|
それは,一匹の生後数日の捨て猫から 始まりました。
真っ黒で尻尾が短く切れている,東京のノラに多い種族(?)のメス猫、里親さんを探すつもりだったので、いい加減に「クロチャン」などと呼んでいるうちに手放し難くなってそのまま家族の一員となったクーチャンがそもそもの始まり。
僕(若林忠宏)の家には,民族音楽の演奏を始めた高校入学の頃まで、生まれてからずっと何らかの人間以外の生き物が家族同様に暮らして居ました。
僕が生まれるや否や,「ソフィー」という名のコリー犬が居て、その後「チミー」という名のシャム猫が来ました。
そこまでは近所の友達の家とも同じ状況でしたが、我が家にはそ の他、父が尋常じゃない鳥類のマニアだったので人間の居住空間に当てはめれば8畳と10畳のふたつの大きな禽舎には小鳥はルリビタキ、キビタキから猛禽類はなんとインド孔雀まで数十種も居て、父が文学座の地方巡業の際は家族で世話をしていました。
ある日突然父が鳥達を手放して自分も家を出た後は、妹が貰ってきたシャム系の雑種のメス猫が二代目チミーとして唯一の人間以外の家族になっていました。
二代目チミーの子供達
我が家の経済力の問題か、その当時の時代か、我が家のペット意識か、僕らも滅多に医者にかかれなかった時代です。
具合が悪くなるなら学校で保健室の世話になれ、という位なもので、猫に避妊手術を施すなんて考えもしない頃です。
放し飼いも当たり前、当然のように二代目チミーはどこぞの野良の子を身ごもりました。
妹の布団の中で生まれて来たのが真っ黒とパンダ猫。
中学生の僕は大喜びでその頃既にハマっていたインド音楽に因んで名前を付けました。
賢いパンダの男の子はオプー(インド映画『大地の歌 』の主人公)。
スマートで気丈な黒猫はティナ(西インドの弦楽器「トゥンティナ」より。
少し弱かった黒のオスはグピ(インド弦楽器の「グプグピ」から)もう一匹の黒オスは母が好きな仏車の名プジョーを付け、紅一点のパンダのメスはインドの弁財天サラスワティより頂戴してサラと名付けました。
サラは僕らが口に何かを運ぶと部屋の端からすっ飛んで来て,口に入る直前で奪うほど元気な娘でした。甘いものでも平気で食べてましたが生まれて半年たたない内に、「今日は飛んで来ないなア」と探し回ったら,家の前の道路の縁石で冷たくなっていました。
そんな悲しいこともありましたが、我が家は彼らのお陰で楽しい日々を過ごしました。
ところが、母が父から分与された土地に新築のプレハブを建て家に彼らを入れなくなった頃、僕も遊びや音楽で家に居なくなり彼らをほったらかしにしているうちに、彼らは餌も貰いに来ることもななくなってしまいました。
突然家から追い出されながらもしばらくは「入れてくれ!!」と鳴く彼らの声は今も耳に残っています。が、ろくに家に居ない僕は,母の執拗な新築への思い入れに逆らえず共犯者になってしまったのです。
そのことに加えてもう一つ僕が彼らから逃げてしまった理由、きっかけがあります。
それ
は、抱きかかえた僕から逃げてすり抜けたティナが背中をストーブで打って一年以上も傷が治らなかったことへの罪悪感でした。今の生活なら、かすり傷でもタクシーで動物病院に運ぶのに。かわいそうな事をしました。
そんな心残りから今の11匹が居るなんていうのも人間のエゴ身勝手以外の何者でもありませんが、もうひとつ大きな出来事がその身勝手を決定付けました。
真夏の白昼夢?
まだクーチャン一匹という頃、でもクーチャンのことがきっかけで突然生き物好きの父譲りの病気が再発した僕が,日本産淡水魚(フナやモツゴ,モロコ,ドジョウ、タナゴなど)の飼育を始め、その飼育用品を買いに自宅から一時間も離れた目黒の熱帯魚店に行った時の事です。
うだる様な真夏の熱気におかしくなったとしか思えませんが意味も無くひとつ前のバス停で降りてしまい、とぼとぼ歩きながら、これもまた意味もなく枝振りの立派な大木に引き寄せられ見知らぬ路地を入って古い洋館の前まで行きました。
すると数匹の猫が出迎えたのです。なんと彼らは我が家にかつて居たあの子達にそっくりだったのです。
まずあのティナそっくりの黒、
黒猫なんて何処にも居ますが尻尾が曲がって長からず短かからずは珍しいのでびっくりでした。すると後からグピもプジョーも三匹も黒猫が現れたかと思えば、なんとパンダ猫のオプーまで現れたのです。
しかも彼らは返事こそしませんでしたが、「オプー!」と呼ぶとオプーのソックリさんが振り返り、「ティナ!」と呼ぶとティナのソックリさんが寄って来るのです。
彼らが生きていたとしたら20数歳「化け猫」でもありえない年齢ですが、見知らぬ土地に意味も無く入り込み、全員集合のあの子達に囲まれた不思議な現象はあまりにも意味深く、あまりにも衝撃的で象徴的でした。
これは何かの啓示に違いない!とクーチャンのオムコさん探しを始めました。
クーチャンにしてみても,飼い主に捨てられ家族を持たない孤独な生い立ち,きっと子供は欲しかろうと,これも勝手な思い込みですが、その当時は避妊手術の方が人間のエゴに思えたのも事実です。
さらに愚かな僕は、クーチャンが黒なんだから今度は相手がシャム系のオスならパンダ猫と黒が生まれるに違いない、と信じ込み、近所のペットショップに「丸シャム(若干雑種なのでシャム特有のクサビ型の顔じゃなく丸っぽい)」を探して貰いました。
その時までペットショップに行ったことは無かったので(父はむしろ犬猫から孔雀までのブリーダーだった)知りませんでしたが、ペットにも流行があったのですネ、シャムはただでさえ少ないのでなかなか見付かりません。
未計画?衝動買いが招いた大家族
ところが本末転倒といいましょうか、脈絡のない衝動と言いましょうか「まだかまだか」とそのショップに通う度に目が合ってるような気がしてしまっていたアビシニアンをついつい買ってしまったのです。
レオと名付けた彼は、生後半年経ってもなかなか買い手がつかず会う度に値下げされていました。イマイチ要領が悪く愛想が無いのが原因ですが、それは彼がとても心配性で甘え下手だからでした。そんな姿が妙に気になったのです。日頃愛想を見せない彼が「家においでよ!」と心で語りかけると、珍しくガラスの所迄近寄って来て。
クーチャンは猫好きの生徒さん達も驚くほどの気性の激しい子なのでレオとの引き合わせは慎重に慎重を重ね1週間部屋の中でケージに入れて慣らし、クーチャンは外から眺め、その後も食後の短い時間以外は別な部屋で過ごさせました。
最終的にはレオのタイミングの悪さは他の猫達にあまり好かれず、クーチャンとも仲良しってほどにはなりませんでしたが、喧嘩もありませんでした。
ところがその直後、丸シャムが見付かって しまったのです。
普通なら「もうお婿が見つかった」とお断りするんでしょうが、なんだか断りがたくて............。
クーちゃんは突然二人のお婿候補の子猫と対面です。
レオ以上に要領の悪い、と言うか泥縄即興の人生と言うか無謀、無計画の僕は、オプーの名を襲名させた二代目オプーとレオの二人の旦那をクーチャンに押っつけてしまったのです。
「でも、やっぱりこれじゃあまずい」と思った僕はこともあろうにレオのお嫁さん探しに矛先を転じました。
出来ればベンガルかオシキャットがいいな、などと呆れたことまで考えていましたら、本当にベンガルのメスと出会ってしまいました。
人生人との出会いや、お金が入る仕事との出会いはかなりまずい僕ですが、猫や犬や昆虫と楽器や師匠との出会いはとても運命的です。
ベンガルっていってもアメリカでブリーディングで生まれた品種で、僕が長年演奏しているベンガル民謡と関係がある訳ではありませんが、豹柄のスポテッドと虎柄のタビーが混じった感じはエキゾティックです。
アラビヤ名でアイーシャと名付けられたそのメス猫は、クーチャンに負けず気性の強い子でした。
アイーシャは、近くのデパートのペットコーナでなんと¥18万が¥1万になっていたのです。アイチャン(アイーシャ)はそのショップの出戻り猫で、里親探し中で、¥1万はワクチン代でした。
アイチャンを定価で買ったのはプロを目指す若いフォークシンガーで、アイチャンとの楽しい日々のはずが日々体の調子が悪くなりついに声が出ない状態になって医者に行けばなんと「猫毛アレルギー」と判明なくなくアイチャンと別れることとなったのでした。
¥18万が¥1万です。毎日のように里親希望者が現れます。
ところがアイチャンは生後4ヶ月位なのに抱か ようとしないので、皆恐れをなしてしまい里親が見付からなかったと言います。
そんな話を知らずにショップに行った僕に店長さんは物言いたげな顔つきでアイチャンを手渡してくれました。
アイチャンは僕に抱かれておとなしくいい子にしていたばかりでなく僕の髭で遊んでくれました。
店長さんは急に顔つきを変えて「ぜひ貴方に貰っていただきたい」という感じのことを言いました。
そんな風にして売れ残り猫四匹が「日本の音楽業界のデッドストック」の異名を持つ僕の家族に集まったのです。見ためはそれっぽいのに一癖二癖有るってのも僕とそっくりの四匹です。
吉祥寺東町動物村の誕生
2001年の春過ぎ、家賃節約と増え過ぎた昆虫と猫達の為に吉祥寺の外れに一件家を借りました。民族音楽のレコードや本やカセット、ビデオが数百数千に淡水魚の水槽が数本、引っ越しには3ヶ月も掛かってしまいました。
その間母にオス二匹は二階/メス二匹は一階に、と厳命したのですが、引っ越しがやっと終わってやれやれ、と言う頃猫達を見ればなんとクーチャン、アイチャンのお腹が大きくなっているのです。
どうやら母は急に増えた猫達がごっちゃになって、見事なペアリングをしてしまったようでした。しかも見事にすべての組み合わせで。
それが我が家の11匹の猫と1匹の犬の第一幕です。この後様々な出来事があり、彼らの「動物奇想天外」並の驚く行動や能力、ペットの健康管理の難しさなどなど学ぶことばかりの3年があるのですが、猫を躾けるのは無理という人が少なくありませんが、それは同感です。
が、彼らに理解して貰う方法は沢山あります。
実際わずかな工夫で皆仲良く暮らしていますし、猫犬ばかりか水槽15本には魚の他にも亀、蟹、ヤドカリ、も居ますしチャボや昆虫も居ますが皆家族と なっているのです。
その秘訣や苦労話は続編でお話致しますが、僕の結論は「人は猫を躾けることは出来ないが、猫に躾けられて同居する」です。
これは昆虫にも言えます。環境破壊も取りざたされていますが、人間の身勝手な生き方で彼らの生活環境を脅かしている、という以前に、人間の生活サイクルの過ちが有る訳で、それがちいさな彼らのみならず人間さえも苦しめているのだなア、なども彼らから多く学びました。
|