イラン南東部からパキスタン、アフガニスタン、北インド、東インド、ネパールにまで広がる、大きな弓道のくびれと、尖ったくびれの両端。バックロードホーン型の胴体の「サーリンダー」系の弓奏楽器が、サーランギーの元と思われますが、くびれの浅いサーランギー属は、どちらかと言うと「丸太」「長方形の箱」の様です。
これらのグループは、パキスタン中北部から、北インド西部に広がり「サーランギー」の名前で様々なタイプが有ります。修行僧の「ジョギヤ・サーランギー」地方名を冠した「パンジャブ・サーランギー」「スィンディ・サーランギー」小型の楽器「チカラ」はサーランギーの名前は省かれています。
これらの「民謡サーランギー」は放浪芸人が演奏する他、西インド・ラージャスターンの砂漠では芸人村の楽団がたいへん有名です。ここでは「サーリンダー」系とも「サーランギー」系とも異なる、古代ペルシア直系の弓奏楽器「カマイチャ」も使われます。
これら幾つかの源流を元にして、デリー宮廷のセミクラシックや、デリー近郊の「冠婚葬祭音楽芸能村」などで発展し「古典音楽サーランギー」が確立します。
SonipatとPanipatの二大源流から、東斬し、モラダバード派が生まれ、砂漠の芸人系のジャイプール、ウダイプールの流派が追従します。
一方、花柳界の「舞姫」の伝統は「宮廷古典舞踊:カタック」に昇華し、それに伴い「カタック・タブラ・サーランギー」の総合的な流派も発展します。アグラ派、ベナレス派などがそれですが、アグラのタブラ流派は「タブラ六大流派」には数えられておらず、カタック流派の最古参のラクナウ派はタブラ流派は「タブラ六大流派」の一つですが、サーランギー流派を持っていません。
19世紀後半のイギリス植民地、西方からの脅威などでデリー宮廷が衰え、主流古典音楽の演奏家が地方に散ったり、格のこだわりを捨てる頃には、サーランギーの地位も向上し、グワリオール派、ランプール派なども生まれました。
サーランギーの流派からはキラナ派、パティアラ派などの有名な「古典声楽流派」も生まれ、サーランギー奏者の一族からは優秀なタブラ奏者も生まれています。
近年では、逆に声楽流派からサーランギー奏者が出るなどの不思議な現象も生まれています。更に撥弦楽器ながら、弦を押さえる事をせずスライドバー(金属球)で音を決める「ヴィチトラ・ヴィーナ」はサーランギー奏者の流派から生まれています。この撥弦楽器を「古代楽器」と言う間違った宣伝がありますが、19世紀末から20世紀初頭に掛けて考案されています。
本来「古典声楽」の伴奏楽器でしたが、20世紀後半に巨匠の域に達した名演奏家Pt.ラーム・ナラーヤン.ミスラ氏によって「独奏楽器」の地位を得ました。
氏はウダイプール派で、弟は、Pt.ラヴィ・シャンカル氏が欧米で活躍した当初の名タブラ奏者チャトゥルー・ラール氏。
ラーム・ナラーヤン氏と並んでソリストとしての名声を得たのが、モラダバード派の巨匠、Ud.グーラム・サブリ・カーン氏。若林忠宏は、35年前に「インド音楽オムニバスLP」で氏の演奏を聴いてサーランギーに魅せられました。 氏は2007年9月に福岡市にのみ来日し、若林忠宏も感動の出逢いを果たしました。
【若林忠宏とサーランギー】
1979年にデリーの楽器店リキラムに特注したサーランギーで練習を始め、1980年初渡印研修でバテカンデ音楽院のサーランギー演奏者Pt.J.N.ミスラ(ベナレス派)に師事。1980年日本初のサーランギー奏者となる。
「奏者不足のサーランギーの為にも日本に帰らないでくれ」と言われる程の期待を受けましたが、古典声楽が歌えるどころか、叙情歌も歌う人の居ない日本では演奏活動が成り立たなく、自分のライブハウス(1978〜99)の他は、武蔵野インド祭り、下北沢音楽祭、などで生徒数十名の「インド音楽オーケストラ」の際に演奏しました。
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