するのかもしれませんが、
 最近そんな「磁場」「方角」を強く感じます。

 もしかしたら感じようとしているのかもしれませんが。  

 それは感性が働いているのか、
 
 それとも弱って来ているのか?  

 

 【コメント】

 2007年02月10日11:17 Mさん


 方角を意識してこなかったので・・新鮮でした〜 でも、太陽や空を眺めるのが好きで、何となく行動することが多いのは そういう無意識も関係あるのかもしれませんね。

 2007年02月10日11:53 Nさん


 きっと 不思議な感性っていうより、もしかしたら 人が忘れかけている 自然の感性かも・・・渡り鳥が毎年 同じ方角を目指すように・・鮭が生まれた川に帰って来るように・・・太陽が昇ったら 起き 太陽が沈んだら寝る そんな自然の生活を 人がまだ そのほかの動物達と)同じようにしていたころは きっともっともっと東西南北の感性は 当たり前のようにもっていたんだと思う。

 2007年02月10日13:07 Tさん


 すごく面白いですね!!

 朝日を拝んで敬虔な気分。心を落ち着けるには東に行こう。
 夢を叶えに南に行こう。陽の光を浴びに行こう。
 夕陽を眺めて切なくなったら、西に行ってビールを飲もう!

 私もこんな風に日々過ごしたいです。


 2007年02月12日08:31 WAKKY


 
 皆さん、ありがとうございます。

 久しぶりの方、初?コメントの方..........。嬉しいです!

 福岡のライブでは、お客さんが多いと どんどん盛り上がります。
 相乗効果ですかね。

 東に行って、小倉、豊橋、大分中津のライブでは、
 お客さんの数に関わらず、時にしっとり、時にぐぐっと、
 厚みのある、想い出深いライブとなります。
 豊後高田や宇佐、耶馬渓などではスピリチアルな滋養を貰います。

 西に行った長崎外海、大村は楽しかった! 
 童心、初心に返りました。

 南の佐賀はいつも元気になります。
 自分らしくかつ新鮮に。自信と確信に満ちながら良い演奏をしてきます。

 「民族音楽カメレオン」ですから「今演っている音楽、楽器が一番好き」
 だから基本的に世界中何処も好き。
 「郷に入っては郷に従え」まさしく「住めば都」「あばたもエクボ」??
 多分に「好意的な解釈」「転んでもただでは起きない」???

 きっとそれもありましょうが。

 運気に従って行動すると。 行くべき処、行くべき時、
 会うべく人

 成るべくして成る。

 そうなのかもしれません。

 でも、人それぞれが いろいろだから

 逆な人が居てくれなければ出逢えない。

 みんなが同じだったら、南極にみんな集まっちゃいます。

 南極で稼いで、北極に帰る。 学ぶ人も遊ぶ人も何時も世界をぐるぐる回る。逆回りにすれ違う。「おう!また会ったね!」

 その時々の 自分の状態に合わせながら、磁場の力を感じて
 自然にバランスの中心に身を置くと、開けて来る感じでしょうか。

 教えて居ても、数年のサイクルで、教室での座り位置を変えたりします。

 体調によって微妙に変える事も。

 逆に変えない事で、気持や調子が基本に戻る事も。

 そんなところが動物的だから、猫さんに好かれるのかもしれません。


 2月10日(土) 蛇口
   2007年02月10日17:17 蛇口

 テレビやラジオのヴォリューム。
 ゼロにして音が無くなり、10にして最大になる。
 丸いつまみの頃は右に回して大きく成って、 左に回して小さく成って。
 
 ところがこれが大きな誤解。むしろ錯覚。言うなれば騙し。
 10は本当はゼロで、ゼロは本当はマイナス10。
 「本来持っている力」を抵抗を掛けて小さくしてあるに過ぎない。

 水道の「蛇口」と同じ事。
 全開が本来 来ている水量で、絞って止めているに過ぎない。
 「水不足」の時には全開にしてもとろとろしか出やしない。

 

 さて。何が言いたいかと言うと。
 人間の持っている力や才能や、感情や知恵。
 人それぞれの全量があって、絞られているに過ぎない。
 
 感性、才能は明らかにこれ。
 たいがいの人が「蛇口」を閉めてしまっている。
 教える側は「蛇口」を開く事でたいがい終わってしまう。
 錆び付いてなかなか開かない時もある。
 「才能を伸ばす」のレベルは滅多にない。

 「笑顔」「素直さ」はこの典型。
 小学生は「嬉しくて」笑う。中学生は「恥ずかしくて」笑う。
 高校生は「みっともない」と笑い。
 大人は「笑おう」として笑う。
 「素直の蛇口」を閉めて大人になってゆく。

 「明るさ」「暗さ」も同じ事。
 「優しさ」「楽しさ」「喜び」さえも。
 「悲しみ」「寂しさ」「辛さ」であっても。

  全量は決まっているに違いない。

 普通に生きて行く上では,滅多に全開になりはしない。
 半分くらいでかなり驚く。

 ところが「全量」が未知数かもしれないのが
 「愛情」と「我が儘」そして「怒り」。 多分「欲」も。

 もう駄目! くたくた、起きていられない。
 そんな時でも我が子(猫)が怪我や病気と成れば、
 何処から出るのか無限の愛情パワー。

 「火事場の馬鹿力」は無限の欲の為せる技か。
 彷彿と沸き上がる怒りや憤り。
 これらはきっとアドレナリン。
 別なところの「ターボ・スウィッチ」が入るから。

 
 「愛情」と「我が儘」と「寂しさ」と。
 「心配」と「慈しみ」と「不安」と「悲しみ」
 それぞれ別の「蛇口」なら良いのだけど

 しばしば同じ蛇口になっている。
 たくさん愛して、たくさん尽くして
 いっぱい蛇口を右にひねって

 受け止める器が小さければ。部屋中に溢れて溺れてしまう。
 そんな時は蛇口を閉めて細くしたり、止めてしまえば簡単な筈。

 「愛情」と「寂しさ」と「悲しさ」が
 「明るさ」「元気さ」「やる気」と「嬉しさ」
 同じ蛇口になっている。これもちょっと、ややっこしい。

 蛇口を閉めたら全部がしまって、悲しく寂しく居るしか無い。
 ぽつんぽつんと水滴の音を、部屋で寂しく聞くしかない。

 「我が儘」「愚痴」や「不平」「不満」も
 全部蛇口がある筈だ。「減らず口のチャックを閉めろ」
 チャックの手前の蛇口を閉めなきゃ、口の中で膨れっ面。

 

 「笑顔」や「温かさ」や「ほんとの優しさ」「ほんとの強さ」は
 子どもの頃のままが良い。 蛇口を閉めずが一番良い。

 「感じる力」「五感の力」「閃く力」「共鳴する力」
 これも子どものままが良い。

 よく「磨く」と言うけれど、
 開かぬ蛇口の「錆び取り」に過ぎない、が多い。

 「理性」で蛇口を閉める事が「大人」であると思ってしまう。
 「恥ずかしい」とか「みっともない」も
  大事な蛇口を閉めている。

  叶わなかったり、失敗したり、失ったり、挫折したりも。
  みんな蛇口を閉めてしまう。

 蛇口を閉めたら明るくなれない。
 蛇口を閉めたら元気になれない。
 なによりあなたの感性が開かない。フリは出来ても伝わらない。

 大人になるなとは言わないけれど
 才能閉めてはつまらない。

 「愛情」「我が儘」「寂しさ」「悲しさ」
 「笑顔」「素直さ」「明るさ」「暗さ」
 「優しさ」「嬉しさ」「慈しみ」
 「心配」「不安」「強さ」と「弱さ」
 「怒り」や「欲」や「不平」「不満」「憤り」

 それぞれ別の蛇口にすれば良い。

 「生きる」という本管からの 力強いエネルギー。
 それをたくさんの蛇口に分けて。

 受け止めてくれる器を大切に。
 器が見つからなかったり、小さい時は蛇口を閉めよう。

 それでも溢れるエネルギーは、
 音楽したり、笑ったり。物を創ったり、走ったり。
 ただし必ず「思いっきり」
出来る限りの「本気」で「真面目」に。そして「楽しく」

 そうして生きて頑張ると。本管が太くなるから不思議です。

 受け止める時の器としても、大きく成るから不思議です。

 2007年02月10日19:16WAKKY

 Nさん!  ありがとうございます。

 どうしたことか、今日は皆さんど真ん中コメントですね!

 相手が居る事はもちろん幸せ。でも、加減しながらの場合もありますよね。
その時の蛇口加減も実は愛情なんでしょうね。絞る事も、閉める事も愛情。 
相手を思んばかっての事。 

 通じない時も、手遅れの時もあります。また、注いでも注いでも、全開にしても「もっとよこせ〜!」もありますよね。(>_<)


 2月11日(日) 不思議な人
 

 2007年02月11日04:39 不思議な人

 あなたを見ていると不思議な気持。
 まるで昔の自分の様で。子どもの頃の自分の様で。
 「そのままで良いよ」と思っているのに。
 父親気分で叱ってしまい、母親気分で悔しく成る。

 あなたを見てると不思議な気持。
 まるで家族を見ている様で、とても安心出来るのに
 「そのままで良いよ」と思えなかった。
 頑張らないで欲しかった。自分を誇って欲しかった。

 
 あなたを見てると不思議な気持。
 まるで景色を見ている様で、とても長閑に思えて来る。
 「そのままで良いよ」では駄目なのだろう。
 あなたを愛する人の為には、苦しみ続けては駄目だから。

 
 あなたを見てると不思議な気持。
 まるで昨日の自分の様に、悲しみの中でしゃがんでいる。
 許したいのに許されたい。分りたいのに分って欲しい。
 とことん自分を責められるなら、きっと元気になれるだろう。

 あなたを観てると不思議な気持。
 まるで自分の言葉の様で、まるで自分の文字の様で。
 次の行動さえもが分ったり。まるで映画を見直している様。
 違いが楽しく思えて来る程。観ている事さえ面白い。

 出逢いはとっても切ないけれど。
 大事に思えば握りつぶすし。手を緩めればこぼしてしまうし。
 育てようと思って育てられ。助けようと思って助けられ。
 逃げたい位に切ないけれど。縋らず望み続けたい。

 
 端から見てると不思議だけれど。それぞれ懸命に頑張っている。
 勿体ないし、歯がゆいけれど。
 とっても素敵に「生きている」

 頑張ってくれてありがとう! 明日もきっとがんばろう。



 2月11日(日) 愛される事
   2007年02月11日04:43 愛される事

 愛する事はヘタクソだけど。愛される事は得意です。
 下北沢の老舗のJAZZ喫茶。お客に懐かぬ有名猫さん。
 里親候補に「シャー!」の一撃。貰い手付かないアイーシャも。
 猫には好かれる良い男。言葉も心も通じます。不思議にむちゃむちゃ愛されます。

 精神世界ブームの頃に「カリスマ師匠」と呼ばれました。
 人は様々な思いを抱えて、重い心を引きずっていた。
 様々なコンプレックスを解きほぐし、音の世界に置きたくて。
 自己愛、強い依存心。逃げずに真っすぐ頑張りました。

 愛する事はヘタクソだけど。愛される事は得意です。
 親、兄弟、恋人、子ども。音楽、楽器、師匠、自分。
 どんなにたくさんの心が来ても、逃げずに漏らさず受け止めて。
 重くて身動き出来なくて、お陰で地面に根が生えました。

 
 そんな自分が人を愛せば、心が多過ぎて潰してしまう。
 そんな思いを音に託せば、厳し過ぎて聞き手が居ない。
 そんな思いを教えに込めれば、重た過ぎて持って行かれない。
 そんな思いを自分に質せば、後悔、挫折で先に進めない。

 
 愛する事はヘタクソだけど。愛される事は得意です。
 猫さん十三匹居ても大丈夫。囚われの身だから寝相が良い。
 昆虫何千頭居た事も。籠から飛び出た昆虫さえも。
 手のひらからは逃げません。

 愛する事はヘタクソだけど。愛される事は得意です。
 何十人の合奏でさえも、細かな音が聞こえて来ます。
 音を愛すというより「愛される」。音がどんどん飛んで来ます。
 強過ぎる音は「受け止めて!」 弱過ぎる音は「引き出して!」

 
 そんな自分が人を愛せば、甘やかし過ぎて駄目にする。
 甘えや、不安や、心配や、嫌なとこたくさん引き出して。
 良い所、素敵な所も沢山なのに、辛い想いをさせてしまう。
 そんな思いを自分に質せば、愛する事が怖く成る。

 
 やっと最近自然体。ほんの少しだけど自然体。
 でも、あまりに時間が掛かり過ぎ。
 浦島太郎の気分です。


 
 「愛されずに育ったから。 愛し方が分らない」

 思春期からつい最近迄。ずっとそう思っていました。
 山羊座の長子のA型ですから、母親にびったりくっついて。
 妹をとっても大事にして。愛に溢れた家族でした。

 良くネズミを捕るのが良い猫さん。
 奇麗に鳴くのが良いホトトギス。
 母親の好意を漏らさず受け止め、笑顔で返すと笑顔をくれる。
 愛されていると実感し、力を合わせて頑張りました。

 あるひとつの出来事でした。たったひとつの些細な言葉。
 「この子はこれが好きなんだ」「これが好きに違いない」
 母の思い込みとばかりは言えません。

 「これとこれではどっちが好き?」
 母の好みを知っているので、喜ぶ方を指差しました。
 喜ぶ笑顔が欲しかったから。物よりそれが好きだったから。

 思えば初めての我が儘でした。家を出て音楽修行をしたい。
 母の言葉にすべてを理解し。愛が分らなくなりました。
 母のバリアーの向こうの父は、もっと愛に不器用でした。

 分ってからも二十年。一緒にやったライブハウス。
 不思議に笑顔ばかり想い出します。黒字は二ヶ月でしたけど。
 赤字を隠した母の愛情。苦労を共にしたかった息子。
 
 美味しい笑顔の楽しい食事。嬉しい笑顔の素敵な場所。
 映画「自転車泥棒」の少年。ご馳走を素直に喜べない。
 「おい!美味いか?」「高いご馳走だ!嬉しそうに美味しそうに喰え!」

 愛することが不器用な父親。不憫に思う心を上手く出せない。
 父親と自転車探しするのがご馳走より嬉しかった。
 楽しいことが嬉しい訳じゃない。でもすっと言えませんでした。

 爪切りさえもが断末魔のアイーシャ。
 病院で驚く程良い子でした。
 我が家で一番勝ち気なプリン。それに勝る末っ子ViVi
 病院で誉められる程良い子でした。

 病院に行く毎に、甘え上手に成って行きます。
 苦い薬に愛情を感じる。人間より遥かに愛を分っている。
 楽しい事や嬉しい事。優しさや気遣いは、猫さんには二の次なのかも。
 
 心が通じぬ寂しさや、思いが通じぬ悲しさや、上手く行かないもどかしさ
 自己嫌悪や反省や、出口の見えない頑張りの中でも、
 笑顔が素直に受け取れたら。素直な笑顔が自然に出たら。

 それが「愛」だな、と思います。

 愛を奏でる無数の音楽。愛を突き詰める無数の文学。
 おびただしい数の舞踊と演劇。絵画に造形。お茶に華。
 古今東西の芸術に、失礼かもしれませんけど。

 笑顔が愛と知りました。

 強い愛、深い愛。大きな愛情。広い心の豊かな愛。
 様々なレベルや段階や、尊さやプライドではなくて
 
 心が通じた時の笑顔。もの皆言わずに分る笑顔。
 
 

 たかだかそんなものなんです。 
 それが心を救ってくれる。 それが夢を繋げてくれる。
 とっても大きな愛なんです。

 

 Mさん 初コメありがとうございます。
 きっと今もあると思います。「昔ながら」のJAZZ喫茶。
 下北に行く事があったらお教えしますね。

  
 2007年02月14日00:41 Pさん


 他人を愛することって、本当に難しいと思います。
 どんなにその人に愛をあげてるつもりでも、
 結局は自分に愛をあげてるだけ。私はそういうときばっかりです。

 真に愛をあげられる人になりたいな〜。

 真に愛をあげると、きっと自分は痛いと思いました。

 真に愛をあげられる人は、傷だらけだけど、

 その傷にも耐えて、強くたくましくなり、

 また明日も、真に愛をあげつづけるのだろうなぁ。

 つかれちゃったら 自分に愛をあげると、きっと回復します!笑

 そしてまた、愛をあげつづける

 愛をあげることのよろこびに気付いた日には、人生変わったなぁって思いますね。ずっとそれが続けばいいんだけど普通に戻っちゃうときも多いです。

 2007年02月14日01:14 WAKKY

 う〜ん.........ジェントル

 Pちゃんさんありがとうございます。

 Pちゃんさんの後半の「愛」って。なんだか読んでいて。顔に当たってもとっても気持ちの良い、ちょっと柑橘系でとても良い香りのする「潤いスプレー」みたいに思えます。

 でも、前半の「愛」って「アンパンマン」っぽい!!
 Pちゃんらしい!
  ちっちゃな女の子と、大人が同居してるっぽい。むくれないでね。

 確かに「愛」は「痛み」を伴う位じゃないと「自己愛」から切り離されないかもしれませんね。
  あなたの年齢の頃、「ふたつある臓器をこの子に差し出せるか?」 「ひとつしかない場合は?」 位責めて考えていました。

 その位じゃないといかん!と。でも、すったもんだ数十年すると、

「あれっ?」と言う程軽く考えている。

  ところが最近、昔の感覚が、また違った感じで甦って来ました。

 20代の頃は「切り取られる」というプロセスがどか〜んと 立ちはだかっていたんですが、

 今は「何時の間にかあっちに移っている」的な感じ。

 自分の細胞がきっと伸び伸びと生きて行けるだろうという感覚でしょうか。下手すると自分の体に居るより心地よく。

 厳しさ、痛み → 楽に、爽やかに → 自然に、

 と変化している様に感じます。

   
 2月11日(日) 東京の夜空
   2007年02月11日22:08 東京の夜空

 数日振りに快晴だったから。夜空に星が沢山見えます。
 南の空にはオリオン座がよく見えます。
 北東に在る筈の北斗七星。こどもの頃には見えたのに。
 素直さが足りなくなってるのかなぁ

 
 あの素敵な色のお月さんは、今日は何処かに行ってしまった。
 付かず離れず寄り添っていた、眩い金星も見えません。
 あれは何時の季節でしたっけ。今頃だったと思うのだけど。
 あっと言う間のこの一二年。夜空は良く眺めて居たのに。

 吉祥寺の街は風がちょっと強いです。
 西友の前の大通り。柳が大きくたなびいています。
 一雨毎に寒くなり。一風毎に暖かくなる。
 「春一番」はまだ先でしょうが、春の近さを感じます。

 オリジナル曲「風の街」。春にはCD やっと出ます。
 大好きな街 福岡は、もっと強く風が吹く。
 一足早く春が来る。きっと良い事訪れる。
 いろいろ調子も良く成って。きっと元気に笑ってる。

   
 2月12日(月) 健やか写メール
   2007年02月12日00:53 健やか写メールのプレゼント

 弟の様な、息子の様な、お弟子の奥さんからメールが来ました。
 なかなか会えない秋に生まれたお二人の長男君の写真とともに。
 天使の様。久しぶりに想い出した言葉です。
 赤ちゃんなのに、穏やかで優しい聡明な笑顔の写真でした。
 日頃決して使わない「癒される」という言葉さえ浮かんで来ました。

 お母さんの長閑で、ゆったりとした優しい文章に、懐かしさを覚えました。
 楽しいことだらけの頃、みんなで行った能楽堂の側のパスタ屋さん。
 「何処が好きなの?」の質問の意外な答えに大爆笑。
 今にして良〜く分ります。心が通じる安心感。あの子の笑顔が証です。

 
 マイミクにして大事なブレーン。民族音楽センター名古屋のTOKIO君
 お父様が育てたミカンを一箱送って頂いたのは一週間前。
 途中で出張もありましたが、今朝方全て食べ尽くしました。
 小振りで野趣に富んでいて。昔ながらの感動でした。

 ごちそう様。 ありがとう!

 おそらくきっと二十年。 禁を破ってハマっています。
 さっきも西友で買ってしまいました。
 佐賀大和町のデカミカン「あんみつ姫」というブランドです。
 さくさく、ほくほく、瑞々しく。甘さ、酸っぱさ控えめです。

 大平野の西の端、ぼちぼち山並みが見える辺りでしょうか?
 その土地を思い浮かべて頂くのも、ちょっとしたマクロビオティックな気分です。

 さてさて明日から半月は、ひさびさ怒濤の十三ステージ。
 余計な事は考えず、音楽三昧、東京〜出雲〜小倉〜福岡〜東京〜
 福島〜東京〜小倉〜福岡〜佐賀〜東京。

 ジャンルで言うなら、
 インド音楽〜アフリカ音楽〜シルクロード音楽〜インド音楽〜
 サイケ〜アラブ音楽〜アフリカ音楽〜フュージョン〜アフガン音楽

 寝られる時には熟睡しましょ。くよくよしないで「健やかに」
 素敵な笑顔を思い浮かべて。限りなく広がる未来を祝して。

 我が家の十三の健やか寝顔。窓の外には星が見えます。
 東京なのに恵まれてるね。枕元にはあんみつ姫。

 おやすみなさい。  また明日。

   
 2月12日(月) 傍若無人
   2007年02月12日23:39 傍若無人

 江東区からの電車の帰り。
 小柄な尾澤さんがギターと太鼓の半分を頑張って持っている。
 祝日の親子連れ四人の姿に、かなり憤りました。
 「傍若無人」「我がもの顔」

 公共の場でこそ、社会性、モラル、マナーを教える格好の場なのに。
 親の方が劣等生では、どんな時代が来る事やら。

 そんな時は、携帯の蓋を開けて、ViViの可愛い写真を眺めます。
 でも、今日はそのことでも悲しい気持になりました。

 チャメもViViも吉祥寺の自宅に現れた野良さん。
 そう言えば、近所に首輪の無い猫さんは居なかった。
 かなり「傍若無人」「我がもの顔」の首輪のある猫が三匹。
 
 チャメは母子感染の可能性もありますが、ViViは喧嘩傷。
 最初の検査で陰性が、数ヶ月後陽性ですから間違いなく。
 我が家に来た時に負っていた咬み傷が感染箇所です。

 首輪猫の飼い主は、キャリアで在る事を知っていて家から出すのか?
 
 自宅付近と、なんと我が家の隣には、狂った様に数時間吠え続ける犬達。
 母が居た頃「年寄りが寝られない」と文句を言いに行った事があります。
 一言「犬は吠えるもんだろうが!」

 月三回の福岡往復。
 高所恐怖症はインド研修の時代に「自己暗示」「自己催眠術」
 寝てしまうのです。
 が、時々騒ぎまくる子ども達。黙らせない親。注意しない客室乗務員。

 娘は決して泣かなかった。ダックスの千恵ちゃんも吠えません。
 千恵ちゃんが吠えるのは猫同士の喧嘩の時と教室の時だけ。
 健気に「猫さん喧嘩の仲裁」のつもり。教室はなかなか生徒さんを覚えない。
 お隣の1万分の一も吠えてないのに「ピシッ!」と叩かれます。

 「犬は吠えるもんだ」「子どもは泣くもんだ」
 「若者はふてくされるもんだ」「男は浮気をするもんだ」
 「時代は変わるもんだ」「常識は変化するもんだ」

 もんだ、に抵抗しております。
 アンチもんだ主義者です。 

 さて。
 そんな嫌な話しは忘れて。 
 と言ってしまうと、これまたちょっと違う。
 そもそも自分とその回りだけが「心地良い」
 わざわざ面倒な関わりは持たずに。がこれらの「もんだ」の元凶です。

 さりとて、憤り話し、ムッと来た話しのコメントを
たくさん並べるのは他のブログに幾らでもあります。
 もしコメント下さるならば。

 ★ ムカッと来る様な場面の時、 なんとも上手く「諭した」話し。
   見事に諭した人が居た。 自分はこうして上手くやった。話し。
   是非とも宜しくお願いします。

  逆切れさせずに、かつ思い知らせる、悟らせる、上手い方法。
  是非学びたいと思います。


 【コメント】


 WAKKY
わあ!ありがとうございます。

「お茶の先生」の具体的なお話、思い出したり新しく出て来たら宜しくお願いします。

「ゆる〜く正しい」研究課題にしてみますね。ありがとうございます。


 2007年02月14日00:20 Tさん


 むずかしいですよねぇ。
 私は今までの人生で2回、キレたことがあります。(少な!笑)
 キレ方は2回とも違ってたんですが、2回とも、相手を諭す、というか、相手にわかってもら えたような気がします。

 1回目は、中学校のとき、生徒会の話し合いで1つ下の後輩が気に食わない事があったらしく、ずーっとすごい顔して怒ってて、話し合いがおわったっけ いすとかをがんっってやって出て行こうとしたときです。
わたしはその話し合いで、筋の通らないことはしていないという自信はありました。

「文句あんなら直接いえば?」って、自分でもびっくりするくらい、冷静に言えました。

(間違いなく、キレていたにもかかわらず)

 そしたら、すっごい悔しそうな、恥ずかしそうな顔して、「なんでもないです。すみません」って言ってその子は出て行きました。

 やったらすっきりしました☆

 2回目は、高校のときの吹奏楽の顧問の先生にキレました!笑

 コンクールのメンバーを選ぶオーディションで、言っていたやり方と全然違うことをして、先生が選びたい子が選ばれるように仕向けたんですよね・・・

 そのときは、「は?何言ってんの?」って思った瞬間、手が震えて・・・笑

 怒りで震える事ってあるんだなぁって思いました!!

 で、先生のとこに乗り込み、「言ってることとやってること違うじゃないですか」って言いました。

 先生も私にキレたのかいろいろ言い合いになりました。
結果は結局は変わらなかったけど、最終的に、自分が言ったとおりにしなかったことは認めてくれました。

 ということで、私は、やっぱ「こっちが理論的に正しい」って思ったときは自信もってぶつければ、相手は崩れるしかないので理解するんじゃないかな〜と思っています。
 ただし、
「理論的」じゃない場合もあるんですよね。
気持ちの問題としてとか、道徳的に、だったり、価値観が人それぞれ違うものもこの世の中多いですから、そういった場合どうしたらいいんでしょうね。。。

 ただ、マナー は、価値観が違うから・・・という理由でないがしろにされることは避けられなければならないと思いました。
 まず自分が、先生が書かれているようなことをしないように。と心がけることから始まるのかなぁと思いました。
そういう人が増えればこういうことも少なくなっていくでしょうけど、なかなか難しいのかもしれませんね。

 駄文かつ長文、失礼しました。

 2007年02月14日00:55WAKKY

 う〜ん........。ダイナマイト(>_<)  Tさん、ありがとうございます。

 やはり、その場で「当事者」同士が一方を「諭す」というのは
「力関係」になってしまうのでしょうかね。

 
 私が子どもの頃は「ほら、あんな大人になるんじゃないよ」って聞こえる程ハッキリ子どもに教える親が居て、言われた大人はそそくさと去っていたりしたもんです。

 「社会が病んでいる」という問題意識を、別な所から改善して行こうという考えもあるでしょう。

 その現場のその瞬間に、見事な「対応」が在ればと思ったんですが、なかなか難しそうですね。

 足を突き出している人が居ると「じ〜っ」と見つめたりしますが、これも危険かもですね。

 とっても騒いでいる子どもが居て、親が注意しなかった時。
子どもの隣に座って居たので 「静かにしないと喰うぞ」と耳元で言いましたら、静かになりました。 今の世の中下手な事言うと「脅迫罪」になったりしますから大変です。

 昔は見知らぬおじさん、おばさんにがんがん叱られたものですが。

 ついこないだ迄は「別に誰の迷惑にもなってないだろうが!」 が逆切れの台詞でしたが、最近では明らかに迷惑って分っている事を平気でする。

 その台詞が「なんでお前に言われなきゃならないんだ」ですから、怖い世の中です。

 やっぱり別な所で変えて行くしかないのですかね。

 歳取ったらおばあちゃんに成れたら良いのにと思います。

 と〜っても可愛いおばあちゃんになれたら、

 ちっちゃくて、品が良くて、でもしわしわだから、誰も本気で怒らない。

 そんなおばあちゃんに成れたら、町中、電車中を歩き回って

「あら、この子は悪い子さんですね〜」ってニコニコしながら注意するんですが。

 Tさん、きっとあなたはその才能がある。

 60年後、日本が良く成ってなかったら、宜しくお願いします。

 ところで「終わったっけ」って道産子弁?「終わった途端」みたいな感じ?

江戸弁だと「終わりましたっけ????」みたいですわ。

あっ!!!

 なんだか意味不明の方言で笑顔で注意するのも良いかもですね!

 そうしましょ!!

 今から「分らない方言での注意言葉」募集に切り替えます!!!!

 宜しくお願いします。

   
 2月13日(火) 青空
   2007年02月13日04:04 青空

 透き通った寒さの残る二月の朝。
 慌ただしい時間にPCを見る。
 道を急ぐ中でさえ、想い出して立ち止まり、
 空に笑顔を向けている。

 もともと在った余裕なのか。無かった筈が作れたものか。

 素晴らしいのは受け取る心。
 些細な事でも、ちっぽけな事でも。
 大きく育てて広げる心。

 それはずっと持っていた力。
 
 きっと素敵な両親から。
 きっとすてきな町の人々、温かな自然。
 たくさんの人の助けや支え。

 きっとそれもあるだろう。
 
 ありがとう が ありがとう を。
 ありがとう から ありがとう を。
 充実が余裕を。 満たされることが広がりを。

 物理学では矛盾する。心の持つ不思議な力。

 「一を聞いて十を知る」様な。
 「一から十を創り出す」様な。

 ひとつから たくさん を作る力。

 原っぱに居た野良子猫には人の想いが通じない。
 野生が心配 不信を持って、馴染むのには時間が掛かる。
 そう考えるのが普通だけれど。

 心理学でも矛盾する。 心の持つ不思議な力。

 
 素直さの様な青空には、どんな夢でも良く似合う。
 曇り空さえ温かく 青空に満たされたもの。

 その青空こそが 温かい。

   
 2月2日(金) Cup and Saucer
    私の娘もそうだったのですが、お友達に「物の置き方が不思議」な人が居ます。
店内装飾家、ディスプレイのプロの方々は、本来そういったセンスを持ってると思いますが、物を面白く見せる、綺麗に見せる、楽しく見せる
そう言った技ともちょっと異なる「あたかもそこに有ってしかるべく」と言いますか、時には本来全く別なもの同士がまるで必然の様に置かれている姿に驚く事があります。

 例えばメモ用紙の上に置かれたグリコのおまけの様な物が、掛け軸の台紙と作品、絵画と額縁の見事な調和に匹敵する程相性が良く必然的に置かれている、関係している。時には一体化している様に感じてしまうのです。我が子の事で恐縮ですが娘はその天才でした。

 先日の佐賀駅近くの昔ながらの喫茶店「ラベンダー」
高価なテーカップにはそれぞれのソーサーが有ります。 絵柄がありますから間違える事はないよなぁ〜と当たり前の事を考えながら。もしそれぞれが何かの理由でバラバラに成ったとしたら、それらは再会するのだろうか? 
 などと考えて居たら、昨年のmixiの日記にお友達が寄せて下さった言葉
「約束の邂逅」を思い出しました。

 校長先生の集いで演奏させて貰った後。 
福岡市内各所にポスターが有って気になっていた江戸時代の日本画家、伊藤若冲展を観に太宰府の国立博物館に行きました。

 西鉄太宰府駅から天満宮の一角を通って国博へ。 
昨年二月に国博で演奏する機会を得た時よりも梅が増えた様な気がしましたが、気のせいでしょうか? よくよく観ると、古木でありながら寄進年月日が一年以内だったりします。
国博が出来た事で来訪者が増え、梅園も人目に留まり充実したのかもしれません。
 その一角の梅園に、なんと「邂逅の苑」という名がつけられていました。
道真公を追って京都から飛んで来たという紅白の梅に因んだ名でしょうか。

 伊藤若冲の作品との出逢いは、気になる部分を勉強し直してから語りたいと思いますが、一言では語り尽くせない、それこそ必然的なものを感じました。

 その辺りをちょこっと予告編的に申します。

生演奏を目の当たりにせず、楽器さえ本物に触る事も出来ない時代に写真や絵や録音で民族音楽を独学して来た私にとって。
 来日演奏家の演奏は紛れもなく本物なのですが、演奏者が手を抜いている瞬間、より高みに行きたいのに行けなかった瞬間が分ります。
 つまり、紛れも無い本物の実体を目の当たりにする。しかしそれが本物に思えない事がある。

 伊藤若冲の作品の中で、おびただしい動物達が不思議な色彩の世界の中でみな穏やかな笑顔の様な表情で共存しているモザイク絵がありました。
 その時代に動物園は愚か、図鑑さえも無ければ剥製を揃える事も容易ではない。想像上の動物も描かれています。

 若冲の「粉本」と「写実」の狭間の世界。
見えている物を本物とするならば、彼は何を見たのか?

 そんなテーマに、打ちのめされ。そして答えを貰った様な想いです。

 勉強したかった事は、評論家や学者さんが語る技の解説ではなく、若冲がどんな心の持ち様でその作品を創ったか。何となく分るが故に事実を知りたいと思います。

 私にしては極めて珍しく、苦手な人が溢れる行列の中を結構ゆっくりと作品を見て回りました。
 その最中、ずっと頭の中をゆっくりと流れる様に巡っていたものが「置き場所と置かれる物」「Cup & Saucer」「入れるものと器」そして
「約束の邂逅」

 

 誰も彼もに対してではないのですが、初めてお会いした時に不思議なものを感じる 見える時があります。

 そんな特別の力が有るとか強いとか言うつもりでもないのですが。

 その時迄の人生で、何か大きく生き方を変えた人。
でも本来の心を何処かに持ち続けていて、それが生きて行く原動力に成っている人

逆に本来の心と現状の生き方が合ってない事で苦しんでいる様に見える人

 そうした人の場合。初めてお会いしてまだ会話すら殆ど無い時に
その人の子どもの頃の姿が見えたりするのです。

 何処にでもあるものですから、たいした話しではないかもしれませんが
紺色の半ズボンだったり、さくらん坊柄のワンピースだったり。
 
 
 真っすぐの人は、現在の姿も子どものまま。 
きっとこれは誰にでも分るんじゃないでしょうか。

 真っすぐなんだけど、色々と殻を身に着けてしまっている人。
処世術を身に着けた人は、子どもの姿が見え難い代わりに、悲しさばかりが伝わります。

 処世術や殻を身に着ける事が出来ないので自信が無い人。
引っ込み思案だったり、ちょっと自己嫌悪だったり。
でもその半面、譲れない心がしっかりある人は

 不思議な事に その人が子どもだった頃の風景が見える気がします。

 いずれもまだ全部で数人も居ませんから、たいした話しではないのですが。

 これらの感覚を自覚したのが九州に通い始めてからである事は
私にとってちょっと意味深いものを感じます。

お友達の何人かに「九州に帰って来てから、人との繋がりが自然に広がる」と語る人がいます。

 きっと、九州にはそうした力を大きくする何かがあるのでしょう。

 それと同時に、もしかしたら私にとって置き場所なのかもしれません。

 この二年で「笑顔が温かい」「音迄笑顔の様に温かい」と言って貰う事が多くなりました。最近では東京でもそう言われる事が増えました。

 その様な事を日々強く感じ、想う様になると。
夢や希望や、やるべき仕事も大切。 目の前の責任や期待に応える事も大切ですが、
 必然を感じる力を持ちながら、すべき事を感じる。 感じながら頑張ること。

 同時に感じる力を弱めてしまう様々なもの、
 焦りやおごりや、誘惑や打算。やりくりやつじつま合わせ、技は排除すべき。体制や流行や刹那や安直に流されない。

 ブレない、群れない、揺れ動かない。
それをして初めて「自然体」と言える。 

 人間が自然と共に生きていた時代。 その頃に身に着けた何か。
その力と出逢う。再会すると、見える物、聞こえる物とはまた違ったものが。

 物が聞こえる。音が見えると言うと大袈裟ですが.......。

 なんだか、そんな気がします。

 自分がその流れに自然に乗っている時には、夢や希望は自然に生じてくる。

 それは子どもの頃に想い描いていたものと同じか、その一本道の延長線上のものになって行く。

 そんな気がします。


   
 3月4日(日) 不思議なほど美しい
   
 出し尽くした訳ではないけれど。
 空きっ腹に飲みっ放しが効いたのか。
 シタール、ギター、タブラの三つを担いだからか。
 携帯を握りしめながら寝てしまっていた。

 夜中に目が覚めた。
 久しぶりに背中が冷たかった。
 拾う神在れば 捨てる神在
 寝過ごした様な目覚め方だった。

 寝ぼけてたたずむ肩を誰かがポンと叩いた。
 振返ったら、そこから見えるとは知らなかった窓に

 まん丸で 大きな まっ黄色のお月さん。

 不気味なほど美しかった。

   
 3月9日(金) 夢は大切だけど
    夢を持つ事はとても大切だけど。

 今の自分は何処に居て、どんな自分かが分らなければ。
 
 その夢は、自分を蝕んでしまうかもしれない。

 人は寝ている時に夢を見る。 寝ている時は無防備な筈。

 なのにたくさんの束縛が夢に出て来る。

 だから起きている時に抱く夢くらいは

 精一杯 のどかで大きくありたいものだ。

   
 3月9日(金) あと少しだけ
    もし、あの時もう少し、あとほんのちょっとだけ
 腕を高く伸ばしていたら。 背筋を一杯伸ばしていたら。
 大きくジャンプをしていたら。届いたかも知れないところ。

 もし、あの時もう少し。あとほんの少しだけ
 待つ事が出来たなら。 両手を大きく差し伸べて
 大きな気持で居られたのなら。手に入れていたかもしれないもの。

 もし、あの時もう少し。 あとほんの少しだけ
 我慢する事が出来たなら。目をつむることが出来たなら。
 見えない、聞こえないフリが出来たなら。そこに居たかも知れない。

 もし、あの時もう少し。 あとほんの少しだけ
 欲があったり、夢を確かに持って居たなら。
 なり振り構わず、気を遣わずに。あの立場にいられたかもしれない。

 もし、あの時もう少し。 あとほんの少しだけ
 我が儘で居られたならば。甘える事が出来たならば。
 自分のために動けたならば。今もあそこに居たかもしれない。

 もし、あの時もう少し。 今よりもっと浅はかに
 人の助けや、支えに気付かず。目先の事に没頭出来たら
 今ではもっと力を持って、人の助けが出来たかもしれない。

 でもこれが私らしさ。 そんなところが情けなくもあり
 時には悔しい思いもするけど。
 なにより自分が知ってる自分。
 なにより自分が信じれる自分。

 夢や生きる目的、目指す目標。生き甲斐や、生きる意味。
 それらを抱えて頑張ってきたけど。
 やっぱり何時でも戻って来る。自分らしい場所。
 結局越えられない、自分らしさ。変えられない、自分らしさ。

 それを分ってくれる人。 言わずに分ってくれる人。
 同じものを抱いている人。同じに不器用な人。
 励ましも、許しも、労りも、癒しも何も要らない。
 確かめる事も、信じる事さえ要らない。まるで自分自身。
 
 そこからのんびり始められたら。
 そこから夢も始められる。目標も自然に見えて来る。
 
 ほんのちょっと無理を辞めたら。
 ほんのちょっと背伸びを辞めたら。
 焦りを押さえて、落ち着いて、今から逃げない勇気を持てば。

 何より自分に嘘をつかず。

 正直であるべく自分を持てば。

 誰でも必ず、出逢える筈。

   
 3月9日(金) 言わなきゃ分からん奴は
   2007年03月09日 10:59 言わなきゃ分らないならどうしよう。

 言わなきゃ分らない人には,言いたくない。
 見て分らない人には、言いたくない。 感じない人には、言いたくない。

 何処か他で言われて来て欲しい。 言われずに気付いて欲しい。
 心で感じて欲しい。

 人の言葉を都合良く解釈する。 甘い言葉の方ばかりを喜ぶ。
 そんな人には言いたくない。

 自分に言い聞かせる様な会話をする。 言葉に捕われるな、惑わされるな。
 そう言う人程、人の言葉に厳しかったり。

 言わないと分らない人にはどうしよう。 悪め、厳し目に勝手に考えられたらどうしよう。
 不満やストレス溜めたらどうしよう。

 言わないと分らない人にはどうしよう。 放って置いたら止めどもなかったら。
 伝える事、教える事、導く事も愛なのだろうか。

 同じに感じて欲しいのは我が儘だろうか。
 長子の山羊のA型にして、AB型の母、O型の父 。どうして欲しいがあまり無い。

 聞かれればその人の為を思って言ってしまう。
 不満ストレス溜めるのは自分だったりするのかも。 それでも甘やかしてしまうだろう。

 こんな自分が世の中憂い。
 こんな自分が古き良き文化を教わり、託されて。 こんな自分が音楽を教える。

 今迄出会った誰よりも、ちっともこれに向いてない。
 思えば思う程自己嫌悪。さりとて一人じゃ何も出来ない。 猫の世界に隠れたくなる。

 ためを思って言ったとしても。
 言われる側には分らない。感じなければ言われたこと。
 所詮は、愛情と根性の違い。そう言われれば仕方が無い。

 大事なものとそうでないもの。
 無くせないものと、変わって行くもの。 今だけのものと、明日の為のもの。
 
 その時々で変わる大事さ。 

 その点、猫さんは素晴らしい。のびのびしていて素晴らしい。
 我が儘放題、甘え放題。出鱈目もすれば、失敗もする。
 反省もするけど、懲りてない。謝りに来るけど直ぐ忘れる。

 猫さんの愛情が強いからか。 僕の愛情が強いからか。 決して寂しく思わせない。
 無理、無茶、無駄の分別が分る。心は遠くに行きはしない。

 叱った後にも甘えに来る。嫌われたとは思わないらしい。
 叱った事も繰り返しながら、少しずつだけど直ってる。
 ちっちゃなストレスもあるに違いないけど。

 心地よい場所、のどかな昼寝。温かい場所、ゆったり気分。
 永久の安心。居心地の良さ。信じれるもの、信頼感。
 それを見付けて大切にする。ささやかであっても見逃さない。

 猫さんはそれの超天才。

 大切にしながら、我が儘する。 失わない努力も頑張りも
 しっかりやりながら甘えて来る。
 何より何時でものんびりと。安心を伝えて安心を作る。

 猫さんはそれの大先生。

 言葉じゃ何も言ってくれないけど。

【コメント】

 2007年03月09日11:21 Aさん

 私も教える立場なので、よくわかります。
 気づいてほしい、感じてほしいと思うばかり、気がつかないうちに、愛情がエゴに変わっているということ。
 私の恩師が言いました。『あきらめないで』
 たとえその時届いてなくても、本質を伝える事をあきらめないで!
きっとわかる日がくるから…と。
 それからの私はいろんな言葉や波がきても惑わされないように、愛情を言葉にします。
たとえ理解されなくとも、嫌われようとも。
 あとは自分の我と戦いながら、流れに身を任せて祈ります。

 2007年03月09日11:31WAKKY

 Aさん!ありがとうございます。恩師のお言葉。 Aさんの言葉。 
力強く心に届きます。

 2007年03月09日11:37 R さん

 教える側にも色々とご苦労があるのですねm(__)m

 様々な悩みに付きまとわれる度に、うちのワンちゃんと変わりたい(ЦωЦ)
と思ってしまいます。猫ちゃんの方がもっと気ままでいいかな。

 Rは言われないと分からない人です…… それでよく失敗をします。

『言わないでも気付いて欲しかった』
『テレパシーなんて使えないんだから言ってくれなきゃ貴方の心を完璧に読み解く事は出来ない。想像する事しか出来ない。』

 そのクセ、言われた事や言われ方によってはダメージ受けてしばらく落ち込んだり、フェードアウトしてしまったり…

 どうしようもない我儘ですね。
WAKKYサンが考えすぎてダウンしてしまわないで下さいね


 2007年03月09日12:47 Oさん

 WAKKY先生のお言葉が身に染みます…典型的な言われなきゃわからない人間こさとです。いつでもどこでも感じる自分の視野の狭さ。目の前のことしか、自分のことしか考えていなかったと、後から気付いて落ち込んで…

 でも今までは、その事にさえ気付いていませんでした。だからここで第一歩。そしてここから更にもう一歩踏み出したいです。気付けば変わる、変えられると信じています。そして先生からのお言葉は全て愛からくるのだとこっそり思っています。

 2007年03月09日12:54 Kさん

 言わないと分からない、確かに人間の場合、言葉で喋るからそれに頼ってしまいがちですよね。本当は心で感じとって欲しい、理解して欲しいと思いますね〜
でも、やっぱり言葉で言わないと伝わらない事もたくさんあると思います!
最近は、言っても分からない奴がたくさんいますし、、(^_^;)
こうなってしまったら問題外ですよねぇ〜

 

2007年03月09日14:35 言わなきゃ分らんやつには、  追記

 2007年03月09日10:59 言わなきゃ分らないならどうしよう。に、嬉しいコメントをたくさん頂きました。ありがとうございます。 ちょっと長く成りますので、追記を書きます。

  Rさん!  ありがとうございます。
  『テレパシーなんて使えないんだから言ってくれなきゃ貴方の心を完璧に読み解く事は出来ない。想像する事しか出来ない。』とっても愛しくなる女の子らしい心ですね。

  同時に「そのクセ、言われた事や言われ方によってはダメージ受けてしばらく落ち込んだり、フェードアウトしてしまったり… 」 これも切ないですね。

 フェードアウトもあれば「限界!」ってカットアウトも? 
  しばらく落ち込みで済むときもあれば、長い挫折感。  それが続くと、自己嫌悪や人間不信や。
 
  でも、人の心って「サクマドロップ」みたいですから、色々が次々飛び出して来る。
 何時も一種類の人。 お坊さん? 神父さん? 牧師さん?  お地蔵さん?
 僕の回りにはあまり居ませんね。

  「悟る」って一種類になる事。 
  「本質」って唯一に近いものではないと思う。

 全ての様々なものに「本質」があって、それがどうの様に変化するかを感じる心の状態。 それを一度ならずと体験する事。
その程度の「悟り」で良いのでは?
  僕たちは、俗世界の我が儘さんなんですから。

 Yさん!   ありがとうございます。

 「しょっちゅう反省したり後悔したり。でも、それが人間らしい、とも思ったり」まったく、そうですよね。

 Kさん!   ありがとうございます。

  きっと福岡のお弟子さんは「あっ! 自分の事だ!」って思ってる。
 おかしいですね。 

  「分ってるんなら直さんかい!」      (*^_^*)

  「もう一歩踏み出したいです。気付けば変わる、変えられると信じています」
  真っすぐな人は、大丈夫!  

   今迄遮るものが無い程、すくすくと、良い環境に居たのですから、
  確かに学んでないですね。 だから真っすぐなんですよね。良い意味で。

  これから先も、もしかしたら必要ないのかも。 だったらごめんなさい。

  でも、音楽を演奏するって事と、楽しむって事。 レベルや意識の問題ではなく。 与えて受け手の違いではなく。気付く力って大切だから。 それが労りの音になり、勇気を与えて。

  世界中の師匠やお客さんから受け取った、楽しい話し、熱い音、音楽の面白さ、 厳しさ、難しさ。

  嬉しい事、ために成る事、たくさん伝えたいのに。 その手前の音楽じゃない話しに手間暇掛り過ぎ。  勿体ないし、悔しいし。 時にはとっても腹立たしい。

  早く、音楽の話しばっかりになりたいです。 時間が勿体ない。 

  「何時迄も在ると思うな親の金」?? 「仏の顔も三度迄」

 三回繰り返して、見事に拍の頭で決めれば「ブラボー!」ですけど。
 気付けば「三回」「三度」に執拗にこだわる私です。

 同じ事「三回」が限度。 三度目に怒ります。
 福岡にはなんと二年で300回繰り返しているお弟子が居ますけど............。

  一日に「三つ」重なると限界。 三個目に全部の我慢が飛びます。
 
 インド音楽の師匠達もそうでした。
  同じフレイズも「三回迄」 三回の内にキャッチしなきゃ失格。

 でも、Kさんは大丈夫だよ。  
今からそれだけしっかり考えていれば。 これだけ考えられるなら、もっと早くに言っておけば良かったですね。 四年間、甘やかし過ぎた僕の責任も痛感します。 でも、親じゃないんだからなぁ。
  
 真っすぐな人が、細やかに気付く様になったら、凄いですね。 僕ら「屈折人間」の比じゃないほど、おおらかで、勢いがあって。

  真っすぐなあなたに、気付く力がついたら「鬼に金棒!」 う〜ん。

 「鬼」っぽくないね。 「小鬼」でもない。「Kさんにチョコ棒」 にしておきましょう。  
   前に「こども達に音楽を!」って薦めた時に、
 「実は子ども苦手」「どう接して良いか、ちょっと怖い」
  って。

   そこら辺りに、のんびりO型に見えて、微妙な気弱さ、気遣い過ぎ、
  興味の無い事に無関心、その隙を突かれると脆い。がありますかな?

 真っすぐで、素直で、すっとぼけてて、明るくて、元気で、賢い。
 せっかく長閑な畑ですくすく育ったのですから。

  こども達に笑顔で音楽のチョコ棒配れる気持になってくれると良いのですが。
  世の中にはきっと屈折した人の方が多い。 それに気付かない人さえ。
 放って置いたら曲がって育つべきキュウリをビニール管に入れて真っすぐにした様な人さえも。

  そんな人達を感動させる音楽を演るためには、純正培養真っすぐでは大変。多分無理。

 「お気楽音楽」の時代もそろそろ終わるかもしれないし。

   眉間にしわ寄せて、気合いで演るよりは、密かに苦手を練習して、
舞台じゃ余裕の笑顔で演らなきゃ、長閑な畑に申し訳ない。

  そんな人に限って、時間の使い方ヘタクソ。 人につき合ってケジメが無い。
 振り回されたり、頼ったり。  あちこちに顔出して、お友達一杯で楽しさにかまけたり安心したり。 もともと時間が無く成る所に、練習の仕方も下手だったり。だいたいからずぼらで練習しないし。

 「楽しいから演ってるんだから、楽しくない練習したくない」 なんて心が何処かにありそうだし。

 世の中、屈折してこんがらかって大変な人が一杯居るんですから、
真っすぐさんは羨ましいのですから。

 屈折していたり、曲がっていたり、 なまじ気付いたり感じたりの力がある。これは中々大変です。

 前にも日記に書きましたが、

 言う側になってみれば 「言葉にそんなにこだわらずに、心を感じて」って思う。

 聞く側になってみれば「言われなきゃ本心が分らない」 「えっ! やっぱりそれが本心?」

 ひつこい様ですが「サクマドロップ」なんですから。全部が美味しいんですから。そのままで大丈夫と言えば、大丈夫。でもね。  湿気っちゃったら悲しいよ。
 
【コメント】2007年03月09日17:01 Rさん

 わざわざ日記でコメントありがとうござぃます(^_^;)

 ↑時間の使い方、読んでて考えさせられました。 “友達一杯であちこち顔だして…”
一時期そうでしたね。 周りに知り合いが増えればその方達の所へ顔出しに行ったりする。
そのうちに、興味の無いところへも付き合いだからと時間とお金を使わないといけなくなってて… それでも、周りにどんどん人が増えていく事に充足感やら優越感やらを感じていて…… 流され流され結果もう嫌だ!(*_*)と全てから解放されたくなる。

 それからは自分の時間は自分で使いたいようにしようと心がけています。 たまには付き合いも必要ですが。 日常の中、一人きりになれる時間の方が少ないと思うので自分一人で楽しめる事を見付けたり、何かに打ち込んだり、身体を休めたりするのって大切ですね。

 なんだか話それてすみません(●ЦωЦ)

 2007年03月10日00:59 Sさん

 先ほど日記を読みました。人間関係は難しいなとつくづく感じます。
結局、どんなに親しい人であっても、彼、彼女が自分ではないのだから、 言葉無しで分かり合うことには限界があるんですよね。 そして、こちらが自己主張すれば、相手が傷ついて、 そこで関係が壊れてしまうかもしれない。 しかし、何も言わないことによって、相手を傷つけないのは
結局は自分が傷つきたくないだけというエゴでもあったり。 かと言って、こちらが自己主張することは、 自分の価値観を他人に押し付けたいだけだと気付いてしまったり。
 情けは人のためならず。やはり自分のためにあるものだと。
自分という人間はつくづくいかなるときでも独善的なんだと感じています。 と言ってもやはり、関係改善、自分自身一歩前に進むために、 そんな独善もやはり必要なんですよね。

 非常に傲慢で、過ぎたこと、そして日記の内容とずれたことを言いました。 不快感を感じられたならば、削除してください。

 2007年03月12日 01:36 Kさん


 お返事いただき恐縮です!ありがとうございます!!!

「分かっているのに…うううう〜」と最近はジレンマの連続ですが、反省も後悔もジレンマも前に進むための糧にして精進していきます。

そして私の性分、考え方、音楽への向き合い方…今のままでいいところはこれからもそのままで。でも変えるべきところは変えていかねばと改めて反省しております。いいところも悪いところも、言っていただけるのは本当に有り難いことです…とこう思っている時点でWAKKY先生に甘えてしまっている証拠かもしれませんが。それでもやっぱり、ありがとうございます!!

 子供達に接する気持ちですが、最近少し変わってきたように思います。というのは働いていたバイト先で小さな子の面倒を見る機会が何度もあって、苦手意識がなくなってきたのです。今ならチョコ棒も配れるような気がします。

 少しずつですが、マイペースですが、いい方向へ自分を進めていきたいです。そうして音楽も変えていきたい。もっと音楽を楽しみたいです。そう切に願っています。がんばります!

 2007年03月12日16:04WAKKY

 Sさん! Kさん! コメントありがとうございます。

 Sさん! 内容とずれてはいませんよ。
 不快感どころか、嬉しく頂戴しました。
 日頃「独善的」という観念、言葉に縁が無かったのは.............。
 自分こそ「独善の塊」なのかも知れないと思い始めていたタイミング。
 
 Kさん。 「甘え」にも色々ある。このテーマはまだまだ言葉に仕切れていないのですが。「良い甘え」「すべき甘え」があるとしたら、それは財産、人徳の様な気もします。上手く言えませんが。

 少しずつ、マイペース。それで「良い」様にも思いますが、それが「自分への甘え」の入り口の様な気もしますし。「楽しみたい」の言葉の中に、何処迄分っている上の逆説なのか、分ってないのか? 言葉の難しさ?  曖昧さ?  

 
  2007年03月17日 22:35 Kさん

WAKKY先生、お返事ありがとうございます。

 甘えにも色々ある…そうですね。どんな性質にも一長一短の部分があるように思います。マイペースも捕らえ方によって解釈が変わりますね。自分への甘え、あると思います。

 楽しみたい、の言葉。曖昧に使ってしまいました。
失敗を恐れるあまり不安な気持ちで演奏するとその思いが音に出てしまうのがわかって、怖かったのです。ですがまずは一足飛びで楽しみたいと言う前に、不安を作らない・演奏に持っていかないようにしなければならないと思っています。準備万端で臨めるように。

 2007年03月17日 22:44WAKKY

 Kさん、素晴らしい!

 それが基礎、基本、土台、なんですよね。それがしっかりしていれば「楽しもう」と努力も構えもなくても、心は勝手に踊り出します。何かにつられたり、踊らされたり、雰囲気に流されたりではなく、 自然に。

 頑張って下さい。