インド古典太鼓タブラ
 

北インド古典音楽・インド亜大陸民謡太鼓:タブラ

 弦楽器シタールの相棒としてのみならず、ジャズやフュージョン・ミュージックに於いてもその驚異的な技法と音色で付けるアクセント手法、暖かみのある音色で人気の高い大小二つの片面太鼓をセットで用いる(それ故正式にはタブラ・バヤンと言う)太鼓。この タブラもシタール同様に北インドの花柳界で生まれました。

  中世北インドはイスラム王朝が繁栄していたにも関わらず宮廷古典音楽は古代ヒンドゥー寺院音楽の流れを汲むものであり、西アジア音楽の影響を受けた音楽や楽器は18世紀までは凖古典音楽の扱いでした。

  特にタブラはイスラム文化の侵入以前のカースト制度の時代からある芸能階級一族が用いた為に古典音楽の楽器となるのは弦楽器よりも遅れました。
 一族は女子は舞姫か歌姫となり男子はタブラ奏者か弓奏楽器サーランギー奏者と定められていました。

  16世紀頃のインド細密画では歌姫はシタールの前身の弦楽器タンブール(インド伴奏弦楽器のタンブーラとは別)で音を取り、相棒は今日の民謡両面太鼓であるドーラクを担当しタブラは登場していません。とは言え禁酒の掟があるイスラム貴族がお忍びで通った花柳界の風情を描く絵画が無いのも当然なので、絵画に見られないからと言ってタブラが16世紀になかったことにはなりません。

  タブラは格上の古い歴史を誇る両面太鼓パカワージ(ムリダング)を二分して生まれたと現地の音楽学者も言いますが、タブラには三種あり、タブラ・ダーマは確かにパカワージを二分したと思わせる形です。がタブラ・ドゥッギはむしろ西アジアに広く分布する椀型片面太鼓を指で打奏したものと思われます。今日のタブラ・バヤンは20世紀の新楽器です。

   
 

 タブラが古典音楽の楽壇に登場したのは、花柳界の歌姫の歌曲の一種カヤールが古典声楽の地位を得た18世紀に成ってから。それによって既に存在していた花柳界の舞踊カタックも宮廷舞踊の地位を得たが、それはデリーよりも田舎のラクナウ、ベナレス、ジャイプール(比較的新しい都市)でした。

  従って今日古典音楽に成って以後の系譜しか明らかになってはいませんが、それによると最も古い流派はデリー派、その門弟が始めたアジラーラ派、これとは別にラクナウ宮廷で確立したラクナウ派、その門弟から生じたファルカバード派、ベナレス派、とまたこれらとも別なパンジャブ地方の花柳界音楽一族からパンジャブ派が北インド古典音楽のタブラ六大流派と言われています。

  すなわちデリー/アジラーラの西方(パスチーム派)とラクナウ/ファルカバード/ベナレスの東方(プーラブ派)は全く次元の異なる音楽理論と奏法を持っていたのです。

 しかしながら今日、現地でさえも そうした本来の伝統は失われつつあります。

「時代の流れに適合してこそ生きた音楽」と正論ぽいことを言う人も少なくないですが、インド音楽の場合、イスラム教徒と袂を分かったパキスタン分離独立以後、ヒンドゥー政治勢力があからさまな歴史の塗り替えをしている事実に気づかなくてはなりません。

 パスチーム派の最大の特徴は右手の三本の指をバラバラに用いることで、その中でも20前半に直系跡取りカリーファが途絶えたアジラーラ派はさらに独特な奏法と不思議なリズム分割で知られました。

  ラクナウ派はカタック舞踊とともに発展しましたが、器楽に於いてはリズム分割の妙技と作品の面白さに特徴が有ります。

  ファルカバード派は最も器楽と連携して発展したため近代でも発展し続け、今日の最大流派となっています。
  19世紀にはムニール・カーンの門下がラリアナ派として個性を出して分派となっている一方で、カルカッタの名物奏者ギャン・プラカーシュ・ゴーシュ氏の門下もベンガル派と言えるほどの個性と人口と評価を誇っています。

  ベナレス派は民謡太鼓の奏法を取り入れた為に古典派の評価は低かった。逆に近代になってパカワージ奏法を取り入れタブラの奏法としては非常に面白いものを築くに至りました。
  パンジャブ派は三代以上系譜が辿れない謎の流派で、パキスタンに正派があえります。パンジャブ派を自称するインドの有名な演奏家親子が居ますが、現地ではインド人タブラ奏者さえも彼らをパンジャブ派と認知していません。

                                 Photo by Keisuke Etou(2006)

   
   若林忠宏は1972年の中学生の時、書籍の記述を頼りに丸木を刳り貫いてタブラを自作して独学を始めました。
  1973年には本物のタブラを入手し、パルコのライブでサイケデリック時代の残党のシタール弾き(当時フォーク界の大御所西岡たかし氏などジョージハリスンの影響でインド音楽ではないシタールを弾く人は居ました)の伴奏でおそらく日本で初めてのタブラ奏者となりました。

  1979年にベナレス派・アノケラール分派の演奏者(どちらかと言うとタブラ教師が本職の無名の演奏家)に師事し、日本人インド舞踊家の大御所ヤクシニイ矢沢さんが招聘した舞踊家でタブラ奏者のヴィジャイ・シャンカル師に師事しラリアナ派を学びました。

  1980年の渡印でもバテカンデ音楽院でラリアナ派の巨匠アフメジャン・ティラクワ氏の弟子に学び、1981年にはシタールの師匠の相方ウスタード・ムンネイ・カーン師にファルカバード正派を学び、ラクナウ派を現家元ウスタード・イルマース・カーン師に学びました。 

 1986年にはパキスタンでパンジャブ派のモハマド・カーン師に師事し、1989年にはデリー派とアジラーラ派の正当的な最後の巨匠としてインドの文献にも書かれているウスタード・ハシマット・アリ・カーン師に師事。滅び行く「正統デリー派」と滅んでしまった「アジラーラ派」を学んだ最後の日本人になりました。

  1990年代には日本に数回来日したパンディット・ナヤン・ゴーシュ師に師事し、1996年にはカルカッタでデリー派の演奏家とベンガル派のギャン・プラカーシュ氏の秘蔵子の一人サンジャイ・ムケルジー師に師事しました。
  インドでは複数の師匠につくことは最大のタブーであるが、シタールの師匠のご尽力と各師匠のご理解でインド人演奏家でも得られない経験を得ました。

その辺りのいきさつは「世界の師匠は十人十色」ヤマハ・ミュージック・メディアをご参照下さい。


  一般にタブラはたたき方を言葉で学びますが、内弟子だけが学ぶ事の出来る奥義は、太鼓言葉と実際の奏法が一致しません。

また難しい作品の習得の為にある特別な練習法ハッサダーも内弟子しか学べません。
  また近年のタブラ奏法は速さや派手さに偏って、リズム分割はほとんど4の倍数ですが本来は5種類に渡ってリズム分割を行えて初めてプロと認められものです。


写真:右上、ウスタード・ムンネイ・カーン師、左中、パンディット・サンジャイ・ムケルジー師、右下、パンディット・ナヤン・ゴーシュ師
   主なレコーディング経歴 (敬称略)

1980
ヒカシュー/東芝EMI EWS-81292(LP)Sitar/Tabla

1982
J.海山Neptune(尺八)/DAM DOR-0114(LP)Sitar/Tabla

1983
庄野真代/コロンビア AF-7208J(LP)Tabla

1988
七福神/ Vap  30305-28(LP)Sarod/Sitar/Tabla/Bouzouki/Saz/Rabab

1990
浜口茂外也(Pec)/クラウン CRCP-20004(CD)
Rabab/Tabla/Bendir/Santur/Oud/ Percussions/Sitar/Oud/Saz/Darbuka/Doira

1991
水森亜土(Vo) /バンダイ BCCA-14(CD)Saz/Tabla/

1995
我如古より子/ Vap WPDC20641(SCD)Tabla

1995
日出克(Vo) /ヴィクタ- BVCR-713 Sitar/Tabla

1996
川村昌子(琴) /MIRA PWS-9601 Tabla/Oud/Percussions/Jembe/ Bendir/ Congas

2000
NIGOトイズF/TFCC-88243(CD)Sitar/Tabla

2001
井上 薫トイズF/PRT492(CD)/Sitar/Tabla/Sarangi/Oud/Tar

2001
Flame Aurora/ INDIA(CD)/Santur/Tabla/Sarod/Sitar

2001
Heart to Heart /RENDEZVOUS/Sitar/Tabla/Congas

2002BIRDソニー AICL-1371(CD)Tabla