diary 2006 October

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 


 音楽活動のご報告

 
 
 
 
 
 
 10月4日(水) 福島・郡山で、県南部の高校音楽教員研究部会で講義
 


 10月4日(水)は福島県郡山市の「郡山勤労青少年ホーム」で行われた、福島県高校音楽教員「県南部会」の皆さんにアラブ音楽アンサンブル、パプワニューギニア、ブルガリア、ハンガリーのアカペラコーラスを指導に行きました。
 
 福島県の高校音楽教員・民族音楽研究会さんとは2002年からのおつき合い。特に県南部会さんは毎年数回講師に呼んでくれます。

 福島県を幾つかの地域に別けて、二、三年に一回「研究発表会」が行われていますが、2003年の「アフリカ太鼓合奏」に続いて今年度も若林が講師に招かれました。

 年度末の発表会迄に、アラブ音楽アンサンブルと東西民族音楽アカペラ合唱を仕上げなくてはならないのですが、もうすっかりお馴染みの先生方は回を重ねる毎に飲み込みが良くなって。すっかり「民族音楽の生徒さん」の貫禄です。

 それでも今回ひとつの大きな壁があります。
 それは若林が良かれと思って選んだアラブ音楽とアカペラコーラスが「民族音楽の音色に乏しい」という問題点です。
 確かに、インド音楽やガムラン音楽ですと「いかにも!」という感じがしますが、
アラブ音楽は「西洋音楽のルーツのひとつ」アカペラ合唱は日本人の発声ですから、一番叶わないジャンルだったのです。

 これは今後、オリジナル音源をお渡ししたり、太鼓・打楽器の不思議な音色を強調したりで改善して行きたいと思います。


 10月7日(土)  茨城県那珂市の五台小学校で演奏
 
















 10月7日(土)、茨城県那珂市の五台小学校で「民族音楽ふれあいコンサート」を行って来ました。

 那珂市は水戸市の北側に位置する長閑な丘陵の街。
栃木那須高原から太平洋に注ぐ一級河川「那珂川」中流、下流の町です。
 全国に「中川」「那賀川」はあれど「那珂川」はここと、若林この一年半通う福岡博多の繁華街を流れる「那珂川」の二つくらいではないでしょうか?

 若林の父方は代々水戸の人。若林忠宏の「忠」の字は水戸藩足軽頭のご先祖から私迄十二代 長男に受け継がれたしきたりです。父の代から東京に住んでいるので、私は法事の時しか水戸には行ったことがありませんでした。
 数年前に水戸駅前の和菓子の老舗「あさ川」さん直営レストランでインド音楽を演奏してとんぼ返りしたのがこの数十年唯一の水戸という、ご先祖様への恩知らずな状況です。

 昨年は7月15日に石岡小学校に行きましたが「国際理解教室」の一環で、たくさんの在日の方々に混じって、ほんのちょこっとシタールを弾いただけでした。それが自分のルーツエリアの小学校の初演。そして今回が二回目です。

 今回、若林を呼んでくれたのは、ギリシア人のご主人、日本人の奥様に五台小学校に三年生のお子さんが居るフラギスご夫妻です。
 ご夫妻とは、東京の在日ギリシア人会やエーゲ海学会でギリシア音楽を演奏する時にお会いしていました。
 この度、娘さんの成長とともに「日本とギリシアの友好」をいろいろ深く考える様になられて「日本ギリシア文化交流委員会(仮称)」を立ち上げられ、若林も顧問を引き受けました。

 フラギスご夫婦の熱い想い。お二人の楽しいキャラクター。
とても純粋な心に触れて、吉祥寺までおいでいただいた交流委員会の初会合ですっかり意気投合。

 数ヶ月前から決まっていた、この日の五台小学校での演奏会も大成功でした。
各学年2クラスしかないのはちょっと寂しい気がしましたが、それでも各クラス40人。校区のバザールなどもあってほぼ全員参加の450人以上に、PTAのお父さんお母さんがたが,準備した300近い椅子を満席にしてくれて、スタッフPTAさんや先生方を加えて800人近の熱気溢れる会場でした。

 若林は、体育館で演奏する際は、1mほどの壇上に上がると子ども達との距離が生じるので、体育マットを数枚重ねて舞台にします。
 ところが今回は、それでは最前列くらいしかステージが見えない。
 急遽テーブルの上でインド太鼓タブラを叩いたり、アフリカ太鼓は子ども達と練り歩いたり。
 インドネシアの竹楽器アンクロンの体験では、子ども達だけ演台に上がって貰って、遠くからマイクで説明と指導をしました。
 
 
 児童の並び方や、ステージの高さなど、もっと準備して行いたかったのですが、
実はこの日は今迄で一番の大ハプニングがありました。
 常磐線がほぼ不通状態になって開演が40分も遅れたからです。準備時間は8分がやっとでした。

 関東北部は、全国ニュースにも流れたほど、10月6日から7日朝に掛けての大雨で大変な状況でした。そのお陰で、平野を走る割に雨風に弱い常磐線は大混乱。

 雨がすっかり上がった7日の朝。私は、「良かった良かった」と吉祥寺を出て上野へ。
 上野は、昭和40年代くらい迄は東京の玄関口。その昔は、出稼ぎ労働者さん、集団就職の若者達が最初に観た大都会東京でした。
 上野を出た常磐線は、千葉県霞ヶ浦を経て水戸に行き、更に若林も数回演奏に行った日立を経て、福島県 浜通りのいわき市、相馬を経て宮城県仙台に至る、太平洋岸を走る希少な幹線です。
 私は、最北で日立。子どもの頃水戸迄は年に数回行っていました。
 東京北区千住に昭和39年まであった東京電力火力発電所の通称「お化け煙突」を恐々と眺めた頃には、毎回眠りについてしまったのでしょう。水戸迄の残り九割の景色は記憶に有りません。
 「お化け煙突」の愛称は大きく蛇行する常磐線から見ると、四本の煙突が三本、二本、一本と重なって見えるからです。暗示に掛かり易い私は、その煙突を眺めるのが睡眠導入効果になった様です。

 恐らく昭和30年代、煙突を過ぎた後は殆ど同じ景色が続いた事でしょう。 広大な平野の田畑、時々短いトンネルを越え、水戸以北は時々海が見えて。
 逆に上京した当時の若者にとっては煙突を過ぎた途端に景色が変わって「大都会」が爆発的に浮かび上がってきたのかもしれません。
 

   私にとって、一番良くのった「汽車(文部省唱歌『汽車』の舞台は常磐線とも)」「列車」が走る幹線「常磐線」ですが、河川を渡る鉄橋が多い為でしょうか雨風、雪にめっぽう弱い。10:00過ぎに予定通りに特急に乗った、と思えばそれは8:00の便が遅れたものでした。
 車内アナウンスでは土浦から先の運行見通しが無いと。取手を過ぎた後から通過駅で数分止まる様な状況になったので、フラギスさんに電話して土浦まで車で来て貰いました。やっぱり車より列車が断然早い。そして携帯電話の時代で良かった!

 学校と連絡を取って、子ども達を体育館に入れずに。現場で待たされたら絶対だらけてしまうから。茨城人一人半よりも道を知るギリシア人の名ナビと猪突猛進方の元気お母さんのハンドルさばきで最短時間で学校に着き、大急ぎで福岡と東京から送った楽器を準備しましたが、それでも開演は40分押しました。

 でも、子ども達はいたって元気。そして嬉しそう。
 数ヶ月前からの楽しみであったと言われました。
 私の似顔絵のポスターも張られ。入場した時は子ども達は満面の笑顔。
 五六年生は後列に座った事もあって、ちょっと冷ややかでしたが、日直に出て来て貰ってアシスタントをお願いしたり、練り歩いて演奏した頃にはすっかり仲良し。

 インドネシア〜インド〜アフリカと続き、最後はフラギスさんの故郷ギリシアの音楽を。 弦楽器ブズーキの弾き語りでは三年生にタンバリン、一年生にカスタネット、馴染みの無い九拍子も見事に。
 そして圧巻だったのが最後のギリシアのフォークダンス曲。
 スタッフPTAのお母さんとその子どもを引っ張り出して数珠つなぎに会場を回り出すと、フラギスさんも加わって、見事な足さばき。
 私が出会ったギリシア人は、全員が見事に踊ります。音痴の人も居ましたが、踊りはみんな素晴らしく上手い。カッコいい!

  数十人が輪になって体育館を回ると、子ども達も大興奮。
 スピーカーの電源が抜けるほどの大騒ぎ。

 二年生の女の子が抜けたコードを持ってきてくれました。凄いな!と思いました。
私の声が急に聞こえなくなって、怪訝そうにする私の顔をあの大盛り上がりの中でちゃんと見ている。
 私の大先輩の言葉に「子どもに手を抜いたらイカン」がありましたが、作り笑顔が通用しない。心の入っていない音には反応しない、だけでなく、色々な状況の中で、それぞれの見方をしているのが凄い。この日も「全くだ!」と思いました。

 「一番早く席に着いたクラスにはご褒美!」というと、400人以上の騒乱の群れがものの一分くらいで見事に奇麗に着席。「みんなが一等賞だから!」と、後日珍しい楽器を学校にプレゼントする約束をしました。

 帰り道も大変でした。引っ越しの合間の希少な教室も出来なくなり、引っ越しもクタクタで出来なくなりましたが、この日の800人との楽しい想い出は、学校演奏のみならず、私の音楽活動に大きな支えとなることでしょう。

 「さすがにもう開通しているでしょう!」と私が言って、フラギスご夫婦の車で水戸駅へ。
  大雨の後の不思議な空。丘の街那珂市から田畑を挟んで遠くに現れた大都会水戸の景色はSF映画の様でした。
 地平線が僅かに丸みを帯びている壮観な景色。 殆ど何もない田園地帯の向こう、地平線に立ち並ぶビル群。 「ああ!あれが街」
 町と町の境目が無い東京に住んでいると確認出来ない「町」の感覚です。

 それにしても素晴らしく神秘的な景色でした。
 水戸市の入り口に巨大な現代彫刻のオブジェがありましたが、数百万の作品よりもその日の雲と空の凄さには感動しました。そんな感想もぴったり一緒なのがギリシア人フラギスさん。
 人生、家族、愛、音楽、どんな話しでもツボが一緒。嬉しい出会いです。

 水戸駅に着きました。開通迄40分。その列車も順調に走るとは言えない。その情報も刻々と変わる。まずは落ち着いてコーヒーでも。
 その前に、思わず懐かしい父の実家の通りを通ったので、ちょこっと寄り道をしてもらいました。 でも数十年経っています。 磁場から感じる「何か」を薄らと受け取ったに過ぎませんでした。何故か三回通ってしまったあの角辺りっぽいんですが.......。

 水戸駅ビルで奥様が駅に問い合わせに行っている間。ギリシア人と気持ギリシア人の二人はコーヒーが必然の様にビールに代わり、楽しい音楽談義。

 「時間を心配しても動かないものはしかたがない」
 日本人はそれでも血相を変えて焦る事が待たせる人達への礼儀のような心情になりますが、この辺りのスケールがやっぱり違う。
 でも、待たせた焦りを音に出さずにおおらかな演奏会に出来たのは、この一年日本人ぽくない?福岡での音楽活動でおおらかになっていた所に、フラギスさんの落ち着いた、でも子どもの様な純真な笑顔を見れたお陰だと思います。

 水戸発は諦めて、再び土浦まで車を飛ばしてくれて在来線で帰る事に。
ところが在来線も動かない。やむなくのった特急は狭いデッキに十数人が押しくら饅頭。「おい中の人、一歩でも奥へ行ってくれ!」の怒鳴り声が出るほどの状況。
 通過駅でしばらく止まったり。
 4:00前に吉祥寺に戻る予定が、クタクタになって8:40。

でも、あの体育館の興奮。私の親戚と同じ名字のノリの良さ?、練り歩きの音楽に合わせて踊ってくれた校長先生、たくさんの笑顔、そして土浦迄の車中で見た幻想的な夕陽。
 目の前の大問題には果敢に立ち向かわねばなりませんが、遠回りに見た、感じたものも、きっと大きな力に繋がる様な気がします。

 ありがとうございました。
 ☆PTAのスタッフさんから写真をお送り頂きました。ありがとうございます。


 10月10日(火) Maghreb-Wind
 

 10月10日は、Maghreb-Windの久々のライブでした。
 場所は福岡天神の親不孝通りの一本横の筋にあるVooDoo-Lounge、アーティストのボギー君がプロデュースする「Loung-Sounds」に参加です。
 メンバーはMaghreb-Windの「音の金庫番」Bassistのワタル氏が来れませんでしたが、番頭さんパーカッションのアジ君は元気に参加。ご案内役パーカッションの篠原渉馬君は勿論。

 ゲストギタリストはCICCAROLLの二人。
 「音の彫金師」手島淳君、「音の貴公子」納富泰祐君。そして今回、ワタルさんの代役になんとCICCAROLLのBassistが助けてくれました。
 実はかなり前から彼のベースは大好き。若林のインド音楽を聞こう会が主催してくれている警固のMAiTHiiGHAR でのデビューLIVEで弾いてくれた 時から、ワタル氏のジャズ系の「ぶいぶい、ぶくぶく」ご機嫌ベースとは対極的な「流れる様な」若いのにもの凄く古風なベース。
 9月のアジアマンスではMISRAMの賛助メンバーとしてイムズとキャナル・シティーのステージに参加してくれました。
 「彼にもタイトルを付けねば」と思いましたが、なんとその日,何時も椅子に座って弾くかれが立ち上がったのです。
 身長180cm以上のスリムな長身は「あしながおじさん」のイラスト風。
泰祐君がびっくりして「おっとぉ!なんで立つとぉとぉ?」と言うと「マグレブやけん!」
と嬉しい気合いの入った台詞。


 

 

   
 10月14日(土)   Maghreb-Wind 太宰府祭りに出演
 





 
  Maghreb-Windのアジ君の後輩のお母さんが実行委員をされているご縁で「太宰府祭り」に出場しました。Maghreb-Windのレギュラーメンバー、
ワタル氏、アジ君、ショウマ君に若林が揃い、賛助ギターにCICCAROLLの納富泰祐君。

 ご機嫌なお天気の中、自宅からアジ君、ショウマ君とアジ君の車で小一時間。

     
 10月15日(日) 親不孝通りでトルコ民謡
   親不孝通りが長浜に抜ける手前の、ちょっと閑静な感じのエリアで、通りに面して一面ガラス張りのカフェle unionでのライブ。
   
 10月19日(木) 麻布でライブ
   10月19日は、東麻布のレストラン「Pacific-Heaven」で「若林忠宏トーク&ライブ」
 レストランと言っても実は今は一般営業をしていません。と、言うのも某有名プロダクションの経営のお店なので、タレントさん達見たさにパニックになることが続いた、とかです。
 今年の春、つんくさんの番組に出演した際にはロケ現場となったかなり感じの良いスペースです。
   
 10月20日(金) 北陸金沢で演奏会
 

 10月20日(金)は、生まれて初めての金沢でした。
富山は15年ほど前に頻繁に呼んで頂いたのですが、その方の拠点が東京になったからか? かなり久々の日本海でした。
 

 10月22日(日) 福岡市の福祉イベントに出演
 

 10月22日は福岡市が年一回主催する、社会福祉イベント「ときめきフェスタ」に参加しました。
  市役所西広場の広大なスペースに市内の福祉施設、福祉事業団体が数十のブースを展開し広報と交流をする大きなイベントで。メインステージでの演奏の他、障害者さん、こどもたちに「楽器作り」のワーク・ショップを担当しました。

 2006年春に福岡のミュージシャンと結成した「民族音楽フュージョン楽団:Maghreb-Wind」そのファーストCDが近々発売の段階ですが、タイトル曲「風の街」がこの度「ときめきフェスタ2006」の「テーマ曲」に選ばれました。
 「Maghreb」とはアラビヤ語で「陽の沈む処」日本では九州。そこから新しい命の音楽の風を吹かそう!という思いを込めた楽団です。「風の街」は、若林が福岡の広い空。山と海に囲まれて目まぐるしく変わる天気を左右する「福岡の風」をイメージして書いた自作曲です。
 歌詞は、福岡のお友達と原案を考え「風に後押ししてもらって前に進もう!」というものでしたが、今回のイベントに際して若干修正をしてより多くの人々に愛唱してもらえるものになりました。

 市長も参加した開会式典 の後の「オープニング」と「フィナーレ」でMaghreb-Windのメンバー&サポーターで「風の街」を演奏。コンサートのメインゲストの一人ピアニストの木下君との共演でした。
 小柄で可愛らしい木下君は、Jazzyなアドリブと意外に豊かな声で「ちいさなスティービーワンダー」の感じ。朝早めのリハーサルで「風の街」を理解してくれて、良い感じの共演となりました。
 客席には、ジェンベのお友達U君、若林の大好きな「焼き鳥屋さん」一家の姿もあって。
 フィナーレでは、ワーク・ショップで「ペットボトルマラカス」と「竹筒楽器」を作った受講者さん、子ども達も参加してくれて。ノリノリの名演奏。

 Maghreb-Windは、重鎮Bassist福山さんが小倉から来てくれて、 ギターはMISRAMの水本君がサポート。ゲストVocalにはMEGALOVEの野口じゅんさんが。
 野口さんの子どもっぽい可憐な歌声に、参加者、子ども達も大はしゃぎでした。

 福祉施設での演奏経験も随分増えて来ましたが、気を付けるべき音楽の効果もさることながら、介護さん、親御さんの表情がとても気になります。
 今回、みさなんとても嬉しそうで「てのひらに太陽を」の合唱では、介護さんたちが大きく手を振ってくれて、手話を加えたジェスチャーで客席も大パフォーマンス状態でした。

 主催者側の重鎮に「例年にない盛り上がりと楽しいフィナーレでした」と労いのことばを頂き、スタッフさんとも「良い物を作れましたね」の挨拶を交わせた、嬉しい一二日でした。


 

   
 10月24日(火) 祖原でギリシア音楽
   毎月最後の火曜日。「イチが付く日」を除いて行っています。西新・祖原のアイリッシュスタイルのCafe楽屋さんでの定期ライブ「若林忠宏トーク&ライブ」通称「飲み会ライブ」の10月は、一周早まりましたが、24日に「ギリシア音楽:レベティカ特集」
 Cafe楽屋さんでのライブも一年一巡りしましたが、半分位から手伝ってくれている福岡での一番弟子、パーカッションの篠原君に加え、数回前からの助っ人シタールのお弟子さん水本 亮君が本業のギターで加わってくれています。
   
 10月24日(火) 深夜のエスノエレクトロニカ
   祖原Cafe楽屋のギリシア音楽を終え、お客さんとひとしきりお話をした後に、メンバー三人で親不孝通りに向いました。ライブクラブgrafにはメンバーの相川君、田部君がスタンバイしていてくれて、ライブイベントのトリに登場するエスノエレクトロニカ・コラボ楽団Qadam-Beatでの出演でした。
 出番は深夜になりましたが、熱い声援を受け、Qadamはまた「一歩」前進しました。
 数日後にはこの日のライブから様々なフィードバックが得られました。
それについては追々お伝え出来ると思います。
   
 10月27日(金) 楽天のイベント
 

 かれこれ6年7年のおつき合いの、福岡在住で全国で活躍されている料理研究家の徳永先生のイベントが10月27日(金)、天神の西鉄グランドホテルで行われました。
 この日は楽天KC「家庭科倶楽部」会員の方々へのスペシャルプログラムで
「音楽に誘われて、ティーロードへ(世界のお茶と音楽)」
 中国茶、インド・スパイスミルクティー、ロシアンティー、モロッコミントティー、ブリティッシュティーの入れ方講座が広い会場内をぐるりと巡るのに合わせて、各地の民族音楽を演奏しました。

   
 10月30日(月) 小倉でMaghreb
   10月30日(月)は、西小倉のKate-Musicでの偶数月のおなじみLIVE「民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Wind」の定期ライブでした。
 この日は小倉が生んだ強力な即興楽団ドグラマグラのギタリスト宮野さんがゲストで参加。
ドグラとMaghreb掛け持ちBassist福山ワタルさんとの息もぴったりですから、かなり盛り上がりました。
 民族楽器とエレキギターなんて? と思っていたお客さんも少なく無かった様ですが、みなさん意外に合う。面白かった。と好評。
   
 10月31日(火) 中洲でJazz-Guitarと共演
   毎月一回、月の前半の火曜日に、若林忠宏のシタール、タブラ、ウード、ダラブカと福岡のJazzmanとの一対一のセッション「makam-rast Night-Sciece」という企画を定期的に行っています。
 お店は、博多で一番古い歴史を誇るJazz-Spotの「River-Side」
 この日は、ギターの山野君。
 弦楽器同士の部分がまたスリリングでかなり楽しかった。
 このシリーズ初期の頃のお客さんも久々に来て下さり。温かな雰囲気の中、音楽的にも意味深い1ページを記録しました。
   



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 10月9日(月) やっぱり凄いN機長
   
 2005年の3月からの九州通いに愛用させて貰っているスカイマーク・エアラインズ。メジャーじゃないところが好きで、五つ☆のマークも好きで。
 それが2006年3月からサービスが大幅に変わって。運行時間の遅れや、カウンターの対応など かなり悲しい状況になりました。でも、嫌いになりきれなくて。

 人でも会社でも、ものでも、なんでも。頂点一歩手前が好き。
何時でも一流に成れる状態で成らないとか、一流を敢えて退いてその位置に居るとか。
本物の資質を全て持ちながら「奢らない」「偉ぶらない」そして「守らない」
 逆に成り切れないのは嫌い。
 万年二流、三流の位置に落ち着いた様なの 嫌い。なんか格好悪い。
気取ってても野暮ったい。「守らない」のと「守るものがない」は大違い。

 ニューフェースで、インディーズな感じがあった就航当時のスカイマークエアラインズ。羽田でも福岡でも端っこの搭乗口。でも中身は「負けないヨ!」っていう感じがしていました。

 そんな感じが好きだったんですが、最近ちょっと違うかな..............。
でも、「志」を持ち続けているスタッフさんに会うと嬉しくなります。

 10月9日(月)の羽田から福岡。
 私の中のそんな「志」の固まりみたいな機長さんに10ヶ月振りで再会しました。
低音の魅力のN機長。超ベテランのパイロットさんです。

 2005年12月11日に初めてN機長の機に乗りました。
 もしかしたら、それまでの20回、その後の20回の中でも「機長の名前」のアナウンスを聞く間もなく心地よい眠りについてしまったため、知らずに乗って居た時もあったかもしれません。

 今回も実はそうでした。「機長は〜、副操縦士は〜、チーフアテンダントは〜」のアナウンスは記憶にありません。 夢心地で「N機長」の名前を聞いた様な、気のせいの様な..........。
 途中で瀬戸内海の島々を「ご覧下さい」の声をうとうと聞いた時も、まだ認識する程頭が働いていない。ぼーっと窓を眺めて、また直ぐ眠ってしまいました。

 人間の感覚って凄い! こんな自分でも、なかなか凄い!
 着陸の瞬間、目が覚めた瞬間に「あっ!! N機長だ!」
と思ったのです。
その段階でやっと 「そうだよ、あのアナウンスの低音の魅力はN機長じゃないか!」と理解する。
 アテンダントさんに聞きました。「N機長ですよね?」

 もちろん、そうでした。
 昨年の12月も、そのあまりの素晴らしい着陸に、思わずアテンダントさんにお名前を伺ったのでした。

 今迄にも「おっ!かなり上手い」と思った人は居ました。
でも全然違うと実感。 体が覚えている感触を言葉に仕切れないですが。
 
 アテンダントさんにちょっとお話を聞いて、凄さは更に確信に。
  さすがのキャリアでした。それを語るアテンダントさんの表情から、スタッフも誇りに思い、慕っている事も伝わります。

やっぱりN機長は凄い。

 仕事を愛し、空を愛し、腕に誇りを持ち、同じ時間の価値を高めようとする志。
 話し上手で、話し好きで、きっとお酒もお好きだろうな。 
 
 何時の日か、落ち着いたカウンターであの素敵な声で「男と仕事」について
語ってもらえたらなぁ。
 
 そんな夢を想い描きました。 

 

 

 10月9日(月) 久しぶりに大将のお店に
 


 2005年の春に初めて連れて行って頂いてから、「若輩者には勿体ない」と言いながら、隔月ペースでおじゃまして10回目。「スローミュージックで行こう」(2005年11月岩波書店)の最終章にご登場頂いた大将のお店に。8月は行けなかったので、久しぶりに伺いました。

 この日記に何度も書かせて頂いていますが、心底から元気になるお店です。
 料理、手さばき、大将と奥様のお人柄、落ち着いた空間。
  癒されると言うより、労って貰ったり、治して貰う感じ。

 旬の最高の食材に季節を感ずれば、忘れかけていた日本人の情感が蘇り。日本人の細胞が「ありがとう」と感謝するのが分かります。

  「匠」の技は「粋」に思え、他では味わえない個性は「故郷」を感じさせてくれます。

 実際は、山河に恵まれた故郷を持たない東京っ子ですが、本来の日本の故郷と「自分は確かに繋がっている」と安心させてくれる。
 その一方で、アーティストとしての私を叱咤激励する、「気」と「心」を「技」で込めた孤高な芸術作品。

 凄いのは、それらをすべて、まん丸な笑顔でくるんでしまうところ。

 土瓶蒸しも、銀杏を葛でくるんだ揚げ物も、大将の人柄、生き様そのもの。

 例えて言うなら、高級紳士服を普段着の様に着こなし。冷えて疲れた肩に「ほい!」って掛けてくれる。
 「これこそダンディー!」と感じるのは私の価値観かもしれませんが、江戸っ子の粋にぴったりハマる! 
 
 この日、迷い子猫に咬まれた傷を奥様に発見され「え〜っと。また猫が増えてしまいそうで」とお話ししていたら、お隣の席の方が「私も猫が大好きで」と話し掛けて下さって。
 面白かったのが、「猫のネの字も嫌だったのが,今じゃ可愛くて可愛くて」「左の肩に載って来るのが愛しくて」

 猫さんの「ネの字」の部分って何処だろう? 尻尾は「のノ字」耳は「そノ字」だからなぁ。
 面白い事言うなぁ、と感心しながら。確かに左肩から頚に掛けて乗っかってくるのはかなりの愛情表現。

 美味しい料理に楽しい猫の話し。 

 嫌いだった人が好きになっちゃった、という素敵な話しを伺って、
 とっても贅沢な時間を過ごさせて頂きました。

 ありがとうございました。


   
 10月16日(月) 陶芸記念日
   2006年10月18日01:42 陶土
 
 「陶土の塊が、陶芸師の優しく力強い掌に押され絞られ気を込められて、ロクロの上で存在感を放つ。水を含みながらその粒子は密集し、しだいに艶やかな威厳を見せて行く」
 
 「まるで生き物の様」と言った友人は、物事に温かな期待を寄せる、素直な感性の持ち主。

 私は「命の相方」に思えた。 

 空気は袋に入れられた時、初めてその量を知る。袋は空気の「相方」のひとつ。
言葉は文字になったとき、初めて形となって残る。箋は言葉の「相方」のひとつ。
命は身体から離れた時に、初めて「在った」事を知る。身体は命の「相方」のひとつ。

 形のないものの「相方」。「器」ではなくて「相方」

 「相方」は命が無い。けれど役割を持っている。

 気を込めて、陶土を練り、水分を与えて均一にする。
その素敵な作業を「土殺し」と聞いて驚いた。「相方」の役割を持たせる為「命を抜く」作業なのかもしれない。

 陶芸は素晴らしい!
 命の相方から「器」を作り出す。

 飲み物は器に注がれた時、初めて居るべき場所を得る。
料理もしかり。「器」がステージ。
「空の器」には、空気が確かに満たされている。

「器」は素晴らしい!
 入り口と出口が一緒だったり、別々だったりしながらも、常に開放されているから素晴らしい! 相方さんは素晴らしいものを下さるものだと感心する。

 時としてその量を変え、計る事の出来ないもの。不確かだけど大切なもの。
 言葉、心、想い、願い、希望、愛..............。 そして命。

 言葉は聞いた人の心に閉じ込められ、文字の中に閉じ込められ、心は想いの中に閉じ込められ、
 想いは思考に閉じ込められ、願いは胸の内に閉じ込められ、
 命は身体に閉じ込められている。

 受け止めて蓄えたい。蓄えて育てたい。 育てて吸収したい。
 逃したくない。忘れたくない。失いたくない。
 その想いが閉じ込める。

 言葉、心、想い、願い、希望、愛..............。 そして命。
 それらが出たり入ったりする様な「器」を作りたい。

 それは「音」を形にすることなのかもしれない。

   陶芸入門記念日

 ついにやりました! 陶芸。 
 ロクロに回る粘土からマグカップを作りました。

 引っ越し終わらぬ吉祥寺。 教室のレッスンもライブの楽器搬出も
 猫の安らぐスペースも。あんなにたくさん助けて頂いたのに。
 雨が続いて。台車が出せず。

 とっくに引っ越し終わっていた予定の中。落ち着かぬ思いで福岡へ。

ライブと楽器準備とリハーサル。

 僅かな昼の時間に、お友達が能古島に連れて行ってくれました。
「何時か島で演奏出来る様に」思いを込めて久しぶりのフェリー。
月曜日なのに、たくさんの観光客で溢れ、フェリーも臨時便。
島の山頂付近のアイランドパーク迄のバスも臨時便が出るほどでした。

 初めての「陶芸体験」実際は先生の手取り足取り、誉め上手。
さりげなくフォローの手が添えられる。とっても親切な「教習所教官」の感じ。

それでもとっても勉強になりました。

 二十年以上前からの念願の陶芸。
その入門式は長閑な小春日和の島で。時間がゆっくり流れる中
とても自然に出会い。自然に入って行けました。

【陶芸に近づく日々】

 私が陶芸をやりたい!と思ったのは、もう20年も前のこと。
 シルクロード〜アラビヤ〜東欧の「花杯型片面太鼓」が素焼で出来ていて、その中の幾つかの種類が現地の戦争で手に入らない。古い形は廃れてしまった。などから「自分で作るしかない!」と思ったのです。

 しかし、ライブスポットを閉店してからずっと落ち着かない「ジプシー音楽家」生活でしたから、じっくり陶芸に取り組む状況ではありませんでした。
 ところが、運命的タイミングで福岡に通う様になって出会った大の仲良しさんが陶器、焼き物が好きで、その趣味が私の母ととても近かったので「民族音楽絡み、仕事がらみ」とは別な感覚で、陶器、焼き物を見る様になりました。

 仲良しさんの案内で演奏会場のリサーチ、九州の風土と人の成りに親しみながら、 ついつい陶器のお店に立ち寄っては目を肥やし、喫茶店に入ってはコーヒーカップの品評会。陶芸が近づく日々でした。

【使う物は作る主義】

 元々民族楽器が殆ど輸入されていなかった1970年代に民族音楽を学び始めたので
「手に入らない楽器は自作する」が常識になっていました。否「物作り」は母方の叔父の強い影響もありました。否、もっと小さい頃から、「物が組み立てられる仕組み」にとても興味が強かった。仕組が知りたくて分解するのであって「壊したい」「バラバラにしたい」のではないのですが、時計を壊したり、ミシンの部品をいじったりしてこっぴどく怒られていました。
 作る事が大好きに育って、作らざるを得ない状況になって。気付けば民族音楽修行35年の大半をメンテナンス、楽器作り、ケース作りに費やしていました。
  いつしか「使う物は作れるくらいに熟知していたい」がポリシーになっていました。

 陶器、焼き物を見ているうちに自分で作ってみたい。と思い始めていたのです。

 陶器、焼き物好きの仲良しさんは自分で作るつもりはなかった様ですが、「見て 買ってじゃなくて 作ろうよ!」と何時か言おうと思っていました。
  そんな時、なんと占いで「あなたは手仕事に向いている。手で物を作る才能がある」と出たと言うので「それだよ!」となったのです。

 早速福岡の友人の情報網で、色々な陶芸スクール、材料、道具店を教えて貰いましたが、民族音楽センター吉祥寺の楽器を全国に分散する「全国展開プロジェクト」で10ヶ月も楽器輸送の日々。どんどん先延ばしになっていました。

【小春日和の能古島】

 能古島は去年の春から誘われていました。
 その間に、お世話になっている放送局の人に案内してもらって、有名な書道・陶芸家の荒尾記史朗さんのお宅にお邪魔して意気投合させて貰いました。
 その日はあいにく雨模様。 波止場から真っすぐにお宅に行って,最終フェリーで帰ってきました。

 10月16日の二度目の能古島は、小春日和のとても良いお天気。
 年明けから休み無しで、肩も腰もボロボロの私に仲良しさんが半強制的に作ってくれた半日の休息でした。
 コスモスが満開のタイミング。のんびり花畑を眺め、海を眺めて、お蕎麦でも食べて来よう。「楽焼き」もあるから、ちょっと陶芸に近づく気分も。

 「楽焼屋さん」のちょっと手前に「能古焼」を売っているお店にちょっと入って。
「やっぱり良いね」と言いながら出掛かった時に、隣の工房にならぶ乾燥中の陶器。
「ロクロによる陶芸体験コーナー」の様なところでした。

 思いがけないチャンスに一瞬「えっ!今?」と思いながらも、ついつい「やります!」と申し出て、二人して「生まれて初めての陶芸」に挑戦。

  東京の中学生は工作の時間に「焼き物」を作ります。
 ロクロを使わず紐状の粘土を重ねて「マグカップ」などを作るのですが、
「どんな形でも良いヨ」という先生の言葉を拡大解釈して、私は「仏像」を作ったので、正真正銘生まれて初めての「自作マグカップ」となりました。

 見かけに寄らず引っ込み思案な友人。 私に先にさせて、二度学ぼうと?
 そのお陰で良い写真を撮ってくれました。

 能古島アイランドパーク専属の「和窯(かのうがま) 」の曽根さんは、ご夫婦で陶芸家で、島の南の窯から山頂に出勤して、娘さんと三人でお店をやってらっしゃいます。

 ご主人の指導が素晴らしかった。
 タイミング良く、でも決して急かさず、迷わさず。 
  優しい口調で、次々にまるで自分がロクロを操り、陶土の形を変えて行くかの錯覚を覚えさせる様な素晴らしい指導でした。



 実際はロクロのアクセルをご主人が踏み、僅かな隙間にさりげなく掌を差し出し、作品が爆発!するのを防いでくれたに過ぎないかもしれませんが、頭の理解よりも先にどんどんと工程が進んで行く指導法は、音楽レッスンにも大いに参考になりました。

  私たちが始めた時に、陶土の塊をロクロに載せたので、陶土の湿り気を均一にする作業から丹念に見る事が出来ました。

 その後も、陶土の塊をしごいて空気を抜いたり、密度を高めたりの姿も見せてもらい、
 薪窯の木材の話しも含めて興味深い話しを伺いました。
 一日がかりで教わりたいほどでしたが、とってもお安い体験&作品の料金に申し訳なく思い、お店を後にしました。

 お友達のカップは、飲み口を拡げる直前に、完全に美しい球体になっていました。
占いを半信半疑。自分は不器用。と思ってらした様ですが「ほら!やっぱりネ」の感じでした。

 乾かして,素焼して、本焼して、寒くなる頃には送られて来て、温かなコーヒーで「乾杯」が出来る事でしょう。
 でもその前にまた行っちゃいそう。
 今度は蕎麦茶の湯のみと大先輩の為にぐい呑を作りたい。
 
  記念すべき、陶芸入門の日。
 教室とリハーサルが有ったので、荒尾さんにご挨拶もせず急いで帰りましたが、土を触って元気になって、夢のひとつの入り口に立って。

 「よし頑張ろう!」の気持を新たに出来ました。
 ありがとうございました。

 能古島アイランドパーク和窯さんについては、
http://www.nokofan.net/p_p_24kamamoto.htmlに案内があります。

 フェリーも船酔いする間もなく、山道も程よい長さで、全てがコンパクトかつ大満足の島です。お食事も美味〜!!
 福岡にお越しの際は、早い時間から能古島へ! 夕方は櫛田神社側の「郷土館」それからお魚の美味しい居酒屋! 最高ですよ!

   
 
   
   
 
 

 

   
 
 

 

   
 
 

 

   
 
 


   

 

 

 

 

 猫さん達との日々