diary 2007 November

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 11月


 音楽活動のご報告

 
 
 
 
 

 11月3日(土)  若林忠宏:「掌」インド音楽定期ライブ 
   

 

 11月7日(水)  郡山市:安積黎明高校
   

  11月7日(火)の福島県郡山市の「安積黎明高校」の「芸術鑑賞教室」での若林忠宏のインド音楽とアフリカ音楽演奏会。 とっても楽しく出来ました。
 そしてとっても喜んでもらいました。
 かれこれ5年のおつきあいになります。合唱の著名な指導者、星先生も「鑑賞教室」の担当の添田先生、校長先生もたいへん喜んでくれました。

 福島県立安積黎明高校は、その母体は1911年創立の安積女子高校で、県内有数の進学校。2001年に男女共学となって、同じ年にやはり共学となった旧男子校の「県立安積高校」と区別する為に「黎明」の名がつけられたと言います。 「安積黎明高校」は、全国大会でも有名な「合唱部」「吹奏楽部」があり、最近では「オーケストラ」も盛んで、全校生徒の二割が音楽部に所属と聞きました。
 合唱部は2006年「NHK全国学校音楽コンクール」金賞/総理大臣賞/文科大臣奨励賞を受賞の文字通り全国有数の「音楽校」
 
 その様な「音楽に親しんだ生徒」の多い高校で演奏出来る事も光栄ですが、6年間、音楽の先生に「民族音楽」をご指導して来たおつきあいが、各学校に呼んでもらえる事に繋がるのも大変嬉しく、光栄な事です。
 
 第一部は、若林忠宏のシタール独奏とタブラ・デモ演奏。シタールは「古典器楽の前奏曲」をたっぷり本格的に弾きました。学生の集中力、聴く姿勢が素晴らしかった。
 郡山随一の大ホールを借り切ってのこの日は、全校生徒出席1072名に父母と教員それぞれ100名弱の1300名弱の大人数。校長先生、星先生のMCの頃はまだ少しザワザワとしていました。
 ところが「若林忠宏がステージに上がるや否や、水を打った様にし〜ん」と成るかと思いきや、むしろザワザワが一気に増えて。 どうも、シタールを弾く為の裸足だった事や、笑顔が意表を突いたらしいです。
 ならば、と最初に短く解説をして、器楽前奏曲に入ってからは「真剣勝負」
 彼らは見事にそれに応えてくれました。 古曲の演奏では、それこそ「水を打った様に」聴いてくれていました。「うちの子達は、音楽を聴く耳を持っている」という先生方の「手前味噌」は本当でした。

 第一部の後半は、仕事の都合を付けて来てくれた吉祥寺のお弟子さん小原君のタブラ伴奏で「古典器楽曲」大ホールに響き渡る気持ちの良いインド音楽でした。

 第二部は、パーカッショニストの八木君を加えて、アフリカ音楽。
 初めは、若林のパーカッション「チェケレ弾き語り」で「ヨルバの道祖神の歌」 
 続いて西アフリカ太鼓ジェンベでコートジヴォアールの民謡。三曲目はズィンバブウェの古いポップスをギター弾き語りで。
 
 二部の後半は、学生をステージに上げてワーク・ショップ&セッション。
 まずは、吹奏楽部。 予定の10人に収まらず20人以上駆け上がってくれたのが嬉しかった。
 本当に素直で良い子達でした。
 二三人ずつに別れて手拍子によるポリリズムのワーク・ショップ。
 ひとりむちゃむちゃ元気な女の子が居て笑いを取っていました。
 
 最後は、野球部の九人。 最高に愉快でした。 まるで仕込んだかの様なギャグの連発。
 「この楽器を君の感性で弾いて!」「君だったら何と名付ける?」などなどのやり取りの三人目
 楽器を指差して「名前は?」「ハシモト」大爆笑。などなどの連発。

 「一部での集中の演奏」「二部で千人をひとまとめにしたパフォーマンス」
 「学生達は音楽のあり方の新鮮な勉強になったと思います」
  
 と言ってもらいました。

 御陰さまで、楽しく、大成功。

 また、何時か、呼んで下さい。宜しくお願いします。
 ありがとうございました。


 

 11月10日(土)  東京でDJ:Moochyと共演
   

 11月10日(土)の深夜、と言いますか11日(日)の未明
 代官山のClub、と言いますか、そこそこ大きなHall「Unhit」で
 DJ:MOOCHYとの共演がありました。

 11月11日(日)  兵庫:武庫川女子大「音楽部」演奏会
 



  11月11日(日)の午後の「武庫川女子大学音楽部のコンサート」そして夜の東灘区のレストラン「Palermo」でのライブ。久々の関西での演奏でした。 有意義でした。とても喜んで貰いました。

 最近の関西での演奏は、2005年7月10日(日) 福岡滞在中に大阪〜福岡往復した毎日新聞社ホールでの「マレーシア音楽」の演奏です。現地にホテルを建設した日本企業のレセプションでしたから、一般向けではありませんでした。パブリックには2005年7月の京都のライブハウスでのアラブ古典音楽が関西の最近の演奏。
 大阪は、1999年6月の「大阪国際経済振興センター(ワールド・トレードセンター大阪):ギリシア物産展」での「ギリシア音楽」演奏以来のご無沙汰。 兵庫、神戸に至っては、1981年7月の甲子園口駅前のカフェ&ギャラリー以来。今回は、実に26年振りのライブでした。 
 
 1978年に「日本初の民族音楽ライブスポット」と「民族音楽センター」を吉祥寺に立ち上げて数年は、年二三回。「名古屋」「京都」「大阪」ツアーを頑張っていました。ツアーでは兵庫甲子園と四国徳島にもそれぞれ一回ずつ足を伸ばしました。
 今の様な「ワールド・ミュージック」などという言葉も無い時代。或る時は車で、或る時は「鈍行の夜行列車」で。 未明に名古屋付近で長く停車した時の時間外開店するホームのきしめんの味が忘れられません。 当時、若林を呼んでくれたのは,1970年代ヒッピーの残党(無礼な言い方ではなく、若林的には親近感と敬意を持った言い方)さん達。 それも徐々にお子さんが受験とか色々な理由で普通の人になって行って。 

  26年振りに若林忠宏を甲子園口に呼んで下さったのは、「音楽社会学」という、若林が35年待ち望んでいた「学科」を作らんとしている武庫川女子大音楽学部。その基盤と成る「社会音楽研究会」主催の「アジア思国歌コンサート」です。研究会顧問であり著名なテノール歌手でもある畑教授が若林忠宏を探し当ててくれたのです。

 国際交流/援助で著名なP.H.D.協会の協力でインドネシア、タイ、ミャンマーの留学生を招いて、各国の暮らしと歌で綴る2時間。 客席には、上品な老若男女。
 

 「民族音楽」を聴き慣れないご高齢のお客さんの方が多かったのですが、畑教授の閉会の言葉「日本は欧米に追いつけ追いつけと頑張って来た。でも、何かが違うのでは? と感じていましたが、今日、その何かのひとつを得て、確信しました。戦後の私たちは『アジアに目を向けていなかった』アジアの雰囲気、音に包まれるとこんなにも温かい気持ちになれるのか! と嬉しく確信しました」の言葉に大きく頷いておられました。そしてその通りの、心温まる、素晴らしいコンサートでした。

 学生さん達がかなり前から頑張って、歌を「採譜」歌詞を学び、さらに日本語歌詞をも訳から作ってという素晴らしい充実した内容。「でも、なにか足りない」。民族衣装を着ても、言葉が違うだけで「洋楽」に聞こえる。特にタイの留学生はギター弾き語りで完全な西洋ポップス仕立てでした。
 若林は急遽その伴奏のご指名を受けました。
 畑先生は「民族楽器」が加われば「雰囲気は増す」とお考えだった訳ですが、「若林さんに来てもらって良かった」「それ以上の温かく、ノリノリの演奏会にしてくれた」と言ってくれました。

 深夜のDJとの共演ライブから一端吉祥寺に戻って、仮眠をし、朝の新幹線に乗って新大阪迄。東京の電車、地下鉄は東京人でも悩みますが、大阪の鉄道網は毎度混乱します。
 苦労して甲子園口駅迄たどり着き。遅刻気味だったので、タクシーで「武庫川女子大甲子園会館」へ。畑先生、研究室の学生さんが門迄来てくれていました。

 会館の外観を見るなり「おっ!」と何か衝撃を受けました。 畑先生も「良いでしょ!この建物」中に入って2002年の目白でのアフガン音楽演奏会を想い出しました。
 母の母校「自由学園」の創立当初の校舎のホールで演奏しました。
そこは、1934年には卒業生の事業活動のホールとなり1977年に「重要文化財」となった1921年アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトの設計★による有名な建物「明日館」です。「みょうにち館」と呼びます。

 甲子園会館ホールの雰囲気。二階にバルコニーがある所など。なによりも「場が持つオーラ」が「明日館」にそっくり。 「これは良い演奏会になるぞ!」と直感しました。
 
 伺ってみれば、なんと! 「甲子園会館」の前身は、1930(昭和5)年に帝国ホテル・マネージャー林愛作のアイディアによって建てられた「甲子園ホテル」で、建築家はライトの愛弟子と呼ばれる遠藤新(1889〜1951)によるものでした。 
 「似ていて当然!」という事になるのですが、一見すると実は似ていない。
同じ時期に建てられた「築地本願寺」の様なモダンな仏教建築さえも想い出させるちょっと不思議な、否、はっきり言って「不気味に派手な」デザインが目立ちます。 
 でも、「オーラ」はとっても近かった。 奇しくも師弟が建て、東西を代表する当時では斬新な教育理念を掲げる学び家として活躍した共通点。「心」が似ていたのでしょう。

 演奏会は「インドネシア」「タイ」「ミャンマー」の順に、それぞれ「PHDスタッフさんによるスライド」「留学生インタヴュー」「それぞれの国の歌の合奏」で進められ、とっても綿密に打ち合わせをした学生さん達の気合いの入った司会進行で進められました。 会場のお客さんにも歌って貰う所では、丁寧に「繰り返し練習」をしてから合唱。なので、二時間のプログラムは演奏会としては長目ですが、それでも足りませんでした。

 最後は畑先生の独唱と合唱で唱歌「故郷」と「赤とんぼ」
東京での打ち合わせで「日本の唱歌が大好きで、残して行かねばと民族楽器で100曲録音した」という私の話に畑先生は大喜び。 畑先生も同じ気持ちの方でした。
 「故郷」はバングラデシ風をアドヴァイス。「手風琴ハルモニヤムを弾き語りして頂ければ、若林が太鼓タブラで伴奏します」と。 すると先生はハルモニヤムを持っている!と。  民族音楽にも理解と関心のある先生ですが、ハルミニヤムは「オルガン〜ハーモニューム」すなわちバロック音楽の延長で興味を持たれ衝動買いして「しまい込んで有った」らしいです。

 「故郷」の合奏は、何度かじ〜んとくるところがある程、素晴らしい共演だったと思います。
 会場をひとつにした「赤とんぼ」の大合唱では、若林のシタールと学生さんのフルート。本番一時間半前のリハーサルで急遽若林がアレンジしたイントロ、間奏を、フルートの「のんちゃん」が頑張って演奏し、良い出来でした。

 今迄に何回か女子大での演奏がありました。 
 音楽大学は幾分真面目ですが、それでも「今日日の若い女の子」のノリは否めません。今回は自分達の発表演奏があったという事も有るでしょうが、どの時間も全員が真っすぐ、真面目に、そして丁寧に、温かく取り組んでいて、無駄話や舞台裏ではしゃぐとか、携帯に没頭とかが全くないのに驚きました。
 
 先週の元々の県立進学女子校の歴史と校風も引く、安積黎明高校の子達も立派でしたが、昨日の武庫川女子大の子達も流石、名門だけの事はあります。
 育ちの良さ、教養。という問題。 これは今の私にはちょっと過酷にタイムリーです。
「ハイ・カルチャー」を「ハイソサエティー」と切り離して説明したいから。

 それでも、彼女達が大衆とは隔たれた階層に幸せに暮らすであろうとも、彼女達が母親に成る頃の日本の社会や文化がこれ以上悪くならない様に頑張る事は必要なのではないかと。逆に決意を新たにしたところもあります。

 会場には、Blog仲間さんのチンタラグラグさん(インドネシア語で「歌大好きさん」)とBIG MAMAさんも駆けつけてくれました。 
 チンタラグラグさんは若林の「マレーシア音楽ライブ」の日記を発見しコメントをくれた大阪の「インドネシア民謡歌謡」の愛好者さん。 なかなかうんちくに長けてマニアックな方と思っていたのでお会いするのはちょっと緊張しましたが、なんとも温かで朗らかな方。 マニアックで真面目な「音楽文化論」を議論していたので勝手なイメージでした。ごめんなさい。  チンタラグラグさんは愛犬の病院を前日に済ませるなど、ご無理をして来てくれました。ありがとうございました。

 MIG MAMAさんは、イメージ通りのオーラの方でした。 そしてMAMAさんも逢うなり同じ事を言ってくれました。 加えてMAMAさんの「秘密のキーワード」ママさんと浅からぬ縁、出逢うべく人達に共通の「ある事」が若林にも「在る」という話も。 
 突然、その「キイワード」を訊かれ「ほら!やっぱり! やだぁ〜もう!」と言われてびっくり!でした。

 夜のライブにも来てくれるというので、撤収片付けを待ってもらって、一緒にタクシーに飛び乗りました。
 学生さん達はまるで若林のお弟子の様にテキパキと動いてくれました。 ボーっと立っている。言われないと動かない。そんな子が増える一方の今日ですけど。畑研究室の子達はみんな素晴らしかった。 ボーっとは誰も居ないし、言われる前に色々気付いて。
 
 甲子園からJRに乗れば、五つ目。新宿から吉祥寺より1km程短い距離。結構時間掛かりました。 ニックネーム通り大きなBIG MAMAさん(ゴメン、ニックネームの由来はハートの大きさやね!)が懸命に小さくなって楽器に場所を作ってくれたのが温かでした。
 
 畑先生も、学生達も、お客さんも喜んでくれて「毎年やりたい!」「やって行かねば!」の盛り上がり。 そして「若林さん!来年も是非!」と言って頂きました。
 ありがとうございました。

★11月17日(土)加筆

畑先生が、声楽のお仕事で東京にいらした折り、吉祥寺まで来て下さって、演奏会の後評判を伝えて下さいました。
その際、畑先生も目白の「明日館」はご存知どころか「シューベルトの歌曲」をその時代のピアノを再現して行う演奏会に年数回使われているとの事。しかも「甲子園会館」と交互に。復元ピアノをわざわざ運んで。
「明日館」の実際の設計はライトのお弟子、遠藤新氏との事でその二つのホールを選んで会を開いているとの事でした。 
 つくづく発想が近しくて嬉しい思いです。

 また来年も呼んで下さると言ってくれました。
 ありがとうございます。

 11月11日(日)  神戸でLIVE
 

 武庫川女子大「社会音楽研究室」主催のコンサートを終えて、甲子園会館のある西宮市から芦屋市を経て神戸市の東の端、東灘区「摂津本山」のエスニックレストラン「Palermo」さんへ。
 学生達の素晴らしいヘルプでもの凄い勢いで楽器を片付けて、昼夜通しでお客さんしてくれたBIG MAMAさんとタクシーに乗り込んで。
 新宿〜吉祥寺とほぼ同じ距離でもありますが、西宮を新宿、芦屋を杉並とすると東灘区は武蔵野市とそのキャラクターもなんだか似ている感じ。国道を夕陽に向かって疾走するのも楽しく、六甲の山に映える夕陽がとっても綺麗で嬉しいバタバタでした。

 PalermoさんがBlog仲間さんに成ってくれたのは一年位前だったでしょうか? 
 「民族音楽が大好きで、世界各地を廻って修行した無国籍料理の店をやっています」とメッセージ頂きました。

 今だから言えますけど、実は「無国籍料理」「無国籍音楽」という言葉に過剰反応の私です。
 「良い所美味しい所盗り」「楽しかろう良かろう」の風潮に「民族音楽はその土地から土付きで持って来なければ」と「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)に書いて孤軍抵抗している者としては「無国籍」はちょっと気になりました。

 ところが、実際行ってみれば、全然違った!

 急な話なのに快くライブを企画してくれて、日曜ディナーの時間を提供。
案の定ライブ後、前々から予約のお客さんを路上で待たせてしまいました。 でも温かい神戸のお客さん。 さっき迄ライブを聴いていてくれたお客さんをもスタッフのごとく使って店内をレストランに直す迄、「スミマセン!」「いいえいいえ」と快く待っていてくれました。

 若林は、想い出せば「Palermoさんの料理を全く食べずに帰って来てしまった!」

 ディナーとセットで数千円のSpecial-LIVEが本来のシステム。 でも一週間しかないので「少しでも来易い様に」と若林が無理を言って「Dinner-Plate」と「Snack-Plate」の自由オーダー。 
 でもマスターは「音楽重視」の頭に切り替わっていて下さったのか、商売っ気無し。休憩で若林が宣伝してほぼ全員がプレートを頼む迄、みなさんドリンクだけだった様な。 あっ!先行してBIG MAMAさんが一人頼んでくれていて、それが丁度良く見本になって、続々注文。 
 若林はその盛りつけと香りで「食べた気」になってました。 
 
 ああ、吉祥寺の店でも「名物」だったフィッシュボールが有ったのに! 
 あれは、若林の主張する「多国籍料理」きっとお客さんへの分かり易さと、マスター独特の謙虚さで「無国籍」と言っていたのに違いない!

 
 若林は、初め呑気にも「16:00に武庫川を終わるから、18:00〜20:00位にライブで、その後打ち上げで皆さんとゆっくり」とお話していました。が、よくよく終電情報を調べてみたら、なんと新大阪新幹線の最終は21:20で、摂津本山は20:20頃。 慌てて一時間前に繰り上げ。
 武庫川の演奏会は「2時間は普通の演奏会としてはゆったり目」と思いきやかなり密度が濃いまま長くなって。Palermoさんにたどり着いたのが、【開演】の17:00ジャスト位。

 会場には、東京のお弟子さんで一頃若林忠宏ホーム・ページの「動画ライブラリー」を頑張っていてくれたsode君。ライブラリーはブログのサーバーさんが定まらず、中断していますが「若林の弾ける楽器900全部」を目標にしてくれていました。この度「民族音楽センター関西」をBlogコミュニティー限定で管理人になってくれています。
 2005年、mixiというBlog(ネット・コミュニティー)を始めた頃、若林忠宏本人が知らない間に「若林忠宏コミュニティー」というのが二つありました。ひとつは名古屋の大学教授さんで、もうひとつが大阪の音楽ファンさん。なんとコミュニティーのタイトルが「若林忠宏はやっぱ凄い」でした。が、後に福岡の学校の先生が作ったコミュニティーに二つとも統合されました。その「やっぱ凄い」を立ち上げてくれた、後にマイミクになってくれていた当時のニックネーム「オリャンタイタンボ」さん。 
 「初めまして!」と言えば「25年前に京都で聴きましたよ!」という方も来てくれていました。
「ならば、皆さん若林もしくはお店の身内さん!」

 何しろ開演時刻です。 BIG MAMAさんも私がお願いするより先にタクシーから楽器をおろしてくれて、もの凄い勢いでセッティング。 

 その場に立ち会ってくれたBlog仲間さん達の日記から言葉を拝借すれば、
 「お客さんだかお店の方だか判らない。みんなで気さくに動いて協力。WAKKYさんの世界観にみんなが一体」正にその感じでした。
 
 かと思えば「マスターに「PA機材が届いているが接続が分からないの手伝ってくれ」と言われ仕事を早めに切り上げ開演1時間前ぐらいに到着する。 知識のあるお客さんが来て、ミキサーが必要だという事になり若林さんが入れ忘れたのでは?とその人と店長が焦る。 PAの不安をよそにそ、お客さんが集まってきて徐々店内が埋まってくる。 少し遅れて、楽器と共にミキサーも持って今日の主役が登場。手早く準備を進めている中、私は店長にビデオ撮影係を頼まれる。 」と書かれた人も居て。拝読して恐縮しました。

同じく、日記を読んで初めて知ったご苦労も。
 「曜日も時間も勘違いしてて、おまけに、ナビ頼みの運転なのに、途中ナビがテンパって、現在地を見失っている間に道まちがえて、、、、 なんとか、ライブが終わる30分くらい前にはたどり着けました。 」

 急に決まって、みなさんにもバタバタを強いてしまいました。 でも、その分みなさんテンションが上がっていて、凄く素敵な一時でした。

 「これまでのWAKKYさんの日記からある程度の想像は出来ていましたが、 それを遥かに上回る素晴らしさ、変幻自在の音の魔術師といった感銘を 受けました。旋律楽器が感情とすれば、打楽器は言葉なのですね。 大学での演奏の後、そのまま神戸に直行とは又とてつもない強行軍 なのですね。そのバイタリティも原初の昔から伝わる「自然の鼓動」が 生み出しているのでしょうね。」とメッセージを下さった方も。

 武庫川女子大のコンサートで「今日の今日ですが」と告知をさせて貰ったら,畑先生の合唱のお弟子さんがご夫婦で来てくれました。 関西の人は、若林並みにフットワークが軽いのかしら? 否、ノリが良いのは間違いない、と発見!
 「あんなに楽しかったのは久しぶりです。 若林さんの楽しいライブは関西との相性も抜群ではないかと 思います。是非こちらでもまたよろしくお願いします! 」とメッセージをくれた方も。
 この意見は、事前にsode君からも聞いていました。なんだか「その気」になっちゃいそうです。

 一部は、インド音楽をじっくり。
 バタバタ始まったのに、前奏曲の静かな演奏の際は「吐息さえ聞こえない」けれど、堅苦しくない穏やかな集中の空気。 これはかなり希少な素晴らしいムードでした。
 今にしてみれば「商売っ気が無い」のではなく、マスターの心遣いと念の成せるものと気付きます。思い出せば自分も、自分の店にゲストを呼んだ時そうでした。「お客さん来い!」「良いお客さん来い!」「良いムードになれ!」「出来る限り、自然体で、穏やかに!」とキッチンで「念じていた」ものでした。 

 あるお客さんもメッセージで、
「詰めに詰め込まれたスケジュールで、大変だったと思いますが、飾らない、ゆったりとした雰囲気がとても素敵でした。 それでも細かい気遣いが行き届き…とても居心地が良かったです。 」
 と何気に最高に嬉しい賛辞をくれました。

 マスターの心と念が、日頃から心と笑顔で通じ合う常連さんにも自然に伝わって。
我ながら良いシタールを弾いたと思います。 エンディングではかけ声、歓声も上がってくれました。
 一曲黙々と弾いた後のタブラのデモ演奏では、お客さんにインド拍節法を手拍子してもらって。
解説を交えて...................。

 解説しながら、お客さんにも参加して貰ってのライブや終演後の「みんな一緒!」の雰囲気も、若林的には「何時もの感じ」ですが、お客さんにしてみれば、ユニークなんだと初めて認識しました。
 ある方の日記には
 「演奏とMCの境目がよく分からない内容で客を上手くいじりつつ演奏を進める。 あっという間に2時間強の演奏とトークは終わり、場を片付けて元の店の状態に戻す。 ライブ参加者は若林氏と共に打ち上げ状態に。その道では第一人者である若林氏とコアなファンも居たがそうでもない人とも一緒に打ち上げできるのは凄い。 」
 とあり、ふ〜ん、そうなんだぁ。と今更感心しました。

 マスターの自慢料理の休憩中には、京都のBlog仲間さんで、1950年代のイギリス人民族音楽研究家のマニアックなコミュニティーを立てている「けん君」も京都から来てくれたので「ヒュー・トレーシー現地録音盤」のアフリカ古ポップスをギター弾き語りで演りました。
 はるばる広島から来てくれた人も居ました。「福岡と関西の間だですね」と言ったら「福岡にも行きます!」と言ってくれました。

 アラブ弦楽器ウードのお弟子さんで、大阪転勤になってしまったsode君には二部のアラブ音楽はちょっと短かったかな? 
 それでもお客さんにアラブ太鼓ダラブカと、武庫川女子大コンサートで使ったタイ太鼓、お客さんが持参したジェンベ、つまりダラブカが東西に伝わった太鼓やインドパーカッションを演って貰って大セッション。 

 そして最後は、「やっぱ凄い」コミュニティーを作ってくれていた、実は本名が若林さんにギターを弾いてもらって「インド古典音楽を巧みにアレンジ」した自作曲「メーグ」を。もうひとりお客さんに若林さんが居たので、太鼓を叩いてもらって「若林トリオ!」で「インド古典音楽を巧みにアレンジ」した自作曲「メーグ(雨雲)」を。
 今回はタイトルの旋法ラーガの字義は言いませんでしたから、帰りは「雨」に成りませんでした。
 と言いますか、「晴れ男ぶり」は関西でも発揮。 大学に着いた午前中は怪しい雲行きが、すっかり良いお天気。 あのまま、通りの角にあってマドリードのBARの様な感じのお店の中や外でゆっくり飲みたかった! そんな温かで暖かな夕べでした。

 お客さんをスタッフにして、外に出したテーブルを入れ、予約のお客さんに入って貰って、
ライブのお客さんと「乾杯!」Palermoさんの常連兼Blog仲間さんと若林のBlog仲間さん。その場で初めて逢った筈ですがライブ中からがんがんお客さんと会話しながらでしたから、もう既にお友達の感じ。

 20:00を過ぎる前から、マスターと「記録係さん」がやけに時間を心配して下さった。
 駅迄小走り10分と聞いていたので、ギリギリまで楽しく飲んで。 みんなに送られてお店を出ると、タクシーが来ない。ならば、と清々しい神戸の夜道をホロ酔い気分でひとっ走り。

 後で伺えば、みなさんにとっても、凄く良い夕べだった様で、立ち去り難く、みんなしばらく仲良くワイワイしていた様です。また新たに輪が広がって。 嬉しい話です。

 キャラクターが分かると一層温かい気持ちにさせてくれるBIG MAMAさんの日記にも

 「本当に音の中に居ることが幸せ」と皆に感じさせてくれるHOTな方でした
 日帰りで最終の新幹線に乗って帰るとの強行軍なのに
 じやあまた って
 一部の楽器を前と後ろに抱えて走って行っちゃった  

 お客さんの殆んどが残って ナンダカンダと皆さん初めて同士が仲良く飲んで料理つついて
 じゃあぼちぼち ってことで最後のお勘定の時
 マスターから爆弾発言   最終の新幹線に乗れなかった
 全員の声「若林さんらしい!」「もっと一緒にいればよかった」

 そうなんです。 新大阪一個前迄来て、何処かの「踏切故障」って言うかどうも、どこぞで誰かが「警報ボタン」を押したらしい。動き出した時が、新幹線が出た時刻。 アウト!
 
 前にも京都でやってるじゃん!  って、あれは道を知らない方が運転だったからだけど、 
 駅前広場から「しゅ〜っ」と出る最終を見上げ、せっかくのギャラで一泊だった。

 だから言ったじゃん! と言われそうだな、と「記録係さん」の顔を想い出しました。
 
 「最近のJRはよく遅れるので早めに出た方がいいと忠告もしたが、結局ぎりぎりに店を出る。
案の定、電車が遅れ新幹線には間に合わず夜行で帰る事になったそうだ。」
 
 みなさん「じゃあ早速今晩にでもBlogに行きますね!」
 ってお別れしたのに。新幹線最終でまず、名古屋まで。
 それから「夜行」の「ムーンライトなんたら」を一時間待って。 
 なんだかホテルに泊まるのが勿体ない気がして。興奮のハイテンションのまま「先に先に進みたい」そんな気分でした。
 ところが、その間に携帯充電切れ。 オフっては入れてPalermoさんBIG MAMAさんにメッセージがやっと。sode君に書いている途中で真っ赤になった。
 
 思えば、PCも携帯も現場の電源に差す間も無い一日でした。
 
 とても充実し、色々な可能性や楽しい未来に繋がる、素晴らしい日でしたが、
それをたくさんの新たなBlog仲間さんが早速日記に書いてくれているのも嬉しい限りです。

 Palermoさんのお店を出る時になんと若林がJTの広告に載った写真が有ってびっくり。
 なんとその為に「丁度のサイズの額縁を探した」と。若林のCDも何枚か飾ってくれていて。

 
 「27歳の時からのファンです。若林さんをBlogで見つけた時、パソコンの前で
「ウオ〜ッ」と叫んだ事を思いだしました。」
 と。
 
 Blog仲間さんになって一年。 そんな事は一度もおっしゃらなかったのに。
 思えば、「無国籍料理」にちょっと距離を置いていたのですが、
 最近、ある日記に書いてくれたコメントが、どんぴしゃだった。
 
 それで、今回「神戸に行くのですけど.........」と駄目元でメッセージをお送りしたのでした。
 思えばあのコメントは、控えめなマスターらしい、でも深い想いの「Love-Call」だったのかも。
 
 BIG MAMAさんの言葉を借りれば 「出逢うべく人はかならず出逢う」
 正にそんな一日でした。

 ありがとうございました。

 きっとまた、近いうちに。
 そして京都、広島でも。
 宜しくお願いします。

 ありがとうございました。

 写真は、お二人のお客さんの日記から拝借致しました。
 ありがとうございます。
 他の写真のご送付もお待ちしております。宜しくお願いします。


 11月18日(日)

 親不孝通りで充実のイベント

   

  11月18日(日)に福岡市親不孝通りのイベントスペースgrafで行われた
 DJ:MOOCHYセッションバンドのライブ「RE-MOMENTOS」
 大変嬉しい「音楽ワーク」でした。

 この夏以来、福岡と東京でセッションに呼んでくれているDJ:MOOCHY
 その音楽性、音楽姿勢への信頼感は、互いに深まる一方です。
 
 その他のアーティスト
 TADA (PERCUSSION)-SPOOKY MIX
 JOE (DRUMS)-DUB ROCKERS
 KUWAKUMA (SAX)-ex DADA CHILD
 MANTIS (TURNTABLE)-3RD STONE
 MAHINA APPLE (VOCAL)-CIRCLE
 の面々は、今回初めてお会いしました。
 STB (GUITAR)-MACRO、サトポン君は、grafでもVooDooでも何度かジョイントしている御馴染み。TANNO (GUITAR)-TRIO SHRUTI は、大分の江上君と若林のトリオのユニット
 Acoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」のメンバー。
 プロデュースのTATSUISHI-AMAZONAS 君は、若林が東京で組んでいる「Sur-Ang(音塊)」のDJ:Tokijiku君の福岡時代の仲間。
 と御馴染みと初共演が入り交じる、賑やかな夕べでした。


  そして極めつけは、若林忠宏のMixiネーム「WAKKY」の名付け親、DR.TOSH (BASS)-ex AQUABOMB との9年振りの再会。

 Dr.Toshは知る人ぞ知る? 否、今も根強いファンが多い伝説のバンド「ボガンボス」
のベーシスト。 幾つかのユニットを経て結成した「Love-J」に若林は準レギュラーで参加していました。 その後、「Love-J」の全国ツアーの時期に若林は「民族音楽ライブスポット」閉店が重なり、休団。
 ところがDr.Toshも若林と同じ二三年前から九州での活動が増えて、ちょこちょこと互いに噂を聞く様になっていました。 そしてお互いに「懐かしい!また一緒に演りたいって伝えて!」と共通の知人に語りながら時が経っていました。そして今回、MOOCHYが偶然に再会をアレンジしてくれたのです。

 早朝に吉祥寺を出て天神のJEUGIAカルチャーセンターに直行、パーカッションLessonを終えてgrafに一番乗り。 今回全曲に参加のため「シタール奏者」には過酷な「転調」の嵐。二台の手元MIXERで外に音を出さずにメーターとヘッドフォンで調弦。本来のシタールのKey「D」の他に「C」「C#」「D/A」「D#/B♭」と何でもござれ。天神の楽器店でMIXERを追加購入してgrafに戻ると、Dr.Toshが待ち受けていて、感動的な再会を祝しました。

 リハーサルを終えて、一旦解散。 
 10:00前の出番前に改めて音楽人生を語り合いました。
 お互い一緒に演って居た頃と「音楽」に対する気持ちは全く変わらず、本音で演っているから、お互いに対する評価も想いも全く変わらず。 「何時でも出来る」状態でそれぞれになりましたから。「じゃあ、また九州で一緒に演ろうね」と、早速Dr.Toshの現在録音中のCDに参加する事になりました。
 音楽談義で二人で意気投合、意見が一致して愉快だったのが、
 「あの頃を今振り返ると、がむしゃらだったよね!」
 「って、数年後に今を振り返ると、同じ様に思うんだろうけど」
 諦めずに「何かを変えよう」と相変わらずなんだけど、徐々に的が絞られて来て、その分「音」が濃く成って行く、地に根っこが生えて行く感じを確認出来て嬉しかった。

 「Love-J」での共演で懐かしいのは、マイナーBlues曲「ぽんと町」でのエレキシタール。そして「Love-J」の数曲に通じていたコンセプト「メッセージ」「あやとり」
 思えば、大音響のバンドの中で民族楽器を用いる事や、インディアン・サイケデリック楽団MISRAMで用いている「ストラップで立奏のシタール」も「Love-J」で始まった事。

 すっかり二人で盛り上がった感もありましたが、On-Stageでは、それぞれMOOCHYの音楽にベストを尽くして貢献。 ちらっと懐かしい音のやり取りもありましたが、流石の引き出し、懐の深さでした。
 Dr.Toshは新しいユニット、音楽を次々発信しながらも、昔からのファンを大切にしていて「Love-Jもまたやろうか!」の話もあがりつつ、この12月には京大で「ボガンボス」再結成ライブもあるとの話。
 
 翌日のDr.Toshからのメール
 「昨日は久しぶりに音で《あやとり》したね!嬉しかった《めでたしめでたし》」
 こちらも、むちゃむちゃ嬉しかったです。
 ありがとう!

 そして、充実の音楽ワークの機会を作ってくれた、MOOCHY、龍石君、
 grafのスタッフの皆さん。 ありがとうございました。

 初共演のアーティストさんとも「早速一緒に演る話を進めましょう」となっています。 2008年の新しい音楽展開にもどうぞ、ご期待下さい。


 11月20日(火)

 日本語ブルースに挑戦

   

  11月20日(火) R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」のVooDooデビューでした。
 ホントに良いバンドに成りました。
 Saxの西田弘道さん、Trumpetの岡本リサさん、渡邊由輝子さん、
 Pianoの中村明子さんに、Bassはavanさん、Drumsは波谷亮一さん。
 2007年一番多く一緒に演ったメンバーかもしれません。

 Saxの西田君は楽器にセットするマイクに改良。ソロではピンスポットが当たる中央で、ノリノリでした。Bluesのソロはかなりのレベルと思います。同じくTrumpetもBluesのバッキングの中高域の美しさはLisa&Yukiの腕の見せ所。若林楽団になってからミュートを新調したり、新調したのにリハーサルで落として歪めてまた新調したり。「音作り」には糸目をつけず嬉しい音仲間です。
 ドラムもベースも一見ぶっきらぼうですが、シンプルでオーソドックスなBluesにあそこ迄心を込めてノレるなんて凄いと思います。
 以前、福岡で「おっ!」と思ったBluesのドラムさんは自身R&Bシンガーでもあると聞いて「納得」いわゆる「Blues然」とした。と言いますか、どんなジャンルでもそうなんですが、「◎◎然」とした人に「音楽」を感じないことが多い。

「音楽」が先に伝わって「ジャンル」は後。オーラが温かく、笑顔が先に印象的、よくよく見るとお洒落の感じが理想なんですが。「形から入って」「ユニフォーム」で「チーム」作りたがる日本人には少ないタイプです。

 おっと、福岡には素晴らしい例外が居ます。先日のgrafでのMOOCHYセッションで共演したDub-RockersのJOEさん。オーラまでがJamaicanそしてその太鼓の音は優しくも深く。半端じゃなくやって来て20年くらい経つとその域に達するのか? 出来る人は最初からなのか? 

 R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」は、9月16日(日)のPeants-Barrel-Blues-Partyでデビューし、二度目のライブでした。
 若林忠宏個人的には、ついに「日本語ブルース」を演りました。
 
 訳はちょっとマニアック。2008年は2007年楽団のCD録音ラッシュが目標です。
 
 この日は、マイミクや音楽友達が多い日でした。と言いますか、全楽団が知り合い。
 
 最初のバンド「brown-bems」のドラムのミズマン君は野口ジュンさん&Bingo-Loves繋がり。二番手hannalaちゃんはアジアマンス2005年からの御馴染みで、パーカッションのCHANGは若林楽団のメンバーでもあります。若林Blues-Bandの後の
  Tykun (タイクン) でもCHANGがドラムを叩き、ギターのUNO君もマイミクさん。そしてトリのALOHAは一年半来のお友達で、ドラムのUme君は一時タブラも習いに大橋の教室に来て居ました。ALOHAのメンバーは皆可愛い弟の様な、音楽に熱い連中。CDが出ていたので買いました。
 


 

 11月23日(金)

 九州芸工大学園祭-1

 

  Latin-Oriental-Band「Mohammed-El-Wakkar & The Magic Carpet」の二回目のライブは、芸工大、正確には「国立九州大学芸術工学府」の学園祭のメインステージでした。
 若林も中学時代に進学を憧れた芸工大は2003年に九州大学に統合されたのです。

 前回のTetrapteraでのデビュー演奏は、遂にリハーサル無しの「仮装大会」で終わりました。今回は、学祭ステージの前に同じ大橋でリハーサル、終わった後も直しのリハーサルで、バンドとしての基礎を確定しました。

 西田弘道さん、Lisa&Yukiちゃんの管楽器トリオが、オリエンタルなフレーズにびったりハマる。
 バンド名の由来は、1950年代60年代にアメリカで活躍した謎のアラブ人(どうもモロッコ人らしい)Mohammad-Al-Bakkarのアルバムタイトルで、楽団の衣装も同アルバムのパロディーです。

 一曲目はそのMd.Al-Bakkarの珍妙な「アラビヤン・チャチャチャ」
 二曲目はアメリカ人Jazz-Manが1940、50年代に作った「イスタンブール・マンボ」
これもかなり珍妙な曲ですが、日本でもけっこう流行った曲です。
 三曲目はJazzの有名曲「Calavan」これは「野外では地味」とご批判を賜りました。
 確かに野外向けの仕掛けは日頃あまり考えていなかったと反省です。

 しかしながら、またバンドがしっかり固まったので、目出度し目出度し。
 来年以降のイベントのオファー宜しくお願いします。


 


 11月24日(土)  芸工大学園祭-2
 

  11月24日(土)今日も大橋芸工大学園祭野外ステージでした。
 昨日のステージは、僕らの前に「オニャンコ・パロディー」に人だかりの大盛り上がりで、その後はマニアックな音楽ファンが残るのみ。
 今日もそんな感じかと思って、好きに演っていて、ふと顔を上げると結構な人数で盛り上がってました。 う〜ん、やっぱり芸工大生はユニーク。 良い意味で「耳が肥えている」マニアック。

 本日、実は記念すべきエスニック・フュージョン楽団「Reng」のデビューLIVEでした。


  元々エスニック・フュージョン楽団「Reng」は、この夏に、ドラムのCHANG君、SAXの主税君、とBass、DJ&Sound-Efect、Violin迄決まっていて、デビュー間近のリハーサルもBookingしていたのが、当日にドタキャン。「棚上げ」となっていました。
 この程やっと仕切り直しでギターのSTB君がベースを決めてくれて、CHANG君主税君とで新たにEthno-Ambient-Music「Grama」としてデビューが決まりました。

 エスニック・フュージョン楽団「Reng」の方は、9月のアジアマンスのキャナル・シティーのステージにて、セッションメンバーでそのコンセプトを公表しました。
 今回も、今日の芸工大と明日のCallowayでのライブイベント「Tetraptera」の単発セッションの予定だったのですが、終わってみれば異口同音に「良かった」。「今迄一番楽しかった」の声さえも。 で、バンドとして「成立」。結果「記念すべきデビューLIVE」となった訳です。

 若林のセッションの手法は、簡単明瞭。
 持ち時間を人数で割って、じゃんけんで順番を決めて、ひとりひとり順番にリーダーとなって「曲の始めはリーダー。途中の変化自由。終わらせるのもリーダー」展開して行きます。

 今回のセッション、そしてRengのオリジナル・レギュラーメンバーとなったのは、
若林忠宏:Sitar/avan:Bass/波谷亮一:Drumsの三人。

 じゃんけんの結果。avan君のベースから始まりました。
 ノイズ系からジャズ、ラテン、サンバまでこなす多芸なベーシストです。この日の演奏は、ファンク掛かったノイズ系? ドラムの波谷君のキレの良いスネアが心地よく。シタールが自由に乗れました。

 二番手はドラムの波谷亮一君。 意外にも三拍子。 若林はハチロクで早いフレーズをループさせて小気味良く。 途中から4ビートに変わったきっかけは気付かなかった。その頃にはハチロクの「四つ取り」をしていたから、avan君の体のノリのお陰で4拍子に移行。 なかなかドラマーらしい、リズム理論がテーマな曲になりました。

 最後の曲は若林が、インド独特の半音が並ぶ音階で、ちょっとファンクなリフを提示。なかなかユニークな音楽になりました。

 エスニック・フュージョン楽団「Reng」は奇しくも、25日(日)の中央区赤坂のCafe-Barで毎月行っているLIVE-Event「TETRA-PTERA」にも出演します。
 25日はパーカッションの加藤君とサックスの西田君が参加しますから、更に面白く成ります。 宜しくお願いします。
 
 西田、加藤両君もそうだけど、avan、波谷君にも2007年色々なジャンルをお願いした。 皆勤賞のトランペットのリサちゃんなどは月平均2回本番の2回リハーサルで曲数は60曲を越えるかも。
 
 二年目の芸工大学祭参加の最大の収穫は、ジャンルに先だって「音楽」を演ってくれるメンバーの存在確認。メンバー各自が「それ」を自覚して報われた事でした。

 それにしても、会うなり「今日何バンドでしたっけ?」には笑った。
 「そこまで緩いんかい!」
 メンバーの中では
 R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」
 Rhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」
 Chicago-Blues-Band「Bull-Frog-Blues-Band」
 Arabic-Blues-Band「Suuk」
 Latin-Oriental-Band「Mohammed-El-Wakkar & The Magic Carpet」
 キューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」
 Puertorican-Salsa-Roots楽団「Boogala-Bomba」
 所属と書くのが大変だから?
 (特に若林楽団は解説サブタイトルが付くからもあるけど)
 恐らく面倒だからか?

 所属バンド  ◎◎ ◎◎ そして 若林楽団 としている人も居る。
 Heart-Gateがでかいと言うか、フュージョン精神があると言うか。

 ありがとうございます。


 11月25日(日)  LIVE-Event「TETRA-PTERA」
 

  11月25日(日) 福岡市中央区赤坂のCafe&Bar「Calloway」で行われた
 LIVE-Event「TETRA-PTERA」Vol.5

 今月はデビュー楽団が少なかったので、たっぷり時間の2バンド
 「日本語Blues-Band」として生まれ変わって凱旋(Calloway里帰り)の
 R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」
 と芸工大学園祭で新規に「確立した」
 エスニック・フュージョン楽団「Reng」

 R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」
 はレギュラーメンバー全員集合
 若林忠宏:Vocal&Guitar/西田弘道:Alto-Sax/渡邊由輝子、岡本リサ:Trumpet/金岡朝霧:Piano/avan:Bass/波谷亮一:Drums
 この日は、エスニック・フュージョン楽団「Reng」の加藤正文:Perc.君も飛び入りしてくれました。

 レパートリーはBluesの定番
 「Stormy-Monday」「T-Bone-Shuffle」「Caldonia」「Flip,Flop&Fly」
 といったModern-Blues、Jump-Bluesの名曲に敬愛するGate-Mouth-Brownの
 「I feel allright again」
 
 「Flip,Flop&Fly」以外、すべて自作の「日本語」でした。
 大好きなBluesに対するコンプレックスから、1978年、1999年と二度の挫折
 それを福岡の仲間に支えられて、2007年9月16日の三バンドデビュー、再デビュー
 新規のRhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」は恐らく日本初。
 10月Callowayデビュー、12月11日(火)VooDooデビューの
 Arabic-Blues-Band「Suuk」は言うまでもなく日本初、世界希有?
 そしてさらにコンプレックスを乗り越えて
 「日本語」で歌いました。

 一時演っていて、今福岡で準備中の
 「昭和30年代日本語ラテン楽団:El-CoCo」以外で、
 
 「日本語」しかも「自作詩」
 を歌ったのは、若林忠宏35年の音楽歴で初めてなのです。

 支えてくれた皆さん.
 応援者さん、メンバー、Callowayのマスター奥様。
 ありがとうございます。

★デジカメ動画ですから、ほんの少しですが、

http://video.mixi.jp/
view_video.pl?owner_id=327576&video_id=2173528


 

 11月29日(木)  六本木のBeatles-Clubで
 

  11月29日(木) ビートルズのジョージ・ハリスンの命日。
 六本木で25年の歴史を持つビートルズ専門の「Cavern-Club」の
 ジョージ・ハリスン追悼Special-Liveに呼ばれてオープニング演奏の名誉を頂きました。
 数年前もそうだったのですが
 やっぱり「むちゃウケ」

 数年前との違いでしょうか?「生シタール演奏」が入る事は「サプライズ」だったのですが、ステージに上がる前にシタールのハードケースを見て「あっ!シタールじゃないの?」と言うお客さんがちらほら。

 日本公演の後に発表された、リボルバー。一説には日本の警備の警官が持っていたからとか? そのアルバムに収められているかなり頑張ってインド音楽に近づいた曲
 「Love You too」のイントロを弾くと、もう「し〜ん!
 凄いコアなお客さん達100人弱。 

 インド人はしないだろう、イントロのハモニクスの音がしっかり会場に響きました。
 有名なリフを弾くと、茨城から駆けつけてくれたタブラのお弟子さん田部君が叩き出す。 インド古典音楽のリズムサイクルとは「ズレる」ところがミソ。 タンバリンの代わりにインドパーカッションを担当したO君もしっかり原曲を聴いて来て。

 お客さんにも「レコードと同じでした!」と褒めてもらいました。

 続いて、ステージにハウスバンド「Silver-Beats」のベース永沢さんとギターの馬淵君が上がって三人でトーク風にシタールとタブラの解説。 そして
お決まりの「ノルウェーの森」 ソロ歌を歌わせて貰いました。
 嬉しいのなんのって、サビはばっちり、ジョン役さんとポール役さんがハモってくれますから、最高でした。

 アンコール迄出ましたが、さすがに「Within You」はメンツも、時間も足りない。
「是非本式インド音楽を!」と永沢さんが言うとお客さんも大喝采。
 
 古典を少しやって笑顔と拍手の中。 大きなジョージの写真の前での光栄なライブが終わりました。

 Cavernのスタッフの皆さん。Silver-Beatsの皆さん。
 永沢さん!ありがとうございました。 
 また、呼んで下さいね!


 11月30日(金)  広尾:Cafe-Frontier「インド音楽」
   

 11月30日(金) 今年最後の「若林忠宏民族音楽小紀行」広尾:Cafe-Frontier
は、丁度一年一回りして「インド音楽特集」でした。

 第一部は若林忠宏のシタールに、一年前のプログラムが復活してギターとの共演。
「音に慣れ親しむ意味で、西洋有名曲を徐々にインド音楽式にアレンジ」「ノルウェー森」「グリーンスリーブス」「太陽が一杯」「サマータイム」
を若林忠宏5年振りの東京での楽団TIKAとLuceraギタリスト、阿川君にお願いして。彼のギターが心地良いのでついついアドリブが多く。逆にマニアックな難しい曲として聞こえたかも知れない位、ノッてしまいました。で、時間ぎれで「サマータイム」は割愛。やっぱりギタリストの弾くギターは良い。って当たり前ですが、なかなか簡単な曲の伴奏をしてくれるギタリストっていないのです。ついつい色々弾き過ぎたり、アレンジしたりすると、コード進行の無いインド音楽の弦楽器とのコラボレイションで「許容範囲」が壊れてしまうから。

 続いて、前夜の六本木Cavern-Clubビートルズのジョージ・ハリスン特集ゲスト演奏でもタブラを叩いてくれた田部君の助けでインド古典音楽のデモ演奏。

 二部は、吉祥寺教室の金君、田部君の二台のタブラと北インド古典音楽をたっぷりと演奏し、あっと言う間の二時間。 
 お客さんで来てカメラ撮影をしてくれた、きむきむさんがアンコールの音頭を取ってくれて、阿川君に再び登場してもらって「北インド古典音楽」にコード付けをした若林忠宏オリジナル曲「メーグ」を。
 
 以前、中学校音楽教員研究会で講演させて頂いた時の先生も来てくれました。東京国際音楽療法学院の生徒さんも、何時もありがとうございます。

 基本的に月末の金曜日なので、12月末は「地球広場」も仕事納め。お休みです。
また来年1月25日(金)宜しくお願いします。

 そして来週、6日(木)は今年最後、若林忠宏の東京での2007年ラストLIVEが
「若林忠宏シルクロード音楽の旅」高円寺:BolBolです。 宜しくお願いします。


 



 Music & Life  

 
 
 
 
 

 11月1日(木)   とってもガーナでボブマーリな夜
   まず、始めにガーナの事をちょっとおさらい。

西アフリカのガーナ共和国
多民族国家で、一説には60以上の言語があるとも。 最大民族のアシャンティ系の太鼓、アカン族の太鼓、エウェ族の太鼓を持っているので、思い入れの強い国。 子どもの頃から憧れているのは「チョコレートのCM」のせい? ガーナに行けば「食べ放題」と思い込んでいた。
 西洋列強の植民地時代「勝手な分けっこ」政策で、西アフリカの海岸線は、仏領、英領、(独領)が交互。ガーナは旧英領なので「公用語」が英語、でもピジンが主力。キリスト教が8割を超えています。かつては「ガーナ王国」を始め各民族が王国、藩王国を築き大変栄えました。 その王国文化は未だに根強く、生活、社会、音楽、芸能も全て伝統王国文化に根ざしていると言えます。

10月31日(水) 「とってもガーナ!でボブ・マーリーな夜」

 この二人とも運命的な出逢いを得て、やっと二年経って「三人で音楽」が出来る様になったVocalの野口ジュンさんとPercussionのアジ君とのライブの後。
 野口ジュンさん、アジ君、そして前日のChaChaCha楽団の助っ人ピアニストで「猫Song楽団」にも早速加わって下さったサギリさんが加わる楽団「One-Soul-Lovers」のギタリスト、マコト君の新しいお店に行きました。

 マコト君は私が帰り際に、大きなお仕事から駆けつけてくれて、感激の挨拶をしましたが、 オーナ居ずともお店にはとっても明るく優しく楽しいシェフが居ましたから、お肉を食べない若林の為に「特注オムレツ」を作ってくれたり、たくさん愉快で勉強に成る話を聞いて、楽しく過ごしました。

 なにしろ、シェフは西アフリカ・ガーナのアカン族出身。
 「店はエリカ独りで頑張っているから行ってあげて!」と言われて、バイトの女の子が頑張っているのかと思いきや、大きな大きな、でも軽やかにBGMのボブマーリーに揺れながら、ニコニコのお兄さん「デリカ君」でした。

 若林がアコンの歌やガ族の太鼓を持っていて勉強中と知るや話は盛り上がり、
「日本に来て数年。初めてこんなにガーナの事話した!」と言ってくれて。
 ガーナの神童「オコンフォ・アノチェ」の話とか、むちゃむちゃ楽しかった。

 後で聞いた話。 彼は若林が店に入るや否や「こいつは凄い奴だ」と思ってくれたそうな。 何が? かは良く分かりませんが、凄い会話は多かったのは確か。

 彼の十年日本生活で「アカン語で人生って何って言うの?」と訊いた日本人は若林が最初だった様です。「オコンフォ・アノチェ」の話をしたのも「Wakaちゃんが初めて!」と言います。若林に会って、十年振りに想い出したそうなんです。

 「アカン語で人生って何って言うの?」

  ところが彼は、「人生=シェブレ」と答える前に、何故か頭に故郷の言葉「魂」が浮かんだと言うのです。

 なんと、アカン語では!  

 「魂」と「猫」 は、全く同じ「言葉」なんですと!

 若林が猫好きなんて彼は知りません。

 その後、アカン族の伝説、言い伝えの中の「猫さん」の不思議な話をたくさん聞きました。「猫を虐めた者は、その者の魂が生まれた場所に来た時に、酷い仕打ちを受ける」とか「医者が見放しても、猫が離れて行かねばその人は助かる」とか。

 面白かったのは、アメリカ南部のアフリカ系民族の音楽「Blues」には
「黒猫が横切った」を「不吉」の啓示とする、と同じ話がアカン族にもあったこと。
 日本では「不吉」と訳されていますが、「不吉」と言うよりは、
 「気を引き締める」「落ち着く」「我に返る」という様なニュアンス。

 面白いことにレゲエ大好きのデリカ君は、ブルース音楽を全く知らなかった。
 でも「黒猫が横切った」同じ話をアカン族の言い伝えで話してくれました。
 Bluesの命である「Blue-Note」と同様に、西アフリカ起源の言い伝えなんだと再確認。

 長袖を着ていれば、そんなに寒くない、とっても清々しい気分の福岡の夜。
 デリカ君に見送られて!
 彼が他のお客さんに言っていた言葉が愉快で楽しく温かいから
 「あれっ? 僕には言ってくれないの?」と催促。
 彼は嬉しそうに「階段気を付けろよな」
 彼の日本語は時々「だよな」と身内言葉になるのが可愛い。

 階段の下でマコト君を待って、挨拶して帰りました。
 しばらくは夜道に、お店から流れるボブマーリーが聞こえていて、
 身も心も「軽やかで柔らかな」気分。
 素敵な一日でした。

 P.S.
 初対面のデリカ君は若林の事を
 「オコンフォ・ワカチェ」と突然命名しました。

 「アノチェ」はおかしな由来が。
 神童「アノチェ少年」は至る所で奇行に走るので、その度に
 村人が、「お父さん、ご覧なさいよ!」と少年の父親に苦情や懸念を伝える。
 アカン語で「アノ=お父さん」「チェ=あれ見て!」

 ってな訳で。 今日から、アフリカ音楽を演る時の若林は
 「オコンフォ・ワカチェ」、気楽に「ワカチェ!」で
 宜しくお願いします。

 

 

 11月2日(金)  「ノラない音楽
    ライブ・ハウスとライブ・イベントに関して、以前にも書きましたが
 1980年代初頭、東京の老舗が「箱、ミュージシャン、常連の三位一体の時代を取り戻そう」
 というユニオン結成の動き.最年少で誘って貰いました。
 しかし敢無くユニオンは頓挫。 ミュージシャンは箱を点々とし、ファン、、身内が付いて廻る。
 「ライブハウスの公民館化」固定客、常連さんも居ない。「箱のポリシーどころかカラーも無い」
 
 そんな中で「イベント」は「カラー」「音楽的志向」を追求する希少なチャンスでした。
 東京では最低金額が保証されていても(それが本来のギャランティーの語源)自腹切って応援し参加し頑張って来ました。

 が、夏過ぎから雰囲気が変わって来てしまいました。
 チャージの値上げの問題だけじゃなく。 出演者が離れ。お客さんが離れ。
 それに対して企画側の行動は?

 東京、海外からメジャーを呼んで大きなイベントを仕掛ける。
 
 末路は見えてしまう。

 出演者もノラない。
 でも、先日のイベントは、出演者にも大きな欠陥を見ました。

 「ノッた状態しか想定していない音楽」
 
 当たり前の様でもありますが、 大きな勘違い。
 そりゃミュージシャンたるや、自分も「ノリたい」し、お客さんも「ノセたい」。
 お客さんだって「ノリたい」。 インドやアラブ、アフリカのお客さんの様に
 「バンドをノセちゃる!」の意識は全く足りない、というか無いけど。

 「ノリたい」と「ノッた」と「ノラないといけない」は大違い。
 「ノセた」と「ノセたい」は大違い。

 なのに、全て「ノッた状態」からものを考えて音楽をしている。

 若手が多かったからかもしれませんが、 その幼稚さが先に出る若手って?
 若気の至りで好きな事を身勝手に演るんじゃなくて、
 むしろ「お務め人セミプロ・オヤジバンド」の方がやりたい放題。

 TVやDVDのプロの大コンサートを見て真似たいのか? 
 「結果」からものを考えるならば「一音一音」の出所、落としどころは一体「何処?」
 
 お客さんの方も「音を受け止める」のではなくて「ノル為に来ている」
 「ノセる音楽」じゃない音楽に対して「どう聴いて良いか分からない」
 
 これはプロデューサーの「手腕」にも寄る所大だろうけど、
 日によってジャンルによって「ノルつもりじゃなく、別な意識で聴く」
 そんなお客さんで充満する。 逆に「ノレる音なのにノリが悪かったり」

 「音楽は感性」で受け止めるものの筈が、
 いつの間にか「観念」 

 うがって見れば、かなり危機的。

 11月2日(金)   いろいろな音楽
    人によっても違うのだろうけど、
 「浮かれた気持ちを鎮め、沈んだ気持ちを高めてくれるトルコ音楽」 
 これはおそらく「下降型旋律」と「序破急型構成」の妙。

 「音楽も人生も体力が勝負だな」と感じさせてくれる「アラブ音楽」
 楽に演れば演れるけど。本気になったらかなりスケールのでかい音楽

 「素直さ」も色々在れば、居直り、勘違いを素直と言う人も居るけれど。
 純朴な素直さを想い出させてくれるアフリカ音楽。
 アフリカにすむアフリカ人のそれと、日本に住むアフリカ人ミュージシャンのそれ
 日本人アフリカ音楽演奏者のそれが違うのが気がかり。

 長年「インド音楽」は「深淵」すなわち「深刻」
 その「理論的深み」に負けまいと「集中力」で勝負していた。
 しかし、私の師匠は「寝ながら弾いた」唖然。

 やっと最近、人と別な会話をしながら「即興演奏」が出来る様になった。
 「優待離脱」の様な音楽。 「忘れた時間に価値が生まれる様な音楽」
 

 かく言う私も、高校生の頃は、
 「ハワイアンなら長閑に夏」「フラメンコならば情熱の炎」
 「メキシコならば太陽とテキーラ」「深淵、悠久、哲学のインド音楽」

 などなどの「キャッチコピー」に踊らされていた。

 よくよく考えれば、民族音楽が普及していない頃のレコード会社制作さんの
 苦肉の作。

 試しに逆を考えてみよう。
 マダガスカルの人にハワイのギャッビー・パヒヌイのレコードを売るには?
 モロッコでフラメンコを売るには。
 タヒティでメキシコ音楽を売るには。 グルジアでインド音楽を売るには。

 もしくは、それぞれの国の人を思い浮かべてみよう
 ハワイには哲学的、論理的思考を持つ人はいないのか?
 アフリカやメキシコ、キューバには根暗な人は居ないのか? 
 ジャマイカにはせっかちは居ないのか?
 インドにはいい加減な奴は居ないのか?

 
 話の腰を折る、逆な話。
 中央アジアやインドには「B型」が多く、アラブ、アフリカ、太平洋には「O型」が多い
 それと音楽が関係したとして、「A型」が多い日本では?
 アフリカ音楽が好きな日本人は「O型」が多いのか?
 インド音楽が好きな日本人には「B型」が多いのか?

 25年述べ400人程の「民族音楽教室生徒さん」を見て来た経験上では、
 「意外に当たっている」

 ところが、「A型」が多い日本の伝統音楽は、
 世界でも類を見ない程
 「音程」「リズム」がファジーである。

 何故か? 

 11月13日(火)  命と自然と心の二日間
    「分かる人には分かる」って言葉、たまに聞きます。
 かく言う自分の口癖が「分からん奴に言っても分からん」 と言いながらも、どうにか「分かって貰えないだろうか」

 思えばそれがこの半生だった様な。

 「民族音楽?」「うちは先進国しか扱わない帰ってくれ!失礼な!」
 「民族音楽センター? ○翼の方ですか?」
 それが80年代「インドチックなCD下さい」に始まって90年代、レコード屋に行けば「ワールド担当」と言う人が僕に講釈してくれる。 
 どっかの楽器屋さんで「日本では若林忠宏って人が第一人者で」
 って講釈されて「あっ! その人この人」って言った事があって、二度目は黙って聞いてみた。その内、巷に溢れ出して来て。「若林さんて何でも出来るって聞いて『嘘に決まってるじゃん』って言ってたんですけど、本当だったんですね」とか。 
 知らない人の方が増えたかと思えば、最早、殆ど知られていないのかもしれないとさえ思う、最近。

 「民族音楽は土から離したら枯れる」なんて主張は、馬耳東風な感じすら思い始めていました。

 ところが11日の関西では、色々と意味深い事が多かった。

 武庫川女子大でのコンサートのゲスト留学生。タイ人のチャユーさん。
 片言の日本語で語りながら歌う。
 「河もきれい、木もきれいだった」「きれいない、駄目」
 タイはつい数年前迄は「日本の経済成長に追いつけ追い越せ」のイメージだったけれど、「自然保護運動」がかなり進んでいるらしい。 日本は追い越されています。

 人間が一番優秀な「生き物」と思っている人にどう伝えたら良いのか?
 そんなジレンマをチャユーさんは、吹き飛ばした。 「当然」の様に語った。学生も聴衆も、皆自然に頷いていた。
 数年前迄なら「何この人綺麗事言っているの?」の嘲笑も有ったけれど。
 時代がやっとそれに気付き始めている。

 武庫川女子大音楽部教授の言葉が素敵だった。

 「欧米に追いつけの日本でしたが、何か違う!と思っていました」
 「それが今日、アジアの音楽を聞いて確信しました」
 「日本人の私の心をアジアはこんなにも温かく慰めてくれる」

 教授は、著名なテノール歌手でもあります。

 演奏会の最後、誰しもが「何か」を感じて居たその時に、
 一番の素晴らしいコメントだった。

 しかし、昨今の民族音楽ブーム
 「その国の物価が日本と同じだったら始めただろうか?」
 ジェンベは20万円。 シタールも20万円。 

 かつての「大東亜共栄圏」の頃も同じ。
 何時も「二種類の日本人」が居た。
 
 欧米に対するコンプレックスを内在しながら、亜細亜の同胞に微妙な優越感。それに気付かない人も居れば、気付いていて何も矛盾、間違いと思わない人も。どちらも同じ。当時の、否、今でさえ、アジア各地の人々には、微妙な差異が分かる。「笑顔や優しい言葉が、上から注がれる」

 一方で、同じ時代に本気でアジアを愛した日本人も居る。
 戦争で赴き、取り残されそのまま永住した人も居る。 やむなくの人も居ればその土地を心から愛した人も。
 勿論、その人だって故郷に帰りたかったに違いない。 でも戦地に追いやり戦友を失い、現地の田畑を焼いた日本人も欧米人も知っている。

 マレーシアの音楽を演奏し終わった時に、ご高齢の方が二人ステージ迄来て下さって「戦後しばらく抑留されていました」「その時に良く聞いた音楽です」「なつかしゅうございました」と私の手を取って下さった。
 うっすらと目頭が滲んでいた。

 その半年前、演奏会の準備にマレーシアに赴いた。
 路上でご高齢の方とすれ違いそうになり、緊張した。
 「私の親の世代の日本人がお世話になりました」
 なのか、何なのか。思い上がりかもしれない。

 ところがご高齢の男性は、すれ違う際、にっこりと笑顔を下さった。
 横断歩道を渡り切って、振り返り、後ろ姿に御礼を言っていたら、
 「先進国を自負する様なオーラ」どころか態度見え見えの観光客とその男性がすれ違った。
 男性は彼らを見上げもしなかった。

 バンコクの空港では、割り込んで来た日本人に突き飛ばされた事もある。
 民族衣装のままパキスタンからの帰国途中だった。

 今、もしかしたら日本人は三種類位かもしれない。
 相変わらずの「コンプレックスとその裏返し」
 昔からアジアを、日本を愛する人々
 そして、アジアに癒される人々

 「癒される人々」は、コンプレックスも優越感も無いかもしれない。
 でも、もし私たちが東南アジアの隅っこの小国の人間だったら、
 今の、今迄の、この50年間の「アジアの経済大国」の人を見て
 「何故? 何に? 疲れ? 何故? 癒されたいにか?」と奇妙に思う事だろう。

 未だに電気も水道も無い村に、学校も無ければ早朝に山を越えて隣村に勉強に行く。
 勉強したくて行く。
 貧しさから逃れたいからだけでは無い。 そのまま村に住む人の方も少なくない。
 そんな彼らに「受験勉強ご苦労様」の感覚は通じるだろうか?

 ハイテンションのバタバタのスケジュールの中で、心は不思議とスローモーションの様だった。

 この事が確信出来た、この二日は「大きな転機」となることだろう。

 「根をしっかり張って、群れない、ブレない、惑わない時」
 行動は迅速、仮にバタバタ、大慌てであっても。 心は不思議にスローモーション。落ち着いていて。むしろ行動を急かす。
 「頑張れ」「今がラストチャンス!」「急げ!」

 これが「スロー」の本当の意味。

 
 帰郷して、お客さんの日記を拝見しながら、充実の嬉しい時間を反芻していたら、
 ある方のブログに素晴らしい一文を見た。

 「過去のアメリカがやった事をアメリカ人が、  あるいは過去の日本人がやった事を日本人が 自責の念を持つべきだ、とは思いません。」

 「自分自身の心に、今無いか? と問う事だと思います」

 この半年の私の内成る悩みに「すぱっ」と答えをくれた。

 「自戒」と「自責」の違いをどうにも上手く伝えられなかった。

 反省し、自責の言葉を述べているのだが、どうもしっくり来ない。
 むしろ自虐的にさえ思える程に「責めている」のだが。
 逆に「失敗に学んだ人」は、呆れる程ケロッとしていたり。
 「半生が足りない」と誤解されるほど。
 もちろん「半生してないだけ」の人も多い。

 ここにも三種類が有った。
 
 「自責」の人は、同じ自分のまま 幾ら自分を責めてみても変わらない。
 「自戒」の人は、その根源を断っている。変われた人。
 「反省していない人」は蓋をしている。

  
 「自分自身の心に、今無いか? と問う事だと思います」

 「自然保護」「動物保護」「戦争反対」「差別反対」
 
 歴史を学んで欲しいとしつこく言っているのは正にこの事。

 

 【ハード・スケジュールの三日間】

 11月10日(土)から11日(日)そして12日(月)
 九州では「あまりの居心地良さが怖くて」ダブル、トリプル当たり前!の過密スケジュールにしていますが。 さすがにこの三日は濃かったです。

 11月10日(土) 
 12:00吉祥寺教室スタート〜17:30
 17:30に生徒さんより先に吉祥寺を出て、代官山に。DJ:MOOCHYとのセッションのリハーサル
 あいにくの週末の夕刻。人ごみの中で楽器を運ぶと時間が足りなくなる。渋谷からタクシーで急行。
 ところが本番が深夜なので現場はゆったり。
 焦らず、じっくり、気分を切り替え。
 
 21:00リハーサルを終えて吉祥寺に急行。 猫さんのご飯と、データの送信の為に。USBが壊れたままなのでLANからしか送れない。途中で、ギタリストA君から電話。
 最近の様子が心配になって、我が家迄様子を見に来てくれたとの事。感涙。
 
 日付が代わって深夜、
 11月11日(日)の未明
 00:30分。 タクシー代節約の為に走ったけど、JR上りは終了で、井の頭線で富士見ヶ丘迄。
 タクシーなかなか来ない。
 やっと代官山に到着、01:45  霧雨に濡れたからか、頭痛が襲う。

 02:30 MOOCHYとお客さんとの一体化した、Club-DJイベントの独特な世界に飛び込み5曲演奏。
 パーカッションのイズポン君、ギターのエイジ君と若林のシタール、MOOCHYのセッション。
 最後の曲の前のMOOCHY君の紹介「シタール!若林忠宏!」で予想以上の大声援。サンクス!
 MOOCHYもメンバーも、プロデューサーも上々の満足の様子を確かめて、ビール一杯だけ乾杯して吉祥寺へ急行。 シタールを置いてウードに持ち替えねばならない。タクシーで帰る。
 早朝4:30吉祥寺着。
 兵庫の準備を確認して、風呂に入って、二時間仮眠。
 7:00に起きてみんな(猫さん13匹+ワン)のご飯を上げて、吉祥寺駅迄走る。
 7:40頃の新幹線。博多行きは「寝過ごし」が怖い。上手い事一本前の「新大阪行き」に乗れる。
 新幹線では二時間半しっかり寝ました。
 10:30頃、新大阪着。順調。 11:30のリハーサル開始に間に合う。
 駅員さんに聞けば、○○番線ならば「直行」
 の筈が、乗ってみてから「急行は甲子園口止まらない」ええええ!
 尼崎で降りる。駅員さん「○○番線から今出る普通に乗れ!」と言う。階段走って。
 えっ! 今度は「快速」駅員さんを信じないで正解。快速も止まらなかったかも。
 次の普通に乗る。どうにか間に合いそうだ〜〜〜と思いきや、あああああ!

 なんと宝塚行き!  一駅経たずに気付くが、その一駅が長い。
 戻って尼崎.階段走って乗り換え。普通が来ない。 
 よくよく路線図見れば、尼崎は宝塚行きと神戸行きのジャンクション
 そんな肝心な乗り換えが同じホームから出るなんて!
 東京じゃ考えられない。 否、京浜急行の蒲田はもっと酷い。
 「三浦半島行き」と「羽田行き」と真逆の「成田行き」が同じホーム。その分構内放送も必死で
 「○○ですから○○行きのお客さんは乗れません!!!!!!」
 尼崎では全くアナウンス無し。後で聞けば「土地の人も間違えるときがある」って、そんなぁ。

 武庫川女子大甲子園会館について直ぐにリハーサル。
 終了が13:30過ぎ。本番が14:00。やっと一息入れていて、出番はスライドの後かと思いきや
 冒頭で突然紹介されて、慌てて走る。
 16:20に終わり16:30過ぎにタクシーに乗って摂津本山へ。
 開演数分遅れで始まり、休憩も無し。ご飯も食べずに大盛り上がり!
 終電に遅れまいと走る。
 間に合ったと思ったら踏切故障で新幹線は行ってしまう。

 23:00名古屋迄たどり着いて、23:55の夜行に乗る。
 5:00過ぎに東京駅。JR中央線では根性で寝ない。 吉祥寺を通り過ごして
 高雄の山を見てしまったら、もう都会へは戻れない。猫さん朝ご飯食べられない。 
 やっと帰宅が6:00過ぎ。
 テンション上がりっ放しで寝たのは9:00
 やっと! と思えば「生ゴミの日」
 ガバっと起きてゴミ出して、 バタンQ
 お昼過ぎに起きて、長い長い48時間 
 浦島太郎気分。
 頑張りました。 そしてその甲斐はたくさんありました。
 「止まると死ぬ鮫」
 ハード・スケジュールが一番の薬。 

 【インドの夜行列車を想い出し】

 久々の夜行列車でした。
 確か、26年前に初めて「甲子園口」で演奏した時も「夜行列車」だった様な。
 日出の時間に名古屋駅でしばらく止まり、その時間だけ臨時営業のホームのきしめん屋さん
 ネギとおかかだけなんですが、最高に美味しかった。
 あの味アゲイン! と何度も試みているのですが、未だに出逢いません。

 
 奇しくも、と言いますか思いがけず、甲子園口で始まった一日の終わりも名古屋出来で夜行を待つ。きしめん屋さんは真っ暗閉店。 新大阪駅でお弁当屋さん数件廻って「最後のひとつ」のうなぎ弁当。大阪名物「まむし」って、皆さんご存知でしょうけど、ウナギが「似ている」からではなくて(25年程前そう思ってぎょっとしましたけど)ご飯の間にもウナギが「まぶされている」を買って来ていて良かった。
 ポカポカ良いお天気でしたけど、さすがに深夜のホームは冷え込んで、「まむし」はチンして欲しかったなぁ。
 
 夜行と言えば「寝台」と思う人も多いですが、確か京都で乗り遅れた時「寝台」は逆に高い割に始発新幹線にほぼ追い越される。 夜行は、普通の急行。 各駅・鈍行ではないですけれど、かなりの駅数有った様な。 
 

 夜行列車の経験はあまり有りません。
 「枕が代わると寝れない」系だったので「旅好き」ではなかったから。
 それでも、インドの夜行列車の想い出は沢山。 途中駅のチャイ。
 知らないオジさんが「おい!ジャパニ!起きろチャイの時間だ!」と叩き起こしてくれて。
 早朝の田園を走る素敵な光景。 360度田園の景観。 と思いきやバケツ持参で線路に集まる男達。 朝の用事をのんびり列車を眺めながら、と言う不思議な風習。
 
 26年前の東海道線の夜行のシートは全くの90度でした。
 夜行で新潟経由で富山に行った時も。 あまりの寝心地の悪さに床で寝てましたら
 朝の直射日光と賑やかな声に置きてみれば、通学の女子高生のど真ん中で寝てました。

 色々な意味で良い時代だったのかなぁ。

 
 「夜行列車」にそんな良い想い出がある分。 夕べの「夜行」はちょっと悲しかった。
 前のオヤジさんがシート最大限に寝かして。ど○○頭が僕の六時間ずっと鼻先。
 昼間の電車と比べると、誰しも「寝型がなんだか汚い」煌煌と電気も付けっぱなしだと、 
 夜景も見えず、ロマンもノスタルジーも何も無い。

 でも、そんな思いも夕べのお客さんのコメントで吹っ飛びました。
 その人も「夜行列車、良いですね!インドの夜行も好きです」
 と懐かしい想い出を想い出させてくれて。
 24時間経ってみれば、夕べの「夜行」もまた、想い出です。


 11月13日(火)  前途多難ではありますが
 

  「福岡・猫さんの会」も発足、半月で65名ものBlogコミュニティーご参加を頂きました。
 トップページにも書きましたが「賛同する」に拘らず、「関心がある」だけでも大歓迎。Blogコミュニティーの参加者さんが多い事は、そこから繋がる可能性も、広がる可能性も大きくなる訳で、地道な草の根ネットワークだけでは得られない「流れ」「動き」もまた期待出来るので、大きな「応援」なのです。
 また「今猫飼ってないし」「犬しか居ないし」も関係ありません。Blogコミュニティーの新トピック「犬のお巡りさん」にも有ります様に「迷子の子猫さん」の状況を一番知り得るのは「散歩のワンコ」なのですし。 どうぞ、奮ってご参加下さいませ。

 お友達の絵描きさんが個展間近のご多忙の中「福岡・猫さんの会」のロゴマークの原画の「ラフ・スケッチ」を送って来てくれました。 素晴らしいセンスでした。
 「可愛い子猫」如何にも情をそそる様なでは無かったのが嬉しい。
 その子猫自身、凛として頑張って生き抜こうという意思が感じられる。 でも、世間の風は冷たく................。
何もリクエストしなかったのに、全てが描かれていました。
 
 日頃、私の日記は「猫讃歌」が多い。 
 でも「福岡・猫さんの会」の最大の課題「地域住民の説得」と「ボランティア集め」では「猫賛美」や「窮状の訴え」では多分無理。 
 場合によっては「逆効果」
極端な話「野良猫撲滅」のヴィジョンに賛同させる事の方が現実的。 
もちろん「撲滅は」「避妊・去勢手術」の事です。それを前提に今生きて居る子達を見守って貰う。

 情は、促しても出て来ない。

 先日、友人と話していて、哀しみを通り越し、愕然としながらも、新たな確信を得た事がありました。

 質問:
 寒い夜、通りすがりにやせ細った子猫を発見。 何か食べなくては今晩保つかどうか?
 アナタはたまたまシーチキンの缶詰を持っている。 家には連れて帰れない。
 さてどうする?

 友人の答え
 「餌を上げるならば、一生世話をする責任感と覚悟が無くてはならない」
 「中途半端な優しさはむしろ酷」「今晩上げても明日誰もくれないかも知れない」
 「貰える期待を与えるのは残酷」

 前にも他で何回か聞いた事がある様な話。
 意外にこう考える人は少なくないのかも。
 でも、全く猫さんを知らない。分かっていない。
 「猫は野生が一番」というのも同じ。
 真夏であろうが、真冬であろうが。
 ましてやあのふさふさの毛皮があれば、と位に思っている。
 それ以前に、貰いグセを付けさせない優しさは何の役に立つと言うのでしょう?
 都会と言う「自然環境」の中で、「野生の狩猟のサボリ癖」でも着くと言うのでしょうか?

 友人の哀しい答えによって分かった事。
 それはその人の「考え方」「価値観」「心の結論」では無いという事。

 これは「教育」「情報」のせい。
 でも、本人がそれを自覚していない。

 だから事態はむしろ過酷。 残酷。悲惨。

 「情報」「人の意見」「考え方」「価値観」を
 浅くしか考えないで「取り込む」
 ありとあらゆる事が「カタログ」の世の中。
 「考え方」「感じ方」「価値観」さえも「カタログ」から選んでいる。
 その事に「何の疑問も無い」それどころか「その仕組みに気付いても居ない」

 

 でも、必ずや「突破口」はある筈。


 11月16日(木)  民族音楽センター京都
 

 民族音楽センター京都の(準備室)が行動開始しました。

1、ネット・コミュニティーmixi内に「民族音楽センター京都(準備室)」のコミュニティーを立てる
2、コミュニティー管理人さんを得る
3、現地民族音楽情報、協力者、応援者さんを募る
4、民族音楽フュージョン楽団を結成、LIVEを開始
5、民族音楽楽団を結成LIVEを開始
6、民族音楽ワーク・ショップを開催
7、スタッフ、楽器管理運搬スタッフ、協力者、応援者さんを増やす、
8、「民族音楽センター京都」のサイトを開設
9、「民族音楽センター京都」事務所を設立。
10、「民族音楽センター民族音楽教室」を開催。

の段階を2008年一年かけて頑張ります。
情報、応援者さんを募ります。
宜しくお願いします。

★同様に「民族音楽センター新潟」「民族音楽センター広島」
「民族音楽センター東北」「民族音楽センター福島」「民族音楽センター北海道」を計画中です。 
mixi内限定「コミュニティー管理人さん」
「準備室代表・サイト管理人さん」
「民族音楽センター支部長候補さん」
を募集しております。
宜しくお願いします。


   
 11月16日(木)  民族音楽センター新潟
 

 民族音楽センター新潟の(準備室)が行動開始しました。

1、ネット・コミュニティーmixi内に「民族音楽センター新潟(準備室)」のコミュニティーを立てる
2、コミュニティー管理人さんを得る
3、現地民族音楽情報、協力者、応援者さんを募る
4、民族音楽フュージョン楽団を結成、LIVEを開始
5、民族音楽楽団を結成LIVEを開始
6、民族音楽ワーク・ショップを開催
7、スタッフ、楽器管理運搬スタッフ、協力者、応援者さんを増やす、
8、「民族音楽センター新潟」のサイトを開設
9、「民族音楽センター新潟」事務所を設立。
10、「民族音楽センター民族音楽教室」を開催。

の段階を2008年一年かけて頑張ります。
情報、応援者さんを募ります。
宜しくお願いします。

★同様に「民族音楽センター京都」「民族音楽センター広島」
「民族音楽センター東北」「民族音楽センター福島」「民族音楽センター北海道」を計画中です。 
mixi内限定「コミュニティー管理人さん」
「準備室代表・サイト管理人さん」
「民族音楽センター支部長候補さん」
を募集しております。

★2007年11月早速名乗りを挙げて下さったかたに、(準備室代表)お願いしました。
2007年12月現在、着々とお仲間を増やしてくれているところです。

   
 11月17日(金)  長野へ
 

   琵琶の師匠の安らかな永眠を知り、先の日記を書いていた時、思いがけない事が起こった。

 琵琶の師匠から錦琵琶創設期の感動の話を伺って、
 「耐える」のではなく「許す」。「堪える」のではなく「待つ」。
 「我慢する」のではなく「譲る」。「守る」のではなく「願う」。
 「まるで湖の様な心だ」と思った時、「ふっ」と似た人を思い浮べた。

 地歌三絃の師匠だった。
 
 頂いたパンフレットを家に帰ってからゆっくり拝読し驚いた。
 お二人とも同じ、長野の岡谷のご出身だったのである。

 岡谷は、長野県のど真ん中「諏訪湖」の西岸の町である。
 「ああ、きっと諏訪湖を見て育って、湖の様な心を育まれたのだろうか」
 
 そんな事を想いながら、先の日記を書き終えんとした時に、
 足跡を辿ってご挨拶メッセージを送った人からお返事が来た。

 「Sur-Ang(音塊)」の相方。 熊本人Tokijiku君の友人で「下北のライブで逢いました」
 マイミクさんの愛猫の病状を案じ天の川を見上げたあの日の事である。

 足跡を辿ってプロフィールからTokijiku君の友達と分かっても「現住所 長野」ではピンとこなかった。 
  
 そう言えば長野も随分ご無沙汰だな。不思議だな。師匠が想い出させてくれたからかな。 

 「郷里の長野に帰りました」とお返事があったので、
 「長野には前に何回か演奏に行きました」
 北東の志賀高原、信州中野、小布施には数回。
 南西の木曽上松にも 東部の佐久にも。長野駅前でも。

 思えば師匠達の「諏訪」「岡谷」は通り過ぎて、降り立っていない。

 返事の返事で「マイミク宜しく」と言ってくれた。

 「なかなかこちらでは、思う様に音楽活動が出来なくて」の様な言葉があったので
 「大丈夫!」「その内!」の思いを込めて、長崎、関西、新潟、広島
 と動き始めている事を伝えた。

 「そのうち民族音楽センター長野も出来るかも知れないし。その時は宜しく!」
 彼も「是非!」と言ってくれた。

 

 「長野のど真ん中」とあったので「もしや?」と思えば、

  なんと、足跡の主は、諏訪の人だった。

 
 日本のど真ん中の長野県 その又ど真ん中の諏訪  その諏訪のど真ん中だと言う


   
 11月20日(火) 「予知夢(Swapna)」
 

  若林忠宏の九州での「Unit-Project」の「第三弾」
 Song-Art「予知夢(Swapna)」がスタートしました。

 Ancient-Future-Music「柘榴(Zagros)」では、Vocalistさんのファンの方々にも「予想外!」でも「素敵」な側面を見れた、と評価して貰いました。
 影絵(Silhouette)では「意外性」の逆。むしろ「極めて自然」な感じで、「らしさ」が発揮されたという評価を得ました。
 そして今回は、若林のファンの方々にとっても意外な音楽展開をご期待下さい。
 Vocalistは、現在のアーティスト名 牧畜業者さん
 若林忠宏とのユニット名は
 Song-Art「予知夢(Swapna)」

 昨晩の1st-Sessionで4曲の下地が出来、内2曲はほぼ完成。 
 例によって「道筋」が出来てからは早い。
 牧畜業者さん自身かなり優秀なクリエーターなので、イメージに沿ってさらに創作してくれると思います。

 VooDooLoungeのボギー君のイベントでジョイントした時に「牧畜業者さんソロ」を拝見しリスナーさんには「ユニーク」「不思議」「ちょっとDecadence」な感じに見受けられる強い個性の中に「卓越した歌唱力」と「深い優しさ」を発見。 それがユニットの動機となりました。 
 
 期待した通り、否、それ以上に「歌詞が面白い」そしてSwapnaではその「歌詞」が伝わって来る。

 若林忠宏は、今回も「様々な楽器で」を想定していましたが、
 おそらく「打弦楽器サントゥール」一本に徹する感じです。
 Vocalistの存在感と世界感の多様さが逆に引き立つ感じです。

 どうぞご期待下さい。
 
 イベント、コンサートのプロデューサーさん、
 早速のオファーを宜しくお願いします。


   
 11月25日(日)  アフリカ古ポップスUnit 「Nyona」
 

  Unit-Project「第四弾」始動です。

 11月18日の福岡市親不孝通りのイベントスペースgrafで行われた
 DJ:MOOCHYのセッションで出逢った沢山の素敵なミュージシャン
 その皆が「是非必ず一緒にやろう」と熱いメッセージをくれました。
 ギターのSTB(サトポン)君とは、Ethno-Ambient-Music「Grama」結成が決まり、
 七年振りに再会した元ボガンボスのBassistのDr.Toshとも録音やセッションで。
 SaxのKuwaKuwaさんとも若林とのデュオが決定。ドラムJoeさんも熱いメッセージをくれました。
 そしてパーカッションのTADA君。偶然にも字は違うけど同じTadahiro
 福岡出身ですが現在は熊本。 福岡に出て来た時には一緒にやろう!と
 Vocalのmahina appleさんとのトリオが決定。
 曲作りやリハーサルは福岡で若林とmahina appleで行って、ライブやイベントでTADA君が合流するシステムです。

 ユニット名は African-Old-Song「Nyona」

 今日早速mahina appleとの1st-Sessionを、若林以上に忙しい彼女のスケジュールの合間のほんの小一時間、親不孝通りのStudio「Gon`z」で。
 六曲のアフリカの古いポップスと伝統曲にmahina appleのイメージする歌詞の元が乗りました。

 若林が何故 mahina appleを指名したか? 
 「歌うことが大好き」「踊る事が大好き」
 言わば、何処にでも居そうな「楽しかろう良かろう」に見える普通の女の子
 ところが何気なやりとりに彼女の真っすぐさ、謙虚さ、ひた向きさを直感したのです。

 1st-Sessionnでそれは「大当たり」以上の確信を得ました。

 イメージする言葉の羅列で六曲。 
 突拍子も無ければ、脈絡も統一テーマも無い。
 ところが全てに通じるものがある。 そしてそれは関心するほど「深く」「温かい」
 ある意味「人間の本質」「普遍的な真実」
 ある意味で「無常」でもあり「陰陽」にも通じる「切なさ」「ひた向きさ」
 
 Sessionを終えて、彼女のSolo-LIVEを勧めてくれていたという照マスターを尋ねて
 Bingo-Loveへ。照君には会えなかったのですが、ユニット・コンセプトに通じる良い話が出来ました。 
 これも、この一年ずっと続いている、不思議な「偶然」。 不思議に繋がる「必然」のひとつ。彼女がハワイ語の「月」をステージネームにした「何気ない」ものが、実は、彼女の根底にずっとあったものであること。 それは故郷の長閑でありながら、逞しい風土が生んだものかもしれない。 などなど、聞けば聞く程面白い。
 
 またひとつユニークで、面白く。 そしてきっとこれからの若者に素敵な「指針」となる
 歌のアドヴァイザーが登場した感じです。


   
 11月26日(月)  関西、長崎、新潟で
 

  ネット・コミュニティー「mixi」内限定で恐縮ですが、2007年11月6日
 若林忠宏・民族音楽センター関西を、大阪に転勤したお弟子さんが立ち上げてくれて、

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2775553

2007年11月9日
 音楽教室の先生でアラブ文化通、民族音楽大好きさんが
 民族音楽センター長崎を島原に設立してくれて、
 (準備室)が取れました。

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2250929
 
 そして
 2007年11月25日
 音楽療法学院の「通信科」受講生さんが
 民族音楽センター新潟(準備室)を立ち上げてくれました。

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2833812

 
 2007年11月25日
 広島の希少な民族楽器演奏者の竜さんが
 民族音楽センター広島(準備室)を立ち上げてくれました。
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2835504

 どうぞ、県内外に関わらず、皆さんのご参加による
 「応援」宜しくお願いします。
 また、各地にお友達さんがいらっしゃったら、是非ご紹介下さい。

 宜しくお願いします。


   
  11月29日(木) ありがとう各地の
 

 ネット・コミュニティー「mixi」内に民族音楽センター長野(準備室)が出来ました。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=2841409

先日、琵琶の先生の話を日記に書いていた時に舞い込んだメッセージ。
その若者は、若林に負けずに「自然環境」「地域問題」を痛切に感じながら、東京での音楽活動を一転し故郷長野に戻った所でした。
若林の長野での演奏は、何故か彼の故郷「日本の真ん中の長野のど真ん中、諏訪」を避けるかの様に、東西南北取り巻いて赴きました。 その「ど真ん中」からのエールです。
期待の他に、啓示さえ感じます。

 その彼の「一言」がきっかけで、この十年ほど考えていた事を行動に移す事にしました。
 
「のーそん倶楽部運動」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2840215

「駅前商店倶楽部運動」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2838580

 です。 

 民族音楽センターが各地に連立しておりますが、それぞれで、
 「地元ミュージシャンと若林忠宏の共演楽団作り、ライブ展開」
 「若林忠宏・民族音楽ワーク・ショップ〜教室」
 「その為の楽器保管と運搬」の応援者さん、スタッフを募集しております。

 同様に、民族音楽センター支局が近くに存在するけれど、主要な地域。島原に民族音楽センター長崎が出来ました、佐世保、長崎市内、諫早(未定)。広島に出来、関西という括りがある神戸、大阪(未定)や、関東各地には、「後援会」という形で「民族音楽」「スローミュージック」「オーガニック・ミュージック」「マクロビオティック・ミュージック」から、音楽に限らず「福岡・猫さんの会」「駅前商店倶楽部運動」「のーそん倶楽部運動」「NEOビオトープ運動」迄、若林忠宏の全体像を応援してくれることになりました。

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2841340

 それぞれの地域の後援会で
「地元ミュージシャンと若林忠宏の共演楽団作り、ライブ展開」
 「若林忠宏・民族音楽ワーク・ショップ〜教室」
 「その為の楽器保管と運搬」の応援者さん、スタッフを募集しております。

 どうぞ、宜しくお願いします。

 

 【名古屋もありがとう!】

先日来、民族音楽センター名古屋(準備室)にコメントを寄せて下さっていた、
との爺さんが、

「若林忠宏の音楽と名古屋をつなぐ会」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2846695

を立ち上げてくれました。 コミュニティー・タイトル文字制限があるので
「会」はあるものと思って下さい。

との爺さんのは、数年前、若林忠宏本人の知らぬ間に「若林忠宏コミュニティー」を立ち上げてくれた、マニアックな「隠れファン」です。
名古屋で演奏した時も、ご本人と本名でお会いし、以前から著書やTVを見て知っていてくれたと声を掛けてくれました。 
が、その方ととの爺さんが結びつくのはしばらく後でした。

 嬉しいのは「民族音楽に興味が有る」という事よりも、
日記を評価してくれている事です。
 もう既に、名古屋での演奏会の道筋を考えてくれていますが、

ここはひとつ、じっくりと理解者、応援者さん、後援者さん、ファンを増やして、質の高い事をしたいと思います。

 コミュニティーでは、との爺さんと若林のmixi上「パネルディスカッション」も予定しています。コミュニティー会員さんもどんどん「割り込み」可能です。
「音楽」のみならず、「文化」「歴史」「社会」「芸術」色々なテーマを語り合います。宜しくお願いします。