杉並区立荻窪小学校は、新宿から吉祥寺までのJR中央線の荻窪駅、渋谷から吉祥寺迄の井の頭線の富士見ヶ丘駅の中間位の、当時は長閑な住宅街にありました。
主にサラリーマン家庭の子息、お屋敷エリアもあって経営者級の裕福な家庭も多い学区でした。
私は、小学校六年間を通してかなりにボケ少年でした。端から見るとやることがユニークだったらしく、将来は「このままお馬鹿さんか大物」と言われていました。
勉強が嫌い。と、言いますか興味が無い事は全く無反応。家に帰って病弱な妹と遊んであげることと、夏は昆虫採集、冬は艦船手作り模型に明け暮れていました。
興味がある事に対しての集中力は半端じゃなかった様です。自分でも昆虫学者か船舶設計者か船乗りになるのが夢でした。その代わり学校は唯一の楽しみである給食の為に行っていた感じです。
小学2、3年生時、片仮名を全部読み書き出来たのは「昆虫図鑑」の御陰です。加えて、旧日本海軍艦船の名前を駆逐艦迄全部暗記してので、日頃の行動のユニークさを加えて「天才かも知れない?」「でも何故それが学校の科目に生かされないのか?」と周囲を悩ませていた様です。
「自意識」というものが全く欠如していた少年でした。と、言うよりそれは青年に成っても同じだったかもしれません。今もかも。
忘れ物が多く毎日何かで廊下に立たされましたが、 自意識がほとんどなかった御陰でさほど苦痛ではなく、「役者の子!!」と石を投げられ虐められ、庇ってくれた女子とばかり遊んでいれば「女ったらし」と石を投げられるなど、かなりに虐められていましたが、いじめを認識したのは中学に入ってから、というほど自意識がない、ノンビリ少年でした。
自分の記憶にある小学校の辛い想い出は、従兄弟のお下がりのハイソックスがたるんで丸くずり落ち、何時もショートソックスになっていたことだけ。
父親が野鳥を数百羽飼っていた世話を手伝わされていたので、学校でもうさぎ小屋の飼育係を拝命、何時も生き物の世話をしていました。
普通の子と違うユニークさが原因でしょうか?
五年生の時に六年生女子の間に何故かファンクラブが出来ました。
その中のボス格の女の子が、ある女の子との交換日記を強い、訳も分からず逆らえずに従った、という今思い出せば赤面の記憶があります。
女の子は進学の悩みや、部活の楽しさを書くのに、返す日記は「今日カナブンを数匹捕まえました。凄く奇麗で感動しました」のノリでした。
写真:左、割り箸細工の船に夢中。右、我が家のアヒル。
小学校時代で両親や叔父達に感謝する点は、子供の趣味なのに本格的に応援してくれたことです。夏場の趣味の昆虫採集では農林研究所当時に連れて行ってくれて昆虫学者の服部先生にお話を伺え、冬場の趣味の船舶模型作りでは当時からサントリーCMで有名だったイラストレイターの柳原良平さんの「船ファン・クラブ」に最年少で入会させてくれました。
左の葉書は、会員証代わりの柳原氏の直筆絵葉書。超貴重品です。 |