民族音楽とジャズの出会い  
   Rast-Makam   The Night Sicence 
中洲 River-Side
   
 
2nd.session
 
     
 

 Maqam-Rast(マカーム・ラスト:アラブ古典音楽)、Rast-Makam(ラスト・マカーム:トルコ古典音楽)という旋法があります。
 アラブ古典音楽もトルコ古典音楽も中世 ペルシア古典音楽を基礎にしていて、様々な旋法に基づいて即興演奏や作曲がなされました。それらの旋法は、1オクターブが24もしくはそれ以上に分かれていました。すなわち「四分の一音」「クォーター・トーン」「微分音」
 「ラスト・マカーム」 は、第三音と第七音がクォーター・トーン、半音の約半分下がります。さっと聞くと「長調」でも違う。下がっているとは言っても「短調」ほどではない。
でも基音の三和音の三度が低い、音階の勢い明るさを決める七度が低いのは、なかなか衝撃的。

 若林はこの特性は、大元ではメソポタミアから古代エジプトに伝わってアフリカ各地に伝わった「音感」であり、よりロジカル及び実践的には中世に北アフリカを経て、イスラム化した西アフリカに伝わり、 そしてカリブ海、北米に伝わったと考えています。
 そう、それが北米のアフリカ系民族の音楽の「魂」である「Blue-Note」

 
     
   ECMに憧れて  
 

 若林忠宏は、1980年代、欧米のミュージシャンがこぞって赴いたドイツのレコード会社ECMレーベルの音楽が大好きです。キース・ジャレット、ジョン・アバーコルンビー、ヤン・ガルバレクなどの蒼々たるミュージシャンが、専属のレコード会社を説き伏せて出向して残した音楽に衝撃を受けました。当時はLP時代でしたが民族音楽と並ぶ程聴き込んだものです。
 ECMレーベルは、後期にはアジア、アフリカの民族音楽演奏家とのコラボレイションも盛んに行われました。が、1990年代末には、残念乍ら陳腐な共演も少なく有りませんでした。
 若林忠宏は1980年代にE.ギスモンチやラルフタウナーを愛するギタリストとECMカヴァー楽団「Shanti」を結成。2〜3年に渡って毎月のライブを展開し「第三世界音楽」として注目を浴びたばかりの民族音楽に対し、その理解に先行した音楽活動を行いました。
 それから10余年。多少なりとも成長した音楽性で自由にジャズと共演し、その中で少しずつ往年のECMサウンドの温度感、風景感が自然に再現出来たら幸いと思います。
 「今なに故にジャズと共演?」「なぜECM?」
 それは通り過ぎてはいけなかった音楽改革が、結局はコマーシャルな流れに掻き消された感も否めないからです。
 日本有数の「土と風の香りのする音楽土壌」と信じて止まない福岡で、あの音楽が再現出来たら、今度こそ根付いてくれるのではないかと思いながら、「想い」と「気」を音に込めて演奏したいと思っています。

                             2006年5月1  若林忠宏

 

 


 Rast-Makam 1st.session
 at 中洲 River-Side
 

  国体通りから博多川の左岸を海方面。吉塚鰻の先サウナグリーンランドの先の百円パークの直ぐ隣り二階を見ると白地に黒でトランペットを吹いてる看板がある。階段が細くて見落としがち。
 
Tel:092-281-6843
住所:福岡市博多区中洲3-7-34-2F
URL:http://www.jazz-riverside.com
       
 
 1st- Session  6月13日(火) 
 
 P.M.7:00〜9:00
 
 若林忠宏永見行崇 Duo
 
Charge ¥2000/tc¥500〜800
+order
       
 
 若林忠宏 (Sitar/Oud/Tabla/Darbuka) 
 
永見行崇 pf/perc.
   
   1956年東京生まれ。 1972年日本初のシタール奏者としてデビュー。渋谷じゃんじゃん、パルコ、ぐあらん堂他。
 1978年に日本初の民族音楽ライブスポット「羅宇屋」を開店。
 1980年インドU.P州政府文化庁招聘で渡印。国際交流会館で日本人初リサイタル。インド国営放送に日本人演奏家初出演。
 シタールをUd.Ilyas Khan師、サロードとセヘスワン派古典声楽をUd.Umar Khan師、オウドをUd.Safwat
 Md.Al師、タブラをUd.Munney Khan師に指示。世界中の数十人の師匠に学び、独学も含め数百種の民族楽器を演奏する。
 細野晴臣氏、本條秀太郎氏、仙波清彦氏ら日本を代表する演奏家との共演の他、Womad横浜などで来日演奏家とも共演。
  本條秀太郎氏のスペイン・ツアーではフラメンコギターのカニサーレス兄弟と共演。
 民族楽器CDシリーズを2000年に45枚、2001年に40枚リリース。著書には「民族楽器を楽しもう」「アラブの風と音楽」「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)「もっと知りたい世界の民族音楽」日本初の「世界の民族音楽辞典」(東京堂出版) 「スローミュージックで行こう」(岩波書店) があり、「教育音楽誌」(音楽の友社)
「音楽鑑賞教育」及び新聞のコラム連載もある。
 ポピュラー・ミュージック及びTVCMの録音も多く、新聞、雑誌「タモリ倶楽部」「鑑定団」「題名のない音楽会」などTV出演も多い。
 2005年に民族音楽センター九州を設立。2006年に福岡で民族音楽と洋楽のコラボレイション楽団を複数結成。
   1972年生まれ。5歳の頃からクラシックピアノを習い始める。
 1985年「カワイ音楽コンクール全国大会」優秀賞を受賞。
大学在籍中から福岡を中心に様々なユニットで活動を開始。
 1998年、渡米しピアノをバリー・ハリスに師事。NYのライブハウスでセッションを重ねる。
 セネガルにて、サバール(打楽器)の第一人者であるドゥドゥ・ンジャエ・ローズ氏に師事。
  2001年4月劇団四季「ライオンキング」にパーカッショニストとして参加。2004年9月には、韓国EBSテレビ「ASIA MUSIC FESTIVAL」に出演。

 現在、自己のグループ「NAGUN」「NACIONAL JAM’S」「JAM 明日葉」で活動する他、Wagane Ndiaye Rose(sabar)、TOKU、今出宏゜、日野賢二、藤山英一郎、荻原亮、宮野弘紀、真砂秀朗(インディアンフルート)、筑紫寿楽(和太鼓)、河原伴子(琴)等、様々な分野のアーティストと共演。

       
 
 1st session 共演に寄せて。
   
 永見行崇君との共演から、また広がる新しい輪が楽しみ
   River-Sideの小串さんからご紹介を頂いて早速メールをすると、嬉しいお返事を頂きました。
プロフィールを拝見すると、ジャズ・ピアノの他にもアフリカの木琴や太鼓もやられていると。

 彼が生まれた年1972年は若林にとってのみならず、世界の音楽にとっても大きな節目の年。
サイケデリック、フラワームーブメントなどのサブカルチャーが終焉を迎えた年であり、日本の新しい音楽を作り出した数々のバンドが生まれた年でもあります。その年に民族音楽を始めた私と、その年に生まれた彼との出会いも、なにやら運命的な思いすら感じます。

 JAZZに憧れ乍らもJAZZの楽器はいずれも縁がなく、それでも1960年代のJAZZMEN達がインド音楽に傾倒した作品を聴き、民族音楽を追求していれば「JAZZと共演出来るかも」と何処かで思っていたのかもしれません。
 それが、JAZZが出来るのに、民族音楽にも興味を持ち、民族楽器を弾く若いJAZZMENが増えて来た。不思議なものです。そんな在福のミュージシャンとの出会いから、新しい音楽ムーブメントを作り出せたら、と夢は膨らむ一方です。

 音楽はカテゴライズ出来ないものである、という考え方もあります。私自身世界中の民族音楽に手を広げましたから、自身の音楽活動こそはカテゴライズ不可能なものかもしれません。
 それでも個々の音楽へのこだわりは捨てられない。それはJAZZとの共演でも同じです。
自称「民族楽器カメレオン」である私の中のそれぞれの楽器を弾く時に蘇るトラッドなものと、JAZZに憧れて来た想い、一人の演奏家として培って来たもの。それがJAZZを感じさせてくれる場所で発散されたら嬉しく思います。
 私も大好きなセロニアス・モンクに触発されてJAZZを始めたという永見行崇君のピアノからモンクの土臭さが感じられる事をかなり期待し、楽しみにしています。
                              2006年5月17日 若林忠宏
   
   
   
   
   
 Rast-Makam 2nd.session
 at 中洲 River-Side
 

  国体通りから博多川の左岸を海方面。吉塚鰻の先サウナグリーンランドの先の百円パークの直ぐ隣り二階を見ると白地に黒でトランペットを吹いてる看板がある。階段が細くて見落としがち。
 
Tel:092-281-6843
住所:福岡市博多区中洲3-7-34-2F
URL:http://www.jazz-riverside.com
       
 
 2nd- Session  7月or8月の第二火曜日 
 
 P.M.7:00〜9:00
 
 若林忠宏間村清 Duo
 
Charge ¥2000/tc¥500〜800
+order
       
 
 若林忠宏 (Sitar/Oud/Tabla/Darbuka) 
 
間村清 bass
   
   1956年東京生まれ。 1972年日本初のシタール奏者としてデビュー。渋谷じゃんじゃん、パルコ、ぐあらん堂他。
 1978年に日本初の民族音楽ライブスポット「羅宇屋」を開店。
 1980年インドU.P州政府文化庁招聘で渡印。国際交流会館で日本人初リサイタル。インド国営放送に日本人演奏家初出演。
 シタールをUd.Ilyas Khan師、サロードとセヘスワン派古典声楽をUd.Umar Khan師、オウドをUd.Safwat
 Md.Al師、タブラをUd.Munney Khan師に指示。世界中の数十人の師匠に学び、独学も含め数百種の民族楽器を演奏する。
 細野晴臣氏、本條秀太郎氏、仙波清彦氏ら日本を代表する演奏家との共演の他、Womad横浜などで来日演奏家とも共演。
  本條秀太郎氏のスペイン・ツアーではフラメンコギターのカニサーレス兄弟と共演。
 民族楽器CDシリーズを2000年に45枚、2001年に40枚リリース。著書には「民族楽器を楽しもう」「アラブの風と音楽」「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)「もっと知りたい世界の民族音楽」日本初の「世界の民族音楽辞典」(東京堂出版) 「スローミュージックで行こう」(岩波書店) があり、「教育音楽誌」(音楽の友社)
「音楽鑑賞教育」及び新聞のコラム連載もある。
 ポピュラー・ミュージック及びTVCMの録音も多く、新聞、雑誌「タモリ倶楽部」「鑑定団」「題名のない音楽会」などTV出演も多い。
 2005年に民族音楽センター九州を設立。2006年に福岡で民族音楽と洋楽のコラボレイション楽団を複数結成。
   1969年兵庫県生まれ。
17歳よりエレキベースを独学で始める。
 大学在学中に、ジャズ・ベースのジミー・ギャリソンの演奏に感銘を受け、ウッド・ベースに転向し、演奏活動を開始。
 福岡のジャズ・スポット≪Back StageA°?でセッションを重ねる。
 93年より大阪を拠点に活動。山下洋輔( Piano ) らと共演。
 97年N.Y.に渡り、タイラー・ミッチェルに師事。
 02年ロッド・ウイリアムス クインテットのメンバーとして九州ツアーに参加。

 現在は、ピアノとウッド・ベースのユニット’VISIONS ’
ベース・ソロによるライブ
ブルース・バンド’'MO' GREENS PLEASE BLUES BANDで活動をしている。

       
 
 2nd session 共演に寄せて。
   
 電話の声から笑顔が見えた。間村清君との共演にイメージする沢山のもの
 

 River-Sideの小串さんからご紹介を頂いて早速メールをしましたが、お互いのメーラーの不具合かお返事が届かなかった。
 その間にホーム・ページを拝見して、ちょっと強面で頑固そうなお顔に「あらら?」
 「いやこういう人に限って、実際会ってみると笑顔が可愛い優しい人なんだよ」と思いながら電話を掛けてみました。
 するとやっぱりとても優しい声。 柔らかな笑顔が見えて来た感じでした。

 ベースは若林にとっても思い入れの深い楽器。吉祥寺には活用も出来ていないのにウッドベースが二本もあります。
 19歳の時、民族音楽では自活出来ない時代でしたからキャバレー・バンドのベース弾きになりました。 ろくに五線譜が読めなかったので「ベースなら小節内の音符も少なかろう」という飽きれた理由でしたが、若気をくじく厳しいバンドマンの世界の洗礼を受け、べースが唯一の味方の様な気分で終電車で通った想い出があります。
 
 その頃バンドマスターの影響でジャズを聴き始め、やっぱり愛着があるベースに聴き入り、チャーリー・ミンガス、ゲイリー・ピーコックなどを敬愛したものです。どっちかというとその時代の職人っぽいベーシストを「カッコいい」と思っていて、次の時代のロン・カーターなどのカッコ良さは音楽ファンの方にお任せ。相変わらず渋めのバレ・フィリップス、チャーリー・ヘイデンの方を好んでいました。
 この夏に共演してくれる間村清君は、写真から見るとそんな職人肌のベーシストの雰囲気が漂っていて、嬉しい期待感が溢れます。

 意外に語られていないのが民族音楽には「低域楽器」が少ない。
バリ島の竹琴大合奏ジェゴク、モロッコのブラック・アフリカ系音楽のゲンブリ、インドのBassシタールのスール・バハールはごく稀な例外で、おそらくジェゴクの低音パートは、スティール・パンの低音楽器、Bassバラライカ、Bass阮咸などと同じに西洋のコントラバスの影響と西洋クラッシック音楽の影響で生まれた民族音楽のオーケストレイション以降のものと思われます。
 
 その意味では、民族音楽とベースは未知の可能性がある。

勿論、想像以上の素晴らしい結果も、意外に陳腐な結果も。
 間村清君とは、互いにアーティスティックな面と、職人肌の面の双方で、面白いぶつかりと、調和が期待出来る直感があります。
                              2006年5月17日 若林忠宏