diary 2007 Octover

 音楽活動のご報告
 猫さん達との日々
 
 Music & Life
  考えたこと 10月〜


 音楽活動のご報告

 
 
 
 

 10月4日(木) 高円寺でアフガン音楽LIVE
 

 2007/10/04(木)  高円寺レストラン&Bar「掌BolBol」

「若林忠宏シルクロード音楽の旅」

アフガン弦楽器rubab/トルコ弦楽器saz弾き語り、

開場6:30/開演7:30〜9:30/Charge¥2500(1d付)+ペルシア料理/
美味しいパスタ類/水たばこも吸えます。
杉並区高円寺北3-2-15 /Tel. 03-3223-3277
JR中央線高円寺北口を出て、JR高架線沿いの中通商店街を阿佐ヶ谷方面に歩いて5分。焼き鳥博多屋を超えローソンのすぐ先、喫茶店ルバイヤトのちょい先「アジア料理ヤンヤ」の手前「ツル薬局」二階です。


 10月6日(土)  原宿でDJと共演「Sur-Ang(音塊)」Vol.2
 

  昨日のLIVE-Event「スローミュージックCafe」(若林忠宏:世界の民族音楽コラージュ&オムニバス)、ゲストに東京で活躍する熊本人DJコンビ。と言っても一方は数年前からDJを離れて、尺八の古曲の修行中を招いて、何時もの期待通り良い感じで行いました。

 「スローミュージックCafe」は、若林忠宏のシタール、タブラに、毎回ゲストを招いてセッション、コラボレイションを行うイベントで、偶数月の第一土曜日の夕方18:30〜20:30に原宿・表参道のカフェ「掌」で行っており、第一回の四月は、若林門下生のインド音楽と若林忠宏自身の中央アジア弦楽器で「シルクロード弦楽器の流れ」第二回目の六月は「雅楽とインド音楽」第三回目の八月は「ディジュリドゥーとインド音楽」で、今回第四回目は「エレクトロニカとインド音楽」

 ゲストとは、言ってもDJ:Tokijikuと尺八の池上Kenjiと若林忠宏は、5月3日(木)の福岡市grafで共演し意気投合したDJ:MOOCHYの7月7日(土)の下北沢のイベントの打ち合わせで知り合い、「一緒にやろう!」となったもの。 9月6日(木)中目黒のクラブでデビューLIVE。今回が初のSolo-Liveで、ユニット名は「Sur-Ang(音塊)」

 Tokijiku君の放つ柔らかいオーラは、音を聴く前から感じていて、真っすぐな彼の音はその期待を裏切りません。 9月の初セッションも温かい音楽に包まれました。
 今後は、「Sur-Ang(音塊)」独自のディスク録音や、楽曲の創作も含めて、吉祥寺若林自宅での音楽製作に力を入れて行く方向です。

 余談
 二人の熊本人。奇しくも福岡でDJを演るうちに知り合って「おっ!熊本かいな!」と、それが同じ時期に東京に活動の場を移して、互いに良い影響を与えながら今日に至ると言います。
 DJ名Tokijiku君の本名もKenjiなので「Wけんじだね!」って言ったら、普通に「そうなんです!Wケンジなんです!」と。でも、どうも「wけんじ」を知らない風。訊いてみたらやっぱり。「熊本の親父さんに聞いてみな!昭和40年代の大スター漫才コンビの」

 「wけんじ」さんや「コロンビア・トップ・ライト」さんたちの東京の漫才コンビが絶頂だった昭和40年代。その後の漫才ブームや、関西漫才ブームなどとは桁違いの深みがありました。
 
 なんと、それを知らない世代が今の日本の文化の中心を担いつつある。
 どうせ、良い大学行ったところで、良い会社入ったところで、この世の中。
 「日本芸能史」の時間でも作って「良き時代」の芸能を学んで欲しいものです。

 10月13日(土)  埼玉大宮で「青年国際交流」
 




  昨日は、お昼の教室の後、埼玉県大宮公園へ、
 日本青年国際交流機構(IYEO)関東ブロック大会に呼ばれ、大宮国体記念会館で、インド音楽弦楽器シタールと太鼓タブラの演奏と、国際交流の観点からの民族音楽をレクチャーコンサートして来ました。

 日本青年国際交流機構(IYEO)は、内閣府の青年国際交流事業に参加した青年を中心に組織される自主団体で、分かり易く言うと「青年国際交流事業」すなわち「青年の船」
 1959年(昭和34年)に当時の岸信介総理の発案で始まった国際交流事業。「日本青年海外派遣団」からスタートし、1968年に第一回が始まった「青年の船」はアジアから1989年には世界に広がり、60日弱で世界を一周するものとなったと言います。

 夕べは、昭和37年の「日本青年海外派遣団」で東南アジアを歴訪した、現内閣官房副長官の大野松茂氏が挨拶をされ、ポルポト粛正以前のカンボジアの若者との交流の話など大変興味深く伺いました。
 
 若林は、分科会の一つで講演した後、懇親会でも演奏し、大野氏ともお話しする機会があり、当時出逢った若者が一人残らず粛正された悲劇、その後の復興の中で、国会議員団の積立で現地に小学校を寄進された際に復活した民族舞踊でのもてなしの話などを伺いました。タイの舞踊に似ているとおっしゃったので「むしろカンボジアからの戦利品なんです」とお話したら興味深く聞いてくれました。

 その他、今日も関東各地で国際交流機構に携わる「青年の船」のOBさん達、復帰前の沖縄開発庁にいらした方、若林同様講師で招かれた沖縄空手に詳しい「洲道館」の小林八朗先生とも懇談の機会を得ました。

 若林の場合、音楽ファンに聴いて貰う事よりも「国際交流」の場面での機会が多く、在日留学生、労働者さんの集いでの演奏は、民族音楽を演奏する人が増えた今日でも若林が一番多いと思われます。

 国際交流に携わる人々の前の演奏は、演奏後の懇談で沢山の事を学びます。
演奏中も「民族音楽は文化背景、民族的習慣や感性」の話をすると「話は良いから演奏しろ」の顔つきに成りがちの音楽ファンとは比べ様がないほど、頷いて聴いてくれるのが嬉しいところです。 そして演奏を通じて出逢った方々からまた全国各地に広がって行きます。

 今回も、元々は数年前に大田区の学校演奏を依頼してくれた、地域のボランティアさんマイミクのみっきーさんのお友達で大宮の青年交流機構の方のお誘い。
 夕べも若林の父の郷里茨城の交流機構の方々とも出逢い「是非もっと茨城でも!」とお誘い頂きました。

 大野官房副長官も頷いて下さった、若林の持論「無国籍ではなく多国籍な音楽活動」
 報われる思いを多く頂きました。

「インド人でさえ、一生かかってもインド音楽を極められない」とも言いますが、逆に言えば日本人が大人に成ってから極められる筈もない。「一外国の音楽」に固執するか「広く浅い無国籍」しか無い様な現状ですが「音楽は国境を越える言語、ではない!」と主張し「民族音楽は方言の文化」と言う若林の主張を含めて温かく耳を傾けてくれる。嬉しい夕べでした。ありがとうございました。


 
 10月20日(土) 広尾でアラブ音楽  Mini-Live with Belly-Dance
 

  10月20日(土)は、毎月「若林忠宏民族音楽小紀行」ライブをさせて貰って居ます、広尾:Cafe-Frontierでミニライブでした。 正しくは、パーティーの出張演奏。
 経営コンサルタントの皆さんの「協会」の東京支部の「勉強会」で、「アラブ研究会」があり、その後の「懇親会」のアトラクションに呼ばれました。

 「もし出来たらベリーダンスも!」と言われ、この数年のお仲間Sさんをお願いして。急なお願いにも関わらずSさんは快くOK。ベリーダンスを教えるレッスンの後、駆けつけてくれました。
 ところがBookingが遅かった事もあって、太鼓奏者が誰も捕まらず。
 若林忠宏が一人で弾き語り二曲。一人で太鼓と歌で一曲ずつベリーダンスの伴奏となってしまいました。

 にも関わらず、音が良いお店でもありますが、良い感じで出来て、お客さんも喜んでくれました。 Sさんも「やっぱり若林さんの音は違う」と言ってくれて。

 普通なら弦楽器ウードと太鼓数人にヴァイオリンも加わったり、最近のモダン系ではベースやシンセまで加わる。通常はCDの音源で踊るダンサーさんにとっては音の多さが欲しいのが常。「音が寂しくて乗らなかった」と言う人が多そうなところですが。若林が見込んだだけあってSさんはトラッドも分かる数少ない本物のダンサー。嬉しいコンビです。
 Sさんのお仲間や、お弟子さんも「若林さんの演奏を聴いた人は、みんな違う、他が聴けない、と言ってます」とまで言ってくれました。
 
 終演後、お客さんの数名がわざわざ挨拶に来てくれました。
 皆さんたいへん喜んでくれましたが、中の一人、イラクと日本を行ったり来たりの超アラブ通の人までもが「こんなレベルの日本人聴いた事がない」と。「是非、平和になったらイラクに連れて行きたい」と言ってくれました。

 ちょっとびっくりです。
 つい先日もアラブ通の人に「日本の第一人者と自称する○○さんの演奏も聴きましたけど、あれはギター! 若林さんは全然違う」と言って貰ったばかり。

 そのアラブ通さんとはそんな話題になったからでもありますが、
最近のベリーダンス・ブームに対する懸念と、元生徒さん達のかなり勘違いな音楽に対して「名指しの懸念」をホーム・ページやmixiに書いたつもりもなく。まさか、顔に出ている筈もないのに、何故に皆がそう言うのか?  

 ブームの渦中に入ろうとせずに居るから、聴いた人の方が驚くのかもしれません。
 若干の「勿体ない!」「何故もっと演らないのか?」の思いも込めて。

 ちょっと、本気でどうにかもうひと頑張りしてみようか、と思い始めています。 


 
 10月21日(日)  福岡市福祉イベント「ときめき2007」
 




  10月21日(日)の午後、福岡市役所西広場にて、福岡市が主催する「福祉のイベント」
 「ときめきフェスタ2007」に呼ばれて「楽器作りワーク・ショップ」と「フィナーレLIVE」を担当しました。
 2006年に引き続き連続の抜擢です。 光栄です。楽しかったですし、充実しました。

 福岡市は全国に先駆けて福祉と国際交流が盛ん。その主催イベント「アジアマンス」と「ときめきフェスタ」に連続出演は嬉しい名誉です。

 昨年で感じが分かったので、今年は「竹楽器」の種類を増やしました。 主催者側の方も同様に「感じが掴めた」ので、ワーク・ショップは、ステージの真ん前で行い、盛況でした。
 PETボトル・リサイクル・マラカスと「竹ギロ」「竹トランペット」地面に落として鳴らす「スタンピング・チューブ」色々作って、最後に合奏です。

 昨年もそうでしたが、親御さんの笑顔が嬉しい評価です。
 障害者施設での演奏やワーク・ショップの経験はかなりありますが、それでも子どもさん達の表情から「楽しんでいる」を理解するのは難しいです。それは毎日一緒に居て愛情で接している親御さんが一番分かる。
 「この子は若林さんが大好きになったみたいです」と言って下さると、やっとホッとするのが正直なところです。 
 逆に言えば、お客さんのリアクションによって、日頃どれだけ助けられているか?
 「参加型」の「現地の民族音楽のあり方」を知っているからでもありますが。

 自ら友達と連れ添ってライブハウスに聴きに行って踊ったりが出来ない子ども達の楽しそうな姿を見て、喜んでくれる親御さん達。気付けば自分がノッていたり。
 子どもさんは、自分は表現しなくても、世間の人間の人相や、親御さんの表情は心で感じます。むしろ言葉や態度に惑わされる人々よりも敏感に。
 親御さんの楽しそうな表情は、きっと子ども達にも嬉しい事なのでしょう。

 そんな場面を、大空の下で、楽しく過ごせる機会は、なかなか「何処でもある」事ではない様に思います。
 
 昨日は、ちょっと暑いくらいのお天気にも恵まれて、良い一日でした。

 


 昨年は、民族音楽センター九州のスタッフとインディアン・サイケデリック楽団MISRAMのメンバーでワーク・ショップ&LIVEをしましたが、スタッフが抜けてしまったので、キューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」とアフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」のメンバーにワーク・ショップのスタッフさんも兼ねて貰って助けてもらいました。
 サックス奏者にしやん君、パーカッションのMAMI-TAさんには遠方から来てもらいました。
トランペットのyukiちゃん、ベースのマサ君、パーカッションの若君、それぞれのキャラを活かしてベストポジション。
 看護、介護が本職のMAMI-TAさん、優しいお姉さん? というか子ども達にまみれてしまう感じのyukiちゃんがインストラクターで、男性陣はひたすらノコギリとヤスリで素材作り。
 
 にしやんは小学校訪問演奏も積極的にされているので「勉強になった」と言ってくれて、MAMI-TAさんも本業のお知り合いが来ていて、音楽と介護が良い感じで繋がった一時だった様です。

 イベントのフィナーレを飾る「エンディングLIVE」
 昨年は、若林が福岡で最初に結成したCDも録音した楽団
 民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Windのタイトル曲「風の街」が「ときめきフェスタ2006」の「テーマソング」に選ばれました。

 作曲は若林忠宏で、アメリカ・ニューオリンズの「セカンドライン」の音楽を元にしたシンプルなもの。歌詞は、Maghreb-CDにゲストで来てもらった、Vocalistの野口ジュンさんとの共作。 「ときめきフェスタ2006」で一部変えて、出来上がりました。

今、風が吹く、 海辺の街に 南の山と、西の海から
今、風が吹く、 海辺の街に 音を響かせ  笑顔たなびく

耳を澄ませば、風の歌声 髪をなびかせ、心が踊る
耳を澄ませば、風の歌声 今、奏でよう、僕らの歌を

何時も輝く僕らの勇気 風を追いかけ 海を渡って
何時も輝く僕らの勇気 未来にのせて 世界へ届け

大地の鼓動、波のメロディー 地球(ホシ)が奏でる、降り注ぐ歌
きらめく命、輝く希望 夕陽に誓う、明日の夢を

 

 日本のマグレブ(陽の沈む処)九州で「心の音楽」を世界に発信しよう!
 と願いを込めて。 東京もんの若林には「風と雲と空とお天気を感じれる町、福岡」で作った曲です。

 「ときめきフェスタ2006」では野口ジュンさんのスケジュールを合わせてもらって
ゲストで歌って貰いました.

 流石に、今年は同じ曲はないだろう、と思っていたら、数日前に主催者さんから
「風の街も是非」との嬉しいリクエスト。 駄目元で野口ジュンさんに打診したらラッキーにもOK!

 二年連続で西の空に向かって大合唱が響きました。
 今年はサックスとトランペットも加わって、子ども達の自作楽器での参加も更に盛り上がりました。 昨年も喜ばれました「手のひらを太陽に」もノリノリ。
 アフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」のレパートリーも演奏しました。

 本番直前にNGだった筈のトランペットのリサちゃんも駆けつけてくれて、Mwanzi曲のホーンセクションは充実。
 野口ジュンさんもノッてくれました。

 ステージに呼び込んだら子ども達もノリノリで演奏してくれました。 ちっちゃな女の子が
 竹ギロが体に対して大きくてヴァイオリンみたいで可愛かった。一生懸命弾いて、褒めると大きく頷いてくれて。 みんな来年も元気で会おうね! という気持ちに満たされました。
 去年ステージの前で車椅子に乗りながら「エアギター」でノリノリだった彼が居なかったのはちょっと寂しかった。 元気である事を祈ります。

 来年ももし呼ばれる事になったら、 またもっと沢山の楽器をを作って
 もっと大勢で長く演奏したいです。
 
 ありがとうございました。

10月27日 お客さんで来てくれたお友達に写真を頂きました。
Yさん!ありがとうございます。

 10月21日(日)  福岡市で自主LIVE-Event Tetraptera-Vol.4
 






   10月21日(日)の夜は、LIVE-Event「TETRA-PTERA」第四回目もおなじみ
 福岡市中央区赤坂のCafe&Bar「Calloway」さんで。

 マスターの境さんの思い入れが込められた、Bluesがしみ込んだ感じのお店ですが、
 大きな窓ガラスを通じて「時」や「季節」を感じれるお店。同じビルの四階で
 ライブ・イベント「Transmission」をさせてもらっているアメリカンな「Dream Boat」さんも同じですが、床も壁も「木材」椅子もテーブルも本木製造りである所も「民族音楽」には嬉しいお店。
 初めてお邪魔した時に「ああ!Bluesが懐かしい!」と思いながらも。
 Blues再開記念ライブ9月16日「Peants-Barrel-Blues-Party」を待たずに、4月15日に友人楽団CICCAROLLと民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Windの対バンLIVEを皮切りに
6月17日(日)の「TETRA-PTERA」Vol,1では
 Acoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」Ancient-Future-Music「柘榴(Zagros)」
 キューバSon楽団「Conjunto del Chicorro」パーカッションEnsemble「Dum-Dum」

7月29日(日)の「TETRA-PTERA」Vol,2では
 Acoustic&Drone-Unit「Trio-Shruti」パーカッションEnsemble「Dum-Dum」
 Rhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」

9月23日(日)の「TETRA-PTERA」Vol,3では
 メキシコ民謡 Duo「Mejorana(まよらな)」 Rhumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」アフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」
 ゲストにサックス四重奏団「QP-Sax」

そして、今回の「TETRA-PTERA」Vol,4では

 アフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」
に加え、Arabic-Blues-Band「Suuk」とLatin-Oriental-Band「Mohammed-El-Wakkar & The Magic Carpet」

 新規楽団のデビューLIVEの場所として、毎回新しい試みを加えながら。デビュー後の楽団は、「現場で鍛える」経験の場として。お店の応援を存分に貰いながら、毎回楽しく、そして充実して来ました。

 
 アフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」では、曲に慣れる毎にグルーヴとアドリブの余裕がでるベースのマサ君、加藤君のコンガが良かった。飛び入りのMAMI-TAと加藤君のジェンベも有り難いサウンドを提供してくれました。若葉君も何時もながら落ち着いた存在感。
 並木さんのサックスは更に美しさを増して。不思議な人です。慣れれば慣れる程にフレイズが美しくなる。

 

 

 Arabic-Blues-Band「Suuk」

 

 ベースのavan君、ドラムの波谷亮一君、ピアノの中村明子さん、サックスの西田弘道君に支えられて、遂に!

 禁断のミックス音楽。 アラブ・トルコ弦楽器ウードでシカゴブルースを演ってしまいました。 

当日のプログラムから(抜粋)

 「Blue-Noteは、アラブ古典音楽の3rd/7thの微分音の感性が源流」という持論を掲げる若林忠宏が、35年の掟を破った「ハチャメチャ・コラボ楽団」。「アラブでも最も伝統的な流派を研究する」マニアックな演奏家が、アラブ・トルコ弦楽器で「シカゴ・ブルース」をアドリブ満載で弾き語る。
 Chicago-Bluesは一見、民族音楽から遠い。が、Country-Bluesの明るさを消し、モダンブルースやジャイヴに負けじと独自な怪しげなVooDoo。HooDoo。Mojo-Handなどのテーマと「泥臭さ」を出した1950年代のサウンドは「Bluesの先祖返り」でもあるという定義。

 
1、Hoochie Coochie Man ? ?

 シカゴ・ブルースの巨人、Vocal&GuitaristのMuddy Watersが1950年代にヒットさせた曲。 「VooDooの呪い師のお告げで、とんでもなく大物が生まれる、って言われたのがこの俺さ!」という曲。

2、Boom Boom Boom

 エエクトリック・デルタブルースの天才、Vocal&GuitaristのJohn Lee Hookerのヒット曲。 デルタ・ブルーズのワンコード風の弾き語りは、トルコ吟遊詩人のそれと瓜二つ。

3、Spoonful  
 Muddy Waters やHowlin`Wolfなどにヒット曲を提供した、作家、プロデューサー兼ベーシストのWille Dixonの曲。 「たった一杯のティースプーンほどの真実の愛があれば」という曲。

 

4、Help Me   

 ブルースハープ(ハモニカ)演奏者のSonny Boy Williamsonの作品。オーソドックスなマイナー・ブルース。「お前が居なきゃ日々の暮らしもままならない」といった内容。

5、Mojo Walking? ?

 Muddy Watersが1956年にヒットさせた曲。
「VooDooの呪い師のお守りを貰えば俺だってさ!」という曲。

 個人的にはもの凄い「収穫」の在った瞬間でしたが、お客さんの反応は「賛否両論」
 「アラブとブルーズのコンバイン」に対して、というよりも
 おそらく「ブルースが好みじゃない」ところに持って来て「若林がお客さんの為に演奏しなかった」事が原因。 ピンと来ない、退屈、単調。

 敬愛する「史上最高のVocalist」と信じて止まない、John-Lee-Hookerの
 「Boom Boom Boom」を初演出来たのが嬉しかった。
 
 うん! 紛れも無く「自己満足TIME」でありました。

 ありがとうございます。ごめんなさい。

 でもバックの音はかなりカッコ良かったと思う。それで退屈したのなら
 紛れも無く若林の力量、想い不足です。 

 第三部 
 Latin-Oriental-Band「Mohammed-El-Wakkar & The Magic Carpet」
はコスプレ大会と、新規加入のティンバレスのもっちゃんが素敵だった事。
 MAMI-TAさんのゲストもあってパーカッションが増えた為に、加藤ちゃん、若葉君が伸び伸び演奏してカッコ良かった。
 にしやんも昼からだと言うのに、集中切れずに凄い。
 Lisa&Yukiちゃんも最近、テンション高まっていて凄い事になっています。
 
 でも、のんびり「パロディー楽団」ですから、ゆとりのリハーサルしましょうね。
 VooDooデビューが決まるまで時間在りそうだし。宜しくお願いします。

 フィナーレ「Afro-Blue」
 
 アフリカン・フュージョン楽団「Mwanzi」の並木重雄君を呼び込んで
 なんとベースの川田マサ君はジェンベ風ダラブカを。これがなんとも上手い。
 ベースをavan君に委ねて、ってもしやリハーサルなし、楽譜もなかったんちゃうか?
 どうやって弾いたのだろう。
 やっぱり彼は半端じゃない。

 当たり前の様に全員がノリノリの名演奏。 
 トランペットのリサちゃんもソロを取り、並木・西田のバトルもあり。
 ドラムソロ、コンガソロ。お祭りでした。

 今回も、沢山の仲間とお客さんに囲まれて、熱い一時が、楽しく充実して得られました。
 ありがとうございました。

 10月26日(金)  広尾でアラブ音楽LIVE
 

  昨日の「若林忠宏民族音楽小紀行」広尾:Cafe-Frontier「アラブ音楽特集」
 パーカッション軍団が充実して、盛り上がりました。

 民族音楽センター九州教室のお弟子さんで、芸工大生今は茨城に就職したインド太鼓タブラの上級生田部君、同じく芸工大卒で東京に就職した吉祥寺教室のタブラの上級生金君に、東京音楽大学付属民族音楽研究所の若林のダラブカ講座の受講生、ラテン系プロ・パーカッショニストの八木君、受講生鈴木さんが紹介してくれたパーカッションの星君の四人の太鼓、打楽器陣がダラブカ、レック、ダフ、ボンゴを担当。

 久々の太鼓充実で盛り上がりました。


 八木君が講座を受講してくれていた事と、インド太鼓のお弟子さんは「変拍子」に驚かない事で、古典音楽の10拍子もばっちり。
 お客さんにもミュージシャンが多い日で、若林も聴かせてもらった素晴らしいDTMを創る大ちゃん。初めてお会いしたバルカン音楽に関心が深いキーボード、作曲家さんなど。
 
 吉祥寺のパーカッション教室、池袋、川越の受講生も来てくれて、良い機会でした。
 あっ! 本業のクラッシック・ギターの演奏が忙しくて休学中のウードのお弟子佐藤君も来てくれて「飛び入り覚悟」で練習もして来てくれて。福岡と東京で活躍するVocalistの野口ジュンさんの東京楽団「Lucera」のギターのあっちゃんも来てくれて、嬉しかったです。
 あっちゃんは、数十年振りで探し、そして探し当てた「四葉のクローバー」をお土産にくれました。Luceraの一曲で、子どもの頃の純真さをもう一回探し出したい、という曲の為のもの。
 温かさが木造内装のお店に充満した素敵な夕べでした。
 吉祥寺の店の「アラブ音楽ライブ」の前に仕込みに苦労した「ターメイヤ」が懐かしかった。 
 ソラ豆を潰したコロッケで、こんがり焦げ茶色をパカっと割ると鮮やかな緑。
 イスラム圏内では「緑は命の色」。美味しかったです。

 来月の「若林忠宏民族音楽小紀行」広尾:Cafe-Frontierは「インド音楽特集」
あっと言う間に一年。一回りしました。
 12月は母体のJICAが仕事納めの頃なので、お休み。来年も更に充実の楽団編成で臨みます。

 2008年1月25日(金) Vol.13【キューバ古ポップス】
 2008年2月29日(金) Vol.14【ネパール民謡&ポップス】
 2008年3月29日(金) Vol.15【ケニヤ古ポップス】
 2008年4月25日(金) Vol.16【アフガン音楽】
 2008年5月30日(金) Vol.17【ギリシア演歌】
 2008年6月27日(金) Vol.18【バングラデシ音楽】
 2008年7月25日(金)
 2008年8月29日(金)
 2008年9月26日(金)
 
 2008年も宜しくお願いします。

 「若林忠宏民族音楽小紀行」広尾:Cafe-Frontier
  開場18:30/開演19:30〜21:30 Charge¥1000+order
 JICA地球ひろば 「Cafe-Frontier」
 東京都渋谷区広尾4−2−24/電話番号:03-3400-5533
 http://www.jica.go.jp/hiroba/cafe/index.html
 アクセス:東京メトロ日比谷線 広尾駅 A3出口徒歩1分

★ 10月28日、メンバーの田部君より写真を頂きましたので、追加します。
ありがとうございました。

 10月30日(火)  福岡市でChaChaCha Vol.2
 

  本日10月30日(火) 夜8:00過ぎ、
 親不孝通り(正確には一本渡辺通り寄りで、ホテルアセントの隣のビルの3F)の   VooDooLoungeにて行われるライブイベント「Lounge-Sounds」にチャチャチャ楽団「Charanga-Langa」で出演しました。

 イベントのスタートは7:30。出番は、二番手で8:20〜45。
 ChaChaCha楽団は、7月18日(水)にVooDooLoingeでデビューし、大好評。今回もプロデューサーのボギー君からのご指名のオファーでした。
 
 


 今回レギュラーメンバーのヴァイオリン二名が本業のオーケストラと重なり、ピアノのアッコちゃんが手の痛みでお休み。名物MAMI-TAさんもお仕事に重なり、レギュラー陣は若林忠宏のVocalとTimbales、甲斐さんのFlute、avan君のBass、若葉君のマラカス。
 ところが代役で登場のピアノはOne-Soul-LoversのピアニストのSagiriさん。明るく元気で正にラテン。ヴァイオリンのNicoさんも素敵なリズム感と勢いが有って、なかなかのサウンドになりました。avan君のグルーヴィンなベースも好調。

 久々の甲斐さんのFluteが良かった。不思議に、間が有っても気持ちが有れば、音楽とその絆って育っているものですね。 嬉しかったです。
 って言うか「ここに居てチャチャチャを演るのが、ソロを取るのが嬉しい!」って演奏で、お客さんにも凄く好評。 「フルートの方が楽しそうなのが良かった!」って数人から言われました。

 甲斐さんがブログされないのが残念。 どなたか伝えておいて下さい。
ほんと喜ばれました。
 初顔合わせなのに、Nicoさん、Sagiriちゃん、甲斐さん、avan君のグルーヴが波の様で。真ん中でティンバレス叩きながら、気持ちよく乗れました。
 ありがとうございます。

 10月31日(水)  影絵(Silhouette/シルエット) 2nd-Session
 

 

 


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 10月2日(火) 伝統の崩壊
   
 世界的な傾向で、1990年代を境に「伝統」が消えて行った。
 「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉がある。 嫌いな言葉。
 「流行に敏感」を「カッコ良い」と思っている人はまだまだ多い。
 「時代は常に変化し、文化は常に発展して行くのだから、時代遅れは見捨てて行くしかない」 
 と疑いもなく語った人も少なくない。

 ならば、一定の周期でリバイバルするのは何故? 
 時代とともに変化して生きて居る人には、まさに「暖簾に手押し」の問答だろう。

 
 伝統でさえも、常に「変化」している。
 「最近の若い演者と来たら、なんて破廉恥にも」という言葉は、室町時代の雅楽の「指南書」に既にあるという。 
 新しい文化や感性を「接ぎ木」しても、昔からの「根っこ」や「土壌」が在った頃は良かった。
 枝葉が常に「新陳代謝」し、一見「真新しく」見えても、幹は丈夫で太かったから。
 「枝葉」が陽を受け、エネルギーの源を供給し、刺激を与えて、大地からの「命」をまた枝葉に返していた。
 
 1990年代から、ありとあらゆる、様々なものが、次々と。
 土から離れ、鉢植えになり、やがては枯れたり、化学薬品で生き長らえたり、造花になったり。
 時代の変化?
 かもしれないが、単純に、 1920年代生まれの芸術家が「最後の巨匠」で、その二代目1940年代生まれの芸術家の半数が「最後の継承者」

  世界的に。明らかに。否定出来ない筈。

 

 

 10月3日(水) 良い音楽は 、聴く者を詩人にするのか?
    
 9月30日(日)の西中洲「Tupelo」での若林忠宏企画イベント
 ライブ・イベント「Transmission」Vol.4
 奇しくも九州に来てから一番長い付き合いをしているメンバーだらけの一夜
 影絵(Silhouette/シルエット)と民族音楽フュージョン楽団Maghreb-Wind
 
 Blig仲間さんで、お客さんしてくれた方々が、それぞれの日記で「良かった」と褒めてくれていました。
  「良い音楽は、人を詩人にする」なんて言うと、「手前味噌」「自画自賛」も「いい加減にしろ!」 と言われそうですが。

 Maghreb-Windも影絵も、自分1人の音楽じゃない。
 「この指止まれ!」って言ったのは僕だけど、今やみんなの楽団 。そう! あの夜にそれが確信となりました。 それほどに各自が自分の音を出していた そして、自分独りじゃ出来ない音楽になりあの面子じゃなけゃ出来ない音楽になっていた。
 

 初めて聞いてくれたMさん

 それはさながら真円のように満ち足りて欠けることのない自由さ。

 一度みたことがある、と思い出してみると、幼い子どもが真剣に遊んでいる時の場面。

 新しい出会いもあり、行くか行かないか迷ったけれど、やっぱり勇気を出して行ってよかったな、と思った夜でした。

 一年振りのEさん

 楽器のリズム、歌、声が内側に響いてくる感覚。
 場所とその空間と、胸骨の奥がじ〜んとする感じ。
 音楽を楽しめる自分で良かった。

 と思えた夜でした。

 感じることで自分の中に生まれたものを
 大切にしていきたい。
 そこからまた、どこかに繋がる何かを伝えたい。

 

 あまりに嬉しく、素敵な文章だったので、 許可を頂いて転載させて頂きました。
 ありがとうございます。

 10月3日(水)    沖縄舞踊は猫さんの仕草?
    今でこそ「沖縄ブーム」ですけど。
 1960年代 荻窪の我が家では、復帰前の沖縄の学生さんに下宿部屋を提供していました
 近所の左翼系の病院に「アヒルの餌」の為に「第一残飯(手をつけなかった残りご飯)」を貰っていて、そのお礼でした。小学校三年生の時に「沖縄返還20万人集会」に晴海埠頭にも行きました。

 その頃に台所の隣の部屋から毎晩の様に聞こえて来た「沖縄民謡」
 反対側の部屋は台湾留学美大生の掛ける「台湾民謡」と「フラメンコ」
 東欧から帰国した父が掛ける「ブルガリア音楽」。母の弾く「ドビュッシー」「ショパン」
 1978年に母と「日本初の民族音楽ライブスポット」を開店するそのまた15年以上前
 我が家は既に「民族音楽のるつぼ」でした。

 月に一回程、在京のお仲間が集まって更に盛り上がる「沖縄部屋」
 「掻足(カチャーシ)」の音が夜半迄響きます。
 
 1978年開店から1999年閉店迄ほぼ欠かさず。毎月「沖縄民謡LIVE」も行っていました。
 「沖縄料理店」以外では画期的だった筈。
 そのライブの「せい?」「お陰」で、アマチュアだった一人の方は関東の会社を辞めて「琉球大学音楽」に再入学。もう一人も会社を辞めてプロに成られました。

 そんなお仲間がある時お土産に買って来てくれたカセット・テープ
 沖縄のフォークダンス「掻足(カチャーシ)」のものですが、タイトルに歓喜しました。
 なんと「ノンストップ・カチャーシ」
 カセットテープですからA面B面裏返す時は音が途切れるのが「可愛い」
 もし二台のラジカセと二本のテープがあって、瞬時に繋げば「音楽」は途切れないのかも。

 
 沖縄と東南アジアのタイは、山田長政の時代頃から深い関わりがあります。
 お米の作り方から「泡盛」のルーツ。これは良く知られています。
 
 さほど知られていないのが、阿波踊りよりちょっと自由に両手を掲げる
 「掻足(カチャーシ)」の踊りとそっくりな踊り「プータイ」がタイ東北地方イサーンにある事。

 ある日お客さんがお土産で買って来てくれたカセット・テープ。
 なんとタイトルは「ノンストップ・プータイ」でした!

 そんな話を想い出させてくれたのが、PCの側で昼寝のプリンちゃん。
 話しかけただけで嬉しくて、グルグル喉を鳴らしながら、裏っ返しに成って、
 ちょっとお腹をさすると「ふみふみ」の仕草。

 猫さんは嬉しかったり、甘えたりの最上級の時に、母親のお乳を探る「ふみふみ」をします。
 これから寝ましょう、の時に良くやります。プリンは特に良くやります。
 僕のお腹に飛び乗って来てお腹にしてくれます。
 その時、一緒に「よいしょ!よいしょ!」と言ってあげます。

 両手を交互に伸ばし縮めながら、手のひらを開き、握るのです。
 時々手首をくるっと返したり。

 裏っ返しでやって居たのを見てびっくり!
 「掻足(カチャーシ)」そっくりです。

 両手を上げる踊りは、
 阿波から沖縄、東南アジアの「海のシルクロード」の他に、
 中央アジアからトルコ、遠くはフラメンコ迄続いています。
 
 その流れの一環にあるのが「掻足(カチャーシ)」なのかと思いきや

 もしかしたら、猫さんにも通じる「本能的」な仕草なのかもしれません

 これからは「よいしょ!よいしょ!」の他に
 「唐船どーい」を歌ってあげようと思います。

 10月4日(木)    夢の音楽
   最近、また一人 とてもユニークな逸材と出逢いました。
 新しいユニットが出来そうです。 ご本人も期待してくれています。
1st-Sessionのインスピレーション。受けるオーラで 自分の出す音の道が定まります。

 ところが、今回。 1st-Sessionの前なのに、夢で旋律を奏で、その方が歌ってくれました。

 とっても不思議な旋律。 理論的には、やり残していた手法のひとつでもありました。
  夢の中で弾きながら「ああ、きっとこれだ!」と思っていました。
 1st-Contactの印象が十分すぎる程、通じた。感じたのかもしれませんが
  やはり、タイムリー  「約束の邂逅」なのかもしれません

 ユニット名は「予知夢(Swapna)」にしたいと思いました。

 10月4日(木)    西日本新聞に載りました
 

 って言うか、いつの間に載ってました。
30日って聞いてたのですが、連絡来るかな?と思っていたら今日本誌が東京に郵送されていて、何と9月28日(金)に出てましたとさ。

 「好きです九州」という折り込み特集ページです。
 残ってたら、見て下さいませ!
 
 写真は8月16日の福岡ドーム前「野外LIVE」の演奏中。
  半端じゃない暑さの中でした。


 10月6日(土)    基礎力、応用力、即興力、創作力−2
 

  「自分で自分を褒めてあげたい」
 1996年アトランタ五輪でマラソンの有森裕子選手が語って「流行った」言葉。
 それより16年も前、野球の張本勲選手が「通算三千本安打達成」の際に用いていた、とも言われる。
 
 後に有森さんは、あの言葉は「多くの人に支えられて来た自分」に対して言ったので「自分の頑張りを褒めたらバチが当たる」とも言ったらしいけれど。同じ程報道されなかったし、流行らなかった。
 むしろ「自分にご褒美」などという言葉に変化して、さらに「流行った」。

 何時頃だっただろうか? 
 多分サッカー選手、三浦知良さんが「頑張って来ます」ではなく「楽しんで来る」と言った?
 それ迄の日本チームは「気負い」が裏目に出て、メンタル的に既に負けていた。三浦氏や中田氏の様な感覚は良い「突破口」だった。 
 しかし三浦氏や中田氏程メンタル的に強くなった訳ではない。「居直り」にも似た、「図々しさ」
 あっと言う間に「流行」った。

 今となっては「気負って負けた」日本人の方が、「愛おしく」懐かしい。

 
 同じ頃だとは思うけれど、きっかけは想い出せない。
 「感想」を求められ、感極まった誰かが「〜〜。それだけです」と言った。
 あっと言う間に流行った。
 驚いたのは、その後、事故や事件で我が子を失った親御さんさえもが用いていた。

 
 先日、自己紹介カードに「音楽鑑賞」とあるタクシーの運転手さんに「どんな音楽ですか?」とお訊きしたら、堰を切った様に「音楽談義」をしてくれた。僕が音楽家とは思っていないから。

 吉祥寺や川越の授業で自分が良く言う言葉があって面白かった。
 「あれ演ってやろう、これ弾いてやろう、なんて思ったら即興は駄目ですね!」
 「今こうやって会話しているじゃないですか! これと同じですよ!、即興は!」
 と熱っぽく教授してくれた。

 1990年代、生徒数も100人近くなり、スタッフやお弟子さんも増えた頃、
 「おたくに集まっている人達は、目が死んでいる」と言われて慌てた。インド風新興宗教が流行った頃である。
 確かに「自発的な音」が出て来ない。 かと言って「教わった音を再現する」程の力も無く、それほど真剣に修行はしていなかった。「なぞること」さえままならない。 
 ならば、せめて「アナタらしい音」が欲しいと思った。 

 その指導の一環に「流行語禁止」さえ導入した。 「言い回し」や「語尾のスが伸びる」のさえ注意した。
 「無意味」だった。「手遅れ」だった。 「本末転倒」でもあった。「糠に釘」の様でもあった。

 「会話の様な即興演奏」
 「即興演奏は会話の様なもの」
 持論でもあるから、もちろん賛同する。

 しかしながら、流行語、流行の言い回しも有る。
 「話し上手」という人も居る。 「喋り出したら止まらない」という人も居る。
 巷の面白いネタを羅列し、ひたすら面白く可笑しく、飽きさせない。
 明石屋○○○さんの様な。 確かにそんな「即興演奏」はウケる。

 人の話を遮ってまで「自分の話」をしたがる様な人。
 人の話をいちいち自分の話に持って行く人。
 「即興」が上手くて当たり前。 

 自分も「同類かもしれない」とハタっと思った。
 二年間訓練した。 「聞き上手」と言われる迄、人の話をひたすら聞いた。
 話が終わる迄決して口を挟まない。復唱すらしない。先読みもしない。
 人の話を「聞く」事の難しさを思い知った。 
 今迄どれだけ「聞き流し」「身勝手に解釈し」「自分の話に持って行っていたか」
 痛感した。
 
 以後、どんな人のどんな話も面白く聞ける様になり、情景さえもが思い浮かぶ様にもなった。
 それ以後、自分の「即興演奏」も変わって来た。
 「アドリブしながら他の話を喋る」「技」も出来る様になった。

 「民族音楽は方言だ」も僕の持論
 台所仕事をしながら、道具の手入れをしながら、田舎の言葉で喋る様な
 そんな「音楽」 そんな「即興演奏」が理想型
 「売れない」「ウケない」「流行らない」かもしれないけれど。

 「わしゃ自分を褒めちゃりたいんじゃ」は流行らないかも
 「おんどりゃーのぉ」はちょっと流行ったくせに。

 「わがをわがで褒めでやっちぃ」も流行らないかも
 「すんずれ〜しました」は流行ったくせに。
  
 日本はまだまだ素晴らしい!  方言が残っているうちは。


   
 10月6日(土)    年配のお医者さん
 

  流石に疲れが溜まったのか、近所のお医者に行ってみた。
 軍医見習いで終戦を迎えたご高齢の先生だけど、矍鑠としてらっしゃる。
 
 吉祥寺にはつい10年ほど前迄、そんな先生が何人かいらした。
 一年の疲れは年末年始に出る。隔年にけっこう重傷になる。
 年末年始に「歩くのもやっと」の歯痛の際
 自宅が医院でなければ看てもらえない。
 失礼ながら「お化け屋敷」みたいな歯医者さんに行った。

 消毒液を入れるホーローの洗面器の一つに
 メスやピンセットがこんもり山積みになっていて、
 ごそごそ引っ張り出しての治療だった。

 今では笑い話だけど、歯痛の真っ最中は笑えなかった。
 入れ歯のメンテナンス専門の日々の様で「歯の治療は久しぶり」とおっしゃっていた。

 
 「歳」を最初に感じたのは「高校球児」がいつの間にか「年下」だった時。
 その次は「お相撲さん」 そして「野球選手」 学校の「先生」
 
 「巨人、大鵬、卵焼き」「地震、雷、火事、オヤジ」
 
 憧れの対象が「年下」になる。
 怖かったものが怖くなくなり、気付けば自分がオヤジになっている

 昔は近所のオヤジも怖かった。
 野球のボールが飛び込んで、取りに入れて貰うのが怖い家

 「浦島太郎」の怖いオヤジ版。
 ワンコや猫さんを虐めていたりする子は、見知らぬオヤジに怒られたものだ
 そんな悪ガキもボールを取りに入る時ばかりは礼儀正しくなったものだ。

 
 子どもはまだしも、最近の若者と成るや、女の子でも瞬時に逆切れして
 とんでも無い事になりそうだ。
 なかなか昔の様なオヤジになれないでいる。

 
 「若い頃は背伸びして」「オヤジになったら若ぶって」
 というのも、はなはだ、身勝手、情けない。
 
 と、反省しつつも。

 「やぱりお医者と先生は、若造は苦手」


   
 10月6日(土)    達人
 

 Blig仲間さんが愉快な日記

 懐かしい「竿竹屋」の「物売りの声」
 
 生まれ育った杉並荻窪宮前に
 と〜っても「怖いオヤジ」さんが居ました。

 毎日日暮れ頃になると自転車で

 「こおもり〜傘〜  直して..................。おります」
 「ソドドドドド〜  ドドドソ..............ドドドド」

 「春日神社の境内でぇ..................」
 「レファファファーファーファーファーファ」

 子ども心に、とっても怖かった。

 毎日毎日何年も

 一回、勇気を振り絞って門柱から目撃してみました。

 身の毛が弥立ちました

 なんと、そのおじさんの自転車は
 1分間に3m位しか進まないのに
 揺れもブレもしないのです。

 人生半分以上経った今でも
 あれほどの達人を見た事はありません。

 あれから比べると、
 音楽であろうとスポーツであろうと

 終戦直後から 20年位雨の日も風の日も欠かさず。


   
 10月9日(火)   東京でも野口ジュンさん楽団スタート
 

 東京でも野口ジュンさんバンドが出来ます!

 おばあちゃんのお見舞いに過密なスケジュールで東京〜福岡を往復していた 、ジュンジュンさん、おばあちゃんも元気に退院されて、その間に音楽仲間とも再会 「若林さんに会わせたい人」「その人達も前から若林さん知ってるって!」と会わせてもらって、楽器鳴らして遊んで。
 ギタリストさんには「今迄ギター弾いて来て今日が一番気持ち良かった!」 って言って貰って。 ドラマーさんには「15年越の思いが叶った!」とまで言って貰って。

 バンドが出来ちゃいました!
 バンド名(たった今決定しました)

 「Lucera(夜の小窓)」
 ルセラでも、夜の小窓でも、夜コマでも、なんでも呼んで下さいませ。
 ルセラの場合、セにアクセントです。

 例によって例のごとく、 ギタリストさんの曲が三曲。ジュンジュンさんの曲が一曲。
 影絵(Silhouette/シルエット)と同じに、若林が民族楽器を弾いて 感じたままの言葉を並べて、詩を育てて行く曲が三曲。
 
 って事は、もう七曲! 民族音楽日本語カバー曲を入れれば 2ステージもOKです!

 ギター、ベース、ドラムに若林の民族楽器ですから、 影絵(Silhouette/シルエット)とはサウンドも違い、 数曲は「どちらにも」かも知れませんが 自ずと「詩」の世界も変わって来ます。

 年内、東京デビュー目指して頑張ります。

 恐らく、公開LIVE録音になりそう。

 宜しくお願いします。


   
 10月11日(木)   ちょっと失敗
 

  ちょっと失敗、と言うか、ちょっと残念

 「東京の漫才」の本
 本屋さんで注文したのが昨日入荷したというので、ワクワク取りに行きました。
 
 がっかりでした。
 沢山の漫才師の逸話が¥1500の限られた紙面に収められているから
 ひとつひとつの「読み応え」が全く無し。

 しかも、ご存命である事が条件らしいので、往年の名人について語られず、
 そして、たいへん残念ながら、文章がつまらない。

 取材を元にし、客観的に書いた、と言うのでしょうけど。
 それでも、読み応えや心に迫る文章ってある筈。

 「音が聴こえて来る様だ」「現地のミュージシャンの笑顔が見える様だ」
 と言って貰うととっても嬉しい。
 脚色が無くたって、漫才師の方々のちょっと「破天荒」な
 「日頃はぶっきらぼうな」などなど、もっと伝わる筈。

 悲しいかな「読み易さ」に徹している。
 しかも「読み易い大きな字」
 漫才協会バックアップだから
 この一冊のお陰で、もう誰も「書けない」

 先日の「江戸しぐさ」も実は文章が最悪でした。
 「情報」としては面白いのだけど。
 挿絵も「江戸にしてしまっては、今の暮らしに役立たない」
 との配慮でしょうけど、今の様な昭和初期の様な「中途半端」

 調子っぱずれの編集者さんを
 「なだめすかし」て「叱咤激励」
 「頑張れ!」「負けるな!」って応援して来ましたけど。

 情報を提供すれば良いという風潮の「出版界」

 また更に 「悪化」しているようで、悔しい、悲しい、勿体ない。


   
 10月12日(金)   「ソラミミ」とか「思い込み」とか
 

  学校演奏をしているとつくづく思う
 小学生は「楽しくて面白くて笑い」
 中学生は「照れくさくて笑い」 
 高校生は「みっともない、恥ずかしいと笑い」
 大人は「笑おうとして笑う」

 そんな中で、日々の「ソラミミ」とか「勘違い」 は、大人もみんな童心に返って愉快に笑う。 最近はスタッフとかお弟子さんとか、ちょっとこりごりですけど、 かつては面白い人が沢山居た。 笑えない状況の事も、今となっては「愉快」に想い出したり。

 知り合いのご紹介で「楽器を見に来た」お客さんに何かお茶菓子を! 暑い日だったので「垂れないアイス」と思い「シューアイス買って来て!」 楽器を触るので手も汚れなければ良いかな、と。 スタッフ君が走ってくれたのは良いのだけど、 買って来たのはボトル型のビニールの、先端を切ってすするアイスキャンディー 「えっ! だって先生チューアイスって言うから」
 
 「そんな呼称、知らん!」とその時は呆れて悲しくなりましたけど。 お客さんと皆で、しばし「無言」で「手も止まって」チュウチュウと。 「なるほど確かにチュウーアイスだわい」と納得。

 
 自分の字にメゲます。 音楽資料ファイルの「背表紙タイトル」は、 大概スタッフさんに書いてもらっていました。 何時もの様に「ごめん、ちょっとこの背中書いてくれる?」 楽譜書きしながら、お願いして。 でも、ちっともファイル持って行かない。 と思ったら「どこ掻きましょうか?」と人の背中に廻ってる。 何度が頼んだ事があったのに。

 カタログを見ながら 「欲しい楽器があるんだ!」と言ったら 「じゃあお茶を入れましょうか」と言った人も居た。 見ていたのは「郵便局の特産品カタログ」じゃあない!
 

 母も大概「ソラミミ星人」でした。 電話を取って「インド大使館のIRさんヨ!」 南インドに良く在る名前「アイイェールさん」 頭文字を名乗る人も居ないだろうに、 「取る前に分からなくて失礼したじゃん!」って言ってしまった。

 NHK教育TVに出た時の「思い込みソラミミ」はちょっと良かった 母は「私の青春ノート」を「私の青春の音」と思い込んだ。 ミュージシャンが出るのは珍しかったのに。 でも、ディレクターさんにはウケていた。

 「ソラミミ」と言えば、一昨年立て続けに数回出演した番組の  ○○さんはどうされたのかしら? 噂では○○○氏が遅刻の多さに 「遂に爆発!」とか?

 確かに「二本取りの中間点」で「二週分」収録なのだけど、僕の収録が終わって楽器も片付けての帰路に駅ですれ違ったりした。

 百円ショップ民族楽器で見本に持って来た弦楽器を喜んで貰ってくれたが  最近TVを見ていないので、というか見たくても見れないので、 懐かしい。

 ああ、見えて、なんて言うと失礼だが、あのロン毛 意外にもシャンプーの香り豊かで、綺麗好きさん。 マイペースに起きて、朝シャンとかが長いのがいけなかったに違いない。

 時々、強引に「マイペース」な人って居る。 遅刻して来たのに、長いトイレに入って皆を待たせる。 スタッフを辞める時の捨て台詞「トイレと飯位ゆっくりさせろ!」 全てがマイペースで「超遅い」と言うのに。

 「あのぶっとい神経」この人に移植させたいと言う「気にし過ぎの人」も多いのに。 もしかしたら、次世紀に種として残る「人類」はあのタイプ?

 そう言えば○○さんは、前世紀のルーツ人間に似てらっしゃる。

 影絵(Silhouette/シルエット)のデビューLIVE

 歌姫、野口ジュンさん、どの写真見てもケラケラ良く笑っている。 僕のソラミミ話でも爆笑していた。

 LIVEのMCネタですけど、

 インドから帰って一層日本人離れしたジュンジュンさん マンションのエレベーターで見知らぬおばさんに 「どちらからですか?」と訊かれたそうな。

 これが九州の良い所 「外人コンプレックス」が少ない。  日本語通じると思っているからコンプレックスも無い というのも凄いと言えば凄いけど。

 そのお陰? で、全国有数の「国際理解」「国際交流」が進んでいる 。僕の先祖が居たに違いないシルクロードからの文物の交易に始まり。
 有名な長崎の出島に至る迄、数百年もの伝統。

 ところが、ジュンジュンさん
 「10階です!」と答えたそうな。

 
 そのジュンジュンさんご紹介の東京のギタリスト A君。 元々は福岡人。不動産屋さんを辞めて上京。音楽に懸けている。

 僕が名前を憶えないので、悲しんでいた。 僕のそれは「ソラミミ」「思い込み」と言うには酷すぎる! 相手にも大変失礼。

 インド人の長い名前はすぐに憶える。 プラジナーナナンダとかデバブラッタチョウドゥリーとか
 
 そう言えば昔から、デオキシリボ核酸とかミトコンドリアとか ミヤコングレビッチとか、プロクターアンドギャンブルサンホームとか カタカナに強かった。インド人、アラブ人にも褒められる。

 なのに、日本人の名前は駄目。 新しいメンバーや生徒さんをやっとインプットすると、酷い事に10年も居る人を間違える「脳みそトコロ天」

 何故間違えるか? 最近分かって来た。 どうも、僕の脳みそは、情報とは無関係に勝手に名付けているらしい

 細井良雄さん、と聞いていも  「何言ってんだい、どう見てもボタ山虎夫だろうに」とか
 山本陽子さんを「梨田小枝子さん」とか

 流石に、そのまま「あっ!ボタ山さん!」とは言わない。 だから脳みそがこんがらかる。

 こんがらかった挙げ句に、数秒で名前を言わねばならぬので、身近にあった名前を適当に拾って「あっ! 吉田さん!」 って何の根拠もないので、驚かれ呆れられる。

 この前はあんなに「意気投合した風」でいて、なぁんだ調子の良い人なのか と、結構深刻な問題である。

 A君は久々に「こいつは!」と思えるミュージシャン 人間も素敵。 ただちょっと「軽い」? 真面目で素直なんだけど。 それがいかん。 僕の中で「軽い男」の代名詞の
 ○○○が出てしまう。 代名詞の根拠もさほどないのだが。

 人間かくも身勝手な生き物である。 って「そこまでじゃなかろ〜もん! たいがい!」

 否、意外に前世の名前が見えるのかもしれんよ。

 そのA君の不動産屋さん時代の話が興味深かった A君と書くくらいだから、もう間違わんと思う。

 東京、関西の会社の単身赴任を多くお世話した。 なんと、退職してそのまま九州に住む人が多かったと言う。

 それほどに「住み易い」 外国人のみならず、都の人間にとっても。 梅の木を呼び寄せる程寂しがった人も居たと言うが 住み易くなったのは、明治維新以後なのかもしれない。

 相対的に。古き良き時代の日本が残された。
 
 単純に温暖でのんびりもあるだろう。 我慢強さ、根気強さでは、東北の人に敵わない。
 
 と言うか、日本一弱いかもしれない。 もう少し、根性見せたってくれ!


   
 10月16日(月)   合羽橋
 

 今日は、Latin-Oriental-Band「Mohammed-El-Wakkar & The Magic Carpet」
のレパートリーの歌詞を教わる為に新宿に。
 Blog仲間でありお弟子さんであり、頼もしい応援者さんwardaさんご紹介のエジプト人好青年M君にスターバーで90分も、歌詞聞き取り、意味、発音チェックをしてもらいました。

 その足で、10年振りに合羽橋へ。 「確かパーティーグッズ」のお店が有った様な気がして。Magic-CarpetとR&B&Modern-Blues楽団のコスチュームの為に。
 
 合羽橋はやっぱり切ないな。
 20年間に二ヶ月しか黒字じゃなかった民族音楽ライブハウス。
 メニューを考え直したり、音楽に合わせた新メニューの為に「起死回生」の想いで
 食器を買い出しに行った「道具街」

 思い通りのお店が無くて、公衆電話でYellow-Pageを見ようと思っても
 今日日電話Boxが無い!
 交番で電話帳を借りようとしたら、お巡りさんが「パーティーグッズなら浅草橋じゃないか?」
 って詳しい事をおっしゃる。
 お巡りさんのパーティーってコスプレするのか? ってちょっとおかしい。

 浅草橋はJR総武線。吉祥寺からだと、秋葉原電気街とハシゴで楽器ケースのレザーや金具。
 地下鉄銀座線の合羽橋とはハシゴ感覚がなかった。

 お巡りさんの指し示す方を歩いて行ったら、なんとお馴染みの、と言っても10年以上振り
の。 先日日記に書きました「螺子専門問屋」さん。

 閉店時間を過ぎていましたが、健在でした。

 浅草橋では、一番探しているものは無かったけれど、色々楽しいものがありました。それでも、揃い切らなかったアクセサリーを求めて、吉祥寺地元の昔からのお仲間のはるばる屋さんへ。
 なんと丁度その時、Mohammad-El-BakkarのCDが掛かっていて、
 なにやら啓示めいたものを感じました。


   
 10月18日(火)    インド人もびっくり
 

  「インド人もびっくり!」というカレーのコマーシャル
 懐かしい!

 今日宵の口、九州に衣装を発送する為にプラケースを買いに西友に走りました。 
 帰り、急いでいたのですが、乳母車の女性をエレベーター止めて待ったら笑顔の
お返し。「パキスタンですか?」と聞いたら「当たり!」
 ちょっと意外そうでした。

 「インドですか?」と聞かれ慣れてはいても嬉しいものの様です。
 インド亜大陸「通」に成る為には「インド/ベンガル/パキスタン」の見分けは「初級編」卒業試験級。

 「パンジャブ?」「NO」「スィンド?」「NO」ちょっと意外。
 「Urdu」と答えてくれました。

 映画「ガンディー」で大平原を引きずる様に歩き、すれ違う二本のおびただしい難民の列シーンが想い出されます。インド・パキスタン分離独立で「ヒンドゥー教徒」「イスラム教徒」の交換移住です。 

 彼女のおじいさんがその列に居たのでしょう。

 「民族名のない民族」 
 同じ事がギリシア独立とその後の対トルコ戦後の「交換移住」にもあります。
 

 エレベーターを降りる時「建国の歌」の一節を歌ったら、 
 パキスタン人もびっくり
 「ほんとに日本人?」

 彼女と反対側の出口を出ようとすると、今度はインド人。
 通路の真ん中に居たのですが、彼の方が「おっと、すいません」
 と流暢な日本語。 
 瞬間「南インド?」とも思いましたが、中西部のヒンドゥー教徒と判断
 ヒンディー語で「ごめんなさいね」と言ったら
 「おお! びっくりした」と流暢な日本語。

 インド人もびっくり。

 吉祥寺も何時の間にか国際的。
 同時刻に西友の西口にパキスタン人、東口にインド人
 とっても穏やかで、優しい顔つき。

 すっかり険しく、うつろで憂鬱、もしくは何も考えていないか、お気楽顔の日本人が増えてしまった吉祥寺。

 彼らの表情を見ると、懐かしいです。

 昔は日本人もあんな顔つきだった。

 先日の国際交流のイベントで大野官房副長官がカンボジアの話で
 「貧しかったが豊かだった」とおっしゃったけど、その感じ。


   
 10月18日(火)    すいません
 

  マレーシアのKL中心街で、現地の子どもが「日本人だ!」と知るや嬉しそうに寄って来て「すいません、すいません!」

 25年前のインドならばバクシーシーだったけれど、マレーシアでは違った。

 15年前のパキスタンでは日本人と見るや「イノキ!」「イノキ!」
 「イノキ!トヨタ!No.1!」運転手さんハンドルから手を離して大はしゃぎ!

 お褒め頂いた名車もかなり使い込んでて、手を離すと左に逸れる。恐!

 ならば、マレーシアで「林屋三平師匠」が流行っていた?
 ウソ。 もうお亡くなりになってました。

 マレーシアの子どもは「日本人の真似」をして僕をからかっていたのでした。
 たいがい失礼な話ですが、マレー人は素朴で屈託が無いから憎めない。

 もう、10年以上になるのかな。
 その頃迄は「すみません」「どうも」が一番話される「日本語」だった。

 昨日と一昨日、連ちゃんで合羽橋と浅草橋。

 しかも、商店巡りだから、なんとなく、昔の日本、
 昔の東京
 問屋街で消費者が卸値で少量。 有り難い事です。

 その思いがあったからではなく。

 お客のこっちが、帰り際に「ありがとうございました!」に送られる時に
 つい出る「すいません!」

 忘れていた言葉が自然に出る、何処か違う、温かさと、商売への「感謝」の思い
 そんな空気が想い出させた感じです。

 流行言葉、常套句、省略語 嫌いと言いながら

 しみついた「東京弁」?

 吉祥寺に戻ってからも つい「すいません」


   
 10月18日(火)    究極のコンガ
 

  Blog仲間さんでアマチュアのアコギ弾きさんが
 質問メッセージをくれました。

 「 コンガもギター同様、古いものほど味わいのある音を出すのだろうと
推測しているのですが、どうなのでしょうか? 近くの楽器店には新しいものはおいてあるのですが・・ 」

 結論は色々あります。

 楽器と私たちの関係

 その1「どんな楽器でも良い」「貴方が良い音楽をするなら」
 その2「良い音の楽器はやるき、練習を導いてくれる」
 その3「高い良い楽器を買うと、頑張らざるを得ない」
 
 楽器そのものの話

 その1「コンガも今やギターと同じ、一地域の民族楽器ではないから、どれを買っても同じ様なもの」

 その2「コンガのビンテージは、狂いが生じたり、隙間が出来て存在し難い」
 その3「良く作ってあったのは1970年代迄」

 昨今の問題点

 その1「LP」「Matador」「Minel」など新製品を出しているメーカーは
 東南アジアの数カ所で「同じ素材で作られる」だから一緒

 その2、唯一ブラジルのメーカーと北米の「ゴンボップス(閉店)」の1970年代が良いかも。それぞれ、南米素材、北米素材で作っていました。

 自慢話になってしまいますが、

 ゴンボップスの1960年代のビンテージを数本、
 日本のフジ打楽器のコンガを一本。 
 
 枯れてます!

 でも、コンガの「革」はギターで言えば「弦」
 消耗品ですからビンテージは無い。 よほど上手な人が毎回緩めながら大切に使っていれば、普通『伸び切ってしまう』頃からぐんと良くなる事はなりますが。
 出回る事は無いでしょう。

 自慢話&嘆き話

 かつて吉祥寺で「日本初の民族楽器専門店」をやっていた頃、
 「究極のコンガ」を二種、輸入しました。

 カリブ海ドミニカの「中古ラム酒樽」を買って貰ってわざわざバラしてコンガに組んだ楽器。 皮もカリブ牛の雄雌大人子どもを分けて。

 キューバ国立舞踊団の主任太鼓奏者の師匠は、部屋に入るなり、叩きもしないのにそのコンガを選びました。「本者 本物を知る」感動的な瞬間でした。
 が...............。
 日本人のお客さんは、金具も仕上げも雑で、皮もなめしてないから汚いそのコンガがカタログ品の倍の値段で、誰も買わない。

 もう一種、 北米のマニアックで頑固なオヤジの会社のコンガ
 「一刀彫」丸木を一本くり抜きです。
 
 信じられない位、音が深くて、余韻が美しい。
 カリブ牛の皮を張りました。

 値段は五倍。  売れませんでした。

 大赤字のまま    

 で、ごめんなさい。 
 それらから比べたら
 「似たり寄ったり」というのが正直な感想です。

 むしろ安い楽器で練習に励んで、腕を上げて欲しい気もします。
 
 「究極のコンガ」を売るとしたら

 腕前をオーディションするかもなので。


   
 10月18日(火)    雨男 を希望します。
 

  「晴れ男」って自慢げですが 、やっぱり現場が晴れていると 、お客さんも、子ども達も、メンバーも嬉しそう

 でも東京の現場で晴れだと、福岡が雨 。福岡の現場が晴れだと、東京が雨

 干し忘れたままの布団 。びしょびしょに泣きながら「お帰りなさい」してくれます。
 風邪引きます。 猫さん集めてみんなで「押しくら饅頭」
 物事全て「考え様」「思い様」

 
 もし今日から「雨男」なら  布団を干して出掛けよう!  って雨の日に布団出して出掛けないよネ
 Blig仲間のU君 布団出しっ放しで「湿った」って

 この季節、みなさん 風邪にご注意を

 ちょっと暑いかなって窓に隙間を空けてそのまま、が危ないかも

 お元気で! 美味しい季節ですし!


   
 10月18日(火)    来ん!
 

  方言大好きです。
 東北のほのぼの、九州の温か。
 江戸のやせ我慢

 九州には好きな方言たくさんありますけど 「来ん!」
 が好きです。 「行かん!」よりなんだか、良い
 初めて「来んどき!」 って聞いた時

 「今度来!」と聞いた。  正解を聞いた後でも、
 「絶対来るな!」じゃなくって「又今度にしてよ!」って感じに聞こえる。

 「来んかね?」 も、暇とその気があったら、来れば? っぽくって、 むしろ行きたくなっちゃう。

 「コンカネ」で連想しちゃうのは、西インド・ゴア地方の方言 「コんカネ弁」否、「コんカネ語」かも。 「ん」は「ン」と「ヌ」の間の発音。
 「インドで一番綺麗な言葉」とも言われ、映画主題歌「世界一録音」  でギネスにも載っているラタ女史の故郷。 ポルトガル宣教師も多く、インド音楽風賛美歌もあります。

 「来んしゃい」も好き。  先に心が飛んで行ってしまいます。

 九州では、なんだか、「行け」より「おいで」が多い様な  思い込みかしら。

 先日Blog仲間さんの日記に居酒屋「村さ来」の言葉を見つけて懐かしかった。

 はじめは「むらさき」と平仮名だったと記憶します。 江戸っ子には「醤油」を連想させました。 しっかり浸透した頃に「村さ来」に変わったのが予定していたのならば 絶妙!と関心しました。
 
 本社にお電話して伺いました。 急なお電話でしたから 「村さ来」が何処の方言かは不明。
 創業者さんは根室ご出身。親会社さんは讃岐 。とっても丁寧にご対応頂き嬉しかったです。

 おっと!

 想いを居酒屋に馳せる前に  一仕事二仕事せねば

 至福のビールの時が来ん来ん


   
 10月18日(火)    間に合いました 。
 

 
 週末に福岡に届く為には、今日の日没がタイムリミット
 毎度の事ながら、ギリギリで気合いも気力も充実の悪い癖。
 
 竹屋さんには香り高い青竹が入荷 。5、6m程の竹七本を 4、5本に切るのを15分で。
 
 飛んで帰って、梱包して。 途中で円材も買いに行って。また戻ってからロープもないって
 
 「泥縄」

 にも関わらず。 間に合いました。
 「同じ仕事量」  ゆっくりやっても同じ量
  急いででやっても同じ量。否、仕事量って仕事 X 時間でしたっけ?って事は ぐずぐずやった方が、収入は良いのか?

 ああ
 
 なるほどね

 器用貧乏暇無しで、慌てるなんとか貰いが少ない 。時には事をし損じる

 でも、今回の竹は、子ども達が「トランペット」にするものだから
 切り口は迅速かつ丁寧

 心を込めました!


   
 10月24日(水)   オリエンタル音楽
 

  先日のベリーダンスとの共演そその前後に複数の方に言って頂いた。
 「そこまでのレベルでアラブ音楽出来るのに、勿体ない」の言葉に対して思う事。

 演らねば、の思いもありますが。なかなか。むずかしい。
 応援者さんの中には「彼らの土俵に下がる必要もない」と言う方も居ます。

 人が見向きもしない頃に民族音楽を始めて居ましたから、見られ方「自意識」「理解される、されない」は本来あまり気にしない人間です。
 この数年の日本と現地の状況に「危機感」を感じる迄は。

 確かに「違いが分かる人ばかりではない」ですから「彼らと交われば周りの格、株を上げ、自分を下げる事になる」と言う考えも分かります。
 
 が、それ以前に、交わりたくても交われない。彼らに「音楽」を感じないから。 「音楽」というより「作業」。「塗り絵」の様な。
 「音楽が好き」と言うより「自分が好き」という人達の醸し出すオーラの中に入って居られない。その割には「個性的」な人は少ない。見た目が「変」は「個性的」ではない。
 それならば「学ぶ謙虚さ」がある生徒さんとの方が遥かに楽しい。

 一度でも「あちら」の音楽に混じってしまった人は、戻って来ても何かが違う。 上辺っぽくなるだけなら「若林が本音を引き出してやるさ!」とも言えますが、そうでもない。
 「表面の音」ではなくて、その「内面の何か」が変わってしまって、逆に「引き出す」どころか「しまっておきたい」位に。
 ならば表面的な物で我慢するか? ところが、それほどの「表面」を持っている人も少ないし、そもそも「表面的」は若林の「音楽」じゃない。

 先日も思いがけず、東京のオリエント音楽シーンのライブ写真を見せられました。
幾つかの楽団を見ましたが、皆「同じ顔」に見えるのです。
 かなり怖かった。

 インド音楽の人達の「同じ顔」とも似ていてちょっと違う。
 インド音楽の場合は「落ち着いた音楽」である分、その暗さ、おタクさはむしろ「インドっぽい」からどうにかなりますが、オリエントやベリーダンス音楽の場合、紛れも無く「明るい音楽」だから怖い。 
 その内面の本性と不釣り合いな賑やかな音楽。 目が死んでいたり、どの写真も無表情。

 以前に「利きジャズ」の話を書き、続けて「利きインド音楽」の話を書きました。
 「誰?」と分からない状態でも、その真贋は数秒聴けば判る。

 逆に「写真で聴く」という新しい手法を思いがけず思いつきました。
 顔だけ見て「どの人が演奏家?」
 「どの人の音楽が聴いて楽しそう?」
 そして「どの人の音楽がインド音楽で、どの人がオリエント系?、アフリカ系?」
 
 先日も人の紹介で「民族音楽系楽団」のサイトを見に行って、あまりに怖い顔なので慌てて閉じた事があります。

 普通の人は多分、見えないし、気にしない。
 そこに音が加われば、余計に判らない。
 顔に出ている「相」が判らず、「心」が判らない位ですから、
 「音」に出ているそれが判る筈も無い。
 
 元生徒さんの人柄を想い出します。
 良い所を引き出そうと頑張りました。 退学後にプロのふれこみでステージに立っている姿を見た事があります。 在学中の謙虚な表情とは打って変わっていました。
 一種独特な「共通した表情」
 人間としての「自信の無さ」と裏腹な「スキル」に対する妙な「自信過剰」
 内面的は何かに「イライラしている」にも似た。 少なくとも
 「朗らかさ」「明るさ」とは全く逆の。

 数年前、まだmixiを始めても殆ど日記を書かなかった頃。
「楽器が武器になっている」とホーム・ページに書きましたら、元生徒さんの一人に「猛抗議」のメールを貰いました。

 若林忠宏の主義は「実名で匿名批判」
 世間の逆ですから、その人の名前など書いていません。そもそも個人については語りません。
 以前も書きましたが
 「目の前に三人似た人が相次いだ時に書く」
 渦中にも、その土俵にも居ない若林の「目の前に三人が通り過ぎる」という事は、世間にかなりの数増えた事を意味するから。

 にも関わらずの「猛抗議」
 数通のやり取りの後、それなりに理解はしてくれましたし、彼自身「自分の痛い所を突かれたからの抗議であった」と気付いてくれました。
 が「今はこのやり方で頑張るしか出来ない」と言っていました。

 「そのやり方をやればやる程戻って来れない」とは言えませんでした。

 
 西友で同時刻に逢ったインド人とパキスタン人
 その輝く様な優しい瞳

 そんな瞳の演奏家が、インドにもオリエントにも少なくなってきました。


   
 10月26日(金)  「福岡・猫さんの会」
 

  先日、博多の小粋な日本料理居酒屋さんで、打ち合わせをさせてもらい、
 来年3月15日にライブをさせて頂く事が決まりました。

 ゆっくりと美味しい料理、お酒を頂きながら、色々なお話をしていたら、
 なんと、ママさんは東京時代にアフガニスタンの言葉を勉強されていた!と
 私と共通のアフガン人の知り合いが居て。
 その当時、否、今も、アフガン語を学ぶ人、歌う者はとても少ない筈。
 それが偶然にも博多でお会いするとは。

 インシャッラー
 これも「約束の邂逅」です。

 そのママさんに聞いたノラ猫の話。
 切なく、悲しく。

 「ノラ猫を増やさない虚勢・避妊手術」「今居る野良猫の安全と延命の為の努力」
 「飼い猫の外飼いの習慣を変える」
 
 これを第一目的としたささやかな運動を始める決意をしました。

 Bligの中と、このホーム・ページの中にもコミュニティーを立ち上げました。
 どうぞ、意に感じた方は、奮ってご参加下さい。
 様子を見よう、という方も、それぞれのお立場からで結構ですので、
 ご意見、情報を宜しくお願いします。