| インド古典太鼓タブラ |
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タブラが古典音楽の楽壇に登場したのは、花柳界の歌姫の歌曲の一種カヤールが古典声楽の地位を得た18世紀に成ってから。それによって既に存在していた花柳界の舞踊カタックも宮廷舞踊の地位を得たが、それはデリーよりも田舎のラクナウ、ベナレス、ジャイプール(比較的新しい都市)でした。 |
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| 若林忠宏は1972年の中学生の時、書籍の記述を頼りに丸木を刳り貫いてタブラを自作して独学を始めました。 1973年には本物のタブラを入手し、パルコのライブでサイケデリック時代の残党のシタール弾き(当時フォーク界の大御所西岡たかし氏などジョージハリスンの影響でインド音楽ではないシタールを弾く人は居ました)の伴奏でおそらく日本で初めてのタブラ奏者となりました。 1979年にベナレス派・アノケラール分派の演奏者(どちらかと言うとタブラ教師が本職の無名の演奏家)に師事し、日本人インド舞踊家の大御所ヤクシニイ矢沢さんが招聘した舞踊家でタブラ奏者のヴィジャイ・シャンカル師に師事しラリアナ派を学びました。 1980年の渡印でもバテカンデ音楽院でラリアナ派の巨匠アフメジャン・ティラクワ氏の弟子に学び、1981年にはシタールの師匠の相方ウスタード・ムンネイ・カーン師にファルカバード正派を学び、 1986年にはパキスタンでパンジャブ派のモハマド・カーン師に師事し、1989年にはデリー派とアジラーラ派の正当的な最後の巨匠としてインドの文献にも書かれているウスタード・ハシマット・アリ・カーン師に師事。滅び行く「正統デリー派」と滅んでしまった「アジラーラ派」を学んだ最後の日本人になりました。 1990年代には日本に数回来日したパンディット・ナヤン・ゴーシュ師に 師事し、1996年にはカルカッタでデリー派の演奏家とベンガル派のギャン・プラカーシュ氏の秘蔵子の一人サンジャイ・ムケルジー師に師事しました。インドでは複数の師匠につくことは最大のタブーであるが、シタールの師匠のご尽力と各師匠のご理解でインド人演奏家でも得ら れない経験を得ました。その辺りのいきさつは「世界の師匠は十人十色」ヤマハ・ミュージック・メディアをご参照下さい。 一般にタブラはたたき方を言葉で学びますが、内弟子だけが学ぶ事の出来る奥義は、太鼓言葉と実際の奏法が一致しません。 また難しい作品の習得の為にある特別な練習法ハッサダーも内弟子しか学べません。 また近年のタブラ奏法は速さや派手さに偏って、リズム分割はほとんど4の倍数ですが本来は5種類に渡ってリズム分割を行えて初めてプロと認められものです。 写真:右上、ウスタード・ムンネイ・カーン師、左中、パンディット・サンジャイ・ムケルジー師、右下、パンディット・ナヤン・ゴーシュ師 |
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| 主なレコーディング経歴 (敬称略) 1980 ヒカシュー/東芝EMI EWS-81292(LP)Sitar/Tabla 1982 1983 1988 1990 1991 1995 1995 1996 2000 2001 2001 2001 2002BIRDソニー AICL-1371(CD)Tabla |