diary 2006 January
新年明けましておめでとうございます! 昨年は、たくさんの方々に暖かい応援を頂きまして、 新しい仕事にもチャレンジ出来、将来の明るい展望も開け、たいへん実りの多い年でした。 このHPも限定期限をとうに過ぎ乍ら、むしろ拡大している嬉しい状況です。 読者の皆様からも応援の言葉をたくさん頂きましてありがとうございました。 御陰様で無事に迎える事が出来ました新しい年は、一層の努力を重ね、新らたな勉強にも精進し、皆様のご期待ご支援に応えるべく頑張りますので、どうぞ宜しくお願いします。 2006年1月1日 若林忠宏
今年も宜しくお願いします。 仕事は教室の窓から吉祥寺の街を見守る事、生徒さんの膝に乗って緊張をほぐして「良い音だネ」って励ます事、そして時々若林のおじちゃんと雑誌や本の写真のモデルをする事、そしておじちゃんや生徒さんと遊ぶ事です。 モデルをした時には「おさしみ」を貰います。 2002年の冬前に生後1年弱でおじちゃんに連れられて教室に来ましたから、四、五回目のお正月ですが「何時も有る教室が無いなあ」「おじちゃんがのんびりしてるなあ」と年に一回、蒲鉾を沢山食べる事位です。 東町のおじちゃんの家には 沢山の猫が居ますが、それを寒い庭から眺めて居た時よりは毎日暖かくて鼻水も出なくなって良かったと思います。 でも、教室が無い時は、朝晩のご飯の時以外誰も来てくれないので、ちょっと寂しいです。 もっとクラスが増えたり、レッスンが無くても練習がてら遊びに来てくれたら良いのになあ、と思います。 あっ! あと、洗面所に行くドアを閉められてしまうと、僕がトイレに行けなくなりますから、ちょっとは開けておいて下さい。お願いします。
当たり前の事ですが、お正月は東京と、地方とでは全く逆の感覚になります。 東京は帰省する人で人口が減り車も少なく、数日間ですが目に見えて空気が澄んで綺麗になります。逆に地方では帰省する人で人口が増えるのですよね。目に見えて排気ガスも増えるのでしょうか? 元々車社会だったりで、そんなに変わらないのかしら。 福岡にマンションを借りて往復の生活をして初めて気付く事がいっぱい。 三が日に同窓会と聞いてびっくり!。そうか!逆に人が集まるのはお盆と正月なのか!と初めて認識しました。地方では逆に忙しくて「寝正月」なんてあり得ない様ですね。 我が国の首相の場合、息子さんが元日の生放送で語るに曰く「寝正月」だそうで。 同じ山羊座のA型の割には肝っ玉が据わってご立派なのでしょうか? 余裕ですね。 まだまだ未熟な山羊Aの若林は、毎年お正月の方が頑張ります。 「人が休んでる時こそ頑張り時!」という姑息な根性もあるのかもしれませんが、考えてみれば人と競う様な仕事もしていません。「人が休んでいる時に動き出す」という夜行性のミュージシャン?芸術家?の性質のせいでしょうか? 夜行性は単に猫さんとの暮らしの影響かもしれませんが................。 土日祝日に教室や本番が多く、 平日は普通にリハーサルや打ち合わせ。お正月こそ年唯一の休日と思っているので、その時ばかりは「自分のやりたい音楽」をやろうという感覚なのかもしれません。 「一年中好きな音楽やってんだろうが!」と叱られてしまいそうですが、「今日はアラブ古典音楽気分だな!」と思ったり「ここ数日アフリカ音楽が楽しくて!」と思っても「はい!今日はインド音楽」「明日はキューバ音楽」となりますから、いつの間にか自分のやりたい音楽は「その時構えた楽器の音から始まる」という「民族音楽カメレオン」と成っているのです。 【お正月こそ勉強の時間】 5年位前迄は、毎年お正月に新しい楽器にチャレンジしていました。 その時点では、目先の音楽活動とは無縁のあくまでも趣味、勉強の楽器や音楽です。 自分が音楽家になるとは思ってもみない頃の気持ちで楽器や音楽と向い合う初心に返れる音楽です。それは結果的にその時点の主力音楽と楽器にもプラスになり、気持ちもリフレッシュします。 でも結局は、それらは後々お仕事の主流楽器、音楽になります。その時点ではマイナーな音楽ばかりの民族音楽の中でも更にマイナーなものが、次第に世の中の関心が広がって、やがてはお呼びが掛かる様になるからです。 30年前のお正月に仕込んだのがアフガニスタン音楽、年末から弦楽器ルバーブを自作し採譜し出し、お正月休みに一気に数十曲練習しました。 同様に中央アジアのウイグル、ウズベク音楽は25年前、20年前はアフリカのケニヤやコンゴの古い歌。ヒュートレーシーという学者の録音した名曲を十数曲仕込みました。 その他、北欧の音楽、ブラジル弦楽器、太平洋の歌などなど。結局お仕事上の主流になっていないのはアメリカ南部の生ギターのブルース位なものです。 さらに不思議な事に、アフガニスタン、中央アジア、アフリカの歌の歌詞はほとんど頭に入ってるのです。「好きこそものの上手なり」とはこの事でしょうか? 年末年始の数日間に一日数曲ペースで仕込んだ歌詞がしっかり暗記されているのには我ながらちょっとびっくり。やはりお正月は独特な集中力が得られるのでしょうか? 【やむなく寝正月】 かと思うと長年の疲れが出てとんでもない苦しい寝正月になることもしばしば。 成長期に間違った構え方で胡座をかいて構える楽器を練習したからか、腰とお尻の持病は数年に一回大反乱期を迎えます。20年前は分速30cmの這う様なスピードで歯医者に駆け込んだ(たどり着いた)事も。5年前はお正月を乗り切った!と思いきや正月開けの演奏会で、一曲毎に10度首が傾き、ついに首が肩に載って動かせず。そのままお客さんの鍼灸師さんのところへ。酷使した左手の無理が弱い首筋に出た様です。 何度も繰り返している事ですから、年間通じて一番恐々としている時期でもあり「お休みで気が緩んで」ではない筈なので不思議です。 同時に子供の頃から年末年始に愛する人、生き物が去ってしまうジンクスが有って、誕生日からお正月が明ける迄の間は心の中でじっと祈る気分でもあります。 ですから無事にお正月が開けた時はちょっとホッとします。むしろ気が張っていて、何か頑張っていないと心配だからお正月に勉強したくなるのかもしれません。 実は、今年の年越しは「やむなく寝正月」でした。 風邪気味だったのか熱が出始め、休めば治るだろうと思っても一時間毎に悪夢でうなされて飛び起きて「寝正月」と言っても、食欲も気力も湧かないので、じっとしているだけでちょっと辛い年越しでした。 30日と大晦日に立て続けに悲しい事や大小の失敗があったからでしょうか。2005年は嬉しい事が多かった分。また誕生日から年末に掛けて幸せな時間が多かった分、内心「やっぱりな。良い事ばっかりな訳が無い」と思ったからでしょうか。ちょっとガクっと来た感じです。 それぞれたいした事じゃないのかもしれませんが、なんだか象徴的な事が多くて、それがまた象徴的な悪夢を呼んで。不謹慎ですが、これじゃ体の何処かが痛い方がましだった、なんて。 年が代わるや飛び込んで来た「おめでとう」の携帯メール。お昼になって届いた嬉しい年賀状やお年賀Eメールにも励まされ、少し元気になりました。食事も福岡でお土産に頂いた信じられない程美味しい梅干しの御陰で、しっかり食べて。 それでも根本的なところですっきりしないのは、やはり甘えが強過ぎ。悪いクセも着いている。 悲しい事を嬉しい事で忘れたりチャラに出来ない。悲しい事は後から来る新たな悲しみで紛らわし楽に成る様な。 ある意味で、今年はもっともっとメンタル部分を鍛えなきゃいけないんだということの象徴なのかもしれません。体が元気なのに気に病んでるなど許しがたい甘えな訳で。 そんな風に叱咤激励してチャメ君のご飯をあげに教室に来ましたら、変わらず元気で明るく頑張るチャメ君を見て励まされた次第です。 そんなチャメ君を抱きしめると、むしろ心はチャメ君に抱きしめられる様で。するとチャメ君は大きな音でグルグルと。 昨年嬉しい話しを聞きました。「猫はあのグルグルで免疫力を自ら強化させる力が有る」と。人を癒すと同時に自ら元気になるなんて凄い!! そうだ!2006年のテーマは「猫グルグル・ミュージック」にしましょう。聞く人が癒され、元気になって、自分は自分で元気に成る様な音楽。敬愛するライ・クーダー氏のチキンスキン・ミュージックの向こうを張って!
さて元気になったところで、次の悲しいニュースが飛び込んで来る前に、新曲の練習を始めましょう。 降り方考えずにひたすら登って行く山羊さんですから。ポジティブじゃなけりゃ。
1月2日、 お正月の二日目は、元日の後半から食欲が復活して元気になった所に、深夜に嬉しい年賀状メールが届き、翌日も暖かなお年賀メールが次々届いて、励まして頂いてかなり元気です。 二日の東京は、朝からどんよりとしていたと思えば、昼頃から冷たい雨が。 あわや雪かと思えば、雨がやんで、その代わり午後には更に気温が下がりました。 自転車を何時もより気合いを入れてこいで暖まり乍ら、猫さん達のご飯を買って教室のチャメの元へ。たっぷり遊び乍ら色々楽器を練習しました。 心暖まるメッセージを沢山下さいましてありがとうございました。
東京でのお正月は、お弟子さんも帰郷すれば、この歳にもなれば友達も親と子供に挟まれ家庭サービス、東京もんには妙に暇なものです。例年ならばそれこそ「寝正月」ですが、今年は昨年にも増して勝負の年。年賀状もギリギリでしたが旧年中に投函して、三が日明けに福岡へお年始のご挨拶に。 おせち料理も一人じゃ食べ切れず、ここ数年コンビニで蒲鉾と伊達巻を買う位で、猫さん達も年に一度位は人間食も許されるか?と皆で分けっこする位。 それが今年は幸せな事に、お正月明け早々に「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)にご登場頂いた「大好きな大将」の日本料理のお店に。 ちょっと遅れたお正月の心暖まるひと時を頂いて来ました。 何時も予約の時間に遅れては失礼と、5分10分程早めに行くのですが、前々回は道端で時間調整していたら、近所のお友達に不審者っぽいとのご指摘を頂いたので、ご迷惑と思い乍らも早めにお邪魔しました。 するとお忙しい最中。やっぱりご迷惑を掛けてしまいましたが、丁度いりこの田作りが炊きあがったところ。大きな鍋からバットに移して冷す瞬間のなんとも言えない豊かな香りと暖かい湯気に包まれました。 巻物の柄の素敵な器に盛りつけてくれたお正月の縁起物は、伺った名前をど忘れしてしまいましたが フキのようですが遥かに緑で芯にすが無くシャキシャキな茎に、数の子、年末に伺った時に見せてもらった色付けの為の鉄粉(なんとインド太鼓の鼓面に塗るものとそっくりの)でツヤツヤに仕上がった黒豆、そして炊きたての田作り。
【嬉しいスローフード体験】 今迄の若林は、出来る事なら寝る時間と食事の時間と風呂とトイレの時間が無くなってくれれば有り難い、と思っていた人間です。その時間に楽器を練習したり、楽器を直したり作ったり、採譜したりしていたかった。だからどれも超特急。 父親譲りで喉が狭いのでかっ込むと必ずしゃっくりが出て。にも関わらずの早飯。 トイレも風呂も早いのが自慢。唯一寝付きが悪いのが腹立たしいので、自宅に居乍ら耳栓をしたりアイマスクをしたり、自己暗示を掛けて不眠症を克服し、それでも寝られなければ喜んで楽器の練習をしていました。 そんな若林が、打ち合わせや演奏の他に持ち込む仕事が無いこともありますが、 福岡に行く様になって初めてゆっくりと食を楽しむ様になりました。 気付けば食事に不可欠だったお冷やが要らない。 ゆっくり頂くのでしゃっくりが出なくなったのです。それに気付いて我ながら感動。 「スローフード」はゆっくり食べるから「スロー」なのではありませんが、生活感も、ともすれば人生観さえもが気ぜわしかった自分にとって「ゆっくり食事をする」ことはスローフード、スローライフの第一歩でした。 大将のお店に通うようになって、ゆっくりですがしっかりと分かる様になったことがいっぱいあります。 料理が伝統とつながっていること。素材とつながっていること。その素材が自然とつながっていること。それらは言葉で説明されても分からなかったかもしれません。 でも、大将のお店の包み込まれる様な安心感に蘇ったゆったりとした意識は、それらを自然に理解して行く感じです。 目で感動し、舌で感動しただけでなく、胃の中に確かに送り込んだ筈の料理が胃に溜まる前に消化されてしまった様な..............。 生まれて初めてのその不思議な感覚を通じて、身を持ってスローフードを理解した感じです。 気付けばお店ではBGMは掛かっていません。 音楽がお好きじゃない? いえいえとんでもない。 若林のライブに来てくれた時、誰よりもノリノリだった人ですから音楽のセンスは抜群。奥様はお父さんがオーディオ専門誌にインタヴューが載る程の方で、その血を引いていますから耳も感性も素晴らしい。 閑静な場所にあるお店では隣の店のBGMや車の騒音もなく。ただひたすら落ち着いた。でも暖かい空間は息が詰まる様な静寂さではなく。そこに聞こえるのは楽しい語らいと、目の前で繰り広げられる料理の音。 と言っても実際は研ぎすまされた包丁は「サクッ」とも音を立てず、鍛え抜かれた技はまな板に「コッ」とも当たらないのですが、その分無音が聞こえた様な気になります。 時折、厨房から聞こえる揚げ物の優しい音。会話がなかったら、もしかしたら世界で一番静かな場所なのでは?と思う程です。 気付けばそこそこ空かして伺うにも関わらずお腹が「グーゥ」っとなる音もしません。必ずやお腹のみならず体中、そして心も満足させてくれると安心させてくれるからでしょう。長年空きっ腹迄我慢してかっ込んでいた忙しいお腹が、まるで別人のお腹の様にニコニコ良い子で料理が運ばれてくるのを待っている感じです。 ある意味でBGM要らずのお店。と、言う事は「音楽家泣かせ」かもしれません。 うるさい輩ややかましい音楽家を黙らせるには大将のお店に連れて行け!と言いたいほどです。 にも関わらず大将の料理、お店の雰囲気、大将と奥様の話し、そして大将の包丁さばきは大変音楽の勉強になるから不思議です。 頑張りの源、心の栄養、暖かさや穏やかさの再発見が音楽の糧になるばかりでなく、肘や手首の使い方、力の入れ方抜き方は、楽器演奏のコツと全く同じです。 【生きている!という実感にも似た不思議な感動】 のれんを潜り中に入ると中は「別世界」という感じのお店は他にも有りました。でも大将のお店には、今迄感じた事がないもっと凄い驚きがありました。 幸せ感を満喫してお店を出る途端、お店の外の世界が「別世界」に感じられることです。 励まされたり、良い人間になった様な錯覚が嬉しい!というのとも違い「よし!頑張ろう!」と思えるのともちょっと違って.............。 強いて言えば外の世界さえもが大好きになる感じです。 元々お店の中も「別世界」ではなく、実は中も外も一緒。ただただ、大切なものとだけつながっている。それを感じれるのが嬉しくて。その御陰で余計なものを知らぬ間に忘れて軽やかになれるからかもしれません。 幸せな事に昨年末は大将のお店で福岡の演奏納めの打ち上げをさせて頂きました。 嬉しい一年の締めくくりを記せてからひと月も経たずに、またまた嬉しい一年の始まりを記すことが出来ました。 そして今年も季節の変わり目毎に素晴らしい料理でこの時代この世界に生きていることの喜びを感じさせてくれると思うと、思わずワクワクしてしまいます。 いつもありがとうございます。 そしてこれからも、いつまでも。 どうぞ 宜しくお願いします。
1月10日(火) 嬉しいメールで思い出す。
福岡から東京に移動して、自営業ながら仕事始めのメールやお年賀状のお返事をしておりましたら、年末のメールに書かせて貰った福岡出身の青年から「またまた若林さんのメールには励まされます。「その人の話しをするのが一番の供養」。本当にそうだなぁと実感します。祖父のためにも是非とも文日記に掲載していただけるとありがたいです。」の、嬉しいメールが来ていました。 【身内ゆえの切ない想い】 雨が降った日に傘を持って来てくれた優しいおじいちゃん。でも、クラスメートの手前、作業着姿が恥ずかしくて「濡れて帰るからよか」と言ってしまったことを「ごめんね」と、ずっと想っていた彼。きっと、誰もそんな想いをひとつ、ふたつ持っているのかもしれません。 若林も思わず父の想い出がこみ上げてきてしまいました。 あっ! 父はまだ元気です。 若林と父親は、お互いでどう愛情を表現して良いかが分からず、ほとんど接点を避ける様にして大切な時間を通り過ぎてしまった気がします。 家族揃って食事に行ったのは、たった一回。父親がキャッチボールをしてくれたのも一回こっきり。
食事会では父が何時キレるか、何時母と喧嘩になるかが心配で、最後の最後まで緊張して料理が喉を通らず、デザートの「杏仁豆腐」の事しか覚えていません。 やっと安心して食べた生まれて初めての「杏仁豆腐」は、涙出る程美味しかった。でも「帰るぞ! 何時迄も食べてんじゃない!」と怒られました。 キャッチ・ボールの方は、母に「僕もお隣の〜君みたいにお父さんとキャッチボールしたい」と言っていたのが伝わったのかもしれません。願いは叶いましたが、まるでそれ迄の数年分、それ以後の数年分を一気に消化してくれようとしたかのごとくの超スパルタで、涙でボールが見えず落球してはひどく怒られました。
そんな父が、たった一度だけ授業参観に来てくれた事があります。 でも、父はかなり遅刻しました。「やっぱり来てくれないか」と思ったその時、教室の引き戸をもの凄い音でガタガタこじ開ける音が。 「たてつけが悪い!」とかんしゃくを起した父でした。
先生も父兄も、生徒達も恐々として、重たい空気のまま授業は終わりました。 それは最早「カッコ悪い」「恥ずかしい」のレベルを越えていました。 御陰で クラスメイトも冷やかすどころか、恐々としたまま、誰も話題にしない状態。 それでも何故か、父が帰った後、教室を走り出て図書室へ。 校舎を出て校門を通る父の姿を見る為でした。
あの世代の人としてはかなり背が高かった父が「とっとと」帰って行く姿は、一本道のずっと先迄見えていました。涙が止まらなかった訳は、悲しかったからなのか? 何なのか? 今でも良く分かりません。
【宝物の想い出】 奇しくもごく最近の事です。お弟子さんとのやり取りで「先生との事で、父親とのぎくしゃくの原因が分かった」と言って貰いました。 「弟子と言えば子も同然」みたいな話しの中で、伝わってると思っていたら伝わってない気持ち、分かってないだろうと思っていたら分かってくれていたり。そんなやりとりのなかで、ふと気付いた事があったみたいです。 音楽を通じて出会った親とは別な存在ですが、お父さんとの心の通い合いの役に立てたなら嬉しいです。
かく言う若林もこの一年、親と同じ位親身に叱咤激励してくれる有り難い応援者さん、お仲間に恵まれ、自分の親に対する思い、子に対する思いも随分と穏やかになって来ました。
世の中が複雑になって価値観も多様になって、子育てはとっても大変になった様に思います。 親子の情が希薄になった結果として悲惨な事件も毎日の様に報道されます。 でも、身内の想い出って、悲しい事でも「宝物」の様な気がするんですが。
父の機嫌を伺い乍ら食べた「杏仁豆腐」。母がくれなかった「カンロ飴」一人で食べてた「一口羊羹」一斗缶で頂いていたので、遊びに来た学友に「なんだよ、お前の家はまたこれかよ!」って言われて恥ずかしかった「泉屋」さんのクッキー。小学校の作文に「ほんとは酸っぱいから嫌い」と書いてしまった祖母が送ってくれていた京風「蒸し寿司」は、今でも大好物です。
1月10日は、このところ伺う事が急に増えた渋谷のNHKへ。 今回はNHK.AMラジオの収録です。番組は「ラジオ深夜便」の中の「ないとエッセー」 というコーナー。週の前半四日間に渡って様々なゲストが独り語る、フリートークです。 「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)を見て意に感じて下さったディレクターさんが呼んで下さったのですが、NHKですから本の宣伝は出来ません。でも本に書いた話しを「太鼓・打楽器」「管楽器」「弦楽器」そして「スローミュージック」の四つに分けて、各8分、語って来ました。 8分という時間は若林にとって、ちょっとやり難い時間でした。 若林の「腹時計」は我ながらたいしたもので、20年のライブスポットの定期LIVEを中心に二千回前後の演奏と録音経験から、3分、5分、10分、15分、30分、45分、60分、90分は体に染み付いています。ですが、逆にそれら時間と微妙に異なるのは中々難しいものがありました。 これに加えてディレクターさんは「皆さん独りトークというのが意外に大変らしく。けっこう苦労して録り直すんですよ」と、現場に着いてからおっしゃる。 それでも「本番に強い」という妙な自信で一発勝負のテスト録音を完成版としてオッケーにして、さい先良いスタート。「楽勝か?」と思いきや「上手過ぎる」と意外なご指摘。 ラフ原稿は「見ない方が良い」と言われ「あれについても語って欲しい」その代わり「あれは要らない」と色々言われているうちになんだか混乱して来て。 もしかしたら出来上がり過ぎを意図的に壊して「素」の部分で語らせたかったのでしょうか? 確かに二日分録音した辺りから、これは中々精力取られる大変な仕事だ、と実感。 一服して落ち着こうか、と思ったら喫煙場所が1フロワーにひとつ!しかも避難梯子の窓際。行ったり来たりも段々面倒に成って来て。しかも喫煙所が寒くて風邪っぽくなってきて...............。 と、へこみそうになる直前。ふと避難橋子の窓から外を見れば、窓は真西を向いていて、もの凄く綺麗な夕陽がくっきりと。 昨年の11月、福岡市役所の西広場のアジアマンスのステージでのこと。 繁華街天神のど真ん中にも関わらず、ちょうどステージ真っ正面だけビルの谷間で。演奏しながら眺めたシルクロードの方向に沈む素晴らしい夕陽を思い出しました。 福岡の素敵な声力の持ち主と「ラジオ番組をやりたいですネ」とお話した目標の第一歩になるかもしれない今回の収録。いや、かもしれないじゃなくて「実現するぞ!」と気概を新たにブースに戻って残り二日を一気に収録。スタジオ使用可能時間の15分前にびしっ!と終えました。 良い感じで終わってみれば、勉強になることが一杯でした。ディレクターさんは、余計なものを取り払って、本音を引き出してくれた様に思います。ありがとうございました。 放送は、2月の20日(月)から四日間。毎晩11:40から8分程です。 是非お聞き下さい。 宜しくお願いします。
1月11日(水) 嬉しいお誘い
1月14日は、午後からの教室の前に横浜市都筑区に教室を持つ音楽の友人、アガバビヤン&千尋さんご夫婦の子供音楽教室にゲスト出演してきました。 お二人とは2004年の若林のアラブ音楽演奏会に一家で来てくれてとても気に入ってくれて依頼の仲良し。2005年春先にも子供音楽教室のピクニックに呼んで貰ってアフリカやカリブの太鼓、打楽器を紹介しました。 その時の忘れ得ぬ想い出は「2005年まとめ」の中に「タンポポのメッセージ」として書かせて頂いております。 ご夫婦はアメリカから移住して来てまだ数年で、ライフワークの音楽と幼児教育を合わせた仕事を、まだまだ理解も少なく、活動の地盤の無い日本で苦労し乍ら頑張って、この一二年急速に広がって横浜の他にも自由が丘にも教室が出来て、とても充実の様子です。 でもその分お互いに忙しく、お会いする機会もすくなくなってしまいましたが、メールを交わす度に「また何かやりたいネ」が合い言葉の様でした。 それを今回実現してくれたのは、 児童教育雑誌「マンモス」を出版している編集社のニーハイメディアさん。 年2回発行ながらも情熱を秘めたお洒落な雑誌を作っています。 今回若林がお引き合わせしたのですが、編集長の香織さん、社長のルーカスさんもアメリカ人と日本人のご夫婦と知ったのは、現場で初めてでしたが、「やっぱり」という驚きでした。 若林がマンモスの見本誌を見て直ぐにアガバビヤンさんを思い出したのは「アメリカ人のおおらかな愛とオープンな心に、日本人の優しくこまやかな気遣い」そんな良い感じのカップルでお仕事をしているご夫婦のお友達が多い若林が、その「良い感じ」を感じたからなのですが、お会いしてみたらやっぱりご主人はアメリカ人でした。
今回「民族楽器の肌合いと暖かい音色を子供達に」というコンセプトの「親子で楽しむ民族音楽」の特集を組まれ、監修を若林にお任せ下さいました。
ルーカスさん香織さんが若林を見い出して下さったきっかけは、『民族音楽を楽しもう』や『世界の民族音楽』などの著書、そしてタモリ倶楽部をご覧になられてのことだそうで、嬉しい限りです。
写真上より 西アフリカの瓢箪シェーカー「シェケレ」を紹介。「何で出来てる?」と聞くと「網!」「ビーズ!」に混じって「瓢箪!」とびっくりの正解も。 若林の得意技「マラカスの一粒鳴らし」一粒から五粒、十粒と増やして行きます。 西アフリカのトーキング・ドラムで子供達と会話。 西アフリカの木琴バラフォン。 左手の二拍子に合わせて右手で三拍子の「鯉のぼり」を演奏すると子供達も興味津々でしたが、お父さんお母さんから「おー!」の声が。 西アフリカの太鼓ジェンベの演奏。 子供達お父さんお母さんの小物パーカッションと合奏。 大きな太鼓をみんなで囲んで叩く。 若林が大好きな瞬間「ちいさな小魚の様な手が、鼓面の上でピチャピチャ跳ねる」
【お年始ごちそうさま】 週末に月二回の定期レッスンがあります吉祥寺の教室は、お正月の土日を避けて翌週からになったりで、今年は月中の14、15がレッスン初めでした。 ちょっと遅れ乍らも「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。」のお声を頂き乍ら、14日はブズーキ・クラスの大谷さん、休学から復活の小宅君にお年始の差し入れを頂きましてご馳走様でした。 大谷さんは、横浜の「浜っ子」ながらもご実家が農家の為、季節のお野菜の手作りお母さんの味をいつも嬉しく頂いています。そう言えば小宅君は「実」にこだわりがあるのかしら? たまたま若林が相手だと「実」を思いつくのでしょうか? この前のお土産は「羽子板の実」でしたが、昨日は杏やナツメ。ペルシア生まれトルコ経由のギリシア弦楽器ブズーキのお弟子さんだから「ペルシア正月は七草粥じゃなくて七つの実」を知ってたんだネ!と言うと偶然ですと。 翌日のインド音楽太鼓クラスでは、昨年若林のシタール伴奏デヴューを果たした尾澤さんのお母さんからお菓子を頂き、ラテンパーカッションクラスの最年長馬場さんからは手作りの柚子胡椒。パーカスクラスは、上級生の半数が福岡県人。レッスンの度に「この前初めておきゅうとを食べて、美味しかった!」とか「ゴボウ天うどんに柚子胡椒東京でも食べたいネ」とか話していたからの嬉しい差し入れです。 馬場さんご自身は東京下町生まれですが、ご主人が長崎県諫早の方で、実家から送られて来た自家製を下さいました。 【クリスマス〜お正月の幸せと寂しさ】 若林家のお正月は、子供の頃にはお正月の二日に池袋から二駅の母の実家に集まって大勢で盛り上がりました。お雑煮は、元日が水戸の父方のおすましに四角いお餅に短冊の野菜。二日は母方の京都風の白みそにうるちも入った丸いお餅に輪切りの野菜のおかか載せ。自家製と祖父の頃からの馴染みのお店からの豪華なお節で、クリスチャンだった祖父母の御陰でクリスマスも豪華でしたから年に二回はごちそうでした。が、祖母が亡くなってからはそれもなくなりずっと寂しいお正月。 母が元気なうちは、京風お雑煮と、お肉をカジキに代えたすき焼きをたらふく食べましたが、猫さんが来てからはネギを入れるすき焼きをしなくなり、更に寂しくなって。 でも、寂しくなったのは食卓で、猫さんワンちゃん13匹も居ますと、寂しい寂しくないの次元じゃなくて、取っ組み合いもあれば、書類やCDの山を崩す子も居て。 お正月の日記に「年末年始は何時もなんだかブルーで」と書きましたが、子供の頃は中学生くらい迄、ずっと大勢で凄いごちそうのクリスマス〜お正月だったんですから、寂しいはずはなかった。凄く嬉しかった、楽しかった。ご馳走はみんな美味しかった。 でも心の何処かでずっと寂しかった。あれは一体何だったんでしょう。
1月18日は、福岡でのインド音楽定期LIVEの旗揚げライブでした。 場所は、中央区警固のネパール・レストラン 「マイティガル」。福岡在住のインド文化関係の山口さん、奥さん、マイティガルのマスター、クマールさん、奥さん達が立ち上げてくれた「若林忠宏のインド音楽を聴く会:ダイ・コ・ソール」の記念すべき第一回ライブでした。 マイティガルは福岡で8年のキャリアを持つネパール料理と民芸品のお店で、若林が福岡の知人に「マイティガルで定期ライブをやることとなって」と言うと多くの人が知ってる!インドカレーとはまた違って野菜の味が美味しいよネ」と言う程ファンが多いお店。 4〜6人掛けの大きなテーブルが四つ程のこじんまりとしたお店で、月に1〜2 回のライブやイベントではテーブルを角に積み重ねて座敷や椅子のみにして30人のキャパシティということでした。 旗揚げライブだからどうにか満員の30人は集めたい、と「ダイ・コ・ソール」の面々は頑張って手作りチラシを作って配って頑張ってくれました。 若林も福岡での演奏活動を支えてくれるお友達に声を掛けました。 その結果が超満席の42名。10人近くのお客さんが立ち見となり、更に10名ほどが入れずに帰ってしまたとの事でした。 お帰りになってしまった方で、この日記をご覧下さった方、是非ご一報下さい、次回のご優待などさせて頂きたいと思います。 早速、うれしい感想文を頂きました。 「こないだのライブは,ほんと良かったです。 そんなライブに居合わせることができて,本当に幸運でした。なんたって,あの自在なチョーキングで共鳴音を引き出したり,緩急をコントロールなさる様子は,驚きであります。」LIVE常連さんより。 「肌で感じ、心に入ってくる演奏はなかなか遭遇できない中、異様とも言える不思議な雰囲気の中での素晴らしい演奏! 間近で体験させて頂きました! 入店をあきらめかけていたので声をかけて頂き本当に感謝しています。」福岡のお弟子さんより。
写真はお客さんで来て下さった市内の小学校の先生が送って下さいましたものと、ダイコソールのブログから拝借しました。ありがとうございました。
1月19日何時ものスカイマーク008便で羽田に戻り、その足で自宅に戻らずに吉祥寺の教室へ。チャメ君の大歓迎もつかの間、お約束の時事画報社さんとの打ち合わせ。 5月にアジア各国に向けて発行される「Japan+」という英語雑誌の取材です。 とは言っても今回は打ち合わせのみ。実際の取材は2月、3月とたっぷり時間を掛けて行う様です。もともとそういうお仕事の仕方で、じっくり人物を見極めて記事を書かんとしている様です。 【熱く語り合った打ち合わせ】 今回のご指名のきっかけはやはり昨年出ました二冊、日本初の「世界の民族音楽辞典(東京堂出版) 」 と「スローミュージックで行こう(岩波書店) 」 編集者さんは、若林の広い視野ながらそれぞれの国の文化や人々の感性にこだわっている姿に共感を持ってくれました。しかも「グローバリゼーション」の解釈に関しては若林と意見が一致。 更にお話は弾んで「滅び行く文化」と「形を変えて行き続ける文化」について突っ込んだ意見交換。カメラマンさんもなかなかポリシーをお持ちでした。 若林が「アメリカにだって民族音楽がある。バリ島の1980年代の新しい創作ガムラン音楽を民族音楽というならブルースの方が古い!その産床であるミシシッピー中下流はハリケーンで大変な打撃を受けたが大国アメリカの中という事で関心も理解も薄い。」と言いますと。なんとカメラマンさんの師匠はミシシッピーでブルースマンの写真を撮り続けた人。彼も師匠の手伝いで現地に赴いた事もあると、さらに話しは盛り上がり。打ち合わせを越えて充実した時間でした。 【六本木に急行】 ほんとはもっともっとお話を続けたかったんですが、その後に録音のお仕事が。 取材を兼ねて来る26日の「飲み会ライブin吉祥寺」に来てくれそうなので、続きはその時に。とお別れして、楽器を準備して六本木、アメリカン・クラブのお向かいのサウンドシティー・スタジオへ。 その辺りはロシア大使館も隣接する為、ソ連大使館の時代から警察官立寄所がある地域です。 その昔の録音の仕事で、大通りでタクシーを降りてシタールを担いで歩いていたら職質されてケースを開けさせられた事もありました。たしかに弦楽器の中でも大きいベスト5に入る楽器。スティンガー位は軽く入りそうなケースです。その割には弱そうなお巡りさん独りの職質でしたが、大丈夫ですかね。 お仕事は、作曲家岩代太郎さんの韓国映画音楽に「神秘的な中近東の音」を提供するもの。福岡から戻ると教室のポストに「ほとんどお任せ(すなわち白紙)」の楽譜が待っていました。 「中近東の笛とインド太鼓タブラ」の指定があったので、尺八の元祖の葦の縦笛「ナイ」と今もオンエアーが続くアフラックCM音楽で吹いたトルコのオーボエの「ズルナ」を持参。 吹いてみれば「アッそれ!」と言われたのはやっぱり「ズルナ」で、昨年からの「ズルナ続き」 昔から続く事が多かったんですが、言い換えれば最前線のアレンジャーさんの感性、ニーズと波長が妙に合うタイミングがあるんでしょうね。 幸いに民族音楽演奏家の真骨頂のフレーズを「良し!」としてくれた御陰でズルナはOK。その後のタブラはもっとOK。 一曲通して聴く間もなく、テスト録音がそのままOK。思わず「あれっ?この曲まるで知ってたかの様に叩けちゃいましたネ」というと岩代さんもニコニコと。 岩代さんはわざわざブースまでねぎらいに来てくれて、アシスタントの若者は若林のビデオでシタールを練習中で、しかもその楽器は若林の民族楽器屋で買ってくれたと。 福岡のマンションを朝に出てから休む間もなく、 気合いで乗り切った長い一日が報われた瞬間でした。 渋谷迄のタクシーではちょっとややこしいことになりそうな場面がありました。 大音響のラッパーの車がたまたま真横について、窓を開けてやたらに挑発してくるので、無視すれば逆にキレて、タクシーめがけて幅寄せの嫌がらせ。運良く停ってる右折車で離れた隙にタクシーを降りて歩道橋へ。 歩道橋を降りて駅に向かう途中。「ありゃあいつだ」と思えばパトカーに捕まってました。直後に何かやらかした様です。 若林も高校時代はむしろ「つっぱり仲間」に友達が多かった方ですが、現都知事の青春時代から若林の世代までの「若さを持て余した結果」と比べて今はちょっとヒステリック。 なんだか若さのオーラが感じられない。 やはりこれはサブカルチャー欠如が深刻な問題として表面化してきたんでしょう。1960年代からの世界的な未解決問題。いよいよ大変な時代に成ってくる感じです。
1月23日は誕生日の丁度一ヶ月後。「あっ!」と思い出したのが運転免許書き換えの最終期日。前回の書き換えの際は見事に過ぎてしまったので、折角のペーパーゆえの「優良」がフイになって。徹夜続きで三つの連載の原稿を書き上げ、さあやっと休憩!を取りやめて自分に鞭打って府中の自動車試験場へ。 ところが一度失効になっていたので講習が二時間。いままでずっと優良で30分だったのに.............。結局翌日講習を受けに通う羽目に。 なんだか来る度に悲しくなる府中の自動車試験場です。スタッフのおじさんおばさん達はとても感じが良いのに何故でしょう。 【新聞の連載のお話が来ました!】 連日通う憂鬱を吹き飛ばしてくれたのが、小金井の駅に着いた頃に鳴った携帯。 時事通信社の文化部の方が、若林に民族音楽との出会いを15回の連載コラムで、とのご依頼。「近々お会いして」というのでそのまま夕方のお約束をして。 吉祥寺に戻って猫さんの療法食を病院に貰いに行って急いで戻ってデニーズで。 見本で見せてもらった連載はお香についての中々面白いものでした。今は「弥生時代」についてだそうです。全国の地方紙20〜30社の毎週月曜に載るものです。 編集者さんとは初対面でしたが、一時間以上も色々お話をしてすっかり意気投合。 そういえば先日の岩代さんも、通信社の編集さんも何処となく若林の親戚さんみたいな風貌が可笑しかった。岩城さんは如何にも西洋クラッシック音楽の作曲家らしく、若林を若くして上品にした感じ。編集さんは更に文学青年っぽくした感じ。 【つながって続いてくれそうな感じが嬉しいです】 今取りかかっていて、そろそろ仕上げに掛かる児童雑誌「マンモス」の音楽特集号のスタッフさんもなんだか似たグループの人達です。レコーディングや取材のお仕事は、如何に楽しく意気投合しても、やはり一過性のもの。でも、なんだか再会しそうな「また是非何時か何処かでご一緒にお仕事したいですネ」が社交辞令で終わらない様な予感がするのは若林だけでしょうか?
と、思っていたら、編集者さんとちょっと意見がぶつかる事態に! 「まあ、良く有る事」とさらりと流そう!と思ったんですが、期待が有った分でしょうか? なんとなく引っかかって。 民族楽器の弾き方を子供達に楽しく伝える為に「イラストで」、というのは若林の意見でもあったんですが、その衣装が前時代的で.............。 「 やっぱりあれは代えて!」とお願いしたら、ご快諾だったんですが、日本の着物の話しが一言足されていて。それにちょっとひっかかってしまって...............。 でも、最終的には突っ込んでみて良かった。という結果になりました。 お互いの考え方や、気の遣い方の微妙な違いが分かって、むしろ理解が深まった様な。やっぱり一過性のお付き合いじゃなくて良い感じにつながって行けるみたいです。 と、思っていたら、早速カメラマンさんが若林が紹介した横浜音楽教室と仲良くなって、近々別なお仕事でコラボが出来そう!という嬉しいニュースが来ました。 めでたしめでたし。
翌日も朝から府中に行って。二時間の講習、居眠りもせず、しっかり受けて免許更新しました。なんだか場所は悲しい気分になるんですが、スタッフさんはほんとに感じが良い。 基本的には警察官、婦警さんなんですよね。でも感じが良いんです。府中だけですか? 講習は昔は怖かったんじゃ?という感じの婦警さんでしたが、やっぱりとっても感じの良い方。休憩中にお仕事電話で二時間目1分遅刻してしまったのは申し訳なかったです。ところが走って戻ると、廊下の長椅子で清楚な若奥さん風の人が全然臆せずメールをしてて。始まってないのか?と思った程。 しばらくして「すみませ〜ん、20分からを20分休憩だと思って〜」と言って入って来たのには仰天しました。うわあ、涼しい顔してそういう嘘をつけるのかあ? これもサブカルチャー欠如の為せる技かも。とちょっと嫌〜な気分。 講習の最後は、お決まりのビデオ。いつの間にかDVDの時代になってました。 画像も美しく、室内もさほど暗くせず。暗幕を締めていた時代は遠くなりにけりでした。 作り方も当然上手いんでしょう。ビデオにはかなりやられてしまいましたが、講習が終わる頃には新しい免許証が出来ていて。並んで待たされる、を覚悟していたら一番だったので思わずニコニコしてしまって恥ずかしかった。やっぱり府中はなんだか情緒不安定になります。 そうそう! 初めに「運転タイプ自己診断」というのをやらされたんですが、最近助手席の方が多いので、ついつい運転手さんの答えを書いてしまいました。それによると「黄色=要注意」でした。若林が車酔いし易いからかなり気を遣って下さっての「黄色」ですから、日頃は? どうぞくれぐれもお気をつけて余裕のあるご出発、運転をお心がけ下さいまし。
1月は「嬉しい」「嬉しい」ばかりですが、勿論その影には悲しいや腹立つも有りますが、やっぱりこの十年、いや三十年で一番位嬉しい事が続いている感じです。 「嬉しく思おうとする気持ち」「嬉しく思える気持ち」も強くなってきている。一時一時を大切に、感謝しながらの気持ちも強くなって来ているのかもしれません。 世の中には相変わらず殺伐とした話しが多くて、慣れちゃったり麻痺しちゃったりしないと生きて行けない時代になるかもしれません。今のうちに嬉しい事を素直に喜んでたっぷり元気になる訓練をしておかないとならないかもしれません。 そんな事を思う時、自分の子供の頃の素直だった気持ちを思い出し、日々僅かな瞬間でもそんな自分に戻れる様な気がしたらかなり嬉しいものです。 【美味しいらっきょで思い出したら】 今年のお正月は、福岡でお世話になっている大先輩からとてつもなく美味しい梅干とらっきょのお土産を頂いたので、東京でも毎日嬉しく過ごしました。 梅干はTVで「一個 数千円の!」と取り上げている様な見事なもので、干してもまだ大きな梅が、びっくりするほどフルーティー! 実は若林は、舌が肥えているでもなんでもないくせに、梅干とらっきょは子供の頃に美味しいのを食べた以後、数十年ほとんど満足せずに過ごしてきました。だからほとんど手を出さずに居たのですが、大先輩のお土産ですから「絶対美味しいに違いない!」と思えば、予想を更に越えて! 「やばい!」この先また数十年、他の梅干とらっきょが食べれなくなりそうです。 「あ〜あ! 子供の頃のあのルー入りカレーにこのらっきょが着いて来てたらなあ」 なんて最高級のらっきょからカレーライスを思い出してしまっては大変失礼ですし、 「らっきょといえばカレーライス」なんて野暮な発想!「もうお前にゃ上手いもん喰わせん!」と言われてしまいそうですネ。 数十年前に最後に食べた美味しいらっきょは、母のカレーライスに載っていました。瓶詰めじゃなくて何処かから手作りを頂いたものだったんでしょう。瓶詰めは蓋を開けただけで頭が痛くなってたのに、ほとばしる野菜の香りがたまりませんでした。 数十年振りの美味しいらっきょは。年末に頂いて、お正月にもまた頂いて、大事に大事に朝昼晩、一粒ずつ頂いていたらっきょの最後の一粒を頂いた日に、HP読者さんが掲示板に「1月10日の宝物の想い出良かったですネ」の嬉しい書き込みを下さいました。 【切なくも優しい、香りの想い出】 きっと「ちょっと涙の味もする想い出も宝もの」というところに共感して下さったんでしょうが、お返事に「なんかそんな、切ないけれど優しい気持ちになる想い出の食べ物ってありますか?」とちょっとズレた質問を返したら。さらにさらに嬉しいお返事をくれました。 幾つか上げられたいずれもが「うんうん!」と共感出来る懐かしい味。 丁度最後のらっきょを口に含んで「あ〜あ、ついにカレーライスとは別々だったな」と思っていた時だったからか「カレーライスのお肉と野菜を炒めた後、ルーを入れる前のポトフみたいな野菜スープの香り」というところに見事にハマってしまいました。 私が小学校低学年の頃の母には、毎週木曜日に定期的に出かる仕事があったんでしょう。掲示板の「ポトフの様な香り」のキイワードは「木曜日はカレーの日」を想い出させてくれました。 「そうそう!野菜と角切り肉を炒めた時の香りとも、カレールーを入れた後の香りとも違う、ほんの数分のあの香り!!」「カレーも楽しみなんだけど、そのままそのスープでご飯をたくさんおかわりしたい様な」を彷彿とさせ、私を遥か昔の木曜日の故郷に連れて行ってくれました。 今になって思えば、母は留守にする事での寂しさを子供達に全く与えない人でした。私が独り遊びが得意で、体が弱かった妹の世話も良く見た事も大きいのでしょうけど。それを分かっているにもかかわらず、毎回何かしら心配りをして出かけて行く母でした。 きっと嫌な仕事や、お金の工面などの憂鬱な事が多かったに違いないにも関わらず。「だからこそ」という思いだったのかもしれません。 木曜日以外の時には必ずプラモデルと書き置きが有りました。一番安いプラモデルでしたが、母の綺麗な字で「これを上手に作って、マリちゃんと良い子でお留守番しててネ」と。にもかかわらず、ある日台所の棚の一番上に週末の留守番用に買ってあったプラモデルを見つけて早速作っちゃった時はもの凄く怒られました。忘れもしない旧日本海軍の「イ号潜水艦」です。\300位だったかな。 「カレーの木曜日」は、たまたま訊ねて来た同級生やそのお母さんにまで「美味しい」と評判になって、後に母が出かけない木曜日になってからも、同級生達がお母さんと集まる「カレーパーティー」の日になった程です。御陰で、数家族分作る事になって、手伝わされた私もじゃがいもの皮むきが上手になりました。 そう言えば母は煽て上手でした。「お兄ちゃんはジャガイモ皮剥きの天才!」とか言われて嬉しく手伝ったものです。さらにそう言えば、大学の頃バイトしたスナックのママさんも母と似て煽て上手で「君のキャベツの千切りはかなりのもんだね!ついでに遅番の分まで切って帰ってヨ」って。その店に母が来てくれた時にママさんが千切りの話しをして、母は家に帰った後も、その数年後も思い出しては千切りが誉められた事を喜んでいました。 母は、 煽て上手なので気が合う人を煽てて気持ち良く使うことの天才でした。逆に性が合わない人には気を遣いはしても、煽てもしなければ使うこともしなかった感じです。 煽ててしまうので、しばしば身内にも不審に思われて「誰にも本心は見せない」風に誤解されてましたが、あの「煽て」はかなりに本心だったと今にして思います。良くも悪くも「裏表」そのまんま同じ人でした。 人に誤解され易かったので誉めて貰えなかったからか、煽て上手誉め上手な母のレベルで上手に誉めてくれる人が居なかったからか、母は「自画自賛」が多い人でした。子供の頃はそっちの方が目立っててなんだか嫌いなところでしたが、今になってそんな思いが良く分かります。 ルーが入る前のスープのあの香りは、その10数年後、数十種のカレーをお客さんに出す様になるとは母も私も思ってもみない頃の希少な楽しい想い出です。 母のカレーは、ルーを使わず数十種のスパイスをブレンドする本式インド料理となり、二十年近く毎日三度食べることが出来ましたが、逆にルーのカレーはご無沙汰です。猫屋敷に越して来てから自分でも何回かヴェジタリアン用のカレールーで作ってみましたが、全然違う味でした。 母にも食べさせてあげたかった美味しいらっきょを食べ乍ら拝見した掲示板へのメッセージは、こんなにも多くの事を思い出させてくれて。そして数十年、すっかり忘れていたこと、考えもしなかった事を考えてみると、色々分かる事が一杯です。 不思議ですね。文字が香りを彷彿とさせ、味が想いを呼び起こし。 そんな素晴らしい文章や、味を頂ける幸せに感謝です。 今迄「過去は振り返らない!」とか言ってましたが、人に嬉しく思い出された想い出は、やっぱり宝物。 自分も沢山の人に「宝物」を思い出してもらえる。そんな人になりたいな、と思います。
想い出の中にしっかりある、懐かしい味と香り。それを思い出すのは、ちょっと切ないけれどとっても優しい気持ちになれる。 掲示板に書き込みを貰ったことから広がった、想い出の味シリーズ。皆さんも思い出したら、是非掲示板に書いて教えて下さい。 若林もそれで又思い出すかもしれません。
1月26日は吉祥寺の自宅に近いモロッコ風カフェ・バー「ブルムーン」での飲み会ライブでした。ライブは途中に誕生会の予約のお客さんが来て中程に2時間ほど中断。何時もでしたらその辺りで「今日はおしまい」と気ままな吉祥寺の飲み会ライブですが、今日は時事画報の編集さんも来てくれて、カメラマンさんが遅く来られたのでパーティーの最中は「飲み会」に徹し、その後少し演奏して12:00近くまで居ました。 【ちょっとゆとりの一日】 先週末と今週前半は、連載の原稿締切が並んだので大変でした。ヴァイオリン専門誌「サラサーテ」学校音楽教育専門誌「音楽鑑賞教育」「教育音楽」アジア旅行・文化専門WEB雑誌「アジアウェーヴ」。そこに時事通信の十五回連載のプランを提出。学校向けの資料作成、太宰府、福島、国際交流基金の講演会プログラム作成に楽器修理が重なって。 今日の昼もそんな感じでしたが、資料のプリントに時間が掛かるけど、何時猫さんがプリンターに飛び乗って停止させるかわからないので、昼寝も買い物も行けず。 じゃあ、ということでダックスの千恵ちゃんをお風呂に入れて、日本石亀の水槽を洗って。ふたりともご機嫌です。日本石亀はこの一年でかなりに大きく成りました。もうそろそろ片手でわしづかみ出来ない程です。 【飲み会ライブは異業種交流会】 2004年にブルムーンで始めた「Life&Music」通称「飲み会ライブ」は2005年8月に福岡祖原でも始まりました。祖原は繁華街天神から地下鉄で数駅西に在る古き良き時代の福岡の風情を残す庶民的な学生街。そして吉祥寺も新宿から数駅西の武蔵野の風情を残す若者の街。 奇しくも似た様なロケーションですが、祖原はライブハウスでもあるので。チャージ制のライブ形式をちょっとくだけた感じで。吉祥寺は倍位大きいのとライブハウスではないので一般営業を主体とした投げ銭制です。 吉祥寺の「飲み会ライブ」は、座敷席に陣取ってお客さんと若林が一緒に車座になって、どんどんお話しながら「そろそろ何か弾いてヨ!」と言われて一曲弾くスタイルです。 お客さんは若林が出版、取材、コンサート企画でお世話になった方々なので、その都度初参加の方をご紹介します。そんな機会が無ければ名刺交換しないような出版社さん同士だったり、生徒さんも交えれば日頃接点のない異業種さん同士です。若林がお引き合わせする楽しくも光栄な場面です。
今回珍しく音楽を聴きに来たお客さんかと思ったらお仕事の相談というプロダクションの方も居て。時事画報社さんの編集さん、カメラマンさんも加えてかなり盛り上がり。編集さんは話題の動きの度に膨大な取材経験から思い出した話しをしてくれて、若いのに、未だにデジカメを使わず、カラー写真さえ自宅で手焼をするカメラマンさんは、先日のミシシッピの話しから大道芸で日本中を廻った話しまで。民族音楽という新境地のリサーチだったプロダクションの方はかなり参考になったと言ってくれました。
1月28日は東京に居乍らも、第五週なので教室が無く、近場の生徒さんにお手伝いを募って明日日曜日と二日に渡って教室と楽器室の楽器整理。 今日は、タブラのK君とシタールのTさんが来てくれました。随分長く作業途中になっていたタブラの張り替えの続きと、教室楽器の埃取り、整理整頓。楽器室はちょこっとだけでしたが、教室はかなり片付きました。K君、Tさんありがとう! 楽器を九州のスタジオと名古屋に送るスケジュールに余裕がある訳じゃないんですが、お話しし乍らタブラの張り替えをするのは楽しいですね。大阪で生まれ、学生時代を福岡で過ごし、今は東京のK君。若いのにしっかり物を考えている姿にホッとしました。 超有名オーディオメーカーの宣伝部でデザイン担当の優秀さはちっとも見せずに何時もなんだか不思議な質問のTさんには今日も笑わせて頂きました。 夕方は民芸品業者の、もうかれこれ15年?のおつきあいのN君が段ボールを沢山持って来てくれて。入門シタールのお支払いもあったので、K君達は「後は練習でもして好きな時に帰ってネ」と自宅へ。N君にお支払いを済ませてミーシャの消毒に病院へ。 夕方の混んでいる時間ですからそこそこ待ちました。 ところが、困った事にたった一日でミーシャの傷口は開いてしまい、開いたまま傷口が固まり始めていたので、切ってまた縫合という振り出しに戻ってしまいました。皮だけだった傷も筋肉にまで広がってしまい。再び一時間半、手術室から鳴き続けるミーシャの声を聞きました。 昨日未明の二カ所二針縫った後、若林の顔を見るなりグルグル言ってくれたミーシャ。でも、さすがに連日の「過酷な仕打ち?」に不信感を募らせているだろうと。 ミーシャは利かん坊? 我が家では母親アイーシャの次に我が強い? なんて言ったら良いか、「疳の虫」っぽい感じの。アイーシャの断末魔程ではありませんが、ミーシャも爪切りでさえ大騒ぎです。だからお医者さんは大嫌い。大変な大騒ぎ。 たとえば、教室のチャメなんかはお医者さんが「治してくれる」事が凄く分かってるので、道中鳴き止みませんが、診察台ではとっても良い子で有名です。 逆にミーシャは秋に尻尾の怪我を化膿させたばかり。大変な子として病院で有名になりつつあります。 ところがそんなミーシャが、今日も縫合が終わって若林の顔を見るなりグルグル。 しかも今日は撫でる手をペロペロ舐めてくれました。 「えっ!なんでなんで? 頑張ったのはミーシャでしょ! なんでおじさんに『よしよし』なの?」待合室で待っててくれたんだ。と思ったのでしょうか。切ない程健気です。 ミーシャはお姫様タイプなので、家では遂に皆に嫌われてしまいましたが、待合室ではびっくりする程社交的。籠の扉を開けて撫でていると色んな人が「まあ綺麗な猫さん。大きな目。もの凄い美人」とか言ってくれるのが嬉しい感じ。その前後の処置の苦痛を忘れて、まるで病院が好きな子みたいにくつろいでいます。 ミーシャを自宅に連れ帰ってまた教室へ。PCの先生W君が来て廊下で待ってるかも。W君から連絡無いなあと思ったら、K君がまだ練習中で、W君を紹介してくれたのは九州大学の同期のK君だったので、久々の同窓会をして待っていてくれました。 ただその後の名古屋で若林のプロモーションを引き受けてくれるかもしれない、楽器商の方が来る時間となって、またもW君には黙々と作業をして貰いました。 でもレッスンの御陰でイラストレーターとパワーポイントでのパンフレットや楽器写真スライドショーはかなり自由が効く様になって、2月3 日の講演会に間に合いそうです。W君ありがとうネ! ユニット必ず実現しましょうネ。
1月29日は、昨日に続いて楽器室の整理整頓。近場のお弟子さんが何人か来てくれて。あっ!山ちゃんはかなり遠くからでした。ありがとうございました。 今日も人数が集まる迄、日頃レッスン時間に話せない色々な話しをして有意義でした。 名古屋万博にも一緒に行ってくれた山ちゃんはかなりのおっちょこちょいさん。でもびっくりなのは演奏中はかなりに頼もしい。これは若林の長年の教室経験の中でもかなりに珍しいことなので、前々からその秘密には興味がありました。 加えて山ちゃんの音楽への興味、若林が色んな音楽に手を広げる理由なども話しましたが、たまたま先日の「飲み会ライブ」でも太鼓を叩くために同席してくれていたので雑誌編集者さんの語った色々な話しがたくさん引き合いに出ました。山ちゃんの記憶も加えて一緒に振り返ってみると、よくもあの短時間にもの凄い面白い話しを沢山聞いたもんだ!と今更ながら感動です。 【脳の99%に】 飲み会ライブで 編集者さんが突然「若林さんて普通の人が使わない脳を使っているんですヨ」とおっしゃった話し。人間は未知の部分が沢山有る脳の働きの中でも恐らく1%位しか使っていない。が、若林が同時に幾つもの音楽、楽器や原語を学んだり、短時間で異常な集中で練習したり、楽器を作ったり、右脳と左脳を使い分けて演奏する部分や、触覚の鋭さを指して「残りの99%の何処かを使ってるに違いない」と。だから1%の部分が疎くても良いのだ!と。 お世辞か?慰めか?とも思い乍らもこの分野の権威S教授の取材経験から言ってると聞いて納得。 で「もしかしたら山ちゃんもその傾向かもネ」と。演奏中、行動のおっちょこちょいとは別人格な点は若林にそっくり。 興味の有る事には長けていて、その他に関しては全くぼけっとしているという人なら沢山いますが、それとも違うような。若林の今迄の人生では自分を入れず、二人目。 延べで300人近く教えて来て生徒さんでは始めての逸材? 奇才? 【惚れっぽい性格?】 どんな話しの流れだったかは忘れましたが、編集者さんはまたも突然「若林さんはかなり惚れっぽいんですヨ」と。取材記者は取材対象に対して意識的に惚れようとするもの、と昔取材記者さんに聞いたことが有ったので、なんだか鋭く見透かされた感じがしました。この話しについては山ちゃんはちょっと違うっぽい。何処かでクールなところがある。 例えば、若林が山ちゃんの歳の頃「君は苦労してない感じだよネ」と言われるのがとっても嫌だったと言えば、 山ちゃんは、気にしないんだそうです。「あんたに分からんところで苦労しとるんじゃい」的に聞き流すんですと。ありゃりゃ! 若いのにクールな事で。ちょっとびっくり。 気付けば三人もお弟子さんの手伝いが来ていてもまだ熱く語り合ってしまって、こりゃいけない、と作業に取りかかりました。今日の予定を終えた後は、皆に学びたい内容のレッスンをして。久々にゆっくりお弟子さんと過ごした一日でした。
【ミーシャは今日も頑張ってます】 昨日傷口を縫い直したミーシャは「圧縮包帯がきつくてうっ血して腫れる様なら包帯を切って」と指示されましたが、夕べ寝る時は大丈夫。と、思いきや朝見たらグローブの様に腫れていて。急には引かないとは分かっていても、包帯が緩んだかどうかが分からずに、いてもたっても居られずに病院へ。 今日もミーシャの鳴き声が奥から聞こえて来て。そして今日も診察後に手を舐めてくれました。 包帯を巻き直して貰って安心して 教室の作業に行きましたが、夜戻ると腫れが引いていない。夜間診療は杉並区の組合が受けて往診となっているので慌てて相談電話を掛けました。 とても親切な当直の先生が詳しく話しを聞いて下さった後「肉球の色が同じなら明日朝でも大丈夫だろう」と。また病院連れて行かれるのか?と嫌がるミーシャを「高い高い!」と誤摩化して足を見てみれば、左右とも同じ何時も通りの梅色。 それから二時間ほど、心無しか少し腫れが引いた様にも見えます。
1月30日は「スローミュージックで行こう(岩波書店)」にご登場頂いている「大将」のお店へ今月二回目の幸せな時間をいただきに。 東京も「三月下旬の暖かさ」と言われてましたが、福岡はさらに暖かな感じ。ダウンジャケットで小走りするとちょっと熱い位でした。 【スカイマークのファンとしては】 福岡空港に着くと、14年振りに来福した昨年3月1日に近い空を見て、色々な想い出が蘇りました。ちょっと寂しいのはお気に入りのスカイマイーク・エアラインズが今月末で色々様変わりをする事。機内サービスのドリンク、お茶菓子、機内誌は撤廃されます。 「 最後のサービス」と心待ちしたのですが「何時もの」アップルジュースとキットカットが無くてちょっと拍子抜け。2月からの運賃値下げの直前だったからでしょうか? 空席も目立ちました。一番寂しいのは五つの星の尾翼マークがひとつの大きなものに代わってしまうっこと。これは2月に急に塗り替えるのではないでしょうが、徐々に少なくなっている感じです。 【大将のお店へ】 空港から大将のお店へ。大将と出会わせてくれたお友達と待ち合わせて。 お隣のビルを見上げると、お仲間のドクター夫人が。「まさか居ないだろうナ」と思って見上げたら丁度窓の所に居るのが不思議。 電話中の様子でしたから「気付かないだろうな」と思うと気付くのが不思議。 そう言えば、お正月にお店に行った時の待ち合わせの時も「意外と道でばったり会ったりして」と思えば往診帰りのドクターにばったり。 毎度毎度そう思う訳じゃないのですが、なんだか予感がするんです。「ふわ〜っ」とした感じの面白いご夫婦ですが、もしかしたら半径5m位のオーラを出している強者なのかもしれません。
年末やお正月にお会いしたばかりですが、皆さんの変わらぬ明るい笑顔に、さらに暖かくなりました。 大将の料理は、本当に何時も何時も暖かい。本物の風格と、九州男児の男気、伝統の美しさ、深みの中に、大将ならではの暖かさと、素材が楽しそうにニコニコしている様な嬉しい世界が有って。心から励まされ、色んな事をもっともっと頑張ろう!という元気。信念を貫こう!という勇気が貰えます。 【音楽のテーマが!】 大将のお店では、毎回伺う度に新しいテーマに出会います。 2005年4月に始めて伺った時に感じ6月の二度目に伺った時により確かなものになったのは「何がメインで何がハーモニー?」「主奏者と伴奏者の役割って?」という音楽家永遠のテーマでした。その答えは「それぞれが、それぞれらしく」でした。 お皿、お鉢の中で素材が楽しそうに遊んでいる料理と出会って、誰かが誰かを引き立てるなんて意識じゃ楽しい音楽は出来ないんだ、という考えに自信を着けて貰いました。それは民族音楽教室を通じて後進を指導する上でも大きな励みになりました。 その二回はテーブル席で頂き、二回目に席に着く前にちょこっとご挨拶した程度でしたが、大きな目でギロっとにらみ乍ら「いらっしゃい!」の一言でした。帰り際にわざわざカウンターから出て来て下さって見送ってくれましたが、私は緊張したままでした。 8月に伺った時はカウンター席に案内されてお話を聞くことが出来、それが「スローミュージックで行こう(岩波書店)」の最終章に書かせて頂いたとても大きなテーマにつながりました。 10月に伺った時は秋の味覚をたっぷりと。ぐいぐい引き込まれて行く大将の味の世界に守られている気持ちに似た安心感を得ました。 本格日本料理を頂く事が少なかった私には、生まれて初めての食材、料理ばかりでしたから、11月、12月と季節が移り行く毎に次々に現れる豊富なレパートリーにただただ歓喜するばかり。ひたすら美味しいものを貰って嬉しくなる子供の様でした。思えばこの頃にどんどんと素直な気持ちに戻して貰っていたのです。それは、料理の見事さ以上に暖かさと強さをたっぷり貰っていたからです。 沢山お話もするようになって、毎回聞いて学ぶ事も沢山ありました。 ところがふと気付くと、大将の包丁さばき、山葵をおろす時や盛りつけの優しい手さばきに見とれていた自分が、いつの間にか体全体の動き、全体から発せられる気、そして腕や肘の動きを捕らえていたのです。それは楽器の演奏に大きな変化を与えていたのです。 そう気付いて五感を全て開いて受け取る様にしていますと、次第に力を入れるタイミング、抜くタイミングさえも僅か乍ら感じられる様になりました。 それは楽器演奏に最も大切な感覚であり、私がお弟子さんに一番伝えたいことでした。 お正月に伺った時も、たくさんの幸せとともに多くの事を学びました。 この1月の日記の冒頭にも書きましたが、心にお土産を沢山貰って元居た世界に送り返してくれる素敵なお店である事を再認識しました。 昔からスターとか売れる音楽は、一方で庶民の代弁者でありながら、一方で夢を叶える代行者。憧れの人。ある意味で非日常的であるべき、と言われていました。が、民族音楽はそうじゃない。演奏者は非凡な努力をしなくてはならないけれど、出て来た音楽はとても日常的。 大将のお店で掴んだ確信。この世の憂さを晴らしたり、癒す音楽ではなくて、今生きている世界を好きになるような音楽。それが私が目指す民族音楽なんだと。 大将とそのお仲間、引き合わせてくれたお友達の御陰で、クリスマスから1月に掛けて、子供の頃からのちょっと憂鬱な季節がとっても暖かく励まされて続いていました。その1月も終わる30日も嬉しく過ごさせて頂きました。 大将とも随分気楽に話せる様になりましたが、大将が面と向かって私の事を言ってくれたのは今回が初めてだったかな。 「若ちゃんは人に対する興味が強いネ」と言ってくれました。 私はしっかり聞いて受け止めたいと思い乍らも、嬉しさのあまりうっとりと聞いてしまったのですが、そんな質を良く理解してくれる親友がすかさずメモしてくれていました。音楽に対する強い興味と好きの気持ちを人に対しても同じに持っている。そう言って貰いました。 大将は料理の話し「これは何をどうしたものだ」を聞かれなければ言いません。「どう?」って柔らかい笑顔で見つめて、美味しいって笑顔が出てしまうと、満面の笑顔で返してくれる。私には何時もそんなです。 詳しく聞かれる人や、後輩にはその技を全て語っているそうですが、私には料理の根底にあるものをぐいっと伝えてくれる。その御陰で貰ったものが次の日の音楽にどんどん出て来ます。 折角の最高の日本料理を頂き乍ら、皆さんに説明する言葉を聴きそびれてしまって、素材の名前もうろ覚えでごめんなさい。 今回の料理もとっても凄かったです。 きりっとした香りを保ち乍らほくほくに柔らかいカブに甘鯛が載ったお吸い物。隣の親友がお吸い物に映った甘鯛をお箸で取ろうとした程の輝き。 一枚一枚丁寧にほぐして柔らかくて甘いイカときりっとシャキっとした香り豊かな下仁田葱で寄せた「ふきのとう」の揚げ物は、「七色の味!」と思わず声が出てしまいました。 首の左後ろで感じた「ふきのとう」の苦みが絶妙!と言ったら親友に「やっぱり変な人」と言われましたから、小声の「ほら!龍角散にも感じるでしょ!」は大将に聞こえてなくて良かった。でももしかしたら「ふきのとう」のその成分は漢方薬にもあるのかもヨ。 音楽の糧をいっぱいごちそうになりました。ありがとうございました。
【福岡、九州の楽しい食べ物】 帰京の前日は、散歩がてら天神(新宿みたい?なとこ) の本屋さんで絵本を見て、てくてく歩いてふと入った百旬館というスーパー。外観はモダンですが、中は「昔ながら」の市場の嬉しい感じで「ここならあるかも!」と思ったらやっぱり有りました! 先日大先輩にお土産で頂いた熊本八代名産の「晩白柚」長崎の「あごすぼ」そして昨年の日記で「おきゅうとは深いヨ」でしばらく東京〜福岡で盛り上がって居た「おきゅうと」。移動中だったので買い求めませんでしたが、何時か東京でも食べたい郷土の嬉しい味達です。 「晩白柚(ばんぺいゆ)」はバレーボールをやや小さくしたほどの大きさもある柑橘類。夏みかん3〜4個分? でも味は大味ではなくとってもスウィーティー! 皮をお土産に頂いてお正月開けにお風呂に入れて最高のリラクゼイションを味わいました。 「あごすぼ」はトビウオ、イワシなどの蒲鉾で、つみれ色していますが臭みは全く無く野趣に富んでて美味しい美味しい! あまりの美味しさで、福岡の家で食べ尽くしてしまいました。猫さんごめん。 蒲鉾の様に板に張るのではなく、藁のストローで巻いたもの。食べる前に「タオルを絞る感じ」でほぐすと上手く取れる。蒲鉾を切ると外側がくりくりっとギザギザになってお洒落。って分からないですよネ。 若林もお友達が「タオルを絞る感じ」って言った意味が全く分かりませんでしたから。「すぼ」はストローの事を言うみたいで、今日ではプラスティックです。長崎のカマトトさんはなんて言ったんでしょう。「藁巻いて泳ぐお魚?」 そう言えば中野に売ってるらしい「おきゅうと」もまだ発見していない! 吉祥寺近くの「おきゅうと」「あごすぼ」情報お持ちの方、教えて下さい!
百旬館で見たのが「わらすぼ」だった気がして、自分が頂いたのはさっさと食べちゃって分かんなくなって。始め「わらすぼ」って書いたら早速福岡の友人が「あごすぼ!」ってメールくれたので直しました。しかも「あんた!鳴戸巻き知っとうと?周りギザギザは全国何処でも有るもんたい!」と。我ながらほんと物知らぬ奴だ!と納得。 早速またもや福岡〜東京で「あごすぼ」談義が盛り上がっています。思い返してみれば「わらすぼ」は去年佐賀で頂いたのでした。ごっちゃになってました。 輪切りの鳴戸巻きしか知らんかった。 カマトトより恥ずかしい..................。