若林忠宏 個人プロフィール 【考え方と性格】

   
   

【結果にこだわらない】
 
「自分が何時も正しいと思っている」と思われがちですが、「物事に正しい、正しくないなんて無い!」が本音です。
  民族音楽の事を言えば、思い立った1970年前半から20年近く「変な音楽」の扱いでしたし、それで音楽家を自称するのは「正しくない」時代でした。それが今日迄何度か「民族音楽ブーム」と言われた時がありましたが、その度に「ほら見た事か!」という顔をしているように思われた部分もあります。
  でも、何時だってブーム自体に疑問、懸念があります。「音楽ってそんなもんじゃないだろう!」的な。すると折角ブームになっているのに「頑固だ!」やっぱり「自分が何時も正しいと思っている」の定評が固まる様なのです。

  結果や結論はむしろどうでも良くて、「考え方」と「プロセスに於ける頑張り度合い」が唯一大切だと思っているので、ともすると結果や結論はどうでも良い。音楽の場合「雑な演奏だったけどハートが伝わった」ライブ実況録音盤もあれば「後に残せる名演。聞く度に味わいが増す」というスタジオ録音盤の両極端だって共に「有り!」ですよね。

 人生も日々の行動もこれと一緒だと思っているんです。

 逆に損得や後先を考えて結果を想定してペース配分する様な感じが大嫌い。
後に残すスタジオ録音の場合でも「丁寧に」だけじゃ「聞く度に味わいが深まる」筈もありません。
  ライブ盤の時は「ノッテしまう事と戦い乍ら」音の丹念さに思いを込めて演奏するから良い。ライブ演奏ではノリ過ぎてハチャメチャになることとの戦いもあります。かと言って何処かで覚めた自分が有ったり、精一杯出し切れないところが有ったら悲しいです。
 常に自分との戦いが有って、結果をより高めて行ければ良し。少しでも手抜きや計算や相手次第の部分が有ったら「嫌」。
  こんな所にはには確かに「こだわって」来ました。
 それを自分では「とっても音楽的」と美化しているんですが、最近八丈島の山羊が船に興奮して岩山をどんどん昇って行く映像を見て、ちょっと「焦っ!」を感じました。

【ONの時とOFFの時。変幻自由な価値観】
 「考え方」と「価値観」というものも似ていて常に同じじゃない。
 基本的に「手を抜くな」「つまらぬ定説なんぞ糞食らえ!」「新しい価値観を創りだしてやろうじゃないか!」という意気込みは持ち続けたい。
 民族音楽と同時に出会った70年代の「ハードロック」の精神が染み渡っています。
  ところが自分が創り出した価値観が定説に成る頃には自らそれをぶちこわす。まるでシヴァ神の様な感覚。やっぱりインド?

 その一方で、好きな事を黙々とやっていられるオタクな部分。その時のもの凄い集中力の反動か? 興味の無い事への驚く程の無関心。
  先日もある演奏会で一部と二部の表情の余りの違いを写真で見せられて、我ながら唖然としました。

 「止まったら死ぬサメの様」と評される一方で、興味が無い事、どうでも良い事に呑気で欲が無く無精で、面倒臭がり屋。総体的には意外にそんな「OFF」の時の方が多いかもしれません。
 基本的には、時間を忘れて「好きな事をずっとやっていたい」
でも大人になるに従って、時間に追われる。仕事量を時間で割って評価されるに従って、より多くの事をこなしたいが為に常に時間に追われている。
 皮肉な事にやりたい事の時に自分らしくなく急いでいる。
 若い頃は逆にそれで良かったのかもしれません。
 やりたい事で好みのやり方が出来ないのは「むしろ辛い」とも思いましたが、逆だったらもっと辛い。やりたく無い事にOFF気味で力を抜いてのんびりやれたのは良かったと思います。人に合わせたり、待ったり。そんな時間はOFFにしてのんびり過ごします。
 一度だけ母を中央アジアの旅行に連れて行った事がありますが、長い飛行機の旅に「高所恐怖症でせっかちなあんたが驚いたわネ」と言っていました。
 
「優しい」「暖かい」とも言って貰うので「平和」で「長閑」な部分、ヴィシュヌ神的な志向も強いかもしれませんが、OFFの時の私を見て本質の優しさを見抜き、ONの時の姿を見て「そんなに頑張らなくて良いヨ」と言ってくれる人はごく僅かです。
 

 自分の苦手な事や、嫌いな事、人に振り回される時、その人が好きだから合わせたい時、しかたなしに合わせる時。そんな時にむしろ本来の自分らしく、長閑に、優しい気持になれる。きっとそうやってバランスを取って来たのかもしれません。
 ここにも山羊座のA型の長子気質が現れているかもしれません。
お子様ランチの中で好物を後に取っておいて、嫌いなものから食べる様な。
 もっとも嫌いな食べ物って無かったですから、それほど好きじゃないものから。
 ただこれがクセになって行くうちに、好きじゃなかったものが、いつの間にかゆっくりと慈しみ乍ら、最優先されて、自分らしさで接して、好きだったものが残りの時間に慌てて食べる。気付けば人に合わせてニコニコしている時間が多く成って、自分の好みや我が儘を通す時間が足りなく成る。
 この構造は一頃悪い形に出ました。
 物事への執着心が希薄で、成長の見込みが無い人に丁寧に教えて、見込みのある人に昔風の「ボーヤ」見たいなぞんざいな教え方になってしまいました。
 元々自分が独学から始めたので、人間として好きなタイプや見込みのある人には「少しは苦労しなヨ!その方が身につくヨ!」となって。逆に「心が通じない人」は「言っても通じない」「心地よい言葉を喜ぶ」ならば希望通りにしましょう、と。そんな様で誤解した、見込みの有ったお弟子さんも少なくないかもしれません。ん? そんな理解力じゃ見込み違いだったのかな?
 ただ身内にキツい、外様に丁寧、はやっぱり見苦しかったかもしれません。
今では相手を選ばず、何時でもニュートラルが出来る様になりました。やっとこんな時期を迎えて、これから更に自然に接する事が出来、自然に受け渡しが出来るのでしょう。

 ところが民族音楽に対しては「あんたは飽きっぽい」と言われていたので、ひとつひとつのジャンルを「飽きても辞めずに」頑張って来ました。すると飽きかけた音楽の更に先を見る事が出来て、蘇った興味は果てしなく続きました。
 興味がなかったジャンルも続けて行くうちに興味が湧いたり、愛着が湧いたり。その結果が世界中の民族音楽になりましたが、いつの間にかそれらの音楽を、より深層に近い所で捕らえている感じです。すると「肝心なのは根っこ」という事にたどり着き、「結果は二の次三の次」興味が無くてボーっとするのと、興味が有って無心に取り組むのが、次第にジャンルの違いではなくなって行きました。ジャンルに関わらず、表面的なものには興味が薄れ、内面的なものにより強く惹かれる様になりました。
 これを理解してみると、自分の「ムラっけ」の理由も分かりました。
「受け手」の段階では興味や価値観で判断せざるを得ませんが、「伝え手」の立場に居ますと、結果はその大元に原因がある。枝葉はその根っ子に命がある。
 

  本番になった頃に「飽きる」のが嫌だからリハーサルが嫌い。本番 に臨まなけりゃ何も分からないがその建前的な理由。だから緊張しないから楽屋では「退屈」。演奏が終わればさっさと打ち上げしたい。ひっくるめて見たら「この人本気で音楽やってるの?」と見えるかもしれません。でもそんな私から見れば、逆に音楽はとっくに始まっているし、終演後も続いている。極端に言えば「音楽は人生や生活そのもの」「それこそプロ」。だから巷のプロが緊張したり、カリカリしたり、逆に打ち上げで音楽の話しをしないのが「嫌い」。「本番の瞬間に出し切る」を「プロ」と言うのが「嘘くさい」。「非日常的」な感じ。「生き様が音楽家」に思えない。そう思って見れば、つまらない音楽をする人は打ち上げの話しも見事に「つまらない」。
 人として「面白くない」人の音楽が面白い訳もなく。
ある意味で「面白ければ良し!」という価値観。でも本当に「面白い」ということは「色々」である事ですから「心地良い」「楽しい」「可笑しい」ばかりではない筈。「気難しい」「気まぐれ」「焦り」「イライラ」も有っても良い筈。
 インド音楽の「ナヴァ・ラサ=九つの感情」 そろって音楽、人生。
 それを「良い所」だけを見せようとすれば「つまらない」し「非日常的」当然「人間臭い」「泥臭い」から遠く成れば「非民族音楽的」。
 それ以前に「その人らしくない」「他人に入れ替えられる」様な仕事はして欲しくない。ギャラの高い低いや職種、立場に関わらず。

 インド音楽的と言うならば、まさに今迄の人生まるで「インド音楽」
行き当たりばったりの「即興演奏」の様。でも、こだわりと頑固さが「基本」。
理論が有って、基礎力があってこその「即興演奏」。
 逆に常に「理論」と「実践」のせめぎ合い。理論通りに持って行く根性が自分を高める。けれど、現実に振り回されない事ばかりでも学べない、成長出来ない。時には他人や周りに上手く影響され乍ら。
 インド音楽の神髄を一言で言うなら「なんでも有り」
 ヒンドゥー教とイスラム教という両極端が出会って生まれたインド音楽。
 インド音楽、とりわけ弦楽器シタールの音楽はそんな極端な文化、価値観の両親から生まれているのです。
 思えば自分も、AB型の母とO型の父だからAO型なんですが、B型の影響も強い。かなりに「なんでも有り」「多重人格的」。

  即興演奏家は「意のままに」に演奏している様に見えて、即興から理論を構築するこじつけが得意。即興の連続である一曲を、どこかで客観視していて全体をまとめる技にも長けている。「なんでもあり」「ただし、後でつじつま合わせが出来れば」「理論的に言い訳が出来れば」。

 こんなことが「価値観」だったり「こだわり」だったりするので、やっぱり通じ憎い。誤解され易い。でしょうね。
 たしかに「厄介」な 「山羊座A型長子」の性格。

   

   
     
 
   





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