アフガン弦楽器ラバーブ
 

アフガン弦楽器ラバーブ(ルバーブ)
 サロードの項でも述べていますが、ラバーブはアフガン宮廷音楽の主流の弦楽器であるとともにアフガン南部の主要民族パシュトゥーン人の最も好む楽器です。
  この楽器に弓奏楽器のような括れがあることや、弓奏楽器の名前を持つことなどは非常に興味深いテーマで、これらについては執筆中の「三味線のルーツ」をご期待下さい。
  アフガニスタンと言う国は非常に経験なイスラム教徒正派の人々が多い国で、つい近年まで一般庶民が音楽を演奏することはなく音楽家は一箇所に集まって暮らしていました。
  それ故に彼らの中の格の違いやスーフィー神秘主義との関係について一般の人々が知らないことが多く、彼らは宮廷楽士とスーフィー神秘主義音楽と庶民の冠婚葬祭音楽の三種類を彼らの社会の中で分けていました。
  これらの他に村にはデムと呼ばれるあらゆるサーヴィス業を一手に引き受ける部族がいます。彼ら勿論優秀なミュージシャンですが、デムすなわちミュージシャンという単純なものではありません。これらについては欧米の民族音楽学者も誤解しています。

   
   若林忠宏は、1973年頃の最初の自作ラバーブの後、1975年頃に本気でアフガン音楽に惚れ込み取り組んでラバーブ改良型、タンブールなどを自作しました。
  その後インドにてアフガン楽士の末裔のシタール、サロードの流派の一員となりラバーブ奏法についても学びました。

  若林忠宏のサロードの師匠ウスタード・ウマール・カーンの師匠であり彼の祖父であるウスタード・ケラマトゥッラ・カーンはサロードとラバーブの双方の巨匠として「インド政府出版局」の「インド音楽の楽器」にも明記されています。

  1985年からはアフガン難民児童に医薬品を送る会のチャリティー・ライブを定期的に行い、そのことが認められペシャワールの難民キャンプで医療団への慰問演奏を行い難民楽士にアフガン音楽を学びました。

  ペシャワールのアフガン難民のミュージシャンの間で知られた為、翌1987年には渡豪するラバーブ演奏家のズィアウッディン師が東京を訪ねてくれてスーフィー神秘主義のラバーブ奏法も学びました。

  しかし一向に平和が訪れないアフガニスタンを憂いて1989年からほとんどラバーブを封印してしまい(途中幾度かアフガン音楽をやりたいという声にやる気を出せども必ず直ぐに裏切られた)ましたが、2001のアフガニスタン空爆によって戦火ばかりが報道されることを憂いた在日アフガン人の展示会を皮切りに再び演奏を再会し、京都西陣の織元澤屋十兵衛氏の引き立てでは全国の展示会で演奏を行いました。

  2002年からはアフガン空爆の不当性を訴える国際市民法廷の日本スタッフの方々の目に留まり,アフガニスタン人の心に触れる僅かな機会と、市民法廷の集会でも演奏させて頂きました。

  2004年は名古屋のアリアナ平和基金及び名古屋在住のアフガン人旧友の招きで名古屋でも頻繁に演奏させて頂いています。
   ルバーブの主なレコーディング経歴 (敬称略)

1987
若林マリ子/Vap 30220ー28(LP)Sarod/Bouzouki/Rubab/

1988
七福神 /Vap  30305-28(LP)Sarod/Sitar/Tabla/Bouzouki/Saz/Rabab

1990
浜口茂外也(Pec)クラウン CRCP-20004(CD)
Rabab/Tabla/Bendir/Santur/Oud/ Percussions/Sitar/Oud/Saz/Darbuka/Doira