インド弦楽器サロード

 

北インド古典音楽弦楽器サロード
 ジョージ・ハリスンが呼びかけてボブ・ディラン,エリック・クラプトンらの豪華出演者によって話題となったバングラデシ難民救済コンサートのオープニングで、世界的に有名なシタール奏者のラヴィ・シャンカル氏と共演した義弟のアリ・アクバル・カーンの弾いた楽器シャロッドの前身が18世紀のラクナウ宮廷で生まれた弦楽器サロードである。
 北インド古典音楽には二種類の弦楽器ラバーブ(アラビヤ語で皮張を意味する)が有る。一つは16世紀にインドを統一したアクバル大帝の宮廷楽士長ミヤーン・ターン・センが中央アジアのパミール高原のラバーブに「サワリ音」の駒を付けたターンセン・ラバーブで、もう一つが16世紀以降北インド・ローヒルカンド地方で傭兵として部族単位で展開していたアフガン人達が用いていたアフガン・ラバーブである。
 アフガン・ラバーブは18世紀の初頭にカーブルの宮廷音楽の主流弦楽器となり、同時に北インドのローヒルカンド地方の宮廷宴音楽の楽器として好まれた。それをラクナウとシャージャハーン・プールのアフガン人宮廷楽士の孫達が改造したのがサロードである。
  アフガン・ラバーブは木製指板にガット(羊腸)の主弦に銅の共鳴弦であったが、サロードはそれを金属指板、金属弦に替えて左手の爪で弦を押さえ驚異的な余韻を持つインド音楽に適した弦楽器となった。前述のシャロッドはラヴィシャンカル氏の師匠であり、アリ・アクバル氏の父親であるアラウッディン・カーン氏が弦の数を増やし伴奏弦にサワリ音を付けたものである。非常に深みのある音でドゥルパッド音楽が衰退した後の近代インド古典音楽にはふさわしい楽器となった、逆に伝統サロードの方はアムジャッド・アリ・カーン氏が唯一活躍する他は、楽界から黙殺されつつある。

   
 

 若林忠宏は、バングラデシコンサートの前の1973年に干瓢胴にブリキの指板を張ったサロードと桶胴にナイロン弦を張ったラバーブを自作し独学を始めた。その後日本初の民族音楽ライブスポットを始めた頃、アラウッディン派のシャロッド奏者に師事する幸運に恵まれたが、実際は同派の日本支部長で日本に居着いていた男の下で同派の発展に尽くすことを義務付けられレッスンもごく僅かずつしか学べなかった為にサロードを断念しシタールに専念した。ところが初渡印で出会ったシタールの師ウスタード・イリヤス・カーンの家系がサロード発明のラクナウ・シャージャハーンプール派であったために幸運にも自動的にサロード最古の由緒有る流派の一員となった。1981年にはウスタード・イリヤス・カーン師の兄で一族のサロードの後継者(カリーファ)ウスタード・ウマール・カーンの内弟子となった。(さらに詳しくは「世界の師匠は十人十色」ヤマハ・ミュージック・メディアをご参照されたい)

写真:右上、インド音楽史に必ず登場するラクナウ派のサロードの巨匠ウスタード・ケラマトゥラ・カーン(ウマール師の叔父であり師匠)
左、古楽器スル・スィンガールを弾くウスタード・ウマール・カーン師