diary 2007 

 Music & Life  September 2007

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 9月2日(日) 天本英世さんと「望月博士」
   Blog友達で、ミュージシャン 。男としてもとっても僕好みのYさんの日記に
 「天本英世さん」の文字を見つけて、 ついつい懐かしくてお邪魔し、コメントいたしました。

 天本さんの朗読と僕のアラブ音楽の共演 。リハーサルで大喧嘩した事。 その後何故か都心の地下鉄で数回ばったり逢う。

 そしてMXTVで再共演。
 僕が天本さんを指名して 天本さんも快諾してくれて。

 「死神博士」から話が転じて
 NHKドラマ「タイムトラベラー」の「望月博士」 のお話をしたら、
  僕も見た事が無かった写真を見せてくれました。

 1972年頃 民族音楽を始めた頃 、東欧や南米の演劇と交流していた父を意識して
 「張り合っている」と思われたくなかったから 一番接触しなかった時期。

 番組も観た記憶がありません。

 寺山修司さんに認められていたという事もあったでしょうが TVやラジオの仕事を頑張っていた一時期 。どちらかというと「柄にもなく」

 もしかしたら家族の為に.............。

 そんな風に思えたのは、ごく最近。二三年前です。

 http://homepage2.nifty.com/nino-p/time8.JPG

 そこには私より三つ若い 父が居ました。

 

 

 9月2日(月)  「鋲螺」
   その昔、民族楽器にはケースが無いものだった。
 だから自分で作るしかなかった。

 インドで楽器の「布袋」さえ、買うとばか高い。
 各自の家で母親とか、ご夫人が手縫いしてくれる。 買うのは「観光客」「外人」だから高い。
  アフガン国境の空港で警備隊に耳を引っ張られて連行されたのは 、そもそも楽器店が新聞紙一枚くれなかったから。
 中国でパスポ−トをスリ盗られたのも 、蛇皮太鼓に新聞紙しかくれなかったから

 ウズベキスタンでは大成功!
 東京から「買うぞ!」と決めた楽器のケースを自作して持参した ハバロフスクの税関で説明が大変だったけど。

 そんなお陰で、楽器ケースの「外張りレザー」や「内張り」「取っ手」 や「パチン錠」などの問屋さんを良く知っている。

 ネジの製造問屋さんで弦楽器のViolaのマークの会社がある。
 社長さんに伺った「社長さんがViolaを演奏されるからですか?」

 答えは「駄洒落」だった
 ネジは「鋲螺」と言う。 螺旋状になった鋲 
 凄いネーミング。

 ネジリン棒 ガチャ玉 も漢字が在れば貫禄を得たかも

 捻自臨棒  我着玉    ????

 最近西友とかでも見ないのでちょっと心配

 ラベルにViolaのマーク
 なんだか「良い楽器ケース」が作れそうな気がして
 嬉しかったのだけど。  

 
 9月2日(日) Roots
    Roots
 アメリカ人作家アレックスヘイリー(Alexander-Palmer-Haley/1921〜1992)の小説を元にしたピューリッツァー賞受賞TVドラマ。
 1977年。私の「第一期Blues-Band」が解散した年。日本初のアラブ音楽楽団を始めた年。
日本初の「民族音楽専門ライブスポット」を始める前の年。ヒカシューにも属していた。
 ガンビア生まれのマンデンゴの少年クンタ・キンテが主人公。
 Bluesの担い手の黒人とアフリカを結ぶ物語を、食い入る様に見ていた。

 Blues〜Jazz〜R&B〜R&R
 おそよ黒人(アフリカ系アメリカ人)の音楽を根幹とするジャンルに通じる個性
 「Blue-Note」と「12小節」
 メジャー音階(長調)とマイナー音階(短調)の決定的な区別は、 三度(C調のミ)/(六度)/七度(C調子のシ)が♭するか、しないか。
  ところが黒人の「音感」では「メジャーであっても」 3rdと7thが「微分音的に低い」
 アメリカ人ミュージシャンに聴いた話。 日本人のBluesやJazzも随分「上手」になった。 けど、表面上のテクニックではフィリピン人に叶わない。 しかし、どちらも聴いてすぐに分かるさ。 「Blue-Noteが下がり過ぎる」

 日本でアラブやトルコの音楽を演っている人ならば.......... 。もっとも1977年〜1990年位迄は自分とその生徒の他には居なかったが 誰でも知っていると思うが、アラブ、トルコの音楽には「メジャー音階」がない。
 
 西洋譜を19世紀に取り入れてそれ以後に発展した「トルコ古典音楽」を別格にするとアラブ旋法マカームの基音の「実音」が何であったかの「確証」は無い 。 しかしながらC調、G調、D調に近い音階でも、3rdと7thが「四分の一音」下がるので いわゆる西洋風の「メジャー音階は無い」と極論出来る。

 ところが、広大なアラブ世界の地域によって「四分の一音」の高さが違う。
これは意外に知られていないし、現地でも演奏家各自が「これが正しい」と言っているから、より広く検証しないと分からない。 「全アラブ音楽会議」が戦後数回行われたが、互いに「へー!」で終わった。 「何処が正しい」などと言い出したら紛争になるからだろう。

 「Bluesは虐げられた黒人の嘆きを歌った」
この様な紹介文はさすがに少なくなって来た様に感じる。
 
 白人及び、白人社会で活躍していた黒人音楽家のフィルターを通して紹介された頃の「印象」「売り」のイメージが強かったが、一時期の黒人は、白人中産階級や農民よりも「遊ぶ金」を持っていた時代もある。

 だから「レイス・レーベル」などと言う凄いネーミングのレコード産業が発達した。
 
 
 明日、明日、必ず会いに来ておくれ
 明日、明日、必ず会いに来ておくれ
 その瞳に誓って約束を守っておくれ

 一行目を必ず二回歌う。異なる「旋律」で

 
 君が愛しちゃいないなんて知ってたさ
 君が愛しちゃいないなんて知ってたさ
 だけど俺は何処にも行きやしなかった

 そっくりな構造。

 意外な歌も似ている。

 咲いた咲いたチューリップの花が 
 並んだ並んだ赤白黄色
 どの花見ても綺麗だな

 
 三つ目は、歌詞が異なるが、メロディーは同じ
 一番目と二番目は、歌詞が同じだがメロディーが異なる。
 二番目はそれに準じてコード(和音)が四度高くなり、三行目で五度に上がって戻って解決する。

 三つとも、自然に12小節になる。

 二番目はBluesのとある有名曲だが、一番目はアラブの歌のひとつである。

 ペルシアで生まれた「二行連句」の「叙情詩」がアラブでも流行した。 その後にアラブ化して行く中で、二行目だけは繰り返さなくなった。 イスラム王朝期のスペインを経由して、ヨーロッパの吟遊詩人 Troubadoursの歌にも影響を与えたという。

 クンタキンテの故郷のマンデンゴの国にも吟遊詩人が居る。
 その昔、大きく栄えたマリ帝国やソンガイ王国は、イスラムに帰依し、遥か東アラブと交易ルートを持っていた。 既にアラブ・イスラム化していた北アフリカとは密接であった。
 サハラを自在に縦断、横断出来たのだ。

 もう既に多くの人が知っている事と思うけれど、彼らの太鼓ジェンベは、アラブ太鼓ダラブカ(タブラー)が伝わったものである。

 カリブ海に連れて来られた西アフリカ民族は、カソリックの祭りの「無礼講」で伝統民族音楽を継承する機会に恵まれたが、プロテスタントの北米では厳しく禁じられた。
 もし北米ももう少し永くカソリックが支配していたら................。
 しかしながら、吟遊詩人の「音感」と「12小節」の感性は根強く残って居た。

 この「伝統」と「制約」を見事な「器」にして素晴らしい名曲を残した者も居れば、
「制約」をはみ出しながらも、その「精神」「感性」の根源的な力で「納得」させた天才も居る。  
 30年以上も 自分の中で「Bluesとアラブ音楽」を結びつける事はしなかった。
トルコ音楽とギリシア音楽でさえ、インド音楽とパキスタン音楽でさえ。 インドネシア音楽とマレーシア音楽でさえ。

 「似てて異なる」その違いを重んじたかった。

 ましてや、宗教の壁と大海原と数百年の時に隔たれた音楽が結び付き様がない。が、やっと、その第一歩が「自然」:に歩み出せそうな気がする。

 日本の「Maghreb(アラブ語で「陽の沈む処」)」九州で
 9月16日
  10年振りで再開した、私のBluesの楽団
 三つが出演。 二つはデビューLIVE

 9月5日(水) 東京でも嬉しい出逢い
    嬉しいお友達と出逢えました。
 9月3日(月)MEGA-LOVE/One-Soul-Lovers/そして一緒に組んでいる影絵(Silhouette/シルエット)のVocalist野口ジュンさんが、東京で活躍しているギタリストA君を紹介してくれました。一目会って「あっ!この人は!」  と思ったら、やっぱり福岡出身。

 シタールをちょこっと聴いてもらったら、むちゃ喜んでくれて。
 彼の他にも「紹介したい」と言うか「一緒に演りたい!」パーカッションの人、タブラを叩く人が東京に居る!という嬉しい話。

 福岡の20楽団に比べたら、東京では1〜2楽団しかありません。
 でも、「民族音楽フュージョン楽団 TIKA」にも「入りたい!」というメンバーが増える一方。
 そこに影絵(Silhouette/シルエット)の「東京版」
 あらたなユニットが出来るという嬉しい話です。

 A君が思わず言った言葉「シタールって絶対宇宙と繋がってるよね」

 確かに、初心の人が弾くと「鳴らす」「音を出す」のが大変な楽器
 35年もやっているとギターやウクレレよりも楽に音が出ます。

 「自分が弾いている」感覚は年々薄れて行きます。

  9月5日(水) 何時も梨をありがとう!
 

 今年も千葉の梨が届きました。

 本当に嬉しい ありがとうございます。
 
 秋に弱いのですが、 毎年のこの贈り物で どれだけ頑張れている事でしょう。
 お世話した年数の遥か数倍。毎年送ってくれる 元お弟子さん
 応援の心をしっかり受け止めて 毎年頑張っています。ありがとうございます。
 今年後半も頑張ります!

 「マクロビオティック」という言葉が聞かれる様になる遥か前 、20年以上前から「季節の食材を食べないと」 「具合が悪い」というか「機嫌が悪い」と言うか「元気が出ない」 というか「落ち込み易い」

 去年は二三個だったスイカは今年は隔日に食べていた様な 。桃も多かった。 もしかして「豊作」?「良作」?  美味しかったし、少し安かった様な。

 葡萄は大好きだけど食べません。  「剥きもの」は申年には禁物。  止まりません。
 去年はミカンに手を出してしまって、どれほど仕事が遅れたか。 おかげで病気しませんでしたが。

 毎年秋は大丈夫
 
 そろそろ柿と牡蠣の季節 ああ〜鰹も

 がんばろ!

 9月5日(水) やっぱり晴男
 

 ViViのお迎えに出る時、霧雨
 細かな、 でも粒の割には重たく早く降る雨が
 クワガタ採集に出かけた夏休みの雨と同じ雨

 病院を出る時にすっかり止んで。
 ViViは濡れずにすみました。

 母屋の子達は「トンネル型キャリーバッグ」 なので、自転車の前籠に縦に押し込んで。
 目と鼻の先に居ます。

 チャメとViViは「上開き」なので、後ろの荷台にくくり付け
時々振り返って「ViVi !」って声を掛けると 返事してくれます。
 吉祥寺についた途端に大雨 。ViViはほとんど濡れず。 僕はびしょびしょ、ちょっと手前。 この一年、二年。 たいがい本番や移動の時は晴れてくれます。 「そんな事で運を使い果たし」 とおっしゃる方も居そうですが。

 ViViに役に立ったので。
 先日のマリノアでも 百道で大雨。 過ぎると晴。予約の子ども達の役に立ったし 。

   
 9月5日(水) ちょっと寂しい
 

  近所のストアー。高校生位の頃からお世話になっていて
 子どもの頃にあった「清風チェーン」も前身の一つじゃないかな?

 最近「段ボール」くれなくなった。 「新店長の指示」だそうな。
 大工道具売り場のレジが無くなり、家具売り場と合流 。てんてこ舞い。
 仲良しになった中国留学生アルバイトの姿が見えない。
 僕の中で勝手に「嫌な奴」 どこにでも居る「俺が来たからには!」って張り切る輩
 果たして貴方とゴーンさんはどれほど近いご資質か?
「何か目に見える変化」をして「仕事振り」というのは、 仕事内容によりけりではないか?

 アフリカの或る地方の太鼓合奏では、カウベルなどがその良い例。
 僕は「村の巡査」と言っている。
 ポリリズムと自由な遊び感覚の「リズムのズレ」を楽しんでいる 。そんな太鼓達が、さすがに遊び過ぎでスレが大きく成ると、 「カンカンカカンカ!」と巡査が存在感を示す。
 それまでは、自転車に乗ってのんびり村を巡回
 「やあ!おばあちゃんごきげんよう!」「おまわりさん!お茶でも飲んで行かんかね」
 何もする事がない事が良い事

 とかく、日本人の「真面目さ」と「依存心の強さ」が合わさると 「ファシズム」に弱い。
 「平和な今日」と言いながらも、 カウベルに合わせたがる。 

 ところが昔、江戸時代〜明治? の日本人は違った。
 「四人囃子」の五人目の「拍子木」
 「俺に合わせろ!」じゃない。 西アフリカ的。 実にそっくり 。パート名を「ヨスケ」と言う。 「四人を助ける」 。若手が渾身の撥を振り下ろす最中 長老が、のんびり、気楽に叩いている。

 民族音楽のPA
 やっと最近少なく成ったけど、曲の最中で「音いじるなよ!」 一曲が長いから、しなくて済むと、全く「仕事が無い」 Sound-Checkしたんだから、たいがい大丈夫だろうし

 こちとら君が生まれた頃から演ってるんだから、 ライブハウスも20年やったし、 マイクとの距離だけじゃなくて角度でも微調節するんだから、 「じっとしておいてぇな」 だいたい音楽の中身分かってないんだから、 今は「小さく弾きたい」の! 上げるなコラ!

 僕が新店長だったら
 お客に分からない改革から始めるけどなぁ 。店員さんも表情変わったし。
 相変わらずの人も居るけど。 相変わらず「使えない」人だけど。
 
 仕事出来る人は抜けて行ってしまうよ。
 
 僕が総理大臣になったら!
 日本を「江戸時代」に戻す。

 目に見えて「変化」し過ぎ!!!!

   
 9月5日(水) 楽譜書きと大工仕事
 

 9月16日デビューのChicago-Blues-Band「Bull-Frog-Blues-Band」と R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」 の欲張って新曲やら、 アジアマンスにレギュラーメンバーが出れない代わりのサポートメンバーさん用の楽譜に、9月26日の西日本工業倶楽部でデビューの
East meets West インド・シルクロード音楽と日本の邦楽の共演楽団の楽譜書き、昨年の楽器引っ越しも10ヶ月掛かりましたが、なんでんかんでん「永い」
なかなか終わらない。 そんな気分の毎日。でも何時かきっと終わるのだけど。
 
  その最中に、引っ越し荷物の楽器が詰まった段ボール。猫さんが乗っかってへこんで、湿度温度変化でガムテがはがれ 箱が崩れ、おしっこもされて。
  貴重な楽器がヤバいです。

ベニヤに角材で補強した、軽量かつ比較的丈夫なタンス大の簡易ケース。 中に入れたり吊ったりで、無駄なくスペースを活用、 キャスター付きで。ジャンル毎に分けるので、 のまま「展示会」に搬出出来るというアイディア。
 きっとこれも数十個作るはめになるのだろう。

 東京で九州で。 ほんとは名古屋でも。

   
 9月6日(木) Blues-Manと呼ぶな!
 

  インド音楽のお弟子さんで、かなり良いところ迄行ったのに
 「やっぱり僕の目指す音楽はファンクと分かりました!」って辞めてしまった。
 二十年程前の話。
 
 同じくシタールのお弟子に「ギターが弾けるならアラブ弦楽器で手伝って!」と半ば強引に。 結局シタールを辞めてアラブ弦楽器の日本の第一人者なんだそうな。

 ジャンルって何ですか?

 キューバに行った友人が分厚い手書きの手紙をくれた
 「東京のラテン音楽仲間の間で若林さんの評価は低かった」「なんでシタール奏者がラテン演るんだろうね」「あのトレースはシタールぽいし、コンガもタブラっぽい気がする」
 「僕もそう言われてそんな気がしてました」「が、キューバに来てみたら、若林さんだらけでした」「Musicoと呼べる日本で貴重な存在です」

 嬉しかった。「Musico」という言葉を学び、支えとなった。
 ジャンルではなく「音楽」をしている「者」

 日本で初めて位「動くロックミュージシャンの姿」がTVに写った。
 MTVの前身? 
 クラプトンとバディー・ガイのギターバトル
 バディー・ガイが何を弾いてるか分からなかった中学生の僕は
 「やっぱクラプトン凄いや!」「それに対して黒人の方は.......」

 同じ様な事を日本人のコンガの師匠が言っていた。
 日本人としては「草分け」的存在の御仁。
 「アメリカ、メキシコ経由のラテンを聴いていたから、キューバやブラジルの本物を聴いても上手いと思わなかった」「やっぱ黒人は教養が無いんだ、と思っていた」

 僕のシタールの師匠も同じ
 あの当時でさえ、インドの聴衆が既に理解出来なくなっていた。
 18世紀のスタイルと、枠を超え、はみ出すリズム。収まり切らない音楽性。それを圧縮して演奏する技量。集中力。

 一拍に九音入っていたりする。

 
 「方眼紙」に書いた様な。 「塗り絵」をはみ出さないのが「上手」な様な
 そんな音楽で「ジャンル」を語る。

 一方で、インド音楽にも細かな「流派」がある。
 日本の伝統音楽で最も最近迄アバンギャルドだった「流儀」「新内」に至っては
 「お家騒動」も加味されて、微妙な「流儀」「作風の違い」の確立に努めた。

 インド音楽ではそのプライドから命を絶った名人が居る。
 舞台の下に隠れて盗み聞きした商売敵が「先手」を打ち、禁断の技しか残されなかった。
 相手が「流儀」を「パクって」も彼はしなかった。
 演じ終わってその場に倒れ、三日後に息を引き取った。肺が破裂していた。

 「ジャンル」とはかくも「高尚」かつ「命がけ」のものなのだ。

 
 楽器収納タンスの材木を買いに、隣町のホームセンターに
 なんとBluesのDVDが何気に売られている。¥980で。

 Clarence Gatemouth Brown

 「門」の様にでかい「口」で有名らしいが、目も鼻も でかい!

 「ジャンル」とは、
 おそらく200年も前から「売り手」が言い出したもの。
 差別用語だった「ヒルビリー」
 明らかに差別用語なのにジャンル名と成った「レイスレーベル」
 日本にしか通じなかった「リンガラ・ミュージック」
 
 ゲイトマウス・ブラウンを「ジャンル」で紹介した日本のレコード会社は、

 モダンブルースの旗手 テキサス・ブルースの異端児
 とかなんとか。

 昔から大好き

 と言うか、正直なところ、ギター&ヴォーカルは「大好き」だったけど
 突然ヴァイオリンでブルーズを弾いたり、挙げ句にケイジャンやカントリーを弾き出したりするところは「無節操」で.........。10代だった私は、かなり「引いた」

 ところが、最近、ラテン楽団の「管楽器」聴き取りやアレンジをする様になって
ゲイトマウス・ブラウンの編曲者、バンドリーダーとしての秀才振りを思い知った。
 
 「カタログから選ぶな!」「口上に騙されるな!」と言いながら、
「紹介文」や「レヴュー」の仕事もしている。 「お世辞」は書かない。
 昨年の「レコ芸」のレビューなんて発売元から嫌われただろうほど。

 ホームセンターで買ったのに、日本語解説文にも感動した。
  残念ながらライターさんのお名前はありませんでしたが、

 
 「年齢を重ねるごとにそのサウンドは、滑らかな懐の深い彼独自の音楽になって来ている。『俺の事をブルーズマンと呼ぶな!』が口癖だったというのも頷ける」

 

 温かくって、繊細で。
 パワーが在って、優しくて
 スピード感があるのに、余裕で。

 「こんなオヤジになりたい!」

 とあらためて。

 Clarence Gatemouth Brown

 のでかさは、「口」でも「目」でも「鼻」でもなく。

 9月16日デビューの
 R&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」
 あやかってつけさせて頂いた名前です。


   
 9月7日(金) 中学生から勉強し直し
 

  学校の勉強というものは、常に与えられて「ひいこら」教わってきたけれど。
 専門家や現場の先生から見れば、たくさんの問題点はあるだろう。だけど、今頃になって振り返ってみると、
 なかなか良く出来ているとも思う。
 意味が分かって、やっとそう思うのだけど。

 小学校の勉強は「これは、これ!」「それは、それ!」
 意味迄は教える必要がない。

 私が最初に発した言葉は「こえなえこえ?」
 「この子は大丈夫だろうか?」と親達が心配する程
 しつこく、繰り返され、みんな「閉口」「へとへと」になったらしい。
 「これは、これ!」「それは、それ!」は、幼稚園上がる頃には「終了」していたのかもしれない。  旺盛な好奇心と飽くなき探究心の塊の
  「世話のやけるうるさい子ども」

 小学校で落ちこぼれた訳 。「理由」「意味」を知りたかった。  その「特殊性」は虐めに拍車を掛ける

 中学校の勉強は面白い
 「意味」や「理由」迄は教えてくれないけれど 「仕組み」「システム」「理屈」を教えてくれる。 勉強が好きになって、急に成績もあがった。 端から見たら「気まぐれ」だったらしいけど。

 高校の勉強は大変だ 「専門的」過ぎると思う。

 「基礎」が出来ていれば「分かる」か?と言っても 「小学校」「中学校」でその「基礎」が学べたとも思えない
 高校に上がる迄に、身につけておくべきだった事は 「疑問に思わず話を鵜呑み、受け止める集中力」 「下手に自分の頭を使わない」 「心で理解」などはとんでもない。

 
 ひたすら「記憶」の「受験学問」 身に付いていないと、 思い知らされ、打ちのめされる。
 それが「主旨」だとしたら、絶妙かつ巧妙である。

 中学校の勉強は面白い
 国語も、理科も、歴史も、英語も、嫌いだった数学さえも
 「図形」が面白かったからかもしれないけれど。

 酸素は「O」水素は「H」で「H2O」の水
 小学生の私だったら、
 「なんでO2Hって言わないのだろう」で頭が止まって付いて行けなかった

 
 酸素は「O」水素は「H」
 それぞれ原子はそうなのだけど、分子として存在するには
 「O2」「H2」だったりして、
 それが複合的な分子になると「O」一つでもHと組んで「水」になったりする。

 今更ながら、感動的。
 人間関係の「原点」の様だ。

 
 人はあれこれ色々悩み、考え、語り、論じては居るが、
 結局は「中学校レベル」の原則から、そんなに遠くないのではないか?

 「小学校で優秀だった!」

 素直で、真面目な「良い子」であったのだろう。 基本的に好きなタイプです。
 

 「中学校で優秀だった!」

 ちょっと「生意気」「理屈っぽい」かもしれないけれど、 気が合うに違いない

 「高校で優秀だった」   きっと気が合わない

 「大学で優秀だった」きっと出逢わない

 「会社で優秀」

 うぁお!

   
 9月10日(月) へそくり
 

  生まれて初めて「へそくり」をした。

 洗濯機の調子が悪いのと、猫さんに粗相されたバッグを洗った時に一緒に洗ってしまった飛行機の荷札がボロボロになって、「これではジーンズに紙屑が着くソ」と懐中電灯で照らしながら掃除機でチェック。

 すると、回転底の隙間に硬貨が幾つも挟まっている。
 なるほど、調子が悪い訳である。
 全部で830円。 生まれて初めてのへそくりである。

 使えないお金ならば、他にもある。
 初めてのCDが売れた時に、ギリシアの友人が「記念だ」と自分の名前をサインしたお札。祖母や母が「とって置きなさい」とビニール袋に入れてくれた「旧千円札」「旧五百円札」「二千円札」使えないならばお金じゃない。

 「へそくり」
 ってどういう意味? と初めて調べてみた。
 へそのゴマの様にいつの間にか溜まっているお金位にしか思っていなかったから。
 
 なんと「へそ」違い。 「へそ」とは「糸紡ぎ」の道具らしい。
 倹約したり、内職をして、慎ましく「貯めた」お金。
 
 「こっそり内緒で貯めたお金」ではないらしい。
 勿論「洗濯機のお金」も「へそくり」にあたらない。

 と言う事は、未だに「へそくり」はした事がないのか。
 
 しかし、
 基本的に小銭をポケットに入れたりしない筈の自分。
 なんで洗濯機に在ったのだろう。

 猫さんの誰かの「へそくり」なのかもしれない。

 だとしたら、こういう不思議な事をするのは、
 虎之輔に違いない。


   
 9月10日(月) 懐のでかいオヤジ
 

   Clarence-Gatermouth-Brown(1924〜2005)の曲
 DVDのオリジナルのIndexにも「I feel Airtight Again」とあるが、どうにも「Allright Again」にしか聞こえない。

 私の英語の「家庭教師さん」アメリカはシアトル出身の教養溢れるおば様ですが、フラメンコとアラブ音楽と、なんとBluesが大好き。 私の吉祥寺教室にウードを習いに来ていますが、レッスン後は逆に私が生徒。 歌詞を聞き取って貰ったり、発音チェックや歌の意味。 東京の有名な「英会話スクール」の講師さんです。
  東京で英語の家庭教師を見つけるのはそんなに大変じゃないかもしれません。仮に10万人居たとしましょう。居そうです。 が、その先生が私に「民族音楽を習いたい」と思う人は、まだ私の事を知らない人が多いと想定しても、10人も居ないかもしれません。その中で、今の私の楽団プロジェクトに一番助けに成る、英語、スペイン語、Blues、Flamencoに通じている先生ともなると。10万人に一人の確立!は決して大げさではありません。 積み重ねて1.5mもの「Blues-Magazine」を持っているというから、本物です。

 その先生も「All Right」にしか聞こえない、と言います。
大好きなゲイトマウス・ブラウンにちなんで着けたバンド名のR&B&Modern-Blues楽団「Heart-Gate-Blues-Band」のデビューLIVEのOpeningに歌おうと思っています。
 DVDのゲイトマウス・ブラウンは、とっても楽しそうに、嬉しそうに歌っています。

 Rumba-Blues楽団「Caribbean-Blues-Band」のメイン・レパートリーは
やっぱりT-Bone-Walker。 テキサス・ブルースの雄であり「モダン・ブルースの父」とも言われます。 分かり易く言うと、金管楽器のホーンセクションの導入やJAZZ-Guitarコードの導入。Ballad進行曲や,Swing感の有るShuffleを導入したのが「Modern-Blues」有名なB.B.Kingなどもその典型です。
 その他、Modern-BluesとJazzの接点に位置する「Jump-Blues」や「Jive」
Otis-SpanやGuitar-Slim、Pee-Wee-Crayton。ちょっと外れをお許し頂いて、いずれはIke-TunerやOtis-Reddingの曲も。

 ある意味「何でもあり」的なブルースがモダンブルースですが、ちょっとこだわってシカゴやミシシッピの雰囲気は割愛しています。

 ゲイトマウス・ブラウンのストーリーを読んでいて感動する話は沢山ありますが、 T-Boneが「Stormy Monday Blues」のヒットで一躍大人気になった、とある劇場にたまたまオーナーの友達かで居合わせ。ところがT-Boneが急に体調を悪くし舞台に上がれなくなって。なんとゲイトマウス・ブラウンはT-Boneのギターを手に急遽ピンチヒッター。大喝采がメジャーデビューのきっかけだと。

 「I feel Airtight Again」だか「I feel All Right Again」だか???
ニッカニッカ笑いながらもブラスセクションとは綿密なリハーサルをしたっぽく。流石のショーマンシップをちらっと見せながら、お客さんの目には、始終楽しそう。
 顔を左右に振ってリズムを取るのは、悔しいかな真似出来ません。
 「逆上がり苦手」の「うずまき管」が弱いので...................。

 昨日あの娘に久しぶりにあったよ。 全く変わってなかったし。 
相変わらず俺の事を愛してるってさ。 ったりめぇよ。
 んで、今日電話したんだよ。 すると知らない男が出てさ「番号違い」だってさ。
 
 嬉しそうに歌います。

 「I feel Airtight Again」だか「I feel All Right Again」だか???
 
 真逆の意味になりますから、もしかしたら、歌では「All Right」でタイトルでは洒落で「Airtight」にしたのかも。

 Bluesは結構、真逆の洒落が多いので、江戸っ子気質にぴったりです。

 Clarence Gatemouth Brown

 2005年の今日 9月10日 テキサス州オレンジCityで亡くなっていました。

 81歳は、路上でチンピラや、酒場で彼女に刺されて、もしくは、売れて来た矢先に心臓疾患、など「若くして」の話が多いBlues-Manにしては「大往生」と思っていましたが。

 Blues家庭教師の先生曰く、2005年8月末のあのハリケーン「Catrina」で自宅が水没し、救助されるも病院で亡くなったとの事です。
 あれだけ、人を楽しませ、元気にさせて来た人の逝き方にしては、惨い気がします。

 1984年のLIVE-DVDのあの明るさと笑顔。 
 10年後、あんなオヤジになれる事を目指して。頑張りたいです。


   

 9月11日(火) お問い合わせ

 

  昔から.......かれこれ25年ほど前からあった事ではありますが、まるで官公庁、役場の「案内窓口」かのごとくに 「○○の楽器を欲しい」「○○の楽器の名前」「弾き方」を教えろ!と高飛車な電話。けっこうあります。

 私も大概「質問魔」で、初めて発した言葉が「こえなえこえ?」 なんでんかんでん、指差しては聞いて、大人達を「うんざり」させました。 未だに「質問魔」で、そこに「健忘症」がありますから、同じ事を何度も訊く。
 そうやって人様にご迷惑を掛けた「罰」でしょうか? でも、聞き方、聞くべき事、聞くべきじゃない事も、子どもの頃から「質問魔」ですと、大概学んでいます。
 
 昨日突然PCに来たメール
 「新潟の○○ですが若林さんはなぜ民俗楽器演奏者になられたのですか?」
とたったこの一行。  
 記憶に無い。でも憶えていなけりゃ失礼なお会いした事のある方かもしれない。「ごめんなさい、新潟の○○さんて、何時お会いしましたでしょうか?」と返事をしました。

 すると

 「残念ながらまだ若林さんとはお会いしていないです。でも、いつか必ず若林さんの演奏を見に行きたいと思っていますが若林さんがなぜ、民俗楽器演奏者になられたか知りたいのです。よろしいお願いします。」

 「ファンの方」と思えなくもないので、「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)を是非読んで下さい、とお返事しました。 その後「分かりました」も「ありがとう」のお返事無し。

 私の中では、

「民族音楽演奏家」出来れば「民族音楽音楽家」 は、歌も歌い、民族音楽の中身、背景、心にも着目している人。 当然、複数地域に渡って。一地域だけでは「木を見て森を見ず」分かり切れません。私も尊敬する「民族音楽演奏家」は、世界に二三人居ます。

「民族楽器演奏家」
「演奏家」と言う限り、本来ならば色々な意味でプロフェッショナルを意味しますが、西洋クラッシック音楽やポピュラー・ミュージックほど、成熟していないので無理。たいがいは「民族音楽」を知らなくても「民族楽器」を弾いている人。
 それが「悪い」「間違っている」とは言い切れません。
例えばGuitarは元はスペインの民族楽器ですが、今やギターで何を弾いても怒られないのと同じ。だから「○○音楽演奏家」とは言えなくても「○○楽器演奏家」はあり得ます。
 しかし、その楽器の特性は「伝統スタイル」と「確固たる基礎」を持ってして発揮される。それは洋楽器よりも民族楽器の方がより顕著。
 なので、多くの場合「民族楽器演奏家」と言うより「民族楽器保持者」的レベルと思います。
 
 この思いは、知らなくて当たり前。
でも「民族楽器演奏家」と「民族音楽演奏家」では意味が違って来る事は、ちょっと考えれば分かりそうな話。 
 近年この様な「違い」「区別」を不必要な、過度な「こだわり」としたり「ニュアンスの違い」と軽く見る傾向が強まっています。

 それぞれの国では「伝統音楽演奏家」は日本の邦楽演奏家と同じ位少人数。「敷居の高い」ものです。
 僧侶の格好をしている人に、「僧侶」「袈裟着用・仏教マニア」「僧侶ファッション愛好者」などの「色々」が無い様に、本来「民族楽器演奏家」も「民族楽器保持者」も人前で演奏する事はなくてしかるべきかもしれません。
 

 それにしても、人に「ものを尋ねる時」の礼儀を知らない人が増えました。
 長々と自己紹介を読ませて、本題の要求。というのも在り、困りますが、 「知りたいから教えろ」という単刀直入もなんだか。 「常識的感覚」自体が通じない世の中です。

 「民俗」と「民族」の間違いも、無神経に思います。
 諸説、緒論ありましょうが、相手が「民族」としていれば「何らかの意図を持って」だろうと考え「民俗」とはしないのが普通ではないか思います。
 その「普通」も最早通じない。

 
 この様な事は年に数回ありますから、今更取り立てて語るまでもないのですが、 たまたま今日は重なったもので。
 
  先ほどのメールに返事をしましたら、突然の電話で 「ブレイブ・ストーリーの民族楽器の名前を教えて下さい」って「一言」 噂しか聞いてないので、知りませんでした。 多分アラブ弦楽器ウードだと思うのですが、聞いてないし。
 「ごめんなさい、分かりません」と言うと「ガチャン」

 で、一休みしてデスクに戻って、この日記を書いていたら、突然! 「音楽療法学院」の生徒さんからメールで、写真付きで 「この楽器の名前を教えて!」

 「重なる時は重なる」もんですね。思わず笑ってしまいました。

 音楽に対して「謙虚」で「一生懸命」で、娘みたいに可愛く思っており、ライブにもたくさん来てくれていた子だから、丁寧に教えましたが。 
 
 なんだか「情報センター」の様な一日でした。

 そう言えば、
「民族楽器大博物館(京都書院)」を「お宅にありますか?」 ってぶっきらぼうな電話もつい先日の事でした。  それとは別にCDの電話もありました。 もしかしたら、巷で若林「希少価値」「プレミア」ですか?  何処かで有名な誰かが「語ったり」「褒めて」くれたりすると急に「問い合わせ」が増えたりします。
 極力丁寧に対応していますけど。 楽器の本に関しては数年前に絶版なので、
内にもとっくに在庫無いし。 なのに二日後また同じ人が「どうしてもないんですか?」と。
 
 「情報センター」じゃないゾ! 
 「情報だけが欲しいのか?」「想い」や「心」は要らないのか?
 
 と、思うと、もしかしたら............。
 「若林さんはなぜ民俗楽器演奏者になられたのですか?」 の人こそ、若林の「想い」を知りたかった人なのかもしれません。

 「情報」を知りたがる人よりも「心」を知りたかった人。
   ならば「知りたい心」を伝える方法は無かったのかなぁ 


   
 9月13日(木)  耳は肥える?
 

  9月16日(日)のPeants-Barrel-Blues-Party の為に10代の頃の「愛聴盤」を聴き直している。
 実の妹が「上手過ぎる」からかもしれない、と前にも日記に書きましたが、
  基本的に「自分の歌にさほど自信も無ければ、好きでもない」
 シタールとかウードとか弦楽器演奏や、サズとの「弾き語り」のセットに数十回に一回程「おっ!上手いじゃん」とか思う「瞬間」がありますが、歌には無い。

 そのくせ、棚に挙げて「作り声」「ブレスが聞こえる」が大嫌い! というか「歌」と認めてない。 最近の日本のポップスはむちゃくちゃそれが多い
 だから嫌いなんですが、かつて、松たか子さんには偉いと感心。感動さえしました。 腹式呼吸は出来ていないけど、その分懸命に肩を使って ブレスの音は決して聞かせずに歌う。流石プロの血筋。 作り声も嫌らしいヴィブラートも無い。偉い!

 ところが。 10代の頃に「感動」「惹かれた」Bluesが 結構「作り声」の世界と知って愕然..................。  
 Howling-Wolfのダミ声は、あれが「ウリ」だから仕方がないにしても
 Magic-Samのあのヴブラート! あれも「ウリ」か?
 えっ!Jr.Wellsってこんなに作ってたっけ?
 
 モダンブルースは比較的、素直な地声。でもT-Boneが作ってたとは当時は気づかなかった。 作っているけどBig-Joe-Turnerはお茶目で浪々としていて良い
伸び伸びしている。
 Louis-Jordanはお茶らけた作り声も自然体で楽しくて嬉しい。 「上手く聞かせようとする」作り声ではなくて、おふざけなら楽しい。
 驚いたのが、当時「素敵!」とさえ思ったNina-Simone
 今、聴いてみれば、嫌らしいヴィブラート。嘘っぽいフレーズ。
 こんなだっけ? とびっくり。ピッチもヤバい。
 余程調子が悪いのをテクニックで誤摩化していたのだろうか? と思って調べてみたら「名盤」「名演」と言われている一曲

 ありゃりゃ!

 今回で「三度目の正直」の「Blues挑戦」 二回の「挫折」の最大の問題は「自分の歌に嫌気がさして」 1970年代末の一回目は「作り声」にメゲて。

 1990年代後半の二回目は「歌心」
  エイシスをホテルに尋ねて言われた言葉
 「えっ? 日本人のお前がBlues? 何でやん? 辞めとき!」 の言葉もトラウマになっているのかもしれない。

 さて,16日は如何に「自然体」で歌えるか。如何に楽しく「良き時代」を再現出来るか 。

 ここのところ毎日四五回練習している。 風邪引いちゃしょうがないんですが。


   
 9月13日(木) 影響され易い
 

  私は、基本的に影響され易いのです。
 「民族音楽カメレオン」と言っているのもそう。

 HDに個性とか、記憶とか、がきっとあまり入らない。 頭の回転が遅いとか、好みによって、雰囲気、匂いで フィルターが掛かってしまうとか、頑固な主義、主張とか。 PCだったらとても使いづらい、旧式のしかも昔からオンボロです。

 だから「世の中」の人々がどんどん変わって行くのが怖いのです。
 「影響されにくい」方は、そんなに心配されなくても良いのかもしれません。

 生家荻窪の家には「誕生日」も一緒だった筈のお隣の子が居ました。
 彼は一週間生まれるのが遅れました。 幼稚園入る前から遊んでいました。
 
 うちが、乳母車を親戚から貰うと、新調して見せに来るお家で とっても張り合うのがお好きだったそうです。

 我が家は貰う以外、買えはしなかったのですから張り合うも楽だったでしょうに。 ただ、庭が広かったので、100坪の芝生に友達が遊びに来ました。 すると隣から彼がゲームを持って来て、みんなを連れて行きます。

 私も何気に追いて行くと、彼も彼のお母さんも「君は駄目!」と。

 小学校一年生の「入学式」の後、教室に入るや否や、お隣の家の子が教室中を
 「走り回りました」 お馬鹿な私は一緒になって後を追いかけました。
 気づくと走っているのは僕だけで、 新入生で最初に先生に叱られた劣等生となりました。
 その後で「机」に名前を書きますが、お隣の子が大きな字で書いたのを真似して書き始めました。 彼は七文字。 僕は九文字。はみ出しました。最後の方で気づいても 二文字入りませんでした。

 「わかばやしただ」
 新入生で最初に「笑われた」苛めらっ子候補生になりました。
 
 泣いて帰りました。 
 帰り道母に慰めて欲しかったのですが、 母は「走り回り」に大変ご立腹で。家に帰っても夜まで叱られました。

   二、三歳児の頃から「質問魔」だった私は、 「何?」「何故?」を知りたがります。 これはきっと私の「癖」もしかしたら「病気」です。

 「影響され易い」のも「癖」か「病気」です。 なので、自分を見失う事のない
 普通のしっかりとした方は、 私の憂いなど、気に留めなくても良いかもしれません。


   
 9月18日(火) 無意味なリハーサル?
 

  若林のリハーサルは、色々な意味で「型破り」
 メンバーさんに「大評判」なのが、「リハーサルの意味が無い!」 何故ならば「本番がリハーサルとは違う」
その場の「即興」 
「良い感じ」で会場が「じわ〜っ」と収束して来た!と思うとイントロが倍に伸びたりする。 逆に、半分に「縮んだり」も。

 「民族音楽」的には「全然問題ない」事です。
 伴奏者は歌い手が「歌い出す直前の緊張の瞬間」を感じ取ります。 客席では分かりませんが、同じ舞台に居ると感じるものです。 でも「譜面に集中」していたり「約束事」を遵守していれば「OK」と思っていると感じれない。

 若林の勝手な論理と経験から言えば「世界で日本人だけ」が「譜面通り」「約束通り」の音楽をする。場合によっては「しか出来ない」
 と、言い訳しつつも「リハーサルで四曲なのに、何で本番五曲なんですか!」の声には流石に自分もびっくり!「えっ!それ何処のバンドの話? そりゃ酷いね!」って自分のバンド.......。

 でも東京のバンドよりは(待遇は)ましです。 かつて東京の可哀想なメンバーさん達は「リハーサルでやったってことは本番でやらないって事だよね」と納得していましたから。

 それでも、東京の真面目な人たちと九州の大らかな人たちはちょっと違う。
 東京では不安や自信の無さが顔に出て、緊張感ばかりが前に出る。 ところが福岡では、みんな笑ってる。 それが「楽しそうな緊張感の有るバンド」と褒めてもらった所以でしょう。

 9月15日の小倉のリハーサルは、本番以上に「楽しかった」
 新たに嬉しい新メンバーの加藤正文君(Perc.)が加わったからでもありますが、

 にしやん、アッコちゃん、リサちゃんのキャラが生きる「楽しい」リハーサル
 
 本当は限られた時間にPeants-Barrel-Blues-Partyのレパートリー20曲をやらねばならぬ「ピリピリ」のリハーサルの筈が「大笑い」
 リハーサルが楽しいと、日本人の悪い癖を超えて、先に進める確信が持てました。

 でも......................。

 「おちゃらけ」「おわらい」の「ネタ」練習ばかりしそうでもあり、
 「コミックバンド」化に進んで行きそうな気配も濃厚です。


   

 9月15日(土) 師匠も孤独だった?
 

  私のシタールの師匠、Ustad Ilyas Khan(1924〜1989)
 インドで演奏しながらも、孤独でした。
 18世紀のまま演奏する上に、非凡な感性と超越した技法。 お弟子の僕らが「えっ!今の何でした?」  
 数人で頭を付き合わせてやっと「○○だったかもしれない!」と。

 主任教授を務める音大の文化祭でのこと。日本でもCDが買えるつまらぬシタール奏者がゲストで呼ばれて90分。 急遽師匠は20分に減らされました。息子程の若造なのに。

 「恐らくあの頑固な師匠の事だ、時間が三分の一に減らされた事への抵抗で
三倍詰め込んだに違いない」
 16拍サイクル三つに入れる即興を一つに入れた。やるべき事を20分に「凝縮」 その集中力と技のもの凄さ。 

 今日の北インド古典声楽の原点の話です。ある宮廷楽師が「王のリクエストと言えどもそれはプライドに反する」 と拒むと王は「嫌なら辞めて出て行け!」
 それから10年。 地方の宮廷で新しい音楽を作り、都にもその評判が届く。
 「イヤミと洒落」の混ざったインド独特の「感覚」ですが、その「詩」には 「王の名」が読み込まれている。
 王が頭を下げて彼を再び都に呼び戻し、新しい「声楽スタイル」が確立しました。

 残念ながら、私の師匠の「抵抗」と「技量」と「洒落」の感覚を理解し 「とんでもない失礼な事をしました」「あんなに難しいリズムを早く弾かれたら、愚かな私たちは分かりません。どうぞ、三倍、否それ以上のお時間を下さり、ゆっくり弾いて下さいませ」と言う事の出来るインド人は、1980年代に既に居なくなっていました。

 「歌は三分間のドラマ」の語源はSP盤の収録リミット 。師匠の父親の代が、1920年代「インドで最初に録音した演奏家」 です。
 
 「文句があるなら!」と名指しで書く、マニアの方々、 書く前に聴いて欲しい。
 インド国営放送に行けば残っているだろうから。
 今日「巨匠来日!」と華々しい演奏家の師匠や親のそのまた師匠や親のSP盤 「先入観」を持たない為に「効き酒」式に。
 師匠の父親は、60分で演奏する事を3分に凝縮していました。


   
 9月22日(土) 何がそのでかい頭をそんなに固くしたんだ!
 

  Blues楽しい!
 三度目の正直のブルース再開。 たくさんの音の友達が助けてくれました。
 デジカメで撮った短い動画を改めて見て、感動、感謝、感激です。
 渾身のハープで応援してくれたゲストの長崎スリム氏 。素晴らしかった!

 サックスのにしやん。短い期間に曲もソロも消化してくれて。 Lisa&Yukiちゃんもカッコ良かった! ドラムの波谷君も、パーカッションのかとちゃん、若ちゃん。ギターはマルチなkumeppyさんとマニアックないのいのさん!
 ベースは超大御所小倉のJBにお願いしたし。
 
 なにしろ、楽しい曲が多い!
 Rhumba-BluesのBoディドゥリーの曲。
 「君の洗濯、掃除、炊事、みな僕がやってる!」
 「君が歩くのを見たのは随分前の事になります」
 「僕は家事の一切をやるばかりでなく」「君の為にドアも壊しました」

 ジャンプ・ブルースの芸人さんルイ・ジョーダンの「カルドニア」
 25年前に自主企画したPeants-Barrel-Blues-PartyーVol.1で
 ゲストの吾妻光良氏が演った曲。「僕も演りたい!」と思ってやっと今回。

 「何がそのでかい頭をそんなに堅くしたんだ!」
 お客さんと合唱したかったんですが。


   
 9月25日(土) 1970年代
    人間性、社会性でいうならば、1960年代の方が良かったけれど、 止め様のない社会の変化は60年代の良さを押し流してしまいました。
 そもそも、良さとて、様々な戦争の犠牲の上に成り立っていたとも思えます。
 それに気付いて、変えようとした機運が生まれ。  そしてくじけた70年代。
 新しい文化が沢山生まれました。
 特に1972年。 私が民族音楽演奏家としてデヴューした年は、 日本のロックの本格的な始動の年。

 1967年 モンタレー・.ポップスフェス
 1969年 ウッドストック・ロックフェスティヴァル
 1970年  吉田拓郎氏、上京。メジャーデビュー。
鮎川誠氏「サンハウス」結成。RCサクセション、デビュー。
 1971年 「南こうせつとかぐや姫」デビュー。
 1972年 財津和夫氏率いるチューリップ上京。メジャーデビュー。
カルメンマキ&OZ結成。
井上陽水氏デビュー。キャロル「ルイジアナ」大ヒット。
 1972年 「海援隊」デビュー。
 1974年 「甲斐バンド」デビュー。
 1975年 ヴェトナム戦争終結。
キャロル、かぐや姫、解散。RCサクセション休業。

  安田講堂事件で明確に潰えた60年代の志 。その様な大きな出来事が在った訳でもないのに 、70年代の心意気は、何時、何で潰えたのでしたっけ?

吉祥寺の70年代 ぐぁらん堂や高田渡さん

 最近、BLOG仲間さんの日記やメッセージに1970年代初頭の話題が目立ちます。 気のせいかもしれませんが、何か、あの時代から「警鐘」が届いているのかもしれません。
 もしくは、人々の心の中に「あの時代」に戻ってやり直そう、という想いもあるのかもしれません。
 
 前にも書きましたが、自分の人生を振り返るのであるならば、 「今がベスト!」主義でも癖でも思い込み、思いたいでもなく、 懐古主義では決してありません。 
 1970年代初頭、考え過ぎの生意気な中学生で、ちょっとひねてて、  自分自身は、あの年齢に戻りたくはないです。

 でも、時代は良かったと思います。

 1972年11月  吉祥寺「ぐぁらん堂」でデビュー
 1972年12月 渋谷「じぁんじぁん」初LIVE
 1973年1月 じぁんじぁん、2nd-LIVE
 1973年2月 吉祥寺「OZ」初LIVE
 1973年5月 池袋「PARCO」初LIVE
 1974年12月 島田荘司氏のバンドに加入。初コンサート。

 この頃、西荻「ほびっと村」でもに回程演奏したのですが、日付が不詳です。
 ぐぁらん堂のライブでは、高田渡さんが真っ正面で真剣に聴いてくれました。  

 渡さんの想い出幾つか有りますが、 香取慎吾君と泉谷しげるさんが僕の店に来て「シタールを習う」という番組の収録で ロケバスから隠れる様に店に入ったのに、何処かで誰かが見ていて、 お昼時には、近くの丸井や銀行のOLさん100人位の人だかり。
 その群衆を掻き分ける様に、ごく日常的に「通り掛かった」渡さん。
 泉谷氏が大声で「渡さん!」と呼んで最敬礼。 渡さんは、ごく日常的に挨拶して、そそくさと通り過ぎました。
 吉祥寺の町に、ごく普通に歩いている渡さん、野口伊織さん、梅図かずおさんとすれ違うのが楽しかった。
 
 その前後の何時だったか。 焼き鳥屋「伊勢屋」の入り口ですれ違って 「おう! 頑張ってるか?」と声を掛けて貰った時、 生意気にも「渡さんも、体を大切に」と言いました。
 「そうだね」とニタリと笑顔。
 
 その数年後、また道ですれ違って。
 頑張って体を労っているとおっしゃっていました。
 ちょっと自慢げに

 その後、逆に僕が脂肪肝と診断され、娘には「痩せないと一緒に歩かない」と言われ 「よし分かった!」と井の頭公園10周ウォーキングを始めて二ヶ月で20kg落とした頃
 毎日の様に公園の池の畔でオートハープを弾く渡さんとご挨拶。
 晴の日は必ず来てらした。
 公園の若者は誰一人として立ち止まって聴く事もなかったけれど 個人的には、あのオートハープが、歌やギターより凄いと思った。 時々、立ち止まって聴くと、ちょっと自慢げに弾き方を説明してくれました。

 2001年4月 野口伊織さん、享年58歳。
 2005年4月 高田渡さん、 享年56歳。

 私が昆虫飼育を中断して、九州通いを始めた頃。
思えば、高田渡さんが吉祥寺から居なくなった頃から 吉祥寺は変わってしまった。

 武蔵野タンポポ団、ぐぁらん堂、OZ、
 残っているお店もありますが、 街を行く人々の表情、雰囲気は大きく変わってしまいました。



   

 9月25日(水) 愚の骨頂
 

 
 昔から良く言われました。 僕のする事成す事「愚の骨頂」らしいです。
 でも、何故か言われて腹が立たない。 それどころか「ちょっと嬉しい」
 
 愛おしい「世界の愚の骨頂楽器達」

 コントラバス
 低音域を「可聴」にする為のどでかい胴体。
 五度調弦のヴァイオリン属に淘汰されたヴィエール属の生き残り。
 大好きで二本も持っています。エレキトリックのアップライトも二本。
 我ながら「阿呆」です。

 「五度調弦ではあの太い弦を弾き切れない」
 それを言うならチェロ。 過酷な楽器です。
 大小二本もっています。クロンチョン音楽で使います。

 メキシコ民謡のベースギター「ギタロン」
 持っています。 縦に弾きます。
 200年近く前から「チョッパー」していた楽器です。

 

 中洲「Hasta-Cuba-Club」での若林ラテン楽団でもGOOFY君が担当の
 「バリサク」
 素敵な楽器です。
 先日のLIVE-Event「TETRA-PTERA」Vol.3のゲスト楽団では細面の美男子
 並木君が担当。
 「愚」と言っては失礼ですが。でかい。

 Tubaもそうなんでしょうけど。 間近で見たくない様な気もすれば、
 いつか楽団に入れてしまいそうな気もします。

 Tetrapteraで、メキシコ音楽Duo「Mejorana(まよらな)」で用いた楽器
 ギターより四度低い「ベース12弦ギター」の「バホセスト」

 ネックは特大蒲鉾
 唸ります。

 シタールの方が「まだまとも」と思える位の
 「愚の骨頂」

 シタールだってかなりに呆れた楽器ですが。
 あの美しさと機能美に口を封じられている感じです。

 元々、エレキギターというのも、出初めは、皆呆れたに違いない。
 その上に沢山の珍妙楽器がありました。
 指板を削ったスキャロップ。「ハーレム」を持ってます。
 リッケンバッカーの12弦も持ってます。糸蔵が「最悪」
 

 Tetrapteraで用い、今晩VooDooでも用いる
 
 Epiphone 「Wild-Kat」
 
 Bigsbyのトレモロアームが着いている。
 僕のは純正ではなくライセンス備品の様ですが。
 
 トレモロ・アームという代物も、とんでもない発想。
 テレキャスのストリングヴェンダーも持っていますが、
 カントリー・ロック以外に「使う時が無い」

 ベンチャーズを演る事もないので、
 トレモロ・アームも使いこなせる訳ではないのですが、
 初めてのトレモロ・アームのギターで「かなり嬉しい」

 ボ・ディドゥリーの曲のエンディングでしか使わないのだけれど。
 
 ところで、「Wild-Kat」
 Katという英語が辞書に出て来ません。
 山猫なんでしょうか?

 と思っていたら。
 エピフォン創始者はギリシア人。
 
 私の友人に限ってかもしれませんが、かなり英語が堪能なギリシア人
 四五人友人が居ますが、何故か「猫」だけは、自信持って、疑いも無く
 「カット!」と発音して譲りません。

 「Wild-Cat」ならば「ワイルド・キャット」
 「Wild-Kat」は「ワイルド・カット」が正しいのかも知れません。


   
 9月28日(金) 基礎力、応用力、即興力、創作力
 

 「音楽療法士」を育てる東京国際音楽療法学院で「即興演奏」を教えている。
 北インド古典音楽は基本的に「即興演奏」
 前者の「即興」は「Free」と「Adrib」に大別される。後者は「厳格な理論の上に成り立つ、即興」である。
 昔、モダンジャズ〜ハードバップ〜フリージャズと言ったジャズのインプロヴィゼイションの流れの中で、コルトレーンなどの天才の演奏を評して「意のままに」「感情の赴くままに」と表現された。

 僕らの世代は、それが「誤解の元」になっている。
 「即興」は、そんなに「自由」「勝手気まま」なものじゃない。

 ところが、今の学生は、「誤解」を生んだ「コルトレーン評」を「聞いた事が無い」と言う。では、何をして「即興」と言うのか尋ねたら、なんと「X-Japan」他、数名を上げた。
 今日のインド音楽もそうだから、しかたがないけれど。
 「やらせ」「仕込み」の「即興」だった。 皮肉な事に、30年の間に逆転していたのだ。
 
 30年前「即興はそんなに好き勝手、自由なものじゃない」
 「もっと基礎や理論に根ざしたものである」と 「身勝手」「好き勝手」な「暴走」を嗜めた。
 それが今では、「即興はもっと、自由自在にその場限りの物である」 「あんな、二度三度同じ事が出来るものに騙されてはいけない!」 と言わなくてはならなくなった。
 
 この30年あらゆる事がこの調子かもしれない。  「基礎」をしっかり身につけての「即興」をするくらいなら、 「マニュアル通り」が「楽」 しかも「即興っぽい」「似非」で「満足」


   
 9月30日(日) 福岡での「共作ユニット・プロジェクト」
    御陰さまで、6月にセンセーショナル!とご好評のデビューを果たしました
 Ancient-Future-Music「柘榴(Zagros)」に引き続いて、
 9月30日(日) 影絵(Silhouette/シルエット)が温かい産湯の中で誕生しました。
 
 在福のアーティストさんとの共作の「ユニット・プロジェクト」
 アーティストさんの持ち味、才能を出来る限り引き出し、新たな才能、可能性さえ「共に見い出して行きましょう!」というコンセプト。
 若林的には、世界中長年演って来た「だけの事はあるね」と評価して頂く事、
 民族音楽の基礎に立って様々な創作が出来る機会。が嬉しいところです。

 ユニット・プロジェクトの「進め方」は、意図的に「同じ」にしています。
 世界120地域の民族楽器900種の「音のカタログ」を90枚のCDに納めた若林忠宏の基本姿勢。 基本がしっかりしていれば、枝葉は自由自在に舞い踊る。

 同じ基本条件の上に、次第にそれぞれの感性に合わせた枝葉を見い出す。
 まず、民族楽器で、伝統的な手法に独自な感性のモチーフを聴いてもらいます。  その楽器の国の人が聴いたら「あれ、俺の国の音楽か?」と思いながらも、ありもののカバーではない。  それを聴いた印象を「単語」で言って貰い、書き出します。  若林の観点でそれぞれの意味を訊き、関係性や前後の位置を確認します。 例えば「海が見えた」とします。 それは「何時の季節?」「アナタは海を何処で見ている?」「どんな気持ちで?」と。
 その答えを聞いた後にまた、弾きます。 
 
 これを繰り返している内に、メロディーが固まり、アーティストさんにも馴染みが出て来る。 仮録音して持ち帰ってもらってじっくり作詞。
 
 この手法は、誰でも出来るかというと、きっとかなり難しい。おそらく無理。
 初めに民族音楽でモチーフを弾く段階で、アーティストさん固有のオーラ、感性、根底にある、人間性を感じ取って、世界中の民族音楽と民族楽器フレイズの膨大なストックから、オリジナルを引き出す事が再前提です。

 その後は、極力アーティストさんの「感性の扉」を開いて行く。 カウンセラー的な作業です。
 その際、極力若林の感性は持ち込みません。しかし、アーティストさんが「既成の概念」に捕われていたり、「理解されるかされないか?」の「結果」から「言葉」を発している時は「軌道修正」。若林の頑固なポリシーに反する「言葉」や「受け手の固定概念とリンクしてしまう言葉」も避けます。

 綿密な作業でもあるのですが、人間と言う物は実は「かなりに素直」です。
 信じられない位に「自然」と「言葉」が出て来て、アーティストさんとリンクしだして行く。すると一曲目は15分で形が見え、二曲目、三曲目は10分。とどんどん出て来るのです。

 6月デビューのAncient-Future-Music「柘榴(Zagros)」
 9月デビューの影絵(Silhouette/シルエット)
 
 今後も、ユニークなアーティストさんと出逢えば、どんどん進めて行きたいと願っています。

と、書いた途端に!

 最近、また一人 とてもユニークな逸材と出逢いました。
 新しいユニットが出来そうです。 ご本人も期待してくれています。

 1st-Sessionのインスピレーション。受けるオーラで 自分の出す音の道が定まります。 ところが、今回。 1st-Sessionの前なのに
 夢で旋律を奏で、その方が歌ってくれました。

 とっても不思議な旋律。 理論的には、やり残していた手法のひとつでもありました。 夢の中で弾きながら「ああ、きっとこれだ!」と思っていました。

 1st-Contactの印象が十分すぎる程、通じた。感じたのかもしれませんが 、やはり、タイムリー  「約束の邂逅」なのかもしれません
 ユニット名は「予知夢(Swapna)」にしたいと思いました。