西アジア太鼓ダラブカ
 

アラブ花杯型片面太鼓「ダラブカ/タブラー」
 
花杯型片面太鼓のダラブカは古代ペルシアに於いて高度な科学音楽の発展とともに誕生しました。
  どんな太鼓でも、鼓面中央は低音が有り、縁には高音があります。それは直径の半分の同心円の所にあるので、そのサイズの低音を引き出す筒を取り付けることで低音と高音の分離を飛躍的に確立したのが花杯型片面太鼓の知恵です。

  古代ペルシアのザルブ(叩くという動詞に由来)トンバク(低音高音を表した擬音語に由来)と言う二つの名前で世界各地に伝わりました。
  最東端はインドネシア・マレーシアのゲドゥンバッで、最西端はモロッコのダラブカであり、西アフリカのジェンベです。

  バグダード宮廷古典音楽のペルシア人理論家は、当時信じられていた万物の四元素「地、水、火、気」に因んだ基本の四つの音が説明されていました。
  基本的に強弱ではなく高音と低音のコントラストで付加リズムを組み立てる独特な感覚です。
  付加リズム型はイーカアと呼ばれ古典音楽の旋法マカームよりも数100年も前に確立していました。
  弦楽器オウドの項でも述べましたが、アラブ古典音楽はトルコ古典音楽との癒着を考えなくてはなりませんが、アラブ古典音楽のイーカアは数種有り、トルコ古典音楽のウッスールは十数種、中央アジアのウッスールが十種前後、アラブ各地の民謡のリズムは数十種有ります。

   
   今日の日本ではベリーダンスのブームのお陰でダラブカの認知度も高まりましたが、古典音楽のリズムと民謡のリズムでは根本的にヴァリエイションの付け方が異なります。
  また舞踊もロマ舞踊、アルメニア舞踊、チェチェン人舞姫の舞踊、ギリシア人舞姫の舞踊、アラブ民俗舞踊によって伝統が異なります。それらをごっちゃにしたアメリカのベリーダンスの影響下にある流儀が大半である為、現状日本のダラブカは叩いて盛り上がれば良いのレベルです。

 定員200人そこらの会場でプラ・ヘッドの近代楽器にマイクを使うこと自体叩けてるとも言い難いですが。日本に現在数十人のダンサーが居ても、深くアラブ・リズムを理解している人は三人居るか居ないかの状況です。

  第一線を自負するダンサーが若林のダラブカを聞いて踊りに合わせにくいと言いました。打ち込みのリズムのような太鼓を演奏するということは、現地で本来は旋律楽器演奏家や舞踊家には非常に無礼なことになります。なぜならば「リズムキープして貰わねばならないほど私のリズム感は悪いってのかい?」と言うことです。
  すなわち「温泉芸者のカセットテープ踊り」という言葉が当てはまるのです。
  そのようなレベルの出稼ぎダンサー向けのCDや録音物を聞いてアラブ音楽だと思ってしまうのもしかたがないですが、本物のダンサーは、踊り自体が毎回違った表現なので、太鼓も同じ型を叩くということはありません。  
  若林忠宏とダラブカは、1973年頃に手製木製ダラブカによる独学で始まりました。
  その後パリのコンセルバトワール留学時代にアラブ人に学んだ日本人作曲家氏に学び、主に日本の中世ヨーロッパ古楽楽団で鍛えて頂きました。
  1980年頃からはまだ数人しか居なかった日本人ベリーダンサーのほとんどと共演し、1984年にはイラク国立舞踊団のダラブカ(イラクではタブラー)奏者に学び、後にエジプトの有名なレダ舞踊団に居たダンサーと二年近く組ませて頂いたのが大きな経験となりました。
  1989年には三味線の本條秀太郎先生の楽団に参加し細野晴臣氏と舞台で共演、1994年にはWOMAD横浜の舞台でパレスティナ人オウド奏者サラメ氏と共演。同じイベントに来日したスーダンのアリ・ハサン・クバーン楽団のダラブカ奏者にも学びました。