diary 2007 July

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 6月〜7月


 音楽活動のご報告

 
 
 
 
 
 
 7月4日(水)  福岡でマレーシア音楽ミニコンサート
 













 7月4日(水) 福岡での「アジア民族音楽楽団」の六つの楽団のひとつ
マレーシア民謡フュージョン楽団「Sape」のデビュー演奏会が、なんとなんと
「福岡マレーシア友好協会」の年に一回の総会に呼ばれてのミニライブの形で実現しました。

 若林忠宏のライブを一年前に聴いてくれた友好協会のスタッフさんが、若林のマレーシア音楽ライブを「是非!」と企画してくれたものです。東京から駐日マレーシア大使も駆けつけ、友好協会の理事を兼ねる福岡の経済界お歴々、「九州マレーシア交流協会」、在福マレーシア留学生も沢山集まる場での演奏でした。

 場所は、ソラリアホテルの八階。
昨年「福岡ストリートパフォーマンス事業」で半野外演奏させてもらった西鉄天神駅構内の「ライオン広場」の上です。

 メンバーはギリギリでリハーサル間に合わなかったドラム、ベースの新規加入セミプロミュージシャン二人を除きましたが、パーカッションの由加ちゃん、吉永君が参加してくれて、マレーシア枠太鼓「レバナ」とマレーシア人が大好きな(必ず入ります)タンバリンで、楽しく演奏。

 二人は、6月3日(日)のネパールレストラン「ポカラ・キッチン」での開店記念日ライブでデビュー。アジア民族音楽楽団は同じメンバーでタイ、マレーシア、ネパール、バングラデシ、インド、パキスタンの民族音楽を演奏します。6月に初めてネパール民謡楽団「ハシッロ・バンド」で民族音楽に触れて、7月は早速マレーシア民族音楽。

 若林忠宏のアレンジは「伝統民族音楽」をそのまま形を変えずに、ギター、ベース、ドラム、パーカッションを加えるものです。なにげない自然な結果を出すには、35年の試行錯誤の知恵と経験が活かされているので、思いつきそうで思いつかない、出来そうで出来ないアレンジ。
 洋楽器を除けば「純伝統民族音楽」。その上で洋楽器が加わって「聴き易く」なりながらもオリジナルの「味」は損なわれない、というものです。

 それにしても、由加ちゃんは若いのに偉い。 
一見きゃぴきゃぴですが、気はつくし、礼儀正しいし。にも関わらずエンターテイメントが有って。ホント偉い。「明日は宜しくお願いします! 衣装はどんな格好してくれば良いですか?」と自分から訊いて来る。当たり前の様でいて中々居ないのです。

 以前、東京のホテルでの同様なレセプションで。半ズボンにサンダルで、ホテルの入り口で待ち合わせしましたところ「お客さんご入場出来ません」とホテルスタッフに言われ、キレて帰ったメンバーが居ました。その彼より若い世代なのに。たいしたもんだ!と思ってしまいます。

 演奏の後半は、留学生に舞台に上がって貰って、若林のレパートリーを一緒に歌ってもらいました。
 そしてラストナンバーは「マレーシア人と日本人に共通して有名な!」
「可愛いあの子は誰のもの」

 商工会、経済界のお偉いさんと大使を舞台に招いて、竹楽器「アンクロン」を。
若林が指差した時に「振って鳴らして」貰ってのぶっつけ本番の演奏で、盛り上がりました。

 しかし!  なんと!

 「可愛いあの子」を 会場の日本人の半数と、留学生の全員が「知らない!」

 さすがに大使は知っていました。

 大使は若林の演奏をずっと笑顔で聴いていてくれて。
留学生はびっくりした様で「日本人の人が凄いです!」と喜んでくれました。
演奏中も代わる代わる携帯デジカメで僕らを撮影。

 大使曰く「もうあの曲はマレーシアでも知っている人が少なくなりました。
インドネシアとマレーシアがまだ一つの国だった頃、日本とも友好関係が有った太平洋戦争以前のヒット曲です」
 同様の曲の「ラササヤン」は留学生も一緒に歌ってくれたのに。何故でしょうか?
ちょっと掘り下げてみる必要があるかもしれません。

 


 スタッフのヨシさん!色々お気遣いありがとうございました。また、来年の総会にも呼んで下さい!そして在福の留学生さんの集いなど、大小の機会に本日結成のマレーシア民謡フュージョン楽団「Sape」お引き立て宜しくお願いします。 ありがとうございました。

P.S.
ホテルの裏のスタッフスペースで、興味深そうに聴いていたアジア人三人。訊けばネパールから来た若者。 福岡は彼らアジア人労働者さんが住み易いホスピテリティーが東京より遥かに豊かなのだろうな、とつくづく思いました。

 同じ三人がネパール民謡楽団「ハシッロ・バンド」も演っていると言ったら、むちゃむちゃ喜んでいました。 彼らがライブに来てくれる様な宣伝がまだまだ出来ていないのだなとも痛感。

 頑張らなきゃいけません。 

 7月7日(土)  原宿でインド音楽
 








 7月7日(土) 「七夕」の夕暮れ、
原宿のちょっとはずれ、住宅街に服屋さん雑貨屋さんが進出している閑静な落ち着いたエリアにある「カフェクラフト掌」での「若林忠宏:インド音楽定期ライブ」の第三回目。

 若林忠宏のシタールと、吉祥寺「民族音楽センター民族音楽教室」タブラ科中級の小原君、金君のタブラで「北インド古典器楽」を二時間たっぷり聴いてもらいました。

 今回は防音の為に窓にハメていた板を取って、ゆっくり日が暮れるのを眺めながら、雨も降らずに長閑な「七夕」の夕暮れでした。

 日が長くなったからでしょうか? お客さんが集まるのは何時もより遅く、一部後半に満席という状態。そんな時に限って「解説」を後回しに純インド式に、黙々と弾き始めました。 若林自身は気になりませんでしたが、お客さん同士は、会話の声が気になった人も居た様です。
 ところが、前奏曲「アーラープ」の第三部辺りでは「水を打った様」に全員が「シーン」と聴き入ってくれて、その後に再び解説を加えて「アーラープ」を再現。
 
 インド音楽の演奏スタイルは、日本で初めて「定期ライブ」を行った1978年から、おそらく桁違いに様々なスタイルを提唱、実践して来ましたが、まだまだ中々定着しません。
 
 ★ホール等の演奏会では、クラッシックや邦楽を聴く様に「シーン」と聴いてくれますが、コミュニケイションは出来ませんし、解説による理解の変化も伝わりません。
じっくり聴いて下さるので「満足感」も得られ「普通」に「無難」な形です。が、それでは「理解」は進展せず、「参加型」のインド現地の楽しみ方も得られません。

★かと言って「解説重視」の「レクチャーコンサート」ですと、「感性」「感覚」と「理解」「考えて聴く」の両立が人それぞれ。「聴き慣れ親しむ」度合いによっても変わります。


 第一回目は、超満員(定員に20名もオーバー)でしたが、かなりに理想的な状況。
聴く気持ちと理解したい気持ちがバランス良く持っていてくれたお客さんに恵まれました。 正直今回「ふらっとお茶を飲みに来たけど、面白そうだから」のお客さん2グループを入れてしまったのは失敗だったと思いました。
 一つのグループに外人さんが居たので尚の事。通訳しながらの会話に夢中になられてお話が途切れない。 なので「解説から入っても無理」と判断した訳です。理想を言えば、一曲目に太鼓を入れた早い曲を演れば良かった。 インド音楽プログラムとしては逆ですが。 
 競馬のスタートゲートが開くのを待ちきれない様な「やる気満々」のタブラ奏者さんだと良いのですが、何ぶん修行中。(インド音楽の即興性は、現場での修行が肝心)

 一曲目から早い曲は厳しいと判断してしまいました。

 やはりギタリストを探して、昨年末の「第一部入門編」を復活の方が良い感じです。

 
 終演後には、いつもの様にお客さんの嬉しい感想と、励ましの言葉を頂きました。

 民族音楽センター名古屋「準備室」のTOKIO君もたくさん手伝ってくれて、金君も小原君も頑張りました。

TOKIO君、金君はその後の下北でのイベントにも同行してくれて。

リハーサルが長引き開演が送れたので、金君はリハーサル見学でタイムアウトとなってしまいました。小原君は翌朝アメリカ出張なので帰られましたが、生徒さんの嬉しい熱意に励まされます。

 ありがとうございます。

 7月7日(土)  下北沢でDJ:MOOCHYと共演
   

 7月7日(土) 原宿でのインド音楽定期ライブの後、 民族音楽センター名古屋準備室長のTOKIO君とタブラ伴奏を勤めてくれたJIK君も一緒に下北沢へ。 茶沢通りのCafe「Room」でのライブイベント「ASANTE」

 DJ:MOOCHYと若林忠宏のセッションのイベントでした。
 MOOCHY君との共演は、5月3日の福岡grafでのライブイベント「未来樹」での初共演後二回目。この間に東京と福岡で秋に出るCDのレコーディングも行われました。

 イベントの企画者のTokijiku君とも意気投合、仲良くなってNativ-Electronicaユニット「Sur-Ang」を結成。10月の原宿でのイベント「Slow-Music-Cafe」での共演。その前にも機会があるかもしれません。

 MOOCHY君と二回目のセッションは、幾つかの電気的なトラブルに見舞われましたが、やはり不思議な音楽的な「奇蹟」が起こりました。

 「奇蹟」とか「神懸かり」という言い方は避けたいのですが「偶然」とは思えない。
エレクトロニカとの共演では「不思議な偶然」が多々起こります。

 言う迄もない事ですが、エレクトロニカの演奏は、マニュアル演奏の様な「思惑」&「感覚」→「声や手への伝達」→「発声や発音」→「出た音を聞いてモニターする」→「思惑」&「感覚」の循環とは大きく違って、「思惑」&「感覚」→「スウィッチやフェーダー」→「出た音を聞いてモニターする」→「思惑」&「感覚」の循環とショートカットしています。
 若林流の解釈では、その分「感性」や「気」が反映される。

 それと「対峙」する、若林の民族音楽の演奏では、「思惑」と「手への伝達」を極力短縮し、言わば「何も考えずに反応する」事が再前提です。
 それには「古典・伝統音楽」の基礎を「手癖」にして、余計な事を考える間もなく音を出す。
 すると面白い様にDJの感覚のスピードと一致してくるのです。

 ただ、MOOCHY君のおもしろいところ、楽しいところは、
偶然、必然の様に調和した音が、その場で「どんどん進化」「変化」「育って行く」ところ。

 これはなかなかの感動です。

 
 今回、嬉しい不思議が色々
 東京の吉祥寺に35年住んでいて、吉祥寺と並び称される「若者の街」下北沢。
 そこで出逢って意気投合した若者が、やっぱりまたも九州人。

 長年DJをやっていたのが、この二年、本気で「尺八修行」に打ち込んでいるKenji君
写真家のリキ君。また新たにお友達が増えました。

 にも関わらず、中々お店が見つからない「九州人会を兼ねた飲み会LIVE」
中央線新宿〜三鷹間。井の頭線で、九州人マスターのお店を探しています。


 

 7月14日(土)  品川・大井町でアラブ音楽
   

 早いもので一週間が経ってしまいました。
 原宿「インド音楽LIVE」と下北でのDJ:MOOCHYとの共演の夕べ
 あいにくの雨でしたが、お友達の猫さんが星になった日。07年7月7日「七夕」

 14日(土)の東京は久々の本格的な「雨」
 九州はまたしても颱風による大雨。福岡でさえ雷雨。明けて翌日も雨。
さすがに「晴れ男」も「梅雨」「颱風」の季節は観念するしかない。それでも福岡の颱風が関東に来る頃に秋田。颱風・梅雨とすれ違って帰京し翌週は福岡。ちょっと「ずるい」の域に達しそう。
 九州南部のお友達は今頃大変想いだろう。丘や里山が長閑だった長崎外海や佐世保。土砂崩れも心配。

 そう思えば、雨に打たれる事も辛くはない。
品川から一駅「大井町」東急線?かと思えば、JRもベイエリアからの新線が通じてかなり賑やかになっていた。カフェ&ギャラリー「FOELD」で行われた、パレスティナ・ビールの日本上陸記念イベントで「アラブ・パレスティナ音楽」の演奏で呼ばれて伺いました。

 パレスティナは、若林にとって、アラブ諸国の中で最も縁が深い地域。
 初めて学んでLIVEで歌ったアラビヤ語の歌がパレスティナの古い映画の主題歌。「日本初」のアラブ音楽合奏団の初期の晴れ舞台の多くはパレスティナ関係。1983年渋谷「山手教会」で行われた「パレスティナ難民救済チャリティー演奏会」では作曲家高橋悠治氏、俳優の天本英世氏と共演。1985年「晴海交際見本市」では「パレスティナ紹介ブース」で演奏。1994年「WOMAD横浜」では在英のパレスティナ・ウード奏者サラメ氏と共演。

 主催は、パレスティナ・ビール輸入元であり、アラブ・地中海のオリーブを輸入されてる貿易商「セーブ・ザ・オリーブ」さん。担当の宮?さんは「ヴェジタリアンの会」やイベントもされていて、25年前に「挫折」した、若林の「ヴェジタリアン・ソサエティー」の話に感動してくれて。 ★(余談)

 しかし、今回は色々バタバタで大変だった。
本番の二日前になって「会場は小さなCafeなので、マイクは無く、何時も生で演っているのですが、大丈夫ですか?」

 翌日の秋田明徳館高校「通信科:音楽会」からも同じタイミングに同じ様な話。
会場のホールは西洋クラッシック音楽の「音響」にかなり自信のあるホールらしく「マイクなどのPAに関しては基本的に賛成しない」という方針? 貸し出し機材がないとの話。
 
 これに関しては、もう少し言いたい事があります。★(余談:2)

 「梅雨時のアラブ音楽」
演奏しているのか調弦しているのか分からない位大変です。リスナーさんが気が散らない様に調弦はさりげなく。とっても神経を使う。 そこに小さなお店に満員の「熱気」が加わり、音が吸い取られたら。かなり厳しい「条件下」となるのは目に見えている。

 早めに自宅を出て楽器店に行ってミニPAセットを一式。マイク、スタンド、MIXER、スピーカー。恐らく20kg強。それにダラブカ、ダフ、リクなどのアラブ太鼓。 背中に弦楽器ウードを背負っているのでPCは胸に背負う。総量50kgは下らない。
 
 それを雨の土曜日に電車で運ぶ。

帰り道には、新メンバーのマコ君が新宿迄持ってくれました。 新宿で受け取ってその重さにびっくり。彼にずっと持たせていたのも悪かったなぁ、と思いながらも、半分来週用にお店に置いて来ていましたから、行き道のテンション、モチベイション、火事場の馬鹿力? 一体何処から湧いたのだろう?

 この日14日(土)と翌週21日(土)に行われる

7月14日(土)/21日(土)
  タイベナイト大井町「アラブ・パレスティナ音楽の夕べ」
  若林忠宏:アラブ音楽楽団/ベリーダンスショー
  18:00〜21:00/¥3500(Palestina料理付)
  http://ivent.field-oimachi.com/

「 FIELD大井町」
   品川区大井3−2−7 リトローヴォ1F
   TEL 03-3774-2977
 (最寄駅 大井町駅徒歩7分)
   地図 http://www.field-oimachi.com/img/FIELD-MAP3.jpg

 

 21日は、新メンバー北野君に加えてwardaちゃんもサポートしてくれるのかな?
さらに。盛り上がりそうです。

「タイベ」とはパレスティナの村の名前。タイベ村との交流を持ち、パレスティナの経済力を育成する事や教育問題の改善に協力するグループが企画したイベントです。

 
 正直言うと「ベリーダンス」との対バンの話は当初は聞いていませんでした。これも数日前に初めて知って「嫌だな」と。

 急増した「ベリーダンス」
中にはとっても真面目な人も居る。昔からの知り合いも居る。でも、ほとんどは、良く分からない。
時々同じイベントで遭遇。 ベリーダンスと言えば、アラブ中近東の伝統舞踊。当然、その音楽は「民族音楽」な訳ですが、「民族音楽」を知らない。 当然の様に若林の事を知らない。 むしろ「元生徒」でプロの看板を派手に出している人の方を知っている。

 ベリーダンスは今や超人気。東京では恐らく50人以上が人前で踊っている。プロ、アマ、上手い、下手、本物、勘違いを別として。そしてその50人に50から100人ほどの生徒さんが居ますからかなりの人口です。

 若林がアラブ音楽合奏団を始めた1980年代初頭は、今でも知る人ぞ知るOさんとEさんの二人しか居ませんでした。 今日の50人の半数はその二人の元生徒さんか孫弟子だと思います。後は、縁も脈絡もなく突然アメリカやエジプトに行って始めた人かしら。

 1990年代の中程には、若林は、東京の大学に赴任した大学教授の奥さんとして来日したエジプト国立舞踊団出身の本格プロダンサーと毎月共演していたので、それ以後中々日本人とやる機会がありませんでした。使う音楽もテクニックもアラブ・トルコの本式から随分かけ離れているのにも関わらず。ダンサーさんは演奏者を伴奏者と思う訳で、そこにアラブ音楽やリズムの理解が無いと「我慢」が募ってしまいます。

★「すみません、予算が少ないのでお弟子さんか、生徒さんご紹介出来ませんでしょうか?」
という依頼。

 昔からちょこちょこあり、今でもまだある話。否、むしろ最近の方が増えたかもしれない。それは、素人さんが企画する様になったからもあり。民族音楽を「芸術的」と認知しないプロの企画者さんがいまだに多いからでもあり。「面白かろう良かろう」「楽しかろう良かろう」の「民族楽器奏者」であふれているからでもあり。

 いずれにしても。とんでもない話である。あらゆる意味に於いて、あらゆるものに対して失礼な話。 話の筋を普通に捉えれば、予算に応じた「安物」をお客さんに聞かせる。「その国の民族音楽」として。時間を拘束してお客さんの前で演奏させても「修行中」すなわち「下手クソ」「修行中」ならば「安い予算で動くだろう」。「紹介」に「音楽の中身」に対する「責任」が伴う必要はない。
 お客、演奏者、紹介者、その国、その音楽、あらゆるものに対して失礼。

 「人前で演奏したいという修行中の生徒さんに発表の場を提供してあげる」という言い方(考え方)をする方もいらっしゃる。「間違った考え方」ではない。が、予算が無い事を棚に上げて「主催者」が堂々と言う事ではない。 予算が無いと言う事は「企画力」「動員力」の問題が問われる筈。
 最大の問題点。申し訳ないけれど、今日日の趣味・アマチュアの生徒さんにそんな「意識」無い。「場」が欲しければ、仲間、友達と気楽に「ライブ」。「発表の場、修行の場は是非欲しい」そんなハングリーな意識でも状況でもない。

 「自分の都合優先」「ご都合主義」がまるで「当たり前」「普通の感覚」「自然な意見」「良く在る話」と何の疑問もなく語る人が増えて来た。 

 と言いながら「矛盾だ!」「ニュアンスの問題じゃないか」と言われてしまえばそれ迄だが、
「予算は少ないけれど、是非若林さんに!」と言われてしまえば、無理してでもお引き受けしてしまう。
もちろん、電話でお話しして「何か」感じるものがあるから。
 

★ 余談:2 

西洋クラッシック音楽
 その昔は王族、貴族の「室内楽」「サロン」で5人から10人ほどのリスナーさん相手に同数の演奏者が演奏していた。 例外は「教会」でのミサ音楽。 巨大なパイプオルガンや大合唱。PAの要らない音量があった。
 ところがイタリア・オペラの大衆化、大型化に影響されて、安い料金で大勢に見せる、聞かせる「西洋クラッシック音楽」が生まれた。言わば「薄利多売」の原則に則ってオーケストラという「大音量」のアンサンブルが生まれた訳で「音響に自信」があると言うならば、それはオーケストラの場合。
 「弦楽四重奏」で、マイクを使わない!というならば「サロン」で「厚利少売」で行うべきなのは明白。
 北インド宮廷サロン音楽で確立したシタール演奏も全く同様。
20畳前後の床、天井、四面の壁が「大理石」のサロンでインドシャツの薄着のリスナーさんならば「是非マイク無し」で聴いて貰いたい。


 

 7月15日(日)  秋田で初演奏会
 






 九州に通い出す迄は、東北地方が全国で一番ご縁が有りました。自分で赴いている九州ですが、演奏依頼の数を考えたら、東北地方とほぼ同数なのかもしれません。特に福島県からのご依頼が多く、次いで一時集中した岩手県。宮城県は数回、山形県は一回。青森県はお話は数回ありましたが実現せず。秋田県は今回初のご依頼で、そして無事に実現しました。

 東北新幹線は、数年前に岩手県北上市を二日連ちゃんで日帰りした事で一気に親しみを感じる様に成りました。
 福島から切り離されて西の山中の路線を行く1992年開業の「山形新幹線」と岩手盛岡から切り離されて西の山中を行く1997年開業の「秋田新幹線」の三本に分かれています。

 秋田へは、地図上では北上から西の山中に向かう路線。若林も行きました、秋田との県境「ほっと湯田」がある路線の方が近い気がしますが、盛岡の方が大都会だからか? 
 盛岡からですと、秋田側に入って一旦南下して、その名も「大曲駅」でスウィッチ・バックで方向が逆になって秋田に向かうので、遠周りの感じがします。

 この日、若林が東京を出発した後に東京を颱風が襲った様です。関東から右折して太平洋に抜けた後も、風は収まらず、新幹線は奥羽山脈を超え「田沢湖」辺りで「強風の為徐行運転」
 確かに「開かずの窓」の外では木々が猛烈な風を受けてたなびいていました。
 しかしカーブでの徐行は、今にも横転しそうな位に斜めになって逆に不安でした。

 山形新幹線の経験では、風でもないのに、山中は徐行。民家の庭先も徐行、在来線と同じ線路なので在来線の通過待ち、など意外な路線で、徐行と蛇行で「電車酔い」しましたが、秋田新幹線の「田沢湖周辺」の本来のスピードはどうなのでしょう。 
 超徐行運転で、しっかり「電車酔い」しました。

 秋田明徳館高校「通信科」に呼んでいただいた「芸術鑑賞会」「民族音楽コンサート」です。
一時間に「一本」なので「カモシカとぶつかると遅れます」と言われていたので、余裕の一本前の列車に乗りましたが、颱風のお陰で「ギリギリ」

 開場を15分送らせてもらって、本番も7分ほど短縮してどうにか。会場に着くや否や、らしからぬピリピリのバタバタのセッティング。長閑な「初秋田」は消え去りました。

 「通信科」は「定時制」同様世代は様々。ツッパリ兄さん、茶髪お姉さんも居ましたが、他県では考えられない程まじめに聞いてくれました。

 「ああ!秋田だぁ」とほのぼのする校長先生の温かな紹介の言葉の後、第一部は40分たっぷり「北インド古典音楽」シタール演奏をじっくり。少し太鼓タブラのデモ演奏をして、5分休憩。

 第二部は、学生さんをステージに30名程上げて、アジア、アフリカ、カリブの打楽器を手に取って貰ってそれぞれの「奏法」を考えて貰ったり、合奏したり。

 さすがに往復八時間取られてしまうと、忙しい時期にはのんびり出来ないのが辛いところ。お昼のお弁当の美味しさから想像するに、かなりお食事が美味しそう。

 またゆっくり伺いたいです。

 ★明徳館高校さんから写真を送っていただきました。ありがとうございました。

 7月17日(火)  Ancient-Future-Music「柘榴(Zagros)」
   

 6月17日(日)赤坂のCallowayでの民族音楽センター九州Produceイベント「Tetra-Ptera」でプレビューし,翌々日、親不孝通りの「Bingo-Love」でデビューSolo-Liveをむちゃむちゃ楽しく、そしてFriendly-Lovelyに行った、Vocalist Leilaniと若林忠宏のデュオ「柘榴(Zagros)」。

 VooDooLoungeでボギー君が主催するライブイベント「Lounge-Sounds」に初登場しました。


 この日は「Lounge-Sounds-Special」と銘打って、プロ、セミプロ主体の日だったらしい。 振り返れば若林もLounge-Sounds三年目。十数回お世話になって居ます。その中でも色々と「初めて!」が多い記念すべき日でした。

 ライブイベントの「明暗」? それとも「吉凶」?
お客さんは「お目当てバンド」を見たら帰ってしまう。もしくは他のお店のライブをハシゴ? 出演者も出番直前に来て、演奏終わると帰ってしまう。それではイベントのカラー、コンセプトが確立しないし、輪が広がらない。東京でも福岡でも同じ。

 ところが!
この日はお客さんも帰らないどころか、若林も含めて出演者がみんな最後迄居る。
なんとお仲間のミュージシャン迄もがわざわざ聴きに来てくれて。

 若林の提案で「カーテンコール」迄出来ました。 そして若林も初めて「打ち上げ」にまで参加。 凄く楽しかった。そして、この日でユニット一つ、メンバー一人決まらなかったバンドもメンバーが決まり。その他にも嬉しい事、不思議な事、感動的な事がたくさんの忘れられぬ夕べとなりました。

 Zagrosは、三回目のライブ。 毎回レベルを上げていますが、この日は最高潮
お客さん、お仲間の評判も最高。 プロデューサーのボギー君「大好きかも!」
若林が福岡に来てからずっと応援してくれているBさんも「凄く旋律が良い! 歌詞もとっても伝わって、染入る」などなど........。紹介しきれない嬉しい言葉をたくさん貰いました。

 Zagrosと同時期にスタートしましたユニット影絵(Silhourette)のVocalist野口ジュンさんが聴きに来てくれました。「柘榴」と「影絵」は様々な意味で好対照。忙しくても、無理してでも聴きに来て欲しかった。 でも、忙しさを分かるが故に無理言えず、誘わなかった。なのにちゃんと居る! 嬉しかった。Cunata&Wakaでコンビを組ませて貰っているDJのCunta氏も忙しい中駆けつけてくれました。 ありがとうございます。

 ★(追記)
 この日、ベースが決まらなかった福岡20個目の楽団、エスニック・フュージョン楽団「Reng」のベーシストが決まり、Rengのスタートが決定しました。
 福岡で面白い音楽を追究しているミュージシャン、音楽ファンには名を挙げれば「なるほど!」と言われる面々。 ギターの久米さん、ドラム&パーカッションのCHANG君、ヴァイオリンのウエポン、サックスの吉田主税君、若林の民族弦楽器&打楽器。
ベースが決まれば直ぐにでも! 
 ところが中々決まらなかったのですが、吉田主税君参加のこの日の一番目の出演楽団のベース、山口純二君が参加してくれる事になりました。

 その山口君の親友でもある、DJの若松君とは、福岡に通い出した頃からの顔見知りで、若林の方が一方的に若松君独特の温かさに注目していました。
 DJのコラボレイションに関して若林には四つほど異なるコンセプトがあるのですが、その内の一つ「Drum`n-Bass」とインド楽器とのコラボ「Drum`n-India」の相方として希望。お友達に連絡先を頼んでいたのがなかなかつながらなくて。
 それが同じこの日にお客さんで来てくれた若松君と再開。「Drum`n-India」が結成されました。

 ドラマーのミズマン君ともお友達になれました。
パーカッションEnsemble「Dum-Dum」の重鎮であるパーカッショニストのCHANGも二つのバンドに出演。その一つのピアノ弾き語りのハンちゃんは、懐かしい2006年アジアマンスで出番がお隣。覚えていてくれました。
 
 CHANGに紹介されてびっくりだったのが、大分から来た兄妹のアイリッシュ&中世ルネサンス風デュオBAO-BABの二人。
 何と1978年吉祥寺に日本初の「民族音楽ライブスポット」を始めた頃の音楽仲間。カテリーナ古学合奏団の松本兄弟のお兄さんの息子と娘と聞いて感激!

 Jr.と同じステージというのも奇遇であり、歴史を感じますが、個人的な感動は、お兄さんの松本未来君が1978年当時のお父さんにそっくりな事。
 若林も1980年代後半一時「カテリーナ」に在籍させてもらっていた事もあるのですが、その後コラボはなく。若林の中では「オヤジ」に変貌(?)した松本氏は想像出来ない。
 きっと本人に再開して「えっ! どなた様?」となりそうで、息子さんの方が「おっ!久しぶり!」の感じなんです。

 そんなこんなで不思議な一夜

 若林も珍しく3:00AMまで打ち上げに参加しましたが、他の出演者はHasta Mananaだったとか。

 

 ★ 若林が何故、身を削って20楽団もやっているのか。
それを感じてくれる人。心で分かってくれる人は、全然違ったリアクション。

 「参考」に音源を聴いて貰う事は出来るけど。その時の空気、心、お客さんの前で形になった音、その実体験はその場に居なくては分からない。そしてそれを共有出来たかどうかは、大きな違い。

 分かって欲しいのに分かってくれない。分かっているのに動いてくれない。分かっているから動いてくれる。変われる人、変われない人、変わらない人。変えられる人。変えられない人。流れる人。流される人。創る人。作る人。使う人。使われる人。

 大好きな人たち、みんなが分かってくれたら嬉しいのだけど。 本人が分かって居ないから、段々離れて行く人。付かず離れず居てくれる人。時期が来たら一緒に出来るって確信が感じられる人。その時期が「今」って分かる人。分かってくれる人。
 そんな事が、見えているもの同士が感じ合える、不思議な「波動」「時」「機運」

最近特にそれが強いからか、出逢った時に通じる部分が多くなりました。

 7月18日(水)  福岡でチャチャチャ楽団デビュー
 




 チャチャチャ楽団「Charanga-Langa」遂にデビューLIVEしました。

 福岡を代表する西洋クラッシック音楽の名ベーシストさんご紹介の久留米市民オーケストラのコンマス柴田さん、若手の久保頭さんの生粋のクラシックViolinに、アイリッシュFidlerの啓太君、知る人ぞ知る門司のピアニスト中村明子さん、小倉ヤマハ講師の甲斐 泉さんのフルート、アマチュアではトップクラスのベーシストavan君に、JAZZドラマー木下恒治さんご紹介の音楽への情熱最高の宮崎人Vocalistばーちさん。若林ラテン楽団のおなじみパーカッショニストのMAMI-TAちゃんとMONGO君。新加入の啓太君がリハーサルが間に合わなくて、でも客席で応援してくれたので若林入れて10名全員が親不孝通り(正確には一本渡辺通り寄り)のLIVE-Houseの老舗「VooDooLounge」に集合!
 イベント「Lounge-Sounds」でデビューLIVEを見事、ご好評!最高のノリでむちゃ楽しく飾りました!

 直前に多忙なピアニスト橋本君がチャチャチャ楽団「Charanga-Langa」から若林の四つ目のラテン楽団Puertorican-Salsa-Roots楽団「Boogala-Bomba」に移籍し、急遽レギュラーになってくれた中村明子さんが加わって再度リハーサル。

 若林のティンバレス弾き語りも含めパーカッション陣は、リハーサル0回〜1回。
若林のチャチャチャ用特性小型ティンバレスにカウベルが揃ったのは当日午後。
 サウンドチェックの後に近所のスタジオでさらってやっと間に合わせたという楽団です。

★二枚目の写真はお客さんで来てくれたお友達胡多郎さんに頂きました。ありがとう!

 が、何とも楽しかった。
西洋クラッシック音楽の良いところ取り。意外にハーモニーは和声学的に見てもキューバならではのハイセンス。ウッドベースが良く似合う。
 フルート、ピアノのソロ廻し。ヴァイオリンのオブリガート。

 男性JAZZMANが管楽器アドリブソロを吹き捲くるキューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」やPuertorican-Salsa-Roots楽団「Boogala-Bomba」Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」とは対照的な「華麗」「可憐」な世界。

 お客さん、音楽仲間、プロデューサーにもとっても好評でした。

 「民族音楽としてラテン音楽の歴史的考察とその常時的な具現」
という民族音楽センター若林忠宏としてのコンセプトは結構「マニアック」
チャチャチャ創世記の名曲にこだわって、オリジナルのアレンジをベースラインまで踏襲しようという気概です。

 E.ホリン楽団、オルケスタ・アラゴンと同じイントロが出て、我ながら日本人離れしたVocalが重なった辺りでは、自分で「感動」してしまいました。

みなさん!
 ありがとうございます。御陰さまで!!
また「やりたい事」をステージの上で示す事が出来ました。

 きのつね♪さん Bashwantiさん ボギー君 ありがとう!

 「畑違い」から来る「演奏」「音楽」への認識違い誤解の問題点も含みながら、
若林忠宏が東京〜福岡往復な上に、福岡のトップクラスのメンバーを抱えているのでBookingがままならない、などの問題もありますが。

 ここまで好評で、良い味のチャチャチャが出来るのですから、大事にしたいですし、活躍してもらいたいです。

 メンバー、ファン、イベント関係者の方々。今後とも宜しくお願いします。

 7月19日(木)  大川市で初LIVE
 





 福岡県南部の大川市にあります「アジアンキッチン・タージ」で初ライブ
 楽しかったですし、とても嬉しい出逢いがありました。ありがとうございました。

 ライブのご相談を始めたのは一月の下旬。 三月に是非やらせて下さいとお話しましたが、郊外なので集客をじっくりやりたいとのお話。半年掛りで実現しました。

 タージさんは、知る人ぞ知る「伝説のカレー屋」さん。
元々繁華街天神親不孝通りにあった人気のお店。しかし同じビルの風紀が乱れて来た為に郊外の大川に移転。 それからも「味が忘れられなくて」通うファンが耐えないと言うお店です。

  二月当時は民族音楽センター九州のスタッフだったtongue303君が担当になって細かな事を交渉してくれて、ライブ当日の電話連絡まで、しっかりやってくれました。
 「一国一城の主」であり「伝説のお店」です。失礼が無い様、しかし臆する事無く良い関係でお客さんに極限迄高めた音を届けたい。
 気概と期待で西鉄線に揺れ、タクシーを飛ばし。(単にタクシーの運転手さんが次の予約まで時間が無かったから)電車酔いに車酔いしましたけど、周囲一面緑の田園地帯に着いた瞬間元気になりました。
 有明湾から北上し、北には福岡市、飯塚、小倉、と工業、商業地帯が、まるでシカゴ、デトロイトの様に位置する。筑後川はまるでミシシッピ河の様と4月20日の日記

 

http://www.musiqageet.com/2diary/diary-page/diary-april07.htm#oohashi

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=409525528&owner_id=327576

にも書き、そこで「大川はバトンルージュ」と書いた町です。 
 店先の広いベランダは正にBluesマンが弾き語りした様なご機嫌なテラス。

 おっと、インド音楽の演奏で伺ったのでした。
西鉄車両内で合流したタブラの生徒さんY君。 さらに南、福岡県最南端の大牟田から来てくれたタブラの生徒さんの伴奏で、インド音楽をじっくり聴いてもらいました。

 さぞや気難しいマスターかと覚悟をしていれば、古賀さんはなんとも温かい素敵な人。
親不孝通り時代はご自分で全て作っていて、大川に移ってネパール人シェフに任せる部分があってもその基本は「ジャポニカ米に合うカレー」。若林のカレー屋と同じコンセプトでした! しかも「世界最高のマサラはSBカレー粉!」でも意見が一致。
 若林の九州通いのきっかけのひとつ「小倉での演奏会で出逢った元羅宇屋ファンさん」の話も、「親不孝通りから移転しても尚、通ってくれるお客さんの存在に励まされ」の言葉と繋がりました。
 吉祥寺の丸井の裏を20年動かず、三年目に風俗店が出来てから赤字続きだった話に共感してくれましたが、古賀さんは「味」若林は、当時珍しい「音楽」
 もし若林に「音楽」と「味」の自信があったなら、場所を代えて居たかもしれない。「ラオヤカレー」は未だに「また食べたい」と言ってくれるファンが居ますが、古賀さん程の自信は無かった。その至らなさを今更ながら痛感しました。

 とても嬉しいお友達が出来ました。 否、大切にしたい仲間。
ともに成長し合える素敵な友人です。

 ライブの前に、お客さんひと席ずつご挨拶をしました。
素敵なご夫婦のご主人は若林を前から知っていてくれて、愛用ブラジル・タンバリン「パンデイロ」に「後でサインを!」と言ってくれて。
 久留米のブルースバンドはメンバー全員&お友達で来てくれて。演奏前に話し込んでしまいそうになりました。
 
 じっくり30分「純古典」を独奏で聴いてもらう前後は、敢えて解説なし。その後は、得意の「若林節」。そのコントラストが受けたり、今迄福岡市内のライブでは楽団がメインなのでMCを聞いた事がなかったというファンの方にも大ウケ。

 ブルースバンドの面々は「シタールの一弦はチャックベリーの一弦と同じ位太いので」にウケてくれました。

 お客さんとのお話やお見送りについつい時を忘れ、西鉄の終電を逃してしまう程。
楽しい充実の夕べでした。

 みなさんありがとうございました。

 「定期的に」のお話、ほんとうに嬉しく思います。
是非、じっくり広げて行きましょう。宜しくお願いします。

 

 7月21日(土)  品川・大井町アラブ音楽-2nd
 












 品川・大井町のカフェ&ギャラリー「FIELD」で行われた、アラブ・パレスティナ「タイベ村産ビール紹介イベント」でのアラブ音楽演奏の二回目。

 この日も楽しく出来ました。
 なにしろ前週の「土砂降り」に対して、良いお天気。
太鼓はキープ、機材は秋田から宅配便。 大変「らくちん」で到着。
 しっかし。 太鼓バッグは「猫さんおしっこ」が在ったらしく。
ビニール袋に居れて「店外」に置かれていました。 悲しいやら申し訳ないやら。

 吉祥寺教室の10年選手、竹内さん、活躍している音楽家でありながら若林を師と仰いでくれる北野君のアラブ太鼓に若林の歌とアラブ弦楽器ウード。
 東京音楽大学付属民族音楽研究所のダラブカ講座受講生さんも三人来てくれました。
 もり上がりました。

 第一部と二部の間のお客さんとの歓談で
 10年振りくらいで一緒に演奏会に来た、従姉妹と「同じ場所!」で
「あっ!これって!」って反応したのにびっくり。

 「日蓮宗、お会式の太鼓のリズム」とそっくり、とおっしゃった。

 別なお客さんが、別な曲の
 東北盛岡の「黒川サンサ踊りのリズム」にそっくりとも

 別々のお客さんが別々の曲に対して。
 アラブのリズムと仏教日蓮宗のリズムと黒川の神社の踊りのリズム
 
 脈絡も何も無い?

 意外に日蓮宗が盛んだった盛岡と、シルクロードを経てアラブが繋がっているのかもしれません。

 1985年8月 「打楽器奏者たちの夏の世の競演「天真爛漫」
と題された、身延山「久遠寺」で初めて催された、日本でもおそらく初の「太鼓・打楽器」だけの祭典。
 吉原すみれさん、田中みどりさん、林英哲氏、韓国舞踊の趙壽玉さん
そして若林忠宏。プロデューサーは小室等さん。
 
 静岡と山梨を結ぶ長閑な山道をバス〜リハーサル〜前夜祭の盛り上がり
で、ゆっくり起きた宿坊で「夢うつつに聴いた内輪太鼓の大合奏」
 
 もしかしたらそれが「しみ込んでいる?」

 それじゃあアラブ演奏家と共演出来ない訳で
「君のあのリズムちょっと変だよ」とは言われていない。

 不思議なものです。

 否、 これはとっても「啓示」的な感じがしました。

 「日本」「仏教」「神道」

 「シルクロード」「ヒンドゥー教」「イスラム圏の文化」
 「スーフィズム」

 「シャーマニズム」

 この数年、考えていた事、 気になっていた事。

 そして「感じていた事」

 それは九州に通う様になってとても強くなっていました。

 「導き」か「必然」か身延山から15年後

 2000年4月の「お花祭り」で「声明とインド音楽の共演」
 そのリハーサルは池上本門寺さんでした。

 大井町からも遠くない。
 そのお客さんが「お会式の太鼓を聴いたお寺」さんです。

 
 自分の中で「日々の目先の課題」に追われながらも
 確かに動いていたもの

 それが形に現れる「時」を示唆する
 不思議な「言葉」を、その日 同じ時間に
 異なる人々から、異なる話題で聞きました。

 近々、それは「音楽」の形になって現れる事と思います。

 
 7月26日(木)  代々木で音楽院のイベントに参加
 






  7月26日(木)
 代々木のポピュラー・ミュージックSchool「muse音楽院」のイベント
「Artist-Village-Festival2007」通称「サマフェス」のメインステージに出演しました。

 メンバーは「半分」でしたが、
 「民族音楽フュージョン楽団 TIKA」の記念すべきデビューLIVE
 若林忠宏15年ぶり? 否、20年ぶりの「民族音楽フュージョン楽団」です。

 今日の福岡での25楽団程ではありませんが、東京でも自分のライブハウスを中心に「純民族音楽楽団」「フュージョン楽団」を12楽団やっていた時期があります。
 もう15年〜20年前になりますが。

 いずれも、しんどかった。
 インド音楽の生徒さんに半ば無理矢理「アメリカ音楽」「中南米音楽」
 サルサが好きというメンバーに「ソン」や「クンビア」。。ジェンベが流行る前、リンガラが廃れた頃に「アフリカ音楽」イカ天の前の時代にアコーディオンを弾いていたのは若林楽団位なもの、1980年代初頭です。 コバ君さえも日本に帰ってなかった筈。ヨコモリさんしか居なかった位な感じです。古道具屋さんでアコーディオンを見つけて、修理はお茶の水と日暮里でしかやってくれなかった。 アジア・アフリカ民族音楽ファンにも西洋音楽ファンにも「敬遠される」ヨーロッパ民族音楽、ギリシア、アイリッシュ、イタリー、フラメンコ以外のスペイン。

 時代に「逆行」「早過ぎた」???

 それがやっと今、福岡で出来つつある。 それが今日、初めて東京でも「再開」
記念すべき日となりました。

 「民族音楽フュージョン楽団 TIKA」の屋台骨は、SaxとTromboneという若林が「しない」「管楽器」を中心とした「オリエント〜バルカン」の民族音楽を「その命」を残しながらの我ながら「名アレンジ」

 今日は、Saxのフルトラマン君が仕事を無理して来てくれた。 作曲家の北野君はギターVocal、竹内さんのダラブカ、TongKung君のタブラ。
  Bassが居なかったのは厳しかったですが、雨が降り出す30分ほど前の、不思議な気圧の炎天下の代々木公園で、なかなか楽しい「野外ライブ」でした。

しかしながら、寝不足に炎天下でビール飲みながらのライブ。その後に雨に打たれながら明日の機材を広尾に運んで。 帰宅後は、ちょっとグロッキーでしたが、楽しかった。

  東京のエスニック・ファンにはお馴染みの「代々木アースフェスタ」
ここ数年はご無沙汰です。久しぶりの代々木公園のフェスティヴァル。大好きな夏を満喫しました。
  朝飯も食べる間もなく、代々木へ。TongKung君がデザインしてくれて印刷が上がった教室チラシを宅配便センターに取りに行って。
 なので、着くなり「ビール&ヤキソバ」 お肉が入ってなくて助かりました。

 


 「代々木公園でヤキソバを焼いて40年」
  ソバも人も「いい味出している」おじさんのところで。鉄板が..........ありゃあ15cmは湾曲してへこんでましたね。 凄かった。 お隣のショップでは¥360ですが、おじさんの¥500には「歴史」がある。 お昼も過ぎたというのに、今日初めてのお客だった。「安かろう良かろう」じゃ駄目だよ!
  明日の日本の音楽文化を担う若者達が、「真贋」を見極められない様じゃ困ります。

  って「ヤキソバ」で憤ってもしかたありませんが。

 TIKAの前の前のバンドは、三味線、尺八、お筝と歌謡曲風女性歌手。
「う〜ん」

 TIKAの前のバンドはMCさんの興奮の紹介によれば「アフロキューバのポリリズムを巧みに取り入れたラテンポップスバンド!」

 メインステージはプロのゲストばかりの様でした。

  でも...................。「8ビート」にしか聴こえなかった。
トランペットのお姉さんは、かなりハイトーンを頑張っていました。ソロVocalのお姉さんはかなり自信満々。 コーラスのお姉さんは何故かタンバリン。 それにパーカッショニストが三本束ねバタを叩く。 でも「8ビート」
 最近のサルサの傾向らしい。 むしろ「最先端のリズム」なのかも........。

 「う〜ん」

  でも、メンバーさんPetとVocalさん除いて皆さんTIKAの演奏を最前列で聴いてくれていました。ありがとう!

  学生さんもどんどん集まって来てくれて。 嬉しかった。

 終わって舞台袖に引き下がると、ラテンバンドのベースさんがわざわざ挨拶の為に待機してくれていました。

   そこそこのおじさん..............。 は可哀想か........。 おじさん手前のお兄さん。
嬉しそうに「良かったです」「っていうかお久しぶりです!」とおっしゃる。

 なんと15年ほど前に、若林のラテンバンドでベースを担当していたのだと。
当時は学生さんだったと。 !!!!! 
笑顔に「面影」がある位。 名前は覚えていましたが。

「う〜ん」

 「若林さんのバンドで初めてラテン音楽を知り。それがきっかけでプロのラテンベーシストになって今があります」と言ってくれた。

そこそこ売れているらしい。  

 僕は、相変わらずですけど。  

   そうそう!  焼きそばのおじさん「超大盛り」にしてくれました。 

   ありがとう!

   学生さんの二人組はブースにまで来てくれて「若林さんの本いっぱい持ってます!」
「ぜひ学院のワーク・ショップにも行きます!」と言ってくれました。
 
   ありがとう!

    フルトラマン君、炎天下お疲れ様。 TongKung君、竹ちゃん、マコちゃん
ありがとうございました。

 池袋の講座の受講生さんの「うさこ」さんもご主人と来てくれました。感想を伺えませんでしたが、

仲良くお二人並んで、ニコニコ聴いていてくれたの、舞台から良く見えていました。

 ありがとうございました。

   東京でもやっとスタートです。

 7月27日(金)  広尾でトルコ音楽LIVE
   

 7月27日(金)は、「若林忠宏民族音楽小紀行」広尾:Cafe-Frontierの八回目「トルコ民族音楽特集」でした。
 このイベントもあっと言う間に、八回目。2006年11月からスタートして12月はお休みしましたけれど、毎月「最後の金曜日」

インド音楽(11/30)〜アラブ音楽(1/26)〜
アフリカ古ポップス(2/23)〜
ギリシア音楽(3/30)〜アフガン音楽(4/20)〜
キューバ音楽(5/25)〜ベンガル音楽(6/29)

と世界をあちこち。
 そして今回トルコ音楽(7/27)の後は、
パキスタン音楽(8/31)〜ネパール音楽(9/28)〜
マレーシア&タイの音楽(10/26)〜
インド音楽(11/30)〜
カリビアン・クリスマス(12月28日)

と続く予定です。

 トルコ音楽は、若林忠宏にとっても思い入れの深いジャンルです。
1972年インド音楽からスタートした「世界の民族音楽探訪」インド音楽の有名な弦楽器シタールの母方のルーツを「ヒンドゥー寺院音楽」とすると、父方の音楽は「シルクロード・西アジア・イスラム文化圏の遊牧民民謡と宮廷音楽」で、シタールの棹の長い個性は、シルクロード系弦楽器「タンブール」の血を引いているから。
 そうと知ってから憧れの地となったシルクロード音楽。

 トルコ共和国の民族音楽は「シルクロード系音楽」と「アラブ・ペルシア音楽」を吸収した音楽に分かれます。
 前者は「トルコ人がその故郷シルクロードから携えて来た民謡」後者は、西アジア・オリエントの覇者となった「セルジューク」「オスマン」二大トルコ帝国が、各地の古典音楽を吸収し、さらにイタリア人、ポーランド人音楽家を帰化させて西洋クラッシック音楽の要素も吸収した古典音楽。そして「準国教」的に優遇された「スーフィー神秘主義」の儀礼音楽。

 若林が感動し、嬉しかったのは、前者をトルコ人が「テュルク」と呼んでいる事です。「テュルク」すなわち「トルコの」と呼んでいる事です。

 この「感覚」はシルクロード全域に見られます。
「オアシス都市」を「点と線」で結んだ様なシルクロードには、様々な東西文化が入り乱れて混在し、互いに影響し合い、多くの「融合」「混合」の文化が栄えました。そn中に於いても「民族の個性」を認識し守っている姿には「融和とアイデンティティー」のバランスにこだわる「凛とした」民族意識を感じます。

 「真の国際交流「真の国際理解」は「自国固有の文化をしっかり持ってこそ」

という考え方を「肯定」「証明」してくれる感じがします。

 トルコ語と日本語は様々な点で似ていると言われます。
「語順が同じ」「山の頂きをテッペン(テペン)」と言う。
「水」を「ス」と言うなどなど。

 同じ様に日本と深い関わりをもつ「韓国・朝鮮半島の人々と文化」
6月の「雅楽との共演」のライブレヴュー日記に書きましたが朝鮮半島音楽家が伝えた「音楽用語:ノリとソリ」
 沖縄以上に「民族性」と「生活に生きる民族音楽」を持っている「韓国・朝鮮半島」

 若林は「韓国・朝鮮半島」のリズム感に中国の数倍もの「シルクロードのリズム感」と「緊張感」を感じます。

 奇しくも、韓国雅楽でも、中国伝来の音楽要素には「唐〜」
朝鮮半島オリジナルには「郷〜」という冠詞をつけます。

 韓国・朝鮮語の「郷(ヒャン)」とトルコ語の「テュルク」は
いずれも「邦楽」という言葉なのです。
 これはトルコ民族音楽と関わりの深いギリシアでも「ディモティカ」
「邦楽」と呼ばれます。

 ギリシア民族音楽が「トルコ音楽」の強い影響を受けているのは「事実」ですが、かなりに誤解もあります。
 そして「テュリュク」に関しても日本の研究者はかなりに誤解をしています。

 その事を更に学ぶに実に嬉しい応援者さんを得たのも、今回のライブの大きな収穫でした。

 ライブは、最近のマイナーな地域のライブにしては少し多めの30人前後。「アフリカ」「アラブ」「キューバ」に叶わないところが、ちょっと悔しいですが、それでも楽しく盛り上がりました。

 お客さんの中に「トルコに住んでいた」「旅行をして想い出深かった」と言う方が数人居て、みなさんが「懐かしかった」「あの感じが東京で味わえるなんて」と喜んでくれたのが嬉しかったです。

 広尾:Cafe-Frontierの空間の響きと、民族楽器の音色、若林忠宏の声質は非常に相性が良いのも嬉しいとところです。久々にトルコ発声を思う存分しましたが、後半はホールなら100名は入るだろうスペースでマイク無しで歌いました。

 インド音楽のお弟子さんなのにJIK君はこの日も駆けつけてくれて。帰り道には嬉しい感想メールが届きました。 お仕事が大変なwardaさんも来てくれて。ほぼ皆勤賞。日本のアラブ文化の大家のご令嬢を連れて来てくれました。

 嬉しい可愛らしい四歳のお客さんは、なんと「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)の編集さんの息子君。「JICA地球広場」の所長さんも奥様と来てくれました。
 みなさんありがとうございました。

 次回も宜しくお願いします


 
 7月28日(土)  中洲でラテン音楽LIVE-3rd
 



  中洲Gate`sの七階にあります、有名なSalsa-Club「Hasta-Cuba-Club」でのキューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」の4回目のライブでした。

 今回はレギュラーメンバーが一番足りなかった点が過酷でしたが、お客さんに恵まれました。メンバーのお友達、Hasta-Clubの常連さん、福岡のラテンバンドのメンバーさんもたくさん来てくれて。
 第三部はジャムセッションで盛り上がりました。

 「若林さんは福岡のトップクラスの管楽器をごっそり揃えている!」と言われたことがあります。若林楽団の他にも「ハイノーツ」というラテン・ジャズ・フュージョン楽団には優秀なトランペッターさんが居ますが、トップクラスのサックス三名、フルート、そして市民オーケストラのコンサートマスターをされているヴァイオリン。福岡ライブシーンの売れっ子ベーシスト。
 そして若林楽団で育ったトランペットのLisa&Yukiちゃんの評価も回を重ねる毎に高まっています。

 しかし、そのお陰で各LIVE毎のメンバー確保が大変です。


 サックスメンバー三名が一人加えて組んでいる「サックスカルテット」のライブと重なってしまったこの日は、Hasta-ClubのLIVEで声を掛けてくれたバリトンのGOOFY君、チャチャチャ楽団「Charanga-Langa」のヴァイオリンの柴田さん、Lisa&Yukiちゃんの頑張りに支えられました。

 殊勲賞と言いますか、強力な助っ人がベースの戸蓑君。
本来若林BLUES楽団のメンバーですが、キューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」のベースがお休み。チャチャチャ楽団「Charanga-Langa」の名ベーシストのアヴァン君は、同じ日同じGate`sの七階のライブハウス「Gate`s7」に出演中。

「困った時の戸蓑君」翌日のLIVE-Event「Tetra-Ptera」も「社員旅行を休ませて」
 
 何時も何時も「頼み倒し」「戸蓑倒し!」
急遽無理を言って「初見演奏」で望んで貰いました。

 ほんとに助かりましたが、第一部の「ノーミス初見演奏」の集中力は素晴らしかった。

 ハイノーツのトランペットのまちゃおさん、サックスの彩ちゃん、お仲間のパーカッショニスト、ヴォーカル君とのセッションも楽しかったです。

 まちゃおさん彩ちゃんに、
「若林さん楽団って、若林さんの温かさのオーラがメンバー全員を取り込んでほんわかしていて素敵です」と言って貰えたのが嬉しかったです。

 7月29日(日)  福岡でLIVE-Event「Tetraptera」Vol.2
 


 民族音楽センター&若林忠宏プロデュースLIVE-Event「Tetra-Ptera」の第二回目が、一回目と同じく福岡市中央区赤坂のBlues系Cafe-Bar「Calloway」にて行われました。

 第一回目は、宣伝不足の大失敗。折角の画期的な音楽内容が少人数の「公開リハーサル」の様な形になってしまいました。第二回目の今回も「緩やかな満席」でしたから決して満足の行くものではありませんでしたが、チラシを見て来てくれたお客さんも居た事が嬉しかったです。少しずつ前進です。
 
 第一回目同様にトップバッターはAcoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」
丹野君と江上君、元々はエレクトロニカの世界では一時代を築いたDJ。その二人が「新たな音の世界」を求めて、あえて自らがマニュアルで弾く生ギターの演奏形態を選び、若林忠宏のインド、アラブ太鼓&打楽器と即興ユニットを結成したものです。

 前回はあいにくのお天気で、若林が「Jaws-Harp(口琴)」を弾いた瞬間に大雨が降って、大きなガラス窓を背にしたCallowayのステージを見るお客さんには「ちょっとした神秘的な光景」だったと言われます。「晴れ男が雨を呼ぶ」? 不思議です! 客席で見たかった!
 演奏中、江上君はその「不思議な現象」に気づいていたと言います。

 そして今回。連続の真夏日。 むちゃむちゃ良いお天気。誰も「雨」を予想しなかった。
にも関わらず、若林が「Jaws-Harp(口琴)」を弾いた瞬間に! やっぱり雨が降ったそうです。
 


 今回も若林はそれに気づかず。江上君も今回は気づいていなかった様子。むしろ「Jaws-Harp(口琴)を演奏しながら歌うなんてびっくりした!」「最初、まさかと思って!じゃあ誰が歌ってるんだ?と」
 Acoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」は前回のモチーフを捨てて、全く新しい展開。リズムもメロディーも豊かで「ちょっと上手くなっちゃったんじゃない?」の感じもありました。お客さんは絶賛でした。「アンビエント」と言うなら「ここ迄繊細かつ、平常心、穏やかな心で演んなきゃネ」がAcoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」の思いがけない「副産物」です。

 
 二番手は、パーカッションEnsemble「Dum-Dum」
第一回目にメンバーのCHANGと若林忠宏のデュオによる「太鼓即興」を繰り広げましたが、今回ついに全員が揃いました。

 福岡のJAZZ-Drumerの重鎮。音楽仲間の人望の厚い、きのつね♪さんこと木下恒治さん、フュージョン系ではひっぱりだこのDrum&PercussionのCHANG、若林忠宏に、小倉の女流ドラマー篠田美里さん、福岡の女流パーカッショニスト梶原由加さんの「太鼓と打楽器だけの」五人組ユニットです。

 若林忠宏のオリジナル曲の他に、民族音楽の太鼓アンサンブル曲などもありますが、主力は「即興演奏」
 
 この日は、リハーサルに全員が揃わなかった事も在って、木下、CHANG、若林の三人が各一曲ずつ「リード即興」を行い、四曲目で「全員同時で全く決まり無し即興曲」を演奏。
 お客さんの前で、じゃんけんで曲順を決めて演奏スタート。

 一曲目はきのつね♪さん。
ドラムセットに納まりサンバ系の軽快なリズムを叩き出す。 すかさず、ミニドラムセットのCHANGがこれに加わり。由加ちゃんがコンガを叩き、美里ちゃんが大型アラブ太鼓を叩く。

 二曲目はCHANG
意表を突いた「八分の六拍子」ミニドラムの小技に「嫌味」が無くて心地良い。サポートに回った時のきのつね♪さんはさすがのセンス。 センスの良さでは美里ちゃん、由加ちゃんもポップス、クラッシック両面のアイディアを自然に溶け込ませて。さすがボーダレス世代の良いところを出していました。

 三曲目の若林のリード即興は、フリーリズムの効果音的「打楽器の調べ」から始まり、太鼓や打楽器が「ひそひそ話」をする様な感じで終始。

 四曲目の「全員真横並びの即興」では、面白い事に先の三曲の良い感じが踏襲されて。全体が自然に四部構成の組曲の様に。
 「太鼓打楽器」を「心行く迄叩いて発散」の演奏者とは到底出来ない世界。
そこを分かってもらうのは結構大変かもしれませんが、
パーカッションEnsemble「Dum-Dum」、全員演奏の初回にて、既にその域に達しました。
 そして「太鼓の言葉」もふんだんに飛び交い。「太鼓の旋律」も確かに聞こえて来ていました。
 
 「イメージ通り」否、それ以上の面白さがあります。乞うご期待です。
全員参加の2nd-Performanceは8月7日(火)のVooDooLoungeデビューです。
宜しくお願いします。

 
 三番手もこの日デビューの楽団
Rhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」
若林忠宏が福岡で15年ぶりに再開しましたBluesの五つの楽団の一つです。

 五つの楽団は、より古い音楽でよりアコースティックな順に紹介しますと、

Novelty&Jug楽団「George-Town-Stompers」
 「ブルースは虐げられた黒人達の嘆きの........」というイメージを覆す、屈託の無い明るい、そして呆れたブルースやジャグバンド、メディスィンショー、などの音楽を専門とする楽団です。

Delta&Country-Blues楽団「Chikushino-Delta-Blues-Band」
 「福岡と佐賀南部の筑紫野河流域は、アメリカ南部に地形と雰囲気が似ている」という 思い込みの楽団です。面白い事に佐賀出身のBluesアコギの名手。「筑紫野のバトンルージュ」と勝手に言わせて頂いている大川市出身の名ギタリストもModern-Bluesのメンバーに加わってくれています。その他にも「是非一緒にやりましょう!」と言っている「筑紫野のメンフィス」小郡のギターSingerさんも居ます。久留米もBluesマニアさんが居るし。
 そんな「筑紫野」の風土に根ざしたカントリーBluesを演る楽団です。

Chicago-Blues楽団「Bull-Frog-Blues-Band」
 このバンドは実は1972年結成で、東京でアマチュアバンドとしてそこそこ活動し、Music-Magazine誌にも紹介された事があります。
 シカゴブルース専門ですが、デルタ&カントリーBluesをアンプリファイドしたものを「シカゴBluesの真骨頂」という若林の主旨に敢えて反して、その音楽とモダンBluesのわずかな狭間の時代の音楽です。

R&B and Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」
 このバンドはちょっと贅沢と言いますか、とりとめも無い楽団で、モダンBluesとJiveとJump-Bluesと初期R&Bをごちゃ混ぜに演る楽団です。管楽器メンバーでもっている様な感じです。でも一曲一曲「ジャズ畑」「ブルース畑」「R&B畑」「R&R畑」と「産地」毎のサウンドを再現せんとしています。

そして、今回「晴れのデビュー」を飾ったのが
Rhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」
 1960年代初頭、キューバ社会主義革命を受けたアメリカの親中米政策、移民法の緩和などでにわかに、しかし一時だけ盛り上がったアメリカでの「ラテンブーム」。かのチャックベリーやPrf.ロングヘアー、ボーディドゥリーまでもが「Rhumba」をやっています。
 「ルンバ」とは本場キューバでは「アフリカ系娯楽太鼓・舞踊音楽」の事で、世界的にヒットした「ソン歌謡」の名曲「Manicero」が誤って「ルンバ」と紹介されたことから生じた「誤解」「ギャップ」です。幸いに英語で「Rhumba」と綴られるので「Son」や「Rumba」とは区別出来ます。

 英語ですし、ブルースバンド編成ですし。インチキなラテンリズムです。
が、明るく楽しく。時に「Bluesの命である12小節構成」を全く無視して。
 素朴で楽しい音楽です。

 福岡のBluesの拠点のひとつ「Calloway」で演ってしまいましたが、Vocalistでもあるマスターにそこそこ褒められ、「面白いからどんどんやれ!」と激励されました。

 「Tetra-Ptera」の第三回目は10月を予定しています。

 その前に、上記の若林忠宏Bluesバンドが三つ出演する
Peanuts-Barrel-Blues-Party at FUKUOKAの第一回目が、同じ「Calloway」で
9月16日(日)に決定しました。

 7 月31日(火)  Chicago-Blues再開
 

 7月31日(火) 大橋のBambooスタジオにて
 若林忠宏のChicago-Bluesが15年振りに再開しました。

 贅沢にも若林ラテン楽団のサックス四名の内、にしやんとYasu君がリハーサルに参加してくれて、トランペットのLisa&Yukiちゃん。ドラムのNAOちゃんに、Chicago-Blues-Band「Bull-Frog-Blues-Band」R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」の正規ドラマーの波谷亮一君。名古屋時代はBlues-Band演っていたというJAZZ-Bassitの戸蓑君。Vocalのばーちさん。そうそうたる面々! 贅沢な一日でした。

 ところが、福岡の自宅のPCが壊れ、ノートPCからメールで送った楽譜をプリント出来ない。慌ててビックカメラに買いに行って。インストール。
 ところが二三回やっても上手く行かない。

 後で西やんに聞けば、Macとの相性らしく、良くある話とか。
良かれと思ってメーカーを換えた失敗でした。
 急遽Lisa&Yukiちゃんに相談しましたが、もう家を出てしまった後のLisa&Yukiちゃんは近所のネットカフェを探して、プリントアウトしてくれて、メンバー分コピーしてくれて。

 

 懐かしかった! ってライブは9月16日(日)に迫っていますから
 懐かしがっている場合ではありません。

 ラテンでも感じていましたが、何時、何処で、何がどう変わったのか?
 「昔取った杵柄」なんですが、あの頃と何かが違う。
 良くなった部分もあるのでしょうけど、衒い、照れが無くなったというか?

 それでもBluesに対する「大好き故のコンプレックス」は今も感じます。
 なんで、ここでBlue-Noteで歌わなければならないのか?
 その違和感が先行する時もあります。

 
 一足先に「再開Blues」となった7月29日福岡デビューの
 Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」は
 「歌いたくない時はBlue-Noteじゃ無くても良いんじゃない」
 と出来るジャンルでした。

 その時の感触「歌いたい時に自然に出るBlue-Note」
 あの感じがChicago-Bluesでもつかめそうな気がします。

 波谷亮一君のドラム、初めて一緒にやりましたが、良かった!
 一曲目からバリバリChicago!

 カウントの後三拍目の裏からの音が「オリジナルと同じ!」

 やっぱり「通じる人」と演るのは楽しいわ!!

 ありがとう!

 みなさん!乞うご期待!

 宜しくお願いします。


 Music & Life  

 
 
 
 
 
 
 
 
 7月1日(日) Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」始動!
   2007年07月03日
23:03 ルンバ・ブルース・バンド始動!
 7月1日(日) Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」の初リハーサル
 福岡の人望の厚いJAZZドラマー木下さんの紹介でどっと集まってくれた新メンバー
 第一弾はベースの城戸くん!

 楽団は、若林のギター&Vocalに、トランペットのLisa&Yukiちゃん、
 サックスの西田弘道(にしやん)君、パーカッションのMAMI-TAとMONGO松山さん
が若林のラテン楽団からのメンバー。

 音楽は、1960年代のアメリカのブルースマンがやった「ラテン音楽」
 最大の敬意と愛情を込めて「インチキ・ラテン音楽」と言っています。
それを、年代とブルース、ロックンロール、ジャズと畑毎の微妙なサウンドを再現しつつ、「ラテン音楽はこうだ!」「ブルーズはこうだ!」のこだわりをトッ外した楽しいライブを夢見ています。

 1960年、キューバの社会主義革命に慌てたアメリカ政府は、中南米諸国融和策を打ち出します。 移民法の緩和、ラティーノの人権向上。「ラテン音楽」を演れば売れた奇妙な時代。
 我が楽団のレパートリーは、彼のチャック・ベリー、ボー・ディドゥリー、Prf.ロングヘアー、J.リード、アイク・ターナーなどなど、意外な大御所が演った「インチキ・ラテン音楽」

 と言いながら、今ではキューバ人師匠に褒められるキューバ音楽、プエルトリコ音楽家と楽屋セッションで意気投合するカリブ音楽を演っていますが、
 インド音楽を本業に「売れる音楽をやらねば」と始めたブルース(本人はロックのつもりでしたが)。ブルースマンが演るRumba-Bluesを「ラテン音楽」と思い込んでいた高校生。
 
 キューバのボンゴを口で言うなら
 「タキトキタキドキ、ドパーッタキドキ」
 Rumba-Bluesは「トンタカタッタトントンター」
 全〜く違います。

 だから「良い」 とっ〜ても 「可愛い」音楽です。

 城戸ちゃんとの出逢いはホント嬉しい。力強いブレーン、サポーターです。

 Lisa&Yukiちゃんもラテン以外の音楽、きっと好きだったジャンル。
活き活きと楽しそうに、そして頼もしい音を出してくれました。

 きのつね♪さん ありがとうございます。

 いい感じでスタートです。

P.S.ベースの城戸ちゃんのページでも「楽しかった!」と書いてくれています。ありがとう!

その中で「ラテン系ブルース」とあったのが面白かった。
若林は「ブルース系ラテン」と思っていたので。

「カレーライス」と「ライスカレー」の様でもあって。

でも「日系ブラジル人」「日系アメリカ人」と言っても
「アメリカ系日本人」とは言わない辺り。

良い事もあれば、そうでない事も。

う〜ん。 エスニックの根の張り方なんでしょうか。

その意味では、さすがにアメリカは豊か。
日本にも情報や物質は豊かにあるのに。

僕の友人のインド人。 横浜に住んで数十年

「心はインド人だけど、胃袋は日本人」と言ってました。

素敵なおじさんです。 たんなる酔っぱらいですけど。

 7月1日(日) ブルーグラス・ミュージック
   2007年07月04日
03:27 ブルーグラス・ミュージック
 7月1日(日)Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」の初リハーサルの後、
ベースの城戸ちゃんの行きつけのお店の一つ「Dixie」に。

 大橋郊外の住宅街に突然現れたログハウス風の素敵なお店。
大きな窓から店内が一望。なんとライブ中みたい
 と思いきや、レギュラー楽団が勝手に「練習」しているだけだから、どうぞ!
と超ラッキー。

 「ラッキー!」とは、チャージが掛からないからではなく、
バンドマンが自分の為に演奏している姿を見られるから。
 まさにその感じでした。

 『デキシー』の名前通りに南部ケイジャン料理にこだわったお店。魚介類の美味しい料理にビールで最高の気分を味わっている内に「聴くともなく」「聴かせるともなく」
 いい感じのBGM。久しぶりのブルーグラス・ミュージックでした。

 初顔合わせの城戸君との親睦に加えて、この二ヶ月もの凄く頑張ってくれたLisa&Yukiちゃんの慰労会も兼ねていましたが、Lisa&Yukiちゃんは、お店の内装、雰囲気とおじさんブルーグラス楽団の素顔の演奏に「超可愛い!」を連発。

 開拓時代〜カウボーイ物語〜西部劇に出て来る感じの内装は、ほんと嬉しい限り。
お店の真ん中に二階に上がる階段。 なんと贅沢に二階は「楽屋」に成っているのだそうです。
 みんなで「絶対ここでもライブやらせて貰おうね」と盛り上がり。
気づけばブルーグラス楽団もどんどん乗って来る。

 いつの間にか、私たちだけの店内。 私たちのリアクションに反応する楽団
フラット・マンドリン兼バンジョー、Vocal兼ギター、ヴァイオリン兼マンドリン、ウッドベースの四人もソロ廻しなどで、気づけばノリノリ。

 楽団の名前は「Wood&Wire」伝統的に太鼓・打楽器を用いないブルーグラス音楽の弦楽器の「箱と弦」の「まんま」の名前です。
 Vocalの徳田さん、マンドリンの小野さん、ヴァイオリン(正しくはフィドル)の石堂さんは全国のブルーグラス・ファンに知られた「徳田Special」というBGバンドを経て、新規加入のベースのフリナガさんを加えて新楽団として、月一回デキシーで定期ライブをしているとの事。

 なかなかの腕前、ヴォ−カルの見事さに感動しました。

 お店は大橋の駅から徒歩ですと15分位掛かりそうな、南区塩原3丁目
電話は092-553-1320 

 若林忠宏の民族音楽歴と同じ、1972年からの「35周年」だそうです。
1972年と言えば「博多めんたいロック」誕生の年。日本のサブカルチャーの誕生の年。
色々不思議なシンクロニシティーが感じられる年です。

 
 ポピュラー・ミュージックでヒットした「おじいさんの古時計」
「お客さん向け」と言いながら日本語で。 でもちょっと玄人向けに心と気合いが入っていた様な。
「その曲だけ元詩が見つからなかったんです」
と言うと「あれっ!検索で出て来るヨ!」って。

 1980年代の末。一念発起してアメリカ民謡に取り組みました。
インド音楽のライブが毎回超満員。

 花束は貰うわ、手作りケーキやチョコレート。インド音楽のH.T.さん状態。
思えばあの時も「メジャーになれるタイミング」だったのでしょう。
 ところが「これはおかしい」「このままではイカン!」と

 日に日に増えるお客さんが口々に言う「アメリカ文化一辺倒の今の日本にへきへきして」
「若林さんの教えてくれる世界は素晴らしい」

 この言葉に反発してアメリカ音楽に取り組みました。
W.A.S.Pの音楽。 入植時代の東部民謡。独立戦争の歌。アパラチアン民謡。ヒルビリー。
南部開拓民謡。フォスター。南北戦争の歌。西部開拓民謡。カウボーイソング。鉄道唱歌。
C&W。ホワイトゴスペル。Native-Americanをテーマにした歌。200曲。

 猛練習しました。 ドブロギター、4弦、5弦バンジョー。ハンマードダルシマー。
フラット・マンドリン。アパラチアン・ダルシマー。オートハープ。
 苦労して手に入れたアメリカの洗濯板とタライ。それから作ったタライ・ベース。

 下手くそでした。
 メンバーもインド音楽の生徒さんを半ば無理矢理。
 それでも「バケツの穴」「ヨドバシカメラCMソングの原曲(アメリカでも時代毎に替え歌があります)」や「バッファローギャルズ」とか伝説的なガンマンの歌とか面白かった。

 LPレコードがほとんど廃盤で、渋谷にたった一件のC&Wのレコードショップで弩高い値段で買って。LIVEも東京駅近くに一件しか無くて。大学のサークルも調べたらブルーグラス同好会は、一校しかなくて。南米フォルクローレのサークルは十数校もあって吉祥寺の店で毎月2楽団LIVEが出来ていたのに。

 そんな時代です「おじいさんの古時計」だけが元詩が入手出来ず。
その十数年後に日本で流行った時には、切ない気持ち。
 それが今では「ネットで検索すれば?」不思議な気持ち。

 下手くそ、が主たる原因ですけど。

 W.A.S.P.音楽ライブは、東欧民族音楽ライブやブルースライブより不成績。
民族音楽ライブスポット「羅宇屋」の歴史に残るワースト記録を残して数回で廃止。
 呆れたのは、インド音楽ライブのお客さんも激減。
インド音楽教室の生徒さんまで減りました。

 「アメリカの音楽なんか演る人のインド音楽、聴きたくない。シタール習いたくない」

 なるほどな。と思いました。

 しかしながら「音楽は国境を越えるものなのに」「なんでジャンルで分けるんでしょうね」
「広く浅くても、何でも楽しまなきゃですよネ!」
という「味方の意見」「応援」もちょっと違うんです。

 同じアメリカ音楽でもあんなにジャンルがあって。 それぞれがプライドもあれば、こだわりもある。ある意味決して相容れない。 かと思うと無節操に「パクリ」合ったり。

 反目し合い、競い合いながら互いに高め合う。 それは決して「交わらない」事でもあり「迎合」しない事でもある。
 それが日本では、ジャンルで「徒党」を組んで、「固執」する部分だけ特出しています。

 マニアやファンの人に嫌われるのを覚悟で言えば、
 「デキシー」という言葉に込められた「ロマン」と「欺瞞」と「熱さ」と「虚しさ」

 「奴隷解放」の大義名分で北部の金持ちが煽動した事で流された血のおびただしさ。
ガンマンの哀れな末路。カウボーイと鉄道。ホーボーの歌心。
 南部黒人よりも貧しかった「ヒルビリー」の人々。

 それらを思うと「BGは最高だね!」とか「やっぱりC&Wだね!」と言う感覚、
「アメリカ音楽する人のインド音楽聴きたくない」に通じるものを感じます。
 だからといって「ノンジャンル」「広く浅く楽しむ」「無国籍音楽」では決してない。

 アメリカの沢山の人種と、地方の人々の心を歌と共に学び、歌から読み取り、歌で伝えようと思いました。
が、挫折しました。

 それにしても、趣味の音楽のレベルは、本来あのように並のプロより高いもの。
うらやましい限りです。
 今の知恵があの頃に有ったなら。ひとまずシタールで不動の人気と地位を得て、趣味でW.A.S.P.音楽、自己満足していれば良かったな。 そうすりゃ今頃、天神でサイン会!

 数百万のギブソン・バンジョーも買えたかも。あんな(大橋Dixieの様な)家が持てたかも。

 奇しくも同じテーマでお友達とまた口論。
 某伝統芸能の劇場で行われる日本伝統芸能の新作に興味が有ると言うから、
「んなもん行かんどき」と言ってしまった。

 意外にお友達、知り合いに多い意見

 「○○さんや○○さんのお陰で日本の伝統音楽に目を向ける若者が増えたと言う事は良い事じゃないですか!」

 確かに! 若林も著書が二冊ある東京堂出版の編集者さんも言ってました。「お陰で○○音楽入門。売れています」

 しかし、そんな事で良い筈がない。

 お友達に思わず言ってしまった。
 お寺で声明とのコラボが話題になったとして「○○さんのお陰でお寺が見直された、仏教が見直された」それで良いのか?と。
 
 正にそんな時代。 憂うべき時代。 

 否、数百年前から世の中実はそんなでした。
 アラビアンナイトの時代でさえ、インドでアラブ風歌舞が流行り、アラブでペルシア風歌舞が流行り、南欧でドイツ風が流行り。

 でも、その後が続きます。それがいずれは「伝統」になって行きました。

 しかし、上辺の異種配合「ハイブリッド」は、悲しいかな「子孫繁栄」は無い「一代限り」
 「その精神は受け継がれる」と言ったって、そんなものは何時だって誰だって考える。
「畏怖」「謙虚」「愛」が有ればこそ、出来ない、しない、恥ずかしい、申し訳ないから「しない」だけ。破廉恥が受け継がれたのではなくて「何時の時代にも破廉恥は居た」
 それが今日、はばかっているだけの事。

 日本種と外来種のオオクワガタを交配させて悦に入る。パンダと何かを交配させる?
コラボレイション。ハイブリッド。

 それの「お陰」で、注目されて「理解者」が増えると言うのですか?

 確かに、それを「入り口」として興味を持った人の100人の中に、将来の優秀な後継者が現れるかもしれない。でも、カタログから入った人が「優秀な後継者」になる様じゃ情けない。

 本物の雅楽家、長唄、狂言師ならば拳を握りしめる筈。
 もし私が伝統芸能の演奏者だったら、
 「そのお陰でお客が増えた」「ありがとう!」なんて言う仲間が居たら大喧嘩

 もしくは、そんな世界プイっと出てしまいそう。

 侮辱、屈辱、陵辱でしかない。そんなに迄して「伝統を守る」と言うならば、
インドタントラ仏教や初期チベット仏教の「密教」のごとく、ひっそり内輪で継承した方が良い。

「それじゃ生活出来ない」

 そうおっしゃるのがおかしい。 「それで喰おうとしなけりゃ良い」
 と言うか、それで「喰おう」とするのが全ての間違いの始まり。

 その意味では、勤勉で、こだわりの強い日本人のアマチュアが
現地よりも深く、マニアックに技法や伝統を守っている場合も多くあります。
 むしろ流行っていないお陰で、守れたりしています。

 大橋デキシーでの思いがけないブルーグラスPrivate-LIVE
本当に素敵で、楽しかったです。

 楽しければ楽しいほど。  
 想い、考え、何かしなきゃとやる気が湧いて来ます。

 7月2日(月) 美しきChaChaCha音楽のViolin
   2007年07月04日
03:34 美しきかなChaChaChaのViolin!
 7月2日(月) チャチャチャ楽団「Charanga-Langa」がリハーサル開始しました。

 初のリハーサルを心待ちに来てくれたのは、ヴァイオリンの柴田さん、ミィさん。急遽加入となった、若林とアイリッシュ音楽をやる事になった啓太君、
 JAZZドラムの木下さんご紹介のベースのavan君。VocalのBarchiさん。
 ヴァイオリンのお二人は、現在曲作りとメンバー募集の段階に入った若林の福岡での22個目の楽団となる予定の西洋クラッシック音楽とインド・シルクロード音楽コラボレイション楽団「East meets West」結成の為に動いてくれているコントラバス奏者さんのご紹介です。

 初リハーサル。素晴らしかった!
 感動的です。

 久しぶりで生で聴く『西洋クラッシック音楽のヴァイオリン』
美しく「箱が鳴り」清楚で上品な響きがたまりません。
 柴田さんミィさんのセンス、気概の賜物ですが、チャチャチャViolinを生で聴いたのも1995年頃に東京で結成を試みた時依頼です。

 ChaChaChaは素晴らしい。 その典型的なスタイル「Charanga編成」の美しさ。
西洋クラッシック音楽の良いところ取りの弦楽アレンジの見事さ。
 フル編成では、Violin2〜3本、Viola、Cello、Grand-Harp、Contra-Bass
Piano、Flautaといった西洋クラッシック楽器に、ティンパニィが転じたTimbales、Conga、Guiro、Quijadaといったラテンパーカッションが加わります。

 チャチャチャ楽団「Charanga-Langa」
はキューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」のコンマス的存在のフルートの甲斐 泉さん、MAMI-TAとMONGO、Carlosの三人のパーカッション。
 加えて本楽団で嬉しいおつきあいが始まる三人のヴァイオリニスト、Piano、Wood-Bass、VocalのBarchiさん。そして若林忠宏のVocal&Timbalesという11人の贅沢編成。
 グランドハープこそありませんが、チェロは導入の予定ですから12人の「Orquesta」になる予定です。

 avan君は、若林が博多で一番古いJAZZ-Spotと言われる中洲River-Sideで毎月行っていた「Jazz-Manとの一騎打ちシリーズ」に数回来てくれた人。
 自身がかなり引っ張りだこの演奏者なのにお客さんで来てくれる嬉しい人。
Barchiさんも心の温かい、と言うよりは音楽への情熱の熱い人。

 甲斐さんの心の深さ、音と人柄の健気さ、MONGOさんの優しさを加えて、最強の
「良い人楽団」です。その音の温かさはきっと皆さんびっくりする事でしょう。

 
7月18日(水)の親不孝通りVooDooLoungeのライブイベント

「Lounge-Sounds」がデビューLIVEです!

宜しくお願いします。


 7月3日(火) 「音楽の神髄」
   2007年07月03日
17:48 音楽の神髄
 ある国の伝統音楽の神髄

 私が信じる考え方に過ぎませんけど

 オクターブの12の音 もちろん微細な音程もあります
 それぞれの音の個性とその関係性を定められた方式で並べる
 
 そこには日々の感情や気分、思惑、様々な条件を超えた
 根源的な何かがある

 演奏会
 会場の磁場、オーラ、音響
 その日の温度、湿度、季節、時間帯
 
 聴衆の数、気分、集団心理と個々の受け止め方
 演奏者の体調、気分、感情
 共演者のそれぞれ 音響の結果

 無限にも思える多様性 不確実性
 
 にも関わらず 個々の聴衆に ある「彩」を伝える
 
 例えば、再び半年後
 季節は変わり、人々の気分も心も
 演奏会場も変わる

 でも、再び同じ「彩」が伝わる

 その時初めて その演目は
 正しく演奏されている事が分かる。

 その「色」は
 受け止める人が様々に
 それこそ「色々」に感じて良いもの
 それが自由 

 しかし、様々な条件の中で同じに伝わるもの
 それが「本質」それが「本物」
 
 人々は時として
 感じた色を互いに語り合う

 同じ色や同系色を見つけると
 「気が合う」とか「価値観」「審美観」が同じ!
 と喜び合う。

 自由を失っている。 束縛し合っている
 本当の自由のおおらかさを手放したがっている。

 ましてや本質、本物からは遠くなって行く

 

 

 7月3日(火) 「利きJAZZ」
   2007年07月03日
18:30 利きJAZZ
  利き酒ならぬ「利きJAZZ」

 JAZZは私がほぼ、唯一「リスナー」に徹せる音楽
  
 ベースはキャバレー時代を思い出すし
 元々低域の音感が悪いから駄目 
 Wood-Bass三本も持っているのに

 管楽器  大好き!
 トランペットもアルトサックス、テナーサックス
 フルート クラリネット トロンボーン
 練習用楽器を買い込んで練習しました!

 「神様! 私の弦楽器ひとつと管楽器ひとつ 交換して下さい!」

 トランペットは基本の音の下の倍音が二つも出た
 「君はトロンボーンに向いている」と言われたけど

 クラリネットは数時間で音が出た。
 大喜びで家庭教師を呼んだら リードが天地逆だった。

 母親はピアノ教師  
 心因性の胃痛で許しを得て四歳の時に解放

 ドラムセットも持っているけど
 バチは素手の延長という感性  
 ティンバレスはキューバ人に褒められる
 
 バチを介在する西洋人の感覚はきっと無い。
 ジョンボーナムの様に血だらけに成りながら
 素手でソロを取るかもしれないけれど。

 だから、今
 福岡で幸せな日々です。
 東京でも今月中にデビューかもの
 民族音楽フュージョン楽団 TIKA
 主力はサックス、クラリネット、トロンボーン

 福岡の楽団、ラテン楽団が四つ ブルース楽団が四つ
 管楽器メンバーが沢山! ドラマーさんも四人
 Wood-Bassも三人も! きゃあ〜! 贅沢!!!

 今まで東京で味わえなかったレベル!
 聞けば皆第一線の大御所ばかり。

  そうそう!
 話は「利きJAZZ」

 友人と音楽談義  
 JAZZはリスナーだけど、全く気楽に聞くので
 うんちくも、評論も理論も「知るか!」
 まったくの弩素人

 友人が「聞いてみれば『良い!』って言うかもよ」と言った
 売れっ子日本人サックス奏者

 「売れてる輩は聞かずとも分かる」
 喧嘩寸前

 じゃあ分かったと「利きJAZZ」をする事に

 CDを五枚  友人の敬愛するJAZZ-SAX奏者五人

 その「輩」を含めて日本人二名、
 白人と黒人、計三名をランダムに。  
 30秒聴いて感想をメモります。

 私の利きJAZZの結果 

 1、「六つ目の音が♭し過ぎ。16分音符が揃い過ぎ。きっと日本人」
 2、「吹くというより『吸って音が出た』感じ。結構好きかも、でも黒人じゃないな」
 3、「ロリンズの真似。タメが嫌らしい。トリルが嫌み、これが奴さんに違いない!」
 4、「一吹きした後の間と、次のフレイズの入の重たさが凄い、黒人だと思う」
 5、「息音が嫌らしい。リードが薄い?厚い?でもトリルが言葉の様で面白い、白人?」

 
 名前を聞いて、LP持っていたのは1番目のみ、という「弩素人」
 1番目もそのテイクは「初耳」
 
 正解
 
 1、ジョン・コルトレーン
 2、マイケル・ブレッカー
 3、売れっ子日本人
 4、スコット・ハミルトン
 5、別な日本人のT氏

 天才コルトレーンをけなしてしまいました。って言うか「日本人」だと!

 でも、コルトレーンの初期の録音 
 マイルスなどに会う前らしい。

 自分が演らない楽器だと、言いたい放題
 でも、
 やっぱり売れっ子日本人は

 「聴くまでもなかった」

 7月5日(木) 音楽に於ける「抽象的な指示」
   2007年07月05日
03:30 音楽に於ける「抽象的表現による、指示」
 「抽象的表現」
 これほど「個人的な感覚」は無い!

 そんなもの押し付けられた日にやぁ
 「んならご自分でやんなさいな!」と言いたくなる。

 今から20年近くも前の事になるだろうか。
 その後大変有名になった映画監督F氏に呼ばれて
 その映画の「最も重要なシーン」の音楽を
 当時プロでは私しかいなかったアラブ弦楽器ウードで弾く。

 ところが監督の側近の人相の悪いおばさんが
 何度も駄目出しをした挙げ句に抽象的表現を吐いた
 
 私は「来るものは拒まず」「去る者は追わず」
 「来た仕事は断らない」主義
 それぞれ、どうしようもなく1、2の例外を記すのみ。

 その例外の一つとなった。
 「やってられん!」と、帰って来た。
 思えば、単に「人相」に反発しただけだったかもしれないけれど。

 しばらくしてその映画は賞を獲って、監督は第一線に躍り出た。

 思えば、あれもメジャーになるチャンスだったかも。

 

 そんな自分が「抽象的表現」をメンバーに言う様になって
 我ながら、ちょっと呆れた。 少し狼狽えた。

 あのおばさんの年齢になっていたのだ。
 
 これは、年齢の問題か? ヤキが回ったのか?

 もしかしたら 深刻な問題

 我ながら感心したのは
 気づけば20代のメンバーには「抽象的表現」
 言っていない。
 極力具体的な表現

 すると意外に自分の感性で応えてくれたりする。
 
 逆に、30代後半〜40代のメンバーには
 「具体的な指示」はつまらないし、失礼
 と言う意識があるのかもしれない。

 Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」

 曲毎に、原曲演奏者の畑の違いを表現したい。
 例えば、1920年代後半から活躍していたブルースマン
 明るいノヴェルティーなブルースが得意
 なので12小節が一巡したお尻にドミナントを弾かない。

 などなど。 

 サックスのメンバーのソロにお願いをした。

 ○○君の家に遊びに行ってさ!
 ○○な音楽のCD聴きたい!ってお願いするとさ!
 ○○君は棚を探して「あっ!あった!これこれ!」
 って引っぱり出してくれるんだけど、
 CD見つかった途端に
 「だだだだだ〜っ」と棚のCDが全部落っこちる感じの

 ソロ!  お願い!

 

 ようするに、

 ソロの吹き出しは「○○風」なのだけど、
 「うわっ!」と、様々なジャンルが転げ落ちる様に
 あふれ返って。

 でも、気を取り直して、CDを拾ってまた棚に戻して
 次のCDを見つけて取り出した直後
 また「どどどっ〜」と

 そんな感じが欲しかったのです。

 
 あの、おばさんの表現よりは遥かに
 分かり易い
 と、思っているのだけれど。

 もしかしたら 

 同じなのかもしれない

 と思うと...................。

 ちょっと  心配。

 人相は、大丈夫だろうか?

 7月5日(木) 「業界用語」
   次の日記

2007年07月05日
04:09 「業界用語」
 「業界用語」
 一昔前、一般の人が面白おかしく語っているのは
 そんなに気にならなかったし、そんなに悪い気がしなかった。

 ところが、最近、当たり前の様に使う人が増えて来たので
 ちょっとびっくり。 ちょっと不愉快

 ビールを「ルービ」 ベース奏者を「スーベさん」
 ギター奏者を「ターギさん」
 
 なんでもかんでも 「逆さに言えば良い」と言う訳でもない。

 
 その他、ギャラなどの金額を語るときは、
 ¥1万を「C万=ツェーマン」¥4万は「エフマン」
 ¥5千は「ゲーセン」

 ドイツ語読みのドレミだから「西洋クラッシック音楽」式
 
 これら皆、戦後の進駐軍キャンプ出張音楽から
 1980年代まで続いたキャバレー音楽の現場の「業界用語」

 ようするにスラング(隠語)
 
 でも、それらには、それなりの文化背景がある筈。

 
 確かに「金」とはっきり言うよりも
 「ネーカ」と言うと緩和される何かがある。

 まんま では表現されない
 微妙な「謙虚さ」「こだわり」「気遣い」「遠慮」
 「イヤミ」「へりくだり」
 いろいろ

 

 最近ライブで知り合った
 いろいろと感じ方が似ているピアニストさん
 お父さんが「ハコ」のミュージシャンだったと伺って

 「なるほど!」と思いました。

 10年ほど前、レコーディングのお仕事で一緒になった
 ベーシストさん  もとい「スーベさん」
 今まで聴いた事ない様な「ビシッ」っと伝わる音色

 何かを感じた私は「何時頃どうやって音楽修行を始めたのですか?」
 と日頃訊かない様な質問を言いました。

 彼の答えにびっくり
 「ハコの仕事って最後の最後って聞いて、『じゃあそこから始めれば、先に行くしかないじゃないか!』と19歳の時に」
 
 ほぼ私と同い年。 そして私も同じ19歳の時に
 「ハコ」に身を投じました。
 同じ事を考えて。

 「ハコ」から学んだもの 
 そのスーベさんとヤノピさんと 
 自分に通じる何か

 
 そう言えば 先日「雅楽との共演」の報告日記で
 奈良時代の渡来ミュージシャンの「業界用語」
 「ノリ」と「ソリ」が日本の一般語に定着した話を書きました。

 「ノリが悪い」「ソリが合わない」

 
 確かに 時代とともに 本来の意味や 
 秘められた想い 精神性は失われて行くのが
 「世の常」

 だから、今更言ってもしかたがないのだけど

 「ハコ」

 青っちょろい駆け出しでしたが、
 逆に多感な頃に身を投じて体で学んだ世界

 バンドマンの

 「恩」と「感謝」と「義理」と「けじめ」

 それと裏腹に持ち続けた

 「プライド」「慣れたくない」「紛れたくない」

 が、合わさった、「愛称」であり「蔑称」

 
 その感覚は

 以前の日記に書いた
 「岬の人は、最早村人となってしまった」
 「でも、村人とともに生きながらも、意識は常に岬に置いておく」

 「ハングリー精神」にも似ている。 
 分かり易く言えばですけど。

 だから「現場」の仕事の人が 
 最近では女性迄もが
 簡単に「ハコ」
 っておっしゃるのが  

 とても嫌 

 

 P.S.
 そう言えば、最近の私の日記で
 「弩」の字にお気づきの方いらっしゃいますか?

 「ど派手」「ど渋い」
 
 時に「土下手」なんて書かれる方も居る。

 正確には、恐らく、きっと「弩」

 語源をご存知の方 いらっしゃるでしょうか?

 ヒント 

 若林は小学校時代「昆虫博士」と「船博士」
 のあだ名を貰って居ました。

 7月5日(木) 「田楽」と「猿楽」
 

 2007年07月05日
18:12 「猿楽」と「田楽」
 私見ですが、

 シルクロードの放浪の楽師の一派が
 単身 もしくは数名で 九州北部にたどり着いて
 元々居た「岬の人々」と交わって始めた民間祈祷・供養楽
 「猿楽」

 完全なプロフェッショナルの芸能

 田植えの際に今年の無事と 出来限りの豊作を祈る
 夏祭り 颱風の季節
 そして無事を感謝する収穫の祭り

 しかしながら
 なけなしのお金を渡して祈祷・供養楽を演奏したのに
 結果が伴わない

 「ならば我々で演ろうじゃないか!」
 元々器用な輩も居た
 ひそかに音楽に興味があったのかもしれない

 アマチュア・ミュージシャンの元祖
 「田楽」

 同じ系譜が分派した説
 村に定住した猿楽を言うという説もある。

 ここではプロとアマのせめぎ合いを言おう。

 猿楽家の中にも、手を抜き、気を抜き
 マンネリした者も居たかもしれぬ

 心底頑張っても下手くそも居たかもしれぬし
 神掛かった様な演奏なのに結果が伴わなかったのかもしれぬ。

 田楽家の中には、猿楽家を凌ぐ才能の持ち主も居たかも
 その年の冬前、泣く泣く娘を売り、決意した者も居るかもしれぬ。

 さすれば
 「それぞれのスタイル、ジャンル、グループの中でいろいろ」
 「グループを善し悪し言う事は出来ない」

 それも事実   それも正解

 しかし「掟」はやはり破ってはならなかった。

 娘を売った男は、猿楽家を追いつめるべきであり、
 音楽を初めては行けなかった。

 否、音楽を初めても良いかもしれぬ、
 密かに練習し、猿楽家の前で弾いてみせる。
 「俺がこんだけ弾けるのだ! お前が如何に手抜きか分かろう!」
 なんとも小気味の良い事だ。

 しかし決して「神様」の前では弾いてはいけなかった。

 それが「けじめ」

 遥か昔から作られている、超えてはならない「轍」
 
 感情を遥かに超えて、想いや 思い遣り 慈しみを
 たくさん たくさん 包み込んだ

 「願い」「祈り」のレベルの 「意思」

 相手のせいにしてそれを 「またぐ」
 受けてに責任を押し付けて それを「またぐ」
 結果から物事を判断して それを「またぐ」

 その後には 最早 歯止めさえ得られない。


 7月11日(木) 夕べ見た「夢」
 

 2007年07月11日
12:40 夕べ見た夢 
 夕べ見た夢

 と言っても、明け方迄「楽譜」を書いていたので
 「今朝見た夢」

 
 私の「世界の民族音楽」のレパートリーは
 多分1500曲以上
 聴いて来た音楽は、きっとその五倍以上

 の中で「大好き」トップ3に入る「名曲」
 デヴィット・ダーリンの「サイクル・ソング」

 お弟子さんで「編曲」の仕事をしている音大卒業生さん
 海外留学前の少ない時間に「聴き取り」をしてくれました。

 オリジナルは、チェロとピアノとインド弦楽器シタール
 お弟子さんがピアノを採譜してヴァイオリンに書き直してくれて

 福岡で結成中の西洋クラッシック音楽とアジア民族音楽のコラボ楽団
 「East meets West」の為の曲です。

 この二日、徹夜で頑張って
 ヴィオラ、フルート、クラリネット、コントラバスのパートを作りました。

 「切なくも美しい」

 私の「心の支え」
 「辛い事」「悲しい事」「悔しい事」「切ない事」も
 「月の光」の元では、思慮、思い遣り、優しさ、強さに換わる。

 それを「証明」してくれるような 感動的な曲です。

 今朝がたもう一曲頑張りました

 奇しくも同じ「チェリスト」の曲
 パブロ・カザルスの「鳥の歌」
 故郷カタルーニャの民謡を元に、
 85歳直前、ホワイト・ハウスでケネディーの前で弾いた事で知られます。

★CDはCHIWAWAのレパートリーの為にチエコさんが見つけて来てくれました。弦楽アレンジはピアノにも応用出来ます。

 

 ヴィオラ、フルート、クラリネット、コントラバス
 そしてシタールのパートを自作

 まだ未完成ですが。 民族音楽の風土が感じれる「出来」と思います。

 サイクル・ソングでシタールを弾いた人
 アメリカ人で、シタールとタブラを学んだ人
 
 マニアの方には叱られるかもですが、
 初めて聴いた時から「手癖と音色が似ている」
 と思っていました。
 
 シタールとタブラ両方演る「邪道」のプロは
 世界でそんなに多くなく。録音量では
 彼と私の二人かもしれません

 何処かで通じている様な気がしていましたが
 1985年 交通事故で逝ってしまいました。
 同様に「手癖」が似ているジョージハリスンは2001年

 二人のアドリブを「完全コピー」していたので、
 御前演奏が「夢」でした。

 お友達の猫さんの悲報を聞き
 切なくも美しい曲の編曲 
 悲しくも悔しいタイミングです

 力を貰ったと思います。

 初演の音源を供えられたらと思います

 Tribute to Nyan 
 「サイクル・ソング」

 その切な過ぎる悲しい旋律に或る「力」は
 「輪廻」や「邂逅」を感じさせてくれる

 「廻り詩」

 

 「鳥の歌」を「猫の詩」にこじつけるのは無理ですネ

 でも、猫さん
 窓の外の鳥の鳴き声を観て
 一緒に歌いますよ

 デヴィット・ダーリン氏は、日本通でもある様です。
 聴いてもらえたら嬉しいですし、その「歌心」も伺ってみたい。

 なんて思っていたからか

 彼からメールが来た!

 という夢を見ました。


   
 7月13日(金) 「即興演奏」
 

 2007年07月13日
02:51 即興演奏
 悲しいかな、まだそんな時代

 民族音楽の見地から「即興演奏」を伝えるレクチャーLIVE
 主催者さんから「見学者」が来るとの連絡
 学びたい人「大いに歓迎」と答えるところが
 「楽器を持って来る」と言う。????

 訊けば「現地で日本人で初めて○○楽器を習得した人」
 よほど凄い人の様におっしゃるが。
 見学と言いながら、人の土俵で自己主張??
 楽器を持って来る意味が分からない。
 会わずとも分かる「まだ居たの?」と言うタイプ

 「見学」そのものを、お断りしました。

 すると
 「その方にもレクチャーをお願いしているので」
 「内容が被らない様にする為に是非見学したいとの事」
 「どうにか見学だけでも」

 びっくり。
 テーマは「即興」なんじゃないの?
 
 もし、私が二人居て
 同じテーマであっても。即興でなくても
「同じレクチャー」にならない
 被りっこない。

 もし、違う講師の話が被ったら
 もし、同じ話、テーマを言ったのなら
 むしろそれは「本質」に近い事の「証明」
 異口同音に同じテーマを教授される
 受講者も本望である

 「多少ニュアンス上で誤解が有った様で.........」
 とおっしゃるけれど「楽器持って来る」
 その段階で答えが出てましたから。

 「ニュアンス」にすり替えたがる人も増えた
 「言い方の問題」
 
 「即興演奏家」たるや、
 同じテーマを無限のニュアンスで伝える
 そんな確固たる基礎を持たずに「即興」とは何ぞや?

 ニュアンスの違いで本質が伝わらなくなるのか?
 なるほど

 悲しいかな、まだそんな時代

 

 数年前の出来事を思い出した
 東京で五指に入る有名大ホール
 民族楽器で伴奏のお仕事 主にパーカッション

 綿密なリハーサルの合間に
 後に日本で活躍した外人パーカッショニスト氏がつかつかとやって来た。

 すでに音を聴いて「挨拶する迄もない」と思っていた。

 音楽家同士の挨拶

 音を聴く前ならば、向かい合って、握手をして その目を見れば 大概分かる
 それ以前に 周囲1mの「気」「オーラ」「存在感」

 私が「一緒にやりましょう」と言ったら必ず「演る」と言う意味
 一緒に演る意味が無いと思えば、近づきもしない。

 「音で付き合えない」同業者に「お友達」を作ってもしかたがない。
 だが、日本社会。 そのお友達が「お仕事」をくれる。
 困った時に「トラ」になってくれる。

 パーカッショニスト氏は「どう感じた」のだろう
 「仲良しには成れない」と気づいてくれたと思っていたのだが、
 
 なんと彼は、日本人の様な挨拶をした後
 「若林さんの楽器と私の楽器が、数曲で被ってます」
 「整理して分業しましょう」

 驚いた。  と言うか呆れた。
 確かに大型アンサンブルでは
 「その場その場」で勝手な思いつきで楽器を換えたら
 「困る人」「慌てる人」も居るかもしれない。

 西洋クラッシック音楽オーケストラの感覚だろうか?
 リハーサルでクラリネットを吹いた演奏者が
 本番でチャルメラを吹いたら
 もう仕事は来ないだろう
 如何にそれが「素晴らしい演奏」で、聴衆もノリノリに喜んだとしても。

 もし、私だったらそんな場面では、
 クラリネットで「チャルメラ」の音を出してやる
 もしくはクラリネットそっくりのチャルメラを吹く
 その場その場で、どうしてもその音が欲しならば。
 でも、やっぱり指揮者さんには嫌われるだろうな。

 「楽器が被る」
 素晴らしい事ではないか!
 ちょっと見直しても良い
 同じところで同じ楽器を選ぶなんて「ちょっと分かってる?」

 畑が違うのだから、二人で見事に同じ楽器を
 ステレオ効果で叩けば良いじゃないか
 
 「音楽」を一緒に演って「分からない」
 様な輩である。 言ったところで通じまい。
 「はいはい」と不機嫌に答えたら、彼も「ムッと」していた。

 半年後、そこそこ大きなお仕事が
 ひと月ほど前に、急にキャンセルとなった。
 忘れた頃に見たチラシに、彼の名前があった。
 
 お友達になっていたら
 「分けっこ」してもらえたかもしれない。


   
 7月13日(金) 「太鼓言葉」
 

 2007年07月13日
03:10 「太鼓言葉」
 「太鼓言葉」

 太鼓の叩き方を学ぶ為の「丁符」「口三味線の太鼓判」
 日本の「鼓」には「ポ、テ、チ」などがあり
 インド太鼓には「ダーティラキタタカ」など基本だけでも14種
 
 「万物の四元素」にちなんだペルシア系「花杯太鼓」は実際の音数より少なく
 「正しく四つ」四つ目は「無音=空気の音」

 「太鼓で喋る」

 英語の「トーキング・ドラム」
 その昔、西アフリカでは、「太鼓で喋った人々」が居た」

 それこそ最後の演奏者の映像を見た。
 まず「口でものを言い」その後で太鼓で「同じ事を言う」

 諸説色々あるけれど、
 主力説の「遠くに伝える為」 素手で叩くのだからあり得ない。
 音が届かない距離だから叩いている間に、走って行って伝えた方が良い

 
 映像は、口の言葉よりフレイズが長かった
 むしろ「不便」だから「暗号説」を信じたい。

 「声調」がある言語の地域により有効とも言う。

 数年前、まだそんなに多くなかった東京のアフリカ好き、アフリカ太鼓好きが
 大晦日に集まった。

 店内の三分の一を占めるコンガやジェンベ  如何にも!という様相の若者達
 友人の東アフリカ人太鼓の師匠に挨拶に行った

 若者達は次第に盛り上がって来た。太鼓の師匠に話し掛けた
 「何故叩かないの?」
 「いや、俺は東の出身。西のジェンベは叩かん」

 上手い答えだ、と思った。

 その内、友人達や若者が「若林さんも叩きなよ」「お手並み拝見!」
 「太鼓の師匠の腕前も見たいな」と言い出した

 私が促し、太鼓の師匠は照れながら、否、戸惑いながら? 困りながら?
 太鼓を前に置いた。

 彼の困惑が良く分かるので

 私から話し掛けた
 「師匠! って言うか兄貴!」
 「ようこそ!」
 「日本は面白いでしょ?」

 すると彼は「ホッと」した様に表情を換えて
 「そうだね! 確かに 不思議な国だね」
 
 これを言語学的に? コミュニケーション学的に?
 何と説明したら良いのだろうか?

 
 私が太鼓で語りかけたもの
 
 「兄貴! 元気そうだね! 良く寝れた様だね」
 「兄貴! 元気そうだね! 何か良い事が有ったのかい?」
 「兄貴! ご機嫌だね! 美味いもんでも喰ったのかい?」

 太鼓の「一言」は、かようにも様々
 「言語学的」には限定出来ない

 彼の太鼓の答えはこうかもしれない

 「おう! 今日お土産たくさん買ったよ」
 「おう! 今日娘と電話で話したよ 元気だったよ」
 「おう! お前も元気そうじゃないか」

 これのどれだかは分からない。 どれでもないかもしれない

 けれど、私が
 「兄貴! 人生って楽しいものかい?苦しいものかい」
 「兄貴! 音楽って楽しいものかい? 難しいものかい?」
 「兄貴! 太鼓って楽しいものかい? 大変かい?」
の様な事を語りかけた時、

彼の太鼓は、

 「おう! 長旅には備えの他に、心構えが必要だよね」
 「おう! 神様の意思だから文句は言えないね」
 「おう!お前の太鼓は息子かい? 母親かい?」

の「様な事」を答えてくれる。

これをして、全く「会話になってない」と取るか?「通じている」と取るか?

 私たちの太鼓「合戦」の後、さらにもり上がった会場

 ジェンベ青年達の太鼓の言葉
 「ぼっぼっ僕はどどどどど〜! ぼっ僕だ〜だだだだだ〜! 
 僕は、たったっ太鼓がががががが〜 好き〜だだだだだ!」

 何分経っても変わらない。拍子が変わっても 変わらない

 太鼓の師匠と私がその輪に入る事はなかった。
 
 意外にギャラリーは楽しそう「太鼓が好き」って事が伝わる、と評判が良い

 太鼓の師匠と私の会話を「聴き取った人」は居なかった。
 「会話をしている」と理解した人は数人居た。

 しかし、彼が初めて触る人の太鼓を「人様の息子」の様に慈しみ、礼儀を払った姿
 ほとんどの人が気づかなかった。
 気づいても「はにかんでいる」程度にしか理解しない

 自分の息子や人様の息子
 「好きだ!」と簡単に言える理由が無い。

 「太鼓が好きだ〜!」と叩ける人
 自分が好きなんだなぁ と理解出来る

 食べ物番組やCMのモデルさんの様
 「美味しい顔」「美味しそうな顔」
 私は食欲をそそられない

 むしろトノサマバッタの食事を見ていると
 ススキの葉を生で食べてみたくなる。
 遥かに名CMタレントに成れる。

 トノサマバッタは本能で「身を守る」だろう。
 しかし「自分が好き」なトノサマバッタに有った事は無い。
 みんな「風が好き」「緑が好き」「太陽が好き」「ススキが好き」

 

 
 東京では中々居なかった

 九州には「会話」が出来そうな
 と言うより「音楽」に「自分らしさ」を出している
 トノサマバッタの様な
 真っすぐな演奏家が少なくない

 やっと出来た
 パーカッションEnsemble「Dum-Dum」

 五人全員揃う初LIVE

 7月29日(日)
 民族音楽センター&若林忠宏ProduceのLIVE-Event「Tetra-Ptera」
 中央区赤坂Calloway 18:00会場 


   
 7月14日(土) 「利きJAZZならぬ、利きインド音楽」
 

 2007年07月14日
16:28 「利きJAZZ」ならぬ
 先日、メンバー、日記愛読者さんの間で「面白い!」と評評判良かった
 「利きJAZZ」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=485886304&owner_id=327576

 昨晩、計らずとも「利きインド音楽」をすることに。
 面白かったです。
 
 先日の「ジャズ」は、自分の演奏楽器がほとんどないので
 「リスナー」に徹している。だから客観的に言える。
 しかしながら「インド音楽」は35年も演ってますから、果たして??

 池袋と目白の間の東京音楽大学付属民族音楽研究所での「民族音楽社会人講座」
 毎回盛況で、今回はアラブ太鼓講座も増やしましたが定員オーバー。楽器の用意を増やして16名ずつの盛り上がりでした。

 しかも毎回レベルが上がる。
 その上、今迄の月二回、隔週ペースが今期は「夏休み」に阻まれるので圧縮の毎週ペース。それも功を成して、残す2レッスンでカリキュラムを終了。

 「何でも好きな事を質問して」の時間になりました。
 インド音楽太鼓タブラのクラスでは、楽器の買い方やメンテナンス.......。どんなCDがお勧めか?などなどの質問が。

 急に「シタールとタブラのやり取りって?」という深い話題になり。
 な