地域別ご案内・中央アジア  


 

主な国々

中国新疆ウイグル、キルギス、カザフ、モンゴル、ウズベク、トゥルクメン、アゼルバイジャン、アフガニスタン、イラン、
  教室 常設の教室はありません。楽団研修生の形では応談しております。
  楽団

中央アジア民族音楽楽団「レング」
ウイグル民謡、古典音楽、ウズベク民謡、古典音楽を中心に、トゥルクメン、アゼルバイジャン、タジキスタンの民族音楽。
1981年亜細亜大学園祭、1983年船橋西部スタジオF、1984年ソ連時代のウズベキスタンで現地研修、1988年リサイタル、



写真は日本初のウイグル・ウズベク民族音楽楽団リサイタル1988年パルテノン多摩。

アフガン音楽楽団「バザール」
1980年定期ライブ始める。1983年よりアフガン難民児童に医薬品を送るチャリティーコンサートを毎月開催.1984年ペシャワール難民キャンプ医療団慰問演奏.1985年小泉文夫民族音楽展に出演。1986年東海TVで菅原文太氏と共演.1987年菅原文太氏のお世話でNTT鈴鹿学園で演奏。この後、アフガニスタンの戦渦悪化によって演奏活動を断念。 2001年のアフガン空爆以後演奏を再開、京都西陣澤屋さん展示会で全国で演奏、2002〜3年は空爆を検証する国際市民法廷公聴会で10回近く演奏.2004年はアフガン問題を訴える名古屋アリアナの会で数回演奏。

  ライブ 2004年8月現在、定期ライブはございませんが、各地で演奏の機会があります。詳しくはスケジュールのページをご覧下さい。
  録音のお仕事 弦楽器ラバーブを除くアフガニスタン及び中央アジアの民族楽器の多くは、伝統音楽以外に用いた場合、音的な個性に欠けると判断される傾向があり、ポピュラー・ミュージックでの録音は殆どありませんでした。
  音楽教育 現在の所、子供向けの演奏の機会は得られていません。むしろ現地の子供達に聴かせるためのツアーが企画されています。30年近い戦争によって伝統民族音楽を聴いていない子供、若者が多く、今後民主化と急速な近代化で民族音楽が逆に衰退することが考えられます。民族音楽センターがイラン音楽を割愛してきたのも同様な理由からで、1978年の民族音楽センター発足と同時にイラン革命で伝統民族音楽が禁じられ、近年段階的に復活しましたが、逆に教条的であったり、歴史を塗り替えようとする意図が感じられたりで中々素直に接することが出来ない状況です。アフガン音楽の場合は、国に帰れず日本に居た人々やアフガニスタンを深く愛する日本人の方々に支えられて演奏を続けてまいりましたが、それでも数年挫折した時期があります。現地の人々が音楽を楽しめない状況と、日本社会の無関心の状況に演奏のモチベイションを保てなくなったのです。
  展示会 中央アジア民族音楽の展示会は今迄行われていません。
  書籍・資料

アフガニスタン音楽とアフガン人の歌心について綴った「アフガンの唄」をほぼ書き上げましたが、出版社が決まっていません。もっと知りたい世界の民族音楽(東京堂出版)、「世界の師匠は十人十色」(ヤマハ・ミュージック・メディア)に有る程度の記述があります。

  通販・楽器 1980年代初頭、ソ連侵攻によって音楽家が手放した民族楽器が数多く日本に入荷しました。輸入元の吉祥寺はるばる屋さんと協力して修理販売に努めましたが、殆ど売れず、博物館などに手放すこととなりました。まだ弦楽器タンブールが数本残っています。
  通販・CD/Record アフガニスタンの弦楽器(JEC-105)お陰さまで完売しました。
アフガニスタンの太鼓と打楽器(JEC-205)
シルクロードの弦楽器 (JEC-106 )
  交流 若林忠宏の最初の師匠は戦争終結後在日大使を経て渡米、もう一人の友人バシール氏は現大使となりました。同時期の友人のレカ氏は名古屋にてアリアナの会を支援されています。
  Friends 京都西陣の澤屋さん、アリアナ平和基金の横山代表、スタッフの皆さん、アフガン空爆国際市民法廷の日本スタッフの皆さん、全国各地の演奏会で出会った皆さん、と今の所日本人演奏家が居ないこともあってとても良いおつきあいをさせていただいております。またウズベキスタン、トゥルクメン現地には非常に親しい演奏家が居ます。
  自然・昆虫 ご想像の通り中央アジア・アフガニスタンは草原や森林が多くないので昆虫類も豊富ではありません。欧州型のミヤマクワガタなどが知られていますが、ルートが無い事に比べて日本でもてはやされるほどの大きさ形ではないことで入荷も皆無です。しかしながら、昆虫達も戦渦の犠牲になったに違いなく、昆虫飼育の習慣が無い地域故に東南アジアに劣らぬ危惧を感じざるを得ません。

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