考えた事 2007年3月後半〜
時々考える 「趣味が無い」と。
果たしてこれで良いのだろうか 中学生の頃 まだ民族楽器が数本。 あの頃は趣味の域だったかもしれぬ。
小学校の頃 近所のお兄さんがくれたカブトムシひとつがい。 数十年経って昆虫飼育が復活。飼育器具だけでコンテナ一個分 カブトムシとクワガタだけでも数十種の累代飼育。
昆虫雑誌にコラムを書かせて貰った。 毎月の食費。昆虫が、人間、猫さんを越えていた。 販売はしなかったけど 趣味の域を超えていた。
淡水魚飼育。 累代に至らなかったから。 趣味のレベルで中断している。 水槽が10本。 最大は120cm。 渓流魚の為に玄関にクラーを付けた。 趣味の域を超える手間暇掛けていた。
幸いにして、ギャンブルをしない。 投資もしない。 パチンコさえも人生で二回位。 きっと趣味の域を超えるだろうから? それよりも、その暇が無い。
打ち上げ以外で滅多に飲まない。 晩酌もしない。
趣味の様な音楽、趣味の様な昆虫飼育、淡水魚飼育で 趣味をやってる暇が無かった。
二年間で70回近い九州通い。 意義、目的と夢は、まるで趣味の様。 採算を考えたら出来ない事だらけ。プロにあるまじき。 そのお陰で、昆虫飼育、淡水魚飼育、楽器製作はお休み中。 休めるものは、やっぱり趣味だったのだろうか。
でもイタリア民謡はしばらくやってない。 クロアチアもご無沙汰だ。ならばあれらも趣味かもしれぬ。 単にお呼びが掛からないだけのことである。 マオリコーラスも何年も呼ばれてない。
今日、もの凄い事を言われた。
「先生は音楽に命を掛けている。自分はそこまで音楽に真剣に成れない」
とんでもない。
音楽より猫さん、家族が大事に決まっている。 僕の何をして「命がけ」と見たのだろう。
確かに自分の命を削っているかもしれない。
くたくたに倒れ込んでも、夢にカブトの幼虫が水を欲しがって出て来れば ガバッと起きて水を遣る。相手は命。自分の命は削ってもするべきだった。
優先順位とか、ペース配分とか きっとおかしいのだろう。 そう言えば クツワムシの餌用に飼育した葛が屋根を伝って アンテナを倒した。 去年は高所恐怖症と戦いながら修理したが、今年は楽器が窓迄詰まって 屋根に上れない。
たまにはTVをのんびりみないと。
JAZZも良い。 弾ける楽器が無い音楽だから。 でも、のめり込んで原稿が書けなく成る。
音楽聴く暇が無い。 きっと全てが趣味レベルだから。
貧乏暇無し。
そろそろ本業が欲しいものだ。
以前「悪気があって欲しかった」という日記を書きました。
「悪気が無ければ善い」という考え、生き方。
二昔前までは「人に迷惑を掛けてはいけない」と教えられいてました。 それが何時の間にか、迷惑だろうが、不快だろうが「悪気がなけりゃ良い」に。
三昔前までは「みっともないからやめなさい」と教えられていました。 これは結構、微妙で...........。 「みっともない」「恥ずかしい」と言うのが「笑われるから恥ずかしい」「格好悪いから恥ずかしい」という「体裁」「世間体」を気にしての感覚と「自分自身に恥ずかしい」「人として恥ずかしい」との微妙な違いがありますから。
思えばこの頃から自発的、内発的な「内なる声」が「か細く」なって来たのかもしれません。
四昔前までは「ご先祖様に顔向け出来ない」と教えられていました。 これは結構面白い...............。 昔の人も、より昔の人の方が「より立派だった」と思っていたのですから。 「まったく最近の若者と来たら.......」のフレイズは、なんと室町時代の雅楽の指南書に既にあると言います。
ご先祖や神様といった見えないものを感じて生きる生き方が、次第に「刹那」に代わる日々の諸々に追われる生き方。 岩波書店「「スローミュージックで行こう」の最大のテーマでもありますが、 昔の人は平均寿命も短かったのに、何故か心にゆとりがあった。
ゆとりが無く成って来ても、内なる声を「啓発」する戒めの言葉があった。 それが次第に「外目」を基準に考える様になって行って............。 ところが面白い事に「外目」さえ気にしなくなってしまい、遂には 「悪気が無ければ善いじゃないか」と自分で答えを出して居直っている。
さて、 そもそも「悪気」って何なんですか? 妬む、嫉む、足を引っ張る、利用する。罠にはめる、貶める。 辱める、馬鹿にする。卑下する、罵る、差別する。
そんなあからさまな「悪気」ってそうそう出来るものなのでしょうか。
「人にされて嫌なこと」
それを人にしてしまって気付かない。 気付かなければ「悪気」じゃない。
良かれと思ってした事、言った事が「重過ぎ」「厳し過ぎ」と嫌われる私には 「悪気」って良く分かりません。
そう言えば、 喫煙者には一層肩身の狭い世の中になりました。
若い頃は、 一人で乗ってる自家用車の排気ガス 臭い息吐いて汚い言葉 何にもまして世に氾濫する陳腐なよがり音楽の薄っぺらな音 これらの方が「よほど質が悪い」なんて反論していましたが。
そろそろ「悪気」に気付かなくてはならない雰囲気です。
悪気が無い人よりも悪気がある人の方が好き。 人の痛みが分かる人だから。
この感覚を分ってくれる人は少なかった。
楽しいから「嬉しい」 美味しいから「好き」 心地良いから「大切」 嫌じゃないから「どうでも良い」
暑いから「暑い」と言う。 寒いから「寒い」と言う。 眠いから「眠い」と言う。
したいから「する」 したくないと「しない」 言いたいから「言う」 言いたくないと「言わない」 だるいから「辞める」
そんな人は多かった。
人間よりも遥かに太古から生きていた昆虫が居る。 ほとんど姿も生態も変えずに何億年も生き続けている。 「生きる」と言う事の手本なのかもしれないけれど 恐らく何時の世でも嫌われていた。 クワガタムシの雌は凄い。 「この朽ち木では子が育たない」と思うと産卵しない。 これも本能の一種かもしれないけれど。 内発的に「感じた」「考えた」様に思えて感心する。
人の心の中には「黒い種」が有る。 おそらく誰にでも「有った」に違いない。 それは「悪気の種」かもしれないけれど。 「痛み」が解る種でもある。
子どもの頃に飲まされた「正露丸」 あんな感じの 辛くて、苦くて、美味しくなくて。
ちなみに「正露丸」はそもそもは「制露丸」だったそうな。 日露戦争の頃「露西亜を制圧!」の意味を込めて売り出した。 仮想であっても敵を作るのは芳しくない。しかしある意味商魂逞しい。 腹を下している場合じゃないぞ! 元気になって頑張ろう! そう子どもに言い聞かせて、あのもの凄く「まずい」薬を飲ませたのだろう。 「良薬口に苦し」の最上級。
人の痛みが解らぬ人 悪気の無い人
「黒い種」はどうなさったのだろうか。
苦いから「ぺっ!」と吐き出してしまったのだろうか。 それともオブラートに包んだか。 それとも溶けて体中に充満したか。
「黒い種」が身体の中 心の中にしっかりある人 あのキツい臭いが口から出てしまわぬ様に あの苦さで顔が歪んでしまわぬ様に 何時も気にしていなくてはならない。
悲しみを捨ててしまわない人 心の中に「蒼いガラス玉」がある。
薄くて壊れ易いが、とても綺麗な神秘的な色。 温かさは全く無いのに、何故か冷たく感じない。
中に入っているものは何だろう 涙の様な液体にも見える。
幸せだったあの空気感がほんのりと詰まっている様にも思える。
ガラス玉が割れてしまったら
心の中いっぱいに悲しみが流れ出してしまう。 そうしたら生きて行く事さえ辛くなる。
心身ともに健康な人 くよくよしない明るい人 寂しがらない強い人 悟った様な立派な人
心の中には無いのだろうか
「黒い種」と「蒼いガラス玉」
悪気の無い人の悪気が解る人 人の痛みが分かる人 何が大切で何をなくしてはいけないか 何を守って何にこだわって 優しく強く分る人には きっと有る様な気がします。