考えた事 2007年1月〜2月

 
 
 
 
 
 
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 1月25日(木) あからさまな心
 

 2007年01月25日07:03 あからさま


 奇麗なものを「奇麗!」と言う。温かな言葉や優しい気遣い。
 それに「癒される」とうっとりする。
 同じ口が「汚い!」とも「嫌だ」とも言う。 なんだかとっても悲しくなる。
 「あからさま」だから寂しくなる。

 「奇麗なものには毒がある」「奇麗な花には虫が居る」
 「温かさの秘訣は苦労」だったり。「優しい気遣い」は上辺だったり。
 嫌だと思うものにも意味が有ったり、自分に原因も有ったり、学ぶものも多かったり。
 儲かっている人が居れば、儲からない人が居る。
 勝組の陰には負組が居る。罠も有れば、騙しも有れば、虚飾だらけ、ハイエナだらけ。
 羽振りの良さに騙される様な「あからさま」は悲しくなる。

 見事な木彫を見た時に。削られ捨てられた大鋸屑を思う。
 楽器を作れば痛感する。創るということは捨てるを伴う。
 だから物は大切にしなくてはならない。
 生かされたものは、葬られたものの為に。
 その物の価値を審美する時「あからさま」だと悲しくなる。

 あからさまな心は悲しくなる。
 入って来たままを出している。まるで柄杓の様な心。
 それが素直な訳が無い。それが素敵な訳が無い。
 
 あからさまな心が増えたのは、何時頃からだろうか。
 日本が戦争をした後だろうか。
 経済大国になった後だろうか。
 あからさまを良しとする「軽い」風潮。
 それが心の分野まで浸透して来ている。

 あからさまになれない人達は、心が素直じゃないと言われる。
 そんな時代が来るのだろうか。

 【コメント】

 2007年01月25日20:50 Kさん


 そういう時、あります。
 たとえば、「あからさま」な建前は傷つきますよね。
 それくらいなら、いっそ否定してくれてもいい、そんな風に思います。
  でも、否定されたらされたで、また違う「あからさま」に傷ついちゃうんですよね…。
人間の心って難しい。


 1月25日(木) デジャヴな余生
   2007年01月25日08:09 デジャヴな余生

 閃きや直感が、嬉しい現実になる様に。

 胸騒ぎや、悲しい夢や、何気なつぶやきが 悲しい現実になる時がある。

 予言者なのか? 予感なのか?

 それとも 既に始まっているからか?   それとも、それが願望だからか。

 運命だとしても、何故変えられない? 宿命だとして、何故変えようとしない。

 何故新しい希望を見ようとしない。 何故なぞって行くのか。

 悲しみの道かもしれないのに。

 まるでデジャヴの様な余生。

 【コメント】

 2007年01月25日10:06 Gさん


 今の私もデジャヴ??

 ふと、後ろを振り返ってしまいました。

 何も見えないのに・・・

 2007年01月25日10:07 Fさん

 よ、余生、、、  ですか???


 2007年01月25日11:00 Hさん


 既視感
 なぜか、そのように動いてく
 なぜか‥‥‥‥

 未視感
 最近、、

 逃げているんだろうか

 2007年01月25日11:11 Oさん


 極限超えると、見えちゃうんじゃないでしょうか?あっちの世界。
 生かされていること、意志とは関係なしにやっていること、うすうす結果もわかってて。

 私は、このごろ、もっぱら「わからない」こと「信じられないこと」ことの中で、わくわくしてます。
 デジャブ初心者にとっては、不思議は感動です!

 2007年01月25日11:12 Yさん


 運命に従って生きていたとしても、

 それが運命だとは誰にも判らない訳で。

 自分の決断が運命ならいかようにも変えられそうですが。

 2007年01月25日11:34WAKKY


 Gさん ありがとうございます。
 もしかして初コメでしたっけ? 
 僕も時々、夢と現実、現実とデジャヴを取り替えて遊んでみます。

 Fさん、ありがとうございます。
 半世紀生きれば十分余生。動物としては繁殖期過ぎれば余生。
魂としては生まれて汚れる迄の数ヶ月後は余生。という考え方もありますから。あとはどうカッコ良く? 何を記すか? とか。
 でも、人間という種は成熟する迄に異常に時間が掛かる。そこにも大きなヒントがありますね。

 Oさん ありがとうございます。
「デジャヴって大人に成ったら見ない」と言った人が居て。その一言でどうにも放って置けなくなりました。数年後、ポロッと「あっ!デジャヴ!」って言ったので随分ホッとしました。

 Yさん ありがとうございます。
 正にそんな人生を送ってしまいました。
 直感や予感やデジャヴを頼りに、感情を極力押さえて。 道理や思考も修正しながら。
「運命」に逆らいたくて。「宿命」の流れから外れたくなくて。
 でも頑張っちゃうと鈍くなります。感情に頼ると鈍くなります。
 デジャヴも感じ難くなる。
 価値観、正論、思考、感情を割愛して宿命を感じようとする。
 決断は出来ないと痛感します。優柔不断になります。
 大きな流れや運命を感じれば感じる程、情けなくなります。
「神頼み」「流れに任せる」「なる様になる」に似てます。

 2007年01月25日12:00 Fさん


 「魂としては生まれて汚れる迄の数ヶ月後は余生。という考え方もありますから 」

 いいですねぇ、、、これ。。。
 じゃ、私も、もう余生?

 2007年01月25日12:05WAKKY


 そうですね。

 そう思えば気楽かな? 

 たくさん汚しておいて、清める人生を求める

 神様の意地悪もあるのでしょうか?

 そう思うと大変ですね。

 人はきっと心の奥底にこのテーマがあって。

 だから辛くなったり、投げやりになったり、我が儘になったり、使命感に燃えたりするのでしょうか?

 2007年01月25日20:17 Fさん


 そうですね〜
 いろんな見方があるんですよね、きっと
 汚れている様に見えても 本質的な部分は、磨かれている
 と、信じたいですね

 1月26日(金) 花と果実
   2007年01月26日00:49 花と果実

 見られる事で奇麗になって。好かれる事で愛を確かめる。
 観葉植物や草花の様な人も居れば。
 実を育てその実に甘みと彩りの全てを注ぐ
 地味な灌木の様な人も居る。
 
 花は儚い。その球根には毒があり、健気に己を守っている。
 花から花へと渡り歩く昆虫の様な人が居て。
 草花はその存在に意味を持つ。

 そういう生き方が好きなのか。
 そういう生き方しか出来ないのか。

 
 灌木は野暮ったい。実の生らぬ時期は虫も寄り付かない。
 果樹は侘しい。実が生らなければ誰も寄り付かない。

 そういう生き方が好きなのか。
 そういう生き方しか出来ないのか。
  

 果樹はお猿か人間の手によってその実を遠くに運んで貰う。
 花を咲かせて実を実らせる贅沢な果樹。それが目標だった。

 人間の生き様がこの様な本能に根ざしているのであるならば。
 その幸せはそれぞれなのかもしれない。

 さて、今の自分は。 花さえ咲かぬ果樹なのか。
 それとも季節外れなのか。

 だとしたら........。ごめんなさい。

【コメント】

 2007年01月26日01:09 Rさん


 なんだか、こちらこそ ごめんなさい。って気持ちになりますね。。。。

 2007年01月26日01:16 Eさん


 花が咲いて,実がなっても,それに気がつかないこともあると思います。

 明るく太陽に照らされたら気づくかも!!そんな太陽さんになりたいです。

 1月26日(金) 「鮫」
 

 2007年01月26日01:29 鮫

 「止まると死ぬ鮫の様」
 何人もの人に言われた同じ台詞。そんなつもりはさらさら無かった。
 気ままに起きて、気ままに寝て居た。気分は提灯アンコウだった。

 珍しい提灯に人がやって来て。食いつきゃしないのに去って行った。
 餌に見せかけた偽提灯のつもりもさらさら無かったのに。
 何を期待し何を裏切られたのか。アンコウが鮫じゃあまずかったのか。

 似た様な形のイルカが人気となった。
 真似してみろと言われれば、それ以上の事もしてみせた。
 それが可愛くなかったらしい。だいたい鮫は可愛くない。

 鮫が初めて止まってみた。なんだちっとも平気じゃないか。
 むしろ心は止まらなかった。次々新たな想いが生まれ。
 心は大海目指して居た。結局留まる事を知らない。

 やっぱり鮫は、鮫だった。

 生まれた時はイリコの様に、可愛かったに違いが無いが。
 今じゃ可愛さ売りには出来ない。
 かと言ってイルカじゃしゃくだしどうしたものか。
 
 鮫の国に行ってみたらば、意外に普通の鮫かも知れぬ。
 意外にのんびりな鮫かも知れぬ。


 

 1月26日(金) 心の素材
   2007年01月26日14:27 心の素材

 心の器は何で出来ているのだろう。
 柔らかで伸び縮みするスウェードの様な素材?

 強くなってはいけないけれど、柔らかしなやか丈夫であれ。
 じめじめせずに清潔で、何時も瑞々しく生き生きと。

 とっても感動した話しや出来事は、ワクワクしながら伝えよう。
 一番伝えたい人に真っ先に。貯める時間は必要はない。
 想い X 時間の分だけ伝えた人とあなたの心にしっかり残り
 ゆっくりじんわり染み渡るだろう。

 それを次に伝える事は、ぐっと堪えて我慢しよう。
 人によっても訓練によっても違うけれど。多分だいたい三ヶ月。
 心の栄養として染み渡ったならば、あなたの言葉と想いに代わる。
 きっと誰かが困った時や、悲しい想いを救えるだろう。

 堪えずそこらに放ってしまえば、あなたの心にも残らない。
 記憶に残っても伝わらない。
 もしもあなたが放ってしまい、あなたの心の中から消えてしまうと不思議な事にその想いは、伝えた人の中でも薄らいで行く。

 あなたが自分のものにする迄は、リンクを切らしてしまってはいけない。

 

 そこそこ感動した言葉や文字は、少し貯めてから伝えよう。
 伝えたい人にじっくり伝えて、それからゆっくり多くの人へ。
 思い出した時で大丈夫。
 伝えた人から新たに貰う言葉や喜びや感動を足して。
 感動 X 人の分だけ、あなたの知らない所にまで、どんどん大きく育って行く。

 貯める時間は人それぞれ。
 あなたが貯めるを上手な人なら直ぐにでも。
 下手な人でもだいたい一日。
 一日経って忘れたり、大した感動残らない位なら、
 それはきっと上辺のもの。

 上辺であってもそうでなくても、あなたの心の篩を通して、
 きっと何かは残ってる。

 

 ちょっと些細な感動は、じっくり貯めてから伝えよう。
 ゆっくり心に染み渡る迄。心の中で転がしてみると、
 意外に深いものだったり。
 些細なことでも大きく育ち、あなたの心に染み渡る。
 あなたを大事にしてくれる人に優しい気持で伝えよう。
 きっと笑顔で受け取ってくれる。

 あなた独特の感動は、あなたの良さを知っている人
 面白さやユニークさを応援してくれている人に、
 何時でも何処でも構わないから、
 ニコニコ楽しく伝えよう。伝えた後には忘れても良い。
 多くの人には理解されない。
 何時でもあなたらしくあるために、貯めずにどんどん伝えよう。
 
 

 悲しい事や、不愉快なことは、ぐっと堪えて我慢しよう。
 心の中に置いておくと、心が澱んで痛みそうでも。
 楽しさ、感動が汚れそうでも。ぐっと堪えて我慢しよう。
 怖いのはそれを直ぐ出す癖。

 悲しい事や、不愉快なことは、きっと意味があって訪れる。
 虫があなたに寄って来る様に。払い除けたり摘んで捨てたり。
 虫も誰かの生まれ代わりかも。そう思ったら払いのけられない。
 辛くても心に留めておくと、意味のある成分だけが残される。

 悲しい事や、不愉快な事。
 心に悪い成分だけなら、意外に大した事はない。
 それに優しさ、温かさや愛のねじれておかしくなった成分が
 混じっているからダメージが大きい。

 もしあなたが心に留めて、良い成分を抜き取ったならば、
 世に放っても大した事無い。誰の心も痛まない。
 そもそも誰も心で受け止めない。
 良い部分がねじれていても、成分まではねじれない。
 あなたの心の篩を通って、心の壁に染み渡る。
 切なさや勿体なさに変わるかも知れぬが、
 あなたの本当の慈愛の心を、きっと育ててくれる筈。
 

 一番怖いのは貯めておかぬ癖よりも、貰ってくれる振りの変な優しさ。
 貯めて置かぬ癖の人々は、何故か類は友を呼ぶ。
 愚痴を聞いてくれる人。それが意外に危険人物。
 本当のあなたを大事にする人。きっと受け取って捨ててくれるけど。
 そうでない人を見抜けないと、捨てる癖がついてしまう。

 

 悲しい事や、不愉快な事には、ときどき怖いものもある。
 悪しき成分の中に劇薬があると、深い心でなければ抜き取れない。
 あなたの心の中に置いても、きっとそれは悪さをする。
 抜き取ってくれる人を持っていないと、なかなか辛い想いをする。

 貯めて置く癖と抜き取る癖を、上手に身に着ける様になると、
 怖い成分も分かる様になる。
 なんでもかんでも直ぐ捨てていると、何時迄経っても分からない。
 心が深い人も寄り付かない。良い心さえも取り込めない。

 
 心は強くする必要はない。 いつでも柔らかしなやかが良い。
 伸び縮み出来れば大きく受け止め。いろいろな形も受け取れる。
 
 感動、喜び、感謝の心も、悲しみ、不愉快、悪しき心も
 貯めずにポンポン出す人は。心が渇いて堅くなる。
 丈夫で強くなった様だけど。心の壁はボロボロだ。
 篩の目も詰まっていれば、吸収する襞も無い。

 「心は記憶と思考の融合体」そう思って居る人には通じない話し。
 「心は素直な感情」「心は直感と感性」そう思って居る人にも通じない。
 すべてがそうではないかもしれぬが
 そう思っている人の心は見えない。なにもかもが「あからさま」

 「あからさま」な世の中で生きて来ると
 心は段々乾いて来る。 自然に傷つき易くなり、貯めるを拒む様になる。
 もしあなたが心の事で、悩んでいたり、人を傷つけてしまうならば、
 貯める癖をつけたら良い。そのうち嘘さえ要らなくなる。

 心がしなやかで丈夫になる。

   
 1月29日(月) 原っぱの様な人
   2007年01月29日10:20 原っぱになりたい。

 原っぱの様な人になりたいと思う。
 草原の様に僅かな種類の植物がひたすら広大なのではなく。
 原野の様に深く勇ましくひたすら壮大なのではなく。
 空き地よりは遥かに広く日当りが良くて天然で。
 作られた公園よりは遥かに自然でつつましく、。

 そこには沢山の種類の植物や動物。小さな生き物、昆虫達も。
 腰の高さ程の小さな灌木もあって。少し大きい一二本の柿の木やモミジの木。
 日本の昔に何処にでもあった。でも今はとても貴重な風景。
 タンポポやホトケノザ。ススキや野いちご、アザミや百合。
 珍しいものや特別なもの。派手なものはないけれど。懐かしく温かい。

 花の香りと土の香り。太陽の香りと風の香り。
 緑の眩さと、土の柔らかさ。水たまりのきらめきと、小石の健気さ。
 子ども達の遊ぶ笑顔とちょろちょろ走るトカゲの可愛さ。
 いたいけな蝶の長閑さとキリギリスの呼び声。
 大地を母に持ち、雨を父に持った様な、気張らないけどたくましい。

 そこは空き地ではない。マンションなど建てさせない。
 コンクリートで埋め尽くして駐車場などにはしたくない。
 誰のものでもないけれど。誰もが勝手に変えられない。
 ごく普通でごく当たり前。でもとっても大切で今では貴重な。
 そこで何かを作り出すのではなく。そこには全てが在る様な。 
 
 小石につまづくことも、ススキやアザミの葉にかすり傷を負うことも。泥にまみれても気にしない。サンダル履きの半ズボン。
 大人になっても変わらずある。そこに行けば何時もある。
 大人になって頑張るから、自分の原点忘れずに、毎日そこで元気になる。時間が有れば大の字になって。空を眺めて想いにふける。

 ブレず、揺れず、流されず。群れず、焦らず、頼らず、媚びず。
 続ける事の信念と変わらぬ事のエネルギー。そこに在ることの力強さ。
 それは確かに蓄えられて、日々深さと温かさを増す。
 それがほんとの心の余裕。

 花の笑顔と土の笑顔。太陽の笑顔と風の呼び掛け。
 そんな香りをいっぱい吸って。何時でもきちんと息をして。

   
 1月30日(火) 金の斧
   2007年01月30日16:58 金の斧

 母、妹を楽させたくて山の仕事を頑張っていた。
 在る時、使い慣れた斧を沼の神に取り上げられてしまった。
 沼の神は海に行き、立派な漁師に成れたら返してやると言う。
 海で頑張って山に戻ると、金の斧が差し出された。
 柔らか過ぎて使えない。

 斧を受け取らず海に戻り漁師として頑張った。
 想い合う娘が出来た頃に舟が潮に流された。
 遠くの北国に流れ着き、許しが出る迄働く事となった。
 山の仕事が役に立った。

 やっとの思いで国に戻れた。
 母、妹は金持ちに嫁ぎ幸せになっていた。
 売られた娘を捜しに町で働く事にした。
 遠くの国で覚えた音楽と、山で鍛えた体が
 見世物小屋で役に立った。
 娘を取り返さんと乗り込んで、御用となり島流しに。

 途中でまた舟が潮に流された。遠くの南の島に流れ着いた。
 漁師の仕事が役に立ち、帰る船が来る日を待って頑張った。
 やっと船が来て国に帰った。
 娘に会えたが今の幸せを望んでいた。
 来た船に乗って島に帰ろうと思ったら、
 船は嵐に遭ってしまった。

 人の住まない島に流れ着いた。色々な動物が集まって来た。
 色々な国で覚えた歌を歌うと。魚や果物を持って来てくれた。
 ある日浜に葛篭が流れ着いた。
 開けてみると鉄の斧が入っていた。

 それで家を建ててその島で一生を終えた。

 【コメント】

 2007年01月30日22:36

 Pさん
 人生を流れ流れていながらも、流れに逆らわぬ知恵と、流されぬ優しさ強さを感じます。

 2007年01月30日23:48

 Aさん
 身にふりかかる事は、何かしら意味のあるものであり、必然的な気がします。
 その人に足りない部分を埋めるための必要な事なんだと思います。
 神様に試されているような。

 2007年01月31日10:21

 Gさん
 どんな状況に置かれても前向きに生きて行けば
 いつかその人のオアシスに辿りつけるのでしょうか

   
 1月31日(水) 浮き草
 

 2007年01月31日14:34 浮き草
 
 透き通ったガラスの器に生けた浮き草。
 清潔な根っ子とその根毛が健気に水を吸い上げ、やがて可憐な花を咲かすだろう。
 浮き草は優しくも可憐な花を咲かせた。健気さに愛おしさが募った。

 ガラスの中の水は次第に澱んでしまう。水を入れ替えないと生きては行けない。
 哀れに思い、申し訳なく思い。浮き草を池に返す。

 沢山の浮き草が生き生きと、艶やかな花を咲かしている。
 花の美しさには嘘は無い。浮き草が生きている事に嘘は無い。

 土を離れて生きて行かねばならぬ理由。計り知れない苦労があるのだろう。


 言葉や文章は受け取る人にどう伝わるかを考えるべきである。
 真っすぐなキュウリ、苦くないトマトが喜ばれるから作る。

 音楽も歌も受け取る人にどう伝わるかを考えるべきなのだろう。
 良い楽器。良い機材。奇麗な衣装。上手な演奏。プロ意識。
 
 受け手の好みを良く見取って好まれる言葉や文字や音。
 その技は浮き草から学んだかの様に、華麗だが侘しいものがある。

 雑草を掘り起こしてみた事があるだろうか? 草むしりではなく、生かす為に。
 驚く程の長い根っ子。おびただしい根毛の量。


 雑草でさえも可憐な花を咲かせる。何年も何年もまず根を張って。
 花の美しさに甲乙はないが、侘しさ切なさ、たくましさ力強さの違いがある。 

 張りたくても張れない湿地帯。生き残る為の浮き草かもしれない。
 もともと皆浮き草だったのが、地面にたどり着いて根を張ったのかも知れない。

 人間が浮き草の様に生きる理由は何なんだろう。計り知れない事情があるのか。
 その様な人が圧倒的に多くなった理由は何なんだろう。

 心より技が好まれるようになったのは。

   
 2月3日(土) 裏の納屋
   2007年02月03日09:42 裏の納屋
 
 深い悲しみは、新たな深い悲しみが癒してくれる。
 それはまるで積み重ねた本の様。分厚い表紙はめくる気さえ挫きただただ積み重ねる。
 
 何時しか悲しみは、新たな悲しみを心待ちにする様になる。
 まるで本を積み重ねて積み木遊びを楽しんでいるかのごとく。穏やかな気分さえ感じる。

 悲しみを待つ様になった事に気付いた時。厚い表紙をそっとめくってみる。
 中から想い出だけをそっと抜き出して、壊れない様にそおっと真綿の上に載せる。

 それらを集めて透明な容れ物に入れて。保管場所に大切に置いておく。
 その場所は何処だか良く分からない。心の住処の裏の納屋かもしれない。

 今迄の透明な容れ物がどんな形だったか? だいぶ忘れてしまっている。
 きっと沢山の容れ物があったのだろう。色々な大きさの。

 納屋は一番陽の当たる場所に、大きな窓が有る。小さいけれど明るい建物。
 きっと沢山の想い出が陽に当たって何時もキラキラ輝いているのだろう。

 陽に当たって色あせたものもあるかもしれないけれど。
 明るい所に置いておきたい。裏の納屋だけは何時も明るいと思っていたい。

 明るく温かな納屋に置いておくと、大切なものだけが残されて行く。
 残ったものからは悲しみが思い出されることはない。

 ただ一種類 残ったもの。それは「笑顔」

 裏の納屋は一番日当りの良い場所。
 温かで明るくて。笑顔がいっぱい詰まっている。

   
 2月3日(土) アルハンブラ宮殿の最後を想う
   2007年02月06日05:52 アルハンブラ宮殿最後の日

 2月3日(土) 節分の日。
 福岡のお弟子さんから「節目の日」の労いのメッセージが届きました。
 一時期自宅、後に楽器工房、そして教室の場として三十年弱。
 お世話になった大家さんが亡くなって。ご親族が手放されて。

 昨年春から楽器の搬出。私も生徒さんも心落ち着かぬ日々の十ヶ月。
 節分の日がタイムリミットでした。 無事に搬出を終えて、鍵をお返ししました。

 アルハンブラ宮殿で知られるイスラム王朝スペインの最後のグラナダ王朝。
 1492年1月2日にイスラム最後の王アブー・アブドゥッラーが城の鍵を渡し、一人馬に乗って浜辺に待つ船に乗ってマグレブ(北アフリカ)に下ったという話し。
多分に脚色されたものでしょう。しかも私の場合、大家さんご長男の多大な協力と励ましの言葉を頂きました。メランコリックに浸っていては罰が当たります。
 
 それでも振返ってみて、走馬灯の様に想い出されるたくさんの事。
 偶然にも初めて人前でインド音楽を演奏した同じビル。
吉祥寺南口で戦後最初の高層マンション。一階部分の名前は「文化ストアー」
 魚屋さんは「しょっちゅう君のとこの受付させられているよ!」と笑ってらした。

 1978年から99年、丸井の隣で頑張った世界の料理と民族音楽のライブハウス。
 日本初の民族楽器専門店。教室も日本初でした。

 自分にとってそれらは「理想郷」だったかもしれません。
 でも「城」ではなかった。
 「来る者を拒まず、去る者を追わず」
 広場にしたかった。 
 でも格好の「遊び場」を提供しただけだったかもしれません。

 「地に足を付けて」
 こだわり過ぎたのでしょうか。

 「何時でもそこに在る」
 同じ場所で頑張る。踏ん張る。 

 短くても十年。長くて二十余年。三十年弱。
 こだわりが意味を持ったり、評価されたりする時代が来るのかどうか。

 今はまだ分かりません。

   

 2月6日(火) 分ってくれて ありがとう!

   2007年02月06日10:15 分ってくれてありがとう。

 少し分かってくれたみたいで。ちょっと嬉しくなりました。
 分かることが第一歩。判る為の第一歩。解る事迄はあと半歩。

 少し聞こえてくれたみたいで。ちょっと嬉しくなりました。
 聞こえる事が第一歩。訊く事迄の第一歩。聞く事まではあと半歩。

 少し見えてくれたみたいで。ちょっと嬉しくなりました。
 見える事が第一歩。視る事迄の第一歩。観る事迄はあと半歩。

 少し感じてくれたみたいで。ちょっと嬉しくなりました。
 感じる事が第一歩。勘ずる事の第一歩。感ずる迄はあと半歩。

 
 少し分ってくれたみたいで。ちょっと安心して来ました。
 物は見てたら駄目ですね。触って診なくちゃ駄目ですね。
 すると触ってみなくても、物の鼓動が聞こえてくる。
 聞こえているナと分ったら、物はあなたに語り始める。

 
 少し分ってくれたみたいで。ちょっと安心して来ました。
 音は聞いたら駄目ですね。触って診なくちゃ駄目ですね。
 すると触ってみなくても、音の表情が見えて来る。
 音の堅さや温度や強さが、あなたの手のひらに落ちて来る。

   
 少し分ってくれたみたいで。ちょっと安心して来ました。
 顔を見てたら駄目ですね。心を観なくちゃ駄目ですね。
 すると目の前の今の人なのに、子供の姿が見えて来る。
 見てくれてるなと感じた時。安心する人怖くなる人。

   
 少し分ってくれたみたいで。ちょっと安心して来ました。
 話しは聞いたら駄目ですね。話しは観なくちゃ駄目ですね。
 すると行った事が無い世界でも、情景さえもが観えてくる。
 話しを観る様になってくると、大事な心は聞き逃さない。

 気を遣うと疲れますよね。勘は使っても疲れません。
 気疲れすると眠れませんよね。感や勘だと熟睡しますよ。
 猫さんみたいに浅い眠りで、心も体も休まります。

   

 2月8日(木) 点と線

   2007年02月08日02:14 点と線

 モンゴルの勇者チンギズ・ハーンとその後継者は、たった30年余の間にシルクロード全域から東欧迄を支配したと言われます。
 しかしそれはシルクロードのオアシス都市を辿ったに過ぎない。
 言わば「点と点」。

 私たち「農耕民族」には、彼ら「騎馬民族」の感覚は計り知れない。
 同時に「点と点」の間にある荒涼とした「半砂漠」の過酷な自然も想像の域を出ない。
かようにも住む所によって「感覚」は違うもの。 

 「点」の感覚と「線」「面」の感覚の違い。
 善し悪しではなく「風土」が生み出した性格的なもの。
 危惧するのは「風土」に似つかわしくない「感覚」が載せられた時の奇妙さ。
 シルクロードに「面」の感覚。日本に「点」の感覚。  きっと心が歪む。

 
 最近の流行語の中で最も馴染めない言葉が「勝組・負組」
仕事、芸術、子育て、恋愛、そして人生。何故に結果で判断するのだろう。
 農耕民族なのに「点と点」の感覚に成ってしまったのだろうか。

 農耕民族は「結果論」で仕事をしない。生活をしない。人生を送らない。
土を耕し、種を植えて、苗を育て、作物を育て。
 それぞれの間に気の遠くなる様な障害がある。 
害虫、雑草、動物、日照り、洪水、颱風..............。

「結果論」で考えたら「豊作」は良し「凶作」は? 受け入れ難い苦難なのか。
悪い結果を恐れ、心配し、安全、無難を選んでいたら「農耕」は成立し難い。
 

 籾を食べ尽くさず、種を食べ尽くさずに「農耕」を始めた。
土と水に恵まれていた地域ならではの事ではあろうが、
 「農耕」は、動物の中でほぼ人間だけが行った事。
私は「人類が最も優秀な動物」とは思わないが、食べ尽くさず「残して置く」事を思い付き、
 種や籾が形を変える未来を想像出来た事は,偉い!と思う。

悪い結果を恐れない訳じゃない。心配もきっと沢山ある。努力が報われないかも知れない。
安心を得る為に、灌漑や品種改良。 そこに人間の「叡智」が在った。
 しかし「知恵」と「技」は「叡智」をはみ出してしまったのか。
 殺虫剤、除草剤、化学肥料。

 心配する事は素敵な事。そこから生まれる素晴らしいものも沢山ある!
猪突猛進、無我夢中、傍若無人。勇ましいかもしれないけれど。
 私は「心配」する心の優しさが好きです。 その健気な心が好きです。
しかし心配のあまりに「しない」「諦める」「辞める」は残念だし勿体ない。

 何故なら、結果に至迄の間にたくさんの素敵な出来事、想い、心があるから。

「結果論」の感覚には分らないだろう「悲しみ、苦労、心配、不安さえもが喜び」という感覚。
「後で良い結果が来た時に、その分喜びが増すから」ではない。
 それではやっぱり「結果論」。

 農耕の心配、不安は「祈り」の文化を育てた。
豊作祈願、や感謝の祭り。努力に見合わぬ結果に対する飽くなき謙虚さ。
 そこに祭りが生まれ、音楽が生まれ.................。

 日本は恵まれています。  豊かな四季。多彩な自然。
ここで育んだ心が、世界の厳しい環境で生まれた感性を助けることも多い筈。
それを捨てて、真似をしてしまっては悲しいどころじゃすみません。

 苦労や、悲しみも、楽しみ、喜びと同格に。 生きている証だし。私たちの生き様。
 ちょっと不安になったり、心配したりは愛おしい。 それから知恵もがんばりも生まれたら、素晴らしい。

 曲がりながらも一本道。 立ち止まりながらも一本道。

 「面」の風土が育んだ、「線」の生き方、過ごし方。

   

 2月8日(木) 思考回路

   2007年02月08日22:33 思考回路 

 
その1「回転思考」

 ギリシアのレベティカ、トルコのアシュック、アメリカのブルース。
 世界の三大演歌は、ちょっと情けない男の歌が多い。
 情けないくせに強がっていたりの歌も多い。
 それをカウンターで飲みながら「阿呆な奴もおるもんやなぁ」
 と。心の荷物を少し軽く感じ、短時間でも思考をリセットして家路に着く。

 千鳥足で夜道を歩くと歌のフレーズが繰り返される。
 「反復」する事で軽くなる。ある種の自己暗示操作。

 トルコ吟遊詩人「アシュック」の歌のひとつ「ピスタチオ」
 弦楽器サズの弾き語り。私のトルコ民謡の十八番でもあります。

 一番と三番の歌詞は「私の想いは扇風機。ぐるぐるぐるぐる同じ事」
 その内めまいがしてしまってか、
 「酔っぱらいの様に道を真っすぐ歩くことさえ出来ない」で歌は終わります。
 

 トルコの田舎では、結婚を許してもらう為の不思議な風習が有ったそうです。
 男は彼女の家の回りをぐるぐる走り続ける。見兼ねた親が許す迄。
 さすがマラソン発祥の地。遊牧民族だからかもしれません。
 だいたい周囲が平原でなければ、走っている姿も見えないですから。

 遊牧民族は、もともと「序破急」の感性を持つ人達です。
 「直線型思考回路」別名「しりとり型思考回路」
 それが意に反して先に進めなくなると、先端が末端に連結してしまう。
 虎が樹の回りで自分の尻尾を追いかけてバターになった様に。

 同じ感覚を共有する男親にしてみれば、娘の彼氏がぐるぐる走る姿はさぞや胸を痛めるに違いなく。 私たちの想像を超える効き目が有りそうです。
 

 遊牧民族ならずとも、同じ考えがぐるぐる巡ってしまうのは
 ちょっとしんどいですね。

 その昔は「為せばなる〜♪」とか、その場のメロディーで繰り返し歌ってました。
 「回転思考」から脱する為に「繰り返し歌」を代入する方法です。

 「扇風機」の歌を歌う様になってから、ぐるぐる思考は無くなりました。

 もし、ぐるぐる思考で悩んだ時は、僕の「扇風機」の歌を聴きに来て下さい。

 そしてちょっとほろ酔いで月夜を歩いて帰って、ぐっすり寝て。
 
 きっと翌日はすっきりリセットしているに違いありません。

 チョク ヤシャー!


 2007年02月08日23:44 思考回路 

 
その2 「循環型」

 「直線型思考回路」別名「しりとり型思考回路」には理解出来ないらしい。
 「循環型思考回路」別名「○もしくは∞型思考回路」
 考えてない様で居てもの凄いスピードで考えている。

 耳も遅いし、目も遅いし、話しの理解も遅いのは。
 言葉の奥の心を感じようとしたり、見えたもの、聞こえたものを
 いちいち心に届かせようとするから。

 同時に、聞こえた瞬間、見た瞬間から「思考回路」が動き出す。
 「理解が遅い」のは、人との対話の中で普通のタイミングで返答する為に
 受け止める段階で「時間稼ぎ」をしている癖。

 平気で「ムスっ」と黙って考えている人。返事のタイミングを身勝手に遅らせる人。
 それが出来ない。されて嫌な事はしたくない。
 考えながら聞き、聞き直す。威圧するよりは嘗められる方が気楽。
 「どっちもどっち」かもしれないけれど。

 「循環型思考回路」は、まず直感。 きっとそれはかなり早い。
 そのまま伝えた場合のリアクションをシュミレート。
 話しのテーマにもよるけれど、それを数回循環させている。

 よっぽどの話術がありそうで、 話しも自在にリード出来そうな「思考の早さ」
 何故か利己的には作用しない。
 
 「循環型思考回路」に自ら疲れる。 「気を遣い過ぎ」の「気疲れ」
 「鈍い」「トロい」と苦労の割に利が薄い。

 それじゃあイカンとテンションを上げる。 むちゃむちゃ早口で「聞き取れない」って皮肉な結果。 要領が悪い不器用さ。

 心が通じる人、素直な人には作動しない回路。
 素直に言葉が入って来て。素直に受け止めてもらって。
 とても自然に。心穏やかに。笑顔のままの楽しい会話。

 いろいろ損かもしれないけれど。
 
 分ってくれる人が居れば良い。