| アフガン弦楽器ラバーブ |
|
|
| 若林忠宏は、1973年頃の最初の自作ラバーブの後、1975年頃に本気でアフガン音楽に惚れ込み取り組んでラバーブ改良型、タンブールなどを自作しました。 その後インドにてアフガン楽士の末裔のシタール、サロードの流派の一員となりラバーブ奏法についても学びました。 若林忠宏のサロードの師匠ウスタード・ウマール・カーンの師匠であり彼の祖父であるウスタード・ケラマトゥッラ・カ ーンはサロードとラバーブの双方の巨匠として「インド政府出版局」の「インド音楽の楽器」にも明記されています。1985年からはアフガン難民児童に医薬品を送る会のチャリティー・ライブを定期的に行い、そのことが認められペシャワールの難民キャンプで医療団への慰問演奏を行い難民楽士にアフガン音楽を学びました。 ペシャワールのアフガン難民のミュージシャンの間で知られた為、翌1987年には渡豪するラバーブ演奏家のズィアウッディン師が東京を訪ねてくれてスーフィー神秘主義のラバーブ奏法も学びました。 しかし一向に平和が訪れないアフガニスタンを憂いて1989年からほとんどラバーブを封印してしまい(途中幾度かアフガン音楽をやりたいという声にやる気を出せども必ず直ぐに裏切られた)ましたが、2001のアフガニスタン空爆によって戦火ばかりが報道されることを憂いた在日アフガン人の展示会を皮切りに再び演奏を再会し、京都西陣の織元澤屋十兵衛氏の引き立てでは全国の展示会で演奏を行いました。 2002年からはアフガン空爆の不当性を訴える国際市民法廷の日本スタッフの方々の目に留まり,アフガニスタン人の心に触れる僅かな機会と、市民法廷の集会でも演奏させて頂きました。 2004年は名古屋のアリアナ平和基金及び名古屋在住のアフガン人旧友の招きで名古屋でも頻繁に演奏させて頂いています。 |
|
| ルバーブの主なレコーディング経歴 (敬称略) 1987 1988 1990 |