若林忠宏は、バングラデシコンサートの前の1973年に干瓢胴にブリキの指板を張ったサロードと桶胴にナイロン弦を張ったラバーブを自作し独学を始めた。その後日本初の民族音楽ライブスポットを始めた頃、アラウッディン派のシャロッド奏者 に師事する幸運に恵まれたが、実際は同派の日本支部長で日本に居着いていた男の下で同派の発展に尽くすことを義務付けられレッスンもごく僅かずつしか学べなかった為にサロードを断念しシタールに専念した。ところが初渡印で出会ったシタールの師ウスタード・イリヤス・カーンの家系がサロード発明のラクナウ・シャージャハーンプール派であったために幸運にも自動的にサロード最古の由緒有る流派の一員となった。1981年にはウスタード・イリヤス・カーン師の兄で一族のサロードの後継者(カリーファ)ウスタード・ウマ ール・カーンの内弟子となった。(さらに詳しくは「世界の師匠は十人十色」ヤマハ・ミュージック・メディアをご参照されたい)
写真:右上、インド音楽史に必ず登場するラクナウ派のサロードの巨匠ウスタード・ケラマトゥラ・カーン(ウマール師の叔父であり師匠)
左、古楽器スル・スィンガールを弾くウスタード・ウマール・カーン師
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