考えた事 2007年1月後半
2007年01月13日10:28 飛行機雲 青空って いいよね。 澄んでいて。 奇麗だし。すっきりしているよね。
綿菓子みたいな雲が楽しそうにいっぱいあちこちに。 それも楽しかった。嬉しかった。わくわくしたし。愉快だった。
でも、空が雲だらけになっちゃうと。どんより憂鬱。 グレーの雲だらけになっちゃうと。どうにもこうにも。
雲も善し悪しだね。
風って 凄いよね。 あっと言う間に、雲を運んで。 次から次へと。
「あっ!その雲持ってかないで!」 「うん、それは持ってっていいよ」 なんて思いは通じない。 全部持って行ってしまうから。
でも、その後に思いがけない可愛い雲。 見た事無い様な 面白い雲。
また新しい雲がたくさん。どんどん、もくもくと。
空って不思議だね。
まっさらな青空。 何も無くなった。 想い出も、悩みも、頑張りも、ご褒美も。 あれっ? って。 人間ってちっちゃいね。空の広さと、青さに比べりゃ ちっちゃいね。 それもまた可愛いね。情けないけど、可愛いね。
そんな青空に飛行機雲一筋。 とっても太く。 くっきりと。 敵いっこない筈の大自然なのに、人が作った飛行機雲。
人間って不思議だね。 真っすぐ真っすぐ。ちょっと揺れながら。
尾っぽは少しかすれながらも。 上へ上へと伸びて行く。
お友達の日記に素晴らしい飛行機雲の写真がありました。 「詩を作りたかったけど」ってコメントがありました。 ちょっと想いが違ったかもですが。書いてみました。
★ 大好きな写真。 頂いちゃいました。ありがとうございます。
黄色い花冠は、健気で、子どもっぽく。 微笑むかの様な愛くるしさを感じさせる。
その真っすぐ伸びた緑の葉は、 命の息吹と素直さ清潔さを感じさせる。
人は、その被片の無垢な白さに心を奪われ、 純白のドレスの娘を思い浮かべる。
その花冠には、娘が子どもの頃から無くさずに来ている朗らかさを想う。
その葉の凛とした姿には、気丈さを感じ。 決して裏切られる事はないだろうと思う。
和みと、微笑み。信頼と、成長。全てを兼ね添えた様な花。
心を酔わせるその甘い香りは 戦う時は、心を奮起させ勇気を与え 平和な時は果てしない安らぎを与えてくれる。 愛と情と。勇気と力と。穏やかさと安らぎを兼ね添えている。
何千年もの長い間 、人々はこの花に惑わされ、心を奪われ、時に人生を誤った。
しかし、物語は常にこの花の味方であった。 と言うより惜しみなく慈しみの言葉を与えた。
この花こそ、最も哀れな花だからかもしれない。
ギリシア神話。 言い寄る者の恨みを買う程に高慢な暴言を吐いたナルキッソス。 フラレた者達の呪いを聞いた復讐の女神によって 水鏡に映る自分しか愛せなくなった。 やがて水に命を落とし、水辺に咲く花となった。
ペルシア伝説。 「伺い石」に「眠れる王子と結婚せよ」と告げられるナルゲス。 王子の命を奪った四十の針を抜くが、 最後に従女に出し抜かれてしまう。
今日のイランで人気のTVドラマの主人公でもある。 初代女優の悲しい出来事によってさらに人気が上がったという。
「ゴル ナルゲス」 イランで最も高価な香水のひとつである。 伝説の時代でもないのに、 この国では今日でも「気高さと悲しみ」が重なっている。
アフガニスタンの有名な歌。 この花の原産地域の中では、珍しくハッピーエンドである。 巡礼の貧しい僧侶と、貴族の娘の恋愛物語。 窓陰と巡礼の列。運命的、奇跡的に一瞬 目と目が合ったという。 密かに送った手紙。 「ゴル・エ・ナルゲスが美しい季節です。見に来ませんか」 二人は七年掛かって結ばれたと言う。
人々がこの花に与えた「花言葉」
うぬぼれと高慢。そしてエゴ。 白い被片は強い自己愛。 黄色い花冠は気位の高さ。
その一方で、傷つき易さ、多感な弱い心、 再愛の願い、報われぬ恋。 そして 神秘とするものもある。
ニラ科の植物にも似たその葉は、食すると中毒を起こす。 意外に知られていないが、有毒植物でもある。 多年草で何処でも生きて行ける、逞しい花でもある。
強い自己愛の故に、美しい純白。
人をほんとうに愛し、尽くすと、必ずしも美しくは居られない。 むしろその美しさは内面からのものに変わるだろう。
学名:Narcissus
一月の誕生花である。
友人が送ってくれた写メール。 暖房で満開になっていました。でもとっても可憐で心を奪われました。 翌日、マイミクさんの日記にも.......。 なんだか不思議なリンクでした。
てんとう虫。 割り箸の先へとひたすら登る。 ○○と煙は上に登りたがる。これらに似ている。 真っすぐな道があったら、歩きたくなる。 二叉路や六つ角、五つ角。 真っすぐを壊すもの。 妙に落ち着く。 捕われた心を救ってくれそうなのか。 それ自体の神秘性に感動するのか。
寄り道は大好き。 回り道は嫌い。真っすぐな道も急ぐ訳ではない。 きっと道がなくても真っすぐ進む。 でも途中で寄り道をする。しょっちゅうする。 曲がったもの。 嫌いな訳じゃない。むしろ好きかもしれない。 心が和む。しなった弓。曲がった枝。 竹を見るより、柳を見たい。柳を見るより、楓を見たい。
真っすぐなもの。 憧れか。 使命感か。 きっと大嫌いで、苦手なもの。 きっと天敵。前世からの。 避けられないもの。 逃げられないもの。
真っすぐな道をゆっくりと。 優しい気持でゆっくりと。 ニコニコ景色を眺めたり。 ケラケラ話しをしてみたり。
優しい人と歩いて行けたら。 たくさん寄り道するだろう。
2007年01月14日13:52 グラデーション 淡い明るさから闇までが、グラデーションでつづいている。 優しい水色から碧色へ。そこに真っすぐな雲。 寄せ付けない程の強いまとまりから、消えそうになった霞みまで。 空気の流れの境目だろうか。天との境目の様でもある。
訳も無く不思議な衝動に駆られる。 母親に会いたくなる。 父親と酌み交わしたくなる。 誰かに許しを請いたくなる。誰かを許したい気分になる。 誰かに悲しみを伝えたくなる。誰かを悲しみから救いたくなる。
心が洗われることはない。悩みが消えることもない。 悲しみが増えることもなく。希望が霞むこともない。 温かさは感じない。優しい気持に浸る訳でもない。 だた、怒りは遠のいて行く。悔しい気持は微塵も無い。
街の明かりが美しい。 温かにも見え、健気にも見え。切なくも見え。優しくも見える。 昨日はあの中に居たのかもしれない。 明日はあの中に居るかもしれない。
愛した人が楽しく笑っているかもしれない。 自分を愛してくれる人が待っているかもしれない。 会えなくなった友が居るかもしれない。 明日出逢う友が居るかもしれない。
そこに答えは何処にもない。 そこには全てが在るから。ひとつの答えは得られない。 自分という人間。想いや、心。ひとつの答えはもともとない。 全てを含み。全てを感じ。全てを受け止め。全てに向う。
明日この景色を見る人も居る。 私はきっとあの中に居る。 笑って音楽を演っているか 優しい気持で笑顔を見ている。
★マイミクさんからの写真のプレゼントが届きました。 遠くの知らない景色です。 この後、陽が沈む迄うっとり眺めて居たそうです。
訳も無くそこにたたずんで。じらしてじらしてたたずんで。 じわじわっとその分 美味しくなる感じです。 さあ! 丘を駆け下りて。あの子と旨いビールを飲もう!
真面目な心 それも「まごころ」 その場凌ぎや、言い訳や 嘘や 誤摩化し はぐらかし 誘惑に負けず 弱気にならず 先々不安になったとしても 軌跡を見れば確信出来る。一本道を歩いて来たと。
誠の心 それも「まごころ」 考えること 教わること。 学んで 知って 反省して。 悩んで 訊いて 確かめて。 揺れて紛れて身失い掛けて。 それでもずっと持ち続けていた。ささやかでもそれがまごころ。
故郷の心 それも「まごころ」 日本人なら日本の心。 生まれ育った昔の心 本来ならば孫子の代迄 受け継がれて行く自然な心。 そこに立ち返ってみて見ると。広い世界は何処も同じ。
見えない心 それが「まごころ」 知らないところで知らない姿。見えないところで知らない心。 後で分かって涙する。何一つ矛盾もなく。 むしろ遥かに深く大きく。 驚く程の苦労があったり。深い愛情が感じられたり。
でもそれは普通のこと。 毎日毎日少しずつ。何時でも何処でも少しずつ。 普通の心の普通の暮らしで、見せることなく。隠すことなく。 母の夜なべの様な心。
心のたもとにそっと在る。 ささやかながらも清らかに。
無理せず優しく持っている。
【いただいたコメント】
2007年01月17日19:51 Hさん いつまでも まごころを持ち続けたい そして、私に気づいてくれたらいいな 帰るところはここだと そのためには、まごころ おごることなく、ただ、あなたがしあわせでいることを 願っているから
2007年01月17日20:30 Sさん ひとりでは生きられない。 まごころは自分自信であり日々変化していくことに 新鮮でなくてはならない。 心のつづりは時が優しくしてくれる。 そんな私になりたい。
2007年01月17日21:24 Aさん 人間はまごころを忘れずに生きていかないと いけませんね。
女性で駄目になった男って。 そりゃ元々駄目な男。 女性を駄目にした男って。 駄目な時期だったかもしれないけど。 やっぱりそれも駄目な男。
男で駄目になった女性って。 これはなかなか難しい。 男を駄目にした女性って。 これもなかなか微妙。
師匠を駄目にする弟子はあり得ない。 弟子を駄目にする師匠は居る。 育て切れない場合も在れば。潰してしまう場合もある。 師匠を駄目にする弟子はあり得ないが。 教えを駄目にする弟子は多い。 音楽家を駄目にする聴衆はあり得ない。 聴衆を駄目にする音楽家は少なくない。 店を駄目にするお客はあり得ない。 駄目なお客を集める店は多い。 街を駄目にする住人は多い。 人を駄目にする街は本来あり得ない。 人間を駄目にする自然はないが 殆どの人間が自然を駄目にする。
甘えが人を駄目にすることはある。 甘やかしが人を駄目にすることも多い。 厳しさが人を駄目にすることもある。 人は駄目になり易い。
お金が人を駄目にすることも 技が人を駄目にすることも 技が芸を駄目にすることも とかく駄目になり易い。
過信が人を駄目にすることはあるが 信頼が人を駄目にすることはない。 地位が人を駄目にすることはあっても 尊敬が人を駄目にすることはない。
責務が人を駄目にすることはあるが 責任が人を駄目にすることはない。 まごころを駄目にする人はいるが。 まごころが人を駄目にすることはない。 自分で自分を駄目にする人は多い。 駄目になったのを人のせいにする人も多い。 人を駄目にしたと思い過ぎる人も多い。 駄目だと思い過ぎる人も多い。
期待し過ぎる、望み過ぎる。それは本来駄目じゃない。 急ぎ過ぎる。焦り過ぎる。それもそんなに駄目じゃない。
駄目の代わりに「勿体ない」と言う 素敵な心を持つ人が居る。 その言葉には愛があり、情があり、期待がある。 駄目のままでは勿体ない。 駄目と思ったら勿体ない。 駄目の時間は勿体ない。 駄目と思う事は駄目じゃないけど きっとそんなに駄目じゃない。 勿体ないから頑張ろう!
2007年01月17日22:44 Tさん 期待し過ぎる、望み過ぎる。それは本来駄目じゃない。 急ぎ過ぎる。焦り過ぎる。それもそんなに駄目じゃない。
いつもそこは「反省」がうまくいかないんです。 駄目じゃないなら有り難いなぁ。。。
2007年01月17日23:06 Mさん 期待し過ぎる、望み過ぎる。それは本来駄目じゃない。 急ぎ過ぎる。焦り過ぎる。それもそんなに駄目じゃない。
やっと言ってくれた人を見つけた…。 いつも。それが駄目だ…と思ったり、諭されたり…
そぉですねwせっかく、何か与えたり、与えられたり…etc 出来るのにっ!勿体無いですよねww 勿体無い精神で、あと少しの踏ん張り・・・頑張ります☆ミ
本当に。。。タイミングの良いときに、私に必要な 言の葉をくださる…感謝でいっぱいです
2007年01月17日23:25 Mkさん 駄目の基準・・・難しいです・・・
2007年01月17日23:27 Rさん お金が人を駄目にすることも 技が人を駄目にすることも 技が芸を駄目にすることも とかく駄目になり易い。 芸を売る人とは技を磨くものだと思います。だけど「ワザが芸をダメにする」とは、絶妙なバランスの問題なのでしょうか。
「駄目」ていう言葉は否定的だけど、もったいないって少し優しい、WAKKYさんが書くように愛、情、期待、まだ切り捨ててはいないんだよっていうゆとりが感じられます。
駄目なお客と言われぬよう、飲み屋に迷惑のかからぬように飲みます…。
過信が人を駄目にすることはあるが 信頼が人を駄目にすることはない。 これはすごく難しいです。 甘やかしとまごころも難しい。 2007年01月18日00:36 M氏 頭の中で、 「down by the riversidem」=「きっとそんなに駄目じゃない」にあてはまってしまい繰り返しが鳴り止みません。
「きっとそんなに駄目じゃない」素敵な詩ですね。 2007年01月18日02:00 Cさん 駄目と思う事は駄目じゃないけど きっとそんなに駄目じゃない。 勿体ないから頑張ろう!
↑いつか直筆で色紙に書いて欲しいですっ♪(*^_^*)
私ってば・・・飲んで騒いで歌って踊るのが大好き〜っ♪ 翌日・・・記憶半分なので軽く自己嫌悪・・・(×_×;) (相変わらず駄目だな・・・)って思う。
どーやら、そんなに駄目じゃナイらしい・・・ ホントに駄目なら「飲みに行こうっ♪」って 二度と誰からも誘われないよねー? 寛大なる周囲の方々に感謝ですっ!(*^_^*)
勿体無い・・・ 素敵な日本語です。
褒められたらば「勿体のうございますぅ〜!」 誰かのお酒のグラスが倒れたら「勿体無い!勿体無い!」 子供が食べ物落としたら「勿体無いから食べちゃったぁ〜!」 笑いの取れる言葉・・・ 私の「勿体無い」の使い方・・・
時間が勿体無いんだと思う。 つまらない時間。 同じ時間を生きるなら楽しく生きたほうが得だと思う。 自分の時間の過ごし方なんて自分次第ですもんね。
いろんな場所でいろんな人にいろんな言葉を・・・ 音楽も落語も・・・ いっぱいいろんな入力したんだけど・・・
WAKKYさんみたく出力しなきゃ・・・
嫌いなものって本当にある? 嫌いなものを振返る。 痛い目に合った経験則。不安や恐怖を感じるもの。 生理的に拒絶してしまうもの。 求めている答えや、生き方に反するもの。 そんな感じ。
それに対して、好きなもの。 嬉しい、楽しい、美味しい........。そんな記憶があるもの。 生理的に嬉しい、愛しい、恋しい、素敵に感じるもの。 求めている理想の姿や生き方。 なんだか和む、安心する。優しくなれる。素直になれる。 元気になれる。豊かな気分、ゆとりを持てる。 そして。 良く分からないけど、たいしたものじゃないけど好きなもの。 好きなものはたくさんあるけど、嫌いなものってあるのだろうか? 「自己防衛」から発しているものが多い。 自分はちょっと偏屈。 考え過ぎ。 自分に厳し過ぎ。「うそ〜っ!」て言われるかもですが。 嫌いなものに惹かれるから。そんな自分が不安になる。 苦手なものに立ち向かうから。そんな自分は手に負えない。 何故に嫌いかを確かめたい。嫌いのままでは気になって仕方ない。 嫌いのままの方が怖い時も。怖いままの方が怖い時も。 どうしよう!どうしよう!と思ていると「だ〜っ」とそれに向ってしまう。 生理的に受け付けなかったもの。だんだんと慣れて来たり。 馴染んで来たり。 ものによっては、理解出来たり、好きになったり。
好きになる努力はしない。一切しないし、出来ないし。 やれと言われても絶対しない。なのに数年後、自ら望んでしてたりする。 好きになる努力をしている人。 嫌いなのに我慢している人には申し訳ない。
きっと「嫌い」という好きなもの。 「苦手」という好きなもの。 残りは「今は興味が無い」 あとの残りは「好きなもの」
信念さえも、感性さえも、きっと変わってしまうから。 努めて嫌い。許せない。理解出来ない、知りたくない。 そんなものはたくさんあった。 でもそれらに負けない気がしてくると。 こだわる必要も無くなってくる。
「好き嫌いがない」と誉められた。 好きなものは後に取って置くから、確かに有る「好きなもの」 その中で「一番好きなもの」という意味。 「一番好きじゃないビリっけつ」が「嫌いなもの」と言う訳でもない。
さて、困った。
人が嫌がることを平気でしてしまうに違いない。 人の嫌いの気持が理解出来ていないに違いない。
2007年01月18日01:18 Nさん 吹奏楽部でした。 高校1年の時、精神科のお世話になるような時期がありました。 無理、無理、何もできない!と周りに迷惑ばかりかけました。 先輩や先生、コーチには理解を得られませんでした。 何故か。 いちばん厳しかった先輩にこのようなことを言われました。
「ウチらは努力してるから。努力してできなかったこと、乗り越えられなかったことはないから。だからあんたのことがわかんない」
確かにそうです。 それまでの自分はそのように行動できていたのです。 でもその時はできなかった。努力したくても体が拒否した。 解ってもらえなくて結局泣くしかありませんでした。 先輩の言うことを理解したかったけど、できませんでした。
若林先生の日記でそんなことを思い出しました。 なんか似てるかな、と… えっ、似てないですか…?汗
2007年01月18日12:49 Hさん 食物に好き嫌いは全くないの
最近、人の好き嫌いが、激しいの
どうしてなんだろう
2007年01月18日14:29WAKKY
Nさん ありがとうございます。
似てますとも! ただあなたの方が遥かに優しく、温かい。
Hさん! ありがとうございます。
「人の好き嫌いが激しい時」 どんな時があるでしょう。 心の皮膚が弱ってひりひりの時。 心が尖ってトゲトゲの時。
そんな時は、なめても美味しい様なクリームを擦り込んで !
「好き」の気持が強い人。愛情豊かな人。情が深い人。 素朴で、長閑で、ゆったりとした人の場合はとっても安定。 でも感性豊かで、感受性が強い人は、大変。
嫌いなもの、苦手なもの、やりたくないこと、辛い事。 それらにさえも愛情を感じてしまったり、持とうとしてしまう。 無意識に。
それからだと頑張れる。 辛くても、キツくても。 その心の準備が出来ないうちに「頑張れ!」「努力しろ!」 って強いられたら。
好きでも嫌いでもなく物事をやれてしまう人々が羨ましい。 イヤなの? 嫌いなの? イヤなら止めれば? とっても残酷な問いかけ。
たったひとつの些細な言葉、言い間違え、聞き間違えの様な嘘でさえ。 受け止めるのに時間が掛かる。 簡単に「あ〜!もう嫌!」って思えない。
甘やかされた結果の場合も、苦労の結果の場合もあるでしょうが、 好き嫌いを上手に分けられる人。 上手に我が儘を持ってられる人。 上手と言うより身勝手に強引の場合も多いですが......。
そんな人達から見たら、理解出来なかったり、もどかしかったり。
単に甘やかされた結果だったり、単に今迄がラッキーだった人には、 「そりゃあなた自己愛が強過ぎる」「自己防衛本能が強過ぎる」 としか思われない。
でも、苦労の結果、好き嫌い我が儘を上手に分ける様になった人や 好き嫌いを分けずに生きて行ける人にはきっと見えています。
強制的に努力を強いる、当たり前の様に行われています。 それに対して私は、力を抜いて拒否する技を子どもの頃から持ってました。 「ボーっとしていて聞いていない」「ニコニコすっとぼけている」「返事だけは良い」 お陰で人は呆れてくれて。自分も数分後にはケロっと忘れて。 それから比べれば、nt@ukさんの優しさは凄い。拒絶出来なくて、自分を傷めてしまう。 優し過ぎる。
その意味では「好き嫌い」がはっきりしている人は、僕よりも絶対「温かい」と思います。 自然な生の感情が豊。「我が儘」と言われようが、その方が「人間的」 僕がどこかでもの凄く「クール」。場合によっては「冷たい」とさえ言える。
それは「好き嫌い」「苦手」「嫌だ」「逃げたい」「許せない」 を子どもの頃に超越しちゃったからかも。
でも、それも自己防衛。なにかのトラウマのせいもあるのかもと 最近になって思い始めています。 2007年01月19日02:56 Kさん 私は物事を好きか好きじゃないかで分けてしまうんです。 嫌いと好きじゃないは別物だと思うので、嫌いなもの、と 言われると浮かばないんですね…
そういえば「悪い」もあまり使っていません。「良くない」と言っています。
たぶん心の底で否定言葉を強く怖がっているんだと思います。 特に「嫌い」とか「死ね」とか…対象そのものを否定する言葉は口にだすと力になって、その力に心(感情)が引きずられてしまいそうで怖い。時と場合によっては人が言うのを聞いただけで悲しくなってしまいます。
でも白黒ハッキリした言い回しができないので、判断が曖昧になって困ることもあります。そんなときは「それは嫌いだ」とスパっと言えたらいいのにと思ったり。一長一短ですね…
2007年01月19日06:26WAKKY
Kさん ありがとうございます。
「好きじゃない」をスパ!で充分ではないでしょうか?
日本人の態度、日本語を「ファジー」と言う英米語の感覚がありますが、
英米語では「嫌い」より「好きじゃない」の方が圧倒的に多いですよね。 まぁ「Don`t」にその分強みがあるのでしょうけど。
意思を伝え易い言語なんでしょうか。
Noと言えない日本人。素敵だったと思いますが。
書き貯めた話しは何時も十数個有り、それが何かの拍子にお友達から聞いた話、 ブログ友達さんの日記などの何気ない話で「パーっ」と広がったり繋がって、ひとつの話にまとまる感じです。
昨日読んで頂いた「まごころ」は、先日来の「飛行機雲」「まっすぐなもの」「グラデーション」にも通じる「一本道」のテーマもありますが、夕暮れ時、お友達から素敵な話を聞いた事が書き上げる「仕上げの一筆」に繋がりました。
その話は、私が前から好きだった次の話に通じました。 インド弦楽器シタールの次に思い入れのあるアフガン弦楽器の話。 放浪楽士がその日その日の祝儀から、少しずつ小銭を貯める。 少しまとまれば楽器屋に持って行って仕事道具に螺鈿を少し入れて貰う。それを数十年。 嫁を貰い、生まれた娘が嫁ぐ頃に螺鈿の装飾が一杯の高価なものとなっていた楽器を売り払って、結婚費用や持参金に。 自分はまた装飾無しの楽器で一から音楽を続けて行く。
これと同じ話が日本にも。 お友達が、西陣織の帯師さんから伺った話。 娘が幼い頃から大変な苦労をして振り袖を用意する。 娘の厄年の頃にやっと完済の話し。 着る人が居なくなった帯の糸をほどくと、娘へのメッセージが出て来る話。 西アフリカ・モーリタニアの弦楽器を手に入れました。 日本の気候に合う様に皮を張り替えると。中から紙を小さく小さく畳んで糸で縛ったものが。 アラビヤ語で素敵な文句が書かれていました。
「まごころ」って。 日頃見えない事が多い。 直接相手に伝えないものも多い。 むしろ伝えない心が「まごころ」なのかも。
ブログ友達さんから 「まごころは、自分を写す鏡かも・・・・ 」というコメントを頂きました。 たもとにそっと入れてある手鏡の様な感じでしょうか? お守りみたいな感じもあって。 親や、子どもや、恋人や、妻や、夫や友人に。 直接見せる事がなくても、確かに抱いている想い。愛情。心。
今の世の中「唯物的」 見える、聞こえる、感じれる。 そうでなくては伝わらない。 伝わらなければ意味がない。
その代わりに、見られてないところでは、何をしても平気。 嫌いな物を笑顔で受け取ってくれて。後でゴミ箱に捨ててあったみたいな。そんな言葉や態度。身の振り。生き方。心の持ち様。
「この師匠は俺を育てる気がないんじゃないか?」 と思う程の厳しい師匠。 ある日突然「今日で卒業だ。何処でも好きに修行してこい」 ポーンと渡された包みの中に。今迄のお月謝が全部貯めてあった話。 意地悪で意地悪で、嫌われているし、大嫌いなお姑さん。 亡くなった後に読む事となった日記。 嫁は今日はこれこれが出来る様になった、と嬉しそうに綴られていた話。
私の師匠の教えは、亡くなってからも彷彿と理解されるものがたくさんあります。今でも。 口べたな分。気難しい分。「まごころ」の豊かな人でした。
その師匠が私の心の中に「まごころの種」を植えてくれたのでしょうか? 自分に嘘をつく様な演奏。師匠に恥ずかしい演奏は、天国から見られていると思う以前に。「出来ない」と強く感じます。 今その言葉想いを求めている人に、言葉が喉から出そうな時が有ります。でも今言っても通じない。ぐっと我慢する。
ついぞ言わずじまいの事は一杯あります。 その代わりに言わなくて良い事を一杯言ってしまったり。 相手にしてみれば「あの時その一言が有ってくれさえすれば」もあったでしょう。
今、言える事、今聞くべき事は、なるべく伝える様にしています。照れくさくても、格好悪くても、女々しくても。
人によって その人のイヤな部分を引き出す人。苛々や焦りや、嘆きなども。 その人の優しさを引き出す人。柔らかさや温かさも。 せっかく良い所を引き出してもらっても、なかなか持続出来ない。 イヤなところを引き出す人に会うと変わってしまう。 嫌なものってきっと限りが有る。そう信じてせっせと引き出した事もありますが。それじゃ本人が辛い。 良いものを引き出す方式に代えました。 とても良い感じになりました。 けど。 次のステップに行こうという時。大きく育って羽ばたこうという時。 誤摩化していたイヤなものがどっと出て来たりします。
誤摩化しや対処療法では解決出来ない。 本人の自浄作用が無くては。それを作動させる、勇気、克己心。
「まごころ」を持っている人はそれが早い。そもそも自浄の必要もないかもしれません。
「まごころ」は勇気と克己心の原動力。
「まごころ」は清らかな心に置かれるものかもしれません。 清らかでないと直ぐに曇ってしまうかもしれません。
でも清らかでないと持つ事が出来ない訳ではない。 持った事で清らかになる。きっとその力の方が曇させる力より強い。そう思います。
師匠の様に「まごころの種」を渡せる人間になりたいです。
★ 私に話したら何かプラスになるだろう!とお電話くれるお友達の話し、ブログ友達さんのコメント。日記の言葉。 送ってくれる写真。 日々そのような温かなパーツが、書き掛けの話をす〜っと結んでくれます。 みなさん何時もありがとうございます。 【いただいたコメント】
2007年01月19日19:40 Aさん すごく、すごくいい日記読ませてもらいました。(いつもですが) 私、今たくさんの人と、「会話」するのが楽しくていろーんな話をします。同年代から年下から年上から、とにかく色んな人です。で、最近きずいたのは、聞き上手になるともっと会話がおもしろくなるってことです。 振り返ったら今までは自分の意見ばかりで相手の話を心から聞いていないことがあったかも。。
何でしょ、何がいいたいのか自分でよくわかんなくなっちゃいました(笑)ははは。 「まごころ」と「思いやり」を育てたいです。 意識するんでなく自然にできるようになりたいです。 何でもポジティブに前向きな一生懸命な人になりたいです。 WAKKYさんともゆっくり話がしてみたいです! 2007年01月19日19:57WAKKY Aさん ありがとう!
「聞き上手」「心から話しを聞く」
きっとこれが「まごころ」の温床を心に置く最初の秘訣。
「思いやり」は頭からでも優しさからでも出ます。
「まごころ」から出た「思い遣り」に触れると凄いですよ。
病み付きになります。
それが見分けられる様になって欲しいです。
先日はそそくさとごめんなさい。
今度のライブでは、アミーゴさんとお母さん。お友達 うちのメンバーと皆で打ち上げして
語り合いましょう!!宜しくお願いします。ありがとうございました。 2007年01月20日00:31 Iさん WAkKY先生の日記には、周りの人たちへの「まごころの種」が蒔かれていると思います。
気に掛けているからこその厳しさもありますが、「そのままで大丈夫だよ。一緒にがんばっていこう。」という思い遣り・人を育てていこうという気持ちを感じます。 2007年01月20日00:43WAKKY Iさん!
ありがとうございます。
温かい言葉に勇気つけられます。
夕べの楽しい宴会の跡を、想い出しながら笑顔の片付け。 嬉しい夢で起きた朝。 割れたグラスや食べ残しを、憂鬱な気分で片付ける。 悲しい夢で起きた朝。 のんびりしてたら開店時間。夢も記憶にない慌ただしさ。 次々現れるお客の対応で。あっと言う間に終わる日も。
素敵な音楽、素敵な絵画、素敵な焼き物、素敵な景色。 心が明るく嬉しくなっても何故それが残らぬか。 来たお客が帰るかのごとく、何故心に残らぬか。 素敵な話し、素敵な映画、タメになったり、気付いたり。 心が少し成長したかと、嬉しくなってもまた直ぐ戻る。
優しい言葉や気遣いに、心も弾めば笑顔も浮かぶ。 嬉しいお客に思わず笑顔で「いらっしゃい!」の声が弾む。 むっつりのお客や、我が儘なお客。文句ばっかりの嫌な客。 「すみません」とは言いながらも。もう来ないでと思ったり。 まるで心は喫茶店。お客さん次第の水商売。
何時もお客の事ばかり。老若男女から猫さんまで。 一見さんや暇つぶし。通わぬ人迄気を遣い。 何時でも人の事ばかり。それで生きているのだから。 それが生業の喫茶店だから。当たり前と言えば当たり前。 ぽつんと寂しそうなお客が居れば、構いたくなる悪い癖。 放って置いてもくつろげる、居心地提供出来たら良いのに。
体はあちこち出向いて行けても。心は出向いては行けない。 何時行ってもそこに在る。潰れず何時もそこに在る。 出向く心は路上販売? 出向いて華やいで稼いで帰る。 一体何を稼ぐのか。 稼いだお金で何をするのか。 入り口のドアが開き、椅子テーブルが置かれ、 心や言葉のメニューが並ぶ。そんな心は出向けない。
出向けぬ心は待つ事だけ。あの人今日は来ないのか。 最近ちょっと忙しいとか、今日はちっともお客が来ないとか。 親しいお客はカウンター。テーブル席には家族、友達、恋人達。 時々掃除が間に合わない。時々メニューも間に合わない。 人手も足りずにヘマもする。当然お客に怒られる。 体は休めても心はどうにも。休まらぬ時もあるもので。 上手な心の持ち主は、ファミレスみたいで羨ましい。 きちんとしていて羨ましい。誰もが何時でも安くて美味しく。 立派な心の持ち主は、料亭みたいでカッコ良い。 こちらもきちんとしなくてはならないけれど。 やっぱり自分は喫茶店。選んでいる様で選ばない。 気に入った人が通うのみかな。
カウンターの角の一席は、何時も自分の荷物を置く。 誰もそれには気に留めない。どんなに混んでる時でさえ。 その席だけは空くことはない。 【コメント】
2007年01月20日19:56 Eさん むーん、私もお店で、お客さんから癒されたり、元気を頂いたり、反対に沈み込んだりの日々です。 勝手なもので、人恋しい時と、一人にしてくれの時があります。 WAKKYさんの柔和なお顔を拝してると、癒されます。
2007年01月20日 21:20 Fさん いつもながら素晴らしいです。。 ど〜も・・頭の出来が私とは、、全然です。。 また明日も楽しみにしてます。。
心が和むような詩有難うございます。。
お年寄りは凄いんだゾ! 人生楽しいことばかりじゃない。 たまたま健康だったり、丈夫だったりかもしれないけれど。 長生き自体が凄い事。それに戦争や戦後があるのだから。 席を譲った位で「良い事をした」気になってちゃいけません。
でも、近々団塊の世代のお年寄りが急増する。 とんでもない人もそりゃ増えるだろう。 「戦争を知らない子ども達」 あっと言う間にお年寄りになってしまった。 譲ってもらって尚 遠慮がちに座る世代と、これからのお年寄りは少し違うかもしれません。
板橋の植物館で「マレーシア音楽」を演奏した時です。 演奏が終わると舞台に二人のお年寄りが寄って来て。 「戦後しばらく帰れずにマレーシアに居りました」 「区報で知って駆けつけました」「懐かしゅうございました」 と薄らと涙しながら私の手を取って言って下さった。
高齢者施設で演奏した時のことです。 施設のスタッフで僕の音楽のファンの方が企画してくれました。 でも「年寄りに外国の音楽聴かせても分からんだろう!」 「だいたい今更行けもしないのに酷じゃないか」 という声が、スタッフの大半だったと後で聞きました。
演奏後。たくさんのお年寄りが舞台に集まって下さって。 「なんだかとっても懐かしかった」「行きたくなりました」 「ありがとう!」と。
呼んでくれたスタッフさんは大喜び。 日頃儚んで憂鬱な「あのおじいさん、おばあさんが!」 「あんなに楽しそうに!」 反対意見が有った分? スタッフさんは鼻高々でした。
「行きたい」は「生きたい」に繋がったのでしょうか。 「想いを馳せる」そんな心を持っている世代。 物が無かったから。情報が無かったから。豊かな心がたくさん。 勝者の国に虜留された人に、その国の音楽を聞かせる事。 行けない国の音楽を聞かせる事。 理屈で考えても、常識で考えても「間違っている」
でも、人間の心は「理屈じゃない」 しばしば「理屈の逆」「常識の反対」 私は、昔の人の方がそんな「矛盾」を多く持っている様に思います。 真面目に真っすぐに、質素に生きて来た人が多いのに。 逆らわずに、慎ましく生きて生きた人が多いはずなのに。 今と比べたら、ほんの僅かな自由しか無かった筈なのに。
とっても大きく豊かな心。
心の中には篩がある。 篩の網の目を通る細かなものもあれば、通らないものもある。 温かなものも、嬉しいものも、悲しいものも きめ細かなものは篩を通る。
心が荒んで乾いてしまうと。篩に水が行き渡らない。
自分や人に嘘をつくと。篩の目は詰まってしまう。 「心に残る」とは言っても。それは「記憶に残っている」だけ。 【コメント】
2007年01月23日04:02 Oさん うーん、深いですね。 嘘は苦手です。嘘に嘘をかさねていかなくてはならなくなり、やがてどれが本当だったかわからなくなるから。 でも自分に嘘はたくさんついているかも!?^^; 篩の目は詰まってしまいますね<(;  ̄ ー ̄)
2007年01月23日04:11 Hさん 自分の心に嘘をついて生きている 苦しい それが、大人と言うのなら 馬鹿と言われようと嘘は、もう嫌だなあ
うまく、世の中を泳げない
2007年01月23日04:26 Aさん 心の中にある篩。きっと私の篩は今、篩にかけたものの重みで壊れそうです。 現実を、今の自分を、全てを受け止めようと必死で、だけど気付けばどう悩んでも処理しきれず…一気に篩にかけたから山盛りになってしまう… 心にある篩。ちょっと荒れています。 2007年01月23日08:46 Wさん 嘘をつくのは苦手だし、下手なのでずいぶんと損な役回りをしてきました。 だけど、時にはつかなければいけない嘘もありますよね。 相手を思ってつく嘘。 それを嘘と呼ぶかどうかはわからないけれど。 本当のことだけ言って、自分だけ楽になるのは簡単。 誰かのために事実を仕舞い込む事が、必要なときもあるのではないでしょうか? 2007年01月23日09:32 Yさん 人の心によって篩にかけられるのは、自分でもどうしようもない事で かけられた事によって自分の篩を考える。
10人10色の世の中でいくつになっても迷う自分がいる。
2007年01月23日10:27 Rさん 篩って何製でしょうね。。。
篩って どうやって いつ頃できるのでしょう....?
長年使ってきた篩って メンテナンスしなくても いいのかしら??
2007年01月23日10:27 Kさん 自分につく嘘、誰かを気遣うための嘘…
人を傷つけたり、陥れたりするだけの嘘ばかりが残るわけではない…
僕の心には、それらが全て詰まっています…
全て正しいことを話せることが本当にいいのかは分かりません。
自分のなかに、嬉しい事や楽しい事がなくても、相手を気遣って言った嘘が、相手を喜ばせることもあるからです。
2007年01月23日10:48 WAKKY
「篩」はとっても大切なものを通すと思います。
そもそも。 ごつごつ大きなものは、心の入り口を入らないでしょうし。
時々清水で洗い流せば、ずっと。 きっと錆びる事も無く。
重たくたわんでも目が広がる事もなく。
むしろ目がしまってしまう事の方が心配かもしれません。
みなさん、ありがとうございます。
ひと粒、ひと粒のお言葉が、細かく優しく届きました。
2007年01月24日17:16WAKKY
Kさん
コメントありがとうございます。
「人を傷つけない為の嘘」「相手を喜ばせる嘘は」は許されるか? 篩の目を詰まらせるかどうか?
「つかなければいけない嘘」 「本当の事を言って自分だけ楽になる」「仕舞い込む嘘」 という、わんさんのお言葉も踏まえて。
やはり私は「如何なる場合も嘘は許されない」と思います。 「つかなければいけない嘘」は確かにあります。 ある時点で、ある人が事実を受け止め切れない時。防がなくてはならない二次的な悲劇がある場合。 人為的に作られた事実でない場合。つく人に悪意や利己目的がない場合。「仕舞い込む嘘」 でも、その嘘をついた人が、前の時点で防げた事ならば、嘘を言う事はやむを得ない場合があったとしても、許されない嘘ですね。 ともすると「人の為を思っての嘘」は「方便」的に許す人が多い。「執行猶予(先延ばし)の偽善の嘘」
いずれにしても、嘘がバレた時。 事実が分かった時。 嘘をつかれた人が理解出来たり、許せたり、場合によっては無理して嘘をついてくれた事に感謝出来たりする様な嘘。 「理解出来る必要悪の嘘」
逆の場合の嘘。とっても怖い。 世の中や自分の回りに増えている様な気がします。 常習化するし、伝染するし。不信感を育てるし。 2007年01月24日19:20 Rさん テーマは 確か・・・篩だったような。。。。ねぇ♪
2007年01月23日10:14 自分を上手に叱ること
怒ると叱るの違いとは? 腹が立っては良く分からない。 上手に叱るなんて難しい。気付かせるなんてもっと無理。 愛があるから腹が立ち。愛があるから距離が無い。
愛があるから見下せない。大事に思えば見下せない。 余裕の無さがその証だから。上手になんか出来やしない。 大切だから対等で。腹も立てば、怒りたくもなる。
怒ると叱るの大きな違い。叱るは、端から赦している。 怒っているけど赦している。許せないけど赦している。 怒れずそれをも愛しく思う。だから尚更腹が立つ。
相手にそれは伝わらないなら。何処かでちゃんと赦さなきゃ。 緩さず、上手く赦さなきゃ。許さずしっかり分からせなきゃ。
実は自分が一番厄介。自分が一番分からず屋。 人に対する怒りさえ。自分を責めてしまったり。 赦せなくて嫌いになったり。嫌いになれずに許したり。
愛があるから錯覚する。自分を上手に愛せないから。 その分相手を愛したり。愛されたいと思ったり。 その分相手を許したり。赦されたいと思ったり。
しっかり自分を叱ること。 叱る分だけ赦す事。
【コメント】
2007年01月23日11:42 Eさん オレは罪を背負って生きている。 だからいつも、かっとなると自分の事しか考えれなくなる。 どんなときでも自分が好きで好きで仕方がない。 又、愛されたい。 これが自分の自己中心の罪である。
こんな自分を無条件で愛してくれるヒトがいる。 すぐ、キレてしまうオレのことを赦してくれる。 だからそのヒトが愛し赦してくれるように俺も愛し何回でも赦していきていきた。
またホンキで怒ってホンキで悩んでホンキで泣いてホンキで笑っていけるそんなヒトになっていきたい。
2007年01月23日12:06WAKKY
そうですね!
芸術家たるや、感性も心も惚けてはならぬ。
惚けさせる誘惑は何時も有った。和ませる愛も有れば。緩くする情も。
それさえも切り捨てて来た罪深さ。
それ故に、自分を許せない。 その分先に進まねば。そして上に進まねば。
好きでなくては芸は萎える。 でも認められなければ芸は廃る。
本気を赦してくれる人。 頑張りを支えてくれる人。がむしゃら支えてくれる人。
その有難さに また自分を怒り。 また前に進む。
なまくらになったら、それこそ赦せない。赦されないから。
木を見て森を見ずの様に。 時々心は近くを見過ぎる。 うつむいて考えると近くなるのかな。 遠くの景色を眺めていると。心はだんだん遠くを思う。
ビルの谷間に暮らしていると。なかなか遠くは眺められない。 そんな時は空を見よう。曇り空だったらごめんなさい。 そんな時は集合写真。木を見ずに、森を見よう。
楽しい人も、悩んだ人も、頑張る時も、情けない時も それぞれのバラバラが。いろいろに集まっている。 そしてみんなで笑っている。 独り言の様な日記にも。 たくさんの言葉が集まってくれる。 それぞれ様々な暮らしと思い。いろいろな感じ方。 言葉の森に心の住人がいろいろに。
日記を書いて、コメントを待つ。とても長閑な時間です。 畳の部屋で庭を眺めて。鳥が来たり。蝶が来たり。 野良猫ちらっと睨んで行ったり。物売りの声も聞こえたり。 ちょうど飲み頃のお茶を頂く。そんな嬉しい気分です。 心がうつむいてしまう時は。 遠くの景色を眺めよう。 遠くの景色が見れない時は。集合写真を眺めよう。 写真が手元にない時は。 言葉の森を眺めよう。
ふっと心が目を上げたとき。 ほんのちょっとの優しさ素直さ。 それを感じたら、頑張ってみよう。 顔を上げて、顎を上げて、目を見開いて遠くを見よう。
いつもみなさんありがとう!
2007年01月23日13:24 Uさん 優しい詩のような日記。。。忙中閑ありでしょうか?ついつい 古めかしい言葉が出てきてしまいます。
昨日は雨上がりの街を 散歩してリッカーハウスの文字に惹かれてお店に入り並んだお酒をじっくり眺め、泡盛 島唄を買いました。3曲入ったCD がおまけでした。
勿論夜は島気分です。その他思いがけない空間にも行き当たり、収穫の多い散歩となりました。犬も歩けば なんとやら、予期せぬ出来事わくわくしますね! 2007年01月23日13:26 Mさん 上を向いて歩こうですね☆
落ち込んだりしたら…小学中学の卒アルや文集を読んだりします…
田畑も森も目の前にある今…… いつか、寂しくなって目を閉じた時、この景色がスグに浮かぶように……じっくりと焼き付けておこうと思いました(*^.^*) 2007年01月23日15:14WAKKY Uさん
良かったですね。 「忙中閑」って焼酎もありそうですね。
僕も昨日は思いがけず、散歩。
「近いから歩いて行こう!」 が、お休みで。 「じゃあ、あそこ迄」 帰りも「坂道だから歩いて行こう!」って。
「珈道庵」の文字に惹かれて 楽器の形に見えた「香」と「茜」という墨字で書かれた珈琲を。
CDは付いてませんでしたけど。同じ様に嬉しく味わいました。
思いがけない空間に出会う。 良いですね。
犬も歩けば、猫も歩く。 人も歩けば。 心も歩く。
Mさん
良く知ってましたね。 おじいちゃんから聞いたのかな?
そうですね。 うつむいていたら景色も思い浮かばないですね。
微妙な些細な、ごく僅かな。 あとちょっとの。
それが大きくなってきたら。 遠くを見ましょうか。
2007年01月23日15:51 Hさん 何度も読み返しました。
手元ばかりを見ていた事に気付きました。 少し遠くを見てみよう 空の雲の流れて行く様を見てみよう
忘れていたり、見過ごしていた何かを見つけるかもしれない 2007年01月23日16:01WAKKY うん!
そうしましょう!
2007年01月23日23:24 Kさん 俺もこの日記を何度も読み返しました。 言葉のひとつひとつがキラキラ輝いてるようですね。 俺にも、確かにこんな世界を味わって、楽しんで、そういう自分がとても幸せだなぁ、って感じる時があります。 WAKKYさんはそういう些細な幸せを捉えるのがとてもお上手なんですね。 とても素敵なことに気付かせてくださってありがとうございます。
テーマは提示していても答えは示していません。それが私の望む「いろいろ」だから。 「それぞれ」ではない「いろいろ」。 それぞれの方の言葉、感性で綴られたコメントも上辺のものではないのが嬉しいです。 「時間掛けて書いて消した」という人も少なくない。かと思うと、ある時ふっと自然に書けたりする。
単純な「共感」ではなくてもっと深い所の、自然な「共振」「共鳴」なんです。 篩の下に細かなものを蓄えている。「心に残る」ものをしっかり残しているからの共鳴。思考とは別なところの。感じるけれど言葉にすることはちょっと別。
例えば、明るい話しと悲しい話しの二つに感じ入ってくれた方が居ます。 二つの話しの言葉の奥の別なものに「Sympathy」してくれた。
一本の弦があります。2オクターブ位出せます。 世界の民族音楽を演ってきたので 「長調」「短調」の二種類ってことはありません。 明るいとも暗いとも、寂しいとも嬉しいとも言えないメロディーの方が 実は世界には多くあります。 いろいろな音のひとつに共鳴してくれる人。いろいろな音の幾つかに共鳴してくれる人。 音の連なりに共鳴してくれる人。 一曲丸々感じ入ってくれる人。不思議に同じテーマの曲を書いていた人。 「Synchronisity」
答えはひとつじゃないから。 でも全体は一曲の音楽だから。 いろいろな音。出来る限り多彩なたくさんの音。 ただ羅列していては曲ではない。この音の後にはこんな音。 あんな音の後にはそんな音。 あの音出すために今はこの音。
即興でどんどん演奏します。考えて練ったら楽想が止まる。 かと言って、無駄な音は出したくない。 それを即座に考える。考えると言うより感じ取る。 繋ぎの音も、無意味な音も。前後があって意味を出す。
人と人との繋がりもそう。繋ぎに意味も価値もない。 むしろ有ってはならないけれど。繋がれた同士が意味を持ち。 全部で素敵な曲になれば幸せですね。その時みんなが感謝する。
繋がれる、繋ぐ前に大事なのが「共鳴」「共振」出来るかどうか。 分からない人が繋いでも繋がらない。分かる人が繋いでも 感じない同士は結ばれない。
それがあれば互いが互いを放って置かない。 「共鳴」するから。
共鳴してくれることに「ありがとう!」 張り過ぎていたら共鳴しない。緩過ぎていても共鳴しない。 長調、短調ありきたりの音。それではほとんど共鳴しない。
張り過ぎて共鳴した人。切れそうだからと遠ざかって。 でもまた少し緩めて戻ってきてくれたり。 たまには緩めてだら〜っとしてたり。「これじゃいかん!」と思った頃に 思い出したように来てくれたり。 きっとあなたの一本弦も、ちょっと不思議でユニークなのでしょうね。 いろいろなメロディーが出せるから。 だから共鳴してくれる。 枠にはめたら「音痴」と言われたかもしれませんね。 でも装飾音の中の微細な微分音程。見逃さずに共鳴してくれる。 次に大きく羽ばたくために。今はワザと低めの音程。 しばらく元気にテンション上げたい。だからちょっと高めの音程。 言葉や楽譜では「ドレミファ」であっても、実は微妙な音程です。 それに敏感に反応してくれる。
あなたならではの丁度の張りで。音叉やピアノやチューナーじゃなくて。 自分の心で合わせた音程。強からずに緩からずに。 日々の暮らしの中で、ちょっと違うなと感じたこと。 これかも知れない!と感じたこと。それがありきたりの音程じゃない時。 ついつい割愛してしまう。 逆にありきたりの音が、様々な方法で奇麗に響く時。 それに心を合わせてしまう。音感もありきたりになります。
研ぎすまされるとは逆のこと。敏感になるのとも違う事。 アンテナなんか折った方が良い。 そんな頑張り続きやしない。 ありきたりに気を付ければ。 あなたらしい張りが生まれます。 いろいろな事にたくさん共鳴出来て、倍音たっぷり含んだ優しい音の。
2007年01月24日01:05 Oさん 共鳴って不思議ですね。 繋がる人とは繋がる!!イヤでも(ってイヤじゃないけど)。 繋がろうとして繋がらない人とは、どんなにしても繋がらない。 響くとか、届くとか、そんなじゃなくて共鳴?!一緒に鳴っちゃう!鳴りたくなくても(って別にイヤじゃないけど)。 心地よいとか、気持ちよいとか、そんなことにもお構いなしに、気づいたら、一緒に鳴ってる。 今日も、たくさんうれしい便りがありました。 だから、私の弦の張り具合は、ちょうどいい?!はず。 2007年01月24日02:13WAKKY
いっぱい、響きが反って来ているんですね。
そして響き合っている。ってことは「良い張り具合」という風に気付くのも面白いですね!
さすが!
2007年01月24日07:01 Nさん 日本での携帯のアドレス、synchronicity+誕生日でした! (これだと私の頁で誕生日も割れてしまうのですが、もう存在しないアドレスですのでご心配なく。誰もしてないでしょうけど…) チューナーの針が真ん中に来てなくても聴衆を惹きつける声とか音ってありますもんね。それが身体に心地好く感じるという人もひとりじゃなくて… 合奏に混じっても何故か際立つ、とか…
それから、先生の文章を読んで、弦1本だけでは生きて行けないなぁーと思いました。周りの空気(deadかliveか、とか)、反響するハコ部分があって、弦が共鳴するのですよね〜 ここではいつも考えさせられます…
2007年01月24日11:19 Tさん 「即興演奏でどんどんと。考えて練ったら楽想が止まる。 考えながらもあるけれど。無駄な音は出したくない。 」
バンドの曲の展開でジャムセッションになった時、みんなに迷惑を掛けないためにKeyを意識してました。それがある意味私にとって無駄な音を出さない努力でした。 しかし、いつしか、はまりすぎた音は感情につながらないことに気づきました。 重要なことは共鳴だったんですね。共感します。
今の若者に伝えたい。昔の夕方のノスタルジー。 欅の風呂桶、欅の手桶、欅の簀子の風呂当番。結局兄が毎回だった。 マッチが湿気ってガスが「ボッ!」子供にはちょっと危ない仕事。 今では風呂が勝手に水汲み、勝手に湧かして、勝手に保温。 長閑な風情を言いたいのではなく。レトロを伝えたい訳でもなく。 家族の一員の役目がたくさん。愛情云々言うまでもない明らかな存在感。 不便と手間と面倒が無くなって 良くなったものはあるのだろうか?
今の若者に伝えたい。昔の夕方のノスタルジー。 夕飯もうすぐ出来ると言うのに、気付けば切れてるマヨネーズ。 その場で卵と酢で作る。 それが今では24時間。5分も歩けば手に入る。 長閑な風情を言いたいのではなく。レトロを伝えたい訳でもなく。 困った時には知恵を出したり、作ったり。そんな姿が尊敬出来た。 不便と手間と面倒が無くなって 良くなったものはあるのだろうか?
今の若者に伝えたい。昔の夕方のノスタルジー。 夕飯もうすぐ出来ると言うのに、気付けば卵も切れてる。 閉店後のお店に走る。 裏木戸シャッター叩いて頼んで、お礼を言って貰って来る。 長閑な風情を言いたいのではなく。レトロを伝えたい訳でもなく。 困った時にはお互い様。煩わしくても助け合い。人と人と、感謝と感謝。 不便と手間と面倒が無くなって 良くなったものはあるのだろうか?
2007年01月25日10:57 Oさん 私は五右衛門風呂の最後の体験者でしょうね。 お風呂炊くのは子どもの仕事←これは2日おき。それから土間の掃き掃除←毎朝、それから夕方は雨戸閉め。 私が育ったその家は、今はもうないけれど、母が毎日磨き上げた廊下ももうないけれど。 気づけば朽ちかけた古いおうちをみると、気になって気になって。大変なことは大変。 でもね、若い人のしらない、生きてる実感たっぷり味あわせてもらったから、井戸で水汲む喜びや、雨漏りにたらいでオーケストラ、そんな楽しさおかしさ味わいを、子どもたちにも教えたい。 まだまだ、守っていけますよ!!
2007年01月25日11:01WAKKY Oさん ありがとうございます。
そうですね。まだまだ守れるものはたくさんありますよね。
ひとつにそれらを守る事。そうすれば、都会の子ども達が体験に来れる。
その一方で、便利になった都会のビルの中の暮らしの中で 「心」や「精神」だけでも伝えて行けないか? と考えます。
親御さんが忙しさに、ついつい。
そんな日々の暮らしの中でも、なにかひとつずつでも。
2007年01月26日15:27 Kさん 人は自然から離れれば離れるほど病的になって行くという、考え方もあります☆
確かに、現在は色々な点で便利になったけど、自分の手を煩わすこと、考える必要が無くなったことも多いですね。
自分で経験して考えさせられることの大切さ。 そして、時々は自然に接して心の健康を取り戻す。
WAKKYさんの日記に考えさせられものがあります^^