弓奏楽器サーランギー  Sarangi

インド弓奏楽器 サーランギー

 北インドにイスラム王朝が出来る10世紀前後、今日のパキスタン、アフガニスタン、イラン南東部から多くの放浪芸人、吟遊詩人がインドに訪れていた事は十分想像出来ます。かれらの主流の楽器は、撥弦楽器ではなく、弓奏楽器であった事も。同様の芸能が西に伝わったものは殆ど弓奏楽器です。

 今日のインド音楽の主流とされている弦楽器シタールや太鼓タブラ、そしてこのサーランギーはいずれも、インド花柳界の楽器でした。 
 世襲の専門一族は、女子が生まれれば「歌姫」「舞姫」。男子が生まれればタブラとサーランギー。この伝統は、イスラムに改宗した一族も、再びヒンドゥーに戻った一族も同じに、ごく近代まで続いています。

 
サーランギーの字義は「サウ=100/ラング=彩り」すなわち百の彩りの音色を誇る弓奏楽器と言う事ですが、「声楽家の影」と言う素敵な表現がある程「肉声」「インド声楽の装飾法」そして「余韻」に長けた楽器です。

 しかしながら「動物の皮の上に腸を張り、尾毛で擦る」楽器は「菜食主義」のヒンドゥー教徒には敬遠され、イスラム宮廷音楽の時代になってもなお、その地位は低く扱われていました。

 おそらく「最も難しいインド楽器」であるにも関わらず、待遇が悪く、インド共和国独立前後の時代には「西洋足踏みオルガン」を改造した「ハルモニヤム」がもてはやされるなども加わって、急速に演奏者を減らしました。



★写真左より「シタールとサーリンダーの東インドのMIX楽器:エスラージ」「シタールとサーランギーの西インドのMIX楽器:ディルルバ」「サーランギー」

   
インド古典音楽のサーランギー
 

  イラン南東部からパキスタン、アフガニスタン、北インド、東インド、ネパールにまで広がる、大きな弓道のくびれと、尖ったくびれの両端。バックロードホーン型の胴体の「サーリンダー」系の弓奏楽器が、サーランギーの元と思われますが、くびれの浅いサーランギー属は、どちらかと言うと「丸太」「長方形の箱」の様です。

 これらのグループは、パキスタン中北部から、北インド西部に広がり「サーランギー」の名前で様々なタイプが有ります。修行僧の「ジョギヤ・サーランギー」地方名を冠した「パンジャブ・サーランギー」「スィンディ・サーランギー」小型の楽器「チカラ」はサーランギーの名前は省かれています。

 これらの「民謡サーランギー」は放浪芸人が演奏する他、西インド・ラージャスターンの砂漠では芸人村の楽団がたいへん有名です。ここでは「サーリンダー」系とも「サーランギー」系とも異なる、古代ペルシア直系の弓奏楽器「カマイチャ」も使われます。

 これら幾つかの源流を元にして、デリー宮廷のセミクラシックや、デリー近郊の「冠婚葬祭音楽芸能村」などで発展し「古典音楽サーランギー」が確立します。
 
 SonipatとPanipatの二大源流から、東斬し、モラダバード派が生まれ、砂漠の芸人系のジャイプール、ウダイプールの流派が追従します。
 一方、花柳界の「舞姫」の伝統は「宮廷古典舞踊:カタック」に昇華し、それに伴い「カタック・タブラ・サーランギー」の総合的な流派も発展します。アグラ派、ベナレス派などがそれですが、アグラのタブラ流派は「タブラ六大流派」には数えられておらず、カタック流派の最古参のラクナウ派はタブラ流派は「タブラ六大流派」の一つですが、サーランギー流派を持っていません。

 
 19世紀後半のイギリス植民地、西方からの脅威などでデリー宮廷が衰え、主流古典音楽の演奏家が地方に散ったり、格のこだわりを捨てる頃には、サーランギーの地位も向上し、グワリオール派、ランプール派なども生まれました。

 サーランギーの流派からはキラナ派、パティアラ派などの有名な「古典声楽流派」も生まれ、サーランギー奏者の一族からは優秀なタブラ奏者も生まれています。
 近年では、逆に声楽流派からサーランギー奏者が出るなどの不思議な現象も生まれています。更に撥弦楽器ながら、弦を押さえる事をせずスライドバー(金属球)で音を決める「ヴィチトラ・ヴィーナ」はサーランギー奏者の流派から生まれています。この撥弦楽器を「古代楽器」と言う間違った宣伝がありますが、19世紀末から20世紀初頭に掛けて考案されています。

 本来「古典声楽」の伴奏楽器でしたが、20世紀後半に巨匠の域に達した名演奏家Pt.ラーム・ナラーヤン.ミスラ氏によって「独奏楽器」の地位を得ました。
 氏はウダイプール派で、弟は、Pt.ラヴィ・シャンカル氏が欧米で活躍した当初の名タブラ奏者チャトゥルー・ラール氏。
 
 ラーム・ナラーヤン氏と並んでソリストとしての名声を得たのが、モラダバード派の巨匠、Ud.グーラム・サブリ・カーン氏。若林忠宏は、35年前に「インド音楽オムニバスLP」で氏の演奏を聴いてサーランギーに魅せられました。 氏は2007年9月に福岡市にのみ来日し、若林忠宏も感動の出逢いを果たしました。




【若林忠宏とサーランギー】 
 1979年にデリーの楽器店リキラムに特注したサーランギーで練習を始め、1980年初渡印研修でバテカンデ音楽院のサーランギー演奏者Pt.J.N.ミスラ(ベナレス派)に師事。1980年日本初のサーランギー奏者となる。
「奏者不足のサーランギーの為にも日本に帰らないでくれ」と言われる程の期待を受けましたが、古典声楽が歌えるどころか、叙情歌も歌う人の居ない日本では演奏活動が成り立たなく、自分のライブハウス(1978〜99)の他は、武蔵野インド祭り、下北沢音楽祭、などで生徒数十名の「インド音楽オーケストラ」の際に演奏しました。