ギリシャ弦楽器ブズーキ
 

 ギリシャ弦楽器ブズーキは映画『日曜は駄目よ』の主題曲などで世界的に知られ、20世紀になってからアイリッシュ・ミュージックにも用いられるようになりポピュラー・ミュージックの世界でも有名な弦楽器となりました。

  一般にトルコ弦楽器サズがもたらされたと言われますが、それ自体は当たっているがその音楽レベティカの解釈、確立の経緯については日本のみならず外国の研究者も不正確な記述を繰り返しています。


(一般にレベティカはトルコ音楽が1923年のギリシシャ・トルコの住民交換によってもたらされたと言われる点、その主流をスミルナ派とする点、アテネ郊外の港町ピレアにピレア派があったという点、などに多くの誤解がある。)これについては執筆中の「ギリシャ音楽のすべて」を参照下さい。

 初期のブズーキはサズィ・ブズーキ、マンドリン・ブズーキ、ジュラ・ブズーキ、ブルガリ・ブズーキ、バグラマなどが有りましたが、1953年にポップ系のブズーキ奏者のマノリス・ヒオティスが複弦4コースの楽器を開発してからはもっぱらそれが一般的となりました。

  ブズーキと共に発展してきたレベティカ音楽の創始者の一人マルコス・バンバカリス、その後輩のイヤンニス・パパイオアヌスなどは複弦3コースの楽器を用いていました。
  彼らの初期の写真に写るブズーキに糸巻が8個有るのはマンドリンの糸巻を代用したためで2個は弦が結ばれていません。

  ブズーキ音楽は幾つかの時代の転換によって常に弾圧の憂き目にありました。その都度たくましく生き延びてきたが一般に言われているレベティカとその後のライカの定義についてはかなり再考が求めらます。

   
   若林忠宏とブズーキの出会いは、在米移民を中心とした1960年代アメリカのギリシア音楽ブーム期にイタリアのエコー社が作った歴史的な楽器を1977年頃在入手した時です。
  その後、1980年には同じようにドイツの楽器社が作った楽器を入手し、これらで日本初のブズーキ楽団が誕生しました。

  自営の民族音楽ライブ・スポットでの定期ライブの後、1988年の横浜産業貿易センター、渋谷東急プラザで演奏しました。

  ドイツでギリシア人に学んだ日本人アマチュアやギリシア大使館員の音楽マニアなどに学び、1991年にはロードス島のネリー・デモグル民俗舞踊団の主席演奏家イリアス師にラウト、リラ、ブズーキを学び、1995年以降はエーゲ海学会、1996年以降はギリシア大使館関係の演奏会を年数回務め、その都度、ギリシア人音楽ファン、マニアのアドヴァイスを受けて育てられて来ました。

  現地に於いてさえ広義のレベティカ、ライカが氾濫し甘ったるいエンテフノやエセのワールド・ミュージック取り込み音楽がまかり通る今日こそ、テクニックに走るマニアックなレベティカ・リヴァイヴァルではなく、エリフセリア・アルバニタキ周辺のミュージシャン以上の本物のレベティカを演奏する機会が求められます。

  が、現状はしばらくエンテフノさえ演奏しなくてはならない状況でもあります。