考えた事 2006年11月-2〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 11月5日(日) 新版「舌切り雀」
 

 2006年11月05日07:10 たとえば、こんなの

 ちょっと昔、日本の長閑な山の奥に、若い夫婦が住んでいました。
元々山で生まれたのか、都会が賑やかで疲れるので、自然が豊かな山に移ったのかは分かりません。

 二人は、食べる物も、着る物も、全部自分たちで作っていました。
 「障子」という部屋を仕切る扉に紙を貼る「糊」までも、小麦やお米で自分たちで作りました。
 妻は「大変だから街に買いに行けば良いのに」とちょっと思っていました。何故なら、自分たちで作った「糊」は直ぐに使わないと腐ってしまうからです。

 二人の家には何時も雀が遊びに来ていました。
二人は自分たちの食べ物から少しずつ、ご飯や豆やお芋をあげていました。
だから雀達は二人が大好きでした。 雀達は出来上がる前の「糊」をピチャピチャなめるのも大好きでした。

 ところが有る時、「糊」をなめた雀達が死んでしまいました。
妻がこっそり街で買った糊を腐らせない「薬」を入れたからでした。

 妻は「こんな事になるなんて知らなかった!」と言いましたが、夫は「雀が街に居ないのは、危ない物がいっぱい有るからだ、考えたら分かるだろ!」と叱りました。

 夫は雀達のお墓を作って、雀の神様に謝りました。
 そして毎日少しずつご飯や豆やお芋をお供えしました。
でも、もう二人の家には一羽の雀も遊びに来なくなりました。

 在る時、夫が山に芋を掘りに行くと、楽しそうに歌う雀達の声がしました。
夫は懐かしくて近寄って行きましたが、歌声はふっと消えてしまいます。
 また少し離れた所で聴こえるので行ってみると、またふっと消えてしまいます。

 歌声に導かれて来たことのない林に着くと、そこには松茸がたくさん生えていました。
 家に戻った夫は「この松茸を少しずつ街に売りに行こう!」と言いました。
妻も「そうね!」と言いました。
 たくさん売りに行くと、松茸が無くなっちゃうし、街の人達が興味を持って山にたくさん来てしまうからです。

 二人は前より少しだけ畑を大きくして、寒い冬にもお腹が減って悲しい思いをする事がなくなりました。
 そして前よりたくさんお米を庭に置くようにしました。
 すると雀達がまたたくさん来る様になりました。

 妻はそれを見てニッコリ微笑みました。
夫はその笑顔を見て、嬉しい気持で山に仕事に出掛けて行きました。


 11 月9日(木) 抱きしめていますか?
   2006年11月09日07:21 抱きしめていますか?

 あなたは大切な人を抱きしめていますか?
どんな風に抱きしめていますか?

 あなたは お子さんを毎日抱きしめていますか? 
 泥だらけになった子どもを 抱きしめられますか?
  汗だらけになった子どもを 抱きしめられますか?

「まずお風呂に入って来なさい!」「洗濯した服に着替えなさい!」
そしたら 抱きしめてあげられますか?

 それは、ばっちいからですか? 臭いからですか?
  自分が汚れるからですか? 汚いのが嫌いだからですか?
  可愛くないからですか? 抱きしめられる資格が無いからですか?

 迷子になって何日も泥だらけになって、歩いて戻って来た子ども
それでも「お風呂に入ってから!」抱きしめますか?

 どうしても許せなくて、どうしても負けたくなくて、悔しくて
 しかたなしに喧嘩してしまって。
 負けて泥だらけになった子ども。泥と涙でぐしゃぐしゃな子ども。

 それでも「お風呂に入ってから!」抱きしめますか?

 頑張ったけど負けちゃった試合。 
 頑張りが足りなかったから負けちゃった試合。
 頑張って勝った試合。

 どれにしても汗だくで・・・・・・。 あなたはお仕事の服を着ている。

 それでも抱きしめられますか?

 悪い友達とばかり遊んで。 人相が悪くなって。 らしくなくなって。 変な格好をして。
人を睨みつけて。 口答えをして。  可愛くないし、悲しいし。 

 それでも抱きしめられますか?

心も身体も、悪い感情で泥だらけになった子ども。それでも抱きしめられますか?

嘘をついた子どもを あなたは抱きしめられますか?

万引きをした子どもを あなたは抱きしめられますか?

 あなたは自分の親を抱きしめられますか?

 毎日抱きしめてあげていますか?

 年老いて ばっちくなった親を抱きしめられますか?
年老いて 面影を失った親を抱きしめられますか?

  抱きしめてみて 悲しい位に弱くなって  泣きたい位に やせ細った親を
  あなたは抱きしめられますか?
  毎日抱きしめようと思いますか?

 年老いても未だに怖い親。 愚痴っぽくなって嫌な感じの親。
 意地悪な親。 頑固で威張っている親。
 それでもあなたは抱きしめられますか?

 
 何時迄も 毅然としていて欲しい親を  何時迄も 甘えていたい親を
  子どもを抱く様に 抱きしめられますか?

 あなたはどんな人に抱きしめられたいですか?

 強くてたくましくて カッコいい 素敵な人に優しく抱きしめられたいですか?
  守って貰って、 安心して。
 おっきくて 穏やかで。
 とっても良い香りがして、うっとりで。

 あなたはどんな風に抱きしめられたいですか?

 映画に出てくる様な 甘いムードに浸りたいですか?

 アメリカ映画の様に 自然でカッコ良く?
 フランス映画の様に 甘く優しく?
 イタリア映画の様に 粋で お洒落に?
 キューバ映画の様に リズミカルで色っぽく?

 

 あなたは 何回素敵に抱きしめられましたか?

 あなたは 親に何回抱きしめられましたか?

 あなたは その分 大切な人を抱きしめましたか?

 あなたは 同じだけ自分の子どもを抱きしめましたか?

 あなたは 同じだけ 親を抱きしめましたか?

 あなたは 抱きしめる事 抱きしめられる事の価値を考えた事がありますか?
重みを考えた事 ありますか?

 相手によって変わりますか?

 場合によってかわりますか?

 抱きしめたくても 出来ない時は どうしますか?

 11月9日(木) 月と太陽
 

 2006年11月09日08:06 月と太陽-1

 あなたは「月」と「太陽」のどちらが好きですか?

 太陽はエネルギーの源。命の源。ポジティヴの象徴。
あらゆる生き物は太陽から命を貰い、エネルギーを貰い、元気と勇気を貰って生きている。
自分で身体を温める事の出来ない生き物は、太陽の光が弱い季節はじっと耐えて春を待つ。
太陽が強過ぎる生き物は、太陽のエネルギーを貯めている生き物の命を頂いて生きている。

 冷えた身体は太陽の光を受けて温かくなる。
細胞を活性化し、光合成は栄養を生み、ビタミンを創り出す。

 でも。冷えた心は温まらない。 乾いた心はより乾く。

 流れ出た涙を乾かしてくれるけれど。涙の源までは乾かせない。

 太陽は自分の分担をわきまえているから。 
 涙の源を乾かしてしまったら、心が死んでしまうから。

  月はエネルギーと命のしまい場所。 ネガティヴの象徴。
悲しみをたくさん蓄えた涙の海。 

兜虫の蛹は、月の呼びかけで眠りから目を覚まし、夜の地上へと登って行く。
海亀は月の呼びかけで浜に登って産卵する。
月の悲しみを一杯受けた母亀は涙を流しながら卵を産む。

 

 太陽は、曇りの日でも私たちを照らすが、月は隠れて見えない。

 だから太陽は偉い! 雲に負けずに照らしてくれるから偉い!
 雲が少しでも晴れれば 陽射しをくれるから凄い。

 月は無精者。 雲に隠れて時々サボる。
 弱い光は見えなくなって。 街も心も暗黒で。  歩いて行く道さえ見失う。
 月は不親切。

 弱った心には太陽はきつ過ぎる。 雲は優しくそれを守ってくれる。 
曇った心には弱い陽射しが ゆっくりと時を待つ。 雲が晴れる時を待つ。

 曇った心は壊れ易い。 月は「今は帰ってくるな」と言う。
雲で隠れて見えなくなって。 「そこで堪えて頑張れ」と言う。

 てのひらを太陽にかざすと、とってもぽかぽか温かくなります。
 手の甲を太陽にかざしたことがありますか?

 てのひらを月にかざしたことはありますか?
寒い冬に空に向けててのひらをかざすと 身体はいっぺんに冷えますね。
 そんな時、手の甲を月にかざしてみて下さい。 不思議に温かくなります。

 あなたは「月」と「太陽」のどちらが好きですか?

 2006年11月09日10:52 月と太陽-2

 昔、日本がとても元気だった頃、太陽の申し子と呼ばれる人々が居た。
明るくて強くて元気で。 たくさんの人々が絶賛し、憧れて、そして従った。

 日本はとても強くて大きな国になって、 たくさんのビルが建ち、たくさんの高速道路が作られた。 そしてたくさんの日陰が出来た。

 日本が元気じゃなくなった今。 人々の顔つきが暗く、険しくなった今。
太陽の申し子達も怖い顔になった。

 明るくて強くて元気だった人達が、 弱った人、困った人を切り捨てている。
 隣の国の人々、世界の国の人々を追い返している。
 太陽の申し子達とその信者達は、弱い人を陽の当たらぬ所に追いやっている。
太陽に当たっても元気でいられる健康な人、鈍感な人ばかりを守っている。

 太陽は人の心を優しく育てはしなかった?

その人達は本当に太陽の申し子だったのだろうか?

 日本のあちこちの田舎には、真っ黒に日焼けした 明るくて強くて元気な人々が
きっと、まだまだたくさん居る。

 その人達は、月も愛でているに違いない。

 きっと。


 

   
 11月10日(金) カルチャーショック 
    カルチャーショックを経験したことがありますか?

 昔、インド音楽教室の生徒さんを頻繁にインドに連れて行っていた頃、
空港を降りるや否や、街迄のバスの中で無言になって、ホテルの部屋に引き籠ってしまった人が居ました。
 ところが、一週間もするとケロッと元気になって、最後の方は勝手に出歩き、買い食い迄して心配したものです。

 私はインドにカルチャーショックを感じたことがありません。
常に緊張感が有ったからかもしれませんが.............。
  逆に日本人の生徒さんが、インド人師匠のレッスンを受ける際の格好について「要は中身だろう!」と反抗した時にカルチャーショックを感じました。
  イスラム教徒の師匠には半ズボン、ミニスカートは不適切。 ファッション志向は二の次で純白のインド・シャツにしなさい。に猛反発が起きました。

 でも、この感覚は、かつての日本人なら問題なく理解出来た筈。
昭和30年代「ツィギー」というアメリカ人モデルが来日し、空前のミニスカートブームが起る迄は、女性でさえ膝を露にはしなかった。
  昔の田舎の女性は屋外では必ず頭に頭巾を卷いていた。純白のシャツとブルー、ピンクetcのどちらが相応しいか? も分かっていた筈。

 私はむしろ世界中の音楽、師匠、現地研修でカルチャーショックを殆ど感じなかった。忠告されても、言われて「思い出す」事ばかり。
  昔の日本人なら「普通」に持って居た「感覚」でオッケーなのです。
逆に「あれっ?」と思うことが有ると、現地のご年配が「顔をしかめて」いました。

  日本はそれほどに純朴で豊かな「心の文化」を持って居たのです。

 それに自信を持って、思い出し、より古い感覚に学び、取り戻して欲しいものです。
そうすれば日本は再び元気になる。そしてテクニックだスキルだなどではない分野で世界に貢献出来ると確信します。

 しかしながら、かく言う私が、日本の各地方でカルチャーショックを感じることが少なくない。物を食べる口を見せることが平気な地域。時には開けた口から舌がお迎えに出て来る! 
 ライブスポットを始める迄、我が家は三十年ほど「賄い付き学生下宿」をしていましたが、男女に関わらず香水がキツい人に薄情な人だらしない人が多かった。思い込みでしょうが、数十人の経験値です。

 悪く言えば、全国何処でも「自分の所が一番」の意識が強い。
よそ者の意見にはまず顔をしかめる癖のある地域。
 人の意見はまず反論。「あれっ?結局同じ事じゃない?」と思う様な話しでも、まず反論。時には人の意見を上手に自分の意見に替えてしまったり。
 人をけなして「親近感」を感じ合う地域。調子を合わせていると怒られたり。「なんで!」と思います。

 この十数年「無国籍」という言葉とその感覚が好まれていますが、「無国籍国際人」と「多国籍国際人」のどちらがよりキャパが大きく、思慮深いかは明白です。
でも今日の日本で「カッコ良い」と言われるのは逆。

 東京に生まれ育って地方に行くと、日本は「多民族国家」なのではないか?
と思うほど多様です。東京で感じた「あれっ?」は各地方で裏付けられます。
「これが根源か!!」と。

 「難しい!」と思うのは、その「多民族的日本」の中に、これでは単なる田舎者、そのままじゃ世界に出てカルチャーショックを味わうゾ! というか日本の恥!の部分も有れば、
「本来の日本人らしさ」の素敵な部分もあるのです。

 それが「マカロニサラダ」の様に混じってしまっていると「難しい」と思ってしまいます。

 更に「難しい」「大変だ」と思うのは、この「文化、習慣の違い」を踏まえて、組織を作ったり、楽団を作ったりする場合。
リーダーの威厳をもってまとめる事は出来ても所詮は上辺の統率。 
こと音楽の様な「心」がリアルタイムで表現される芸術の場合「上辺」のまとまりでは無味乾燥です。地域的な癖を直さないと、全国、世界には通用しないゾ!と思います。

 もっと大変なのは、恋人関係や夫婦。

一対一ですから威厳も統率もない。 表問題も中身問題も一旦ぶつかり出したら大変です。
相手がNOと言えばこちらの価値観、感性、常識は否定されてしまうから。

 同じ地域であっても、家族ごとに微妙に異なる感覚が結婚によって出会う時、問題になってくるのは「違い」。これは共通する通じ合うことの喜び感謝をもってしても、乗り越えられない壁になったりします。

 さらに人単位で言えば「教養」の違いもあります。「感性」の違いもあります。

 これに関してユニークな経験があります。
 数年に渡って東京の「国際結婚の会」で演奏していた頃、外国人のご主人、奥さんは私の民族音楽の大ファンなのですが、日本人のご主人、奥さん連は始終退屈そうなのです。
 お相手が惚れ惚れと聞いている姿が面白くない方も居たかもしれません。感動しても外人さんより表現が下手、も有ったでしょう。でもあの表情は「民族音楽ファン」の日本人のものとも明らかに違っていました。

 残念でつまらない結論を言いますと、日本人のご主人、奥さんは欧米趣味なのです。
西洋クラッシック音楽やジャズならウキウキ聞いたかもしれない。そんな感覚です。
 彼らが憧れているものは外見? 好き合って、愛し合って一緒になったんじゃないの?
 お相手が喜んで聞いている時につまらない顔をしている日本人がかなり恥ずかしかった。

 民族音楽ファンなどと言う言葉があり得ないほどマイナーだったころ、
音楽なのに音大生が無関心。代わりに美大生が興味を持ってくれた。そんな感覚にも似ています。

 かつての日本を愛する日本人。日本人らしい日本人だったらそんなことはなかった。
音楽の中身、感性を受け止める力があった。
 もし好みに反していても相方が喜んでるならそれを喜べた。
少なくとも演奏会の雰囲気を壊すことは無かった。退席しようとして夫婦喧嘩が始まったこともありました。

 この思い遣りの心のゆとり、どんなものからでも学ぼうという謙虚さ、上辺で判断しない鋭さを昔の日本では「教養」と言った筈です。

 たまたまでしょうが、その会には日本人らしい方が居なかった。上から下迄外国製の高価なドレス、スーツのスマートで素敵な方々ですが、西洋クラッシック音楽を嬉しそうに聞く姿を見てもきっと何かが違う。
 その様な教養も心も無い欧米志向は単なる「趣味」。昔の日本ではそれを「悪趣味」と言った筈です。

 「悪趣味」「ケバい」は表面的志向。
 悲しいことに表面的な「親切」「思い遣り」「格好良さ」「金使い」にうっとりする希薄な女性が増えました。 それでは本来の日本人らしい男らしさが映える時はなさそうです。
  本来目に見えない所、言葉にしない所で頑張っていたり、むしろ自分が格好悪かったり、悪役になって庇ったりしたものですが、あまりに通じない、気付かれない。
代わりにこれ見よがしにやってのける奴がモテる。
  しかたなしに言わなきゃならない。言ったら日本人男性らしくない。
  本末転倒。情けなくなって更に自己嫌悪、自信喪失です。
そこに「勝ち組」「負け組」などという流行語が登場すれば、純度の高い日本人男性は激減します。

 男を支え、癒し、励まし、頑張らせて幸せになる、そんな感覚の女性が居なくなった。日本人らしい純朴さは、あたかも「田舎もん」「格好悪い」とけなして日本人男性の自信をくじき、まるで外人さんと結婚したいかの様な日本人女性が増えた。

 中身じゃなく上辺ですから外人さんにしても迷惑です。夫婦喧嘩になった演奏会での、外国人のご主人の悲しそうな顔が甦ります。
 日本人観光客の女性にモテるのは、欧米の各街でちゃらんぽらんな奴と思われている様な外国人だったりも多い。女性が日本に呼び寄せてから借金、浮気でしょっちゅう騒動というカップルを十組ほど知っています。
 もちろん素敵なカップルも同じ位お友達ですが、日本人が日本人らしくて「ケバくない」。

 マカロニサラダ問題の解決は、個々が自発的に修正することと、見本と成る日本人が現れることの双方同時進行が良いのかもしれません。
 が、後者の方はなかなか大変で、スポーツ業界、映画界で素敵な日本人を海外に印象着けた人が女性を庇う心に欠けていたり。TVで平気で「愚妻」と言ったり............。それは本来の日本男性の姿ではない。 
 しかし某有名占い師さんに言わせるとどちらも夫人の方にかなり問題が有った様で、占い師さんは女性ながらも今の日本人女性には大変厳しい意見をおっしゃいます。

 そうするとひとりひとりの日本人の修正が頼りになって来ます。
しかし「悪趣味」「ケバい」は直ちに改められても、長年の習慣や、身に着けて来なかった教養は急には解決出来ません。
 実は、その部分を恥じればあっと言う間なんですが、どうも「そこがカッコ良い」と未だに思って居るフシがある。
 日本はとっくに豊かなのに。むしろ欧米趣味、上辺美意識が無かった頃の方が豊だったのに。

 最近、そんな日本人で「スローフード」「マクロビオティク」「日本人らしさ」を語る人が増えて来ました。 

 私はそれに今迄で最大のカルチャーショックを覚えます。

   
 11月1o日(金) 考える事は素晴らしい
   2006年11月10日18:44 考えることは、素晴らしい!
 
「考えること」は素晴らしい。

 たとえ間違っても、それは改めれば良い事だから。
気付けば良い事だから。その為に考えるのだから。

 でも慰めの言葉、励ましの言葉を求め出すと、 考える力は衰える。「これで良いんだ」と思いたくなる。 そのままで良いんじゃない?」と言って欲しくなる。

 慰めの言葉、励ましの言葉をくれていた人が、突然くれなくなった。それはショック。悲しい。 でも、それが何故なのかを考えずに、別な所で求めてしまう。

 新たに慰めの言葉、励ましの言葉を求めてしまう。 不思議な事に、それが得られたりする。神様は意地悪だから。 そんな試し方をする。

 人それぞれで感じ方、考え方は異なる。  そうかもしれない。

 でも、判断の基準は、根っ子の方に行くに従って普遍的な筈。
日本人なら日本の土壌に根ざしている筈。

 考え方の色々は、同じ土壌に根を張り、幹から枝葉と別れて行く。辿ってみれば「全然考え方が違う」なんてことはありえない。

 日本の伝統、しきたり、文化に誇りを持ち、 自分の中の日本人の感性に自信を取り戻すなら、 必死で考えるべきだ。そうすれば日本も元気になる。 中途半端は怖い。「日本風の日本」で良い筈が無い。

 世界中に太陽の歌があるが、太陽の下では人は考えない。 笑顔で笑って、歌って、踊っている。 世界中に月の歌があるが、考える、想う歌が多い。

 人は本来、太陽の下で笑い。月に想う。

 翌朝元気で笑顔で居られる様に、月夜にはしっかり考えよう。

 太陽に向って元気で堂々とした日本人らしい日本人で居られる様に しっかり考え、しっかり改めて行こう!

   
 11月10日(金) 上辺の文化
   2006年11月10日23:54 上辺文化−1

「上辺文化」
上辺の体裁、格好良さを問う風潮。 分かり易さを競う風潮。
外見の方が内面より分かり易いから? それは騙し易いから?

 外見の良さを讃えること。 内面を見ない事に繋がるだけでなく、
「外見が悪い」を次第に定義して行きはしないか。

 いずれ「外見が悪い事」を卑下し、嘲笑する文化を育てる。
それがイジメを生み、差別を助長する。

  外見は悪くてもけなさない、嘲笑しない。 同時に良くても安易に誉めない。

 頭の悪い者は、からかわれたが可愛がられた。 頭の良い奴はむしろ嫌われた。

 金持ちでさえ家の中で密かに財宝を眺め、 派手に見せびらかしはしなかった。

 派手な外見は役者など特別な職業。 「傾き(カブキ)者」と卑下されていた。

 それが本来の日本人の文化だった。


 2006年11月11日00:10 上辺文化−2

「上辺文化」は社会を二分した。

  日本人が物事に「優劣」をつける様になったのは 一体何時頃からだろうか?

 本来は陰と陽も、善と悪も、艶と侘も、賑と寂も..........。
両極端が「相まっている姿」を尊ぶ民族であった。 それが本当の男らしさ、女らしさにも通じていた。

それが.........。

 叱られる事より、誉められる事を選ぶ。 諭される事より励まされる事を選ぶ。
厳しい言葉より甘い言葉を求める。 本来は「叱咤激励」相まっていたもの。

 負ける事より勝つ事を尊ぶ。 弱い事より強い事を誉める。
小さい事より大きい事を良しとする。 選ばれなかったものは何処に捨てられるのだろうか。

 苦より楽を望む。 慎ましいことより贅を望む。 喜怒哀楽のバランスは考えない。

 ファストフード文化、ファストライフ文化
「何時でも、何処でも、誰でもが、安くて早くて簡単に」

 それを「自由と平等」と讃える文化。

 誉められ、励まされ、甘やかされる事を選べば 心も身体も弱くなる。

 にも関わらず、 大きく、強く、逞しくなって
「勝ち残れ!」と激励する。

 頑張れば勝てるという「嘘」をつく。 弱い者が勝つ為には、より弱い者を挫くのみ。
弱い者を虐めて「勝った」という嘘。

  それを「自由と平等」と讃える文化。

 
 2006年11月11日01:30 上辺文化−3

 上辺の艶、見た目の派手。 苦より楽。哀より喜。 考えない、想わない。

 憂う事と言えば
「何故苦労の割に利が薄いのではなかろうか?」
「何故上手く行かないのだろう?」

 考える事と言えば
「どうやったらお金が楽に手に入るか」
「誰をどう利用すればお金が手に入るか」

 想う事と言えば
「お金が入ったら何を買おうか」
「どんな車を買おうか」

 心地良い方ばかり選んで本来のバランスを失った。
そんな人々が「日本人らしさ」を語っている。 和服を着れば日本人? お茶をたてれば日本人? 和食を好めば日本人? 山河を愛でれば日本人?

 何処かに犠牲を強いながら。切り捨てた物を何処かに隠しながら。弱い者苛めの勝ち組とそれを目指す人々が、増えて来た。

 そんな日本で、「スローライフ」「スローフード」を讃える人も増えて来た。それは中身を重んじる人々の中からであろうか? 外見に惑う人々の中からであろうか?

 似て異なるもの程怖いものはない。 本物を見抜く力が無い者の前に良く出来たイミテーション。
 本物は意外に弱い。「スロー」に創っているうちに遅れてしまうから。 後からやってきて「私が本物です!」と言っても見向きもされない。

 上辺の艶。見た目の派手。 心より技。 叡智より知恵。 知恵より「資格」
そんな風潮に群がる業者に踊らされていることに気付かない。

 内面の艶。心の粋。精神の贅。 強きを挫き弱い者を庇う心。 賢いズルさを暴き、お馬鹿な正直を守る。 それが日本人の教養であった。

 親が教養を教育者に押し付る。 教育者はそんな風潮で育った者達。
少数派の頑張りも日々厳しくなって行く。 先生が頑張ってもPTAで潰される。

 近所の人が他人の子どもを叱る事は無い。 面と向って意見を言う人も、聞く人も居ない。
陰口を言うのが関の山。後ろ指が関の山。 それがブログ文化の根源。

 誹謗中傷か、当たり障りの無い甘い言葉の羅列。 意気投合出来て嬉しい!と言うが

 投げ合った「意気」は何なのか?
「興味が似てる」「趣味が似てる」「好みが似てる」 「価値観が似てる」

 否応が無しに聞かされる大声の会話。 その会話の中身の無さに驚かされた。
ブログのやり取りそのままだった。

それが悪いと誰も言わない。

「誰もが何時でも思った事を自由に書ける」 「表現の自由」とはき違える。
コミュニケーションのファスト化。

 昔の日本なら「恥知らず」「つまらない」「無意味」「無駄」 それに途方も無いお金を掛けて「遊んでいる」

 人が集う場所はみな、知性を育てる場所だった。
夢を語る場所だった。 社会を憂う場所だった。
パリのCafeを挙げずとも日本でさえも、その昔は.......。

店 主には気品と叡智とポリシーが求められた。

 それが今では安かろう楽しかろう。美味しかろう。面白かろう。
お客をからかってポリシーがあるかのごとく。 構ってもらって喜ぶ客。会話はたいして中身が無い。 知識、情報をひけらかすか、寡黙に押し黙って物知り気。

「そんな場所ばかりじゃない!」そりゃそうで当たり前。 数が多かろうが少なかろうが。
そこから何が生まれるか? そこで何を学べるか? 仕事が増える? 友達が増える? 憂さが晴れる? 癒される?

 そんな良い場所が有ったのに。何故日本は悪くなった? それは自分の知らぬ所で、知らない人がしでかした?

 店は簡単に畳めない。儲けの如何に関わらず。 「看板出す」責任。それほどの決意。
それが今では路上に筵を敷いて商売が出来る。

 武士は喰わねど高楊枝。 芸術家は貧乏しても信念貫いたものだ。
死後数十年経って評価された人も数知れない。 この数十年、そんな芸術家が現れていない。

 あらゆる業種にプロフェッショナルが居なくなった。

 批判する人間はこう言われる。
「あなた一体何様?」「なんで自分だけが正しいの?」

 そして、いずれ淘汰される。

 

   
 11月12日(日) 上手く行かない時
   2006年11月12日04:53 上手く事が行かない時

 人生には、何もかもが上手く行かない時がある。
数年に一度の大きなものも有れば、小さなものならば
一年の中に幾つか有るかもしれない。

 それは試されているのか? それとも止められているのか?
 新しい友に聞いてみようか? 古い友に聞いてみようか?
 大好きな人に聞いてみようか? 苦手な人に聞いてみようか?
 好いてくれる人に聞いてみようか? 嫌う人に聞いてみようか?

人生には、何だかしっくり行かない時が有る。
次第に大きくなって行くものから、何時の間にか忘れてしまう様なものまで。

 振り返ってみて、それは大きな分かれ道だった。
そんな時、自分はどんな顔をしていたか?
 鏡に映してみてみようか? そっくりな人に見て貰おうか? 全く違う人に見て貰おうか? 
親に見て貰おうか? 子どもに見て貰おうか?  道行く人に聞いてみようか? 

 新しい事を始める時。 人は誰しも希望に満ちる。
多少の困難ものともせずに。 やれるだけやってみようと。 励ましの言葉をエネルギーに。 

 新しい習い事。 私はそれを提供する側。
思えばかれこれ三十年。何百人もの希望の顔。  変わり目だった人もあれば、変わらず学んだ人もある。 学ばず終わった人もあれば。きっかけを得た人もある。

 三日で答えが出る人もあれば、三年掛かった人も居る。 運気に後押しされた人も。運気がストップ掛けた人も。

 その内顔つきで分かる様になった。 
やっぱりの場合も有れば、後に変わった顔つきも。 良く変わる顔有れば、逆もある。

 人の変わり目に立ち会う事は、良くも悪くも軽くない。
言いたい事は山ほどあれど、人の人生その人のもの。
何処迄が好意で、その人の為? 何処からが勝手な思い込み? その人それぞれのキャパシティー。 その人それぞれのスピードがある。

 長い人生 無駄も回り道も。後で良しと思える場合も。
悔やんで悔やんで情けない時も。

 人生には失敗が続く時がある。 取り返そうと頑張っても
また失敗する時がある。
試されているのか、止められているのか? 急ぐべきか、待つべきか? 進むべきか、戻るべきか?

 後で思えば警告が有った。 
意地悪にしか思えなかった正解も有れば、聞き流すべきの老婆心も。
鼻緒が切れるほどの小さなものから、傷が残る大きなものまで。

 人の助言を受けるのも、人に助言を与えるのも。
どちらもかなり難しい。 
自分の人生自分のもの。 人のせいにはしたくない。
されど多くの世話になり。 少なからずの責任背負い。
つながり切ったら変われる場合も。つながり切ったら飛ばされる時も。

出来れば運気を掴みたい。失敗、後悔こりごりだ。
動けば変われるチャンスかもしれず。 動けば転げ落ちるだけかも。

 頑張り屋の最大の欠点。
一人で頑張ったと思い過ぎ。 世話になるのがやたら下手。
人を使って利用して。上手くやって見せるぞと。上手く行った試し無し。

 それでも何かやらねばならぬ。 時を待っては居られない。
熟睡出来ぬ時も在る。 不安が不安を呼んで来る。
ここに居るのは耐え切れぬ。何かしなけりゃ変われない。

 そんな経験山ほどあれど、人の役には立ち辛い。
老婆心なら言わぬが良い。 好みの押しつけせぬが良い。
嫌われ役も上手くは行かぬ。 励ます事も出来ない時。

 ジレンマばかりが先に出る。 それじゃ誰も受け取れない。

 あれこれ悩んですっきりした。

 思った通りにやってごらん。転けたら助けに飛んで行く。

   
 11月12日(日) 岬の人
   2006年11月12日09:41 岬の人

 岬の人

 大昔、私たちが浜辺に住んでいた頃、岬の先にひっそり住む人が居た。

 私たちは小さな集落を持って、皆で知恵を出し合い、ひじりを作ったり、土器を焼いたりしながら、真面目に働いて平和な暮らしを営んでいた。

 それでも、颱風が来たり、海が時化たり、怪我をする者、病気に苦しむ者が時々現れた。

 その時、長老は「岬の人」を呼びに行かせた。

 大昔、私たちが王に従い、国を持つ様になった頃も、岬の人はひっそり住んでいた。
 
 王さえもが、病気になると「岬の人」を呼びに行かせた。

 人々は困った時だけ「岬の人」と出会った。 
困った分だけの施しを受け、それで細々と暮らして居た。

 岬の人が私たちと交わろうとしないのは、
「霊力」が失われるからであった。

 私たちは「岬の人」に「畏怖の念」を覚えた。 その感情は、同胞には感じないものであった。 「恐れ」と「興味」と「神秘」と「卑しさ」 「近寄り難さ」と「拒絶反応」が入り交じったものであった。

 私たちも平和な時に、好んで出会おうとしなかった。
子ども達が岬を指差して興味を示すと、大人達は剣幕で叱りつけた。
岬の人を呼び寄せた時でさえ、親は子ども達を家の中に入れて「見ない」「見せない」様に努めた。

「力」は群れと交合うと失う。 私たちは「弱い」故に群れた。

 やがて、私たちは「強く」なった。
力を合わせて強くなって。 山の民にも負けなくなった。漁の仕方も上手になり。船も作れば、土器は磁器に。薬も作れば病魔にも勝った。

   気付けば岬には人は居なくなっていた。

   
 11月12日(日) リズム感は良くも悪くも変化する
   2006年11月12日10:06 リズム感は良くも悪くも変化する。

『音感』は、一人で努力して向上する。
曲に合わせて歌ってみたり。 やがては風の音さえ合わすことが出来る。

『音感』は、「良い人」と歌っても良くは成らない。 逆に自信をなくす事も。
『音感』は、「悪い人」と歌っても悪くは成らない。 かと言って自信が増す事もない。

『音感』は「アナログ的」 言わば先天的才能。
しかし日々向上もすれば、簡単には悪くならない。
言わば後天的な力。 
後から築いた教養、知識。美意識、価値観。人生観。

『リズム感』は、一人練習では向上しない。
メトロノームに合わせてみても、本番の演奏は流動的。 緩急自在に変化する。

『リズム感』は「良い人」と歌うと飛躍的に向上する。
自信に満ちて楽しくなる。
ところが一人になってみると。 驚くほどに身についていない。

『リズム感』は「悪い人」と歌うと悪くなる。
驚くほどに悪くなるが、一緒に歌えば気付かない。
ところが一人になってみると。悪かったことに気付かされる。

『リズム感』は「デジタル的」 言わば意識が作るもの。
しかし回りに影響されて、ぶれるし、迷うし、変化する。
生活観や幸福感。嫌悪感や罪悪感。
日々の想いを支配する「気分」や「やる気」や「悩み」にも似る。
表面的にも思えるけれど。実は命のバイオリズム。

「身体」と「心」と「気分」が踊る。
「良いリズム」の人と歌いたい。

「良いリズムの人」で有り続けたい。
 
 人の「リズム」を良く変えるには、
心を強く持ち続けて、良いリズムを運ぶこと。

   
 11月12日(日) なくしちゃいけない店
   2006年11月12日22:33 なくしちゃいけない店

なくしちゃいけない店

 私たちの回りには、まだまだ昔ながらのお店があります。
今でも、極寒の冬でさえ夜明け前に仕事を始める「お豆腐屋さん」 市場に自分の目利きで仕入れに行く「魚屋さん」「八百屋さん」
 そして私が大事に思うのは、昔ながらの喫茶店。
香り自慢のドリップ・コーヒー。目にも愉快なサイフォン・コーヒー。 こだわりのメニュー。
これはコーヒー中毒の喫煙者だからかもしれませんが。 Day-Science  Night-Science。

 吉祥寺では殆ど無くなってしまった。
昔ながらの洋食屋。 時代を感じる焼き鳥屋。 吉祥寺名物「いせや」さんは私が子どもの頃のままですが、 あれだけ大きな街で二三件を残すのみ。

 もしちょっとお暇なら。是非出掛けてみて下さい。
 もしちょっとお暇なら。是非計算してみて下さい。
 如何に利益が少ないか。
 もしちょっとお暇なら。優しい気持で眺めて下さい。 それでも何故に続けているのか?

 暇もないほど忙しくても。無理をしてでも行って下さい。

   
 11月13日(月) 心の記憶
 

 
  私たちには「想い出」という素敵な記憶があります。それは景色や色や音楽や、時には臭いや味で急に想い出される事もあります。
 私は、時々。いえ、かなり頻繁に「あっ!」と想い出し掛けるスウィッチだけ入って、その中身が想い出せない時があります。 でもなんだか心が温かくなります。
 きっと皆さんが感じる「懐かしい」に近い感覚だと思います。 
私はそれを「心の記憶」と思っています。 きっと心が「嬉しかった」と記憶している何か。
 具体的な事が想い出せなくても。   単に記憶力が乏しいだけかもしれませんが。



 2006年11月13日13:26 だからいつでも「はんぶんこ」

「半分個」「はんぶんこ」
いい大人が「はんぶんこ」ビスケットアイスを「はんぶんこ」
酔い覚ましに歩いた夜道で「はんぶんこ」
 前はとっても気まぐれで「今要らない!」が多かったけど。
 いつの間にやらニッコリ笑って、喜んでくれて。
「はんぶんこ」

 兄弟二人で良かったなぁ。 
「ずる〜い!何時もお兄ちゃんが大きい!」
妹の不満は40年も残ってるらしい。
兄にしてみれば、親は何時も妹を庇ってた。
だから「ずるい筈はない!」だから何時だって「はんぶんこ」
親から見ればどちらも可愛い。二つを二つに「はんぶんこ」

 大好きだった母の兄。三つの会社の社長さん。
分けっこしたことなかった伯父さん。従兄弟も僕らもみんなにそれぞれ。
「凄い凄い!」と大喜び。
 子どもの頃身体が弱くて休みがちの叔父には、祖父も祖母も特別扱い。
兄弟たくさんいたのに知ずに育った。「分けっこ」も「はんぶんこ」も。
 たくさん集めた「河童の人形」伯父の寂しさ伝わります。
だれにも分けずに貰い受けました。

 一人っ子は可哀想?
「はんぶんこ」出来ずに可哀想? 
 そうかもしれぬが、違うかも。
何時もお母さんが半分ピンハネしてたかも!! そう思えば「はんぶんこ」
 たくましい母の姿見て「その半分は僕のだゾ!」 そう思えば「はんぶんこ」
 ほんとの事を教えましょう。
我が儘気ままな一人っ子。あなたが残した晩ご飯。 捨てずに食べた母の愛。 お陰で逞しくなりました。

 三人兄弟どうしましょう? 今の日本じゃ偉いこと!! 
皆でご褒美あげたいくらい!! みっつを皆で「はんぶんこ」

 小学校のガキ大将。
女の子級長に叱られて、しぶしぶ僕に謝りに来て。言った言葉が忘れられない。
「俺も謝るからお前も謝れ!」僕は何もしてなかったけど。
虐められただけだったけど。なんか可笑しくてニコっとした。
ごめんなさいも「はんぶんこ」

 甘えん坊は我が儘だ。何時でも「全ぇ〜ん部」欲しがるから。
そんな子どもに言われる言葉。
「忙しいんだから後にしなさい!」「また買ってあげるから!」
僕の母は賢かった。何時でも半分しまって有った。
 忙しくても、困っていても。余裕が無くても。頑張っていても。
何時でも「半分」想っていれば。 大概の事はどうにかなるよ。

 「喜びも悲しみも分かち合い」
それが中々したくない。良い事だけにしておきたい。
悲しい話しは倍に増えそう。出来れば「半分」捨てて来たい。 どっか遠くの知らない所に。
 

 何時でも独りで頑張って来た。相談するのは「不安にさせる」と。実は、それが不安にさせて。寂しくさせて、不信感。
 間に合わなかった事ばかり。今にして気付くその失敗。
相談してもしなくても。隠してみても誤摩化しても。 感じさせていたなら「はんぶんこ」 とっても悲しい「はんぶんこ」 ならば言えば良かったと。

 寝ないでで頑張って飛行機乗って。 たどり着いたらテーブルの上に「はんぶんこ」
 最後のひとつのクッキーが、ちょっと大きめの「はんぶんこ」

 美味しいお土産貰った時も。 畑でミカンを買って帰って。
 美味しいものを見つけた時も。素敵なお店を見つけた時も。

 想い出せばそうだった。そんな気持が支えだった。



 2006年11月14日02:50 どんな時間が好きですか?

どんな時間が好きですか?

 朝焼けの前のブルーな時間。 
何故だか心が洗われる。 何故だか気分が充実する。
徹夜で楽器を作ったり。 徹夜で原稿書きあげたり。
「よっしゃ!良く頑張った」「今日はここでお疲れさん」
そんな時間でもあるけれど。
きっと原点は「受験勉強」
 受験の為の勉強なんか! 人を蹴落とす為なんか! 誰がしてやるものか!
思いつつも勉強好きになって。勉強しても嫌味言われず。とことんやった。
朝焼けの前のブルーな時間。自分で自分にご苦労さん。

 ゆっくり陽が暮れる夏の夕方。
何故だか心が優しくなる。家路という言葉を想い出す。
 たっぷり遊んだ子どもの頃。 母が居ようと居まいとも。
何故だか聞こえるまな板の音。炊飯器の音。ご飯の香り。
 帰る所がある幸せかな? たっぷり遊んだ満足感かな?

 日にちが替わる真夜中頃。
〆切り迫って余裕が無くても。ライブの打ち上げしこたま飲んでも。
 車の多い街に居ても。酔っぱらいが騒ぐ街に居ても。
ふっと静かになった瞬間に、遠くに汽笛が聞こえた気がする。
 生まれ育った荻窪だって、そんな時代は大昔。
それでも聞こえる気がするのは。幸せな日々に聞いたから。

 吉祥寺の外れの一軒家。 福岡南区の小さなマンション。
ありがたい事に不思議な事に。寒くなると陽射しが入る。
 太陽が低くなるからかな。 ゆっくり長く温かく。

 朝から頑張ってほんの一時。 猫さん全員集まって。
子猫の時に決めた場所。 頚、肩、胸、お腹、足の間、つま先、脇腹、枕元。
 ベッドの下にも決まった場所。
 時々起きては舐め合って。ぐるぐる言ってまたす〜す〜。

 ライブの前のほんのひと時。音楽やってて良かったよ。
熟睡してからシャワーを浴びて、お店に着くなりビールを飲んで。
 お馴染みさんと笑顔を交わして、ご新規さんとお話しして。

  そんな時間を想い描いて。夕陽に包まれぐぅ〜ぐぅ〜ぐぅ〜。


   
 11月14日(火) 批判の怖さ、難しさ。
   2006年11月15日02:08 批判の怖さ、難しさ
 
 批判する資格が無い! とか 批判する立場に無い! とおっしゃるな。 批判はとっても大事なこと。 自分のポジション知るためにも。

 批判は自分のため。自分の基準をしっかり持とう!
 批評は相手のため。忌憚ない評価は嬉しいものです。
 誹謗は誰の為にもならず。言った人の価値下げる。

 親しい友達に言うだけでも、ブログに書くだけでも。 もしかしたら「思う」だけでも。
「批判の怖さ」は始まっているかも。 それはされた対象との「同化」

 亀がフラミンゴに「や〜い!脚長!」って意味有りますか?
どうせ言うなら
「何時も高いとこからばかり見てちゃ駄目、たまに水面で横見たら?」
ついでに言うなら
「立って寝るなんて凄い凄い!真似出来ない!」

 無関心よりは意味がある。違いを理解出来るから。
まんまを言うのは意味がない。違いを「違う」と言ってるだけ。
フラミンゴは亀を助けるだろう。
「お〜い陸に上がっとけ! 上から濁流やって来る」

「イジメ報道」「自殺報道」確かに行き過ぎ、偏り過ぎ。 確かにTVは間違ってる。

 犬が歩いててもニュースにゃならぬ。
 棒に当たって始めてニュース? 今じゃローカルも取り上げない。
 犬が立って歩いて棒につまづいたら凄いニュース??
そんな刺激が欲しくてTVを着ける。 そんな癖。そんな慣れ。

 あるブログにトリスの犬のCMが有った。 凄い懐かしい。 良い時代だった。
犬が走っているだけだったけど。

 誹謗の言葉は本人も、見聞きした人々も、みんなの心を曇らせる。
 TVを作る人々の中にも「どうにかしよう!」と思う人あり。
 流されながらも機を待つ人も。頑張り過ぎて挫折した人も。
 虐められてる人さえ居る。

 不愉快な報道があったら、その番組見るの止めましょうよ。
その番組のCMの商品買うの止めましょうよ。 批判、誹謗するならば、そこまでやってみましょうよ。

 やったろやないか!と思ったら、うちの父さんの会社でした。
そんな社会にいるのだから、意味のある批判をしなきゃいけない。

 自分が被害に有った時だけ。自分が不愉快な思いをした時だけ。
 そんな時だけ批評、批判。当たり前になってませんか?

 昔CMをしない車があった。 CMをしないビールがあった。
 その心意気は脆くも崩れたけど、何十年かは頑張っていた。

 肥だめに落ちた人を笑う人。 それを怒って批判する人。
 その批判を批評する人。 それを批評するこの日記。

  なんでも良いから早よ助けんかい!


コメント

2006年11月15日02:45  Cさん

 たすけて〜ぇ

助けを求めている人のCMをボクは、正直・・・ 好ましく見れません。
ボクには、子供がいます
初めての感情が毎日、毎日、生まれている 今日この頃です
幸せです
ですがTVを見ていると最近苛立ちを覚えます

  不必要?な情報?
過剰な情報が増えてる気がします

 子供が大きくなってTVを理解出切る様になった時
・・・なにが現実かわからなくなりそうです
 最近TVを消してしまいます

 お母さんと一緒は、一緒に観てますケド

2006年11月15日02:59 Mさん

 特に「影口」嫌いです・・・
最近は子供の自殺の連鎖や虐待・・・・ TVを見てて気持ちが悪くなります・・・

 Cさん!
アタシも子供と見てますよ!「おかあさんとっしょ」 ひろみちお兄さんのファンだったんだけど・・・・

2006年11月15日03:01WAKKY

Cさん  Mさん

ありがとうございます。分かります。

 この夏、とっても素敵なおばあちゃんの家に遊びに行きました。
人生の中で余計なものは何も足さず、大切なものは何も引かずに来られた、
ほんとに素敵な方。

 昔みたいに元気に歩いてたくさんの人に会いに行けない。
どうしてもTVの前に座っている。そんな人にも容赦なくTVは.............。

 大人が歳を重ねて お年寄りになった時にも

でも。そのおばあちゃんは、孫達の住む社会をしっかりと見分けてらっしゃいました。
お孫さんにたくさん素敵なことを言ってました。

 僕もこの一年殆どTVを着けません。

でも、おばあちゃん見て頭が下がりました。
ご一緒にTVを消さずに それが出来る人になりましょう!

2006年11月15日03:34 Cさん

頑張りますっ!

2006年11月15日03:51 Mさん

上に同じく!!

   
 11月16日(木)  子ども達は変化する
   2006年11月16日22:28 子ども達は変化する。

 成長という言葉は、昆虫飼育もしている私と皆さんでは解釈が違うかもしれない。
 成長という言葉には、社会の事情に応じた親の期待が関わる。
 成長という言葉には、上に向わねばならないという前提が感じられる。
 成長という言葉には、だれかが決めた「正しさ」に沿わねばならない感じもする。
 だから敢えて「変化」と言います。

 子ども達は、日々「変化」する。
 私の言う「子ども」
 一人はもう「成人(?)」して巣立った人間の娘。 あとは13匹+ワンの猫さんとワンちゃん。 日々、時々の思い、感情、体調によっても変わる。 一年間では大きく変わる。  気付けば気付くほど変わる。
  吉祥寺と言えば憧れる人も居る街。でも猫の吉祥寺は伝染病の巣窟。
「ご飯だよ〜! 帰っておいで!」とアルミ皿を叩いた荻窪の時代が懐かしい。
  完全な家猫なのに日々変化する。
学校に行っている人間の子どもが、どれほどに変化するか。

 どんな変化でも受け止める。
良いだ駄目だとは決して言わない。 何故そうなったかを考える。 出来れば優しく見つめてみる。 話してくれる時もある。 猫でもその目に現れる。 「だって・・・・」

人間は、問い質すから難しい。

  昔の子どもは親の為に暮らした。
その頃にもイジメはあったけど。それを苦にする子は少なかった。

 昔の子どもは親の為に生まれた。 その頃に引き籠りなど少なかった。

 昔の子どもは親の為に生まれた。 だから進路に悩む事も少なかった。

  昆虫は数ヶ月。猫は一年で成熟するのに。 人間は20年近くも掛かる。
それは親元に長く居るため。手間もかかるが、親のため。 親を助け、親を育て。それがほんとの「成長」。

 何時の時代でも悩み事はあるけれど。 昔の親子は近かった。
些細な変化も良く見れた。
遠くに居ても近かった。感じる心が強かった。

  回りに捕われたりしなかった。

 自分の子どもなのだから。

   
 11月19日(日) 慣れたらあかん
   2006年11月19日10:37 分かってしまうと悲しいこと。

「慣れる事」と「馴染む事」 その違いにこだわりたい。

 初めて東京以外に部屋を借りて1年ちょっと。 同じ道を帰るのが好き。
時とともに「自分の道」「自分の街」の様な気分。 時々「探検」をします。裏の道。別な道。
そして「何時もの道」に戻る。

 お気に入りの喫茶店。大好きなカレー屋さん。
同じ席に座りたい。混んでたりするから第二候補も用意。
「自分の空間」とは思わない。お金で得たとは思いたくない。 あくまでも「お気に入り」。居させて貰ってありがとう!
  時々違う席に座ります。何時もの席を眺めたり。 違う景色を眺めたり。次来る時は何時もの席に。

  音大の講座に通います。もう三年も教えてます。
いつも同じ道。地元の人も知らない近道。けもの道? お馴染みの猫さんにご挨拶。
いろいろな道をたくさん試して、やっと見つけた猫の道。

 お店の人とも仲良しに。笑顔で迎えてくれるのは、
とっても嬉しく思います。 「うちのお客」の市民権。 「客に慣れた」は嫌だけど。

 リハーサルは嫌いです。
間違わない為なら、自宅でしようよ。 「可能性」や「即興性」の場所確認なら一回で充分。
やたらにやったら「慣れる」だけ。ドキドキ感が無くなるから。
リハーサルは嫌いです。

 夕べも約束壊しました。 ドラムもギターもベースさん。
忙しい中やっと曲を覚えてくれた。ありがとう! 「次はサビだな」気持とオーラが三人分。
Aメロに戻しちゃいました。
後ろで三人プチ慌て。ドキドキ感が甦り。 それから演奏良くなった。音が素敵に伸びました。

 久しぶりのメンバーが。嬉しそう?に笑いました。
「一曲目何?」「新曲だよ」 「え〜!!本番で!!!」は言わなくなった。
「慣れ」てくれたの? 「馴染んだ」の? それとも呆れて諦めた?

 ここ数年の謎が解けた? いろいろな事が繋がった。

 何故人は「慣れる」のか? 何故「慣れたい」人が多いのか?
「安心したい」は「気を抜きたい」? 気を抜く事は何のため? 楽になって嬉しいの?
笑顔が消えて、挨拶消えて、遠慮も消えて、気遣い消えて。 それはあなたの喜びですか? 
「馴染んで」くれた証ですか?

 「礼儀」の話しじゃないですヨ。「思い遣り」でも「気遣い」でも
ましてや「距離」の話しじゃない。 「躾」の話しじゃないですよ。「大切さ」「価値観」でもなく。 強いて言うなら「心根」かな?

「猫っぽい人」「犬っぽい人」 確かに人にはタイプがある。
従順さとか、健気さが。素直で可愛いと言いますけれど。
犬は時々可愛そう。
「相手次第」だから可哀想。 「順列」気にして可哀想。 「ポジョション」気にして可哀想。
「自意識過剰」で可哀想。 「自意識過剰」の裏返し。生意気、我が儘、ふてくされ。
悩んでいる様で可哀想。 悩みに気付かず可哀想。
マイペースが一番なのに。マイペースの意味が分かってない。

 慣れたらあかん!  馴染まねば!
 なめたらあかん!  粗末にされる。
 慣れたらあかん!  なめられる。
 
 素直な甘えは可愛いけれど。
慣れたり、なめたり、気を抜いた入り。 「自分のもの」の安心感? 
いずれも可愛くありません。

「物持ちが良い人、悪い人」 物でも、人でも、時間でも。

 馴染んで抱きしめ、愛用しても。
 ずっと新品、新鮮が素敵。

   
 11月20日(月) 変な夢
   2006年11月20日07:03 変な夢。

 東京に居て、時々背中が冷た〜くなって目が覚めて
変〜な夢、嫌〜な夢で起きる時があります。

 14日の火曜。マイミクさんのミク友さんのプロフィールで、不思議で可笑しいワンちゃんが塀をよじ上っている写真を見たからだと思うのですが・・・・・。

 お弟子さん、多分福岡のS君と道を歩いていたら、突然小柄なビーグル犬が駆けて来て、近くの民家の垂直の梯子を「たたたたた.......」「はしはしはし.......」と駆け上がると二階の屋上に。僕らは「うわっ!すげ!」と言いながら可笑しくてケラケラ笑っている。
 すると190cm位ありながら、さらにマッチョなハーフの。なぜか60歳前後の
懐かしのジェリー藤尾さんに良く似た人が、三歩くらいで二階に駆け上がって。
犬を捕まえて、二階から片足で「た〜ん!」と飛び降りて。
僕らは「うわぁ すげ!」と驚いて。
 何故か、海の家風なカフェで僕らも、そのおっさんも休憩しているところに、
元気なお姉さんが二人来て、ひとりがTVアナウンサーのAさん風で。
おもむろにおっさんに抱きついて。やっぱり大男は良い! とか言う。

15日の水曜。
 バリ島のリゾートの様な所に来ていて。「ああ こんな所にあの娘と来たかったんだ」と思って居ると、その娘がクールでハンサムな青年実業家と不思議な形の「卓球」をしている。
 正方形のテーブルが長いアームでかなり離れて二つ。中心にネットがあって。二人は簡単そうにそれを拡げて「卓球」を始める。
ところがその娘はハバナ葉巻をくわえながら。
 それがむしょうに嫌で「君らしくない」と取り上げようとする。しつこく言っていたらラケットでばしっ!と叩かれて目が覚めた。

16日の木曜。
 どこの家だか、お母さんが子どもに勉強を教えながら料理をしている。
とても厳しく.........。お母さんはキャベツを15cm四方に切っては屑篭に投げる。
それが投扇興の様に妙に上手く。全て屑篭に命中する。 それを「すげっ!」と見ていると、子どもは淡々と。「今の一枚の葉脈は見事だった」と言う。
 その後、子どもはキャベツの葉を薄く切ってプレパラートに貼って顕微鏡で観察する。
プレパラート! 何十年も忘れていた言葉が夢に出て、起きてからびっくりでした。

 17日からは福岡。
 爆睡するからか、熟睡するからか? 
 福岡では、夢を見た記憶がありません。

 幾つになっても、夢は大人にならぬのか?
 それとも中身が幼稚だからか?

   
 11月23日(木) 男親って
   2006年11月23日23:34 男親ってわびしいねぇ

  男親はわびしいね
「お腹を痛めた」実感が無い。 
人がこの世に出るまでの「十月十日」の共有には 愛情注ぎ、時間を注ぎ、手塩にかけても追いつかない。 負い目がある訳じゃないけれど。男親って不器用だし。

 娘は母親にぞんざいだ。
「なんでそんな酷い言い方するの!」 長年、理解出来なかった。 「同性親子」母娘の絆。

 母に抱く敬意と愛慕。
マザコン度にもよるでしょうが..............。
子どものままに今でもず〜っと。 心配掛けて、ガッカリさせて。
酷い言葉も吐きました。反抗期。その分心に残っている。 粗末に出来ない。裏切れない。元気で居てくれ、末永く。 思っていても態度に出せない。他人行儀は嫌だから。
息子も同じく不器用だから。

 父親に対しては人それぞれ。
自分はあまり記憶が無い。 「居なかった」訳ではないけど。忙しかった。時間帯が合わなかった。 地方公演、海外公演。キャッチボールは一回きり。

 コンサートの舞台係さん。
誰よりも早く現場入りして、誰よりも遅く迄 帰れない。 ツアーだと大変。身体ボロボロで自宅に帰る。 息子に土産を忘れずに。一時の安らぎの時間。 ツアーに旅立つ時の我が子の台詞
「おじちゃん、お土産持って また来てね!」

 サラリーマン諸氏に限らず、男親ってそんな感じ?
社会の歪みもあるだろうが、思えば太古の昔から?
「あんた!早くマンモスでも兎でも採って来てちょうだい!!」 日本ならナウマン象? 
採って来る迄帰れぬ日々。 戦国時代もしかりだろう。今と対して変わらない。

 父親は、近くに居ようが遠くに居ようが 存在感。 
 立派であろうが、なかろうが。心の中の 存在感。

 嫌いが少なくなって来たり。少しは理解出来たりするのは
随分後になってからだった。 親になったら分かるかと思えば、そうでもなく。
親である間は、むしろ反面教師。父親の逆を努めてみたり。
それでも何でも、同じ様に反抗されたり、同じ様に巣立って行った。
父親の気持が少し分かった様な気がしたのはやっとその頃。

 父親の事は良く知らない。何考えて居たのか分からない。
母を通して聞いたことだけ。母のフィルターで見たものだけ。 にもかかわらず「恥ずかしくない様に」は何処かにあった。

「まったく!何時迄経っても!」と。
母に何を言われても、何故か懲りない、堪えない。 結果、万年心配掛ける。 
出来る様になっても出来ていても。立派になっても。
どのみち万年心配するだろう。

 父親に「お前は駄目な奴だ!」と言われたら。
かなり堪えたに違いない。
 父親が「駄目親父」に思えるのも。
かなり辛い事なのだろう。
父親との時間が少ないお陰で、その点伸び伸び生きて来た。

 父の嫌だった部分に似て来る自分。歳とともに。
誇らしかった部分には恥じない様に頑張って来た。
過大評価かもしれないけれど。

 母親は、立派であってもそうでなくても。
強かろうと弱かろうと。
勝てない存在。守りたい存在。
何時かは労いたいと思い続ける。

 父親は、近くても遠くても、立派でもそうでなくても、
負けられない存在。勝てなくて良い。負けたくはない。
自分もそう思われたいと思う。
越えてくれたら嬉しいけれど、負けはしないと思い続ける。

   
 11月24日(金) 人と人の繋がりって
   2006年11月24日08:56 人と人の繋がり

 必然は、まるで偶然のフリをして、いとも自然に出逢いを誘う。
出逢うべくして出逢った運命、定めの様な人と人との繋がり。
急に目の前が開けた様な。運気の流れを感じる様な。 出会いがまた 出会いを呼び。繋がりがまた 繋がりを導く。 思いがリンクしネットワークとなって行く。

 人生には何回か、そんな嬉しい時期がある。
思いに耽り、努力の時を重ねた後。 ふっと吹っ切れた様な時に。突然そんな時期が来る。

ところが逆の時期も在る。

 出会いのタイミングを掴めなかったり、焦って掴んで逆だったり。
無駄な出会いばかりだったり。その先に何も繋がらなかったり。
森から原っぱに出た様で。 嬉しく思って、浮かれ過ぎ。気付けば道を見失なっている。出会いを辿って裏道小径。気付けば迷路で行き止まり。
それもこれも また運命か? いや、そう思ってはならない。そこには理由がある。
振返ってみれば、そこにはヒント。その兆候。警告さえも有ったはず。

 

 人を人に紹介して。嬉しい感謝の言葉を聞く。感謝が感謝を運んで来て、
大きな繋がりの輪になることも。

 人を人に紹介しても、何故か繋がらない時もある。
繋がりの輪がイメージ出来るのに、誰もがそれに気付かない。

 人を人に紹介しても、感謝されない時もある。
気付けば自分が取り残され。弾かれて又別の輪に。

 

 人と人を優しく繋ぐ、素敵な才能の人が居る。
とっても親身に動いてくれて。その親身が身にしみる。
繋がった人にもこちらにも、その人の思いが染み渡る。
ありがとうの繋がりは、ご縁の厚みにかかわらず。時間の密度にかかわらず。
何時でも何処かで繋がっている。

 人と人を侘しく繋ぐ。悲しい運気の人が居る。
懸命に親身に動いても。努めてさりげなく存在しても。
下心は大切にされず。繋がりも大切にされない。
大切にしようにも、何故か上手く事が運ばない。

 人と人を繋ぐことで自分を見い出さんとする人が居る。
元々世話見の良い人も居れば。他に立つ瀬が無い人も。
仕事の繋がりのシステムに組まれず。心の繋がりには弾かれる。
仕事に心を求めればなめられ。心に仕事を絡めれば裏切られ。

 人と人を繋ぐ事に、責任を感じる人が居る。
その真面目さを分かる人も居れば。分からない人も居る。
その誠意を大切にする繋がりも有れば。無縁に繋がる場合もある。

 人と人を繋ぐ事に、責任を感じない人が居る。
確かに出会いはそれぞれの運命。触媒には責任は無い。
出会いには無数の形が有り、心のあり方も無限にある。
思い入れは不思議なことに、気付かぬ潤いを与え
観念は不思議なことに、無意識な冷たさを含んで行く。

 人と人を繋ぐ事に、感謝を強いる人が居る。
確かに触媒が無ければ成り立たない出会いがある。
繋がれた人同士が大切にするかどうか。
その価値に気付くかどうか。
繋の思い入れには関係無い。皮肉にも無関係。

 人と人を繋ぐ事を、仕事にしている人が居る。
この数十年で膨大に増えた職業。
それで日本は潤ったと言う人も居れば。
それで日本が駄目になったと言う人も居る。

 潤ったという人は、人間社会の未来を見据えている。
発展の先の進化を説いている。
サービスのサービスに仕事を求め。無形なものに付加価値を付ける。
 駄目になったという人は、人間の歴史を振り返っている。
無くして来たものを憂いている。
創り出す事に立ち返ろうとするが、社会の流れは止まらない。

 人と人を繋ぐポジションに立つ人が居る。
そこに立つ意識もなく、その力にも気付かない。
その人の放つ力に人が集まり。その広場では自然に出会いが生まれる。
流れの本質に感じ入り、力を発揮する人も現れれば。その力を浪費する人も。
広場には本物も集まれば。おこぼれを狙う者。スリさえも。

 人と人を繋ぐポジションに立つ人が居る。
持って生まれた情の深さと、運気を感じる感性と、
広い視野と、揺らがぬ視座。 飽くなき興味と、豊富な教養。
居るべき所とタイミングで、出逢いを創り出す力を持つ。

 人と人を繋ぐポジションに立つ人が居る。
意識がある場合も、無意識の場合も。
自信の無さを知る場合も、自覚が無い場合も。
流れ星の様に過っては、繋がりの役目をしたと思う。

 人の流れと自分の人生。出逢いと繋がりのタイミング。
繁華街の一日の様。

 始発電車の走る頃。 
早起きして働く努力者。夜通し飲んだ放蕩者。
人が溢れるお昼時。
買いに行く人、売りに行く人。真面目に生きる人。そうでない人。
家路を急ぐ夕暮れ時。 会話が盛る晩飯時。 心を休める真夜中時。
自分はどの様にそこに居る。

 人生には、素敵なご縁もあれば、くされ縁と呼ばれる不思議な縁もある。
その人の紹介、その人が繋いだ縁。何故か上手く行かない。
時には過酷な出来事も。振返って悲しい歴史も。無駄な時間も。
不思議とその人にはさほどの悪意も無く。むしろ善意、好意が有ったりも。
不思議と欲しい時に欲しい出会いを持って来たり。
悲しい陰口を言うかと思えば、驚く様な嬉しい評価を語っていたり。
気付けば何度も同じ事を繰り返している。
皮肉にも何時も気付くのに時間が掛かり。 多くのものを失ってしまう。

 あなたの素直を好く人は。素敵な素直とあなたを繋ぐ。
ささやかでも自信と希望を感じて居る時。
素敵な表情は笑顔を誘い。自然な出逢いが広がって行く。

 作ったあなたを買う人は。作った世界とあなたを繋ぐ。
自信の無さと裏腹に。頑張りと気概を満たしても。
皮肉な隙が見透かされ、利用されて騙されて。

 素直さから自信が滲み出す時。 出逢いを信じて広がると良い。
 創る力に自信が無い時。 流れの行く先思うが良い。

   
 11月24日(金) 歌の小径
   2006年11月24日16:04 歌の小径

 冷たい秋風が止まったら。まるで春の様な暖かな陽射し。
東京は今日も「小春日和」
この秋何回目かの良いお天気。

 生まれた街にほど近い。 JR挟んで反対側。
山の手と武蔵野の境目に在る。小学校に音楽指導。
あまりにお天気が良かったので、住宅街の小径を歩きました。
帰って寝る時間が減りますが、その分心は休まりました。

 小春日和の小径には「歌」が一杯転がっていました。

 沓掛小の子ども達
住宅街の子ども達。都会の山の手の子ども達。
でも、とっても素直で純粋で。
笑顔が素朴で可愛らしい。 礼儀正しく可愛らしい。
生まれ故郷の子ども達。 ちょっと安心。期待が持てる。
その分、僕らが頑張らなきゃね。 今残せる素敵なものを。

 

 小春日和の小径の上に。 茶色い小さな蟷螂ひとつ。
早まって生まれたおばかさん? 死に切れなかった頑張り者?
秋風に歯向かい踏ん張っている。誰に向けたか鎌振り上げて。
もうゆっくり休みなよ。 
駐車場の日だまりの中。 枯れ草に包まれ休みなよ。

 

 弱い犬程良く吠える。 大きい声で良く吠える。
甲高い声で良く吠える。 手綱を頼りに良く吠える。
優しい中犬大慌て。 飼い主引きずり一目散。
短い足で必死に走って。 吠え声止まって一安心。 「ああ怖かった」の「ぷりっ」を二つ。
用心棒に成れぬのに、何故に煩い小型犬。
短い足に長い胴。 腰に負担が掛かるのに。
何故に、毎日散歩する。犬は犬で大変だ。

 

 忙しくても道案内。 自転車こぎつつ道案内。
元気なおばさん止まりもせずに、 「環八?」「あっち!」「駅?」「そっち!」
あっと言う間に通り過ぎ。 後ろ姿にお礼を叫ぶと、手を振ってちいさくなって行く。
この前までの東京だったら。返事もせずに消えてった。
少しずつだが良くなっている。どうか間に合って下さいませ。

 秋風は
木の葉を真っ赤に染めました。
染めた木の葉を吹き晒す。
 木の葉は必死にしがみつく。
風が止まったその瞬間に。気を抜く木の葉が落ちて行く。
落ちた木の葉は吹きだまり。集められて、重なって。
やがて土に還って行く。
何代か後の若葉の為か、それとも早速来年か?

 秋風は
空をまっさらに清めました。
浮かれた想い出吹き飛ばし。 大切なものだけ残された。
捨て難い想いもあるけれど。 一枚一枚落ちて行く。
何時かは嬉しく想い出されるのか。 悲しい日陰に消えるのか。
心の糧に姿を変えて。新たな想いに変わるのか。

 荻窪の街は肉だらけ。食べれるものがありません。
お蕎麦屋さんも無くなって。駅のホームにたどり着く。
嬉しい事にとろろご飯。 嬉しい事に感じも良くて。
竹輪天と食べました。
トンカツ屋さんのカキフライ。半分こしたとろろご飯。
温かな想い出は無くならない。きっときっと無くならない。

   
 11月27日(月) 心と体 三題
    2006年11月27日02:01 素敵な言葉を語る人

 素敵な言葉を語る人。
衒いや、気取りや、飾りの中に。
ふとみせるほんとの心。子どものままの愉快な言葉。
優しく柔らか、温かく。素直な心が届いて来る。

素敵な言葉を語る人。
声にもまた和まされる。
声優さん?と想う程、声色たくさんありながら。
気取りや、飾りや、作りの声とは違う。
子どもの様な素直な声に、深い優しさ響いている。

素敵な言葉を語る人。
字もまた奇麗で読み易い。
勢い、毅然、格好良さ。外向きに作った字なのかも。
でも幾つかの「ひらがな」に「日本語」の姿を垣間見る。

日本の文字は、古くて二千年。
日本の言葉は二万年?_
記録が無いから分からない。 文字が無いから残らない。

その手紙の文字の「あ」は清楚で少し逞しい。
「あ」の音は「心の音」
「あ〜」「ああ」「あん」「あっ!」「あい」から生まれている。
涌き出る情感。
「あう」「あい」
事象に感じ、想う心。
「あお」「あい」「あつい」「あたたかい」
頑張ろうという気持が表れ
「あす」「あした」「あさって」「あらう」「あそぶ」「あげる」

その手紙の文字の「う」は力強い。
「う」の音は、前向き元気。
「うん」「う〜!」から生まれている。
元気だからこそ湧き出る感情
「うれう」「うれしい」「うつくしい」
元気だからこそ動き出す。
「うつる」「うつす」「うごく」「うたう」

その手紙の文字の「そ」は丁寧、思い遣り。
「そ」の音は受け答え。
「そう!」「そう?」「そ〜」から生まれている。
「そ〜っと」丁寧、心を込めて
「そそぐ」「そだつ」「そば」「そろえる」
時には力を一気に込めて
「そびえる」「そる」「そだてる」「そえる」

その手紙の文字の「な」に和む。
なんだかとっても癒される。
「な」の音は親しみの音。そして時々甘えの音
「なぁ」「なに?」「なぜ?」

慈愛と自愛の心が生んだ。
「なごむ」「なじむ」「なつく」「なれる」「なおす」
「ならう」「なでる」「ながい」「なか」「ながれ」「ながめる」

好きだからこその切ない心。
「なげく」「なくす」「なつかしい」「なげる」「なだめる」「なく」「なぐさめる」

その手紙の文字の「ね」が大好き。
「ね」の音は、優しい心が作った家族の音。
「ねぇねぇねぇ」「ねんねんころり」
心が通い、添えられて。音から笑顔が見えて来る。
「ねぎらう」「ねむる」「ねがう」「ねいろ」「ねだる」「ねる」
親しみを込めて
「ねこ」「ねずみ」「ねっこ」

その手紙の文字の「の」はイマイチ
「の」の音の世界はちょっと違う?
「のどか」「のぞみ」「のがす」「のこる」「のびる」「のぼる」
「のむ」「のる」「のんき」「のんびり」

その手紙の文字の「ほ」は柔らかい。
「ほ」の音は、想いを込めた心から出た。
「ほれる」「ほだす」「ほぐす」「ほのぼの」「ほほえむ」「ほしい」
事象にも想いと心を見出す。
「ほのお」「ほくろ」「ほし」「ほたる」

その手紙の文字の「む」は深い。
「む」の音は、繋がりの音。時の音。
「むかえ」「むかし」「むくい」「むら」
「むすぶ」「むれる」「むす」「むろ」「むし」
「むすこ」「むすめ」「むこ」「むね」「むくろ」

その手紙の文字の「ゆ」は可愛らしい。
「ゆ」の音は、夢の様な緩やかさ。
「ゆ」「ゆり」「ゆらぎ」「ゆたか」「ゆるやか」
「ゆう」「ゆく」「ゆき」「ゆめ」「ゆっくり」「ゆかり」

 素敵な言葉を語る人。
その手紙の文字が教えてくれた。
日本人の心、緩やかさ。


 2006年11月27日13:50 季節を食べなきゃ元気が出ない!!
   
  広島かきかき村の村長さん! そして僕の大好物を知ってて下さるお友達さん。
昨日もまた牡蠣食べちゃいました !

  もちろん広島の牡蠣です。 西友でフライになっていて。晩ご飯時間過ぎていて
割引になっていて。 小粒だけど昔懐かしい味がしました。

  しかも今年最後の入荷? っぽい新潟の「柿」も。
たくさん買ってたくさん食べました。
とっても幸せです。

  先日のBloomoonのけいこさんのおばあちゃんの広島の牡蠣は
どでかっかったですよ〜!!  生で。 そしてネギであえてくれて。

  根っからの「マクロビオティック人間」なんでしょうか。
季節の好物を「ありがと! もう充分」という程頂かないと、季節を乗り越えられない。
  
   筍は、量より質。 味と気持がたっぷりだと頑張れます。
    菜の花の苦みがたまりません。 おひたしも好きですが。
   バター炒めはご飯がそそります!!
   さくらんぼうも、量より質。心がこもれば、ちょっとで満足。 
   枇杷はいくらでも頂きたい。 酸っぱくても苦くても大喜び。
  この二年程はかなり不足気味。 三年前は種を鉢に植えたらどんどん育って大騒ぎに。
  茄子もいくらでも頂きたい。
  お肉を食べていた頃、母のお得意中華料理「茄子とひき肉の酢醤油煮」が大好物。
お肉を食べなくなってからも、何回かベジタリアンにアレンジして貰いました。
 「しぎ焼き」も大好きだけど。出来るのにも冷めるのにも時間が掛かるので〜。
   「茄子の味噌炒め」は一日三食数ヶ月大丈夫!!
   西瓜はここ数年、あまり十分じゃないかも。 
   でもこの夏は、福岡の昔ながらの商店街の名物八百屋さんで買ったから
   量より質でした。

  秋の梨。 これも大好物。  
  ありがたい事に元お弟子さんが毎年一箱送ってくれます。
  お世話した年数を遥かに越えて。恐縮です。  そのお陰で夏の心残りを我慢出来ます。

   去年は、最高級のらっきょう漬をたくさん頂きました。
  お陰で酷い風邪も引かずに年を越しました。
  サンマもついつい食べ損ねます。 一回、二回じゃ満足出来ない。

  牡蠣と柿はもう大変。  
 今年は柿が足りませんでした。  でも牡蠣で頑張ってます。

    椎茸もかなりヤバいです。
  
   冬は白菜と葱。 シャクシャク、トロ〜リがたまりません。 
    去年はそれほどでもなかったので、今年頑張ります。

   数年前「季節の和菓子」を自作しようと本を探しました。
  まだ良いのが見つかりません。

   桜餅。柏餅。くずもち。わらび餅。
  桜餅は母が作ってくれました。どんなに忙しくても毎年。

    常夏のカリブ海の音楽。インドの音楽。極寒のシルクロードの音楽。
世界中の音楽に魅せられて。その心に迫らんと。

    でも、何処かに日本人ならではの感性。 
それが意外に感心されます。オリジナリティーではなくて、
微妙な間合い。微妙なこだわり。

    それは、日本が四季と山河に恵まれているからに違い有りません。

 2006年11月27日17:41 心袋がはち切れる!

「季節の好物を心行く迄食べたい」

と、申し上げて。ちょっと誤解があったらと。
「食べたいものを、食べたい時に、食べたいだけ」
とは違う話しなんです..............。

 10年程前 90kgに迫る勢いでした。
マレーシアの路上でへたり込んで。帰国して胃カメラ苦しんで。
クレーターが六つ。二ヶ月で20kg以上減らしました。

 世界の民族音楽に合わせたメニュー。
母が作った料理。残したくない。ご飯も美味しい。
心配事。嫌な事。レッスンの合間。ライブの前。
終われば打ち上げ。西の国の音楽では演奏中もビール!

 胃袋を小さくする努力は、大変でした。
規則正しい食事も。
 発作的に「あれ食べた〜い!」

 心がお腹を満たしたくて。 お腹は必死に胃袋大きくして。
爛れてくると空腹がキツくて。 それでまた食べて。
お腹は更に胃袋大きくして。 それで穴が開くのでは...............。

「食べたいものを、食べたい時に、食べたいだけ」
ふり返って、あの頃が幸せだったとは思いません。

 それ以後、気付けば十年近く。
 家に居れば、お蕎麦かパスタ。
 でもやっぱりご飯は「どし〜ん」と食べたいなぁ〜。

 この一年半。福岡ではゆっくり食事する機会に恵まれます。
運び込んだ仕事がPCくらいなので。それでもお誘いがあると、楽譜書き、企画書。集中力を発揮して。
美味しいビールと笑顔のご褒美貰える様に。

 本物の懐石料理を頂いたのは生まれて初めて。
 明日 より良い音を出す為に。マラソンのゴールの様なお店。

 胃袋に入った実感が無く。 身体の隅々に消えて行きます。
出来合のお弁当を殆ど食べないからかもしれません。
お魚、卵は解禁しましたが、お肉はかれこれ25年。
 
 インド人の古くからのお友達の口癖。
「心はインド人だが、胃袋は日本人!」焼き鳥が大好物ですって。
日本食マクロビオティックの胃袋を作るのには、
 最低10年は掛かる実感です。

 心は、何で満たされるのでしょう?

 心にもきっと「袋」があって、言葉や音楽や、絵画や焼き物や
素敵な物と、それに込められた心を受け取る。

 心に合った心の言葉や音や美術は、心袋に溜まらずに、自然に吸収されてゆく。
 合う、合わないは
取り込むものの善し悪しもあれば、心の健康にもよる。

 世界中の「古臭い頑固者」の師匠に学んでしまうと。
民族音楽でさえ「添加物」が気になります。 
 「甘い言葉」や「きつい言葉」も心の袋の内壁を爛れさせる。
それが習慣になると、禁断症状も起して。ボロボロになるまで気付かない。

 プラスティック・ヘッドの太鼓。今やインドでもアラビヤでも。
心につんざく音が耐えられなかった。
 心に優しい音を出すのに5年掛かりました。
 慣れた訳ではありません。つんざく音を出す人いっぱい居ます。
 
 心の袋から自然に心の隅々、身体の隅々に吸収されないと、
ゴワゴワ、ゾワゾワ袋に溜まって。 皮を延ばしてちぎれそう。
 痛んだ袋は空腹に違和感を覚え、また刺激物を求める。
 甘いもの、辛いもの、味の濃いもの。

 日本人らしい、アジア人らしい「心袋」を取り戻し、
マクロビオティックなアートや言葉や心を受け取れる様になるには、
胃袋作りよりも時間が掛かるかもしれない。

 それ以前に、スローなアートや、スローな言葉、心を受け取れることさえも
とても難しくなって来ているのかもしれない。

 もともと、暴飲暴食しない人。 規則正しい生活をしている人。
自分の心を常に平穏に保てる人。ストレスを貯めない人。
 そういう人はしっかり出来ている。

 ささやかな想いや、言葉に添えられた薄味の心を分かってくれる。
そんな人も居ます。
 泥がついた音や、荒削りな音に心を見取ってくれる人も居ます。

 心の胃壁がザワザワして、時々きゅんと痛みが走ったり。
甘いものや刺激のあるもの。たらふく欲しいと思った時。
 ぐっと堪えて、心袋を休めた方が良いかも。

 胃袋は、自ら食物を作り満たす事は出来ないけれど。
心は発する事で活き活きしてくる。
 音であったり、言葉であったり。想いであったり。
受け取る、溜め込むばかりでなく。

 心の飽食の時代。
 自らでボロボロにしてしまっている。
 そんな自覚はありませんか?

 

 

 

 
   
 

 

 
   
 

 

 
   
 

 

 
   
 

 



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