アラブ古典音楽弦楽器オウド
 

アラブ弦楽器オウド/トルコ古典音楽弦楽器ウート

 アラブ古典音楽は、7世紀にアラブ・サラセン帝国がササーン朝ペルシアを併合した際に古代ペルシア音楽の科学性に満ちた古典音楽がダマスカス宮廷にもたらされ、後のバグダードの宮廷で華麗に発展したものが基礎になっています。

 弦楽器ウード(オウド)は 一般に古代ペルシアの弦楽器バルバトがルーツと言われますが、実際はそんな単純なものではありません。
  バルバト自体も言わば幻の楽器で、細密画にも石壁のレリーフにも描かれていません。むしろアラブ三味線との関連があり、その点については執筆中の「三味線ルーツ」を期待下さい。

 バグダード宮廷のペルシア人演奏家の活躍については「アラブの風と音楽」(ヤマハ・ミュージック・メディア2003)を参照下さい。
  当時の複弦4コース・オウドはチュニジアに亜系が残っています。
  伝説的な音楽家ズィリヤーブことアブー・アル・ハサン・アリが考案したとされる複弦5コースのオウドは今日でもアルメニアやアゼルバイジャンでは主流です。さらに後世に追加された6コース目の単弦は、高音弦の上に張られることもある効果的な奏法の弦で19世紀中頃に見られるようになりましたが、ズィリヤーブのような「六弦になった逸話」はありません。

   
 

 近年のアラブ古典音楽の抱える問題点は、アラブ世界のジレンマとも関係しています。
  11世紀頃より中央集権力が弱まって、辺境でベルベル人、トルコ人の隆盛を見た結果、何がアラブ音楽の神髄であるかを明確に示している楽派が非常に少ないのです。
  シリアのダマスカスはトルコ古典音楽と密接な関係にあったスーフィー神秘主義メヴレヴィ派の影響が強く、チュニジアは音楽的に未だにトルコの属国の様で「正統アラブ楽派」からはほど遠い音楽です。
  イラクは戦後の古典音楽復興の為にイスタンブールより指導者を招きました。
エジプトはごく短い期間アラブ古典音楽・ルネサンスを展開したが、すぐに近代音楽の発展期に入ってしまいました。
  地域的にはシリアのアレッポ楽派、イエメンのサヌア楽派が伝統アラブ古典音楽に最も近いと思われますが、演目と演奏スタイルを見極めることが出来なくてはならないのは同じです。

  また近年の旋法マカームの即興的な独奏に於いては、二つの流儀が混同しています。ひとつは中世のインシラフに端を発する序奏的な流儀で、ひとつはオスマン・トルコ末期に発展した複数の旋法マカームの転調手法です。

  またイラク楽派、ダマスカス楽派、アレッポ楽派、カイロ楽派、モロッコ楽派、イスタンブール楽派では自由リズムの律動感も全く異なります。

  古典音楽アンサンブルではオウドは貴重な低音楽器で、特にトルコ古典音楽のタンブールのような低音楽器を用いないアラブ古典音楽では、オウドの低音の手法が楽派の流儀の個性を最も良く表しています。

   
   若林忠宏のオウドとの出会いは1973年に遡ります。
  民族音楽楽団のメンバーの父親がエジプト出張で買ってきてくれたオウドによって始まりました。
  その後イラク大使館の文化次官、エジプト大使館員のアマチュアに学び、1983年には渋谷山手教会で行われたパレスティナ難民救済チャリティー演奏会で水牛楽団と同じステージで、故天本英世氏の朗読と共演し、1985年には世界的に有名なイラクのオウドの巨匠ムニール・バシール氏の秘蔵っ子サフワット・ムハマド・アリ師に師事しました。
  1987年には愛知県リトルワールド、伊豆修善寺ラフォーレで演奏、1987年12月のルーテル市ヶ谷教会でのリサイタルでは、時のアラブ連盟大使、アラブ文化研究者牟田口先生のお褒めの言葉を頂きました。
 1991年には三味線の名演奏家本條秀太郎先生の伴奏で細野晴臣氏とも共演し、1994年にはWOMAD横浜の舞台でパレスティナ人オウド奏者サラメ氏と共演しました。