考えた事 2006年12月大晦日〜2007年1月

 
 
 
 
 
 
 

 考えた事  2006年12月前半 / 2006年12月末〜2007年1月 / 2007年1月後半 / 2007年2月


 12月30日(土) 犬、雉、猿 と 亀、兎
   2006年12月30日16:20 犬、雉、猿と亀と兎

 悲しみにくれていた時。
 犬は心配そうに側に居た。傷があるなら舐めたい様だった。
 雉は空を飛ぶのを止めて、羽根を休めてそばに居た。
 猿はそれを見て座って居たが、落ち着かない様だった。
 亀はむしろ楽になって。ゆっくり甲羅を干していた。
 兎は変わらずもぐもぐしてた。ぶつくさ言ってる様にも見えた。

 焦って動きに出た時に。
 犬は迷わず飛び出した。少し先迄走っては、また戻ってまとめてくれた。
 雉は遠くに出掛けて行って、しばらく帰って来なかった。
 猿はがむしゃらに走り出し。木に登っては吠え立てた。
 亀はしぶしぶ動きだし。兎も遅れてついて来た。

 数ヶ月もするとバラバラだった。
 思えば説明不足だった。 行く先さえも伝えずに。
 掛かる時間も考えず。選ぶ道も、目的さえも。
 何より心を伝えなかった。彼らの心も受け止めなかった。

 雉は遂に戻らなかった。 猿は怒って出て行った。
 疲れた亀は閉じこもり。兎は不機嫌直さなかった。
 犬は自分のせいだと思い。自信をなくしてしょげていた。
 自信を無くした犬を哀れみ、田舎に返して休ませた。

 代わりに犬が二匹来た。
 若い小柄な犬の方は、何時でも先を走ってくれた。
 大人の大きな犬の方は、何時でも側に居てくれた。
 兎はあまりに我が儘言うので、日当りの良い原っぱに置いて来た。
 すると亀が我が儘になった。しばらく先には進めなかった。

 若い小柄な犬の方は、他に預けて活躍した。
 大人の大きな犬の方も、他に預けて大事にされた。
 我が儘亀と二人きりだったが、時折妙な奴も来た。

 口八丁手八丁。知識も技も充分有ると自信満々の猿が来た。
 そこそこ何でも出来そうだった。しばらく仲間に加えてみたが。
 桃をくすめて消えてった。

 誉め上手な犬が来た。尻尾も良く振り従順そうで。
 足腰しっかり頼もしそう。
 ところが川は泳げない。爪も弱くて土掘れない。
 雷鳴ったら逃げてった。

 またしばらく亀と二人きり。
 そこに兎がやって来た。食べもの無いからお供にしてと。
 独りじゃ淋しくて死んでしまうと。
 しかたがないから仲間に入れた。
 すると亀の我が儘が少なくなった。

 ぶっきら坊な犬が居た。
 兎は嫌だと反対したが。亀も止めなと反対したが。
 仲間に加えてしばらくすると、どの犬よりも鼻が良かった。
 走って先に行く迄もなく。その鼻はまるで雉だった。

 やる気のなさそうな犬が居た。我が儘言わぬが動かない。
 兎の立場で良いからと、しばらく一緒に居ましょうと。
 ある時その犬をたしなめた。気を遣ってたのに説教した。
 その日から犬は態度を変えて、どの犬よりも頑張った。

 兎が猿を呼んで来た。昔の旅の仲間だと言う。
 足取り軽いがはしゃがない。黙々頑張る猿だった。
 兎は雉も呼んで来た。なかなか見事な雉だった。
 きっと何処かではぐれたのだろう。
 同じ過ちは繰り返さないだろう。

 雉が羽根を傷めて休んだ時に、道に迷って後戻り。
 ところが遅れた亀が居て。お陰で道を取り戻した。
 兎は人を揃えてくれたが、何時迄経っても我が儘だった。
 心配性の兎のお陰で、免れた危機も少なくない。

【コメント】

 2006年12月30日20:55  Hさん

 昨日のも今日のも、ゴツゴツしてまっすぐでいいですね!
 今後も楽しみに拝見していきます。

 

 12月31日(日) 大晦日は苦手です。
 

 2006年12月31日14:00 大晦日は苦手です。

 大晦日は苦手です。
 子どもの頃の嵐の日にコリー犬が逃げ。
 やっとリハビリして中学の頃に飼い始めたビーグル雑種がまた大晦日。
 友人を失ったのも大晦日。家族、親戚が倒れたのも大晦日。
 
 「病は気から」のその通り、自分にとっても危うい時期。
 肝炎で救急病院。歩けない程の歯痛で歯医者さんを叩き起こしたり。

 この十年近くは何も無い。
 とっても嫌な性格だけど。何も無いから心配。
 
 などと言ってる場合じゃない!
 今日で引っ越し終わらさなけりゃ。たくさんの方にご迷惑。
 なにしろ足掛け三年ってことになっちゃいます。
 どうせTVも写らない。 どうせ炬燵もミカンもない。

 そうそう! ミカンで思い出した。
 今年はえらい事になりました。
 「剥き物止まらぬ猿だから」と冗談まじりに言って30年。
 毎年ミカンは敬遠して。春の終わりにやっとひとつ、ふたつ。
 それが秋過ぎに頂いて。
 そりゃもう全く止まらない。袋で買って一気に空っぽ。
 節煙家さんの言葉のごとく「自分で買ったらもうおしまい」
 
 そう言や炬燵は押し入れです。
 去年嬉しく買ったのに。
 猫達最初は大喜び。 ところが妙な取り合いで。
 おしっこ掛けるパカタリが..............。
 ビニール掛けたら味気なかった。

 今日の東京陽射しが温か。
 風も少し収まって。 きっと良い年の瀬。年越しですね。
 大晦日過ぎて、逃げずに居たら?? 千恵ちゃんと近くに初詣。
 あれっ?神社に犬は入れるの? 
 不思議なもので犬猫飼うと。分からなくなる。常識が。

 だいたいペットの感覚が無い。
 一緒に暮らしている感覚。 否、むしろこちらが家政婦さん。
 彼らが人より立派に思える。
 健気で、真面目で、純粋で。
 嘘はつかぬし。騙しもしない。
 足引っ張ったり。ねたんだり。罠をしかけたり全くしない。

 そりゃかなりに我が儘で。駄々は捏ねるし。腹いせもする。
 でも直ぐに忘れてる。 
 当人が忘れて良い訳ないけど。根に持たないのは善い証拠。

 人のササミを横取りするのは、所有権という観念が無い。
 早いもの勝ち、取ったもの勝ち。
 そりゃかなりの悪人か? 

 「こらっ!」って叱ると逃げるのは、多少の罪悪感持っている?
 それとも単なる条件反射。

 叱られてしょげる姿を見ると。 実はかなりに分かってる?
 遠巻きに様子をうかがって。誤ろうとも思ってる。
 「よしよし良いよ」で飛んで来るから
 やっぱり少しは反省してる。

 「甘やかしたらつけあがる」
 そう言や人にもそうだった。
 猿でも、猫でも人間でも。 甘えや我が儘には限りがあって。
 出し尽し切れば無くなると。妙な考え持ってました。

 「言わずに気付いて欲しいから」
 「自分で律して欲しいから」
 「それがほんとの誠意だから」
 黙ってニコニコ見てたかった。

 その点猫さん立派ですよ。
 甘えも、我が儘も限度がある。
 ペットじゃなくて猫として。
 凛々しく生きてりゃ立派に律する。
 自分で自分をしっかり持って。必要以上は望まない。
 それが本来の動物の姿。
 必要以上の狩りしない。植物だって食べ尽くさない。
 きっと人間も同じだった。

 不思議なものでペットになると。
 持ってた量より遥かに越えて。甘えや我が儘キリが無い。
 我が儘出すのもきっとストレス。
 叶わなければ、もっとストレス。
 目つきが変わって「飼われている目」

 自由に伸び伸び生きてる猫は。とっても凛々しく優しい目。
 
 飼われている猫。飼われている犬。そして人。
 どんどん我が儘止まらなくなる。
 黙って見てたら凄い事になる。
 ひとつ許せば、ふたつ欲しがる。
 ふたつ許せば、四つ欲しがる。

 目と声に弱いの考えもの。
 目が澄んでるとか、可愛い、奇麗ではなくて。
 猫の様に凛々しく優しい、そんな目に弱い。
 信用しちゃう。

 男の人でも女の人でも。声が好きだと騙される。
 奇麗とか可愛いとかでもなくて。 良く出て響いて倍音が奇麗。
 そんな人は「本音は良いに違いない」って。
 あっけなく信じて騙される。

 ところが中には曲者も。いや自信が有る分質悪く。
 甘やかしたらつけあがり。
 どんどん我が儘止まらなくなる。
 ひとつ許せば、ふたつ欲しがる。
 ふたつ許せば、四つ欲しがる。
 

 そうそう!話しは大晦日。
 朝から家政婦頑張って。
 ちょっとの昼寝が幸せでした。

 最近マロンがびったりで。 毎晩首の上で寝ます。
 プリンも最近びったりで。マロンと並んで胸の上。
 「デザートコンビ」は喧嘩しない。異母兄弟なのに仲良しです。

 ちょっと痩せた気がしたので。「マロン!」と呼んだらマロンだけ返事しながら降りて来て。
 こっそり缶詰上げました。
 クーちゃん、アイちゃんお裾分け。
 お腹が満足したマロン「二階でお昼ねして来るネ」っとミャーミャーミャー。
 
 
 グピは最近可哀想。
 元から極度の人見知り。 自宅教室大迷惑。
 みんなが帰ったその後も、しばらく押し入れ出て来ない。
 ニューフェイスのViViちゃんにまで「猫見知り」
 
 猫はペットを飼うでしょか?
 グピ君ならばしかねない。
 なにしろ熊のぬいぐるみ。ずっと大事にしてるから。
 かじって、舐めて、けんけんして。
 普通の猫ならボロボロにする。 犬なら二日も保たないだろう。
 なのにグピ君大事にしてて。何年経っても新品同様。
 
 昼寝の時は必ず側に。抱きしめるでもなく、ちょこんと側に。
 日頃はそこらに放ってあったり。でも、寝る時必ず、ちょこんと側に。
 あれはきっと子どもなのだろう。 
 
 そう言えば一昨日録音の仕事。 
 麻布のスタジオに「インドの蛇笛」
 つるっと終わってお小遣い。
 蛇笛ギャラは何に使いましょうか? 
 蛇笛欲しがってたお寿司屋さん。
 ランチならば行けるかな?

 さあそろそろ教室です。
 ほとんどの生徒さんは帰省して。
 ちかくの人達だけですが。 レッスンの後は手伝って貰って。
 ちょっとは賑やか大晦日。

 今晩無事に過ぎたらば。
 また一年頑張ります。

 
 【コメント】

 2006年12月31日15:43 Eさん

 今年もいい一年でした。先生ともお近づきになれて。
 不思議な出会いを経験して。実家に帰ると暖かい笑顔が迎えてくれました。
 よい大晦日になりますように…

 2006年12月31日16:29 Tkさん


 今年はお世話になりました。
 来年からはもう少し形ができると思います。

 うち、ミカン作ってますので今度お持ちしましょうか?(笑)

 2006年12月31日18:05

 WAKKY
 Eさん Tkさん

 こちらこそありがとうございました。 

 たくさん応援ありがとうございました。

 1月末のライブでまたみんなに会えたら嬉しいです。

 Tkさん! お父さんの最後のミカンありますか?  だったら是非!

 2006年12月31日18:48 Tさん


  WAKKYさん

 今年一年,本当にお世話になりました。
 既に僕のだらしなさ・適当さは見抜かれた事と思いますが,
 これに凝りずに,来年も変わらぬ御付き合いを御願い申し上げます。
 少しでもまともになれるよう,努力致します。

  2006年12月31日19:23 Thさん

 今年お会いできてホントよかったです。

 来年もよろしくおねがいします。

 2006年12月31日21:51 Uさん


 今年は本当に短い時間ながらも、沢山の事を教えていただきました。
 来年、少しでも成長した自分をお見せすることが出来る様に頑張りたいと思います。
 本当にありがとうございました。


 12月31日(日) 素朴な人って素敵です。
   2006年12月31日22:21 素朴な人って素敵です。

 素朴な人は、真っすぐだ。
 気持も生き様も真っすぐだ。
 雨が続いて悩む時もある。
 風が止まずに落ち込む時も。
 そんな時はじっとして。
 しゃがんで考え。座って待って。
 天気になってまた歩き出す。

 素朴であろうとする者よりも
 遥かに自然に、素朴である。
 上手く行かねば「しかたがない」
 待てばそのうち良くなると。
 無理せず、無茶せず、焦らず、慌てず。
 当たり前の様に出来るから。
 羨ましいったらありゃしない。

 

 道に迷う時もある。
 人生幾つかの分岐点。
 人に頼らず、振り回されず。
 間違ったとしても自分のせい。
 振返れば一本道。
 時々曲がりくねっても。
 人の道から外れずに。もし間違ったら改めて。
 しっかり反省。深く後悔。戒めながら元の道。

 素朴であろうとする者よりも
 遥かに自然に、素朴である。
 「信念!」などと力まない。
 「正義感」さえ持ち合わさない。
 当たり前の様に出来るから。
 羨ましいったらありゃしない。

 
 道がなければ野原も歩き。丘をも登り。
 世間の誘惑、煩わしさ。
 社会の風潮、流行、常識。
 時には背く事になる。
 世間に浮いても構わない。
 だいたい人と比べない。
 時が経てば世間が変わって。
 何も無かった様な顔。

 素朴であろうとする者よりも
 遥かに自然に、素朴である。
 群れない、ブレない、流されない。
 当たり前の様に出来るから。
 羨ましいったらありゃしない。

 

 素朴な人は、とっても素直。
 素直と単純微妙に違う。素直と身勝手かなり違う。
 素直と我が儘相当違う。真っすぐな気持をす〜っと通る。
 そんな感情豊かな人。

 そりゃ悲しい時もある。もちろん寂しい時もある。
 怒ってる時も、泣いている時も。
 でも何時でも心清らか。
 妬みやそねみや劣等感。
 被害者意識や、疎外感。
 そんなものが全く無い。

 素朴であろうとする者よりも
 遥かに自然に、素朴である。
 清らかな涙、素直な悲しみ。
 真っすぐな怒り。自然な笑顔。
 出遅れ、気後れ、遠慮、気遣い。
 そんなものが全く無い。
 羨ましいったらありゃしない。

 

 自分の事は無頓着。
 相手を思い、子どもを思い。
 自然に感謝。人生に感謝。
 遠慮なく素直に出し切るからか。
 向こうからもたくさん返ってくる。
 自分の事は人が思い、考えてくれる。
 だから大概無頓着。

 素朴な人は正直者。
 だいたい嘘つく必要がない。
 なにより自分に嘘つかない。
 自分というもの分かっている。
 他と比べずに分かっている。
 だからブレない、惑わない。

 素朴であろうとする人よりも
 遥かに自然に分かってる。 
 「自分の身の丈」「自分らしさ」
 「身の程」知って、マイペース。
 比較しないから、感じない。
 劣等感も自信の有無も。
 羨ましいったらありゃしない。

 欲が無いのとちょっと違う。
 素直に学んだ先人の教え。立派な両親。近所の人。
 自分を叱咤激励し。日々少しずつ大きくなって。
 一見呑気でのんびりだけど。凄く大きな存在感。

 素朴な人は考えない。
 自分の身の振り考えない。地位や名誉や自分の立場。
 存在意義や、貢献度。
 その代わりに考える。 
 みんなが幸せになる方法。

 時々自分を責めて居る。まだまだ出来たのかもしれぬ。
 それでもくよくよ悩まずに。ゆっくり休んで。良い夢を見て。
 明日も同じに頑張って。笑って泣いて。怒って忘れて。
 

 素朴な人はたくさん居る。
 まだまだ日本にたくさん居る。
 あなたの側にも家族にも。
 羨ましいたらありゃしない。
 
 見習わなけりゃ、勿体ない。

 1月1日(月) あけましておめでとうございます。
 

 007年01月01日01:46 東京のお正月はむちゃ静か!!

 新年を迎えると色々な事を思い出す。 走馬灯の様なもの? 
澄み切った空、冷えきった空気。 買い置き有るのにコンビニへ。夜空を眺めて歩くため。 ちっとは心機一転だ!

 東京のお正月はとても暇。 生徒さんもお友達も帰省する。
道は異様に空いている。

 遊びに出ると悪い事が起きる。  そんなトラウマでじっとしているから。 尚の事。
  東京のお正月は静かです。

 新しい事一杯始めて。一年中頑張って。 たくさんの応援を頂いて。笑って笑って音楽して。 思って想って文章書いて。 教えて、学んで、気付かされて。

でも、お正月は暇なんです。 
やる事無い訳じゃないけど。猫さん一杯居てくれるけど。 今も膝にはクーちゃんが。PCとの間にはティナ君が。 ティナの下から手を伸ばし。キーボードを打つ幸せかな。

 カウントダウンで思い出す。
 飲み明かしてた大晦日。
 芝浦インクの年越しLIVE。幻のバンド七福神。
 思えば凄いネーミング。上々、じゃがたら、同級生。

 その頃居てくれた面白い娘。
 何かに付けてだらしがなかった。 お金に時間にだらしがない。
男性に対しては優柔不断。 頼まれ事は断れない。

 物忘れが多かった。 覚えていても寝坊した。
 最大五時間寝坊した。 携帯少ない頃だったから
 そりゃもう何度も待たされた。

 時々不思議に律儀だった。
 家族、友達、Bfにさえ。悪口、愚痴は言わなかった。
 むしろ尊敬促してくれて。親しい人は笑顔をくれた。
 忘れっぽいのに覚えてくれた。 一緒に行ったお店と料理。

 カウントダウンの瞬間に必ず電話をくれていた。
 毎年0:00きっかりに。数多の友達後回し。
 三度目の正月は来なかった。家族とともに引っ越した。
 親に対しても意見が言えず。でも両親大好きだから一緒に行った。
 勝手にそう、思ってる。

 あれから随分時が経った。 お店もほとんど残っていない。
 新しい人とは行く気がしない。想い出は新しく作りたい。
 塗り替えたい想い出も無くはないけど。それも相手の心次第。
 きっとあの娘も行かないだろう。行ったとしても独りだろう。

 なんて勝手に思ってみても。 女の子ってちゃっかりだから。

 男のこだわり.......??


 

 1月1日(月) 先人の先を歩まねば
   2007年01月01日04:08 先人の先を歩まねば!

  もう何年も食していない我が家の「お雑煮」

 元日は水戸式に「おすまし、短冊の大根、人参、角餅」
 二日は京都式に「白みそ、丸い京人参、里芋、丸いうるち入餅」
 父と母は、いわゆる「東男・京女」だった。
 価値観も文化風土も極端に違う二人が夫婦となった。
 喧嘩は耐えなかったが、正月のお雑煮の順番は父式が先だった。
 子ども心に、立てる母、立てられる父が輝かしかった。

 思えば父も母も同じだった。
 試行錯誤。
 何時も答えを求めていたのかもしれない。
 動機はなんであれ。きっかけは何であれ。
 
 戦争というとんでもない出来事が、価値観、人生観を変えたのだろう。
 水産会社上海支店長長男。たくさんの外国人が居る街で生まれた。
 引き揚げて見た祖国にカルチャーショックを覚えたかもしれない。
  慶応を卒業して早稲田の院に入った。当時では珍しかった。
 仏教徒が、国交樹立前の中国に行って感銘を受けた。
 もうひとつの祖国を想った。
 それが突然保守に転向。東欧、西欧に演劇を運んだ。
 その後は神道、ご先祖を深く想う様になった。

 目の前でグラマンが教え子を討った。
 炭坑の空管を繋ぐ会社の社長令嬢。外資系の三つを束ねる父親は最後迄軍需に抵抗した。
 戦後の日本は理念破れた敗戦国。不在地主もあった。
 炭坑の時代も終わり、理念は無意味となった。
 両親とも敬虔なクリスチャン。父とはYWCAの演劇祭で知り合った。
 突然仏教に転身。その後は神道。世界の民族音楽探訪の最大の応援者だった。ヒンドゥー教、イスラム教も学ぼうとしてくれた。

 祖父〜伯父の跡取り候補の帝王教育から一転して社会主義教育、
それがまた一転して資本主義経営学。
 両極端を行ったり来たりした。

 All or Nothingの価値観は、言わば生まれざるを得なかった。
 
 価値観、人生観、人間論が全く逆の両親。
 「生き物と音楽、演劇、絵画、陶芸、工芸が好き」
 が共通点だった。
 
          ★ ★ ★

 役者の子、と石を投げられた。昔からイジメはあったのだ。
 イジメの対象はしばしば変わったが、加担しなかった。
 一緒にイジメられた。
 戦後初公開の「原爆ドキュメント」のナレーションをした。
 父の評価は逆転し、教師迄もが笑顔をくれた。
 天国と地獄とまでは言わないが、イジメを認識したのは中学二年。
 それほどに押し込めておきたい事実だった。

 1980年代。民族音楽が流行り始めた。
 「第三世界文明」「アンチ欧米文明」
 インド音楽LIVEが満席続きとなった頃、
 W.A.S.P.の民謡に走った。
 嫌われるアメリカを知りたかった。
 古い民謡〜C&W100曲を練習した。インド音楽のお客さんは激減した。
 
 右派から左派、左派からまた右派。国際派から民族派。
 キリスト教、仏教、神道。
 ご令嬢、ご令息は振り子の様に揺れながら答えを求めていた。
  

 今から60年ほど前。殆どの日本人が「鬼畜米英」と言っていた。
 未だに貫いている人は、多分居ない。
 「アメリカ嫌い」と言いながら、生活からアメリカを排除する人は少ない。
 「アメリカ嫌い」と言う人にアパラチアの民謡を聴かせたい。
 「アメリカ好き」という人にとって「鬼畜米英」を信じ死んだ先祖は何なのか、尋ねてみたい。祖父や祖父の父ほど近い人々である。
 それと同時に「ヒルビリー」の語源を知るか、訊いてみたい。

 価値観、人生観、思想が様々なことは良い。 
 日本が戦争で学んだもので唯一実践出来た事かもしれない。
 インドやアフリカにはファシズムが育たなかった。
 多様、多彩の素晴らしい国である。
 ところがインドにもアフリカにもイジメは有る。
 民族同士の虐殺もある。カースト制度、ダウリも未だ根強い。

          ★ ★ ★

 振り子の様に揺れながら、答えを求めた父と母。
 その息子は最早揺れている場合ではなかった。
 「両極端」は似たり寄ったり。揺れてみた所で同じ事。
 されとて「悟り」は出て来ない。
 「人類皆兄弟」も唐突過ぎる。
 
 右の道か? 左の道か?
 試しをしてたら時間を費やす。
 人生無駄も時には必要。押しても駄目なら引いてみて。
 挫折は人を優しくする。

 失敗で賢くなる人は駄目。守る頭はさもしい頭。
 ほんとの優しさ受け取れない。
 挫折で弱くなるのも悲しい。
 人に答えを求めるのも。人のせいにする人も。
 人に頼って従いたがり、人と合わせて安心したがり。
 
 石を投げた人の一人に、中学になって謝罪を受けた。
 その時始めてイジメを知った。
 別な同級生からも謝罪を受けた。成人した後だった。
 電話の目的は勧誘だった。

 石より小さい球技が苦手。 最近気付いたトラウマである。
 パチンコさえもが好きじゃない。
 左足はよく上がらない。 これも最近結びついた。
 
 世の中が悪くなっている。気付いた人が増えて来た。
 その時昔の人はどうしたか? 世の中はどうなったか?

 思い出したり調べたり。 懸命に学んで貰いたい。
 「悪くなった」と多くの人々が気付いた時に、正しく直そうとした歴史は、残念ながら無い。

 右の者は左を批判し、左の者は右を批判する。
 「中立中道」と称しながら「良い所取り」の曖昧層が
 まるで手ぐすねを引いて「漁父の利」を待っている。
 戦争と同じで「勝った方が正しい」それにすんなり同調出来る。
 同調しない者は弾き出される。

 

          ★ ★ ★
 
 「おかしいと考える者は異常者扱い」
 そう言った若者が居る。
 ゲバ棒振って変えようとしたが、特需とバブルで幸せ掴んだ。
 そんな人達の子どもの中に。いや孫の中でさえ。
 答えを求める者が居る。 弱者を見捨てぬ者が居る。
 
 「お前が何で正しいのか!」「一体お前は何様だ!」
 「それほどお前は立派なのか?」

 悪気があるのは信じれる。 心の痛みが分かる人。
 悪の中に善意を見。善の中に悪を見る。

 暴言の中に助けを聞き。美辞麗句の中に卑しさを聞く。
 心地よさの中に危機を感じ。上辺の文化に諦めを想う。

 こんな私を人は言う
 「あなたはかなりのナルシスト」

 むしろ善意の言葉だろう。
 ありがたく受け取りたい。

 何故ならば、自虐的な努力、戒め、自己批判、挫折、後悔、反省を繰り返し。
常に厳しい表情をしていた時代から比べると。
 随分柔らかくなったのかも、と思う。

 かつては、全身に滲んでしまっていたものが、次第に中に中に入って行って。
外からは逆に見える状態。
 目指して居た姿である。

          ★ ★ ★

 伝えるべき事。伝えたい事を如何に分かり易く。
 出来る限り優しく。楽しく。

 正しいことなら尚の事。

 
 しかし、楽な事、心地よい事が「楽しい事」になってしまった今日。とても難しい。

 この半年で急に増えて来たと感じるのが、電車の「ゆったり掛け」
 まるで「暗黙の了解」でもあるかの様に。七人掛けを六人で座る。老若男女問わず。 東京のみならず。
 一昔前迄は、混んでいる時は頑張って詰めて一人でも多く座れる努力が常識だった。
 「七人八人全員が嫌な気分で居るよりは、座れた六人がゆったり座ろうよ。あなたも座れる時がくるんだからさ」
 そんな思いが通じ合っている様な。

 もしかしたら過半数の人々が、既にその意識に到達しているのかもしれない。

 皆が少しずつ譲り合って。互いに犠牲を払って。一人でも多くを。ではない、努力や犠牲を求めない「楽」 不気味な「抜本的解決」。「発想の転換」

 これがもう少し形になって認識される様になったら、

 社会はもの凄い勢いでそっちに流れるだろう。

          ★ ★ ★

 苛々、ストレスと横柄、怠惰が正比例してエスカレート。
その先には何があるのか。

 バッタの中で最も気品在る種が「トノサマバッタ」である。
イナゴなどと比べると稲の葉の食べ方が上品。食べ残しが無い。

 美しい緑のトノサマバッタが、何かの拍子に大量発生する事がある。
幼虫の段階で黒色に代わり、性格は獰猛になり、羽根が伸び恐ろしく変化する。
「飛蝗」と呼ばれる。
 数百キロをひとっ飛びし、作物を喰い尽くす怪物と成り、やがては共食いをして、自滅する。

 「三国志」の中に、この昆虫を操り敵国の農業に打撃を与える職業が出て来る。
なんと何処の国にも属さず報酬の良い方を渡り歩いた。

 

 世界が二つに分かれて争う。
 社会が、街が、家族が、恋人同士が。
 意見が別れて争う。喧嘩をする。

 端から見て。なんて失礼な事ですが。
 似たりよったりに思えてならない。

 「そうじゃないヨ」と間に入っても、
 右の人には左に見えて、左の人には右に見える。
 気付けば両方から矢が飛んで来る。

 正しい、正しくない。善と悪、の対立ではなく。
 それぞれの中の「譲る気持」「理解する気持」
 異なる考えを「守り合う気持」が無くなってしまったら。

 ひとりひとりが自分の中のものとの戦いを辞めてしまったら。
 外に敵を作って頑張ってしまったら。

 克己心を鈍らせ、自己への問いかけを辞め。

 より心地よさを、苛々ストレスの解消を外に求めたら。

 ................。

   
 1 月1日(月) かぐや姫は心の採集器
   2007年01月01日10:01 かぐや姫は心の採集器

 月の裏側に住むとも、月の地底に住むとも、月は中継基地とも、
 しし座α星レグルスとも..............。
 アンドロイドとも、知的生命体の娘(?)とも言われるが。
 かぐや姫に人間の感情が無かった事がせめてもの救いであった。

 S.F.好きな方は「地球制服」の事前調査と言いたがるが、 そこ迄の意図があったとは思えない。 事前調査は充分に行われていた。が、分かり切れなかったのが人間。 科学、哲学では計り知れない、その心の謎の解明が意図であろう。

 あれほどのテクノロジーをもつ生命体が、 人間が汚し切った地球を欲しがる必要があろうか?  あるとして、人間を抹殺するのは簡単な事。 人間を残しておく必要性の最終調査だったかもしれない。
 
 人間の心を知る為に 無作為に大勢の人間を採集したであろう。
 古今東西の出版物、芸術作品を蒐集したであろう。 人間の社会にまみれて暮らし「心を採集」する。
 「採集器」は、何百年もの間、世界中のあちこちに「居た」。

 人間の姿をした「採集器」があらゆる感情、あらゆる想い。
 あらゆる善悪、あらゆる観念、あらゆる欺瞞。様々な虚飾。 嘘と誠実。騙しと真実。様々な価値観。様々な場面、現象に於ける心の変化。 情に応じる変化。言葉と心の関係。表情と心の関係。それらを全て取り込んだ。 驚異的な事である。
 
 「採集器」に女性の姿を選んだのは、 古今東西 女性は「受け身」で居られるからだろう。
 人の心を引き出す魅力と、情の形で刺激を与え、母にもなり得る。
 男性の姿では得られない多様な「心」を採集した。
「採集器」を「人間」として見たならば、 「裏・表」などの次元を越え、極めて「多重人格的」であっただろう。

 「破天荒な性格」が災いし、いよいよ人間生活に限界を見た時。 月(?)に帰って行ったのだろうが、
 「採集器」はおびただしい数が次々、代々送り込まれて居た。 かぐや姫伝説は露見した一例に過ぎず。世界には似た話しは多く有る。

 かぐや姫に人間の感情が無かった事がせめてもの救いであった。
 人間ならば耐えられなかったに違いない。 否、知的生命体の感情とて耐えられたかどうか?
 アンドロイド説を応援する意見である。

 人間が存続出来ているのは。地球が制服されていないのは。
 まだ調査が終わっていない。少なくとも分析しきれて居ない。 なかなか結論に至らないからである、という意見もある。

 そうに違いない。 そうであって欲しい。
 何故ならば、様々な心が同居するのは、必ずしも人間らしさではないから。
 
 確かに、人の心は揺れ動く。 そこに思考が加われば、複雑にもなれば、矛盾も生じる。
 しかし、何処かに本音がある筈で、何処かに純粋な本心がある筈だ。
 人間を判断するならば、感情のサンプルではなくて「生き様」でお願いしたい。
 
 その意味では「かぐや姫」は間違ったサンプルである。
 そもそも「かぐや姫」は幸せを味わっていない。挫折も味わっていない。
 人の心を弄んで、様々な男から心を採集し溜め込んだ 人間性のかけらも無い、薄っぺらなプレパラートに過ぎない。 それをして「人間」を判断されたらたまらない。

 そもそも美形というのが偏っている。
 相手の男も金持ちの上辺面の御曹司ばかりじゃ困る。 もし、より正確なサンプルを欲しいのであるならば、
 添い遂げて幸せになった、老婆のかぐや姫を呼び戻すべきだ。

 しかし、それは最早科学的に普遍なサンプルではないだろう。
 人の心を保ち、伴侶を愛し、互いに影響し合いながらも、 心穏やかに素直に生き様を紡いだ。 ごく普通の女性になってしまっているから。

 そしてその「普通」は無限の形があり、
 その「幸せ」にも無限のヴァリエーションがあり、 その「心」にも様々な彩りがある。
 そもそもサンプル採集は無意味なのだ。

 プロジェクトは継続しているのか。頓挫したのか。 そもそも存在したのか。 分からない。

 もしかしたら「人間性の統一」「多様性の破壊」 を主旨とした「再教育プロジェクト」が始まっているのかもしれない。

 もしそうだとしたら。 
 かぐや姫は素晴らしい「心の生き字引」「感情の玉手箱」ということになる。

  私たち人間が月(?)からかぐや姫を呼び戻さねばならなくなるだろう。

   
 1月1日(月) Spoonful      
 


 料理人修業中のH君、太鼓修行中のS君、そしてこれを読んでくれた、修行中の人々に捧ぐ。

 2007年01月01日17:38 スプーン一杯の

            ☆ ☆ ☆

  大好きなブルーズ・シンガー&ライターに
 ウィリー・ディクソン(1915〜1992)というおっさんが居る。

 ウッドベースを弾き語りし、作曲プロデュースでシカゴ・ブルーズの黄金期を築いた。
ウッドベースと同じ背丈。ウッドベースと同じ太さの巨人。太い濁声だが温かさが溢れ出る様な音楽家だった。

 長いソロで有名なクリーム時代のエリック・クラプトンの演奏でも知られるが
 作曲家自身のヴァージョンの「スプーンフル」は私の十八番だった。
 
 元ボクサー。乗用車がぶつかった位じゃ倒れない様な巨漢が歌った。
「たった一杯。コーヒースプーン一杯で良いから、本当の優しさをおくれ」

            ☆ ☆ ☆
         
  二ヶ月で30kg減らした時に。「スプーン一杯の砂糖」の怖さを知った。
そのお陰で、砂糖を極力使わない本式の和食の深みに近寄れる光栄を味わった。
 砂糖の歴史を学ぶと、食の価値観がかなり変わる。

 一匙程の善意、一匙程の悪意、一匙程の無頓着、一匙程の正義感。
実感が無いうちに、大きな流れとなる事がある。
 たった一杯で全てを破壊してしまうものもあれば、一杯位では役に立たないものもある。

 一本の錆び釘を混ぜただけで、全ての釘が錆びる。
 錆びてない釘を錆び釘に混ぜて、全ての錆びが消える事はない。
 たった一粒の葡萄が樽一本のワインを駄目にする。
 塩加減を倍にしてしまったならば、料理の量を倍にすれば誤摩化せる時もある。
 ワインを救う為には数十の樽を混ぜるしかないのだろうか。

 
 逆にたった一本のマッチの炎で命が救われることもある。
 子どもの様に真一文字で食事を拒否した母。
 笑顔が戻ったのは、たった一杯のスプーンを食べてくれた時。
 私の笑顔に反応したものだった。

            ☆ ☆ ☆

 自分は明らかに「物量主義者」である。
 楽器の数。レードの数。カセットの数。本の数。
 昆虫の数。プラモデルの数。猫さんの数。

 エネルギーも根性も幾らでも注ぐ。体力も気力も幾らでも出す。
一杯で足りなければ、二杯。三杯。それでも足りなければ、十杯、百杯。

 そんな自分のほんの一声を評価してくれる人が居た。
ほんの一音で評価してくれた人も居る「一音からして違う」と。
それらの一言は、私に限りない勇気と、音楽をする喜びを与えてくれた。

 「たった一杯の本当の優しさ」を求めた巨漢のブルーズマンは、
その一杯をとてつもなく大きな音楽に変える力を持っているに違いない。
同時にたった一杯の不用意な心で嘆いた様も「You Know My Love」
「You Need Love」などの名曲から感じられる。

 

 
            ☆ ☆ ☆

 「悲しい事よりも楽しい事が多ければ良いじゃん!」
と言う人は少なくない。
 が、音楽家にとっては「悲しみ」も大切な「音の糧」であり、得ようとして得られない貴重なミネラルである。
「楽しさ」と混ぜこぜにして紛らわすことなど出来ない。

 しかし、たった一本でも錆び釘は全てを錆びさせる。
たった一杯の砂糖の怖さを知らぬ者は、本物の料理の深みが分からない。
些細ながさつさ、無神経な言動は、大きく傷を残す事がある。
 それ自体は、たいした事がないように思われても、「錆」のようなものはミネラルになり難く。意外に急所に取り憑いたりする。

 「研ぎすまされた音」「磨き抜かれた音」
「最高の音」がステージにたった一回でも出せたら。
そう思う事もミュージシャンには大切な事である。

 が、自他ともに99点の演奏であっても、 たった一音の「無神経な音」「不親切な音」「思い遣り、気配りの無い音」を出してしまったら。その演奏は価値を失う。

 そう考える人が少なくなった。

            ☆ ☆ ☆

 「最高の音」を目指す事と比べると「無神経な音」を出さない事は、そんなに難しい事ではない様に思える。

 ところがそうでもない。

 「最高の音」に対する「畏怖の念」にも似た強い思い。
それと同時に「最高の音」は自らの努力を越えて、楽器の調子、湿度、温度、会場の状態にリスナー、オーディエンスからの波動。
 全てが作用して生まれて来るものと信じたい。
 それは「他力本願」ではなく「謙虚さ」であると思いたい。

 芸術家は「自虐的な探究心」「排他的な孤高さ」と「サービス業」の狭間にいるかもしれない。

 前者に偏れば人々の心は離れ、後者に偏れば、芸は廃り、味は落ちる。
 
 受け手は様々なリクエストをぶつけて来る。
 何かの拍子に「孤高さ」がウケる事も有れば「酔いしれている姿」をうっとり聞き惚れるファンも居れば「楽しんでいる姿」に喝采を送る。かと思うと「楽しませてくれた」「与えてくれたか」を問う時もある。

 勿論「音楽のジャンル」によっても異なり、ある意味「聞き方、楽しみ方」の違いに応じてジャンルがあるとも言える。

 しかしながら、昔の人は、芸術家であっても芸人であっても、楽しそうに演奏する笑顔の裏では自虐的とも言える厳しい努力を重ねたものである。

 それは、業種が違ってもプロ同士には伝わった。

 それを感じさせてくれる人が少なくなった。

            ☆ ☆ ☆
 
 むしろ「無神経な音」を大量放出して気付かない人が増えた。

 無神経な音に慣れてしまえば、たまに出た「良いの音」にも感動してしまうのだろうか。それを「最高の音」と評する様になってゆくのだろうか。

 自虐的な昔風の音楽家と比べると、心地良さ、楽しさ、切なさを売り物にする人達は、ちょっと不気味なナルシストに見える。
 
 厳しさから心地良さ、楽しさ、切なさを作り出す。そうして生み出された音に酔う様なナルシズム。そんな芸術家に憧れる。

 不思議な事に、世の中が緩く怠くなってきている様で、鋭い感性を持っている若者が増えて来ている様に感じる。
 しかしながらそれを受け止める社会、聴衆が充分な段階にないような気がしてならない。
 
 私たちが、それを少しでも変えて行く迄の間。

 感性を惚けさせないためにも。
世の中に氾濫する「まやかし」に負けて挫けない為にも。
 一瞬たりとも「不用意な音」は出さぬ様心がけて欲しい。

 そしてその様な姿に、たった一杯でも「本当の賛辞」を贈る人が、受け手の中に少しずつでも増えて行く事を願う。

 【コメント】

 2007年01月01日20:29 Fさん


 不用意な音
  不用意な言葉
 不用意な態度
 不用意な間・・・
 なんと、私たちが、無関心な 世界
 自分は大切に、でも、他人を傷つけて 良い訳がない。

 2007年01月01日22:12 Kさん

 けいけい♪♪
 たったスプーン一杯の重み。
 たった一杯だからと軽んじてはいけませんね★ほんのひとさじ、
  目に見えている量と実際の重 みの違いは大きいんですね。
 勉強になりました☆

 2007年01月02日15:04 Tさん


 おっしゃるとおりです。
>「最高の音」を目指す事と比べると「無神経な音」を出さない事は、
  そんなに難しい事ではない様に思える。

 「最高の音」と言えば、価値観が違うようにみんな違う。
 もちろん自分で発音していても、いつも納得できない。

>一瞬たりとも「不用意な音」は出さぬ様心がけて欲しい。

 最高の音を目指すことはなかなか無理なので、私も一番の努力目標です。
 これでもなかなか難しいけど。

  2007年01月02日15:49WAKKY

 みなさん、ありがとうございます。

 今年もコメント嬉しく頂戴します。宜しくお願いします。

 Tさんありがとうございます。今日もミカン買ってしまいました。

 ワイン作りの話しを聞きましたが、
 最高のワインって、言わば「偶発的」つまりは「結果論」

 大好きな日本料理の料理人さんに聞きましたが、
「最高の食材と出会った時、もう敵わない」と。
 それもある意味「偶発的」。食材が結果を出している。

 私たちは日々「不本意」「不用意」「雑」「気を抜いた」ものを決して出さぬ様心がける。

 それは始める前から始まっている。
 つまりは「プロセス」

 そこに、続けて行く日々。重ねて行く日々。プロの生き様が有る様に思います。

 これも「考え様」の問題。「言い様」の問題で伝え難い話しですが。

   
 1月2日(火) 初夢は綿菓子?
   2007年01月02日15:30 なんと初夢は綿菓子。

 恥ずかしながら30歳くらい迄、初夢は新年最初に見た夢と思っていました。
子どもの頃「紅白歌合戦」「ゆく年来る年」を見てから年を越して寝て。
お正月の朝は家族揃ってゆっくり起きて。
その時覚えている夢は、まぎれもなく新しい年の最初の夢。
だから「初夢」そう思い込んでました。

 よくよく考えてみると。昔、それこそ平安時代〜明治時代。
大晦日の除夜の鐘を全部聞く迄もなく寝てしまった昔の人々。
その夢は、二年越しかもしれない訳で。
元日から二日に掛けてが「正真正銘の新年の夢」とした。
なるほどな.............。と。 勝手に納得したのが30歳頃。

 するとどうでしょう。
辞書の類いには「大晦日から新年に掛けては寝ずに過ごす人が多いので」
「初夢は元日から二日に掛けての夢とした」とあるのです。
つまりは、夜通し起きてたり、朝寝たりで人それぞれだから。
きちんと夜寝て朝起きた。元日〜二日の夢を「初夢」とする。
答えは同じなのに説明が逆。??????

 どっちなんだろう?  どっちでも良い?

どっちにしても.................。 

 今朝起きたとき。夢を覚えていませんでした。 アウト!

 この一年を占い様がありません。   

 「初夢」は覚えていませんが、まだベッドの中で、猫さん達の下敷きになりながら、
お友達と電話で「あけましておめでとう」。
「綿菓子の想い出」という素敵な話しを聞いたので。 きっと今年も良い一年。

 まだ半分寝ぼけながらの電話の後で
「綿菓子」の光景から連想して思い浮かべたのが「ドロップ」

 楽しい事、悲しい事、嬉しい事、憂鬱な事、大変だけどしなきゃならない事。
人間、日々のいろいろな事はドロップの様に現れるなぁ、と。

 そう昔懐かしい。缶入りの。「サクマドロップス」
 
 人にもよるかもしれませんが、子どもの頃。
缶から何色のドロップが出て来ても嬉しかった。

 もしかしたら、そう思っているのは僕だけでしょうか?
意外に、嫌いな味は食べずに戻したり?捨てたり?集めたり?
最初に全部出して、好き嫌いで分けたりした子も居るのかな?
それって、ちょっと可愛くないんじゃない?

好き嫌いがない訳じゃないけれど。
 仮に嫌いな飴が出て来たからって、缶に戻すことはしなかった。
「ちょっとズルだなぁ」と思いながら「ちらっと」覗いたことはありましたが。
すると妹がすかさず「あっ!お兄ちゃんズルい!」って。

 人生もそんな風に思えたら、気持は随分楽でしょう。

楽しい味、悲しい味、酸っぱい味、苦い味、辛い味、甘い味、嬉しい味、渋い味。
どれが出て来るかは分からないけど。
どれが出て来ても、全部で人生。

「実際のサクマドロップスはかなりばらつきが有るヨ」
なんて言わないで! 知ってますって。

写真の「緑缶」。「ハッカ味」は二個、「メロン味」は一個しか入ってなかった。
最初に全部見た。

 人生はそうじゃない!! 

 イスラム教の教えにもありますが、粒の大きさ、数は人それぞれだけれども。
種類とその割合はみんな同じ。と信じなきゃ。

 確かに、たて続けに苦手な味が出て来る時期もあります。
ずっと続いている様な気にもなります。
 でも、その分後で嬉しい味が来るのかも!

 でも、人生の終わりの方で立て続けに嬉しい味じゃあね。
 その気持も分かります。

もしかしたら、最後迄出て来なかったり?

 つまりは、望みが高過ぎて、美味しい味を喜んでなかった為に、
人生の最後になって「あっ、そう言う事だったのか!」と気付く。
「ならばあの時、もっと喜んでいれば良かった」
「あんなに悲しまなきゃ良かった」って思うかも。

 って事は。悲しい味、辛い味をなるべく、悲しまずに、辛く思わずに
これもまた美味かな、と。これもまた人生、と美味しく味わっていれば。 

 そうすれば美味しい味の時にも安心してより喜べる。
 
「人生綿菓子論」に少し近づいたかしら?

 それよりも心配すべき事は。
全部が湿気ってしまったら大変です。出て来なくなってしまいます。
だから、人生の先々あんまり覗かない方が良いのかも。
湿気った日には尚の事。

 大好きなお友達に「サクマドロップス」みたいな人が居ます。
思いがけない色々な味が飛び出て来て、ワクワク、びっくりです。
ある意味貴重な存在ですから。何時迄も元気で
にこにこ「カラカラ」振って。湿気ることなく、コロコロ飛び出して欲しいです。

 
 そう!
 東町に引っ越して来て始めてかな? 
 今年のお正月、重箱を出しました。
 近くの西友で買った、伊達巻、紅白の蒲鉾、黒豆、なます、を入れました。
 猫さん意外にも伊達巻食べません。
 子どもの頃一番敬遠していた「なます」が美味しいと感じる様になりました。
 おせちは、ひと箸ひと箸のものが多くて良いですね。
 
 またミカン買ってしまった。 ヤバイです。

 可笑しかったのがM.ダックスの千恵ちゃん。
 もの凄〜くミカン欲しがって。 
 「ミカン欲しい人!」「は〜い!」って短い前足を自ら必死で上げる迄
 たっぷり遊んで貰って(僕が)から 剥いてあげました。

 ところが小粒なのに一口で食べ切らない。
 多分、ガブってやってしまうと汁が勿体ないと学んだのでしょう。
 「う〜ん、どうしよう、どうしよう」としているので。
 半分に割ってあげようと、取ろうとしたら
 「はっし!」と短い前足と顎の下に隠して。「取らないで!」って。
 信用ないんだなぁ。 
 「良し!」って言う前にちゃっかり食べた時にご飯取り上げた事はありましたが、
 「良し!」って言ってから取り上げた事無いのに。

 窓の外の猫ハウスを見ると、チャメもこっちを見てます。
 手を振ると、口が「ニャッ」と開きます。
 目をつぶってみせると、目をつぶって。 
 それを繰り返していると、だんだん寝てしまいました。

 吉祥寺はちょっと曇り空の二日目です。

 
 ★ アニメ「火垂の墓」で人気がリバイバルした「サクマドッロップス」は、
 戦後、二社に分離し「サクマ製菓株式会社」の通称「緑缶」「サクマドロップス」
と佐久間製菓株式会社」通称「赤缶」「サクマ式ドロップス」の二種なんですと。
後者はなかなか見つかりませんでした。

   
 1月4日(木) 頑張ってるかな?
   2007年01月04日01:08 頑張ってるかな? 頑張ってるよね。

 

  頑張ってるかな?

 そろそろ帰ってくるのかな?
 何時もどこ迄行くんだっけ?
 遠いのかな? 遠いんだろうなぁ。
 全然見えないし。

 頑張ってるかな?
 
 何時行ったんだっけ?
 二回前の朝ご飯の後だっけ?
 忘れちゃったな。
 寒くないのかな? 温かいのかな?
 全然分からないけど。

 頑張ってるよね。
 
 何時だって頑張ってるもの。
 お仕事の電話。 お友達との電話。
 ハキハキだったり。ちょっと怖かったり。
 寂しそうだったり。笑っていたり。
 全然誰か分からないけど。

 頑張ってると思うな。

 だって、ずっと変わらないもの。
 遠くに行っても。帰って来ても。
 ずっと居ても。居なくても。
 何時でも同じに温かいもの。
 何時でも優しく話してくれるもの。

 困ってないかな?

 お友達いっぱい居るんだよね。
 大丈夫だよね。
 困ってないからね。
 時々寝ぼけて探しちゃうけど。
 帰って来るって知ってるから。
 何時迄も変わらないの知ってるから。

 頑張ってね。

 頑張ってるよね。
 何時も忘れないでくれてるよね。
 変わらないでくれてるよね。

 ありがとうね。

 

☆ 西小倉:Kate-MusicさんでLIVEをした時。店内で
うどのあすか さんの水彩直筆イラストの展示会がありました。
欲しい人が名前を書いて。
 展示会の後に頂きました。
何十枚の中から、この一枚。お店に入った瞬間に目に留まった一枚。幸いにどなたも名前をつけていなくて。

 素敵なメッセージも頂きました。ご了承頂けたら、アップします

   
 1月4日(木) 無人島に漂着したら
   2007年01月04日15:14 無人島に漂着したら。

 無人島に漂着したら。
 どんな人になるだろう。
 相手を守らんとするのかな。 自分と相手と上手に半々? 自分が真っ先な人なのか。

 明るく元気で冗談言える? それともめそめそ悲しむばかり?
苛々ぶつける投げやりな人? ぼーっと何も出来ぬ人?

 げっそりやつれる弱い人。 しっかり順応元気な人。 あれこれ工夫が出来る人。
全て一人で創れる人。 それとも何も考えられない。 一人じゃ何も出来ない人。

 人にさせるの好きな人。 してもらうのが好きな人。
それとも一緒が嬉しい人。 二人で作るの好きな人。 ほんとは一人で出来るけど。
一緒に作るの好きな人。

 二人で力を合わせて行ける。 互いを大事に守ってゆける。
しかたがないから諦める。 元気が無くなり弱くなる。
それとも助かる希望を抱いて それまで前向きに頑張りますか?

 心をしっかり持ったとしても、 時々海を見ていたら。 
どこかで助けを待ってる人。 違う未来を見てる人。

 心がそんなに強くなくても 何時でも心配してくれる。 何時までも気遣ってくれる人。
ここから未来を作る人。 相手を大切に想う人。

 無人島に漂着したら。
 どんな仕事をしましょうか。 今までの仕事の向き不向き。 島では関係ないですね。
 それより何より生きるため。 なんでもするし、何でも出来る。
それより何より相手のため。 自分のために元気良く。 それが未来につながる様に。

 二人が何時も向き合ってるなら     何処に居ても  そこが。

   
 1月6日(土) 応援しているからね
   2007年01月06日10:01 応援しているからね。

 心配事がたくさんあっても。 気合いと張り切りで乗り切って。
厳しい顔で鏡を睨み。 「良し!」と気持を切り替える。
 心の不安が少なくなれば。 きっと自然に落ち着いて。 立派な歴史がにじみ出る。

 弱い気持がたくさんあっても。 負けてなるかと叱咤激励。
戦う心を取り戻し。 「びしっ!」と決めて出陣する。
 心の足かせ少なくなれば。 きっと自然に賢くなれて。 正しい答えが沸き上がる。

 答えを求めて何時も考え。 ひとつの答えに飽き足らず。
優しい心を戒めて。 「それじゃ駄目だ」と言い聞かす。
 心の負担が少なくなれば。 きっと自然に安心して。 すべてが正しい答えになる。

 頼りたくっても頼れない。 我が儘出してもすっきりしない。
弱い心を戒めて。 「これでは駄目だ」と考え直す。
 心配事が少なくなれば。 きっと自然に丈夫になって。 心に余裕が生まれて来る。

 きっとあなたはそのままが良い。 きっとそのまま自然に楽に。
 たくさんの人に励まされ。 たくさんの力を支えにして。 たくさんの頑張り上手に繋いで。
 自然な笑顔で頑張って行ける。 それがきっとあなたらしさ。

 何時しか大きな心が現れ。 「お疲れさん」と包んでくれる。
 きっとそれもあと少し。 心の負担や、心配の種。
 少なくなって自由にやれて。
 ハンドル、アクセル、スムーズに。 やりたい様にがきっと一番。

   
 1 月6日(土)  「モモンガの森へ」写真集
   2007年01月06日11:22 「モモンガの森へ」写真集

 小さな口に小さな鼻。 そこにとっても大きな瞳。
二年近く前買った本。 「モモンガの森へ」の写真集。

 多分木の実を食べている。 冬は木の芽を食べている。
草食なのに夜行性。 きっととってもか弱いから。

 昨日初めて見て気付いたこと。
小枝と小枝の三角の。 枝分かれのとこが好きみたい。
二つの枝をしっかり掴む。

 安心するのか、安定するのか。 欲張りなのか。不安なのか。
どっち着かずに。どっちも選ばず。 二つの枝にまたがっている。

 モモンガ飼うのはきっと無理。
籠に入れても。紐を付けても。 たくさん餌を与えても。 お水を飲みなと与えても。

 飛べないところはきっと無理。
幾ら安心与えても。 同じ樹には居たがらない。 そのくせ樹の穴隠れたがる。

 昼間ごろごろ。穴の中。 もそもそ、ぐずぐず穴の中。
夜は翼を一杯拡げて。 何処でも好きに飛んで行く。

 幾らモモンガ可愛くても。
 幾らモモンガ大好きでも。
籠で飼うのは絶対無理。 自分もモモンガになるしかない。

 ふわふわ毛布を穴に詰めて
 餌もたっぷり。安心だよと。 きっと好きになってくれるけど。
その樹だけではきっと嫌。

 行くなと言ったら行きたくなる。 言えば言う程行きたくなる。
 せっかくモモンガに生まれたのだから。
 翼を取ったらリスなのだから。

   
 1月6日(土) 猫
   2007年01月06日14:20 猫

 優しい胸に耳を当てて。 小さな鼓動を聞かせておくれ。
僕たちよりも遥かに早く。 違う時間を生きている。

 残されることが怖いなんて。 死ぬことよりも怖いなんて。 とってもとっても罰当たり。

 決して残しはしないよと。 言葉で誓って心に決めて。 なのになんで無理をする。
 時間がとても惜しいから。 たくさん安心作りたいから。 小さな鼓動に追いつきたいから。

  そんな心に打ち勝てない。 ゆっくり生きる心が弱い。 それでは安らぎ与えられない。

 一人残され悲しむならば。 いっそ忘れて明るく生きろ。

 心の支えが必要ならば。 楽しい想い出一杯作ろう。

 弱い心が心配だから。 頼るも甘えも出来やしない。

 甘えなければいじけるし。 頼らなければ甘えるし。

 心配過ぎて死に切れない。 ならばその分長生きする?

 僕たちよりも遥かに早く。 無情に時打つ小さな胸。

 心配そうに見上げる目 とってもとっても優しい目
 今日も一日頑張りたいから 小さな鼓動を聞かせておくれ。

   
 1月8日(月) きっと彼は大丈夫
   2007年01月08日01:13 きっと彼は大丈夫。

 兄弟みたいな、我が子みたいな。 放って置けないそんな気持。
 それは何から生まれたのか。

 母性本能。前世の悔やみ。 悲しい記憶の裏返し。
 切ない記憶の罪悪感。

 尽くすことの安心感。 求められることの存在感。
 それは何から生まれたのか。

 強い力で引っ張られ。 たくましさに守られて。
 染まりながらも育ちたい。
 
 そんな想いに気付かされる。 本能にも似た深い衝動。
 かき集める自制心。

 運命の悪戯は。 必ず自分を問いつめる。
 心の弱さを問い質す。

 春に訪れ、夏に去り。 何も生まれぬフリをする。
 何事も無く過ぎて行く。

 偶然の様に秋に訪れ。 試されることに悩み出す。
 かき集める理性と想い出。

 冬には自ら打って出る。 心の中に置き場所作り。
 形を築いて守り抜く。

 強い力と存在感。 惚れたのか、憧れか。
 救われたい心のせいか。

 本能的な安心感。 求めていたのか。隠れ家か。
 生きて行きたい衝動か。

 守られたい弱い心は 失ってから気付くもの。
 無情に思うがしかたがないもの。

 強くなるかも。同じかも。 通り過ぎた景色の様に。
 自分の中で小さくなる。

 親はなくとも子は育つ。 甘えん坊は代わりを探す。
 それはあなたのせいじゃない。

 だから今やってること。頑張って! 悩む事は大切だけど。
 やりたい事を辞めないで!

   
 1月11日(木) 悲しみの精霊
   2007年01月11日00:52 悲しみの精霊

 悲しみの精霊と出逢ってしまうと。  人は人生を後ろから歩き始める。

 子どもの頃はたいがい夢想家。  願えば叶うと思うもの。

 やりたい事はたいがい叶った。  もしかしたら全て叶った。

 人の心は叶わなかった。  念じて、願っても叶わなかった。

 人生を後ろから歩き始めると  終わりが怖くなくなった。

 五線譜の右下から左へ上へ。  逆さまに演奏する様に。

 迷う事が嫌だから。  後悔するのが嫌だから。

 短い人生何処迄やれるか。  逆算して頑張り始めた。

 終わりを考え事を始める。  仕事の実績多く残った。

 
 ガッカリされるの嫌だから。  初めに全てをさらけ出す。

 裏表がないと誉めて貰える。  ところが人はたいがい逆。

 真ん中辺りですれ違う。  誤解、ガッカリ、裏切り、嘘。

 出逢いは別れのためにあるのか。  出逢いを拒んだ時期も長い。


 何時頃からか、夢想を止めた。  悲しい結果が嫌だから。

 心配事が現実になる。  心配がそれを呼ぶかのごとく。

 悪い予知夢が現実になる。  何故か足がそこに向く。

 何気な変化を見逃さない。  何気な言葉を聞き逃さない。

 何気な言葉と言葉を繋ぐと  悲しい答えが見えて来た。

 
 素晴らしい人と出逢った。  精霊が使わしたか、そのものか。

 求める心の全てをくれた。  求める言葉の全てをくれた。

 欲しいと思うとその時に。  念じなくても全てをくれた。

 信じて来たもの。支えにしたもの。  信念、言葉、心と、想い。

 寝て置かなきゃとは思わなくなり  優しい心で知らぬ間に寝た。

 起きれば背中が温かだった。  短い時間にぐっすり休めた。

 やりたい事がどんどん増えた。  生きたい気持がどんどん増えた。

 人々の心が温かく思え。  温かな心が集まって来た。

 念じたことは全て叶った。  場所のオーラが呼ぶのが見えた。

 一番欲しいものを強請った。  唯一貰えぬものだった。

 それを得たら全てが叶う。  人生の目的が全て果たされる。

 願ったとたんに全てが変わった。  全ての事が逆に動いた。

 願ったとたんに甦った。  悪い予知夢を見る力。
 

 悲しみの精霊には二種類ある。
 
 悲しみから救おうとする精霊。

 悲しみと戦い生きろと言う精霊。